地点名 |
この1題・登場回数 |
位 置 |
備 考 |
写真と撮影年 |
茨城県 |
いばらきけん |
代書屋(大衆助六1:04) 1件1題 (東京1件) |
茨城県 |
茨城県(いばらきけん).難読.人々を悩ます土蜘の穴を,茨で作った城(柵)でふさいで退治したことが,地名の由来だという.地名発祥の地とされる石岡市茨城には,説明看板と,なぜか茨木というバス停がある.
茨城県の落語地名は,東西にジグザグと触れながら北から南へと流してゆく.
"俺らあ茨城県群馬郡埼玉村"(代書屋) |
いばらき"フラワーパーク |
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2023 |
常陸 |
ひたち |
高田の馬場(青金馬:10) など 13件6題 (圓朝6件, 東京7件) |
茨城県 |
旧国名.常陸国は,出雲や播磨とならんで,『風土記』が残されている数少ない土地になる.写真にうつる天平の昔を思わせる書体の碑文は,石岡市長の筆になる.常陸風土記の丘の入口に立てられている.
"はるゥかこれより東北にあたる、常陸の国は筑波山のふもとだ"(高田の馬場) |
「常陸風土記」 |
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2022 |
水戸街道 |
みとかいどう |
紋三郎稲荷(三一大系5:14) 1件1題 (東京1件) |
茨城県 |
交通渋滞みたいで語感が悪い.浜街道とでも言い換えればよいのに.
"一人で笠間を立ち水戸街道へ出まして取手のわたしをこえました"(紋三郎稲荷) |
水戸街道踏切 |
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2022 |
大津浜 |
おおつはま |
お楠物語 (初稿)(柳家小満ん口演用「てきすと」 32, てきすとの会 (2018)) |
北茨城市大津町 |
文政7年の大津浜事件.大津港富岡に上陸した英国船船員を拘留したが,船内に病人がいるとのことから,薪水食料を与えて船に帰した.港から五浦の方へ上る坂の途中に看板がある.
"一八二四年には常陸の大津浜の沖合にイギリスの捕鯨船二叟が停泊致しまして"(お楠物語 (初稿)) |
大津浜異国船上陸 |
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2019 |
袋田の滝 |
ふくろだのたき |
那智の滝(柳家小満ん口演用「てきすと」 12, てきすとの会 (2016)) |
久慈郡大子町袋田 |
久慈川の支流の滝川が4段になって落ち込む段瀑.茨城を代表する観光地で,日本三名瀑の一つとされる.真冬は凍りつき,アイスクライミングする人もいる.水郡線袋田駅から3キロも離れているのに,バスの便が悪く,便利な公共駐車場もない.茨城県の魅力度が低い原因は,こんなところにあるのかもしれない.
"実に有名なのが茨城の袋田の滝で厶いまして、落差120メートル、幅73メートル"(那智の滝) |
袋田の滝 |
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2005 |
西山 |
せいざん |
雁風呂(講明治大正2:22) など 3件1題 (東京3件) |
常陸太田市新宿町 |
水戸黄門が漫遊を終えて一戻りする西山荘.水郡線常陸太田駅から3km.そんなに遠いのに観光客でにぎわっている.見学有料.敷地内では撮影禁止.
"光圀卿が御隠居遊ばされまして、水戸の西山にいらされます故に西山公と仰せられました"(雁風呂) |
西山荘裏門 |
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2008 |
佐竹村岡部 |
さたけむらおかべ |
庖丁(集英圓生1:07) 1件1題 (東京1件) |
常陸太田市磯部町 |
初代都々逸坊扇歌の生地.「庖丁」で言っている岡部という地名は,磯部の誤り.碑は磯部町と上河合町との境に立つ.水郡線谷河原駅から500m.扇歌像と"磯部たんぼのばらばら松は風も吹かぬに気がもめる"の都々逸碑もある.
"都々逸坊扇歌という人で……。常陸の国大田在佐竹村岡部というところに(中略)生まれました"(庖丁) |
都々逸坊扇歌顕彰碑 |
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2008 |
天神林 |
てんじんばやし |
水戸黄門西国巡遊記, 駸々堂(1895) など |
常陸太田市天神林町 |
笑福亭松鶴(3)の水戸黄門漫遊記に登場.この噺,実は演者も松鶴ではなく,内容も講談.その割に出てくる地名はあてにならないものが多い.天神林は,光圀公の西山荘の南に位置する実在地名.天神バス停のそばにある佐竹寺は,坂東三十三ヶ所第22番札所.茅葺きの本堂は国重文.千社札がびっしりと貼られている.
"百姓風に三人ながら姿を変て光圀卿は太田の天神林村農夫光右衛門とお名乗りに相成り、助三郎は助八また格之丞は格八と何れも変名にて"(水戸黄門西国巡遊記) |
天神林 佐竹寺 |
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2014 |
常福寺 |
じょうふくじ |
鈴ふり(講古典艶:03) など 2件1題 (東京2件) |
那珂市瓜連1222 |
十八檀林の一つ.水郡線の瓜連駅が最寄り.十八檀林のなかでもっとも遠く,行っても自己満足しか…….
"ここを抜けると、瓜連の常福寺にはいる"(鈴ふり) |
常福寺 |
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2003 |
大洗 |
おおあらい |
ホラの種(大日本図書館07:06) 1件1題 (東京1件) |
東茨城郡大洗町 |
「ホラの種」は狂言をもとにした圓窓師の新作.大洗は海水浴場,水族館,大洗磯前神社と冬のあんこう鍋.
"先日も大洗に行ったんですが"(ホラの種) |
神磯鳥居 |
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2015 |
大洗さま |
おおあらいさま |
味噌蔵(講文庫4:21) など 3件3題 (東京2件, 上方1件) |
東茨城郡大洗町 |
奥に大洗磯前神社の鳥居が見える.茨城県を代表する民謡,磯節の発祥地.「味噌蔵」でも番頭が磯節を披露する."磯で名所は大洗さまよ…テヤテヤテヤ".
"磯で名所は大洗さまよ……おい、みんな、旦那がいないてえのはいいもんだなあ"(味噌蔵)
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磯節発祥の地碑 |
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1999 |
だいだら坊の像 |
だいだらぼうのぞう |
ホラの種(大日本図書館07:06) 1件1題 (東京1件) |
水戸市大串 |
ダイダラボッチの名前で知られる伝説の巨人.大串貝塚ふれあい公園に立つ,あらら,座る像.圓窓師が書いているように海岸にはなかったが,これのことだろう.
"海岸に<だいだら坊>という大男の像が立ってました"(ホラの種) |
だいだら坊の像 |
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1999 |
水戸 |
みと |
蜀山人(三一談志5:07) など 18件15題 (圓朝6件, 東京12件) |
水戸市 |
水戸といえば,納豆と偕楽園の梅.駅のキオスクにも納豆のお土産がぶる下がっている.日持ちするのかな?黒船来襲の際,御殿山あたりに釣鐘を並べて大砲に見せかけたマクラがある.水戸藩のアイデアだったか.写真にあるのは本物の大砲.
""小石川 本郷さして 鳩が二羽"……それから……。"水戸ポウに 加賀ポウ""(蜀山人) |
偕楽園常磐神社大砲 |
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2002 |
水戸:外袋町 |
− |
口数(中村金語楼1:1) 1件1題 (東京1件) |
水戸市か |
金語楼の新作一件のみ.読みは,とぶくろちょうか.何かのもじりか? どぶろく町?
"茨城県水戸市外袋町の、オイ、私は口入屋じゃアないよ"(口数) |
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水戸:大浜 |
おおはま |
花筏(弘文柳枝:09) 1件1題 (東京1件) |
水戸市か |
「花筏」の相撲興行は銚子か水戸.大浜は不明."水戸を離れて東へ三里"と磯節に歌われ,殷賑を極めた祝町遊廓があるように,大洗のことではないか.
"水戸の大浜てえところは、漁場でございますから、力の強いお方がどっさりおいでになります"(花筏) |
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笠間 |
かさま |
紋三郎稲荷(三一大系5:14) など 6件5題 (圓朝4件, 東京2件) |
笠間市 |
見どころは笠間稲荷に美術館,名産は笠間焼.「紋三郎稲荷」の主人公は,笠間藩牧野氏の家臣.江戸へ向かう途中,駕籠屋に笠間稲荷の眷属だと軽い気持ちでからかうと,駕籠屋に本気にされ,やむなく狐のふりをする噺.街道と松戸宿が舞台となる.
"牧野の藩中ではないが笠間のものである"(紋三郎稲荷) |
笠間焼大徳利 |
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2004 |
笠間城 |
かさまじょう |
紋三郎稲荷(青圓生12:04) 1件1題 (東京1件) |
笠間市笠間 |
笠間市街北方の山城.頂上は佐志能神社.城好きにはお勧め.
"常陸の笠間城、ここは牧野越中守貞明というかたが城主でございまして八万石"(紋三郎稲荷) |
笠間城址 |
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2004 |
笠間稲荷 |
かさまいなり |
紋三郎稲荷(青圓生12:04) など 5件2題 (東京5件) |
笠間市笠間 |
紋三郎稲荷や胡桃下稲荷は笠間稲荷の別名.菊人形と菊祭りが名物.絵馬堂に浪曲師や伊藤痴遊らの名が刻まれた額が残っている.年号を確認していないが,初代伊藤痴遊[慶応3-1938]だったら政治講談でならした人.衆議院議員の経験もあり,痴遊雑誌(復刻版)や全集がある.
"いかにも、わしは紋三郎の眷属である"(紋三郎稲荷) |
笠間稲荷奉納額 |
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2004 |
桜川 |
さくらがわ |
侠客小金井桜(毎日新聞 (1898)) |
桜川市 |
サクラの名所.白山桜が主体.これを隅田川や上野,小金井に移植したという.天然記念物で名勝.世阿弥の謡曲桜川の舞台.
"大和国吉野山の桜、常陸国桜川の桜の苗など、数千本を取寄せて"(侠客小金井桜) |
名勝桜川碑 |
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2019 |
葦穂山 |
あしほやま |
水戸黄門西国巡遊記(駸々堂 (1895)) |
石岡市,桜川市 |
標高628m.筑波山と加波山の間.現在は足尾山と呼ばれる.山頂に足尾山神社奥宮.台石には古名の葦穂山の文字が見られる.醍醐天皇が足の病を平癒の祈願をしたことから,今も草鞋奉納所には登山靴などが納められている.
"葦穂山を越え、雫の森を経て下妻から宍戸"(水戸黄門西国巡遊記) |
足尾山頂 |
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2019 |
雫の森 |
しづくのもり |
水戸黄門西国巡遊記(駸々堂 (1895)) |
石岡市,桜川市 |
下妻へ向かう行程とは合わないが,志筑のことではないか.師付の田井は,恋瀬川のそばの水田にある.説明板によると,1973年まで鹿島やわらと称して,湿原の中に底知れずの井戸があったという.
"葦穂山を越え、雫の森を経て下妻から宍戸"(水戸黄門西国巡遊記) |
師付の田井 |
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2016 |
石岡 |
いしおか |
庖丁(集英圓生1:07) など 3件3題 (圓朝1件, 東京2件) |
石岡市 |
石岡といえば,常陸出身の盲目の音曲師,初代都々逸坊扇歌が没したところ.駅そばの国分寺(府中5)に扇歌堂と墓(旧千手院)がある.
"扇歌の第二の故郷でしょう石岡というところに、これが扇歌のやったものだというのが残っておりましたそうで"(庖丁) |
都々逸坊扇歌墓 |
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1985 |
筑波 |
つくば |
続噺柳糸筋(立名人名演01:05) など 8件6題 (圓朝3件, 東京5件) |
つくば市の北部 |
合併前の筑波町.北条から一直線に神社に道が続いており,神社前に遊廓があった.今の観光道路に出る直前は石段になっていて,旧筑波山郵便局や筑波山荘YHなどがある.神橋は三代将軍家光公寄進の屋根付きの橋で,県文化財.祭りの日に渡れるという.
"筑波に近い関宿まで、流れ渡りのやもめ鳥"(続噺柳糸筋) |
筑波山神社神橋 |
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2009 |
筑波山 |
つくばさん |
がまの油(講昭和戦前3:03) など 79件41題 (圓朝15件, 東京64件) |
つくば市,桜川市,石岡市 |
江戸の丑寅彼方にそびえる双耳峰.「蟇の油」の口上,筑波颪,陽成院の筑波嶺など頻出.ガマ口上碑は筑波山梅林そばの空き地にあり,近くには永井兵助銘のガマ口上発祥之地碑もある.口上の文句は落語とはちょっと違う."さあさあお立合い御用とお急ぎのない方はゆっくりと聞いておいで 遠目山越え笠のうち聞かざる時は物の黒白と理方善悪がとんと分らない 山寺の鐘がゴーンゴーンと鳴ると雖も童子来って鐘に撞木を当てざれば鐘が鳴るのか撞木が鳴るのかとんとその音色がわからない……".レトロな感覚で売っていたガマ公園で実演していたはずだが,公園自体どうなってしまったのか.
"こーのがまのすむところは、これより北は筑波山の麓"(がまの油) |
ガマ口上碑 |
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2009 |
筑波山:白滝 |
しらたき |
富士参り(講明治大正6:18) など 3件3題 (圓朝2件, 東京1件) |
つくば市 |
掛樋から水が落ちているそばには不動尊の石像.圓朝ものにも出てくる霊場.旧有料道路の料金所近くの道路脇にあった朽ちた白滝案内標も新しくなり,そこから滝へ降りられる.2013年追記.懸樋はなくなっている.白滝案内標は折れて草むらに放置してある.滝へ降りる道は廃道同様.
"大山には滝がありますぜ。筑波にもありますぜ"(富士参り) |
白滝 |
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1998 |
男女川 |
みなのがわ |
無学者論(講明治大正3:17) など 7件4題 (圓朝2件, 東京5件) |
つくば市 |
男女川(みなのがわ).筑波嶺のみねより落つる男女川恋ぞ積りて淵となりぬる(陽成院).「陽成院」は,「千早振る」に続く歌の意味を問う落語で,男女川は竜田川と同じく相撲取り.筑波山麓には男女川ブランドの酒蔵がある.
"『筑波峯の峰より落つるみなの川こひぞ積りて淵となりぬる』ありゃア先生どういう訳で"(無学者論) |
男女川稲葉酒造 |
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2003 |
つくば |
つくば |
万博(落語のごらく 2, 私刊 (2005)) |
つくば市 |
1985年,国際科学技術博覧会,いわゆる科学万博が開催されたことを指す.跡地は工業団地と万博記念公園.科学の門は,見る方向を変えると,アルキメデス・ニュートン・ガリレオ=ガリレイ・エジソンの顔に見えるという立体造形.写真はエジソン.
"1985年の筑波国際科学技術万国博覧会とか"(落語72・「万博」) |
科学の門 |
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2009 |
下妻 |
しもつま |
きめんさん(立名人名演06:02) 1件1題 (東京1件) |
下妻市 |
素人占いの噺,「きめんさん」で"下妻のそうめん箱"として出てくる.かつては特産だったかどうかも不明.下妻(しもつま)というと映画に取り上げられたように,何か田舎くさく思われそうだが,茨城県を代表する巨大プール,砂沼サンビーチがある(2018年に閉園).
"なんだ、常州下妻と……そうめん箱だね?そうめん箱へご先祖を入れたのはいいねェ……盆に茹でないでいいや"(きめんさん) |
砂沼 |
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1998 |
結城 |
ゆうき |
たらちめ(講明治大正3:10) など 2件2題 (東京2件) |
結城市 |
結城紬の例はカウントしなかったが,"結城産"の例が1件あった.結城紬は2010年,ユネスコ無形文化遺産に認定された.写真の玄翁和尚は,玉藻前の姿で鳥羽上皇をたぶらかした九尾の狐を石に封じたお坊さん.落語では三浦介上総介が那須で射止め,その殺生石を玄翁で叩き割って成仏させたともいう.墓は結城小学校の西,奥まったところにぽつんとある.
"黒と黒は堅すぎるから結城が好かろうか。と来ると下総結城で織りました紬"(たらちめ) |
玄翁和尚墓 |
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2011 |
結城:弘経寺 |
ぐぎょうじ |
鈴ふり(講古典艶:03) など 2件1題 (東京2件) |
結城市西町1591 |
寿亀山弘経寺.関東十八檀林の一つ.飯沼(水海道)の弘経寺と同じ名前なのは,結城氏の城主が,飯沼の弘経寺の檀与上人を招いて開山したからという.蕪村の襖絵を所蔵する.小満んの「十八檀林」では,蕪村の句が登場する.肌寒し己が毛を噛む木葉経.
"結城の弘経寺にはいって、ここで紫の衣になるまで修業をしなければならない"(鈴ふり) |
弘経寺蕪村句碑 |
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2021 |
古河 |
こが |
太田道灌(講明治大正6:24) など 15件9題 (圓朝8件, 東京7件) |
古河市 |
日光街道の四天王の一つ.土井家の御城下.一里塚は宿の南外れ,高校のグラウンドにある.
"貴方は、まァ十八里ある古河から、江戸へお出ましになりまして"(傾城瀬川) |
日光街道一里塚 |
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2008 |
古河:大手 |
おおて |
仮名政談恋畔倉(毎日新聞 (1898)) |
古河市大手町あたり |
古河城の追手門は北側に位置していた.堀の内側に二つの門と枡形を備えており,大手の北は武家地になっていた.碑は錦町5のY字路,何の変哲もないところに建てられている.
"古河の大手前油屋義右衛門方にござります"(仮名政談恋畔倉) |
古河城追手門址 |
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2019 |
古河城 |
こがじょう |
利根の渡し(青正蔵1:21) 1件1題 (東京1件) |
古河市 |
本丸初め古河城の大部分は渡良瀬川改修で消えた.河川敷の土手にポツンと標柱が立っていた.
"古河の城下町ィ行って薬を買ってきてあげよう"(利根の渡し) |
古河城本丸跡 |
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1999 |
猿島郡 |
さしまぐん |
繋馬雪の陣立(講明治大正4:33) 1件1題 (東京1件) |
猿島郡 |
「繋馬雪の陣立」とは「追い炊き」のこと.平将門の乱を芝居がかって演じる.将門に7人の影武者がいたことを踏まえ,こんなに客人が増えては追い炊きせずばなるまいと権助が嘆く.国王神社(坂東市岩井)は将門の死地,平将門の木像を蔵する.
"猿島郡に内裏を築き、日々に盛んな相馬の旗上げ"(繋馬雪の陣立) |
国王神社 |
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1998 |
新内裏 |
しんだいり |
繋馬雪の陣立(講明治大正4:33) 1件1題 (東京1件) |
茨城県か |
平将門は京都に対抗して新皇を名乗ったのは確かだが,どこで名乗ったかは諸説ある.そもそも新内裏とは何のことだろう.守谷小学校内にある将門城址碑をあげておく.
"秀郷貞盛討手に向かい、千日の茅一時に、空しくなりし新内裏"(繋馬雪の陣立) |
平将門城址碑 |
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2001 |
境 |
さかい |
続噺柳糸筋(立名人名演01:05) など 3件3題 (圓朝2件, 東京1件) |
猿島郡境町 |
談洲楼燕枝の「続噺柳糸筋」に出てくる境は,今の境町のことだろう.境河岸の物流拠点だったが,猿島茶の特産でも知られる.
"昼過ぎるころに下総の堺の宿へまいりまして"(続噺柳糸筋) |
猿島茶園 |
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2008 |
岩井 |
いわい |
追焚(明治大正落語名人選集 6, 日外アソシエーツ (2018)) |
坂東市岩井 |
「追い炊き」は,藤原秀郷の子孫の家に,六部姿の平将門の末裔が泊まり合わせる落語.将門は国王神社にほど近い石井営所に陣を構え,叔父の相馬良兼を退けた.
"下総の国猿島郡岩井の郷に大裏を築き、自ら名乗って平親王"(追焚) |
石井営所跡之記 |
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2014 |
川添村 |
かわぞえむら |
続噺柳糸筋(立名人名演01:05) 1件1題 (東京1件) |
猿島郡境町か |
境の在方との設定.不明.
"夜になりゃァ人のこない川添村の一軒家だが、壁に耳あることわざもあるから"(続噺柳糸筋) |
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八幡 |
はちまん |
続噺柳糸筋(立名人名演01:05) 1件1題 (東京1件) |
猿島郡境町か |
前項の川添村.架空だろう.
"八幡の社へまいり、父正作の死骸をあらためました"(続噺柳糸筋) |
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相馬郡 |
そうまぐん |
続三府の言葉 国訛り(大空SP06:41) 1件1題 (上方1件) |
茨城県,千葉県 |
利根川をはさみ南北相馬郡があった.
"同じことでも下総の国は相馬郡というところへ参りますと(中略)グイ寝ろよ、眼玉くっ潰ってグイ寝ろよ"(続三府の言葉 国訛り) |
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鬼怒川 |
きぬがわ |
続噺柳糸筋(立名人名演01:05) など 8件2題 (圓朝7件, 東京1件) |
常総市 |
ほとんどが「真景累ヶ淵」の用例.「続噺柳糸筋」では,境に面するとの設定.
"絹川つづきの川添村という所に柳仏というがたいそうはやりまして"(続噺柳糸筋) |
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羽生 |
はにゅう |
三年目(集英圓生3:08) など 13件4題 (圓朝9件, 東京3件, 上方1件) |
常総市羽生町 |
鬼怒川の堤防外が低地となっており,「真景累ヶ淵」に出てくるボサッカのような草が繁茂していた.羽生では累の姿を映すことを忌んで鏡がないという「羽生村の鏡」という噺がある.「松山鏡」と同工異曲.法蔵寺の累の墓は,石造りのモダンな感じにすっかり改修された.
"下総の羽生村に「累」という怪談があります"(三年目) |
法蔵寺 累の墓 |
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2012 |
弘経寺:天樹院廟 |
てんじゅいんびょう |
十八檀林(柳家小満ん口演用「てきすと」 9, てきすとの会 (2015)) |
常総市豊岡町甲1 |
十八檀林の一つ,飯沼の弘経寺(ぐぎょうじ).千姫の墓がある巨刹.本堂は2008年に新築された.千姫は,家康の孫,豊臣秀頼の妻,吉田御殿の主.
"境内には、その遺髪を納めたという立派な<天樹院廟>があるので"(十八檀林) |
天樹院廟 |
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2008 |
羽生:天神山 |
てんじんやま |
へらへらの万橘(青正蔵2:21) 1件1題 (東京1件) |
常総市か |
彦六の正蔵の新作「へらへらの万橘」の話中には,「真景累ヶ淵」の内,土手の甚蔵殺しの場面で天神山が出てくる.
"『累ヶ淵』の『天神山の突き落とし』というところを演った"(へらへらの万橘) |
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中貫 |
なかぬき |
五人小僧噂の白浪(大川屋 (1892)) |
土浦市中貫か |
水戸街道の宿場.土浦と稲吉の間に位置している.宿の規模は小さく,下りの継ぎ立てをおこなった.そのせいか,圓朝作品には出てこない.大名の休息に使われた本陣が残っている.
"これから中貫までもう廿町ばかりだろうが"(五人小僧噂の白浪) |
中貫宿本陣 |
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2016 |
土浦 |
つちうら |
お富・与三郎“木更津”(旺国馬生2:10) など 12件9題 (圓朝9件, 東京2件, 上方1件) |
土浦市 |
土浦藩9万5千石.土屋氏の支配.霞ヶ浦観光の拠点,泥深い蓮田でとれるレンコンが名物.今は,ツェッペリンカレーで町おこしをはかっている.世界一周の途上,寄航した飛行船ツェッペリンの乗組員にカレーをふるまったという.
"土浦の方でいい賭場ができた、まあ、誘われた"(お富・与三郎“木更津”) |
土浦城本丸太鼓櫓 |
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2012 |
土浦駅 |
つちうらえき |
ぼくの友だち(日文落語野郎:07) 1件1題 (東京1件) |
土浦市有明町 |
土浦駅そばの桜川鉄橋で起きた脱線事故は,100名以上の犠牲者を出したが,戦時下で大きく報道されなかった.木製の慰霊標は朽ちかけているが,今も花が捧げられる.
"土浦の駅に来て、切符を買う段になった"(ぼくの友だち) |
土浦事故慰霊標 |
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2000 |
霞ヶ浦 |
かすみがうら |
水神(青圓生12:14) など 4件3題 (東京4件) |
茨城県 |
面積第2位!でも,畳1枚に縮めたら深さはたった7mm,畳表みたいな湖.用例の「水神」は劇作家の菊田一夫が圓生(6)のために書いた新作.烏との異種婚姻譚で,圓生の着ていた真っ黒な着物が本当にカラスの羽のようだった.
"今からちょうど四年前のことでしたが、神さまのお使で、霞ガ浦までまいりましたが……"(水神) |
霞ヶ浦 |
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2014 |
玉造 |
たまつくり |
水戸黄門西国巡遊記(駸々堂 (1895)) |
行方市 |
旧行方郡玉造町.古くは,玉造部がすまったという.霞ヶ浦を見下ろす玉造虹の塔には,玉のミュージアムがある.その名のとおり,玉にまつわる展示がたくさん.中には,浅草,江川の玉乗り(付き馬)の江川マストンの写真もあった.「付き馬」にも出てくる.
"それより三人は玉造宿を越えて鹿島ヶ崎へお出でに相成り"(水戸黄門西国巡遊記) |
玉造虹の塔玉のミュージアム |
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2014 |
荒野村 |
こうやむら |
九州吹戻し(定本 九州吹戻し, 新人物往来社(2001)) |
鹿嶋市大字荒野 |
「九州吹戻し」に出る逸話.荒野とか荒野台駅とか,住民には迷惑な地名.
"常陸国鹿島在荒野村と言う処へ、乗ったる小舟が着きまして"(九州吹戻し) |
鹿島臨海鉄道荒野台駅 |
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2011 |
高間ヶ原 |
たかまがはら |
水戸黄門西国巡遊記(駸々堂 (1895)) |
鹿嶋市高天原あたり |
鹿島神宮の東にあたる.神話の地といった説明は見つからなかった.さらに進めば海岸に至るので,以前は砂原だったのかもしれない.今は,写真のような団地群になっており,八百万神が住んでいる.
"お社の右側にある広い砂原を高間ヶ原と申して"(水戸黄門西国巡遊記) |
第一高間原住宅 |
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2014 |
鹿島 |
かしま |
鹿政談(青圓生02:03) など 11件6題 (圓朝2件, 東京9件) |
鹿嶋市 |
武運を祈る鹿島立ち,鹿島の神鹿が春日へ,とかの用例.鹿島は剣聖塚原卜伝の生地.宮本武蔵が襲ってきたとき,とっさに鍋ぶたを取って受けた.このエピソードを取り入れたのが,「昆布巻芝居」.鼻のきく男が,訪問先の鍋の中身を食べたさに,宮本武蔵の芝居話で盛り上げて,昆布巻きの入った鍋のふたを取らせる.塚原卜伝の墓は,鹿島神宮の北西3kmほどの山際にある.
"鹿というものはまことにかわいいもんですが、常陸の鹿島から勧請いたしました神様で"(鹿政談) |
塚原卜伝の墓 |
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2011 |
鹿島神社 |
かしまじんじゃ |
とろゝん(講明治大正7:26) 1件1題 (東京1件) |
鹿嶋市宮中 |
東国三古社の一つ,鹿島神宮.JRのほか,東京からのバスの便がよい.せっかくだから,要石ばかりでなく奥の山すそにこんこんとわく御手洗池まで行っておきたい.
"下総香取明神よ、常州越えて一の宮"(とろゝん) |
鹿島神社御手洗池 |
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2011 |
鹿島神社:要石 |
かなめいし |
本能寺(講明治大正4:48) 1件1題 (東京1件) |
鹿嶋市宮中 |
蚊がなめるから,"蚊舐石"という,何ともくだらないくすぐり.要石は頭だけ地上に出しているが,地震を起こす大鯰を抑えている.水戸黄門が掘ってみたし,鯰絵にも描かれている.
"蚊が食べ物がございませんので、石をペロペロ……舐めておりました。その石はいまだに蚊舐石といって"(本能寺) |
要石 |
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2001 |
波崎 |
なみざき |
下総土産佐倉双紙(三友舎 (1890)) |
神栖市波崎 |
波崎(はさき)がただしい.旧鹿島郡波崎町.利根川河口部にあたり,千葉県の銚子と向かいあっている.銚子同様,漁業が盛ん.鹿島灘から吹きつける波風が強く,風力発電のもとにサーファーが集う.
"これは常州波崎村荒木対馬守様の百姓作右衛門方に嫁づいております"(下総土産佐倉双紙) |
波崎新漁港 |
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2015 |
潮来 |
いたこ |
無筆の女房(講明治大正3:19) など 6件4題 (圓朝2件, 東京4件) |
潮来市 |
水郷潮来.アヤメ祭りと十二橋巡りのサッパ舟.碑はアヤメの形をしており,中に潮来節の文句,"潮来出島のまこもの中にあやめ咲くとはしほらしや 光圀"とあり,水戸黄門の作詞だと主張している.
"その潮来の真菰の中何にかをザクザク歩いていたんだ"(無筆の女房) |
潮来出島碑 |
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1998 |
横利根川 |
よことねがわ |
野ざらし(新潮新作:16) 1件1題 (東京1件) |
稲敷市〜千葉県佐原市 |
用例の「野ざらし」は作家による新作.演じられたことはないだろう.
"ぼくは釣りに行ってたよ、横利根川へヘラ鮒釣りに"(野ざらし) |
横利根川 |
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2001 |
稲妻雷五郎の墓 |
いなづまらいごろうのはか |
十八檀林(柳家小満ん口演用「てきすと」 9, てきすとの会 (2015)) |
稲敷市か |
7代目横綱.松江藩のお抱えで,長州藩お抱え6代目横綱阿武松のライバル.稲妻の墓は,松江と東京にある.江戸崎の寺を少し探したがわからなかった.生地の稲敷市阿波崎には稲妻雷五郎の碑がある.三遊亭圓窓(6)は,稲妻を題材にした新作落語を作っている.
"江戸崎では別なお寺さんに七代目の横綱、稲妻雷五郎の墓があって、ここにも銀杏の大木があって"(十八檀林) |
稲妻雷五郎之碑 |
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2019 |
大念寺:逆銀杏 |
さかさいちょう |
鈴ふり(講古典艶:03) 1件1題 (東京1件) |
稲敷市江戸崎2656 |
十八檀林の一つ,江戸崎の大念寺.今は全く普通の田舎の寺.あえて行くなら,土浦あるいは東京駅からバスの便あり.江戸崎はほっくりしたカボチャが特産のまち.
"ここには徳川家康公お手植えの<逆銀杏>というのがあった"(十八檀林) |
大念寺家康お手植え銀杏 |
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2019 |
女化 |
おなばけ |
望月兎(文芸倶楽部, 21(1) (1915)) |
牛久市女化町 |
キツネを助けた男のもとに,女が訪ねてきて嫁になる.落語で言えば「天神山」に似た異種婚姻譚.女化稲荷の境内は龍ケ崎市の飛び地になっている.
"僕は千葉県稲敷郡女化の出生だ"(望月兎) |
女化稲荷 |
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1992 |
牛久 |
うしく |
駅名読み込み川柳大会(牧野駅名:1) など 2件2題 (圓朝1件, 東京1件) |
牛久市 |
牛久(うしく).十二支のつく駅名として新作に登場.小湊鉄道にも上総牛久駅がある.変わったところでは山陰本線特牛(こっとい)駅.難読すぎてかえって有名.牛久の宿場は駅からかなり南にはずれており,本陣が明治天皇行在所だった.牛久観光は牛久大仏と,鼻の圓遊の言い立てによく出てくる香竄(こうざん)葡萄酒を製造した牛久シャトー.
"東京のベッドタウンになる牛久"(駅名読み込み川柳大会) |
牛久大仏 |
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2008 |
取手 |
とりで |
我孫子宿(桃源圓歌:04) など 4件4題 (圓朝2件, 東京2件) |
取手市 |
家康の家来,鬼作左こと本多重次は,写真の"一筆啓上火の用心お仙泣かすな馬肥せ"の手紙で有名.晩年は取手に追いやられた.取手市井野の奥まった高台に墓もある.
"取手の宿、我孫子屋の場とくら"(我孫子宿) |
本多重次の手紙碑 |
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2008 |
取手の渡 |
とりでのわたし |
紋三郎稲荷(青圓生12:04) など 3件2題 (圓朝1件, 東京2件) |
取手市〜千葉県我孫子市 |
我孫子(青山)と取手を結ぶ.今の大利根橋あたり.三遊亭圓生(6)の言う"とって"と唱えるかは調べきれていない.現在は,取手市の飛び地とを結ぶ市営小堀(おおほり)の渡しが運行されている.
"取手の渡しを渡り……今は取手と申しますが、昔はあすこをとってといったもんで"(紋三郎稲荷) |
小堀の渡しより |
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2015 |
小木 |
おぎ |
阿武松(三一談志2:06) 1件1題 (東京1件) |
不明 |
2代横綱綾川の出身地は栃木説が定説.小木は不明.講談社版では小木の部分は削除されている.
"二代目 常陸の国は小木、綾川五郎次"(阿武松) |
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