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神奈川県 その1   
はなしの名どころ
松の操美人の生埋(あらすじ)
鶴殺疾刃庖刀(あらすじ)
因果塚の由来(あらすじ)
心眼(あらすじ)
氏「おゝ民彌か、其方(そち)は神奈川で龜の甲煎餅を商ふ處を存じて居るか。
民「心得居りまする。
氏「左樣なら遠馬(えんば)で直(すぐ)に求め參るやうに。
 (「鶴殺疾刃庖刀」)
  鈴木行三編,『圓朝全集』 第五巻,春陽堂(1926)
 
地点名 出典と登場回数 位 置 備 考 写真と撮影年
神奈川県 かながわけん 長二 (他 東京4件) 全5件5題 神奈川県 神奈川県を舞台とする圓朝作品は,浦賀の「松の操美人の生埋」,熱海の「熱海土産温泉利書」,湯河原の「指物師名人長二」など多数になる.
"この藤木川の流れが、当今静岡県と神奈川県の境になって居ります"(指物師名人長二)
     
相模 さがみ 粟田口, 蝦夷錦, 長二, 初島 (他 東京23件, 上方2件) 全29件15題 神奈川県 旧国名.神奈川県の大部分.古川柳で相模下女といえば,好色の代名詞だった.「柳樽下女読んで見て腹を立ち」.
"それだから相模下女イヤとかぶりをたてにふるッてえ、お前さん"(敵討霞初島)
     
すげ 荻の若葉 全1件1題 川崎市多摩区菅あたり 鮎の産地として登場.菅の渡しは多摩川に残る最後の渡しだった.1973年廃止.碑は稲田堤駅から真っ直ぐ北の土手下.
"お芋の煮ッ転ばしに玉子焼か何かを……肴は船に在るから菅村まで持ってきてくれ"(荻の若葉)
菅渡船場跡碑 2008
登戸 のぼりと 荻の若葉 (他 東京1件) 全2件2題 川崎市多摩区登戸 鮎の産地として登場.柏屋は江戸期から続く料亭.ランチもいただける.
"下へ往くともう少し鮎が小せエが矢ノ口から押立までの所はでけいのが捕れやすが登戸、二子下ると小さく成やす"(荻の若葉)
登戸宿と柏屋銘板 2008
二子 ふたこ 荻の若葉 全1件1題 川崎市高津区二子 鮎の産地として登場.二子の渡し跡に二子橋が大正末にかけられた.私事だが二子橋を路面電車で渡ったことがある.二子神社にある岡本かの子文学碑は並ではない.芸術が爆発している.
"下へ往くともう少し鮎が小せエが矢ノ口から押立までの所はでけいのが捕れやすが登戸、二子下ると小さく成やす"(荻の若葉)
二子橋親柱 2008
小向井 こむかい 三題噺 全1件1題 川崎市幸区小向町あたり 三題噺での小向の梅見の場面.現在,小規模な梅林と天皇臨幸碑がある.
"今日はねあなた、手張りで小向井へ梅見に"(貴紳の散歩・壮士の洋行・女子の梅見)
御幸梅林 1998
六郷の川 ろくごうのかわ 鶴殺 全1件1題 川崎市,大田区 多摩川下流.梨の産地.梨園標柱が立ち,噺にも出てくる.砂地とはいえ,このあたりが梨の名産地だったとは,今では想像もつかない.
"福蔵に連れの二人は六郷の川端へ参りますと駕かきが、親方お急ぎの御様子だが、品川まで帰りがあります、急いで安く行きましょう"(鶴殺疾刃庖刀)
     
川崎 かわさき 粟田口, 多助, 生埋 (他 東京35件, 上方1件) 全41件33題 川崎市 川崎宿が舞台になるのは「粟田口霑笛竹」ぐらいか.田中本陣は川崎宿の発展に尽くした田中丘愚が養子に入った家.
"娘を乗せた駕籠を、羽根田から川崎へ渡る渡口より北にあたる梨畑の下でちょっと見掛けたが"(粟田口霑笛竹)
田中本陣跡銘板 1997
川崎駅 かわさきえき 三題噺 (他 東京1件) 全2件2題 川崎市川崎区駅前本町 明治5(1872)年開業.落語では,「煙草好き」が川崎駅を舞台とする.写真は自分の持っている最も古い川崎駅のもので,南部線ホームの柱が木造.
"新橋発の汽車がガラガラピィーと川崎の停車場へ着きますと"(貴紳の散歩・壮士の洋行・女子の梅見)
JR 川崎駅 1983
川崎:新田屋 にったや 粟田口, 鶴殺 (他 東京1件) 全3件3題 川崎市川崎区 万年屋,会津屋とならぶ川崎宿の宿屋.鯊料理が名物.
"三人連れで鎌倉へ廻り、その帰り道に川崎の新田屋へ泊まり"(鶴殺疾刃庖刀)
     
川崎:会津屋 あいづや 花菖蒲澤の紫, 今朝春三組盃 (他 東京1件) 全3件3題 川崎市川崎区 川崎宿の有名な宿屋.圓朝オリジナルには出てこないが,「三人旅」には1件出てくる.
"是非とも己が其轎夫を索て遣から案事ずと會津屋江宿を取り"(花菖蒲澤の紫)
     
川崎:本藤 もとふじ 生埋 全1件1題 川崎市川崎区か 川崎の旅館らしい.
"お宿は浦賀だと仰ったが。いえあの今夜は川崎の本藤へ泊まるからとのお話を聞きました"(松の操美人の生埋)
     
川崎大師 かわさきだいし 粟田口, 緑林 など (他 東京22件) 全28件21題 川崎市川崎区大師町 真言宗大本山平間寺.その縁起は落語「大師の杵」に詳しい.初詣の混雑で有名だが,平日の早朝に訪れたところ,閑散としていた.
"厄除けに川崎の大師へ参詣ながら参りましたのでございますが、娘を駕籠へ乗せて連れて参りましたが、駕籠屋がどこへかついで参りましたか見失いましたので"(粟田口霑笛竹)
川崎大師 1997
大師河原 だいしがわら 花菖蒲澤の紫 全1件1題 川崎市川崎区 圓朝オリジナルには出てこない.多摩川下流.
"お露さんを連て大師河原へ御願をかけ"(花菖蒲澤の紫)
     
神奈川 かながわ 因果塚, 名人く, 鶴殺 (他 東京53件, 上方1件) 全59件26題 横浜市神奈川区 東海道の宿場.鉄道開通後はすっかり横浜に地位を奪われた形.高札場などが復元されている.
"汽車は間もなく神奈川へ着きましたので、びっくりして下車いたしたが、心当にして来た伊之助の姿は認めることが出来ません"(因果塚の由来)
滝の橋と本陣跡銘板 1997
亀の甲煎餅 かめのこせんべい 鶴殺 全2件1題 横浜市神奈川区青木町5 亀の甲煎餅は神奈川の銘菓だった.廃業し,向いの菓子店が引き継いでいた.その時に看板を見せてもらった.記憶では亀の甲羅の形をした瓦せんべいだった.もう,その菓子店もなくなっている.
"そちは神奈川で亀の甲煎餅を商う所を存じておるか。心得おります。左様なら遠馬ですぐに求め参るように"(鶴殺疾刃庖刀)
亀の甲煎餅看板 1997
野毛 のげ 心眼 (他 東京3件, 上方4件) 全8件5題 横浜市西区 「ざこ八」ではノーエ節(野毛の山からノーエ 野毛のサイサイ♪)で登場.近代水道発祥地である野毛配水場には,印象的な形のドームが残る.
"自分の弟の松之助という者を連れまして、野毛の宅へ厄介になっており、せめて半年か今年一年稼いで"(心眼)
野毛配水塔 2008
横浜 よこはま 因果塚, 心眼, 孝子, 一雅 など (他 東京154件, 上方9件) 全179件112題 横浜市 維新後の噺に限られるが,東京落語では「心眼」,「風呂敷」,「穴泥」,「寝床」と言ったところで登場.
"浜はまた贔屓強いところだからと云ってくれましたので、当人も参る気になりました"(心眼)
横浜市街を望む 1998
横浜:羽衣町 はごろもちょう 七福神詣, 残月 全2件2題 横浜市中区羽衣町 鳥居の間に見える店には貸席の行燈看板が覗いている.
"お前はわたしの身を百八十円で羽衣町へ売って、お前が居なくなってしまった後で先方からかけ合いに来ると"(雨後の残月)
羽衣神社 1990
横浜:尾上町 おのえちょう 七福神詣 全1件1題 横浜市中区尾上町 富貴楼は明治初年に尾上町に移転してきた.
"宅は横浜の尾上町です、弁天通りと羽衣町に近いから"(七福神詣)
尾上町バス停 1990
横浜:富貴楼 ふっきろう 替紋, 七福神詣, 残月 (他 東京2件) 全5件5題 横浜市 東福寺(西区赤門町)に富貴楼の女主人お倉の墓がある.奉納水盤には"貴"の文字がわずかに見える.
"まア富貴楼のお倉さんかね、福分もあり、若い時には弁天と云われた位の別嬪であったとさ"(七福神詣)
富貴楼奉納水盤 2003
横浜:弁天通り べんてんどおり 七福神詣 (他 東京3件) 全4件4題 横浜市中区弁天通 「水中の球」,「小夜千鳥」,「転宅」と意外とたくさんの落語に出てくる地名.写真の後ろに見えるのは国重文 旧横浜正金銀行本店.
"宅は横浜の尾上町です、弁天通りと羽衣町に近いから"(七福神詣)
弁天通り 1990
横浜埠頭 よこはまふとう 蝦夷な 全1件1題 横浜市中区 「蝦夷なまり」の時代の埠頭の様子はもはや想像できない.山下公園には,横浜埠頭から異人に連れ去られた靴の赤くないブロンズ像がある.
"横浜の埠頭からこの九重丸に乗り込むには、波の荒い所ですから、船に弱い者などは艀船で行く間に酔ってしまいます"(蝦夷なまり)
赤い靴はいてた女の子像 2008
横浜:異人館 いじんかん 縁切榎 全1件1題 横浜市中区 山手,元町,山下町にも異人館がある.エリスマン邸は移築されており,レンガ礎石も展示されている.
"あるいは群馬県へいって生糸の取引をして、これを横浜の異人館の方へ引合って"(縁切榎)
元町 エリスマン邸 1998
本牧 ほんもく 小噺 (他 東京2件) 全3件3題 横浜市中区本牧原,本牧元町,本牧大里町など 本牧の海蝕崖は残るが,埋立が進んだ結果,波が打ち寄せる景観はなくなった.
"イヤ本牧の鼻で漁師の網に掛かってここへ来たが、河岸が不漁だというので、おれのような小さな身体でも有難いことに一枚三円五拾銭となった"(魚の話)
本牧の海岸跡 1998
金沢 かなざわ 生埋 (他 東京3件) 全4件4題 横浜市金沢区 金沢の名勝を集めた金沢八景.八景を一望したという能見堂跡に碑が立っている.今はここからは何も望めない.
"帰りに何で周玄さんというお医者が御一緒で、事によると金沢へ廻るかも知れんとおっしゃいました"(松の操美人の生埋)
金沢八景根源地碑 1997

掲載 030607/最終更新 201201

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