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人情噺・長編落語 雑誌・新聞        演者順
あけがらすゆきよのはなし  明烏雪夜の話,文芸倶楽部, 4(9) (1898)
あだうちほんかい  仇討本懐,文芸倶楽部, 32(8) (1926)
あねのて   姉の手,文芸倶楽部, 20(14) (1914)
あべかわらかぜのあだなみ  阿部磧風の仇浪,娯楽世界, 7(5) (1919)
ありまつしぼり  有松しぼり,講談倶楽部, 2(5) (1912)
ありまつしぼり  有松絞り,楽天パック, 2(16)〜(17) (1913)
ありまつやのみよきち  有松屋の美代吉,実話講談の泉, 2(12) (1949)
ありまつやみよきち  有松屋美代吉,文芸倶楽部, 16(10) (1910)
ありまつやみよきち  有松屋美代吉,娯楽世界, 8(8) (1920)
ありまみやげちよのわかまつ  有馬土産千代の若松,諸芸新聞, (42)〜(55) (1881)
あわたぐち   粟田口,娯楽世界, 2(7) (1914)
あんまそうえつごろし  按摩宗悦殺し,文芸倶楽部, 35(9) (1929)
あんまのこうじ  按摩の幸次,文芸倶楽部, 29(5) (1923)

いかけまつ   鋳掛松,演芸倶楽部, 1(8) (1912)
いちまつおむら  市松おむら,文芸倶楽部, 14(14) (1908)
いまどごにんぎり  今戸五人切,百花園, (72)〜(73) (1892)
いわでぎんこうちしおのてがた  岩出銀行 血汐の手形,東錦, (3) (1892)

うめわかしちべえ  梅若七兵衛,人情世界, 5(2) (1900)
うめわかしちべえ  梅若七兵衛,演芸倶楽部, 3(4) (1913)
うらみのふりそで  恨みの振袖,週刊朝日, 6(1) (1924)

えじまや   江嶋屋,文芸倶楽部, 13(14) (1907)
えどむすめ   江戸娘,文芸倶楽部, 17(2) (1911)
えどむすめおそで  江戸娘お袖,講談落語界, 10(10) (1921)
えんめいぶくろ  延命袋,講談倶楽部, 2(5) (1912)
えんわいなもの  縁は異なもの,都にしき, (4)〜(5) (1896)

おうめくめさぶろううらみのきんちゃく  おうめ粂三郎恨の巾着,講談雑誌, 1(7)〜1(8) (1915)
おえんのゆうまい  お艶の勇邁,時事新報 (1909) new
おおくぼそがほまれのあだうち  大久保曾我誉廼仇討,百花園, (1)〜(13) (1889)
おおべらぼう  大篦棒,講談雑誌, 3(3) (1917)
おおべらぼう  大べら棒,文芸倶楽部, 30(15) (1924)
おかやまきぶんふでのいのちげ  岡山紀聞筆の命毛,芳譚雑誌, (201)〜(264) (1881〜82)
おくにげんじろう  お国源次郎,文芸倶楽部, 32(8) (1926)
おさんのもり   おさんの森,冨士, 7(8) (1934)
おしょうじろう  和尚次郎,講談雑誌, 2(1) (1916)
おしょうじろうこころのいがぐり  和尚次郎心の毛毬栗,百花園, (79)〜(84) (1892)
おたみあっぱれ  お民天晴れ,文芸倶楽部, 32(6) (1926)
おたみのていそう  お民の貞操,時事新報 (1909) new
おちょうのあだうち  お蝶の仇討,時事新報 (1909) new
おぬいのひ   お縫の火,文芸倶楽部, 13(14) (1907)
おぬいのひ   お縫の火,文芸倶楽部, 20(14) (1914)
おぬいのひ   お縫の火,娯楽世界, 10(7) (1922)
おぬいのひ   お縫の火,我か家, (222) (1935)
おはつとくべえ  お初徳兵衛,新演芸, (3) (1946)
おはなくめのすけ  阿花粂之助,文芸倶楽部, 14(6) (1908)
おはらめばしご   大原女梯子,講談雑誌, 20(5) (1934)
おふくねこ   お福猫,講談雑誌, 3(9) (1917)
おまつごてん  お松御殿,文芸倶楽部, 18(9) (1912)
おみねころし  お峰ころし,文芸倶楽部, 32(8) (1926)
おやごころ   親ごころ,娯楽世界, 9(10) (1921)
おわかこうきち  おわか幸吉,娯楽世界, 13(1)〜13(9) (1925)
おんりょうふうじ  怨霊封じ,娯楽世界, 9(7) (1921)

かいきのこうもり  海気の蝙蝠,百花園, (31)〜(40) (1890)
がいこつおまつ  骸骨於松,毎日新聞 (1897)
かいだんうきふね  怪談 浮船,百花園, (67)〜(78) (1892)
かいだんつきのかさもり  怪談月の笠森,娯楽世界, 12(10) (1924)
かいだんなにわのうめ  魁談難波の梅,百花園, (8)〜(12) (1889)
かいだんぼたんどうろう  怪談牡丹燈籠,毎夕新聞 (1910) new
かいだんぼたんどうろう  怪談牡丹燈籠,講談雑誌, 5(13)〜7(2) (1919〜21)
かいだんまいごふだ  怪談迷子札,娯楽世界, 10(10) (1922)
かいだんまついだじゅく  怪談松井田宿,文芸倶楽部, 11(9) (1905)
かごしまだんし  鹿児島男子,文芸倶楽部, 29(14) (1923)
かごのかい   駕籠の怪,文芸倶楽部, 32(14) (1926)
かごのゆめ   駕籠の夢,文芸倶楽部, 15(14) (1909)
かごのゆめ   駕籠の夢,文芸倶楽部, 35(9) (1929)
かさねがふち   累ヶ淵(上),文芸倶楽部, 16(14) (1910)
かさねがふち   累ヶ淵(下),文芸倶楽部, 16(14) (1910)
かさねがふち   累ヶ淵,文芸倶楽部, 34(10) (1928)
かさねものがたり  累物語,講談倶楽部, 2(5) (1912)
かさねよえもん  累与右衛門,娯楽世界, 5(10) (1917)
かさもりおせん  笠森おせん,娯楽世界, 10(7) (1922)
かたおもいこいのねたば  片思恋嫉刃,ことばの花, (14) (1892)
かたきどうし  讐同志,文芸倶楽部, 32(14) (1926)
かたてや   片手屋,文芸倶楽部, 20(10) (1914)
かちょうのつけび  花鳥の放け火,講談雑誌,18(11) (1932)
かなせいだんこいのあぜくら  仮名政談恋畔倉,毎日新聞 (1898)
かみがたしばい  上方芝居,文芸倶楽部, 23(6) (1917)
かみきり   髪切,東錦, (14) (1892)
からんころん  カランコロン,文芸倶楽部, 32(8) (1926)
かわやなぎうじのむらさめ  川柳宇治の村雨,百花園, (23)〜(25) (1890)
がんきろうきゆう  巌亀楼亀遊,文芸倶楽部, 6(10) (1900)
がんたんのかいだん  元旦の快談,百花園, (41)〜(44) (1891)

きえんのちがたな  奇縁の血刀,東錦, (20) (1893)
きくもようさらやまきだん  菊模様皿山奇談,講談落語界, 1(1)〜3(xx) (1913-14)
きはちたばこ  喜八莨,百花園, (18)〜(29) (1890)
きょうかくこがねいざくら  侠客小金井桜,毎日新聞 (1898)
きょうかくなりひらぶんじ  侠客業平文次,時事新報 (1905) new
きょうがのこちぞめのふりそで  京鹿子血染振袖,人情世界, (1)〜(5) (1896)
きょくげいし  曲芸師,講談倶楽部, 10(7)〜10(9) (1920)

くまがいづつみのどくし  熊谷堤毒死,講談雑誌,21(4) (1935)
くりはしじゅく  栗橋宿,文芸倶楽部, 15(14) (1909)
くるわのたてひき  廓の達引,講談雑誌, 3(12) (1917)
くるわぶんこ  廓文庫,百花園, (43)〜(53) (1891)
くるわぶんこありわら  廓文庫在原,文芸倶楽部, 6(10) (1900)
くれのかねゆきのもりした  暮鐘雪森下,やまと新聞附録 (1889〜90)
くろくもおたつゆめのうきはし  黒雲お辰 夢の浮橋,文芸倶楽部, 6(6) (1900)
くろもじけんぎょう  楊子検校,冨士, 7(7) (1934)

けいせいたきがわ  傾城瀧川,講談倶楽部, 2(5) (1912)

こいぎぬものがたり  恋衣物語,娯楽世界, 12(6) (1924)
こいのもつれ  恋のもつれ,文芸倶楽部, 21(6) (1915)
こいむすめむかしはちじょう  恋娘昔八丈,文芸倶楽部, 6(6) (1900)
こうしのかがみ  孝子の鑑,文芸倶楽部, 21(14) (1915)
こうしまつたろう  孝子松太郎,講談倶楽部, 12(9) (1922)
こうじょおさと  孝女お里,時事新報 (1909) new
こうじょおさと  孝女お里,文芸倶楽部, 15(9) (1909)
こうじょおちょう  孝女おてふ,講談倶楽部, 12(3) (1922) new
こうていにようのまつ  孝貞二葉松,東錦, (17) (1893)
こがねいざくら  小金井桜,華の江戸, (3)〜(5) (1896)
こがねのたきもの  〓[こがね]の薫物,東錦, (16) (1893)
こごろしじぞう  子殺し地蔵,娯楽世界, 6(6) (1918)
こごろしじぞう  子殺し地蔵,週刊朝日, 6(20) (1924)
こじきのはなよめ  乞食の花嫁,冨士, 9(12) (1927)
こしもとおうめ  腰元お梅,文芸倶楽部, 22(14) (1916)
ごしょぐるまはなごろう  御所車花五郎,文芸倶楽部, 19(6) (1913)
こすずめかんのんどうのゆらい  小雀観音堂の由来,娯楽世界, 13(12) (1925)
ごぜごろし   瞽女殺し,都にしき, (6) (1896)
こぞこんや   去年今夜,娯楽世界, 8(6) (1920)
こだから   子宝,文芸倶楽部, 14(6) (1908)
こっけいいせさんぐう  滑稽伊勢参宮,新百千鳥, 2(1)〜2(5) (1897)
こどものて   子供の手,娯楽世界, 5(10) (1917)
こねずみきちごろう  小鼠吉五郎,やまと新聞附録 (1891)
こはだこへいじ   こはだ小平次,文華, 1(9) (1903)
こむらさきごんぱち  小紫権八,文芸倶楽部, 6(10) (1900)
こめつきのはなよめ  米搗の花嫁,文芸倶楽部, 22(6) (1916)
こんれいば   婚礼場,文芸倶楽部, 20(14) (1914)
こんれいば   婚礼場,文芸倶楽部, 32(14) (1926)

さいかいや   西海屋,文芸倶楽部, 19(14) (1913)
さいかいやそうどう  西海屋騒動,毎日新聞 (1897)
さってつつみおみねごろし  幸手堤お峰殺し,サンデー毎日, 1(16) (1922)
さとのゆきとけてはなよめ  廓雪解花嫁,文芸倶楽部, 22(6) (1916)
さよごろも   小夜衣,やまと新聞附録 (1891)
ざんぎりおたき  散切お滝,文芸倶楽部, 17(14) (1911)
ざんぎりおたき  ざん切お瀧,講談世界, 5(9) (1918)
ざんぎりおたきかいかのすがたみ  散髪お瀧開化の姿見,百花園, (30)〜(37) (1890)
さんだいつづきつばめのくちべに  三題続燕口紅粉,東京絵入新聞 (1887)
さんだいばなしかいかのうつしえ  三題噺怪化写絵,東京絵入新聞 (1887)
さんだいよわ  三題余話,東京絵入新聞 (1887)
さんにんむすめ  三人娘,やまと新聞附録 (1893)

しおばらたすけ  塩原多助,農業世界, 8(1) (1912)
しおばらたすけのおいたち  塩原多助の生立,実業少年, 5(6) (1911)
しおばらのおんりょう  塩原の怨霊,文芸倶楽部, 19(14) (1913)
しきぶやおむら  式部屋おむら,文芸倶楽部, 20(6) (1914)
ししょうのしっと  師匠の嫉妬,文芸倶楽部, 24(10) (1918)
じぞうのそうどう   地蔵の騒動,講談雑誌, 20(5) (1934)
しちへんげしらなみこさん  七変化白波小三,諸芸新聞, (56)〜(82) (1882)
じっせつてんいちぼう  実説天一坊,やまと新聞附録 (1890〜91)
じっせつやまとおうらい  実説倭往来,やまと新聞附録 (1892)
しのぶがおかかがやきぶん  忍ヶ岡加賀屋奇聞,東錦, (9) (1892)
しのぶがおかこいのはるさめ  忍ヶ岡恋の春雨,東錦, (14) (1892)
しまちどり   島千鳥,百花園, (120)〜(147) (1894〜95)
しゅうおもい  主思ひ,文芸倶楽部, 31(3) (1925)
しょうじきせいべえ  正直清兵衛,文芸倶楽部, 13(10) (1907)
しょうじきやすべえかんのんぎょう  正直安兵衛観音経,花筺, (14)〜(17) (1890)
じょうしゅうおりこころのあやいと  上州機心綾絲,都にしき, (2)〜(9) (1896)
しょうちくばいついのしまだい  松竹梅対の島台,文芸倶楽部, 33(2) (1927)
しらなみ   白浪,講談倶楽部, 2(7) (1912)
しろこやせいだん  白子屋政談,百花園, (150)〜(175) (1895〜96)
しんけいかさねがふち  真景累ヶ淵,講談倶楽部, 18(10) (1928)
しんちゅうのむし  身中の虫,やまと新聞 (1894)

すしやのにかい  寿司屋の二階,文芸倶楽部, 32(14) (1926)
すずめのばけもの  雀の化物,文芸倶楽部, 22(10) (1916)
すてまる   捨丸,文芸倶楽部, 17(06) (1911)
すてまるのゆらい  捨丸の由来,講談雑誌, 3(10) (1917)

せいぜん   性善,文芸倶楽部, 3(16) (1897)
せいだんつきのかがみ  政談月の鏡,文芸倶楽部, 5(2) (1899)
せいわぜん   性は善,百花園, (115)〜(116) (1894)
ぜんあくふたすじみち  善悪二た筋道,戦友, (300) (1935)
せんだいや   仙台屋,文芸倶楽部, 13(14) (1907)

そうえつごろし  宗悦殺し,文芸倶楽部, 32(14) (1926)
そうちょうよだん  双蝶余談,百花園, (28)〜(33) (1890)
そこつのしゅっさん   粗忽の出産,講談雑誌, 20(5) (1934)
そでがうらなみじのみずがみ  袖ヶ浦浪路廼水髪,百花園, (2)〜(26) (1889〜90)
そめわけたづな   染分手綱,文芸倶楽部, 13(14) (1907)

たかもり   隆盛,講談雑誌, 4(9) (1918)
だっきのおまつ  姐妃のお松,娯楽世界, 10(8) (1922)
たつみのおなか  辰巳のお仲,文芸倶楽部, 18(6) (1912)
たつみはっけい  辰巳八景,娯楽世界, 9(10) (1921)

ちきりいせや  〓[ちきり]伊勢屋,百花園, (96)〜(113) (1893〜94)
ちじょうのまよい  痴情の迷,百花園, (45)〜(46) (1891)
ちぶさえのき  乳房榎,文芸倶楽部, 13(14) (1907)
ちぶさのえのき  乳房の榎,文芸倶楽部, 34(10) (1928)

つきぬえん   尽きぬ縁,新百千鳥, (14)〜(16) (1896)
つづきばなしやなぎのいとすじ  続噺柳糸筋,東京絵入新聞 (1887)

ていじょのあだうち  貞女の仇討,新百千鳥, (7)〜(12) (1896)
てんなせいだん  天和政談,百花園, (102)〜(109) (1893)

とおだんご   十談語,百花園, (77)〜(82) (1892)
とけいのばいかい  時計の媒介,講談倶楽部, 2(10) (1912)
とよしがのおんりょう  豊志賀の怨霊,文芸倶楽部, 35(9) (1929)
とんだやそうきち  富田屋惣吉,百花園, (83)〜(88) (1892)

ながさきのまつごろう  長崎の松五郎,講談倶楽部, 2(12) (1912)
ながしぶえ  流し笛,講談倶楽部, 31(4) (1941)
なかむらたかじゅうろう  中村鷹十郎,文芸倶楽部, 29(9) (1923)
ながれのしらたき  流の白滝,文芸倶楽部, 27(2) (1921)
なつのむし   なつの虫,やまと新聞 (1893〜94)
なつやなぎよわのふせやな  夏柳夜半伏魚梁,やまと新聞附録 (1888)
なりひらぶんじ  業平文治,時事新報 (1927) new
なるかみおきんのはなし  鳴神阿金の譚,諸芸新聞, (28)〜(34) (1881)

にくづきのめん  肉附の面,娯楽世界, 7(6) (1919)
にしのうみなみのたかもり  西海浪隆盛,文芸倶楽部, 14(14) (1908)
にたりのせんた  荷足の仙太,講談倶楽部, 12(9) (1923)
ににんもへえ  二人茂兵衛,都にしき, (7)〜(9) (1896)

ぬかみそおけ  糠味噌桶,娯楽世界, 14(8) (1926)
ぬれがみおしづ  濡髪おしづ,文芸倶楽部, 21(6) (1915)
ぬれがみおしづ  濡髪おしづ,娯楽世界, 12(10) (1924)

ねぎしのあまやど  根岸の雨宿,講談雑誌, 3(12) (1917)
ねことこばん  猫と小判,娯楽世界, 13(10) (1925)
ねことねずみ  猫と鼠,百花園, (220) (1899) new

のじのたまがわ  野路の玉川,伊勢新聞 (1907)
のちのなりひらぶんじ  後の業平文治,時事新報 (1903) new
のちのふなとく  後の船徳,文芸倶楽部, 18(6) (1912)
のとななおあまでらのゆらい  能登七尾尼寺の由来,百花園, (60)〜(63) (1891)

はこだてさんにんしんじゅう  函館三人情死,百花園, (47)〜(62) (1891)
はこだてさんにんしんじゅう  函館三人心中,文芸倶楽部, 14(14) (1908)
はたもとごにんおとこ  旗本五人男,毎日新聞 (1897)
はなぐもりなかもよいつき  花曇中も宵月,百花園, (1)〜(21) (1889〜90)
はなくらべげいぎのまこと  花鏡芸妓誠,諸芸新聞, (45)〜(53) (1881)
はなしかひとりたび  噺家一人旅,新百千鳥, (11)〜(15) (1896)
はなむこのうらみ  花婿の怨,文芸倶楽部, 25(14) (1919)
はまぐりすいもの  蛤吸物,サンデー毎日, 8(29) (1929)
はらなかのいっけんや  原中の一軒家,講談落語界, 9(1) (1920)
はるなのうめがか  榛名の梅ケ香,講談落語界, 7(xx)〜9(xx)か (1918-20か)
はるなのとりもの  榛名の捕物,文芸倶楽部, 23(14) (1917)
はるみじょうすけ  春見丈助,娯楽世界, 13(5) (1925)

びじんのいきうめ  美人の生埋,文芸倶楽部, 30(14) (1924)
ひとくどりおうた  人来鳥お歌,文芸倶楽部, 17(2) (1911)
ひとつやのかいば  一つ家の怪婆,冨士, 7(9) (1934)
ひなぎぬじぞうのゆらい  雛衣地蔵の由来,娯楽世界, 12(3) (1924)
ひゃくまんちょうじゃ  百万長者,文芸倶楽部, 26(4) (1920)
ひょうりゅうきだんなりひらぶんじ  漂流奇談業平文治,講談雑誌, 12(5)〜13か (1926〜27か)

ふうきり   封切り,講談倶楽部, 13(10) (1923)
ふうじぶみこぼりのみずぐき  封文小堀水茎,やまと新聞附録 (1894)
ふかがわたつみきだん  深川辰巳奇談,ことばの花, (13) (1892)
ふかみどりいそのまつかぜ  深緑磯の松風,東錦, (5) (1892)
ふくろいんきょのぎとく  袋隠居の義徳,娯楽世界, 12(6) (1924)
ふくろくじゅいわいのさかずき  福禄寿祝盃,文芸倶楽部, 23(2) (1917)
ふなとく   舟徳,文芸倶楽部, 6(12) (1900)
ふろがまぬき   風呂釜抜き,講談雑誌, 20(5) (1934)
ぶんやごろし  文弥殺し,文芸倶楽部, 21(10) (1915)
ぶんやごろし  文弥殺し,娯楽世界, 6(6) (1918)

べんてんおくめ  弁天お粂,講談世界, 2(13) (1913)
べんてんこうじのせんきち  弁天小路の仙吉,東錦, (26),(27) (1893)

ほうらくのまい  法楽舞,文芸倶楽部, 15(2) (1909)
ほっこくきだんうめのたいぼく  北国奇談 梅の大木,東錦, (7),(12) (1892)

まいごふだ   迷子札,ことばの花, (11) (1892)
まいごふだ   迷子札,文芸倶楽部, 17(6) (1911)
またあうはる  温故知新,諸芸新聞, (58)〜(70) (1882)
またかのおせき  またかのお関,文芸倶楽部, 17(14) (1911)
まつえだじゅくのこごろし  松枝宿の子殺し,百花園, (23) (1890)
まつやまいよのかみ  松山伊予守,大法輪, 3(7) (1936)
まよいごのうた  迷子の唄,奇譚, 1(11) (1939)

みうらやあげまき  三浦屋揚巻,文芸倶楽部, 6(10) (1910)
みえたかじんべえ  見えたか甚兵衛,文芸倶楽部, 23(10) (1917)
みかづきじろきち  三日月次郎吉,人民 (1904)
みさおのこぼくほりえのくみわけ  操古木堀江汲分,百花園, (28)〜(40) (1890)
みめぐり   三めぐり,娯楽世界, 3(1) (1915)
みやのこしけんぎょう  宮の越検校,華の江戸, (11) (1897)
みやのこしけんぎょう  宮の越検校,文芸倶楽部, 15(14) (1909)
みょうぜんごろし  妙善殺し,娯楽世界, 9(6) (1921)

めいじしらなみざんぎりおたき  明治白浪散切お瀧,サンデー毎日, 18(7)〜(11)(13)〜(15) (1939)
めいしょうひだりじんごろう  名匠左甚五郎,サンデー毎日, 19(6)〜(9) (1940)
めいじんちょうじ  名人長次,文芸倶楽部, 15(2) (1909)
めいじんちょうじ  名人長次,講談雑誌, 1(1)〜1(6) (1915)
めいじんちょうじ  名人長二,東京, 2(8) (1925)
めいじんちょうじ  名人長次,講談雑誌, 12(7) (1926)

ももたろうだんご  桃太郎団子,新百千鳥, 2(3) (1897)

やくしゃさんめんかがみ  役者三面鏡,娯楽世界, 3(6) (1915)
やっこかつやま  奴勝山,文芸倶楽部, 6(10) (1900)
やどやのゆうれい   宿屋の幽霊,講談雑誌, 20(5) (1934)
やなぎしまのりょう  柳島の寮,文芸倶楽部, 32(8) (1926)
やなぎのいとすじ  柳乃糸筋,百花園, (13)〜(22) (1889〜90)

ゆうてんこぞう  祐天小僧,百千鳥, (10)〜(21) (1890)
ゆうれいのてまねぎ  幽霊の手招ぎ,文芸倶楽部, 26(14) (1920)
ゆきのよあらし  雪の夜嵐,文芸倶楽部, 21(6) (1915)
ゆめのゆいごん  夢の遺言,文芸倶楽部, 18(14) (1912)

よつめこまち  四つ目小町,文芸倶楽部, 17(2) (1911)
よつやかいだんおいわのでん  四谷怪談 お岩の伝,百花園, (175)〜(197) (1896〜97)
よわのげたのね  夜半の下駄の音,文芸倶楽部, 25(6) (1919)

りょうごくはっけい  両国八景,文芸倶楽部, 5(13) (1899)

わかくさぞうし  若草双紙,文芸倶楽部, 14(14) (1908)
わしのちょうきち  鷲の長吉,都にしき, (10) (1896)

  本ページでは,明治期に刊行がはじまった4つの雑誌 『百花園』『文芸倶楽部』『新百千鳥』『東錦』を中心に,その他の新聞雑誌に掲載された人情噺と一部の長編落語のあらすじを,掲載誌ごとに年代順に紹介しています.
  なお,同話については,掲載誌をまたいで一ヶ所にまとめてあります.また,雑誌の巻号については,雑誌によって□号,○巻□号,○巻□月号や○巻□編など,まちまちのため,すべて○(□)の表記に統一した.

〓[こがね]:金偏に滿の旁
〓[ちきり]:▽と△が上下につながったソロバン玉のようなちきりの形


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 百花園, 1号〜240号, 金蘭社 (1889〜1900)
 明治期を代表する講談・落語速記雑誌.1889(明治22)年5月創刊.1900(明治33)年までの12年間に240冊の発行が確認されている.終刊の案内はなく,連載中の噺も完結することなく打ち切られている.
 講談社の『明治大正落語集成』7巻には,『百花園』に載ったほとんどの落語と『文芸倶楽部』から93席,そのほか『都にしき』などの雑誌,三芳屋の速記本からの落語速記が復刻されている.講談や人情噺は復刻されていなかった.2013年に,日外アソシエーツから全冊がデジタル写真化され,全冊一括の販売(23万円),または分冊(各冊3000円)で配信されている.
 ここでは,『百花園』に掲載された人情噺を紹介する.なお,巻数は変則的に改まって行くため,ここでは巻数は省略して通号のみで表記した.落語・人情噺・講談の連載時系列については,別表にまとめた.図書館での閲覧,分冊での購入の検討の際などに役立てば幸いです.この表を見ると,人情噺が盛んに掲載されたのは,はじめの4年間あたりまでで,その後は,落語が中心になってくることがわかる.さらに,末期になると,掛け捨ての新作風の作品が増え,質の低下は覆いようがなくなってくる.
 『明治大正落語集成』で,"甚だしく纏まりを欠く数話"として掲載を見送られた落語がある.それらは下表の通り.そのうち,三遊亭圓朝の小噺は本編ではなく月報に掲載されている.禽語楼小さんの「廓大学」は三芳屋から出た小せん(1)の「廓大学」を採用したために見送られたのだろう.小さんの方の速記は,立風書房の『名人名演落語全集』の第3巻に載っている.このほか,落語家以外の小噺・読み物も多数載っているが,ここでは省略する.

掲載号 記載された演題 統一した演題 記載された演者 備 考
(2) 義士伝   五明楼玉輔 講釈ネタ:神崎与五郎詫証文
(3) 落語 コバナシ 三遊亭圓朝 円朝全集所載
(4)〜(5) 義士伝   三遊亭圓遊 講釈ネタ:三村の薪割り
(4)〜(9) 一口話 コバナシ 三遊亭圓朝 円朝全集所載
(5)〜(7) 武蔵鐙太平楽   楽遊亭鼻光 五明楼玉輔改め.講釈ネタ:馬場の大盃
(6)〜(7) 義士伝(続)   三遊亭圓遊 講釈ネタ:赤垣源蔵徳利の別れ
(8)〜(29) 三題話 サンダイバナシ 談洲楼燕枝  
(31)〜(32) 廓大学 クルワダイガク 禽語楼小さん 立名人名演03:03
(121) 黒焼 トオメガネノクロヤキ 橘家圓喬  
(121) 附焼歯 ザイモクデッチ 橘家圓喬 小噺
(181) 三題話 コバナシ 橘家圓喬 角川円朝7:17
(186) 三味線鳥 シャミセンドリ 橘家圓喬  
(195) 短篇落語 コバナシ 柳家小さん 蛍の探偵など
(203) 人真似 コバナシ 桂文治  
(220) 一生の不作 カミイレ 柳亭左楽  
(229) もみぢ ヤカンナメX 三遊亭金馬  
(240) 鳴海絞 イマモヨウミツグミサカズキ 朝寝坊むらく 発端.未完


 三遊亭圓生,花曇中も宵月,百花園, (1)〜(21) (1889〜90)
 花曇中も宵月(はなぐもりなかもよいつき)は,三遊亭圓生(4)演,酒井昇造速記.『百花園』創刊号から21号まで18回にわたって連載された.全18席,挿絵8枚.解説に「古累」と呼ばれるとあり,中でも「お磯殺し」は「古累」として 今も演じられる.全編を通して累も与右衛門も出てこないし,圓朝の「真景累ヶ淵」との類似点も少ない.「花曇中も宵月」の内容が,「古累」そのものなのかは不明.
 質屋大藤の手代豊吉の案内で吉原に上がった田舎者の山本喜六.敵娼の高窓はじめ,店の粗略な扱いに腹を立てて吉原を飛び出す.大音寺前で侍に斬り殺され,金を奪われる.犯人は,巣鴨傾城ヶ窪吉田監物の家臣花岡右門の長男,弥太郎.弥太郎は高窓の間夫だが,家が改易になり困窮していた.葛西の親戚に行った帰り,大藤の娘,お袖は駕籠屋にさらわれそうになる.それを救った弥太郎は,はじめはやさしい言葉だが,急に強面になり30両の礼金をかすめ取る.豊吉が,山本喜六殺しの顔を見覚えていて,弥太郎は捕縛,獄門となる.
 信州(越中?)の宿屋で,外村(戸村?外山?戸倉?)山三郎は,美声で上方唄を歌う婦人の声を聞く.夜中にその女のもとに忍んで行き,証拠の脇差を預けて女と契る.翌日見ると,お磯は化物のような顔の瞽女だった.親不知で刀を奪い,お磯を殺し,江戸に出る.
 山三郎は江戸に出たものの,花岡の家は改易となり行くあてもない.吉原土手でごろつきに絡まれたところを救ってくれた,隅田の英五郎のところに居候する.雨宿りで軒を借りたことが縁で,大藤のお袖と山三郎は深い仲になる.お袖は家を飛び出し,英五郎に身を寄せる.家柄もよいというので,結局,山三郎はお袖の婿に入る.しかし,山三郎の兄の弥太郎は,お袖の長兄の山本喜六を殺した犯人,いわば仇の仲だった.
 山三郎に火箸で突かれた悪夢から覚めたお袖の顔には,傷ができていた.傷は次第にひどくなり,顔が半面ただれてしまう.くさくさした山三郎は,吉原にはじめて上がる.敵娼の高窓は,兄の弥太郎そっくりな山三郎に入れあげる.病身のお袖が吉原に談判に来るが,山三郎に追い返される.お袖は吾妻橋から投身する.英五郎の手引きで吉原を抜け出した高窓は,山三郎と逐電する.翌朝,たどりついた新宿の渡し場の茶店に掛かっていた額は,旧主吉田監物のものだった.茶店の親父は,家臣の喜平次.聞けば,喜平次の妻は花岡右門の手がつき,生まれた女の子は,作兵衛という人に預けたという.作兵衛こそ,高窓の養父.高窓と山三郎は兄妹だった.山三郎は自害,高窓は尼となって廻国に出た.


 春錦亭柳桜,大久保曾我誉廼仇討,百花園, (1)〜(13) (1889)
 大久保曾我誉廼仇討(おおくぼそがほまれのあだうち)は,春錦亭柳桜(1)演,酒井昇造速記.『百花園』創刊号から13回にわたって連載された.全13席,挿絵4枚.柳桜が当時存命していた浅田紋次郎に取材した作品だと述べている.江戸時代の公許の仇討は田宮坊太郎と,この水戸祝町の仇討の2回しかなかったという.それならば,恰好の講談の題材なのだが,柳桜が初めて人情噺に仕立てたのだろうか.内容も人情噺と講談の両方に近く,判断が難しい.
 小田原藩の足軽頭,浅田唯助は,子だくさんの林蔵から,今度生まれた赤ん坊が男子だったら養子にもらう約束をする.もらい受けた養子の鉄造が7歳の時,実子の紋次郎が生まれる.配下の足軽鳴滝万助は,浅田の下女のお定と深い仲になっている.文政元年7月13日,酔った万助は朋友に焚きつけられてかっとなり,浅田を斬り殺す.恩人を殺したことに気づいた万助は発狂してしまい,牢に入れられる.
 3年後の文政3年,正気に戻った万助は,相牢の連中とはかって,雨中に牢抜けする.このことを知った鉄造は,一人仇討に出発するが,藩中のものに見とがめられる.そこで,願書をしたため,大久保加賀守の正式な仇討許し状を受け,士分の扱いで,刀と探索資金を下賜される.路銀を節約するため兄弟は伊勢参りの姿に身をやつしている.信州大門峠では,一緒に牢抜けした安五郎を万助が殺したことを知り,さらに西へと探索を進める.播州赤穂の花岳寺では,赤穂浪士の木像に多額の寄進をする.これを知った福山藩の沢田采女の世話になり,しばらく福山に逗留する.沢田の勧めで,鉄造は弥平,紋次郎は源助と変名を使う.
 文政5年,兄の鉄造は病に倒れる.下賜金に手をつけないのが仇討の流儀.ついには蒲鉾小屋に住むような始末.長崎帰りの医師金巻宗伯にタダで薬をもらい,江戸に来たら立ち寄れとの言葉をもらう.肥後熊本在の大応寺の施行で,六部の姿になっていた万助を見かける.紋次郎が単身斬りかかるが,役人に取り押さえられる.公許の仇討とわかり,鉄造は熊本で治療を受け,路銀を渡される.小倉から下関へ渡る船中で,大坂の八卦見に大望のある身と見破られ,仇は小田原から50里以内にいると教えを受ける.
 江戸に出た二人は,金巻宗伯を頼り,医者の助手をしながら,江戸市中を探す.文政6年,薬をもらいに来たお定を見かけ,お定の家主にこれから仇討に踏み込むと伝える.念のため,家主はお定を呼びつけ,亭主の素性をただすと,万助とは全く別人であった.兄弟は,さらに日光,水戸と探索を進める.水戸の祝町遊廓に万助が来ないか目配りしていると,盗賊と間違われて,御用聞き三次に捕縛される.仇討許し状を見せ,仇の捜査に協力することで三次を許す.三次のおかげで,祝町の煙草屋金兵衛が怪しいとわかる.翌日の夕方,店の表から鉄造,裏口から紋之助が挟み撃ちする.曾我兄弟よろしく,足かけ6年をかけて,見事,万助を討ち取る.兄は100石,弟は50石で大久保加賀守に取り立てられた.


 桂文楽,袖ヶ浦浪路廼水髪,百花園, (2)〜(26) (1889〜90)
 袖ヶ浦浪路廼水髪(そでがうらなみじのみずがみ)は,桂文楽(4)演,酒井昇造速記.『百花園』2号から25回にわたって連載された.全25席,挿絵9枚.同内容の,お女郎忠次(おじょうろちゅうじ)は,岡本明宝堂から出版されており,冒頭部の,袖ヶ浦浪路廼水髪の題名が書かれた部分を改めてある.伝統芸能情報館の所蔵本には出版年の記載が欠けている.主人公の忠次,いい男かもしれないが,ストーリーを見る限り,ちっとも魅力的なキャラクターではない.
 芝神明の水茶屋お孝に上客がついた.多額の祝儀を切り,同僚に鰻をおごり,家の造作までしてくれる.近所の婆が,その男は背中に花魁の彫り物があるお女郎忠次という悪党だとすっぱ抜く.お孝を女郎に売り飛ばす計画があらわれ,忠次はお孝を引きずり倒して立ち去る.その後,お孝に坊主の旦那がついたと知り,寺に忍び込んで,金を奪ってお孝を刺し殺す.
 逃亡先の東金で,小間物屋の多助の女房お倉といい仲になる.お倉は多助に石見銀山を飲ませ,忠次と出奔する.途中,足手まといの幼子を捨てて,江戸のはずれ,田中に落ち着く.お倉は髪結いをして暮らしを立てる.忠次は小塚原の水髪のお松と馴染みになり,病気のお倉を見殺しにする.お松は忠次に入れあげ,借金がかさむ.ふとしたことで忠次と喧嘩別れしたお松は,気が狂ってしまい糞尿を垂れ流す始末.手に余った遊女屋の主人は,借金を棒引きにしてお松を家に帰す.お松は狂った振りをしていただけで,忠次を家に呼び寄せる.ところが,お松の親父は,忠次の過去の殺人を目撃していた.このことを知った忠次は,仲間の半公に親父を殺させ,何食わぬ顔.
 浅草奥山に茶店を開いたお松は悪に染まってしまい,なじみ客を殺して金を奪う始末.朋輩のお吉についた薬屋堺屋の若旦那を丸め込み,毒薬を入手する.忠次らは,毒薬をネタに堺屋から150両をゆすり取る.共犯のお虎婆を毒殺し,大川へ放り込む.
 話変わって,捨て子のお千代を育てたのは,小梅新田の名主中村権右衛門.大事な上納金を賊に奪われてしまい,お千代は吉原に身売りする.遊廓にやって来た按摩は,毒を飲まされた多助の変わり果てた姿.ここで親子が対面する.お千代の客に,親子ぐるみ身請けされる.半公は,お松の親父殺しをネタに,ちょいちょい忠次に小金をせびる.父親殺しを気取ったお松は,半公と組んで忠次を刺し殺す.返す刀で半公も殺し,自分は小塚原で獄門になる.


 春風亭柳枝,魁談難波の梅,百花園, (8)〜(12) (1889)
 入船亭扇橋,辰巳八景,娯楽世界, 9(10), 162-173 (1921)
 魁談難波の梅(かいだんなにわのうめ)は,春風亭柳枝(3)演,酒井昇造速記.全5席,挿絵2枚.『百花園』に初めて載った柳枝の速記.その後,落とし噺,人情噺34席もの速記が掲載されている.お堅い軍談に交わり,ありふれた二番目狂言を話すとあるように,特にどうと言うこともない内容.「小雛助七」と似ている.
 『娯楽世界』に掲載された「辰巳八景」は,入船亭扇橋(8)演,浪上義三郎速記.挿絵1枚.高座で演じる怪談咄を再現する企画.切れ場で高座の上手下手に現れたお滝の幽霊を,がんどうで照らす演出.
 永代橋から身投げしようとした男女を助けた侠客嘉吉.妻のお梅を残して,夫の佐兵衛は大坂に金策に帰る.男らしい嘉吉に言い寄るお梅.いざというところに,女房のお滝が湯から帰ってきた.腹立ちまぎれに書いた離縁状を渡され,お滝は出て行く.嘉吉の子分が夜網でお滝の水死体を拾いあげる.霊岸島の五郎右衛門親分に頼んで,内々に手厚く葬る.大坂から戻った佐兵衛,嘉吉に追い返され,ふたたび永代橋から身投げしようとする.それを助けたのが五郎右衛門.五郎右衛門に説得され,嘉吉,佐兵衛とお梅を添わせ,自分は生涯独身で過ごす.


 春風亭柳枝,柳乃糸筋,百花園, (13)〜(22) (1889〜90)
 柳乃糸筋(やなぎのいとすじ)は,奇縁情話の角書.春風亭柳枝(3)演,酒井昇造速記.『百花園』に10回にわたって連載.全11席,挿絵3枚.談洲楼燕枝の「続噺柳糸筋」と演題が似ているが別話.こちらは,「音羽丹七」という人情噺.初代柳枝の作とある.残念ながら,結末まで行かずに終わってしまっている.
 薩摩藩出入りの商人,阿波屋秀三郎は吉原通いが過ぎて身上をつぶす.夢のお告げのとおり,先祖の墓から3000両を掘り出し,店を建て直す.ふっつり吉原通いをやめていたが,山谷の葬式くずれのつきあいで,6年ぶりに登楼する.馴染みの若浪花魁は自分の子を産んだ時に死に,盲目となった老祖母が吉原連中の情けで,ようやく孫の音羽を育てていると聞く.阿波屋は,はじめて娘の音羽の姿を見て,30両ほどの金を恵む.家で巾着を開いてみると莫大な金が入っていたため,老婆はあわてて吉原に戻ろうとする.土手で野出の三次が老婆を殺し,金を奪って娘もさらってしまう.娘を吉原に売ろうとするが,どの店でもお目見え3日で戻される.よくよく聞くと,夜中に老母の幽霊が出てゲタゲタ笑うのだという.持てあました三次は,両国裏河岸の芸者屋お伝に,親子縁切りするかわりに,家にも戻さないという証文を交わして,音羽を芸者に売る.
 不思議なことに幽霊は現れず,16歳の音羽は芸と美貌で売れっ子になる.薩摩藩の姫君婚礼にあたり,丹波屋と三河屋喜蔵は,係役人の加藤左太夫を饗応する.加藤の希望で,先約でいっぱいの音羽を何とか呼び出す.ここで音羽と異母兄姉の丹七が出会い,音羽は丹七を見染める.ある日,加藤の船遊びの誘いを断った音羽は,父の名代で帳付けをしていた丹七に言い寄る.そこへ戻ってきた三河屋は丹七を責める.はずみで三河屋は額を怪我し,丹波屋にねじ込む.丹七は勘当となる.その実は出入りの鳶頭の家に預けられる.布団を背負って,沢庵をブラ下げてと,まるで判じ物のよう.鳶頭の家に音羽話がやってきて,丹七と対面.これからどうなりますか,また次回.


 春錦亭柳桜,喜八莨,百花園, (18)〜(29) (1890)
 喜八莨(きはちたばこ)は,春錦亭柳桜演,酒井昇造速記.大岡政談の角書.『百花園』に12回にわたって連載された.全14席,挿絵6枚.「煙草屋喜八」は講談でよく見る演目.導入部は,三遊亭圓生(6)演じる「雪の瀬川」と全く同じ.連載回数に縛りがあったのか,ばたばたと突然に結末となっている.お石の再吟味の願いを大岡越前が受け入れ,自らは職を辞そうとするといったドラマもなく,真犯人出頭で終わってしまう.
 古河から江戸の出店に出てきた穀屋の若旦那の善次郎,部屋にこもって本ばかり読んでいる.番頭の久兵衛に連れられて,梅若詣でに出かける.浅草で出会ったのが,吉原の幇間の崋山.儒者というふれ込みで,次第に善次郎の信頼を得て,まんまと吉原に連れ出す.敵娼は玉屋の玉照.善次郎は,半年の間に1300両を使い込み,とうとう勘当となる.
 善次郎を引き取ったのが幇間の五蝶夫妻,玉照も黒助稲荷参詣にかこつけて会いに来る.訪ねてきたのは煙草屋の喜八.お石とともに穀屋を駆け落ちしたため,本家に顔向けができない.いずれ勘当を許してもらうには,幇間の家にいてはダメだと,自分の家に善次郎を引き取る.しかし,暮れに向かって掛ける布団もなく,お石は火付盗賊改めの笠原粂之進の屋敷に奉公に出る.
 布団の受け出しに行った質屋で大金を見て,喜八はふと悪心を起こす.夜分,質屋に忍び込もうとすると,出くわしたのが本物の賊の多古の伊平.盗んだ550両のうち,50両を喜八に渡す.伊平がつけた火が燃えだし,喜八はあわてて逃げ出す.捕り方に投げつけた鯵切り庖丁が証拠で,喜八は捕縛される.笠原はしつこくお石を口説くが,お石は決してなびかない.賄賂を横取りされたのを恨みに思っていた伊平の家来の新吉と一緒に,お石は笠原の屋敷を飛びだし,南町奉行所に駆け込み訴えする.大岡越前守は,笠原をやり込め,新吉に金を下げ渡す.
 善次郎に会えなくなって病に伏せった玉照は,根岸の寮に下げられる.玉屋の主人は玉照の証文を巻いて,金までを渡してやる.玉照は麻布の善次郎の元に行き,二人は一緒に暮らす.玉照の心がけに感じた家主の甚兵衛は,善次郎の親父に会いに古河まで出かける.提供された金を賄賂に使って,喜八の減刑を願うが効果がない.善次郎らは成田へ出かけ,お石は豊川稲荷に寒詣りする.境内で倒れたお石を救ったのが,多古の伊平.奉行所に自首して喜八を救う.


 三遊亭圓生,川柳宇治の村雨,百花園, (23)〜(25) (1890)
 春風亭柳枝,今戸五人切,百花園, (72)〜(73) (1892)
 三遊亭小圓朝,弁天お粂,講談世界, 2(13), 88-108 (1913)
 川柳宇治の村雨(かわやなぎうじのむらさめ)は,三遊亭圓生(4)演,酒井昇造速記.全3席,挿絵1枚.演題はものものしいが,内容は「お藤松五郎」.現行と同じストーリー.『明治大正落語集成』には採録されておらず,『名人名演落語全集』2巻にに「お藤松五郎」の演題で復刻されている.
 今戸五人切(いまどごにんぎり)は,春風亭柳枝(3)演,今村次郎速記.全2席,挿絵1枚.「お藤松五郎」の主人公を小ふじと荻江松五郎とし,舞台を両国から今戸に変えている.松五郎の誤解から今戸五人切りの騒動になる,というところで切っている.
 弁天お粂(べんてんおくめ)は,三遊亭小圓朝(2)演,今村次郎速記.口絵とも挿絵3枚.主人公の名前が,弁天お粂と菅野松五郎になっているほかは,「お藤松五郎」と全く同じ展開.これから五人斬りになるところで結んでいる.


 春風亭柳枝,双蝶余談,百花園, (28)〜(33) (1890)
 双蝶余談(そうちょうよだん)は,春風亭柳枝(3)演,酒井昇造速記.全5席,挿絵2枚.内容は「引窓与兵衛」.『明治大正落語集成』には載っていないが,『名人名演落語全集』に復刻されている.第2席の前に,演者による口上が載っている.もともとは司馬龍蝶の作った道具噺「怪談双蝶々」で,善の水髪長五郎と悪の長吉(引窓与兵衛)兄弟の長物語.稿本を人に貸したところ,烏有の難に遭った.そのため,記憶に残る後日譚をここに語る,といった内容.なるほど,二人の長長(双蝶々)のサイドストーリーだとわかった次第.


 桂文楽,操古木堀江汲分,百花園, (28)〜(40) (1890)
 操古木堀江汲分(みさおのこぼくほりえのくみわけ)は,桂文楽(4)演,酒井昇造速記.全10回11席,挿絵4枚.予想される範囲の展開が続く,いわゆる昔からの人情噺らしい噺.
 明和年間のこと,新堀の酒問屋,堀江藤右衛門は,吉原の花魁を身請けして玄冶店の妾宅に住まわせる.妾のお定との間に兼次郎(兼治郎とも)ができる.出入りの鳶頭にたきつけられて,妻のお道は縁切榎を飲ませて,妾と別れさせようとする.立ち聞きしていた小僧の捨次郎が,主人を毒殺しようと告げ口する.妾宅からとって返した藤右衛門,妻の道に"毒茶"を飲めと迫る.夫婦別れをおそれたお道は,茶を飲めない.その晩,お道は家出する.偶然,通りかかった鳶頭に連れられ,事情を話して詫びが叶う.捨次郎も泣いて勘違いをわびる.
 お家を乗っ取ろうと企んでいた番頭の源蔵,車力の滝五郎に金をやって主殺しを依頼.滝五郎は藤右衛門を稲荷堀で刺し殺し,自分にも傷をつけて物盗りを装う.まんまと源蔵は跡目をつぎ,四代目藤右衛門を名のる.遺されたお定母子は,火事にあって,豊島町の安兵衛に引き取られる.
 次第に増長した藤右衛門は,先代の七回忌に行きもしない.法事に遅れたお道と捨次郎は,墓参に来ていたお定・兼次郎親子に出会う.法事から帰ってみると,滝五郎が来ている.立ち聞き記すると,滝五郎らが夫を殺した犯人だと知る.このことをお定に知らせると,割って入ってきたのが安兵衛.安兵衛はお定を吉原に売り,弟の捨次郎を堀江の軒下に捨てたと告白する.お道らは,北町奉行所に駆け込み訴え.藤右衛門と滝五郎は獄門,捨次郎を後見に,兼次郎は堀江の家を継ぐ.


 春風亭柳枝,散髪お瀧開化の姿見,百花園, (30)〜(37) (1890)
 朝寝坊むらく,散切お滝,文芸倶楽部, 17(14), 102-115 (1911)
 三遊亭圓馬,ざん切お瀧,講談世界, 5(9), 47-63 (1918)
 三遊亭圓馬,明治白浪ざんぎりお瀧,サンデー毎日, 18(7)〜(11)(13)〜(15) (1939)
 いずれも演題のとおり「ざんぎりお滝」のストーリー.散髪お瀧開化の姿見(ざんぎりおたきかいかのすがたみ)は,春風亭柳枝(3)演,鈴木秦吉・酒井昇造速記.『百花園』に7回にわたって連載された.全7席,挿絵3枚.このストーリーの後,お滝はざんぎり姿で悪事を重ねる.この部分がないと,ざんぎりお滝が効いてこない.
 お滝の父親が飾り職人の腕を使って偽金をこしらえている.7歳のお滝が漏らしたため,父親は死罪になる.母子は玉子屋新道に逼塞する.そこでも盗みを働き,お滝は家を追い出される.困るどころか,助けてくれた番太郎の小金を盗んで家に戻る.安政の地震の後,母子は大工の園さんの家に入る.15歳になると器量よしで評判になる.義父に連れて行かれた浅草の帯屋で万引きをしたため,家にいられなくなる.お滝は,家の金をさらって弟子の万吉と大坂へ逃げる.万吉はただの踏み台,色男の長吉と駆け落ちする.宮の宿で,相客にしびれ薬を飲ませて,路銀を盗む.
 散切お滝(ざんぎりおたき)は,朝寝坊むらく(三遊亭圓馬(3))演.『文芸倶楽部』明治44年10月定期増刊号"古今妖婦伝"に掲載.挿絵1枚.子供時代のお滝が,平然と盗みを働く場面.青蛙房の『落語事典』に載っているあらすじは,この速記の方になる.
 ざん切お瀧(ざんぎりおたき)は,朝寝坊むらく改め三遊亭圓馬(3)演,今村信雄速記.挿絵1枚.子供時代のお滝が,安政の地震に会いながらも金を握って逃げるところまで.
 明治白浪ざんぎりお瀧(めいじしらなみざんぎりおたき)は,三遊亭圓馬(3)演.『サンデー毎日』に8回にわたって連載された.各話「贋金つかひ」「呪ひの魂」「妖艶小町娘」「秘薬南蛮渡来」「金谷の雨宿り」「月夜の屋根裏」「神風楼の客」「恩讐一筋道」と題する.子供同士の会話をもれ聞いて,お滝の父親が贋金を拵えていると知った岡っ引きが乗りこみ,父親の錺屋銀次郎は捕縛される.「うぬを道連れにはできねえが,生き代わり死に代わり骨身に食いこんで,畳の上で往生できねえようにしてやる」と,実の娘を呪って死罪となった.残された母子は八丁堀に住む兄の世話になる.ところがお滝は,すきを見て兄の金を盗んで自分の髪にかくす.末恐ろしい奴だと,お滝は兄の家を追い出される.振りかえったお滝はニヤリと笑った(贋金つかひ).追い出されたお滝は,銀座の夜店で出会った番太郎に,迷子になったと訴え,番太の家に連れてもらう.その晩,番太夫婦の貯めた小金かっさらって逃げてしまう.一晩お滝のことを案じていた母親のお仲は,お滝が金を持っているのを見つけ,番太郎のところに詫びに行く.その時,安政の大地震が起きた.命からがら逃げ出した母のおなかが,お滝の手を見ると,金が握られている.「おっ母さんが右手を引っ張ったから,空いている左手でちょっとさらってきたの」(呪ひの魂).深川の大工,政五郎に引き取られたお滝は,18歳になると,深川小町と呼ばれる器量となった.ある日のこと,観音さまに参詣の帰り,立ち寄った襟丹でお滝が襟を万引きしたのが番頭に見つかった.家に戻った母親に,生きている内はその手癖が治らないのかと,出刃包丁を突きつけられた(妖艶小町娘).その場は政五郎にとどめられ,眠れぬ夜中のこと,弟子の勇吉が忍んで来てお滝をなだめた.二人は手に手を取って,大阪の兄弟分のところへ駆け落ちした.途中の三島宿に泊まったところ,医者が大事な薬をなくしたと大騒ぎになっている.長吉という男が,駕籠屋から取り戻したと医者にその薬を手渡した.実は長吉は賊で,医者にそのしびれ薬を飲ませ,三百両の金を奪って,屋根伝いに逃げてしまった.お滝は,隣座敷ですべてを聞いていた(秘薬南蛮渡来).大阪の大松の世話で,勇吉は長町裏に世帯を持った.筋向かいに伊勢長の暖簾を掲げた店の主,実は三島宿の幻の長次が世を欺く姿だった.江戸っ子同士,いつしかお滝といい仲になり,勇吉の家財をさらって二人は逐電した.川止めにあった金谷宿で,相宿になった襟丹の番頭にしびれ薬を飲ませて金を奪った.「お久しぶり.あの時はよくも恥をかかせてくれたね.おや,舌が吊っちまって物が言えないかい.どうぞごゆっくり」(金谷の雨宿り).安倍川の駕籠屋の主,繁蔵を頼ってきた長次.二人は昔なじみの仲間だった.「三島でしびれ薬を飲ませた男は,御殿医のせがれだぜ.今,躍起になってお前を探している.それにおととい,金谷で荒仕事をしたというじゃないか」「えっ,もう知れたか」.女連れはまずいと,お滝を一人で逃がした.「幻の長次,御用だ」.神楽伝八が上がりこんできた.「長次,俺はお前にしびれ薬を飲まされた小林の倅だっ」.長次は,とっさにたばこ盆を投げつけ,外へと駆けだした.その晩,府中宿の長屋の屋根に潜んでいると,下の座敷で知った声がする.病気で寝たきりの親父と妹の声だ.どうせ娑婆にはいられないこの身と,財布を投げつけ,再び村はずれへと駆けだした(月夜の屋根裏).明治6年のこと,横浜の神風楼に一人の紳士が客に上がった.廊下で見かけた芸者を無理を言って呼んだ.「お滝,久しぶりだな.俺だよ,長次だよ」.聞けば,府中で捕まり遠島になったが,御一新で放免になったという.二人で各地を見物しながら,ピストル強盗で金を稼いだ.深川八幡の掛茶屋に休むのは,立派な紳士とざんぎり頭の書生さん.大工の政五郎の様子を聞くと,今は落ちぶれて霊岸島で暮らしているという.書生はそっと目頭をハンカチで押さえた(神風楼の客).霊岸島に行くと,大政は金貸しの婆に借金を返せと責め立てられている.割って入った長次は,因業婆あに金を叩きつけて追い返した.母のおなかは,娘は居ないものと思っていると拒むのを,政五郎がとりなしてお滝を迎え入れた.これを見て安心した長次,小雪の降る永代橋にかかると,ドンと男に突きあたられた.ハッと思う間もなく,刑事の細引きが手首に食い込んだ.翌朝,5,6寸も積もった雪の中,車に乗りこんできたのは,小倉の袴にざんぎり頭の書生さん.「おや,君,道が違やせんかな」「いいえ,この道は一筋道.久松町警察署までで」.車夫が饅頭笠を取ると,現れたのは夫の勇吉だった.かくして,長次に続き,お滝も捕縛された(恩讐一筋道).


 談洲楼燕枝,海気の蝙蝠,百花園, (31)〜(40) (1890)
 海気の蝙蝠(かいきのこうもり)は,談洲楼燕枝が自ら筆記したもの.全10席,挿絵3枚.『百花園』に1年あまり連載してきた三題噺を終え,求めに応じて長編物の連載をはじめたもの.維新後の開化の世相が取り入れられている.演題は,国産の蝙蝠傘の輸出で国益をあげようという志を表している.話が縦横に入り組んで,甲斐絹の織物のようだという意味を含んでいるのかも.作中人物の名の揺れが大きい.高須専次郎と杉田専治郎,八蔵と七蔵,番頭の重兵衛と忠兵衛,など.
 芸者と駆け落ちしたものの,いずれ戻ってくるはずの兄の安太郎に紙問屋万屋の家督を譲るため,弟の専次郎も家出をする.東京を離れるやいなや,早くも竹の塚で,強引な車夫に財布を奪われ,車に乗せられる.着いたのは,車夫八蔵の家.酒に酔って寝こんだすきに,娘のお鳥に逃がしてもらい,専次郎は旅を続ける.翌日,日光の山中でまたも追いはぎにあい,身ぐるみはがれる.通りかかったのが鉄砲洲の海運商海野幸造の一行.
 専次郎は蝙蝠傘の柄に彫刻をほどこし,販売をはじめる.海野の言葉を信じて,蝙蝠傘を輸出するための資本提供を申し出るが,番頭にすげなく追い返される.家に戻ると,海野の義妹,お絹が訪ねてきた.先ほどの資本提供の掛け合いを聞いたお絹は,夫にするならこの人だと思い込み,百円持参の上,自分を妻にしろと迫ってきた.お絹の申し出を迷惑に思い,専次郎は横浜の丸弁をたよって東京を立ち去る.
 長男の安太郎が,万屋に戻ってきた.間もなく主人が亡くなり,芸者の小峰を妻として跡目を継ぐ.しかし,元来の放蕩癖が顔を出し,神田の勘兵衛伯父に預けられる.伯父宅を家出したものの,次第に逼迫し,小峰を芸者にして暮らす.手切の計略とも知らず,安太郎は伊香保へ湯治に出かける.そのすきに,小峰は松崎という軍人を新しい旦那にとる.
 4年のうちに,専次郎は横浜で蝙蝠傘の問屋となる.晴れてお絹を嫁に迎えるという日に,訪ねてきたのが命の恩人のお鳥.恩義が大事と,専次郎は結婚を取りやめる決断をする.突然の破談の申し出に,海野は専次郎の店に乗り込み,お鳥を連れ去ってしまう.やってきた新妻の綿帽子を取ると,現れたのはお鳥の姿.実は,お鳥は幼い頃に別れた海野の姪だった.安太郎も横浜停車場で母親にめぐりあう.安太郎はお絹と結婚し,東京と横浜で2軒の万屋は繁盛する.


 談洲楼燕枝,元旦の快談,百花園, (41)〜(44) (1891)
 元旦の快談(がんたんのかいだん)は,饗庭篁村の原作「影法師」をもとに談洲楼燕枝が4回にわたって演じたもの.挿絵1枚.1月中に完結する予定が,インフルエンザにかかり4回になってしまったとある.「影法師」は,ディケンズの代表作「クリスマス・キャロル」の翻案もの.
 油町に住む伊勢屋五兵衛は,欲の塊のような男.つきあいもなければ,慈善の心のカケラもないため,陰では犬と呼ばれている.明治22年の大晦日,甥の寿六の賀の祝いの誘いを断り,小僧倉吉には元日の昼までに戻らねば給金を減らすと命じた.その晩のこと,五兵衛の前に童子のごとき白髪の精霊が現れる.
 最初に連れて行かれたのが,正直清介の団欒の様子.世間では生閻魔と噂される主人五兵衛の分まで,一家は雑煮を備えて祝っている.続いて,ある寺の湯灌場.欲張り爺いの死体から衣類をはいでいる.さらに進むと,烏が死体をつついており,墓石には伊勢五の銘が.これから心を改めると精霊にすがると,精霊は消え,あたりはまばゆい光が満ちていた.
 一夜明けた元旦.改心した五兵衛は清介に鯛を送り,遅れて出社した倉吉に小遣いを与えて家に帰す.清吉に親切にしていると,白犬も尾を振って喜ぶ.まだ犬というのか,白犬は人間に近いぞよ.


 春風亭柳枝,廓文庫,百花園, (43)〜(53) (1891)
 三遊亭圓生,〓[こがね]の薫物,東錦, (16) (1892)
 春風亭小柳枝,廓文庫在原,文芸倶楽部, 6(10), 40-45 (1900)
 春風亭小柳枝,廓文庫在原,名妓伝, 博文館 (1910)
 三遊亭圓右,黄金の花,女幕のうち, すみや書店 (1907)
 談洲楼燕枝,廓雪解花嫁,文芸倶楽部, 22(6), 69-92 (1916)
 三升家小勝,廓の達引,講談雑誌, 3(12), 99-118 (1917)
 三升亭小勝,封切り,講談倶楽部, 13(10), 332-342 (1923)
 いずれも「在原豊松」という人情噺.翁家さん馬(5)の単行本「廓文庫」の速記は,ネットで読める.
 春風亭柳枝(3)の廓文庫(くるわぶんこ)は,『百花園』に11回にわたって連載された.今村次郎・酒井昇造速記.全11席,挿絵5枚.店の金を使い込んで勘当された豊松が,以前100両やって救った身投げに再会するところまで.冒頭に蔵前の札差伊勢屋四郎兵衛のエピソードがついている.札差仲間で博奕をしていることをタネにゆすりに来た男に,いくら欲しいと尋ねる.思い切って500両と答えると,千両箱から500両取り出し,千両以下のゆすりをするようなケチな奴は二度と来るなと追い返す.
 三遊亭圓生(4)演,今村次郎速記の〓[こがね]の薫物(こがねのたきもの)は,『東錦』16号に掲載.傾城新話の角書.全9席,口絵1枚,挿絵2枚.この速記は,そのまま「黄金の薫物」の演題で出版されており,ネットで読める.
 春風亭小柳枝(柳枝(4))の廓文庫在原(くるわぶんこありわら)は,『文芸倶楽部』明治33年7月定期増刊号"講談名妓伝"に掲載.挿絵1枚.在原を抱える鶴屋主人が,末に豊松と結ばせてやろうと親身になって在原を説得する場面の抜読.博文館の講談文庫『名妓伝』に再録されている.
 談洲楼燕枝(2)の廓雪解花嫁(さとのゆきとけてはなよめ)は,『文芸倶楽部』大正5年4月定期増刊号"花嫁くらべ"に掲載.「廓雪解花嫁」は,発端から在原が訪ねてくる結末までをさらりと演じている.
 三升家小勝の封切り(ふうきり)は,『講談倶楽部』大正12年7月号に掲載.挿絵1枚.封印切りで,200両でさげている.

〓[こがね]:金偏に滿の旁


 談洲楼燕枝,痴情の迷,百花園, (45)〜(46) (1891)
 痴情の迷(ちじょうのまよい)は,談洲楼燕枝演.全2回.下巻の冒頭に,ルビなどの校正ミスを指摘している.ということは,速記を文字にしたのではなく,自筆の原稿を出版社が活字化したのだろう.燕枝の作品は速記者を頼まず,自分で筆記した作品も多い.内容は「小夜衣」を思わせる,どこかで見たようなストーリー.
 松山藩士檜垣与茂七は,下女のお仲と二人暮らし.妊娠したお仲を嫁に欲しいと母親に相談に行く.しかし,父親の遺言を伝え,申し出を断る.お仲には剣難,嫉妬の相があるため,結婚はさせるなという占い師が言い残したのだ.檜垣は一笑に付し,お仲を嫁に取る約束をする.
 松山藩の重役平山の娘,お雪が檜垣に恋わずらい.赤ん坊が生まれるまで,いったんお仲に里へ下がるよう母子に伝える.いよいよ出産という日,檜垣の所に連絡に行くと,ちょうどお雪の輿入れの最中だった.
 婚礼の席にふらりと現れたお仲.血に染まったさらしに手を突っ込むと,腹からずるずると赤子を引き出し,婚礼の島台に据える.思わず檜垣はお仲を斬る.死骸を見ると,斬られたのはお雪.檜垣はあたりかまわず斬り回り,ついに自害した.


 談洲楼燕枝,函館三人情死,百花園, (47)〜(62) (1891)
 柳亭燕枝,函館三人心中,文芸倶楽部, 14(14), 179-202 (1908)
 談洲楼燕枝の函館三人情死(はこだてさんにんしんじゅう)は,『百花園』に14回(12席)にわたって連載された.一部の巻に酒井昇造の速記者名.全12席,挿絵3枚.明治19年12月25日,函館で起きたという心中事件をもとにした作品.春風亭柳枝(3)の弟子であった松枝を含む3人が死に,結末では燕枝自身や柳枝が登場する.ここでは,作者である燕枝(1)のあらすじを記す.
 柳亭燕枝(談洲楼燕枝(2))演の函館三人心中(はこだてさんにんしんじゅう)は,『文芸倶楽部』明治41年10月定期増刊号"心中譚"に掲載.挿絵2枚.
 明治13年の秋,出羽田川村の豪農を訪れたのは軍医総監松本順の弟,長春の一行.急な腹痛で便所を貸してくれと言う申し出に,山住太郎治は光栄なことと喜んで応対する.病に伏せっている父親の詫左衛門の診察を願った.悪熱を去れば間違いなく治ると,古金を清浄水に浸した黄金水を作らせて,長春一行は立ち去る.その晩,詫左衛門の妾のお金と情夫の七之助は,黄金水を盗みそこない,逃亡する.すでに黄金はにせ物にすり替わっていた.名医とは真っ赤ないつわり,実は箱館戦争を脱走した高杉幸七郎らによる詐偽であった.
 明治15年,小山お由が悪者に絡まれているところを,小間物屋となっていた松屋幸三郎(悪漢高杉幸七郎)が助け,家に送り届ける.お由を襲ったのは元仲間の会津の茂助.幸七に百両の大金を強請るので,ならばあの古金を掘り出そうと,上野東照宮に連れて行き,スキをみて刺し殺す.後日,幸三郎を訪ねてきたのは,酒田を逐電した七之助.七之助を店に引き入れ,食客扱いを約束する.そこに警官が乗り込んできた.幸三郎はピストルを取り出して応戦する.
 幸三郎の店に捜査が入ったと聞いてあわてているお由親子のところに,幸三郎から50円の為替が届く.幸三郎会いたさに,差し出し地の福島へ旅立つ.福島に着いた晩,大火に追われ,路銀も持たずに宿を飛び出した.そんなお由親子に金を恵んでくれたのが,元噺家で旅役者の沢村松三郎.実は,生まれたときから養子に出されたお由の実兄だった.
 明治16年5月,仙台の親分江戸正の妾に手をつけた沢村松三郎は,子分らに簀巻きにされ,今にも殺されそうになっている.これを救ったのが,函館で物産商を営む元武士の三河屋五兵衛.事情を聞いた五兵衛は,松三郎こそ赤子の時に養子に出した四十二郎だと悟り,店で雇うことにした.
 明治18年,函館で芸者となったお由(小由)と,火事の時にお由を救った松三郎が出会う.養母の頼みで,松三郎とお由は固めの杯を交わす.明治19年12月,函館にやってきた幸三郎が小由を訪ねる.松三郎は借金がかさみ,小由と心中を約束する.約束の25日,松三郎から短刀と書置が小由のところに届く.父の三河屋へ宛てた書置により,松三郎が実の兄だと知る.松三郎と死ぬことなどはできない,そこに飛び込んできたのが幸三郎.殺人がばれて,腹を切るところだと伝える.一方,心中に出かけようとした松三郎,函館公園で心中があったと聞かされる.公園に駆けつけた松三郎,情夫の幸三郎と心中したと勘違いし,小由の首を斬って家に戻った.小由の書置を見て,自分の妹だと知る.松三郎も自害する.
 大磯の旅館祷龍館を訪れた三河屋五兵衛,函館で死んだ3人の慰霊の碑文を画工に頼む.そこに居あわせたのが三代目の春風亭柳枝.榊原は,息子の心中譚を先師に語った.


 春風亭柳條,能登七尾尼寺の由来,百花園, (60)〜(63) (1891)
 春風亭柳枝,性善,文芸倶楽部, 3(16), 171-181 (1897)
 柳亭燕枝,捨丸,文芸倶楽部, 17(6), 59-72 (1911)
 春風亭柳枝,捨丸の由来,講談雑誌, 3(10), 173-185 (1917)
 談洲楼燕枝,善悪二た筋道,戦友, (300), 35-42 (1935)
 いずれも,「捨丸」.正直者が盗賊に身ぐるみはがれ,貰った錆刀が名刀だったという噺.能登七尾尼寺の由来(のとななおあまでらのゆらい)は,『百花園』に3回にわたって連載された.春風亭柳條演,今村次郎速記.挿絵1枚.代数は明記されてはいないが,明治24年当時の柳條は初代ではないか.性善(せいぜん/または/せいはぜん)は,『文芸倶楽部』明治30年12月号に掲載された.春風亭柳枝(3)演,小野田亮正速記.弟子の四代目柳枝の速記も『講談雑誌』に載っている.柳亭(談洲楼)燕枝(2)の「捨丸」は,『文芸倶楽部』明治44年4月定期増刊号"白浪集"に掲載された.挿絵1枚.同じく談洲楼燕枝(2)の「善悪二た筋道」は,三百号にちなんだ人情噺として『戦友』に掲載された.
 「能登七尾尼寺の由来」のあらすじ.上州玉村の作男久助は,兄が売り払った故郷の田地を買い戻すために,身を粉にして働く.百両の現金を持って故郷の能登七尾へ戻る途中,信州追分で道に迷う.ようやく尋ねあてた家には女が一人だけいた.ここは盗賊の家で,手下が網を張って待ち伏せていると明かされる.女に匿われるが,戻ってきた賊の夫が女を折檻するのを見かねて,久助は飛び出す.金や道中差,衣類もはがれて追い出されるが,犬おどしだけは欲しいと頼むと,錆刀を差し出される.
 上州の主人のところに戻り,盗賊にもらった刀を道具屋に見せると,錆びてはいるものの,名刀備前長光だとわかる.結局,江戸で刀は800両で売れる.正直者の久助は,泥棒に渡そうと280両持って賊の家を訪れる.男は病に伏せっていた.事情を話すと,賊は久助の兄,久太郎だとわかる.前非を悔いて久太郎は腹を切る.能登の田地を買い戻し,賊の妻のおなみは,庵を開き尼となる.久助は玉村で分家を受ける.例の刀は,殿様から捨丸の銘を受ける.
 「性善」では,正直者は滋賀県堅田の在の出身.名刀は小豆長光.盗賊は正直者の兄という設定ではない.「捨丸」では,正直者は能登七尾の出身,名刀は捨丸で,盗賊の兄は,改心はするが自害はしない.「善悪二た筋道」でも,正直者は能登七尾の出身.盗賊の兄は,出家廻国し七尾の小堂で果てる.


 談洲楼燕枝,怪談 浮船,百花園, (67)〜(78) (1892)
 怪談 浮船(かいだんうきふね)は,談洲楼燕枝(1)演,加藤由太郎速記.『百花園』に12回にわたって連載された.全12席,挿絵4枚.累伝説から登場人物名を取っている.もしかすると,圓朝の「真景累ヶ淵」に対抗して作った作品かもしれない.しかし,怪談らしいところも少なく,筋立てもいたって平板.
 居どころ定めず浮船の二つ名をもつ長吉は,下総の八幡から江戸に出てきている.自分の病気を治す薬代のために吉原の朝日丸屋に身を売った女房のお累をかえりみず,汐留の船宿の娘,お千代と深い仲になり長之助という子まで設けた.ある日,長吉は女連れの上方者を乗せて神奈川へ向かう.途中,忘れ物を取りに一人陸に上がった助七を置いて,二人は房州那古へ駆け落ちする.女は昔なじみの清元延菊だった.
 5年の間に長吉はあくどく稼ぎ,数百両を懐に江戸本所へ舞い戻り,顔役となる.ある日,上方弁の屑屋が訪ねてきて,お菊を見つけて騒動になる.屑屋に身を落とした助七は,長吉から金もお菊もやると丸め込まれ,酒を飲んで帰る途中,多田の薬師の石置場で何者かに殺されてしまう.その後,お菊は悪夢にうなされる.死んだ母親の墓参りに出かけた帰りのこと,多田の薬師で,晴天にもかかわらす,顔にぽたりと露がかかり,お菊は昏倒する.次第にお菊の顔半面がはれ上がってくる.長吉の子分の平吉らは,両国の垢離場に出かけて,お菊の平癒を祈願する.そこに助七の土左衛門が流れつき,身につけていた財布から二分を抜き取ってきた.それを聞いた長吉は気味悪くなり,金を足して,吉原で全部使ってこいと子分らを送り出す.吉原朝日丸屋で出会ったのが,花の香花魁ことお累.長吉は,病気のお菊をほったらかし,花の香のもとに入りびたる.起き上がることもできないはずのお菊が,子分の前でよろよろと立ち上がり,光り物とともに消える.吉原では病気のお菊がやってきたというので,部屋に寝かせておいたが,迎えにやって来た平吉らが見に行くと,いつの間にか消え失せている.浮船長吉の家の前にいるお菊を,長屋の者がつかまえようとするが,障子をすり抜けて消えてしまう.
 いやな噂が立ってしまったので,長吉は木更津へ高飛びする.三五郎という魚屋が,元の兄弟分に絡まれているところを助けたことがきっかけで,長吉はやくざの抗争に巻き込まれる.闇討ちで殺されそうになり,出羽奥州へと高飛びした.
 江戸へ戻った長吉は,いじめられている子どもを助ける.様子を尋ねてみると,実子の長之助とわかる.長吉は,お千代親子と暮らし始めるが,間もなく病に倒れる.妻のお千代に旧悪を告白し,死を覚悟する.そこへ訪ねてきたのが,お千代の父,平右衛門.下総八幡で穀屋を営んでおり,長吉に捨てられた娘のお累を身請けしてきたと事情を話す.これを病間で聞いていた長吉は,腹を切って詫びる.平右衛門は,長吉,助七,菊のために大法会を営み,通りかかった三五郎とともに彼らの菩提を願う.長之助は穀屋の店を継ぐ.


 春風亭柳枝,十談語,百花園, (77)〜(82) (1892)
 三遊亭圓右,文弥殺し,文芸倶楽部, 21(10), 125-140 (1915)
 三遊亭圓右,文弥殺し,娯楽世界, 6(6), 102-119 (1918)
 いずれも「宇都谷峠文弥殺し」の演題で知られた人情噺.十談語(とおだんご)は,春風亭柳枝(3)演,加藤由太郎速記.『百花園』に6回にわたって連載された.全6席,挿絵4枚.十団子は,宇都谷集落の軒先に吊される魔除けの小さな房団子.三遊亭圓右(1)演の,文弥殺し(ぶんやごろし)は,『文芸倶楽部』大正4年7月定期増刊号"旅の友"に掲載された.挿絵1枚.『娯楽世界』の「文弥殺し」も同様だが,提婆の仁三は出てこない.今村信雄速記,挿絵1枚.
 鞠子の宿に泊まり合わせた客の雑談.その晩,堤婆の仁三が盲人文弥の金を盗もうとして捕まる.簀巻きにされて殺されそうになるところを,重兵衛のとりなしで救われる.不安になった文弥は,江戸へ向かうはずの重兵衛に同道してもらって,難所の宇都ノ谷峠を夜越しする.峠の絶頂で2人は別れる.どうしても金が必要な重兵衛は,後ろから文弥を斬り殺して150両を奪う.それを辻堂から見ていたのが,ごまの灰の仁三.
 重兵衛の経営する居酒屋に現れた仁三.飲み代の釣りに半額の75両寄こせとゆする.川崎の出店で融通してもらおうと言って,仁三を連れ出し,途中の鈴ヶ森で殺す.ある日,老婆が居酒屋に奉公に来る.その素性を聞くと,文弥の母だと知れる.重兵衛の妻は,神経を病み発狂.重兵衛の悪事を口走り,ついに捕縛となる.


 談洲楼燕枝,和尚次郎心の毛毬栗,百花園, (79)〜(84) (1892)
 林家正蔵,和尚次郎,講談雑誌, 2(1), 155-172 (1916)
 和尚次郎心の毛毬栗(おしょうじろうこころのいがぐり)は,談洲楼燕枝(1)演,加藤由太郎速記.全5席,挿絵2枚.口上に,この噺は師匠の柳枝が得意にしていたが,結末がないことを残念に思い,三代目柳枝と相談の上,結末までの10回の読みきりとするとある.しかし,実際には前半部の5回で連載が終わっている.結果として,これが『百花園』での燕枝最後の口演になってしまった.
 『講談雑誌』に掲載された林屋正蔵(5)演の「和尚次郎」は,今日蓮と呼ばれた日性が,身を持ちくずし,とうとう殺人を犯すまでが描かれている.『ことばの花』に掲載された「深川辰巳奇談」は,結末まで描かれているというが,未見.
 川崎の宿屋でお蓮が癪に苦しんでいると,3人連れの客の1人が介抱してくれる.その晩,お蓮は自分から客のところに忍んでいく.お蓮は妊娠する.叔父の世話で,お蓮は本所の旗本森川主馬のところで屋敷奉公をしている.森川が好色なのをいいことに,お腹の子は森川の胤だと偽る.百両の金と短刀を授かり,鎌倉の実家で次郎吉を産む.
 8年後,鈴ヶ森で獄門になっている三人組を見かけ,次郎吉の父の七面の龍次が処刑されたと知る.その晩,お蓮は大胆にも獄門台から首を抜き取り,土に埋める.
 さらに8年後,次郎吉は出家して日照となり,小湊の誕生寺で修行している.病に伏しているお蓮は,父に次郎吉は森川の子ではないことを告白する.
 日照は深川浄心寺で説法し,今日蓮と噂されるほどの人気を得る.土地の娘が艶書を渡し,死ぬ覚悟で迫ってくるため,やむなく契る.このことが知れ,寺を追い出された次郎吉は,深川の博徒の仲間となり,後に和尚次郎と呼ばれる悪党となる(百花園).
 上総の茂原で修行した日性は,深川浄心寺で説法をはじめる.その美男子ぶりに,老いも若きも女たちが集まり,それを張ろうと野郎どもも群集した.門前の花屋の娘お花が,艶書を忍ばせ,死ぬ覚悟で迫ってきたので,やむなく契る.これがたび重なり,日性は,佐賀町の親分株の熊五郎のもとに身を寄せる.
 熊五郎の留守中,博打に誘われた日性は,着物まではがれてぼんやりしている.帰ってきた熊五郎に叱られた日性だが,退屈しのぎにサイコロをいじっていると,思ったような眼を出せるようになった.いい壺ふりができたと,あちこちの賭場に引っ張りだされ,和尚次郎と呼ばれるようになる.昇り龍に下り龍の彫り物までしたのを見た熊五郎は,もう坊主にや戻れないと,見放す.熊谷在の兄弟子の寺に行って,金をゆすってこようと,中山道を旅立つ.上尾の原で,癪に苦しむ女順礼を介抱していると,懐に大金を持っている.ついに女を殺して金を奪い,熊谷の寺に乗り込むという,和尚次郎悪事のはじまり(講談雑誌).
 江戸に戻った和尚次郎は,お花と再会する.お花は亭主を殺し,次郎は順礼のお時を女郎に売って,お花と夫婦気取りで暮らす.だまされたと知ったお時は焼火箸をのどに刺して自殺する.お時の幽霊が和尚次郎の前に現れる.お時の死骸から足がつき,お花の殺人も探索の知るところとなる.高崎へ逃げた和尚次郎は,尼寺で説法をしていたが,ついに捕縛され,お花ともども刑に処された(ことばの花.旭堂小南陵『続・明治期大阪の演芸速記本基礎研究』の梗概をさらに要約).


 春風亭柳枝,富田屋惣吉,百花園, (83)〜(88) (1892)
 富田屋惣吉(とんだやそうきち)は,春風亭柳枝(3)演,加藤由太郎速記.全6席,挿絵3枚.三芳屋の『柳枝落語集』に,柳枝(4)名義の「富田屋政談」が載っており,ネットで読める.「富田屋政談」は「富田屋惣吉」の一部を抜き出したもの.
 富沢町の古着屋,富田屋が零落し,高利貸しの若林に,借金のかたに妹のおもとを女郎に売れと迫られる.おもとを吉原に売った帰り道,兄の惣吉は二人組の男に襲われ,金を奪われる.首を吊って死のうとするところを,高崎から江戸に出てきた天飼与五郎に救われる.乗ってきた駕籠の中にあったという大金を財布ごと恵まれる.
 牛込の旗本石川主膳の用人佐藤重兵衛は,甥の小八を養子にして育てた.小八の博奕ずきは手に負えないため,とうとう勘当した.重兵衛が蔵前の札差に金策に行った帰りを狙い,三味線堀で小八は重兵衛を殺し,金を奪う.しかし,酒に酔って金を駕籠に忘れてしまう.それを拾ったのが天飼だった.惣吉はもらった金で質屋に仕入れに出かける.そこに質入れに来たのが重兵衛の妻のお杉.自分の縫った財布を惣吉が持っているのを見て,惣吉を奉行所に召し連れ訴えする.惣吉は天飼が犯人だと思いこみ,自分がやったと証言する.家主らが惣吉の嘆願を相談しているところに,江戸見物をしていた天飼が通りかかる.天飼らは大岡越前守に駆け込み訴えをし,天飼の乗った駕籠屋の証言がきっかけで小八が捕まる.さらに,おもとの縫った財布が証拠で,惣吉を襲ったのが若林の番頭の権次郎だとわかる.


 禽語楼小さん,〓[ちきり]伊勢屋,百花園, (96)〜(113) (1893〜94)
 〓[ちきり]伊勢屋(ちきりいせや)は,現代でも演じられる噺.禽語楼小さん(小さん(2))演,加藤由太郎速記.『百花園』に10回にわたって連載された.全10席,挿絵5枚.第9席の冒頭に,小さんが"マラリヤチブス"にかかって4ヶ月休載した経緯が書かれている.今でも1時間以上かかる長講だが,白井左近のエピソードから,品川の質屋まで克明に演じるとこのような長編人情噺になる.

〓[ちきり]:▽と△が上下につながったソロバン玉のようなちきりの形


 春風亭柳枝,天和政談,百花園, (102)〜(109) (1893)
 天和政談(てんなせいだん)は,春風亭柳枝(3)演,加藤由太郎速記.全8回8席,挿絵4枚.「小堀政談」で知られる噺.翁家さん馬の「八百屋お七 恋廼緋鹿子」は,「天和政談」の内容を含む.この速記は,ネットで読める.
 小堀家の準養子弥平次は,左門を幽閉し,息子の弥之助に家督を継がす算段.忠義の女中お杉が,用人を頼って左門を逃がす.お杉は折檻され,書置を鏡の裏に隠して自害する.お杉の死骸を始末するため,湯灌場吉三に鑑札の手配を頼む.証拠の書置が見つかり,吉三らは捕縛される.左門を匿う用人の善太郎は貧窮し,息子の伝吉は家を出る.伝吉に目をかけた八百屋久四郎の娘がお七.八百屋お七,吉三のストーリーはこのあと.


 春風亭柳枝,性は善,百花園, (115)〜(116) (1894)
 性は善(せいはぜん)は,春風亭柳枝(3)演,加藤由太郎速記.全2席,挿絵1枚.「両国橋上襤褸錦」の演題でも知られる噺.さらに心理的に掘り下げたのが,宇野信夫の「小判一両」だろう.歌舞伎のほか,三遊亭圓生(6)が演じている.
 師走の両国橋で物乞いをする浪人親子.そばには大福の屋台店.2日も何も食べないと訴える子供に,腹が減るなどとは泰平のたわごととしかりつける.その膝には涙がたまっている.後で支払うからと大福屋に頼むがすげない返事.見かねた雪駄直しが,大福を総仕舞いして,大福屋を追い払う.小屋者の手に触れた物は食べられないため,子供のおもちゃにしてくれと,大福を渡して立ち去る.
 雪駄直しは侍に呼び止められ,御馳走を受ける.こんな事をするくらいならば,あの浪人に大福なり金なり恵んでやれと侍をなじる.納得した侍は両国橋にかけつける.浪人親子は両国橋から身投げしていて,子供だけが助かった.侍はこの子を養育した.


 春風亭柳枝,島千鳥,百花園, (120)〜(147) (1894〜95)
 談洲楼燕枝,花鳥の放け火,講談雑誌, 18(11), 72-85 (1932)
 島千鳥(しまちどり)は,春風亭柳枝(3)演,宮津起一・加藤由太郎・簗轍速記.『百花園』に25回にわたって連載.第5回は「島千鳥沖津白波」,第8,23,25回は「嶋千鳥」の演題.全25席,挿絵8枚.第6席の挿絵は,気丈にもお虎が敵地に乗り込んで,血まみれの喜三郎を担ぎ出す場面,でないといけないのだが,背負われているのは振り袖の娘.柳枝(3)の「佐原の喜三郎」,青木嵩山堂(1898)は,『百花園』の速記を利用しており,雑誌連載に関する記述を削っている.なお,この速記は,ネットで読める.
 『講談雑誌』18巻11号に,「島鵆沖津白浪」と題して,「喜三郎の危難」西尾麟慶,「花鳥の放け火」(かちょうのつけび)燕枝(2),「三宅の島破り」伊東潮花の3席の速記が載っている.3人の語り口が似ているだけでなく,"超百パアセントのサービスを致しました"や"壬生大助へモーションをかけて妾になつた"といった言い回しが見られるため,大幅な編集が入っているか,あるいは芸名だけ借りた代筆ではないかと思われる.


 春風亭柳枝,白子屋政談,百花園, (150)〜(175) (1895〜96)
 麗々亭柳橋,恋娘昔八丈,文芸倶楽部, 6(6), 163-194 (1900)
 白子屋政談(しろこやせんだん)は,春風亭柳枝(3)演,簗轍・宮津起一・一邨淳士・加藤由太郎速記.『百花園』に20回にわたって連載.全20席,挿絵6枚.第18回の終わりに,速記者の加藤由太郎が,「白子屋」は次回で終え,歌舞伎座の菊五郎の出し物に合わせて「四谷怪談」をスタートすると口上を述べている.そのせいか結末部があっけなく,黄八丈を羽織ったお熊が裸馬で引き回しになるといった,有名なシーンがない.
 恋娘昔八丈(こいむすめむかしはちじょう)は,麗々亭柳橋(4)演,小野田翠雨速記.『文芸倶楽部』明治33年4月定期増刊号"講談大岡裁判"に掲載された.上下2席.挿絵1枚.20席もある長編をコンパクトにまとめるのは容易なことではない,と嘆いている.なお,春錦亭柳桜の「仇娘好八丈」の速記は,ネットで読める.


 春風亭柳枝,四谷怪談 お岩の伝,百花園, (175)〜(197) (1896〜97)
 四谷怪談 お岩の伝(よつやかいだんおいわのでん)は,春風亭柳枝(3)演,加藤由太郎・吉田欽一速記.『百花園』に18回にわたって連載.全18席,挿絵4枚.春錦亭柳桜の「四谷怪談」の速記は,ネットで読める.


 桂文治,猫と鼠,百花園, (220), 11-29 (1899)
 桂文治,猫と鼠,落語名人くらべ,日吉堂 (1913)
 翁家さん馬,旅芸者,新作落語口演集,国華堂書店 (1916)
 猫と鼠(ねことねずみ)は,桂文治(6)演,吉田欽一速記.『百花園』220号に掲載された.後半部を芝居掛かりにして,放せ―イエ放す[話す]とあとがつかえる,と途中で噺を切っている.この噺は,『落語名人くらべ』に再掲されている.また,『新作落語口演集』に収められた,翁家さん馬名義の「旅芸者」も,まったく同じ速記だった.他の作品もすべて,『百花園』から流用して演者名を差し替えたもの.
 栃木県の牢屋同心,向井金左衛門の長男金三郎は,小さいときから手癖がわるい.金左衛門は釣に連れ出した金三郎を斬って,谷川に捨てた.四十九日の晩のこと,眠っていた弟の金之助が「兄さんが坊の懐に入った」と大声で叫んだ.それからというもの,金之助も盗みを働くようになる.これを知った金左衛門は,金之助までも斬ろうとする.振りあげた刀の前に,乳母のお文が割って入った.さすがに斬りかね,金之助は勘当となる.それから5年,金之助は義賊として栃木県で名をはせる.新橋から県都栃木に流れてきた姉妹の芸者が,売れっ子になっている.ある夜,金之助が芸者の寮に忍びこみ,姉の小たけを手籠めにしようとする.止めに入った雇いの婆は,乳母のお文だった.お文は必死に金之助に改心を迫る.父親の金左衛門は,いつか息子が捕縛される姿を見たくないと,牢屋同心の職を辞して廻国していると説いて聞かせた.「若旦那さま,心を改めるか,さもなくば生き甲斐のない私を殺してくだされ」「親の意見で治らぬこの性根,無駄な意見はしてくれるな.ええ,この手を放せと言うに」「イエ,放せません.はなすと後がつかえましょうから」


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 文芸倶楽部, 1編〜39巻1号, 博文館 (1895〜1933)
 『文芸倶楽部』は,1895(明治28)年1月から1933(昭和8)年1月までの39年間に586冊が発行された.文芸誌としてスタートし,樋口一葉,泉鏡花,幸田露伴,岡本綺堂などの作品が掲載されてきた.1896(明治29)年1月に圓朝の落語(畳水練)が載り,3巻12編からは毎号のように講談・落語速記が掲載された.毎月の発行に加え,1,4,7,10月の定期増刊号と合わせて年16冊が典型的な刊行パターンであった."講談名妓伝"(写真),"講談落語 怪談揃","落語大全"などと題する定期増刊号には,読みきりの講談・落語速記がぎっしりと掲載されている.明治38年から十数年間,懸賞新作落語の募集が行われ,90作ほどの新作落語が掲載されている.そのうちのいくつか(「二人書生」「意地くらべ」など)は,今に伝わっている.大正6年から長講講談の連載がはじまり,ほぼ同時期に落語速記がめっきりと減ってくる.講談速記の総数は1500席を超えている.しかし,講談の場合,口演速記は減り,小説家の創作とのボーダーがあいまいな作品が増えてくる.落語の場合,古典落語(当時はこの呼び名はないが)・人情噺・新作落語の区別はつく.昭和期には,書き落語が目立つようになる.昭和期の増刊号では,過去の号に載せた速記を再利用している.
 大正期の講談・落語記事については,(吉沢英明,講談・落語等掲載所蔵雑誌目次集覧−大正期−,私刊(1994))が詳しく,昭和元年までの落語家が演じた速記については演者ごとのリスト(山本進,諸芸懇話会会報(1987))にまとめられている.どちらも伝統芸能情報館(千代田区)で閲覧できる.
 大正元年までに発行された文芸倶楽部全冊がデジタル化されており,目次については書籍になっている(日本近代文学館,文芸倶楽部明治篇総目次,八木書店 (2005)).ただし,デジタル版の価格は180万円と高額であり,個人で購入するのは事実上ムリ.国立国会図書館で閲覧できる.大正・昭和期の冊子体については,三康図書館(港区)と日本近代文学館(目黒区)の所蔵を合わせると,38巻5号,38巻6号(1932)の2冊を除いて,すべて閲覧できる.
 ここでは,『文芸倶楽部』に掲載された人情噺を紹介する.巻次の呼び方が,巻編から途中で巻号へと変更されていることもあり,すべて5(13)のような表記で統一した.また,別表1には増刊号について一覧をまとめた.『文芸倶楽部』にある落語のリストについては,別表2にまとめた.


 麗々亭柳橋,明烏雪夜話,文芸倶楽部, 4(9), 194-211 (1898)
 明烏雪夜話(あけがらすゆきよのはなし)は,『文芸倶楽部』明治31年7月号に掲載.麗々亭柳橋(4)演,紫珊速記.全4席.挿絵1枚.「明烏」の原話.『名人名演落語全集』第2巻に復刻されている.


 三遊亭圓朝,政談月の鏡,文芸倶楽部, 5(2), 182-241 (1899)
 圓朝の「政談月の鏡」が,『文芸倶楽部』明治32年1月定期増刊号"講談揃"に転載されている.


 麗々亭柳橋,両国八景,文芸倶楽部, 5(13), 162-174 (1899)
 笑福亭松喬,白浪,講談倶楽部, 2(7), 54-61 (1912)
 両国八景(りょうごくはっけい)は,『文芸倶楽部』明治32年10月号に掲載.麗々亭柳橋(4)演,小野田翠雨速記.挿絵1枚.「両国八景」という噺は,両国の見世物小屋の賑わいを描く落語と,この速記のように「八百蔵吉五郎」という人情噺を指す場合がある.『講談倶楽部』の白浪(しらなみ)は,大阪の笑福亭松喬演とあるが,江戸が舞台で,語り口も江戸言葉.発表年からすると,五代目松喬(二代目染丸)にあたる.川に飛び込んだ二人が,白浪だけに消えてしまったとサゲをつけている.
 両国の茶屋娘,お菊のところに通ってくる上客は,派手に祝儀を切り,造作を直す金も出す.近所の金棒引きのお町婆が,あの男は八百蔵吉五郎という盗人だとすっぱ抜く.吉五郎は3日でもお菊を女房にしないと顔が立たないという.親父はお町を刺し殺し,自分は自害する.吉五郎は捕縛され,お菊も百本杭で入水する.


 三遊亭金馬,黒雲お辰 夢の浮橋,文芸倶楽部, 6(6), 38-63 (1900)
 黒雲お辰 夢の浮橋(くろくもおたつ ゆめのゆきはし)は,『文芸倶楽部』明治33年4月臨時増刊号"講談大岡裁判"に掲載された.三遊亭金馬(小圓朝(2))演,石川景三速記.挿絵1枚.「正直安兵衛観音経」と同じストーリー.なお,麗々亭柳橋(4)の「正直安兵衛観音経」の速記は,ネットで読める.
 主人公が女盗賊の黒雲お辰,観音経を唱える善人の名が信兵衛,住まいが大和国添下郡.一方,「正直安兵衛観音経」の方は,主人公の盗賊が小鼠吉五郎,観音経を唱える善人の名が安兵衛,住まいが奥州小菅村.もともと「雲霧五人男」の一部だったという説明があるので,五人男の一人,木鼠吉五郎の名を引く「正直安兵衛観音経」の方がオリジナルと思われる.


 三遊亭金馬,小紫権八,文芸倶楽部, 6(10), 60-80 (1900)
 小紫権八(こむらさきごんぱち)は,『文芸倶楽部』明治33年7月臨時増刊号"講談名妓伝"に掲載.三遊亭金馬(小圓朝(2))演,翠雨生速記.全4席,挿絵1枚.同じ小圓朝の「比翼塚」の速記は,ネットで読める.やや細部の筋立てが違う.
 臆病のため,妻が乱暴され自害しても,手出しできなかった加藤平左衛門.このことが原因で浪人となる.病気で家計が成り立たないと,娘のおむらが琴を弾いて物乞いをする.乱暴者に連れ去られそうになるところを救ったのが平井権八郎.金を恵んだ上,医者を紹介され,平左衛門の病気も治る.
 今度は,白井家に金が必要と聞き,おむらは三浦屋に身を売り200両をこしらえる.その金を届けようとした平左衛門は,何者かに殺害され金を奪われる.権八は三浦屋の小紫(おむら)に通い詰めて勘当される.ある日,辻斬りをして得た200両を小紫に届けると,その財布は父の物だと言われる.権八は目黒祐天寺で切腹する.小紫も後を追って死ぬ.これを哀れんだ三浦屋主人が,比翼塚を建てた.権八が殺したのは,平左衛門の金を奪った男で,平左衛門を試し切りした旗本は,比翼塚の前で切腹した.


 麗々亭柳橋,三浦屋揚巻,文芸倶楽部, 6(10), 113-149 (1900)
 麗々亭柳橋,三浦屋揚巻,名妓伝, 博文館 (1910)
 三浦屋揚巻(みうらやあげまき)は,『文芸倶楽部』明治33年7月臨時増刊号"講談名妓伝"に掲載.麗々亭柳橋(4)演,翠雨生速記.花鳥風月全4巻,挿絵1枚.博文館の講談文庫『名妓伝』に再録されている.『名妓伝』は,『文芸倶楽部』"講談名妓伝"の話順を入れ替えて単行本化したもの.「三浦屋揚巻」は助六のエピソードの抜読.父親である春錦亭柳桜(1)が演じた「黒手組戸沢助六」はネットで読める.
 寒空の中おでん燗酒を売る親父の素性を聞くと,花川戸助六が通う三浦屋の揚巻花魁の父だった.女衒のかんぺら紋兵衛に50両だまし取られ,親子が会うことができないと訴えられる.紋兵衛は,揚巻を張り合ってる剣術使いの鳥居新左衛門を焚きつける.道場にあいさつに来た助六に鳥居は斬りつける.助六は,二尺八寸の尺八で,鳥居や門弟を打ちのめす.
 牛若伝次が捕縛されるとき,とっさにおでん屋新兵衛の行灯に金を隠す.この金をくすね,新兵衛は揚巻の身請けをする.黒手組は所帯を持たないというルールがあるのだが,町奴たちの粋な計らいで,助六と揚巻は結婚する.出牢した牛若伝次は,隠居した新兵衛を訪ねる.助六は何も聞かず,50両を渡して帰す.新兵衛の身請金は刻印つきの盗金だったため,新兵衛は牢に入れられる.助六が身代わりに願って出る.自分が盗んだ金のせいで,助六が牢に入ったと聞き,牛若伝次は江戸に駆けつけ自首する.出牢したものの,助六は34歳で死亡.妻の揚巻も自害.浅草易行院に比翼塚が建てられる.


 橘家圓喬,巌亀楼亀遊,文芸倶楽部, 6(10), 251-261 (1900)
 橘家圓喬,巌亀楼亀遊,名妓伝,博文館 (1910)
 巌亀楼亀遊(がんきろうきゆう)は,『文芸倶楽部』明治33年7月臨時増刊号"講談名妓伝"に掲載.橘家圓喬(4)演,翠雨生速記.挿絵1枚.博文館の講談文庫『名妓伝』に再録されている.
 幕末の横浜.豪商に案内されて巌亀楼に登楼した米国人のコンシフラー,どうしても亀遊花魁をあげたいとの所望.楼主の事をわけての懇願に,ようやく承知した亀遊は,部屋を片付けると言って一人戻る."露をだに厭ふ大和の女郎花 ふるあめりかに袖は濡らさじ"としたためて,喉を突いて自害していた.


 三遊亭圓朝,奴勝山,文芸倶楽部, 6(10), 262-281 (1900)
 奴勝山(やっこかつやま)は,『文芸倶楽部』明治33年7月臨時増刊号"講談名妓伝"に掲載.三遊亭圓朝(1)演,翠雨生速記.挿絵1枚.これが初出で,角川書店版の『三遊亭円朝全集』に収録されている.博文館の講談文庫『名妓伝』にも再録されている.


 橘家圓喬,舟徳,文芸倶楽部, 6(12), 189-199 (1900)
 三遊亭圓喬,首尾の松,女幕のうち, すみや書店 (1907)
 三遊亭圓喬,後の船徳,文芸倶楽部, 18(6), 54-66 (1912)
 橘家圓喬,お初徳兵衛,新演芸, (3), 54-64 (1946)
 橘家圓喬(4)が,初代古今亭志ん生が作った「お初徳兵衛」を2回に分けて演じている.現行の「船徳」は,その一部をふくらませた滑稽噺.発端部が『文芸倶楽部』明治33年9月号に掲載.翠雨生速記.挿絵1枚.その続編が,明治45年4月定期増刊号"名妓揃"に掲載.記載はないが,増刊号全体が今村次郎速記.挿絵1枚.どちらの噺も『明治大正落語集成』に復刻されている.
 お初徳兵衛(おはつとくべえ)は,橘家圓喬遺稿.『新演芸』3号に掲載された.「船徳」の人情噺版.雑誌『新演芸』は,戦後間もない1946年9月,光友社から発行された.1949年,15号で終刊.現代の落語鑑賞のさきがけともいえる編集方針だった.中では,故人圓喬の「お初徳兵衛」は異色の作品.それもそのはず,『女幕のうち』(明治40年)に載った首尾の松(しゅびのまつ)の抜粋.もっとも面白い「船徳」の失敗部分が削られている.新米船頭の徳兵衛も3年たって売れっ子になり,しまいには芸者のお初と首尾の松でいい仲になる.現行の「船徳」で描かれていない説明が多く,なるほどと思った.いつも船が三べん回るのは,柳橋から隅田川に出たところではなく,流れの強い厩河岸の渡しのことだった.


 三遊亭新朝,松枝宿の子殺し,百花園, (23) (1890)
 橘家圓喬,怪談松井田宿,文芸倶楽部, 11(9), 271-285 (1905)
 三遊亭圓右,米搗の花嫁,文芸倶楽部, 22(6), 26-51 (1916)
 談洲楼燕枝,子殺し地蔵,娯楽世界, 6(6), 135-145 (1918)
 談洲楼燕枝,幽霊の手招ぎ,文芸倶楽部, 26(14), 72-82 (1920)
 談洲楼燕枝,子殺し地蔵,週刊朝日, 6(20), 14-15 (1924)
 三遊亭小圓朝,菊模様皿山奇談,講談落語界, 1(1)〜3(xx) (1913-14)
 圓朝の「菊模様皿山奇談」の抜読.
 『百花園』に載った三遊亭新朝演の「松枝宿の子殺し」は,『明治大正落語集成』に復刻されている.挿絵1枚.橘家圓喬(4)演の怪談松井田宿(かいだんまついだしゅく),談洲楼燕枝(2)演の幽霊の手招ぎ(ゆうれいのてまねぎ),子殺し地蔵(こごろしじぞう)も同じ部分の抜読.それぞれ,『文芸倶楽部』明治38年7月号(挿絵2枚),大正9年10月定期増刊号"不思議十八番"(挿絵1枚),『娯楽世界』大正7年6月号,『週刊朝日』大正13年11月2日号に掲載.
 三遊亭圓右(1)演の米搗の花嫁(こめつきのはなよめ)は『文芸倶楽部』大正5年4月定期増刊号"花嫁くらべ"に掲載.挿絵2枚.お家の宝の皿を撞きこわす小皿山の由来の部分.
 『講談落語界』に,三遊亭小圓朝(2)の「菊模様皿山奇談」が連続口演されている.1巻1号から3巻3号まで11回の連載を確認している.そこまでで原作47回のうち40回分までが載っているので,あと2回ほどで完結したはず.なお,初回のみ演題が「菊模様皿山」となっている.


 林家正蔵,正直清兵衛,文芸倶楽部, 13(10), 287-293 (1907)
 人情噺の「正直清兵衛」は,「お藤松五郎」などと同様に,青蛙房の『落語辞典』に載っている演目.正蔵(5)の速記は,『明治大正落語集成』第6巻で復刻されている.


 橘家圓喬,江嶋屋,文芸倶楽部, 13(14), 1-17 (1907)
 三遊亭圓喬,夢の遺言,文芸倶楽部, 18(14), 14-33 (1912)
 三遊亭圓右,原中の一軒家,講談落語界, 9(1), 57-69 (1920)
 三遊亭圓右,親ごころ,娯楽世界, 9(10), 99-116 (1921)
 三遊亭圓右,恨みの振袖,週刊朝日, 6(1), 64-66 (1924)
 蝶花楼馬楽,一つ家の怪婆,冨士, 7(9), 464-468 (1934)
 圓朝の「鏡ヶ池操松影」の抜読.
 橘家圓喬(4)演の江嶋屋(えじまや)は,『文芸倶楽部』明治40年10月定期増刊号"講談落語 怪談揃"に掲載.挿絵2枚.老婆の呪いの部分.『講談落語界』掲載の三遊亭圓右(1)の「原中の一軒家」,『冨士』に掲載の蝶花楼馬楽(5)(林家彦六)の「一つ家の怪婆」も同じ部分.
 夢の遺言(ゆめのゆいごん)は,大正元年10月定期増刊号"夢揃ひ"に掲載.挿絵2枚.国宗の刀の詮議の部分.
 『娯楽世界』掲載の「親ごころ」は,三遊亭圓右(1)演,今村次郎速記.挿絵1枚.悪人に金を奪われた小僧が江島屋に助けられ,小僧の親父が幽霊となって国宗の刀を形見に渡しに来る冒頭の場面.


 林家正蔵,染分手綱,文芸倶楽部, 13(14), 75-84 (1907)
 林家正蔵(5)演の染分手綱(そめわけたづな)は,『文芸倶楽部』明治40年10月定期増刊号"講談落語 怪談揃"に掲載.この速記は,『名人名演落語全集』第6巻に復刻されている.


 柳亭燕枝,お縫の火,文芸倶楽部, 13(14), 135-148 (1907)
 談洲楼燕枝,お縫の火,文芸倶楽部, 20(14), 86-109 (1914)
 談洲楼燕枝,お縫の火,娯楽世界, 10(7), 54-74 (1922)
 談洲楼燕枝,お縫の火,我か家, (222), 28-39 (1935)
 お縫の火(おぬいのひ)は,『文芸倶楽部』明治40年10月定期増刊号"講談落語 怪談揃"と大正3年10月定期増刊号"新怪談揃"の2回にわけて掲載されている.談洲楼燕枝(2)演.各挿絵1枚,2枚.内容は「旗本五人男」の抜き読み.2回の間が7年もあいており,前半だけで独立した怪談として演じたものを,後日譚としてまとめた感がある.
 その後,談洲楼燕枝は,『我か家』に前半,『娯楽世界』に後半を掲載している.
 安永元年,本所四ツ目の旗本,猪飼五郎太夫が,清水町の名主長岡庄左衛門に,世話女のあっせんを頼む.自分の姪のお縫ならば,家を出たがっているので,10両の手切金で紹介しようと言う.お縫の実父の医者養泉は,妾をこしらえ,さらに養泉が死ぬと,妾のお松は弟子の養雪とくっついて,2人してお縫を折檻しているのだった.名主の長岡は,お松と養雪に,お前達は人別の上では下女と弟子に過ぎないと一喝し,タダでお縫を連れ去り,10両はくすねてしまう.
 屋敷奉公と聞いていたお縫だが,旗本屋敷には博奕のごろつきが出入りし,妾同然の扱いで,だまされたのだと気づく.一緒に逃げようとやさしい言葉をかけてきた庵崎の栄次に,猪飼から預かった知行所の上がり25両を預けて,屋敷を出る.小舟で佐賀町まで逃げ,舟底に隠れていろと言って,栄次は去る.船頭に聞かれて事情を話すと,それは栄次にだまされたと言われる.屋敷に戻ることもできず,万年橋から飛び込むが死にきれない.恥をしのんで,長岡の家を訪ねる.長岡はお縫を女郎に売って金にしようと,猪飼に持ちかけるが,猪飼は承知しない.50両でお縫をなぶり殺しにしろと命じる.長岡は,平井聖天に一時かくまうとお縫をだまして連れ出す.どしゃ降りの合羽干場でお縫を斬る.証拠隠滅に,お縫の顔の皮を切り落として捨てる.ふわふわと鬼火が飛んでいく.
 翌晩,猪飼の留守宅にあがりこんだ博奕仲間,奥間で三味線の音がするので見にいくと,お縫の後ろ姿.振り向くと,顔がスッパリとない.猪飼屋敷には,毎晩火の玉が転がると噂が立ち,ついに猪飼の家は断絶する.本所七不思議の一つ,お縫の火の話(前半).
 悪事露見をおそれた庄左衛門は江戸を離れ,以前に世話をした高崎在金子村の国蔵親分にやっかいになる.渋川在の名主善右衛門の世話で,善右衛門が手をつけた芸者のお花を嫁に迎える.ある日,立場茶屋に休んでいると,庵崎の栄次に出会う.自分が犯人だということを隠ぺいするために,お前がお縫を殺したと栄次に言いがかりをつけ,金をゆすり取る.その金も博打にとられ,家に戻ると男女の話し声.間男と見つけたと飛び込むと,中にいたのは,お花と親代わりの善右衛門.引っ込みがつかなくなり,善右衛門を蹴飛ばすと,打ちどころ悪く死んでしまう.ここからは,「引窓与兵衛」の趣向.善右衛門の死骸は,小博打していた子分たちに殴られ,自分の家の井戸に投げ込まれる.みんなから金をせしめ,うまく行ったかに思えたのだが,次第に庄左衛門の悪い噂が立ちはじめる.お花とともに江戸へ逃げ出したのだが,敷島川を渡るときに,お花が善右衛門の姿になり,思わず切りつける.すると,お縫の声がして陰火がスーッと飛んでいく.庄左衛門は道をさまよい,国蔵の門口に昏倒する.庄左衛門はうわごとでこれまでの悪事を口走る.お花も国蔵に助けられており,すべてが露見する.庄左衛門と猪飼五郎太夫は死罪となる(後半).


 三遊亭小圓朝,乳房榎,文芸倶楽部, 13(14), 190-205 (1907)
 三遊亭圓右,雀の化物,文芸倶楽部, 22(10), 63-74 (1916)
 三遊亭小圓朝,乳房の榎,文芸倶楽部, 34(10), 222-233 (1928)
 圓朝の「怪談乳房榎」の抜読.
 三遊亭小圓朝(2)演の「乳房榎」は『文芸倶楽部』明治40年7月定期増刊号"講談落語 怪談揃"に掲載.挿絵2枚.おきせ口説き,重信殺し,十二社の滝の部分.昭和3年9月増刊号"怪談名作揃ひ"に再掲されている.挿絵3図.
 三遊亭圓右(1)演の雀の化物(すずめのばけもの)は,大正5年7月定期増刊号"化物くらべ"に掲載.おきせの死の部分.挿絵1枚.


 三遊亭圓右,仙台屋,文芸倶楽部, 13(14), 218-229 (1907)
 三遊亭圓右(1)演の,仙台屋(せんだいや)は,『文芸倶楽部』明治40年10月定期増刊号"講談落語 怪談揃"に掲載.挿絵1枚.
 京橋金六町の箪笥商仙台屋の千右衛門は,出入りの植木屋宇兵衛に懇願し,娘のおあさを千之助の嫁にもらう.まもなく千右衛門は病死,千之助はつきあいで行った深川芸者,おたきと馴染みになる.番頭喜兵衛のたくらみで,おたきを家に迎え入れる.ある日,手紙を持たせて巣鴨の実家におあさを里帰りさせる.手紙を開いてみると,何とそれは離縁状.おあさはあわてて家に戻り,訳を聞くと,洒落だとの言い訳.その場は収まったが,おたきに焚きつけられ,もう一度離縁状を持たせて里に帰す.手紙を開いたおあさは,喉を突いて自害する.死骸を抱いた宇兵衛は,おあさよ仙台屋をつぶしてやれと,京橋の方をにらみつける.
 今度は戻って来るまいと噂をしているところへ,おあさが戻ってくる.家風に合わないから離縁するのだ,今夜は寝ろと,おあさを寝かす.そこへ,宇兵衛方からおあさが死んだとの報せが来る.仙台屋には化物が出ると噂が立ち,ついには千之助,おたきはのたれ死にした.


 三遊亭小圓朝,阿花粂之助,文芸倶楽部, 14(6), 116-127 (1908)
 三遊亭小圓朝,おうめ粂三郎恨の巾着,講談雑誌, 1(7)〜1(8) (1915)
 三遊亭小圓朝(2)演の,阿花粂之助(おはなくめのすけ)は,『文芸倶楽部』明治41年4月定期増刊号"花くらべ"に載っている.挿絵1枚.粂之助の放逐まで.円朝全集の「闇夜の梅」(穴釣り三次)では,登場人物はお梅と粂之助.
 同じく,おうめ粂三郎恨の巾着(おうめくめさぶろううらみのきんちゃく)は,『講談雑誌』に2回にわたって連載.こちらの登場人物は,おうめと粂三郎.


 柳亭燕枝,子宝,文芸倶楽部, 14(6), 213-223 (1908)
 子宝(こだから)は,『文芸倶楽部』明治41年4月定期増刊号"花くらべ"に掲載.柳亭燕枝(2)演,挿絵1枚.
 神田豊島町の越前屋佐兵衛夫婦には子供がいない.近所の浪人者,山本久兵衛の娘おさよをかわいがっている.ある日,おさよを湯浴みさせ,着飾って浅草寺に連れて行くと,占いの店を出している山本に出会う.山本は,自分には娘などいない,のちほど挨拶にうかがうという.手打ちになるかと恐れていた佐兵衛に,娘を養育してくれと山本は申し出る.近所に実父がいては気兼ねだろうと,山本はどこかへ去ってしまう.後に,火事で焼け出された佐兵衛夫婦を,16歳になったおさよが身を売って助けたという.


 桂楽翁,西海浪隆盛,文芸倶楽部, 14(14), 115-124 (1908)
 翁家さん馬,隆盛,講談雑誌, 4(9), 151-160 (1918)
 西海浪隆盛(にしのうみなみのたかもり)は,『文芸倶楽部』明治41年10月定期増刊号"心中譚"に掲載された芝居噺.桂楽翁(文治(6))演.挿絵1枚.『講談雑誌』に載った「隆盛」は,七代目翁家さん馬(文治(8))演.挿絵2枚.山路の文治こと八代目文治は,六代目の芝居噺を継承した.
 大坂相撲の鱗島勇吉,桜の宮で心中しようとするところを大島三郎と名のる男に救われる.使い込んだ金を恵まれ,心中相手のおなみと夫婦になる.明治9年,鱗島は出世し,年寄となって鹿児島へ巡業する.料理屋に呼ばれた鱗島は,大島こと西郷隆盛に再会する.改めてそちの命は申し受けたと,西郷の言葉.その意味は,西郷とともに出京し,征韓論を用いさせんとの誘い.そこに相撲の触れ太鼓.東が残らず勝ったるは,コリャ忌わしい,チョン,辻占であるの.


 三遊亭小圓朝,女占ひ,女幕のうち, すみや書房 (1907)
 三遊亭小圓朝,若草双紙,文芸倶楽部, 14(14), 145-159 (1908)
 三遊亭圓喬,またかのお関,文芸倶楽部, 17(14), 141-155 (1911)
 三遊亭圓楽,大篦棒,講談雑誌, 3(3), 167-180 (1917)
 三遊亭圓右,按摩の幸次,文芸倶楽部, 29(5), 277-289 (1923)
 月の家圓鏡,大べら棒,文芸倶楽部, 30(15), 403-410 (1924)
 三遊亭小圓朝(2)演の,若草双紙(わかくさぞうし)は,『文芸倶楽部』明治41年10月定期増刊号"心中譚"に掲載.挿絵2枚.圓朝の「緑林門松竹」の抜読.この噺と「緑林門松竹」の人物名[ ]とでは違っている.遊女若草[常磐木]を取り合う剣術師安田郷左衛門[天城豪右衛門]と若旦那の伊勢屋庄三郎[阿波屋惣次郎].恋心から病に伏せる許嫁のおさき[おくみ].安田と誤って伊勢屋主人を刺してしまう侠客菊松[小僧平吉].若草と庄三郎は心中し,おさきは庄三郎の従兄弟と結婚して伊勢屋を継ぐ,と結末をつけている.
 橘家圓喬(4)演の,またかのお関(またかのおせき)は,『文芸倶楽部』明治44年10月定期増刊号"古今妖婦伝"に掲載.挿絵1枚.女占い者が,ガラリと鉄火になるところが眼目.三遊亭小圓朝(2)の「女占ひ」も,「またかのお関」の部分.「またかのお関」は,三遊亭圓生(6)の速記・音源が残っている.
 三遊亭圓右(1)演の按摩の幸次(あんまのこうじ)は,『文芸倶楽部』大正12年4月号に掲載.挿絵1枚.「按摩の幸次」は「緑林門松竹」の終盤,おなつの板の間かせぎの部分.林家正蔵(8)の音源が残っている.
 大篦棒(おおべらぼう)は,「やんま久次」の別題.円朝全集には載っていない.一朝老人から林家正蔵(8)に伝わり,『林家正蔵集』に速記が残されている.『講談雑誌』3巻3号に三遊亭圓楽(一朝)の「大篦棒」が載る.『文芸倶楽部』大正13年11月号に掲載された「大べら棒」は,月の家圓鏡(三遊亭圓遊(3))演.挿絵3枚.こちらの速記では,主人公の名前は久次でもなく,大やんまの彫り物をしている訳でもないが,筋立てはほぼ一緒.
 番町の旗本の次男伝次郎は,夜鷹頭の家にごろごろして博打三昧.金がなくなると屋敷に無心にくる.友人の借金の請け人になっており,このままだと遠島になるといって,老母から金をせびろうとする.そこへ長男が伝次郎を呼びつけ,一間へ通す.そこは畳が裏返っており,切腹の支度ができている.武士らしく腹を切れと迫るところに,剣術の先生がやってきてとりなしてくれる.以後,改心するからと屋敷を出た伝次郎.小遣いにもらった二百文を鼻で笑って,心を改めろなんぞできるものか.あいつらは結構な遊びも知らず,万年青を仕立てるのを楽しみにしてやがる.馬鹿にするな,この大べらぼう.


 三遊亭圓喬,市松おむら,文芸倶楽部, 14(14), 214-227 (1908)
 三遊亭圓右,式部屋おむら,文芸倶楽部, 20(6), 53-65 (1914)
 『文芸倶楽部』には,圓朝の「業平文治漂流奇談」の抜読が載っている.
 橘家圓喬(4)演の市松おむら(いちまつおむら),三遊亭圓右(1)演の式部屋おむら(しきぶやおむら)は,それぞれ,『文芸倶楽部』明治41年10月定期増刊号"心中譚"(挿絵1枚),大正3年4月定期増刊号"色くらべ"(挿絵1枚)に掲載.いずれも,お村友之助の心中と式部屋の掛合の部分.
 『講談雑誌』には,圓右(1)(圓朝(2))の没後の1926年5月から,圓朝遺稿として「漂流奇談業平文治」が連載されている.


 三遊亭圓喬,法楽舞,文芸倶楽部, 15(2), 1-19 (1909)
 圓朝の「名人くらべ」の抜読.橘家圓喬(4)演の,法楽舞(ほうらくのまい)は,『文芸倶楽部』明治42年1月定期増刊号"名人揃"に載っている.挿絵2枚.毬信とお須賀の出会いの部分.『これが志ん生だ!』第4巻(三一書房(1995))に復刻されている.


 三遊亭圓右,名人長次,文芸倶楽部, 15(2), 175-193 (1909)
 三遊亭圓右,名人長次,講談雑誌, 1(1)〜1(6) (1915)
 三遊亭圓右,名人長次,講談雑誌, 12(7), 310-323 (1926)
 三遊亭圓右,名人長二,東京, 2(8), 102-110 (1925)
 圓朝の「指物師名人長二」の抜読.三遊亭圓右(1)演の,名人長次(めいじんちょうじ)は,『文芸倶楽部』明治42年1月定期増刊号"名人揃"に載っている.挿絵2枚.仏壇こわし〜湯河原湯治の部分.
 同じく,三遊亭圓右(1)演の「名人長次」の通しが,『講談雑誌』の創刊号から第6号にかけて連載されている.初代没後の1926年にも仏壇こわしの速記が載っている.ボンボンの2代目圓右が本当に演じたか確かめられないが,年代的に2代目として整理した.『東京』の2巻8号に,圓右の遺稿として「名人長二」の仏壇こわしが載っている.


 三遊亭圓喬,孝女お里,文芸倶楽部, 15(9), 271-283 (1909)
 三遊亭圓喬,孝女お里,孝子伝, 博文館 (1913)
 三遊亭圓喬,孝女お里,時事新報 (1909.1.1-1.21)
 三遊亭圓喬,烈婦お不二,時事新報 (1909.1.23-2.22)
 三遊亭圓喬,お蝶の仇討,時事新報 (1909.3.27-4.12)
 三遊亭圓喬,お民の貞操,時事新報 (1909.4.23-5.3)
 三遊亭圓喬,お艶の勇邁,時事新報 (1909.5.4-5.9)
 三遊亭小圓朝,孝女おてふ,講談倶楽部, 12(3), 260-? (1922)
 三遊亭圓朝,お民天晴れ,文芸倶楽部, 32(6), 32-55 (1926)
 圓朝の短編連作「操競女学校」が雑誌・新聞に掲載されている.三遊亭(橘家)圓喬(4)演の,孝女お里(こうじょおさと)は『文芸倶楽部』明治42年7月号に掲載された.挿絵1枚.博文館の講談文庫『孝子伝』に再録されている.この速記は,『明治大正落語集成』に復刻されている.『時事新報』に,圓喬(4)演の「操競女学校」が連載されている.そのうち,烈婦お不二(れっぷおふじ)は,これまでの『圓朝全集』から漏れていたもので,岩波版の『円朝全集』に採録された.そのあらすじは,「圓朝作品のあらすじ」烈婦お不二に記している.『講談倶楽部』12巻3号には,三遊亭小圓朝(2)演の孝女おてふ(こうじょおちょう)が載っている.掲載号は日本近代文学館が所蔵しているが,当該ページだけ切り取られてしまっており,内容を確認することができない.
 圓朝演の,お民天晴れ(おたみあっぱれ)は『文芸倶楽部』大正15年5月号に掲載されている.挿絵3枚.


 三遊亭小圓朝,駕籠の夢,文芸倶楽部, 15(14), 67-81 (1909)
 三遊亭圓右,累ヶ淵(上),文芸倶楽部, 16(14), 126-142 (1910)
 三遊亭圓喬,累ヶ淵(下),文芸倶楽部, 16(14), 142-162 (1910)
 三遊亭圓右,婚礼場,文芸倶楽部, 20(14), 218-231 (1914)
 三遊亭小圓朝,濡髪おしづ,文芸倶楽部, 21(6), 85-109 (1915)
 三遊亭圓右,師匠の嫉妬,文芸倶楽部, 24(10), 136-153 (1918)
 三遊亭遊三,去年今夜,娯楽世界, 8(6), 28-43 (1920)
 三遊亭小圓朝,怪談迷子札,娯楽世界, 10(10), 47-61 (1922)
 三遊亭圓右,濡髪おしづ,娯楽世界, 12(10), 16-39 (1924)
 三遊亭一朝,宗悦殺し,文芸倶楽部, 32(14), 498-504 (1926)
 三遊亭圓生,讐同志,文芸倶楽部, 32(14), 505-520 (1926)
 三遊亭圓橘,寿司屋の二階,文芸倶楽部, 32(14), 521-532 (1926)
 三遊亭圓右,駕籠の怪,文芸倶楽部, 32(14), 532-546 (1926)
 三遊亭圓楽,婚礼場,文芸倶楽部, 32(14), 547-559 (1926)
 三遊亭圓喬,累ヶ淵,文芸倶楽部, 34(10), 180-195 (1928)
 柳亭市馬,真景累ヶ淵,講談倶楽部, 18(10), 542-547 (1928)
 三遊亭圓右,按摩宗悦殺し,文芸倶楽部, 35(9), 178-194 (1929)
 三遊亭圓喬,豊志賀の怨霊,文芸倶楽部, 35(9), 196-211 (1929)
 三遊亭小圓朝,駕籠の夢,文芸倶楽部, 35(9), 212-227 (1929)
 圓朝の代表作,「真景累ヶ淵」は繰り返し演じられている.
 三遊亭小圓朝(2)演の,駕籠の夢(かごのゆめ)は,『文芸倶楽部』明治42年10月定期増刊号"続怪談揃"に掲載された.挿絵1枚.「迷いの駕籠」の部分.『娯楽世界』の怪談迷子札(かいだんまいどふだ)もこの部分.濡髪おしづ(ぬれがみおしず)は,大正4年4月定期増刊号"人情くらべ"に掲載された.お賤新吉の湯灌場〜聖天山の場面.挿絵2枚.『娯楽世界』の「濡髪おしづ」もこの部分.
 「累ヶ淵」「宗悦殺し」から「お久殺し」までを上下2席に分けて,圓右・圓喬がリレー形式で演じている.明治43年10月定期増刊号"続々怪談揃"に掲載された.各挿絵1枚,2枚.昭和4年8月号"怪談名作揃ひ"でも再掲されている.昭和4年8月号では,小圓朝の「迷いの駕籠」を加えた上中下の3席ものの扱いで再掲されている.昭和3年9月号では,圓喬の「お久殺し」を再掲している.
 圓右(1)演の,師匠の嫉妬(ししょうのしっと)は,大正7年7月定期増刊号"講談落語七不思議"に掲載された.豊志賀の死の場面.挿絵1枚.婚礼場(こんれいば)は,大正3年10月定期増刊号"新怪談揃"に掲載された.お累の婚礼の場面.挿絵1枚.
 大正15年10月増刊号"続実説怪異百物語"で「宗悦殺し」から「お累の婚礼」まで5席にわけて演じられている.大正15年頃の『文芸倶楽部』は,「祐天吉松」や「相馬大作」など,有名どころの話を通しで載せることが多かった.演者は,一朝,圓生(5),圓橘(4)(小圓朝(3)),圓右,圓楽(3)(林家彦六)の5人.挿絵は,「宗悦殺し」が2枚,他は各3枚.


 三遊亭圓喬,栗橋宿,文芸倶楽部, 15(14), 147-167 (1909)
 三遊亭圓右,夜半の下駄の音,文芸倶楽部, 25(6), 85-97 (1919)
 三遊亭小圓朝,怪談牡丹燈籠,講談雑誌, 5(13)〜7(2) (1919〜21)
 三遊亭圓喬,幸手堤お峰殺し,サンデー毎日, 1(16), 44-45 (1922)
 三遊亭圓馬,柳島の寮,文芸倶楽部, 32(8), 390-402 (1926)
 三遊亭圓生,カランコロン,文芸倶楽部, 32(8), 402-413 (1926)
 三遊亭圓橘,お国源次郎,文芸倶楽部, 32(8), 414-427 (1926)
 三遊亭圓右,お峰ころし,文芸倶楽部, 32(8), 428-440 (1926)
 三遊亭圓楽,仇討本懐,文芸倶楽部, 32(8), 440-448 (1926)
 三遊亭小圓朝,牡丹燈籠,怪談恋物語, 国華堂 (1910)
 圓朝の代表作,「怪談牡丹燈籠」は繰り返し演じられている.
 圓喬(4)演の,栗橋宿(くりはしじゅく)は,『文芸倶楽部』明治42年10月定期増刊号"続怪談揃"に掲載された.挿絵2枚.圓喬没後,『サンデー毎日』にお峰殺し(おみねごろし)が掲載された.圓右(1)演の,夜半の下駄の音(よわのげたのね)は,大正8年4月定期増刊号"おばけと幽霊"に掲載.挿絵1枚.
 大正15年7月号で,発端部からから結末まで5席にわけて演じられている.演者は,圓馬(3),圓生(5),圓橘(4)(小圓朝(3)),圓右,圓楽(3)(林家彦六)の5人.挿絵各2枚.
 人情噺が雑誌に載る場合は,抜き読みのことが多いが,『講談雑誌』には,小圓朝(2)演じる「怪談牡丹燈籠」が15回の続き噺で演じられた.今村次郎速記.『実説 怪談恋物語』には,「牡丹燈籠」と題して「お札はがし」の抜き読みが載っている.浪上義三郎速記.


 三遊亭圓右,宮の越検校,華の江戸, (11), 51-58 (1897)
 三遊亭圓右,宮の越検校,文芸倶楽部, 15(14), 214-230 (1909)
 宮の越検校(みやのこしけんぎょう)は,『文芸倶楽部』明治42年10月定期増刊号"続怪談揃"に掲載.三遊亭圓右(1)演.挿絵2枚.『華の江戸』は11号で終刊したらしく,冒頭の導入部までで,未完に終わっている.こちらでは,主人公の名が文慶,出身地が豊橋ではなく刈谷となっている.
 文桂という按摩,客の物を盗んだため,江戸の豊の市のもとで修行しなおせと,故郷の豊橋を追い出される.箱根山中の辻堂で雨宿りする.居あわせた旅人の疝癪を療治していると,金を持っている様子.急所に鍼をうって,金を奪って逃げる.
 文桂は如才ない男で,盗んだ金で療治があったように見せかけ,師匠に気に入られる.5年のちには,宮の越検校の位を買うほどの出世.先代宮の越の娘みつを養育し,盆の施行をする.盆の迎え火を焚いていると,乞食が現れ,おみつの手をつかむ.家人が出てくると,乞食の姿はなく,おみつが「文桂よくも俺を殺したな」と語り出す.
 年老いた按摩を呼んだ与吉は,世間話のうちに,宮の越検校は豊橋出身の元文桂という名だと知る.箱根で殺された父の死骸に残っていたのが,文桂の名札.奉行所に訴え,宮の越は召し捕りになる.


 三遊亭小圓朝,有松屋美代吉,文芸倶楽部, 16(10), 56-73 (1910)
 三遊亭小圓朝,有松しぼり,講談倶楽部, 2(5), 212-226 (1912)
 三遊亭文朝,有松絞り,楽天パック, 2(16)〜(17) (1913)
 三遊亭小圓朝,有松屋美代吉,娯楽世界, 8(8), 81-96 (1920)
 古今亭今輔,有松屋の美代吉,実話講談の泉, 2(12), 92-104 (1949)
 三遊亭小圓朝(2)演の,有松屋美代吉(ありまつやみよきち)と有松しぼり(ありまつしぼり)は,圓朝の「松と藤芸妓の替紋」の抜読.『文芸倶楽部』明治43年7月定期増刊号"情話くらべ",『講談倶楽部』大正1年4月"つやもの",『娯楽世界』大正9年8月"多情多恨女揃い"に掲載.『楽天パック』という雑誌に,2回にわたって「松と藤芸妓の替紋」の一部を翻案したものが掲載されている.三遊亭文朝演,岡本宗一カ速記.
 戦後の掲載ではあるが,古今亭今輔(5)が『実話講談の泉』に載せた「有松屋の美代吉」は,一朝ゆずりらしく,きっちりと演じられている.


 三遊亭圓馬,人来鳥お歌,文芸倶楽部, 17(2), 56-71 (1911)
 三遊亭小圓朝,お松御殿,文芸倶楽部, 18(9), 67-82 (1912)
 三遊亭圓右,榛名の捕物,文芸倶楽部, 23(14), 164-186 (1917)
 三遊亭小圓朝,姐妃のお松,娯楽世界, 10(8), 16-30 (1922)
 三遊亭小圓朝,榛名の梅ケ香,講談落語界, 7(xx)〜9(xx)か (1918-20か)
 いずれも,圓朝の大長編「後開榛名の梅が香」の抜読.
 三遊亭圓馬(2)演の,人来鳥お歌(ひとくどりおうた)は『文芸倶楽部』明治44年1月定期増刊号"娘揃ひ"に掲載.挿絵1枚.草三を追って信州へ向かうお歌の災難の場面.
 三遊亭小圓朝(2)演の,お松御殿(おまつごてん)は『文芸倶楽部』明治45年6月紀念増刊号"講談落語廿五名家選"に掲載.挿絵1枚.木曽福島のお松の方のお藤殺しと幼い登太郎の仇討の部分.恒川半三郎が罪を引き受けるのではなく,登太郎の罪は許されるという結末をつけている.『娯楽世界』の姐妃のお松(だっきのおまつ)も同じ部分の速記.
 三遊亭圓右(1)演の,榛名の捕物(はるなのとりもの)は『文芸倶楽部』大正6年10月定期増刊号"古今探偵腕くらべ"に掲載された.挿絵2枚.
 『講談落語界』に,三遊亭小圓朝(2)の「榛名の梅ケ香」が連続口演されている.安中草三の副題.8巻1号(第11回)から9巻1号(第23回)まで3回の連載を確認したほか,予告や目次情報が得られる.10巻2号,4号に掲載がないことから,9巻のうちに連載を終えた可能性が高い.


 三遊亭圓喬,江戸娘,文芸倶楽部, 17(2), 119-140 (1911)
 三遊亭圓喬,延命袋,講談倶楽部, 2(5), 138-154 (1912)
 三遊亭圓右,雪の夜嵐,文芸倶楽部, 21(6), 151-163 (1915)
 三遊亭圓右,腰元お梅,文芸倶楽部, 22(14), 128-147 (1916)
 三遊亭圓右,江戸娘お袖,講談落語界, 10(10), 1-22 (1921)
 『文芸倶楽部』誌上で,「菊模様延命袋」が3回に分けて演じられている.橘家圓喬の「菊模様延命袋」の速記はネットで読める.
 圓喬(4)の江戸娘(えどむすめ)は,明治42年1月定期増刊号"娘揃ひ"に掲載された.お袖が役者の菊五郎と僧義当の妾になり,どちらの子ともわからない子供を宿し,義当に掛けあうが,羅切の跡を見せられ追い返されるという,「菊模様延命袋」の冒頭の部分.
 雪の夜嵐(ゆきのよあらし)は,大正4年4月定期増刊号"人情くらべ"に掲載された.三遊亭圓右(1)演.挿絵1枚.菊五郎の養子に引き取られた丑之助.嵐雛助の息子の重助とは同い年の19歳で,仲が良い.酔った弟子の新兵衛が雛助の後家を口説いたが,こっぴどく突っぱねられ,廊下に寝込む.戸棚から出てきた丑之助を後家が口説く.目を覚ました新兵衛が丑之助を押さえつける.打ちどころが悪く,新兵衛は死んでしまう.戻ってきた重助が後始末し,七之助は出家し,江戸延命院日当となる.
 腰元お梅(こしもとおうめ)は,大正5年10月定期増刊号"政談五人娘"に掲載された.三遊亭圓右(1)演.挿絵2枚.延命院に墓参に来た旗本の越本のお梅を納所の柳全がはらませる.堕胎するため池上にむかうが,途中で雷に会い,介抱したごろつきの七之助の言葉に従って,ともに暮らす.七之助は,お梅と赤子を連れて,延命院にゆすりに行く.対応した柳全は元御家人で,悪いことにかけては七之助よりも上手.お梅は入水.七之助はもらった100両も博打で取られ,下総で蓮華往生の片棒を担ぐ.
 『講談倶楽部』の延命袋(えんめいぶくろ)は,「江戸娘」と「腰元お梅」をつなげたもの.圓喬(4)演(目次は圓右となっている).挿絵1枚.『講談落語界』の「江戸娘お袖」では,再び「江戸娘」と同じ部分を演じている.


 三遊亭小圓朝,四つ目小町,文芸倶楽部, 17(2), 205-222 (1911)
 三遊亭小圓朝,塩原多助の生立,実業少年, 5(6), 20-26 (1911)
 三遊亭圓喬,塩原多助,農業世界, 8(1)附録, 1-46 (1912)
 三遊亭小圓朝(2)演の四つ目小町(よつめこまち)は,圓朝の代表作「塩原多助一代記」の抜読.『文芸倶楽部』明治44年1月定期増刊号"娘揃ひ"に掲載.挿絵2枚.四つ目小町と言われた藤野屋のお花と多助の婚礼の部分.婚礼衣装の振袖をナタで切り落とすシーンが眼目.
 青雲の志を持つ若者のための雑誌,『実業少年』に塩原太助の生立(しおばらたすけのおいたち)と題して,小圓朝演の発端部が載っている.今村次郎速記.主人の帰参ために杣人を襲った旧家来が,それに気づいた主人に鉄砲で撃ち殺される.残された多助少年が杣人に預けられる.
 『農業世界』新年号附録に,「塩原塩原多助一代記」の長編の抜き読みが載っている.橘家圓喬(4)演,今村次郎速記.


 古今亭今輔,辰巳のお仲,文芸倶楽部, 18(6), 79-91 (1912)
 古今亭今輔(3)の辰巳のお仲(たつみのおなか)は,『文芸倶楽部』明治45年4月定期増刊号"名妓揃"に掲載された.挿絵1枚.
 木場の髪結,平吉は,出入りの旦那衆に連れられて船遊びに出かける.別の船で遊んでいた武士をからかったため,怒った武士が船に乗り込んで刀を振り回す.木場の旦那衆は水に飛び込んで逃げたが,船に残ったのは櫓下の芸者お仲と,船べりにつかまっていた平吉ばかり.平吉は武士に腕を落とされ,死んでしまう.許婚者のお石は,平吉の家に嫁いで,残された父親の看病をする.しかし,金に詰まり,お仲の宅を訪れ,自分も芸者にしてくれと頼む.お仲は,無証文で30両を貸してやる.看病の甲斐なく,義父が死ぬ.義理立てに再びお仲を訪れ,芸者となる.お仲の留守に,お石に初めてのお座敷がかかる.なんと,お客はお仲.お石を身請けして,両親のもとに返してやる.このことで,辰巳のお仲の名はいっそう高くなった.


 柳亭燕枝,西海屋,女幕のうち, すみや書店 (1907)
 談洲楼燕枝,御所車花五郎,文芸倶楽部, 19(6), 92-113 (1913)
 談洲楼燕枝,西海屋,文芸倶楽部, 19(14), 100-119 (1913)
 談洲楼燕枝,孝子松太郎,講談倶楽部, 12(9), 320-330 (1922)
 いずれも「西海屋騒動」の抜読.「西海屋騒動」の速記は,「唐土模様倭粋子」の演題でネットで読める.談洲楼燕枝(2)の演じる御所車花五郎(ごしょぐるまはなごろう)は大正2年4月定期増刊号"花づくし"に掲載された.挿絵2枚.悪政を行う信州松代の町奉行郡伴蔵らを元力士の御所車花五郎が成敗するくだり.
 同じく談洲楼燕枝(2)の演じる「西海屋」は大正2年10月定期増刊号"拾遺怪談揃"に掲載された.挿絵2枚.西海屋では主人が死に,幼い息子の松太郎は武州白子の直十に預けられ,番頭の清蔵が主人となっている.清蔵は旧恩を忘れ,西海屋を乗っ取る計画.妻のおていを毒殺せんと,飯炊きの嘉助を抱き込む.嘉助は実は忠僕で,計画をおていに漏らす.しかし,おていは病に倒れ,清蔵に締め殺される.さらに松太郎も毒殺せよと命じる.嘉助は,後日の証拠となる報酬の証文を書かせる.直十の家には,おていの幽霊が現れる.そこに嘉助が訪れ,仇討の相談となる.
 『女幕のうち』に収録されたのは,西海屋の女主人に収まったお静と小僧の義松の馴れそめの部分.談洲楼を名のる前の柳亭燕枝(2)が演じている.
 『講談倶楽部』に掲載された孝子松太郎(こうしまつたろう)は,挿絵1枚.「西海屋騒動」の後半部分.ある庵室に義松・お糸が泊まったところ,そこの尼がお糸の母であり,連れ添ってきた義松がお糸にとって仇だとわかる場面.大胆にも義松は,尼とお糸を殺して逃げ去る.御所車花五郎に預けられた松太郎が,仇を討って西海屋を継ぐのはさらに先の話.タイトルと内容が合っていない.


 三遊亭小圓朝,塩原の怨霊,文芸倶楽部, 19(14), 55-65 (1913)
 「塩原多助後日譚」の抜読.塩原の怨霊(しおばらのおんりょう)は,『文芸倶楽部』大正2年10月定期増刊号"拾遺怪談揃"に掲載.三遊亭小圓朝(2)演.挿絵1枚.『三遊亭円朝全集』には,三遊亭金馬(小圓朝(2))の演じる「塩原多助後日譚」が載っている.
 「塩原の怨霊」は,田舎者の喜六から預かった金を,証文がないのをいいことに番頭の角右衛門は返却しない.翌日,喜六の水死体が塩原の河岸に流れ着く.それからは炭屋塩原の没落がはじまる.角右衛門の女房は変死,角右衛門も喜六の幽霊に水中に引き込まれる.


 談洲楼燕枝,片手屋,文芸倶楽部, 20(10), 83-94 (1914)
 片手屋(かたてや)は,『文芸倶楽部』大正3年7月定期増刊号"善悪かゞみ"に掲載.談洲楼燕枝(2)演.挿絵1枚.奇談の類.
 三島の小間物屋,三国屋嘉兵衛には子供がいない.19歳の太吉を将来の跡取りと見込んで,江戸までの仕入れに同行させる.神奈川宿の定宿には,おきくという嘉兵衛お気に入りの女中がいる.夜中に小便に立った太吉は,宿の女将とお梅という女中の密談を立ち聞きする.女将の簪をおきくの葛籠に隠し,おきくに泥棒の罪をなすりつけて辞めさせようという企みだった.翌日,大森までやってきて,太吉は主人に昨晩見たことを話す.嘉兵衛は一人で神奈川に戻り,太吉は江戸馬喰町の宿屋で主人を待つことにする.
 嘉兵衛は宿の主に後妻の企みをあばいて意見をする.そのとき,安政の大地震が太吉を襲う.嘉兵衛が馬喰町に駆けつけると,太吉は左手が梁の下敷きになったまま倒れている.やむなく,道中差しで左腕を切り落とし,太吉を助ける.おきくの難儀を救った善根で助かったのだと,おきくを養女に迎え,太吉を婿として店を譲った.のちに,太吉夫婦は相州畑で片手屋という煙草屋を開いた.


 朝寝坊むらく,姉の手,文芸倶楽部, 20(14), 133-145 (1914)
 姉の手(あねのて)は,『文芸倶楽部』大正3年10月定期増刊号"新怪談揃"に掲載.朝寝坊むらく(三遊亭圓馬(3))演.挿絵1枚.サゲがついており落語の体裁だが,『落語事典』に載っていないため,ここであらすじを紹介する.
 丸山応挙の描いた,幽霊が鏡にむかって櫛を入れて覗きこんでいる絵がある.京都錦小路の屋敷に姉妹が暮らしていた.姉のおきぬを妹のおさよが看病している.姉の亭主が妹に手をつけてしまった.これを悟った姉は修羅の炎で病は重くなるばかり.ある日,旦那に会いたいと願うと,手が離せないのでこちらへ来いとのお達し.無理に体を洗い,鏡台に向って痩せこけた顔にお白粉を塗り,髪に櫛をあてる.まさに幽鬼のよう.私の命はもう長くない,この後は旦那もお前にやるから面倒を見ておくれ,とジロリとにらむ.おきぬはもはや歩けないため,おさよが背負って廊下に出るが,数歩も歩けずバタリと倒れこみ,おきぬは絶命する.おきぬの両手がおさよの乳にくっついて離れない.手首を切ってお絹の死骸を埋葬する始末.もはや旦那と夫婦にはなれないと,おさよは高野山を目指して家を出る.三十石の船中で,おさよはざんげ話をする.これを聞いた男,堺妙国寺の住職に相談すると,尼にならないでもよいとの意外な回答.たたりなどあるか,もう姉の手は切れている.


 談洲楼燕枝,恋のもつれ,文芸倶楽部, 21(6), 23-48 (1915)
 談洲楼燕枝,花婿の怨,文芸倶楽部, 25(14), 216-239 (1919)
 「千人塚の由来」の抜読.談洲楼燕枝(2)演の,恋のもつれ(こいのもつれ)は,『文芸倶楽部』大正4年4月定期増刊号"人情くらべ"に掲載.挿絵2枚.同じく,燕枝(2)演の,花婿の怨(はなむこのうらみ)は,『文芸倶楽部』大正8年10月増刊号"奇談怪談 びっくり競べ"に掲載.挿絵2枚.柳亭燕枝(談洲楼燕枝(2))の「千人塚の由来」の速記はネットで読める.
 「恋のもつれ」は「千人塚の由来」の発端.小町娘のおてるに恋した醜男の山口兵馬が,小指を切って手代の源七に仲立ちを頼む.小指を怪我した身代わりの美男子を兵馬と思い込ませ,結婚がまとまる.兵馬を一目見たおてるは婚礼の場を飛び出して,両国橋から飛び込む.それを救ったのが身代わりの高岡佐次馬.
 「花婿の怨」は,その続き.おてるが急病だといつわって婚礼を日延べする.娘可愛さにおてると高岡を内祝言させ,兵馬にはおてるが病気といつわり続ける.山口出入りの商人の一言で,自分がだまされたと知った兵馬は,主の金を盗んで手代に謝礼を用立てたことが明らかになることを恐れ,怨みを飲んで切腹する.山口家は改易になる.おてるの生んだ赤ん坊は,小指がなく兵馬に瓜二つ.子供のくせに家に火をつけたりする.和泉屋の主は,孫を刺し殺して自殺する.和泉屋は微禄し,裏長屋住まいとなる.


 三遊亭圓右,孝子の鑑,文芸倶楽部, 21(14), 129-152 (1915)
 圓朝の「英国孝子ジョージスミスの伝」の抜読.三遊亭圓右(1)演の,孝子の鑑(こうしのかがみ)は,『文芸倶楽部』大正4年10月定期増刊号"めでたづくし"に載っている.挿絵2枚.


 三遊亭圓右,福禄寿祝盃,文芸倶楽部, 23(2), 63-78 (1917)
 圓朝の「福禄寿」を.三遊亭圓右(1)が演じている.福禄寿祝盃(ふくろくじゅいわいのさかずき)は,『文芸倶楽部』大正6年1月定期増刊号"大当利宝船"に載っている.挿絵1枚.


 三遊亭圓右,上方芝居,文芸倶楽部, 23(6), 140-155 (1917)
 三遊亭圓右(1)演の,上方芝居(かみがたしばい)は,『文芸倶楽部』大正6年4月定期増刊号"講談落語百物語"に掲載.挿絵1枚.「長崎の赤飯」の別題ともされている.たしかに筋立ても似ており,滑稽な部分がほとんど.怪談噺に仕立てるため,「長崎の赤飯」のようなハッピーエンドにしなかったのかもしれない.
 石町の伊勢屋長右衛門の一人息子の久次郎は,吉原通いにふけっている.一度,吉原から離れさせようと,上方の出店に旅に出される.大坂では,島の内の芸者春吉と馴染みになり,夫婦約束をする.江戸の母親が病気という手紙が来たため,必ず帰ると約束して江戸に戻る.江戸では再び吉原通い.春吉は乞食の姿に身を変えて,苦労の末,伊勢屋を訪れる.久次郎は死んだと言われ,権助と一緒に寺詣りに出かける.途中,銭湯に入って,もとの美しい春吉に戻る.案内された久次郎の墓の前で,春吉はノドを突く.自分の汚い姿を見て,若旦那は死んだと嘘をついたんだと聞いた春吉は,吉原の方をにらんで死ぬ.
 半蔵松葉屋で遊ぶ久次郎の前に,血まみれの春吉が現れる.久次郎は昏倒して大騒ぎ.そこへ,春吉が死んだという使者が来る.気に病んだ久次郎は病死してしまう.


 三遊亭圓右,見えたか甚兵衛,文芸倶楽部, 23(10), 197-206 (1917)
 三遊亭圓右(1)演の,見えたか甚兵衛(みえたかじんべえ)は,『文芸倶楽部』大正6年7月定期増刊号"金持くらべ"に掲載.挿絵1枚.「塩原多助」のような倹約立志伝."見えたか"のあだ名は,家に灯火をともさず,来客には火打ち石の火花ではき物を探させ,"見えたか","見えたか"と尋ねるため.
 越後の関川から江戸へ出てきた甚兵衛さん,米屋に奉公する.1文でお店のサンダラボッチを買って,夜なべでサシをこしらえ,サシで得た金でワラジをこしらえ,と,次第に小金をためる.続いて三河屋という炭屋に奉公し,粉炭を集めたりして主人の信頼を得る.結婚し,三河屋ののれんを分けてもらう.ただ金を貯めるだけでなく,身投げには無利息で金を貸して助けてやる.お礼に鰹を持ってくると,醤油代がかかるし,奉公人がぜいたくになると突き返す.娘婿が新しいワラジが欲しいと言うと,掃きだめなどから拾ってこいと説諭する,などのエピソード.


 入船亭扇橋,百万長者,文芸倶楽部, 26(4), 249-257 (1920)
 百万長者(ひゃくまんちょうじゃ)は,『文芸倶楽部』大正9年3月号に掲載.沖の暗いに白帆が見えるの角書.入船亭扇橋(8)演,浪上義三郎速記.挿絵1枚.帆の絵と一体で書かれた演者名は入船亭船橋とある.
 承応3年10月,ふいご祭りが近づいてくるが,暴風続きでミカンを全く出荷できない.五十嵐文左衛門は,千両借りて33,200籠のミカンを1籠1匁で仕入れる.取り戻した船を幽霊丸と名づけ,全員死装束で江戸へ乗り出す.
 江戸の問屋が値段を聞くと,1籠30匁の高値.とても買えないと断られると,江戸っ子は弱きを助け,儀式の物には金に糸目をつけないと親に聞かされてきた.他人を助け,自分も助かろうと嵐をついて死ぬ覚悟でやってきたという.これを聞いた問屋の遠州屋六兵衛,一生の馬鹿のしおさめと全部を買いつける.これを見た四日市の問屋も1万籠引き受けようというと,遠州屋,1割の口銭33匁で願いましょう.
 文左衛門は,もうかった金を船頭に渡し,吉原で大遊び."沖の暗いのに白帆が見ゆる あれは紀伊の国蜜柑船"の文句に節をつけると,船頭が変てこな振りで踊った.これぞカッポレの由来.


 三遊亭圓右,流の白滝,文芸倶楽部, 27(2), 239-257 (1921)
 入船亭扇橋,熊谷堤毒死,講談雑誌, 21(4), 104-113 (1935)
 流の白滝(ながれのしらたき)の抜読.『文芸倶楽部』大正10年1月増刊号"凄い女強い男"に掲載.三遊亭圓右(1)演.悪坊主茶屋女の角書.挿絵2枚.熊谷土手での毒殺と芝の待合でのゆすりの場面.橘家圓喬(4)演の「流の白滝」の速記はネットで読める.
 熊谷堤毒死(くまがいづつみのどくし)は,入船亭扇橋(8)演,速記者名なし.挿絵3枚.『講談雑誌』21巻4号に「伊香保土産遊女の仇討」の上として掲載された.中「流れの白瀧」は講談師桃川燕楽,下「竈河岸復讐」は講談師神田伯治が演じている.橘家圓喬が演じた「流の白滝」を改題したもの.
 金持ちの客の懐をねらって,雲助の妙心が毒薬を盛るが,捕り方に捕まってしまう.伊香保芸者のお仲も,せっかくためた金を駕籠の中に忘れて当惑している.毒にやられて熊谷堤で倒れ死んだ客の懐から,お仲は金を盗んでしまう.その金で芝に待合を開く.3年後,放免された妙心がやって来て,お仲をゆするところまで.


 柳亭左楽,鹿児島男子,文芸倶楽部, 29(14), 221-226 (1923)
 柳亭左楽(5)演の,鹿児島男子(かごしまだんし)は,『文芸倶楽部』大正12年10月増刊号"武勇人情捕物奇談"に掲載.挿絵2枚.『落語事典』に「逸見十郎太」の題で載っている芝居噺では,この速記と違い,逸見十郎太は情夫の首を切り落とし,芝居がかりで妻に引導を渡す.桂文治(6)が得意にした一連の西南戦争落語の一つ.雑誌『あまとりあ』2(13)(1952)に,桂文治(6)が久々に演じた芝居噺を正岡容が紹介している.
 牛鍋屋の2階で飲んでいる2人の車夫.1人は酒癖が悪く,鹿児島出身とおぼしき隣客にからむ.友達の留吉という男が,船宿の娘おしげといい仲になったが,結婚が認められず,心中をはかった.泳ぎの達者な留吉は助かったが,女の行方は知れない.3年後,神田まで乗せた粋な女はおしげだった.西郷の腹心,逸見十郎太に助けられ,今は逸見の妾になっていた.留吉とおしげは元の仲となった.この話を聞いていた隣客こそが逸見十郎太.にっこり笑って妾宅に戻る.留吉をつかまえ,手討ちにするかと思ったら,2人に金をやって夫婦にしたという,鹿児島男子という話.


 三遊亭圓右,美人の生埋,文芸倶楽部, 30(14), 278-291 (1924)
 三遊亭圓右(1)による,圓朝の「松の操美人の生埋」の抜読.『文芸倶楽部』大正13年10月号に掲載.浦賀奇談の角書.挿絵2枚.


 入船亭扇橋,阿部磧風の仇浪,娯楽世界, 7(5), 83-96 (1919)
 入船亭扇橋,主思ひ,文芸倶楽部, 31(3), 136-154 (1925)
 主おもひ(しゅうおもい)は,入船亭扇橋(8)による「阿部川原風仇浪」の発端の抜読.『文芸倶楽部』大正14年2月号に掲載.挿絵2枚.父親を殺され,浪人となった遠藤一家が駿府の祖父宅へ引き移る.旧家来が忠を尽くし,さらに,足手まといになるからと,盲人の弟が墓前で自害するまで.『娯楽世界』に載った阿部磧風の仇浪(あべかわらかぜのあだなみ)は,入船亭扇橋(8)講演,浪上義三郎速記.挿絵1枚.こちらも同じ部分の速記.春錦亭柳桜(1)演の「阿部川原風仇浪」の速記はネットで読める.


 春風亭柏枝,松竹梅対の島台 上の巻,文芸倶楽部, 33(2), 486-496 (1927)
 春風亭柳窓,松竹梅対の島台 中の巻,文芸倶楽部, 33(2), 496-502 (1927)
 春錦亭柳桜,松竹梅対の島台 下の巻,文芸倶楽部, 33(2), 502-509 (1927)
 入船亭扇橋,乞食の花嫁,冨士, 9(12), 654-669 (1936)
 松竹梅対の島台(しょうちくばいついのしまだい)は,春風亭柏枝・柳窓・柳桜によるリレー人情噺.速記者名はない.『文芸倶楽部』昭和2年1月増刊号に掲載.挿絵10枚.滑稽だくさんの筋立てで,やや軽めの口調で噺を運んでいる.昭和2年の時点で,柏枝を名乗っていたのは八代目(のちの春風亭柳枝(8)),柳桜を名乗っていたのは三代目(のちの柳亭市楽)になる.しかし,八代目柳枝は人情噺を演じるような芸風ではない.また,生涯前座で終わった三代目柳桜は柳枝の上に立って速記を残すような落語家ではなかった.すると,明治44年まで柳桜を名乗っていた二代目,柏枝の方はのちの八代目入船亭扇橋になろう.すると,20年前の人情噺を掘り起こしたことになるが,本当にリレー人情噺の形で演じられたのだろうか.
  同じく「松竹梅対島台」の演題で,八代目扇橋演,浪上義三郎の速記が,昭和8年の『娯楽世界』に連載されている.また,『冨士』に掲載された八代目扇橋の「乞食の花嫁」は,前半をさらりと流し,後半に力点を置き,滑稽だくさんに演じている.
 「松竹梅対の島台」のストーリーは,「長崎の赤飯」や「上方芝居」に似ている.江戸横山町の越前屋の一粒種の竹次郎は,道楽が過ぎて大阪の忠兵衛に預けられることになった.半月後,忠兵衛のところに長崎屋善右衛門がやって来て,親父の法事に江戸生まれの粋な若者を借りたいと言ってきた.そこで竹次郎が長崎まで同行した.法事も無事終わり,長崎丸山の茶屋での精進落としの席で,竹次郎は小唄や踊りを披露する.そのあとも,親類からあれこれ竹次郎に声がかかり,長崎屋も鼻が高い.長兄の藤左衛門の娘,お松が竹次郎に恋煩い.善右衛門を親許にして竹次郎を婿養子に迎えた.
 あれから3年が過ぎ,勘当はしたものの越前屋では心の内で竹次郎を案じている.長崎で商家の養子になっているのでご安心と聞いた旦那は,何で勘当を止めなかったのだと番頭に八つ当たり.自分が大病だとの手紙を送り,竹次郎を呼び戻した.竹次郎を長崎に帰さぬよう,番頭にその日のうちに嫁探しをしろと命じた.奥平家の家中,林大学の娘,お花との縁談がまとまった.そこへ長崎から女乞食の姿でお松がやって来た.身なりを改めると,見違えるようになったお松を一目見て気に入った越前屋は,林大学との縁談を断れと番頭を遣わす.しかし,相手は武家.万一,破談となれば,越前屋一家の首を並べると追い返された.
 これを聞いて慌てている越前屋に林大学が乗り込み,お松を関所破りの罪人だと断じて,奪い去ってしまった.その晩,林大学のところから花嫁が輿入れしてきた.綿帽子を取ると,お花ではなくお松だった.越前屋から預かったお松は尼になると林大学は言う.そこに,長崎から藤左衛門がやって来た.お松(じつはお花)を嫁に迎え,跡取りにしたいと申し出る.ここにめでたく二組の夫婦が誕生した.
 なお,丸山の芸者豊吉という人物が出てくるが,その後のストーリーに絡んでこない.元はもっと長い噺で,若旦那と豊吉がなじみとなり,お松の病が重くなるといったシーンがあったのかもしれない.


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 百千鳥, 10号〜21号,駸々堂 (1890)
 ことばの花, 第11,13,14冊,駸々堂 (1892)
 新百千鳥, 1号〜4巻4号, 1〜4篇,駸々堂 (1895〜1900)
 旭堂南陵の『明治期大阪の演芸速記本基礎研究』(たる書房 (1994))に,大阪駸々堂から発行された一連の講談落語雑誌,『百千鳥』『ことばの花』『講談速記』『新百千鳥』の全容が示されている.雑誌連載時から,各話を切り離して合本すれば書籍化できるような体裁で版組されており,実際に多くの落語・人情噺が単行本化されている.落語家では,翁家さん馬,曽呂利新左衛門の2人が代表選手で,そのほかに東京の春錦亭柳桜(「黒手組戸沢助六」「旗本五人男」),三遊亭圓朝(「荻の若葉」)などの作品が『百千鳥』に連載されている.「祐天小僧」を除いて,ネットで閲覧可能.
 『ことばの花』『講談速記』については,実物を見ることはまず不可能.東京大学近代日本法政史料センター (明治新聞雑誌文庫)が『ことばの花』を3冊所蔵している.駸々堂から発行された『花紅葉』については,『明治期大阪の演芸速記本基礎研究』には記述がない.国会図書館が明治23年の5冊を所蔵しており,8〜9号にさん馬の「名高尾笑靨藍瓶」第1〜2席,9号にさん馬・一口の「明治摸様三組盃」の第1席が載っている.いずれも単行本化されており,国立国会図書館デジタルコレクションで読める.
 『新百千鳥』については,1号(明治28年)から第4巻(明治32年)と,それ以後に発行された4冊(巻次なしの1〜4篇)(明治33年)までが『明治期大阪の演芸速記本基礎研究』に紹介されている.このうち,21冊(1号〜2巻5号)について国立国会図書館でデジタル化されており,下記の5作品が閲覧できる.「滑稽大和めぐり」(3巻4号)は,単行本がネット公開されているので,『新百千鳥』の落語速記はすべて閲覧できることになる.ここでは,『新百千鳥』について,掲載された落語・人情噺のあらすじを紹介し,『百千鳥』『ことばの花』掲載作の一部を追記した.
 


 翁家さん馬,祐天小僧,百千鳥, (10)〜(21) (1890)
 祐天小僧(ゆうてんこぞう)は,翁家さん馬演,丸山平次郎・山田都一郎速記.『百千鳥』10〜21号に連載された.全13席,挿絵4枚.『百千鳥』に掲載された落語・人情噺・小噺のすべてが単行本化されている.しかし,『祐天小僧』のみ公共図書館で見ることができない.「祐天小僧」の『百千鳥』掲載号は,東大総合図書館で全号を見ることができる.ストーリーは,祐天吉松に似たわかりやすいもの.会話の妙が楽しめる.21号に2席分がまとめて掲載されており,怒濤のごとく結末をまとめている.
 経師屋の遺子吉五郎は,親方の清左衛門に引き取られたが,愚鈍で役に立たない.ある日,客が持ち込んだ成田不動の御影を裏返しに表装したうえ,口答えまでした.親方に殴られ頭を割られた吉五郎は,人が変わったように腕が上がった.まるで頓血を流して名僧となった祐天上人のようだと,祐天吉五郎の二つ名をもらう.しかし,腕の上がった吉五郎は,店を抜け出してはスリの仲間に加わって悪事を行うようになる.店を飛び出した吉五郎は,山王の祭りの人ごみで,娘のかんざしを盗もうとして捕まってしまう.とっさに親孝行の言訳をして,その場を逃げ去った.
 茶道具屋の娘のお雪は,山王で出会った男前のスリに恋煩いをする.ある日,屏風の修繕にやってきた男が恋煩いの相手の吉五郎だった.主の常陸屋吉兵衛は無理を言って,吉五郎を婿養子にした.ある日,仲間の寄合に名代で参加した吉五郎は,散会で吉原の半蔵松葉に登楼し,敵娼の滝川と相思相愛になる.吉五郎は墓参と言っては滝川に会いに行く.常陸屋は吉原通いと気づくが,娘を気づかい,孫が生まれるまではと大目に見ている.ついに,吉五郎は加賀様の御屋敷から七百両を盗み,身重のお雪を置いて,店を飛び出す.中山道へ高飛びした吉五郎は,鴻巣宿で出会った大蛇の六三郎と岩戸小僧の大三郎と兄弟分になる.
 十年後,江戸に戻った吉五郎は,坊主の妾になっていたお滝に再会する.坊主から百両をむしり取り,お滝と暮らす吉五郎だが,お雪のことも気にかかる.尋ねてみると,常陸屋の屋敷は焼け跡になっており,一家は焼け死んだという.貧民窟でようやく見つけたお雪母子は,高利貸しの婆に衣類をむしり取られるところだった.婆に金をつき返し,実は自分は祐天小僧という賊だと打ち明ける.それを立ち聞きしていた婆の密告で,捕り手が迫ってきた.ようやく逃げ切った吉五郎だが,お滝の方も貰い子殺しの凶状があり,二人は高飛びをしようとする.これを見ていた蕎麦屋を殺し,岡っ引きに追われた二人は別れ別れになってしまう.
 いったん新宿遊廓に身を沈めたお滝は,客の平沢久馬と両国に身を隠す.お滝は身投げを装った詐欺で,平沢は偽易者で荒稼ぎしている.お滝にだまされた大蛇の六三郎と岩戸小僧は,平沢の家に乗り込み,有り金を奪っただけでなく,ついには平沢を謀殺した.
 兄弟分の吉五郎が鈴ヶ森で獄門になると聞いた大蛇の六三郎と岩戸小僧は,南町奉行所に自訴した.そこにお滝も自首してきて,岩戸小僧は江戸払い,残りは獄門となる.お雪と息子の吉太郎,岩戸小僧はみな仏門に入った.


 三遊亭花遊,貞女の仇討,新百千鳥, (7)〜(12) (1896)
 三遊亭花遊名義の3席の人情噺が,『新百千鳥』に掲載されている.貞女の仇討(ていじょのあだうち)は,三遊亭花遊口演,曽呂利新左衛門補述,丸山平次郎速記.『新百千鳥』7〜12号に連載.全19回.展開は早いが,ありきたりのパターンに終始する.
 上野の花見で酔った武士に絡まれた甲府の商家の娘,お絹を,山形藩の浪人,山田道則が助ける.翌日,手土産を持って礼に行くと,礼金を見た山田は激怒する.甲府に戻ったお絹は,山田に恋患い.番頭が江戸に出て掛け合いに行くと,ちょうど山田の母が死んだところ.以前の礼にと,葬式一切の面倒を見る.このことを恩義に感じ,婿入りを承諾する.
 単身甲府へ向かう山田.小仏峠で鉄砲を持った追いはぎ3人を何とか斬り殺す.駆け込んだ蒲鉾小屋に住んでいたのも実は刺客.危うく殺されそうになるところを村瀬の飯炊き半蔵に救われる.お絹の継母,お牧は森慶太郎と密通しており,お店乗っ取りの邪魔になる山田を殺そうとしていたのだった.無事,甲府に着いた山田はお絹と祝言をあげる.お牧は今度は,山田を毒殺しようとするが,誤って主人の村瀬を殺してしまう.ここに居られぬと思った山田はお絹に書き置きして,江戸へ出奔する.
 お絹も家を出て江戸の山田と暮らす.2人は貧乏に苦しむ.加えて,山田は眼病に冒される.お絹は自ら小田原の遊廓の竹屋に身を売って薬料をこしらえたが,目の見えない山田は森慶太郎に殺され,金も奪われてしまう.情け深い竹屋の主人は,お絹を駕籠へ乗せて江戸へ帰す.ところが藤沢で駕籠屋がお絹に襲いかかる.それを救ったのが,お尋ね者の袴垂次郎吉.次郎吉は,以前,甲府の村瀬の家に押し入って捕まったことがあり,主人の村瀬に許してもらい,さらに金をもらった恩義があった.次郎吉は,仇討の助けをすると約束して別れる.
 江戸に着いたお絹は,殺人現場に残っていた手紙から,敵が森慶太郎だと知る.山田の葬式を終え,小田原の竹屋に戻る.
 次郎吉は,一時,真鶴の磯五郎親分のところに身を寄せる.磯五郎の妻のお留は,以前,駿府二丁町に出ていた遊女で,次郎吉とは所帯を持つ約束をした間柄.自然と寄りが戻り,このことを密告によって知った磯五郎は,次郎吉を闇討ちして瀕死の重傷を負わす.次郎吉は,通りがかった向山の久太郎親分に救われる.お留は尼にさせられ,体よく監禁される.次郎吉の傷は治ったが,カラ馬鹿になってしまう.元の磯五郎の家で,下男として使われ,子分にも馬鹿にされる.ある日,磯五郎に額を割られ,次郎吉は正気に戻る.馬鹿のままを装い,次郎吉は磯五郎をニセ捕り物に連れ出し,斬り殺してしまう.磯五郎の金を奪って,小田原のお絹を身請けする.
 森慶太郎は,お牧を殺していた.顔を焼いて江戸に出て,易者になりすましている.お絹と次郎吉は,江戸で森慶太郎の行方を探すうちに,はからずも忠僕の半蔵に出会う.半蔵は森が易者になっていることを知っていた.お絹,半蔵,次郎吉は,森の家に乗り込み,敵を討つ.しかし,仇討は法度のため,3人は捕縛される.3人のいずれも,自分が殺したと自白する.奉行の根岸肥前守は,もともと凶状持ちの次郎吉の自白を取りあげ,他の2人を赦免する.次郎吉は三宅島へ遠島,お絹は尼となり夫の菩提を弔い,半蔵は故郷の上総へ戻った.


 二世曽呂利新左衛門,噺家一人旅,新百千鳥, (11)〜(15) (1896)
 噺家一人旅(はなしかひとりたび)は,丸山平次郎速記.『新百千鳥』に5回にわたって連載.大坂の噺家の泥丹坊堅丸が,一人で備前,備後の中国筋から,佐賀,長崎まで旅をする連作.泥丹坊堅丸が落語国の原住民かどうかわからないが,現在でも「べかこ」や「狼講釈」では泥丹坊堅丸が主人公になっている.だいたい落語家一人では興行が成り立たないので,一人旅はあり得ない.師匠をしくじって大坂にいられないとか,旅回りの一座が不入りで解散したあげくの一人旅という設定なのだろう.しかも,「べかこ」では,お女中に無礼を働き,城中にしばられるし,「狼講釈」では,落語家と名のるとひどい目に逢うため講釈師に化けてタダ飯を食ったあげく,狼に襲われてしまう.いずれも噺家が御難にあうため,ゲンのよくない噺とされていたという.「深山隠れ」では,天草の乱を生き延びた女盗賊に泥丹坊師匠は捕らえられたっきりで,もはや生死もはっきりしない.


 三遊亭花遊,尽きぬ縁,新百千鳥, (14)〜(16) (1896)
 尽きぬ縁(つきぬえん)は,丸山平次郎速記.『新百千鳥』14〜16号に連載.全9回.登場人物や地名は違っているが,『江戸落語便利帳』に載っている「奇縁の血刀」と同じ内容.途中,「お藤松五郎」とよく似た場面がある.この人情噺から「お藤松五郎」が独立したと言われている.
 新発田藩の金森半之丞の長男の健太郎と妻の芳との間に娘ができたため,半之丞は柳橋の芸者のお藤を後妻に迎えて向島に隠居した.間もなく半之丞は病死する.お藤は美男子の次男,芳次郎に言い寄る.これが嫌さに芳次郎は兄の健太郎宅に寝泊まりする.芳次郎を憎んだお藤は,芳が産んだ長男竹次郎は芳次郎の胤だと吹き込んで,健太郎をたきつける.健太郎は芳を枕橋で殺してしまう.赤ん坊の竹次郎は通りかかったそば屋の吉兵衛が引き取る.吉兵衛宅へ顔の青い女がやってきて,乳をあげて立ち去る.翌日も乳を与えに現れたこの女に聞くと,近くに住む金蔵を訪ねよと答える.さっそく金蔵宅を訪ねると,例の女がぼんやりしている.芳の魂が金蔵の妻を操っていたのだ.赤子を亡くしていた金蔵夫妻は,竹次郎を引き取って育てる.
 一方,芳次郎は身の潔白を立てるため,書き置きを遺して切腹する.健太郎は,兄姉の証拠にと,笄に加え,竹次郎には大刀,お初には小刀を託し,自身は廻国に出る.前非を悔いたお藤が,歌沢の師匠になってお初を育てる.
 成長したお初は,米吉の名で柳橋から芸者に出る.これを茅町の中島屋が引き取り,待合を持たせる.竹次郎の方は,一中節の芸人になり,都松之助と名のっていた.お藤が松之助をひいきにしており,旦那の留守に二階にあげて寝かせてしまう.折悪しく旦那の中島屋がやってきて,松之助に嫌みを言い,盃を投げて額を切る.悔しがる松之助に,米吉は夫婦になろうと持ちかけ,翌日に会う約束をする.
 翌日,米吉は中島屋に見つかり,料亭生稲の二階に引っ張り上げられる.そうとは知らない松之助は,様子を見に人を遣わすと,お藤は剣もホロロのあいさつ.通りかかった生稲の二階からは中島屋らの嬌声.逆上した松之助は,大刀を持って米吉の家に上がりこむ.殺意を察したお藤は,刀を取りあげる.その刀を見て,松之助が竹次郎ではないかと怪しむ.そこへ米吉が戻ってくる.お藤は,2本の笄を見比べ,疑いが確かだと知る.突然,小刀をのどに突き刺して自害.2人が姉弟だと告げる.お藤の亡骸を葬り,2本の刀を菩提寺に納めに行く.それを受け取ったのが納所坊主となっていた父の金森健太郎.何という尽きぬ縁.


 二世曽呂利新左衛門,滑稽伊勢参宮,新百千鳥, 2(1)〜2(5) (1897)
 滑稽伊勢参宮(こっけいいせさんぐう)は,丸山平次郎速記.『新百千鳥』2巻1号から5号まで連載,全7回(席).単行本化もされている.大阪の紛郎兵衛と似多八の二人連れが伊勢参りをする連作.主人公の名前も,十返舎一九の"膝栗毛"をもじっており,いわゆる「東の旅」というよりは,伊勢参りの滑稽読み物とでもとらえた方がよさそう.噺の並びも,現行の「東の旅」とはずいぶんと違っている.おそらく続編の『滑稽大和めぐり』を意識したのか,2人の通るルートは,暗峠から奈良へ向かわず,通常は帰路に描かれる東海道鈴鹿峠を越えて明星宿へ出ている.


 三遊亭花遊,桃太郎団子,新百千鳥, 2(3) (1897)
 桃太郎団子(ももたろうだんご)は,丸山平次郎速記.『新百千鳥』2巻3号に掲載.麻布の「おかめ団子」を,蔵前の桃太郎団子に置きかえただけ.


 翁家さん馬,迷子札,ことばの花, (11) (1892)
 土橋亭りう馬,迷子札,文芸倶楽部, 17(6), 113-130 (1911)
 迷子札(まいごふだ)は,翁家さん馬(5)演,丸山平次郎速記.『ことばの花』第11冊に掲載.国会図書館は所蔵していないが,単行本化された「迷子札」はネットで読める.東大明治新聞雑誌文庫が所蔵.
 土橋亭里う馬演の「迷子札」は,『文芸倶楽部』明治44年4月定期増刊号"白浪集"に掲載された.土橋亭里う馬(7)(司馬龍生(7)改め)演.挿絵1枚.この速記は導入部.日雇取りの多吉,病気の母を抱えて年越しの金がない.大晦日の晩,出来心で盗みに入った手習師匠の保科利助に諭され,利助から金や品物,子供の幸八からは迷子札を渡される.家に戻ると母は死亡.四十九日の墓参で紙入れを拾い,持ち主である本郷の絹屋に届ける.礼金を差し出されるが,迷子札に済まないと受け取らない.このことが縁で,絹屋の奉公人となる.


 隅田川馬石,深川辰巳奇談,ことばの花, (13) (1892)
 深川辰巳奇談(ふかがわたつみきだん)は,隅田川馬石演,今村次郎速記.『ことばの花』第13冊に掲載.国会図書館は所蔵していない.未見.旭堂南陵の『続・明治期大阪の演芸速記本基礎研究』(たる書房 (2000))に梗概が載っている.和尚次郎の物語で,「和尚次郎心の毛毬栗」「和尚次郎」をあわせると,中盤までの内容がわかる.


 桂文楽,片思恋嫉刃,ことばの花, (14) (1892)
 片思恋嫉刃(かたおもいこいのねたば)は,桂文楽(4)演,丸山平次郎速記.『ことばの花』第14冊に掲載.143ページ.全7回,挿絵2枚.佳山人訳の「幽霊婿」を附録に収める.国会図書館は所蔵していない.東大明治新聞雑誌文庫が所蔵.あらすじは同所蔵本による.「千人塚の由来」の前半部に結末をつけたもの.
 津藤堂藩の次男坊,山口兵馬は幼いころかかった疱瘡で醜い容姿.和泉屋の小町娘お照へ恋こがれ,小指を切り落とし手代の源七に仲立ちを頼む.浪人の金井左司馬が小指を怪我しているのを幸い,兵馬の身代わりに頼み込み,和泉屋に買い物におとずれ,顔を見せる.おてるは美形の左司馬を兵馬と勘違いする.源七は兵馬からことば巧みに200両を借り受けたまま,奥州へ逐電する.お照は,浅草奥山で左司馬を見かけ,彼を婿に迎えることとなる.源七にだまされたことを知った兵馬は,婿入りの晩に和泉屋に忍び込む.あいにく隣家に目撃され,お照たちは蔵へ逃げ込んでしまう.兵馬を討ち取りにやって来た剣術使いを斬り殺し,兵馬は切腹する.1年後,お照と左司馬の間に生まれた赤子には,兵馬が乗りうつっており,夜中にお照の顔をぺろぺろとなめ回す.これを知った和泉屋の主は,孫を刺し殺してしまう.この後,和泉屋は瓦解する.諸国を遍歴する左司馬は,業病にかかって乞食同様に落ちぶれる.甲府にたどりつき,宿屋の主に収まっていた源七に出会い,そこにやっかいになる.ところが,左司馬には兵馬が取り憑いていて,旧悪を口走ったため,源七は刑死,左司馬は病死した.



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 東錦, 1号〜29号, 三友舎・鳳林館 (1892〜93)
 『演芸腕競 東錦』は,第8号を除く28冊を伝統芸能情報館が所蔵している.わずか2年間の短期間に29冊の作品が,16号までは三友舎,17号からは鳳林館から出版されている.29号の出版から約2ヶ月後の明治27年1月には『新東錦』の第1号が出版されているので,『東錦』は29号で終刊ではないかと思われる.講談と人情噺・落語がほぼ半々の割合で収められている.多くの人情噺は,他の書籍・雑誌で補えるが,数作はここでしか見ることができない.以下に演題一覧をまとめる.
 なお,『江戸落語便利帳』に載った文芸ものを除く人情噺のほとんどは,ネットで公開されているか,もしくは,本ページで紹介した4種の雑誌で閲覧できることになる.漏れた作品のうち,「芝居の喧嘩」「すててこ誕生」「宗〓(みん)の滝」「戸田の渡し」「年枝の怪談」「へらへらの万橘」「本所七不思議」の7作品は,戦後出版された書籍に掲載されている.空き家の悲鳴(あきやのひめい),幽霊長屋(ゆうれいながや)は,『新撰怪談揃』(神谷竹之輔編,三芳屋 (1912))に掲載されている(国会図書館蔵).二人茂兵衛(ににんもへえ)は,雑誌『都にしき』に3回にわたって連載されている(国会図書館蔵).小雛助七(こひなすけしち)の1作品だけは,速記が見あたらない.古今亭今輔(5)の芝居噺口演(1964年)がCD化されており,内容を知ることができる.

掲載号 記載された演題 統一した演題 記載された演者 備 考
01:1 浮寝の仇夢   松林伯圓  
02:1 五稜郭後日の碑   松林伯知  
03:1 岩出銀行 血汐の手形 ゲントウ 英人ブラック  
04:1 越後騒動 忠士の誉   桃川如燕  
05:1 深緑磯の松風 フカミドリイソノマツカゼ 三遊亭圓生  
06:1 大石良雄幼智伝   伊東燕尾  
07:1 北国奇談 梅の大木 ホッコクキダンウメノタイボク 春錦亭柳桜 前編
08:1 伊賀越後日廼復讐   真龍斎貞水  
09:1 忍ヶ岡加賀屋奇聞 シノブガオカカガヤキブン 土橋亭龍馬  
10:1 続越後騒動記   桃川如燕  
11:1 松前屋五郎兵衛   邑井一  
12:1 北国奇談 梅の大木 ホッコクキダンウメノタイボク 春錦亭柳桜 後編
13:1 伊達模様高尾の遺装   放牛舎桃林  
14:1 忍ヶ岡恋の春雨 シノブガオカコイノハルサメ 桂文楽  
14:2 髪切 カミキリ 桂文楽  
15:1 金烏玉兎 倭国入船   松林伯圓  
15:2 侠客牛の五兵衛   松林伯知  
15:3 新作落語 七福神詣 - 三遊亭圓生  
15:4 三題噺 サンダイバナシ 三遊亭圓生  
16:1 傾城新話 〓[こがね]の薫物 アリワラトヨマツ 三遊亭圓生  
17:1 孝貞二葉松 コウテイニヨウノマツ 桂文楽  
17:2 大岡政談 被縛地蔵由来   蓁々斎桃葉  
18:1 田宮坊太郎実伝   真龍斎貞水  
19:1 朝鮮人難波廼夢   放牛舎桃林  
20:1 奇縁の血刀 キエンノチガタナ 春錦亭柳桜  
20:2 おかめ団粉 オカメダンゴ 春錦亭柳桜  
21:1 西洋義犬伝   松林伯知  
21:2 身替り ヒモノバコ 三遊亭圓遊  
22:1 一粒金袋円   邑井貞吉 前編
23:1 一粒金袋円   邑井貞吉 後編
24:1 襤褸錦故郷公衣   邑井吉瓶 前編
24:2 廻因果   春乃家芳癡  
25:1 襤褸錦故郷公衣   邑井吉瓶 後編
25:2 廻因果   春の家芳癡  
26:1 弁天小路の仙吉 ベンテンコゾウセンキチ 三遊亭圓橘 前編
26:2 廻因果   春の家芳癡  
27:1 弁天小路の仙吉 ベンテンコゾウセンキチ 三遊亭圓橘 後編
27:2 廻因果   春の家芳癡  
28:1 小堀政談   邑井吉瓶 前編
29:1 小堀政談   邑井吉瓶 後編

〓[みん]:王偏に民の旁
〓[こがね]:金偏に滿の旁


 英人ブラック,岩出銀行 血汐の手形,東錦, (3) (1892)
 快楽亭ブラック(1)の岩出銀行 血汐の手形(いわでぎんこうちしおのてがた)は,石原明倫速記.97ページ.全8席,口絵1枚,挿絵2枚.全く同じ速記が,『幻燈』に収められており,ちくま文庫『快楽亭ブラック集』(2005)で読むことができる.


 三遊亭圓生,深緑磯の松風,東錦, (5) (1892)
 三遊亭圓生(4)の深緑磯の松風(ふかみどりいそのまつかぜ)は,石原明倫速記.147ページ.全9席,口絵1枚,挿絵2枚.筋に大きな起伏はなく,とりとめのない会話が人情噺らしい.
 旗本の用人奥村弥十郎には美しい妻のお沢と義理の娘のお松がいる.下役の近藤悦太郎はお沢に横恋慕し,二人はいい仲になる.家来の繁蔵の密告で,奥村に跡をつけられているとも知らず,二人は飯田町へ駆け落ちする.奥村は,お沢を取り押さえているところを後ろから近藤に斬られる.目の覚めたお沢は自害する.奥村家は没収となる.
 12年後,乳母に育てられたお松は,金貸しに旦那を取れと迫られている.浪人の近藤は,無尽に当たった女隠居の金を盗む.分け前をもらった石工の磯吉は,コツへ向かう途中,吾妻橋から身投げをしようとしたお松を助ける.お松は,深川の材木問屋,奥州屋金三郎の妾として家に入る.恵比須講の晩に奥州屋に忍び込んだ磯吉は,店のものに縛り上げられるが,お松の口添えで放免となる.後日,暇乞いに来た磯吉とお松の仲を怪しんだ奥州屋は,怒って妾宅を飛び出す.追いかけた磯吉は,奥州屋を殺してしまう.
 その後,お松は深川芸者となっている.米つきとなった繁蔵に偶然巡りあい,客の渡辺周蔵が,仇の近藤悦太郎だとわかる.雪の日,お松は近藤のスキを見て刺し殺す.奥村の家は再興する.


 春錦亭柳桜,北国奇談 梅の大木,東錦, (7),(12) (1892)
 春錦亭柳桜の北国奇談 梅の大木(ほっこくきだんうめのたいぼく)は,いわゆる加賀騒動のこと.前編は第7号,今村次郎速記.88ページ.全7席,口絵1枚,挿絵2枚.後編は第12号,今村次郎速記.116ページ.全6席,口絵1枚,挿絵2枚.
 発端は加賀3代前田利経公が捨子を育てたことに始まる.増長した捨五郎が殿の命をねらって処刑される.その後,捨五郎火と呼ばれる妖火が才川(犀川)に現れる.たたりがあると止められたが,それを撃ち落としたのが鉄砲の名人大槻長次兵衛.ほどなく長次兵衛夫婦に生まれたのが才九郎.後に加賀家を乗っ取ろうとする大槻伝蔵(内蔵助).
 大槻伝蔵は,次第に5代吉徳公に重用される.殿の妾に紹介したお貞に瀬之助が生まれ,これを跡目にしようと画策をはじめる.悪の一味が次第に集まってくる.伝蔵と密通したお貞,老女の岩城.武芸の達人で,妹君中姫の中老である浅尾.殿に恨みを持つ泳ぎの達人鳥居又助.浪人村の暴れん坊,安宅豪右衛門.まずは,殿の妾のおせやに毒を飲ませ,お世取りの嘉次郎を出家させて追い落とす.筑摩川を馬で渡る吉徳公を,水中で待ち受けていた鳥居又助が刺し殺す.跡を継いだ宗辰公を毒殺.万事に用心する重広公も,親戚のお宅で岩城が吸い物にハンミョウを入れて毒殺してしまう.
 大槻伝蔵を疑う家老の湯原藤右衛門や今井田無理右衛門は,犯人と証拠を探しに国を出る.江戸で河童と呼ばれる男の噂を聞きつけ,ついに又助を捕縛.岩城の持ち物からは,暗号の書かれた短冊が見つかる.蛇責めにあった浅尾は,毒蛇を食いちぎり,五穴から血を流して絶命.豪右衛門は捕り手と激戦の末切腹,伝蔵は牢死する.お貞,瀬之助母子も,幽閉され死亡.前田家の跡目は,嘉次郎君が乗り出して相続する.


 土橋亭龍馬,忍ヶ岡加賀屋奇聞,東錦, (9) (1892)
 土橋亭里う馬(5)の忍ヶ岡加賀屋奇聞(しのぶがおかかがやきぶん)は,今村次郎速記.112ページ.全10席,口絵1枚,挿絵2枚.入れ墨庄三と毒婦お歌の,よくあるストーリー.須磨明石の名所が詳しい.
 加賀藩士稲垣庄兵衛は,浪人となるにあたり,息子の庄三を出入り商人の加賀惣に預ける.庄三は,15歳の小僧のくせに店の金に手をつけ,博打を打つ始末.これがばれて,店を追い出される.23歳になった庄三,明石の名所の案内にかこつけ,3人連れの侍から金子を盗み取るが,姫路の宿でその侍に捕まる.話を聞いた稲垣は,盗人が息子の庄三とわかり,あえて手討ちにする決意をする.しかし,居あわせた御行の秀松という植木屋の口利きがあり,連れの侍が小刀で庄三の額に十文字の入れ墨をして放免する.
 加賀惣の主人,惣兵衛は芸者あがりのお歌を後妻に迎える.庄三は,入れ墨を消して店に舞いもどっている.番頭の庄兵衛と名を変えた庄三とお歌は通じており,店を乗っ取ろうと企てる.加賀屋の一人息子の惣七は,小歌の色仕掛けをたしなめるような堅物だったが,向島の花見の帰りに吉原の松人花魁となじんで以来,二千両の金を浪費する.庄兵衛は加賀侯預かりの笠牛の香合を惣七が持ち出したと,濡衣をきせて,まんまと惣七を勘当させる.
 もと加賀屋の番頭忠助は,名古屋で紙屑屋に落ちぶれてしまっている.乞食のような姿でたずねてきた惣七の話をきいた忠助は,若旦那を助けるために金策に出る.困った忠助は,男の懐から金を盗もうとして捕まる.男は御行の秀松で,庄三の悪事を聞いて,忠助に金を恵む.一方,庄三とお歌は,主人を殺して店を乗っ取っている.江戸へ出てきた御行の秀松は団子坂の待合で庄三をゆする.庄三から百両をもらって安心したところを,毒を飲まされて秀松は血を吐いて死ぬ.秀松の持っていた百両の封印が目明かしの目にとまり,庄三に疑いがかかりはじめる.惣七は加賀屋に乗り込むが,庄三に額を割られて追い出されてしまう.逃げる惣七が突き当たった武士は稲垣庄兵衛だった.まだ悪事がやまないと知った稲垣は,加賀屋に乗り込み,庄三の首を斬り落とす.お歌は死刑となり,惣七は加賀屋を継ぐ.


 三遊亭圓生,〓[こがね]の薫物,東錦, (16) (1893)
 三遊亭圓生(4)の 〓の薫物(こがねのたきもの)は,今村次郎速記.傾城新話の角書.157ページ.全9席,口絵1枚,挿絵2枚.この速記は,そのまま『黄金の薫物』の演題で出版されており,ネットで読める.

〓[こがね]:金偏に滿の旁


 春錦亭柳桜,奇縁の血刀,東錦, (20) (1893)
 春錦亭柳桜の奇縁の血刀(きえんのちがたな)は,酒井昇造速記.84ページ.全6回,口絵1枚,挿絵2枚.附録に,「おかめ団粉」がつく.「奇縁の血刀」は,別に紹介した「尽きぬ縁」と人名や地名こそ異なるが同内容.エピソード順を変えて,怪談の"乳もらい"からスタートし,殺人の理由は後から説明することで,ドラマチックにしたてている.
 お茶の水で女を斬り殺した現場を目撃した麦飯売りの甚兵衛,引き続いて殺されそうになった赤ん坊を侍から引き取る.女手がないため乳の代わりに甘酒を買って戻ると,見知らぬ女が赤ん坊に乳を与えていた.声をかけても女は黙って出て行く.翌日も乳を上げに来たところを問いただすと,左官の金蔵を訪ねよという.金蔵の妻のお由は霊に導かれて乳をやっていたのだった.(乳もらい)
 与力の斎藤茂十郎の後妻おみつは,次男の福太郎に言い寄るがはねつけられる.長男の賢次郎の妻と福太郎が姦通しているとおみつにたきつけられ,かっとなった賢次郎は,妻の幾をお茶の水で斬ったのであった.身の証を立てるために自害した福太郎の遺書によって真実を知った賢次郎は,娘のお藤には小刀を与え,おみつに託す.金蔵に預けた竹次郎には大刀を与え,自分は廻国に出る.
 成長したお藤は芸者となり,旦那の中村屋は待合を持たせる.ある晩,二階に一中節の都松五郎が休んでいたのを知った中村屋は,盃を投げつけて松五郎の額を切る.お藤と松五郎は約束をしたのに,食い違って会えず,誤解と疑念がふくらむ.松五郎は,刀を持ってお藤の家に乗り込む.(お藤松五郎)
 その刀を見て,松五郎とお藤が兄妹だと知ったおみつは自害する.2人が墓参に訪れた鳥越の長寿院の住職は,父の斎藤賢次郎であり,はからずも親子が対面する.


 三遊亭圓橘,弁天小路の仙吉,東錦, (26),(27) (1893)
 三遊亭圓橘の弁天小路の仙吉(べんてんこうじのせんきち)は,今村次郎速記.前編は95ページ.全4席,口絵1枚,挿絵2枚.後編は88ページ.全5席,口絵1枚,挿絵2枚.
 小石川に住む中奥御番の藤蔭兵庫には子がなかった.妾の茂との間に仙十郎が生まれ,その後に本妻との間に金太郎が生まれた.乳母として仙十郎を育てた茂が病死する際,仙十郎が妾腹であることを伝えた.金太郎に家督を継がそうと考え,仙十郎はわざと放埒に励もうと決める.剣術の弟子仲間の早川三郎に誘われて吉原に行くと,町奴の香車組に絡まれる.花魁の瀬川から借りた銀の煙管を武器に香車組をやっつける.これが縁で,仙十郎は松葉屋の瀬川に通い詰める.
 仙十郎は廃嫡にはならず,座敷牢に入れられる.下女のお鍋を丸めこんで,座敷牢を抜け出した仙十郎は,雪の中を瀬川に会いに行く.そこで,弁天小路の親分が瀬川を身請けすると聞き,親分がやってくるのを土手で待ち伏せる.駕籠から出てきたのは,もと屋敷に奉公していた金十郎.恋敵とは思いのほか,悪の根である瀬川を断って仙十郎のを戒めるのが目的であった.仙十郎は金十郎の跡目を継ぎ,身請けした瀬川と夫婦になって弁天小路の仙吉と呼ばれる.
 早川三郎は,師匠の稲置甚太夫の留守に,娘のお松を口説く.お松は仙十郎の許婚者であった.師匠に鉄扇で打ちすえられたのを恨みに思い,師匠を殺してお松を妻にしようと企む.船頭の与吉をおどして抱き込み,十三夜の月見の帰り舟に乗った稲置をお茶の水の堀端で突き殺す.返す刀で与吉を殺そうとするが,与吉は水をくぐって逃げ去る.捕縛を恐れた早川は,その晩のうちに金をさらって情人のお亀とともに逐電する.顔を切り刻まれた稲置の死体は仙吉の乗る舟に拾い上げられ,中洲に仮埋葬される.逃げた早川を討つため,お松は深川芸者になる.
 3年後の十三夜,霊に導かれるように中洲を通った舟に乗ったお松は,父親のしゃりこうべを見つける.卯の日参りに出かけた仙吉は,許婚者のお松に出会い,早川が仇だと知る.その後,深川のお松に入りびたるようになり,これを気に病んだ瀬川は病気になる.幇間の孝升がお松のことをすっぱ抜き,離縁を勧める手紙を見た瀬川は逆上し,焼火箸をのどに突きたてて自害してしまう.
 金がなくなり男がすたってきた仙吉のために,お松は麹町の両替商で百両をかたり取る.しかし,すぐに足がつき,仙吉は上総へ,お松は熊谷へ逃げる.途中の板橋で野幇間になった孝升と連れになり,熊谷の茶店に休む.茶店の婆は早川と逃げたおかめだった.稲置殺しの犯人の与吉を探しているところだとおかめを欺き,さらに二十両を渡して安心させる.そのすきに,孝升が仙吉と与吉を上総から連れてきて,お松とともに早川を討つ.お松は出所後,仙吉と夫婦になる.弁天小路の仙吉が転じて,後に弁天小僧と呼ばれるようになった.



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 その他の雑誌・新聞
 これまで紹介した『百花園』『文芸倶楽部』『東錦』と,駸々堂が発行した『新百千鳥』などの一連の雑誌以外の雑誌・新聞について,ここで補充する.
 1889年5月にスタートした『百花園」のあとを追うようにして,似かよった体裁の雑誌が続々と出版されている.同じ年には,『華の江戸』(1889.6〜),『花筺』(1889.10〜),『百千鳥』(1889.9〜)の刊行が始まった.さらに『東錦』(1892〜),『都にしき』(1896〜),『人情世界』(1896〜)(写真)などについて調査した.たとえば,『人情世界』は起きたての事件をゴシップ的に取り上げる編集方針であり,『東錦』は長編作品の読み切りを載せるといった風に,コンセプトは多少違ってはいる.しかしながら,240号まで続いた『百花園』にくらべて,多くの類似雑誌は短命に終わっている.
 『講談雑誌』は,『文芸倶楽部』の出版元である博文館が大正4年に創刊した雑誌で,その名のとおり,講談速記を満載していたが,次第に小説色が濃くなり,探偵ものやエロ記事やのぞき趣味のようなタイトルも見うけられる.山本周五郎,野村胡堂,横溝正史,宇野千代,高木彬光といった最近まで活躍していた有名作家の名が見られる.博文館ゆかりの三康図書館の278冊をはじめ,国会図書館,伝統芸能情報館が多く所蔵しており,各機関をあわせると400冊近くを見ることができる.人情噺としては,15回にわたる「怪談牡丹燈籠」の長講をはじめ,「穴釣三次」「捨丸」「和尚次郎」「在原豊松」などが見られる.ここでは,全容が知られていない「根岸の雨宿」(累草紙)などを紹介する.
 講談社の名前の由来となった『講談倶楽部』は,明治44年に創刊された.次第に戦争協力の色彩を濃くし,講談落語は載らなくなっている.特筆すべきは,大正2年の「浪花節十八番」で,これをきっかけに講談師が速記提供をボイコットし,新講談と称する小説に紙面が一新された.人情噺らしき演題は,はじめの1年に見られるだけで,その後は即席の新作落語などでお茶を濁している.『冨士』『キング』などの講談社が誇る総合娯楽誌にも落語が掲載されているが,人情噺や長編落語が載ることはほとんどなかった.戦争が近づくにつれ,戦時体制協力の新作落語が紙面を席巻する.
 『娯楽世界』は,大正2年に創刊し,昭和2年4月号まで刊行が確認されている.出版元は鈴木書店から,のちに娯楽世界社となる.最後まで珍しい落語や人情噺を見ることができる.逆にその編集方針が部数の伸び悩みにつながったのかもしれない.
 戦後になると,安藤鶴夫の『落語鑑賞』(1949)や『落語名作全集』(1960)で,語り口を再現する新しい表記法が生まれ,臨場感ある落語速記が復活する.1946年から49年にかけて刊行された『新演芸』は,『落語鑑賞』への橋頭堡ともいえる雑誌だった.人情噺は1席だけ載っていたため,戦後の出版ではあるが,例外的に補充した.
 新聞については,『諸芸新聞』『東京絵入新聞』『毎日新聞』『人民』『伊勢新聞』『やまと新聞』に載った一部の速記を載せた.多くの一般紙に,新聞小説として講談速記が多数連載されており,談洲楼燕枝の長編作品も講談の扱いをされている.演芸専門紙の『諸芸新聞』を除いて,一般紙はつまみ食い的にしか見ていない.


 柳亭燕枝,岡山紀聞筆の命毛,芳譚雑誌, (201)〜(264) (1881〜82)
 岡山紀聞筆の命毛(おかやまきぶんふでのいのちげ)は,転々堂主人校正・柳亭燕枝編述.『芳譚雑誌』に明治14年4月21日から明治15年3月16日にかけて,不定期に連載された.連載途中で,転々堂主人は柳亭種彦に改名している.『芳譚雑誌』は,落語「なめる」にも出てくる池の端の薬店宝丹が出版したもの.「なめる」自体も宝丹の宣伝のためにつくられたと言うから,宝丹主人なかなかに世間へのアピールにたけていたらしい.
 「岡山紀聞筆の命毛」の内容は,備前岡山藩主池田治政をスキャンダラスに描いたもので,宮武外骨の「明治奇聞」によると,『岡山奇聞筆命毛』は池田家の抗議があり絶版になったという.そこで,他の出版社が名前と設定を変えた便乗出版があいついだ.詳しい内容は,「燕枝作品のあらすじ」に書いている.


 柳亭燕枝,鳴神阿金の譚,諸芸新聞, (28)〜(34) (1881)
 『諸芸新聞』は明治13年11月22日創刊,96号(明治16年1月)で終刊.8ページ前後の薄冊で,連載小説のほか,劇評や芸界ゴシップのような記事が載っている.87号からは『絵入諸芸新報』と改題している.国会図書館がほぼ全冊を所蔵している.鳴神阿金の譚(なるかみおきんのはなし)は,この新聞にはじめて載った小説企画.柳亭燕枝講,文陣子筆記.『諸芸新聞』28号から34号にかけて7回連載.鳴神お金は,実在した毒婦で明治12年に熊谷で処刑されたという.実話のままを描こうとしたのか,ストーリーに山場がなく,文体も七五調で落語としての会話の妙が感じられない.実際,35号で"鳴神お金ハ暫らくお預りにいたします"と書かれ,まだ発端部にもかかわらず,連載打ち切りになっている.詳しい内容は,「燕枝作品のあらすじ」に書いている.


 三遊亭圓朝,有馬土産千代の若松,諸芸新聞, (42)〜(55) (1881)
 有馬土産千代の若松(ありまみやげちよのわかまつ)は,春雨亭主人報,三遊亭圓朝演とあるが,口演速記ではない.明治14年,『諸芸新聞』42号から55号にかけて,10回にわたって連載された.最終回は話をはしょって無理に完結させている.男女の出会いと突然の別離,そして大団円の陳腐な内容もさることながら,描写が生き生きとしておらず,土地の関係も不正確.岩波版円朝全集の別巻に収録されている.詳しい内容は,「圓朝作品のあらすじ」に書いている.


 桂文治,花鏡芸妓誠,諸芸新聞, (45)〜(53) (1881)
 花鏡芸妓誠(はなくらべげいぎのまこと)は,桂文治噺,山下晴平記.芝居噺の角書.『諸芸新聞』45号から53号にかけて,9回にわたって連載された.挿絵2枚.
 隅田川の花見の流れで,官員風の男が芸者を連れて柏屋に上がった.それを見ていたのが紙屑屋の和助.芸者小菊のために身を持ち崩し,京都から流れてきたのだった.包丁を握りしめ柏屋に乱入しようとしたが,店の若い者に取り押さられる.今は小春と改めた小菊が現れ,和助を奥座敷へ請じた.親の借金のために小菊は芸者に,妹のお里は桜木という女郎になっていた.井上誠一が身請けし,今は井上と暮らしている.二人は和助に資本金を渡して心を改めるように説いた.
 さびしい百本杭にかかると,幻宗太と名乗る追いはぎが現れ,短刀ふりかざして資本金を奪おうとする.そこに刑事があらわれ,宗太郎を追い払う.再び危難にあうといかんだろうと,男に金を預け,和助は男の乗る人力車について行く.両国橋を渡るや,車は駆け出し,和助は置いてけぼりを喰う.男は賊のかしら,辻岡左門だった.いい仕事をしたと辻岡は,桜木に会いに高島町の妓楼へ向かう.途中,橋の上から身投げしようとする半七を助けた.半七は桜木の間夫だった.辻岡はこれで金にしろと,和助から奪った小春のかんざしを半七に渡す.翌日,辻岡の店に強請に来たのは幻宗太だった.二人は平沼橋のところで斬り合いになる.通りかかった半七も出所不明のかんざしに嫌疑がかかり,宗太とともに拘留される.
 半七は,桜木の援助により人力車夫となる.酉の市の帰り車の中に忘れた井上の財布を,半七は井上宅まで届けに来た.これをきっかけに,半七は井上のお抱え車夫になる.翌年の正月,井上の留守に,井上の妻と名乗るお秋と7歳のおきみが訪ねてきた.応対したお春はびっくりする.長男の一太郎を残し,お清をつれて家を出る.戻ってきた井上は,お春の知るべをたずねて歩く.お春は高輪で車にぶつけられる.降りてきたのは西南戦争で財をなした和助だった.そこに通りかかる井上誠一.車夫の半七と和助は兄弟だった.和助の差し出した金で桜木を身請けし,半七と夫婦にした.お春は和助と添わし,井上はお秋と元のさやに戻った.


 春風亭柳枝,七変化白波小三,諸芸新聞, (56)〜(82) (1882)
 七変化白波小三(しちへんげしらなみこさん)は,春風亭柳枝(3)演,晴々堂主人記.『諸芸新聞』56号から82号にかけて26回連載された.句読点なしの七五調体で,口演速記ではない.武家の娘の小三が,各地を転々としながら,ころころと名前と男を変えつつ罪を犯してゆく.登場人物の出会いは,いくら何でも都合よすぎ.なお,22回(77号)と23回(78号)の間でストーリーがつながっておらず,79号が休載となっている.78号にフライングで23回(実質は24回)の原稿を載せてしまったため,79号を休載にして,80号で24回(実質は25回)に軌道修正したのではないか.
 旧幕臣,山高嘉太夫の娘,16歳のおさんは,家来の新吾と駆け落ちする.箱根裏道の雲助から救ってくれた山形屋藤助は,実はごまの灰.2人は有り金全部盗まれる.府中宿で芸者となって,病気の新吾を3年看病した.
 先行きをはかなんだお三は首をくくる.枝が折れ,気絶したところを助けたのが役者の菊枝.お三は,客の庄八をだまし,鞠子の宿はずれで庄八を殺して金を奪う.これを路銀に,お三は新吾を島田宿に置き去りにして菊枝と逐電する.大井川の川留をさけて乗った船が難破し,お三だけが助かり,菊枝は流されてしまう.岐阜にたどり着いたお三は芸者小三となって売り出す.ある晩,店にあがった客二人.一人はごまの灰の山形屋藤助ではないか.図らずも菊枝と再会し,金を返せと山形屋に詰め寄った.山形屋とは仮の名,実は小梅小僧の新助という悪党だった.もう一人は,菊枝と馴染みの伏見の長吉.ここで悪漢3人と小三が勢揃いした.
 岐阜の商家を襲おうと,稲葉山に潜んでいた3人を,捕り手が襲い,菊枝と長吉は召し捕りになる.騒ぎに気づいた小三は逆巻く長良川に飛び込んで捕り手から逃れた.鵜飼の善七に助けられ,家では善七の父の幸作は病に伏せていた.話を聞けば,幸作は嘉太夫の弟,小三の叔父ではないか.小三は京都島原に身を沈め,その金を幸作に送った.
 大坂北の新地の娼妓薄衣(小三)は,商家の手代宗七をたぶらかし,二人で店を抜け出した.すきを見て横浜で五十円を盗み,本所に逼迫していた両親と暮らしはじめた.金に詰まったお三は,春吉と名を変え,金春芸者として売り出した.東京へやってきた宗七は,春吉を見かける.代言人の大須賀をたのんで,金を取り戻そうとするが,春吉の方は,あれは手切れ金だとしらを切る.そこに甲斐本洋輔と名乗る通弁が割って入り,三十五円支払って示談にした.甲斐本とは,実は稲葉山の難をのがれた伏見の長吉だった.長吉に身請けされた春吉だが,長吉が稼ぎに出ている間に伊香保に逃げた.伊香保芸者お銀(春吉)を土地の大尽,大山金兵衛が根引きし,料理宿屋を持たせた.そこの料理人弥五郎こそ小梅小僧の新助,泊まりあわせた客は,官員小田切清と名のるも菊枝だった.水死しかけた菊枝は,奥州北海道と稼いで伊香保に流れてきたのだった.3人は示しあわせて,金兵衛の留守に妻のお民を殺し,甲州金を盗んだ.まんまと金兵衛の後妻に収まったお銀は,東京見物と称して小田切と密会する.お銀の留守中,金兵衛は手箱の中に盗まれたはずの甲州金を見つける.小田切とお銀は,金兵衛を闇討ちし,自分は泥田にはまって賊に襲われたふりをする.兄に化けた小田切が同居する.旧悪を知る弥五郎が強請にくるため,お銀は家の恥をすすぐためと自殺に見せかけ,実は奥州路へ小田切と逐電した.またぞろ強請に来た弥五郎は捕縛され,小三の悪事が明らかになる.
 熊谷に流れてきた伏見の長吉は,盗品に足がつき捕縛される.小田切とお銀は,函館から新潟に流れ着き,長唄の師匠,杵屋勝美に化けた.そこに入ってきたのは何者か?(1話分欠).
 小田切は,土地の芸者の越路と深くなり,嫉妬に狂うお銀に煮え湯を浴びせかけた.面相が変わり,うわごとに旧悪を口走るお銀のところへ出家した新吾が訪ねてきた.新吾から恵まれた死に金を奪おうとした小田切は,乗り込んできた捕り方に逮捕される.明治11年,小田切,お銀,新助は死刑になった.


 三遊亭圓朝,温故知新,諸芸新聞, (58)〜(70) (1882)
 温故知新(またあうはる)は,古川魁蕾子寄稿,三遊亭圓朝演舌とあるが,口演速記ではない.明治15(1882)年,『諸芸新聞』に10回にわたって連載されたが未完.まだ子どものお録が田舎に出され,吉原に売られるが,演題からはハッピーエンドを予感させる.岩波版円朝全集の別巻に収録されている.詳しい内容は,「圓朝作品のあらすじ」に書いている.


 談洲楼燕枝,続噺柳糸筋,東京絵入新聞 (1887.4.6〜4.16)
 続噺柳糸筋(つづきばなしやなぎのいとすじ)は,三題一回の角書.談洲楼燕枝稿.『東京絵入新聞』に1887年4月6日から16日まで,10回にわたって連載された.連載前の5日には予告の絵が載っている.毎日与えられた三題噺を連作して1つのストーリーとしたもの.『名人名演落語全集』 第1巻に復刻されている.詳しい内容は,「燕枝作品のあらすじ」に書いている.


 談洲楼燕枝,三題余話,東京絵入新聞 (1887.4.17〜4.18)
 三題余話(さんだいよわ)は,二題一回(にせきよみきり)の角書.談洲楼燕枝稿.『東京絵入新聞』1887年4月17日から18日まで,2回にわたって連載された.詳しい内容は,「燕枝作品のあらすじ」に書いている.


 談洲楼燕枝,三題続燕口紅粉,東京絵入新聞 (1887.4.20〜4.30)
 三題続燕口紅粉(さんだいつづきつばめのくちべに)は,談洲楼燕枝稿.1887年4月20日から30日まで,『東京絵入新聞』に10回にわたって連載された.毎日与えられた三題噺を連作して1つのストーリーとしたもの.こじつけのおかしみが落語家らしいと序文にあるように,離れた題材を結びつける達者な手際を楽しむもの.のちのちまで演じられるストーリーではない.詳しい内容は,「燕枝作品のあらすじ」に書いている.


 談洲楼燕枝,三題噺怪化写絵,東京絵入新聞 (1887.5.3〜5.20)
 三題噺怪化写絵(さんだいばなしかいかのうつしえ)は,談洲楼燕枝稿.『東京絵入新聞』に,1887年5月3日から20日まで,16回にわたって連載された.1日には予告が載っている.毎日与えられた三題噺を連作して1つのストーリーとしたもので,登場人物を七福神にちなんだ名とする趣向まで加えている.詳しい内容は,「燕枝作品のあらすじ」に書いている.


 麗々亭柳橋,正直安兵衛観音経,花筺, (14)〜(17) (1890)
 春錦亭柳桜,小鼠吉五郎,やまと新聞附録 (1891.1.16)
 入船亭扇橋,小雀観音堂の由来,娯楽世界, 13(12), 119-137 (1925)
 『花筺』は,明治22年10月金泉堂より創刊,翌明治23年19号で終刊.表紙には,花がた美と記されている.国会図書館が16冊,伝統芸能資料館が全冊所蔵している.創刊号から圓朝の「松と藤芸妓の替紋」や松林伯圓の「勤王娘倭錦」などを掲載しており,『百花園』にもっともよく似た形態といえる.雑誌掲載の段階で,すでにページ番号が作品ごとに連続するように振られている.掲載された人情噺はすべて単行本化されており,ここでないと読めない人情噺はなかった.ただし,「正直安兵衛観音経」と「女煙草」は,雑誌上では未完に終わっている.落語では,初代圓遊のものが多く,「湯屋番」「地獄廻り」「金魚の芸妓」「山崎屋」「ボンチの鞘当」などを収める.そのほかには,麗々亭柳橋(4)の「春の夜話」,鶯亭金升の「碁打そば」があげられる.のちに『圓遊落語集』に圓遊演として収められた作品(芝浜の革財布,妹背の鍄)が,三遊亭小圓太,三遊亭圓馬演であることがわかる.
 正直安兵衛観音経(しょうじきやすべえかんのんぎょう)は,麗々亭柳橋口演,青山浅次郎速記.『花筺』(はながたみ)14〜17号に4回にわたって連載したが,第4回,役者のような色男が,実は八百蔵新助という泥棒だとわかったところまでで中絶している.その後,今村次郎を速記者に迎え,後半部を補った形で,明治24年に三友舎から単行本『正直安兵衛観音経』が出版されている.第5回の冒頭に,"前回までは花がたみに載りましたのを今度鈴木さんが跡を引継いで今村先生が速記をなさるといふ事で"とわざわざ断っている.鈴木さんは,発行人の鈴木金輔.
 小鼠吉五郎(こねずみきちごろう)は,春錦亭柳桜(1)演.『やまと新聞』附録「実説天一坊」最終回の埋め草に使われている.入船亭扇橋(8)の小雀観音堂の由来(こすずめかんのんどうのゆらい)は『娯楽世界』に掲載された.こちらの主人公は「雲霧五人男」のうち,木鼠吉五郎.


 快楽亭ブラック,なつの虫,やまと新聞 (1893.12か〜94.1.13)
 なつの虫(なつのむし)は,快楽亭ブラック口演,快楽亭コミク筆記.『やまと新聞』に明治26年から27年にかけて連載された.『やまと新聞』は,明治19年10月に創刊した日刊紙.本文である官報や雑報記事とともに,連載小説も掲載している.創刊号から圓朝の「松の操美人の生埋」の連載でスタートダッシュし,1万部以上の発行部数を誇った."円朝の評判、さし絵の評判、やまと新聞が軟らか向きに売れたことは、実に目覚ましいものであった"という(岡鬼太郎,円朝雑感).「蝦夷錦古郷之家土産」「鶴殺疾刃庖刀」など多くの円朝作品がやまと新聞から発表された.また,本紙とは別にほぼ月1回附録を発行している.
 『やまと新聞』に連載されたブラックの作品,「流の暁」(明治24年),「切なる罪」(同),「剣の刃渡」(明治25年)は,いずれも書籍化され,国立国会図書館デジタルコレクションから公開されている.「なつの虫」と次項の「身中の虫」は書籍化されていない.「なつの虫」は,明治27年1月13日に26回で完結している.しかし,1月9日に第21回として第22回の文章が掲載されており,翌日の10日が第23回に修正されているため,実質は25回分の速記しかない.ほぼ紙面の2段分の文のみで,挿絵はついていない.読むことができた明治27年1月4日からの9回分のあらすじを載せる.
 パリで逮捕された川島定五郎は,ロンドンへ護送されることになった.川島は一計を案じ,検事の許しを得てホテルにいる娘のお高に手紙を書いた.手紙の隠し文字に気づいたお高は,ロンドンへ急行し,以前川島が世話をしたメリケン虎こと谷虎吉に相談に行った.特務探偵を襲う計画を立て,虎の言い分どおり,4人分の手配料2000円を渡した.
 銀行員の鈴木金次郎は,婚約者のお高から預かった株券を偽物と知らず売却してしまった.(おそらく,そのために逮捕され,今は保釈の身).株券は和田平八のところから川島が盗んできたものだった.お高は,鈴木と結婚したその晩に財産を持ち逃げして,姿をくらましてしまった.川島の行方を探すように鈴木から依頼された私立探偵の山口陸造は,お高のあとをつけた.ロンドンに着いたお高が入ったのは,メリケン虎の家だった.山口は,虎の子分のオチャラケ松をおどしつけ,お高がやって来たわけを探らせた.
 翌日の深夜,川島は列車と船を乗り継いで特務に護送されている.ドーバ港で船を降りた特務員を,虎と3人の男が取り囲み,殴りかかった.「川島の兄い,逃げろ」.駈け出した川島は,波止場の出口に待ちかまえていた馬車に乗りこんだ.この馭者はいったい何者なのか?(1話分欠).
 虎が一人あたり20円しか払わなかった上,川島は再び捕まってしまった.お高の祖母は,金を返せと虎に詰め寄るが,俺は一文も懐に入れていないとシラを切る.それなら,お前にかかった懸賞金をもらうまでと,婆は深夜の公園を警察に向かった.追いかけてきた虎と婆はもみあいになり,池に落ちた二人は溺死してしまう.川島は12年の刑,鈴木は晴れて無罪となる.しかし,心労のあまり鈴木は銀行にも出勤せず,家に引きこもってばかりいる.ある日,散歩の途中,鈴木はお高を見つける.お前は泥棒だとなじる鈴木だが,お高は夫婦のものを旅費に使っただけだとうそぶく.火の怖さを知らず,虫はランプの美しさに近づき身を焦がす.私もお前の美しさに迷ったが,もはやお前に未練はない.しかし,いったん結婚したからには,法律上離縁はできないため,別居の上,一生飼い殺しにするしかないと申し渡す.ところが,お高は5千円くれれば別れてやると言う.なぜ離婚できるか理由がわからないため,隣室に探偵の山口をひそませ,試みにお高に金を渡すことにした.金を受け取ったお高は,私にはれっきとした夫があると種明かしした.隣室から飛び出してきた山口は,お高を重婚の罪で警察に連行した.


 快楽亭ブラック,身中の虫,やまと新聞 (1894.8.3〜9.16)
 身中の虫(しんちゅうのむし)は,快楽亭ブラック口演,快楽亭コミク筆記.全36回で完結.毎回,挿絵1枚がつく.舞台は英国にある2つのミルフホード.綿紡績の盛んな方は,ダービー州のミルフォード,その北にあるというダウセットの方は,イギリス南岸ドーセットのミルフォードではないか.両都市やドーバーとの位置関係や,列車が直通しているところなど,実際の地理と照らし合わせてみると矛盾点も多い.
 南北戦争のあおりで原料の綿が入ってこず,長谷川善右衛門は,ミルフォードの紡績工場をたたむ決心をする.工場で,弁護士の原六と債権者への支払いの相談をしているところを,番頭の木下勘介が立ち聞きする.そこへ甥の加納菊次郎がやって来た.菊次郎は,1年前に長谷川の娘の尾上との交際を申し込んだが,2年間海外で過ごし,頭を冷やすよう命じられたのだった.菊次郎は,アメリカへ渡り,シカゴで知り合った石山嘉造とカリフォルニアの山奥へ入って,苦労の末,金鉱脈を掘りあてたのだった.7万円の大金を証拠に見せ,金の採掘の身振りをしながら熱弁しているうち,工場の2階の穴から,階下の石畳に落ちてしまった.あわててランプを手に階下に降りた長谷川は,菊次郎の息が止まっているのに驚く.思わず懐から財布を抜き取ったところへ,木下が現れ,長谷川をゆすろうとする.これをはねつけ,木下に医者を呼ぶように命じた.ピストルを手に戻った木下は,菊次郎を介抱している長谷川にそっと近づき,間近から脳天を撃ち抜いて殺した上,7万円を奪った.いったん家に戻った木下は,飲めないブランデーをあおり,夜中に菊次郎の死体を埋めに工場に戻った.しかし,菊次郎の姿はなく,奴は生き返ったのかと不安になる.
 翌朝,出勤した工員が長谷川の死体を見つけ,大騒ぎになる.木下も何食わぬ顔で工場に出かけ,10時の検屍の約束をする.検屍が遅くなったのは,昨晩,馬車に顔を轢かれて身元のわからない若者の死体がみつかり,その対応もあったからだった.長谷川の家を訪れた木下は.尾上に父の死を知らせる.10時になり,検屍がはじまった.関係者を順に審問し,陪審員の出した結論は,金に窮した長谷川が一時狂気となり,自殺したというものであった.その後,木下は顔なし死体の検分に出向く.着物の柄を見て,死体はやはり菊次郎だったと安堵する.
 ヨーロッパでは自殺は大罪のため,長谷川は密葬となる.財産をなくした尾上に,木下が言い寄る.そこに,石山がアメリカから長谷川を訪ねてきた.彼は,長谷川の死んだ11月28日に,ミルフォードに向かう菊次郎とロンドンで別れたと言い,きっと菊次郎を探し出すと,尾上を慰めた.石山と木下は,警察署を訪ね,顔なし死体の遺品を見せてもらう.石山は,ズボンに縫いこんであった金と名刺を見つけ出す.死体は菊次郎ではなかった.
 後日,記憶を失った菊次郎の身よりを探す新聞広告を木下は見つける.いても立ってもいられず,内妻のお梅の止めるのも聞かず,あわてて夜汽車で広告の掲載主ががいる,ドーセットのミルフォードへ向かった.実のところ,あの晩,昏倒から覚めた菊次郎は,記憶を失ったまま,ふらふらと駅舎にたどり着いたのだった.ミルフォードとばかりつぶやく菊次郎を,駅長は夜汽車に乗せた.翌朝,ダウセットのミルフォードへ着いた菊次郎は,路傍に倒れてしまい,土地の医者,千島幸庵に助けられたのだった.木下は偽名を使って千島に面会し,百円を渡して,菊次郎の治療を頼んだ.その間に,菊次郎をなき者にしようと計略をめぐらす.一方,翌朝の面会時間になっても現れない木下に業を煮やした石山は,工場に出向き,長谷川が死んだ工場内を見せてもらう.天井にあいた穴の折れ釘に,菊次郎のコートの切れ端が引っかかっているのを見つけた.彼がここにいたことを知った石山は,お梅を訪ねた.何気なくお梅は尋ね人広告のことを伝える.石山と入れ違いに戻った木下は,お梅を殴りつけ,尾上のところへ駆けつける.菊次郎はロンドンの船中で骨折して動けないと嘘をつき,尾上をロンドンへ連れ出した.翌朝,大枚をはたいて安神丸を借り上げ,まんまと尾上を船に乗せた.船員が出したモルヒネ入りのコーヒーで昏睡する尾上.木下の跡を追ったお梅も,船に乗ろうとする木下に追いつく.口論の末,お梅は突き飛ばされ,安神丸はスペインへ出航した.
 千島医師を訪ねた石山は,菊次郎のうわごとから,木下が長谷川を殺したと確信する.すぐに警察に出向き,木下は手配される.夜汽車を仕立て,ロンドンに着いた石山が見たのは,馬車に轢かれたお梅だった.お梅の口から,木下が安神丸でスペインに向かうことを知る.列車でドーバーに先回りして,水上警察が木下を待ち受ける.眠りから覚めた尾上に,木下が再び言い寄る.海に飛びこもうとする尾上を船長がとどめる.そこへ水上警察の船がやって来た.関わりになるのを恐れた船長は船を停める.海に飛び込んだ木下はワニの餌食となって絶命した.菊次郎と尾上は夫婦となった.


 橘家圓喬,封文小堀水茎,やまと新聞附録 (1894)
 『やまと新聞』附録は,1枚もの錦絵の近世人物誌シリーズ20回にはじまり,続いて講談落語速記が掲載される.表紙が錦絵で飾られ,本文16ページが定型.圓朝作品が本紙に載ったのに対して,春錦亭柳桜の作品は附録に掲載された.明治21年8月からの「夏柳夜半伏魚梁」(四谷怪談),「時雨の笠森」「倭歌敷嶋譚」「仇娘好八丈」「暮鐘雪森下」(怪談嬉野森),「阿部川原風仇浪」「実説天一坊」と柳桜の掲載作は次々と単行本化されている.それぞれ,対応する書籍等の欄に別記している.
 封文小堀水茎(ふうじぶみこぼりのみずぐき)は,橘家圓喬口演,今村次郎速記.『やまと新聞』の明治27年3月23日,4月20日,5月25日の3回にわたり附録として掲載された.挿絵5枚.翁家さん馬の「八百屋お七 恋廼緋鹿子」と同じ話だが,細部はちがっている.
 旗本小堀源十郎の遺児左門は,法事の席で見かけた八百屋太郎兵衛の娘お七に恋煩いの末,ぶらぶら病い.これでは家督相続ができないと,いったん旗本の次男佐藤弥平次を準養子に迎える.自分の妾に男子が生まれたため,左門を幽閉し,左門の味方の用人らを追い出してしまう.秘密を知った女中のお杉が,左門を逃がし,書き置きを鏡の裏に血糊で貼りつけて自害する.湯灌場買いの吉三郎と弁州がお杉の死骸の始末をしようと,寺から鑑札を盗んだまではよいが,焼き場でドジを踏み,棺桶から変死体が飛び出す.
 左門をかくまう伝太夫は貧窮し,病気の息子の伝吉は家を出る.寺男に収まっていた伝吉に目をかけたのが八百屋太郎兵衛.お杉の家族が引き取った荷物から,証拠の書き置きが発見され,吉三郎や小堀弥平次らが捕らえられる.小堀は切腹,吉三郎は江戸払いとなる.江戸に舞い戻った吉三郎は,本郷丸山本妙寺に火をつけ,騒ぎのすきに金を盗み,相棒の弁州を蹴殺す.火事で遠乗寺に避難してきたお七は,寺に預けられていた左門に恋する.吉三郎にそそのかされたお七は,左門に会いたさに自分の家に火をつける.騒ぎに乗じて火事場泥棒をした吉三郎は,火盗改めにつかまる.まだお七が14歳だと恩情で裁こうとしたのだが,吉三郎の証言で,お七は鈴ヶ森で火あぶり,吉三郎は打ち首となる.左門の名には傷がつかず,小堀の家は再興した.


 談洲楼燕枝,上州機心綾絲,都にしき, (2)〜(9) (1896)
 『都にしき』は,明治29年1月に創刊し,その年の7月,11号で終刊したらしく,短命に終わっている.国会図書館が10号まで所蔵,11号は伝統芸能情報館で補える.「上州機心綾絲」をはじめとする人情噺に加え,落語・講談が載っている.『明治大正落語集成』に採録されていない落語としては,橘家圓喬の「魚尽し」「春雨」「食客」(きめんさん)と「白井権八・願人坊主・魚売」の三題噺,燕枝の小噺「人真似猿」があげられる.講談としては,松林伯圓の「鳥追お松」,神田伯山の「北越孝子伝」,放牛舍桃林の「吃又兵衛実伝」など10編あまりになる.人情噺は3代目春風亭柳枝と談洲楼燕枝,落語は4代目橘家圓喬で分担した形になっている.
 上州機心綾絲(じょうしゅうおりこころのあやいと)は,談洲楼燕枝口演,『都にしき』2〜9号に7回にわたり連載したが,未完に終わった.挿絵2枚.高座に出さぬ新物とあり,会話の妙が楽しめる作品.桐生の絹糸売りの与兵衛が,人妻のお半に恋煩いしたことから起きる騒動.詳しい内容は,「燕枝作品のあらすじ」に書いている.


 春風亭柳枝,縁は異なもの,都にしき, (4)〜(5) (1896)
 縁は異なもの(えんわいなもの)は,春風亭柳枝口演,斎藤貞五郎速記.『都にしき』4〜5号に2回にわたり連載された.内容は落語で言うところの「化物娘」「本所七不思議」で,人情噺「四谷怪談」の発端にあたる.
 小石川鶯谷の旗本,阿座井半之丞は,内職の傘張りの手伝いに,巳之助という若者を雇った.阿座井の先妻の娘おみきは,疱瘡とやけどで醜い顔かたちになってしまっている.後妻はおみきをうとましく思っている.ある冬の夜,後妻が巳之助に言うには,そんなに寒いならおみきの寝床に入って寝ろと,娘を人とも思わぬひどい言いつけ.やむなく蒲団にいれてもらったが,そこは若い男,ついついおみきと関係し,ついにおみきは妊娠してしまう.後妻はこれをネタに,おみきを追い出そうと折檻する.
 二人は夜中に阿座井の家を抜け出し,馬道の伯父,甚兵衛夫婦をたずねる.外におみきが立っているとも知らず,甚兵衛は女でしくじっても,あの化物娘だけは御免こうむるなどと口走ってしまう.翌朝,甚兵衛は阿座井に詫びを入れるが,おみきは勘当となり,巳之助とむつまじく暮らした.この後,お岩が生まれれば「四谷怪談」につながる.
 


 春風亭柳枝,瞽女殺し,都にしき, (6), 61-72 (1896)
 瞽女殺し(ごぜごろし)は,春風亭柳枝講演,市村惇士速記.『都にしき』6号に掲載.挿絵1枚.「怪談累草紙」と同工の噺.女の名は"いそ"で同じだが,殺人の場所が親不知の海岸ではなく,北国へむかう山中になっている.
 本所の旗本,穂積勘二郎は,北国への旅の途中,ある間の宿に泊まった.三味線にのせて小唄を歌う美声に惹かれ,女の部屋にしのびいり,武士の魂の脇差しを預けて結婚を迫った.宿の主が連れてきたおいそは,やけどで顔がひっつれ,二目と見られぬ姿をした盲人だった.一口酒を飲むと,穂積はいそを連れて暗いうちに出発した.山中でいそを殺して谷底に死骸を沈めてしまった.
 三年後,穂積が再びおなじ谷間を通ると,なぜか道に迷ってしまい,山寺にたどり着いた.そこに泊めてもらうと,夜中に女の叫び声がする.三年前に殺された女を葬ったところ,浮かばれないことか,夜になると声がします.執念深いことで,と坊さんが言う.因縁を感じた穂積は出家した.


 春風亭柳枝,二人茂兵衛,都にしき, (7)〜(9) (1896)
 桂文治,二人茂兵衛,女幕のうち, すみや書店 (1907)
 二人茂兵衛(ににんもへえ)は,春風亭柳枝口演,市村惇士速記.『都にしき』7〜9号に3回にわたり連載された.挿絵1枚.同じ茂兵衛の名を持つ2人の男が,おさんとお藤という2人の女性を争う芝居噺.後半は,「お藤松五郎」と似た筋立てで,別の人あての手紙を自分への愛想づかしだと誤解する.芝居噺を得意とした桂文治(8)も演じている.
 大経師屋茂右衛門のせがれ茂兵衛は,何不自由ない暮らしをしている.向島の花見帰りに休んでいると,隣家の庭にすこぶるつきの美人を見かける.翌年,柳島の妙見にお参りしたときにも,偶然,例の女を見かけた.本屋の吉兵衛から,あれは日本橋の紙屋の娘のおさんで,黒船町の茶道具屋,隠家の茂兵衛の嫁に行くことになっていると教えられた.まだ結納を交わしていないことから,強引に大経師屋茂兵衛とおさんとの縁談をまとめてしまった.
 それなのに浮気性の茂兵衛は,葭町の芸者お藤に入れあげるようになる.これを気に病んだおさんは床についてしまうが,茂兵衛は見舞いもしない.お藤の間夫は,またも隠家の茂兵衛だった.お藤は子細のある女ゆえ,私の亡き後はこの女を家に入れないでくれと言い残し,おさんは死んでしまう.おさんの家に義理立てして,茂右衛門は茂兵衛を勘当する.
 五十両の勘当金を懐に,おさんの家に転がり込んだ茂兵衛だったが,おさんは隠家の茂兵衛と待合で密会する.隠家がどうしても五十両必要だというので,明日もう一度会ったときに渡す約束をした.翌日,大経師屋を芝居見物に誘い出し,おさんは待合に出向いたが,隠家が来ていない."茂兵衛様"と上書きした手紙を,ちょっと抜けた平助という男に持たせて黒船町に遣わした.平助は客につかまり,芝居茶屋に引っ張り込まれる.隠家茂兵衛宛の手紙を,大経師屋茂兵衛に渡してしまう.大経師屋の馬鹿から金をだまして……とある手紙を読み,怒った茂兵衛.花川戸で二人の茂兵衛が出っくわした.「そこへ行くのは隠家か」「誰かと思えば大経師」と芝居がかりで喧嘩となる.


 春風亭柳枝,鷲の長吉,都にしき, (10), 35-46 (1896)
 鷲の長吉 (わしのちょうきち)は,春風亭柳枝演口演,市村惇士速記.『都にしき』10号に掲載.挿絵1枚.大関谷風と鷲の長吉義兄弟の話.纏綿たる長ぜりふを書かないと,要約だけでは人情の機微が伝わらない.
 橋場の侠客,鷲の長吉が蔵前八幡の相撲小屋に入ったところ,はずみで土俵入りする大関谷風の前切りをしてしまった.ゲンが悪いと谷風に突かれて,長吉は転んで眉間を切ってしまう.恥をかかされ戻った長吉に,子分はのこらず盃を返し,谷風の首を切ってくりゃ詫びましょう,と捨て台詞.
 女房子供を置いて船頭になった長吉.三年後,江戸に戻ってきた谷風を深川まで送ることになった.高輪沖に船をこぎ出し,谷風関,どうぞ首をくだせえ,それさえ叶えば,俺も腹切ってあとを追いますと迫ってきた.谷風が言うには,わしも故郷に老母がいる.お前が負かした力士の身にもなれ,早く田舎に戻って鋤鍬もてと,貧しい暮らしをやめない.この親を見送ったら,この首をやろうと,手を突いて涙をこぼす.長吉も思わずもらい泣きし,俺ほど不孝者はいない,今の話は高輪の水に流して笑ってくれ.お前も孝行する気になってくれたか,谷風と兄弟分になってはくれまいか.日本一の関取と兄弟分になってくれるとは,長吉も男が立ちます.二人は義兄弟の杯を交わした.


 春風亭柳枝,小金井桜,華の江戸, (3)〜(5) (1896)
 『華の江戸』は明治29年6月創刊,11号(明治30年2月)まで刊行が確認されている.誌名は,はな乃江戸とも.国会図書館が10号まで,早稲田大学演劇博物館が11号まで所蔵している.人情噺としては,この「小金井桜」のほか,圓右の「五月闇」,未完の「宮の越検校」を収める.「五月闇」は,「恋路の闇」と改題して『扇拍子』(1897)に収められている.落語としては,三遊亭圓右の「裏向き」,三遊亭圓馬の「犬の目」「眉間尺」「千両密柑」,橘家圓橘の「お盆」「富士詣」「幽霊の女カ買」「松山鏡」「ニュー」「凄い話」「万金丹」「萬歳」,三遊亭圓遊の「雪のとんとん」「はぬき」「魂の入替」,春風亭柳枝の「世辞床」,三遊亭圓朝の「女の子別」,橘家圓喬の「親馬鹿」(火事息子)などが見られる.「凄い話」は「五光」のこと,「世辞床」は「無精床」と「片側町」の連作.一部は『明治大正落語集成』に採録されている.圓朝の「女の子別」は,これが初出となる.
 小金井桜(こがねいざくら)は,長編の抜き読み.春風亭柳枝口演,納谷直次郎速記.『華の江戸』3号,5号に2回連載で,未完に終わっている.冒頭で『都にしき』に引き続き,『華の江戸』にも侠客の話をだすと言っている.前項の「鷲の長吉」のことを指している.
 小金井村の名主のせがれ,小次郎は若くして博徒の群れに飛び込んだ.金比羅参りの船の中,大坂者が始めた博打がいかさまサイコロを使っていると見てとった.しかし,いくら探してもイカサマ賽が出てこない.進退きわまった小次郎に,今まで寝ていた男が足指にそっとイカサマ賽をはさんで差し出してきた.誰かといぶかりながらも,この賽を証拠に大坂者をやり込めた.
 帰り道のこと,薩〓峠で武家の親子が苦しんでいる.傷寒に倒れて無一文となったところを,小次郎が金を恵んで助けた.これが後に小次郎の命を買ったようになるというのは,次回に申し上げます.燕枝の「侠客小金井桜」では,この後のお裁きの場面を含み,全編を口演している.

薩〓[さった]:土偏に垂


 橘家圓喬,京鹿子血染振袖,人情世界, (1)〜(5) (1896)
 『人情世界』は,明治29年10月に創刊した雑誌.ほぼ旬刊のペースで,明治36年まで300冊近く刊行された.伝統芸能情報館がほぼ全冊を所蔵している.通俗読み物と,読者投稿(俳句,小噺など)の二部構成となっている.明治33年頃には,1冊まるまる講談を載せた特別号を毎月出していた.講談・書き講談や小説は数多いが,人情噺はこの作品しか見つからなかった.講談としては,「京鹿子血染振袖」の後をうけた「善悪二箇玉」(邑井貞吉),「塚原卜伝二代の誉」(錦城齋一山),「鶴殺伊藤主膳」(放牛舍桃林)などが掲載されている.
京鹿子血染振袖(きょうがのこちぞめのふりそで)は,橘家圓喬演,田中松之輔速記.『人情世界』1〜5号まで5回連載,全20席.挿絵5枚.圓喬の流れるような弁舌を楽しめる作品.あまりに饒舌なためか,第2回の冒頭に,手短に要点を述べ,滑稽の言葉は省略するよう依頼したと書かれている.筋立てはパターン化しており,都合のよい展開に終始する.
 宮坂吉平は伊豆又に金をだましとられて没落してしまった.持参金に目がくらんだ後妻のおたねは,娘のお花に伊豆又との結婚を迫る.やむなく結婚を承諾したお花だが,婚礼の前の晩,横浜にいる許婚者の喜三郎に会いに家を飛び出した.お花の乗った人力車夫は,宮坂の金を横領した孫六だった.孫六に手籠めになりかけたお花は,おでん屋の親父に救われる.この男,実は穴熊三次という悪党.喜三郎は函館に赴任したと言われ,一緒に函館へ旅立った.一方,宮坂は伊豆又らに屋敷を抵当に取られ,虎の子の金までスリに奪われ発狂してしまう.
 函館に着いた穴熊三次は,喜三郎は横領がバレて捕まってしまったと嘘をつく.その金を弁償するために,お花は函館の女郎屋に身を売った.そこで喜三郎について書かれた新聞記事を目にする.彼は,殺人強盗犯として戸部の監獄に収監され,嵐に乗じて脱獄したとあるではないか.穴熊三次にだまされたと知ったお花は,川に身を投げようとする.それを救った廻船問屋の鷲塚鉦作は,お花を親許身請けする.鷲塚の家にいるうち,娘のお千代と親しくなる.ある日,鷲塚の家にやってきた新入りは,忠三郎と偽名した喜三郎だった.忠三郎に一目惚れしたお千代は,お花に取り持ちを頼む.お花をねたんだ女中のお近が密偵し,お花と忠三郎の関係が知れる.これを気取った忠三郎は,お千代をたらし込み,千円を用意してくれれば一緒に東京で暮らせるとたきつけた.お花から秘密がもれるのを恐れた忠三郎は,お花にも一緒に逃げようと夜の桟橋に誘い出した.忠三郎は,お千代の面前で,お花を匕首で斬りつけた.驚くお千代も刺し殺し,金を奪う.そこに巡査が通りかかり,お花は一命を取りとめる.
 宮坂吉平の狂気を治療したのが,精神科医の桜井だった.函館の鷲塚を訪ねてきた桜井に同行していた吉平とお花が対面する.鷲塚に資金をもらい,東京へ戻る船中,宮坂親子は水夫になっていた穴熊三次に出くわす.三次は海に飛び込み水死する.喜三郎の方は,青森からさらに仙台へと逃げる途中,盗品を運んでいた男から風呂敷包みをだまし取る.風呂敷の中身は,自分が殺したお千代の血染めの鹿の子の振袖だった.これを見た喜三郎は神経を病み,仙台の宿でお千代の亡霊にさいなまれ,自ら犯した悪事を口走ってしまう.喜三郎は死刑となる.お花は養子をもらい,江の島に旅館を開いた.


 三遊亭圓朝,梅若七兵衛,人情世界, 5(2), 50-55 (1900)
 三遊亭圓右,梅若七兵衛,演芸倶楽部, 3(4), 87-97 (1913)
 『人情世界』誌の梅若七兵衛(うめわかしちべえ)は,三遊亭圓朝口演,酒井昇造速記.『円朝全集』に載っている作品だが,この速記が初出ではない.『演芸倶楽部』は,三遊亭圓右(1)演,今村次郎速記.挿絵1枚.狂言師の梅若七兵衛は,芸に夢中で金に頓着しないため,いつも貧乏している.女房にさとされ,しぶしぶ番町のお屋敷に出向いた.拝領の黄金を1名遣わされると,女房を喜ばそうと,挨拶もせず屋敷を飛び出した.途中,雪に転んでどぶ泥に手を突っ込んでしまう.家に戻ると黄金がない.いそいでどぶ泥をかき回して黄金を見つけて戻ると,女房の方は門口で拾った黄金を七兵衛に見せた.さては,お屋敷から黄金を2枚持ってきてしまったのだと,息を切らして番町に駆けつけた.ところが黄金はちゃんとある.正直の頭に神宿るという,名人譚.


 談洲楼燕枝,旗本五人男,毎日新聞 (1897.1.1〜5.2)
 旗本五人男(はたもとごにんおとこ)は,談洲楼燕枝述.燕枝自ら筆をとったもので,速記者の名はない.『毎日新聞』説話欄に,明治30年(1897)1月1日から5月2日まで100回にわたって連載された.この噺もそうだが,『毎日新聞』にはなぜか講釈種が多く連載されている,「旗本五人男」の内容は演者によって異なり,登場人物のサイドストーリーもさまざまあるため,この連載が決定版ではない.たとえば,春錦亭柳桜の「旗本五人男」は座光寺源三郎のみ.他に「お縫の火」が『文藝倶楽部』に掲載されている.次回の「西海屋騒動」の予告には,「旗本五人男」よりも数層上に出づべき,と思わず本音とも思える紹介文が載っている.詳しい内容は,「燕枝作品のあらすじ」に書いている.


 談洲楼燕枝,西海屋騒動,毎日新聞 (1897.5.4〜8.27)
 談洲楼燕枝,西海屋騒動,三芳屋 (再版1903)
 談洲楼燕枝,御所車花五郎,綱島書店 (1924)
 西海屋騒動(さいかいやそうどう)は,談洲楼燕枝述.『毎日新聞』に明治30年5月4日から8月27日まで,100回にわたって連載された.単行本としては,燕枝の没後,1902年に正続2巻で三芳屋から出版されている.談洲楼燕枝(1)の代表作で,『名人名演落語全集』 第1巻に冒頭第23回まで(いわゆる「御所車の花五郎」の部分)が復刻されている.柳枝(3) の「唐土模様倭粋子」の方が古い型で,「水滸伝」の登場人物名を取り入れている.一方,「西海屋騒動」では,源平合戦の登場人物名を織りこんでいる.連載の都合上か,後半には本筋と関係の薄い人物が,打上花火のように現れては消えて行く.
 三芳屋の『西海屋騒動』は,燕枝没後に新聞速記を単行本化したもの.全100席,551ページ.口絵2枚.綱島書店の『御所車花五郎』は,美やこ文庫シリーズの1冊.三芳屋の書型そのままで,1〜36席までを転載している.196ページ,侠客の角書き.三芳屋と異なる口絵1枚.なお,美やこ文庫の目録では,仇討 西海屋騒動(19),侠客 御所車花五郎(20),孝子松太郎 大磯之仇討(21)が載っている.順番は変だが,3冊で100席完結なのだろう.
『文芸倶楽部』に抜き読み「御所車花五郎」「西海屋」が載っている.「西海屋騒動」の詳しい内容は,「燕枝作品のあらすじ」に書いている.


 談洲楼燕枝,骸骨於松,毎日新聞 (1897.8.28〜12.29)
 骸骨於松(がいこつおまつ)は,「骸骨於松」は,談洲楼燕枝述.「西海屋騒動」に続き,『毎日新聞』の説話欄に明治30年8月28日〜12月29日まで103回にわたって連載された.講釈種の鬼神のお松の生涯だが,時代は幕末になっている.毎回,燕枝や門人・門葉の小噺が枕がわりについている.詳しい内容は,「燕枝作品のあらすじ」に書いている.


 談洲楼燕枝,侠客小金井桜,毎日新聞 (1898.1.1〜4.6)
 侠客小金井桜(きょうかくこがねいざくら)は,「侠客小金井桜」は,談洲楼燕枝述.明治31年の元旦から,『毎日新聞』説話欄に4月6日にかけて80回にわたって連載された.毎回,川柳・狂歌が冒頭を飾る.三世柳亭種彦から借り受けた原稿をもとにしたという小金井小次郎伝.事実のみを書いたとあるが,いかにも眉唾に聞こえる.斬った張ったの博奕打ちの抗争シーンが多い.『華の江戸』に,春風亭柳枝(3)の抜き読み「小金井桜」が載っている.詳しい内容は,「燕枝作品のあらすじ」に書いている.


 談洲楼燕枝,仮名政談恋畔倉,毎日新聞 (1898.6.2〜8.10)
 仮名政談恋畔倉(かなせいだんこいのあぜくら)は,談洲楼燕枝述.「侠客小金井桜」の連載終了からしばらく間をおいた明治31年6月3日から8月10日まで,『毎日新聞』情話欄に60回にわたって連載された.講釈種の畔倉重四郎の大岡政談.詳しい内容は,「燕枝作品のあらすじ」に書いている.


 三遊亭圓橘,後の業平文治,時事新報 (1903.1.13〜2.16)
 橘家圓喬,侠客業平文次,時事新報 (1909.5.15〜9.4)
 談洲楼燕枝,業平文治,時事新報 (1927.5.3〜12.22)
 「業平文治漂流奇談」の続編として『圓朝全集』に掲載されている後の業平文治(のちのなりひらぶんじ)は,『時事新報』に連載された三遊亭圓橘(2)の速記を利用している.全45回.そのあらすじは,「圓朝作品のあらすじ」後の業平文治に書いている.
 橘家圓喬(4)の「侠客業平文治」は,全104回.社員速記.最終の104回では,後編で文治が小笠原に流刑になった末,帰国後に大伴蟠龍軒を討つと予告しているが,流刑になるのは三宅島で,漂着するのが小笠原島になる.
 「業平文治」が連載された昭和2年時点の談洲楼燕枝は2代目になる.初代は圓朝作品を演じていない(演じるはずもない)が,2代目は圓朝ものの「松枝宿の子殺し」や改作「新牡丹燈籠」を手がけている.全201回,速記者名なし.侠客の角書き.5月1日には予告が載っている.「業平文治」の後編にあたる,敵の蟠龍軒を文治夫妻が討つところまで描いている.この連載は2代目燕枝が実際に演じたのではなく,燕枝の名を借りてでっち上げた創作と考える.ちょうど同時期に春陽堂から『圓朝全集』が次々と出版されており,そのタイミングをあてこんで「業平文治」を企画したのではないか.まず,文体が説明的かつ拙劣で,高座で演じるようなものでない,速記者の記載がない,圓朝・圓橘のオリジナルストーリー(圓朝全集)からはずれた見たこともないプロットを取り入れている,柳派の幹部が圓朝作品を勝手に創作するはずはないなど,いくつかの理由で燕枝自身の口演とは考えられない.


 談洲楼燕枝,三日月次郎吉,人民 (1904.4.3〜4.14)
 三日月次郎吉(みかづきじろきち)は,二代侠客の角書.談州楼遺稿とある.燕枝没後の明治37年4月3日〜14日に,新聞『人民』に講談として12回にわたって掲載された.4月2日には予告が載っている.『人民』は,明治37年3月をもって朝鮮に転進するため廃刊予定だったが,撤回となった.そのため,4月からの紙面は貧相なものになっており,燕枝作品にも挿絵がついていない.村上浪六の小説「三日月」がヒットしたが,事実と違うことを遺憾として燕枝が文献類を調べ直したとある.それにしては人物も架空だし,出会いがドラマチックすぎる.詳しい内容は,「燕枝作品のあらすじ」に書いている.


 春錦亭柳桜,野路の玉川,伊勢新聞 (1907.2.3〜2.16)
 野路の玉川(のじのたまがわ)は,春錦亭柳桜講演,本社員速記.女侠の角書き.『伊勢新聞』に明治40年2月3日から16日まで10回にわたって連載された.2日には,婦女の身をもって,子分千人を有した勇壮なる物語との予告が出ている.演者の二代目柳桜は,後の五代目麗々亭柳橋になる.展開は早いが,10回では結末まで行かず,未完に終わっている.
 8歳で両親を亡くしたお芳は,兄の亀蔵とともに庄屋の三右衛門に預けられた.よく働く兄にひきかえ,妹のお芳は男子と喧嘩ばかりしている.手を焼いた三右衛門は,大坂へ行くお倉婆さんにお芳を託した.八軒家に着いたお倉は,言いつけどおりお芳を捨て子にした.これを拾ったのが新町の遊女屋の主,京屋清兵衛.
 芸を磨き,17歳になったお芳は,芸者で売り出す.萩藩の留守居役,遠藤権十郎に千両で身請けされ,難波橋の妾宅に引き取られる.ならずものの業平喜三郎を引き込んで楽しんでいたところに遠藤が踏み込み,喜三郎を斬り殺す.命からがら逃げたお芳は,難波橋の上から大川へ飛び込んだ.通りかかった京都の商家萬屋の番頭に船の中に引き上げられる.お芳の器量に惚れた喜助は,下心丸出しで伏見までお芳を乗せてゆく.喜助が寝ているすきに,お芳は懐の三百両を盗み,再び川へ飛び込んだ.おぼれ死にかけたお芳を救ったのが,伏見の親分,玉川鯉之助.追いはぎに遭ったと嘘をつき,お芳は鯉之助の家に厄介になって年を越す.ふと見た楠公記に出てくる女侠客およしにあこがれ,自分も子分を持つ身になろうと決心した.
 ある日,甲斐又兵衛の子分,茨の兵吉が挨拶に立ち寄った.兵吉は遠慮なく酒をがぶ飲みしている.鯉之助が昔のことを引き合いに,又兵衛を見下したため,こんな肴じゃ酒が飲めない,鯉の生き料理をだせと息巻いた.生意気なことを言うな,殺っちまえといきり立つ子分たち.ここで連載終了.この後,お芳が自分の股の肉をえぐりとる度胸を見せたことから,玉川お芳の売り出しになるという展開らしい.


 曽呂利新左衛門,傾城瀧川,講談倶楽部, 2(5), 113-122 (1912)
 『講談倶楽部』は,明治44(1912)年11月創刊.出版元は講談社(大日本雄弁会講談社).大学・公共図書館は昭和37(1962)年まで部分的に所蔵している.戦争協力誌とみなされ,戦後の1949年に復刊している.創刊号から浪曲は載っていたのだが,1913年に臨時増刊「浪花節十八番」を出したことで,速記者の今村次郎と講談師が反発し,速記提供をボイコットした.これがきっかけで,書き講談である新講談が誌面を占めるようになる.落語についても,創刊から1年間ほどは人情噺をはじめ,意欲的な作品が見られたが,しだいに落語家風な名前を冠した書き落語や読者による懸賞応募作が目立つようになる.大正9年の快楽亭ブラックの連載「曲芸師」が最後の長編作品(ただし講談扱い)といえる.全体に質の低い作品が多く,くわしい調査は行っていない.
 傾城瀧川(けいせいたきがわ)は,2年前に引退した二世曽呂利新左衛門が,画業発表を記念して演じたとある.為永春水の瀬川五京を初代の笑福亭竹賀が人情噺にしたものを聞き覚えたという.この枕が貴重.
 新町の遊女瀧川は,靱の干鰯屋に身請けされ妾宅住まい.そこに,もと朋輩の喜助がを訪ねてきた.死んだはずの間夫の彦次郎が,百舌鳥八幡のそばで瓦焼きに身を落として生きているという.それを聞いて,いてもたってもいられない瀧川は,初夜の太鼓を合図に百舌鳥へ行く約束をした.旦那の刀を犬おどしに渡し,二人は心斎橋を南へ向かった.広田今宮天下茶屋,大和橋まで来たのは,もう1時ごろ.一休みと煙草を吸う喜助をせかすと,「やかましいわい.彦次郎はとうに死んでしもうた」「そんなら私を誘うたは」「さあ瀧川,俺に抱かれて寝るか」.手ひどく断る瀧川に,喜助が刀を抜いて斬りつけてきた.「キャー」「ご新造さん,どうしました」「そんなら今のは夢であったか」


 石井ブラック,時計の媒介,講談倶楽部, 2(10), 93-105 (1912)
 時計の媒介(とけいのばいかい)は,英人石井ブラック(快楽亭ブラック(1))演.英国陸軍の斎藤市太郎少尉,親が財産を食いつぶしてしまったため,俸給だけでは生活が立ちゆかない.ある日,師団長の山中中将が,息子の卒業祝いの夕食パーティに招待してきた.もう真夜中となる頃,福田中尉が時計を盗られたと騒ぎ出した.宴席での泥棒騒ぎにムッとした中将は,まず自分からポケットを改めろと迫った.困った福田を尻目に,ポケットの高級時計などを出して見せる.続いて伊東大佐と,次々にポケットの中を見せてゆき,最後に斎藤の番になった.彼はポケットの中を見せるのは嫌だと断り,山中中将と別室に行った.そこで,恥ずかしながらと粗末なニッケル時計と,新聞紙に包んだパンとチーズを取りだした.母親には軍で賄いがでると言って,毎日,パンとチーズの粗食に耐えていたのだった.代々軍人であることを誇りに思う母の手前,商人にはならず,無理をして軍人を貫いている斎藤だった.これに感動した山中は,宴席に戻ると,訳は詳しく言えないが,断然,彼は潔白だと保証した.その晩,家に戻った福田は,時計を忘れていったことを妻に告げられ,大いに恥じいった.
 斎藤を気に入った山中は,何とか娘と斎藤を近づけたいと手をつくした.身分違いの相手に,恋心を言いだせない二人であったが,とうとう二人は夫婦になり,斎藤の家は立ち直った.


 朝寝坊むらく,長崎の松五郎,講談倶楽部, 2(12), 239-251 (1912)
 朝寝坊むらく,松五郎,評判名作落語 落語十八番, 三輪書店 (1932)
 長崎の松五郎(ながさきのまつごろう)は,朝寝坊むらく(三遊亭圓馬(3))演.挿絵1枚.目次は「長崎松五郎」.『評判名作落語 落語十八番』に再録されている.長崎にいた乱暴者の松五郎老人から聞いた怪談がかった実話だという.
 長崎の小さな女郎屋にあがった松五郎の子分が,夜中に気味悪い女の声を聞いたという.よし,俺が正体を見届けてやると,松五郎が身なりを変えて乗りこんだ.時分もよしと,夜中に雨戸を開けると,確かにうなり声のようなものが聞こえる.声をたよりに探ると,物置の中に膿だらけのやせこけた病人が寝ていた.「私はお職を張っていた雲井という女郎だったが,病気になるとこんな物置に放り込まれ,日に一度の握り飯にもこと欠く始末.親に一目会うまでは死にきれません」.「そうか.不人情な奴ほど金で動く.二,三日うちにまた来るから」と持ちあわせの金を渡して帰ってきた.子分にも銭をやれと言いつけて,折々雲井の面倒をみた.ところが,2月ほど旅に出て戻った松五郎が,久しぶりに遊女屋にあがってうとうとすると,色白の女が黙って枕元に座っている.「私は雲井でございます」「おお,すっかり良くなったのか」などと話していると,今雲井は息を引き取ったという.聞けば聞くほど雲井は哀れな女.かつて,雲井を訪ねてきた親父に20両を渡したが,帰り道に親父は楼主に殺されてしまう.その後も,親父をかたった無心の手紙にだまされ,雲井は金をむしり取られていた.これを聞いた松五郎は,楼主に掛けあい,雲井親子の供養をさせ,抱えの遊女の証文を巻かせた.荒くれの松五郎が,生涯に一度だけしたという功徳.


 春風亭柳枝,流し笛,講談倶楽部, 31(4), 260-267 (1941)
 流し笛(ながしぶえ)は,春風亭柳枝(7)遺稿,人情噺しとある.挿絵2枚.眼科医,土生玄碩の出世譚.土生玄碩は,「名医と名優」(「男の花道」)という講談にも取り上げられている.この話では,旅の途中の中村歌右衛門の眼病を治療し,こんどは玄碩の危難を歌右衛門が救うというストーリーになっている.
 田沼家の浪人,松下清兵衛は,風眼という眼病をわずらっているが,浪人の悲しさ,医者にかかることもできない.妻のおよしは天神様に日参して神頼みすることしかできない.たびたび,兄のところに無心に行くため,とうとう,清兵衛と別れないならば,これから先は面倒をみないと言われてしまう.兄嫁から渡された米を手に長屋に帰った.「このところ行燈の灯りが少しは見えるようになった」という夫に煙管を渡そうとすると,清兵衛は見当違いのところに手を伸ばした.「見えると言ったは全くのいつわり,かくなる上は切腹して相果てる」という夫をなだめていると,按摩の笛が聞こえてきた.少し気を休めてくださいと,按摩を呼び込んだ.
 入ってきた按摩は,盲人ではなかった.「私は按摩導引はしているが,長崎で修業した眼医者だ.まずは拝見いたそう」.清兵衛の目を診ると,治らないとも限らないと言い,およしに鳥目を渡すと薬を買ってこさせた.患者の肩腰をさすり,煎じた薬を飲ませ,さらに,こめかみに頭鍼を一つ打つと,清兵衛は急に便意を催した.ひどい下痢の後,疲れた清兵衛は寝入ってしまう.目が覚めた清兵衛の眼がヒョッとあいたではないか.喜ぶ夫婦は按摩の名を尋ねた.「私は土生玄碩と申す医者だが,江戸の人は口が悪い.あいつは土生ではなくて薮だなどと言って相手にしてくれない.縁があったら重ねて逢いましょう」と礼も取らないで立ち去った.
 この一件が江戸中の評判となり,老中の耳にも入った.ついには,居ならぶ御典医も治せなかった十一代将軍の眼病をみごと治療したことから,御典医に召されたという土生玄碩のお噂でございます.


 古今亭今輔,鋳掛松,演芸倶楽部, 1(8), 104-117 (1912)
 『演芸倶楽部』は,明治44(1912)年4月創刊.国会図書館が大正3(1914)年10月(おそらくこれが終刊号)まで所蔵している.出版元は博文館.毎号1席は,落語または講談が載っている.人情噺風のものは,この「鋳掛松」(荷投げ)と「梅若七兵衛」のみ.他には,「源九郎狐」(扇橋演),「木の葉狐」(今輔演),「子煩脳」(つばめ演)あたりが,珍しい演題.
 鋳掛松(いかけまつ)は,古今亭今輔演(今古亭今輔と誤記).挿絵1枚.鋳掛け職の松五郎が,そろいを来ていないため祭りに入れてもらえない子供を見かける.松五郎は,無尽に当たった金で,祭り半纏から帯手ぬぐいまで,すっかりあつらえてやる.この徳太郎が成人して,賊になった松五郎に意見するのは後の話.今度は大川端で,棒手商いをする母子の八百屋に銭を恵んでやる.その帰り道,両国橋を渡っていると,芸者あげて船遊びをする騒ぎが川面から聞こえてきた.「あれも一生,これも一生,こいつは宗旨を変えざあなるめえ」.鋳掛けの荷を川へ放り込んだ.「あら身投げかね」「いいえ,荷投げでございます」.


 三遊亭小圓朝,粟田口,娯楽世界, 2(7), 119-133 (1914)
 三遊亭圓右,荷足の仙太,講談倶楽部, 12(9), 306-317 (1922)
 三遊亭圓右,春見丈助,娯楽世界, 13(5), 78-106 (1925)
 『娯楽世界』は,大正2(1913)年創刊,昭和2(1927)年に終刊.大学・公共図書館は部分的にしか所蔵していない.出版元は鈴木書店から,のちに娯楽世界社となる.講談速記が主体で,落語は少数派だが,人情噺や珍しい落語がかなりの数含まれている.
 いずれも,圓朝の「粟田口霑笛竹」の抜き読み.荷足の仙太(にたりのせんた)は,三遊亭圓右(1)演.冒頭の粟田口を奪われる場面.粟田口(あわたぐち)は,三遊亭小圓朝(2)講演,浪上義三郎速記.挿絵1枚.刀の詮議の場面.春見丈助(はるみじょうすけ)は,三遊亭圓右(1)講演,今村信雄速記.結末部分の丈助の死.


 橘家圓蔵,三めぐり,娯楽世界, 3(1), 144-156 (1915)
 三めぐり(みめぐり)は,橘家圓蔵(4)講演,今村信雄速記.挿絵1枚.
 花見時の夕方,向島の土手を,金に窮して大阪から江戸に流れてきた男が歩いている.首をくくって死んでしまおうと,桜の枝に縄をかけたとき,誰かが駆けてくる足音が聞こえた.あわてて木の上に隠れると,若い男女がちょうど木の下に立ち止まった.夫婦になれないことを苦にして心中しようと,毛氈の上に書き置きと百両を置き,武家の若者が刀をぬいた.びっくりした大阪者が枝から落ちると,駆け落ちは驚いて逃げていった.残った書き置きと金を手にした男は,思案の末,一時これを借りることに決めた.借金を返し,商売を始めたところ,とんとん拍子にうまくいった.
 10年度,衣類を買いに来た客を見た主は,その夫婦を奥に招じ入れた.書き置きを見せ,あのときのおかげで命拾いした.百両はお返ししたいと申し出ると,自分たちこそあの時逃げたおかげで,親類に救われ,今では子供もできた.お互い金を受け取れないというので,三囲様の境内にお礼の塚を奉納した.


 林家正蔵,役者三面鏡,娯楽世界, 3(6), 35-51 (1915)
 林家正童,中村鷹十郎,文芸倶楽部, 29(9), 258-276 (1923)
 中村鷹十郎(なかむらたかじゅうろう)は『文芸倶楽部』大正12年7月号に掲載.林家正童(林家正蔵(5))演.怨みの鏡の副題.挿絵4枚.百歳でなくなった沼津の正蔵の遺稿として掲載.『娯楽世界』の役者三面鏡(やくしゃさんめんかがみ)の方が先に発表されている.浪上義三郎速記.挿絵1枚.正蔵老人が青年時代のできごとにあたる.旅興行の道中付けが詳しいが,肝心の磯田村が架空.
 天保10年,信州磯田村の豪農,高山源右衛門のところに世話になっている旅役者の中村鷹十郎,手をつけた下女のおりんが妊娠してしまう.鷹十郎は磯田村を逃げ出し,三河から伊勢,大和,大阪と旅興行を続け,江戸へ戻る.猿若町の顔役のおかげで,大阪下りの名代として看板を上げると,大入りの評判.錦絵を土産に各地に礼状を送った.これを見たおりんは,老父と赤ん坊の吉松の3人で江戸の鷹十郎を訪ねる.芝居の木戸番に追い払われ,楽屋裏から出てきた駕籠にすがるが,鷹十郎は取り合わない.親父は堅川に飛び込み,おりん親子も鷹十郎の家の井戸に飛び込んで死んでしまう.鷹十郎は死骸を弔ったが,これで恨みが収まるはずもなく,女房が霊にとりつかれた.鷹十郎が楽屋の鏡をのぞくと,死んだ3人の顔が映っている.鷹十郎は出家して,磯田村に供養の三地蔵を建立した.


 橋本川柳,子供の手,娯楽世界, 5(10), 131-140 (1917)
 子供の手(こどものて)は,朝寝坊むらく改め橋本川柳講演,今村信雄速記.挿絵1枚.むらく時代のトラブルから,東京を離れ,短期間だが本名の橋本を名のっていた時期の圓馬(3)の速記.東京へ帰ってきたがどの席にも出ておらず,せめて本で見ていただくとある.「子供の手」は,怪談仕立ての噺.飛騨の奥で旅人が道に迷い,無理を言って一軒の家に泊めてもらう.いろりに火をくべていれば狼も来ないからと,主は旅人に留守番をたのむ.「昨日嬶が死んだもんで,ちょっくら俺は寺に行ってくるから.なに,四里だからすぐだ」と止めるのも聞かず出て行ってしまった.屏風の向こうには布団が敷かれており,枕飯に箸がささっている.狼の遠吠えが聞こえてくる.がさっという音の方を振り返ると,布団から青白い手が伸びて,茶碗を布団の中に引きずり込んだ.「南無阿弥陀仏,南無阿弥陀仏」.コロコロと空の茶碗が転げ出た.「やあ,お待ち遠さま.お前さんどうしたい,顔が真っ青だ」「何,布団から手が? ああ旅人,済まなかった.腹の減った俺のせがれだ」.幽霊の正体見たり枯れ尾花.


 三遊亭遊三,肉附の面,娯楽世界, 7(6), 82-92 (1919)
 肉附の面(にくづきのめん)は,二代目三遊亭遊三講演,秋月末男速記.挿絵1枚.講釈種の名人譚.一世一代のうわなりの舞をするため,観世太夫は,彫物師の源五郎に面づくりを依頼した.しかし,酒浸りの源五郎は,もらった百両も使い果たしてしまう.3年後の正月,これで着物をこさえてやると,二階にあがると6日間もこもったまま.彫りあげた面を6つになる息子の源吉に届けさせた.しかし,この面には欲があると言って,観世太夫は受け取らない.自分の彫った面を見た源五郎,細工場に閉じこもってしまう.心配した妻がのぞくと,面をノミで突き割り,のどをついて死んでいた.そばには,源吉を二代目に仕上げてくれとの書き置きが残されていた.
 10年後,何を見たのか,源吉が悲鳴を上げる.「忘れたのか」と父が問い詰めたのだった.父の遺言を教え,かすがいで止めた真っ二つの面を見せた.面を彫りはじめた源吉だが,一週間後に恐ろしい顔をした父が現れ,驚いた源吉は面を壊してしまう.さらに3週間後,ふらふらになった源吉が,彫りあげた面を観世太夫に届けた.これを見た観世太夫,すぐに一世一代のうわなりを演じようと能楽堂へ向かった.舞い終えた観世太夫が面を取ろうとしても,顔にくっつき取れない.名僧知識が経をあげると,ようやく面が取れた.観世太夫の顔には傷もないが,面にはべっとりと血糊がついていた.


 入船亭扇橋,妙善殺し,娯楽世界, 9(6), 43-56 (1921)
 入船亭扇橋,怨霊封じ,娯楽世界, 9(7), 26-42 (1921)
 妙善殺し(みょうぜんごろし),怨霊封じ(おんりょうふうじ)ともに,八代目入船亭扇橋講演,浪上義三郎速記.挿絵各1枚.ともに「四谷怪談」の抜き読み.
 鮫ヶ橋に住む坊主妙善が左門町を通りかかると,伊右衛門の義父の伊東快甫が鼠に食い殺され,仲人の河合の娘のお玉が無残な死に方をしたと聞く.次は自分がお岩に殺られるのかと,妙善はこわごわ河合の家に悔やみに行った.通夜の夜も更け,皆が居眠りをしている中,妙善は消えかけた燈明を直そうとする.「おのれお岩!」河合が斬り落としたのは妙善の首だった.そのとき,表の戸を叩くものがある.立っていたのは,気がふれて押し込めておいたはずのお兼だった.「悔やみに行こうと,お岩さんが縄をほどいてくれたんだ.さあ,お岩さん,こっちに出なよ」.河合がお兼をぬかるみに突き飛ばすと,お兼は笑っている.「へへへへ,へへへへ」(妙善殺し).
 四谷左門町の田宮の屋敷では,毎晩変事が起こるので,塩町の大法院に怨霊払いを頼んだ.近所の娘に霊が乗りうつり,1年間施餓鬼をすれば離れると告げた.隣の娘が膝のところで御幣を振ったと聞いた田宮は,あの法印は狐を使ったと見抜き,施餓鬼は行わなかった.ある日,膿だらけの乞食がやって来て田宮に会いたいという.見れば一緒にお岩を夜鷹にだまし売った風車の長兵衛の変わり果てた姿だった.昼となく夜となくお岩に責められ,死ぬこともできないと訴える.まずは身ぎれいにしてこいと金を渡された長兵衛が,お堀端を通るところを,田宮が斬り殺す.その後も凶事が続く.朋輩の町田の勧めで,魚籃観音の周田上人を頼み,竹筒にお岩の霊を封じ,庭に埋めることができた.しかし,たびたび金をせびりに来る町田を追い返すと,町田はひそかに竹筒を掘り返し,これを割ってしまった.中から光とともに何かが飛び去り,再び田宮の家に怪事がおこる(怨霊封じ).


 入船亭扇橋,笠森おせん,娯楽世界, 10(7), 127-142 (1922)
 入船亭扇橋,袋隠居の義徳,娯楽世界, 12(6), 77-95 (1924)
 入船亭扇橋,怪談月の笠森,娯楽世界, 12(10), 200-218 (1924)
 入船亭扇橋,糠味噌桶,娯楽世界, 14(8), 119-131 (1926)
 お仙,おみわ,お富の三姉妹が出てくる怪談,「時雨の笠森」を,八代目入船亭扇橋が演じている.春錦亭柳桜の単行本「時雨の笠森」の速記は,ネットで読める.
 笠森おせん(かさもりおせん)は,浪上義三郎速記.挿絵1枚.「時雨の笠森」の冒頭部分.非道忠右衛門に売られた実の娘のお仙が,江戸笠森稲荷の水茶屋で笠森おせんの評判を取るまで.
 袋隠居の義徳(ふくろいんきょのぎとく)は,宮本尾久速記.金貸し業ながらも,手荒い催促もしない慈悲深い義徳隠居が根岸に住んでいた.なじみの妓楼の主人が,店をたたんで国に帰るというので,遊女のお富を借金のかたに身請けしてやった.年の瀬の深夜,借金を取りに行った義徳は大けがをして戻ってきた.貧乏医者の田中意仙に治療費を百両はらって傷を縫ってもらった.口止めしたにもかかわらず,羽振りの良くなった意仙の妻から莫大な薬料のことが広まる.ある日,見知らぬ男が義徳を訪ねてきた.これが捕り方だと悟った義徳は,借金の証文を燃やし,お縄についた.
 「怪談月の笠森」は,"三人むすめ"の角書き.扇橋自身の手記.挿絵1枚.多くを詰め込みすぎていて,まとまりがない.ある晩,綿屋藤兵衛のところに,養女のおみわが夢枕にたった.翌朝,おみわが嫁入りした中村丹下の家から使いがきて,おみわは老人の用人と駆け落ちしたと言う.そもそもおみわは,綿屋の隣家の非道忠右衛門の娘で,綿屋の亡くなった娘にそっくりなことから,綿屋夫婦がかわいがっていた.ある日,おみわが吉原に売られると訴えてきて,金づくで忠右衛門から養女にもらうことになった.その後,築地の今村丹下は,笠森稲荷の茶屋女のおせんに似たおみわを気に入り,妾に欲しいと言ってきた.内祝言をあげて仲良く暮らしていたが,今度は今村丹下を見染めた娘があり,これを家に迎え入れることとなった.それを聞いたおみわは自害して,綿屋の夢枕に立ったのだった.丹下の婚礼の晩,おみわの亡霊が現れるという,これからおいおい怪談になります.
 糠味噌桶(ぬかみそおけ)は,"怪談月の笠森"の角書き.扇橋自身の手記.挿絵2枚.非道忠右衛門の甥の藤吉の病が重くなったので引き取って養生させてくれと,奉公先の平野屋から手紙が届いた.しぶしぶ出向いた忠右衛門は,見舞金めあてで藤吉を引き取り,物置に放り込んでしまった.さらに藤吉の親類からも見舞金をむしり取って帰ってきた時には,藤吉は死んでいた.「俺が立派に弔いをだしてやろう」と口では言ったものの,忠右衛門は夜中に死骸を糠味噌桶に詰めると,千住大橋から投げ捨ててしまう.この金で小料理屋を開くと,おかしなもので繁昌して,奉公人を抱えるようにまでなった.2年後の盆の13日,乞食に供物をやろうと,お富がひょいとその顔を見るとこれが藤吉.お富母子は卒倒してしまう.その晩,母のお滝は,「藤吉さん,今行くから」とふらふらと家を出ると,千住大橋から飛び込んでしまった.これから三人の娘が糠味噌桶で最期を遂げるという怪談は,こののち申し上げます.


 入船亭扇橋,雛衣地蔵の由来,娯楽世界, 12(3), 122-133 (1924)
 雛衣地蔵の由来(ひなぎぬじぞうのゆらい)は,八代目入船亭扇橋講演.挿絵1枚.
 花川戸の鼻緒問屋の次男の伊之助は,道楽が過ぎて勘当になり,橋場の船頭の金五郎の家に厄介になっていた.ある日,浅草寺参詣で伊之助を見染めた下総屋が縁談を申しこんできた.さっそく伊之助に伝えると,「今夜,雛菊と死ぬ約束をしたからなあァ」との答え.女郎の誠があるはずもなし,仮にあるなら,下総屋に婿に行ってから,雛菊を身請けして今戸あたりに囲えばいいだけのことと諭されて,その晩,伊之助は雛菊のところにあがった.身請けの話をすると,突然,雛菊は剃刀でのどを掻ききった.そのとき,廊下に火の手があがり,雛菊の変死は誰も知るところとならず,伊之助は下総屋に婿入りしたた.
 しかし,夫婦の間に3人の男の子が産まれたのだが,いずれも10日とたたず死んでしまう.これを苦にした女房が死に,残された伊之助は廻国に出た.10年後,深川藪の内の南龍院の所化となり,雛菊地蔵を建立した.この地蔵尊も,関東大震災の火事で粉々になってしまった.


 柳亭小燕枝,恋衣物語,娯楽世界, 12(6), 146-160 (1924)
 恋衣物語(こいぎぬものがたり)は,柳亭小燕枝(柳亭燕枝(3)か)講演,宮本尾久速記.挿絵1枚.タイトルである遊女恋衣は,名前しか出てこない.人名地名から見るに,「雛衣地蔵」の続きのような噺.長編の「西海屋騒動」にも,そっくりなお家乗っ取りの場面がある.
 店の金を持ち出して吉原の恋衣に入れあげるばかりか,家宝の祐天上人の絵像まで持ち出したと,主の万兵衛は息子の与之助を勘当した.与之助が橋場の金五郎の家に厄介になろうと歩いていると,下男の治助が声をかけてきた.番頭の久兵衛が,万兵衛の後妻のおかめと結託して店を乗っ取ろうとしていると告げた.絵像を盗んだというのも番頭の仕組んだ濡れぎぬだった.その翌々日,おかめは番頭を連れて,深川の南龍院に墓参りに出かけた.藪そばの奥座敷で,おかめと久兵衛は酒を酌み交わす.万兵衛の食べ物に少しずつ毒を入れて弱らせてと,よからぬ相談.これを縁の下で聴いていたのが…….
 抱き込まれたふりをした治助が主人の命を救うという長いお話は,後日申し上げます.


 三遊亭圓馬,おわか幸吉,娯楽世界, 13(1)〜13(9) (1925)
 おわか幸吉(おわかこうきち)は,三代目三遊亭圓馬講演,秋月末男速記.挿絵各号1枚.白浪情話の角書き.『娯楽世界』の1925年1月号から9月号まで連載された長編.日本近代文学館が1,4〜9話,国立民族学博物館が2〜3話掲載号を所蔵している.各話に「おわか幸吉」「度胸くらべ」「不義の毒酒」「金貸殺し」「お若幸吉の邂逅」「久太のゆすり」「不審の紙幣」「七変化幸吉の自首」「お若幸吉の就縛」の演題がついている.初回の「おわか幸吉」を本題とした.明治時代の盗賊の噺だが,活劇風の展開に終始し,実話ではないだろう.『文芸倶楽部』18巻6号には,桃川如燕の「写真のお若」が載っているが,まったく違う内容.
 明治初年,柳橋の鰻屋の二階にあがった男女が深夜まで出てこない.酔った旦那を寝かしたまま,美人の奥さんは先に家に帰った.旦那を起こしてみると,自分ははじめて東京に出てきたばかりで,女とは今日会ったばかりだと言う.ふところを探ると,300円入った財布が抜かれている.さてはあの女は,今うわさの写真のお若だと気づいた.店の人力車に乗せてもらい,家へ向かった.吾妻橋にかかると,突然,男は車を止め,車夫に帰れと命じた.「俺は七変化の幸吉と名のある泥棒だ.俺の稼ぎ場を荒らす写真のお若の息の根を止めようと,だまされたふりをしただけだ.てめえに1円やるからさっさと帰れ」.尻をまくった幸吉の刺青が月に照らされていた(おわか幸吉).本所のお若の家に向かった幸吉だが,犬に吠えられ雪隠の屋根裏に登ると,老婆が水垢離をしているのが見えた.「あの声は確かにおふくろ」.親父の幸兵衛の病気を治すため,妹のゆきが身売りするというではないか.これは盗んだ金じゃあねえと,天井裏から100円をまいて,幸吉は去っていった.一方,まんまと金をせしめたお若は,老母と酒を飲んでいる.そこへ幸吉がやって来た.居直る悪婆.幸吉が短刀を抜くと,「おいぼれの俺の命と引き替えなら本望だ.斬るなら斬れ」(度胸くらべ).
 そこに出てきたお若と幸吉は,ずるずるべったりといい仲になり,根岸で暮らしている.ある日,金をすられて死のうとする田舎者を幸吉は助けた.とはいうものの,持ち金が足りないため,ある屋敷に忍びこむと,手代の清吉をたらしこんだ商家のおかみが,主人を殺そうと酒に毒を入れているのを見た.帰ってきた旦那が,注がれた酒を飲もうとすると,「オッとその酒飲んじゃあいけねえ」.幸吉の話を聞いた主人は,妻を離縁し,清吉を許した.幸吉はもらった金で田舎者を救った(不義の毒酒).
 業平に住む金貸しの中島は,世話になった病人の布団まで引っぺがしてくるほどの強欲ぶり.ある雪の晩に女が倒れ込んできた.さすがの中島も,この女の器量に迷い,月々の手当をするから妾にならないかと持ちかけた.母親に相談したいという女が,中島をともなって秋葉の原を抜けようとすると,飛び出してきた男が中島に突きあたった.倒れた中島を,女は手ぬぐいで絞め殺して金を奪った.男は中島の家に権助として住み込んでいた幸吉,女はお若だった(金貸殺し).中島の有り金をさらおうと家に行った幸吉を,待ち受けていた捕り方が取り囲んだ.幸吉はなんとか隅田川に飛びこんで逃げおおせたが,お若は捕まってしまう.独立した善吉(前では清吉とある)のところに厄介になっていた幸吉は,洋装に身をあらため横浜へ出た.いい金づるはないかと,神奈川の神風楼にあがった幸吉は,芸者の若吉を座敷に呼んだ.「久しぶりだな.お若」.お若は宇都宮の刑務所を脱獄して,3年あまり横浜で芸者をしていたのだった(お若幸吉の邂逅).横浜の料理屋の2階で書生がくだを巻いている.勘定をさいそくすると,一文無しではないか.書生はずかずかと隣座敷に乗りこんできた.「お若さん.俺の顔を見忘れたか」.書生は,お若が脱獄したときに乗った車夫の久太郎だった.金をくれというならこれをやろうと,幸吉がピストルを向けると,久太郎はここを撃てと胸元を広げてきた.いい度胸だと,3人は仲間になる.海苔の不漁に苦しむ漁民を助けるため,外国人に化けた久太郎たちは蒸気船を襲って金品を奪った(久太のゆすり).
 高崎のはずれの辻堂.俸禄金を使い果たしたもと武家夫婦が首をくくろうとしている.お堂から出てきた男がこれを止め,50円を渡した上,高崎で芸者をしているお若をたよれと紹介状を書いてやった.しばらくお若の家にやっかいになっていた二人だが,妻は芸者に出て売れっ子になり,残った夫の篠崎大五郎も遊んでいる訳にもいかず,伊香保で湯治客に饅頭を売ることになった.二人が正月の衣類を整えようと支払った札が連番だったため,これはあやしいと警察がにらんだ(不審の紙幣).拘留された篠崎は,恩ある幸吉に金をもらったことを言わない.この噂を聞いた幸吉は自首した(七変化幸吉の自首).幸吉は列車で東京へ護送されている.煙草を吸いたいとねだると,女客が1本恵んでくれた.あなたもどうぞと差し出された煙草を吸った巡査は眠りこけてしまう.上野で待っていた刑事の須藤は,幸吉に逃げられ歯がみする.義父の幸兵衛は,須藤の手柄になろうと,老いた体をおして車夫をしている.逃げたのが息子の幸吉と知った幸兵衛,兄は泥棒,妹は刑事の妻の板挟みに苦しむ.浜町河岸を流していると,極寒の川に浸かっている女がいた.家に連れ帰り介抱していると,須藤が訪ねてきた.女を見るなり,「お若,貴様も年貢の納め時だ」.二日後,「本所の石原へやってくれ」.幸兵衛が乗せた男は幸吉だった.親父は涙ながらに,幸吉を久松町警察署へ連れていった.刑期を終えた幸吉は,のちに車屋を開いたという(お若幸吉の就縛).


 柳亭左楽,お福猫,講談雑誌, 3(9), 147-159 (1917)
 柳亭左楽,猫と小判,娯楽世界, 13(10), 146-160 (1925)
 お福猫(おふくねこ)は,五代目柳亭左楽講演,今村次郎速記.挿絵1枚.『講談雑誌』大正6年8月号に掲載された.『講談雑誌』に載った人情噺の多くは,『百花園』など初出の位置に掲載している.『娯楽世界』大正14年10月号に載った「猫と小判」も同内容の噺.古今亭志ん生(5)の演じた「猫の恩返し」は,この噺を元にしているらしいが,筋立てはかなり違っている.
 元禄の頃,柳橋の船宿の武蔵屋が迷い猫を飼いはじめたところ,なぜか間がよくなったきた.ただ,武蔵屋のお福猫は見るたびに毛色が変わるという評判がたっている.6年後,武蔵屋の主人が急死し,女房のおまるが家を切り盛りしている.ある日の夕方,いつも魚の切れ端をお福にくれる魚屋の金八がやって来て言うには…….実は,去年,死んだ親の石塔を建てるため,油屋に3両借りた.ちびちび金を返して,そろそろ返し終わったと思ったら,あれは全部利息だから,明日までに3両返さなければ店だてだと追い返された.ついては何とか3両を貸してくれないかとの申し出.おまるも,貸してはやりたいが,どんな人にも金だけは貸すなとの死んだ親父の言いつけだからと断った.
 しおしおと家に戻った金八は,油屋へのあてつけに死んでやろうと決める.そこへ,武蔵屋の遠縁だという知らない女が訪ねて来て,お福がいなくなったが,金ならどうにもなるから,短気を出さないようにと,謎めいたことを言って去っていた.今まさに首をくくって死のうとすると,梁の上を猫が歩いて,その拍子にドサリと包みが落ちてきた.中には5両の金.神様から授かったものと,3両の金を返し,残った2両で商売に精を出した.久しぶりに武蔵屋に行った金八が,お福のことを聞くと.あれは化け猫だよ,あの晩,タンスの上の5両包みをくわえると,夜遅く戻ってきたんで,若い者がぶち殺してしまったという.あの女はお福だったと知った金八は,猫の死骸を回向院に葬った.このことが一枚絵になり,猫に小判の縁起物の図案は,これからはじまったという.


 三遊亭圓右,累物語,講談倶楽部, 2(5), 185-200 (1912)
 三遊亭圓楽,根岸の雨宿,講談雑誌, 3(12), 191-203 (1917)
 三遊亭圓右,累与右衛門,娯楽世界, 5(10), 17-31 (1917)
 根岸の雨宿(ねぎしのあまやど)は,三遊亭圓楽講演,浪上義三郎速記.挿絵3枚.月下奇談の角書き.『講談雑誌』大正6年11月号に掲載された.演者の二代目三遊亭圓楽は,後の三遊亭(三遊とも)一朝.一朝老人は,三遊派の稽古台とも呼ばれた人物で,古い噺を圓生(6),正蔵(8),今輔(5)らに伝えた.「根岸の雨宿」は,"二代目三遊亭圓生が得意の人情噺"とあり,「累草紙」(古累)の抜き読み.お磯殺しの続きになる.『百花園』の「花曇中も宵月」では,登場人物も地名も「累草紙」と異なっているが,こちらの速記は純正の「累草紙」になっている.紙数の関係から,お磯殺しと,続く吉原土手の喧嘩の部分はさらりとながしている.
 崩れた面相とも知らずお磯と夫婦約束をした堀越与右衛門は,親不知の海岸でお磯を斬り殺してしまう.江戸へ出たものも,旧主家は改易となっており,立ち寄った吉原で地回りに絡まれる.これをとりなした堤の金五郎のもとに居候の身となる.
 日暮里の諏訪明神参詣の帰り道,あとをつけてくる蛇に気づいた与右衛門は,蛙の根付を投げつけると,蛇はそれをくわえて草むらに消えた.突然の夕立に,ある別荘の門下で雨宿りしていると,座敷に請じられた.女中が薬を取りに外出している間に,一人娘のおるいと与右衛門は結ばれる.雨戸を開けると,庭に根付をくわえた蛇がいた.
 度重なる逢瀬におるいは妊娠し,怒る兄の羽生屋三婦.堤の金五郎の仲立ちで,縁切りの上,根岸の別荘に二人は住む.生まれた赤ん坊は,与右衛門が殺したお磯そっくりだった.これからおいおい怪談になります.
 累物語(かさねものがたり)は,初代三遊亭圓右講演(目次では圓喬となっている),今村次郎速記.『講談倶楽部』定期増刊号"つやもの"に掲載された.挿絵1枚.累与右衛門(かさねよえもん)は,初代三遊亭圓右演.『娯楽世界』に掲載された.挿絵1枚.どちらも,「累草紙」の同じ部分の抜き読み.「根岸の雨宿」とは全くつながらない.羽生村の百姓与右衛門ともと吉原の遊女のおなおが夫婦になり,助松という養子をもらった.しかし,助松は7つの時に松皮疱瘡にかかったうえ,実子ができたため,助松を鬼怒川に落として殺してしまった.それが露見して,夫婦は死刑になり,残されたお累は叔父に育てられた.お累は小さい頃から,やきもちがひどく,村人も見かねるほど.ある雪の晩,凍えて倒れ込んできた虚無僧を介抱するうち,二人は割りない仲になった.2年後,名主の三右衛門の娘のお八重が,奉公から戻ってきた祝いの宴が開かれた.琴を弾くお八重は,尺八を合わせた三代目与右衛門に恋に落ちた.芸者上がりのおよしの仲介で,二人は密会を重ねた.これに気づいた作男の伝助が,腹立ち紛れにお累をたきつけた.血相を変えた累は名主の家に乗りこんできた.あわてて逃げ出した与右衛門.与右衛門がみつからず,すごすごと家に戻った累,「お前さん,名主どんの家に行くと,食い殺すよ」.つきまとう累に嫌気がさした与右衛門は,横堀の沼にお累を突き落とし,泥に沈めて殺してしまう.これを見ていた金五郎がゆすりかけてきた.お八重との間に生まれた娘のお菊が三歳になったとき,お累が現れたと狂い回る.祐天上人が累の怨念をしずめたという.


 三遊亭圓朝,漂流奇談業平文治,講談雑誌, 12(5)〜13か (1926〜27か)
 漂流奇談業平文治(ひょうりゅうきだんなりひらぶんじ)は,三遊亭圓朝遺稿,今村次郎速記.『講談雑誌』昭和1年5月号から連載された.三康図書館が連載第8回の12巻12号まで所蔵している.『円朝全集』としては,全17席中第11席,賭け碁の場面の途中までなので,あと4〜5回分の分量が残っている.日本近代文学館が,13巻4号を所蔵しているが,「漂流奇談業平文治」は載っていない.以下のように,演者や出版経緯に謎の多い作品.なお,第8回のみ,"漂流奇譚業平文治"となっている.
 内容は,『円朝全集』や明治22年に出版された「業平文治漂流奇談」とほとんど同じものだが,切れ場が異なっていたり,こまかい表現がわずかに違っている.明治33年に亡くなった初代圓朝の遺稿を没後26年たって掘り出したとは考えにくい.それならば,大正13年に2代目三遊亭圓朝を病床で継いで,そのまま亡くなった初代三遊亭圓右の遺稿もしくは速記とするならば,年代的には符合する.しかし,第7・8回では,わざわざ初代三遊亭圓朝とうたっている.また,圓朝の単行本は,「怪談牡丹燈籠」以降,酒井・若林の両名が速記を取っており,「業平文治」もその例に漏れない.『講談雑誌』に載った本作品だけ,当時まだ若手の今村次郎が速記することを許されたはずがない.12巻9号で,浅草見付の喧嘩の詫び証文などを,初代圓朝が実地に見てきた記述がある."これは現に私が見たことがございますが、左官の亥太郎が書いたもので".この文は『円朝全集』と全く同じで,師匠の経験談を,弟子の圓右が自分が見たかのように語るわけはない.
 以上を総括すると,単行本で出版された初代圓朝の「業平文治漂流奇談」を原本に,当時の講談落語界の重鎮である今村次郎が,表現を推敲して「速記」した上,「圓朝遺稿」と称して発表したと考える.その割には,真砂(×まさご,○しんしゃ)や山の宿(×やまのやど,○やまのしゅく)など,初歩的なミスも多々見られる.


 柳家小さん,風呂釜抜き,講談雑誌, 20(5), 124-133 (1934)
 三笑亭可楽,宿屋の幽霊,講談雑誌, 20(5), 134-143 (1934)
 桂文治,地蔵の騒動,講談雑誌, 20(5), 144-154 (1934)
 蝶花楼馬楽,粗忽の出産,講談雑誌, 20(5), 156-166 (1934)
 三遊亭金馬,大原女梯子,講談雑誌, 20(5), 168-178 (1934)
 弥次喜多東海道中記(やじきたとうかいどうちゅうき)として,5話の連作が『講談雑誌』20巻5号に掲載された.タイトルどおり,十返舎一九の『東海道中膝栗毛』の名場面を抜き読みしたもので,主人公の名前も弥次郎兵衛と喜多八となっている.速記者の記載はない.5人の演者名(小さん(4),可楽(7),文治(8),馬楽(5)(彦六),金馬(3))が記されているが,どれも似たような語り口であり,当代の人気者の名前を使った書き落語であろう.なお,「弥次喜多道中記」は,滑稽講談としても演じられており,『講談雑誌』の12巻6号から神田松鯉の連載速記が載っている.
 内容は以下のとおり.江戸を発つ部分は「三人旅」の流用.神奈川宿はずれで同郷だと言って伊勢詣りの子供をからかい,藤沢では江の島への道をたずねた老人をからかう.小田原宿で,五右衛門風呂を知らない二人が,底板をはずし下駄をはいて湯に浸かったため,釜を壊してとっちめられる(初編)(風呂釜抜き).道連れになった女は実はごまの灰で,三島の宿屋で路銀をすべて盗まれる(二編下).浜松宿では,あんまが話す怪談におののいた弥次郎兵衛が,庭先へ小便をしようとして,干したままの白い着物を幽霊と間違えて腰を抜かす.今切の渡し船で,乗合客が蛇を逃がして騒動になる.喜多八が海に投げすてた脇差は竹光だった(三編下)(宿屋の幽霊).赤坂宿に遅れてきた喜多八は,狐と間違えられて縛り上げられる.その晩は,新婚夫婦の隣り座敷が気になり,唐紙を破って転げこんでしまう(四編上).藤川では気の触れた娘にちょっかいを出してしまい,狐つきのふりをしてようやく逃げ出す(四編下).四日市宿では,間違えて石の地蔵さんに夜這いをかけて,新品の地蔵さんの鼻を打っ欠いてしまう(五編上).地蔵の顔も三度目(地蔵の騒動).津の宿で出た膳で,コンニャクに添えられた焼け石の使い方がわからず,焼け石に見ず(五編下).伊勢山田に入った弥次郎兵衛,上方者の講中について行ってしまい,迷子になる.山田で泊まり合わせた女が産気づき,あわて者の産婆が,腹痛を起こしていた弥次郎兵衛を妊婦と間違えて大騒動となる(五編追加).大坂へ行こうと伏見から三十石船に乗ったのだが,途中で小便をした後,上り船に乗ってしまい,伏見に舞い戻る(六編上)(粗忽の出産).京都見物をした二人,方広寺の大仏殿の柱の穴をくぐろうとして,太った弥次さんは穴に挟まってしまう.清水寺の舞台でお坊さんをからかったら,逆に百万遍を唱えさせられて往生する(六編下).懲りずに大原女をからかった挙げ句,梯子を買わされ,京の街を梯子を担いで歩く羽目になる(七編上).北野天満宮の茶店に梯子を置いて,一目散に逃げ出した.茶店の女が「あの二人はお上りさんだろう」.亭主が「だから梯子を持ってきたんだ」(大原女梯子).


 三遊亭圓左,こはだ小平次,文華, 1(9), 48-56 (1903)
 こはだ小平次(こはだこへいじ)は,三遊亭圓左(1)演,小野田翠雨速記.文泉館の雑誌『文華』増刊"滑稽道中記"に掲載された.初代圓左は,その風貌からたぬきとあだ名された.三芳屋から『圓左落語会』,小槌会から『新圓左落語集』の2冊の個人作品集を出している.小幡小平次は,女房を寝取られ,安積沼に沈められ幽霊となって現れる芝居で知られる.その小平次が,幽霊役で名をあげるエピソード.
 芝居が下手でいい役がもらえないこはだ小平次は,田舎で修業しなおそうと,師匠の〓(このしろ)伝兵衛に相談した.江戸で売れない人間が,地方で芽が出るわけがないと諭し,狂言作者に渡していい役をつけてもらえと,5両の金をめぐんでくれた.しかし,当時名代の通詞治寛から与えられたのは,『湊川後日白浪』の楠正成の幽霊一役だった.せっかく賄賂を渡したのに,3行しかセリフがないと師匠にこぼすと,これはチャンスだから,一世一代の工夫をしろと励まされた.発憤した小平次は,幽霊の顔を作ろうとするが,まったくうまくいかない.そんな中,同じ長屋に住む羅宇屋のじいさんが死に,その顔を見て幽霊のこしらえに気づいた.
 初日の幕が開き,二代目団十郎扮する楠正行が父の墓前で回向すると,墓石が割れて中から正成の幽霊が現れた.それを見た客席がどよめく.また小平次が悪落ちしたかと,団十郎が目を開くと,その姿のすごさに震えあがるほどだった.幽霊役で名をあげた小平次は,その後,名題にまで昇進した.よい師匠によい手本,そして一心に勤めることは,今日でも大切なものだ.

〓[このしろ]:魚偏に祭


 入船亭扇橋,楊子検校,冨士, 7(7), 166-171 (1934)
 楊子検校(くろもじけんぎょう)は,入船亭扇橋演.挿絵3枚.人情ばなしの副題.講談社の雑誌『冨士』に掲載された.講談社の『キング』が敵性語排斥によって改題した『富士』とは別の雑誌.八代目入船亭扇橋は,師匠筋の柳桜,柳橋ゆずりの人情噺をものにしていた.昭和はじめごろの落語速記には,扇橋の名をよくみかける.「楊子検校」は,ここでしか見たことのない噺.もとは長い人情噺だったと思われるが,短くあらすじ風にまとめている.
 松戸の宿はずれ,正直庄兵衛と呼ばれる農家に,盲人が雨宿りしている.この徳の市は,雷が大の苦手で,近くに雷が落ちると卒倒してしまう.夕立もやみ,庄兵衛夫婦は,裏で洗濯物を広げなおしている.息を吹き返した徳の市は,誰もいない座敷に礼を言うと足早に去って行った.家に戻った庄兵衛は,忘れ物の風呂敷包みを見つける.あわてて追いかけると,徳の市は川に身投げしようとしているではないか.落雷の時は金物を身につけるなとの親の言いつけを守って,風呂敷を置き忘れたのだった.包みの中身は,京に上って検校になるための百両だった.徳の市は,涙を流して礼を述べた.
 検校の位についた徳の市は,川端に報恩の碑としるしの柳を植えた.庄兵衛の息子の庄左衛門は,江戸の並木に菜飯屋をだした.あの柳の枝でつくった楊子はいい香りだと評判になっている.ある日,将軍が浅草寺を参詣した折,食事の後に楊子を所望した.とっさのことゆえ,庄左衛門の楊子を出すと,たいそう御意に召し,大奥御用達となった.これもみな,徳の市検校の感謝の心が庄左衛門に報いたものだろう.


 三遊亭小圓朝,おさんの森,冨士, 7(8), 214-230 (1934)
 おさんの森(おさんのもり)は,三代目三遊亭小圓朝演.挿絵3枚.圓朝の「怪談牡丹燈籠」を焼き直したような「怪談阿三の森」は,円朝全集にも載っている.圓朝が口演したか疑わしい噺を弟子筋が演じている.父親である二代目からの口伝なのか,速記から覚えたものなのか.なお,この速記は『昭和戦前傑作落語全集』第3巻(1982)に復刻されている.


 入船亭扇橋,松山伊予守,大法輪, 3(7), 298-312 (1936)
 松山伊予守(まつやまいよのかみ)は,入船亭扇橋口演.挿絵4枚.無筆の出世の角書き.仏教誌の『大法輪』に掲載された,法談のような,講談のような話.
 身よりのない百姓治助は,松山藩の家中小松甚太夫と一緒に江戸屋敷へ連れて行ってもらった.あっという間に国元へ戻る時がきて,江戸に残りたい治助は新たな主人の佐々与左衛門に奉公することになった.酒癖が悪い佐々は,舅の向井将監宅で見せてもらった国広の刀を,試してもいないのに名刀とおっしゃるとは,と絡んだ末,生身の人間を一人進上すると約束した.
 翌朝,佐々は治助に一通の書状を渡し,「一日ゆっくり遊んだあとで向井将監宅へ行って忘れ物を取ってこい」と命じた.骨休みしろとの主人の気持ちに感じた治助は,先に向井宅へ向かった.ところが,厩の渡しで書状を川に落とし,濡らしてしまう.夏の盛りのことだったため,船端で紙をひろげ陽にあてて乾かした.本所に渡ると,「お前は字が読めないのか」と一人の坊さんが声をかけてきた.寺で,お前は試し切りされるところだと明かされ,治助は檀家の旗本,夏目左内に引き取られた.ある夜のこと,何かカタカタとしているのを見とがめた夏目が声をかけると,治助は砂に字を書いて文字を習っていると答える.それからのこと,夏目の教えもよく,治助の飲み込みも早く,お家流の書をはじめ,四書五経,剣術馬術まで治助はマスターした.夏目の事務の補佐をする治助は,御家人の株を買ってもらい,妻子をもうけた.
 小普請組だった夏目は,ついに勘定奉行に昇進した.ここで老中水野忠邦に見いだされ,治助は小普請から,末には勘定奉行松山伊予守にまで出世した.松山の息子治之助の嫁に,書物奉行佐々与左衛門の娘のお花をもらうこととなる.ある日,松山は佐々を茶会に招いた.親類ゆえ最後まで残った佐々は,床の間の掛け軸を見せられる.そこには,治助を試し切りにせよとの書状が飾ってあった.「佐々殿,この伊予守をお見忘れになられたか」.佐々は,向後一切酒を断つと詫びた.「いや,この書状があればこそ,勘定奉行にまでなることができました.酒は御身のお楽しみ,この書は土産に進ぜましょう」と,仇を恩で報じた.


 入船亭扇橋,迷子の唄,奇譚, 1(11), 256-265 (1939)
 迷子の唄(まよいごのうた)は,入船亭扇橋演.挿絵3枚.大々的に"江戸人情噺"とうたっているが,内容は「ぼんぼん唄」.


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 掲載 150101/最終更新 240102

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