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茨城県 その2   
はなしの名どころ
真景累ヶ淵(あらすじ)
後開榛名の梅が香(あらすじ)
黄薔薇(あらすじ)
八景隅田川(あらすじ)
お久の手を引いて此處を出ましたのが八月二十七日の晩で、鼻を撮まれるのも知れませんと云ふ眞の闇、殊に風が吹いて、顔へポツリと雨がかゝります。あの邊は筑波山から雲が出ますので、是からダラダラと河原へ下りまして、渡しを渡つて横曾根村へ着き、土手傳ひに廻つて行くと羽生村へ出ますが、其所は只今以て累ケ淵と申します。
 (「真景累ケ淵」)
  鈴木行三編,『圓朝全集』 第一巻,春陽堂((1926))
 
地点名 出典と登場回数 位 置 備 考 写真と撮影年月
大宝 だいほう 緑林 全1件1題 下妻市大宝 常総線の西には,かつて大宝沼が広がっていた.大宝八幡の最寄駅だが,取手から1時間かけて乗ってくる人が何人いることか.
"おれの生国が常陸の大宝だから、あっちへいったかも知れない"(緑林門松竹)
大宝駅より大宝沼跡 9701
大宝八幡 だいほうはちまん 累ヶ淵, 蝦夷錦 全4件2題 下妻市大宝 大宝城址(国史跡)に立っている.「累ヶ淵」の新吉が遊山に訪れる.
"また大宝の八幡様へ参詣に行くとか、今日は水街道、あるいは大生郷の天神様へ行くなどと、諸方を歩いて居ります"(真景累ヶ淵)
大宝八幡奉納額 9701
大生郷 おおのごう 累ヶ淵, 累ヶ淵(手控) 全4件1題 常総市(旧水海道市大生郷町) 坂野家は広大な屋敷林に囲まれた豪農の住宅.国重文.
"明日はまた大生郷辺で一杯やって日を暮さなければ成らねえ"(真景累ヶ淵)
坂野家住宅 0305
大生郷天神 おおのごうてんじん 累ヶ淵 全3件1題 常総市(旧水海道市大生郷町) 力士花車は天神の鳥居を振り回して安田一角をやっつけた.鳥居はごく最近のもの.
"私もこの近辺で生い立った者じゃアが、この大生郷の天神様の鳥居といったら大きな者じゃア"(真景累ヶ淵)
大生郷天神 0305
宇治の里 うじのさと 累ヶ淵 全1件1題 常総市(旧水海道市大生郷町)か 天神前の料理屋.架空だろう.大生郷天神は日本三大天神を名のるが,もはや参詣終えて一杯といった雰囲気では全くない.
"大生郷の天神前の宇治の里という料理屋へ上り、ここの奥で一猪口やっている"(真景累ヶ淵)
     
羽生 はにゅう 累ヶ淵 (他 東京3件, 上方1件) 全13件4題 常総市(旧水海道市羽生町) 写真の石祀は,鬼怒川への土手際に祀られていた.堤防外が低地となっており,ボサッカのような草が繁茂していた.
"名題を真景累ヶ淵と申し、下総国羽生村と申す所の、累の後日のお話でございまする"(真景累ヶ淵)
羽生の水神祠 0306
根本の聖天山 ねもとのしょうでん 累ヶ淵 全5件1題 常総市(旧水海道市)か 土手の甚蔵殺し.印象的な場面で,田舎道を随分探したが,実際には聖天宮や甚蔵を突き落とせるような高崖はない.
"聖天山の裏手に清水の湧く所がある、社の裏手で崖の中段にちょろちょろ煙管の羅宇から出る様な清水が溜って、月が映っている、兄いあすこの水は旨えな"(真景累ヶ淵)
     
羽生:北坂 きたさか 累ヶ淵 全3件1題 常総市(旧水海道市)か これも不明.
"羽生村の北坂という所へ一軒新たに建てまして、三蔵方で何も不足なく仕送ってくれまする"(真景累ヶ淵)
     
羽生:横堀 よこぼり 累ヶ淵 全1件1題 常総市(旧水海道市)か これも不明.
"敵の富五郎を欺して同類の様子を聴いたら、一角は横堀の阿弥陀堂の後ろの林の中へ来ているというから"(真景累ヶ淵)
     
羽生:累ヶ淵 かさねがふち 累ヶ淵, 累ヶ淵(手控) 全9件1題 常総市(旧水海道市)か 法蔵寺の裏手の鬼怒川.累の怪談を記した図録でもそのあたりに描かれる.
"そこは只今以て累ヶ淵と申します。どういう訳かとあちらで聞きましたら、累が殺された所で、与右衛門が鎌で殺したのだと申しますが、それはうそだという"(真景累ヶ淵)
     
鬼怒川 きぬがわ 累ヶ淵 (他 東京1件) 全8件2題 常総市(旧水海道市) 絹川や蚕飼川の表記は養蚕との関連を強く感じさせる.
"根本の聖天山へ上がって見ると、あたりは森々と樹木が茂って居り、裏手は絹川の流れはどうどうと、この頃の雨気に水増して急に落とす河水の音高く"(真景累ヶ淵)
鬼怒川累ヶ淵あたり 0306
木下川 きねがわ 累ヶ淵(不二演藝画報復刻) 全1件1題 常総市(旧水海道市) 鬼怒川のこと.累を題材にする「色彩間苅豆」の歌詞でも木下川.
"かゝつて參りましたのが木下川堤此處がその昔から物凄い云傳へのあります累ヶ淵で"(真景累ヶ淵,演藝画報,20(9) (1926))
     
浄禅寺ヶ淵 じょうぜんじがふち 累ヶ淵 全6件1題 常総市(旧水海道市中妻町)か 不明.新吉と土手の甚蔵の鬼怒川土手での立ち回り.落雷するのが浄禅寺ヶ淵.読みの近い霊仙寺(りょうせんじ)は,鬼怒川に面しており,祐天聖人ゆかりの寺.
"新吉は土手の甚蔵に引き留められ、既に危い所へ、浄禅寺ヶ淵へ落雷した音に驚き、甚蔵が手を放したのを幸い"(真景累ヶ淵)
霊仙寺を望む 9804
法蔵寺 ほうぞうじ 累ヶ淵, 累ヶ淵(手控) 全7件1題 常総市(旧水海道市羽生町) 累は法蔵寺の祐天上人によって得度された.河童の手を収蔵している.
"法蔵寺様てえ寺で、累の葬ってある寺と聞けばじきに知れます"(真景累ヶ淵)
法蔵寺 0306
法蔵寺:累の墓 かさねのはか 累ヶ淵 全3件1題 常総市(旧水海道市羽生町) 中央の人物が浮き出した墓のうち左が累,右が助の墓石.最近整備されてしまった.
"おやまア累の墓というと、名高いからもっと大きいと思ったら大層小さいね"(真景累ヶ淵)
累一族の墓 0306
弘経寺 ぐぎょうじ 累ヶ淵 (他 東京2件) 全5件2題 常総市(旧水海道市豊岡町甲1) 十八檀林の一として落語にも登場.千姫の墓がある巨刹.千姫は,家康の孫,豊臣秀頼の妻,吉田御殿の主.
"それはもうなんとも残念千万、弘行寺の裏林へ掛ると、面部を包んで長い物をぶち込んだ奴が十四五人でずっと取り巻いて、旦那が金を三十両持っているのを知って、出せ身ぐるみ脱いで置いてけというから"(真景累ヶ淵)
千姫墓 0306
弘経寺:黒門 くろもん 累ヶ淵 全1件1題 常総市(旧水海道市豊岡町) 弘経寺から一直線に鬼怒川に向かったところ.黒塗りの門.
"ずうっと河原へ出て、それから弘行寺の松の林の所へ出て黒門の所までは長い道でございます"(真景累ヶ淵)
弘経寺大門 0306
笠阿弥陀堂 かさあみだどう 累ヶ淵 全2件1題 常総市(旧水海道市豊岡町) 弘経寺の学僧が鈴声庵の阿弥陀仏に祈願し癩を治したことによるという.石碑にも瘡阿弥陀とある.
"笠阿弥陀堂から右に切れると左右は雑木山でござります"(真景累ヶ淵)
鈴声庵 瘡阿弥陀 0306
松が賀 まつがか 累ヶ淵 全5件1題 常総市(旧水海道市)か 店名らしい.松が賀,松村,松ヶ野,松賀を“松が賀”に統一したが,いずれも不明.
"誰だ清さんか、今帰ったが、松が賀で詰らねえ小博奕へ手を出して打って居ると、だしぬけに手がへえって、一生懸命に逃げたが、仕様がねえから用水の中へはいって、ボサッカの中へ隠れて居た"(真景累ヶ淵)
     
交遊庵 こうゆうあん 累ヶ淵 全2件1題 常総市(旧水海道市)か 笠阿弥陀堂そばの,安田一角の隠れ家に設定.
"笠阿弥陀堂の横手に交遊庵という庵室がありましょう、ふたま間があって、庭もちっとあり、林の中で人に知れないから"(真景累ヶ淵)
     
法恩寺村 ほうおんじむら 累ヶ淵 全1件1題 常総市(旧水海道市豊岡町報恩寺) 報恩寺村.
"大生郷村の天神様から左りに曲ると法恩寺村という"(真景累ヶ淵)
     
法恩寺 ほうおんじ 累ヶ淵 全2件1題 常総市(旧水海道市豊岡町丙1586-1) 浄土真宗報恩寺.江戸の報恩寺へ庖丁式のための鯉を届ける役目があった.
"はい法恩寺の場所に来ております花車重吉という弱い角力取で、どうぞお見知り置かれて皆様御贔屓に願います"(真景累ヶ淵)
坂東報恩寺 0306
報恩寺:花車石 はなぐるまいし 累ヶ淵 全2件1題 常総市(旧水海道市豊岡町丙1586-1)か ルビがふっていないため読み不明.門前に2つの石があるが花車と彫っていない.馬鹿げているので寺には訊いていない.
"花車が手玉にいたしました石へ花車と彫りつけ、これを花車石と申しまして今に下総の法恩寺中に残りおりまする"(真景累ヶ淵)
     
横曽根 よこそね 累ヶ淵 全6件1題 常総市(旧水海道市豊岡町横曽根) 農村.関鉄とコミュニティバスが通る.
"安田一角という横曾根村の剣術家、自から道場を建てて近村の人達が稽古に参る"(真景累ヶ淵)
     
水海道の渡 みつかいどうのわたし 累ヶ淵 全4件1題 常総市(旧水海道市元町〜豊岡町) 1890(明治23)年架橋.元は渡船.今の豊水橋のやや下手に古い橋台も残っている.そのあたりが渡しだったのだろう.
"これからダラダラと河原へ下りまして、渡しを渡って横曾根村へ着き"(真景累ヶ淵)
豊水橋 9902
水海道 みつかいどう 累ヶ淵, 累ヶ淵(手控) 全6件1題 常総市(旧水海道市) 水海道(みつかいどう).かつての河港.町おこしのビル自体が廃墟のよう.2006年常総市となったが,合併先が離脱して常総にまたがらなくなったインチキで過大な地名.離脱した町がつくばみらい市を称するよりはずっとましだが.
"江戸の者が在郷へ来ては泊る所に困る、宿を取るには水街道へ行がねえば無えからよ"(真景累ヶ淵)
諏訪神社 0411
水海道:麹屋 こうじや 累ヶ淵 全5件1題 常総市(旧水海道市諏訪町) 350年の歴史を持つ割烹旅館.座敷で食事もできる.水海道で泊まるならココ.必見ポイント.
"麹屋という家で夜食をして道を聞くと、これこれで渡しを渡れば羽生村だ、土手に付いて行くと近いと云うので親切に教えてくれた"(真景累ヶ淵)
糀屋 0411
中村 なかむら 八景 全1件1題 土浦市中 浜街道の宿で旧道が通っているが,本当に何も残っていない.領界標は土浦市歴史民俗博物館.
"中村は小さな宿ながら家並みもかなり揃ったよい宿でございます"(八景隅田川)
中村領界標 9705
荒川 あらかわ 八景 全1件1題 土浦市荒川沖西あたり 水戸街道荒川沖.牛久と中村の間.なぜ沖がつくのか,由来が謎の地名.
"ことに荒川駅の松並木などと申す物はこの街道でも聞こえた長縄手で、随分寂しい所でございます"(八景隅田川)
荒川沖宿の醤油屋 9705
ぬま 八景 全1件1題 土浦市乙戸 荒川にある沼とある.乙戸沼を指すか.河跡湖で元はもっと大きかった.
"これから藤代、若芝などという宿を過ぎて、牛久、荒川などという所は大きな沼があって、樹木も生い茂っていて、昼でも薄暗いような所です"(八景隅田川)
乙戸沼 9706
牛久 うしく 八景 (他 東京1件) 全2件2題 牛久市 「八景隅田川」に出てくる牛久にある沼はもちろん牛久沼.カッパ生息地として有名.淡水真珠の養殖が行われている.牛久宿は駅からかなり南にはずれており,行在所跡がある.
"これから藤代、若芝などという宿を過ぎて、牛久、荒川などという所は大きな沼があって、樹木も生い茂っていて、昼でも薄暗いような所です"(八景隅田川)
牛久沼 9904
女化が原 おなばけがはら 八景 全1件1題 牛久市女化町 女に化けた狐が旅人をだましたのではなく,葛の葉のような異種婚姻譚が伝わる.
"その晩は中村へ泊まりまして、この辺はすべて女化が原の続きで、皆曠々たる原野で"(八景隅田川)
女化稲荷 9204
龍ヶ崎 りゅうがさき 蝦夷な, 皿山 全2件2題 龍ヶ崎市 かつては商人町として有名だった.関東鉄道の盲腸線が乗り入れているのに,現在商店街はひどく寂れている.
"へえー然うで……そちらのお方はお三人連でどちらへ。私は常陸の龍ヶ崎で"(菊模様皿山奇談)
竜ヶ崎 旧小野瀬邸 0011
若芝 わかしば 八景 全1件1題 龍ヶ崎市若柴町 浜街道の宿.6号国道から大きくはずれたため,ほとんど開発されていない.
"これから藤代、若芝などという宿を過ぎて、牛久、荒川などという所は大きな沼があって、樹木も生い茂っていて、昼でも薄暗いような所です"(八景隅田川)
若芝 9705
藤代 ふじしろ 八景 全1件1題 取手市(旧北相馬郡藤代町) 浜街道の宿.「八景隅田川」女順礼の道中.
"これから藤代、若芝などという宿を過ぎて、牛久、荒川などという所は大きな沼があって、樹木も生い茂っていて、昼でも薄暗いような所です"(八景隅田川)
藤代 9705
取手 とりで 草三, 八景 (他 東京2件) 全4件4題 取手市 取手宿本陣は週末に公開されている.寛政7(1795)年の建.
"取手の渡しで少しく足を休めまして、取手駅へ参ったのが、まだ七つ下がりで、日は高うございます"(八景隅田川)
取手宿本陣 9902
取手の渡 とりでのわたし 八景 (他 東京2件) 全3件2題 取手市〜千葉県我孫子市 我孫子と取手を結ぶ.今のJRの鉄橋あたり.「八景隅田川」に引かれる歌は水戸藩主徳川斉昭が天保11(1840)年,取手の渡の船中で詠んだもの.その歌碑は取手宿本陣裏の高台にある.碑文は斉昭自筆という.
"かの水戸の烈公が「さして行く棹を取手の渡し舟思ふ方へぞ疾く着きにける」と御詠じになった取手の渡しで少しく足を休めまして"(八景隅田川)
徳川斉昭歌碑 0804
小山 こやま 草三 全1件1題 取手市寺田字小山か 取手の在ということなので,この小山をあてた.もとは守谷の小山の飛び地.相馬惣代八幡は将門が崇敬し,守谷相馬氏の氏神.
"ここの家は下総の取手の出だが、私も取手在の小山村でごぜえやすから"(安中草三)
相馬惣代八幡宮 0505
戸頭 とがしら 累ヶ淵 全1件1題 取手市戸頭 利根川七里ヶ渡に面する.今は取手郊外のベッドタウンだが,かつては街道筋として栄えた.
"こちらは後に心が引かされるから振返り振返り、ようようのことで渡を越して水街道から戸頭へさして行きます"(真景累ヶ淵)
戸頭神社社頭道路元標 0505
手塚 てづか 伊香保 全1件1題   不明.
"手塚屋は古河の在手塚村の者が出て売り始め、今では上等の菓子屋になったてぇが"(霧陰伊香保湯煙)
     
さかい 伊香保, 孝子, 上野 (他 東京1件) 全3件3題 猿島郡境町 写真のように町が境河岸を整備し,利根川を関宿あたりまで遡る観光遊覧船を運航している.
"堺へ参りますとここにて乗換え、栗橋へ参り、日が昇って川に映り"(霧陰伊香保湯煙)
境河岸 0805
古河の船渡 こがのふなと 孝子 全1件1題 古河市錦町あたり 今の三国橋あたりが船渡河岸.古河城船渡御門の碑がある.「英国孝子伝」の蒸気船もここに着いた.噺では,ここから佐野へ死骸を運ぶ.
"深川の扇橋から猿田船へ移し、上乗をして古河の船渡へ上り、人力車へ乗せて佐野まで往って仕事を仕ようとする"(英国孝子伝)
古河城船渡門址碑 0303
古河 こが 牡丹, 黄薔薇, 孝子 など (他 東京7件) 全15件9題 古河市 駅前に万葉集歌碑."逢はずして行かば惜しけむ麻久良我の許我漕ぐ船に君も逢はぬかも".枕香の渡しは「上野下野道の記」に出てくる.
"いえ私の産まれは下総の古河の土井さまの藩中の娘で、親父は百二十石の高を戴いた柴田勘六と申し"(真景累ヶ淵)
万葉歌碑 0002
古河:紺屋町 こんやちょう 黄薔薇, 上野 全1件1題 古河市中央町 古河の中心地.道標が中央町1-10に建つ.
"さてこの生間忠右衛門と云う人は、前申し上げた通り古河の土井様の藩中で、今は紺屋町へ参りまして、貯えもありますから田地を買ってかなりに暮らしておりまして"(黄薔薇)
道標 8910
古河:大正寺 たいしょうじ 黄薔薇, 上野 全1件1題 古河市本町2-4-18 曹洞宗大聖院が正しい.「上野下野道の記」にも出てくる.
"これから当所の大正寺という禅寺へ参りまして、頭髪を剃りこぼって鼠木綿の着物や麻の衣に身をやつし、尼になって生涯朽ち果てまする"(黄薔薇)
大聖院 0303
古河:本町通り ほんまちどおり 黄薔薇 全1件1題 古河市本町か 本町は現行町名だが不明.噺の時代にはまだ鉄道が通っていないので駅前の本町通りではなさそう.
"当地とあれば本町(ほんちょう)通りの呉服屋の娘ですか、まさかそうでもあるまい"(黄薔薇)
     
古河:猪の隼太が首洗い井戸 いのはやたがくびあらいいど 黄薔薇 全1件1題 古河市立崎か 源頼政とともに鵺退治をした猪早太.宇治扇の芝で自害した主君の首を運び,古河で霊感を得て洗って埋めたとでもいうのだろう.河川改修で移転した古河城内の頼政神社にあったらしい.旧地には頼政首塚もあった.
"源三位頼政の家来猪の隼太が首洗井戸のある思川のほとりに、詰まらん寮がございますから"(黄薔薇)
     
思川 おもいかわ 黄薔薇, 上野 全1件1題 古河市 「黄薔薇」では生間の寮がある旧古河城のあたり.今は河川改修により思川畔ではなくなっている.
"源三位頼政の家来猪の隼太が首洗井戸のある思川のほとりに、詰まらん寮がございますから"(黄薔薇)
     
鹿島 かしま 心中時雨傘(弘文志ん生) (他 東京9件) 全11件6題 鹿嶋市 圓朝原作には出てこない.武運を祈る鹿島立ち.鹿島の神鹿が春日へ,とかの用例      
鹿島洋 かしまなだ 蝦夷な 全1件1題   鹿島灘.北へ向かう船の描写.かつては東京湾から北海道へ,2泊かけて渡るフェリーがあって,夜が明けると鹿島灘を通っていた.今は大洗−苫小牧便がそれに近いルート.
"船が犬吠が岬を廻り常陸の鹿島洋へ懸かりましたので、動揺が激しくなりました"(蝦夷なまり)
     
潮来 いたこ 累ヶ淵 (他 東京4件) 全6件4題 潮来市 潮来出島の真菰の中であやめ咲くとはしおらしや(潮来節).アヤメ祭りと十二橋巡りのサッパ舟.
"たまには随分多分の金を持ってるよい旅人が、佐原や潮来あたりから出て来るから"(真景累ヶ淵)
水郷潮来 9806

掲載 051125/最終更新 110518

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