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福島県   
はなしの名どころ
「都をば霞と共に出でしかど秋風ぞ吹く白河の關」(中略)隨分長い道中でげすな。若し今日能因さんが御存生でありましたら、(中略)何う其の歌を詠みなほすかと考へますと、「都をば朝飯前に立ちたるが夕飯ぞ喰ふ白河の驛」
 (三遊亭金馬 「鹽原多助後日譚」)
  鈴木行三編,『圓朝全集』 第十二巻,春陽堂((1927))
 
地点名 出典と登場回数 位 置 備 考 写真と撮影年
福島 ふくしま 福禄寿 (他 東京10件) 全11件6題 福島市 「高田馬場」の兄妹が狙う敵の出身藩.信夫文字摺りで知られる文字摺石は,市街東方,山口にある.拝観有料.
"奥州福島へ往って安い田地を買ってよ、一つ当たれば忽ちの中に百町ばかりの田地持ちに成っちまうんだが"(福禄寿)
信夫文知摺石 2007
福島:松葉館 まつばかん 蓮華 全1件1題 福島市か 福島の旅館.「火中の蓮華」のマクラで圓朝が池上の松葉館に投宿した件.
"これは奥州福島の松葉館が、こっちへ支店を出しましたので"(火中の蓮華)
     
黒塚 くろづか 有馬土産 二本松市安達ヶ原あたり 娘を殺そうとする鬼婆の所行のたとえ.文楽の「奥州安達原」では,妊婦の腹を割き,赤子を投げ捨てる陰惨なシーンがある.陸奥の安達が原の黒塚に鬼こもれりと聞くはまことか.
"陸奥にありしと聞く安達ヶ原の黒塚の婆(うば)も斯やと思はれけり"(有馬土産千代の若松)
黒塚 2015
白河の関 しらかわのせき 後日譚 全1件1題 など 白河市旗宿字関ノ森 奥羽三関の一つ.松平定信が白河の関の位置を比定し,古関蹟碑を建てる.能因法師の歌をもじった狂歌で出てくる.この歌のほか,便りあらばいかで都へ告げやらむ今白河の関は越えぬと(平兼盛),秋風に草木の露をはらわせて君が越ゆれば関守もなし(梶原景季)を刻んだ歌碑が,石段を登った白河神社境内にある.
"都をば霞と共に出でしかど秋風ぞ吹く白河の関"(塩原多助後日譚)
古関蹟碑 1999
白河 しらかわ 後日譚 (他 東京2件) 全3件3題 白河市 金馬がもじった狂歌はこれ.今,東京−新白河間は80分.新幹線の車内販売はなくなったので,飯を食いそこねたら欠食.白河は安珍の生地.落語「弥次郎」の主人公弥次郎が,実は安珍であったことが噺の最後にあかされる.国道4号沿いに安珍堂がある.墓は安珍堂を西に入った萱根地内.
"都をば朝飯前にたちたるが夕飯ぞ食う白河の駅"(塩原多助後日譚)
安珍堂安珍像 2015
会津 あいづ 伊香保, 替紋, 草三 など (他 東京9件) 全13件8題 福島県西部 御一新以後,不毛の土地で辛酸をなめさせられた会津人.「佃祭」では会津の桐下駄が出てくる.
"ちりぢりになって奥方は会津に落ちて、会津から上方へ落ちて、ただいま駿府においでと聞きました"(霧陰伊香保湯煙)
     
檜枝岐 ひのえまた 縁切榎(柳家小満ん口演用「てきすと」 33, てきすとの会 (2019)) 南会津郡檜枝岐村 圓朝原作には登場しない.演者の小満ん師が尾瀬をハイキングした時の枕.尾瀬の福島県側の入口である檜枝岐で,橋場のばんばと呼ばれる老婆の石像にはさみが備えられているという話.縁切りを願う人は研いだはさみ,縁を切りたくない人は錆びたはさみを備える.ここから,「縁切榎」にはいる.檜枝岐は民衆歌舞伎が今でも行われていることでも有名.
"あの檜枝岐村には、今だに村歌舞伎というのが伝統的に続いておりまして"(縁切榎)
     
火打山 ひうちやま 多助, 上野, 太助伝 全1件1題 南会津郡桧枝岐村 燧ヶ岳.「塩原多助一代記」では数坂峠の北に位置する.
"ここは追貝村の入口で、西の方は穂高山、東の方は荒山、北の方は火打山で、南の方は赤城山、山また山の数坂峠"(塩原多助一代記)
     

掲載 031220/最終更新 200401

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