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新潟県   
はなしの名どころ
後の業平文治(あらすじ)
敵討札所の霊験(あらすじ)
 文治は支度そこそこ獵師の家を立去りまして、三俣へ二里半、八木澤の關所、荒戸峠の上下二十五丁、湯澤、關宿(せきじゅく)、鹽澤より二十八丁を經て、六日町へ着しました。其の間凡そ九里何丁、道々も手掛りの樣子を聞きつゝまゐりますこと故、なかなか捗取りませぬ。
 (三遊亭金馬(1) 「後の業平文治」)
  鈴木行三編,『圓朝全集』 第四巻,春陽堂 (1927)


地点名 出典と登場回数 位 置 備 考 写真と撮影年月
越後 えちご 牡丹, 札所, 鰍沢二 など (他 東京62件, 上方7件) 全82件51題 新潟県 佐渡国,東蒲原郡を除く新潟県の旧国名.
"その内においおい戦が鎮まって、とりこの者などは函館から越後へ送られるもあり"(蝦夷なまり)
     
浅貝 あさかい 伊香保, 後の文治 全2件2題 南魚沼郡湯沢町三国浅貝 三国三宿のひとつ.開発が著しい.本陣を称するホテルがある.
"ええ、もう向こうへ浅貝が見えます、それからたった二里八丁、今までのような山阪ではござりません"(後の業平文治)
旧三国街道 0110
火打坂 ひうちざか 後の文治 全1件1題 南魚沼郡湯沢町三国 三国小あたりが火打峠で標柱もある.確かに二居から緩く昇っており,トンネルの内部で浅貝に向けて下り始める.
"火打坂と申す所へ来かかりますと、向こうから一人の旅人、物をもいわずすれ違いました。文治は心にも懸けずやり過しましたが、二三丁まいりますと、一人の旅人が素ッ裸体で杉の樹にくくり付けられ"(後の業平文治)
火打峠あたり 0110
二居 ふたい 後の文治 全1件1題 南魚沼郡湯沢町三国二居 慶応4(1868)年に焼失し,すぐ再建した本陣富澤旅館が正面に見える.
"文治は二居までに峠はあるまいと思いますと、この二里八丁の路は山ばかりで中々登るに骨が折れます"(後の業平文治)
二居宿 0110
二居峠 ふたいとうげ 後の文治 全1件1題 南魚沼郡湯沢町三国二居 二居から急坂を登った平坦地.三国峠や浅貝から芝原までは一列に並んでいるので,バスを活用すれば1日で何とかこなせる範囲にある.
"この間まで二居峠、中の峰の寺に居りやしたそうで、これをその先頃当所で海賊を退治しやした江戸の剣術の先生が聞きつけやしてな"(後の業平文治)
二居峠から南を望む 0110
二居ヶ峰 ふたいがみね 後の文治 全1件1題 南魚沼郡湯沢町か "二居ヶ峰の中ノ峰"とあるが,漠然としていて不明.また,このあたりに寺はなく,貝掛に庚申塔が数基あるのみ.
"金を取りに来やァしませんが、火打坂や二居ヶ峰あたりで、旅人を殺したり追剥をしたりしちゃァここまで来て、真夜中に泊めてくれといって時々戸を叩くでがす"(後の業平文治)
     
中ノ峰 なかのみね 後の文治 全1件1題 南魚沼郡湯沢町か 二居峠の北の中の峠が近い名前だが,中ノ峰は不明.中の峠には茶屋があったが,新道ができて大正期に山を下りた.設定では中ノ峰に熊の穴がある.
"こちらは信州二居ヶ峰、中ノ峰の谷間の熊の穴に落ちましたお町が成行でございます"(後の業平文治)
中の峠 0110
三俣 みつまた 後の文治 全1件1題 南魚沼郡湯沢町三俣 三俣宿脇本陣だった池田家は現在も旅館.裏に防火,消雪用の湧水池を持つ.
"二居ヶ峰の中の峰より二里半、三俣という所まで来ますると、宿はずれに少しばかり家はござりますが、いずれも門の戸をたてきって焚火をして居ります様子"(後の業平文治)
三俣宿脇本陣池田家 0110
八木沢 やぎさわ 後の文治 全1件1題 南魚沼郡湯沢町三俣八木沢 「後の業平文治」に八木沢の関所と書かれた口留番所は清津川のそばで,三俣宿からは徒歩圏.案内標柱はあるが現地に表示はない.
"文治は支度そこそこ猟師の家を立ち去りまして、三俣へ二里半、八木沢の関所、荒戸峠の上下二十五丁、湯沢、関宿、塩沢より二十八丁を経て、六日町へ着しました"(後の業平文治)
八木沢口留番所標柱 0110
荒戸峠 あらどとうげ 後の文治 全1件1題 南魚沼郡湯沢町 荒戸(あらと)はもっと湯沢寄りの集落名.土地の人も荒戸峠とは呼ばないとのこと.芝原峠の南に荒戸城址がある.
"文治は支度そこそこ猟師の家を立ち去りまして、三俣へ二里半、八木沢の関所、荒戸峠の上下二十五丁、湯沢、関宿、塩沢より二十八丁を経て、六日町へ着しました"(後の業平文治)
芝原峠を望む 0110
湯沢 ゆざわ 後の文治 全1件1題 南魚沼郡湯沢町湯沢 駅東口北の川端康成の雪国碑は,雪の時期はカバーがかかる.高半ホテルは『雪国』執筆の地.ここから市街を望んだ.
"文治は支度そこそこ猟師の家を立ち去りまして、三俣へ二里半、八木沢の関所、荒戸峠の上下二十五丁、湯沢、関宿、塩沢より二十八丁を経て、六日町へ着しました"(後の業平文治)
湯沢を望む 0402
せき 後の文治 全1件1題 南魚沼市(旧南魚沼郡塩沢町関) 「後の業平文治」にある関宿(せきやど)の読みは疑問.春陽堂版には"せきじゅく"とある.
"文治は支度そこそこ猟師の家を立ち去りまして、三俣へ二里半、八木沢の関所、荒戸峠の上下二十五丁、湯沢、関宿、塩沢より二十八丁を経て、六日町へ着しました"(後の業平文治)
0008
塩沢 しおざわ 後の文治 全1件1題 南魚沼市(旧南魚沼郡塩沢町) 『北越雪譜』の作者鈴木牧之の生誕地であり,苧織物越後上布,塩沢紬の産地.
"文治は支度そこそこ猟師の家を立ち去りまして、三俣へ二里半、八木沢の関所、荒戸峠の上下二十五丁、湯沢、関宿、塩沢より二十八丁を経て、六日町へ着しました"(後の業平文治)
鈴木牧之句碑 0402
六日町 むいかまち 後の文治 全1件1題 南魚沼市(旧南魚沼郡六日町) 六日町あたりで紬の雪晒しが行われる.NHK大河ドラマ,直江兼続の出身地.合併して南魚沼市となったため,写真の看板は別のものになってしまった.
"夕景ようやく六日町に着しますと、松屋仙次郎という商人宿がございます"(後の業平文治)
六日町駅頭 0008
川口 かわぐち 札所 全2件1題 長岡市(旧北魚沼郡川口町) 川が出会うように,上越線から飯山線が分岐する地点だが,駅周辺は寂しい限り.列車の待ち時間が辛かった.
"水司又市の永禅和尚、かの川口の薬師堂に寺男になって居ると、尼様に寺男が御経を教えて居る、あれは寺男が本当の坊主の果で有ろうと段々噂が高くなり"(敵討札所の霊験)
魚野川と信濃川合流点 0909
長岡 ながおか 後の文治, 名人く (他 東京1件) 全3件3題 長岡市 山本五十六と河合継之助の出身地.駅前の長岡城址には碑しかない.
"私が越後へまいりました時に、長岡で桶良という人が拵えた桶を買ってまいりましたが、その桶は三角の、丈の短い茶盆になるもので"(名人くらべ)
長岡城址 9903
信濃川 しなのがわ 後の文治 全1件1題 新潟県 上流は犀川,千曲川と呼ぶ.新潟県を北流する.長岡〜新潟間の通船の場面が登場.新潟駅のある沼垂側から万代橋を渡れば,本来の新潟.
"これから船で十六里、長岡へ着きまして、それからまた船で十五里、信濃川を下って新潟へ着くのでございます"(後の業平文治)
万代大橋 9807
新潟 にいがた 札所, 後の文治, 鰍沢二 など (他 東京14件, 上方1件) 全26件23題 新潟市 「業平文治」は新潟から海賊船に同乗し小笠原へ漂流する.地獄極楽小路は料亭行形亭(いきなりや)と旧新潟刑務所の赤レンガ塀との間.
"この間新潟の者の話に、海賊の大将が沖にいて、その子分達が女や金を奪って持ち運ぶとかいうことで"(後の業平文治)
地獄極楽小路 0809
新潟:古町 ふるまち 後の文治, 鰍沢二 全2件2題 新潟市古町通 新潟の中心繁華街,古町通.「後の業平文治」には,古手町とあるが古町のことだろう.通りを挟む2本の堀割は埋められて久しいが,堀があったことは地図からもわかる.
"さて文治はようやく新潟に着きまして、古手町秋田屋清六方へ泊り"(後の業平文治)
古町通アーケード 0104
飯柳新田 いやなぎしんでん 蝦夷な 全1件1題 新潟市(旧新津市飯柳) 浄明寺の所在地.現在は飯柳.
"年の若い方はこれも越後国井柳新田藤井村の浄明寺"(蝦夷なまり)
     
浄明寺 じょうみょうじ 蝦夷な 全1件1題 新潟市(旧新津市飯柳158) 浄土真宗本願寺派.東新津駅から近い.そこここに石油汲み出しのポンプ櫓がコクンコクンと動いていた.
"井柳新田浄明寺のお弟子で、藤井孝立様と申されます"(蝦夷なまり)
浄明寺 9003
庄ヶ宮 しょうがみや 蝦夷な 全1件1題 阿賀野市(旧北蒲原郡水原町庄ヶ宮) 淵龍寺の所在地.
"年をとった方は越後国北水原庄が宮村の淵龍寺"(蝦夷なまり)
     
淵龍寺 えんりゅうじ 蝦夷な 全1件1題 阿賀野市(旧北蒲原郡水原町庄ヶ宮203-1) 曹洞宗.水原駅から2km.浄明寺からも遠くない.
"越後国北水原庄が宮村の淵龍寺の大磯和尚という方のお弟子で、井上恵照様と申し"(蝦夷なまり)
淵龍寺 9003
村上 むらかみ 牡丹, 牡丹(覚書) (他 東京1件) 全4件2題 村上市 臥牛山上に立つ.御鐘門跡,石垣が残る.村上駅からはレンタサイクルが便利.
"孝助は、主人の仇なる宮野辺源次郎お国の両人が、越後の村上へ逃げ去りましたとのことゆえ、跡を追って村上へまいり、諸方を詮議致しました"(怪談牡丹燈籠)
村上城址 0004
佐渡 さど 後の文治, 初島, 文晁 (他 東京22件, 上方7件) 全32件30題 佐渡市 2004年に町村合併した.道遊の割戸は金山の露天掘跡.宗太夫坑は観光鉱山になっている.バスの便はないので,途中に整備された奉行所跡,露天掘りの道遊の割戸,水替人足墓など見どころはあるが,2時間歩くことになる.
"文治の漂い着きました無人島は、佐渡を離れること南へ何百里でございますか、島の大きさもしかとは分りませぬ"(後の業平文治)
道遊の割戸 0004
佐渡:塚原 つかはら 蓮華 (他 東京7件) 全8件3題 佐渡市(旧新穂村大野) 日蓮配流地.根本寺戒壇塚は三昧堂のあとと言われる.
"名どころ"では,もう1つの説である妙満寺を掲載した.
"これからまた末は小湊の誕生寺から清水から、あれへ廻りまして佐渡の塚原までもお参りがしたいと存じます"(火中の蓮華)
根本寺戒壇塚 0004
椎谷 しいや 鰍沢二 全1件1題 柏崎市椎谷 椎谷陣屋跡は椎谷の高台,稲荷神社のそばにあるが,かなりわかりにくい.
"新潟から二人連れで駆落をいたし、椎谷柏崎の下海道から信州善光寺を志して"(鰍沢二席目)
椎谷陣屋跡 0104
柏崎 かしわざき 鰍沢二 全1件1題 柏崎市 「名人くらべ」描く大塩平八郎の乱.幕府は大坂の反乱が地方に飛び火するのを恐れていたところ,その年の6月に柏崎で生田万(いくたよろず)が乱を起こした.大塩門弟を称し,柏崎代官所を襲った.その墓は,柏崎小学校のそば(柏崎市学校町1).
"新潟から二人連れで駆落をいたし、椎谷柏崎の下海道から信州善光寺を志して"(鰍沢二席目)
生田万の墓 0110
水沢 みずさわ 札所 全1件1題 十日町市 十日町南部の信濃川沿い.なぜ,この地名を織り込む必要があったか疑問.
"高田を横に見て、岡田村から水沢に出まして、川口と云う所に幸い無住の薬師堂が有ると云うので"(敵討札所の霊験)
JR 越後水沢駅 9807
倉下 くらげ 札所 全1件1題 上越市(旧東頸城郡牧村倉下) "くらげ"ではなく,"くらした"が正しい.番所があり「敵討札所の霊験」の信州桑名川へ抜けられたというが,重要地名とは思えない.
"川口を去って越後から倉下道を山越をして信濃路へ掛って、葉広山の根方を通り掛ると"(敵討札所の霊験)
倉下 9807
岡田 おかだ 札所 全1件1題 上越市(旧中頚城郡三和村岡田)あたり 関川〜水沢間というだけでは精査が困難.おそらく,高田から東へ切れた松之山街道沿いの岡田を指すだろう.
"それより越後の国関川へ出て、高田を横に見て、岡田村から水沢に出まして"(敵討札所の霊験)
岡田 9807
高田 たかだ 札所, 後の文治 (他 東京3件) 全7件4題 上越市の高田地区 高田藩の城下町.高田城には内堀と本丸土塁が残る.三重櫓は復元されたもの.
"これから先ず高田へ来ましたのは、水司又市は以前高田藩でございますから、若しも隠れて居りはせぬかと、高田中を歩きましたが、少しも心当りがございません"(敵討札所の霊験)
高田城 9807
今町 いままち 札所 全3件1題 上越市の直江津地区 直江津の港町.明治に直江津と改称.説教節「さんせう太夫」の安寿姫と厨子王供養塔は海沿いの中央3にある.
"それは高いじゃアないか、越後の今町では眼の下三尺ぐらいの鯛が六十八文で買える"(敵討札所の霊験)
安寿姫と厨子王供養塔 9807
松崎 まつがさき 鰍沢二 全1件1題 上越市(旧中頸城郡中郷村松崎) 北国街道の宿場.
"そんなら松ヶ崎か関山へお泊んなさればよかったに、これから峠をお越しなさるのは四ツ半に成りましょう"(鰍沢二席目)
松崎バス停 9807
関山 せきやま 鰍沢二 全1件1題 妙高市(旧中頸城郡妙高村関山) 関山神社(関山4804)境内には夜具石の他に座禅石や仏足石がある.「鰍沢二席目」は,以後長野県に入り野尻に至る.
"そんなら松ヶ崎か関山へお泊んなさればよかったに、これから峠をお越しなさるのは四ツ半に成りましょう"(鰍沢二席目)
関山神社 夜具石 9807
関川 せきかわ 札所 全1件1題 妙高市(旧中頸城郡妙高高原町関川) 関川(せきがわ).長野県との県境.関川関所跡は観光用の展示館となっている.
"信州松本に出まして、稲荷山より野尻、それより越後の国関川へ出て、高田を横に見て"(敵討札所の霊験)
関川関所跡 9807

掲載 021227/最終更新 150816

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