| 地点名 |
出典と登場回数 |
位 置 |
備 考 |
写真と撮影年 |
| 茅町 |
かやちょう |
多助, 生埋, 初島, 一雅 など (他 東京9件) 全14件11題 |
東京都台東区柳橋1,浅草橋1 |
浅草茅町.圓朝は当時,浜町に住んでいたという.「塩原多助一代記」の取材旅行記,「上野下野道の記」の旅はここから始まる.
"松葉屋の伯母と高橋の老母に別れをのべ、茅町より両人腕車に乗りて"(上野下野道の記) |
浅草橋人形店 |
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2024 |
| 千住新宿 |
せんじゅにいじゅく |
上野 |
足立区千住仲町など |
岩波版のルビは,せんぢゆしんしゆく.亀有の新宿(にいじゅく)ではなく,千住本宿に対して新宿か.千住掃部宿あたり.写真は圓朝寄進の燈籠(千住仲町4,源長寺).
"千住新宿(にいじゅく)まで来たりて車を下りしが"(上野下野道の記) |
大山阿降里行者心静尼墓前の燈籠 |
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2024 |
| 梅田 |
うめだ |
上野 |
足立区梅田 |
荒川放水路に分断された日光街道は,現在の国道4号から離れ,善立寺の西を北上する.明王院(梅田4-15)には,梅田の起源となる梅田天神がある.
"是より参来(あるき)て梅田島根六月(むつき)村"(上野下野道の記) |
旧日光街道梅田方向 |
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2024 |
| 島根 |
しまね |
上野 |
足立区島根 |
大地主牛込家の長屋門(島根4-18).都区内にあると圧倒される大きさだったが,ついに取り壊されてしまった.
"梅田島根六月村に来たりて小休み"(上野下野道の記) |
金武屋敷長屋門 |
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1989 |
| 六月村 |
むつきむら |
上野 |
足立区六月 |
岩波版のルビは,ろくぐわつむら.六月(ろくがつ)が正しい.八幡太郎義家が奥州征伐で通ったのは六月の炎天下のこと.炎天寺も,隣接する八幡社(六月3-13)もその故事に由来する.炎天寺では,一茶が「やせ蛙負けるな一茶是にあり」の句を詠んだ.蓮の上で2体のカエルが相撲を取っている像がある.
"梅田島根六月村に来たりて小休み"(上野下野道の記) |
炎天寺・八幡社 |
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2024 |
| 弥五郎新田 |
やごろうしんでん |
上野 |
足立区日ノ出町,足立,西綾瀬 |
荒川放水路に分断される.そこに弥五郎新田橋も計画されていた.日ノ出町自治会が建てた日ノ出神社の説明板には,弥五郎新田の名が記されている.荒川放水路の川底に沈む稲荷社は,弥五郎新田の副戸長の発案で,いったん五反野稲荷に合祀された.戦後,新たに社殿を建て,五反野の親宮から分離独立し,元宮の日ノ出神社と称するとある.
"此所を弥五郎新田とて 千住の裏手にて今水の役に当たり"(上野下野道の記) |
日ノ出神社 |
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2024 |
| 竹の塚 |
たけのつか |
上野 (他 東京14件) 全14件6題 |
足立区竹の塚 |
竹塚東子は江戸期の戯作者で,地名をペンネームにした.墓は常楽寺(竹の塚1-10)内にある.戒名は喬雲醍醐居士.
"是より竹の塚に小休みして"(上野下野道の記) |
竹塚東子墓 |
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2003 |
| 保木間村 |
ほぎまむら |
上野 |
足立区西保木間など |
岩波版のルビは,ほきま.日光街道は西保木間(ほきま)を通る.保木間小学校の裏手,竹の塚彫刻の道と名づけられた道には,あちこちに造形芸術作品が置かれている.創造の箱は,斉藤史門の作品.
"保木間村、水神村に小休み"(上野下野道の記) |
竹の塚彫刻の道 創造の箱 |
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2024 |
| 水神村 |
すいじんむら |
上野 |
足立区保木間,西保木間 |
水神橋手前を旧道に入り北側(西保木間4-14)に水神の小社がある.周囲の開発が進み,見晴らしがよくなっていた.
"水神村に小休み、是まで 参る道四、五町の間左の方蓮田多し"(上野下野道の記) |
水神 |
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2024 |
| 毛長落川 |
けながおとしかわ |
上野 |
足立区保木間5〜埼玉県草加市瀬崎町 |
毛長堀.これを渡ると埼玉県に入る.以下,位置名の埼玉県は省略する.
"毛長落川中央六間"(上野下野道の記) |
水神橋から毛長堀 |
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2024 |
| 手広 |
てひろ |
上野 |
草加市手代町 |
手代(てしろ)という地名はある.町の東に綾瀬川魚屋河岸があった.最初の訪問時には,用水路の柵での稲干と廃車の山,新旧がせめぎ合っていた.
"此処を出て手広より瀬崎村"(上野下野道の記) |
手代町内電柱 |
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1989 |
| 瀬崎村 |
せざきむら |
上野 |
草加市瀬崎町 |
岩波版のルビは,せさきむら.瀬崎は木綿晒しが地場産業だった.以前の訪問にくらべ,数が少なくなっていた.
"瀬崎村なる浅間の神社に参詣す"(上野下野道の記) |
瀬崎晒し工場 |
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2024 |
| 浅間の神社 |
せんげんのじんじゃ |
上野 |
草加市瀬崎500 |
日光街道沿いに現存する.残念ながら本文中の寛政6年銘の鳥居は残っていない.
"浅間の神社に参詣す。手洗ひの池とて清泉なり、石の鳥居に 寛政六寅四月と深く彫刻したり"(上野下野道の記) |
浅間神社 |
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2024 |
| 草加駅 |
そうかえき |
上野 (他 東京6件) 全6件3題 |
草加市 |
この里程標は,住吉1-13にある.1911年建.圓朝が通ったとき,草加宿は明治3(1870)年の大火の後で復興途上だった.
"是より 武州足立郡 草加(そうか)駅"(上野下野道の記) |
里程標 |
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2008 |
| 佐原村 |
さはらむら |
上野 |
草加市吉町 |
吉笹原村のこと.現 吉町.一里塚があった.団子もよいが,草加は手焼きせんべいが今も名物.
"佐原村にて小休みす。此の家の団子味(うま)さうなれば一本風味す"(上野下野道の記) |
草加せんべい店 |
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2024 |
| 学校 |
がっこう |
上野 |
草加市住吉1-11 |
東福寺境内の協和学舎が母体となり,明治5(1872)年,草加学校として開校した.現在の草加小学校になる.
"駅中に入れば学校あり"(上野下野道の記) |
草加小学校 |
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2008 |
| 東福寺 |
とうふくじ |
上野 |
草加市神明1-3 |
真言宗智山派松壽山東福寺.落語黎明期に活躍した初代石井宗叔の供養墓がある.文化5(1808)年建.
"真言宗にて東福寺あり"(上野下野道の記) |
石井宗叔墓 |
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2024 |
| 神明の社 |
しんめいのやしろ |
上野 |
草加市神明1-6 |
草加宿の総鎮守.六齋市がたった.内務省の高低測量几号水準石標が保存されている.水準点の石を置く代わりに,寺社の手洗い石などを利用して,"不"のような形をした几号を刻んだ.
"神明の社 祭日ハ三月五日"(上野下野道の記) |
神明神社 |
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2008 |
| 八幡の社 |
はちまんのやしろ |
上野 |
草加市高砂2-20 |
旧道から東に参道を入る.巨大な雌雄の獅子頭があるという.
"八幡の社 二丁目祭日ハ毎年六月一五日"(上野下野道の記) |
八幡神社 |
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2008 |
| 板橋 |
いたばし |
上野 |
草加市神明1〜栄町1 |
かつての六丁目大橋のこと.本文では記述の都合で鴨村の後に書かれている.この写真では札場河岸公園がまだ整備されていない.
"板橋を渡り松並木にかかる"(上野下野道の記) |
草加六丁目橋 |
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1990 |
| 松原 |
まつばら |
上野 |
草加市 |
日光街道の松並木,日本の道百選の一つ.南端の札場河岸には,望楼や江戸を振り返る芭蕉像などが整備された.この先旧道は綾瀬川に沿って進み,藤助河岸に至る.
"鴨村は少し通りの方に出る松原の方なり"(上野下野道の記) |
札場河岸芭蕉像 |
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2008 |
| 九右衛門新田 |
きゅうえもんしんでん |
上野 |
草加市旭町 |
九左衛門新田が正しい.現在,九の字を生かして旭町.旭町4-7にある旭町天神の縁起碑文に,九左衛門の名が見られる.
"九右衛門新田喜右衛門新田あり"(上野下野道の記) |
旭町天神由来碑 |
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2024 |
| 喜右衛門新田 |
きえもんしんでん |
上野 |
草加市金明町 |
金右衛門新田が正しい.現在,金の字を生かして金明町.このあたりクワイが名産.
"九右衛門新田喜右衛門新田あり"(上野下野道の記) |
金明町氷川神社 |
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1997 |
| 鴨村 |
かもむら |
上野 |
越谷市蒲生 |
蒲生(がもう)が正しい.藤助河岸で綾瀬川を左岸に渡ると蒲生に入る.蒲生の一里塚(蒲生愛宕町11)は,日光街道に残る県内唯一の一里塚.エノキやケヤキなどが茂ってごちゃごちゃしているが,塚にふれることができる貴重な場所.
"鴨村に来たりて小休みしける時、馬子馬を曳きて来たり"(上野下野道の記) |
蒲生一里塚 |
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2024 |
| 上戸村 |
あがるどむら |
上野 |
越谷市登戸町 |
"あがるど"ではなく登戸(のぼりと)が正しい.登戸三軒家には,3軒の茶店があり,日光街道の旅人やガタ馬車の乗客でにぎわった.東武線の蒲生駅は開設当時はここに置かれていた.移転によってさびれたが,武蔵野線開通後,ふたたび新越谷駅が開設され,現在の発展につながっている.
"又上戸村に小休みして問へば"(上野下野道の記) |
登戸三軒家十九夜塔 |
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2024 |
| 瓦曾根村 |
かわらそねむら |
上野 |
越谷市瓦曽根 |
瓦曽根(かわらぞね).写真の歩道橋の先で旧道は左へ別れ,越谷宿へと入る.
"急ぎ瓦曾根村にかかる。学校あり"(上野下野道の記) |
瓦曽根歩道橋 |
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2024 |
| 正観音堂 |
しょうかんおんどう |
上野 |
越谷市瓦曽根1-13 |
最勝院.廃寺で,2つの堂だけが残った.しかし,1990年頃に堂は取り壊され駐車場になる.
"正観音堂其の側に不動堂あり"(上野下野道の記) |
右:観音堂,左:不動堂 |
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1989 |
| 不動堂 |
ふどうどう |
上野 |
越谷市瓦曽根1-13 |
こちらも今はない.
"正観音堂其の側に不動堂あり"(上野下野道の記) |
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| 天覚寺 |
てんかくじ |
上野 |
越谷市越ヶ谷2549 |
天嶽寺(てんがくじ)が正しい.浄土宗.当地出身の文人越谷吾山墓と句碑がある.
"天覚寺 大寺なり"(上野下野道の記) |
天嶽寺越谷吾山墓 |
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2024 |
| 越ヶ谷駅 |
こしがやえき |
上野 (他 東京2件) 全2件2題 |
越谷市 |
日光街道の宿場."恐れ入谷の鬼子母神"と同じように,"そうか越谷千住の先よ"と使われる.日光街道・日光西街道30宿の宿場印は,各所の名所をちりばめている.越ヶ谷宿では,2日目大里名産のダルマとひな人形,五月飾りの兜が描かれている.
"越ヶ谷駅なり、鎮守は塞の神にして"(上野下野道の記) |
日光街道越ヶ谷宿宿場印 |
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2024 |
| 鎮守 |
ちんじゅ |
上野 |
越谷市 |
久伊豆神社(越ヶ谷1700)は越谷の総鎮守.樹齢200年の藤がある.この社を指すのか.
"越ヶ谷駅なり、鎮守は塞の神にして"(上野下野道の記) |
久伊豆神社 |
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1999 |
| 八幡の社 |
はちまんのやしろ |
上野 |
越谷市越ヶ谷2-2 |
八幡社は,越ヶ谷宿新町の鎮守.たしかに街道を左手に入る.文和2(1353)年の板碑を所蔵する.
"左りの細道を入れば 八幡の社あり"(上野下野道の記) |
八幡社向拝の龍の彫刻 |
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2024 |
| 板橋 |
いたばし |
上野 |
越谷市越ヶ谷本町〜大沢1 |
境板橋.越谷と大沢の境になる.川は元荒川.
"やうやうに板橋を渡りて大沢町に入る"(上野下野道の記) |
大沢橋 |
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2024 |
| 大沢町 |
おおさわまち |
上野 |
越谷市大沢 |
明治天皇は,明治9年の東北巡幸の際と,明治14年に3回,大沢宿本陣の福井権右衛門宅に小休された.記念碑は,大沢橋の北詰に移設されている.
"大沢町に入る。 右側有名の 玉屋に着きぬ"(上野下野道の記) |
明治天皇大澤御小休所碑 |
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2024 |
| −経路外− |
| 日本橋 |
にほんばし |
粟田口, 鰍沢 など (他 東京202件, 上方2件) 全216件117題 |
東京都中央区日本橋 |
近くの日本国道路元標はレプリカ.本物はちゃんと橋中央に埋め込まれている.
"東京府距日本橋へ二里三十三町五十三間"(上野下野道の記) |
東京市道路元標 |
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2024 |
| 浦和宿元標 |
うらわしゅくげんぴょう |
上野, 下新田 など (他 東京5件) 全5件4題 |
さいたま市浦和区 |
こちらはおなじみの形をした石造道路元標(高砂2-5).復元したもの.
"浦和宿元標へ五里八町十一間三尺四寸二分"(上野下野道の記) |
浦和市道路元標 |
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2008 |
| 岩附 |
いわつき |
後日譚, 八景, 鶴殺, 初島 など (他 東京16件) 全21件7題 |
さいたま市岩槻区 |
岩槻(いわつき).落語では「たらちね」「ねぎまの殿様」の岩槻ネギで登場する.時の鐘は,岩槻藩城主,阿部正春によってはじめて鋳造された.嘉永6(1853)年に改築された鐘楼に収まっている.
"此の家より 左りへ三里廿町 岩附道あり"(上野下野道の記) |
岩槻 時の鐘 |
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2025 |