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岐阜県   
はなしの名どころ
敵討札所の霊験(あらすじ)
 人知れず千島村といふ處へ參つて、水無瀬の神社の方傍の隱家に身を潜め、翌年雪も解け二月の月末に越後地へ掛つて來ます。芦屋(あしや)より平湯驛に出で、大峠(おほたうげ)を越し、信州松本に出まして……
 (「敵討札所の靈驗」)
  鈴木行三編,『圓朝全集』 第二巻,春陽堂(1927)


地点名 出典と登場回数 位 置 備 考 写真と撮影年
飛騨 ひだ 札所, 草三 (他 東京7件) 全9件6題 岐阜県 岐阜県北部の総称.旧国名.
"上方へ出たか飛騨へ越えたか、三越などと諸方へ手配りをいたしました"(安中草三)
     
美濃 みの 牡丹, 粟田口, 札所, 皿山 (他 東京11件, 上方2件) 全17件11題 岐阜県 岐阜県南部.旧国名.
"あなたの見たうちで一番怖いと思ったのはどういう幽霊で。ええ、さようさ先年美濃国から信州の福島在の知るべの所へ参った時の事で"(菊模様皿山奇談)
     
馬籠 まごめ 札所 全1件1題 中津川市馬籠 宿の雰囲気はあるが,人があふれ俗化の印象が強い.中津川から高速バスも利用できる.馬籠は,2005年に県を越えて岐阜県に編入した.
"福島を離れまして、かの名高い寝覚の里を後に致し、馬籠に掛かって落合へまいる間が、美濃と信濃の国境でございます"(敵討札所の霊験)
枡形付近 2001
十曲峠 じっきょくとうげ 札所 全1件1題 中津川市 馬籠〜落合間の坂道.当時の石畳をもとに再建されている.途中に,藤村の"是より北木曽路"の碑がある.訪問時,馬籠宿の喧噪は十曲峠には全く及んでいなかった.
"急ぎ足ですたすたすたすたと馬籠の宿を出外れにかかりますると、そこには八重に道が付いて居て、こっちへ往けば十曲峠"(敵討札所の霊験)
再建された石畳道 2001
落合 おちあい 札所 全1件1題 中津川市落合 中山道の宿.常夜燈の他,本陣跡がある.中津川からバスで15分.
"笠を片手に提げて、山之助の案内で、漸く往来まで這い登りまして、これから落合の宿に泊ったのが山之助とお継の始めての合宿で"(敵討札所の霊験)
落合宿常夜燈 2001
大井 おおい 札所 全1件1題 恵那市大井町 中山道の宿.高札場が復元されている.恵那駅から徒歩圏内.
"山之助お継はその晩遅く落合に泊り、翌朝になりまして落合を出立致して、大井といふ所へ出ました"(敵討札所の霊験)
大井宿林本陣 2001
十三峠 じゅうさんとうげ 草三 全1件1題 恵那市,瑞浪市 中仙道,大井〜大湫間.権現坂,樫の木坂などの峠道が続く.よく整備されているが,中山道の一連の宿場と組み合わせる行程は実に組みにくい.
"これは関ヶ原の大戦の時、二代の上様が十三峠をお越し遊ばす時、当家の殿様がまだ木曾の義仲の残党で、当国においでの時分"(安中草三)
山之神坂 2001
大久手 おおくて 札所 全1件1題 瑞浪市大湫町 大井宿の次.大湫〜細久手間のバスは地元民しか利用できないのか,目の前を通過されてしまった.
"翌朝になりまして落合を出立致して、大井といふ所へ出ました。これから大久手細久手へ掛かり"(敵討札所の霊験)
大湫宿神明と大杉 2001
細久手 ほそくて 札所 全1件1題 瑞浪市日吉町細久手 大久手宿の次.大黒屋は尾張藩の旅宿で現在も宿泊できる.細久手からは,小学生とともにバスに1時間揺られて瑞浪へ戻った.
"翌朝になりまして落合を出立致して、大井といふ所へ出ました。これから大久手細久手へ掛かり"(敵討札所の霊験)
尾張藩本陣大黒屋 2001
御嶽 おんたけ 札所 全1件1題 可児郡御嵩町御嵩 行程からして,当然御嵩(みたけ)が正しい.駅前に蟹薬師の願興寺がある.本陣跡は特に見る点がなかった.
"これから大久手細久手へ掛かり、御嶽伏水といふ所を通りまして、太田の渡しを渡って、太田の宿の加納屋という木賃宿に泊ります"(敵討札所の霊験)
御嵩宿 1998
伏見 ふしみ 札所 全1件1題 可児郡御嵩町伏見 中山道の宿.御嵩宿の次.名鉄広見線明智駅より徒歩.国道の往来が激しく落ち着かない.
"これから大久手細久手へ掛かり、御嶽伏水といふ所を通りまして、太田の渡しを渡って、太田の宿の加納屋という木賃宿に泊ります"(敵討札所の霊験)
伏見宿本陣之跡碑 1998
太田の渡 おおたのわたし 札所 全1件1題 美濃加茂市〜可児市 木曽川,太田橋の下流300m.増水するため中山道の難所とされる.
"木曾の桟橋太田の渡し、碓氷峠が無けりゃアよいと申す唄で、馬士などが綱を牽きながら大声で唄いましたものでございます"(敵討札所の霊験)
太田の渡船場 1998
太田 おおた 札所 全1件1題 美濃加茂市太田本町 中山道の宿.脇本陣は重文.本陣跡は脇本陣の斜め前.
"太田の渡しを渡って、太田の宿の加納屋という木賃宿に泊ります。ちょうど落合からこれまでは十二里余の道でございます"(敵討札所の霊験)
脇本陣林家 1998
南泉寺 なんせんじ 皿山, 名人く 全2件2題 山県市大桑2358-2 瑞応山南泉寺.訪問時は,岐阜から高富町営バス(当時)に乗り換えて,大桑小で下車.バス折り返しまで15分位の間に参拝した.
"お寺は谷中日暮の瑞応山南泉寺という美濃の南泉寺の末で、立派なお寺で"(名人くらべ)
南泉寺山門 1998
洪福寺 こうふくじ 松枝宿の子殺し(講明治大正1:34) 全1件1題 岐阜県:架空 圓朝全集では南泉寺.
"わしは美濃の洪福寺まで参るものだから、送つて進ぜませうか"(松枝宿の子殺し)
     
谷汲 たにぐみ 粟田口, 札所 全2件2題 揖斐郡揖斐川町谷汲徳積23 谷汲山華厳寺.西国満願札所.名鉄が廃線となったため,参拝が格段に不便になった.
"段々打巡りまして、三十三番美濃の谷汲まで打納めまする"(敵討札所の霊験)
華厳寺笈吊堂 1998
関ヶ原 せきがはら 蝦夷錦, 草三 (他 東京3件) 全5件5題 不破郡関ヶ原町 東西の首塚,開戦地,決戦地など,見どころは多数あり,案内も整備されている.家康は,はじめ東方の桃配山ふもとに陣取っていたが,最後は写真の古戦場記念館に近い前線に移動した.
"あれは関ヶ原の戦いの時徳川家康公から源集という名乗を貰っております"(蝦夷錦故郷之家土産)
関ヶ原古戦場 2023
郡上 ぐじょう 粟田口, 西洋人情咄 全1件1題 郡上市 車の行き違いもままならない谷沿いの道の向こうに城郭がそびえる.一夏を踊り暮らす郡上踊り.宗祇水(白雲水)は市民に利用されてきた名水中の名水.
"実は少々心当たりの事もあって、美濃の郡上へお刀を捜しに参るのだが"(粟田口霑笛竹)
宗祇水 2004
小豆沢 あずきざわ 札所 全1件1題 飛驒市宮川町小豆沢 越中西街道加賀沢(富山県)の南,宮川左岸.加賀沢から小豆沢に至ると,数軒の家が現れるが,これでもやっと里に来た感がある.口留番所があったという.
"漸く金で関所を越えて、かがぞへ出て小豆沢、杉原、靱、三河原と五里少々余の道を来て、足も疲れて居ります"(敵討札所の霊験)
小豆沢集落 1999
杉原 すぎはら 札所 全1件1題 飛驒市宮川町杉原 宮川左岸.街道沿いにぽつりぽつりと現れる集落はどこも似た感じで特徴がない.
"漸く金で関所を越えて、かがぞへ出て小豆沢、杉原、靱、三河原と五里少々余の道を来て、足も疲れて居ります"(敵討札所の霊験)
杉原集落 1999
うつぼ 札所 全1件1題 飛驒市宮川町打保 靭は打保と表記する.宮川左岸.比較的大きな町.
"漸く金で関所を越えて、かがぞへ出て小豆沢、杉原、靱、三河原と五里少々余の道を来て、足も疲れて居ります"(敵討札所の霊験)
打保集落 1999
三河原 みかわばら 札所 全1件1題 飛驒市宮川町三川原 "さんがら"と読む.宮川右岸.ここで永禅の殺した真達の両親の家に泊まる.
"靱、三河原と五里少々余の道を来て、足も疲れて居ります。ことに飛騨は難処が多くて歩けませんから、三河原の又九郎という家に宿を取りました"(敵討札所の霊験)
三河原集落 1999
落合の渡 おちあいのわたし 札所 全1件1題 飛驒市か 三川原〜古川間とのことなので宮川の渡(宮川町巣之内〜宮川町三川原)をあてた.
"だんだん廻って落合の渡しを越えて、この三河原と云うここの家へ泊ったが不思議の縁でございます"(敵討札所の霊験)
宮川の渡あたり 1999
古河 ふるかわ 札所 全1件1題 飛驒市古川町 永禅の逃走経路では最も繁華な市街.宮川右岸.高山よりも落ち着いた雰囲気で,壱之町あたりは鯉の泳ぐ川べりに白壁土蔵がならぶ.お土産には,ハゼの実から作る和ろうそく.
"併しここには食い物が無いが、これから古河町へ往けば米も有るから米を買って、又酒や味噌醤油などの手当をして"(敵討札所の霊験)
古川壱之町 1999
広瀬の追分 ひろせのおいわけ 札所 全1件1題 高山市国府町上広瀬 神岡へ抜ける越中東街道と「札所」の経路である古川を経由する越中西街道の分岐点.今は延命地蔵とバス停しかない.
"翌朝になりますと金を遣ってごまかして、何うかこうか広瀬の追分を越える手形を拵えて貰い、明日立とうか明後日にしようかと、こそこそ支度をして居りまする"(敵討札所の霊験)
追分 1999
広瀬の渡 ひろせのわたし 札所 全1件1題 高山市国府町か 広瀬は宮川右岸.右岸から左岸へ渡ってしまうのか? 後の経路にうまく続かない.広瀬の渡しを追分と読み替えるとしっくりくる.
"翌朝身支度をして何喰わぬ顔で、ここを出ましたが、出ると急ぎまして、よい塩梅に広瀬の渡を越して、もうこれまで来ればよいと思う"(敵討札所の霊験)
宮川の広瀬付近 1999
千島 ちじま 札所 全1件1題 高山市千島町 高山市街の南部に千島がある.ここと水無神社とは6kmほど離れており,千島の水無瀬神社とは言い難い.
"もうこれまで来ればよいと思うと益々雪の降る気候に向って、行く事も出来ませんから、人知れず千島村という所へ参って"(敵討札所の霊験)
千島白山神社 1999
高山 たかやま 札所, 生埋 (他 東京11件) 全13件8題 高山市 天領高山.飛騨地方随一の観光地.三町と下二之町大新町の2ヶ所の伝建地区.陣屋前の朝市に高山祭の屋台展示.
"どうも高山にもうっかり居られないで、だんだん廻って落合の渡しを越えて、この三河原と云うここの家へ泊ったが不思議の縁でございます"(敵討札所の霊験)
高山陣屋 1999
水無瀬の神社 みなせのじんじゃ 札所 全1件1題 高山市一之宮町一の宮上5323 飛騨一宮水無神社.
"人知れず千島村という所へ参って、水無瀬の神社の片傍の隠家に身を潜め、翌年雪も解け二月の月末に越後地へ掛って来ます"(敵討札所の霊験)
水無神社 1999
芦屋 あしや 札所 全1件1題 高山市丹生川町芦谷 千島から平湯に向かう途中の小集落である芦谷(あしだに)を指すと思われる.新道は屈曲した川をショートカットしてしまい,この標柱のところは通らない.近くの日面には鍾乳洞がある.
"芦屋より平湯駅に出で、大峠を越し、信州松本に出まして"(敵討札所の霊験)
芦谷標柱 1999
平湯 ひらゆ 札所 全1件1題 高山市奥飛騨温泉郷平湯 平湯温泉.安房トンネル開通により飛騨側から上高地へのアクセスが向上した.
"芦屋より平湯駅に出で、大峠を越し、信州松本に出まして"(敵討札所の霊験)
平湯温泉街 1999
大峠 おおとうげ 札所 全1件1題 高山市〜長野県松本市 平湯の先松本方向のため安房峠(あぼうとうげ)とした."おおとうげ"と多少とも音が似通っている.
"芦屋より平湯駅に出で、大峠を越し、信州松本に出まして"(敵討札所の霊験)
安房峠 1999

掲載 021227/最終更新 231101

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