地点名 |
出典と登場回数 |
位 置 |
備 考 |
写真と撮影年 |
千葉県 |
ちばけん |
黄薔薇 (他 東京8件, 上方2件) 全11件10題 |
千葉県 |
「黄薔薇」は,明治期に入ってからの事件を描く人情噺.千葉県は,印旛県,木更津県と新治県の一部が合併して成立した.
"古河へ参ろうと千葉県下下総国古河の紺屋町の生間忠右衛門というお万の親父の所へ行きます"(黄薔薇) |
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安房 |
あわ |
草三, 生埋 (他 東京25件) 全27件18題 |
千葉県 |
旧国名.千葉県南部.
"洲崎の土手へ立つと房州や上総が見えましたが、いまだに見えますか。あれはいつだって見えます"(名人くらべ) |
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上総 |
かずさ |
累ヶ淵, 名人く, 生埋 など (他 東京20件) 全24件21題 |
千葉県 |
旧国名.安房の北,千葉県中部.
"たんと流されやァしめえと思うが、上総房州の内なればいいが、事によったら伊豆の島あたりかも知れねえ"(松の操美人の生埋) |
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下総 |
しもうさ |
江島屋, 累ヶ淵, 八景, 鶴殺 (他 東京10件) 全25件16題 |
千葉県,茨城県 |
旧国名.上総の北.茨城県の南西部を含むので,「真景累ヶ淵」は下総の羽生村と説いている.
"ヘエお前さんの田舎は下総ですか、世には似た事があるものですね、そういえば成程お前さんの所の屋号は羽生屋という"(真景累ヶ淵) |
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関宿 |
せきやど |
伊香保, 孝子, 上野 (他 東京1件) 全3件3題 |
野田市関宿町 |
千葉県の北西端にあたる関宿町は,野田市の一部になった.関宿城のあたりは,どんづまりの寂しいところだったが,城を模した資料館などが建てられている.
"宝珠鼻へ着くと乗り込むものもあり、これから関宿へ着きますと荷物がはいるので余程手間がかかり、堺へ参りますと"(霧陰伊香保湯煙) |
関宿城址より |
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2008 |
野田 |
のだ |
伊香保, 孝子, 上野 (他 東京9件) 全11件5題 |
野田市 |
醤油醸造の町.「霧陰伊香保湯煙」では亀甲萬の主人,茂木佐平治が出てくる.茂木邸敷地には,野田市郷土博物館があり,醤油醸造について道具類や文書が展示されている.登録有形文化財の茂木邸は,市民会館として利用されている.来客用の書院や,産室としても使われた離れは,今は取り壊されている.茶室の松樹庵は再建されている.
"野田に祇園会という事がございますが、豪商のいまる所ゆえ御祭礼は中々立派にできます"(霧陰伊香保湯煙) |
茂木佐平治邸茶室松樹庵 |
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2021 |
野田:愛宕神社 |
あたごじんじゃ |
伊香保 全1件1題 |
野田市野田 |
京都の愛宕神社を延長元(923)年に勧請した.愛宕神社の祭礼は「霧陰伊香保湯煙」の実舞台となる.野田愛宕神社のつく舞の様子も描かれる.柱のてっぺんに醤油樽がつけられていて,蛙に扮した津久男が柱に登って曲芸を演じる.樽の上から破魔矢を射る神事で締める.東武野田線(アーバンパークライン)愛宕駅からすぐ.
"鎮守は愛宕でございます。あちらへいらっしゃったお方は御案内でいらっしゃいますが、社殿は欅の総彫で、花鳥雲龍が彫ってごく名作でございます"(霧陰伊香保湯煙) |
愛宕神社 |
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2021 |
野田:愛宕神社,狛犬 |
こまいぬ |
伊香保 全1件1題 |
野田市野田 |
本文に書かれているとおり,愛宕神社には宝暦14(1764)年銘の狛犬がある.残念ながら狛犬の頭が欠けている.と書いたのだが,狛犬は新しくなっており,古い狛犬は手水舎の脇に下ろされていた.
"(宝暦の年号が彫ってあります)牝狗牡狗の小さいのが左右にあり"(霧陰伊香保湯煙) |
狛犬 |
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2021 |
野田:愛宕神社,句碑 |
くひ |
伊香保 全1件1題 |
野田市野田 |
碑の両面に芭蕉の句が彫られている.表は翁の線刻と"百年の気しきを庭の落葉かな".文政11(1828)年の建.本文にある鉄翁の句碑も,その脇に残っている.
"碑が立っていて、これにたしか鉄翁の句がございまして「三光の他は桜の花あかり」"(霧陰伊香保湯煙) |
芭蕉句碑 |
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2021 |
野田:香取神社 |
かとりじんじゃ |
伊香保 全1件1題 |
野田市上花輪 |
本文にあるように,香取神社には青面金剛,多数の庚申塔がならんでいる.よろしいのをお見立て.
"突き当たりに香取神社の鳥居がありまして、わきに青面金剛と彫り付けたおおきな石塚が建っております"(霧陰伊香保湯煙) |
香取神社庚申塔 |
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1990 |
亀甲万 |
きっこうまん |
伊香保 全1件1題 |
野田市 |
キッコーマン株式会社.野田では江戸初期から,高梨家,茂木家を中心に醤油醸造が行われていた.1917年に野田醤油株式会社として会社化された.亀甲万献上蔵は,天然醸造を守る宮内庁御用達の醤油蔵.
"今年十三になる孫の布巻吉というものを亀甲萬へ奉公にやっておき、孫に会いに参ったのでございます"(霧陰伊香保湯煙) |
亀甲萬献上蔵 |
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1990 |
今上川岸 |
いまがみがし |
伊香保 全1件1題 |
野田市今上 |
野田の河岸.醤油のような重たいものは水運が頼りだったが,鉄道にその座を奪われた.
"茂木佐平治さんだから多分の手当をしてくれ、今上川岸の舛田と申す出船宿から乗船切符まで買うて与えました"(霧陰伊香保湯煙) |
今上 八幡宮 |
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1990 |
平方 |
ひらかた |
温故知新 全1件1題 |
流山市平方 |
下総台地と江戸川にはさまれた低地.開発計画の掲示があったので,写真のような農地の姿も変わるかもしれない.
"お嘉は葛飾郡平方村の農民(ひゃくしょう)治助の妹にして"温故知新) |
平方 |
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2017 |
西福寺 |
さいふくじ |
お蝶 全1件1題 |
流山市下花輪 |
西福寺は合併して西栄寺となる.礎石は旧地にある.下花輪交差点そば.
"武州葛飾郡塙村なる真言宗西福寺の和尚大心とは俗縁があるところからこれを頼ってまいります"(操競女学校-お蝶の伝) |
琵琶首観音堂礎石 |
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2000 |
西福寺:枇杷首観音堂 |
びわくびかんのんどう |
お蝶 全1件1題 |
流山市下花輪 |
移転した西栄寺内(桐ヶ谷230)に観音様が安置されている.琵琶首の名は木像の形状ではなく,地名に由来する.
"お蝶が徳治郎を枇杷首観音堂の後ろへ連れてまいりました。これは西福寺の真向かいで坂の内に只今もってお堂がございまする"(操競女学校-お蝶の伝) |
琵琶首観世音 |
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2000 |
駒木の諏訪 |
こまきのすわ |
八景 全1件1題 |
流山市駒木657 |
神仏分離して諏訪神社.この地域では有名な神社で,参拝路が通じていた.ここからは「八景隅田川」の参拝道中の場面.
"私は信心で七月は駒木の諏訪様へ毎年お詣りをしますが、どうだ駒木へお付き合いなさらんか"(八景隅田川) |
諏訪神社 |
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1986 |
野中 |
のなか |
八景 全1件1題 |
流山市市野谷あたりか |
流山から駒木の諏訪への途中に描かれる.不明.
"流山から半路ばかり先の野中という所へいって泊まってもよろしい"(八景隅田川) |
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花輪 |
はなわ |
累ヶ淵, お民, お蝶, 草三 全7件4題 |
流山市下花輪か |
今度は「真景累ヶ淵」の羽生村への道行.
"その晩は遅いから松戸へ泊り、翌日宿屋を立って、あれから古賀崎の堤へかかり、流山から花輪村"(真景累ヶ淵) |
花輪城址 |
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2000 |
流山 |
ながれやま |
累ヶ淵, お蝶, 草三, 八景 など (他 東京9件) 全19件10題 |
流山市 |
流山と言えばみりん.天晴味醂の秋元本家は一茶双樹記念館.もう1つの万上味醂は,キッコーマングループに入っている.
"もうハア日イ暮れ掛かって来やしたから、お泊りは流山か松戸泊りが近くってようごぜえましょう"(真景累ヶ淵) |
万上みりん工場 |
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2010 |
流山の渡 |
ながれやまのわたし |
八景 全1件1題 |
流山市〜埼玉県三郷市か |
丹後の渡は,流山と三郷とを結ぶ.流山まで駕籠で行き,渡しを渡って,流山に至るとあるので,丹後の渡しではなく,小さな堀のようにも読める.
"流山の渡しの手前で駕籠は返しました。それより三人渡しを渡って流山へ出て"(八景隅田川) |
丹後の渡しあと |
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2000 |
鰭ヶ崎 |
ひれがさき |
累ヶ淵, お蝶 全5件2題 |
流山市鰭ヶ崎 |
鰭ヶ崎は,流山の地名.おびしゃは正月に行われる祭礼で,鬼を射て当年の豊作を占う.
"あれから古賀崎の堤へかかり、流山から花輪村、鰭ヶ崎へ出て、鰭ヶ崎の渡しを越えて水街道へかかり"(真景累ヶ淵) |
雷神社おびしゃ銘板 |
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2000 |
鰭ヶ崎:東福寺 |
とうふくじ |
累ヶ淵 全2件1題 |
流山市鰭ヶ崎1303 |
真言宗守龍山東福寺.夜な夜な動き出すため眼を潰された鴨の像が山門脇にあった.今はどこに行ったのか.
"手間がとれるから、鰭ヶ崎の東福寺泊りと云うのだが、いくらでもいいから廉く遣るべえじゃアねえか"(真景累ヶ淵) |
東福寺山門 |
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1985 |
鰭ヶ崎の渡 |
ひれがさきのわたし |
累ヶ淵 全4件1題 |
流山市か |
不明.道順からいって,利根川の七里の渡しだとすっきりする.
"流山から花輪村、鰭ヶ崎へ出て、鰭ヶ崎の渡を越えて水街道へかかり"(真景累ヶ淵) |
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青山 |
あおやま |
八景 全1件1題 |
我孫子市青山 |
この2項は,巡礼姿で水戸方面へ向かう「八景隅田川」の舞台.青山は,我孫子の北で,追いはぎが出そうと形容される寂しいところ.訪問時も雑風景な印象だった.
"寂々寥々という塩梅で、白昼追い剥ぎが出そうな物凄いところを、杖を力に青山村へ参り"(八景隅田川) |
青山 |
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1997 |
我孫子 |
あびこ |
八景 (他 東京2件) 全3件3題 |
我孫子市 |
本文の我孫子駅は宿場のこと.鉄道駅は1896(明治29)年に開設された.その後には,志賀直哉,武者小路実篤などの文人が我孫子に集った.
"松戸、小金と駅路を重ねて参って我子孫駅へ参った頃はよほどくたびれて"(八景隅田川) |
我孫子駅開設の功労者飯泉喜雄顕彰碑 |
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2008 |
塚前 |
つかさき |
累ヶ淵, 荻江 全3件2題 |
柏市塚崎 |
以下ずっと,演じ手のない「真景累ヶ淵」の後半の舞台を紹介する.神明神社には宝暦7(1757)年の石鳥居がある.
"せめて戸頭まで送りてえと思って居ります、塚前の弥右衛門どんは死んだかどうか知んねえが"(真景累ヶ淵) |
塚崎神明神社 |
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1999 |
塚前:因果塚 |
いんがづか |
累ヶ淵 全1件1題 |
柏市塚崎か |
塚前の観音堂の脇とのことだが,「お若伊之助」等と同様に創作だろう.
"塚前村観音堂へ因果塚を建立いたし、観音寺の和尚道恩がことごとくこの因縁を説いて回向をいたしました"(真景累ヶ淵) |
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明神山 |
みょうじんやま |
累ヶ淵 全2件1題 |
柏市塚崎 |
塚崎神明神社の社叢.火縄銃の火縄が,木漏れの雨滴で消えてピンチを脱出するという「真景累ヶ淵」の結末部の舞台.
"おれの隠家まで来い、あの明神山の五本杉の中に一本大きな楠がある、その裏の小山がある所に、少しばかり同類を集めているんだ。じゃアあのもと三峰山のお堂のあった所だね"(真景累ヶ淵) |
塚前明神の森 |
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1999 |
藤心 |
ふじごころ |
累ヶ淵 全1件1題 |
柏市藤心 |
写真は当地を支配した本多候の陣屋跡.
"おやおや御夫婦連れで旅をなさいますの、藤心村まで出るとお茶漬屋ぐらいはありますが、この辺には宿屋がございませんから定めてお困りでしょう"(真景累ヶ淵) |
藤心陣屋跡 |
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1999 |
観音寺 |
かんのんじ |
累ヶ淵 全2件1題 |
柏市逆井 |
観音寺は実在するので,真言宗観音寺(逆井523)としてよいだろう.奈良の長谷寺の末寺で,長谷寺同様に牡丹が見事に植わった花の寺.
"通り掛かった者は、藤心村の観音寺の和尚道恩と申しまして年とっておりますが、村方では用いられる和尚様"(真景累ヶ淵) |
真言宗観音寺 |
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1999 |
藤ヶ谷 |
ふじがや |
累ヶ淵 全1件1題 |
柏市藤ケ谷 |
藤ヶ谷と藤ヶ谷新田は隣接している.藤ヶ谷十三塚は,林の中に13の土塚がならんでいる.このような形は珍しい.ちょっとした謎スポット.
"姉さんの敵と尋ねる剣術遣いの安田一角は、五助街道の藤ヶ谷の明神山に隠れて居るという事は、妙な訳で戸ヶ崎の葮簀張りで聞いたのですが"(真景累ヶ淵) |
藤ヶ谷十三塚 |
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1999 |
藤ヶ谷新田 |
ふじがやしんでん |
江島屋 全5件1題 |
柏市藤ケ谷新田 |
糊づけの婚礼晴れ着を売った江島屋を呪う老婆の住みか.以下,「鏡ヶ池操松影」の地名が数件でてくる.
"ここは何と申す所ですな。ここは藤ヶ谷新田と申す所です。それじゃァ五筋街道ですねぇ"(鏡ヶ池操松影) |
藤ヶ谷新田バス停 |
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1999 |
観音堂 |
かんのんどう |
累ヶ淵 全3件1題 |
柏市か |
旧東葛飾郡沼南町あたりか.「真景累ヶ淵」後半の地名はしっくりこないものが多くなる.これもその1つで,塚崎村と小金原の二重登録に見える.おそらく如意輪寺持宝院(藤ケ谷178)の如意輪観音堂だろう.
"本郷山を越し、塚前村にかかり、観音堂に参詣をいたし、図らずお賤が、実の母に出逢いまする"(真景累ヶ淵) |
持宝院 如意輪観音堂 |
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1999 |
広井 |
ひろい |
江島屋 全1件1題 |
白井市 |
広井とあるが,白井(しろい)が正しい.このあたり一帯ナシが特産で,赤星病を媒介するカイヅカイブキを植えることを禁じている.
"お仲は治右衛門の手を引き、行徳船で八幡へ出まして、その晩は釜ヶ谷へ泊まり、翌日は広井より木下"(鏡ヶ池操松影) |
白井の町並み |
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1999 |
鎌ヶ谷 |
かまがや |
江島屋 全2件1題 |
鎌ヶ谷市 |
鎌ヶ谷大仏は,高さ2m弱.故人の追善のための建立なので,現代の巨大仏とくらべては申し訳ない.
"丁度荷物が下総の八幡へ出ていますから滑川などを歩いて木下へ廻り、これから鎌ヶ谷から八幡へ来て、それから帰ろうとすると"(鏡ヶ池操松影) |
鎌ヶ谷大仏 |
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1998 |
五助街道 |
ごすけかいどう |
江島屋, 累ヶ淵 全3件2題 |
千葉県 |
五助は五香駅周辺で,数十年前までは地図にも載っている."五筋街道"と書かれているのも,五助街道のことだろう.このあたり五香六実など入植順に数字地名がつけられた.
"己は木卸へ上がる五助街道の間道に、藤ヶ谷という所の明神山に当時隠れているんだ"(真景累ヶ淵) |
五香 善光寺 |
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1998 |
生街道 |
なまかいどう |
累ヶ淵 全1件1題 |
千葉県 |
鮮魚街道(なまかいどう)ともいう.布佐から松戸へ鮮魚を運んだ街道.冷蔵輸送の手立てがない時代は,いかに早く生魚を運ぶかが命だった.京成線では,上野方面への行商列車や行商車両が,21世紀に入っても運行されていた.藤ヶ谷にある1879(明治12)年建の鮮魚街道常夜燈は,坂の途中に隠れていて見つけづらい.
"あすこは生街道てえので、松戸へつン抜けるに余程近えから、夏になると魚ア車にぶッ積んで少しは人も通るが"(真景累ヶ淵) |
鮮魚街道常夜塔 |
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2002 |
小金 |
こがね |
累ヶ淵, 八景 全2件2題 |
松戸市 |
浜街道の宿.写真のような旅籠跡のほか,小金には,虚無僧を生んだ普化宗総本山の一月寺があった.
"この辺に薬を売る所はない、小金まで行かなければない"(真景累ヶ淵) |
旅籠玉屋 鈴木家 |
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2000 |
小金ヶ原 |
こがねがはら |
累ヶ淵, 粟田口, 緑林, 八景 全5件4題 |
松戸市 |
律令時代にまでさかのぼる馬の産地.小金原で馬が生まれるが,金原亭馬生の由来.史跡としては小金牧の一部が残っている.
"小金の原から三里ばかり参ると、大きな観音堂がございます"(真景累ヶ淵) |
小金ヶ原団地 |
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2000 |
新高野 |
しんこうや |
累ヶ淵 全2件1題 |
松戸市か |
不明.手賀沼の北岸には高野山があるが,位置的におかしい.ご教示を乞う.
"てめえこれから新高野へ馬を引いてゆくのなら矢張り帰りはここを通るだろう。鰭ヶ崎の方へ廻るのだがこっちへ来てもいい"(真景累ヶ淵) |
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本郷山 |
ほんごうやま |
累ヶ淵 全2件1題 |
松戸市 |
松戸には,本郷台の丘陵地はあるが,よくわからない.
"これから本郷山を抜け、塚前村へかかりました時分は、もう日が暮れかかり、また吹掛けぶりに雨がざアざアと降って来ました"(真景累ヶ淵) |
本郷台 |
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1998 |
古ヶ崎 |
こがさき |
累ヶ淵, お蝶, 八景 全7件3題 |
松戸市古ヶ崎 |
速記のせいかもしれないが,古賀崎,戸ヶ崎,木賀崎と3通りの表記がある.松戸の古ヶ崎(こがさき)だろう.
"松戸から帰りがけに戸ヶ崎あたりで、二人の飢鬼をしめ殺して、川の中へほうり込んでおしまいよ"(操競女学校-お蝶の伝) |
古ヶ崎橋 |
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1998 |
都賀崎 |
つがざき |
闇夜の梅 全1件1題 |
松戸市か |
都賀崎(つがさき)とあるが,塚崎または古ヶ崎だろう.
"下総の都賀崎と云う所に金蔵という者がある、私とは少し親類合の者だから、これへ手紙をつけて上げるから、当人に逢って、よく相談をして世帯を持たせて貰いなさるがいい"(闇夜の梅) |
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小僧弁天 |
こぞうべんてん |
累ヶ淵, 八景 全2件2題 |
松戸市古ヶ崎 |
小さなお堂が現存する.確かに弁天が使いに行くのではなく,小僧の死骸が漂着したのが由来.バス停の名に残っていることに快哉.
"戸ヶ崎村と申す所がございまして、そこに小僧弁天というのがありまするが、どういう訳で小僧弁天と申しますか"(真景累ヶ淵) |
小僧弁天 |
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1989 |
利根の枝川 |
とねのえだかわ |
累ヶ淵 全1件1題 |
松戸市 |
用例は小僧弁天のそば.小僧弁天脇をながれる堀の水も,江戸川へ落としている.
"与助はもんどりを打って、利根の枝川へどぶんと水音高く逆とんぼうを打って投げ込まれました"(真景累ヶ淵) |
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松戸 |
まつど |
累ヶ淵, 粟田口, お蝶, 八景 (他 東京7件) 全19件7題 |
松戸市 |
松戸宿は「お蝶の伝」の仇討の舞台となる.北には平潟遊廓があったりしたが,ベッドタウン化が進み,宿として見るべきものは少なかった.市役所裏にある池田弁財天には,平潟遊廓の遊女たちが花柳病予防・平癒を祈願して,石の蛇を納めていた.
"松戸の町へ連れてって玩具を買ってやるといえば、嬉しがってゆくに違いない"(操競女学校-お蝶の伝) |
池田弁財天奉納石蛇 |
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2008 |
松戸:樋の口 |
ひのくち |
粟田口 全1件1題 |
松戸市樋野口 |
樋野口.松戸から矢切,市川にかけては「粟田口霑笛竹」の舞台となる.樋野口の北が,平潟遊廓になる.
"若え時分に一緒に松戸の樋の口へ通う時分にやァ一晩でもお女郎買えをしねえと気が済まねぇで"(粟田口霑笛竹) |
樋野口交差点 |
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1990 |
松戸:御嶽山 |
おんたけさん |
お蝶 全1件1題 |
松戸市松戸1457 |
御獄大権現.神仏分離で明治初年に松戸神社と改称した.祭神は日本武尊.なぜか御嶽山と記された物は,境内に見つからなかった.今は銘板に説明がある.
"伯父さんが松戸の御嶽山のお祭へ連れてってやろうか"(操競女学校-お蝶の伝) |
松戸神社 |
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1989 |
矢切 |
やぎり |
粟田口 全4件2題 |
松戸市下矢切あたり |
かつては交通不便だったが,北総鉄道が開通した現在では,柴又との間の矢切の渡しは観光用となる.
"江戸表には別に身寄り親類も有りませんが、下総の矢切村から金重の妹が出て参りました"(粟田口霑笛竹) |
矢切の渡し |
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2013 |
矢切山 |
やぎりやま |
粟田口 全1件1題 |
松戸市か |
"人のうわさには金森家の浪人が八州のお捕方を斬払って、矢切山へ隠れたという噂を聞いて"(粟田口霑笛竹) |
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中矢切:法泉寺 |
ほうせんじ |
粟田口 全2件1題 |
松戸市か |
少なくとも現在,矢切に法泉寺はない.
"われがには気の毒だから、寺の名前だけは教えてやる、中矢切の法泉寺といいやす"(粟田口霑笛竹) |
中矢切浄安寺 |
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1990 |
中矢切:総寧寺 |
そうねいじ |
粟田口 全1件1題 |
松戸市か |
国府台(市川市)の総寧寺を勘違いしたか.
"中矢切の総寧寺の勤めの鐘がゴーンゴーンと市川の流れに響いて聞こえまする"(粟田口霑笛竹) |
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中矢切:京寧寺 |
けいねいじ |
粟田口(不二演藝画報復刻) 全1件1題 |
松戸市か |
もともと架空の寺名.
"中矢切の京寧寺で勤めの鐘がゴーンゴーンと市川の流れに響いて"(丈助殺し) |
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下矢切 |
しもやぎり |
粟田口 全2件2題 |
松戸市下矢切 |
伊藤左千夫の小説「野菊の墓」の主人公が,矢切村の住人.文学碑は,矢切の渡しから江戸川の段丘をのぼった高台にある.
"私は下矢切村の渡場の船頭で喜代松というもんでごぜえます"(粟田口霑笛竹) |
野菊の墓文学碑 |
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2013 |