HOME >> 下新田日記 >> prev 2日目 next
2日目     下新田日記 本文


 1893(明治26)年9月19日
 渋川〜沼田


 前回はさっと通り過ぎた沼田市内をじっくり見物する.圓花の歌は師匠に対抗して詠んだもの.
  沼田なら畑ちがひとおもひしに
   鶏鍋は葱香々は茄子   (圓花)

             − 沼田 −


地点名 出典と登場回数 位 置 備 考 写真と撮影年
須賀神社 すがじんじゃ 下新田 渋川市 八坂神社.鎮守で祭が盛ん.そのわりには小社.燈籠,石祠などを探したがめぼしい物なし.
"鎮守須賀神社にて、毎年九月一日、二日祭礼にて"(下新田日記)
八坂神社 2003
中郷村 なかさとむら 下新田 渋川市(旧北群馬郡子持村中郷) 中郷(なかごう).吾妻川を渡り,利根川右岸,現在の子持村を北上.雙林寺は後出.
"中郷村、家まばらにて淋しき所(ち)なり"(下新田日記)
中郷バス停 2003
上白井 かみしらい 下新田 渋川市(旧北群馬郡子持村上白井) 上白井(かみしろい).さらに北上.特に見るべきものなし.
"又登りて上白井の倉沢山にかかりて"(下新田日記)
上白井 1999
倉沢山 くらさわやま 下新田 渋川市(旧北群馬郡子持村上白井) 暮沢.特に見るべきものなし.
"倉沢山にかかりて、堀建の出茶屋あり"(下新田日記)
暮沢バス停 1999
棚下村 たなしたむら 上野, 下新田 渋川市(旧勢多郡赤城村棚下) → 上野.棚下不動の滝は巨大な裏見の滝.
"是より下る道なり。やうやう棚下村まで来たり"(下新田日記)
     
新橋 しんばし 下新田   「上野下野道の記」にも新橋が出てくる."利根川の分流に"架橋とある.新橋→棚下→綾戸橋の順に記述されているが疑問が残る.倉沢は利根川右岸に対し,突然,利根川左岸の棚下に至っている.新橋に相当する利根川に架かる橋はなく,以下の綾戸橋と戸鹿野橋で2回利根川を渡るのも奇妙.
"戸根川の分流に新橋を架けて橋銭をとる"(下新田日記)
     
綾戸橋 あやとばし 下新田 渋川市(旧北群馬郡子持村上白井〜旧赤城村棚下) 1893(明治26)年に架橋と文献にあったが,圓朝自身が明治25年に渡り初めと書いているのでこちらが正しそう.現在の綾戸橋は1980年の架橋で,やや下流に位置する.
"また車を走らせて綾戸橋を渡りて"(下新田日記)
綾戸橋 1999
子持山 こもちやま 伊香保, 多助, 草三, 上野, 下新田 全3件3題 沼田市,渋川市 → 上野.沼田市と渋川市(旧小野上村)との境.小野子山の東.1296m.
"西の方は子持山の山脉にして"(下新田日記)
     
岩本村字綾戸 いわもとむらあざあやど 下新田 沼田市岩本町 十八坂越えを避けるため綾戸の岩場をうがって穴道が造られた.さらにそれが拡幅され人馬が通るようになる.現在は別の綾戸隧道が貫通している.車社会の現在,歩いて越えるのは恐ろしかった.
"見下ろす流れは戸根の川上にして、岩本村字綾戸と云ふ"(下新田日記)
綾戸隧道標 1999
戸鹿野橋 とがのばし 下新田 沼田市屋形原町〜新町 もとは江戸期の架橋.実はこの鉄橋も産業遺跡に値するような工法の橋という.
"此所より岩本までいそぎ、戸鹿野橋を渡る"(下新田日記)
戸鹿野橋 1999
上の町 かみのまち 下新田 沼田市上之町 以下,沼田の町割などの聞書.上之町(かみのちょう)は沼田の中心地,迦葉山の大天狗が飾ってある.
"此の地は沼田分にして上の町にいでるが本道なれど"(下新田日記)
上之町交差点 1999
馬喰町 ばくろまち 下新田 沼田市馬喰町 南東部.大間々へ抜ける道路沿い.
"上の町の間を通る所を馬喰町と申すなり"(下新田日記)
馬喰町バス停 1997
沼田市仲丁 ぬまたいちなかちょう 下新田 沼田市中町 中之町(なかのちょう).上之町の西に連なる.圓朝が宿泊した大竹屋は中之町.
"やうやうと十二時に沼田市仲丁の大竹屋と云ふ旅籠屋に着きたり"(下新田日記)
中之町バス停 1999
大竹屋 おおたけや 多助, 上野, 下新田 沼田市 → 上野.沼田中之町の旅館.「上野下野道の記」でも圓朝が投宿.
"やうやうと十二時に沼田市仲丁の大竹屋と云ふ旅籠屋に着きたり"(下新田日記)
     
原町 はらまち 上野, 後日譚(岩波), 下新田 全1件1題 沼田市か → 上野.沼田市内に近そうな記述.今の原町は当時は原村.原新町の東木戸は原町木戸,用水は原町用水と呼ばれる.
"九年前に当家に二泊りして原町の塩原左兵衛と申す人を呼びに遣して"(下新田日記)
     
下町 しもまち 下新田 沼田市下之町 下之町(しものちょう).写真の天王石は中町の牛頭天王の旧地を示し,御旅所となる.
"それより下町に往き捜せば、北側に紙糸商にて油も売る店あり"(下新田日記)
天王石 1999
馬出 うまだし 下新田 沼田市西倉内町,下之町 町北西部."神明あり,城より馬を出す"とある.何もない.
"其の店(や)を出でて、馬出といふ横町に入りたり"(下新田日記)
     
旧城 きゅうじょう 多助, 多助(後日譚), 下新田 全3件2題 沼田市西倉内町 土岐家3万5千石で幕末.典型的な崖城で天守を持たない.現在は沼田公園となり,再建した鐘楼が目立つ.
"その所は旧城より御乗馬を引き出だしたる故名とす"(下新田日記)
     
鎮守の社 ちんじゅのしゃ 下新田 沼田市西倉内町 文政11(1828)年建.西倉内町にあったが,1995年に沼田台地遙か西のメモリアルパーク(下川田町)へ移転した.
"それより鎮守の社に入る。石の鳥居をくぐり敷石伝ひに往く"(下新田日記)
勝軍地蔵堂 1999
雨宝殿 うほうでん 下新田 沼田市西倉内町 額は前項の勝軍地蔵堂にかかる.銘の頼知は土岐公.
"額面に雨宝殿(うほうでん)とあり。頼知(よりとも)書とあるは何人なるや不知"(下新田日記)
雨宝殿扁額 1999
神明の社 しんめいのやしろ 下新田 沼田市西倉内町 こちらは移転せず現存.沼田市役所の南西.
"又馬出しには神明の社ありて大樹七、八本茂り"(下新田日記)
神明宮 1999
倉内町 くらうちまち 下新田 沼田市東倉内町,西倉内町 沼田城に近い武家地.明治期に町立て.学校,市役所などがある.
"倉内町へ入れば、旧幕の頃は重役奉行所、又下役の屋舗ありし所"(下新田日記)
御搗家稲荷 1999
大手町 おおてまち 下新田 沼田市 旧大手の所.沼田小学校に小さい石柱があり,冠木門まで作られている.
"旧大手の有りし所を大手町と云ひ"(下新田日記)
大手跡石柱 2003
御殿 ごてん 下新田 沼田市西倉内町 沼田城を御殿と呼んだ.
"御城と申さず御殿と云ふは土肥公の在られたる所也"(下新田日記)
     
尋常高等学校 じんじょうこうとうがっこう 下新田 沼田市 沼田小学校は,当時利根第一尋常小学校.尋常高等小学校だったかは未確認だが,後に高等科を併設していることは確か.
"当今尋常高等学校と成りたり"(下新田日記)
     
材木町 ざいもくちょう 下新田 沼田市材木町 馬喰町の東.寺町.
"それより材木町を通れば警察署あり"(下新田日記)
材木町バス停 1999
警察署 けいさつしょ 下新田 沼田市 材木町にあったという.
"それより材木町を通れば警察署あり"(下新田日記)
     
鍛冶町 かじまち 下新田 沼田市鍛冶町 下之町から戸鹿野橋への道に沿った南北に長い町.
"鍛冶町より袋町"(下新田日記)
鍛冶町 2003
袋町 ふくろまち 下新田 沼田市鍛冶町 鍛冶町北部の路地.
"袋町、馬食町"(下新田日記)
子の権現より 1999
餌差町 えさしまち 下新田 沼田市西原新町,材木町 旧町名.西原新町から材木町の間の南北路.
"餌差町は材木町の分なり"(下新田日記)
餌差町 1999
坊新田町 ぼうしんでんちょう 下新田 沼田市坊新田町 『三遊亭円朝』では,"坊、新田町"とあったが,「演藝世界」原文では区切りがなく,坊新田町.成田不動金剛院の石燈籠は日本一.大きいことはいいことだ.
"其の他坊新田町、柳町"(下新田日記)
坊新田町 金剛院 2003
柳町 やなぎまち 下新田 沼田市柳町 沼田台地の北端.北へ下りる急坂が通じている.
"柳町、高橋場町"(下新田日記)
柳町 寺久保坂 1999
高橋場町 たかはしばまち 下新田 沼田市高橋場町 柳町の南.用水に架かる橋にちなむ地名という.
"高橋場町、原新町"(下新田日記)
高橋場バス停 1997
原新町 はらしんまち 下新田 沼田市東原新町,西原新町あたり 東西の原新町がある.沼田の東を限り,原町木戸があった.
"原新町と見物致し、やうやう大竹屋に帰りたり"(下新田日記)
原新町郵便局 1997
榛名神社 はるなじんじゃ 下新田 沼田市榛名町 沼田の鎮守.台地の北西部の斜面に位置する.
"此の地の総鎮守は榛名神社なり"(下新田日記)
榛名神社 1999
榛名町 はるなまち 下新田 沼田市榛名町あたり 榛名神社周辺.沼田台地西部.
"故に榛名町といふは大手町を西にとりて"(下新田日記)
榛名町 1999
さか 下新田 沼田市榛名町 沼田の台地西側を北へ下る坂.今は榛名坂と呼ばれる坂のことだろう.
"大手町を西にとりて、坂を下りて馬庭村に往く道なり"(下新田日記)
榛名坂 1999
馬庭村 まにわむら 下新田 利根郡みなかみ町(旧月夜野町真庭) 真庭.真庭名主,松井市兵衛は越訴により処刑された.お堂と刑場跡がある.
"坂を下りて馬庭村に往く道なり"(下新田日記)
義民市兵衛刑場跡 1999
正覚院 しょうがくいん 下新田 沼田市鍛冶町938 浄土宗正覚寺.関ヶ原の戦で,一族敵味方となった真田信幸の妻の墓がある.
"当地の寺院は、浄土宗にて正覚院は鍛冶町に在り"(下新田日記)
正覚寺 1997
三光院 さんこういん 下新田 沼田市柳町392 天台宗三光院.柳町への道路の北側.沼田城の鬼門を守る.
"柳町を入れば天台宗にて三光院あり"(下新田日記)
三光院 1997
中島 なかじま 下新田 沼田市材木町 天桂寺周辺の滝坂川などの水路に囲まれた土地.
"中島には天桂寺とて禅寺あり"(下新田日記)
天桂寺周辺の滝坂川 1999
天桂寺 てんけいじ 下新田 沼田市材木町309 曹洞宗天桂寺.沼田二代城主真田信吉の宝篋印塔がある.
"中島には天桂寺とて禅寺あり"(下新田日記)
天桂寺 1999
平等寺 びょうどうじ 下新田 沼田市西原新町131 真宗大谷派平等寺.訪れるたびに手書きの法語が掲げられていた.
"原新町には入口に平等寺といふ門土寺あり"(下新田日記)
平等寺 1999
常楽院 じょうらくいん 下新田 沼田市柳町 常楽院で正しい.現在は真言宗歓楽院と称する.千手観音が本尊.
"柳町の坂傍(ぎわ)に常楽院"(下新田日記)
歓楽院 1997
光清寺 こうせいじ 下新田 沼田市材木町22 浄土真宗本願寺派,善照山光清寺.
"餌さしまちに光清寺、浄林寺、長寿院等あり"(下新田日記)
光清寺 1997
浄林寺 じょうりんじ 下新田 沼田市材木町15 曹洞宗慈眼山舒林(じょりん)寺.大寺.若山牧水が歌をしたためた番傘を模した碑がある.
"餌さしまちに光清寺、浄林寺、長寿院等あり"(下新田日記)
舒林寺 2003
長寿院 ちょうじゅいん 下新田 沼田市材木町10 天台宗長寿院.提灯の下がるお堂は二十三夜堂.
"餌さしまちに光清寺、浄林寺、長寿院等あり"(下新田日記)
長寿院 2003
 −経路外−
糸の瀬村 いとのせむら 下新田 利根郡昭和村 『三遊亭円朝』では,糸の瀬川.「演藝世界」原文では糸の瀬村.川を探していたので,「三遊亭円朝」でのこの誤植には参った.糸井,貝之瀬で糸之瀬村,さらに久呂保村が合併して現在の昭和村となる.
"此の川は北瀬田郡糸の瀬村の川つづきにて"(下新田日記)
     
片品川 かたしながわ 多助, 上野, 太助伝, 下新田 全1件1題 沼田市〜利根郡昭和村 → 圓朝.
"日光の片品川より流れ"(下新田日記)
     
越後川 えちごがわ 下新田 群馬県か 利根川の本支流だろうと思うが,不明.
"又一筋は越後川赤岩川と加流して戸根川に落つるなり"(下新田日記)
     
赤岩川 あかいわがわ 下新田 利根郡みなかみ町(旧月夜野町) 赤谷川.
"又一筋は越後川赤岩川と加流して戸根川に落つるなり"(下新田日記)
     
赤城山 あかぎやま 伊香保, 草三 など (他 東京8件, 上方2件) 全16件12題 前橋市など → 上野.三階の宿屋から眺めた景色の描写.
"左右の障子を開放(あけはな)して見下ろしければ、南は赤城山"(下新田日記)
     
清水越 しみずごえ 下新田 群馬県 三階の宿屋から眺めた景色の描写.上杉謙信が越えて関東に入った清水峠.三国峠に地位を奪われたが,再び新幹線と関越道が通る.トンネルは大清水(だいしみず)だが,売ってる水はなぜか大清水(おおしみず).
"西に子持山、北の方に清水越の新道を見て"(下新田日記)
大清水峠を望む 1999
保高山 ほたかやま 多助, 上野, 下新田 全1件1題 利根郡みなかみ町(旧水上町) → 上野.武尊山.三階の宿屋から眺めた景色の描写.
"東は保高山なり"(下新田日記)
     
羽場村 はばむら 下新田 利根郡みなかみ町(旧新治村羽場) 塩原太助の出身地.
"其の羽場村の下新田に、今に多助の産まれました家あり"(下新田日記)
羽場バス停 1999
浅草 あさくさ 心眼, 八景 など (他 東京296件, 上方5件) 全324件174題 東京都台東区浅草あたり → 名どころ.沼田の宿で給仕に出た,芸者あがりの女の出身地.
"東京浅草の者にて、調子は好けれどおつな素性なり"(下新田日記)
     
市川 いちかわ 粟田口, 孝子, 八景, 下新田 (他 東京1件) 全5件4題 千葉県市川市 泊まった宿で,圓朝のことを,役者の市川九蔵だと勘違いしたエピソード.江戸川を挟み,市川・小岩の関所があった.
"九蔵とは市川辺でいふべきを 此所は戸根川坂東太郎"(下新田日記)
     

掲載 050916/最終更新 220201

   表の項目の説明

HOME >> 下新田日記 >> prev 2日目 next