地点名 |
出典と登場回数 |
位 置 |
備 考 |
写真と撮影年 |
臼井 |
うすい |
八景 全1件1題 |
佐倉市臼井 |
臼井は,古今無双の力士,雷電為右衛門の出身地.京成線では,臼井方面と白井方面への列車が走っており,酔眼では区別がつかない.親切にも,"うすい"とひらがなで表示してくれる.
"これから四人、仁太郎と久次郎がかわるがわるおあきを負いまして臼井と申す成田街道まで参りました"(八景隅田川) |
雷電墓 |
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1998 |
印旛沼 |
いんばぬま |
多助(立志ん生文庫5:14) (他 東京6件) 全7件7題 |
佐倉市,成田市,印西市など |
圓朝原作には登場しない.人と化した鯉が東京に現れたという志ん生のマクラ.「宗吾伝」では,禁を破り鎖を断ち切って宗吾を渡した甚兵衛が主役になる.干拓によりかつての渡し場は沼から300mほど離れてしまった.
"後を向いた途端に、ドボーンと音がしたので、ふりかえってみると、その女が印旛沼へパーッと飛び込んだ"(塩原多助一代記) |
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佐倉 |
さくら |
粟田口, 後日譚 など (他 東京1件) 全5件4題 |
佐倉市 |
佐倉藩の悪政と佐倉宗吾の直訴.佐倉城址のサクラやオランダ医学の順天堂がある.加えて歴博,正しくは国立歴史民俗博物館.申し訳ないが,民博(国立民族学博物館)と混同してしまう.旧堀田邸は,最後の佐倉藩主堀田正倫の屋敷が整備公開されている.
"こいつは佐倉の町で笛を吹いてやァがった乞食だ"(粟田口霑笛竹) |
旧堀田邸玄関 |
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2023 |
宗吾明神 |
そうごみょうじん |
八景 (他 東京2件) 全3件2題 |
成田市宗吾1 |
真言宗鳴鐘山東勝寺.堀田氏の苛政を将軍に直訴し,承応2(1653)年,親子ともども磔刑になった木内惣五郎をまつる.墓の袖石には,講談の神田伯山と浪曲師春日亭清吉の名が見える.
"惣吾の宮へ参詣して、それから船橋の大神宮へでも廻って来ると丁度よい道だねえ"(八景隅田川) |
佐倉宗吾墓 |
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2008 |
成田 |
なりた |
後の文治, 福禄寿 (他 東京27件) 全29件10題 |
成田市 |
成田山新勝寺と成田の町のどちらを指すのかわからない例も多い.望楼がひときわ目立つ写真の大野屋旅館は登録有形文化財.
"やア亥太郎殿か、成田へお出で下すったそうで、母のためにいつも変らぬ御親切、千万かたじけのう存じます"(後の業平文治) |
成田山参道 |
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2008 |
新勝寺 |
しんしょうじ |
粟田口, 文治, 長二, 八景 など (他 東京64件, 上方3件) 全73件38題 |
成田市成田 |
真言宗成田山新勝寺.成田の不動さんとして頻出する.成田屋市川團十郎はじめ江戸っ子の贔屓のお不動様.江戸っ子のもう一方の贔屓である平将門を討伐するために建立されたのは,なんか皮肉な感じ.
"成田新勝寺の不動明王へ大祈願を起こし、三七日参籠を致して明王の冥助を乞わんと"(鶴殺疾刃庖刀) |
新勝寺旧本堂 |
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2008 |
芝山の仁王 |
しばやまのにおう |
八景 (他 東京6件) 全7件5題 |
山武郡芝山町芝山298 |
天台宗観音経寺.天応元(781)年の創建.石段途中の仁王門左右の畳敷きの部屋に,一対の真っ黒な仁王像が安置されている.その真上をジェット機が飛んでいく.芝山の仁王様のお札は,火事盗難よけに霊験あり.
"観音様へ往きましょう、心願を懸けて信心をして、いえ観音様じゃいけません、泥坊だといいますから、芝山の仁王様へこれもいけませんね、成田山、これも不動の金縛りということがあります"(八景隅田川) |
観音経寺 仁王門 |
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2010 |
木下 |
きおろし |
江島屋, 累ヶ淵 全4件2題 |
印西市木下 |
利根川水運,物流の町.行徳とを結ぶ木下街道の起点.このあたりからずっと「江島屋」の地名となる.
"丁度荷物が下総の八幡へ出ていますから滑川などを歩いて木下へ廻り、これから鎌ヶ谷から八幡へ来て、それから帰ろうとすると"(鏡ヶ池操松影) |
木下 |
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1999 |
木下川 |
きおろしがわ |
江島屋 (他 東京1件) 全2件2題 |
印西市 |
手賀沼に発し利根川に注ぐ.ほとんど埋め立てられて河道が追えない.
"雨はますます大降りに降って参りますので、木下川の流れは高堤の柵へ打ち付け、うずを巻いてダウーと押し流します"(鏡ヶ池操松影) |
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塚新田 |
つかしんでん |
江島屋 全1件1題 |
印旛郡栄町須賀字須賀新田か |
塚新田は不明.行程からいって須賀新田(すがしんでん)あたりか.
"ようようにして塚新田までまいりますと、ドップリ日が暮れました。頃は十月三日の夜の事でございますから、鼻を摘まれても知れません真の闇"(鏡ヶ池操松影) |
須賀新田 |
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1996 |
江島が淵 |
えじまがふち |
江島屋 全1件1題 |
印旛郡栄町か |
本文では塚新田という.不明.
"この木下川の川下へ入水いたした娘おさとの七回忌のその日にあたり、同じ流れの川上で裾がちぎれて落ち入りますとは、実に争われぬもので、今にこの堤を江島が淵と申すそうでござります"(鏡ヶ池操松影) |
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滑川 |
なめらがわ |
江島屋 全2件1題 |
成田市滑川 |
滑川(なめがわ).成田線の滑河(なめがわ)が最寄り駅になる.滑河観音の仁王門は国重文.室町時代に再建された茅葺きの四脚門.
"丁度荷物が下総の八幡へ出ていますから滑川などを歩いて木下へ廻り、これから鎌ヶ谷から八幡へ来て、それから帰ろうとすると"(鏡ヶ池操松影) |
滑河観音龍正院の仁王門 |
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1994 |
神崎 |
こうざき |
江島屋 全4件1題 |
香取郡神崎町神崎本宿あたり |
利根川沿い神崎神社にあるなんじゃもんじゃの木は,水戸黄門光圀公が「この木はなんというもんじゃ」と自問自答したことに由来するという.正解はクスノキ.
"娘のお里はとうにここを抜け出し、田圃道を急ぎまして、一里もありましょう、神崎の土手まで来まして、土手の上に立ち上がります"(鏡ヶ池操松影) |
神崎神社なんじゃもんじゃの木 |
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1994 |
利根川 |
とねがわ |
江島屋 (他 東京3件) 全5件4題 |
香取郡神崎町神崎本宿あたり |
江島屋に糊貼りの婚礼衣装を売りつけられたお里が,折からの嵐に渦巻く利根川に身投げする場面.
"この川は坂東太郎という銚子港へ落ちます急流で、水は柵へつき当たり、ドウードーッと落ちます"(鏡ヶ池操松影) |
利根川堤防 |
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1994 |
小松 |
こまつ |
江島屋 全2件1題 |
香取郡神崎町小松 |
神崎のうち.小松川ともあるが,小松のことだろう.後出の薬師堂は見あたらなかった.
"おらァ家は名主役だ、小松川からでも佐原からでも立派な田地持の嫁が貰える"(鏡ヶ池操松影) |
小松の荒れ墓 |
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1999 |
小松川 |
こまつかわ |
粟田口 全1件1題 |
香取郡神崎町小松か |
小松川は不明.江戸川区の小松川か,大貫近くの小松ではないか.
"諸方へ知れて方々から買いに参ります。市川新田、八幡、船橋、国分村、小松川、松戸辺から買いに来ます"(粟田口霑笛竹) |
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薬師堂 |
やくしどう |
江島屋 全1件1題 |
香取郡神崎町小松か |
不明.
"お仲はまた同国香取郡小松村へ薬師堂を建立致されましたので、只今に至るまでこれをお仲薬師と称えております"(鏡ヶ池操松影) |
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大貫 |
おおぬき |
江島屋 全5件1題 |
香取郡神崎町大貫 |
興福寺の鎮座地.
"この者は下総国香取郡大貫村の倉岡元庵と申す医者のせがれ元仲と申す者でございます"(鏡ヶ池操松影) |
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興福寺 |
こうふくじ |
江島屋 全3件1題 |
香取郡神崎町大貫 |
本文に幸福寺ともあるが,臨済宗興福寺が正しい.江戸時代の設定で鎌仲和尚が登場するが,実在の謙冲和尚は圓朝と同時代の人.圓朝と親交があったのかもしれない.
"興福寺の鎌仲和尚を頼みましたので、お仲はことごとく権右衛門の情けを喜び、鎌仲和尚にこれまでなしました身の懺悔を物語りました"(鏡ヶ池操松影) |
興福寺 謙冲墓 |
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1999 |
佐原 |
さわら |
江島屋, 累ヶ淵 全5件2題 |
香取市佐原 |
利根川に面する商都.古い町並みと祭礼が見どころで,観光客も多い.
"たまには随分多分の金を持ってるよい旅人が、佐原や潮来あたりから出て来るから"(真景累ヶ淵) |
小野川と正上醤油店 |
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1998 |
さわら |
さわら |
西洋人情咄 |
香取市佐原か |
佐原のことか.
"栃木町よりゆう木さわら"(西洋人情咄) |
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香取 |
かとり |
江島屋(弘文志ん生3:01) (他 東京3件) 全4件2題 |
香取市香取 |
圓朝原作には登場しない.
"ェェ下総の香取の、ゥゥ本当の田舎でございますが、ェェ、そこへ、娘と二人ッきりで来て、ェェ暮らしていたン"(江島屋騒動(上))
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銚子港 |
ちょうしみなと |
江島屋 全1件1題 |
銚子市川口町先 |
利根川河口にある港.海流が激しい難所で事故も多かった.港のそばには海難漁民を供養する千人塚がある.堤防や運河などの改修工事を進め,利根川沿いの漁港と海側に外港ができた.
"この川は坂東太郎という銚子港へ落ちます急流で、水は柵へつき当たり、ドウードーッと落ちます"(鏡ヶ池操松影) |
銚子港 |
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2022 |
犬吠埼 |
いぬぼうざき |
蝦夷な 全2件1題 |
銚子市犬吠埼 |
千葉県の東端.離島と山岳を除き,日本でもっとも早く初日の出が拝める場所になる.「蝦夷なまり」では,海路から犬吠埼を見やる場面で登場する.
"東の方は上総の天神山から名古、館山、鋸山から犬吠の岬の方に廻って行きます"(蝦夷なまり) |
犬吠埼灯台 |
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2022 |
東金 |
とうがね |
累ヶ淵, 後日譚 全3件2題 |
東金市 |
実際に足を運んだかは別として,将軍家は鷹狩りの名目で各地に御殿を設けた.東金御殿跡地の高校裏手の御殿山は,椿と竹藪がみごと.東金名物を織り込んだ大津絵碑があった.
"花車重吉が上総の東金の角力にいったということを聞きましたから、直ぐにそこに行こうというので旅立の支度をいたし"(真景累ヶ淵) |
東金御殿跡 |
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2010 |
富津 |
ふっつ |
雪月花三遊新話 全1件1題 |
富津市 |
「雪月花三遊新話」は,「松の操美人の生埋」を元にした草双紙本.浦賀から見た沖合の風景が描かれる.房総半島に突きだした富津岬.砂嘴の先端にジャングルジムのような明治百年記念展望塔がある.登れば第一,第二海堡が目の前に見える.
"遠くは富津大島まで澄み画の如く判然たる相模の国、浦賀に近き小原山"(雪月花三遊新話) |
富津岬明治百年記念展望塔より |
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2017 |
鹿野山 |
かのうざん |
星野屋 (他 東京12件) 全13件8題 |
富津市,君津市 |
用例は鹿野山出身の下女で,落語でも鹿野山下の根本村の出身とよくいう.
"あの、なんとかいったな、上総の鹿野山の麓から来た女は……"(星野屋) |
九十九谷 |
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2023 |
天神山 |
てんじんやま |
蝦夷な, 生埋 全2件2題 |
富津市 |
上総湊の南側が天神山.浦賀を見たあとに東京湾フェリーを利用すると,「松の操美人の生埋」で浦賀から天神山へお蘭をかくまった航路を追える.
"山三郎私用あって上総の天神山まで参ります。というと板子の下に別嬪がおります事は存じませんから、役人衆もよろしいと許します"(松の操美人の生埋) |
天神山トンネル |
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1998 |
鋸山 |
のこぎりやま |
蝦夷な, 生埋 (他 東京2件) 全4件4題 |
富津市,安房郡鋸南町 |
三浦半島の久里浜から鋸山の金谷へ東京湾フェリーが運航している.ちょうど「美人の生埋」のルートをたどる旅にもなり,船中からも鋸山がよく見える.特に北から見ると異様な山容が目立つ.山頂まで,ロープウェイや有料自動車道路が通じている.採石場,日本寺の摩崖仏,大仏,千五百羅漢がある.
"あれがたしか鋸山ですね、なるほど鋸見たようで"(松の操美人の生埋) |
鋸山 |
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2010 |
那古 |
なこ |
蝦夷な 全1件1題 |
館山市那古 |
名古とあるが那古が正しい.新作落語の南湖も那古に統一した.なお,駅名は"なこ",寺名などは"なご"と唱える.内房の海水浴場で知られる.補陀洛山那古寺は坂東三十三ヶ所の満願寺.潮音台から見下ろす風景は,補陀洛を思わせる.
"東の方は上総の天神山から名古、館山、鋸山から犬吠の岬の方に廻って行きます"(蝦夷なまり) |
那古寺多宝塔 |
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1998 |
館山 |
たてやま |
蝦夷な 全1件1題 |
館山市 |
館山城は里見氏の居城だった.江戸初期に里見家は改易となり,館山藩は稲葉家の支配となった.館山は『南総里見八犬伝』の主舞台.大河小説も意外と辺地の物語.
"東の方は上総の天神山から名古、館山、鋸山から犬吠の岬の方に廻って行きます"(蝦夷なまり) |
館山城 |
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2022 |
天津 |
あまつ |
累ヶ淵, 名人く 全3件2題 |
鴨川市天津 |
漁村.天津小湊の天津側だったが,鴨川市となった.
"私が網打場の船頭の喜太郎という者といたずらをして、船で房州の天津へ逃げましたがね、それからというものは悪い事だらけさ"(真景累ヶ淵) |
天津漁港 |
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2022 |
小湊 |
こみなと |
蓮華, 日蓮 (他 東京8件) 全10件6題 |
鴨川市小湊など |
旧安房郡天津小湊町.貫名次郎重忠が,遠州貫名から房州小湊に流されたという.ここで梅菊とのあいだに日蓮を授かる.この2人を祀るのが妙蓮寺両親閣.日蓮交差点のところから北へ入った高台にある.
"次郎重忠が流罪になったのは建仁三年五月七日のことで所は房州市川の郷小湊というところで、誠に浜辺はどこもそうでございますが、裏が山になって居る"(日蓮大士道徳話) |
小湊両親閣 |
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2012 |
小湊:誕生寺 |
たんじょうじ |
蓮華, 一雅 全2件2題 |
鴨川市小湊183 |
小湊山誕生寺.日蓮誕生にちなむ巨刹.日蓮少年期の善日麿の像がある.
"日蓮上人の生まれた所は陽気な国で、東の果てでございます、小湊の誕生寺という所で生まれて"(火中の蓮華) |
善日麿像と仁王門 |
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1998 |
小湊:妙の浦 |
たえのうら |
日蓮 全1件1題 |
鴨川市小湊 |
日蓮誕生の地は,蓮華潭と呼ばれる.地殻変動で鯛の浦の海中となる.鯛の浦の遊覧船から餌付けされたタイが見られる.
"翌年二月の初めから妙の浦という海岸のところへ蓮の浮き葉がでましたが、沼のようなところへこれは誰も植えた訳でもなし"(日蓮大士道徳話) |
妙の浦蓮華潭あたり |
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2012 |