| 地点名 |
出典と登場回数 |
位 置 |
備 考 |
写真と撮影年 |
| 上戸祭字寺内 |
かみとまつりあざてらうち |
上野 |
宇都宮市上戸祭町 |
寺内という字名は,上戸祭と野沢町の境あたり東側.日光街道をはさんで上戸祭一里塚が残っている.日光だからだろうか,塚の上にはスギの木.
"道もはかどりて上戸祭村字寺内にて小休み"(上野下野道の記) |
上戸祭一里塚 |
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2008 |
| 野沢村 |
のざわむら |
上野 |
宇都宮市野沢町 |
野沢の見どころとして,街道研究家の今井金吾氏は静桜を紹介している.真言宗光明寺は街道に面していて,鐘楼門が目立つ.関東八十八ヶ所第23番札所.かつて,将軍日光社参の際に,お茶場を設けたとある.
"亦野沢村に小休み、清水流る"(上野下野道の記) |
光明寺 |
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2024 |
| 石橋 |
いしばし |
上野 |
宇都宮市野沢町 |
いまの弁天橋だろう.川は釜川.
"清水流る。石橋を渡りて、並木を越えて上金井村"(上野下野道の記) |
弁天橋 |
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2024 |
| 上金井村 |
かみかないむら |
上野 |
宇都宮市上金井町 |
"並木を越えて"とあるように,日光街道の両側が土手のように高く,杉並木になっている.このあたり,日光へ向かう大型ドライブインがずらりと並んでいて,観光バスは必ず休憩していた.今は跡形もなく,すっかりさびれている.
"並木を越えて上金井村"(上野下野道の記) |
日光街道 |
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2024 |
| 紺屋林村 |
こうやばやしむら |
上野 |
宇都宮市宝木本町 |
春陽堂版にはルビがなく,岩波版のルビは,こんやばやし.高谷林(こうやばやし)が正しく,は宝木本町の北部になる.街道の東側に,ひっそりと一里塚が残っている.
"左りの方の後ろに当りて紺屋林村といふ"(上野下野道の記) |
高谷林一里塚 |
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2024 |
| 宝木村 |
たからぎむら |
草三, 上野 全1件1題 |
宇都宮市宝木本町 |
「後開榛名の梅が香」の帳付けチャリ場にも宝木がでてくる.宇都宮からの距離が怪しいが,ここに合した.写真の木は,宝の木と呼ばれる老木で,樹齢450年以上とされる.宝木という地名は,この木に由来する.かつて,塚の上にあったが,宇都宮第十四師団司令部(現 栃木医療センター)に移植された.
"紺屋林村といふを今 宝木村 と改名したり"(上野下野道の記) |
宝の木 |
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2024 |
| 中徳二郎村 |
なかとくじろうむら |
上野 |
宇都宮市徳次郎町 |
下中上と徳次郎(とくじら)が延々と続く.このあたりから大谷石の蔵が目立つ.
"やうやう中徳二郎村の棒ばなに小休み"(上野下野道の記) |
中徳次郎宿跡説明板 |
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2024 |
| 智加都明神の社 |
ちがつみょうじんのやしろ |
上野 |
宇都宮市徳次郎町 |
岩波版のルビは,ちかつみやうじん.智賀都神社(ちかつじんじゃ)は徳次郎の鎮守.夫婦ケヤキが社前に立つ.参道の左右にならんでおり,樹高40m,樹齢700年という.
"右の方に智加都明神の社は 五ヶ村の鎮守也"(上野下野道の記) |
智賀都神社 |
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2024 |
| 上徳二郎 |
かみとくじろう |
上野 |
宇都宮市徳次郎町 |
一時期"とくじろう"と読ませていたようだが,最近は,写真のインター案内にあるように,"とくじら"と読ませるようになっている.上徳次郎をすぎると,石那田の一里塚になる.圓朝は人力車で一気に越えてしまった.
"又上徳二郎に来たりて休む"(上野下野道の記) |
徳次郎を望む |
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1998 |
| 大沢村 |
おおさわむら |
上野 |
日光市大沢町 |
日光神橋からはじまる街道の杉並木の終点には,同じ形の寄進碑が合わせて4基建っている.そのうちの一つが大沢にある.杉並木は,松平正綱公の寄進になる.
"人力車二台を雇ひ大沢村に来たりて中喰となる"(上野下野道の記) |
大沢杉並木寄進碑 |
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2025 |
| 今市駅 |
いまいちえき |
上野 |
日光市今市あたり |
日光街道と例幣使街道が,今市の追分で合流する.石像の地蔵尊が追分を見まもる.いよいよ日光は近い.
"馬に乗って今市駅なる橋田屋に休みし"(上野下野道の記) |
追分地蔵尊 |
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2024 |
| 瀬川 |
せがわ |
上野 |
日光市瀬川 |
瀬川から野口にかけて杉並木が整備されている.レトロモダンな建物が目立つ浄水場がある.
"またまた馬にて瀬川より野口村里村に来たる"(上野下野道の記) |
瀬川浄水場 |
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2024 |
| 野口村 |
のぐちむら |
上野 |
日光市野口 |
野口には四本杉があった.「上野下野道の記」の当時,財政再建のため杉並木が全伐採の危機にあった.
"またまた馬にて瀬川より野口村里村に来たる"(上野下野道の記) |
日光街道杉並木 |
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2024 |
| 里村 |
さとむら |
上野 |
日光市七里付近か |
七里(しちり)のことだろう.街道は狭く,車の通行も多いので,明治天皇の御小休所は見落としやすい.門の奥に,四方垂木の旧家,さらに尾立岩があるという.
"またまた馬にて瀬川より野口村里村に来たる"(上野下野道の記) |
明治天皇七里御小休所 |
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2024 |
| 鉢石町 |
はちいしまち |
上野 |
日光市下鉢石町, 中鉢石町, 上鉢石町 |
日光の町づくし.最も北西に位置する.鉢石町は,人情噺「仇娘好八丈」にも登場する宿場町.地名の由来となった鉢石(はついし)は,日光市指定文化財.かつて,宇都宮信用金庫の敷地内にあった.信金破綻後,ひさびさに訪問したところ,入口に案内もなく見つけるのに苦労した.地中から生えた石の真ん中がくぼんでおり,お鉢のように見える.
"づぶ濡れにてやうやう日光の鉢石町の野口屋市三郎方に着きたり"(上野下野道の記) |
鉢石 |
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2024 |
| 松原 |
まつばら |
上野 |
日光市松原町 |
松原町.鉢石町の南に連なる.各町が独特の意匠の街灯をかかげている.
"日光へ入口を、松原、石屋町"(上野下野道の記) |
松原町 |
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2024 |
| 石屋町 |
いしやまち |
上野 |
日光市石屋町 |
松原町の南.日光名物のなま湯葉の土産屋や料理店が並ぶ.その他,日光羊羹,茶道具挽き物などの名物がある.
"石屋町、御幸町、鉢石町"(上野下野道の記) |
石屋町バス停 |
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2024 |
| 御幸町 |
みゆきまち |
上野 |
日光市御幸町 |
御幸町(ごこうまち).石屋町の西.駐車場の片隅に御幸町三百五十年記念碑がある.天海僧正命名とあるが,寛永10(1633)年6月1日は,天海僧正が御幸町の課役を免除した日になる.
"御幸町、鉢石町、大横町"(上野下野道の記) |
御幸町三百五十年記念碑 |
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2024 |
| 大横町 |
おおよこちょう |
上野 |
日光市下鉢石町 |
鉢石町を横へ入る横丁.町立てはされていない.下鉢石町,大谷川の段丘上に小さなお稲荷さんがある.そこへ向かう小路が大横町になる.神社の脇には,大横町の歴史と題する説明板がかかげられている.ここに火の番屋敷があって,火の番横町とも呼ばれたこと,八王子同心が交代で詰めて日光を火災から守ってきたことなどが書かれている.
"大横町、稲町等なり"(上野下野道の記) |
大横町稲荷 |
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2024 |
| 稲町 |
いなまち |
上野 |
日光市稲荷町か |
岩波版のルビは,いねまち.稲荷町(いなりまち)のことだろう.鉢石町などの東,街道北に並行する.稲荷社には,写真のような巨石がある.西行法師が,この石の上に座った少年にどこへ行くか尋ねたところ,"冬萌きて夏枯れ草を刈りに行く"と麦を刈ることを謎かけ歌で答えた.これを聞いた西行は,男体山を遙拝し,そのまま引き返した.その由来から,西行戻石と呼ばれる.同じ場所に西行歌碑がある."ながむながむ散りなむことをきみも思へ くろ髪山に花さきにけり".日光の黒髪山を詠んだとすれば,少年の戯れ歌よりも格が高いのだが…….
"大横町、稲町等なり"(上野下野道の記) |
稲荷町内稲荷社 |
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2024 |
| −経路外− |
| 十良ヶ峰 |
じゅうろうがみね |
牡丹, 上野 全1件1題 |
宇都宮市鶴田 |
「怪談牡丹燈籠」の結末部に出てくる十郎ヶ峰.本文には戸祭から西北とあるが,実際は南西方向,鹿沼街道にかかる丘陵になる.ピークには三等三角点がある.
"我が作話の牡丹燈籠の仇討に十良ヶ峯と云ふ所を問へば"(上野下野道の記) |
十郎ヶ峰三角点 |
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2012 |
| 西里山 |
にしさとやま |
上野 |
宇都宮市新里町 |
西里は新里(にっさと)の誤記か.県道22号は,西里街道と呼ばれる.
"此所より 西里山より西北の方に当り 見ゆると云ふ"(上野下野道の記) |
新里街道 |
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2025 |
| 加沼駅 |
かぬまえき |
牡丹, 道中の馬子, 上野 全2件2題 |
鹿沼市 |
鹿沼(かぬま).鳥居跡(とりいど)は,古くは日光開山の勝道上人がここに4本のエノキを植えたと伝える.日光山の鳥居があったことから鳥居跡という地名になった.最後のエノキも戦後に失われ,1957年に二荒山神社が勧請された.
"是より加沼駅 まで三里半 と聞きぬ"(上野下野道の記) |
鹿沼鳥居跡 |
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2025 |