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広島県
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はなしの名どころ
操競女学校-お民の伝(あらすじ)
……望みの通り奉公を致すが宜いと、國元の方へは書面を出し、是から阿部伊豫守樣と云ふ備後福山の御城主で、小川町の御屋敷へ奉公に上り、是が野川と名を改め、六十年の間奉公を致して、七十八歳でみまかりました。
(「月謠荻江一節」)
鈴木行三編,『圓朝全集』 第六巻,春陽堂(1927)
地点名
出典と登場回数
位 置
備 考
写真と撮影年
広島城
ひろしまじょう
お民 全1件1題
広島市中区基町あたり
毛利輝元から福島正則,浅野家へ移る.内堀と石垣を残す.天守閣は再建.
"はて飛んだ役を頼まれたと呟きながら、城中へはいり、間もなく一柳の玄関へかかり"(操競女学校-お民の伝)
広島城
2008
福山
ふくやま
荻江, 太助伝 (他 上方2件) 全3件2題
福山市
城は駅に接しており,ひろびろとした公園になっている.戦災で多くを焼失したが,伏見櫓と筋鉄御門(国重文)が残る.写真の伏見櫓は,伏見城から移設したもの.「月謡荻江一節」の野川が奉公した頃の城主は三代阿部正右にあたる.
"阿部伊予守様という備後福山の御城主で、小川町の御屋敷へ奉公に上り、これが野川と名を改め、六十年の間奉公を致して、七十八歳でみまかりました"(月謠荻江一節)
福山城伏見櫓
2020
掲載 040611/最終更新 200801
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