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上野下野道の記

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圓朝作品に出る北海道と中部北陸の7道県の地名
 圓朝作品には,北海道を井上馨卿らと訪れた実体験をもとに創作した「蝦夷なまり」があるため,他の落語・人情噺にくらべて北海道の地名が多数使われている.圓朝が実地に見聞した土地を舞台とした噺に関しては,地名の記述は詳しく,かつ正確である.口演速記や聞書の手控えなどにおいては,漢字表記の誤りはあるが,音を頼りに推測すると大抵のものは実在する.逆に文献を参考に創作したと思われる部分に関しては,道中の順序の不備や無理な行程が見られる.

 「蝦夷なまり」では,小樽港に船で着き,小樽の町の描写とともに札幌への道案内が記述される.明治初期の札幌の町の様子は非常に詳しい.また,開拓民が大熊におそわれた史実を下敷きに,丘珠から登別までの道中付けと,室蘭の町並みの紹介,さらには,森から函館への道中,函館市街の記述といった具合に噺が進展する.そのほか,「蝦夷なまり」では,鹿児島県五箇別府や新潟の浄妙寺,淵龍寺など実在の地名,寺名が登場する.

 北陸地方に関しては,「敵討札所の霊験」の中盤である高岡市街を初め,そこからの道中が描かれている.圓朝が住まったことのある高岡は正確であるが,そこを離れると軌跡をたどれないような記述や表記の誤りが目立つ.追分(富山市の北国街道追分と推定),いすの宮(射水の宮とも考えられるが,富山市の伊豆宮と解釈)がはっきりしない.また,さらに進んで,大沓川(神通川か)や大沓の渡がどこを指すかわからなかったため,富山城下を経由せずに飛騨街道へ取った道筋が明示できなかった.越中越後国境の境関所が登場する必然性もあいまいである.高山から大峠(音はやや違うが安房峠と推定)を越えて北信へたどり着く経路も飛躍が大きい.北信では,多くの実在地名と創作,架空の部分が混在する.例えば,白島(白鳥を故意に変えた?)や葉広山の三峰山(羽広山に祀られるのは別神),月岡の方寿院(移転はしているが常慶院が現存)などがその例である.中山道から西国巡礼へ移るくだりは,太田宿が雪深い山国として描かれている点を除き正確である.

 群馬県境から長野へかけては,「後開榛名梅香」の中で,碓氷峠から諏訪を経由して木曽福島までが描かれる.福島の関を越えた草三の逃走経路のひとつに,三越と書かれているが,これが全く不明.三遊亭圓右の演じる「鰍沢二席目」では,野尻湖あたりが舞台となるが,地名はよく追えない.三国峠から新潟への道中は,「後の業平文治」の舞台である.二居山中で熊と越冬したり,新潟から小笠原へ漂流する設定に無理があることはさておき,三国峠から湯沢までの経路が実踏してみても今ひとつはっきりしない.「後の業平文治」は,門弟の三遊亭金馬(1)による口演であるため,細部が詰めきれていないのはやむを得ないか.

圓朝作品に出る青森県から千葉県までの地名
 圓朝作品には北海道を舞台にした「蝦夷なまり」があるが,東北地方を舞台とする噺はない.「蝦夷なまり」で,主人公が石巻荻の浜に寄港するくらいであった.

 茨城,千葉県は圓朝作品にとって重要な地域で,江戸から水海道,常陸水戸への経路として千葉県を通過する.水戸までの浜街道は「八景隅田川」に詳しい.お秋が一命をとりとめる川は寛政川だろう.矢倉は矢連を指すとも考えられるが,矢連は現在でも純農村であり繁華な土地ではない.
 「真景累ヶ淵」は,演題どおり羽生村(常総市)が後半の舞台となる.水海道の麹屋(糀屋)は,現在でも旅館,料理屋として営業中.根本の聖天山は創作であり,土手の甚蔵を突き落とせるような高台は付近にはない.お久と新吉が下谷から羽生村へ落ちてゆく経路に関してはあいまいな点が残る.松戸から鰭ヶ崎の東福寺(実在)を通るところまではわかるが,鰭ヶ崎の渡が不明.これに続いて花輪(流山市)を通るので,この鰭ヶ崎の渡が江戸川の渡船とは考えられない.花輪から先は,七里が渡(記述無し)で利根川を渡り戸頭から水海道に休んで,水海道の渡で鬼怒川を夜越しして羽生村に入るのが自然だろう.鰭ヶ崎の渡を七里が渡と読み替えるとつじつまが合ってくる.
 「後開榛名の梅が香」では,筑波山,土浦城下と,牢破りした草三が土浦から筑波へ逃げる経路が詳しい.「応文一雅伝」でも土浦が登場し,「後開榛名の梅が香」と同じく"常名"を"下名"と誤記している.「後開榛名の梅が香」では,表記のあいまいな地名もあり,確実度は低い.小田の浅間山は現在,宝篋山と呼ばれる山である.「蝦夷錦故郷之家土産」では,天狗党の乱に揺れる幕末の筑波地方が描かれる.
 「緑林門松竹」でも小貝川ぞいでの大量殺人が描かれるが,圓朝初期作品のせいか地名描写は精密でない.「ほうそ村」はその音や,名物の花火をヒントにしても正しい地名が推測できず不明のまま.「黄薔薇」では古河と隣接する野木(栃木県)が登場する.
 「霧陰伊香保湯煙」では,野田の愛宕神社が詳しく,ツクまい祭礼が描かれる.
 「鏡ヶ池操松影」の婚礼は,神崎町周辺であり,大貫の興福寺で登場する謙仲和尚は,圓朝と同時代に生きた興福寺十一世謙冲禅師をモデルとする.老婆の棲み家は藤ヶ谷新田(柏市)であり,「真景累ヶ淵」の最終部分でも,藤ヶ谷,藤心(柏市)などが描かれる.塚前の明神山は,現在の塚崎神明社の山を,藤心村の観音寺は逆井の観音寺(柏市)を,藤ヶ谷の観音堂は持宝院の如意輪観音堂をモデルとしていると考えられる.小僧弁天(松戸市)も実在であるが,松戸と塚崎との位置関係や高野寺などに関しては不明なところが残る.
 「八景隅田川」で成田参宮,駒木の諏訪参宮の経路(流山の野中が不明)が登場し,「粟田口霑笛竹」で国府台近辺の説明がある.「蝦夷なまり」では,海路から見た安房,上総の各地が描かれている.「松の操美人の生埋」では,浦賀から船で天神山にわたり,お蘭をかくまう.

圓朝作品に出る栃木,群馬,埼玉県の地名
 この3県,特に群馬県は圓朝作品に頻出する.圓朝の手記,とりわけ「塩原多助一代記」の創作取材である「上野下野道の記」と「下新田日記」は,創作よりも詳細な記録となっている.手記と重複する地点の写真・説明については"上野下野道の記"に譲った.

 「塩原多助一代記」の発端は奥日光の山中であり,引き続いて沼田までの道のりが描かれる.これは明治9年に圓朝が実踏した状況をそのまま取り入れている.
 「塩原多助一代記」では,大宮から本庄,伊勢崎へかけての道連れ小平とのいざこざ,多助が愛馬の青と別れて前橋から江戸へ向かう道中が現れる.最初の取材で圓朝は,下新田を訪れず沼田を後にした.青との別れについても,太助の実家の下新田ではなく,沼田東方から出奔するような描きかたをしている.
 圓朝全集所載の三遊亭金馬(1)演「塩原多助後日譚」と新聞連載の圓朝演「塩原多助後日譚」では,話の展開が違っている.下新田に多助が錦を飾る場面があるが,全体に地方の描写は少ない.
 高崎から長野県境へかけては,「後開榛名の梅が香」の独り舞台である.主人公の安中草三もモデルがあり,饅頭商の丸田屋や水車の重兵衛などは実在の人物である.群馬県は,地点数が多すぎて,自分の調べが行き届いていないのが辛い.
 「黄薔薇」では,高崎観音山山中での決闘の場面が印象的である.野木の誘拐場面は「上野下野道の記」にヒントを得ている.
 「霧陰伊香保湯煙」では,伊香保温泉の描写が詳しい.ここで描かれている温泉大屋の旅館や向山の岩崎別邸が今日では失われているのが残念.

圓朝作品に出る東京都,神奈川県,静岡県,山梨県の地名
 この地域を舞台とする噺は極めて多い.
 「後の業平文治」では,三宅島が詳しい.この噺では,他に群馬県境が主要舞台であり,新潟や小笠原も登場する.
 湯河原は圓朝が「名人長二」を執筆した土地であり,温泉名,旅館や町の様子が詳しい.箱根は小田原,三島,八王子とともに「熱海土産温泉利書」,「敵討霞初島」の舞台である.「熱海土産温泉利書」では,熱海までの旅程と熱海から八王子にいたる道中が詳しい.
 「蝦夷錦故郷之家土産」では,曽我周辺が舞台となり,小田原から曽我へかけての道中が描かれる.「因果塚の由来」では,横浜まで汽車で行く場面があるが,横浜の描写は少ない.
 「松の操美人の生埋」では,大津から浦賀にかけての地名が多数登場する.そのいくつかは現在不明である.悪漢が巣くう寺などは,現存の寺を念頭に創作したと考えられる.似かよった名前の寺名がある.山三がお蘭をかくまう天神山は東京湾対岸の上総湊町の宿名であり,原作をうまく翻案している.
 「鶴殺疾刃庖刀」では,宇都谷峠へ向かう東海道と宇都谷峠での待ち伏せが詳しい.
 「熱海土産温泉利書」では,八王子の町名,地域名が多数現れるが,現在地にあてることができないものがあった.例えば,上中野,原中野等々.八光山権五郎稲荷は新町にある竹の花公園に隣接する稲荷神社であり,扇町屋は距離は離れてはいるが文脈からして川越街道の扇町屋(入間市)と考えた.
 「火中の蓮華」は,興津旅行の見聞と鰍沢のプロットをないまぜにした作品で,身延町内と身延山,興津へかけての街道が詳しく描かれている.いくつかの地点は実踏してもわからないところが残った.

なお,圓朝作品に登場する東京23区の地名は1000項目を越え,全地名の4割にもあたる.落語地名と合わせてピックアップした.

圓朝作品に出る他の府県と海外の地名
 「菊模様皿山奇談」の発端が岡山県勝山周辺を舞台とする.圓朝の初期作品であり,もともと芝居噺で演じられたこの噺は,実踏取材は行わなかったはずで,実際の地名との対比が難しかった.
 「鶴殺疾刃庖刀」の発端も大阪を舞台とする.住吉大社の地名は,名所記から取られたもので,現在は失われている.本文では,一部の寺の名前が挙げられるだけだが,「敵討札所の霊験」では主人公が西国三十三ヶ所を巡礼している.
 「お里の伝」は丸亀の事件である.小噺だが「牛車」では,京都が舞台となる.

 翻案ものの原典は,英仏を舞台にしている.「美人の生埋」は浦賀と天神山,「英国孝子伝」では藤岡付近,「名人長二」は湯河原,「黄薔薇」では高崎などといった風に,多くの作品では日本を舞台に置き換えた翻案となっている.
 草稿にとどまる「英国女王イリザベス伝」だけは,日本への置き換えが行われておらず,原作の「Kenilworth」にほぼしたがった筋の展開と地名が使われている.このため,かえって,原典との対照が可能となっている.