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 談洲楼燕枝作品のあらすじ
戦前の人情噺・長編落語

 長編人情噺 | 島鵆沖白浪(佐原の喜三郎) ○□ | 善悪草園生咲分 ○□ | 墨絵之富士 ○□ | 仏国三人男 ○ | 西海屋騒動 ●□ |
  || 岡山紀聞筆の命毛 | 鳴神阿金の譚 | 海気の蝙蝠 | 元旦の快談 | 痴情の迷 | 函館三人情死 □ | 教育の一端 ● |
  | 怪談 浮船 □ | 和尚次郎心の毛毬栗 □ | 上州機心綾絲 | 旗本五人男 □ | 骸骨於松 | 侠客小金井桜 | 仮名政談恋畔倉 |
  | 三日月次郎吉 | その他 |
 長編三題噺 || 無題[百花園] | 続噺柳糸筋 ●□ | 三題余話 | 三題続燕口紅粉 | 三題噺怪化写絵 |
 三題噺 | 三題話[新作滑稽落し噺] ・ | 三題話[福笑ひ] ・ || 三題咄[百花園] | 三題噺[歌舞伎] ・ | その他 |
 一席物・小噺 | 職人の花見 ・ || 切落しばなし ・ | 無題[歌舞伎新報] ・ | 吉例おとし玉 ・ | 一月 ・ | 雁風呂 ●☆ | 人真似猿 ・ |
  | 大森彦七 ・ | 洋犬芝居の対面 | 世界一周 ● | 庚申待 ● | その他 |

●は戦後,復刻されているもの
○は国立国会図書館デジタルコレクションで館外から閲覧できるもの   国立国会図書館デジタルコレクション
・は本サイトで原文を載せたもの   談洲楼燕枝 小噺全文
□は『江戸落語便利帳』にあらすじが載っているもの
☆は『増補落語事典』にあらすじが載っているもの

 ||の前が書籍に掲載,後が雑誌・新聞等に掲載

談洲楼燕枝
 初代談洲楼燕枝[天保9-1900]は,本名長島伝次郎.江戸から明治期に活躍した柳派の総帥で,当時三遊亭圓朝と並び称された.春風亭伝枝から初代柳亭燕枝,後に親交が深かった團十郎の許しを得て談洲楼の亭号を名のった.その住まい(墨田区)から.双葉町の師匠とも呼ばれた.代表作は「島鵆沖白浪」(佐原の喜三郎)と「唐土模様倭粋子」(西海屋騒動).しかし,その速記は多く残っていない.また,仮名垣魯文の弟子として,あら垣痴文の筆名で戯作もものしており,榎本武揚から贈られた書額にちなむ,自慢額成の号も知られている.芝居に関する造詣が深く,俳優も教えを請いに来るほどであった.当意即妙な三題噺を得意にしており,噺家芝居の普及にも力を注いだ.
 自伝に『歌舞伎』に掲載された「燕之巣立実痴必読」がある.明治33年2月11日没.戒名は柳高院伝誉燕枝居士.源空寺(台東区)の本堂前に再建された顕彰碑がある.長島家代々の家族墓は最近改葬されてしまった.同じ敷地には幡随院長兵衛の顕彰碑や谷文晁の墓もならんでいる.弟子は三代目春風亭柳枝,二・三代目柳家小さんなどで,現在の柳派の祖とも言える.

燕枝作品に触れるには
 燕枝の作品を実際に聴く機会は少ない.「島千鳥」などごく一部の作品が,柳派の有志によって復活されている程度であろう.その理由の一つは,復活の際に参考となる速記が少ないことがあげられる.また,速記者の手にゆだねず,燕枝自ら筆をとることが多かった.そのため,文字を読んでならば理解できるが,それを言葉にしてもわからない表現が多々含まれている.
 『名人名演落語全集』第1巻に,柳亭燕路によって燕枝全作品リストがまとめられている.その中には,代表作とされる「天保奇談孝行車」,さらには「あはれ浮世」「恋闇恨深川」「音に菊桔梗の城門」「鋸山玉石異聞」といった演題が載っているが,それらの口演速記はどれも見ることができない.3度も全集が編まれた三遊亭圓朝にくらべて,燕枝作品はほとんど復刻されておらず,まとまった形で読むことは難しい.

 国立国会図書館では,主に明治期に出版された書籍のイメージを国立国会図書館デジタルコレクションとして公開している.4作品については,国立国会図書館デジタルコレクションからダウンロードできる.また,長編三題噺「続噺柳糸筋」は,書籍に復刻されている.あらすじを調べたかったら,吉田章一『江戸落語便利帳』青蛙房(2008)が詳しい.
 ここでは,実際に速記を見ることができた燕枝作品のあらすじを紹介する.自作作品に限らず,講釈種の人情噺を演じたものや落語・小噺を区別せず集めた.なお,「書籍に載った人情噺・長編落語」と,『百花園』『文藝倶楽部』等の「主要雑誌・新聞に載った人情噺・長編落語」については,別掲しているものをここに再掲した.三題噺を除いて,「圓朝作品のあらすじ」同様に,人物相関図を載せた.作品の舞台取りについては,圓朝作品のような詳細な紹介をしていない.圓朝作品と異なり,実際の地名と一致する割合が低かったこと,自作作品が少ないことが理由である.個別地名については,「はなしの名どころ」に掲載している.

 人物相関図中の実線矢印は殺人,点線矢印は殺人未遂を指す


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島鵆沖白浪   
−しまちどりおきつしらなみ−

 「島鵆沖白浪」2巻,滑稽堂 (1883, 84) 速記本文 は,柳亭燕枝演,伊東専三編集.佐原喜三郎大坂屋花鳥の角書.上下2巻通しで79丁.全38回.ほぼ毎回に挿絵.伊東専三(橋塘)・團柳楼燕枝の序文.句読点なしの文語体で,速記ではない.時折,編者の見聞きなどの文がはさまれる.各回に対句風の題名がついている.「島千鳥」は燕枝の代表作で,三宅島を島抜けした佐原の喜三郎,大坂屋花鳥(かちょう)ら5人の悪党を描く.梅津長門を逃がす吉原の火事,海上の船幽霊あたりが聞きどころ.柳枝(3)の「佐原の喜三郎」も同話で,こちらの方が登場人物がはるかに生き生きとしていて面白い.なお,三日月小僧のエピソードは,「三日月次郎吉」のものと同じ.実在する佐原の喜三郎は,八丈島に遠島になっており,没年は弘化2年である.
 佐原の穀屋平兵衛の連れ子喜三郎は,毎日遊び歩いては家に寄りつかない.とうとう勘当となり,土浦の皆次親分を頼って博徒の群れに入った.本心は義弟の吉次郎に家督を譲らんがための放蕩であった.
 文政12年,お金とお虎(後の大坂屋花鳥)母子は,借金のため成田に流れてきた.芸者で身を立てようとした矢先,不動様の門前で紙入れを掏られてしまう.菊蔵は,立て替えた五両の証文の文字を五十両に書きかえていた.喜三郎が間に入り,十両で引き取らせたのだが,土浦の皆次に遺恨のある芝山の仁三郎親分が許さない.菊蔵らは喜三郎を待ち伏せし,袋だたきにした.深夜,お虎が単身仁三郎の物置に乗り込んで,血まみれけの喜三郎を担ぎ出した.傷のいえた喜三郎は,芝山の屋敷で仁三郎を斬り殺し,江戸へと出奔する.
 手のひらの傷から三日月小僧と呼ばれたスリがいた.2年後の天保2年,三日月小僧は,喜三郎の紙入れを掏ろうとしたが,逆に取り押さえられる.仁三郎との喧嘩の原因となった成田のスリが,三日月小僧のしわざだとわかった.スリをやめろと説ききかされ,金を渡されて放免となった三日月小僧だが,あっけなく捕縛されてしまう.豪雨の晩を選び,裸で泳いで佃島の寄場から洲崎へ渡った.小僧を殺して衣類を奪うも,再び加役に捕縛され,三宅島送りとなる.
 同じく天保2年,喜三郎を訪ねて江戸に出たお虎は,大坂屋の遊女花鳥となる.喜三郎に面ざしの似た梅津長門となじみになるが,貧乏旗本の梅津は遊ぶ金に困窮する.12月20日,吉原がよいの与兵衛を辻斬りし,金を奪った.岡っ引きの竹蔵が死体を見つけ,大坂屋に捕り手が集まり捕縛の機会をうかがっている.花鳥は,ひそかに用意した火薬に火をつける.盃洗で捕り手と切り結んだ梅津長門は,2階から炎の中に飛びおりてまんまと逃げおおせた.伝馬町に送られた花鳥は,石抱きの拷問に耐え,子殺しお亀から牢名主を譲られる.新入りの囚人お兼の話から,梅津が無事だと知る.梅津と関係していたお兼に嫉妬し,寝ているお兼の顔に濡れ紙をあてがって殺す.三宅島に遠島となった花鳥ことお虎は,島司の木村大助の妾におさまった.
 千住の妓楼小菅屋は,後妻のお熊と目明かしの湯屋重に乗っ取られ,主人の武兵衛は毒殺されてしまう.跡取りの勝五郎は,湯屋重によって島送りにされてしまった.
 湯島根生院の全念は,料理屋のお花を寺に引き入れて楽しんでいる.これに気づいた遊び人の手塚の太吉が,たびたび金をせびりに来た.納所の玄若は,百両の礼金で手塚の太吉を絞め殺す.全念と2人で死体を捨てに出たところ,花鳥の起こした火事に出くわし,死体を放り出して逃げだす.差し担いに使っていた孟宗竹が証拠で玄若は捕縛され,島送りになる.
 天保4年の春船で八丈島へ送られる途中,喜三郎は三宅島に下ろされた.ひとり水汲みに出た喜三郎は,三日月小僧に出会い,島抜けの計画を聞く.出船禁制の7月13日の晩,島司の木村大助を斬り殺し,5人は隠していた船で海にこぎ出した.暴風雨や船幽霊におびやかされながらも,5人の乗った船は銚子在貝根村に漂着した.以下,5人の末路が描かれる.
 妻のお吉に一目会えた勝五郎は,小菅屋に乗り込み,三日月小僧とともに湯屋重,お熊をなぶり殺しにする.女郎たちの証文を帳消しにして,2人は自訴した.
 喜三郎とお虎が江戸に向かう途中,小金ヶ原で雲助に脅かされている男に出会った.男は弟の吉次郎,雲助は憎き菊蔵だった.菊蔵を惨殺した喜三郎は,吉次郎に家督を譲るためにやくざになったことを打ち明けた.江戸に出た喜三郎のところに,乞食姿の玄若がやってきた.酒を飲ませ泊めてやったところ,殺したお冬の亡霊が現れ,玄若は悪事を口走る.これを見たお虎は玄若を刺し殺す.ある日,大坂屋の客だった棒大の番頭卯兵衛に出会い,お虎は卯兵衛を色仕掛けでたぶらかした.喜三郎が棒大の店先に上がりこみ,間男の内済金を強請ろうとする.そこに現れたのが春木童斎こと梅津長門.春木の屋敷で,長門の辻斬りや花鳥らの島抜けの話を打ち明けたところを盗み聞きしていたのが,春木の下女のお峯.お峯は長門に殺された与兵衛の娘だった.お峯の訴えで長門は捕縛.これを伝え聞いた喜三郎も自訴した.
 天保5年3月,長門,勝五郎,三日月の3人は斬首.遅れて天保12年,お虎は雨の中,首斬り浅右衛門により片手斬りとなった.喜三郎は,弘化3年1月の丸山火事で一時出牢したところ,病死した.


善悪草園生咲分   
−よしあしぐさそのふのさきわけ−

 「善悪草園生咲分」,牧野惣次郎 (1885) 速記本文 は,談洲楼燕枝演述,雑賀豊太郎編輯.全40回,62丁.洋妾お花 鬼清吉 刺墨阿市の角書.口絵2枚,挿絵4枚.文語体で書かれており,口演速記ではない.外国人も出てきたりして波瀾万丈の展開.とは言うものの,抜き読みできるような山場はない.
 飛鳥山の花を楽しむ親娘に絡んできた武士3人を,阿波藩の浪人,来島清二郎は斬り殺す.府中宿で枕探しをした婆(刺墨お市)を来島は逃がしてやるが,逆に毒酒を飲まされ,日野の原中で両刀と有り金を奪われてしまう.水戸家の御用金千両を紛失した落ち度のため,戸田孫四郎は浪人となった.八王子で剣術指南をする戸田が苦しむ来島を助ける.来島は戸田の門弟になる.道場の同輩,跡部伴蔵が戸田の娘花敷を口説き,屋敷を追い出される.来島は日野の原で商人を殺して戸田の帰参の金を調達した.帰参がかなうこととなり,来島は花敷の婿となる.伴蔵は魚屋の藤吉から婿取りのことを聞く.その晩,戸田は賊に殺され,帰参の金も奪われてしまう.賊の片割れの藤吉を捕らえ,伴蔵が下手人と分かる.来島夫妻は伴蔵を探しに甲州へ発つ.
 清二郎は,甲州の親分,成島大五郎のもとに身を寄せる.成島と敵対する大塚の勇蔵の弟,熊五郎をひねりつぶし,鬼清吉と呼ばれるようになる.恋の遺恨もあり,成島は大塚の勇蔵一派にだまし討ちされる.親分が殺されたとの注進を受け,清吉と用心棒の保科虎之助が乗り込み,勇蔵らを殺す.甲府では旗本の隠居に化けて強請を働く刺墨お市を捕らえ,仲間にする.成島の跡目を継いだ清吉は,飢饉に乗じて非道な金貸しをする豪農幸左衛門を農民とともに襲い,証文を焼いたりして,評判があがる.捕縛の手が迫ると聞き,清吉は罪を負って村を立ち退いた.清吉夫妻の乗った富士川下りの船が転覆し,清吉は親切な商人に救われるが,お花は流されてしまう.下流を通りかかったお市がお花を助ける.お花と清吉は互いの無事を知るよしもない.
 戸田の屋敷から盗んだ金を元手に,上州の生糸商に姿を変えた糸屋半右衛門(実は伴蔵)は,裏では悪事を働き金を蓄えている.芸者を連れて箱根に湯治している糸半,相宿になったのがお市・お花に英人ミルシム.伴蔵はお市らを酒匂川原に誘い出し,お花を強姦しようとする.跡をつけてきたミルシムが,ピストルを撃って伴蔵を追い払う.ミルシムと横浜に同行したお花は,洋妾お花と呼ばれる.蚕の種紙の密輸が露見しそうになり,ミルシムは英国に帰国.お市はこれをネタに,取引先の富士屋才蔵から三百両を強請ったが,お市の留守中お花だけが逮捕されてしまう.
 糸半は深川芸者の大和を身請けしようとする.これを苦にした大和は間夫の久七と逃げ,死のうとするところを救ったのが岡村龍達(実は虎之助)と小間物屋正兵衛(実は鬼清吉).清吉と芸者屋の女将になっていたお市が再会.久七の父の久兵衛は,清吉が富士川で流されたところを救った恩人だった.お市は自首して罪をかぶり,お花は釈放される.大和ことお園と妹の花柳ことお柳は,清吉が飛鳥山で助けた娘であり,しかも,その父親は日野の原で彼が殺した商人であった.父親を殺され,母も病死したため,花柳界に身を沈めていたのだ.清吉は妻の父を殺した伴蔵を討った上で自分も討たれると懇願した上,花柳を身請けし,お園を久七に添わせる.大和は手紙を書いて糸半こと伴蔵を上州から呼び寄せた.伴蔵を討った清吉は,自首して死刑になった.


墨絵之富士   
−すみえのふじ−

 「墨絵之富士」 速記本文 は,談洲楼燕枝演,丸山平次郎速記.情話写真の角書.全11回,222ページ.口絵3枚,挿絵13枚.静岡土産いんぐわ塚(しずおかみやげいんがづか),文事堂 (1891) 速記本文 ,怪談伊豆の吉松(かいだんいずのきちまつ),市川路周 (1896) 速記本文 の題でも出版されている.
 静岡の塗物問屋遠州屋の娘お山は,夫がありながら,店の金を持って番頭の竹蔵と逐電した.しかし,韮山の山中で盗賊日金の勘五郎に襲われ,竹蔵は谷底へ蹴落とされる.お山は勘五郎の妻となり,吉松をもうける.吉松10歳の時,道に迷って泊まった旅人は,盗みを働いた勘五郎を殺してしまったことを問わず語りに話した.この旅人を幼い吉松は毒殺する.吉松が生まれながらの悪人と悟り,お山は狐ヶ崎で自殺すると書き置きを残して家出する.
 お山の娘,お静は多淫の性.17歳の時,役者尾上菊寿と駆け落ちしたが,金だけ持ち逃げされ,宿屋に置き去りにされる.菊寿に逢わせるとだまされ,お静は女衒の甲州岩の妾となり,品川に暮らす.美人のお静を3年も手元に置いたまま売らなかったため,妻のお藤ははげしく嫉妬し,夫の旧悪をなじる.甲州岩はお藤を絞殺し,汽車に轢かせて証拠を隠滅した.野州熊が持ち込んできた儲け話に乗った甲州岩は,お静を八王子の女郎に売ろうと連れ出す.一枚上手のお静は,日野の原で甲州岩を刺し殺す.そこに,木陰から様子をうかがっていた菊寿が現れ,よりの戻った二人は横浜で暮らしはじめる.しかし,菊寿は病におかされてしまう.高価な薬を買うため,お静は高島町の遊廓に身を売ったが,その甲斐もなく菊寿は死ぬ.お静は藤沢在の大尽金山大六に身請けされ,妾となる.
 菊寿の墓参で出会ったお静と吉松は結ばれる.お静の手引きで,吉松は大六と妻のお民をひそかに殺し,お民の兄の高山をだまして,大六宅を乗っ取った.これをかぎつけた甲州熊がたびたび強請にやって来るようになる.有り金さらって逃げた二人だったが,甲州熊が捕縛され,二人にも追っ手が迫る.箱根の温泉で吉松は逮捕され,静岡の獄舎に送られる.運よく牢屋の火事に紛れて逃げ出し,甲州熊をぶち殺す.
 義父の竹蔵とは知らずに女房となったお静改めお花,病の床での竹蔵の物語にすべてを知る.これを知った吉松とお静は狐ヶ崎で自殺.因果塚が建てられる.出家して跡を追ってきた竹蔵は,尼となっていたお山と再会する.


仏国三人男   
−ふらんすさんにんおとこ−

 「仏国三人男」 速記本文 は,金蘭社刊(1890).表紙は「仏蘭西三人男」とある.談洲楼燕枝聞書とあり,速記者名はなし.編集人として記されている長島伝次郎は,燕枝の本名.ということは,燕枝の自筆だろう.全10席,本文144ページ.口絵1枚,挿絵4枚.痴嚢狂夫の序文.ここに,フランス法律学士某氏に口授されたとある.本文末尾に初編と書かれているように,話としては未完.ただし,後半のあらすじが1ページほどにまとめられている.フランスの翻案もので,人名と地名の一部(仙伝寺など)が日本のものに置きかえられている.
 ナポレオン3世の時代,もらいものを弱者に配り,慈善小僧とあだ名される乞食,野中捨松がいた.小金をためて学校に入学を願うも,誰からも教育を受けさせてもらえない.これを哀れんだ富山賢二が自分の弟子にする.捨松は勉学に頭角を現し,罹災聖人にも教えを受ける.ある日,寺男の作助が村人から1000フランの寄進が集まったと漏らす.その日,罹災の甥で絹商人の久七が泊まり,博打で儲けた1000フランを寄付したいと申し出る.しかし,罹災は不浄の金だと言って受け取らない.実は捨松は大悪人だった.罹災と作助を殺し,1000フランと寄進簿を盗む.寄進簿を久七のポケット奥底に隠し,盗みの証拠に見せかけた.翌日,パリ行きの列車に乗ろうとした久七は,持っていた1000フランと寄進簿が証拠で逮捕される.捨松だけが久七を弁護してみせたが,久七はギロチンにかけられる.師の死を嘆き続ける捨松を見かねて,村人は外国への遊学を勧める.これに乗じて捨松はまんまとインドへ出国した.
 15年後,船中で医者から死を宣告された松下舎人は,名僧蓮寿(三人男の一人)に,2名の殺人と久七に濡衣を着せたことを懺悔し,蓮寿に60万フランの為替を渡して被害者縁者への謝罪を願う.蓮寿への懺悔がきっかけか,はたまたマルセーユの宿屋の奉公人,菊子の献身的な看病のおかげか,松下(実は捨松)の病気は快復する.とたんに,60万フランが惜しくなり,先回りして為替を回収する.菊子の父は零落した男爵,白林厚だった.爵位ほしさに,白林に60万フランを謝礼に渡し,婿養子(白林寧)となる.
 美人の糸子を我がものにしようと,白林はパリ郊外ワンサンヌの別荘に糸子を軟禁してしまう.叔父の蓮寿に結婚の許しを請うが,蓮寿は白林の悪計を見抜き,きびしい言葉で追い返す.吉野伯爵の娘,花子は,派手好きで役者ともひそかに交遊している.探偵をやとって証拠をつかんだ白林は,花子をゆすり,結婚を迫る.一方,糸子の母のお縫は,侠客の大力の英蔵(三人男の一人)に,娘を取り返してくれと頼む.
 (以下あらすじの要約)白林は伯爵の婿となり,妻の菊子と父を毒殺せんと惣助に話すと,これを聞きつけた蓮寿が二人を救う.白林はローマの全権公使に登りつめる.しかし,英蔵は白林の手下の惣助を撲殺し,ついに白林をも絞殺する.


岡山紀聞筆の命毛   
−おかやまきぶんふでのいのちげ−

 「岡山紀聞筆の命毛」は,転々堂主人校正・柳亭燕枝編述.『芳譚雑誌』に明治14年4月21日から明治15年3月16日にかけて,不定期に連載された.連載途中で,転々堂主人は柳亭種彦に改名している.表示は全30回だが,第13回が重複し,第4回が前後に別れ,第26回が種彦の体調不良により挿絵のみの休載になっている.内容は,備前岡山藩主池田治政をスキャンダラスに描いたもので,宮武外骨の「明治奇聞」によると,『岡山奇聞筆命毛』は池田家の抗議があり絶版になったという.そこで,他の出版社が名前と設定を変えた便乗出版があいついだ.舞台を出羽国とし,忠臣の名前を"岡山"とした『岡山紀聞筆野面影』は,「明治期の人情噺」で紹介している.
 備前岡山藩主池田治政公は,蝶羽の隠し名で,悪臣吉備津藤内,神村左治馬とともに吉原の花紫のもとに通い詰める.このことで吉備津は奥方をしくじり,今度は殿に妾を取るように進める.名残とばかり,治政はご本格の行列で吉原に乗り込み,祝儀に千両箱を与えて,倹約令を振りかざす老中松平定信の鼻をあかした.
 吉備津は美人の噂の高いお筆を妾にあてがった.お筆改め筆野は殿の寵愛深く,わがままな振るまい.お小姓頭の水野三郎兵衛が諫言したが,かえって殿の機嫌を損じて国へ帰される.水野から報告を聞いた国家老の日置元三郎は,ひそかに水野を同道し,殿を諫める機会をうかがう.煙たい日置を避けて,筆野は本所の下屋敷に下がり,夜は治政,昼は吉備津と密会する.水野は面体を隠し,深夜,殿に同行する吉備津を両国広小路で斬り殺す.上屋敷に戻った筆野はますます増長する.無礼講の宴と称し殿をたきつけ,あろうことか奥方や老女の初植に裸踊りをさせる.その晩,奥方は自害.新重郎と龍之介兄弟は,母の敵の筆野を斬ろうと,ワナとも知らず夜分に筆野の寝所へ近づいた.待ち伏せていた筆野の一派にあわや殺されそうになる.危機を救ったのは,覆面の武士水野だった.
 今度は神村と密通した筆野は,奥方の墓参の折,毒入り菓子で息子らを亡き者にする計画を立てる.しかし,墓前で大蛇に締めつけられる悪夢を見たり,乗ろうとした駕籠が自然発火したりして,墓参が2回も延期になる.蛇に絡まれた体が痛み,筆野は病気がちとなり,次第に殿の寵愛も冷めてくる.毒殺をあきらめ,高輪の東禅寺に墓参に行くと,墓前で卒倒してしまう.そこに現れた実父の正兵衛に強く戒められる.神村は発狂し,家臣を斬り殺して自刃した.筆野の病も重くなり,医者も見はなす状態.それにもかかわらず,筆野は髪を結い上げ厚化粧しているとの噂.殿が密かに見舞いに行くと,カツラが脇に置かれヤカン頭が丸出しであった.夢から覚めた殿は隠居し,家督を長男の新重郎に譲った.


鳴神阿金の譚   
−なるかみおきんのはなし−

 鳴神阿金の譚(なるかみおきんのはなし)は,柳亭燕枝講,文陣子筆記.明治14年,『諸芸新聞』28〜34号にかけて7回連載.『諸芸新聞』は明治13年11月22日創刊,96号(明治16年1月)で終刊.8ページ前後の薄冊で,連載小説のほか,劇評や芸界ゴシップのような記事が載っている.国会図書館がほぼ全冊を所蔵している.「鳴神阿金の譚」は,この新聞にはじめて載った小説企画.鳴神お金は,実在した毒婦で明治12年に熊谷で処刑されたという.実話のままを描こうとしたのかストーリーに山場がなく,文体も七五調で落語としての会話の妙が感じられない.実際,35号で"鳴神お金ハ暫らくお預りにいたします"と書かれ,連載打ち切りになっている.
 箱根の山中,老婆は突然の雷に癪を起こす.やむなく乗せた駕籠は,連れの父娘を残して先に行ってしまう.もう一組の雲助が現れ,娘を手籠めにしようとする.そこに木陰から現れた若者が,駕籠屋を蹴散らして娘を救う.「お前は鳴神お金か」「そう言うお前は松さんか」.
 そもそも,御家人大山金右衛門の娘のお金は,小さい頃から男勝りで柔の道にも通じている.雷好きから鳴神お金と評判された.徳川家瓦解の後,岐阜に流れてきた大山一家だが,そこでお金は旅芝居の尾上松三郎とわりない仲になった.松三郎の裏の顔は強盗小田切清七だった.庚申の晩にお金とともに岐阜の清風楼に忍び込んだところ,店の者に取り囲まれてしまう.二人は刃物をふるって血路を開いたが,別れ別れになってしまう.親子で東京に戻ろうとしたところ,箱根山中で図らずも松三郎に再会したのだった.
 二人は横浜にたどり着く.清七は商館の書生にもぐりこみ,お金は茶店女の売れっ子になる.清七が盗んだ品物を,お金の客の手代忠七がを売りさばく.しかし,二人は逮捕され,お金は外人の妾となって二人の保釈金を払う.一見,柔和な清七は商家の女房に取り入った.この女に横恋慕した忠七が暴露しようとした矢先,女房と清七は金をさらって木更津へ逃げ出す.女を女郎に売り払い,清七はひとり東京へ戻る.金づるはないかと訪れた屋敷には,お金の父の金右衛門がいた.娘を泥棒に引き込み,婆の死に目にも会えないようにしたのはお前だとなじり,障子ぴっしゃり.
 東京へ向かったお金の乗る船は嵐に遭い,羽田沖で漁師の源蔵に助けられる.ある日,忠七が訪れ,清七の悪事をばらした.これを聞いたお金は,東京へ出発する.この後,お金は捕縛され熊谷刑務所で処刑されるストーリーのはずだが,ここで連載中断.


海気の蝙蝠   
−かいきのこうもり−

 「海気の蝙蝠」は,談洲楼燕枝が自ら筆記したもの.『百花園』31〜40号(1890)に 10回掲載.全10席,挿絵3枚.『百花園』に1年あまり連載してきた三題噺を終え,求めに応じて長編物の連載をはじめたもので,維新後の開化の世相が取り入れられている.演題は,国産の蝙蝠傘の輸出で国益をあげようという志を表している.話が縦横に入り組んで,甲斐絹の織物のようだという意味を含んでいるのかも.作中人物の名の揺れが大きい.高須専次郎と杉田専治郎,八蔵と七蔵,番頭の重兵衛と忠兵衛,など.
 芸者と駆け落ちしたものの,いずれ戻ってくるはずの兄の安太郎に紙問屋万屋の家督を譲るため,弟の専次郎も家出をする.東京を離れてすぐ,早くも竹の塚で,強引な車夫に財布を奪われ,車に乗せられる.着いたのは,車夫八蔵の家.酒に酔って寝こんだすきに,娘のお鳥に逃がしてもらい,専次郎は旅を続ける.翌日,日光の山中でまたも追いはぎにあい,身ぐるみはがれる.通りかかったのが鉄砲洲の海運商海野幸造の一行.
 専次郎は蝙蝠傘の柄に彫刻をほどこし,販売をはじめる.海野の言葉を信じて,蝙蝠傘を輸出するための資本提供を申し出るが,番頭にすげなく追い返される.家に戻ると,海野の義妹,お絹が訪ねてきた.先ほどの資本提供の掛け合いを聞いたお絹は,夫にするならこの人だと思い込み,百円持参の上,自分を妻にしろと迫ってきた.お絹の申し出を迷惑に思い,専次郎は横浜の丸弁をたよって東京を立ち去る.
 長男の安太郎が,万屋に戻ってきた.間もなく主人が亡くなり,芸者の小峰を妻として跡目を継ぐ.しかし,元来の放蕩癖が顔を出し,神田の勘兵衛伯父に預けられる.伯父宅を家出したものの,次第に逼迫し,小峰を芸者にして暮らす.手切の計略とも知らず,安太郎は伊香保へ湯治に出かける.そのすきに,小峰は松崎という軍人を新しい旦那にとる.
 4年のうちに,専次郎は横浜で蝙蝠傘の問屋となる.晴れてお絹を嫁に迎えるという日に,訪ねてきたのが命の恩人のお鳥.恩義が大事と,専次郎は結婚を取りやめる決断をする.突然の破談の申し出に,海野は専次郎の店に乗り込み,お鳥を連れ去ってしまう.やってきた新妻の綿帽子を取ると,現れたのはお鳥の姿.実は,お鳥は幼い頃に別れた海野の姪だった.安太郎も横浜停車場で母親にめぐりあう.安太郎はお絹と結婚し,東京と横浜で2軒の万屋は繁盛する.


元旦の快談   
−がんたんのかいだん−

 「元旦の快談」は,饗庭篁村の原作「影法師」をもとに,談洲楼燕枝が『百花園』 41〜44号 (1891)に4回にわたって演じたもの.挿絵1枚.1月中に完結する予定が,インフルエンザにかかり4回になってしまったとある.「影法師」は,ディケンズの代表作「クリスマス・キャロル」の翻案もの.
 油町に住む伊勢屋五兵衛は,欲の塊のような男.つきあいもなければ,慈善の心のカケラもないため,陰では犬と呼ばれている.明治22年の大晦日,甥の寿六の賀の祝いの誘いを断り,小僧倉吉には元日の昼までに戻らねば給金を減らすと命じた.その晩のこと,五兵衛の前に童子のごとき白髪の精霊が現れる.
 最初に連れて行かれたのが,正直清介の団欒の様子.世間では生閻魔と噂される主人五兵衛の分まで,一家は雑煮を備えて祝っている.続いて,ある寺の湯灌場.欲張り爺いの死体から衣類をはいでいる.さらに進むと,烏が死体をつついており,墓石には伊勢五の銘が.これから心を改めると精霊にすがると,精霊は消え,あたりはまばゆい光が満ちていた.
 一夜明けた元旦.改心した五兵衛は清介に鯛を送り,遅れて出社した倉吉に小遣いを与えて家に帰す.清吉に親切にしていると,白犬も尾を振って喜ぶ.まだ犬というのか,白犬は人間に近いぞよ.


痴情の迷   
−ちじょうのまよい−

 「痴情の迷」は,談洲楼燕枝演.『百花園』45〜46号 (1891)に連載.全2回.下巻の冒頭に,ルビなどの校正ミスを指摘している.ということは,速記を文字にしたのではなく,自筆の原稿を出版社が活字化したのだろう.燕枝の作品は速記者を頼まず,自分で筆記した作品も多い.内容は「小夜衣」を思わせる,どこかで見たようなストーリー.「旗本五人男」にも同様な場面がある.
 松山藩士檜垣与茂七は,下女のお仲と二人暮らし.妊娠したお仲を嫁に欲しいと母親に相談に行く.しかし,父親の遺言を伝え,申し出を断る.お仲には剣難,嫉妬の相があるため,結婚はさせるなという占い師が言い残したのだ.檜垣は一笑に付し,お仲を嫁に取る約束をする.
 松山藩の重役平山の娘,お雪が檜垣に恋わずらい.赤ん坊が生まれるまで,いったんお仲に里へ下がるよう母子に伝える.いよいよ出産という日,檜垣の所に連絡に行くと,ちょうどお雪の輿入れの最中だった.
 婚礼の席にふらりと現れたお仲.血に染まったさらしに手を突っ込むと,腹からずるずると赤子を引き出し,婚礼の島台に据える.思わず檜垣はお仲を斬る.死骸を見ると,斬られたのはお雪.檜垣はあたりかまわず斬り回り,ついに自害した.


函館三人情死   
−はこだてさんにんしんじゅう−

 談洲楼燕枝の「函館三人情死」は,『百花園』47〜62号 (1891)に14回(12席)にわたって連載された.一部の巻に酒井昇造の速記者名.全12席,挿絵3枚.明治19年12月25日,函館で起きたという心中事件をもとにした作品.春風亭柳枝(3)の弟子であった松枝を含む3人が死に,結末では燕枝自身や柳枝が登場する.2代目燕枝演じる「函館三人心中」の速記も残っている.
 明治13年の秋,出羽田川村の豪農を訪れたのは軍医総監松本順の弟,長春の一行.急な腹痛で便所を貸してくれと言う申し出に,山住太郎治は光栄なことと喜んで応対する.病に伏せっている父親の詫左衛門の診察を願った.悪熱を去れば間違いなく治ると,古金を清浄水に浸した黄金水を作らせて,長春一行は立ち去る.その晩,詫左衛門の妾のお金と情夫の七之助は,黄金水を盗みそこない,逃亡する.すでに黄金はにせ物にすり替わっていた.名医とは真っ赤ないつわり,実は箱館戦争を脱走した高杉幸七郎らによる詐偽であった.
 明治15年,小山お由が悪者に絡まれているところを,小間物屋となっていた松屋幸三郎(悪漢高杉幸七郎)が助け,家に送り届ける.お由を襲ったのは元仲間の会津の茂助.幸七に百両の大金を強請るので,ならばあの古金を掘り出そうと,上野東照宮に連れて行き,スキをみて刺し殺す.後日,幸三郎を訪ねてきたのは,酒田を逐電した七之助.七之助を店に引き入れ,食客扱いを約束する.そこに警官が乗り込んできた.幸三郎はピストルを取り出して応戦する.
 幸三郎の店に捜査が入ったと聞いてあわてているお由親子のところに,幸三郎から50円の為替が届く.幸三郎会いたさに,差し出し地の福島へ旅立つ.福島に着いた晩,大火に追われ,路銀も持たずに宿を飛び出した.そんなお由親子に金を恵んでくれたのが,元噺家で旅役者の沢村松三郎.実は,生まれたときから養子に出されたお由の実兄だった.
 明治16年5月,仙台の親分江戸正の妾に手をつけた沢村松三郎は,子分らに簀巻きにされ,今にも殺されそうになっている.これを救ったのが,函館で物産商を営む元武士の三河屋五兵衛.事情を聞いた五兵衛は,松三郎こそ赤子の時に養子に出した四十二郎だと悟り,店で雇うことにした.
 明治18年,函館で芸者となったお由(小由)と,火事の時にお由を救った松三郎が出会う.養母の頼みで,松三郎とお由は固めの杯を交わす.明治19年12月,函館にやってきた幸三郎が小由を訪ねる.松三郎は借金がかさみ,小由と心中を約束する.約束の25日,松三郎から短刀と書置が小由のところに届く.父の三河屋へ宛てた書置により,松三郎が実の兄だと知る.松三郎と死ぬことなどはできない,そこに飛び込んできたのが幸三郎.殺人がばれて,腹を切るところだと伝える.一方,心中に出かけようとした松三郎,函館公園で心中があったと聞かされる.公園に駆けつけた松三郎,情夫の幸三郎と心中したと勘違いし,小由の首を斬って家に戻った.小由の書置を見て,自分の妹だと知る.松三郎も自害する.
 大磯の旅館祷龍館を訪れた三河屋五兵衛,函館で死んだ3人の慰霊の碑文を画工に頼む.そこに居あわせたのが三代目の春風亭柳枝.榊原は,息子の心中譚を先師に語った.


教育の一端   
−きょういくのいったん−

 「教育の一端」は,談洲楼燕枝演,速記者名記載なし.『百花園』 63〜64号 (1891年12月)に2回にわたって掲載.『明治大正落語集成』 第2巻,講談社(1980)に復刻されている.前半は「双蝶々」,後半は「藪入り」のような人情噺.燕枝の新作だろう.
 幕末のこと,日光鉢宿の宿屋綿屋太兵衛が用足しから戻ると,息子の初五郎が泣いている.訳を聞くと,まま母が飯を食わさないと言う.怒った太兵衛は.煙管で妻のお直を殴りつける.やってきたのは兄貴分の喜右衛門.太兵衛を二階につれて行き,意見をはじめた.増長した初五郎を見ろ.十に足りない子どもに丸めこまれるとは情けない.私が江戸へ連れていって初五郎の性根を直してやろうとの心からの申し出.泣く泣く初五郎を手放した.江戸も東京と改まり,初五郎も変わってきた.喜右衛門は,毎年日光にやってきては,初五郎の様子を伝える.来年の7月には,私の代参に日光にやろうと約束して帰った.7月を待ちきれない太兵衛夫婦.
 7月21日,店先にやってきた客は入口に手をついたまま頭を上げない.見れば紛うかたなき初五郎.これまでの行いをお直にわびる.喜右衛門の紹介で嫁をもらい,初五郎は綿屋を継いだ.町人の子は奉公が教育の一端.


怪談 浮船   
−かいだんうきふね−

 「怪談 浮船」は,談洲楼燕枝演,加藤由太郎速記.『百花園』67〜78号 (1892)に12回にわたって連載された.全12席,挿絵4枚.累伝説から登場人物名を取っている.もしかすると,圓朝の「真景累ヶ淵」に対抗して作った作品かもしれない.しかし,怪談らしいところも少なく,筋立てもいたって平板.
 居どころ定めず浮船の二つ名をもつ長吉は,下総の八幡から江戸に出てきている.自分の病気を治す薬代のために吉原の朝日丸屋に身を売った女房のお累をかえりみず,汐留の船宿の娘,お千代と深い仲になり長之助という子まで設けた.ある日,長吉は女連れの上方者を乗せて神奈川へ向かう.途中,忘れ物を取りに一人陸に上がった助七を置いて,二人は房州那古へ駆け落ちする.女は昔なじみの清元延菊だった.
 5年の間に長吉はあくどく稼ぎ,数百両を懐に江戸本所へ舞い戻り,顔役となる.ある日,上方弁の屑屋が訪ねてきて,お菊を見つけて騒動になる.屑屋に身を落とした助七は,長吉から金もお菊もやると丸め込まれ,酒を飲んで帰る途中,多田の薬師の石置場で何者かに殺されてしまう.その後,お菊は悪夢にうなされる.死んだ母親の墓参りに出かけた帰りのこと,多田の薬師で,晴天にもかかわらす,顔にぽたりと露がかかり,お菊は昏倒する.次第にお菊の顔半面がはれ上がってくる.長吉の子分の平吉らは,両国の垢離場に出かけて,お菊の平癒を祈願する.そこに助七の土左衛門が流れつき,身につけていた財布から二分を抜き取ってきた.それを聞いた長吉は気味悪くなり,金を足して,吉原で全部使ってこいと子分らを送り出す.吉原朝日丸屋で出会ったのが,花の香花魁ことお累.長吉は,病気のお菊をほったらかし,花の香のもとに入りびたる.起き上がることもできないはずのお菊が,子分の前でよろよろと立ち上がり,光り物とともに消える.吉原では病気のお菊がやってきたというので,部屋に寝かせておいたが,迎えにやって来た平吉らが見に行くと,いつの間にか消え失せている.浮船長吉の家の前にいるお菊を,長屋の者がつかまえようとするが,障子をすり抜けて消えてしまう.
 いやな噂が立ってしまったので,長吉は木更津へ高飛びする.三五郎という魚屋が,元の兄弟分に絡まれているところを助けたことがきっかけで,長吉はやくざの抗争に巻き込まれる.闇討ちで殺されそうになり,出羽奥州へと高飛びした.
 江戸へ戻った長吉は,いじめられている子どもを助ける.様子を尋ねてみると,実子の長之助とわかる.長吉は,お千代親子と暮らし始めるが,間もなく病に倒れる.妻のお千代に旧悪を告白し,死を覚悟する.そこへ訪ねてきたのが,お千代の父,平右衛門.下総八幡で穀屋を営んでおり,長吉に捨てられた娘のお累を身請けしてきたと事情を話す.これを病間で聞いていた長吉は,腹を切って詫びる.平右衛門は,長吉,助七,菊のために大法会を営み,通りかかった三五郎とともに彼らの菩提を願う.長之助は穀屋の店を継ぐ.


和尚次郎心の毛毬栗   
−おしょうじろうこころのいがぐり−

 「和尚次郎心の毛毬栗」は,談洲楼燕枝演,加藤由太郎速記.『百花園』79〜84号 (1892)に連載.全5席,挿絵2枚.口上に,この噺は師匠の柳枝が得意にしていたが,結末がないことを残念に思い,三代目柳枝と相談の上,結末までの10回の読みきりとするとある.しかし,実際には前半部の5回で連載が終わっている.結果として,これが『百花園』での燕枝最後の口演になってしまった.
 川崎の宿屋でお蓮が癪に苦しんでいると,3人連れの客の1人が介抱してくれる.その晩,お蓮は自分から客のところに忍んでいく.お蓮は妊娠する.叔父の世話で,お蓮は本所の旗本森川主馬のところで屋敷奉公をしている.森川が好色なのをいいことに,お腹の子は森川の胤だと偽る.百両の金と短刀を授かり,鎌倉の実家で次郎吉を産む.
 8年後,鈴ヶ森で獄門になっている三人組を見かけ,次郎吉の父の七面の龍次が処刑されたと知る.その晩,お蓮は大胆にも獄門台から首を抜き取り,土に埋める.
 さらに8年後,次郎吉は出家して日照となり,小湊の誕生寺で修行している.病に伏しているお蓮は,父に次郎吉は森川の子ではないことを告白する.
 日照は深川浄心寺で説法し,今日蓮と噂されるほどの人気を得る.土地の娘が艶書を渡し,死ぬ覚悟で迫ってくるため,やむなく契る.このことが知れ,寺を追い出された次郎吉は,深川の博徒の仲間となり,後に和尚次郎と呼ばれる悪党となる.


上州機心綾絲   
−じょうしゅうおりこころのあやいと−

 「上州機心綾絲」は,談洲楼燕枝演,『都にしき』2〜9号 (1896)に7回にわたり連載したが,未完に終わった.挿絵2枚.高座に出さぬ新物とある.会話の妙が楽しめる作品.
 日本橋の呉服問屋松井屋の二階,一人娘のお葉と手代の清吉が心中を企てている.それを見つけた番頭の安蔵が,お葉の許婚者の高須良一はドイツに留学中ゆえ,いつかは2人を添わせるから,この百両を持って駆け落ちしろととりなした.実は安蔵が持ち出した六百両の罪をすべてを清吉におしつけ,五百両を横領する計画だった.翌朝,元会津の重臣,高須良之進の家に安蔵が駆け込み,2人が駆け落ちしたと注進した.そこに奥座敷から清吉とお葉が現れた.安蔵の悪計を立ち聞きした小僧の密告によるもので,番頭は放逐された.清吉の姉のお半は,20歳も違う高須の後妻に収まっている.心配するお半の父の勘兵衛に,清吉を預かるので,勘兵衛はお葉を預かるよう提案した.浜町の高須家から船で戻るお半たち.桐生の絹糸売りの与兵衛は,桟橋ですれ違いざまちらりとお半の顔をのぞき見た.
 与兵衛は,名も知らぬお半に恋わずらい.宿の女将のお柳に,ようやく訳を打ち明けた.月見の晩,浜町を散歩していると,屋敷の二階から捨てられた杯洗の水が与兵衛にかかった.見あげると,あの女.お柳は,与兵衛の手紙をお半に届け,与兵衛に会ってくれと願う.にべもなく断ったお半だが,与兵衛が死にそうと聞き,ご意見をするから会おうと譲歩した.与兵衛と会っているところに,旦那の良之進が義父の勘兵衛と戻ってきた.戸棚に隠れる与兵衛.勘兵衛は,清吉を呼びつけ,お葉とのことを厳しく意見する.良之進は,良一との婚約を解消し,清吉とお葉を添わそうと告げて出て行った.ようやく戸棚から出られた与兵衛に,旦那が亡くなったら夫婦になると約束した(この伏線は回収されない).
 大磯で保養する高須夫婦.出はずれの松原で下女のお吉の袖を引いたのは,車夫に落ちぶれた元番頭の安蔵.彼は浜町の屋敷の陰で,与兵衛とお半の話を立ち聞きしていたのだった.ちょうどそこに与兵衛を連れた高須がやって来た.お半と与兵衛の再会の段は次号で…….


旗本五人男   
−はたもとごにんおとこ−

 明治30年から31年にかけて,『毎日新聞』(横浜毎日新聞の改題)に,燕枝演じる長編人情噺が5題掲載されている.いずれも燕枝自ら筆をとったもので,速記者の名はない.「旗本五人男」は談洲楼燕枝述.『毎日新聞』説話欄に,明治30年(1897)1月1日から5月2日まで100回にわたって連載された.この噺もそうだが,なぜか講釈種が多く連載されている,その内容は演者によって異なり,登場人物のサイドストーリーもさまざまあるため,この連載が決定版ではない.たとえば,春錦亭柳桜の「旗本五人男」は座光寺源三郎のみ.他に「お縫の火」が『文藝倶楽部』に掲載されている.次回の「西海屋騒動」の予告には,「旗本五人男」よりも数層上に出づべき,と思わず本音とも思える紹介文が載っている.
 宝暦12年,三島宿の御用聞の大黒屋は,宿女郎のおさのを後添いに引き入れる.おさのにだまされたと逆上した八右衛門は,大黒屋に放火しようとして縛り上げられる.孫を売った金で保釈されたことを恥じた客の八右衛門は,大黒屋の柳の木に首を吊って自殺した.この恨みのせいか,大黒屋は衰微し,主人は首を吊った姿で焼死する.本陣の大泉市右衛門の仕打ちを恨んだおさのは,ひそかに墓原から生首を掘り出し,大泉の縁の下に埋めて呪いをかけた.翌朝,おさのは幼い久五郎を連れ,恨みの言葉を残して三島を去る.成長した久五郎は,伊勢参りの下向道で,三島の本陣が生霊の呪いによって,次々と家人が死んでいったと聞く.これを聞いたおさのは,思わず自分がしかけた祟りのことを打ち明けてしまう.
 安永元年,旗本の大道寺源左衛門邸内の家を間借りしたお町親娘.大道寺は,お町の父の磯右衛門から借りた金を暮れになっても返すどころか,お町を手籠めにせんと座敷牢に閉じこめてしまう.主人の大道寺が留守の間に,左官の長五郎らは磯右衛門を殺して有り金を奪い,死骸を樽に入れて愛宕下の道ばたに捨てる.お町は座敷牢を抜け出し,伯父の市兵衛の家に駆け込んだ.大道寺は本所の旗本横井甚兵衛にかくまわれる.
 同じ頃,座光寺源三郎は,女中のお仲を妊娠させてしまう.お仲には険難の相があり,嫉妬で命を落とすゆえ,男女の交わりはならぬと,占い者によって厳命されていた.翌年,座光寺は美しい娘のおこよを見かけ,雪駄直しに身を落とした長五郎に娘の素性を聞く.小屋者と知りながらも,おこよと関係を持ってしまう.これが現れれば切腹は免れない.おこよを死んだことにして,占い者の梶井左膳の家に隠し,折りを見て仮親から入籍させようとする.これをかぎつけた長五郎が梶井を強請るが,格が違う梶井に十両で追い返されてしまう.事実を知ったお仲は逆上し,腹を割いて赤子を引き出して悶死する.夜鷹蕎麦屋の権六は,深夜に道をたずねてきた娘を助けて,自宅へ連れて帰る.娘の持つ大金に目がくらんだ権六は,老妻にたきつけられ,娘をくびり殺してしまう.しかし,跡をつけてきた長五郎にその金をすっかり奪われ,権六夫婦は捕縛される.長五郎は,遊び人の小手柄半次にかくまわれる.
 安永2年6月,梶井の留守中に長五郎と半次が忍び込み,妻のお豊を殺して380両を盗みだす.これを気取った半次の妻の熊坂お染が,分け前をぶんどった上,あてつけがましく隣家の若い男とくっつく.間もなく,半次とお染は捕縛され,牢内で半次は死亡,お染は牢名主を譲られる.同牢のおかねは,幼い自分を捨てた母だとわかる.長五郎が姉のお豊の家に暇ごいに立ち寄ると,夫の玄夙がお豊を折檻していた.口止料を渡すからと玄夙を白髭に連れ出し,金の代わりに刃を食らわせる.ここに現れた大道寺,長五郎とともに梶井の屋敷へ.
 大道寺・梶井・奇全と,剃髪した長五郎は,聖護院宮の名代と化けて,三島本陣に到着するや,ここには陰気満ちると告げて立ち去ろうとする.あわてた家人が,物の怪の祟りを除いてくれと懇願したため,常に無きことだなどともったいつけて占ってやる,すると,易に現れたとおり,床下から骸骨が出てきた.こうして,大泉からまんまと1300両の祈祷料をだまし取り,一行は東海道を霞と消えた.この噂が江戸まで伝わり,久五郎が横井邸に金をせびりに来た.100両もらった久五郎,戻り道の弥勒寺橋で横井に斬られる.
 話かわって明和4年,中村仲蔵は此村大吉の浪人姿を取り入れて,定九郎の役を仕上げた.初日の芝居見物に来ていた此村は,両替商の娘のお袖と末まで約束する仲になる.安永2年,お袖が婿を取ると聞き,婚礼の晩の屋敷に忍び込み,若夫婦2人を斬り殺す.ちょうどその場に賊に入っていたのが奇全だった.安永3年1月,同類の金巻が自訴すると聞き,長五郎は高飛び.若年寄からの下知が下り,横井の屋敷に町方が乗り込んできた.捕り手を切り払い,横井は南辻橋から堀に飛び込み,猪飼五郎太夫の屋敷に逃げ込んだ.翌朝,猪飼は尋ねてきた同心を追い払い,横井の切腹を介錯した,此村は,裏切った久太夫などを斬り捨てて北へ逃げる.
 安永元年,本所の旗本猪飼は,名主の長岡のあっせんにより,お縫という娘を屋敷奉公とだまして妾に取った.遊び人のごろごろする邸内の様子に驚いたお縫は,庵崎の栄次の口車に乗って,猪飼の家を駆け落ちする.しかし,虎の子の金を取られた上,置き去りにされたことに気づいたお縫は,恥をしのんで伯父の長岡を頼った.猪飼は長岡の詫びを受け入れず,逆に金を渡してお縫を殺すよう命じた.やむなく長岡は,合羽干場でお縫を殺し,顔の皮をはぎ取って捨てた.後日のこと,猪飼の屋敷の奥に三味線の音がする.振り返った女は顔がすっぱりと切り落とされている.長岡は江戸を離れ,高崎の国蔵を頼る.名主の作右衛門を紹介され,妾のお花を後妻に引き受けた.ここで「引窓与兵衛」の死体使い回しプロット.誤って蹴殺してしまった作右衛門を自殺と見せかけるため,嫉妬深い妻や博奕打ち連中から金をせしめる.土地に居づらくなった長岡は,2人で逃げだした.お花をおぶって川を渡っていると,お縫の亡霊が現れる.思わずお花を斬ってしまい,道をさまよっていると,なぜか国蔵の家の前に戻ってしまっていた.長岡は高熱にうなされ,うわごとで罪をしゃべってしまう.
 安永3年,東海道を上る長五郎は,興津の松原で奇全と道連れになる.途中で売僧坊主から金をせしめたりして宮の宿屋まで逃れたが,泊まり合わせたお町の通報で2人は捕縛される.ついに座光寺にも評定所へ出頭すべしとの差紙が来た.その晩,座光寺が遺書を書いていると,お仲の亡霊が現れ,誤っておこよを斬り殺してしまう.猪飼,座光寺,此村は改易の上切腹,長五郎,お染,奇全は獄門となった.


西海屋騒動   
−さいかいやそうどう−

 「西海屋騒動」は,談洲楼燕枝述.『毎日新聞』に明治30年5月4日から8月27日まで,100回にわたって連載された.単行本としては,燕枝の没後,1902年に正続2巻で三芳屋から出版されている.全100席,本文各274ページ,551ページ.速記者名なし.口絵各2枚.薫宝堂の序文.燕枝の代表作で,『名人名演落語全集』 第1巻に冒頭第23回まで(いわゆる「御所車の花五郎」の部分)が復刻されている.柳枝(3) の「唐土模様倭粋子」の方が古い型で,「水滸伝」の登場人物名を取り入れている.一方,「西海屋騒動」では,源平合戦の登場人物名を織りこんでいる.連載の都合上か,後半には本筋と関係の薄い人物が,打上花火のように現れては消えて行く.
 天保元年4月,信州松代で悪政を行う町奉行郡伴蔵の威を借り,権次は上方者の妻小蝶を我がものにした.御所車の花五郎は,権次を打ちひしぎ,小蝶を取り返した.1年後の天保2年11月,花五郎をだまし討ちにしようとする伴蔵の屋敷に,花五郎は自ら進んで乗り込み,伴蔵はじめ権次ら5人を斬り殺し,ゆうゆうと立ち去った.地蔵堂に高いびきで寝ている花五郎を,彼の剣術師匠宅に担ぎこんだ.原田市之進は花五郎のマゲを切り,名も善導と改めて助命した.郡家は没収となり,伴蔵の妾のお照は松代を逃れたが,追分原で妙義の辰五郎に金ばかりでなく,命まで奪われてしまう.残された赤子の義松は,軽井沢の宿屋,森田屋に育てられる.義兄の重太郎は侠気強く,諸国を遍歴してきた善導に武芸を習う.一方,弟の義松は親の言葉に耳を貸さないため,天保10年,高崎の酒屋へ養子に出される.義松は,娘のお糸と兄妹ながら一つ寝し,ばくちにふける.弘化3年12月,母を殺した仇が辰五郎だと知った義松は,辰五郎を殺して金を奪い,娘のお糸と出奔する.しかし,武州松山で駕籠かきに襲われ,お糸はさらわれてしまう.傷を負った義松は善導に救われ,直十の紹介で江戸の廻船問屋西海屋に奉公することになる.
 太助の死を看取った医師の長坂南碩は,娘のお静を養女にもらい受け,踊りを仕込んだ.これが京極壱岐守の奥方の目にとまり,お静は腰元に召された.浮気者のお静は,用人の息子,佐一郎と駆け落ちしてしまう.佐一郎の乳母の家に厄介になっていたが,佐一郎は病死してしまい,残ったお静は,娘婿の三吉によって遊女に売られてしまう.
 嘉永6年,西海屋では主人が死に,愚鈍な息子の宗太郎を番頭の清蔵が後見することとなる.清蔵は身投げしたところを救われた旧恩を忘れ,西海屋を乗っ取ろうとたくらみ,宗太郎を品川の遊女お静と深間にはめる.遊び帰りの船中,船頭源次に宗太郎を殺させた.宗太郎の妻のお貞まで毒殺せんと,清蔵は飯炊きの嘉助を抱き込もうとする.病に倒れたお貞は清蔵に蹴り殺されてしまう.嘉助は実は忠僕で,松太郎を殺したあかつきには報酬を与えるとの証文を書かせた上,その計画を裏で妨害する.松太郎を殺しに出たと見せかけ,松山の善導に託し,嘉助は信州へと帰った.清蔵は,晴れて妾のお静を妻に迎え,西海屋主人におさまった.しかし,お静の浮気の虫が騒ぎ,若い義松といい仲になってしまい,義松は放逐される.
 安政5年,清蔵が伊勢惣の後家お重と密会していることを知った義松は,二人の下駄を片っぽ盗み,二百両で質に取れとゆすりかけた.そこに,今は目明かしとなっている義兄の重右衛門が現れ,わずか十両で追い返されてしまう.よりの戻った清蔵とお静だったが,ある晩,白刃を下げた賊が現れ,お静を奪っていった.賊と見えたは実は義松で,二人は安房に逃れたのだった.これをきっかけに,次第に西海屋は没落して行く.
 安房では,揚羽蝶兵衛が御用聞きを笠に着て,対立する頼朝冠二を三宅島送りにしていた.残された子分の鷲の三郎に組みした義松は,揚羽蝶兵衛を殺し,八艘飛びの義松と名を上げた.親分を殺された美野の常五郎らと三蔵一派は海戦となる.そこに捕り方が乗り込み,両軍とも一網打尽にされる.
 文久2年,柳橋で売れっ子の芸者弁吉は,元を洗えば義松の妹,お糸だった.松山でかどわかされたお糸を,呉服商の加賀屋新兵衛が大金を払って救いだし,芸者として仕込んだのだった.江戸に戻ってきた義松は,お静をだまして女郎に売り飛ばし,弁吉を妻に迎える.後足で砂をかけた弁吉に怒った加賀新は,重右衛門を掛け合いに頼んだ.重右衛門に遺恨のある義松は,義兄をすげなく追い返してしまう.重右衛門が義松らを捕縛に来ると聞きつけ,一足早くお糸とともに川越へ逃げ出す.逃亡中に立ち寄った戸田川ほとりの庵室の主は,お糸の母のお山だった.悪事露見を恐れた義松は,お山だけでなく,女房のお糸をも斬り殺してしまう.
 鴻巣の山畠治郎兵衛と前橋の赤城の平三の抗争のことを漏れ聞いた義松は,赤城側に潜入してきた山畠側の用心棒,鞍馬鬼一郎を謀殺する.親分株となった義松は,銃器で武装し,おおっぴらに賭博を行ったため,目明かしと対立するようになる.慶応3年の夏,前橋の祇園会の賭場に手が入り,義松は石沢文九郎に捕縛される.江戸送りになる義松を三蔵が夜中救い出した.このご時世ゆえ,清水の次郎長について,公方様に尽くそうと言ったものの,実のところは御家人の阿部四郎治の女房お関を寝取り,豪家に押し込みを続けているざま.ついには,お関とともに吉松は伏見に逃れた.
 松太郎は江戸に出て,善導の師である原田新十郎道場で剣術修行している.飛鳥山で酔った浪人に斬られようとしている老人を原田は救った.この老人こそ松太郎を善導に預けた嘉助だった.嘉助が大事にしていた証文がようやく手に入り,新十郎と松太郎は仇の清蔵を探しに旅立つ.慶応4年4月,大磯で旅籠を営む清蔵とお静のもとに,伏見から江戸を目指す義松,そして江戸からやってきた松太郎と新十郎が出くわした.松太郎は清蔵を討ち,お静は新十郎に殺される.そこに善導と重太郎が現れ,義松は前非を悔いて自害する.


骸骨於松   
−がいこつおまつ−

 「骸骨於松」は,談洲楼燕枝述.「西海屋騒動」に続き,『毎日新聞』の説話欄に明治30年8月28日〜12月29日まで103回にわたって連載された.講釈種の鬼神のお松の生涯だが,時代は幕末になっている.毎回,燕枝や門人・門葉の小噺が枕がわりについている.
 文化2年,旗本の藤掛兵庫と妾のお玉の間に菊太郎,次いで文化3年に妻のお直との間に専二郎が生まれる.乳母の身分としてお玉は2人を育てる.文政6年,お玉は菊太郎にお前は妾腹だと遺言し病死.菊太郎は家督を専二郎に譲るため,わざと遊興にふける.ついに勘当となり,人入れ稼業の富田屋の一家に入る.次第に力を伸ばし,弁天小路の伝吉と呼ばれるようになる.継母のお槇により深川の芸者屋に売られた小松(後の骸骨お松)は,小さい頃から勝ち気な性格.ここでよくある"櫛砕き"のエピソード.文政11年,川崎大師の参詣の戻り,仙吉は水死人を見つけ,中洲に仮葬する,死体はお松の父,剣術指南番の印南甚三郎だった.夏海(夏目とも)四郎三郎と印南は剣術のいざこざで,二人とも浪人していた.3年後,掘り出された骸骨を芸者松吉がもらい受け,骸骨お松の二つ名を得る.父を殺した犯人が夏海だと知る.
 深川芸者の花水に常七という間夫がいると知った同心の大凪は,花水に斬りつけようとする.そこに割って入る松吉.大凪に目をつけられた伝吉は江戸を離れる.天保5年9月,3年ぶりに伝吉が帰京.酒宴の場で大凪から松吉を俺に譲れとの難題をふっかけられる.窮した伝吉は八五郎に連れられて戻る.伝吉は松吉を嫁に取ったが,派手な暮らしに,次第に借金がかさんでくる.松吉,白木屋にわざと財布を忘れ,中の金がなくなったと因縁をつける.これを知った大凪が乗りこんでくると聞き,お松を離縁した上で高飛び.膝折の宿で,腫物のいっぱいできた煎餅売りのお槇に再会し,連れだって丈五郎の家に行く.丈五郎は川越のお時と密通.これを気取ったお槇を叩き殺した上,死体を入間川に沈める.一部始終を陰から名主の息子の善太郎は見ていた.以前からお松に恋慕していた善太郎は,これをネタにお松を口説く.善太郎を抱きこみ,二人で丈五郎をだまし討ちにする.天保6年,丈五郎の首をお時の店に持ち込み100両強請る.そこに定廻りの長谷川が踏み込み,お松らは捕縛される.一方,伝吉の方は,川崎の親分にかくまわれている.ある日,箭弓稲荷に参詣途中,奉行所に拘引されていくお松を見かける.伝吉は川越の又右衛門親分を頼り,お松を出牢させてくれと頼む.又右衛門は牢名主のお藤に密書を送り,お松は大雨に乗じて破牢.溺れて流れてゆくところを,又右衛門に助けられる.
 お松の兄の大九郎は笠松峠の山賊,幽谷和尚一味の用心棒に収まっている.天保6年秋,敵の夏海を探して奥州に来たお松は,笠松峠の金華寺に泊まる.その晩,戻ってきた大九郎が幽谷を殺す.首領となった大九郎,秋田の芝居小屋に踏み込み,舞台衣装などを奪いとる.天保7年,夏海は仙台藩に帰参がかなうことになった.仙台へ向かう夏海を大九郎らが待ち伏せる.大九郎は太ももに傷を受けたが,女按摩に化けていたお松が,夏海を刺し殺す.医者の薫庵を山塞に誘拐し,大九郎の傷を治療させる.このことを探索方が気づき,戻ってきた薫庵はアジトのことを自白.山狩りがせまる中,駿府で落ち合う約束で,お松は仙台へ,大九郎は秋田へと逃げる.逃走中,お松は海賊の天城の重五郎の女房となって船に乗った.しかし,銚子沖で嵐に遭い,お松一人が助かる.
 天保8年,お松は質屋の番頭善六に取り入り,妾宅に収まる.それを牢から出てきたお藤が見かけ,いい金づるを得たとほくそ笑む.たび重なる金の無心に,ついに大川端でお藤を殺し,夫の富士松駒吉も大九郎が斬り捨てる.番頭善六を抱き込み,主家の質屋から金を強奪し,邪魔になった善六を殺して大川へ蹴込む.
 戻って天保6年,伝吉は川崎を離れ,駿河の江尻で勘次に出会う.勘次の子分の牛五郎らに引き合わせ.駿府の名所をあちこち見物していると,ふと見かけたお糸に伝吉は恋わずらい.牛五郎の発案で,久能山参詣のお糸を襲う狂言をしくむ.筋書きどおりお糸の危機を救った伝吉は,お糸の父,二丁町の遊女屋主人結城屋金兵衛と対面する.気に入られた伝吉は結城屋に婿入りとなる.天保8年,牛五郎が結城屋に上がりこみ,過去のことを強談してきた.これを勘次が引っ捕らえ,葛籠に押し込めた上,杉の木に宙づりにした.瀕死の牛五郎を,通りかかった若殿が救う.城代の若殿の気鬱を晴らすため,二丁町に揚がりたいと使者がやって来た.若殿と称したのは,実はお松で,侍連中はみな子分.伝吉を奪い去って,賤機山の洞穴へ引き上げていった.城代を騙る憎い奴と,駿府町奉行が賤機山を山狩りする.しかし,お松らは逃げた後で,伝吉とそばにたたずんでいた夏目仙太郎が捕まった.無実の仙台藩士を捕縛したことになり,もみ消しに奔走する.交渉相手として江戸から仙台藩の使者,柴田佐渡がやって来た.ただちにお松を捕らえることを条件に,仙太郎をもらい受けてもらう.一計を案じた奉行等は,伝吉の顔の皮をはいで獄門台にさらした.深夜,首を奪いに来たお松と大九郎を捕縛.獄門首は,実は牛五郎のもので,伝吉は赦免となる.天保9年,お松は自ら進んで四郎三郎の息子の仙太郎に討たれる.お松の墓参のため,東北へ向かう伝吉とお糸.松島を巡っていると,海上で弟の専二郎らに出会った.一同は,瑞巌寺に松の塚を建立した.


侠客小金井桜   
−きょうかくこがねいざくら−

 「侠客小金井桜」は,談洲楼燕枝述.明治31年の元旦から,『毎日新聞』説話欄に4月6日にかけて80回にわたって連載された.毎回,川柳・狂歌が冒頭を飾る.三世柳亭種彦から借り受けた原稿をもとにしたという小金井小次郎伝.事実のみを書いたとあるが,いかにも眉唾に聞こえる.斬った張ったの博奕打ちの抗争シーンが多く,人物相関図にはあらすじに出てこない人名も載せている.
 文政元年,小金井の名主の家に生まれた小次郎.13歳のときには家を飛び出し,八王子の万吉親分のもとで博徒となる.金毘羅船の中で一人勝ちした客にイカサマ賭博と因縁をつけたが,証拠が出てこない.船に寝ていた男(実は浅之助)からイカサマ賽をそっと渡され,窮地を脱する.帰り道,薩埵峠で病で路銀を使い果たして困り果てていた浪人親子に金を恵む.
 天保11年,小次郎に遺恨のある小川の幸八が襲ってくると聞き,先回りして二塚明神に待ち伏せて,敵勢を斬り殺す.子分の一の宮の政次郎は,何者かに竹槍で刺されて倒れる.役人の手が迫り,小次郎らは高飛びする.偶然出会った毛見岡の三蔵に,政次郎を殺ったのは八軒の栄次と教えられ,韮崎の馬市で栄次を殺す.小田原へ逃れた小次郎は,亀吉と名を変え,早川の吉五郎にかくまわれる.小次郎が後ろ盾についた吉五郎は勢力を伸ばす.これを恨んだ大山の岩五郎一味に,国府津の松並木で闇討ちにあうが,返り討ちに斬ってとる.その場で図らずも兄の虎之助に再会する.吉五郎の子分の五郎三に裏切られ,小次郎は捕縛される.取り調べに府中本陣に乗り込んできた役人青山新十郎こそ,薩埵峠で小次郎が助けた浪人者だった.青山は賭博凶状のみの調書を作り,小次郎の罪を佃送りに減免してやった.寄場では黒門初五郎と知己になり,弘化3年の江戸大火では2人で油蔵を延焼から守り,町奉行遠山左衛門尉から恩赦を受ける.
 小川の幸八は,伊勢古市丹波屋の身内3人をそそのかして,小次郎を殺害せんとたくらむ.しかし,小次郎の顔を知らない伊勢衆は,人違いで小次郎の子分を殺してしまう.仕返しをおそれた幸八は,丹波屋一味が犯人だと小次郎に密告する.虎之助らは2人まで仕留めたが,取り逃がした嘉吉は丹波屋の親分に報告する.怒った丹波屋は,相撲取の宮川を刺客に放つ.小次郎が止めるのを聞かず,浅之助らは宮川を殺してしまう.2年後,深大寺の賭場に手が入り,小次郎の子分14人までが捕まった.子分放免の条件を飲み,小次郎は足を洗って堅気となった.一方,丹波屋は,浪人の伊達五郎を第二の刺客に送り込んだ.しかし,府中宿で様子をうかがっていた伊達は病におかされ,敵である小次郎に手篤く看病される.伊達は事情を打ち明け,誤解を解いた丹波屋と小次郎は和解する.
 嘉永5年,小次郎は再び賭場を開くようになり,四ツ谷のお六を妾にする.これを遺恨とした役人関口伝四郎は,ひそかに小次郎の凶状を探らせる.殺人など,死罪に値する7箇条を洗い出し,八王子の相撲興行に出張った小次郎を捕縛した.千住に移送された小次郎は,関口の厳しい取り調べにも,身に覚えなしと罪を認めない.小次郎の減刑を願う者は引きも切らない.八王子の相撲に呼ばれていた大関鏡岩は,代官に頼み込んで書いてもらった添書を携えて乗り込んできた.さらに青山の口添えもあり,小次郎は三宅島への遠島と決まった.三宅島では名主に見込まれ,世話役として島の改革に着手する.彼の発案で,江戸から漆喰などを取り寄せ,水の不足する島内に井戸を作った.慶応4年,公方様へ報恩のため,小次郎は罪人の特赦を願う.まずは小次郎のみが赦免され,新五郎と一暴れと意気込んだが,上野の戦争はちょうど終わったところだった.明治に入り,小次郎はふっつりと賭博をやめ,博徒にはめずらしく天寿を全うし,明治14年64歳で没した.


仮名政談恋畔倉   
−かなせいだんこいのあぜくら−

 「仮名政談恋畔倉」は,談洲楼燕枝述.「侠客小金井桜」の連載終了からしばらく間をおいた明治31年6月2日から8月10日まで,『毎日新聞』情話欄に60回にわたって連載された.講釈種の畔倉重四郎の大岡政談.
 正徳4年4月,久留米藩の仲間の三平と山御用の疵熊が,御紋の入った油箪を破ってしまった.そこで,相対喧嘩をしくみ,血まみれになった油箪をネタに,三平の主人の畔倉重左衛門から50両の内済金をせしめる.畔倉の持ち合わせ金が足りなかったため,幸手宿の穀屋平兵衛に立て替えてもらった.数年後,酔った侍に泥をはねつけてしまい,今にも斬られようとした穀屋を,通りかかった重左衛門が救う.しかし,江戸市中で抜刀した科で,重左衛門は浪人となり,幸手の穀屋の世話になる.
 享保6年,重左衛門が病死.重しの取れた息子の重四郎は,ますます博打や酒色に耽り,火の玉の三五郎と兄弟分になる.享保8年,穀屋の娘のお光が屋敷奉公から戻ってきた.許婚者のあるお光に横恋慕して,付け文を送る.これを知った隣家の杉戸屋富右衛門が穀屋に意見する.穀屋は店の者に,以後重四郎を避けるよう命じた.このことをお喋り丁稚の音松から聞き出した重四郎は,杉戸屋を逆恨み.ある日,三五郎の女房のお文が,杉戸屋が落とした財布を拾ってきた.権現堂堤で穀屋を殺し,そばに財布を落として杉戸屋を罪に落とす.伊奈郡代の拷問に耐えきれず,杉戸屋は穀屋殺しを自白した.江戸送りとなった杉戸屋を,大岡越前が取り調べる.すると,殺害の晩は腹痛のため中田の地蔵堂で野宿していたと証言.早速,同心に堂内の様子と供述とを照合させる.杉戸屋の息子の富蔵は幼くして盲目となり,長谷川町の吉村城繁の養子となって鍼修行をしている.父親が死罪に決まったと聞き,自分を身代わりに死刑にしてくれと奉行所に嘆願する.その甲斐もなく杉戸屋は獄門となった.
 その後も重四郎の悪事は続く.享保9年,慈恩寺の賭場から戻る鎌倉屋金兵衛を殺し,300両を奪った上,世話になっている三五郎から借りた鉄扇を落としておいた.殺しの現場から逃げる途中,重四郎をかくまってくれた熊坊主も胴斬りにして口封じ.死体のそばにあった鉄扇から三五郎が犯人だと思い込んだ子分の藤兵衛,茂助,用心棒の八田は,何食わぬ顔で鎌倉屋の弔問に来た重四郎を味方につけ,三五郎を殺しに向かう.ぬかるんだ利根河原を一列になって歩く藤兵衛らを,前からは待ち伏せしていた三五郎が,後ろからは重四郎が斬りつけてみな殺しにする.隠亡の弥十を脅しつけて,鑑札なしに焼かせて死体を始末した.幸手を離れ江戸に出た重四郎は,金飛脚の喜兵衛と馬方の為八を鈴ヶ森で殺して,大金を奪う.
 神奈川宿の宿屋,大津屋の後家のお時は,身延参りの途中,甲府に宿を取った.泊まりあわせた重四郎は,旗本の次男の重三郎と前歴をいつわって,まんまと大津屋の入り婿に収まった.城富は,旦那の富田屋に連れられ,大津屋の飯盛女,お直と馴染みになる.大山詣りの道すがら,三五郎は重四郎によく似た男を神奈川宿で見かける.よい金づるを見つけたと大津屋に上がりこみ,今日は50両,今度は30両と,たび重なる金の無心.策に窮した重四郎は,お直の客で豪農のせがれ田十郎を殺して金をこしらえる.座敷で血のついた刀を拭っているところを,お直は見てしまう.11月,またもやってきた三五郎を,鈴ヶ森に連れ出して殺害.三五郎の妻のお文は,大津屋の主こそ,実は大悪人の畔倉重四郎だと訴えでた.
 お白洲で詰問されても重四郎は自白しない.しかし,獄門になったはずの杉戸屋富右衛門が証人に現れ,ようやく穀屋殺しだけを認めた.その後も,殺した藤兵衛の差していた脇差,お直の目撃談,生き証人の隠亡の弥十と,次々と証拠が出てきても罪を認めない重四郎を憎んだ大岡は,はじめて拷問を用いた.さすがの重四郎も自白し,享保10年1月,獄門台の露と消えた.晴れて無罪放免となった杉戸屋と城富が再会し,平吉らは大施餓鬼会を催した.


三日月次郎吉   
−みかづきじろきち−

 「三日月次郎吉」は,二代侠客の角書.談州楼遺稿とある.燕枝没後の明治37年4月3日〜14日に,新聞『人民』に講談として12回にわたって掲載された.4月2日には予告が載っている.『人民』は,明治37年3月をもって朝鮮に転進するため廃刊予定だったが,撤回となった.そのため,4月からの紙面は貧相なものになっており,燕枝作品にも挿絵がついていない.村上浪六の小説「三日月」がヒットしたが,事実と違うことを遺憾として燕枝が文献類を調べ直したとある.それにしては人物も架空だし,出会いがドラマチックすぎる.
 寛永年間,吉原の遊女に入れあげたあげく,金を奪おうと駕籠を襲った侍,中から出てきた侠客東一文字に自宅へ招かれ,こんこんと諭される.この侍が,後に町奉行白洲甲斐守となる.
 日本橋の上で,暴れ馬に驚いた侍が少年の担ぐ魚の荷を川の中に落としてしまう.くってかかる少年の両手を,小柄で橋の欄干に串刺しにした.少年は無理やり両手を引きちぎり,なおも侍に向かって行く.この傷がもとで,この子は三日月次郎吉と呼ばれるようになる.
 飛鳥山の花見で,町人にからむ旗本17人を次郎吉は一人で斬り殺す.白洲の裁きで5年の江戸払いとなり,佐倉へ逃れる.この判決を不服とした旗本の遺族の画策で,白洲は失脚し,次郎吉にも危難が及ぶ.寛政8年,佐倉藩家老の田原大角のもとへ向かう途中,次郎吉は元力士の不動山に襲われる.大角の屋敷では,抜刀した侍に取り囲まれるが,大角の娘を人質に取った子分の小車源治のおかげで難を逃れた.
 寛政9年,大老酒井若狭守と隠居した白洲寛斎が密会し,佐倉藩主を諭す一方,次郎吉は切腹の処分と決した.帰路,白洲は佐倉の一味に闇討ちにあう.翌日,息子の白洲若狭守に呼び出された次郎吉は,藤四郎吉光の短刀を与えられる.これで切腹しろとの深意だ.その晩,不動山らに刺された瀕死の小車が現れた.次郎吉は,東一文字の兄弟分,山谷の国五郎老に会って,後事を託して暇ごいした.酒井家へ向かう次郎吉が乗った駕籠を,佐倉藩士が襲い,跡をつけていた町奴が皆殺しにされる.佐倉藩中屋敷から出火した時には,四十八組の町火消しが屋敷を取り囲むが,全く消火活動をしようとしない.屋敷から出てきた駕籠を町奴が襲った.
 小車の墓参に来た次郎吉,茶屋の老母と話していると,奥から病で起き上がることもできない不動山が声をかけてきた.血縁の小車を殺した不動山に次郎吉は因果を含めた.いよいよ酒井邸において,武家の作法にのっとり次郎吉は切腹する.琵琶を弾いて彼を送った盲人検校は,幼い次郎吉の掌を串刺しにした侍だった.


 その他の作品
 『名人名演落語全集』第1巻,立風書房(1982)に,6代目柳亭燕路が「談洲楼燕枝の全演目」と題した文を寄せている.「まだ発見されないものやいま私が列挙した中でもその題名だけが違ってはいるが内容は全く同じなんてのがあるかも知れない。ということは以上挙げた作品の内容を私は全部知っているわけではない、というより知ろうとしても題名だけしか出てきていないものも多く」とある.『民族芸能』に燕枝研究を連載していた燕路だが,著者急逝により完成間近で絶筆してしまった.そこにも一部,速記に関する記載があった.詳細がわからないものも含め,燕路の挙げた演題などを挙げる.

 あはれ浮世.ユゴー作「レ・ミゼラブル」を翻案した福地桜痴の戯曲「あはれ浮世」は,明治30年,雑誌『太陽』に7回にわたって連載されている.
 鶯谷お梅仇討.花柳粋史の「身延山利生記」(怨深鶯谷阿梅の復讐)は,インターネットを通じて読むことができる.
 江島新五郎.連載の予告が載っている(毎日新聞,1898.4.6).絵島生島新五郎のスキャンダルだろう.実際には「仮名政談恋畔倉」が掲載されている.
 江戸気質.饗庭篁村が,武野俗談から筋立てして,演芸矯風会のために落語向けに作ったもの.愛町心という言葉で落ちを取ったとある(井原青々園, 歌舞伎,3号(1900)).
 音に菊桔梗の城門.『東京絵入新聞』に愛亭珍童子の小説「宝蔵破白浪異聞」が,明治18年10月28日から12月26日にかけて連載されている.全50回.これを元にした人情噺.歌舞伎では,「四千両小判梅葉」.
 阿藤の伝.安井息軒作(三木竹二, 歌舞伎,3号(1900)).
 恋瀬戸立哉白浪.伊東橋塘編.静岡の函右日報に載った赤鬼忠吉,鳴門お玉の伝.(民族芸能,221号(1984))
 恋闇恨深川.明治17年の『勉強新聞』付録とある(吉沢英明『講談明治期速記本集覧』).「月船」に似た話とのこと.深川の巳之吉殺しを題材とするはず.
 松竹梅操競べ.仮名垣魯文作とある.
 相州大磯の讐討.三芳屋の出版目録に故人談洲楼燕枝講演として,西海屋騒動とならんで載っている.
 高橋於伝夜叉物語.仮名垣魯文の「高橋阿伝夜叉譚」は,インターネットを通じて読むことができる.タイトルどおり,明治の毒婦高橋お伝を描く.
 つり的.饗庭篁村の作品.高座で演じたとある(井原青々園, 歌舞伎,3号(1900)).
 天保奇談孝行車.燕枝の代表作とされるが,内容は不明.
 鳥追於松.久保田彦作の「鳥追阿松海上新話」は,インターネットを通じて読むことができる.タイトルどおり,毒婦鳥追お松を描く.
 鳴渡雷於新.伊東橋塘著述(民族芸能,209号(1983))
 二都物語.饗庭篁村あたりから聞いたディケンズ作品の翻案か.
 鋸山玉石異聞.『いろは新聞』に猫々道人の同名小説が,明治14年8月9日から連載されている.猫々道人は,仮名垣魯文の別名.
 柳髪緑乱毛.明治15年の『有喜世新聞』に載ったとある.原紙を確認できていない.
 蓮池の水禽.南信二作とある.
 嵐廼花腕廼月影,開談出世盃,魁談浪速の梅,怪談鳴海絞り,御覧次郎長物語,血話喧嘩朝鮮長屋,浪枕江の島新話.以上についてはタイトルだけの情報しかない(柳亭燕路『名人名演落語全集』).講釈ネタも含まれているだろう.


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無題   


 『百花園』に連載された三題噺のうち,一話だけ5回の続き物がある.回ごとに出されたお題をつないだため,ストーリーが破綻気味である.
 もと寛永寺の「時の鐘」撞き坊主だった大池呑龍は,金貸業で大もうけをしている.植木屋の初蔵に,金に糸目をつけないから,以前菊見で見かけたお石を取りもってくれと頼んだ.お石は初蔵の隣家の娘で,嫁に行ったが旦那と死別して戻って来ていた.
 綾瀬川に「夜網」にでかけた大池は,身投げをしたお石を救い,自分の家に引き取った.しかし,お石は大池のところから逃げだしてしまう.屑屋の久さんの話から,松島町の富士松という芸人の家にいることがわかり,行ってみると新内の明烏が聞こえてきた.これらは,題材である「明烏」を入れ込むための,夢だった.
 お石は父の山名碩翁の家に戻ってきた.大池と別れられるよう「お行の松」不動堂に籠もっていたという.山名は,お石に腹違いの兄がいることを打ち明けた.この話を聞いていた大池は,証拠の印籠を持参し,自分がお石の兄であると名のり出た.金を持ち逃げした山名の後妻が,題材の「心中」しようとしたところを救われる.大池は山名親子3人を引き取る.


続噺柳糸筋   
−つづきばなしやなぎのいとすじ−

 明治20年,『東京絵入新聞』に,燕枝作の三題噺が4題掲載された.「続噺柳糸筋」は,三題一回の角書.談洲楼燕枝稿.『東京絵入新聞』に1887年4月6日から16日まで,10回にわたって連載された.連載前の5日には予告の絵が載っている.毎日与えられた三題噺を連作して1つのストーリーとしたもの.『名人名演落語全集』 第1巻に復刻されている.
 明治元年,彰義隊に参加していた御家人の近藤甚三郎は,戦火の上野を脱し,堺の川添村にやってきた.土手では,加持祈祷で病を払う鬼門和尚に客が列をなしていた.名主の山田正作は,怪しいヤツとにらんでいる.正作に頼まれた甚三郎が,夜分ひそかに中をうかがうと,坊主は女と睦まじく語らっているではないか.聞けば,磁石を使ったイカサマ仏像で信者をだましているのだった.中の女は昔なじみのお言,男は柳畑の団五郎だとわかった.意気投合した3人は悪計をめぐらす.甚三郎はお言を自分の妹というふれこみで,正作の家へ連れて行った.イカサマをあばかれた鬼門は改心したと伝え,お言を正作に預けると,甚三郎は奥州へ出立する.翌朝,団五郎も庵室に火をかけて立ち去った.
 お言はまんまと正作の妾に収まる.さらにお言は,息子の直次郎にイモリ酒を飲ませ,色仕掛けでたぶらかした.ある晩,正作は八幡の森で何者かに闇討ちされてしまう.正作の死の翌日,甚三郎が戻ってきた.直次郎が発狂したと言いふらし,彼を座敷牢に閉じ込め餓死させようとする.そこに,奥州でひと旗上げそこなった団五郎が上がりこんできた.正作殺しはこの甚三郎がやったことだと打ち明けるのを盗み聞きした忠僕清助,直次郎を牢から救い出し,甚三郎らの悪計や身の上話をした.そこに現れた団五郎,帝釈天の門前に清助が捨てた子供は自分だと名乗り出た.善にかえった団五郎と清助,直次郎は,甚三郎を討つ.


三題余話   
−さんだいよわ−

 「三題余話」は,二題一回(にせきよみきり)の角書.談洲楼燕枝稿.『東京絵入新聞』1887年4月17日と19日の2回にわたって連載された.
 團十郎の忠臣蔵見物で,芝居茶屋に上がっていた川口屋と取り巻きの小さん・今輔の3人,茶屋の前に倒れた老婆とその娘のお北を見かける.茶屋の娘のお定が2人を座敷に上げ,宝丹を飲ませて介抱する.團十郎の赤穂城引き渡しの場面を見て,身につまされて癪を起こしたのだと言う.さらに詳しく話を聞くと……
 明治元年,若松城引き渡しで会津を離れ,長男の弥治郎は通運会社に奉公,娘のお北は縫い物の賃仕事で暮らしを立てていた.ところが,ノルマントン号に乗船した弥治郎は,神戸へ向かう途中,紀州沖で難破,いまだに行方知れず.これを聞いた川口屋,老婆の亭主が幕臣時代の市川七左衛門とわかる.幕末に預かっていた五百両の返金を申し出る.先ほど読んだのが,"摘み草やつみ残されて花が咲く".これも二人が,弥治郎にお北,作者が一句浮かんだのだ.


三題続燕口紅粉   
−さんだいつづきつばめのくちべに−

 「三題続燕口紅粉」は,談洲楼燕枝稿.1887年4月20日から30日まで,『東京絵入新聞』に10回にわたって連載された.毎日与えられた三題噺を連作して1つのストーリーとしたもの.
 こじつけのおかしみが落語家らしいと序文にあるように,離れた題材を結びつける達者な手際を楽しむもの.のちのちまで演じられるストーリーではない.
 明治14年,静岡から新橋に出てきた松木長之助が,(題材の石盤が入った!)柳行李の取り違えでトラブルになる.これを助けたのが,父直之進の旧臣である長島伝.松木の兄の二木が長之助を引き取った.
 手習いができないと泣く幼な子を見かねて,新橋芸者の三筋屋の小糸は,目の悪いお徳とともに子どもを引き取り,養育する.成長した7年後,芸者お玉として売り出す.
 明治20年4月,長之助は友人と上野の花見に出かける.長之助はお玉と出会い,互いにひかれる.7月,(題材の子宮病で)お玉は箱根の福住で湯治している.箱根へ向かう途中,(題材の木像を見るために)大磯西行庵に寄り道したお徳は,福住に代診に向かう岩淵賢作と出会う.岩淵は17年前,妻のお徳をおいて金策に出たきりだった.
 木賀の茶店で休む長之助に,三筋屋のお三がお玉を取り持つ.翌晩,長之助にお玉が言い寄る.障子に写るお玉の影をみて(題材の)白狐だと気づいた長島が棒で殴りかかる.通りかかった岩淵が,逃げた白狐に(題材の)銀の匙を投げつけてとどめをさす.みなみな一堂に集まり,お玉と長之助が異母兄妹だとわかった.そこへ松木直之進が現れ,長之助を米国留学させよとの慶喜公の命を伝える.芸者に身を落としたお玉と乳母のお徳を許し,落籍の上,お玉を岩淵の養女とした.


三題噺怪化写絵   
−さんだいばなしかいかのうつしえ−

 「三題噺怪化写絵」は,談洲楼燕枝稿.『東京絵入新聞』に,1887年5月3日から20日まで,16回にわたって連載された.1日には予告が載っている.毎日与えられた三題噺を連作して1つのストーリーとしたもので,登場人物を七福神にちなんだ名とする趣向まで加えている.
 安政元年9月,出羽国葡萄峠の山家に泊まった僧伝達は,少女お巳乃[弁天]が夜中に苦しむ姿を見る.伝達は持っていた七福神の扇面を書き写して与え,娘を悩ます怪猫を退治した.安政3年,お巳乃親子が江戸へ向かう途中,信州丹波島で小坊主に父親を殺され,遺されたお巳乃は品川岩亀楼の主人に救われる.
 岩亀楼の遊女お巳乃に深入りしたため,大黒屋の一人息子の甲子次郎(かしじろう)[大黒]は勘当になったが,岩亀楼主人の情けにより,二人は自由の身になる.文久3年,お巳乃らは横浜の鳶頭の福六[福禄寿]に厄介になり,芸者の弁天お巳乃として売り出す.3年後,福六とお巳乃は通じ,結婚の前日,福六の妻は水死体で見つかる.次第に福六は落ち目となる.
 慶応3年,お巳乃の情夫であった治郎二[寿老人]を福六が見つけ,大げんかとなる.新しい情夫,英国人ビシャーモン[毘沙門]の撃ったピストルに驚き,2人は横浜十二天の崖から海に落ちる.ビシャーモンに追われたお巳乃も海に飛び込む.お巳乃を拾いあげたのが神奈川奉行の手下,西の宮三郎[恵比須].お巳乃は彼と暮らす.
 慶応4年,上野の戦いで,西の宮の生死は分からなくなる.金山保定[布袋]の妾となっていたお巳乃,岩亀楼の同輩だったお浦と出会う.お浦は夫の治右衛門と死別し,マッチ貼りでようやく暮らしを立てていた.ある日,お巳乃と保定は向島の竹林庵へ行く.室内にかかっていたのが七福神の扇面.ここの庵主が伝達だとわかる.そこへ刀を下げて乗りこんで来た治郎二,彼こそがお巳乃の父親を殺した犯人だった.七福神の画像が光りを放ち,刀は治郎二の腹に刺さる.


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 三題話,新作滑稽落し噺,井上勝五郎 (1890)
 『新作滑稽落し噺』には,口上茶番,落語,一ト口咄,三題噺が集められている.中には,燕枝の記名のある三題噺や,無記名だが『百花園』に掲載された類話がみつかった.燕枝の作る三題噺は,芝居や故事を知らないと分からないような難しいものが多い.野暮な説明などはついていないが,それで一般受けしたのだろうか.
 三代記・歌祭文・黄鳥(うぐいす)塚(柳亭燕枝述).根岸に住まう長柄の長者のもとに参じた幇間,油屋の序作と善六の2人,すでに久松町からお客のお染も来ている.今度の市村座は鎌倉三代記,三浦は播磨屋でございます,それでは今度の芝居も時しめか.
 紅葉館の能・侠気(おとこぎ)の芸妓・士族の車夫(柳亭燕枝述).車夫の会話.昨日芝の紅葉館から乗せた芸者,俺が元士族だと知ったら,俥から飛び降りて2円包んでくれたぜ.そいつはうまく行ったが,その芸者はどこの者だ.観世新道.そりゃあ手前の謡込がよかったのだ.
 土龍の天上・太公望の花見・撥のない三味線.『百花園』掲載を改作.
 官員の山巡・職人の花見・商人の橋普清.『三遊れん新作落ばなし』とほぼ同じ内容.
 勧進帳・安珍・鞘当.『百花園』掲載を改作.
 玉藻の前・俊寛の鏡・いつまで草の鉢植.『百花園』掲載を改作.


 三題話,福笑ひ,春江堂 (1908)
 『三遊落語 福笑ひ』に圓朝に加えて,なぜか柳派である燕枝の三題噺が載っている.加賀の千代・山王祭・春日局の三題.『百花園』100号付録,1893年7月に載ったものと同じ.

 「もし,圓中師匠.山王祭りも二日続きの雨で,新橋芸者も気抜けしたようだが,君は歌舞伎座で大もうけをしたという評判だが,旦那はどこの人なんだい」
 「ちょっと聞いとくんなさい.旦那は竹川町の竹さんで,芸者は加賀町のお千代さんさ」
 「加賀の千代が一緒かい」
 「竹さんが贅沢者なもんで,桟敷三間を私たち三人で買い切りときたから,立って見たり寝て見たり,実に歌舞伎の広さかなと,加賀の千代には適当だったよ」
 「じゃあ取りまきは君一人で,あとは竹さんとお千代さんきりかい」
 「成田屋の旦那を当てこんで,私が竹千代のお守役さ」


 三題咄,百花園,8〜29号 (1889.8〜90.6)
 三題話,百花園,48号 (1891.4)
 『百花園』に22回にわたって連載された三題咄(三題話と題することもある)は,読者から寄せられた題をもとに作られたため,短い作品が多い.一話だけ,無題ながら5回にわたる続き物があり別記した.この三題噺の連載に続き,燕枝の人情噺や落語が掲載された.ここでは題名と巻次だけをあげる.
 地震・文覚上人・盗賊,不動明王・鳥さし・集会,小僧の湯治・警官の花見・象の飛脚,涼船の火事・首くくり・花瓶,百花園・人形・神楽(8).夜這星・芳原の燈籠・人力引,空気枕・入谷の朝貌見・俳優の似顔絵(挿絵1枚),富士の登山・洋服・夏菊,将棋・小野小町・昼寝の鼾,水搬(みずまき)人足・西洋料理・大磯の海水浴(9).唐がらし・郵便切手・旧大名の武鑑,八朔・大盃・江戸ッ子,雨乞・女生徒・笹の雪,麦酒・猫・汽車の後押,条約改正・東西新聞・燕枝(10).鈴虫・梅・今戸焼福助,芸妓・橘・雲雀,松島・電気燈・遠砧,満月・肥取り・盲者の碁打,[1]時の鐘・焼饅頭・石燈籠(11).殿様・擂木・朝顔日記,七草・小船・團洲の書,尾上菊五郎・芋虫・硯,俳諧気狂・狂歌気狂・都々一好,七面鳥・書生の仏参・一膳飯,[2]夜網・若后家・赤の飯(12).落語家の写真・権妻・胡蝶,大阪芝居・大和災害・屏風(13).宝物・四書・辻君,掛守・穴蔵・婚礼,梅びしほ・愛宕山・夫婦喧嘩,権妻・節分・横笛,年の市・清元・一休和尚,翁の面・八百善・在郷唄,[3]松島・かんざし・明烏(14).独酌・自転車・新聞記者,歌舞伎座・旧弊人・谷斎坊主,木がらし・杜若・芸妓の遠出,花車(だし)・出火・洪水,百花園・弁天小僧・条約改正,[4]養母の強慾・神経病・御行の松(15).文覚の幽霊・聖人の夢・女郎買,条約改正・歌舞伎座の開場・年の市,葉茶屋の競走・劇場(しばい)の上るり・坊主の集会,[5]兄の深慮・名薬の功徳・老婆の情死(16).画家評判記・初夢・三番叟,裏梅・よだれくり・朝起,野中の雨・堅い豆腐・力自慢,山辺赤人・権助出代(でかわり)・朧月夜(17).不孝者の改心・夫の蘇生・老後の楽(たのしみ)(挿絵1枚),廃娼論・新年会・大阪芝居,初夢・團十郎愛顧(ひいき)・蜜柑船,内閣更迭・草わらび・煤払(18).藪入・刺身・左甚五郎,大福帳・化物・千両幟,陰弁慶・喞筒(ぽんぷ)・玉子,初午・赤馬車・附馬,落語家(はなしか)の義心・半玉の懐妊・古代の羽子板(19).節分・月見・四万六千日,白酒・簪・堀抜井戸,梅見・洋行・め組の喧嘩,松の内・廿四孝竹子(たけのこ)・梅若丸(20).父母の売買・百人一首・蛍と鶯の演説,楠と孔明との夢合せ・閻魔のホテル・作者の立聞,團洲の投扇競・窓下の講義・美女の愛国心,施無畏・遊女花扇汐干の歌・玉屋玉照梅が香の歌(21).六歌仙・軍書・吉野山,一九の夕涼・手紙の切端・入谷村,お芋の情死・都々一・電気燈より出た幽霊,尾上幸蔵名題と成る・達磨の脚気・千代萩,栄螺・屋根船・鬼の笑顔(22).徳永里朝の曲引・芝居好・仇討,唐人の寝言・胡蝶・生酔,吉原の桜・通客・滝の川紅葉,桜・遠眼鏡・紀州高野山,一世一代の道成寺・古物好・初心の発句(23).色男・大岡越前守・天麩羅,恋煩ひ・狸・長唄越後獅子,中村雁次郎・下女の夜這・借金,金蘭社万歳・燕枝万歳・愛読者万歳(24).勧進帳・安珍・鞘当,玉藻前・俊寛の鏡・いつまで草の鉢植,土龍(もぐら)の天昇(てんじょう)・太公望の花見・撥のない三絃(さみせん),西行・薩摩芋・隣家の鶯,渡し守・情死の男女・狡猾者(25).男の懐妊・角力の佃煮・鶯の鯱,後家の髪・春木座・小町水,公諾徳(こんのーと)殿下・金銀細工牡丹・三穂の松原,由良之助の切腹・お染の身売・政岡の不義,浅草の大火・鴈風呂・夜雪庵の盛会(26).五銭の白銅(にっける)・金時計・糠に釘.高蒔絵の重箱・食麭包(しょくぱん)・忠臣蔵三段目,万八楼・長命丸・不動の縁日,車夫の運動会・奥州安達ヶ原・和田平の鰻,天狗の産・地獄の転居・人形の女郎買(27).車夫・地震・團洲の勧進帳,躄の飛脚・テンボウー・宇治の蛍,松・浦島・破れ蚊帳,摺附木・朝時鳥(あさのほととぎす)・高名人(こうめいのひと),三味線・猿曳・入梅(28).清少納言・川柳会・船幽霊,寒山拾得・博覧会・洲崎の遊廓,酒井の太鼓・足駄の遠足・滝の川,女俳優の競争・作偽師(さぎし)・パノラマ館,大磯の海水浴・秋の月・読ぬ同士書ぬ同士,孑孑(ぼうふり)・牛乳・谷中天王寺(29).孔明七星檀に屁を祈る・議事堂の閉会・時計,西郷の帰国・助六の鉢巻・馬車の喇叭(らっぱ),黒本尊開帳・須磨の浦・早馬で龍宮へ使者(48)


 三題噺,歌舞伎,3号 (1900)
 『歌舞伎』第3号に燕枝の記事が複数載っている.三木竹二・井原青々園「柳の一葉」の文中に,箱庭の雨・汽車の丸呑・勧進帳の三題噺が紹介されていた.

 「新富町の芝居はどうだったい」
 「一番目の細川の奥方から,勧進帳でついに泣かぬ弁慶が,というところ何か,いつもながら成田屋のおはこには涙の雨を催したよ.ところが後ろの方に新聞社の連中が来ていて,しきりに團十郎のことを悪く言ったから,大切りまで見ないで出てきてしまった」
 「どうしたんだ」
 「ナニ,記者にあてられたのよ」


 その他の作品
 三芳屋の出版広告に,初代談洲楼燕枝編の『滑稽三題噺』が見える.約200ページで,百あまりの名作を集めたとある.『百花園』の三題噺連載を一本にしたのか,一般投稿された秀作を集めたものなのか不明.
 『民族芸能』に明治25年ごろの作品(蚤の力持ち・李鴻章の昼寝・韓信)が載っていた(柳亭燕路(1988):談州楼初代柳亭燕枝(142),民族芸能, 261)."漢の夜で股をくぐった"とあるが,"寒深夜股をくぐった"とでもしないとサゲらしくない.


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職人の花見   
−しょくにんのはなみ−

 『三遊れん新作落ばなし』,三友書房 (1891)は,圓朝ら20人以上が小噺を競作している.国会図書館所蔵.「職人の花見」は團柳楼燕枝演.『新作滑稽落し噺』(1890)に載っている無記名の三題噺とほぼ同内容."團柳楼"を名のっているので,こちらの方が古いだろう."乳熊"は,深川佐賀町の老舗ちくま味噌.
 船に乗り遅れた3人連れの大工さん,雑談しながら船を待っている.
 「こんど橋杭なしの永代橋に掛けかえられるんだと」
 「ほう,そんな木口があるのかい」
 「官員が木曾山に探しに行っているとよ.それより,一時間で工事を請け負ったもんがあるんだと」
 「そりゃぁどこの誰だ」
 「永代向こうのちくまだとよ」
 「ちくまだってできっこありゃしめえ」
 「イヤできる.乳熊一時の橋と言うわさ」


切落しばなし   
−きりおとしばなし−

  『歌舞伎新報』には,談洲楼燕枝の小噺,戯作などが載っている.いずれも芝居の知識がないと分からない辛口のものばかり.内容が理解できた小噺3題を要約して紹介する.全文については「談洲楼燕枝 小噺全文」に掲載している.「切落しばなし」は,第547号(1885年5月25日)に掲載された.この月に本郷春木座で開かれた鳥熊の上方芝居をあてこんだもの.安い木戸銭で自由席,サービス満点の新システムが話題をさらった.
 「春木座の上方芝居を見たかい」
 「見なくってよ.役者は達者がそろっていて,その上木戸が六銭で勝手に近い所に座れるし,茶はタダで飲める.太夫元の鳥熊には恐れ入ったぜ」
 「それで景物はもらってきたかい」
 「馬鹿を言うな,あんな安くて土産をくれるもんか」
 「俺は,朝から茶を飲んでたくさん小便をしてやったから,大根を一本もらってきた」


無題   

  『歌舞伎新報』第550号(1885年5月30日)に掲載された小噺.タイトルの場所には「東京噺の作者」と書かれているが,これが演題ではないだろう.前号の「切落しばなし」の続編にあたり,ふたたび春木座の鳥熊の芝居をあてこんだもの.木戸銭が6銭だったことは,前の小噺にも書かれている.
 「次の春木座は,先代萩に小栗が出しもの.まま炊き場が終わると,切落しの客に煮染めつきの弁当を出すとは大趣向.こりゃあ流行るぜ」
 「嘘を言うな.何千人に飯を食わせてたまるものか.じゃあ,十銭にでも値上げするのか」
 「いや,今より一銭値下げだ」
 「へえ,そりゃあどうして」
 「まま炊きは五銭場だ」


吉例おとし玉   
−きちれいおとしだま−

  『歌舞伎新報』第859号(1888年1月14日)に掲載された小噺.市村座の開業公演「新開場梅田神垣」をあてこんだもの.三宅島に流された神道者井上正鉄を描いたもので,祝詞の文句,とおかみとおかみがサゲになっている.
 「お爺さん,お前さんは代々の團十郎びいき.今度の市村座の狂言は初日から詰め切りだそうですね」
 「日本中誰でも見ない者はなかろう.開場式の盛況は知れたことだ」
 「梅田神垣の見物は,8日目か9日目にしましょうか」
 「とおかみ見たまえ,とおかみ見たまえ」


一月   
−いちがつ−

  『百花園』 17号(1890年1月)には付録がついている.小さん,圓生や伯圓などが,各月を題として自作した小噺が載る.年始の祝詞を述べるのは談洲楼.
 「新年第一番の礼者は百花園主人だ.めでたいめでたい.二番は誰が来るであろう」
 「ヘイ,燕枝の御祝儀を申し上げます」


雁風呂   
−がんぶろ−

 古典落語.「雁風呂」は,談洲楼燕枝演,加藤由太郎速記.『百花園』 65〜66号(1892年1月) に2回にわたって掲載.『明治大正落語集成』 第2巻,講談社(1980)に復刻されている.現行の「雁風呂」と大筋では変わらないが,光圀公をいかにも権力者に描いている.「松に鶴などと人をあざむく将監は憎き奴、帰郷の後は光信の絵は残らず焼き捨てよ。一同、この絵を笑え」と命じ,従者も「仰せのとおり」と応じている.今はこんな人物像では演じにくい.
 掛川の宿で昼食をとっている水戸光圀一行.屏風絵の絵師が土佐将監と見たが,松に雁の画題がわからない.そこに来合わせた上方の2人連れ.屏風を見て,これをわからん奴の目は節穴同様と語っている.光圀,2人から画題である雁風呂の絵解きを聞く.主が水戸光圀公と聞き,自分は闕所になった淀屋辰五郎で江戸に金策に行くところと申し上げる.これを聞いた光圀,三千両下げわたすよう,松平伊豆守への添書を書いてやる.


人真似猿   
−ひとまねさる−

 「人真似猿」は,談洲楼燕枝講述.『都にしき』の創刊号(1896年1月)に掲載された小噺.国会図書館所蔵.目次は"人真似さる".速記者名はなく,口語体でもないので,燕枝本人が書いたものと思われる.
 申年を控え,猿回しの猿たちが山王権現に集まった.毛が三本足りないとか,猿まねなどと馬鹿にされているが,先祖は名優に芸を教えたではないか.来年こそ人間になって鼻を明かすぞ気勢を上げた.猿回しに出た元日,例年よりもお客が多く,猿曳きものぼせて鼻血が止まらない.見かねた下女が,まじないで襟の毛を3本抜いてやった.大猿は,その毛を押しいただき,大願成就かたじけねえ.


大森彦七   
−おおもりひこしち−

 道楽社の『芝居』第2号(1897)の一口噺欄に,談洲楼燕枝投として「大森彦七」と題する小噺が載っている.
 團十郎贔屓の大森の御前,大森に住むからには彦七を見ないわけにはいかないと,明治座を1日買い切り,紳士豪商を招待した.しかし,主人細君からは続々と回答があったが,令嬢からは1人も参加の返事がない.催主が大森で劇が彦七だから,貴女(鬼女)はおんぶで行くのであろう.


洋犬芝居の対面   
−いぬしばいのたいめん−

 「洋犬芝居の対面」は,談洲楼戯作.『演劇雑誌』の創刊号(1898年2月)に掲載された.「曽我の対面」の登場人物を犬に置きかえた戯作.
 戌年明治31年を迎える大晦日の晩,うとうとしていると庭の普請小屋で物音がする.そっとのぞいてみると,犬が集まって芝居をはじめた.口上犬が現れ,「遠吠え遠吠え[東西東西]」「吉例洋犬の対面,役人替名,曽我の胡麻驚胸(ときむね),市川呻次……」.演し物は曽我の対面だ.仇の黒尾との対面も果たした曽我兄弟,絵面の見得をきめた.「ヨーウ,黒は千歳,洋犬(かめ)は萬歳」.はっと目が覚めれば,元日の初夢.ヘイ夢でとうございます.


世界一周   
−せかいいっしゅう−

 「世界一周」は,談洲楼燕枝演,小野田速記事務所員速記.『文藝倶楽部』 6巻3号(1900年2月1日)に掲載.『明治大正落語集成』 第6巻,講談社(1980)に復刻されている.「弥次郎」の世界旅行版といった新作落語.
 隠居のところにやってきた秀さん.横浜から船に乗って世界一周してきたと話し出す.天津へ行くと船が壊れて天津バラバラとか,シンガポールで主従が決闘して臣が放るとか,いかにも嘘くさい.インド洋から地中海とロンドン進んでニューヨークに着いた.帰り道の太平洋で大嵐にぶつかり,帆柱に体をしばって海に飛び込む.何日も海をただようと,ついに横浜が見えた.それなのに,帆柱が沈んで行く.助けてくれ〜と叫ぶと,世界地図の上に突っ伏して寝ていた.よく考えると,夢でないところもあった.冷たいのはヨダレで,ドーンと言ったのは正午のドン.


庚申待   
−こうしんまち−

 「庚申待」は,故談洲楼燕枝演,小野田速記事務所員速記.燕枝の死の直後,『文藝倶楽部』 6巻5号(1900年4月10日)に掲載.「宿屋の仇討」の甲子待ちバージョンだが,随分と味わいが違っている.仇討は出てこない.『落語明治一〇〇年名演集』 新風出版社(1967)に復刻されている.
 飛騨の高山の奥の山村.庄屋の家で恒例の庚申待が開かれた.諸国を経巡る旅人が集まって夜明かしで話に興じている.武芸者は,田舎の村でムジナ退治をした娘が妾になって出世した.女ムジナ食[氏無く]って玉の輿に乗った.山伏が寺の裏山で山芋を掘っていると,どこかから声が聞こえる.坊主坊主山の芋.もと質屋の法印は,大家の娘に惚れられ,貧乏寺の水瓶に隠れた.娘が化した白蛇は,四文銭を見ると逃げていった.白蛇[百に]四文の利が怖い.その他にも,六十六部,巡礼,講釈師,猿回しがそれぞれ与太話.最後に庄屋の娘が,摘み草に出ていると,見目よき男がやってきた.持参金が三千両で,いたって親孝行のよい婿どので親爺も大喜び.これが本当の孝子待ち.



 その他の作品
 燕枝名(代数の記載なし)の落語に,「無筆の女房」「穴どろ」(『落語全集』,大日本雄弁会講談社(1929)),「偽稲荷」「目黒のさんま」「井戸の茶碗」(『評判落語全集』,大日本雄弁会講談社(1933)),「心眼」(『演芸画報』(1909))がある.
 2件の口上が『小ばなし研究』 第7号(1935)に載っている.1つは,明治18年,両国中村楼で開いた咄の会の案内「柳蔭宇治茗燕噺」(やなぎかげうじのちゃばなし)(「身がらくのつばめ」),もう1つは,明治21年,同じく中村楼での禽語楼小さんの披露目「禽語楼弘の報條」(きんごろうひろめのこうじょう).
 その他,「絵像」「不思議の徳利」「西念坊」といったタイトルが,サイト「落語に関する本」中の落語演目に見られる.内容未見のため,初代のものか二代燕枝かも確認できていない.
 雑誌『歌舞伎新報』に載った燕枝の小噺・戯作・口上茶番は以下のとおりである.『歌舞伎新報』は,マイクロフィルム化されており,細かく見てゆけば,燕枝の文章をもっと拾い出すことができよう.原文については,「談洲楼燕枝 小噺全文」を参照されたい.
 睦小僧猫々同人の巣窟を訪ふ,48号(明治12年12月3日),無題(即席ばなし),125号(明治14年2月20日),無題(一口噺し),126号(明治14年2月26日),身がらくのつばめ,518号(明治18年3月3日),切落しばなし,547号(明治18年5月22日),無題(東京噺の作者),550号(明治18年5月30日),扇の風大入はなし,567号(明治18年7月22日),追善手向の噺,631号(明治19年2月14日),大入はなし,673号(明治19年6月22日),吉例おとし玉,859号(明治21年1月14日),堀越氏祭典の口上茶番, 1570号(明治27年4月28日),團党諸君へお年玉し, 1628号(明治29年1月11日),寺島丈当込の口上茶番, 1630号(明治29年1月27日).


 掲載 190201/最終更新 240901

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