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はなしの名どころ
其折は手前國詰であつたから母が南部の盛岡、なになに出羽の山形、いやなに新庄へまゐつて、斯ういふ譯で仕方がないから、手前の厄介になりたいと申し、一人の妹、いやなに、ウン姉の事だから弟の義務と心得、留め置いて世話をいたし、此度拙者江戸詰になつて……
 (「鏡ケ池操松影」)
  鈴木行三編,『圓朝全集』 第十一巻,春陽堂((1927))
 
地点名 出典と登場回数 位 置 備 考 写真と撮影年
山形 やまがた 江島屋 (他 東京4件) 全5件5題 山形市 最上氏により確立された都市.江戸時代のはじめは65万石だったが,お家騒動のゴタゴタで改易となってしまう.その後の石高は20万石からさらに下がってしまう.城には,黄金期の藩主最上義光の像がある.
"その折は手前国詰であったから母が南部の盛岡、なになに出羽の山形、いやなに新庄へまいって"(鏡ヶ池操松影)
山形市街を望む 2014
庄内 しょうない お婉 全1件1題 酒田市あたり 庄内平野一帯を指す.山形藩の改易で生まれた庄内藩は,鶴岡に城を構えた.
"お婉は出羽の庄内で十五万石お取り遊ばした上杉弾正大弼様の御家来で、林主殿という人の娘でございまする"(操競女学校-お婉の伝)
     
新庄 しんじょう 江島屋 全1件1題 新庄市 戸沢氏の城下.河港本合海(もとあいかい)は物流の中心だった.芭蕉も船下り.今も交通の要衝.
"江島屋から二百両出させ、その内三十両を持たせ、お雪を出羽の新庄へ立たせてしまい"(鏡ヶ池操松影)
新庄城大手門の礎石 1997
羽黒山 はぐろやま 八景 (他 東京2件) 全3件3題 鶴岡市羽黒町あたり 月山,湯殿山,羽黒山の出羽三山.即神仏で有名なように修験の地.最も手前の羽黒山 出羽三山神社に三山の社殿がならぶ.鶴岡からバス1時間.
"仙台から松島の瑞巌寺、出羽の羽黒山までも参るのですから、水戸までお出でになるなら御一緒にいってあげましょう"(八景隅田川)
羽黒山神社 1997

掲載 031220/最終更新 210301

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