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上野下野道の記
角川書店版『三遊亭円朝全集』第7巻には,「上野下野道の記」と題する紀行文が載っている.
これは,圓朝の代表作「塩原多助一代記」の取材手控にもかかわらず,雅趣あふれる俳句・川柳・狂歌がちりばめられており,読み物としても抜群におもしろい作品となっている.
圓朝オリジナルあってのこの写真帳ですし,本文の面白さは読む以外にはわからないため,新たに春陽堂版の本文を,読みやすいように多少表記に手を加え,テキスト化した.
明治9年の初秋に東京を立ち,日光から山深い金精峠を越え,沼田に至って塩原太助の消息を聞き,帰路は前橋,足利から船路をたどる足かけ16日にわたる道中が詳細に記されている.題もそのまま,圓朝の足跡をたどったのが「上野下野道の記」.もともと「塩原多助一代記」の取材旅行であったため,「塩原多助一代記」に重複して出てくる地名が多い.
なお,柴田是真翁から聞いた炭屋塩原にまつわる怪談に興味を持った圓朝が,不思議な縁で太助の菩提寺から,芸界出入りの太助遠縁を訪ねあて,取材旅行にでるところまでは,「塩原多助旅日記」に書かれており,同じく全集の7巻に収められている.
下新田日記
永井啓夫著『三遊亭円朝』増補版には,「上州沼田 下新田日記」と題する紀行文が載っている.
これは,「塩原多助一代記」が圓朝の代表作として認知された後,明治26年の旅日記である.「上野下野道の記」で果たせなかった下新田訪問と太助の後裔との面会を果たしている.いってみれば,「上野下野道の記」を補完するような紀行文である.
今度の旅では日光へは寄り道していない.鉄道を利用して直接沼田を訪れ,下新田の塩原本家で法要を営み,すぐに帰還するというあわただしい旅になっている.記録性はあるが「上野下野道の記」のような雅味には欠ける.
永井氏の解題によると,原本は焼失したが,『演藝世界』に連載されたものがあり,それをほとんど改訂せずに掲載したという.しかし,残念なことに『三遊亭円朝』掲載のものには,欠行や欠字がある.なお,理由は記されていないが,新版の『三遊亭円朝』では,この紀行文は削除されており,読むことができない.塩原家の親族構成など地誌・紀行の観点から見て不必要な記述があるが,圓朝の筆致を正確に再現するために,閲覧が容易とは言えない『演藝世界』誌に掲載された「下新田日記」をできるだけ忠実に再録し,本編との対照の便を図った.