HOME >> 圓朝地名図譜 >> prev 千葉県 next
千葉県 その2   
はなしの名どころ
粟田口霑笛竹(あらすじ)
八景隅田川(あらすじ)
小「若い時分に一度見たことは忘れんものだ、これは太鼓塚……これは夜啼石とて里見在城の折に夜な夜な泣いて吉凶を告げたといふ夜啼石だ、これは要害の空濠で、裏手の處は櫻ケ陣と申して、里見在城の折には搦手で在つたといふ、何うも實に好い景色の處だ。
 (「粟田口霑笛竹」)
  鈴木行三編,『圓朝全集』 第三巻,春陽堂((1927))
 
地点名 出典と登場回数 位 置 備 考 写真と撮影年月
国分 こくぶ 粟田口 全1件1題 市川市国分あたり 国分村.国分寺には礎石が残る.
"国分村に萩原束という浪人がおりまして、貸金の催促方なぞに頼まれて掛け合いに往きまして"(粟田口霑笛竹)
下総国分寺 9004
国府台 こうのだい 粟田口, 八景 (他 東京6件) 全10件7題 市川市国府台あたり 国府台は江戸を望む高台.国府台城では里見氏と北条氏の合戦.敗れた里見側は安房へ退く.
"これは国府の台で、千葉之介常胤舎弟国府五郎胤道の城跡であると申すを、この国府の台を訛り伝えて鴻の台と申すのだろう"(粟田口霑笛竹)
里見諸将霊墓 0803
桜ヶ陣 さくらがじん 粟田口 全1件1題 市川市国府台3 以下,国府台を案内する稲垣小左衛門の独白.国府台城の搦手とある.
"裏手の所は桜ヶ陣と申して、里見在城の折りには搦め手であったという、実によい景色の所だ"(粟田口霑笛竹)
     
鐘ヶ淵 かねがふち 粟田口, 八景 全3件2題 市川市 国府台の崖下.江戸川が岸を洗う断崖の風景は失われた.この崖を小左衛門が大野惣三郎に突き落とされた.
"稲垣小左衛門の腰のあたりをドンと出し抜けに突くと、小左衛門は不意を打たれたから堪りません、逆トンボウを打って鐘ヶ淵へドブーンとはまりました"(粟田口霑笛竹)
江戸川鐘ヶ淵あたり 0308
鐘掛の松 かねかけのまつ 粟田口 全2件1題 市川市 不明.鐘ヶ淵に差しだすようだったが,北条方が松を斬ったので鐘が川に落ちたという説明.
"これは鐘掛の松と申して、里見在城の折りにはこれへ陣鐘を吊して打ち鳴らしたという"(粟田口霑笛竹)
     
新利根川 しんとねがわ 粟田口 全1件1題 市川市国府台あたり 荒川へ注いでいた利根川は文禄年間に渡良瀬川へ付け替えられ江戸川の流れとなった.
"新利根川の流れに響いて何ともいわれんよい心になり、興に入ってしきりに夕空の曲を調べております"(粟田口霑笛竹)
     
利根川(江戸川) とねがわ 粟田口 全2件1題 市川市国府台あたり その後,利根川は東に付け替えられ銚子に落ちる.ここでの利根川は江戸川のこと.
"右の手に頭巾を持ったなりモンドリを打って高嶺から市川の流れへドブリと落ち入りました"(粟田口霑笛竹)
     
利根の枝川 とねのえだかわ 累ヶ淵 全1件1題          
総寧寺 そうねいじ 粟田口, 八景 全3件2題 市川市国府台3-10 国府台公園を含む広大な敷地だったが,明治期に陸軍用地となったため寺域を失う.以下,こまかく境内の描写が続く.
"曹洞派の禅林で、安国山総寧寺といっては名高い禅寺でございます"(粟田口霑笛竹)
総寧寺 9005
総寧寺:大門 だいもん 粟田口 全1件1題 市川市国府台3 総寧寺の長い参道の入り口にあたる.今はなし.
"只今はまるで様子が違いましたが、その頃は黒塗の大格子の大門の欄間は箔置にて、安国山と筆太に彫りたる額が掛かっておりまする"(粟田口霑笛竹)
     
総寧寺:太鼓塚 たいこづか 粟田口 全1件1題 市川市国府台3 今はないはず.
"若い時分に見たことは忘れんものだ、これは太鼓塚……"(粟田口霑笛竹)
     
総寧寺:大見堂 たいけんどう 粟田口 全2件1題 市川市国府台3 今はなし.眺望すぐれ,大いに見るという額を掲げたとの説明.
"ここが大見堂という二代の上様が大いに見るという額を掛けられた所である。御府内一目に見ゆる所と仰った"(粟田口霑笛竹)
     
総寧寺:夜啼石 よなきいし 粟田口 全1件1題 市川市国府台3 写真は総寧寺本堂前にある石.里見の愛姫がここで死んで以来,この石が泣いたという.国府台公園にも夜泣石がある.
"これは夜啼石とて里見在城の折に夜な夜な泣いて吉凶を告げたという夜啼石だ"(粟田口霑笛竹)
夜啼石 9005
千畳敷 せんじょうじき 八景 全1件1題 市川市 こちらは「八景隅田川」での国府台案内.角川版の註によると千畳敷座敷跡は市川城址という.国府台で残っているのは,2個の石棺と羅漢の井.
"真間の総寧寺へ参詣を致し、かの千畳敷の座敷跡を見物し、岩槻へ抜ける洞穴などを一々案内者の案内を受けまして残らず見おわり"(八景隅田川)
     
洞穴 ほらあな 八景 全1件1題 市川市 国府台の古戦場にあった抜け穴のことだろう.敗走した岩槻へ抜けるという.
"真間の総寧寺へ参詣を致し、かの千畳敷の座敷跡を見物し、岩槻へ抜ける洞穴などを一々案内者の案内を受けまして残らず見おわり"(八景隅田川)
     
弘法寺 ぐぼうじ 粟田口, 八景 全2件2題 市川市真間4-9 真間山弘法寺.この石段で「八景隅田川」の敵同士がそれと知らすれ違う.石の1つが常に濡れているので涙石と呼ばれる."こうぼうじ"の読みは誤り.
"弘法寺の前の石段を二人が下りようといたしますと、下から源之助と母と手代が丁度あがって参りました"(八景隅田川)
弘法寺石段 0308
弘法寺:二葉の紅葉 ふたばのもみじ 粟田口 全1件1題 市川市真間4-9 色あせた写真だが,二葉の楓の碑が確かにあった.2003年に行った時には見あたらなくなってしまった.
"弘法寺の堂の前に二葉の紅葉、秋の頃は誠に景色のよい所でございます"(粟田口霑笛竹)
二葉の楓碑 9004
真間 まま 粟田口(三一正蔵芝居噺) (他 東京4件) 全5件5題 市川市真間 京成市川真間駅を出てすぐ,鉄道敷地内に鏡石がある.久々に訪れたが残っていた 鏡石 0308
真間:根本 ねもと 粟田口 全1件1題 市川市市川4あたり 根本橋のあたり.町内会や商店街の名前で生きている.
"私の在所は葛飾の真間の根本ゆえ、明き家がありましょうからいかッしゃいまし"(粟田口霑笛竹)
根本橋 9005
真間:瓶の井 かめのい 粟田口 全1件1題 市川市真間4-4 亀井院の庭に真間の井戸がある.親切に見せていただいた.門前に真間の井碑.
"東の方には手児名の社、その後ろは瓶の井より水が流れ"(粟田口霑笛竹)
真間の井 0308
手児名の社 てこなのやしろ 粟田口, 八景 (他 東京2件) 全4件3題 市川市真間4-5 数多の男性に言い寄られ,我が身の美しさを嘆いて身を投げた真間の手児名.万葉期の伝説.
"この手児名の宮へ祈誓をかけて、遂に血の気もなくやすやすと源之助を産みましたというので、この社へは毎年必ずお詣りを致します"(八景隅田川)
手児名霊堂 0803
真間の継橋 ままのつぎはし 粟田口 全1件1題 市川市真間4-6,7 当時の名所で歌枕.継橋碑をメインに見たいが,手前の赤い欄干がじゃま.足の音せず行かむ駒もが葛飾の真間の継橋やまず通はむ(万葉集).
"真間の継橋という名高い橋がありますが、立派かと思うと、板と板と両方から継合わせたから継橋というのだそうで、何にも面白くありません"(粟田口霑笛竹)
継橋碑 0803
市川 いちかわ 粟田口, 孝子, 八景, 下新田 (他 東京1件) 全7件5題 市川市市川 江戸川を挟み,市川・小岩の関所があった.
"こちらの虚無僧は釜を提げて市川を越え、逆井を渡り、本所に出まして、二ツ目の橋を渡り"(粟田口霑笛竹)
市川関所跡 0008
市川新田 いちかわしんでん 粟田口 全1件1題 市川市新田,真間5あたり 市川の東,八幡との間.新田公園に名残り.
"八幡の八幡宮へ参詣して、ブラブラ市川新田を帰り路になりましたが、菜の花が盛りでございます"(粟田口霑笛竹)
新田公園 9005
甲の宮 かぶとのみや 八景 全1件1題 市川市大和田2-5 甲大神社.武将の兜を収める.それは将門とも言う.
"四五日逗留をして、塩浜から甲の宮長島の湊などというこの辺の名所は残らず見ました"(八景隅田川)
甲大神社 9005
行徳 ぎょうとく 八景 (他 東京2件) 全3件3題 市川市本行徳あたり 行徳河岸の常夜燈から東へ取ると,そこを通る旅人が立ち寄った名物笹屋うどんがあった.
"ある時源之助がおふくろに連れられて下総行徳の徳願寺へ参詣に参りました"(八景隅田川)
笹屋うどん跡指示標 9805
行徳:徳願寺 とくがんじ 八景 全1件1題 市川市本行徳5 浄土宗海巌山徳願寺.行徳きっての名刹.「永代橋」落下の供養塔がある.
"この徳願寺と申す寺は行徳一丁目の横町を曲がって、船橋へ参る街道の左側にございます"(八景隅田川)
徳願寺 86
行徳:徳願寺閻魔堂 えんまどう 八景 全1件1題 市川市本行徳5 閻王像は運慶作と言われる.今,閻魔堂はなく本堂内.
"その閻魔堂の像はやはり運慶の作で見事なものだから帰りに拝ませてあげよう"(八景隅田川)
     
行徳の渡 ぎょうとくのわたし 八景 全1件1題 市川市本行徳〜江戸川区 江戸川区と対岸の行徳とを結ぶ江戸川の渡.
"名におう三里という道のりでございますから、行徳の渡し手前へ着きましたのが、五つ半ででもございましたろう"(八景隅田川)
     
長島の湊 ながしまのみなと 八景 全1件1題   塩浜,甲の宮,長島の湊と噺の中で名前だけあげられた名所.いずれも『江戸名所図会』に項立てされている.葛西長島(江戸川区長島町)とペアという.
"四五日逗留をして、塩浜から甲の宮長島の湊などというこの辺の名所は残らず見ました"(八景隅田川)
     
塩浜 しおはま 八景 全1件1題 市川市 行徳地区東部一帯の塩田.芭蕉潮塚に面影をしのぶ.うたがふな潮の華も浦の春(芭蕉).
"四五日逗留をして、塩浜から甲の宮長島の湊などというこの辺の名所は残らず見ました"(八景隅田川)
法善寺 芭蕉潮塚 9805
八幡 やわた 江島屋, 粟田口, 八景 全4件3題 市川市八幡 佐倉・成田道の宿.市川からと行徳からのルートが合流する.
"諸方へ知れて方々から買いに参ります。市川新田、八幡、船橋、国分村、小松川、松戸辺から買いに来ます"(粟田口霑笛竹)
     
八幡の八幡 やわたのはちまん 粟田口, 江島屋(旺国馬生) (他 上方4件) 全6件4題 市川市八幡4 葛飾八幡宮.神殿奥は無数の蛇が棲んでおり,時に姿を現したという千本イチョウ.
"今日は気を変えてブラブラと八幡の八幡宮へでも参詣致そうか"(粟田口霑笛竹)
葛飾八幡宮千本イチョウ 0805
八幡の薮不知 やわたのやぶしらず 八景 (他 東京2件) 全3件3題 市川市八幡2 その地を侵すものに祟り,迷い込んだものを呑み込む薮不知.水戸黄門がその真偽を捜索したという.今,不知森神社は小ギレイに改修されてしまい,藪も見通せてしまう.哀しい.
"これは八幡の八幡知らずという薮であります。へえーそうでございますか、小さな薮でございますねぇ、これへ人がはいると出ることができないそうで"(八景隅田川)
八幡の薮不知 9401
法華経寺 ほけきょうじ 粟田口, 八景, 一雅 (他 東京2件) 全5件5題 市川市中山2 日蓮に帰依した富木常忍の宅地跡.祖師堂は1987年から大修理に入り,創建時の比翼入母屋造りになった.
"それから中山の法華経寺へ詣でまして、それから市川へ出て手児名の社へ詣でました"(八景隅田川)
法華経寺祖師堂 0803
中山の鬼子母神 なかやまのきしぼじん 八景 (他 東京5件) 全6件2題 市川市中山 法華経寺の本院奥に鬼子母神堂がある.遠寿院荒行堂も鬼子母神.孝明天皇の参拝を得て天拝鬼子母神と称する.鬼の字に角(点)がないのが本当.
"これから中山の鬼子母神とやらへ御参詣になりますか。参りましょう"(八景隅田川)
遠寿院鬼子母神 8308
船橋 ふなばし 江島屋, 粟田口, 八景 など (他 東京7件) 全13件10題 船橋市 船橋にあるのは日本一小さい東照宮(本町4-29).
"ええ鎌ヶ谷へはどう参りましてよろしゅうございますか。どう参ってよろしいか分かりません。ええこちらへ参りましたら船橋の方へ出ますでしょうか。船橋はおおかた南の方でしょう"(江島屋騒動)
船橋東照宮 9805
船橋大神宮 ふなばしだいじんぐう 八景 全1件1題 船橋市宮本5-2 もと意富比神社.界隈きっての大きな神社.航海漁業の目印となった木造高燈籠がある.
"惣吾の宮へ参詣して、それから船橋の大神宮へでも廻って来ると丁度よい道だねえ"(八景隅田川)
船橋大神宮 0803
船橋:慈雲寺 じうんじ 粟田口 全1件1題 船橋市宮本6-25 船橋大神宮のそば.ここの鐘が鐘ヶ淵に沈んだという故事.
"あるいは豊島刑部左衛門秀鏡の陣鐘にして、船橋の慈雲寺の鐘なりともいう"(粟田口霑笛竹)
慈雲寺 9805
幕張 まくはり 江島屋(弘文志ん生) 全1件1題 千葉市花見川区幕張町 圓朝原作には登場せず,古今亭志ん生(5)の演出でのみ登場 幕張新都心 9709
小和田 こわだ 粟田口 全1件1題 八千代市大和田あたり 大和田(おおわだ)ではないか.写真のあたり一帯が大和田原の原野.後ろは牛乳工場.
"成田へ参詣に出掛けまして、小和田の原へかかりました頃は、日の暮れ暮れでございまする"(粟田口霑笛竹)
大和田の畑地 9805
千葉 ちば 三題噺 (他 東京17件) 全18件11題 千葉市 県都千葉市.他には千葉県を指す例もある.真言宗千葉寺(せんようじ)は市内最古の寺院,五輪塔にも千葉の文字.
"犬山道節が下総の千葉へ参ろうとて船橋駅を通り掛りト見ると刀剣商があって、家の構えに不似合な大層立派なる刀剣が飾ってあるから"(商法のいろいろ−刀剣商)
千葉寺 9709

掲載 050625/最終更新 080815

   表の項目の説明

HOME >> 圓朝地名図譜 >> prev 千葉県 next