地点名 |
出典と登場回数 |
位 置 |
備 考 |
写真と撮影年 |
丹波 |
たんば |
累ヶ淵, お里 (他 東京14件, 上方22件) 全38件21題 |
京都府,兵庫県 |
旧国名.丹波の奥山の熊といえば,丹波の荒熊という名の乞食があった.全身を真っ黒に塗った男とそれを引っ張る二人組で,丹波の篠山,荒熊でござーいの口上で,熊男がウエーイと吠える.
"この人の国は丹波の奥山で熊の穴から出たのかもしれない"(操競女学校-お里の伝) |
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山城 |
やましろ |
皿山, 名人く など (他 東京10件, 上方3件) 全16件8題 |
京都府 |
旧国名.六玉川のうち山城にあるのは,「蛙茶番」に出てくる井出の玉川.
"六多摩川てえのは、山城だの奥州だのと方々にあるんですか"(名人くらべ) |
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大江山 |
おおえやま |
後日譚(岩波) (他 東京17件, 上方1件) 全19件15題 |
福知山市大江町あたり |
酒呑童子の故郷.大江山は子鬼の人形だらけだった.鬼の岩屋は2ヶ所あり,写真は鍋塚北の加悦町境のもの.
"今日こそ塩原を退治したというので大江山で鬼の首でも取ったような喜びで"(鹽原多助後日譚) |
鬼の岩屋 |
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2003 |
園部 |
そのべ |
牡丹(覚書) (他 上方4件) 全4件2題 |
南丹市 |
旧船井郡園部町.お女中衆やお乳母さんを輩出する.園部城址は高校になっている.
"二万八千石丹波園部小出信濃守英貞家来馬廻り組百十石三十七歳黒川幸造なり"(怪談牡丹燈籠覚書) |
園部城址 |
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2004 |
宇治 |
うじ |
八景, 世辞屋(講明治大正5:63) (他 東京36件, 上方16件) 全54件26題 |
宇治市 |
宇治茶や「宇治の柴船」などで登場する.十三重塔は,宇治川塔ノ島にある石塔.意外と大きい,どころか,日本最大の大きさを誇る.石川五右衛門が盗んだという.
"ようお聞き下さいました、一年宇治の蛍狩りといったような事でございましょう"(八景隅田川) |
十三重塔 |
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2004 |
宇治川 |
うじがわ |
残月 (他 東京15件, 上方3件) 全19件8題 |
宇治市 |
池月にまたがった佐々木高綱と磨墨にまたがった梶原景季による宇治川の先陣争い.豊臣秀吉が茶の湯の水を宇治橋に張りだした三の間から汲んだ.
"車の後ろには、佐々木梶原の宇治川の先登争いの画などが描いてありましたもので"(雨後の残月) |
宇治橋三の間より |
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2002 |
三室戸寺 |
みむろとじ |
札所 全1件1題 |
宇治市莵道滋賀谷21 |
西国三十三ヶ所第10番札所.本山修験宗三室戸寺.アジサイとツツジの庭がある.1時間1本の黄檗−宇治間のバスが利用可能.
"九番が奈良の南円堂、十番が山城宇治の三室、十一番が上の醍醐寺"(敵討札所の霊験) |
三室戸寺本堂 |
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2004 |
平等院一切経 |
びょうどういんいっさいきょう |
落語の濫觴 |
宇治市 |
不明.平等院内に一切経が納められていたのか.
"大納言隆国卿皐月より葉月まで平等院一切経の山際南泉坊に籠りたまい"(落語の濫觴) |
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南船坊 |
なんせんぼう |
落語の濫觴 |
宇治市 |
現在の平等院の南,菟道小あたり.
"大納言隆国卿皐月より葉月まで平等院一切経の山際南泉坊に籠りたまい"(落語の濫觴) |
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山崎 |
やまざき |
初島 (他 東京6件) 全7件6題 |
乙訓郡大山崎町 |
天正10(1582)年,本能寺の変の報を受けた秀吉は,備中高松から中国大返しで京へ戻る.秀吉軍と,信長を討った明智光秀軍が対峙した.山崎合戦に敗れた光秀は,坂本城へ戻る途中,農民の竹槍に刺されて明智籔で最期をとげた.
"政五郎もこの妾宅へ目をつけておるという、何のことはございません山崎の合戦に、光秀も秀吉も天王山を早く味方へ取り込んで兵士を遣って固めておかねばこの戦いには勝利は得られん"(敵討霞初島) |
天王山山崎合戦陶板 |
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2022 |
天王山 |
てんのうざん |
初島 (他 東京2件, 上方3件) 全6件3題 |
乙訓郡大山崎町 |
淀川と天王山によってはさまれた山崎の地は狭くなっている.昔も今も要衝で,天下分け目の関ヶ原と同様に,ここが天王山といった使い方をされる.将棋盤の中央の位置は,天王山とも都ともたとえられる.
"政五郎もこの妾宅へ目をつけておるという、何のことはございません山崎の合戦に、光秀も秀吉も天王山を早く味方へ取り込んで兵士を遣って固めておかねばこの戦いには勝利は得られん"(敵討霞初島) |
天王山旗立松より |
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2022 |
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京都 |
きょうと |
牛車, 名人く, 死神, 文晁 など (他 東京315件, 上方162件) 全497件226題 |
京都市 |
圓朝作品でも京都の地名は繰り返し出てくる.「牛車」は,京都で執り行われた英照皇太后の葬儀に圓朝自身が参加した体験を語っている.
"英照皇太后の御大喪につきましては、日本国中の人民は何社でも、総代として一名ずつ御拝観のために京都へ出す事に相成りました"(牛車) |
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西京 |
さいきょう |
蝦夷な, 牛車, 名人く など (他 東京15件) 全20件20題 |
京都市 |
"人の噂を聞きましても、西京の旅籠屋は客が山をなして、ミッシリ爪も立たないほどだという事でございます"(牛車) |
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御所 |
ごしょ |
月の鏡, 牛車, 骨董屋, 一雅 (他 東京39件, 上方14件) 全57件27題 |
上京区京都御苑 |
御苑は一般公開されている.御所は春秋を除き,参観は申込制.回廊に囲われた紫宸殿前に右近の橘と左近の桜.桃の節句の雛飾りに伝わる.
"かの女子はさすがに京都の大内に勤めた人だけあって、すぐに返歌を書いて出した"(応文一雅伝) |
紫宸殿と左近の桜 |
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2009 |
宗国寺 |
そうこくじ |
話之種 |
上京区今出川通烏丸東入 |
相国寺(しょうこくじ).臨済宗相国寺派大本山.京都五山の一つで,将軍足利義満が創建した.京都御所のすぐ北に広い境内を持つ.中央に巨大な法堂(はっとう),後水尾天皇の歯髪塚などがある.用例に出てくる荻野独園は,明治維新の頃の相国寺の僧で,廃仏毀釈にさらされた禅宗を守るために尽力した.
"累卵之題にて 京の宗国寺 独園禅師"(話之種) |
相国寺法堂 |
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2019 |
烏丸 |
からすま |
初島 (他 東京1件, 上方3件) 全5件4題 |
京都市 |
南北路.京都〜烏丸〜枇杷葉湯〜の売り声が代表例で,「小夜衣」のサゲになる.
"わたいの色が黒いと、なにこれは三条でも烏丸通りの北で生まれたさかい、烏にあやかってそれで黒いのじゃ"(敵討霞初島) |
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安楽庵 |
あんらくあん |
落語のはじめ |
中京区桜之町あたり |
『醒睡笑』の作者,安楽庵策伝は誓願寺の55世住職で,誓願寺塔頭竹林院の茶室安楽庵に隠棲した.その縁で,1968年に芸道祈願の扇塚が建立された.
"秀吉は策伝の志願にまかせて、安楽庵を建立してやりました"(落語のはじめ) |
安楽庵策伝墓 |
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2004 |
鴨川 |
かもがわ |
文治 (他 東京7件, 上方7件) 全15件10題 |
京都市 |
"はなしの名どころ"では,出町柳で高野川を合する前の加茂川は北区に分類した.
"どこに居ります。京の鴨川から来た人で、只今早稲田に居ります"(業平文治漂流奇談) |
四条河原 川床 |
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2003 |
木屋町 |
きやちょう |
牛車 (他 東京4件, 上方3件) 全8件7題 |
中京区木屋町通 |
木屋町(きやまち).英照皇太后の葬儀参列の際,圓朝が宿泊した吉富楼.マンション建設で取り壊された.
"それから二日の一番汽車で京都へ御随行をいたして木屋町の吉富楼という家へ参りました"(牛車) |
木屋町 |
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2008 |
三条通 |
さんじょうどおり |
初島 (他 東京4件, 上方6件) 全11件8題 |
京都市 |
"わたいの色が黒いと、なにこれは三条でも烏丸通りの北で生まれたさかい、烏にあやかってそれで黒いのじゃ"(敵討霞初島) |
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堺町三条北 |
さかいちょうさんじょうきた |
牛車 全1件1題 |
中京区桝屋町あたり |
堺町(さかいまち)三条は,桝屋町あたり.美術鑑定の里見忠三郎の居宅があった.「牛車」で英照皇太后の葬列を拝した場所.
"参りました所は境町三条北に入る町という、大層むずかしい町名でございまして"(牛車) |
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四条大橋 |
しじょうおおはし |
怪談乳房榎(下)(青圓生13:21) など (他 東京6件, 上方6件) 全15件6題 |
下京区〜東山区 |
圓朝演では出てこない.用例は,小唄「四条の橋」の詞章.
"四条ォ…のォ…、橋ィ…ィ…か…ァ…らァ…、灯がァ…ァ…一ォ…つゥ…見ゆゥるゥ…"(怪談乳房榎(下)) |
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四条通 |
しじょうどおり |
牛車 (他 東京4件, 上方4件) 全9件4題 |
京都市 |
「牛車」では,木屋町の宿所から下がったところ,四条大橋西詰あたり.
"私もお供をいたし四条通りから五条を渡り"(牛車) |
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松原通 |
まつばらどおり |
牛車 全1件1題 |
東山区あたり |
「牛車」では,松原通を南に渡り,泉山へ向かう.写真は,桂文之助が落語にした幽霊子育飴を商う店.松原通に面した六道の辻の方へ移転した.
"四条通りから五条を渡り、松原通りから泉山に参ります"(牛車) |
松原通 幽霊子育飴 |
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1994 |
五条大橋 |
ごじょうおおはし |
牛車, 鶴殺 など (他 東京13件, 上方13件) 全29件18題 |
下京区〜東山区 |
松原通にかかっていたものを秀吉が五条に移した.すると,弁慶牛若の出会いは松原橋ということになる.京の五条の橋の上♪の戦いを描く「橋弁慶」という落語もある.
"人殺しの側に落ちてあった煙草入れでも拾ったというなら、昨夜五条の橋詰でという台詞にもなるだろうが"(鶴殺疾刃庖刀) |
五条大橋 |
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2008 |
七条河原 |
しちじょうがわら |
緑林門松竹−またかのお関(青圓生14:12) (他 東京9件, 上方1件) 全11件7題 |
京都市 |
圓朝演では出てこない.
"七条河原において釜ゆでの刑という。これァ今までにかつてない刑でございまして"(緑林門松竹−またかのお関) |
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京都駅 |
きょうとえき |
緑林門松竹−またかのお関(青圓生14:12) (他 東京3件) 全4件3題 |
下京区東塩小路町(烏丸通塩小路下ル) |
圓朝演では出てこない.
"七条の河原というのはどこだろうと思ったら、今のあの京都ゥの駅のところだそうですね"(緑林門松竹−またかのお関) |
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島原 |
しまばら |
今朝春三組盃 (他 東京10件, 上方12件) 全23件17題 |
下京区上之町,仲之町,太夫町,中堂寺町,揚屋町,下之町 |
圓朝原作には出てこない.官許廓.島原の乱のあとに柳町から移転した.その混乱ぶりから島原というとも.
"京の島原祇園町、大坂新町島の内"(今朝春三組盃) |
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桂川 |
かつらがわ |
闇夜の梅 (他 東京9件, 上方5件) 全15件4題 |
京都市 |
「桂川連理柵」,お半長のストーリーは,「胴乱の幸助」が現在進行形の事件と勘違いする.用例のお染久松は「野崎」に脚色された.
"久松が十五の時、主人の娘お染を桂川の辺で遊ばせている中に、ついあやまってお染を川の中へ落としたから御主人へ申訳がない、どうかして助けにゃならぬと思ったものか、久松も続いて飛込む"(闇夜の梅) |
桂川 |
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2011 |
西山 |
にしやま |
三題噺 (他 東京1件, 上方4件) 全7件6題 |
京都市 |
東山嵐山北山西山と並べている.京都の西.
"上方には東山、嵐山、北山、西山"(雨宿り・韓信股くぐり・近江八景) |
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嵐山 |
あらしやま |
三題噺 (他 東京24件, 上方1件) 全26件16題 |
西京区嵐山 |
桂川の南の紅葉の名所.渡月橋付近は見事な景色で,四季を問わず人であふれている.
"上方には東山、嵐山、北山、西山"(雨宿り・韓信股くぐり・近江八景) |
嵐山 |
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2019 |
大悲閣 |
だいひかく |
話之種 |
西京区嵐山中尾下町62 |
千光寺.大堰川をさかのぼった奥,嵐山の高台にある.角倉了以が建立した千手観音が本尊.眼光鋭い角倉了以の像も祀られている.懸崖造りの大悲閣から見下ろす景色がごちそう.芭蕉は"花の山二町のぼれば大悲閣"と詠んだ.
"忘れしか花にうかれて大悲閣"(話之種) |
千光寺大悲閣 |
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2019 |
渡月橋 |
とげつきょう |
話之種 など |
右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町〜嵯峨中ノ島町 |
桂川(大堰川)に架かる橋.土台はコンクリートだが,欄干は木製.北の嵯峨,南の嵐山を結ぶ観光名所.とにかく人が多い多い.
"東山将軍義政公嵐山之流れ桂川なる渡月橋に雪の夜"(話之種) |
渡月橋 |
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2011 |
高雄山 |
たかおさん |
奴勝山, 一雅 (他 東京1件, 上方1件) 全4件4題 |
右京区梅ヶ畑 |
清滝川沿いの紅葉の名所.中心は高雄山神護寺になる.見晴らしの良いところで,「愛宕山」のように土器投げができる.
"あるいはお台場の所を描いて下さいノ、京都の高尾を描いて貰いたいノ。と再度手紙で頼んで来る"(応文一雅伝) |
神護寺土器投げより |
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2005 |
歯形の地蔵 |
はがたのじぞう |
話之種 |
北区千本通鞍馬口 |
歯形地蔵.あがっていた提灯には歯ノ地蔵と書かれていた.下十二坊町による説明板は,会話含みのストーリー仕立てで面白い.女性と歩いている夫に悋気を起こした妻が,飛びかかって来た.あわててお地蔵さんの陰にかくれると,妻はお地蔵さんの肩口にガブリとかみつき,取れなくなった.それ以来.逆さ川地蔵と呼ばれていたお地蔵さんは,歯形地蔵と呼ばれるようになった.歯痛治療にお参りする人もある.よく見ても,肩口の歯形はわからなかった.
"京都北天神の傍に歯形の地蔵寺あり"(話之種) |
歯ノ地蔵 |
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2019 |
大徳寺 |
だいとくじ |
名人く (他 東京3件, 上方3件) 全7件6題 |
北区紫野大徳寺町 |
臨済宗大徳寺派大本山.三門仏殿法堂が一直線にならぶ.牧谿の描いた龍の水墨画は重文で,観音猿鶴図は国宝に指定されている.
"紫野大徳寺にて牧渓の描いた龍を見た時には何となく凄くなり、惣身がぞくぞくして参りました"(名人くらべ) |
大徳寺 |
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2009 |
常徳寺 |
じょうとくじ |
蓮華 全1件1題 |
北区紫竹東栗栖町28 |
「火中の蓮華」の本文にあるとおり,日蓮宗知足山常徳寺.常盤御前安産祈願の地蔵がある.
"京都におられた時分菩提寺の知足山常徳寺へ日参をなされた"(火中の蓮華) |
常徳寺 |
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2004 |
加茂川 |
かもがわ |
初島 (他 東京12件, 上方3件) 全16件9題 |
京都市 |
「敵討霞初島」では,どこかは特定されない.
"色のくっきり白うて水際の立つところはあれは外の国にはありはへん。加茂川の水で晒さんじゃ白くて照りが出ぬ"(敵討霞初島) |
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北山 |
きたやま |
三題噺 (他 東京3件) 全5件3題 |
左京区など |
東山嵐山北山西山と並べている.京都の北.
"先ず自分の土地を褒めるのではおまへんが、上方には東山、嵐山、北山、西山、その他いい景色があります"(雨宿り・韓信股くぐり・近江八景) |
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鞍馬山 |
くらまやま |
花菖蒲澤の紫 (他 東京24件, 上方13件) 全38件21題 |
左京区鞍馬 |
圓朝原作には出てこない.牛若丸の修行した鞍馬寺.天狗の栖む山で,大杉の連なる僧正ヶ谷や雨で木の根が浮き上がった木の根道などの奇観がある.奇祭鞍馬の火祭りは由岐神社,丑の時詣り「鉄輪」は貴船神社のできごと.
"遊女屋の名を二見屋として鞍馬の別荘と眼先を変た手際ハ懼しい"(花菖蒲澤の紫) |
鞍馬山木の根道 |
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2019 |
鹿ヶ谷 |
ししがたに |
花菖蒲澤の紫 (他 東京1件) 全2件2題 |
左京区鹿ヶ谷 |
圓朝原作には出てこない.平家打倒の密談をした鹿ヶ谷俊寛山荘.鬼界ヶ島に流された俊寛は一人取り残される.芝居でお馴染み.鹿ヶ谷山中の推定地には,俊寛僧都忠誠之碑と俊寛僧都鹿谷山荘遺址碑が立つ.
"ヲツな所へ鹿ヶ谷をお極被成やす"(花菖蒲澤の紫) |
俊寛僧都鹿谷山荘遺址碑 |
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2006 |
南禅寺:山門 |
さんもん |
緑林門松竹−またかのお関(青圓生14:12) (他 東京13件, 上方4件) 全18件12題 |
左京区南禅寺福地町 |
圓朝演では出てこない.
"とにかくあの五右衛門てえものが楼門へ乗っかりましてね、花見をしてえる"(緑林門松竹−またかのお関) |
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東山 |
ひがしやま |
お辰, 三題噺 (他 東京16件, 上方10件) 全29件19題 |
東山区 |
布団着て寝たる姿や東山(服部嵐雪).名高い句京都の布団加賀の蚊帳(柳多留).
"上方には東山、嵐山、北山、西山"(雨宿り・韓信股くぐり・近江八景) |
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三条白河橋 |
さんじょうしらかわばし |
牛車 全1件1題 |
東山区五軒町あたり |
白川橋.白川に架かる.傍らに,延宝6(1678)年に建てられた古い道標が残っている."さんじょうしらかわばし"の文字が見られる.是より左が知恩院・祇園・清水道であることを示している.
"京都の三条白河橋に懇意な者がございますから、その人の所へ郵便を出して、私が参るからどうか泊めて下さいと申して遣りますると"(牛車) |
三条通白川橋道標 |
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2021 |
粟田口 |
あわたぐち |
粟田口 (他 東京6件) 全7件3題 |
東山区粟田口 |
「粟田口霑笛竹」は盗まれた名刀粟田口国綱をめぐる人情噺.三条小鍛冶宗近(猿後家)も住んでおり,粟田神社の境内に鍛冶神社がある.
"北条の求めによって国綱山城の粟田口より相州山の内に来たり、時頼の為に鍛えたる鬼丸"(粟田口霑笛竹) |
鍛冶神社 |
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2006 |
円山 |
まるやま |
怪談乳房榎(下)(青圓生13:20), 緑林門松竹−またかのお関(青圓生14:12) など (他 東京6件, 上方12件) 全22件10題 |
東山区円山町あたり |
圓朝演では出てこない.
"丸山のォ灯ィかァ…えェえそうじゃえェ…"(怪談乳房榎(下)) |
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祇園 |
ぎおん |
熱海, 骨董屋, 名人く, 八景 (他 東京18件, 上方20件) 全46件28題 |
東山区元吉町・末吉町・富永町・祇園町南側など |
八坂神社(祇園)につらなる四条通南北の花街.白川沿いの祇園新橋は重伝建に指定されている.石畳の切通しを抜けて巽橋を渡ると,角地に辰巳大明神がある.祇園の芸妓舞妓が芸事の上達を祈願する.
"西京へまいりまして、祇園町あたりの舞妓の踊りを見て、それから考えを起こして、極彩色に静の画を描き上げて"(名人くらべ) |
辰巳大明神 |
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2008 |
二軒茶屋 |
にけんぢゃや |
怪談乳房榎(下)(青圓生13:20) など (他 東京1件, 上方6件) 全10件3題 |
東山区祇園町北側 |
圓朝演では出てこない.
"あれェ…ェはァ…、二軒茶屋のォ…灯ィ…かァ…"(怪談乳房榎(下)) |
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一力 |
いちりき |
骨董屋 (他 東京12件, 上方7件) 全20件9題 |
東山区祇園町南側 |
祇園でひときわ目立つベンガラの赤.大石内蔵助が「七段目」で遊興する.3月20日の大石忌は一力の風物.
"忠臣蔵七段目祇園町の一力という茶屋がある、あすこで斧九太夫がスーッと乗脱けをしたという駕籠だ"(骨董屋) |
祇園一力亭 |
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2005 |
清水寺 |
きよみずでら |
黄薔薇, 蓮華 など (他 東京41件, 上方20件) 全64件28題 |
東山区清水1 |
北法相宗大本山音羽山清水寺.本尊の千手観音は秘仏.清水の舞台のある本堂は国宝.古くから京都観光の定番で,本家「忠臣蔵」の「九段目」でも,"祇園清水知恩院大仏様御覧じたか,金閣寺拝見ならばよい伝手があるぞえ"のセリフがある.
"一人来て二人連れ立つ極楽の、清水寺の鐘の声"(黄薔薇) |
清水寺 |
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2008 |
清水寺:音羽の滝 |
おとわのたき |
粟田口 (他 東京11件, 上方8件) 全20件3題 |
東山区清水1 |
3筋の細い滝水を長柄杓で汲む.落語では,「はてなの茶碗」の道具商茶屋金兵衛が,音羽の滝の茶店で一休みしながら,ぽたぽた漏れる清水焼の茶碗で茶を飲む.「清水の音羽の滝のおとしてや 茶碗もひびにもりの下露」
"かの伽羅大尽が筆を執ってスラスラと認めた歌は「音に聞く音羽の滝のことあやも見なれぬ袖に浪のかくらん」という"(粟田口霑笛竹) |
音羽の滝 |
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2008 |
清水寺:舞台 |
ぶたい |
八景 (他 東京16件, 上方17件) 全34件20題 |
東山区清水1 |
国宝.清水の舞台から娘が飛び降りると聞いて,男どもがあつまるのが「殿集め」という落語.懸崖造りの観音堂は各地にあるが,本家はさすが.
"六兵衛は清水の舞台から落っこった気で帳場のまえら戸を開けまして"(八景隅田川) |
清水の舞台 |
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2008 |
鳥辺山 |
とりべやま |
黄薔薇 (他 東京1件, 上方4件) 全6件3題 |
東山区五条橋東6あたり |
近松作の「鳥辺山」を取り入れているらしいが,やや文句が違う.「近頃河原達引」の心中はお俊伝兵衛.写真は実報寺にあるお俊伝兵衛の五輪塔で,隣の本寿寺にも墓がある.
"一人来て二人連れだつ極楽の……寺々の鐘も撞きやみ夜はほのぼのと鳥辺山にぞ着きにけり"(黄薔薇) |
お俊伝兵衛墓 |
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2006 |
東福寺 |
とうふくじ |
皿山 (他 東京1件) 全2件2題 |
東山区本町15 |
臨済宗大本山東福寺.谷を埋める紅葉に包まれた通天橋が見どころ.重文の開山堂ともに拝観有料.
"十六才の時に京都の東福寺へまいり、修業をして段々行脚をして、美濃路あたりへ廻って帰って来た"(菊模様皿山奇談) |
東福寺通天橋 |
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2002 |
夢の浮橋 |
ゆめのうきはし |
牛車 全1件1題 |
東山区泉涌寺五葉ノ辻町あたり |
泉涌寺へ向かう参道,東福寺駅そばに架かっていたが,今は碑のみ.
"泉山に参りますには、かねて話に聞いておりました、夢の浮橋というのを渡りました"(牛車) |
夢の浮橋碑 |
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2021 |
泉山 |
せんざん |
牛車 全1件1題 |
東山区今熊野泉山町 |
英照皇太后は孝明天皇の皇后.「牛車」で,その葬儀に圓朝が参列した.陵墓は,泉涌寺裏手の後月輪東山陵にある.ただし,陵墓には立ち入れない.
"さて、六日には泉山という所へお出掛けになるについて、私もお供をいたし"(牛車) |
英照皇太后陵入口 |
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2021 |
鳥羽 |
とば |
皿山 (他 東京6件) 全7件3題 |
伏見区 |
落語では「蔵前駕籠」が,鳥羽伏見の戦で世情不安な時代を背景にしている.小枝橋が鳥羽の戦の開戦地で,鳥羽離宮跡公園に碑がある.
"続いて鳥羽辺が五月朔日からの大洪水であった、などという事で、その年の六月十一日にはお竹橋へ雷が落ちて火事が出ました"(菊模様皿山奇談) |
鳥羽の戦の碑 |
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2004 |
伏見 |
ふしみ |
文治, お民, 蝦夷な (他 東京37件, 上方26件) 全66件30題 |
伏見区 |
伏見の土産に伏見人形(三十石).寝牛はくさを食ってくれるし,虚無僧は船酔い止め,饅頭喰いは比べられない親の恩(佐々木政談).子が賢くなるまじない.
"鍔は金家だ。あの伏見の金家、結構でございますな"(業平文治漂流奇談) |
伏見稲荷御塚 |
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2004 |
醍醐寺 |
だいごじ |
札所 (他 東京1件) 全2件2題 |
伏見区醍醐山1 |
西国三十三ヶ所第11番札所.これは山上にあり,上の醍醐寺という.上の醍醐寺を巡るのに,所用2時間半.准胝観音堂の下に,寺の名のもととなった名水の醍醐水が湧いている.
"十番が山城宇治の三室、十一番が上の醍醐寺、十二番が近江の岩間寺"(敵討札所の霊験) |
醍醐水 |
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2004 |
淀:水車 |
みずぐるま |
熱海 (他 東京6件, 上方5件) 全12件6題 |
伏見区淀本町あたり |
淀城は明治維新で破壊された.名所絵に描かれた淀川に面した水車の風景もなくなった.写真のように,移転前の淀駅からは,淀城の石垣や堀に置かれたミニ水車を見ることができた.
"淀の川瀬の水車てえのはありますが、淀の川瀬のおひや車てえのは有りません"(熱海土産温泉利書) |
淀城石垣 |
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2008 |