HOME >> 下新田日記 >> prev 3日目 next
3日目     下新田日記 本文


 1893(明治26)年9月20日
 下新田


 いよいよ塩原本家を訪れ,菩提寺での法要の後,もてなしをうける.寺社の様子は今も変わりないが,墓域は大分異なっていた.
  鶴の千代龜のよろづよつきたさん
   八十八を數とりにして (塩原太助)

               −下新田−


地点名 出典と登場回数 位 置 備 考 写真と撮影年
心清寺 しんせいじ 下新田 利根郡みなかみ町(旧月夜野町真庭) 臨済宗真政寺.真庭にある無住の小さな寺だが,本尊薬師如来が安置されている.郷土史家の方に案内していただかなければ判らなかった.
"此の村に心清寺と云ふ禅寺あり"(下新田日記)
真政寺 1999
臼根川 うすねがわ 下新田 群馬県か 薄根川.実在するが,実際に渡るのは大沢田川.
"此の村を出でて半道ばかり、臼根川を渡ると"(下新田日記)
大沢田川 1999
五観村 ごかんむら 下新田 利根郡みなかみ町(旧月夜野町後閑) 後閑.沼田と月夜野の間 .
"臼根川を渡ると五観村也"(下新田日記)
JR 後閑駅 1999
月夜野橋 つきよのばし 下新田 利根郡みなかみ町(旧月夜野町後閑〜月夜野) 利根川に架かる.渡ったところに千日堂.将軍に悪政を直訴した茂左衛門を祀る.天下の義人茂左衛門(上毛かるた).
"戸根川の上に月夜野橋を架けたり"(下新田日記)
月夜野橋 1999
滝坂 たきさか 下新田 沼田市 榛名町から清水町にかけてのすごい急坂.滝のように水が流れている.
"昔沼田村より下新田(羽場村)迄往くには、滝坂を下りて"(下新田日記)
滝坂 1997
熊野神社 くまのじんじゃ 下新田 利根郡みなかみ町(旧月夜野町月夜野)か 不明.八幡神社(上津1234)はある.
"鎮守は熊野神社、如意輪寺といふ禅寺あり"(下新田日記)
八幡神社 1999
如意輪寺 にょいりんじ 下新田 利根郡みなかみ町(旧月夜野町月夜野)か 禅寺とあるので,曹洞宗如意寺(上津2313)で間違いなかろう.
"如意輪寺といふ禅寺あり。毎年十二月に歳の市ありて群集するといふ"(下新田日記)
如意寺 1999
赤岩川 あかいわがわ 下新田 利根郡みなかみ町(旧月夜野町月夜野) 月夜野から下新田に向かう赤谷川には,赤岩ではなく,色違いの黒岩がある.赤谷川そのものの誤記かも.
"此の川は三国の赤岩より流れる水なれば赤岩川と申すなり"(下新田日記)
黒岩八景 1999
庚申塚 こうしんづか 多助, 後日譚, 下新田 全2件2題 利根郡みなかみ町か 本文には宝暦4年の銘があり,道の右の方と書いてある.見あたらなかった.
"庚申塚、横に埋づまりしを見たりしが、塩原多助を原丹治が待ちぶせしてをりしは此処ならんと見て過ぎぬ"(下新田日記)
     
山王権現 さんのうごんげん 下新田 利根郡みなかみ町(旧新治村羽場) 日枝神社,上の山王.太助公園から北へはいったところ.
"初代多助再建の社は山王権現(日枝神社)なり"(下新田日記)
上の山王 1999
山王の神社 さんのうのじんじゃ 下新田 利根郡みなかみ町(旧新治村羽場) 日枝神社,中の山王.こちらは月夜野方向へ行った別の神社.
"裏山に登り杉の林の下路を往く。此処は山王の神社なり"(下新田日記)
中の山王 1999
戒断石 かいだんせき 下新田 利根郡みなかみ町(旧新治村羽場1792) 光福寺門前に現存.本文には月秀とあるが,正しくは月舟と彫ってある.
"左の方に苔むしたる戒断石あり。石面に葷酒不許入山門と深く彫刻(ほり)付けたるは月秀書とあり"(下新田日記)
広福寺戒断石 1999
広福寺 こうふくじ 下新田 利根郡みなかみ町(旧新治村羽場1792) 東谷山広福禅寺.寺に馬頭観世音の塚は見あたらない.壁観などの額は堂内にかかっている.
"玉泉寺末にして、広福寺とて曹洞宗の禅林なり"(下新田日記)
広福寺本堂 1999
荒巻村 あらまきむら 下新田 利根郡みなかみ町(旧新治村新巻) 新巻.ひなびた湯宿温泉がある.
"第一に荒巻村の下条善十郎"(下新田日記)
湯宿温泉源泉 1999
初代多助の墓 しょだいたすけのはか 下新田 利根郡みなかみ町(旧新治村羽場) 塩原家を南にとった道路際.初代の墓は見あたらなかった.
"中に五碑、後ろに五碑、前右の角が初代多助の墓にて"(下新田日記)
塩原家墓所 1999
 −経路外−
三国道 みくにみち 下新田 利根郡みなかみ町(旧月夜野町月夜野) 月夜野橋を渡ったところから三国峠へ通じる.
"記者いふ此処に三国道等の里程あり略す"(下新田日記)
三国街道 1999
清水道の新道 しみずみちのしんどう 下新田 利根郡みなかみ町(旧月夜野町後閑) 1885(明治18)年に清水越の新道が完成.
"橋手前より真直に行けば清水道の新道なり"(下新田日記)
     
長井 ながい 後の文治, 下新田 全1件1題 利根郡みなかみ町(旧新治村永井) 「後の業平文治」にも登場する地名.三国街道永井宿.現在の三国街道(国道17号)から外れているので,町並みとしては変わっていない感じ.さらに奥には木造の法師温泉.
"三国道の長井迄五里"(下新田日記)
     
湯美増村 ゆみますむら 下新田 利根郡みなかみ町(旧水上町湯桧曽) 湯桧曽(ゆびそ).水上のさらに奥,落人伝説に由来する温泉郷.
"清水道の湯美増村迄も五里といふ"(下新田日記)
湯桧曽温泉 1999
三国の赤岩 みくにのあかいわ 下新田   赤谷のことか.
"此の川は三国の赤岩より流れる水なれば赤岩川と申すなり"(下新田日記)
赤谷集落を望む 1999
本所相生町 ほんじょあいおいちょう 後の文治, 後日譚, 下新田 など (他 東京6件) 全13件8題 東京都墨田区両国,緑 → 名どころ.「ぼんぼん唄」でピンと来れば幸い.江戸一番の踊りは相生町〜.
"見るに筆太にて東京本所相生町塩原多助墓と書きたり"(下新田日記)
     
久松町 ひさまつちょう 船徳, 下新田 (他 東京1件) 全2件2題 東京都中央区日本橋久松町 → 名どころ.近くに浜町の清正公(清正公酒屋).
"拙者(わたくし)は東京久松町の塩原の六代目に当たります孝太郎と申すものの縁類の者で"(下新田日記)
     
江戸 えど 牡丹, 累ヶ淵 など (他 東京1038件, 上方64件) 全1193件426題 東京都 → 名どころ.
"太助は江戸へ出でて薩摩公の馬屋の別当に使はれし故"(下新田日記)
     
両国 りょうごく 月の鏡, 多助 など (他 東京137件, 上方3件) 全157件83題 東京都墨田区 → 名どころ.中央区側か墨田区側(向こう両国)か判断がつかないときは,墨田区側にした.
"両国のすすみ舟より舟へふね かせさえはしの下を通さず"(下新田日記)
     
から崎の松 からさきのまつ 紙屑のよりこ, 鶴殺 など (他 東京11件, 上方5件) 全20件8題 滋賀県大津市唐崎あたり 塩原家で目にした短冊に書かれた狂歌.唐崎神社に植えつがれた唐崎の松がある.
"から崎の松に今宵の時鳥 音をききによる雨のふるさと"(下新田日記)
     
総林寺 そうりんじ 下新田 渋川市(旧北群馬郡子持村中郷2399) 雙林寺.白井村にある巨刹.その山門は見事な建築.
"惣本寺は白井村の総林寺末"(下新田日記)
雙林寺山門 1999
下牧村 しもまきむら 下新田 利根郡みなかみ町(旧月夜野町下牧) 月夜野の北."しもむく"と読むと思っていたら"しももく"が正しい.
"下牧村なる玉泉寺末にして"(下新田日記)
下牧を望む 1999
玉泉寺 ぎょくせんじ 下新田 利根郡みなかみ町(旧月夜野町下牧2391) 玉泉寺門前には,芸術売買を禁ずの碑.平たく言えば旅芸人お断り.
"下牧村なる玉泉寺末にし"(下新田日記)
玉泉寺禁藝術賣買碑 1999
吾妻郡岡崎新田 あがつまごおりおかざきしんでん 伊香保, 下新田 全1件1題 吾妻郡東吾妻町(旧東村岡崎) 岡上用水をつくって岡崎新田を開いた代官岡上(おかのぼり)生祠がある.
"吾妻郡(大字分家)岡崎新田荒木彦六"(下新田日記)
     
後閑村 ごかんむら 下新田 利根郡みなかみ町(旧月夜野町後閑) 既出.
"後閑村の櫛淵太左衛門"(下新田日記)
     
市谷柳町 いちがややなぎまち 下新田 東京都新宿区市谷柳町 「五人廻し」に出てくる京橋柳町とは別の地名.
"長太郎は東京(旧江戸)市谷柳町とも云ひ"(下新田日記)
     
山伏町 やまぶしちょう 下新田 (他 東京1件) 全1件1題 東京都新宿区市谷山伏町 → 名どころ.こちらも「ちきり伊勢屋」などに出てくる下谷の山伏町とは別の地名.
"江戸市谷柳町或は山伏町の横町に住みしともいふ"(下新田日記)
     
吾妻郡香才村 あがつまぐんこうさいむら 下新田 利根郡みなかみ町(旧月夜野町師田) 香才ヶ原(こうさいがはら).県道36号から南の枝道をずんずん入る.多助が青と別れた松は,金比羅峠にもある.
"馬をつなぎし場所は、吾妻郡香才村"(下新田日記)
塩原太助別れの松 2003
雨の宮 あめのみや 下新田 利根郡みなかみ町か 金比羅峠の堂のことか.
"雨の宮の前なる松に馬を繋ぎ置きて逃げ去りしともいふなり"(下新田日記)
     
横堀村 よこぼりむら 後の文治, 多助, 後日譚, 下新田 全3件3題 渋川市(旧北群馬郡子持村横堀) 「後の業平文治」などにも登場する地名.三国街道の宿.本陣跡や民家石垣が残る.
"横堀村と中山峠の中間(あいだ)に掛茶屋ありて"(下新田日記)
     
中山峠 なかやまとうげ 後日譚(岩波), 下新田 全1件1題 吾妻郡高山村 「塩原多助後日譚」にも登場する地名.三国街道.峠の鞍部ははっきりしない.ここの南,通り抜けできない旧道に入ってすぐに塩原太助接待茶屋跡.峠には聖護院門跡,道興准后の歌碑.
"横堀村と中山峠の中間(あいだ)に掛茶屋ありて"(下新田日記)
     
掛茶屋 かけちゃや 後日譚, 下新田 全1件1題 吾妻郡高山村茶屋ヶ松 「塩原多助後日譚」にも登場する地名.塩原太助寄進の銅釜(太助記念館で展示)をかけた茶屋があった.銅釜には塩原と轡紋(○に+)の文字.
"横堀村と中山峠の中間(あいだ)に掛茶屋ありて"(下新田日記)
     
臼根村大字恩田村 うすねむらおおあざおんだむら 下新田 沼田市恩田町 太助寄進の中山峠の接待茶釜が,質入れされた先という.
"臼根村大字恩田村の高橋又右衛門(質店)方にあり"(下新田日記)
恩田交差点 1999
越後 えちご 札所, 鰍沢二 など (他 東京59件, 上方6件) 全78件51題 新潟県 塩原家でのもてなしの場面.みりんの入った徳利からは,死んだハエが三匹でてきて辟易する.
"越後の味淋酒をとり出だしての饗応(もてなし)に"(下新田日記)
     
小川村 おがわむら 多助, 草三, 上野, 太助伝, 下新田 全4件3題 利根郡片品村 → 上野.東小川から金精峠への道は明治6年に開通した.それまでは杣人さえ迷うような悪路だった.
"近年東入りの小川村の温泉の北の方の山より銅山を発見したり"(下新田日記)
     
銅山 どうざん 下新田 群馬県か 不明.
"近年東入りの小川村の温泉の北の方の山より銅山を発見したり"(下新田日記)
     
日光 にっこう 伊香保, 多助 など (他 東京29件, 上方1件) 全40件25題 栃木県日光市 → 上野.「上野下野道の記」7日目は日光名所めぐり.
"道路日光の方まで開き、馬の通ふ事は日々七十頭に過ぎるといふ"(下新田日記)
     
碓氷峠の熊野権現 うすいとうげのくまのごんげん 下新田 安中市(旧碓氷郡松井田町),長野県北佐久郡軽井沢町 鳥居から本殿まで全て群馬長野両県にまたがって建っている.どこかの国境の会談テーブルみたい.
"多助は、碓氷峠の熊野権現の別当曽根采女方へ申し入れて"(下新田日記)
碓氷峠 熊野神社 1998

掲載 060224/最終更新 220201

   表の項目の説明

HOME >> 下新田日記 >> prev 3日目 next