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埼玉県   
はなしの名どころ
怪談牡丹燈籠(あらすじ)
塩原多助一代記(あらすじ)
後開榛名の梅が香(あらすじ)
前には熊谷より前橋へ出ますには本庄宿の手前に御堂坂と申す所より榎木戸村から八丁川岸、それより五料と申す所に日光一の關所がございます。當今馬車道になりましたが、其頃は女は手形がなければ通られぬとて、久下村より中瀬に出て、渡しを越えて、漸々堺といふ所まで來ますと、七つ下りになりまして、足が疲れて歩かれません。
 (「鹽原多助一代記」)
  鈴木行三編,『圓朝全集』 第十二巻,春陽堂(1927)

地点名 出典と登場回数 位 置 備 考 写真と撮影年月
八丁川岸 はっちょうがし 多助, 太助伝 全1件1題 児玉郡上里町八町河原 八町河原.烏川の渡船で五料へ至る三国街道の一部.
"榎木戸村から八丁川岸、それより五料と申す所に日光一の関所がございます"(塩原多助一代記)
水除けの突堤 9805
榎木戸 えのきど 多助 全1件1題 本庄市か 「塩原多助一代記」では本庄付近.「八景隅田川」に出てくる榎木戸は三郷付近.どちらも不明.
"御堂坂と申す所より榎木戸村から八丁川岸、それより五料と申す所に日光一の関所がございます"(塩原多助一代記)
     
本庄 ほんじょう 皿山, 多助, 草三 など (他 東京2件) 全7件6題 本庄市 中央1-6にあった田村本陣の門だけが中央1-2に移設された.本庄にはもう1つ内田本陣が銀座2-2にあった.
"本庄宿の手前に御堂坂と申す所より榎木戸村から八丁川岸"(塩原多助一代記)
本庄宿 田村本陣表門 9805
本庄:開善寺 かいぜんじ 皿山 全1件1題 本庄市中央2-7 臨済宗妙心寺派.本庄城主小笠原信嶺が開基で,墓がある.
"私は本庄宿の海禅寺へ寄って一寸玄道という者に会って、それから又美濃まで是非行きますから御一緒にまいろう"(菊模様皿山奇談)
開善寺 9805
本庄:普寛の墓 ふかんのはか 草三 全1件1題 本庄市 御嶽講を広めた普寛上人の霊場は,1922年道路拡張により高台に移転した.
"本庄宿に普寛さまのお墓がございまして、今度新規にお墓ができあがり、私もお賽銭箱を建立いたしました"(安中草三)
普寛上人墓 9805
本庄:台町 だいまち 草三 (他 東京1件) 全3件2題 本庄市東台 現在は東台という町名になっている.写真のポスターにはしっかり台町とある.
"一里でも先へ踏み出さんと小坂を登り、本庄宿の台町へ差しかかる折りは、ますます降りが強くなりました"(安中草三)
東台 9805
御堂坂 みどうざか 多助, 太助伝 全1件1題 本庄市日の出3,4 本庄宿東側の中山道の坂.「塩原太助伝」の見堂坂(けんどうざか)のルビは誤り.
"本庄宿の手前に御堂坂と申す所より榎木戸村から八丁川岸、それより五料と申す所に日光一の関所がございます"(塩原多助一代記)
御堂坂 9805
掃木戸 ほうきど 太助伝 本庄市 傍示堂(ぼうじどう).中山道に面する.「塩原太助伝」のみで,口演作品には出てこない.境界点である"傍示"に堂があったらしい.
"翌廿三日播羅村、石原村、久下村、本庄手前、見堂坂、掃木戸村"(塩原太助伝)
中山道と五料道との分岐点 9805
中瀬 なかせ 引窓, 多助, 太助伝 全2件2題 深谷市中瀬 中山道から北へ別れ,境へと向かう間道.写真の道標には"なかせ道"とあり,移築されたもの.
"久下村より中瀬に出て、渡しを越えて、ようよう堺という所まで来ますと、七つ下りになりまして、足が疲れて歩かれません"(塩原多助一代記)
中瀬河岸跡 9808
中瀬の渡 なかせのわたし 引窓, 多助, 太助伝 全2件2題 深谷市中瀬〜群馬県太田市 対岸には世良田の東照宮がある.
"丁度宝暦十年の頃、武州中瀬の渡しから伊勢崎へかかるわきに横堀村と云う村がございました"(雨夜の引窓)
     
深谷 ふかや 緑林, 八景 (他 東京3件) 全7件4題 深谷市 宿の東西入口に常夜燈がある.写真は東側のもの.
"上州廻りをして、深谷と熊谷の間で茶店を出していると"(緑林門松竹)
見通し燈籠 9808
原の郷 はらのごう 緑林(三一正蔵芝居噺) 全1件1題 深谷市原郷,常盤町あたり 原文に"八っ丁縄手"とある松並木道.見返り松は深谷宿を出はずれた現在の国道旧道交差点近くにあった老松.
"深谷本庄の間原の郷八っ丁縄手という所へ来ると"(菊模様皿山奇談(楼門の場),八代目林家正蔵 正本芝居噺考,三一書房(1993))
みかへり松碑 9808
播羅 ばんら 太助伝 熊谷市幡羅町など 幡羅(はたら)が正しい.幡羅町に名を残す.「和名抄」以来の古い地域名.
"翌廿三日播羅村、石原村、久下村、本庄手前、見堂坂、掃木戸村"(塩原太助伝)
幡羅町工業団地 9808
石原 いしわら 皿山, 高麗の茶碗, 太助伝 (他 東京2件) 全4件2題 熊谷市石原 橘家圓喬(4)演じる「高麗の茶碗」(猫の茶碗)は圓朝作ではないため,"はなしの名どころ"でも登場.道標3基は交差点から西の公園に移設された.
"ここはお爺さん何かえ、矢張り熊谷だろうね。へえ熊谷の少し上になりまして、石原という町続きで御座います"(高麗の茶碗)
石原銘のある道標 0806
熊谷 くまがや 多助, 草三, 高麗の茶碗 など (他 東京16件) 全21件15題 熊谷市 熊谷は中山道屈指の宿場.空襲で市内のおもな旧跡は焼けた.
"前には熊谷より前橋へ出ますには本庄宿の手前に御堂坂と申す所より"(塩原多助一代記)
熊谷 権八地蔵 9708
熊谷:本町 ほんまち 高麗の茶碗 (他 東京2件) 全3件1題 熊谷市本町 竹井本陣は星川に至る敷地を持つ大規模のものだったが,戦災等で焼失.
"向こうに火の見の見えるあれが熊谷寺の所で、あれから本町と云って全くの熊谷で御座います"(高麗の茶碗)
熊谷宿本陣跡碑 9905
熊谷:熊谷寺 ゆうこくじ 高麗の茶碗 全1件1題 熊谷市仲町43 浄土宗.敦盛を討った熊谷直実が草庵を結んだ地という.数年前訪れたときは,確か,署名した上で参拝した.今は正当な理由で申請しないと入れない.
"向こうに火の見の見えるあれが熊谷寺の所で、あれから本町と云って全くの熊谷で御座います"(高麗の茶碗)
熊谷寺 熊谷直実墓 9301
久下 くげ 多助, 草三, 太助伝 全2件2題 熊谷市久下 こちらにも権八地蔵がある.白井権八が「わしは言わぬが,ぬしも言うな」と話しかけられたのはどちらだろうか.
"その頃は女は手形がなければ通られぬとて、久下村より中瀬に出て、渡しを越えて"(塩原多助一代記)
久下 権八地蔵 9708
行田 ぎょうだ 皿山, 草三 (他 東京1件) 全3件3題 行田市 忍の行田.水城の町をうたっている.復元された三層櫓は郷土博物館.行田の代名詞である足袋は,今でも500万足生産という.そんなに履きつぶすのかねぇ.
"私アもとは忍の行田の在で生れた者でありやすが、少さい時分に両親が亡くなってしまい、知る人に連れられてこの美作国へ参って、何処と云って身も定まりやしねえで居ました"(菊模様皿山奇談)
忍城址三階櫓 0806
羽生 はにゅう 累ヶ淵(中公圓生) など 全2件1題 羽生市 圓朝原作には出てこない.水海道の羽生と埼玉県の羽生とは異なるという圓生(6)の説明.田山花袋「田舎教師」のモデルとなった小林秀三の墓が,駅前の建福寺にある.享年21 故小林秀三君之墓 0806
吹上 ふきあげ 草三 全1件1題 鴻巣市(旧北足立郡吹上町) 中山道の立場.中山道はここで大きく西へ曲がり,熊谷堤へ続く.
"熊ヶ谷の蔦屋で昼食をいたし、それから吹上へ掛かり、吹上からいたして遅くなったが、今晩は鴻巣泊まりという心組みで"(安中草三)
吹上神社と中山道 9805
箕田 みた 草三 全1件1題 鴻巣市箕田 渡辺綱の出生地.箕田碑は箕田源氏,渡辺綱の顕彰のため江戸中期に建てられた.
"箕田村の手前に忍の行田と館林へ曲がる所の分かれみちがあります"(安中草三)
箕田碑 9805
箕田:観音堂 かんのんどう 草三 全1件1題 鴻巣市箕田 吹張山平等寺.渡辺綱の開基.享保9(1724)年の燈籠がある.
"箕田村という所に、渡辺の綱の守本尊の観音堂がございます"(安中草三)
観音堂 9805
吉見 よしみ 草三 全1件1題 比企郡吉見町 百穴は横穴古墳.そこには戦時期の地下工場や,崖を人工的にうがって作った巌窟ホテル跡があり,とかく穴に縁があるところ.
"私は吉見村の者でございます、これから半道少々はいりますと、宅はじきでございます"(安中草三)
吉見百穴 9708
鴻巣 こうのす 皿山, 多助, 草三, 太助伝 (他 東京2件) 全5件4題 鴻巣市 中山道の宿.江戸期から人形職人が集まった街区は,現在の町名も人形.
"ようようのことで中仙道の大宮宿泊まり、翌四日は鴻巣の田本が昼食です"(塩原多助一代記)
鴻巣人形町 9805
鴻巣:勝願寺 しょうがんじ 八景 (他 東京2件) 全3件2題 鴻巣市本町8-2 十八檀林の一.山門などは再建されたものだが名刹をうかがわせる規模のもの.
"浄土宗で鴻の巣の勝願寺の末寺ではございますが大寺でございます"(八景隅田川)
勝願寺仁王門 9805
桶川 おけがわ 皿山, 多助, 後日譚(岩波) など (他 東京2件) 全5件5題 桶川市 中山道の宿場.府川本陣遺構,明治天皇行在所,南北木戸の碑がある.
"鴻の巣、桶川と中仙道を下りましたが、足弱の連れで道もはかどりません"(塩原多助一代記)
桶川宿北木戸址 0806
上尾 あげお 太助伝 (他 東京2件) 全2件1題 上尾市 中山道上尾宿.「おさん茂兵衛」,小間物屋の茂兵衛と上尾のおさんの出会い.
"廿二日、上尾、桶川、鴻ノ巣、田本中喰"(塩原太助伝)
氷川鍬神社水盤 0802
加茂宮 かものみや 多助, 太助伝 全1件1題 さいたま市北区宮原町あたり 加茂神社を鎮守とする中山道の立場.
"かれこれ一町余りも追いかけて、加茂宮村という所から西へ別れて加村まで三町ばかり"(塩原多助一代記)
加茂神社 9705
天神橋 てんじんばし 多助, 太助伝 全1件1題 さいたま市北区宮原町あたり 加茂宮のうち.天神橋の名を彫った折れた石柱が横たわる.
"足弱の連れで道もはかどりませんので、天神橋へ掛かりますと日はトップリ暮れ、足は疲れました"(塩原多助一代記)
天神橋バス停 9705
加村 かむら 多助, 太助伝 全1件1題 さいたま市北区日進町,櫛引町 上加村,下加村から成る.写真には上加村の銘が見える.
"加茂宮村という所から西へ別れて加村まで三町ばかり追いかけました"(塩原多助一代記)
加村道祖神 9705
大成 おおなり 太助伝 さいたま市北区大成あたり 東側を中山道が通るため加村に続いて「塩原太助伝」に記載されたが,本編では出てこない.
"先、大宮ノ方大成村とあり"(塩原太助伝)
埼玉新都市交通 大成駅 9805
大宮 おおみや 皿山, 多助, 孝子, 下新田 など (他 東京7件) 全10件9題 さいたま市大宮区 もとは氷川神社の門前町.言うまでもなく埼玉県第一の商都.合併して"さいたま市"と書くのも恥ずかしい.
"だんだん大宮の宿を離れて、桶川を通り過ぎ、鴻の巣の手前の左は桑畠で、右手の方は杉山の林になっております所までまいりました"(菊模様皿山奇談)
武蔵国一宮碑 0802
栗原 くりはら 太助伝 さいたま市大宮区宮町1 大宮宿本陣の栗原を指すだろう.
"九月廿一日、大宮、栗原に泊"(塩原太助伝)
栗原家 9805
わらび 蝦夷錦 (他 東京2件) 全3件3題 蕨市 他の例は「お紺殺し」と「雪てん」.「雪てん」では蕨駅を指す.城址碑は諸橋轍次の撰.
"早く出られればいいが、矢っ張り遅くなるから、蕨泊まりとしていい、川さえ越せばもういいから"(蝦夷錦故郷之家土産)
蕨城址碑 0802
川口 かわぐち 江島屋 (他 東京4件) 全5件4題 川口市 善光寺は河川改修で堤防内に取り残された.右側は減りつつある川口鋳物工場.
"あのなに鳩ヶ谷あたり、遠いな、なになに、川口という所のナニ、名主のナニ、岡田権右衛門方へ縁付けました"(江島屋騒動)
川口善光寺を望む 9708
鳩ヶ谷 はとがや 乳房榎, 江島屋, 一雅 全3件3題 川口市(旧鳩ヶ谷市) 「怪談乳房榎」で真与太郎を預けようとする先が鳩ヶ谷.
"妹の縁付いておる先の親類とかなんとか申して、じき近在で鳩ヶ谷という所で大尽でございます"(怪談乳房榎)
鳩ヶ谷の町並み 0005
岩槻 いわつき 後日譚, 八景, 鶴殺, 初島 など (他 東京16件) 全21件7題 さいたま市岩槻区 落語では「たらちね」,「ねぎまの殿様」の岩槻ネギで登場.
"岩槻葱の心まで煮えているのを御存じなく、上歯と下歯でがりっとお噛み遊ばしたから堪りません"(塩原多助後日譚)
岩槻 時の鐘 9811
粕壁 かすかべ 緑林, 小雀長吉, 上野 (他 東京3件) 全6件4題 春日部市 今は春日部.田村商店は粕壁宿仲町に残る代表的な商家.道標は天保5(1834)年建.
"思い切って今夜の内に粕壁までのそうとここまで来たがお前に会おうとは思わなかった"(小雀長吉)
田村本店と道標 0304
幸手 さって 牡丹, 牡丹(覚書), 上野 (他 東京6件) 全10件4題 幸手市 「牡丹燈籠」,お峰殺しの場面.幸手の買い出しの帰りに伴蔵はお峰を殺害.
"おみねに好きな衣類を買って遣るからといふので、幸手へまいり、呉服屋で反物を買い、ここの料理屋でも一杯やって両人連れ立ち、もう帰ろう"(怪談牡丹燈籠)
明治天皇幸手行在所跡 1207
権現堂 ごんげんどう 荻江 全1件1題 幸手市権現堂 寛永4(1627)年に権現堂堤が切れたことを取り上げている.堤は桜と菜の花が彩る.
"もと猿楽町にお屋敷がございました頃、あなた権現堂がきれまして、九段の下まで水がまいりました"(月謡荻江一節)
権現堂堤 9904
新利根大利根 しんとねおおとね 牡丹, 牡丹(覚書), 引窓 全5件2題 幸手市 「牡丹燈籠」のお峰殺し,幸手栗橋間の夜の土手.権現堂川あたりだろう.
"向こうは往来が三つ叉になっておりまして、かたへは新利根大利根の流れにて、折しも空はどんよりと雨もよう、幽かに見ゆる田舎家の盆燈籠の火もはや消えなんとし"(怪談牡丹燈籠)
権現堂川 0805
栗橋 くりはし 牡丹, 伊香保, 孝子, 上野 など (他 東京5件) 全12件5題 久喜市(旧北葛飾郡栗橋町) 日光街道栗橋宿.駅前に静御前の墓がある.近年頑丈な鞘堂に入れられてしまった.「牡丹燈籠」,幽霊から金をせしめた伴蔵が荒物屋を開く.
"伴蔵おみねはこれをしおに、何分怖くて居られぬとて、栗橋在は伴蔵の生まれ故郷のことなれば、中仙道栗橋へ引越しました"(怪談牡丹燈籠)
静御前墓 9004
宝珠花 ほうしゅばな 伊香保, 孝子 全2件2題 春日部市(旧北葛飾郡庄和町西宝珠花),千葉県東葛飾郡関宿町東宝珠花 5月の大凧あげが有名.江戸川両岸に宝珠花河岸がある.
"といっておるうちに船が出ました。また、宝珠鼻へ着くと乗り込むものもあり、これから関宿へ"(霧陰伊香保湯煙)
西宝珠花 9904
榎木戸 えのきど 八景 全1件1題 三郷市か 流山への渡しの手前という.
"千住へ出て、榎木戸から流山へ出て、流山から野中へ往って"(八景隅田川)
     
川越 かわごえ 初島 (他 東京39件) 全41件20題 川越市 登場のほとんどが東京落語で,川越の芋(「大工調べ」),「宿屋の仇討」,「猫の茶碗」の用例.川越城内に位置する三芳野神社は,童謡"通りゃんせ"に歌われる天神様の細道のモデルと言われる.三遊亭圓生(6)には,『通りゃんせ−天神さまへの道』(KABA書房 (1981))と題するレアな絵本がある.
"それから武州の岩槻、川越と打ちまわして、だんだんに相模近く来て、箱根を打ちこし、翌日は府中で初日という"(敵討霞初島)
三芳野神社参道 1103
所沢 ところざわ 雪月花 (他 東京6件) 全7件2題 所沢市 落語の方でも将棋指しの"所沢の藤吉"の用例.所沢は高層マンションが林立して,古い町並みを駆逐している.写真の商家は軒先を銅張りにした独特のつくり.
"所沢の藤吉さんの親類だそうで。道理で昨夜あいつは娼妓倒しにした"(雪月花一題ばなし−夜桜)
所沢の商家 1103
扇町屋 おうぎまちや 熱海 (他 東京2件) 全3件2題 入間市扇町屋 日光脇往還と青梅街道の結節点.八王子の先として登場する.扇町屋3-3に道標2基と地蔵がある.
"八王子先扇町屋まで御用があって参り、遅くなりまして、橋本へ泊まろうというので参ったのでございます"(熱海土産温泉利書)
上町道標 9807
入間郡 いるまぐん 今朝春三組盃 全1件1題 入間郡 圓朝原作には出てこない.
"自体女のいゝところへ、入間郡の水がしみ"(今朝春三組盃,花菖蒲澤の紫,太平書屋(2004))
     
飯能 はんのう 多助 (他 東京3件) 全4件3題 飯能市 天覧山の名は1883年に明治天皇が陸軍演習を閲兵指揮したことに由来する.
"きたない着物は南部でできた表に、青梅飯能辺でできました裏を付けますと一対の夫婦で"(塩原多助一代記)
天覧山より飯能市街を望む 9807
秩父 ちちぶ 熱海, 皿山, 多助, 太助伝 (他 東京6件) 全9件9題 秩父市 秩父地方,秩父市街,秩父銘仙の用例.6基の曳山屋台が巡行する秩父夜祭は12月3日.秩父まつり会館に展示されている.
"うん成程、秩父へ出て。それからこ甲府へ逃げたんで。秩父越しをいたして甲府の方へ八州が追っかけたのか"(菊模様皿山奇談)
秩父夜祭 屋台 9905

掲載 030309/最終更新 120803

   表の項目の説明

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