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天王寺区   
圓朝地名図譜
車『私は人間でない方を車に乗せたのは今が初めです、貴方は何んです』
客『私は産湯稻荷の眷属ぢや、今日は土佐の石宮まで用事があつて參りた歸途(かへり)、~の使者(つかひ)に對して二十錢の車賃を取るとは不都合ぢやぞ』
 (「いなり俥」)
  『桂派落語選』,文楽堂書店・登美屋書店(1911)

「アレが淡太郎の木像や」
「コレだすな万さんとこの子を取りよったのハ」
「ナニが」
「ガタロ(河童)の極道だすか」
「淡路屋太郎兵衛という、紙屑問屋の旦那や、天王寺が大火で焼けた時、五重の塔を一建立で、建立しなはった、その木像が残してあるのや」
 (笑福亭松鶴(5) 「天王寺詣り」)
  五代目笑福亭松鶴編,『上方はなし』(上),三一書房(1971)

地点名 この1題・登場回数 位 置 備 考 写真と撮影年
天王寺区 てんのうじく うどん番外地・けつねの墓場(角川中島らも1:01) 1件1題 (上方1件) 天王寺区 1925年,東区・南区から分区によって成立した大阪市の区の一つ.大阪都構想でも,4区の一つの名に天王寺区が記されていた.
"天王寺区の南の方やとだけ言うておきましょう"(うどん番外地・けつねの墓場)
     
天王寺公園 てんのうじこうえん 菊江仏檀(三一上方2:04) など 3件2題 (上方3件) 天王寺区茶臼山町 1903年に開かれた内国勧業博覧会の跡地が公園となった.慶沢園は住友家の本邸跡で,市に寄贈された.有料庭園.
"私が夜おそうに天王寺の公園の近所を通りましたら、鉄管の中で寝てるお方が仰山おました"(菊江仏檀)
天王寺公園慶沢園 2022
天王寺動物園 てんのうじどうぶつえん 動物園(創元米朝4:14) など 5件5題 (上方5件) 天王寺区茶臼山町 1915年開園の市立動物園.開園時より面積を広げて,現在も営業している.
"行く先は動物園や。ああ天王寺の。そんな良えとこやない"(動物園)
天王寺動物園 1998
武徳殿 ぶとくでん 天王寺詣り(新和上方復刻:01) 1件1題 (上方1件) 天王寺区茶臼山町 天王寺動物園の北西隅あたりにあった.
"この正面が天王寺公園、動物園に武徳殿"(天王寺詣り)
大阪市パノラマ地図(国際日本文化研究センター所蔵) 2021
公会堂 こうかいどう 天王寺詣り(新和上方復刻:01) 1件1題 (上方1件) 天王寺区茶臼山町 天王寺公園内.中之島から移設された.現在のパンダ舎のあたりという.
"公会堂に勧業館"(天王寺詣り)
     
勧業館 かんぎょうかん 天王寺詣り(新和上方復刻:01) 1件1題 (上方1件) 天王寺区茶臼山町 天王寺公園内.公会堂に隣接していた.今はない.
"公会堂に勧業館"(天王寺詣り)
     
市民博物館 しみんはくぶつかん 天王寺詣り(新和上方復刻:01) 1件1題 (上方1件) 天王寺区茶臼山町 大阪市民博物館.1919(大正8)年,天王寺公園に建設された.
"高みにあるのが市民博物館"(天王寺詣り)
     
大阪美術館 おおさかびじゅつかん 天王寺詣り(新和上方復刻:01) 1件1題 (上方1件) 天王寺区茶臼山町 大阪市立美術館.1936年開館なので,噺のセリフではまだ建築中と書かれている.建物は現存している.
"建築中の鉄骨は大阪美術館"(天王寺詣り)
大阪市立美術館 2005
天王寺(町) てんのうじ 五人裁き(三一上方2:24) など 2件2題 (上方2件) 天王寺区, 阿倍野区, 西成区 野沢菜の原産である天王寺蕪が名産.天王寺村は阿倍野区など広い範囲にわたる.芸人村"てんのじ村"碑は西成区山王1の高速ガード下にある.鉄条網に囲まれ風情ないことこの上なかった.
"私は天王寺村の百姓で大体の作物の善し悪しは解ってます"(五人裁き)
てんのじ村記念碑 2003
天王寺駅 てんのうじえき 伊勢音頭(近代文藝捕物:07) 1件1題 (上方1件) 天王寺区 1889(明治22)年,大阪鉄道の駅として開業した.湊町からの奈良方面の中間駅,大阪南方,和歌山方面のターミナルだった.大阪環状線の駅ナンバーには,起点であるO01が与えられている.にもかかわらず,大阪駅にゼロキロポストが置かれているのは,「鷺取り」ではないが,天王寺の七不思議.改修前の駅コンコースには,四天王寺にちなんだらしい金色の天人が宙を舞っていた.まるで「狸の化寺」の狸が化けた天女だった(→ 絶滅危惧落語「狸の化寺」).
"掏摸が刺したてかい?そうでんねん、天王寺の駅前で"(伊勢音頭)
天王寺駅駅ナンバー 2023
雲水 うんすい 大阪名所 四季の夢(三一上方2:31) 1件1題 (上方1件) 天王寺区茶臼山町 黄檗宗邦福寺.河底池を望む崖上にあり,普茶料理を供したが,昭和の時点ではもう廃れていたよう.現在は朝鮮系の統国寺となる.祖国統一の願いからだろう,ベルリンの壁を購入している.寺に隣接して,普茶料理の阪口楼がある.
"茶臼山を見がてらに、雲水で普茶でチョッと一盞飲みましょうか"(大阪名所 四季の夢)
統国寺 2005
茶臼山 ちゃうすやま 天王寺三題-悟り坊主(創元米朝3:16) など 11件6題 (上方11件) 天王寺区茶臼山町 茶臼山古墳.大阪冬の陣では徳川家康,夏の陣では真田幸村が陣を敷いた.ここも公園の有料部分になった.
"あらいつも茶臼山辺から出てくる乞食坊主や"(天王寺三題-悟り坊主)
茶臼山 2005
正念寺 しょうねんじ 鷺捕り(初代桂春団治落語集, 講談社 (2004)) 天王寺区:架空 初代桂春團治の「鷺捕り」に出てくる.茶臼山のそばで,サギやらが集まる.通常の演出では,北区の円頓寺が「鷺とり」の舞台に取られる.
"ご案内でやすが茶臼山、今は正念寺いう寺はござりませんけど"(鷺捕り)
     
一心寺 いっしんじ 片袖(騒人名作03:10) など 15件7題 (上方15件) 天王寺区逢阪2-8 浄土宗坂松山一心寺.「天神山」で,安居天神とセットで登場する.逢坂をはさんで安居天神と向かいあっている.山門が強烈な意匠になった.へんちきの源助が,花見では当たり前だと一心寺に墓見に来る.墓域が広く,断酒の守り神本多出雲守や林家染丸ら芸人の墓があったりして,墓見には事欠かない.
"娘が死んだ時に一心寺へ葬る時に後に心が残らぬようにと着せてやった裾模様の片袖やないか"(片袖)
一心寺 2005
逢坂 おうさか 天王寺詣り(三一上方1:12) など 7件3題 (上方7件) 天王寺区逢阪1,2 合邦ヶ辻から天王寺にかけて上る坂.真田幸村戦死の地.
"ここが逢阪合邦ヶ辻や、この高台の寺が一心寺"(天王寺詣り)
逢坂 2023
合邦ヶ辻 がっぽうがつじ 一文笛(創元米朝2:10) など 5件3題 (上方5件) 天王寺区逢阪あたり 物部守屋と聖徳太子が仏法争いをしたと伝える.芝居の「摂州合邦辻」しか思い浮かばない.閻魔堂の合邦道心が,寅の年月揃った娘のお辻を殺して,俊徳丸を救うストーリー.「肝つぶし」は亥の年月揃い.合邦ヶ辻の閻魔堂は,浪速区に掲載している.
"逢坂、合邦ヶ辻とやって参りまして、とうとう西門まで来てしまいました"(一文笛)
四天王寺合法辻(浪花百景) 2021
安居天神 やすいてんじん 天神山(三一上方2:11) など 8件2題 (上方8件) 天王寺区逢阪1 安居神社.逢坂北側にあたる.菅原道真と少彦名神が祭神.境内にかんしづめの井(安居の清水),真田幸村戦死跡之碑がある.社殿脇に狐の穴のようなものが祀ってあった.
"一心寺を出ますと、向かいが安居の天神さんへ、ぶらぶらと参りました"(天神山)
安居天神 2005
天神山 てんじんやま 天神山(三一上方2:11) など 9件5題 (上方9件) 天王寺区逢阪1あたり 安居天神付近.花の名所.「天神山」で,狐を捕まえる場面がここ.
"恋しくば 尋ね来てみよ 南なる 天神山の 森の中まで"(天神山)
天神山(浪華名所図,部分) 2021
庚申堂 こうしんどう 播州巡り(三一上方2:06) など 3件3題 (上方3件) 天王寺区堀越町2 天王寺南大門から300mほど離れたところにある.浪花の「庚申待」の舞台.庚申の晩,夜明かしして,三尸の虫が体内を出て閻王に悪事を報告するのを防ぐ.庚申の日には,北向きこんにゃくの出店がでる.みな,北を向いて串に刺したコンニャクを食べる.
"一つは大阪天王寺の庚申堂にある"(播州巡り)
庚申堂 2005
小堀口 こぼれぐち 第八回(滑稽大和めぐり, 駸々堂 (1898)) 天王寺区南河堀町あたり 河堀口(こぼれぐち).変わった名前は,河堀稲生社に由来するという.平野から天王寺へ向かう街道になる.このあたりはまだ町外れで,『滑稽浪花名所』では,夜道を行く旅人が,たわわになり下がった冬瓜を大入道の目玉と見間違って,腰を抜かしている様が描かれている.
"平野の大念仏をば横に見て、天王寺小堀口へ戻ッて来ました"(第八回)
小堀口(滑稽浪花名所) 2021
天王寺 てんのうじ 弱法師(創元米朝7:19) など 44件34題 (東京8件, 上方36件) 天王寺区四天王寺1 和宗総本山荒陵山四天王寺.聖徳太子によって建立された日本最初の官寺.戦災にあって四時礼賛堂より南を焼失し,建物は再建されたものばかりになる.上の地図は大正末年あたりの様子をアレンジしてある.噺には出てこないが,張りぼての蛸の踊りを将門眼鏡で覗く見世物もあった(大阪辨,2輯表紙).
"たこやァー。蛸やァー。うッしィーッ"(弱法師)
天王寺たこたこ(大阪辨) 2021
天王寺:石の鳥居 いしのとりい 上方見物(青圓生06:09) など 10件4題 (東京1件, 上方9件) 天王寺区四天王寺1 さて,「天王寺詣り」の案内で境内をひとめぐり.天王寺は寺院でありながら,鳥居がある.日本三鳥居の一つ,石の鳥居(重文).謡曲「弱法師」「菜刀息子」の舞台になる.幕末まで死体がうち捨てられ,明治になっても難病人が集まってきたという(上方).
"それからこの天王寺の石の鳥居。これを有名な日本三鳥居と申します"(上方見物)
石の鳥居 2023
天王寺:額 がく 天王寺詣り(三一上方1:12) など 4件1題 (上方4件) 天王寺区四天王寺1 石の鳥居に掲げる鋳銅製の額.嘉暦元(1326)年銘の本物は宝物館にある.釈迦如来転法輪処 当極楽土東門中心.弘法大師/小野道風の支え書き.チリトリのように下部が取れた箕の形をしている.
"額というても箕の形にしてあるのや"(天王寺詣り)
鳥居の額 2023
天王寺:根本の蛙 ねもとのかえる 天王寺詣り(三一上方1:12) など 3件1題 (上方3件) 天王寺区四天王寺1 石の鳥居の根本,4ヶ所に飛び出ている突起.よーく見ると蛙のように見えてくる,見えてくる.
"鳥居の柱の根元に蛙が三ツ彫ってある"(天王寺詣り)
根本の蛙 2023
天王寺:ぽんぽん石 ぽんぽんせき 天王寺詣り(三一上方1:12) など 5件2題 (東京1件, 上方4件) 天王寺区四天王寺1 鳥居の両脇にある穴の空いた一対の立石.ずっとこの石で変わっていないかは不明.空洞なのでポンポン音がし,耳をあてると霊界通信できる.
"石を持ってたたくとぽんぽんと唐金のような音がする。そこへ耳をあてると、わが身寄の者が、来世で言うてることが、聞こえるのや"(天王寺詣り)
ぽんぽん石 2005
天王寺:納骨堂 のうこつどう 天王寺詣り(三一上方1:12) など 2件1題 (上方2件) 天王寺区四天王寺1 現在の納骨堂は阿弥陀堂に隣接しているが,それとは異なり石の鳥居の近くにあった.
"納骨堂に太子念仏堂"(天王寺詣り)
現在の納骨堂 2023
天王寺:西のお茶所 にしのおぢゃじょ 天王寺詣り(三一上方1:12) 1件1題 (上方1件) 天王寺区四天王寺1 今はない.
"これが西の御茶所"(天王寺詣り)
     
天王寺:引声堂 いんせいどう 天王寺詣り(三一上方1:12) 1件1題 (上方1件) 天王寺区四天王寺1 法華堂.釈迦如来を祀る(大阪風土記).納骨堂ともいう(上方はなし).五智如来を祀る(名所図会).納骨堂に隣接し,納骨者の回向をする.
"引声堂短声堂、見真大師"(天王寺詣り)
     
天王寺:布袋さん ほていさん 怪談市川堤(桂米朝コレクション 5, 筑摩書房 (2003)) ほか1件1題 (上方1件) 天王寺区四天王寺1 乳の布袋.お乳の出がよくなるようにと絵馬を捧げる.聖徳太子の乳母を祀ったともいわれるので,お乳母さんの用例もある.この後,撮影が禁止された.
"天王寺の乳の布袋さんに安産の願掛けに行こやないかと騙して"(怪談市川堤)
乳の布袋さん 2005
天王寺:太子念仏堂 たいしねんぶつどう 天王寺詣り(三一上方1:12) 1件1題 (上方1件) 天王寺区四天王寺1 念仏堂は西門西の北側にあった.噺の順番からしてもここらあたり.
"納骨堂に太子念仏堂"(天王寺詣り)
     
天王寺:短声堂 たんせいどう 天王寺詣り(三一上方1:12) 1件1題 (上方1件) 天王寺区四天王寺1 常行堂ともいう.阿弥陀如来を祀る(上方はなし).阿弥陀堂ともいう(大阪風土記).西門西の北側.釈迦・文殊・普賢を祀る(名所図会).どんな旋律かは知らないが,引声・短声でペアの声明になる.戦災で短声堂引声堂ともに失われ,跡地を示す石がある.
"引声堂短声堂、見真大師"(天王寺詣り)
     
天王寺:見真大師 けんしんだいし 天王寺詣り(三一上方1:12) 1件1題 (上方1件) 天王寺区四天王寺1 見真大師(親鸞聖人)をお祀りする.本尊は阿弥陀如来で,親鸞像が立つ.大正の絵図には描かれていないが,土蔵造りの見真堂があった.
"引声堂短声堂、見真大師"(天王寺詣り)
見真大師 2005
天王寺:西門 さいもん 辻八卦(講昭和戦前4:27) など 6件4題 (上方6件) 天王寺区四天王寺1 再建された.石の鳥居を通して西方が見通せる.西門あるいは石の鳥居は弘法大師日想観の地.
"あんた一昨年天王寺の西門のねきに出ていなはったことがある"(辻八卦)
西門 2023
天王寺:輪宝 りんぽう 天王寺詣り(三一上方1:12) など 2件1題 (上方2件) 天王寺区四天王寺1 輪宝は,八方に伸びた剣を輪で囲んだ円形の仏具で,もとは武具だった.西門の柱に4つ付いている.回すと手を洗ったことになるため,天王寺には手水鉢がないとの説明.しかし,尻を掻いた手は臭いままだし,西門前に片桐主膳銘のある手洗舎もあった.
"これは輪宝という。アア小便の出にくい病気だすか。それは淋病や"(天王寺詣り)
輪宝 2005
天王寺:義経の鎧掛松 よしつねのよろいかけまつ 天王寺詣り(三一上方1:12) など 2件1題 (上方2件) 天王寺区四天王寺1 西門の脇に,説明札とともにひょろ木が植わっていた.前回訪問時よりも大きくなっているらしい.復興をはかっていることがありがたい.
"コレが義経の鎧掛松や"(天王寺詣り)
義経鎧掛松 2023
天王寺:経堂 きょうどう 天王寺詣り(三一上方1:12) 1件1題 (上方1件) 天王寺区四天王寺1 輪蔵とも言う.一切経が収められた筺があり,参詣者がそれを回すことができた.今は太子殿の奥に経堂が再建された.
"コレが経堂、経文ばかりで詰まってあるのや"(天王寺詣り)
     
天王寺:廻廊 かいろう 天王寺詣り(三一上方1:12) 1件1題 (上方1件) 天王寺区四天王寺1 金堂,五重塔を囲む回廊.再建された.回廊より内部は拝観有料.
"これが廻廊や"(天王寺詣り)
天王寺回廊 2022
天王寺:金堂 こんどう 天王寺詣り(新和上方復刻:01) など 4件2題 (上方4件) 天王寺区四天王寺1 五重塔の奥に金堂が一直線にならぶのが,天王寺式伽藍とされる.仏舎利を収め,四天王が配される.1961年の再建.伽藍再建年は1963年ともある.毎日11時に舎利出しの法要が行われる.
"これが金堂やこの格子の内を覗いて見いや"(天王寺詣り)
金堂と五重塔 2005
天王寺:淡太郎の木像 あわたろうのもくぞう 天王寺詣り(三一上方1:12) など 2件1題 (上方2件) 天王寺区四天王寺1 淡路屋太郎兵衛は,江戸期に天王寺五重塔を再建した恩人.金堂内部に裃をつけて帯刀した木像があった.
"何やチョン髷に結うたお親父さんが上下着て座ってますな。アレが淡太郎の木像や"(天王寺詣り)
淡路屋太郎兵衛墓 2005
天王寺:龍の井戸 りゅうのいど 天王寺詣り(三一上方1:12) 1件1題 (上方1件) 天王寺区四天王寺1 回廊の内,金堂の西側に現存する.天王寺境内の池の主を聖徳太子が封じた井戸.水屋天井に描かれた龍が水面に映る.戦災で焼失した井戸屋形を,小豆島産御影石で再建した.水分によるカビ被害が大きく,2017年の修復で,当初の天井画(山下摩起)を複製した.くらべてみると,写真の方が典型的な龍らしく描かれている.
"聖徳太子がこの井戸へ符じ込んでしまったので、竜の井という"(天王寺詣り)
龍の井戸内部 2005
天王寺:蛇の井戸 へびのいど 天王寺詣り(新和上方復刻:01) 1件1題 (上方1件) 天王寺区四天王寺1 五重塔に続いて説明され,その内容は龍の井戸と同じ.現存する龍の井戸の誤りだろう.
"こちらにある井戸が蛇の井戸"(天王寺詣り)
     
天王寺:五重塔 ごじゅうのとう 天王寺三題-ブラリシャラリ(創元米朝3:15) など 6件4題 (上方6件) 天王寺区四天王寺1 五重塔は,1934年室戸大風で倒壊し,さらに戦争で焼失した.1959年に再建されている.五重塔各層の隅木には,しゃらりぶらりがぶら下がる.
"あの五重の塔の屋根の端にぶら下がってる物ね、あれなんちゅうもんでんねん"(天王寺三題-ブラリシャラリ)
五重塔風鐸 2023
天王寺:三面の大黒 さんめんのだいこく 天王寺詣り(新和上方復刻:01) 1件1題 (上方1件) 天王寺区四天王寺1 五重塔初層北西隅の瓦が三面大黒(弁天・毘沙門)だった.今もそのデザインを引き継いでいる.紛らわしいが,六時礼賛堂西の大黒堂にも三面大黒天が安置される.
"この西北の隅の瓦を見てみ、三面の大黒という天王寺七不思議の一つ"(天王寺詣り)
三面大黒 2023
天王寺:仁王門 におうもん 兵庫船(三一大系8:01) など 6件4題 (上方6件) 天王寺区四天王寺1 中門.南門仁王とある用例は,仁王門に合わせた.南大門から入ってすぐで,1963年の再建になる.小咄「仁王」が,泥棒をぶっと踏みつける.東では浅草寺で演じられる.
"南禅寺に山門があって、天王寺に仁王門がある"(兵庫船)
仁王吽像 2023
天王寺:本堂 ほんどう 鷺とり(PHP枝雀:1) など 2件1題 (上方2件) 天王寺区四天王寺1 五重塔のてっぺんに降り立った「鷺とり」の主人公が,そこから見張らしたときに見えるお堂.金堂ではないので,講堂のことか? 五重塔に登れるのは22日のご縁日だけだと思っていたが,いつでも登れる模様.
"むこうのあたりが亀の池で……、本堂に……、金堂に"(鷺とり)
     
天王寺:紙子さん かみこさん 天王寺詣り(三一上方1:12) など 2件1題 (上方2件) 天王寺区四天王寺1 万燈院.千手観音・四天王・賓頭廬などを祀る(名所図会).1922年建の赤いお堂.紙衣をまとった羅漢仏(堂内では諸声聞衆)をかみこ様と呼ぶ.堂前の砧(臼)を木槌で叩いて,さらに患部を打つ.
"西に見えるのが神子さん"(天王寺詣り)
万燈院 1998
天王寺:南のお茶所 みなみおちゃじょ 天王寺詣り(三一上方1:12) 1件1題 (上方1件) 天王寺区四天王寺1 不詳.休憩所はあるが.
"南のお茶所、虎の門、お太子さん"(天王寺詣り)
     
天王寺:太子殿 たいしでん 天王寺詣り(三一上方1:12) など 4件3題 (上方4件) 天王寺区四天王寺1 東側の回廊の内,聖霊殿の北に太子殿が連なっている.太子二歳の像にあやかり,2月22日に行われるのが二歳詣り.
"南のお茶所、虎の門、お太子さん"(天王寺詣り)
太子殿 2005
天王寺:聖徳太子の像 しょうとくたいしのぞう 天王寺詣り(三一上方1:12) 1件1題 (上方1件) 天王寺区四天王寺1 太子殿に聖徳太子十六歳の像があった.二歳の像は用明殿向かいの三昧堂にあったが,現在はともに太子殿に収められている.
"聖徳太子十六歳のお像"(天王寺詣り)
     
天王寺:夫婦竹 めおとだけ 天王寺詣り(三一上方1:12) など 2件1題 (上方2件) 天王寺区四天王寺1 聖徳太子お手植えの二股竹が,太子殿(精霊殿とも)の前に戦前まであったが,失われた.
"前にあるのは夫婦竹"(天王寺詣り)
     
天王寺:猫の門 ねこのもん 大黒(講明治大正2:23) など 5件3題 (東京2件, 上方3件) 天王寺区四天王寺1 太子殿の回廊の北部の門.左甚五郎の作という.今は西側に猫の彫刻がほどこされた門がある.
"大阪天王寺へも一猫"(大黒)
猫の門 2023
天王寺:虎の門 とらのもん 天王寺詣り(三一上方1:12) など 2件1題 (上方2件) 天王寺区四天王寺1 太子殿の回廊西側の南の門.虎の彫刻が今でもある.
"南のお茶所、虎の門、お太子さん"(天王寺詣り)
虎の門 2023
天王寺:太子引導鐘 たいしいんせいどう 天王寺詣り(三一上方1:12) など 2件1題 (上方2件) 天王寺区四天王寺1 虎の門の南に引導鐘があった.今は南引導鐘として別の建物になる.
"太子引導鐘猫の門"(天王寺詣り)
     
天王寺:丑さん うしさん 天王寺詣り(三一上方1:12) など 2件1題 (上方2件) 天王寺区四天王寺1 石上祠.四天王寺創建時,石材木材を運んだ牛車の牛が石に化したという.牛王尊の石像を安置する.疱瘡除を祈願して牛の絵馬が奉納される.
"向こうに見える小さいお堂が丑さんで"(天王寺詣り)
石神堂 2005
天王寺:用明殿 ようめいでん 天王寺詣り(三一上方1:12) など 2件1題 (上方2件) 天王寺区四天王寺1 太子殿の北にあたる.聖徳太子の父,用明天皇ら五天皇を祀る.大規模な社殿だったが,その位置には宝物館が建てられた.最近,その脇に神社様式の用明殿が新築された.
"用明殿、指月庵"(天王寺詣り)
用明殿 2023
天王寺:指月庵 しげつあん 天王寺詣り(三一上方1:12) 1件1題 (上方1件) 天王寺区四天王寺1 用明殿の東,下の池(弁天堂)の南に白蓮庵として描かれている建物.明治初年に太子殿を再建した白蓮にちなむ.戦災で焼失した.
"用明殿、指月庵"(天王寺詣り)
     
天王寺:東門 とうもん 天王寺詣り(三一上方1:12) など 3件2題 (上方3件) 天王寺区四天王寺1 東大門.国宝だったが戦災で焼失した.梁間に掲げられた梅が枝の手水鉢が名物だった.西に天王寺四石の一つ,伊勢神宮遙拝石が置かれている.
"東に見えるのが東門"(天王寺詣り)
伊勢神宮遙拝石と東門 2023
天王寺:瓢箪の池 ひょうたんのいけ 天王寺詣り(三一上方1:12) など 2件1題 (上方2件) 天王寺区四天王寺1 丑さんのそばと説明されているので,東大門そばの下の池になる.今は亀遊島弁天の池になる.しかし,ヒョウタン型の瓢池は,上の池の西にあった.こちらは今は学校敷地内になる.
"前にあるのが瓢たんの池"(天王寺詣り)
     
天王寺:本坊 ほんぼう 天王寺詣り(三一上方1:12) など 2件1題 (上方2件) 天王寺区四天王寺1 庭園や本坊方丈が有料で拝観できるようになった.
"コチラが本坊"(天王寺詣り)
本坊庭園 2005
天王寺:釘無堂 くぎなしどう 天王寺詣り(三一上方1:12) など 2件1題 (上方2件) 天王寺区四天王寺1 天王寺の宝庫が組木のため,釘無堂と呼ばれた.宝庫は本坊敷地内,相輪塔の奥にあった.今の宝物庫ではない.
"内らにあるのが釘無堂"(天王寺詣り)
     
天王寺:大釣鐘 おおつりがね 天王寺詣り(新和上方復刻:01) など 2件2題 (東京1件, 上方1件) 天王寺区四天王寺1 1903年鋳の超弩級の大鐘があったが,戦時供出された.残った建物は,現在は英霊堂と呼ばれる.その大釣鐘は大阪名物,釣鐘まんじゅうにしのばれる.
"これを向こうへ行くと大釣鐘"(天王寺詣り)
釣鐘まんじゅう 2009
天王寺:鏡の池 かがみのいけ 天王寺詣り(三一上方1:12) など 2件1題 (上方2件) 天王寺区四天王寺1 石舞台の直前に説明されているので,亀の池のことかもしれない.上の池も鏡の丸池をしている.
"足形の石鏡の池に、伶人の舞の台や"(天王寺詣り)
鏡の池 2023
天王寺:足形の石 あしがたのいし 天王寺詣り(三一上方1:12) など 2件1題 (上方2件) 天王寺区四天王寺1 上の池の西畔に仏足石釈迦如来石像がある.これのことだろう.
"足形の石鏡の池に、伶人の舞の台や"(天王寺詣り)
仏足石 2023
天王寺:亀の池 かめのいけ 小倉船(創元米朝6:09) など 10件6題 (東京1件, 上方9件) 天王寺区四天王寺1 蓮池の根を亀が食い尽くして亀の池.九州小倉からも,海底を通してつながっている.
"大阪だしたらなあ、まあ天王寺の亀の池か天保山の沖か"(小倉船)
亀の池 2023
天王寺:伶人の舞台 れいじんのぶたい 天王寺詣り(三一上方1:12) など 2件1題 (上方2件) 天王寺区四天王寺1 石舞台(重文).4月(旧は2月)22日聖霊会などの法会では,ここで舞楽がとりおこなわれる.
"れいじんの舞の台てなんだす。前かたこの台の上で舞をまいなはったのや"(天王寺詣り)
石舞台 2023
天王寺:引導鐘 いんどうがね 天王寺詣り(三一上方1:12) など 9件6題 (東京1件, 上方8件) 天王寺区四天王寺1 故人や愛犬を偲び,経木を供えて坊さんに引導鐘を撞いてもらう.ここが済んだら亀井堂へ.外からは撞木の動くところしか見えない.
"天王寺で、引導鐘を撞くと、それが十万億土へ聞こえるというのや"(天王寺詣り)
北鐘堂 2023
天王寺:亀井水 かめいすい 播州巡り(三一上方2:06) など 4件3題 (東京1件, 上方3件) 天王寺区四天王寺1 金堂地下の白石玉出の水が亀井堂につながっている.石造の亀の口から水がほとばしり,そこへ供養の経木が流されている.この後,撮影が禁止された.
"一つは大阪天王寺亀井水、今一つは明石の亀の水、日本に二つしかないのや"(播州巡り)
亀井水 1998
天王寺:たらりやの橋 たらりやのはし 天王寺詣り(三一上方1:12) など 4件2題 (東京1件, 上方3件) 天王寺区四天王寺1 噺では亀井水のそばに描かれる.ちりりやたらりやでセット扱いされる伝説の橋とは別の石橋で,ご婦人の信仰を集めた.本坊に移されているという.庭園内には時代のありそうな石橋は5つあった.訊ねては見たが不明.
"たらりやの橋、俗に巻物の橋"(天王寺詣り)
     
天王寺:ちりりやの橋 ちりりやのはし 上方見物(青圓生06:09) 1件1題 (東京1件) 天王寺区大道1あたり かつて南大門の外にあった万代池に,ちりりやたらりやの橋があったという.昭和の初めには池の跡地があった.
"これからちりりやの橋、たらりやの橋、引導鐘、亀の井。方々見物をして"(上方見物)
     
石薬師 いしやくし 大阪名所 夫婦喧嘩(三一上方2:15) 1件1題 (上方1件) 天王寺区四天王寺1か 天王寺内らしいが不明.椎寺薬師は木仏.
"石薬師で手を詰めたようにぎちぎちといい"(大阪名所 夫婦喧嘩)
     
岩崎大海堂 いわさきたいかいどう 天王寺参り(週刊朝日,17(14)(1930)) 天王寺区四天王寺1 天王寺西門前.岩崎太子堂と岩崎大海堂が向かいあっていたと聞いた記憶がある.いずれも,虫下しのセメン菓子を主力にしていた.岩崎太子堂の方は,今も天王寺前で店を構えている.セメン菓子は,サントニンを成分とする板チョコ状の薬で,これを広めたシモンズ宣教医(あのヘボン医師の仲間)によるとも,原料のセメンシナによる命名ともいう.写真の缶には,珊篤尼涅菓子(さんとにねくわし)と書かれている.店の場所は,天王寺石鳥居前,椎寺町38番地とある.鳥居印なきものは,ニセ薬也!
"それこつちへ出ておいで、岩崎大海堂のセメン菓子屋"(天王寺参り)
岩崎大海堂の珊篤尼涅菓子薬缶 2023
紅葉寺 もみじでら 大阪名所 四季の夢(三一上方2:31) 1件1題 (上方1件) 天王寺区四天王寺2-1 浄土宗壽法寺.もみぢ寺と呼ばれた.今の境内にはモミジは少ないが,紅葉が浮彫りされた是心山の山門額が美しい.写真の2代目桂文三墓のほか,歴代松鶴,赤毛布の文三,空堀の圓馬らの墓がある.
"思わず紅葉寺へ入ってきました。すると紅葉がチョイチョイと紅葉しかけてる"(大阪名所 四季の夢)
寿法寺二代目桂文三墓 2011
新清水 しんきよみず 大阪名所 夫婦喧嘩(三一上方2:15) など 2件2題 (圓朝1件, 上方1件) 天王寺区伶人町 和宗清水寺.圓朝の「鶴殺疾刃庖刀」では,新清水として出てくる.音羽の滝を模した玉出の滝からは三筋の水が落ちる.その名の由来は,天王寺白石玉出の水の末だからという.「王子の幇間」に似た「茶目八」という上方落語で,大阪市内を歩きまわらせられた幇間が玉手の滝にあたる場面があるが,残念ながら速記が残っていない.
"清水臭いは出ている妓の習いじゃ"(大阪名所 夫婦喧嘩)
清水寺玉出の滝 2022
愛染堂 あいぜんどう 大阪名所 夫婦喧嘩(三一上方2:15) 1件1題 (上方1件) 天王寺区夕陽丘町5-36 和宗愛染堂勝曼院.夫婦和合の神さんとして名高い.境内に,"花も嵐も踏み越えて♪"の歌でも知られる愛染かつらがある.宝恵駕籠が繰り出す夏祭りも盛大.ホエカゴホイ.
"愛染夫婦になるというのは出ている妓の習い"(大阪名所 夫婦喧嘩)
愛染堂 2004
下寺町 したでらまち 天王寺詣り(三一上方1:12) など 13件7題 (上方13件) 天王寺区, 中央区 建ちならぶ寺と坂(源聖寺坂と口縄坂)が定番の風景.「日和違い」のような融通坊主も歩いているので,忙しい下寺町の坊主持ち.『滑稽浪花名所』では,匂いに気づいた犬が坂下を歩いていた坊主に飛びかかっている.懐から,タコが二,三匹飛び出して,大あわての様子が描かれている.
"急がしい下寺町の坊主持ちと、いうのはここの事や"(天王寺詣り)
源聖寺坂 2005
隆専寺 りゅうせんじ 大阪名所 四季の夢(三一上方2:31) 1件1題 (上方1件) 天王寺区生玉町5 浄土宗隆専寺.枝垂桜の糸桜で有名だった.境内に二世曽呂利新左衛門碑や,落語家も加わって珍品収集品展観をした記念の面茶塚がある.今,シダレザクラはなく,桜の木の背後に曽呂利碑が見える.
"隆専寺の枝垂桜を見ようか、もう桜も遅かろうか"(大阪名所 四季の夢)
隆専寺 2021
生国魂神社 いくくにたまじんじゃ 崇徳院(創元米朝3:01) など 9件6題 (上方9件) 天王寺区生玉町13-9 生玉さん.そう呼ぶことはまずないけれど,生國魂神社(いくくにたまじんじゃ)が正式の名称.祭神は,生島大神と足島大神の2柱と大物主大神.元禄年間に境内で噺の興行をはじめた米沢彦八の碑が建てられ,彦八まつりも開催される.末社に浄瑠璃神社があり,近松門左衛門の「生玉心中」のおさが嘉平次は,この境内で心中する.
"何でも二十日ほど前に高津さんへ行かはりましたやろ(中略)それがいけまへんね。なんで生国はんへまいらさん"(崇徳院)
生国魂神社米沢彦八の碑 2022
大蓮寺 だいれんじ 棒屋(桂派落語百番, 田村熈春堂 (1915)) 天王寺区下寺町1-1-30 浄土宗如意珠應山極楽院大蓮寺.下寺町の名刹.上方の「棒屋」の店がこの門前に設定されている.心学の祖,石田梅岩の墓がある.「中沢道二」という珍しい噺では,石田梅岩の心学を江戸で広めようとして,江戸っ子の無理解に手こずる.大蓮寺には,無名芸人を祀る吉本芸人塚も建てられている.
"下寺町大蓮寺前棒屋長兵衛と書いてあるわ"(棒屋)
大蓮寺石田梅岩墓 2023
上汐町 うえしおまち 米揚げ笊(創元米朝5:16) など 2件1題 (上方2件) 天王寺区上汐, 中央区上汐 うえまちのうえしおまち.ゲンのいい地名.天竺に渡り妖術をマスターした天竺徳兵衛が住んでいたという.町内を熊野街道が通り,格子造り虫籠窓のお屋敷を見かけた.
"上町の上汐町の、上田屋宇右衛門という、紙屋の上の女中を務めとりま"(米揚げ笊)
上汐町 2023
上本町 うえほんまち 田楽喰い(創元米朝4:04) など 4件4題 (上方4件) 天王寺区上本町 近鉄大阪線のターミナル,上本町駅.「田楽喰い」で,一升瓶を割った場所として,日本一や恵美須町など,繁華街ばかりの地名があがる.
"上本町の六丁目のとこでもねえ。上六というたら、お前また電車の終点で"(田楽喰い)
大阪上本町駅 2023
上六 うえろく 円タク(白川小春団治:03) など 6件4題 (上方6件) 天王寺区上本町6 上本町六丁目だから上六.知ってる人は当たり前.上六パーキング,上六クリニック,上六AVシネマ,いろいろある.
"上六へ行って、森町で一人おろして"(円タク)
上六交差点 2005
都ホテル みやこほてる おげれつ指南(角川中島らも1:03) 1件1題 (上方1件) 天王寺区上本町6-1 都ホテル大阪.近鉄上本町駅の真上にある近鉄系のホテルだった.今は,シェラトン都ホテル大阪としてリニューアルされている.
"今日は、一時から都ホテルで三友商事の会長さまのお孫さんと"(おげれつ指南)
都ホテル大阪 2005
桃山 ももやま 大阪名所 夫婦喧嘩(三一上方2:15) 1件1題 (上方1件) 天王寺区東高津町あたり 産湯に連なる東高津の地は,一面の桃林だった.上本町駅のすぐ北,東高津町には,かつて野中観音難波寺があり,札所巡りの人でにぎわった.『浪花百景』では,一面に咲いた桃の花の中を二羽の雀が舞い飛んでいる.産湯稲荷境内に,桃山跡の碑がある.
"桃山花を買わされ"(大阪名所 夫婦喧嘩)
野中観音桃華盛り(浪花百景) 2021
山吹 やまぶき 稲荷俥(創元米朝2:05) 1件1題 (上方1件) 天王寺区か 「稲荷車」に出てくるうどん屋.産湯稲荷そばに描かれ,実在したという.
"山吹といううどん屋の明かりが一つぽっとともっているだけ"(稲荷俥)
     
産湯楼 うぶゆろう 稲荷俥(創元米朝2:05) 1件1題 (上方1件) 天王寺区 産湯稲荷のそばにあった有名な料理店.
"どや、産湯楼の角まで三十銭で行けへんか"(稲荷俥)
     
産湯稲荷 うぶゆいなり 稲荷俥(創元米朝2:05) など 3件3題 (上方3件) 天王寺区小橋町3 産湯稲荷の祭神は,宇賀之御魂命,大小橋命など四柱.戦災を受けて,境内の様子が変わってしまっている.境内の窪地に,大小橋命が産湯を使ったとされる玉の井(産湯の清水)がある.「稲荷俥」は,俥に乗った紳士が,たわむれに産湯稲荷の眷属に化けて,恐がりの車夫をからかう噺.ところが車内に金を置き忘れてピンチにおちいる.
"産湯の稲荷のお使いの狐や。そんなアホな事があるかいな"(稲荷俥)
産湯稲荷 2021
新梅屋敷 しんうめやしき 大阪名所 四季の夢(三一上方2:31) 1件1題 (上方1件) 天王寺区城南寺町か 廃寺となった遍明院の西にあった.
"むしろ新梅屋敷がかえってよかろうと新梅屋敷へまいりました"(大阪名所 四季の夢)
     
梅屋敷 うめやしき 大阪名所 四季の夢(三一上方2:31) 1件1題 (上方1件) 天王寺区城南寺町 新梅屋敷のさらに南西,宝樹寺の南にあった.
"早咲の梅もよかろうというので、梅屋敷へまいります"(大阪名所 四季の夢)
梅やしき(浪花百景) 2021
落ち着き寺 おちつきでら 帯久(創元米朝5:11) 1件1題 (上方1件) 天王寺区城南寺町4 「帯久」の火事の記述.今の上本町に接する城南寺町にある浄土宗天然寺が,落着寺と呼ばれる.菅原道真が潮待ちのため落ちついたことから,境内におちつき天神が祀られている.江戸時代の火事との関連は未詳だが,天然寺の本堂は空襲で焼けてしまった.
"上本町の落ち着き寺というお寺まで行てやんだという。江戸時代の記録にも残ってるんやそうです"(帯久)
天然寺 2017
真田山 さなだやま 愛宕山(創元米朝1:01) など 8件4題 (上方8件) 天王寺区真田山町あたり 大阪冬の陣で,真田幸村が活躍した.その名のとおり,真田山に埋蔵金を掘りにゆく珍しい噺がある(→ 絶滅危惧落語「真田山」).
"天保山、真田山なあ、茶臼山"(愛宕山)
真田山陸軍墓地 2017
呑酒楼 どんしゅろう 大阪名所 夫婦喧嘩(三一上方2:15) 1件1題 (上方1件) 天王寺区 呑春楼.真田山の上にあった高名な料理店.眺望がよかったという.明治20年ごろの真田山を描いた図には,三光神社と呑春楼があると書かれている.舞台づくりの建物は,三光神社の展望台のはずだが,もしかすると呑春楼なのか.
"呑酒楼の帯"(大阪名所 夫婦喧嘩)
真田山(浪華名所図,部分) 2021
三光神社 さんこうじんじゃ 大阪名所 夫婦喧嘩(三一上方2:15) 1件1題 (上方1件) 天王寺区玉造本町14 宰相山に鎮座する.祭神は,天照大神,月読尊,素戔嗚尊の三柱.中風除け(病気平癒)のご利益で知られる.桜の名所.写真の鳥居は二重になっており,手前は戦災で足だけになったもの.
"金の指輪の三光や"(大阪名所 夫婦喧嘩)
三光神社 2022
真田の抜け穴 さなだのぬけあな 猫の忠信(三一上方2:29) など 2件1題 (上方2件) 天王寺区 三光神社の社殿下.大坂城に通じる抜け穴が口を開けている.
"難波戦記の真田幸村がどうやとか抜け穴がどうやとか言うてたがこれや"(猫の忠信)
真田の抜け穴 2017
小橋 おばせ 大師廻り(新選落語集, 春江堂 (1939)) 天王寺区餌指町2 「大師廻り」は,大阪各地の大師霊場を巡る習慣を取り入れた珍しい落語(→ 絶滅危惧落語「大師廻り」).大師廻りの途中で親父をまいて,南のお茶屋に上がろうと画策する.お寺では「大師廻り」の寺と認識していないが,噺の中の小橋は興徳寺のことだろう.摂津八十八ヶ所の一つ.
"親旦那小橋へ来ました、中はお危のうございますからあんさんは裏門の茶店で一服召し上がりませ"(大師廻り)
興徳寺 2005
どんどろ大師 どんどろだいし 小産(名作落語選集, 清文堂 (1938))など 天王寺区空堀町 真言宗善福寺.用例の「小産」は,「大盞」のこと.大阪城代の土井利位,土井殿の大師に由来する.「傾城阿波の鳴門」,幼い順礼おつると母との別れの場面が,どんどろ大師で,二人の像が門前にある.
"どろどろ大師のねきに伯母があって一度訪ねたいと思うていますのや"(小産)
どんどろ大師おつるお弓像 2017
玉造駅 たまつくりえき 代書(創元米朝7:12) 1件1題 (上方1件) 天王寺区玉造元町 JR大阪環状線の駅.1895(明治28)年,大阪鉄道として天王寺−玉造間で開業した.寒空のもと,「代書」の客が回転焼きを焼いていた時は,まだ城東線の駅だった.
"場所はなあ、玉造の駅前だんねん"(代書)
玉造駅 2021

掲載 051209/最終更新 230801

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