仏壇こわし |
文政3(1820)年,蔵前の坂倉屋助七,長二に仏壇作成を依頼−坂倉屋,百両の値の高さに驚く−絶対に壊れない品物だと言われ,かっとなり才槌で叩くが壊れない.坂倉屋感服
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指物師(江戸東京博物館) |
湯河原の捨て子 |
11月,長二,兄弟弟子の兼松と湯河原へ湯治−土地の婆に自分が捨て子で,背中の傷は捨てられたとき竹に刺さったためと聞く/湯河原の風物こまごま
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圓朝が滞在した藤田屋 |
親殺し |
1821年,育ての親の菩提寺の天龍院で亀甲屋幸兵衛に会う.和尚,長二の身の上を話す−亀甲屋,長二をひいきにする−亀甲屋が実の親だと明かさぬのを苦に,背中の傷を見せて詰問.幸兵衛,長二を打ちすえる−11月10日,亀甲屋が忘れた50両を返しに行き,再び詰問.幸兵衛,刃物を出してもみ合い,亀甲屋夫婦死亡−翌日,長二,親方の清兵衛に悪態をつき,日付を遡った縁切状を渡す.実は親方に迷惑をかけない心算−長二,駆け込み訴え−南町奉行筒井和泉守,長二の評判がよいのを聞き,狂人として減刑を図るが,長二かえって怒り,親殺しを白状
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谷中天龍院 |
仇討ちのトリック |
奉行,長二の助命法に悩む−美濃屋夫妻を吟味するうち,殺された幸兵衛は長二の実父でないと知る.しかし,お柳は実母ゆえ親殺しの罪は逃れない−鍼医岩村玄石,美濃屋をゆする−密偵に様子を聞かれ,玄石ら捕縛.玄石は金をもらい半右衛門を鍼で殺していた−林大学頭,礼記を引用し,親殺しでなく実父の仇討という解釈を示す−長二無罪,玄石ら遠島−長二とお島結婚
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南町奉行所跡 |