中部地方 |
地点名 |
出典と登場回数 |
位 置 |
備 考 |
写真と撮影年 |
北国 |
ほっこく |
蝦夷な (他 東京16件, 上方4件) 全21件8題 |
中部地方 |
北国新聞といっても風俗情報紙ではない.
"北国筋を行脚して越前国に参り"(蝦夷なまり) |
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北陸 |
ほくりく |
蝦夷な (他 東京2件, 上方2件) 全5件4題 |
中部地方 |
"遂に奥羽北陸の戦争となり、続いて海軍奉行の榎本鎌次郎氏を頭として幕兵の脱走と相成りました"(蝦夷なまり) |
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富山県 |
地点名 |
出典と登場回数 |
位 置 |
備 考 |
写真と撮影年 |
越中 |
えっちゅう |
牡丹(覚書), 札所 (他 東京6件) 全7件6題 |
富山県 |
旧国名.
"懐中物をも盗み取り、小増に遣りました所の二十両の金はあるし、これを持って又市は越中国へ逐電いたしました"(敵討札所の霊験) |
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高岡 |
たかおか |
札所, 長二, 黄薔薇 全5件3題 |
高岡市 |
「敵討札所の霊験」の舞台は,根津の発端から高岡に移る.前田利長の隠居所として設けられた高岡城は,公園化され堀と石垣が残る.
"なれどこの高岡は家数も八千軒もある処で、良い船着の所じゃが、けれども江戸御府内にいた者はどこへ行っても自由の足りぬものじゃ"(敵討札所の霊験) |
高岡城石垣 |
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2002 |
高岡:大仏 |
だいぶつ |
札所 全1件1題 |
高岡市大手町11 |
大仏寺に昭和期の露仏が現存.高岡鋳物の象徴.隣は大仏と目が合いそうな位置にある大仏旅館.
"おお手前あのなに何へ行って大仏前へ行ってな、常陸屋の主人に夜になったら一寸和尚が出て相談が有るからと云うて、早く行って"(敵討札所の霊験) |
高岡大仏 |
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2002 |
高岡:片原町 |
かたはらまち |
札所 全3件1題 |
高岡市片原町 |
後ろに見えるのは滝の白糸碑.馬車での出会いが発端.
"これからお継を捜して歩きましたが、どこへ行ったか頓と知れなかったが、漸く片原町の宗円寺という禅宗寺から連れて来ました"(敵討札所の霊験) |
片原町標柱 |
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2002 |
高岡:宗円寺 |
そうえんじ |
札所 全3件1題 |
高岡市片原町 |
写真のように片原町にあったが,道路拡張で城光寺へ移転.
"越中の国射水郡高岡の大工町、宗円寺といふ禅宗寺の和尚は年六十六歳になる信実なお方で"(敵討札所の霊験) |
宗円寺 |
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1990 |
高岡:瞽女町 |
ごぜまち |
札所 全3件1題 |
高岡市川原町9,12あたり |
横川原町の通称.妓楼があって栄えた.
"私も女を抱いては寝ませんが、瞽女町へ往って芸者を買ったとか、娼妓を買ったとか、旨いものが喰いたいから"(敵討札所の霊験) |
瞽女町あと |
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1997 |
高岡:旅籠町 |
はたごまち |
札所 全1件1題 |
高岡市旅篭町 |
現在も旅籠町.向かいの店舗は由緒ありそうな紙屋.
"包みを背負って僅か旅籠町を歩いたぐらいでは何程の事も有りませんで、此の頃は万助の世話で瞽女町へ行きますが、旅籠屋も有りますからちっとは商いも、瞽女町だけにまア小間物は売れます"(敵討札所の霊験) |
旅籠町 |
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1990 |
高岡:二番町 |
にばんちょう |
札所 全3件1題 |
高岡市二番町 |
二番町(にばんまち).永禅手入れの場面.町会所は二番町の南西部にあった.
"あれから帰って庄吉の部屋で賭博して居りますと、そこへ二番町の町会所から手がはいったので"(敵討札所の霊験) |
二番町町会所跡 |
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1997 |
高岡:大工町 |
だいくまち |
札所 全3件1題 |
高岡市白金町 |
現在は失われた町名だが,写真の黒板には大工町とある.
"万助という以前の奉公人が達者で居ると云うから、これを頼って行き、大工町という片側町で、片側はお寺ばかりある処へ荒物店を出し"(敵討札所の霊験) |
大工町 |
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1997 |
高岡:宗慈寺 |
そうじじ |
札所 全3件1題 |
高岡市 |
関町の衆徳山総持寺がモデルか.最近本堂などを建て直した.
"あのお母様怖いこと、宗慈寺の和尚様が薪割を提げて殺してしまうってね、怖くって一生懸命に逃げたけれど、行く所がないから宗円寺様へ逃げ込んだの"(敵討札所の霊験) |
総持寺 |
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2009 |
高岡:前町 |
まえまち |
札所, 蝦夷な 全2件2題 |
高岡市 |
地名かどうか不明.
"ほかにいたしかたもないから人仕事をいたしますし、ろくにはできませんが、前町は寺が多いからお寺の仕事をします"(敵討札所の霊験) |
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立山 |
たてやま |
札所, 春の風俗 (他 上方2件) 全4件3題 |
中新川郡立山町 |
標高3015m,大汝山.戦国武将,佐々成政は,雪の立山を越えて家康同盟を謀るが失敗.山中に埋蔵金があるという.
"あれから道をはすに切れて立山を北に見て、だんだんといすの宮から大沓川へ掛かって"(敵討札所の霊験) |
みくりが池と立山 |
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1991 |
境 |
さかい |
札所 全2件1題 |
下新川郡朝日町境 |
関所は町第一の史跡なのに,公民館に碑が建つばかり.「敵討札所の霊験」は飛騨へ抜けるので,境関所を通るのは道筋がおかしい.
"富山へ行くまでには追分から堺に関所がございますから、あれから道をはすに切れて"(敵討札所の霊験) |
境関址碑 |
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1998 |
追分 |
おいわけ |
札所 全1件1題 |
富山市か |
おそらく,水戸田道と小杉道との追分のことだろう.追分茶屋バス停から西へ入った神明社前に道標が移設されている(富山県歴史の道調査報告書,1980).
"富山へ行くまでには追分から堺に関所がございますから、あれから道をはすに切れて"(敵討札所の霊験) |
追分の道標 |
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2002 |
富山 |
とやま |
札所, 蝦夷な, 黄薔薇 など (他 東京18件, 上方4件) 全27件16題 |
富山市 |
落語ではほとんどが越中富山の反魂丹の例.富山の売薬といえば,ケロリン.黄色い湯桶で売り込んだ.
"まだ開けない田舎では、医者がないからたまたま富山の薬屋さんなどが来ますと、それを買って病人に飲ませる位の事で"(畳水練) |
富山の薬売り像 |
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2009 |
富山:稲荷町 |
いなりまち |
札所 全1件1題 |
富山市稲荷町あたり |
富山城下の東端.鳥居前を通っている道が北陸街道.
"いいえ私はねえ旦那様富山稲荷町の加賀屋平六と云う荒物御用で"(敵討札所の霊験) |
稲荷神社 |
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2022 |
いすの宮 |
いすのみや |
札所 全1件1題 |
富山市栗山 |
高岡市の射水神社(いす ではなく,いみず)も考えられるが,富山市栗山の伊豆宮(いずのみや)を指すと思う.確かに飛騨街道旧道に面している.
"あれから道をはすに切れて立山を北に見て、だんだんといすの宮から大沓川へ掛かって"(敵討札所の霊験) |
伊豆社 |
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1998 |
神通川 |
じんづうがわ |
札所 (他 東京1件) 全2件2題 |
富山県 |
富山県中央部を北流し富山湾に注ぐ.富山市内は明治期まで舟橋だった.舟橋風の装飾に常夜燈が配されている.もう一つの常夜燈は300mほど北に,七言絶句碑とともに残る.鉄鎖横江万丈長 急流如矢響琅々 五更鴉唱人蹤白 六十四梁舟板霜(頼三樹) "丁度大沓へ掛かって来ますると、神通川の水音がどうーどっと聞える。山から雲が吹出しますと、ぱらぱらぱらと霙が額へ当たります"(敵討札所の霊験) |
舟橋常夜燈 |
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2009 |
大沓川 |
おおくつがわ |
札所 全1件1題 |
富山県か |
神通川の別名か.不明.
"あれから道をはすに切れて立山を北に見て、だんだんといすの宮から大沓川へ掛かって、飛騨の高山越をいたす心でございます"(敵討札所の霊験) |
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大沓 |
おおくつ |
札所 全1件1題 |
富山県か |
"疵持つ足に笹原走ると、くたびれを忘れて夜通し無暗に逃げて、丁度大沓へ掛かって来ますると、神通川の水音がどうーどっと聞える"(敵討札所の霊験) |
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大沓の渡 |
おおくつのわたし |
札所 全1件1題 |
富山県か |
神通川の川上.ここを渡って笹津に至るという.
"真達を連れて逃げては足手まといだから、神通川の上大沓の渡口で忰を殺して逃げたと言ってしまいなせえ、おい隠したっても役に立たねえ"(敵討札所の霊験) |
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笹沢 |
ささざわ |
札所 全1件1題 |
富山市笹津,西笹津 |
神通川両岸とも笹津(ささづ)と称する.右側橋柱には明治25年竣工とある.
"無暗に手を引いて渡場へ参り、少しの手当を遣って渡しを越え、此処から笹沢、のり原、いぼり谷、片掛、湯の谷と六里半余の道でござります"(敵討札所の霊験) |
笹津橋橋柱 |
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1999 |
のり原 |
のりばら |
札所 全1件1題 |
富山市楡原 |
旧婦負郡細入村.楡原(にれはら)のこと.「敵討札所の霊験」の永禅一行の逃避行の経路で,飛騨街道を一路南下する.
"無暗に手を引いて渡場へ参り、少しの手当を遣って渡しを越え、此処から笹沢、のり原、いぼり谷、片掛、湯の谷と六里半余の道でござります"(敵討札所の霊験) |
楡原 |
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1999 |
いぼり谷 |
いぼりだに |
札所 全1件1題 |
富山市庵谷 |
旧婦負郡細入村.庵谷(いおりだに).いよいよ山峡にかかる.
"無暗に手を引いて渡場へ参り、少しの手当を遣って渡しを越え、此処から笹沢、のり原、いぼり谷、片掛、湯の谷と六里半余の道でござります"(敵討札所の霊験) |
庵谷バス停 |
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1999 |
片掛 |
かたかけ |
札所 全1件1題 |
富山市片掛 |
旧婦負郡細入村.車はみな山上の集落を通らず,新道を過ぎてゆく.誰に話してもサルだと言われたが,この奥の山道をクマが横切った.
"無暗に手を引いて渡場へ参り、少しの手当を遣って渡しを越え、此処から笹沢、のり原、いぼり谷、片掛、湯の谷と六里半余の道でござります"(敵討札所の霊験) |
片掛集落 |
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1999 |
湯の谷 |
ゆのたに |
札所 全1件1題 |
富山市猪谷 |
旧婦負郡細入村.猪谷(いのたに).永禅がこの地に宿りをする.
"これから先は極く難所で、小さい関所がござりますから、湯の谷の利助と云う家へ泊りました"(敵討札所の霊験) |
猪谷旅館 |
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1999 |
関所 |
せきしょ |
札所 全1件1題 |
富山市猪谷 |
永禅らは,東西の口留番所のうち,西側を通って逃走.神通川左岸.
"その頃百疋も出しますとどうやらこうやら書付を拵えてくれますから、かに寺まで往く所の関所は金さえ遣れば越えられたものでござります"(敵討札所の霊験) |
猪谷関阯碑 |
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1999 |
かに寺 |
かにでら |
札所 全1件1題 |
富山市蟹寺 |
旧婦負郡細入村.蟹寺.神通川の急流を架線に吊した籠で渡った籠渡し.広重の版画で有名.草深い左岸に碑が建つ.
"その頃百疋も出しますとどうやらこうやら書付を拵えてくれますから、かに寺まで往く所の関所は金さえ遣れば越えられたものでござります"(敵討札所の霊験) |
蟹寺の籠渡あたり |
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1999 |
かがぞ |
かがぞ |
札所 全1件1題 |
富山市加賀沢 |
旧婦負郡細入村.加賀沢(かがさわ).県境の部落だったが,とうとう無住になってしまった.建設中の高規格新道が完成したら廃道になってしまうのでは.おそらく生涯通らない道.
"漸く金で関所を越えて、かがぞへ出て小豆沢、杉原、靱、三河原と五里少々余の道を来て、足も疲れて居ります"(敵討札所の霊験) |
白山神社 |
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1999 |