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長野県 その1   
はなしの名どころ
敵討札所の霊験(あらすじ)
後開榛名の梅が香(あらすじ)
鰍沢二席目(あらすじ)
寛政九年八月十日の事でございますが、信州水内郡白島村と申す處がございます。是は飯山の在で山家でございます。大瀧村といふ處に不動樣がありまして、その側に掛茶屋があつて……
 (三遊亭圓朝 「敵討札所の靈驗」)
  鈴木行三編,『圓朝全集』 第二巻,春陽堂(1927)
 
地点名 出典と登場回数 位 置 備 考 写真と撮影年
長野県 ながのけん 蝦夷な, 孝子 (他 東京4件) 全6件6題 長野県 "元は東京の方で今は長野県にいなさる、知恵もあり学問も勝れた方"(蝦夷なまり)      
信濃 しなの 札所, 後の文治, 羽織の蕎麦 など (他 東京72件, 上方4件) 全97件52題 長野県 長野県の旧国名,信濃の国!松本伊那佐久善光寺ぃ.
"しかし田舎者のような口をきいているが、様子を見ると、ほんに信州の山の中から出た者とは思われない所があるよ"(緑林門松竹)
     
青倉 あおくら 札所 全1件1題 下水内郡栄村北進青倉 以下ずっと「敵討札所の霊験」の地名.白鳥に一時落ち着いていた永禅の逃避行.
"御案内の通りあれから白島村を出まして、青倉より横倉へ掛かり、筑摩川の川上を越えまして"(敵討札所の霊験)
青倉遠景 1998
横倉 よこくら 札所 全1件1題 下水内郡栄村北進横倉 青倉−横倉とあるが,その逆でないとおかしい.千曲川沿いの新潟県境近く.
"青倉より横倉へ掛かり、筑摩川の川上を越えまして月岡村へ出まして"(敵討札所の霊験)
JR 横倉駅 1998
千曲川 ちくまがわ 札所 (他 東京1件) 全2件2題 下水内郡栄村あたり 「敵討札所の霊験」の舞台となるのは北信栄村あたり.対岸に渡る.
"青倉より横倉へ掛かり、筑摩川の川上を越えまして月岡村へ出まして"(敵討札所の霊験)
千曲川 1998
月岡 つきおか 札所 全1件1題 下水内郡栄村堺月岡 次項の法寿院という寺は見あたらないが,写真右手に常慶院が見える.
"月岡へ泊れば少し早いなれども丁度よいのを、長い峠を越そうと無暗に峠へ掛かりますると、松柏生い茂り、下を見ると谷川の流れも木の間より見え"(敵討札所の霊験)
月岡遠景 1998
月岡:法寿院 ほうじゅいん 札所 全1件1題 下水内郡栄村堺月岡に設定 "恵梅比丘尼の行方を尋ねますと、月岡村のなだれ法寿院という寺の山清水の流れに尼の死骸が有るという"(敵討札所の霊験)      
城坂峠 しろさかとうげ 札所 全1件1題 下水内郡栄村か 月岡から南の山越えの峠らしい.とうとうここで,お梅を殺害する.全く不明で,創作だろう.
"筑摩川の川上を越えまして月岡村へ出まして、あれから城坂峠へ掛かります"(敵討札所の霊験)
     
白鳥 しらとり 札所 全1件1題 下水内郡栄村豊栄白鳥 「敵討札所の霊験」の重要登場人物白島三平の出身地との設定だが、白島は白鳥の誤り.意識的に変えたのかもしれない.
"信州水内郡白島村と申す所がございます。これは飯山の在で山家でございます"(敵討札所の霊験)
白鳥バス停 1998
大滝 おおたき 札所 全1件1題 飯山市照岡 柳田典蔵,魚屋伝次の出会いの場面.
"大滝村という所に不動様がありまして、その側に掛茶屋があって"(敵討札所の霊験)
大滝神社 1998
大滝:不動 ふどう 札所 全1件1題 飯山市照岡に設定 不動堂は不明.
"少し閑が有れば大滝村の不動様へ親父の生死行方が知れますようにと信心して、姉弟二人中ようして暮しております"(敵討札所の霊験)
     
桑名川 くわながわ 札所 全1件1題 飯山市照岡桑名川 柳田典蔵の住まい.大滝の近く.
"桑名川村の柳田典蔵という大した立派な武士だが、運が悪いとはいいながらこっちへ来て田地や何かも余程有り"(敵討札所の霊験)
桑名川 1998
葉広山 はびろやま 札所 全1件1題 飯山市一山 羽広山と書く.桑名川からは相当山に入ったところ.おいそれと誘拐した人をかついで行けるような場所ではない.
"その中にどんどんと路を走り、葉広山まで担いで駈け上ります。折から雨がざあーざあーと降り出して来ましたが、その中をどんどん滑る路をようようと登りまして芝原へおやまを引き据えて"(敵討札所の霊験)
熊野三社神社 1998
三峰堂 みつみねどう 札所 全1件1題 飯山市の羽広山 三峰堂は見あたらず,熊野三社神社があった.
"葉広山の根方を通り掛かると村雨に逢い、少しの間雨止みと三峰堂へはいっていると、雨も止みましたから、支度をして出ようと思う所へ人殺し"(敵討札所の霊験)
     
飯山 いいやま 札所, 草三, 黄薔薇 など 全6件6題 飯山市 城下町.飯山城は石垣が残るのみ.鉄道忌避したため北信百年の計を誤った.
"丁度飯山の御城下へまいり、お酒のよいのを買って参りました"(敵討札所の霊験)
飯山城 1998
明神峠 みょうじんとうげ 鰍沢二 全1件1題 新潟県妙高市〜上水内郡信濃町か 地図にはない地名.野尻へ向かう坂道は雪除けシェルターが続くつづら折り.
"ここは越後と信濃の境明神峠という所だが、もう半道か一里足らずだ"(鰍沢二席目)
     
野尻 のじり 札所, 鰍沢二 全2件2題 上水内郡信濃町野尻 避暑地・観光地.最終氷期に絶滅したナウマン象が,野尻湖畔で発掘されたことで有名になった.今も定期的に発掘が行われる.湖畔のあちこちに,ナウマン象のモニュメントや像が置かれている.
"信州松本に出まして、稲荷山より野尻、それより越後の国関川へ出て"(敵討札所の霊験)
ナウマン象像 2023
須坂 すざか 鰍沢二 (他 東京1件) 全2件2題 須坂市 大笹街道,谷街道,草津道の交点.蔵の町をアピールしており,駅前から蔵の町並みが続く.隣の小布施のような栗と北斎といったインパクトは少ない.
"敵がここに居ようとは知らず信濃の須坂から夜道をかけて明神越"(鰍沢二席目)
望楼のある町並み 2011
長野 ながの 蝦夷な, 草三, 下新田 (他 東京5件) 全7件6題 長野市 善光寺道の終点.現在は県庁都市.長野駅前にある,かるかや山西光寺は刈萱道心が没した寺.刈萱道心と石堂丸の墓がある.説教節の演目で有名な石堂丸対面の絵解きをしてくれる.
"ああ長野にいる妻子はさぞ心配して。とうかと呟くのをお嘉代が耳さとく聞き咎めました"(蝦夷なまり)
刈萱道心墓(右)・石堂丸墓 2008
善光寺 ぜんこうじ 札所, 皿山, 八景, 鰍沢二 など (他 東京48件, 上方11件) 全65件33題 長野市長野元善町 何といっても「お血脈」の舞台.上方では「善光寺骨寄せ」と言う.バラバラになっていた骨がするすると集まって行く演出がある.7年に一度の開帳では,本堂前に建てられた回向柱と前立本尊の間に,善の綱と呼ばれる糸が張られて,柱にさわると,ご本尊に触れたことになる.
"信州路へはいって善光寺へ参詣をいたし、善光寺から松本へかかって、洗馬という宿へ出ました"(敵討札所の霊験)
善光寺 2001
入山 いりやま 緑林 全1件1題 長野市入山 「緑林門松竹」の殺人鬼新助市は,自称信州入山の出.
"お前信州の入山在の者だといったのう"(緑林門松竹)
入山 2001
下氷鉋 しもひがね 菊文様皿山奇談 全1件1題 長野市下氷鉋 下氷鉋(しもひがの).主人公の曽五郎がしばらく身を寄せた関助という下僕の出身地.諸角豊後守は,武田信虎,信玄に仕えた重臣で,川中島の戦いで討ち死にした.川中島に近い下氷鉋のわかりにくい路地裏に墓がある.地元の人に今も崇敬されているという.
"中山道へ赴きしに、これなる僕(しもべ)関助が在所は当国下氷鉋"(菊文様皿山奇談)
諸角豊後守墓 2017
稲荷山 いなりやま 札所 全1件1題 千曲市稲荷山 中仙道の宿.写真は地名の由来の白狐を祀る.郵便局のすぐ東.
"信州松本に出まして、稲荷山より野尻、それより越後の国関川へ出て"(敵討札所の霊験)
稲荷山宿稲荷 2003
田毎 たごと 雪月花 全1件1題 千曲市戸倉町 姨捨伝説の長楽寺近くには棚田が広がる.中でも四十八枚田は古い姿をとどめる.姨捨から案内があるので迷わず行ける.
"田毎ある中にもつらき辻君の顔さらしなのうんの月影"(雪月花一題ばなし−月の辻君)
田毎の四十八枚田 2004
姥捨 うばすて 菊文様皿山奇談 全1件1題 など 千曲市八幡姨捨 用例は姥捨(うばすて)だが,他の用例の嫗捨(うばすて)などと表記を統一した.実在する姨捨山は冠着山の別称.姨捨(おばすて)といえば,長楽寺を指す.次項の時雨権現を思わせる懸崖造りの観音堂がある.隣にそびえている巨石は,姨石と呼ばれる.芭蕉のおもかげ塚(俤や姥一人なく月の友)をはじめ,姥捨や月を昔のかゞみなる(加舎白雄),月見るや滞りなく七むかし(松林静一)などの句碑歌碑がたちならんでいる.
"信濃路や姥捨山の麓なる名のみ時雨の権現も今は弥生の桜時"(菊文様皿山奇談)
長楽寺姨石 2023
時雨権現 しぐれごんげん 菊文様皿山奇談 全1件1題 架空 姥捨山のふもとに設定される.ここの竺王閣という楼閣の回廊に,石川五右衛門ばりに花見する悪人大蔵が描かれる.下を通りかかった女順礼に手裏剣を撃つと,ひしゃくでハッシと受けとめる.
"信濃路や姥捨山の麓なる名のみ時雨の権現も今は弥生の桜時"(菊文様皿山奇談)
     
真田 さなだ 世辞屋 (他 東京1件) 全2件2題 上田市 旧小県郡真田町.真田氏の故地.碑は池波正太郎の揮毫.
"遠州真田の中結が致しました世辞の這入ツた箱"(世辞屋, 明治大正落語集成, 講談社(1980))
真田氏発祥の郷碑 1998
上田 うえだ お民, 皿山 (他 東京14件) 全16件7題 上田市 真田昌幸の城下.徳川を2度にわたり撃破した.上田土産には,みすず飴.
"前々勤めていた喜六という山出し男は、信州上田の在で、中の条村にいるというから"(菊模様皿山奇談)
上田城北櫓,南櫓 1998
上田:中の条 なかのじょう 皿山 全1件1題 上田市中之条 千曲川をはさみ,上田の対岸.
"祖五郎お竹等は先ず信州上田の在で中の条村という所へ尋ねて行かんければなりません"(菊模様皿山奇談)
中之条交差点 1998
小室 こむろ 皿山 全1件1題 小諸市か "伯父の金え持逃げをしたのが始まりで、信州小室の在に友達が行って居りますから無心を云おうと思いまして参ったのでごぜえます"(菊模様皿山奇談)      
相の川 あいのかわ 草三 全1件1題   不明.講談にも出てくる相の川の又五郎の出身地.
"これから五人連れにて信州相の川へ帰り"(安中草三)
     
軽井沢 かるいざわ 皿山, 草三 (他 東京9件) 全12件11題 北佐久郡軽井沢町 中山道軽井沢宿.宿場町と言うよりも,日本を代表する避暑地,保養地.ここに別荘を持っていること,それも若い番号がステータス.夏場は観光客でごった返すが,雑踏をはずれて散策すればよい町と納得させられる.かつて茶店だったつるやは,宿屋を営んでいる.
"忠平と相談して中の条を出立し、追分沓掛、軽井沢、碓氷の峠もようやく越して、松枝の宿に泊まりました"(菊模様皿山奇談)
つるや旅館 1998
沓掛 くつかけ 皿山, 草三, 黄薔薇 (他 東京1件) 全4件4題 北佐久郡軽井沢町中軽井沢 軽井沢の西,沓掛宿.今は中軽井沢と呼ぶ.脇本陣の桝屋旅館は,最近まで営業していた.
"忠平と相談して中の条を出立し、追分沓掛、軽井沢、碓氷の峠もようやく越して、松枝の宿に泊まりました"(菊模様皿山奇談)
沓掛宿脇本陣あと 2020
沓掛:本陣 ほんじん 草三 全1件1題 北佐久郡軽井沢町中軽井沢 表札にも書かれているように,本陣は土屋家だった.裏手の土蔵には,本の字が浮き出されている.
"ただいま本陣松屋清兵衛方へ、八州のお捕方大沼金七郎さまてえ方がお出でになり、出口出口へ手配りをして"(安中草三)
沓掛宿本陣土屋家 2020
長倉八幡 ながくらはちまん 草三 全1件1題 北佐久郡軽井沢町 長倉神社.沓掛宿の東の端に位置する.祭神は誉田天皇などなので,たしかに八幡神社になる.境内は樹林でおおわれ,清泉や相撲土俵などがある.裏手には沓掛時次郎の碑が建っている.
"ちょうど沓掛宿の長倉八幡という、こんもり樹木の繁ったお堂があります"(安中草三)
長倉神社 2020
兜山 かぶとやま 草三, 名人く 全2件2題 北佐久郡軽井沢町長倉,軽井沢 離山のこと.形状からかぶと山と呼ばれる.
"私が今日踊るのは、木曾の義仲が討死をした後で、巴御前が兜山で討死の時の心得で死に身になるという踊り"(名人くらべ)
離山 2020
追分 おいわけ 皿山, 草三 全2件2題 北佐久郡軽井沢町追分 中山道・善光寺道の追分.分去れの碑には,"さらしなは右みよし野は左"とある.ひとしお旅情を誘うたたずまい.
"忠平と相談して中の条を出立し、追分沓掛、軽井沢、碓氷の峠もようやく越して、松枝の宿に泊まりました"(菊模様皿山奇談)
分去れ常夜燈 2000
原中 はらなか 草三 (他 東京1件) 全3件2題 北佐久郡軽井沢町追分か 追分原あたりのことか.
"追分通りの原中へ来かかるときは、もう日が暮れかかりました"(安中草三)
     
大久保橋 おおくぼばし 草三 全1件1題 北佐久郡軽井沢町長倉か 川は久保沢川.深い谷を埋めた道路は橋には見えないし,銘板もない.大久保橋は前後2ヶ所ある.
"するとここに大久保橋というのがありますが、ただいま板橋になっておりますが、以前は丸木橋でその下を谷水が渦を巻きどッどッと早瀬に流れております"(安中草三)
大久保橋 2000
前田原 まえだわら 草三 全1件1題 北佐久郡御代田町御代田,馬瀬口あたり 上中下前田原村からなる.御代田一里塚は街道から北にわずかはずれ,塚上にはシダレザクラが植えられている.
"小僧が前田原村の方へ曲がって行く跡に追いつき"(安中草三)
御代田一里塚 2000
荒町の原 あらまちのはら 草三 全1件1題 北佐久郡御代田町御代田荒町 上前田原村.現在原と呼べるような景色はない.
"浅間颪に吹き送られ荒町の原に来掛かりますと、かたえの日の出屋という餅や饅頭今坂などを売っております茶店へ腰を掛け"(安中草三)
荒町バス停 2000
小田井 おだい 草三 全1件1題 北佐久郡御代田町御代田字小田井 中山道小田井宿.姫君の宿泊が多く,姫の宿と呼ばれた.小田井宿は和宮拝領の人形を所蔵している.
"藤蔵を連れて岩村田より小田井に掛かりましたが、頃は寛政七年九月十日のことであります"(安中草三)
小田井宿本陣 2000
岩村田 いわむらだ 草三 全1件1題 佐久市岩村田 中仙道岩村田宿.宿場の面影は失われた.城址は宿の東南.武田信玄は自らの死を3年秘すように命じた.そのためか,墓所は各所にある.曹洞宗龍雲寺にも武田信玄の廟所があり,実際に遺骨が発掘されている.
"お国詰を仰せつかり、信州岩村田へ参っておりました"(安中草三)
武田信玄廟 2020
望月八幡 もちづきはちまん 草三 全1件1題 佐久市蓬田か 望月と八幡の2項かもしれない.八幡(やわた)宿には,国宝の高良社を社殿とする八幡がある.参道いっぱいに建つ随神門には,止戈為武の勅額が掲げられている.岩村田と小室からのバスの便がある.
"その方の跡を追っかけて行けば、今日は大概和田峠の手前、望月八幡あたりで追っつくぜ"(安中草三)
八幡神社随神門 2020
望月     佐久市望月 八幡の隣の望月宿は駒の産地.大きな八幡社はない.丸い跡の残る望月石は城光院の境内にある.
"その方の跡を追っかけて行けば、今日は大概和田峠の手前、望月八幡あたりで追っつくぜ"(安中草三)
望月石 2020
笠取 かさとり 元祖 荻江露友之伝 北佐久郡立科町〜小県郡長和町 「月謡荻江一節」の点取りに3つの峠が出てくる.うち,和田峠と鳥居峠は,「安中草三」や「札所の霊験」の作品中に登場する.笠取峠は,中山道芦田宿と長久保宿の間の峠.芦田側には,中山道随一の松並木が残っており,脇に新しく車道を作ったため,アカマツの坂道を歩くことができる.峠頂部は切り通しに改修されており,旧観はまったくない.立科町役場までは,岩村田駅からバスの便がある.
"笠取 和田 鳥居峠を越て"(元祖 荻江露友之伝)
笠取峠松並木 2020

掲載 050527/最終更新 231201

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