地点名 |
出典と登場回数 |
位 置 |
備 考 |
写真と撮影年 |
駒形 |
こまがた |
上野 |
前橋市駒形町 |
田沼期に一揆首謀者として処刑された力士駒形茂兵衛.隠し墓を川端に造って祀った.
"是より駒形まで 二里 道を走らせ"(上野下野道の記) |
駒形茂兵衛地蔵 |
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2003 |
伊勢崎 |
いせさき |
引窓, 多助, 上野, 太助伝 (他 東京4件) 全7件5題 |
伊勢崎市 |
岩波版のルビは,いせざき.伊勢崎(いせさき)が正しい読み.銘仙が特産.伊勢崎織物会館敷地に,銘仙の普及に貢献した下城弥一郎と森村熊蔵の碑(1911年建)がある.
"車夫(くるまや)も汗しぼりて伊勢崎の棒ばな迄来たりて小休み"(上野下野道の記) |
下城弥一郎碑 |
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2011 |
銭屋の通り |
ぜにやのとおり |
多助, 上野, 太助伝 全1件1題 |
伊勢崎市 |
銭屋は伊勢崎市内の旅館.
"駒形より銭屋の通りまで二里なり"(上野下野道の記) |
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保泉 |
ほずみ |
多助, 上野, 太助伝 全1件1題 |
伊勢崎市(旧佐波郡境町保泉) |
保泉(ほずみ).いかにも雷銀座.コヤニスカッティ的風景.
"又人力車にて保泉与久村"(上野下野道の記) |
保泉より |
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2004 |
与久村 |
よくむら |
多助, 上野, 太助伝 全1件1題 |
伊勢崎市(旧佐波郡境町伊与久) |
伊与久(いよく)が正しい.「塩原多助一代記」でおえいを攫う場面.集会所はリニューアルされた.
"又人力車にて保泉与久村"(上野下野道の記) |
伊与久三区集会所 |
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1989 |
雉子間 |
きじま |
上野 |
伊勢崎市(旧佐波郡境町木島) |
木島(きじま)が正しい.薬師堂内の像はどう見ても薬師仏でない.
"板橋を渡りて 雉子間、百々村"(上野下野道の記) |
木島薬師堂 |
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2004 |
百々村 |
どうどうむら |
多助, 上野, 太助伝 全1件1題 |
伊勢崎市(旧佐波郡境町百百) |
百百(どうどう).おえいを攫った犯人の一人が百々の倉八.
"百々村より堺町の駅に入りて"(上野下野道の記) |
百百 |
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1989 |
堺町 |
さかいまち |
多助, 草三, 上野, 太助伝 全2件2題 |
伊勢崎市(旧佐波郡境町) |
例幣使街道の宿.刀を盗んだ丁稚が顔の痣をあざけられ,町民99人を斬殺した血刀があるという.まるで「吉原百人斬り」.
"百々村より堺町の駅に入りて"(上野下野道の記) |
境町道路元標 |
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2004 |
秋葉の神社 |
あきはのじんじゃ |
上野 |
伊勢崎市(旧佐波郡境町東) |
岩波版のルビは,あきばのじんじゃ.廃社.水盤のみ栄の稲荷神社に移る.元治年間の銘がある.
"秋葉の神社あり。社殿雲龍の彫刻(ほりもの)は精巧なり"(上野下野道の記) |
旧秋葉神社の水盤 |
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2004 |
別れ道の石杭 |
わかれみちのいしぐい |
上野 |
伊勢崎市(旧佐波郡境町東) |
天明7(1787)年建の道標.世良田館林,中瀬,日光木崎道などを案内.稲荷社前の国道354号を1本南に入った西の辻.例幣使街道がクランクしていた.
"日光、木崎、太田、伊勢崎、前橋 別道の石杭あり"(上野下野道の記) |
例幣使街道道標 |
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2004 |
芭蕉翁の碑 |
ばしょうおうのひ |
上野 |
伊勢崎市(旧佐波郡境町栄) |
"時鳥招や麦のむら尾花".岩波版での,"麦の尾花"となっている.句碑は移設されて稲荷神社内に現存.
"駅の出はづれに芭蕉翁の碑あり"(上野下野道の記) |
芭蕉句碑 |
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2004 |
女塚村 |
おんなづかむら |
上野 |
伊勢崎市(旧佐波郡境町女塚) |
女塚(おなづか).法楽寺はもっと大きな寺だった.薬師湯の道標はもう少し南にある.
"是より女塚村 新田郡 三ツ木村より小角田村"(上野下野道の記) |
法楽寺 |
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2004 |
三ツ木村 |
みつぎむら |
上野 |
伊勢崎市(旧佐波郡境町三ッ木) |
国定忠治の子分,三ツ木の文蔵こと大見山文蔵は三ツ木の出身.刑死しここに葬られる.法名三名通達信士.
"新田郡 三ツ木村より小角田村はなれ高尾村"(上野下野道の記) |
三ツ木文蔵墓 |
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2004 |
小角田村 |
こつのだむら |
上野 |
太田市(旧新田郡尾島町小角田) |
小角田(こつのだ).
"小角田村はなれ高尾村、中江田村"(上野下野道の記) |
小角田庚申塔 |
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2004 |
高尾村 |
たかおむら |
上野 |
太田市(旧新田郡新田町高尾) |
地蔵尊の側面には上高尾高尾村念仏講中の文字がある.
"小角田村はなれ高尾村、中江田村"(上野下野道の記) |
龍徳寺高尾墓地 |
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1989 |
中江田村 |
なかえだむら |
上野 |
太田市(旧新田郡新田町中江田) |
江田は「塩原多助一代記」に出てくる.堂内の石地蔵は,中瀬の渡しに通じる辻にあった.
"中江田村 江田判官の領地"(上野下野道の記) |
辻地蔵堂 |
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2004 |
木崎駅 |
きざきえき |
多助, 黄薔薇, 上野, 太助伝 (他 東京1件) 全4件4題 |
太田市(旧新田郡新田町木崎) |
例幣使街道の宿.木崎は女郎が多く,「おさん茂兵衛」にも出てくる.下町の色地蔵は女郎の信仰厚かった."男通ればニコニコ笑い,女通れば石もて投げる"(木崎音頭).
"木崎駅にて休み、 高尾より八町"(上野下野道の記) |
木崎宿色地蔵 |
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2004 |
医王寺 |
いおうじ |
上野 |
太田市(旧新田郡新田町木崎) |
天台宗医王寺.現存するが無住のよう.一隅を照らす炎がめらめらと燃えている.
"天台宗 東光山医王寺 駅の入口 薬師堂あり"(上野下野道の記) |
医王寺 |
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2004 |
木崎大明神 |
きざきだいみょうじん |
上野 |
太田市(旧新田郡新田町木崎) |
貴先神社.お后が由来で木崎に転じたという.
"鎮守は祭日九月廿九日 木崎大明神 大黒天なり"(上野下野道の記) |
貴先神社 |
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2004 |
板橋 |
いたばし |
上野 |
太田市藤阿久町か |
おそらく椿森橋,川は蛇川.
"板橋を渡り、人力車にて 三十町 来たれば太田駅なり"(上野下野道の記) |
椿森橋 |
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2003 |
太田駅 |
おおたえき |
伊香保, 黄薔薇, 上野, 太助伝 (他 東京1件) 全3件3題 |
太田市 |
圓朝の泊まった芭蕉屋は本町20(今井金吾,今昔三道中独案内,JTB出版(1978)).本陣跡は本陣市営住宅や行政施設になっている.跡形もなく壊しておき,跡地の碑を作るなど,ぬけぬけしたもの.
"来たれば太田駅なり、はせを屋翁助方に泊まりぬ"(上野下野道の記) |
太田宿本陣跡 |
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2008 |
大光院新田寺 |
だいこういんにったじ |
上野 (他 東京4件) 全4件2題 |
太田市金山町 |
大光院(→ 名どころ).徳川家康が新田氏追善のために創建.十八檀林の一つ.
"義重山大光院新田寺 呑龍上人開山なり"(上野下野道の記) |
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金山 |
かなやま |
多助, 上野 (他 東京4件) 全5件4題 |
太田市 |
太田の北方.整備されすぎの感の金山城址と新田神社がある.「霧陰伊香保湯煙」の新田山は別称.
"八町程金山の方に入る。赤松山見ゆる"(上野下野道の記) |
金山 |
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1999 |
赤松山 |
あかまつやま |
上野 |
太田市 |
赤松の生えた山のことか.将軍献上の御松茸林.
"八町程金山の方に入る。赤松山見ゆる"(上野下野道の記) |
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鐘楼堂 |
しゅろうどう |
上野 |
太田市金山町 |
大光院内に現存.
"鐘楼堂あり"(上野下野道の記) |
大光院 鐘楼 |
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1999 |
臥竜松 |
がりょうまつ |
上野 |
太田市金山町 |
岩波版のルビは,ぐわりうまつ.大光院内に現存.呑龍お手植えという.ならば樹齢400年.
"中門の傍らに臥龍松は 右の方也"(上野下野道の記) |
大光院 臥龍松 |
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1999 |
新田義貞の御霊殿 |
にったよしさだのごれいでん |
上野 |
太田市金山町 |
岩波版の表記は,新田義□の御霊殿.現 新田神社.金山山頂.石段を横切っているのは樹齢800年の金山の大ケヤキ.
"新田義貞の御霊殿は山の中央にあり"(上野下野道の記) |
新田神社 |
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1999 |