津軽家の出入りに |
多助の留守中,津軽家の賄方の橋口が来て,千俵の炭の注文.お花150両で売る−多助戻り,高額ゆえ返金に−橋口,性根を誉めるが,自分の落ち度になるため受け取らず−多助,重役の小田切に会い,75両返金し,橋口の落ち度でないと訴える |
津軽藩上屋敷跡 |
道連れ小平の最期 |
安永元(1772)年,行人坂の火事で主家の山口屋が避難.金を預かり本所へ−すぐに下野の吉田屋で薪炭,草履などを買い占める−山口屋,千両の儲け−多助へ500両と紀文の千両箱を無理に渡す−多助,その金で売れ残った屋根板を買い占め−深川に大嵐.再び儲かる/1773年2月,多助の留守中,武士が訪問−火事で釈放された道連れ小平が,博奕で取られた腹いせに,お亀を匿っていることを種に塩原屋から300両を強請る−話を聞いた侍が100両渡すと連れだし,割下水で斬り捨てる.侍は多助の父の角右衛門
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野州飛駒村 |
はじめての吉原 |
1774年,吾妻橋架橋につき,柳橋で炭屋の寄合.遅れた多助の悪口−よんどころなく多助も吉原の二次会に参加−いったん帰宅して高額の祝儀を用意−吉原山口巴に遅参.お供と間違われ玄関先で待たされる.多助の悪口−ようやく2階に招かれる.祝儀を開いてみた芸者幇間連の態度が一変する−炭屋連中,祝儀含む割り前で大損 |
花の吉原 |
下新田の大法会 |
1776年,養父角右衛門の十七回忌を計画−実父角右衛門に挨拶し,下新田へ−家出の身ゆえ,五八に間に入ってもらい,法会と名主宅で施行の相談.お作の婿の甚三郎が売り払った田畑を買い戻す−施行の最中,ならず者の仁太郎とお作の夫甚三郎が来て強請り−甚三郎は田畑の権利を主張−名主助左衛門,甚三郎の人別がなく勘当の身だと却下−沼田原に青供養の庚申塚を建立−再び仁太郎と甚三郎が襲ってくる−青の霊,実は久兵衛の馬が現れて悪漢を追い払う−(ここで中断) |
下新田塩原家墓所 |