山深き奥日光 |
岸田宇之助,おかめと密通.主人の塩原角右衛門浪人し行方不明/寛延元(1748)年8月,宇之助,日光の奥,小川村で角右衛門に会う−右之助,50両の用立てを請け合う−百姓が馬の手付け金を払うところを見て,悪心がおき,その金を奪おうと山中で刃物三昧−騒動を目撃した角右衛門が鉄砲でうって殺す.犯人が,自分のために罪を犯した右之助だとわかる−百姓,同姓同名の塩原角右衛門.子がないため,角右衛門の必要な50両と子どもの多助とを交換する |
奥日光金精峠 |
おゑいの誘拐 |
1748年9月,宇之助の妻のおかめ,おゑいを連れ,夫の消息がある小川村へ旅立つ.途中連れになったおかく親子におゑいを預けるたところ,おゑいが誘拐されてしまう.おかめ,伊勢崎保泉の原で悪漢に襲われるが,沼田の塩原角右衛門が助ける/おかめ,塩原宅へ−翌1749年,おかめ,小川村で宇之助の墓参.塩原の後添になる/一方,浪人の角右衛門,江戸への帰路,荷を道連れ小平に盗まれかける.小平負傷.一瞬,角右衛門とおゑいが出会う−角右衛門,戸田家へ奉公がかなう−1749年,肥前へ国詰
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保泉の原 |
多助の辛苦 |
1760年,塩原夫婦,江戸へ出るが,大火にあい避難.親にはぐれたお梅(実はおゑい)を助ける−おゑい,おかめと再会/おかくと小平,おゑいを連れ戻しに下新田の塩原宅へ−塩原は逆におゑいのかどわかしを詰問/6月,塩原病気に.遺言におゑいと多助を結婚させるよう分家の太左衛門に頼む−7月,塩原死去−墓参帰りにおゑい,小平らに誘拐されかけるが,原丹治親子が助ける−1761年,丹治とおかめ,丹三郎とおゑい密通.しかし,多助は辛抱する/お作の多助宛の艶書を種に,多助の離縁を要求−太左衛門,おゑいの艶書を取り出して見せ,両方の文を反故にする−今度は8月5日の晩に多助を殺す計画 |
塩原太助生家 |
青の別れ |
沼田へ行った帰り道,多助の曳く馬の青が途中で動かなくなる.円次郎が代わりに曳くと動く−山中で円次郎殺される.多助殺害計画は失敗−円次郎を殺した犯人は多助だと責め,殴る−多助,江戸行きを決意.15日,沼田原まで青を曳き,涙をこぼす青と別れ−16日,前橋岩上で小平らに身ぐるみはがれる |
太助別れの松 |
丹治らの破滅 |
9月,おゑいと丹三郎婚礼.太左衛門が乗り込み止める.例の艶書を示すと丹三郎は斬りかかる.青,暴れて丹三郎とおゑいをかみ殺す.農民,名主を殺害.丹治とおかめは家に火をつけて脱出/一文無しの多助,やっと江戸に出たが,国詰めになった両親に会えず,身投げをしようとするところを山口屋が救う.炭屋の山口屋に奉公/戸田家屋敷で母に会うが,角右衛門は多助が家出をしたことをなじり追い返す/おかめら,四万まで逃げて,男児四万太郎を出産−偶然,横堀村で尼姿のおかく宅に泊まる−おかくら,丹治殺しを図る−おかく,仁助,丹治が死亡.小平は金を入手.おかめ親子は川に落ちる |
四万温泉 |
道連れ小平の強請 |
1762年12月,多助は拾い集めた藁草履の山を見せ,番頭に意見.勤勉と倹約の本領を顕す/親の代わりに集金に来た飛駒村の八右衛門に小平頭突きスリを図る.証文を奪い,山口屋で金をだまし取ろうとするが,多助に小平と見破られる−小平,居直り,強請ろうとする.多助の親身の意見が効き,そのまま帰る−礼として,多助が出店の暁には八右衛門は千両の荷を約束/1765年,押原横町のぬかるみに敷石を置きたいと20両の無心−金を持ってお茶の水にかかると,小平が襲う.塩原が小平を神田川に投げ込む.親子の対面/敷石敷設 |
神田川お茶の水 |
本所の炭屋塩原 |
1771年,年季明けて本所に炭屋を出店.拾い集めた粉炭の計り売りで評判−茶店で盲乞食になったおかめ親子に会う−四万太郎を奉公に預かり,世話する−豪商藤野の娘,お花が多助を見染めて親に結婚を申し込み−身分が釣り合わないというので,樽買いの久八の娘にしてから結婚という段取り−塩原夫妻に面会,結婚の報告.沼田の家再興をと50両と脇差を拝領−12月,婚礼.八右衛門,約束の千両の炭を持ち込む |
本所の塩原太助 |