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神奈川県 その1   
圓朝地名図譜
三年の間こゝに足を止めて、病人に加持祈祷などを致しましたから、帰依する者おびたゞしく「これはお礼でございます」といって、材木を納める者もあれば、瓦を納める者もある。金を納める者もあり、多くの人が寄り集まってこしらえましたのがたゞいまもって残っております川崎の大師堂、平間寺(へいげんじ)でございます。
 (三遊亭金馬(3) 「身代り杵」)
  『昭和戦前傑作落語全集』 第四巻,講談社(1982)
 
地点名 この1題・登場回数 位 置 備 考 写真と撮影年
神奈川県 かながわけん くやみ(青圓生09:07) など 5件5題 (圓朝1件, 東京4件) 神奈川県 神奈川県の落語地名は数が多いため,川崎市,横浜市,横須賀・鎌倉・藤沢市周辺,最後に茅ヶ崎から小田原の海岸部に加えて箱根から大山の山間部に4分割して紹介する.
"埼玉のもんと神奈川のもんと、他人の寄合だが"(くやみ)
     
相模 さがみ 花見の仇討ち(旺国馬生1:03) など 29件15題 (圓朝4件, 東京23件, 上方2件) 神奈川県 旧国名.神奈川県の大部分.古川柳で相模下女といえば,好色の代名詞だった.「柳樽下女読んで見て腹を立ち」.
"花見の趣向なんですよぉっ!相模から四国へ行く?とんでもねえ話だ"(花見の仇討ち)
     
六郷の渡 ろくごうのわたし 慶安太平記(三一談志2:11) など 7件6題 (圓朝1件, 東京6件) 川崎市川崎区〜東京都大田区東六郷 → 北村辞典.多摩川に架かる六郷橋のやや下流.橋の欄干も船の形.六郷の渡しの銘板がある.家康が架橋させたが,元禄期に流された後は渡船となったとある.白井権八の切腹は渡し船の上という.
"八幡から大森へ、六郷の渡しへ来たら、今、乗合船が出るところだ"(慶安太平記)
六郷の渡し跡 2011
川崎:万年屋 まんねんや 神奈川宿(騒人名作06:02) など 2件1題 (東京2件) 川崎市川崎区旭町1あたり 奈良茶飯で有名な宿屋.京浜国道の建設にかかって,今は跡形もない.
"江戸っ子連れと見たら争って「お休みなすっていらっしゃい」"(神奈川宿)
万年横丁銘板 1997
川崎:会津屋 あいづや 神奈川宿(騒人名作06:02) など 3件3題 (圓朝2件, 東京1件) 川崎市川崎区 川崎宿の有名な宿屋.
"これを渡ると川崎。会津屋、万年屋、新田屋という三軒の女中が"(神奈川宿)
     
川崎:新田屋 にったや 神奈川宿(騒人名作06:02) など 3件3題 (圓朝2件, 東京1件) 川崎市川崎区 万年屋,会津屋とならぶ川崎宿の宿屋.鯊料理が名物.
"「お掛けなさいまし、おやすみなすっていらっしゃい」頻りと声をかける"(神奈川宿)
     
川崎大師 かわさきだいし 大師の杵(青圓生13:10) など 29件21題 (圓朝6件, 東京23件) 川崎市川崎区大師町 真言宗大本山平間寺.平間寺の用例もある.その縁起は「大師の杵」に詳しい.宝物の杵を拝観することはできなかった.参道には,できたての飴をトントトとリズミカルに切る音が響いている.境内に太神楽のまり塚がある.
"建ちあがったのが、川崎の大師さま。大きなお堂ができました"(大師の杵)
太神楽まり塚 1997
平間 ひらま 大師の杵(青圓生13:10) など 5件1題 (東京5件) 川崎市川崎区 平間寺は,大師像を海中から拾い上げた平間氏に由来する.
"武州橘郡、平間村という、今の川崎でございます"(大師の杵)
川崎大師平間寺仁王門 1997
川崎 かわさき 反対車(講文庫6:06) など 41件33題 (圓朝5件, 東京35件, 上方1件) 川崎市 川崎宿が舞台になるのは,圓朝の「粟田口霑笛竹」ぐらいだろう.川崎貸座敷組合が立てた川崎遊女供養碑は,宗三寺(砂子1-4)の墓地の隅にある.
"みなれねえ停車場だが、どこだい?そうですねえ……あっ、旦那、川崎です"(反対車)
川崎遊女供養碑 2008
川崎:堀之内 ほりのうち 土耳古息子(新潮新作:06) 1件1題 (東京1件) 川崎市川崎区堀之内町 歓楽街としての用例.旧赤線.特殊浴場がならぶ.「土耳古息子」は,作家競作の新作落語集に載っている.土耳古はトルコの漢字表記.トルコ風呂と呼ばれた特殊浴場は,1980年代にソープランドと改称した.
"堀之内なんか最高ですよ。趣味がぴしッと統一されているもん"(土耳古息子)
堀之内通り 2000
川崎球場 かわさききゅうじょう 首ったけ(太田藤志楼2:06) 1件1題 (東京1件) 川崎市川崎区富士見2 かつての大洋ホエールズ球団の本拠地.その後スタンドは取り壊され,草野球場みたいになってしまった.
"閑かな所が良かったらねぇ(中略)川崎球場へでも行きゃあいいじゃないか"(首ったけ)
川崎球場 1997
川崎競輪場 かわさきけいりんじょう 親子競輪(新風金語楼2:04) 1件1題 (東京1件) 川崎市川崎区富士見2 川崎市が主催する競輪場.お隣りは川崎競馬場.なんだか自然と中に入れて練習をながめてきた.開催日は有料なんでしょうねぇ.
"三世田って選手は、大宮と川崎が悪かったから、ちょっと人気が落ちたけど"(親子競輪)
川崎競輪場 2000
川崎:南町 みなみまち 土耳古息子(新潮新作:06) 1件1題 (東京1件) 川崎市川崎区南町 歓楽街としての用例.旧赤線.政之湯は,川崎駅前の冷鉱泉.近くにはソープ街.
"同じ川崎で、南町が十九軒"(土耳古息子)
政之湯通り 2000
川崎駅 かわさきえき 烟草の競争(講明治大正5:56) など 2件2題 (圓朝1件, 東京1件) 川崎市川崎区駅前本町 明治5(1872)年開業.汽車に乗り合わせた相客に,タバコならばいくら吸ってもへっちゃらだと自慢をしたばっかりに,最強の「煙草好き」が多摩川を越えて迫ってくる.
"「オ、川崎だ」汽車から降りまして、停車場を出まして"(烟草の競争)
     
川崎演芸場 かわさきえんげいじょう 楽屋助平列伝(天下御免の極落語,彩流社 (2004)) 川崎市川崎区 芸談によく出てくる演芸場.駅から海側へ行ったところに昭和30年代まであったと『寄席切絵図』にある.駅南の線路沿いにも川崎演芸場があったはず.写真は本法寺(台東区寿2-9)の塀に残る川崎演芸場の奉納文字.
"川崎駅のそばに演芸場がありまして、その夜席がハネて酒屋で焼酎を一合コップで呑む"(楽屋助平列伝)
川崎演藝場銘の塀 2006
八丁畷 はっちょうなわて 居残り佐平次(三一談志1:06) 1件1題 (東京1件) 川崎市川崎区下並木・日進町 川崎宿を出はずれて,鶴見へ続く東海道.芭蕉句碑,"麦の穂をたよりにつかむ別れかな".碑は八丁畷駅そば.きれいに整備され,しっかり麦まで植えられていた.
"お前起こして、八丁畷へ行くのはどう行ったらよろしゅうござんすかって、道を聞こうってんじゃねえんだ"(居残り佐平次)
芭蕉句碑 2008
鶴見川 つるみがわ 二ヶ領用水物語(二ヶ領用水物語, まつ出版 (2010))など 川崎市・横浜市 東海道は,横浜市に入ってから鶴見川を渡る.夢見ヶ崎と太田道灌にまつわる新作落語の地名を数件取り上げた.用例は末吉橋あたりで,川崎市と横浜市の境になっている.鶴見川の由来は諸説ある.徳川家康が鶴を見つけたから鶴見というのもあるらしいが,もっと古く,源頼朝がこの地で鶴を放ったという説もある,
"今の鶴見川で鶴を見たんです。で、鶴見川の名前がついた。ホントなんです"(二ヶ領用水物語)
鶴見川 2014
末吉橋 すえよしばし 「夢見ヶ崎」道灌外伝(落語「夢見ヶ崎」道灌外伝, まつ出版 (2012)) 川崎市幸区小倉〜横浜市鶴見区上末吉5 鶴見川に架かる末吉橋.夢見ヶ崎から末吉橋を渡って兜塚(横浜市)へ向かうルートの説明で出てくる.
"川崎側から鶴見川に架かってる末吉橋を渡って直ぐに右に曲がり"(「夢見ヶ崎」道灌外伝)
末吉橋 2014
無量院 むりょういん 小倉池の玉手箱(かわさき落語草紙, まつ出版 (2008)) 川崎市幸区小倉957 川崎市全7区に伝わる民話を題材にした,清流亭いしあたまによる連作落語.幸区の作品は,小倉池が竜宮につながっていたという浦島伝説を元にしたもの.天台宗清水山無量院.門前に,川崎市が建てた小倉池と龍の伝説の看板がある.本文にも出てくる龍燈の松は,空襲で焼けてしまったという.
"玉手箱の観音さまと、竜のうろこを、無量院へおさめたのじゃ"(小倉池の玉手箱)
無量院 2014
夢見ヶ崎 ゆめみがさき 「夢見ヶ崎」道灌外伝(落語「夢見ヶ崎」道灌外伝, まつ出版 (2012)) 川崎市幸区南加瀬あたり 新川崎駅の西に位置する標高30mほどの小丘陵.古墳群があり,国宝の秋草文壺が発掘されている.丘の上は,市営の夢見ヶ崎動物公園と神社や寺院が入り組んでいて,変わった雰囲気.ここに城を築こうとした太田道灌が,夢の中で鷲に兜を奪われ,築城をやめたという話をもとにした落語.
"折角きれいな名前なんでえ。いい夢を見て『夢見ヶ崎』としてえじゃあねえか"(「夢見ヶ崎」道灌外伝)
夢見ヶ崎動物公園 2014
久末 ひさすえ 立体落語「芝浜」(「夢見ヶ崎」道灌外伝, まつ出版 (2012)) 川崎市高津区久末 「芝浜」もどきの実話.1989年,川崎の竹やぶに2億円もの札束が捨てられていた事件があった.その後,山中にはタケノコ掘りならぬ,札束狩りの人が群れた.川崎に本拠のあったロッテ球団の選手も探しに行ったなどと,落語でからかわれた.
"川崎じゃあ高津区の久末、竹やぶの中で二億八千万円入ってたボストンバッグを見つけたよ"(立体落語「芝浜」)
久末の竹やぶ 2018
橘樹神社 たちばなじんじゃ 川崎市七区誕生余話(かわさき落語草紙, まつ出版 (2008)) 川崎市高津区子母口122 橘樹神社の祭神は,日本武尊と弟橘媛.速記にあるとおり,日本武尊東征のとき,荒れる海を沈めるため.走水の海中に身を沈めた弟橘媛の衣類が流れ着いたと伝える.なぜ標高20mのここにと思うが,近くの子母口には貝塚も見つかっている.拝殿左手には,山岡鉄舟筆の石碑がある.日本武の松と橘比免之神廟と彫られている.
"弟橘媛の着物やかんざしが、川崎の子母口辺りに流れついたといわれ橘樹神社を祀ったのじゃ"(川崎市七区誕生余話)
橘樹神社山岡鉄舟碑 2018
二ヶ領用水 にかりょうようすい 陣屋稲荷(かわさき落語草紙, まつ出版 (2008))など 川崎市 川崎市を縦断する二ヶ領用水を取り上げた落語が2題ある.いずれも清流亭いしあたまによる新作.徳川家康が,代官の小泉次太夫に命じて稲毛領と川崎領を貫いて作り上げた用水路を二ヶ領用水と呼ぶ.久地にある円筒分水は,内側の円筒から吹き上げた水が,外側の円筒の円弧の長さに応じて,比例配分される仕組み.1941年に作られたもので,国登録有形文化財になっている.
"川崎の発展、川崎の歴史は、二ヶ領用水にあるといっても過言ではありません"(陣屋稲荷)
二ヶ領用水久地円筒分水 2016
小杉陣屋 こすぎじんや 二ヶ領用水物語(二ヶ領用水物語, まつ出版 (2010))など 川崎市中原区小杉陣屋町 移転した妙泉寺の祖師堂が小杉陣屋町2-16にあり,小泉次太夫の名を記している.
"正月の五日から暮れの二十日過ぎまで休みなく、小杉の陣屋から陣頭指揮をとり"(二ヶ領用水物語)
小杉陣屋妙泉寺あと 2016
陣屋稲荷 じんやいなり 陣屋稲荷(かわさき落語草紙, まつ出版 (2008)) 川崎市中原区小杉御殿町か 小杉陣屋を示す銘板と稲荷(小杉陣屋町2-10-55)がある.これが陣屋稲荷とは限らない.御主殿稲荷は残っている.
"毎日毎日、陣屋のお稲荷さん、拝んでるよ"(陣屋稲荷)
小杉陣屋町の稲荷 2016
小杉御殿 こすぎごてん 陣屋稲荷(かわさき落語草紙, まつ出版 (2008)) 川崎市中原区小杉御殿町 徳川将軍小杉御殿跡碑が西明寺の門前に建っている.御殿は寺に隣接しており,鷹狩り後の休息に使われた.中原街道から東海道へと交通の比重が移って,万治3(1660)年には小杉御殿は廃止された.
"ここを休む場所にしたので小杉御殿と呼ばれるようになった訳でございます"(陣屋稲荷)
小杉御殿跡碑 2016
宝蔵寺 ほうぞうじ 六郷の渡し(かわさき落語草紙, まつ出版 (2008)) 川崎市中原区上小田中1-4 「かつぎ屋」の小噺で,中原区の川崎七福神の寺々が登場.真言宗智山派大谷山宝蔵寺.川崎七福神の一つで,弁財天を祀る.ほかは,大楽院(中原区上丸子八幡町1522,恵比寿),西明寺(中原区小杉御殿町1-906,大黒天),多聞寺(中原区宮内1-11,毘沙門天),安養寺(中原区上新城1-9,福禄寿),無量寺(中原区中丸子498,寿老人),大楽密寺(中原区木月1492,布袋).
"弁財天の宝蔵寺"(六郷の渡し)
宝蔵寺の七福神乗合船 2018
溝の口 みぞのくち 侠客小金井桜(毎日新聞 (1898)) 川崎市高津区溝口 溝口は大山街道が通っており,お隣りの二子宿とともに継ぎ立てを行っていた.
"武州玉川のほとりなる、溝の口まで参りまして"(侠客小金井桜)
溝の口二ヶ領用水 2019
影向寺:影向石 ようごうせき 影向石と乳いちょう(かわさき落語草紙, まつ出版 (2008)) 川崎市宮前区野川419 川崎市全7区に伝わる民話を題材にした連作落語.宮前区の作品は,影向寺に関するもの.天台宗威徳山影向寺の縁起は,聖武天皇が霊夢により,この地に霊石があることを知り,行基を遣わせてお后の病気を平癒したことによる.この霊石が境内東南の隅にある影向石で,くぼみにたまった水は眼病に霊験あると伝える.薬師如来は国重文.乳銀杏は,薬師堂の裏手にあり,樹齢600年という.乳のように垂れ下がった枝から絞った汁は,お乳の出るまじないになる.
"影向石のまん中のくぼみにたまった水は、医王水といい、今でも眼の病にきくといわれ"(影向石と乳いちょう)
影向石 2018
しばられ松 しばられまつ しばられ松(かわさき落語草紙, まつ出版 (2008)) 川崎市高津区向ヶ丘 川崎市全7区に伝わる民話を題材にした連作落語.高津区の作品は,しばられ松に関するもの.咳に悩む六部がこの地にで亡くなったこと,あるいは,ここで聖が入滅したことから,聖松と呼ばれた松があり,百日咳のまじないに,縄をしばりつけて願掛けする習わしがあった.根回り30mの巨大な松だったが,明治20年ごろ落雷に打たれて枯れてしまった.しばられ松バス停すぐそばに,聖社と枯死した幹が残されている.
"そして聖松は、「しばられ松」と呼ばれるようになり、子どもの守り神として、村人や子ども達が、おまいりや遊びにきて"(しばられ松)
しばられ松 2018
等覚院:仁王門 におうもん 六郷の渡し(かわさき落語草紙, まつ出版 (2008)) 川崎市宮前区神木本町1-8 浅草寺の小噺「仁王」を川崎の仁王様に置きかえた.天台宗神木山(しぼくさん)等覚院は,関東三十六不動の寺.仁王門は1882年の建立.今も仁王門や本堂周辺にツツジの群落がみごと.
"立派な仁王門と色鮮やかなつつじが、見事なコントラストを見せ"(六郷の渡し)
等覚院仁王門 2018
宿河原 しゅくがわら 二ヶ領用水物語(二ヶ領用水物語, まつ出版 (2010)) 川崎市多摩区宿河原 宿河原には,二ヶ領用水の取り入れ口があった.堰の管理事務所に,多摩川の自然のふれあい施設,せせらぎ館がある.
"今も稲田と名前が残る宿河原から川崎全域を大穀倉地帯にした小泉次大夫"(二ヶ領用水物語)
二ヶ領用水宿河原取水口 2016
登戸 のぼりと 黄金の大黒(太田藤志楼2:07) 2件2題 (圓朝1件, 東京1件) 川崎市多摩区登戸 「黄金の大黒」の口上,承れますれば,登戸は和泉多摩川の先.登戸は左官の技に勝れていたという.登戸稲荷の本殿には,波と龍や狐の鏝絵が飾ってある.
"和泉多摩川渡るとそこは登戸だったア?"(黄金の大黒)
登戸稲荷本殿 2008
生田緑地 いくたりょくち 六郷の渡し(かわさき落語草紙, まつ出版 (2008)) 川崎市多摩区枡形 川崎市7区にちなむ小噺.岡本太郎美術館の建設地を決めるにあたり,生田緑地に住む動物も署名して反対したという.広い公園敷地に枡形山の展望台,枡形城址,岡本太郎美術館や岡本太郎作の母の塔などがある.1971年,現・国立防災科学センターなどが合同で,生田緑地内のローム台地に散水して斜面崩壊実験をおこなったところ,突然崖崩れを起こし,報道関係者を含む15名が死亡する事故を起こした.
"地元民は、枡形山・生田緑地の自然が壊れるって"(六郷の渡し)
ローム斜面崩壊実験事故慰霊碑 2018
中野島 なかのしま 二ヶ領用水物語(二ヶ領用水物語, まつ出版 (2010)) 川崎市多摩区中野島 二ヶ領用水の取り入れ口は,中野島と宿河原の二ヶ所にあった.北の中野島取水口は,布田橋のところにある.
"もうすこし上流の上河原、今の中野島でございます"(二ヶ領用水物語)
二ヶ領用水中之島取水口 2016
稲田堤 いなだつつみ 長屋の花見(講昭和戦前1:16) など 3件1題 (東京3件) 川崎市多摩区菅稲田堤あたり 戦前の速記に登場する桜の名所.稲田堤駅から北に向かったところにある稲田公園.その北側,多摩川沿いに桜が植えられている.忘れられた桜並木.
"花があってもなくっても、熊谷堤だの、稲田堤というよりお花見らしい気がするな"(長屋の花見)
稲田堤の桜 1998
弘法の松 こうぼうのまつ 弘法の松(かわさき落語草紙, まつ出版 (2008)) 川崎市麻生区百合丘2 川崎市全7区に伝わる民話を題材にした連作落語.麻生区(あさおく)の作品は,弘法の松に関するもの.弘法大師がお手植えになった松で,高さ30mの巨松だったが,1955年の火事で焼けてしまった.新百合ヶ丘駅南の高台,こうぼうまつ公園にあたる.今の松は2003年に植えたものとある.
"弘法の松は、その昔、幹の太さは八メートル、高さは三十メートルもあったそうじゃ"(弘法の松)
弘法松跡 2018
王禅寺 おうぜんじ 六郷の渡し(かわさき落語草紙, まつ出版 (2008)) 川崎市麻生区王禅寺 川崎市7区にちなむ小噺.真言宗星宿山蓮華院王禅寺.境内の禅寺丸の記を読むと,新田義貞によって壊滅した王禅寺を再興しようと,等海上人が山中資材を探していると,甘い熟柿をみつけた.庭前に植えた柿は,江戸時代には禅寺丸と呼ばれ,広く栽培されている.寺には樹齢800年の原木柿が残っている.
"その昔、王禅寺を再建しようと等海上人が用材を探していた。と、老木に熟した柿を発見。その原木は八百年たった今も、この境内に残っているそうで"(六郷の渡し)
王禅寺柿の古木 2018

掲載 040430/最終更新 201201

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