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絶滅危惧落語 その3        演者順
赤 : 赤,講談雑誌, 10(9) (1924)
あかん堂 : あかむ堂,講談倶楽部, 18(14) (1928)
阿弥陀ヶ池 : 阿弥陀ヶ池,講談雑誌, 5(8) (1919)
網船 : 親船子船,講談雑誌, 23(13) (1937)
一日公方 : 一日公方,講談雑誌, 4(7) (1918)
稲荷車 : 稲荷車,新 落語全集,大文館 (1932)
稲荷のみやげ : 附焼刃,笑福亭松鶴落語集,三芳屋 (1914)
犬の足 : 大笑ひ,キング, 10(7) (1934)
犬の字 : 犬の字,圓馬十八番,三芳屋 (1921)
浮かれ三番 : 浮れ三番,講談雑誌, 3(5) (1917)
薄雲 : 薄雲,娯楽世界, 3(11) (1915)
謡大根 : 妙な大根売,遊三落語全集,三芳屋 (1915)
謡茶屋 : 謡茶屋,桂文團治落語集,三芳屋 (1916)
うっちゃり : うつちやり,講談倶楽部, 26(9) (1936)
王子の白狐 : 王子の白狐,一ト口噺,三芳屋 (1924)
鶯宿梅 : 春雨茶屋,真打揃ひ傑作落語集,杉本書店 (1906)
臆病源兵衛 : 臆病源兵衛,百花園, (201)〜(202) (1897)
お釣りの間男 : お釣の情夫,百花園, (93) (1893)
鬼娘 : 鬼娘,文芸倶楽部, 26(2) (1920)
お盆 : 御盆,華の江戸, (1) (1896)

書いた物が物言う : 後光,増補改訂版 米朝落語全集 3,創元社 (2014)
形見分け : かたみわけ,娯楽世界, 2(12) (1914)
金釣り : 金釣り,文藝春秋オール読物号, 2(2) (1932)
壁金 : 壁金(飴屋),大正期SP盤レコード 芸能・歌詞・ことば全記録 1,大空社 (1996)
亀太夫 : 亀太夫,落語傑作集,大日本雄弁会講談社 (1937)
木具屋丁稚 : にかは小僧,キング, 15(5) (1939)
伽羅の駒下駄 : 伽羅の駒下駄,週刊朝日, 10(28) (1926)
九尾の狐 : 九尾の狐,名作落語全集 6,騒人社 (1930)
熊坂 : 熊坂,小勝特選落語集,大日本雄弁会講談社 (1937)
下女稲荷 : 下女の出かはり,落語の根本,寧静館 (1893)
源九郎狐 : 源九郎狐,演芸倶楽部, 2(4) (1912)
小いな  : 小いな,文芸倶楽部, 18(6) (1912)
高野駕籠 : 高野駕籠,滑稽曽呂利叢話,駸々堂 (1893)
故郷へ錦 : 故郷へ錦,むらく落語全集,三芳屋 (1914)(3版)
子殺し  : 子ころし,百花園, (229) (1899)
木挽茶屋 : 木挽茶屋,桂派落語 高座の色取 第二集,杉本書店 (1907)
米搗の幽霊 : 米搗の幽霊,文芸倶楽部, 26(6) (1920)
これこれ博打 : コレコレ博奕,笑福亭松鶴落語集,三芳屋 (1914)

逆さの蚊帳 : 逆さの蚊帳,圓馬十八番,三芳屋 (1921)
真田山  : 真田山,落語全集,大文館 (1929)
小夜衣  : 小夜ごろも,名作落語全集 5, 騒人社 (1930)
さんでさい : 三で賽,百花園, (179)〜(180) (1896)
仕立おろし : 仕立おろし,講談倶楽部, 22(8) (1932)
質屋の化物 : 質屋の化物,ワールド, 4(4) (1927)
十返舎一九 : 十返舎一九,家の光, 6(6) (1930)
支那の野ざらし : 支那の野晒,柳家小せん落語全集, 三芳屋 (1915)
芝居の雪 : 芝居の雪,週刊朝日, 16(24) (1929)
障子養子 : 養子と障子,百花園, (237) (1900)
浄瑠璃乞食 : 浄瑠璃乞食,名人落語傑作集,松要書店 (1927)
神道の茶碗 : 神仏論,百花園, (208) (1898)

  本ページでは,寄席の定席で聴いたり,最近の落語全集で見ることができない珍しい落語をピックアップして追加紹介したい.いわば,忘れられた落語のため,戦前の雑誌,書籍から掘りだしてきたものが多い.これらの落語が演じられなくなった理由は一つではない.はじめから掛け捨てのつもりで作られたもの,よい噺でも継承する人がいなかったもの,難しいわりには面白くないもの,時代風俗が合わなくなったもの,現代のコンプライアンスに抵触するものなど,さまざまな理由で消えていったと考えられる.現在,演じられる古典落語の数は700席ほどと言われている.『落語事典』には1200席を超える演目が記されている.その2までの100席の紹介ではまったく足りない.今後,200席を目標に少しずつ追加してゆきたい.
  なお,多数の速記が残されている場合は,できるだけ古いもの,内容のよいものを選ぶようにした.また,雑誌の巻号については,雑誌によって□号,○巻□号,○巻□月号や○巻□編など,まちまちのため,すべて○(□)の表記に統一した.
  本ページには,身体的特徴や職業・身分等に関して差別的表現が含まれている.古典作品の内容を正確に伝えることを目的としており,作品が出版された当時の状況を鑑み,言い換え等は最小限にとどめた.


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101 五明楼春輔,赤, 講談雑誌, 10(9), 88-94 (1924)
【あらすじ】
 本所緑町に住む小倉山という関取を,旅から戻ってきた鳶頭が訪ねてきた.風邪で半月ほど寝込んでいたという.「お前さん,ひいきの守田屋をしくじったというじゃあないか」「へえ,旦那に連れられ柳橋にお供したところ,芸者の小しんと深い仲になってしまいました.ところが,本場所で5日間負けどおし,面目なく後の5日を休んだところ,守田屋さんから使いが来て,もう出入りをしては困るとのこと.頼みの鳶頭も留守で,とうとう本当に寝込んでしまいました」「そうか,俺がなんとか詫びをしてやろう」.数日後,鳶頭は守田屋を訪れた.「旦那,坊ちゃんの加減はいかがです」「ありがとう,疱瘡にかかって,少し熱がでると火のついたように泣かれて,実に弱るよ」「いい子守を見つけたんですが,いかがでしょう.小倉山で」「何だと」「聞くと,お詫びがかなえば,坊ちゃんのお守りでも何でもしたいと言ってます」「勘弁してやろう.だが,あいつに坊の守ができるのかい」「坊ちゃんは疱瘡でしょう」「そうさ,だからこのとおり,部屋中赤いもので飾っているんだ」「小倉山は二十日もお湯に入ってません.あかだらけでございます」

【ひとこと】
 この通り畳を毛氈で敷き詰め、床の間のフチを緋縮緬でわくを取り掛物まで日の出にして置くのだ、云ふまでもなく疱瘡神は赤い物が好きなんだ(赤)
 赤(あか)は,『講談雑誌』10巻9号に掲載された.五明楼春輔演.挿絵3枚.『落語事典』には載っていない.

【つけたし】
 「赤」というシンプルなタイトルがついている.他の速記は見たことがない.本文には,古い話とも新作とも書かれていない.
 疱瘡(天然痘)の感染力は強く,疱瘡神が疫病を広めていると信じられた.種痘が広まり,1955年には日本で根絶宣言が出された.最近,サル痘(M痘)が,じわじわと広がりつつある.ワクチンができるまでは,まじないや神頼みに頼るしかなかった.疱瘡神は赤い物が好きなのではなく,赤い物を嫌うので,赤い色で描いた源為朝や鍾馗の画像を飾ったり,赤い御幣,達磨などの飾り物をした.会津の郷土人形の赤べこも,疱瘡よけの願いがこめられており,体についた黒い斑点は,疱瘡の腫物を表している.葛飾半田稲荷の願人坊主が,赤い幟を掲げて,"はしかも軽いが疱瘡も軽い"と江戸の町をもらって歩いた.坂東三津五郎が演じて評判を取った.
 "疱瘡は器量定め"と言われ,治っても顔にあばたが残ることがある.三遊亭圓遊(1)も顔にあばたがあり,「あばた会」という新作を作っている.関西弁では,あばたのことを"みっちゃ"とよぶ.三芳屋の桂文之助個人集には,「菊石妾」(みっちゃでかけ)という噺が載っている.本妻はお妾をライバル視し,髪飾りや衣類など,何についても張り合っている.「お妾に薄みっちゃがあるというが,私とどちらが多い」と下女に聞くと,「そりゃお家はんの方が沢山ございます」「知れたこと,ソラ本妻やもん」.速記は残っていないが,「菊石息子」という噺もある.「なめる」と似ており,あばたのある息子が,粋な女性に声をかけられる.よろこんで家にあがると,もてなしをうけた.婿になってくれと言われるかと期待していると,子供が連れてこられて,植え疱瘡をしないと,こないな顔になります.


102 林家正蔵,あかむ堂,講談倶楽部, 18(14), 520-528 (1928)
【あらすじ】
 麻布からやって来た男が,急な夕立にあった.芝丸山下の弁天堂に来かかると,洗い髪の女がイチョウの木の下で雨宿りしている.芝の汐留に帰るので,「番傘でよければお入りなさい」と,二人で歩き出した.大門まで来ると,雨はますます強くなり,たまらず阿観堂の軒下に駆けこんだ.「親父は船乗りで,いま木更津の方に行っていますから,家には誰もおりません.よろしければ,お茶でも差し上げてゆっくりお礼を申し上げたい」.小雨になり,二人は汐留の家までやって来た.「小母さん,遅くなりました」「ああ,お関さんかい.じゃあ,鍵を渡すから」「これが独り者の証拠,さあ,お上がりください.小母さん,お使いを頼まれてくれませんか.鰻の細かいところを一分と,お酒をお願いしますよ」「じゃあ,お酒は私に買わせてください」「お宅は銀座とおっしゃいましたが」「はい.呉服太物を扱う稲野屋の手代で藤兵衛と申します」
 盃のやりとりが進み,日はとっぷりと暮れてきた.すると,割れるような表の戸を叩く音.「大変ですよ.兄が帰ってきました.早く逃げて下さい」.戸棚の中に隠れた藤兵衛,このままではまずいと,合間の壁を押しぬいて,隣家の座敷に転げこんだ.なにがしかの礼金を渡して,雨の中,河岸の軒下を伝って帰るところを,壁土まみれの怪しい男がいると常廻りの忠治が見とがめた.「何だ,お前は稲野屋の藤兵衛じゃないか」「これは忠治親分で.実はこういうことで」と,雨宿りの一件を話した.「洗い髪の女か.藤兵衛さん,気の毒だが,あの女を亭主ぐるみ引き取ることになるぜ」「全体あの女は何者で」「芝から麻布赤坂にかけて,美人局,押しかけ女房を商売にしている奴だ」
 翌朝,稲野屋にやって来た小舟乗りの三平とお関,稲野屋の屋号が入った番傘をネタに強請ってきた.言い値の十両を受け取ると,「お喧しゅうござんしたねえ」と言い捨てて,三平とお関が店を出た.ところが,待ち構えていた御用聞きに二人はお縄となる.「忠治親分,何事かは存じませんが,昨晩おそく藤兵衛が戻ってきて,明日,夫婦者が強請りに来たら,黙って金を渡してくれと頼まれました」「お腹立ちはお詫びします.それは俺が藤兵衛さんに吹きこんだこと.あいつは,美人局を商売にする濡れ髪お関と名を取ったお尋ね者で,もとは品川の板頭,名代の飯盛ですから」「ああ,それで藤兵衛がお膳を据えられたんだ」

【ひとこと】
 差しかけられたもやひ傘、篠を束(つか)ねてつく雨に、通りかゝつた阿加牟堂、駆け込む縁の雨宿り、濡れて見たさの心根か、つひほだされた深切から、胸に鎖(とざ)したかき金も、ゆるんだ話の二人が仲、留守を幸ひ盃の、やりとりまでの段取りが、だんだんからむ千鳥糸、破れかぶれと骨ッぽく、外から駆込んだばつかりに、忘れて行つた此の品は、銀座二丁目稲野屋と、べつたり印した屋号入り……と、まァ芝居でやりやこんな事を云ひますがね(あかむ堂)
 あかむ堂(あかんどう)は,『講談倶楽部』18巻14号に掲載された.林家正蔵(6)演.宍戸左行の挿絵3枚.『落語事典』には載っていない.

【つけたし】
 人情噺の匂いがすると思っていたら,『百花園』222〜223号に掲載された「雨やどり」(桂文治(6))が,この原話だった.「あかむ堂」は,「雨宿り」の一部にサゲをつけたもの.「雨やどり」では,女好きの若旦那が外出するので,女房が権助の彦助を見張り番としてつける.雨宿りしていた女に出会い,じゃまな彦助に小遣いをやって追い返し,二人は相合い傘で歩き出す.女の家にあがりこんだ若旦那の腕に,"関"の彫り物が見つかり,あなたと同じ名前でめったなことはできないなどとごちゃごちゃ言っているところに,男が帰ってきた.あわてて逃げた若旦那.あつらえたスッポン鍋が届いて,お関と亭主は鍋をつつきながら,明日,稲野屋を強請に行こうと相談する.まだまだ噺は続きそうなのだが,ここでまとめている.この女,濡髪のお関といって,手切れ金をやって手を切ろうとしても,切れない悪婆.切れないはずです,濡れ髪ですから.
 品川宿の宿屋は,飯盛女と称する遊女を抱えており,「品川心中」の本屋の金蔵が深入りしたり,「品川の豆」の連中が川崎大師の帰りに立ち寄ったりしている.飯盛女だけに,上げ膳だけでなく,据え膳も喰わせたので,それをサゲにしている.


103 入船亭扇橋,阿弥陀ヶ池,講談雑誌,5(8),55-63 (1919)
【あらすじ】
 八五郎が吉公のところに来て文句を言っている.「一寸八分の閻浮陀金は,浅草の観音様のほかにもあるというじゃないか」「善光寺のご本尊も閻浮陀金,三国伝来だ」.そこで,三国伝来の仏様のいわれを説明した.
 大昔のこと,唐土に学海長者という大金持ちがあった.その娘が天刑病にかかり,手を尽くして療治しても重くなるばかり.天竺のお釈迦様を頼ると,一寸八分の閻浮陀金の阿弥陀様をこしらえてお守りすれば,その功徳で病は治ると言われた.閻浮陀金の珠は,龍宮を守護する龍が持っているとわかったので,これを取りに行ったのが,釈迦の十大弟子の舎利弗尊者,富婁那尊者,目蓮尊者の三人.神通第一の目蓮尊者が印を結ぶと,海が割れて龍宮への道が開けた.龍は日に三度,夜に三度の炎熱の苦しみを受けているが,この珠の功徳で苦しみを逃れることができるので,珠を渡すことはできないと言う.そこで,舎利弗が知恵を出した.目蓮の神通力で,龍のウロコの間に数万の小虫をこしらえて,チクチクと刺したから,龍は七転八倒の苦しみ.そこに富婁那が行って,これは珠を持っている罰だから,珠を渡せばこの苦しみも,炎熱も封じられるからと説いてきかせた.みごと閻浮陀金の珠を手に入れたという訳だ.「それじゃ龍が珠なしにならあ」.お釈迦様が印を結ぶと,三尊の弥陀の尊像に変わった.これを開眼してもらい,祈祷すると娘の病気が治った.
 「ヘエー,それがどうして天竺に渡ったんで」.すると,後に,天竺の妙浄王の夢枕に三尊の弥陀がお立ちになり,お前の前世は唐土の学海長者である.慈悲善根を施した功徳で,今生に王国に生まれた.学会長者に使いを出すと,相手も同じ夢を見ていた.妙浄王は精舎を造って,譲り受けた尊像を祀った.
 唐土にあった仏様ががどうして日本に渡ったかというと,仏法に帰依された聖徳太子が仏の尊像が欲しいと天竺に使いを出したところ,この像が天竺から届いた.ところが,仏教に反対する守屋の大臣との争いに破れ,聖徳太子の尊像は守屋の大臣にぶんどられてしまった.この仏像を7日7晩ふいごにかけたが,どうしても熔かすことができない.とうとう,難波ヶ池へ放りこんでしまった.
 その後のこと,禁裏北面の武士の本田善光が難波ヶ池を通りかかると,「善光,善光」と呼ぶ声がする.池の中が光り輝き,三尊の弥陀が姿を現した.「汝の前世は天竺の妙浄王である.御仏に仕えた功徳によって,今,善光と生まれかわった」と,これまでの話をされた.これを聞いた善光は,随喜の涙を流した,という訳だ.「へえー,目から芋がらがでたのかい」「ズイキといっても有難涙のことだ」「俺はまた,如来の神通力で眼から芋がらが出たのかと思った」

【ひとこと】
 吉『目蓮尊者が衣の袖の内で印を結び口に呪文を唱へると、アヽラ不思議や、大海の水が左右に開けて、一条の砂原の道が出来たから三人は其の道を安々と龍宮へ行った』 八『ヘエー、其の人が今居ると大金儲けが出来るぜ』 吉『何うして』 八『長崎へ伴れて行つて其の神通力で朝鮮の釜山まで砂道を拵へて、電車を敷いて往復十銭で乗せたら儲かるぜ』(阿弥陀ヶ池)
 阿弥陀ヶ池(あみだがいけ)は,『講談雑誌』5巻8号に掲載された.入船亭扇橋(8)演,浪上義三郎速記.カット絵とも挿絵2枚.『落語事典』には載っていない.

【つけたし】
 見たことがない落語だと思うので,長めにあらすじを書いた.上方の「阿弥陀池」(桂文屋作)は,東京では「阿弥陀ヶ池」と呼ばれることがある.それとは別の噺.「お血脈」のマクラに,善光寺阿弥陀如来の由来が語られることが多いが,この噺は,その縁起をさらにふくらませたような内容になっている.本文中に,"難波ヶ池"は出てくるが,タイトルの"阿弥陀ヶ池"は登場しない.古代にあった河内湖の排水路が低湿地になっていて,難波の堀江とか難波ヶ池と呼ばれていたとすれば,その名残が阿弥陀池なのだろう.仏体出現の放光閣が,阿弥陀池(大阪市西区)の中に祀られている.
 釈迦の十大弟子にも諸説あるようだ.その中で,第一の弟子である舎利弗は,智慧第一とされ,「般若心経」にも舎利子として語りかけられている.目蓮こと目健連は,神通第一とされる.舎利弗とならんで,釈迦の直弟子の一人.富楼那(本文では富婁那)は,説法第一とされる."富楼那の弁をふるって"幇間が旦那を説得したり,世辞が苦手なので富楼那尊者へ願を掛けるほどだ,といった使われ方をしている.


104 柳家小さん,親船子船,講談雑誌, 23(13), 76-81 (1937)
【あらすじ】
 若旦那が幇間の善公に知恵を借りにきた.「今日は芸者と網船へ行く約束なんだ.何とかならないかい」「旦那さんが信用している人はございませんか」「なにしろ,家の親父はケチだから金儲けの話に眼がないんだ.この間,本町の吉田さんの勧めで買った土地で儲けたもんで,吉田さんは偉いと言っていた」「それならお任せをっ」
 「何だい,善さんかい.あまり出入りして欲しくないね.うちの奴を道楽者にしたのはお前さんだからね」「今日は本町の吉田さんから,網船で待っているとの言づてで」「吉田さんなら間違いない.しかし,吉田さんが網船なんぞ無駄な遊びをするとは」「いえいえ,この間など,獲れた魚が売れ20円儲かりました」「そうかい.それなら私も行こう」
 金の話をしたら,やぶ蛇になってしまった.しょうがないので,船頭に船を揺すってもらって,酔わせて陸にあげてしまおうという段取りにした.
 「ウーム.大層揺れるな.心持ちが悪くなってきた.お前たちは老い先の長い体だから先に上がりなさい.私は船賃が損だから,鯉の顔を見るまでは上がらん」.向こうでは芸者幇間持ちが乗った網船が待っている.「あら,あの小船には大旦那も乗っているわ.ちょっとからかってやりましょう」.芸者たちが酒肴を見せびらかしはじめた.これを見た若旦那,善公に当たり散らす.善公,心得ましたと,船を近づけさせると,わざとその船に投網をバーッとかけた.「これは大変な失礼をしました.どこかの殿様に飛んだことをしてしまいました.若旦那,向こうの船に行ってよくお詫びをしましょう」.まんまと二人は,向こうの親船に乗りうつった.
 「腰元ども,この両名を取り逃がすな」.言葉とはうらはら,キャッキャッと大騒ぎ.親旦那を乗せた船頭は,船をこぎ戻した.「船頭さん,急に揺れなくなったな」「今時分,若旦那は向こうの船で叱られて,さぞお辛いことでしょう」「ウム.あの船なら私も謝りに行っていじめられたい」

【ひとこと】
『大丈夫でげすよ。若旦那には善さんといふ、軍師がついてゐますから、何とか切抜けてきつと出て来ますよ。アツ、そうれごらんなさい、あすこへ見えました。アヽあの船がそれです。ね、乗つてるでしよ』
『アラ本当よ。おゐでなすつたわ。だけど一八さん変だわねえ。波もないのにあの船は大そうひどく揺れてる事ねえ』
『成程揺れてらァ。こりやァひどいや。‥‥もうしィ若旦那ァ。こゝですようッ‥‥』
『しーつ、しーつ‥‥』
『アレ、手を振つてゐらァ。お差合でもあるのかな。アッ、さうだ。大旦那が御一緒らしい。ワア、若旦那も善さんも、苦い顔をして困つてゐますぜ』(親船子船)
 親船子船(おやぶねこぶね)は,『講談雑誌』23巻13号に掲載された.柳家小さん(4)演.カット絵とも挿絵3枚.『落語事典』には「網船」の演題で載っている.

【つけたし】
 侍の乗った船に無礼をはたらき,女が連れ去られる.実はそれが計略だったという内容は,どこかの人情噺にあった記憶がある.「親船子船」という見慣れぬタイトルと,人情噺の抜き読みのような内容から,知らない噺を見つけたと思った.実は,もともと上方落語の「網船」という落語であった.雑誌『上方』に桂三木助(2)の速記が載っている.横堀から木津川に出たら,潮が差しているので船が揺れるという設定は自然.船に酔った親父が,反吐をつく仕草で客が拍手するとある.サゲも違っていて,船に乗っていた薩摩の侍が刀を抜いて,まるで剣の山にいるようだと船頭がいうと,あの剣の中ならワイも行きたいとなる.
 桂文我(4)個人集の巻頭がこの「網船」で,『上方』の速記を参考にしている.考証も詳しく,個人集への意欲にあふれている.病床の笑福亭松喬(6)も演じており,最後の放送が「網船」だった.松喬演は,親父を川口の中洲に置き去りにしようと提案したり,親父でなく幇間が酔ってしまったり,拳の負け飲みの場面を差し込んだりと,工夫もたくさんで,網打ちの仕草もみごとな至芸だった.


105 三遊亭金馬,一日公方,講談雑誌, 4(7), 127-136 (1918)
【あらすじ】
 麻布六本木の大工の市兵衛は,腕がよくって江戸っ子気質.73歳になる母親に孝行をつくしている.誰にも慕われているが,とりわけ珍斎というお茶の先生がかわいがっている.毎日いっぺんは顔を見ないとすまない.
 ある日,珍斎のところに来ていた医者の顔を見ると,市兵衛はあわてて飛び出し,酒を一升買って戻ってきた.医者から一献差されると,市兵衛は「もうこれで死んでもいい」という.不審に思って訳をたずねると,「この前,お駕籠のすきまから公方様の顔を見たことがある.お医者様の顔が,その公方様そっくり.何か,公方様から盃をいただいた気がする.だから,もう死んでもいいと思いました」という.これを聞いた医者が面白がって,「何か望みはあるか」とたずねた.すると,「たった一日でいいから公方様になってみたい」と夢のような返答.「そうか,もう一献くれんか」.珍斎にそっと命じて,酒に眠り薬を入れた.市兵衛がハッと目を覚ましてみると,結構な布団の上で寝ている.見慣れぬ年寄りがやって来たので,「わっちは市兵衛と申すものです.どうか家へ帰しておくんなさいませ」「公方様,何をおっしゃいます.長い間,市兵衛という者の夢を見たんでございましょう」.あっけにとられていると,やがて結構な料理と御酒がでた.これを飲むと,また眠りこけてしまった.
 目が覚めると,また汚い着物に戻り,せんべい布団で寝ている.「お前が寝ている間に,親孝行のご褒美だと二百両が届いたよ」「二百両.そりゃあ,俺がやったんだ.俺は公方様だ」.麻布の家を飛び出すと,無理やりお城の中に入ろうとした.「同役,この者は狂人に相違ない」.門番に縛られ,牢に放りこまれてしまった.市兵衛,夢から覚めたような気になり,家に戻された.珍斎のところに行くと,また例の医者がいた.「そちの望みはかなったろう」.医者だと思っていた客は,おしのびの公方様だった.「公方様,とんだ粗相をいたしました.どうか,すっぱりお手討ちになすってくんなさい」「面白い奴じゃ.そちの親孝行を愛でて,所の一町をその方に遣わす.今日より,その方の住めるところを市兵衛町と改めよ」「何だか訳が分からない.市兵衛が公方様で,公方様が市兵衛で……」「まだ分からんか」「こいつぁ麻布で気が知れねえ」

【ひとこと】
 市「是が皆な俺の家来か、大勢居るなア、此の大勢を皆な家で食はして居るのか随分かゝるだらうな、この内に町奉行が居るなら一寸前へ出て貰はうぢやねえか……アゝお前か町奉行はどうも御苦労様、却々(なかなか)忙(せわ)しからうね、一つ早速調べて見てえのは、麻布に市兵衛といふ者が居る、七十三になる阿母(おふくろ)があるんだが、貧乏で困つてるから金を少しでも遣つて貰ひてえ」 奉「承知仕りました、何程遣はしませう」 市「沢山遣らねえでも宜い、沢山(たんと)やつて一時に使つちまうといけねえ、マアリャンコも遣つたら宜からう」と指を二本出しました 奉「ハア二百金遣はしますか」」(一日公方)
 一日公方(いちにちくぼう)は,三遊亭金馬(2)演,今村次郎速記.カット絵とも挿絵3枚.

【つけたし】
 「一日公方」の速記は,『講談雑誌』4巻7号のほか,『講談倶楽部』27巻14号 (1937)にも載っている.三遊亭小圓朝名義の騒人社の速記は,講談社の小勝個人集と同じもの.戦後では,柳家小満んが「一日公方」を手がけている.
 ストーリー的にはずいぶんと無理がある落語で,なぜ珍斎のところにわざわざ将軍が通ってくるのか,その理由は書かれていない.サゲから先にできた噺なのかもしれない."麻布で気が知れない"は,江戸の通言だが,実際につかっている場面に出くわしたことがない.その由来は諸説あって,六本木というのにそんな木が見あたらないとか,(田舎の)麻布には木ばかりであって気が知れないとか,五色のうち目黒・白金・赤坂・青山はあるが,黄色だけがないなどと言われている.最後の五色は,江戸市中にあった五色不動にも目黒不動や目赤不動は有名だが,中でも目黄(めき/めぎろ)はどこだかはっきりしないとされる.麻布市兵衛町は,今の六本木一丁目・三丁目あたりになる.名主の黒沢市兵衛が町名の由来だが,明治になってもっと広い範囲が麻布市兵衛町となった.街を歩いてみても,市兵衛町をしめすゆかりの物はみつからなかった.
 写真は古河の公方饅頭.毎日手作りされるものが,どんどん売れてしまう人気の商品.賞味期限一日だと聞いて買ってみたら,惜しいことに製造日いれて三日間だった."一日公方饅頭"ではなく,"三日天下饅頭"だった.


106 桂太郎,稲荷車,新 落語全集,大文館 (1932)
【あらすじ】
 松屋町高津裏門,山吹といううどん屋の角で,俥屋が客待ちしていた.夜も9時を過ぎると人通りも少ない.通りかかったのは,中折れ帽に金縁眼鏡の紳士.「俥屋」「お安くしときます.乗っとくんなはれ」「産湯まで頼むは」「そ,それは御免こうむります」「用心が悪いのか」「いえ,狐がいます」「俥屋してて,狐が怖いのか」「曳いていると池へはめます.どうかすると糞壺(どつぼ)へ放り込みます」「わしがついていれば大丈夫.狐や狸は友達みたいなもんじゃ.とにかく産湯まで一円やる」.俥屋は,客を乗せると走り出した.「俥屋,威勢がええな.お前の家はどこじゃ」「高津二番町です.山吹から一町行った路地です」「お前は正直らしいな」「仲間の内でも正直者と言われてます」「正直が何よりじゃ.今に福を授けるぞ.これ,どうして行かんのだ」「旦那,向こうに産湯の森が見えてきました」「そんなに怖いのか.俥屋,わしは人間ではない」「フエッ.貴方は何です」「わしは産湯稲荷の眷属じゃ.今日は土佐の石宮まで用事があって参った帰り道,神の使者から一円取るとは不届きじゃぞ」「俥賃はようございますから,糞壺はご勘弁を」.そろそろとまた曳きだした.「へい,産湯楼まで着きました」「コレ,わしの姿を見たら目がつぶれるぞ」「半纏かぶってうつむいております…….もう目を開いてよろしいですか…….おお,お姿がない.早よどんどん帰ろ」
 「今戻った」.お神さんに産湯の狐を乗せたこと,正直な奴だから近々福を授けると言われたことを話した.「そりゃ乗り逃げに遇うたんや」.ぶつぶつ言いながら俥を片づけていると,忘れ物のハンカチがあった.「あんた,中に百五十円入ってたわ」「正一位稲荷大明神様,福をお授け下さいましてありがとうございます」「けど,狐がこんな綺麗なハンカチ持つかいな.香水のかざもするわ」「狐かてこのごろはハイカラや.おい,酒屋で五升ばかり取ってこい」.酒や肴が届いて,近所の人とお祝いの酒盛りがはじまった.「あんた伏見稲荷もけっこうやが,産湯のお稲荷さんもあらたかでございます.これからは産湯さんも信心しなはれ」
 「アッハッハ.面白かった.明日になったら俥屋に五十銭も持って行ったろ.あ.しまった.酔っていて金を忘れた.こりゃ迂闊に取りに行けんぞ.狐に化けて乗り逃げや.警察へ出たらこっちが処分じゃ.正直なのを頼みに行ってみるか」.高津二番町で佐吉の家を尋ねると,何かめでたいことがあったらしく,長屋中で大騒ぎしていると言われた.「あの,車夫の佐吉さんはこちらでしょうか」「わ,正一位稲荷大明神様.お長屋衆,明神様がお出でになりました」「誠に済みませんが,一つ頼みがあって参りました」「この佐吉が飲み込んでます.赤飯は明日のことにして,まず御神酒を差し上げます.さ,どうぞこらへ」「酒の上でいたずらしまして申し訳ない.穴があったら入りたいところで」「滅相もない.祠を建ててお祀り申します」

【ひとこと】
 客「お内儀さんは何か手仕事でもしてるのかな 車「ヘエ莫大小(めりやす)のミシン掛けや帽子のミシン掛けや種々(いろいろ)の手仕事をして居ります 客「それは結構やな夫婦(みょうと)は車の両輪の如し、しんぼうが金(かね)ぢや、幌を破(なお)すな辛抱をくるまでせい 車「エライおもしろい方やな(稲荷車)
 稲荷車(いなりぐるま)は,『新 落語全集』に収められている上方落語.桂太郎演.この速記は,繰り返し掲載されている.

【つけたし】
 「稲荷車」は,戦前の書籍に少なくとも6回は載っている定番の落語だった.戦後,滅んでいたものを桂米朝(3)が掘り起こして復活した.米朝の口演と比べてみて,細かいくすぐりまで,この速記の段階で盛り込まれていることがわかる.山吹という蕎麦屋や産湯楼は実在しており,これらの固有名詞が噺の存在感をたしかなものにしている.図は『滑稽浪花名所』の"うぶゆ"の項.狐に化かされた男が,裸に俵を着て大名行列の先触れをつとめている.奥に産湯稲荷らしい建物と森が描かれている.


107 笑福亭松鶴,附焼刃,笑福亭松鶴落語集,三芳屋 (1914)
【あらすじ】
 ぼんぼんの作次郎は,家の金を持ち出しては遊びに使っている.先日も,手文庫に入れてあった五百円の為替に手をつけてしまった.
 家を出てもう3日も食べてないので,死ぬつもりだと言われて,叔父さんが懲りずに詫びを請け合ってしまった.「すっくり行きよった.叔父さん,一つ早幕でやって貰いまひょか」「散髪屋のように言うな.婆どん,また一杯引っかけられたわい」.若い頃,遊び人だった叔父さんは,なかなか物わかりがいい.自分も兄貴に合わす顔がないから,お前が狐つきになって親爺をだませと計略を教えた.竹の皮に馬の糞を包んで土産にして,今帰ったコンと言え.「ようノコノコ帰ってきたな」と言われたら,「土産あげよ,ほこほこ饅頭や」と包みを突き出せ.親爺が中を見ている間に,下駄履いたまま座敷にあがって,さんざん暴れ回って,親爺の頭のところで「神妙にせい.お下りなるぞ」と頭に噛みつけ.「ソラ,お稲荷さんが下がった」とでも言おうものならしめたもの,「この間の金子五百円,あれは眷属に入用があったものじゃ.必ず作次郎に科はないぞ.さあ,帰るぞ」と言うなり,そこへ勢いよくひっくり返って固くなっとれ.そうすれば,水を飲ませてくれるから,ゆっくり頭を上げて,「お父さん何や」と言うと,「おお,せがれ.お前に眷属さんが乗りうつって,お金を使いなすった」と罪が逃れられるのじゃ.
 「ヘーうまい趣向ですな」.着物をだらりとさせ,顔に鍋墨を塗って,稽古を始めた.通りかかった馬車が,湯気の立つ馬糞も落としていった.「さあ,あんじょう包め,ほこほこ饅頭を忘れるなよ,それを忘れたらどもならんぜ」.親爺の店へ向かう道々稽古をしていると,おかしな奴だと人だかりがしてきた.「狐つきやと.そう見えるようにしてあるのや.お父っさん,今戻ったコーン…….まだついてくる.あっち行きんか…….土産あげよ,ほこほこ饅頭や……」.とうとう店の前まで来てしまった.「帳場に毛虫の番頭が居よる.親爺は火鉢の前で目をむいとる.二人並んでいると入りにくい…….えい,入ったれ.お父っさん,今戻ってきたコーン」「誰やと思たら家の極道やないか.ようノコノコ戻ってうせたな」「土産あげよ」「土産てなんじゃい」「開けてみい.馬の糞や」

【ひとこと】
 叔「それやよつて稽古をせいと云ふのぢや、羽織を脱いで帯を一巻解(ほど)け、後は長いなりで結んでダラリと後ろへ下げて置け、胸を広げて着物を横斜(よこすじかい)に着い、大体貴様は商人(あきんど)の忰に似合ん痩形で綺麗過るワ」
 作「それで女子が惚れますので」
 叔「馬鹿ッ、まだあんな事を云ふてくさる、両方の手へ鍋墨を一パい附けて来い」
 作「怪体なことをするのやナ」
 叔「それを顔から手から足へ塗れ」(附焼刃)
 附焼刃(つけやきば)は,『笑福亭松鶴落語集』に収められている上方落語.笑福亭松鶴(4)演.『落語事典』には「稲荷のみやげ」の演題で載っている.

【つけたし】
 付け焼き刃がはげたというよりは,周囲の視線と親爺さんのプレッシャーに負けて,言い間違いをしてしまったのだろう.「稲荷のみやげ」の速記はめずらしい.雑誌『ヨシモト』に載った桂円枝の小品は,別題の「狐憑き」とある.「狐つき」と題する落語は4種類以上あり,キツネに化かされる噺まで加えると,7題も絶滅危惧落語で取り上げている.まさに「七度狐」だ.
 四谷新宿馬の糞と言われたように,新宿をとおる甲州街道は,継立の馬が多かった.広重の内藤新宿の名所絵にも,画面一杯に描かれた馬の尻の足もとに,ぽとぽとと馬糞が描かれている.これを貝殻でもって拾っては肥料に売る人がいて,リサイクルが成り立っていた.「王子の狐」などのように,馬糞を茶饅頭とみたてるより,牡丹餅と見立てる方が多い.ホームセンターに行ったら,仏壇に供えるプラスチックの牡丹餅や泡の立つビールが売られていた.本物そっくりなので,仏壇の中のご先祖様は,好物が供えられたとだまされてしまう.


108 三遊亭小圓朝,大笑ひ,キング, 10(7),452-458 (1934)
【あらすじ】
 何でも知ったかぶりをするご隠居が,やってきた客の揚げ足を取っている.観音様ではなく金龍山浅草寺だとか,猫も杓子もはおかしいとか言われてやりこめられた客が,「それでは隠居は何でも知っているんですね」と逆襲に出た.鶏卵は玉子のまま食べるから"けいらん"だ,土瓶は土でできているから土瓶,薬鑵は兜がわりに戦場でとっさにかぶったら,矢がカンと当たったから"やかん"だなどうまく言い抜けた.
 「それじゃあ,よく大笑いさせるというが,その訳は」とたずねた.隠居が言うには,「昔,一度も笑ったことのない王様がいた.ある日,園遊会を開いたところ,竹で編んだ細長い籠に犬が首を突っ込んだら,首が抜けなくなってしまった」「早く抜けばいいじゃないですか」「それが,当時の犬は後ろ足が1本しかなかった.だからゴロゴロ転がって,どうしても抜けない.これを見た王様が思わずハハハと笑った.王様が笑った,"王笑い"ということばは,ここから始まった」「本当かい」「だから,竹かんむりに犬と書いて笑うと読ませる.王様を笑わせた褒美に,4本足の四徳の足を一本取って,犬に遣わした.犬の足が4本になったかわりに,3本足になった四徳の名前の方を増やして五徳とした」と説明した.「王様からもらった足だという証拠はありますか」「犬が往来で小便をするとき,王様からいただいた足に小便がかかってはもったいないと,片足あげるのが証拠だ」

【ひとこと】
 そこである日のこと今日でいふ園遊会のやうなことを催した、模擬店のやうなものが沢山出て、所々に竹を編んでこしらへた細長い籠が出てゐる、といふのは、いろいろの物を食べた屑や、手を拭いた紙などを、そこらへ捨てると汚ならしいから、その籠の中へ入れて置くために用意されたのだ(大笑ひ)
 大笑ひ(おおわらい)は,『キング』10巻7号に掲載された.三遊亭小圓朝(3)演,カット絵とも挿絵4枚(川原久仁於).『落語事典』には「犬の足」の演題で載っている.

【つけたし】
 『名人落語講談会』(1919),『男女御笑草紙』(1926)という本にも,柳家小せん名義で,「王笑い」が載っている.前半部は,「やかん」という落語そのものになっている.いくら知ったかぶりの隠居相手だからといって,大笑いの由来をたずねる必然性がない.竹冠に犬で笑うとか,五徳の足が4本だとか,何か理に詰んだ感じがして,自然なおかしみに欠けると感じた.
 犬張り子に竹籠をかぶせた郷土玩具がある.東京のものが有名だ.犬張り子だけだと安産のお守りだが,竹籠をかぶせると,これも笑うの文字を表している.籠目の魔除けにまで踏み込むと,縁起物というよりは呪術の世界になり,私の手には負えない.籠の上にに傘まで乗っているものもある.重ね重ね笑うだと思ったら,すぼめた傘が瘡が軽く済むように縁起を担いでいるのだそうだ.


109 三遊亭圓馬,犬の字,圓馬十八番,三芳屋 (1921)
【あらすじ】
 深川八幡の境内に白犬がいた.白犬は来世で人間に生まれ変わるとみんなに言われ,どうにかして生きている内に生まれ変わりたいと,八幡様に裸足詣りした.21日の満願の日,フーッと風が吹くと,体の毛が抜け始めた.「おや,立てた立てた.人間になれたよ.裸じゃ寒くっていけない」.通りかかった富岡門前町の銭屋の旦那に声をかけた.「旦那,私はこの神社に居ました白犬でございます.今日,御利益をもちまして人間になれました」「それは結構だな.人間になったら一生懸命働かなくちゃいけない」「へい.是非,牛込の木村さんに奉公いたしたいと思います」「あそこは搗米屋で大変だよ」「木村さんには恩があります.以前,洋犬と駆け落ちしようと閻魔堂橋にかかったとき,すんでの所で犬殺しに殴り殺されそうになったのを,木村の旦那が金を払って助けてくださいました」「そうかい.それなら私の着物を着な.前垂れの紐を首に巻いちゃいけない.犬だと分かったら置いてもらえないから,決して尻尾を出しちゃいけないよ」「もう尻尾はございません」
 「ただいま.以前言っていた千葉の三池屋の倅だが,東京に出てきて付き馬に身ぐるみはがれて震えていたから,連れてきたよ」「ずいぶんと色の白い方ですこと.お名前は」「うん.名前は……,只四郎だ」.牛込の屋敷に連れて行くと,人の何倍も働くし,夜などガタリといってもすぐ目を覚ます.食い物にぜいたく言わず,銭は欲しがらない.大変に主人の受けが良い.
 2年あまり月日が経ったある日のこと,木村の家を銭屋が訪ねてきた.只四郎を気に入った木村は,銭屋の女中のおもよと結婚させたいと言ってきた.それはできないと銭屋が断ると,その理由をしつこく聞いてくる.とうとう只四郎がもとは犬だったことを打ち明けた.そうは言っても,犬には見えない.もし,無理に酒でも飲ませて犬の正体をあらわしたらあきらめようと決まった.二人で酒を飲んでいるところに只四郎を呼び,無理に猪口をあてがった.はじめて飲んだ酒に,すっかり酔っ払った只四郎は,中座するなりそのまま寝てしまった.「どれ,覗いてみるか.ああ,いけない.正体をあらわしている」.見ると,只四郎はよだれを垂らして大の字に寝ている.「何を言うんだ.あの通り人間じゃないか」「よく見てごらん.大の字の脇で,枕が肩で丶になっている」

【ひとこと】
 人は多いけれども折角だから置いて見るとサア働くの働かないのつて、他人(ひと)の三層倍、夜だつてまんぢりとも致しません、根が犬ですからガタッと云ふとウームと来るんだから家でも驚ろいた、然うかも知れません、奉公人の気受(うけ)も宜い、焼物が出ても己れは骨を食つて身の方は他人に食はせる、あんな珍らしい奉公人はない(犬の字)
 犬の字(いぬのじ)は,『圓馬十八番』に収められている.三遊亭圓馬(3)演.

【つけたし】
 「元犬」を改作したものを聞き覚えたという.ずいぶんと長い話になっているが,大の字に寝ている人の肩に点があれば犬になるという他愛もないサゲに尽きる落語.疝気なら大きいでいいはずなのに,この見立てだと太くなってしまう.


110 三遊亭金馬,浮れ三番,講談雑誌, 3(5), 153-160 (1917)
【あらすじ】
 踊りの温習会の当日,可愛がっている娘が三番叟を踊ると,観客が口々に褒めてくれた.「あれは手前の娘でございます.お褒め下さってありがとうございます」.親御さんはうれしくてしょうがない.
 帰り道のこと,「チツレチリテットンの手で首を振ったところが良かった」.思い出して,とうとう往来で踊りだしてしまう.「チツレチリテットン,チツレチリテットン」.これを見た婆さんが,「あれ貴方,みっともないからお止しなさいよ」「チツレチリテットン」「みっともないからお止しなさい」.今度は二人で踊りだした.店に帰っても浮かれている.ご飯を食べようと茶碗と箸を持つと,裏の常磐津の師匠が,三番叟の稽古をはじめた.「ああ,あそこだよ.ここで褒められたんだ.チツレチリテットン」「何ですかねえ.箸と茶碗を持ったまま,早くご飯をおあがんなさい」「チツレチリテットン」「みっともないからお止しなさい」.台所で米をといでいたおさんどんが吊られてしまった.「何でしょうねえ.チツレチリテットン.みっともないからお止しなさい」.松の木を手入れしていた植木屋が,おさんどんが米を全部流してしまったのを見て,「何だ馬鹿馬鹿しい.チツレチリテットン.みっともないからお止しなさい.チツレチリテットン」.これも夢中で始めてしまった.材木を削っていた大工が,「あれ,植木屋の奴,松の枝を全部むしってしまった.おさんどんが,米をとぎながら踊っている.旦那さんとおかみさんが座敷で茶碗を持って踊っている.妙じゃねえか.おう,小僧,ここへ来て,木っ端を拾え」「チツレチリテットン」「ハッ.みっともないからお止しなさい」.親方が「木っ端拾え」.小僧が「イヤアー」

【ひとこと】
 だからどうも踊りの御稽古ばかりはお幼少(ちいさい)所に限るやうでございます。モウお浚ひとでもいふと、御両親大肌脱ぎで、対手(あいて)に出る子の衣装までも此方で持つといふやうな事で、此の踊の稽古といふと却々(なかなか)お金が掛かります、愈(いよい)よ当日になると、見物は早くから一ぱいに詰め掛けて居ります(浮かれ三番)
 浮れ三番(うかれさんば)は,『講談雑誌』3巻5号に掲載された.三遊亭金馬(2)演,今村次郎速記.カット絵とも挿絵2枚.

【つけたし】
 二代目金馬の得意ネタだった.登場人物の踊りが次々に伝染してゆく,いわば見る落語.『日本ユーモア文学全集』10, ポプラ社 (1968)は,戦後はじめて出版された子ども向けの落語集で,「首売り」「鼻きき源兵衛」と言ったかなり珍しい落語が掲載されている.これに収められた「うかれ親子」という新作落語も,当時の世相を反映してグループサウンズが出てくるが,次第に親子が浮かれてくる様子は,まさに「浮かれ三番」を改作した作品と言える.


111 朝寝坊むらく,薄雲,娯楽世界, 3(11), 100-112 (1915)
【あらすじ】
 大工の辰さんが質屋から煙草入れを請け出そうとしたとき,経師屋が持ってきた歌麿の描いた美人画が目にとまった.それ以来,絵姿の女に恋煩いしてしまった.毎日,煙草入れを質に置いては請け出しに来るのを不審に思った杵屋の主人に問い詰められ,辰さんはその女の絵を譲ってくれと懇願した.この絵は,吉原の半蔵松葉屋の薄雲という太夫で,15両あれば遊べると教えられた.辰さんは3年間一生懸命働き,ようやく15両を貯めた.杵屋の主人,これも関わり合いだと,辰さんを江戸見物に来た若旦那との触れ込みで吉原に連れて行くことになった.
 20年ぶりに揚がったお茶屋で,杵屋の旦那は,辰さんのボロが出ないように気を遣う.花魁の部屋に入った辰さんのところに薄雲がやって来て,次はいつ来るのかと尋ねた.自分は本当は神田の大工で,お前の絵姿に惚れて,3年金を金を貯めてようやく今日揚がったが,次に来られるのは3年後だと正直に告白した.これを聞いた薄雲は,杵屋の主人を呼んで,10両の金と自分の着物を渡した上,妾(わたし)には二世と交わした間夫があるから,主と夫婦にはなれない,この着物を妾と思って,末永くそばに置いてくれと言った.「着物をもらったところで,何の役にも立ちません」「でも妾と同じことよ」「同じこととは」「これが質屋にあったら流れの身じゃもの」

【ひとこと】
 時分を見て御案内と云ふので、辰さんはお茶屋から松葉屋へ送られる事になりました、同じ提灯でも大晦日の弓張とは違ひましてお茶屋の提灯(かんばん)は悪くはございません、松葉屋へ上つて淡泊(あっさり)一口飲つて居る内に汐時を見てお引けと云ふ事になり、花魁の部屋へ来ますと屏風が立廻してございます、中に布団が三枚敷てありまして、その布団も我々の家で敷くやうな布団なぞと違ひ、一枚の厚さが一尺二寸位でございます(薄雲)
 薄雲(うすぐも)は,『娯楽世界』3巻11号に掲載された.朝寝坊むらく(三遊亭圓馬(3))演,浪上義三郎速記.カット絵とも挿絵2枚.『落語事典』には載っていない.

【つけたし】
 新作というのもおこがましいが,ひとつ噺をまとめたと書かれている.噺の中でも,昔高尾に惚れた紺屋があってと,「紺屋高尾」と似た噺であることを意識している.「紺屋高尾」と違って,二人は夫婦になることはなかった.噺の中で,編笠茶屋からひやかしのことや,お茶屋から妓楼へ送られる段取りなどが詳しく描かれていて,辰さんばかりでなく,現代の読者にとっても女郎買いの参考書になっている.


112 三遊亭遊三,妙な大根売,遊三落語全集,三芳屋 (1915)
【あらすじ】
 吃りの人が干大根を商ったが,うまく売り声が言えない。これを見かねたある人が,案外,謡調子でやったらうまく行くかもしれないと勧めた.この大根屋さん,元は武家と見えて,謡調子でやってみると,うまい具合にやれた.通りかかったのが丸の内のお長屋下,「ダダダイコヤーダイコー,大きな大根」の売り声を聞いて,「おい,山田.大根を謡で売るとは珍しい.求めてやろうではないか」「いかにも.呼んでみましょう.コレコレ,そこな大根屋,その方が携えしその大根,値十貫文について,その数何本にて候」.大根屋も調子を取って,「ヒヤーポンポン」.高いと見えて,「イヤーッ」と障子を閉めてしまった.

【ひとこと】
 唯今と違ひましてその以前は落語社会に三題噺しといふのが流行をいたしました、その頃ほひ出でました[さ]うで、お題が三ツ、吃りに謡好き、乾大根といふのでございます、吃りの人が乾大根を商ふたのでありますが、どうも吃るところから呼び憎い ○「ダゞゞ、ドダイコヤ大根、ダゞゞドダイコヤ大根………」とやつて居りました(妙な大根売)
 妙な大根売(みょうなだいこんうり)は,『遊三落語全集』に収められている.三遊亭遊三(2)演,加藤由太郎速記.『落語事典』には「謡大根」の演題で載っている.

【つけたし】
 吃音者の売り声は小噺にしやすいのか,この大根売りのほかにも,豆まき,すっぽん屋,道具屋の小噺が知られている.「謡大根」は,柳家小さん(3)と橘家圓蔵(4)のSP盤音源が残されており,それぞれ速記も出版されている.


113 桂文團治,謡茶屋, 桂文團治落語集,三芳屋 (1916)
【あらすじ】
 今度,北の新地に謡茶屋という茶屋ができたので,ぜひお供したいと出入りの磯七がやって来た.娼妓の名前が謡の曲の名になっているらしい.さっそく,謡好きの前田の旦那も誘って3人で北新地に出かけた.「磯七,お前,家を知っているのか」「イエ.けれど.謡茶屋ならわかりそうなもんで…….ここでっせ.表札に今井はるとしてある」.表札が今井はるでこんぱる[金春],欄間の彫り抜きがかんぜ[観世]簾,障子紙が奉書[宝生],畳がこんご[金剛]縁と凝っている.
 舞台になった座敷に三人が着座すると,お好みを尋ねにきた.「私は,伯楽天という妓がいい.あるかえ」「お白粉のつけ方から身のこなしが何ともいい妓でござります.巌[祝う]の方にかかる白雲[白粉]帯にして山の腰を廻るというので……」「ウム,気に入った」「私は宗盛というのができるか」「芸者も及びません娼妓で.舞,振り事,謡曲,鍛錬をいたしておりますので宗盛」「貴様も注文せんか」「へい,私は海女(あま)小町」「雨こまちは謡の番組にはございません.雨乞小町でございますから,いっそ,降[振]られてお帰りになりましてはいかがで」「それなら三番叟は」「せっかくですが,ございません」「謡の番組にないかえ」「ここは北の新地,堂島が近うございますゆえ,踏むのはお断りいたします」「そんなら俊寛は出来んかえ」「俊寛はございます.廓で二と下がらん娼妓でございます.この島でたった一人きりでございます」「なるほど,必ず迎えによこしておくれ」

【ひとこと】
 「サア御案内をいたします」と袴を着けた男が先きに起(た)つて廊下へ参りますると、普請がチャンと出来て居て縁橋が架り青竹に若松が植込んでござりまして、座敷と思ふ処が舞台になつて其処へ三人が着座(つき)ますると(謡茶屋)
 謡茶屋(うたいぢゃや)は,『桂文團治落語集』に収められている上方落語.桂文團治(3)演.『落語事典』には載っていない.

【つけたし】
 作がよくできていても,笑いが少ないから演らないとある.趣味ある読み手向けの噺とあるように,謡を習っていれば面白いのだろう.白雲の件は,佐渡に流された世阿弥が作った「白楽天」という謡曲を取り入れている.白楽天が詠んだのは,「青苔衣を帯びて 巌の肩に懸かり 白雲帯に似て 山の腰を囲る」とされる.祝いの帯とお白粉に加え,青苔は青黛を掛けているのではないか.「宗盛」の意味はよくわからない.平宗盛は,壇の浦の戦いに敗れて海に飛びこんだが,泳ぎが達者なため,見苦しくも泳いで命をながらえた.鍛錬をしているというところに掛けているのか? それにしては芸達者というのがつながらない.堂島の米取引で,相場を踏むとは,損を承知で買い戻すこと.これでは縁起が悪い.俊寛ら三人が,京都の裏山に集まり謀反をくわだてたが,これが発覚し,絶海の孤島鬼界ヶ島に流される.俊寛だけ赦免がかなわず,島に一人残され,迎えが来るのをむなしく待ち続ける.


114 春風亭柳枝,うつちやり,講談倶楽部, 26(9),352-359 (1936)
【あらすじ】
 金はないけれども遊びには行きたい.そこで,一人が大家の旦那,もう一人が取り巻きの幇間持ちという役廻りで,ひと芝居打つことにした.お供役の与太郎は何にも知らない.旦那役が,全く知らない店に上がりこむと,大口をたたき始めた.「運転手,二十円ぐらいのチップでペコペコするな.今日は鴻池,住友,岩崎,三井と酒を飲んで酩酊したよ.清や,水を持ってきなさい」「あの,お門違いではありませんか」「いや,失礼.あまり玄関が似ていたので間違えました.縁起でもないと塩花まかれるところを,太っ腹じゃな.この店が気に入った.今日は五百円しか持ち合わせがないがあがりましょう」.あがるやいなや,芸者を呼びつけると,梅にも春を歌い出した.
 これを聞いた幇間役の源ちゃんが,店に飛びこんできた.「旦那様,こちらにおいででしたか.新橋,芳町,柳橋とずいぶん探しました.どうかお引き揚げを」「馬鹿をいえ.貴様もあがれ」「それでは初めてのお茶屋ですが,芸者を総揚げにいたしましょう.お内儀さん,面白く遊ばせて下さい」.内儀さんも煙に巻かれて,一番いい座敷に三人を通すと,酒と料理をならべた.ひとしきり遊ぶと,芸者を帰し,鰻飯をあつらえた.
 「与太,ずいぶん愉快そうだな」「うん.こんな嬉しいことははじめてだ」「しかし,ことによると別荘に行くことになるぜ.編笠かぶって,腰に鎖をつけて,土運びをするんだ」「まるで懲役みたいだな」「みたようじゃねえ.懲役だ」「おいら懲役はいやだ.あんなに旨かった鰻が木の葉みたいな味がする.御飯が砂のようだ」.与太郎さん,すっかり元気がなくなってしまった.そんなに心配するなと,いよいよ計略にとりかかった.お内儀さんに屋敷まで勘定をとりに来てくれといいつけた.「ウム,与太,行くぜ」「懲役に行くのはイヤだよ」.そこに,ズンズンと足音を立てて,関取が座敷に入ってきた.「お客様が持ち合わせがないというから,わしがお屋敷までお供して勘定をいただいてくれと言われやした」.こりゃまずいと思ったものの,どこかでまいてしまおうと心づもりして店を出た.
 「関取,旦那の贔屓になると幸せだよ.ところで,今場所の成績はどんなだったのかい」「5日間勝ちっ放しでごんす」.聞くと,連日,土俵際まで押し込まれるが,うっちゃりで勝っているという.「オヤ,旦那さんの姿がみえない.いったい,お屋敷はどこでがす」.関取にあやしまれだした.適当に道を曲がると,溝に突きあたってしまう.「関取,お屋敷はこの先だよ」と,すきを見て,溝を飛び越そうとすると,「待てッ,この野郎」と取っ捕まってしまった.「太え野郎だ.小遣いやるの,廻しをこしらえるのと,大きなことばかり言って.俺を放っぽり出す気だな」「なーに,うっちゃる気だ」

【ひとこと】
 角『向ふの野郎が大きい奴で、グングングングン押して来たが、私(わし)は土俵際でウムと堪(こら)へました』 △『見てゐても力の入る処だね』 角『ヨイシヨと押して来る処を、ヒヨイと捻つて打棄(うっちゃ)りました』 △『打棄つて勝かい』 角『二日目は左四ツ、向ふが土俵際まで押して来るやつを、打棄つて勝ちました』 △『三日目は』 角『始め突き合つたが、ガツチリ右四ツに組むと』 △『土俵際まで押して来られたかい』 角『ハイ、打棄つて勝ちました』 △『お前さんの相撲は皆な打棄りだね』 角『ハイ、二枚腰ですから』(うつちやり)
 うつちやり(うっちゃり)は,『講談倶楽部』26巻9号に掲載された.エヘヘの柳枝こと春風亭柳枝(7)演,カット絵とも挿絵4枚(水島爾保布).『落語事典』には載っていない.

【つけたし】
 これ以外の速記は見たことがない.「突き落とし」と似ているが,結末は正反対になっている.この噺で,3人目のプレイヤーである与太郎の役どころがよく分からなかった.自分たちが無銭飲食の罪に落ちようとしていると知って,食べているものの味もわからなくなる部分は楽しい.噺を生かすためには,愛すべきキャラクターの与太郎はなくてはならない.
 落語に出てくる相撲取りは,「大安売り」のように,相手が勝ったり自分が負けたりと,頼りないことが多い.それに対して,この話の関取りは,名前こそ双葉山ならぬ三つ葉山だが,二枚腰で勝ちっぱなしだし,抜け目なく無銭飲食の男を取り逃がさなかった.うっちゃるという言葉を自分もときどき使うが,相撲の決まり手のように横に放り出すのではなく,そのまま放置するという意味で使っている.うっちゃりを得意とする力士をうっちゃることは難しかった.


115 三遊亭圓左,王子の白狐,一ト口噺,三芳屋 (1924)
【あらすじ】
 王子の茶店に侍が入ってきた.「コレ亭主,この辺に夜な夜な白狐が出るそうだが,左様か」「そんなものは一向に出ませんので」「してみると人の説かな」.それを聞いていた若い人が,「侍というものは変なことを言うね.俺も一番,真似してやろう」「止せよ」「コレコレ亭主」「へえ.何でございます」「この辺に夜な夜な,えー,何が出るそうだな」「何が出ますな」「ダッコが出るそうだな」「汚いことをおっしゃいますな.そんものは出やァしません」「そんなら人の穴(けつ)であろう」

【ひとこと】
 オイ紛さん、今の武士(さむらい)は何とか言ッたナ、一ツお前と乃公(おれ)とでお茶番をやらうか、乃公が武士になるから、お前茶店の老爺(おやじ)になりいナ、いヽか………アヽコリャコリャ茶店の老爺、ハイハイッて言はんかェ(曽呂利新左衛門,第二回)
 王子の白狐(おうじのびゃっこ)は,『一ト口噺』に収められている.三遊亭圓左(1)演.

【つけたし】
 小噺程度の短い落語で,100題の小噺を収めた『一ト口噺』に「王子の白狐」と題して載っている.しっかりした速記はない.二世曽呂利新左衛門の連作旅ネタ集『滑稽大和めぐり』(駸々堂,(1898))「第二回」の結末部が,「王子の白狐」になっている.舞台は王子ではなく,大仰(三重県津市)に取られている.【ひとこと】に引用したように,武士と茶店の主人の会話を聞いて,二人の旅人が茶番にしている.圓左の方も,侍の真似をしようとする客を,連れが「止せよ」と止めている.客二人の茶番と読めないこともない."ダッコ"は,脱肛のこと."穴"は,肛門そのものが語源だが,お猿のおケツとか,ケツをまくるのように,尻全体を指すように意味が広がっている.図は広重の『名所江戸百景』のうち,王子装束榎.大晦日の晩に榎の元にキツネが集まり,装束を整えて王子稲荷に向かう.


116 笑福亭枝鶴,春雨茶屋,真打揃ひ傑作落語集,杉本書店 (1906)
【あらすじ】
 「春次郎,この間戎橋で会うたとき,鼻緒の切れた下駄をさげて血相を変えていたが,あれはどうしたんじゃ」「叔父さん,昨年の暮れ,町内の忘年会で南地の茶屋に連れて行かれましたとき,私は火鉢のそばで菓子を食べて待っておりました.また来てくれと言われたので,今度は一人で遊びに行きました.すると,芸者が,私が養子だということを知っていて,『身まま気ままになるなれば,養子臭いじゃないかいな』なんて当てこすりの歌を唄やがるのです.むかついて,『よくも馬鹿にしくさったな』と,卓袱台をひっくり返して怒ったら,『旦那はん,養子臭いてなことを唄うてはしません.あなたの聞き違い.それは今も向こうで唄うてる鶯宿梅じゃ』と申しました.もう面目のうて,あわてて出ようとすると,敷居に蹴つまづいて,下駄の鼻緒をプッツリ切らしたんで」
 これを聞いた叔父さん.「だいたい春雨の歌の文句一つも知らずして,茶屋行きするとはお前が野放図や.春雨というのはな…….頃は天暦年中,御所の清涼殿のお庭に帝が愛された梅の木があった.それが一夜にして枯れてしまった.手を尽くして探したところ,西ノ京にこれと寸分違わぬ梅の木があった.これを上げろとの勅命がくだり,紀貫之の娘が梅に短冊をつけて差しあげた――勅なればいともかしこし鶯の宿はと問はばいかが答へん――.これは鶯の宿の梅であったかと,元のところへ返してやった.これが春雨の文句の由来じゃ」.これを聞いて,春次郎は再びお茶屋に向かった.
 口の掛かった芸者衆は,またあの春雨の口が暴れるのではないかと気味悪がっている.「顔のそろったところで尋ねるが,お前方は春雨の歌の意味を知ってるかえ」「姐やん,また春雨が出てきたわ」.春次郎は,聞いたばかりの春雨の由来を,自分の勘違いもそっくり含めて,得々と話して聞かせた.「怖がることはありゃへんし.よう物を知っているお方に叱られてきてやったんや.それを受け売りしてやわ.旦那さん,そうでおましょうが」「それ分かるか」「ちゃんと分かってますわ」「しもうた,おおしくじりばいになった」  

【ひとこと】
 春次「是れはな、頃は天暦年中、しまつした年ぢやと云ふぢやらう、夫れは倹約年中ぢや 甲「姐やん、妾(わたし)等ァ何にも云つてりやァしませんに、一人で怒つてゝやわ 乙「マア黙つて聞いて居なされ(春雨茶屋)
 春雨茶屋(はるさめぢゃや)は,『真打揃ひ傑作落語集』に収められている上方落語.笑福亭枝鶴(笑福亭松鶴(4))演,丸山平次郎速記.『落語事典』には「鶯宿梅」の演題で載っている.

【つけたし】
 お茶屋の世辞を真に受けて,律儀にあがるような若旦那だから,切れたら怖い.一人でしゃべっては,自分の言葉に自分で突っ込んでいる.周りの芸者衆がドン引きしている姿が目に浮かぶ.端唄「春雨」の文句は,以下のとおり.春雨にしっぽり濡るる鶯の羽風に匂う梅が香や 花に戯れしおらしや 小鳥でさえも一筋に寝ぐら定めぬ 気は一つ わたしゃ鶯主は梅 やがて身まま気ままになるならば サァ鶯宿梅じゃないかいな サーサなんでもよいわいな.
 上方種の「春雨茶屋」は,東京にも移されている.橘家圓蔵が『百花園』209号や騒人社の落語全集(三遊亭圓生(5))に載っている.いかにも通人の小満ん師好みの噺で,個人集に収められている.圓蔵の速記によると,鶯宿梅は京都新京極にある寺の門前にある軒端の梅の別名とある.こちらは,「京見物」にも出てくる和泉式部ゆかりの軒端の梅で,別のものになる.鶯宿梅は,相国寺塔頭の林光院の境内に現存する.林光院は,もと二条西ノ京にあり,寺の移転とともに鶯宿梅も植え継がれているという.地図にも示されているが,門前からのぞいても,それらしい木は見ることができない.


117 柳家小さん,臆病源兵衛,百花園, (201)〜(202) (1897)
【あらすじ】
 臆病源兵衛とあだ名される男がいた.夜は怖いからと,家にこもってぶるぶる震えているほど.友達が,退屈だからひとつ脅かしてやろうと,悪い相談がまとまった.あいつは臆病のくせに助平だから,年増が待っているからと嘘をついて,怖がる源兵衛をようやく連れ出すことができた.「さあ.もうすぐ女が来るから,茶でも淹れておこう.台所行って水をくんでくれないかい」「旦那の台所は,昼間のとおりですか」「当たり前だ.怖けりゃ灯りをつけろ」「明るいと,お化けの形がはっきり見えますから」.源兵衛がこわごわ障子を開けると,待ち構えていた八五郎が,棕櫚ぼうきで顔をなで上げた.源兵衛は鉄瓶を投げ出すと,怖いと思った一心で,お化けにむしゃぶりついてきた.源兵衛に睾丸を握りしめられ,八五郎は眼を回してしまった.「隠居さん.化物を退治してしまった」「化物じゃない,八公だ.おい,八公は死んじまったよ」「二度死んだのですか」「お前が殺したんだよ.これが露見したら,今度はお前が死罪になるよ」
 怖いけれども死ぬのはいやだから,八五郎の死体を捨てることになった.隠居さんに教わったとおり,無印の葛籠に入れた死体を担ぎ,源兵衛は芝の大通りからさびしい裏通りの寺町に入った.ここらでよかろうと,寺の前で葛籠を下ろして,源兵衛は一目散に家にもどった.
 通りかかったのは,品川帰りの三人組.葛籠を見つけて,泥棒が置いて逃げたものだと思いこみ,暗闇で葛籠の中を手探りした.かもじや,能面,高価な能装束が入っていると勘違いした男たちは,八五郎の脇の下に手を差し込んだ.すると,八五郎が息を吹きかえした.驚いた三人は逃げてしまった.
 「真っ暗だよここは.源兵衛の野郎を脅かそうとしたら,金玉をつかまれてボーッとして…….アッ,それで俺は死んじまったんだ.このままじゃ地獄へ落ちちまう.お,蓋が開くよ」.葛籠から出た八五郎は,寺の蓮池を極楽だと信じて,蓮の葉に乗ろうとするが,何度やっても落っこちてしまう.蓮池をめちゃめちゃにしてしまった.怒った寺男が棒を振り回して追いかけてきた.「赤鬼が襲ってきた,ここは地獄だ」と,薮を切り破って逃げ出した.「明るいところへ出たよ.中にいい女がいる.ご免下さいまし.新規に参った者でございます」「はい,どなた」「つかぬことをうかがいますが,ここは地獄ですか」「冗談言っちゃいけない.表向きは銘酒屋でございます」  

【ひとこと】
 源「睾丸(きんたま)握つて殺したので………
 甲「乃公(おら)手伝つて殺したのでは無いぜ………
 源「夫れですからお前さんが睾丸二つ有るから一つづゝ握つたと云ふ事に………
 甲「何(なん)しろ乃公は関係(かかりやい)は無いよ………
 源「夫れぢやァ何うも拠所(よんどころ)御坐いません………葛籠入れる位………
 甲「夫れやァ手伝つて遣らう
 源「入れるのを手伝ふより死んだ方を半分づゝ………(臆病源兵衛)
 臆病源兵衛(おくびょうげんべえ)は,『百花園』201〜202号に掲載された.柳家小さん(3)演,吉田欽一速記.挿絵1枚.

【つけたし】
 噺の後半では,源兵衛は退場してしまい,八公が主人公になっている.雑誌『百花園』『文芸倶楽部』『娯楽世界』や.小さん(3),金馬(2),さん馬(7)らの速記が単行本化されている.当時はむしろ人気の演目だったが,すっかり演じられることが少なくなっているようだ.戦後では,金原亭馬生(10)の速記や映像が残っている.
 地獄と淫売,銘酒屋がわからなくなっているのが厳しい.馬生の演出でも,庖丁で肉を切っている気味悪い老婆に出会い,ここは地獄かと恐る恐るきくと,娘のおかげで極楽だとしている.サゲが命の噺だと思っていたので,この結末のつけ方にはビックリした.銘酒屋,新聞縦覧所や矢場が売春を行っていたこととか,玉の井と鳩の街の違いとか,台湾の床屋が理髪店でなかったり,男性用エステが風俗街にあったり,今もなかなかややこしい.学校では教えてくれないので,私もいろいろ独学で勉強しまして,ちょっと勉強しすぎたようで,といった文句は,寄席でよく聞く.


118 三遊亭圓遊,お釣の情夫,百花園, (93), 29-32 (1893)
【あらすじ】
 床屋にやって来た与太郎を,友達が焚きつけた.「お前んとこの嬶ァがお前の留守に粋な男を引きずり込んで間男してるぞ.これから行って団十郎をきめろ」「何だい,団十郎をきめるてえのは……」「酒飲んでぐずぐずしているところへ,出刃包丁持って出し抜けに飛びこんで,間男見つけた,重ねておいて四つにするとも八つにするとも俺が勝手だ,そこ動くなと言って,芝居気取りで脅してやれ」「なるほど」「間男の相場は七両二分だから,耳をそろえて出してしまえ,と言やぁきっと出す.少しは腹いせになるから,金を取ってこい」「そうか,うれしいな.出刃を貸しとくれ」「さあ,持ってけ」
 「ちょいと.あいつは間抜けだから知らないが,私とお前との仲を近所じゃ騒いでるんですよ.あいつを追い出すのは訳ないが,近所の悪い奴がついているから,どうすることもできないの」「いいじゃねえか,銭で済むんだから,サア飲みねぇ」.そこへ与太郎が飛びこんで来た.「間男見つけた.そこ一寸も動くな.八つになるか十六になるのが嫌なら七両二分出せ」「そりゃぁ今あげるがね.友達に焚きつけられて切れ物なんか持ってくる奴があるかね…….さあ,お持ちな」「いやぁ,有り難てぇ.久しく見なかった,こんなきれいな一円札.一枚二枚三枚四枚五枚六枚七枚八枚」「さ,この女は俺が連れて行くぜ」「おいおい,待っておくれ」「何かまだ言い条があるかい」「八円だから五十銭のお釣りが参ります」

【ひとこと】
 与「情夫(まおとこ)発見(めっけ)た 四ツに為る共八ツに為るとも十六に為る共乃公(おれ)の了見に有るんだ
 女「何を云ッてるんだねへ
 与「サ殺されるのが嫌なら七両二分出せ
 女「誰に然んな言(こと)を仕込れて来たの
 与「文ちやん源さん八さん七公に今髪結床(かみいどこ)で教はつて来たんだ(お釣の情夫)
 お釣の情夫(おつりのまおとこ)は,『百花園』93号に掲載された.三遊亭圓遊(1)演,加藤由太郎速記.久保田金仙の挿絵1枚.『落語事典』には「お釣りの間男」の演題で載っている.

【つけたし】
 短い噺のせいだろうか,この速記の使い回し以外の例はない.今演るならば,七円五十銭じゃいかにも締まらない.七両二分にするしかないが,そうすると,1円のことを1両とも言っていた明治初期の時代設定になる.
 もう長いこと公衆電話を使うこともなくなった.市外通話の通話料金は高く,遠距離にかけると数秒で10円かかった.投入できるのは,十円硬貨と百円硬貨の2種類だけだった.十円玉が先に消費されるものの,百円玉ではお釣りがでない理不尽な仕様になっている.あいにく財布に十円玉の持ち合わせがないとき,泣く泣く百円玉で連絡を取ったことを思い出した.


119 橘家圓蔵,鬼娘,文芸倶楽部, 26(2), 73-80 (1920)
【あらすじ】
 両国広小路には,さまざまな商売人が出て客を呼んでいる.並び茶屋に村右衛門の芝居,豆蔵に砂文字,住吉踊り.居合抜きの歯磨き売りに,カッタンカッタンと錫杖をならす上州左衛門.チョンガレ節も,今は大層出世して,何右衛門などと名乗っている.橋本町あたりから出てくるのが,腰衣で木魚をコチコチ叩く阿呆陀羅経.売り物はというと,五臓円の練り薬,蟇の油に弘法様の石芋.瀬戸物の早継粉を売っているかと思えば,火をつけても熱くない長太郎玉売り,大名の役人付け売りに,金物の錆び落とし,いろんな商人が出ている.
 中でもひときわ目立つのは,墓をあばいて,子供を取って食う鬼娘の見世物.「サアサ,評判」と怒鳴っているところに侍がやってきた.「鬼娘と申すものはこしらえ物か」「いえ,本物で」「こしらえ物なれば何とする.さあ調べるぞ」と詰め寄ってきた.「モシ.あなたが近づくと鬼が逃げます.あなたの御紋が柊ですから」「しからば可内,その方取り調べい」「お供さんがいらっしゃっても鬼が逃げます」「なぜじゃ」「お供さんの腰のものが赤鰯ですから」

【ひとこと】
 昔慶応の年間に鬼娘といふ物が現はれて人の子を食うと云ふ事が大層評判で、夕方になると親が子供に鬼娘が来るから家へお這入りなぞ申して何だか物凄いよふで、夜は子供を表へ出さない事が有りました、すると之が錦絵に出ました、頭は島田で振袖を着て居りますが顔は鬼の形ちをして居ります(鬼娘)
 鬼娘(おにむすめ)は,橘家圓蔵(4)演.挿絵1枚.『文芸倶楽部』定期増刊号"福は内鬼は外"に掲載された.

【つけたし】
 節分にヒイラギとイワシを玄関に飾る習慣は,今も生きている.速記には,豆まきで撒いた豆を金とともに「厄払い」に渡すことや,四つ角に褌を捨てる風習についても書かれている.紐落としの習慣は,「数珠おとし」という落語になっている.
 さまざまな商人や見世物がでている両国の様子は,クスグリがふくらまされて,「両国八景」という別の落語になっている.戦後になって楽々社の全集ものに「鬼娘」が掲載されている.『文芸倶楽部』のサゲは,家来の着物が赤鰯とあるが,これは刀でないと絶対におかしい.今村信雄にも「鬼娘」と題する新作落語があり,柳家小さん(4)が演じている.次々と来るお婿さんが三月ともたず,鬼娘と噂される家がある.俺なら大丈夫と婿入りした男だが,やはり自分もやせ衰えてくる.娘は子供の頃から毒を与えられて育ち,全身が毒に染まっていた,という一見猟奇的なストーリーだが,そこは落語,サゲは拍子抜けするほどくだらない.


120 橘家圓橘,御盆,華の江戸, (1), 1-11 (1896)
【あらすじ】
 貧乏な法印と権助の二人がいた.王子に使いに出した権助がようやく戻ってきた.「途中にキツネがいたので,つかまえて狐汁にしよう」などと,権助はけしからぬことを言う.「キツネは王子稲荷の使わしめだ」とたしなめているところに,巣鴨鶏声ヶ窪から,娘についたキツネを落としてくれと依頼者が来た.必ずキツネは落ちて,部屋の中に現れる.もしキツネが落ちなければ7両2分の代金受けは取らないと請け合った.そのかわり,供え物をあつらえるから前金に1両を要求した.すると,依頼人はお盆を貸してくれと言う.貧乏所帯でお盆はないので,とっさに膳の蓋を裏返して前金の1両を受け取った.客が帰ると,「進物や目録は,盆に乗せて出すものだ」と,権助を叱った.
 権助が王子でキツネを1匹生け捕って来る間に,もらった1両で質屋から法衣を請け出したり,月代を剃ったり,祈祷の準備をしている.そこに権助が戻ってきた.三味線箱に入ったキツネが箱をガリガリ引っ掻いて暴れている.キツネが騒ぐとばれてしまうから,頃合いを見計らって後からやって来いと言いつけて,法印は巣鴨に向かった.
 待っていた主人に,「線香を百把焚いて追い出すから,キツネが飛び出たら棒で打ちなさい」と,祈祷を始めようとする.そこに,段取りを無視して,権助がやってきた.まだ早すぎると追い返しても,強引に座敷に上がってきた.「ほら,だいぶ箱慣れて静かになってきた」と,キツネが入っていることをすっぱ抜きそう.「くはしやくしよじやうしよあくがふ……」「そろそろ出すかな」「観自在菩薩行深般若波羅密多時……」「どうだ,出すかな」「馬鹿,黙ってろ.是故空中無色無受想行識…….ソレ出せ出せ」「ああ.駄目だ.中でおっ死んじまった」「死んでもいいから出せ」「出すのか.台所行ってお盆を借りてこよう」

【ひとこと】
 下「一歩位ならば猫だぞ、犬なら無価(ただ)だ、半分呉れろ
 法「半分、馬鹿ッ……斯うしやう、一両遣ろう
 下「一両なら攫捕(つかまえ)て来ます、どうか今の一両御呉んなさい
 法「あの方は法衣(ころも)を質屋(ひち)から出したり、神様を少し美麗(きれい)にするなど、入費が掛かる、帰宅(かえつ)て来たら屹度遣る
 下「其んな事言つて,嘘を吐いて駄目だぞ
 法「大丈夫だ、行つて来い
 下「何に入れて来るだ
 法「其処に三味線箱の古いのがある
 下「前(ぜん)に猫が這入つて居たな
 法「洒落るな(御盆)  
 御盆(おぼん)は,橘家(三遊亭)圓橘(2)演,市村淳士速記.雑誌『華の江戸』創刊号の巻頭を飾っている.

【つけたし】
 この速記以外には,小圓朝(2)が三芳屋の速記本に「巣鴨の狐」の演題で,『講談雑誌』2巻2号 (1916)で三升家小勝(5)が演じている.戦後では小満んの個人集に載っており,文我(4)は上方に移植している.
 今も香典などを渡すとき,丁寧な人は切手盆を下に敷いている.謝礼など現金を渡すときにも台はつきもの.鰻をねだった幇間に渡すおひねりだって紙にくるむ.コンビニには,急な謝罪などに対応するため,包装された菓子折が常備されているのは知っていた.以前,コンビニでギフトカードを買ったときに,それを入れる袋が用意されていなかったことがある.しかも店員さんが,袋が必要なことが理解できてなくてびっくりした.まあ,コンビニで済まそうというのも考えものだけど.


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121 桂米朝,書いた物が物言う,増補改訂版 米朝落語全集 3,創元社 (2014)
【あらすじ】
 夜中に便所へ行く癖のある丁稚があった.昔の便所は夜なんか恐ろしかった.この丁稚も怖かったもんで,呪(まじな)いを教えてもらった.便所に入ったら,「明晩からよう参じまへん」と言えば,明日から来ないようになるから.
 夜中に眠い目をこすりながら用を足したあと,下の方を向いて,「明晩からよう参じまへん」「そう言わんと,またおいで」.小僧さんは卒倒してしまった.そんな阿呆なことがあるかと,翌日は番頭がつきそった.「そう言わんと,またおいで」.家の便所に怪異が起こったと,祈祷やらお経やらあげてもらっても効果がない.親戚に何でも知っているおっさんがいて,わしが見てやろうということになった.便所に入ると,落とし紙に目が行った.古い証文やら帳簿やらを適当に切って,落とし紙に使っている.「これがいかんのや」「さよか」「書いたもんが物言うた」

【ひとこと】
 夜中に便所に一人でよう行かんという丁稚がおりましてね.何か言うてる声が聞こえる.「そんなお前,気のせいや,声が聞こえたなと思たらな,『お断り!』とこう言え.キツネかタヌキがだましに来てんのやさかい」「ほな,言いまっさ」.こわごわその晩,丁稚がまた便所でしゃがんでやっていると,下からボシャボシャボシャボシャ.「お断り!」「そない邪険に言うな」「ウワーッ」.気絶してしもうた.さあ,それからもう誰が来て加持祈祷しょうがどうしょうが,止みません.ある事の分かった人がやってまいりまして,ずっと調べてると,落とし紙に使うてるのが,昔の商家でございます.帳面やら通いやら証文の古いやつを細かく切って使うてたんですね.「これがいかんねや.これが原因や」「何でだんねん」「昔から言うやろ.書いたもんが物言う」(書いた物が物言う)
 書いた物が物言う(かいたもんがものいう)は,『増補改訂版 米朝落語全集』第3巻に収められた「後光」のマクラに載っている.桂米朝(3)演.

【つけたし】
 電子化なんて言葉すらなかった時代,証文の力は絶大で,争いごとの動かぬ証拠となった.印形は首と釣り替えという言いまわしも落語に出てくる.ちょっと違った演じ方で米朝が放送にかけたことがあり,それを【ひとこと】に載せた.今でも,地方の旅館に泊まると,タイル張りの共同便所で,まだ和式便器を使っていたりするのに出くわす.夜中,パチッと電気を自分でつけ,カタカタ鳴る木のサンダルに履き替えて,芳香剤と酸洗浄剤の匂いがまじった個室にしゃがむと,必ずこの小噺を思い出す.


122 三遊亭金馬,かたみわけ,娯楽世界, 2(12), 106-112 (1914)
【あらすじ】
 近所の上方者は,厚かましくて何でも貰っていこうとする.今も,菓子を食べようと思って,お茶の支度をしていたら,上方者がやって来た.「まあ,茶を一杯飲みねえ」「ええお茶や.関東の水道の水と言うたら,鴨川の水はとても及ばん…….そこに旨そうな菓子がおますな」.そろそろ菓子を狙いはじめた.ここで菓子を食べてしまうと,家の年取った婆さんが可哀想だ,婆さんにやると嬶が欲しがる,家の坊(ぼんち)が欲しがる,隣の坊にも持って行かないとと,とうとう全部さらっていった.
 そこへ魚屋が声を掛けた.「親方に鰹を一本持ってきた.銭なんざいつだっていいから,こっちの家を当てこんで持ってきたんだから」「そうか,銭は払わねえ,ある時にやるよ」「親方,今日は急いでいたんで,大根おろしがねえんだ.その代わり山葵をたくさん置いて行くから」「大根おろしを忘れるとは気が利かねえな.片身だけつくって,片身は流しへ置いといとくれ」.生臭い匂いをかぎつけて,上方者がまたやって来た.もう沢山だと,居留守を使うと,奥で声がしたと見抜かれてしまう.「家の人は今帰ってきたところで,癪を起こして苦しんでますの」「わたいの指はマムシ指やさかい,ちゃっと押したげましょう」と,食いついたら離れない.もう,死んだことにしよう,そこの山葵をほおばって泣きながら断れ.「お前さん,大変だよ.奥へ行ったら,家の人は死んでしまったよ」「ええ,旦那さんが死にはったら,もう何も貰うことがでけん.何か用があったら何でも言うとくなはれ」.ひょいと鰹を持って出ようとする.「お前さん.その鰹を持って行っちゃいけないよ」「でも身とも皮とも思うた旦那さんが死なはったによって,せめてかたみ[形見]を貰うて行きます」

【ひとこと】
 ○「アゝ良(え)い茶や、これは何匁のお茶どす、アゝ三十匁(め)や、えらいな私(わたい)の所(とこ)ではこないな良え茶は飲みまへん、第一関東は水が良うおます、関東の水道の水と云ふたら、あっちの鴨川の水は迚(とて)も及ばん、関東は水が良いに茶が良え、それに第一あんたはんのお茶の入方がえらい良えに依つて 主「忌に煽(おだ)てるな」 ○「嘘やおまへんぜアゝ良え茶やな‥‥ホッホそこに旨さうな菓子があるがな」 主「菓子を食ひねぇ」 ○「大きに、よばれます‥‥」(かたみわけ)
 かたみわけ(かたみわけ)は,『娯楽世界』2巻12号に掲載された.三遊亭金馬(2)演,今村信雄速記.カット絵1枚.『落語事典』には「形見分け」の演題で載っている.

【つけたし】
 鰹の片身を持って行かれるというと,どうしても「髪結新三」のラストシーンを思い浮かべてしまう.売り出し中の悪党の髪結新三が,弥太五郎源七親分をみごと追い返したのはいいが,一癖ある大家にやり込められて,かどわかした娘の身代金に加えて,鰹まで半分持って行かれて泣きを見る.「髪結新三」の原作は,「仇娘好八丈」という人情噺で,春錦亭柳桜が得意にした.


123 古今亭今輔,金釣り,文藝春秋オール読物号, 2(2), 178-183 (1932)
【あらすじ】
 なに商売やってもうまくいかなかったと,喜六が甚兵衛さんにぼやいている.最初は台湾で炭団屋やって大損し,今後は便利屋を開業した.ところが最初の仕事で,チンドン屋の後をついていって帰りが夕方になってしまい,急いでいた客にケンツクを喰らう.悔やみと出産祝いの手紙を取り違えて配ったのに,礼として煙草銭をもらえた.馬鹿正直に飲めない煙草を買って,吸い続けたら目を回した.それならば,魚屋ならよかろうと,仕入れた魚を盤台に入れ,「前が鰺で後ろが鯖」と売り歩いたところ,鰺が先に売れた.今度は「鰺[味]のない鯖」と売り歩いたら,ちっとも売れず損をした.しまいには,河童を捕まえて見世物に出そうと,川端で1日中尻を突き出していたら,見物人に狂人だとはやされて川にはまって死にかけた.「お前は阿呆やな.わしなぞ,懐手して金がもうかるのじゃ.金で金を釣る商売じゃ.金持ちの蔵の中に五十銭銀貨をぶら下げると,金貨は自分から飛びついてくる.それを引き上げればボロい儲けや」「なるほど,ええこと聞いた」「嘘や嘘や,そんなこと嘘や」「何ぬかす.一人で儲けよう思て」
 喜六は,住友さんの蔵へ行くと,糸の先に五十銭銀貨をつけた釣り竿を垂らした.ちょうど,蔵の番人が見回っている目の前に,五十銭銀貨がブラブラしている.「ハテナ,おかしな事もあるものや.もらっとこ」.もうこの辺でよかろうと,喜六が糸を引き上げると銀貨がない.「しまった.餌を取られた」

【ひとこと】
 ソレ金てえものは始終出たい出たいといふ気があるから、その五十銭銀貨に十円金貨や二十円金貨が飛附いて来る、そいつを片ッ端から釣上げると、四百円や五百円は直きに釣れる、月に一度づゝ釣れば楽に暮らして貯金が出来る(金釣り)
 金釣り(かねつり)は,『文藝春秋オール読物号』に掲載された上方落語.古今亭今輔(4)演.カット絵とも挿絵3枚(吉田貫三郎).

【つけたし】
 四代目今輔は,三遊亭圓右(1)の身内となり,東京で上方落語を演じていた.「商売根問」風の前半部は,いかようにもアレンジできる.尻子玉を餌に河童を釣ろうとするのは,本家の「商売根問」にもある場面.金が金を呼んで自然と集まってくるのは,本当にありがちな話で,だから銀貨の方が金貨の仲間入りをした.金に足が生えていて,外に出たがるのも,実際によくある話.


124 橘家蔵之助,壁金(飴屋),大正期SP盤レコード 芸能・歌詞・ことば全記録 1,大空社 (1996)
【あらすじ】
 「チャチャン,チャン,チャチャンチャン.飴や飴の中からお多やんと金太さんと飛んで出たよ,チャン,チャン」と飴屋が売り声を張り上げたら,酔っ払いが絡んできた.「今,手前,妙なことを言ったな.もう一度,やってみろ」「坊ちゃん,喧嘩じゃありませんよ.お家へ帰って,おっ母さんに五厘もらって飴を買っておくれ…….へい,やりますよ.飴の中からお多やんと金太さんと……」「痛い痛い.親方,打たないでください」「打ったがどうした.いつ俺が飴の中から飛んで出た.俺ァ,左官の金太と言うもんだ」.通りかかった兄貴分が割って入った.「待てっ,金太」「誰かと思ったら兄貴じゃねえか」「飴屋,勘弁してくれ.こいつは酒癖が悪くてしょうがない」.兄貴は金太を捕まえて,家へ連れて帰った.
 「毎度すみません.いつも酔っぱらって兄さんの世話になって.そんなに飲んで人様にご迷惑をかけて.いつも別れようと思うのだけど,しらふの時にこんな親切な人はないもんだから,ついそれで忘れちゃって」「酔っ払いのお守りをするは,家ではかみさんの惚気じゃ……」「考えても見てください.こんな亭主を持ったが因果,兄さんのような方とたとえ半日でもいいから一緒に」「さあ,聞いたぞ.様子がおかしいと思ったら,手前たちは内々くっついているな」「金太.壁一重隣は他人だ.言っていいことと悪いことがあらあ」「言ったらどうした.さあ,間男見つけた」.炭取り持って打ちかかってくるのを,片方はしらふだから,さっと避けた.スカを食った金太は,壁へドンとぶつかると,壁が抜けて隣へ転げこんだ.隣の婆さんびっくりして,「オヤ嫌だよ.壁の中から金太さんが飛んで出たよ」

【ひとこと】
 「妾(わた)しや此の人にこんなに度々酔(よっぱ)らはれるとホチホチ嫌になつちまふけん此度(こんど)こそ酔ぱらつて帰つたら夫れ切りで御免蒙らふとは思ふてもね、又此の人素面(しらふ)の時にこんな親切な人ないもんだからツイそれで忘れちまッて 「ドーモ有難ふ御座んしたヘイ御馴走(ちそう)さまで御座(ござん)した又そふじやねーか酔ぱらいの守はするわ内へ来て神さんにのろけ(壁金(飴屋))
 壁金(飴屋)(かべきん)は,『大正期SP盤レコード 芸能・歌詞・ことば全記録』にくりかえし掲載された.橘家蔵之助(1)演.

【つけたし】
 もとは大正2年刊の『日本蓄音器文句全集』に載ったもの.日本蓄音器商会(ワシ印)のSP盤の文句集で,音盤カタログであるとともに,販促の役割も果たした.
 「壁金」は,初代橘家蔵之助の十八番.愛知県生まれの橘家蔵之助は,東京の橘家圓蔵に師事し,上方を活躍の舞台とした.引用の文句を見てもどこの国の言葉かよく分からない.どこを切っても金太郎の顔が出てくる金太郎飴が関東では主流だが,関西ではお多福飴と呼ばれ,お多やんの顔が練り込まれていた.飴を伸ばしていくうちに,図柄がちょっと歪んでくるので,お多福の方が福笑いのように愛嬌ある顔になった.
 SPレコードコレクターとしても有名な都家歌六(8)[1930-2018]が,この噺を復活させている.


125 金原亭馬生,亀太夫,落語傑作集,大日本雄弁会講談社 (1937)
【あらすじ】
 以前は橋のたもとに亀の子をぶらさげておいて,これを買って放すと功徳になるとうたっていた,放し亀という商売があった.
 それから,よく力自慢なんてえのがあった.米屋の若い衆が米俵を片手で上げられるかどうか言い争っている.通りかかった亀という男が,俺なら二俵片手で上げると言ったので,売り言葉に買い言葉,上げられたら米俵をやると約束した.力自慢の亀は,ひょいと二俵差し上げると,そのまま持って行っちゃった.「ちゃん,ただいま.米もらってきた」「馬鹿野郎.それは若い衆がうっかり言っちまったんだ.ご主人に叱られるから返してこい」「許せよ」.男の怪力を見ていたお武家が,力を見こんでこの男を召し抱えたいと言ってきた.酒さえ飲めるならば,奉公でもなんでもすると安請けあいした.武家の屋敷で亀という名はいけないというので,亀太夫となってお目見えに同道した.丸の内の赤井御門守様のお屋敷では,ご隠居様が高齢のため,体が利かなくなっていた.運動のため,ご隠居様には紐が結わえてあるので,お前は次の間に控えていなさい.鈴が鳴ったら,この紐をそっと3,4回持ち上げて運動させ申すのだ.鈴が鳴ったら引くのじゃぞ.くれぐれも粗相のないようにな,と言いつけられた.亀は,いい酒だ,いい酒だとさかんにやっていると.ガランガランと鈴が鳴った.ここだなと,ウーンと引くと,「何だい,軽いじゃないか.こんなものわけねえ.しかし,間抜けな仕事だな.ここらでソーッと放して置こう」.また一杯やっていると,ガランガラン.「それ,ウーンと.これで酒が飲めるとは,ありがてえな.ウーンと.この辺でいいだろう」「また鳴ってやがん.これじゃ酒を飲む間もなにもねえや」「オイ,冗談じゃねえ.ウーンと,この紐を膝の下へ巻いちまってと.これなら天井にぶら下がって鈴が持てねえや.ゆっくり飲もう」.ご隠居さんは天井にぶら下げられて,まるで亀の子が手足を広げたよう.「これ,何をしている.亀太夫,亀太夫.その紐を放さんか.これ亀太夫,亀,放せ,亀放せ,放せ亀[放し亀]」

【ひとこと】
『これを逃してやらう‥‥サァ俺が逃してやるからな、今度俺にいゝ事のあるやうに守つて呉れ、いゝか。俺の顔を忘れるな――オイこれよりかもう少し小さいそつちの亀の子は何程(いくら)だい――何を、こつちの方が安いんだな。さうか。ぢやァこれでなくそつちの方にしよう』
 なんてんで安い方の亀の子に取替へて逃してやる、逃された亀の子は何でもないけれども、止された亀の子は、
『畜生め、厭な奴だな、おれを逃がしやがらねえで』(亀太夫)
 亀太夫(かめだゆう)は,『落語傑作集』に収められている.金原亭馬生演.

【つけたし】
 この噺を聴いたことはないが,おそらく,力を込めて引っ張る亀太夫と,ゆらゆら動くご隠居を交互に演じる,しぐさの面白さにウェイトを置いた落語だと思う.演者の馬生が何代目かはっきりしない.しぐさが多いことや,口調からして,五代目志ん生を継いだ七代目馬生ではなさそうだ.放し亀の小噺は,志ん生の持ちネタなので,志ん生の噺に編集者が手を入れた可能性を否定することもできない.志ん生でないならば,上方に移り住んで,三遊亭圓生(6)にも珍しいネタを伝えた五代目馬生(おもちゃ屋の馬生)が考えられる.
 写真は広重の『名所江戸百景』,深川万年橋の図.橋の欄干にぶら下げられた放し亀が大きく描かれている.亀の寿命とされる万年を利かせている.


126 雷門五郎,にかは小僧,キング, 15(5), 243 (1939)
【あらすじ】
 「おい,小僧,この重箱を持って,大通りのご隠居さんのところへ行きな.丁寧にあいさつするんだぞ.今日は結構なお天気でございますぐらいは言えるだろう」「えー,こんにちは……」.えらく頼りない.「せんだってお誂えになったこの重箱,今日ようようの思い,日中(ひなか)にできましたによってお目にかけます.これだけ言えばいいんだ.行っといで」
 「こんにちは.結構なお天気でございますと.エエ,せんだって,お誂えになりましたこの重箱,今日,よ,ようやくの思い,いなかでできましたによってお目に……」「何,お前の家に頼んだのに,なぜ田舎に持っていった」「私は知らない」「親方にそう言って聞いてみな.田舎はどこだ,国はどこか聞いてきなさい」
 「親方,どうも驚いた.大変怒られました」「何を怒ったんだ」「何をって,その,く,釘が利いてない,というんです」「何だと.こんな重箱に釘を打ったら割れちまうじゃないか.にかわで接いであるんだ.そう言ってこい」
 「ご隠居さん,聞いてまいりました」「うん.国はどこだ」「く,釘はね,わ,割れるんで,に,にかわなんです」「ホー.三河か」

【ひとこと】
親「誰がいふんでといつて、お前がいふんだ」
小「お前ッて、このお前ですか」
親「へんないひ方をするない。俺が一遍やつてやるから……今日は結構なお天気でございますと、やつて見ろ」
小「アヽ左様ですか……こんにちは、結構なお天気で、ございますと……」
親「とは要らないよ」
小「とがないと寒いや」(にかは小僧)
 にかは小僧(にかわこぞう)は,『キング』15巻5号に掲載された.雷門五郎演.挿絵1枚.『落語事典』には,「木具屋丁稚」の演題で載っている.

【つけたし】
 演者の雷門五郎は,年代的に後の八代目雷門助六にあたる.ただし,すでに演劇の世界に移って,五郎劇団を結成してはずなので,確証はない.
 動物性コラーゲン類を原料とするにかわは,本作の指物師(木具屋)のほか,仏師や人形師などが接着剤として使った.写真は,にかわを煮溶かしている様子で,岩槻人形博物館に展示されていた.にかわは強い匂いがするため,にかわ鍋を食べ物の煮炊きには使わない.「鹿鍋」という珍しい落語は,これを踏まえてサゲにしている.


127 林家正蔵,伽羅の駒下駄,週刊朝日, 10(28), 32-33 (1926)
【あらすじ】
 土用の大掃除も一段落したので,お店の主が出入りの衆に,伊達綱宗公から拝領した伽羅の下駄を披露した.伊達綱宗公は,この下駄をはいて三浦屋の高尾太夫のところに通っていたが,ある朝,この店をたずねてくると,酔い覚めの水を所望された.汲み立ての清い水を差し上げたところ,礼にもらったのがこの下駄だ.日本に一つという品物,千両の値うちはあると自慢した.その晩,若い衆の与兵衛が店を抜け出して吉原の馴染みのところにあがった.すると,花魁が言うには,この廓にもいられないので,一緒に上方に逃げようと口訴えられた.先立つものは金,お店の宝物を盗み出すから,鮫州で落ち合おうと相談がまとまった.
 お店では,大事な宝物が見当たらない,これではご先祖様に会わす顔がないと大騒ぎになっている.姿を消した与兵衛が怪しいと,鳶頭を呼んで江戸中を手分けして探させた.与兵衛の方は東海道を急いで京大坂に上ったが,どこにも下駄の買い手が見つからない.追っ手が来ては大変と,川口の港から長崎行きの船に乗りこんだ.ところが,玄界灘にかかると,空がにわかにかき曇り,赤縞が現れた.波はたちまち荒くなり,船は木の葉のように揉みしだかれる.一昼夜の大嵐のあと,助かったのは与兵衛夫婦と,大坂の商人に船頭一人だけ.船はさらに十日あまり漂流を続けると,大岩の上で座礁した.船べりに結びつけておいた伽羅の下駄を背負って陸に上がってはみたものの,まるで街の様子が違っている.「ここは何という国でございます」「ここは印度だ.昔の天竺,お釈迦様の生まれたところで」
 渡る世間に鬼はない.4人は助けてもらった家にしばらく厄介なっていたが,大坂の者は商店に雇ってもらい,船頭は漁師の家で働くことになった.残ったのは与兵衛夫婦の二人.いつまでも居候している訳にはいかないと,骨董屋を教えてもらって,お宝を売ることにした.「私は日本の者でございます.難船をいたして,家に代々伝わる宝物を処分したいと存じます」「ほお.四角くて穴が3つあって紐が通っている.いったいこれは何ですか」「下駄という履き物で,日本に一足という品物.二千両で売りたいと思います」.番頭手にとって,ながめたり匂いをかいだりしていたが,「二千両はさておき,三文の値うちもありませんよ」「冗談言っちゃ困ります.伽羅の下駄と言っちゃ,日本に一つしかない宝物だ」「伽羅ならこちらでは薪に使います」

【ひとこと】
 主「話には昔から聞いてゐたが伽羅で造(こし)らへた下駄といふのは生れて始めて見た、一足で千両の価値(ねうち)は確に有る、値段は兎に角伽羅の下駄などゝいふのは日本にないと聞いてお爺さんもお媼さんも腰の抜ける程喜んださうだ」 頭「げたげたお笑ひなすつたでせうな」(伽羅の駒下駄)
 伽羅の駒下駄(きゃらのこまげた)は,『週刊朝日』10巻28号に掲載された.林家正蔵(6)演.カット絵とも挿絵2枚(小川茂麻呂).『落語事典』には載っていない.

【つけたし】
 演者の林家正蔵は,今西の正蔵と呼ばれる六代目になる.40歳の若さで亡くなったが,古典落語の形骸化を憂い,ながく語り継がれるような新作落語を増やそうとする落語改革への熱意が見られた.
 似た演題の「伽羅の下駄」という落語がある.「伽羅の駒下駄」と同様に,朝帰りの伊達政宗公に酔い覚めの水を提供した礼として伽羅の下駄をもらう.これがかまどの火にあぶられて,いい匂いが立ちこめた.一足で200両の価値があると家主に聞いて,喜んで女房に伝えた.「この下駄は二百両だそうだ.何とか言ったな,そう,きゃらきゃら……」.聞いた女房が「げたげたげた」.彦六の正蔵が,一朝老人から習ったという.
 ジンチョウゲ科の樹木の一種に沈香という香木がある.「百年目」の堅物番頭が,"沈香も焚かず屁もこかず"と,ケチケチした暮らしをしているたとえに使われる.沈香が作る香り高い樹脂のうちでも,最高品を伽羅と呼ぶ.とても本物の香木などには手が出せない.値段のことばかりで,「百年目」の番頭と一緒だが,伽羅の線香ですら1本で100円ほどもする.玄妙な香りがすると説明に書いてあるが,法事に行った気分にしかなれなかった.


128 三遊亭小圓朝,九尾の狐,名作落語全集 6,騒人社 (1930)
【あらすじ】
 (講談口調で)人皇七十四代,鳥羽院の御宇,大宮内に仕える玉藻前と言う者あり.この本体は九尾白面の狐にして,天竺にて華陽夫人となりて飯足太子をたぶらかし,唐土にては姐妃となりて殷の紂王をたぶらかしたるものなり.我が朝に渡りて後,帝,御病の床に就かせ給い,少しも快方に向かわせられず.この時,天文博士阿部保親,斎戒沐浴し,加茂明神に祈りをあげ,神託を得たり.阿部保親,喜び勇みて玉藻前の面前で蟇目の法を行いけるに,玉藻前の姿は九尾白面の狐と変じ,雲を呼んで飛び去りけり.
 (落語口調で)そこで,三浦介上総介の勇士二人が狐退治を命じられた.玉藻前を探索する両名が江戸に入り,馬道の床屋の前を通ると,噂話が聞こえてきた.「吉原三河屋の凄腕は,顔が良くって店中に行き渡りをするものだから評判がいいが,全盛の割には懐が苦しいそうだ.海山陸に三千年の年数を経た古狐なもんで,誰が行っても背負(しょ)い投げを食うんだ.誰か退治する者はねえかな」.これを聞いた二人が実否をただした.「三千年の劫を経た狐はいずこにおるのか」「北の方,吉原の三河屋におります」「大層腕が強いと言うが」「みんな背負い投げを食います」「顔はごく白く,体は金であろうな」「へえ,顔は真っ白で,体は金で縛られているそうで」「まさしく尋ねる悪狐に違いなし.我ら二人が,これからその狐を退治てくれよう」「貴方がたが……」「いいじゃないか.やってご覧なさい.面白いから」「三浦氏,念のため名前を聞いてご覧なさい」「その狐は玉藻前と申しはいたさんか」「そんな名じゃありません」「では尻尾はありはしないか」「物日前には尻尾を出すだろうという評判でございます」

【ひとこと】
 元永三年九月二十日の事、俄の風に殿中の燈火(ともしび)一時に消失せ、真の暗(やみ)となつたれば、月卿雲客(げっけいうんかく)是はと驚き立騒ぎける時に、不思議や藻(みずく)の身体より煌々たる光を放ち、清涼殿真昼の如くに相成つたり。其の時に帝畏こくも藻に向はせ玉ひ汝の体(たい)より玉の光を放てり。依(より)て今日より玉藻前と名乗るべしと云ふ有難き勅命を賜る(九尾の狐)
 九尾の狐(きゅうびのきつね)は,『名作落語全集』第6巻,滑稽道中篇に収められている.三遊亭小圓朝演.仮に三代目とした.

【つけたし】
 遊女を狐ということをマクラに振っている.玉藻前の伝説は,他の噺にも出てくるので,長い講釈の部分は,刈りこんで演じても通じる.12世紀の鳥羽天皇の時代に探索に出た三浦介上総介が,江戸時代になってまで九尾の狐を探し続けているとは気の毒なこと.玄翁和尚が九尾の狐を殺生石に封じこめたのは,14世紀,至徳2年のことと言われる.ところが,2022年の春に突然,殺生石が真っ二つに割れてしまった.封印を解かれた九尾の狐がふたたび暴れ回るのを収めようと,慰霊祭が執り行われたという.割れてからでは手遅れのような気がするが.
 講談部分には,玉藻前の由来がもっと詳しく書かれている.これまで他の速記はなかったが,最近,小満ん師の個人集に「九尾の狐」が収められた.


129 三升家小勝,熊坂,小勝特選落語集,大日本雄弁会講談社 (1937)
【あらすじ】
 泥棒でも太閤殿下の首をねらった石川五右衛門や牛若丸に斬られた熊坂長範など,名を残した人がいたもので.
 牛若丸の父の義朝が討たれ,母の常磐御前は,3人の子を抱えて山城国木幡の関にかかった.関守の弥平兵衛宗清に説得されて,子供を助命する代わりに,常磐は清盛の妾になった.今若と乙若の二人は伊豆に流されたが,幼い牛若は常磐のもとで育てられ,7歳の時に鞍馬の仏門に入れられた.鞍馬の山中で天狗を相手に剣術を覚え,平家を討ち取ろうと山を降りた牛若丸,奥州の秀衡を頼って,美濃の国青墓長者のもとに一泊した.その晩,忍びこんできたのが,熊坂長範という大泥棒.薙刀持った熊坂と牛若丸が立ち回りとなる.薙刀の石突きで突いてきたところを,パッと体をかわして熊坂の股倉をくぐって馬場先門に出た.それは提灯行列.熊坂は小手を打たれて薙刀を取り落とし,後ろへ下がる.牛若丸は源家重代薄緑の太刀で,熊坂の首を斬り落とした.バッタリ倒れたところを踏みつけると,血が出ないで餡が出た.これは熊坂じゃない今坂だ.踏んで出たからつぶし餡でございます.  

【ひとこと】
 弥『二人は私が伊豆の蛭ヶ島へ流しますから、又牛若は三歳ですから是れは心配する所もありますまい。これだけは手許に置いて母の乳を飲ませ、足りない所は毎朝四銭づつ奮発をして、牛乳を買つて来て飲ませる事にしませう』
 清『名が牛若だからそれも宜からう』(熊坂)
 熊坂(くまさか)は,『小勝特選落語集』に収められている.三升家小勝(5)演.カット絵とも挿絵2枚(松田青風).

【つけたし】
 「源平」や「お血脈」と同じく,演者の語りでストーリーを進める地噺と呼ばれるタイプの落語.皮肉な言いまわしや警句が得意だった小勝専売のネタらしく,『文芸倶楽部』20巻10号(1914),『娯楽世界』5巻3号(1917),「牛若丸」の演題で『週刊朝日』6巻14号(1924),『講談倶楽部』15巻6号(1925),『東京』2巻12号(1925)と,繰り返し小勝の速記が掲載されている.ここでは,単行本『小勝特選落語集』に収められた速記をあらすじとした.この本には,「一日公方」「義龍」「三国誌」「笑茸」「俄易者」といった珍しい噺が載っている.
 サゲに出てくる今坂という和菓子は,昔はなじみある物だったらしい.昨今は作っているところが少なく,青梅の方で一軒だけ今坂の注文を受けつけていた.写真のように,大福よりもかなり大ぶりの餡餅で,一つで何個ぶんもの食べごたえがあった.今坂のほかにも,大泥棒の熊坂大太郎長範のことや,美濃の青墓長者のことなど,この噺には調べておきたいことが盛りだくさんだ.


130 桂文我,下女の出かはり,落語の根本,寧静館 (1893)
【あらすじ】
 3人の下女が,互いの奉公先の噂話をしている.「今度,私,出替わりしたんどす.ええ家やけど,湯茶くれが多いんで,居られまへんわ」「私の所は,毎食,お粥ばかり.あんたの所の食べ物はよろしおますか」「私の所は,食べ物はよろし.朝は小豆のお粥,昼は小豆のぬくい飯,夜は小豆飯の茶漬け.おかずは,辛子菜と油揚豆腐」「そうやよって,あなたは稲荷[居なり]でおますな」

【ひとこと】
 私(わた)い許(とこ)は食物が無味(わる)いので居られまへん…朝が御粥…昼が御粥…晩がお粥…中堂…講堂…粥三回(ど)…全(まる)で叡山見たいにおます(下女の出かわり)
 下女の出かはり(げじょのでがわり)は,『落語の根本』に収められている上方落語の小咄.桂文我(1)演.『落語事典』には「下女稲荷」の演題で載っている.『新作落語扇拍子』名倉昭文館(1907)のほか,『続 桂文我珍品集』燃焼社(2002)にも再録されている.

【つけたし】
 小咄程度の噺.『落語事典』に載っているあらすじは,この速記とは違う.ある下女の奉公先は,毎日赤飯が出る.それで居なりや.赤飯だけとするよりも,油揚げが出た方が稲荷っぽい.それにしても,"中堂,講堂,粥三度"の語呂がいい.写真は比叡山根本中堂.毎回お粥の開山堂が,比叡山のどこにあるかわからなかった.延暦寺を開山した最澄廟のある西塔浄土院のことかもしれない.


131 入船亭扇橋,源九郎狐,演芸倶楽部, 2(4), 148-156 (1912)
【あらすじ】
 東京見物にやってきた大和の源九郎狐が,湯島の妻恋稲荷に逗留した.大和見物の折に世話になった源九郎を歓待しようと,関八州の稲荷を呼びよせた.「皆さんこっちに.笠間さん,女化(おなばけ)さん.これは赤坂の,豊川(ほんけ)の隠居は変わりないかい.オヤ王子の,誠にご無沙汰で.玉姫さんの名代は口入さんかい.袖摺(たまち)の黒助(ごじっけん)の,サアサこっちへ」.有名なお稲荷さんがみんな集まってきた.宴会の場所は下谷の伊予紋,幹事は太郎稲荷,袖摺稲荷,黒助稲荷,口入稲荷の4名と決まった.
 当日は,ご馳走づくめに芸者もいっぱい揚げて,おおいに盛りあがった.二次会には,紋三郎と箭弓稲荷が源九郎を誘って吉原へと繰り出した.源九郎の敵娼になった静花魁の部屋に入ると,紫縮緬の袱紗に包んだものが置いてある.包みの中は,世にもまれなる初音の鼓だという.大金を渡して,静に鼓を打ってもらう.すると,源九郎が形を改め,「今日が日まで隠しおおせ,人に知らせぬ身の上なれど……」と幸四郎の声色で語りだした.「桓武天皇の御宇,内裏に雨乞いあり.大和の国に千年の劫を経たる雌狐と牡狐が狩りだされ,その狐の生皮をもって作りたるその鼓,日に向かってこれを打てば,鼓はもとより波の音,狐は陰の獣ゆえ,水をおこして降る雨に,民百姓は喜びの声をあげたり.それゆえ,初音の鼓と名づけたり.その鼓は私の親でございます.雨乞いゆえに殺されしと思えば,アア,照る日が恨めしい」.とたんに新造が襖を開けて,「花魁,そのお客を振っておやんなさいまし」

【ひとこと】
 甲「オイ君、女が様子が宜いと君の事を呼んで居るぜ」 乙「何が様子が宜いんでえ、馬鹿にしてやァがらァ畜生、古狐め‥‥」 源「笠間さんモウ帰りませう」 紋「何故ね」 源「それでもあすこへ行く人間が我々の方を見て、畜生、古狐と言ひました、気味が悪うございます」 紋「ナーニあれァ向ふの女郎の事ですよ」 源「それでも古狐と言ひましたよ」 紋「女郎の事を俗に古狐といふのです、我々の事ぢやァないから御安心なさい、吉原の丑満頃は化くらべ狐娼妓に狸寝の客,といふのがあります、人間に知れる気遣ひはありませんから大丈夫です」(源九郎狐)
 源九郎狐(げんくろうぎつね)は,入船亭扇橋(8)演,今村次郎速記.挿絵1枚,演者肖像.同じ入船亭扇橋が,『講談雑誌』3巻5号(1917)に「狐の女郎買」の演題で演じている.

【つけたし】
 源九郎稲荷神社は,大和郡山市にある.『義経千本桜』のストーリーにしたがった縁起が伝わっている.源義経が吉野へ逃げる際,佐藤忠信に化けた白狐が静御前を守った.初音の鼓になった両親を慕って忠信となっていた.九郎判官義経は,自分の名を狐に与え,源九郎と名のるようなった.源九郎稲荷は,洞泉寺遊廓にも近く,細い路地の奥にある.境内はさのみ大きくはないけれども,中村勘九郎が奉納した桜が植わっていたりして,落ちつける場所になっている.
 あらすじに書ききれなかったお稲荷さんは,仙台の竹駒稲荷,「怪談おさんの森」の阿三稲荷・黒船稲荷,築地の波除稲荷・菜畑稲荷,池上の長栄稲荷,羽田の穴守稲荷になる.茨城の笠間稲荷の別名である紋三郎の名も出てくる.「紋三郎稲荷」という落語もあるが,笠間稲荷の境内に紋三郎の表示は見あたらない.なお,築地の除稲荷に併記されている菜畑さんがどこのお稲荷さんのことかわからない.


132 柳家小さん,小いな,文芸倶楽部, 18(6), 159-170 (1912)
【あらすじ】
 伊勢屋の主人半兵衛が,幇間の一八とたくらんで,奥さんと店の者を芝居見物に出してしまい,その留守に芸者の小いなを家に呼びいれて遊ぼうと段取りした.主人の悪だくみを察した権助は,腹痛といつわって家に残った.おかみさんと下女,それに若い衆の藤助は,そろって新富座の芝居見物に出かけた.
 半兵衛は権助を呼んで,柳橋に行かせようとすると,「俺ァ何でも知ってるだからね.柳橋の小いなァ呼んで,大騒ぎすべえという魂胆だんべえ.どうだ参ったか」「見抜かれちゃ仕方ねえ.これには訳があるんだ……」.うまいこと言って,権助を丸めこんだ.
 芸者の小いなと幇間の五郎八が,御庭口から入ってきた.料理もとどき,三味線もにぎやかに酒盛りがはじまったところに,藤助が駆けこんできた.「旦那,大変です.奥様のお加減が急に悪くなりまして,今すぐお帰りになります」「一緒だった一八はどうした」「いつの間にかいなくなってしまいました」「お前もお前だ.どうにかしようがなかったのか」.ともかくここを片づけろと,小いなを唐紙の奥に押しこんだ.「まあ,きよや.どうも様子がおかしいと思ったよ.この履き物をごらん.芸者かなんか来てるんだよ」「奥様,襖が開きません」.やっとのことで座敷に入ると,「マア,おかみさん,御覧遊ばせ.アラマアちょいと,アラマア……」「何を言ってるんだね.私にお見せよ」.とたんに,幇間の五郎八がからくり節で,「ヤレ,初段は本町二丁目で―,伊勢屋の半兵衛さんという人が――,ソラ,おかみさんを芝居へやりまして――,あとへ小いなさんを呼び入れて――,飲めや歌えの大陽気――,ハッ,お目とまりますれば先妻はお帰り……」  

【ひとこと】
 主「藤助も芝居へやつたが、万事心得て居るから心配はないンだ。モウ此方は宜いから直ぐに来いと云つて来て呉んな。其れに幇間や何かも皆な引張つて来るやうに然う云つて呉れ」 作「ヒャア、太鼓(てえこ)を担いで来やすか」 主「然うぢやァない、男芸者だ」 作「ハア然うけえ」 主「帰りに大又へ寄つて料理を早く持つて来いと云つて来て呉れ」 作「ヒエー畏こめえりました……。旦那様ァ行つて参(めえ)りやした」 主「オヽ御苦労だつた。分つたらうな」 作「忘れてなるものかね。此の前年玉五十銭貰つたことがあるだもの」(小いな)
 小いな(こいな)は,『文芸倶楽部』定期増刊号"名妓揃"に掲載された.柳家小さん(3)演.挿絵1枚.

【つけたし】
 のぞきからくりをサゲに取り入れている.からくりが流行ったのは,明治期のこと.劇場の映画と縁日の紙芝居の両面から攻めこまれ,昭和のはじめにはマイナーなものになっていた.写真のような屋台に,紙芝居のような絵がしこまれており,観客はのぞき眼鏡を通して,その絵を見た.視野が狭くなるため,絵に奥行きが感じられる.おもな外題は,八百屋お七,地獄極楽や「不如帰」「金色夜叉」などの文芸もの,戦記の時局ものなど.棒で屋台を叩いてリズムをとりながら,節をつけてストーリーを語ってゆく.タイミングをはかって,カッタンと場面を切りかえる.一幕終われば,「先様はお帰り」が決まり文句で,観客が入れ替わりとなる.絵の背後に電球が仕掛けられており,座敷の灯りや星空の演出などに使われる."ひざでつついて目で知らす"とか,"早く帰ってちょうだいな,泣いて血を吐く不如帰"とかの名文句が耳に残る.のぞきからくりが出てくる落語は,「くしゃみ講釈」「からくり屋」と,この「小いな」になる.「くしゃみ講釈」では,買いもののコショウを思い出すため,小姓の吉三がでてくる「八百屋お七」を語りだす.裸馬に乗せられた八百屋お七が,"小伝馬町から引き出され,ホーイ"と,鈴ヶ森の刑場に向かう場面が一段すっくり語られる.「小いな」のからくりの文句は,元ネタがわからない."本町二丁目"というと,"本町二丁目の糸屋の娘"という歌が有名だが,文句が大分違う.いろいろとバリエーションがあるものの,美貌の姉妹を口説こうと神願かけたり,糸屋の娘は目で殺すとなる.


133 曽呂利新左衛門,高野駕籠,滑稽曽呂利叢話,駸々堂 (1893)
【あらすじ】
 住吉大社前で,駕籠かきが客を呼んでいる.相棒の方はまだ新米で,近所の餅屋の主人に駕籠をすすめて,ケチョンケチョンにやり込められた.続いてやって来たのがお武家さま,駕籠が二挺,両掛けが一荷,人足が一人.上客だと思ったら,一行が通ったら知らせろとの事だった.丸太格子で一杯やった酔っ払いには、頭を殴られてしまう.最後は,手代と本妻,お妾,女中を連れた5人連れの客で,一日2朱で5挺の駕籠を貸し切って住吉詣でに出かけた.
 参詣も無事終え,堺の浜辺で料理屋にでも揚がるかと思ったら,駕籠のまま海に入れとの仰せ.今日はハゼ釣りに来たのだが,女子衆が船は酔うというので,駕籠に乗ったままハゼ釣りしようと思いついた.船に乗っている見立てで,駕籠屋は駕籠を頭までさし上げるものだから,手を下ろすこともできない.「ドデンチャブチャブ」の波音の口まねを聞きながら,5人はそれぞれ竿を下ろしている.本妻とお妾が竿を上げると,お互いの糸がからんでしまう.これを見ていた旦那は,昔の加藤左衛門尉の故事に思い当たる.仲良く双六をしていたはずの妻妾が,居眠りすると互いの髪が蛇となって争う姿を見た加藤左衛門は,高野山に登り,出家して苅萱道心となったのだった.「イヤもうよいよい.陸に上がって一杯やろう」.ふと見ると,旦那が見あたらない.「最前,ちり紙もってあっちの方へおいでになりました」「それでわかった.おおかた厠[高野]を尋ねていきなはったんじゃろう」

【ひとこと】
 筑前の国松浦の城主、加藤左衛門重氏は、妻と妾(てかけ)と二人置きしに、互に嫉妬(ねたむ)心も見えず、或る夜双六盤に凭(もた)れ、互に居睡(いねむり)しに、黒髪解(ほど)け蛇となり、互に争ひしを見て、可愛い妻子(つまこ)を振捨て、栄耀(えよう)の袖も、麻の衣と引替へ、黒髪剃(おろ)し、紀伊の地に登り、苅萱道心となられたり…… 目(ま)の当り外面如菩薩、内心如夜刃と説(とか)れしハ仏の誡め(高野駕籠)
 高野駕籠(こうやかご)は,『滑稽曽呂利叢話』に収められている上方落語.二世曽呂利新左衛門演,島田喜十郎速記.雑誌『百千鳥』2巻1号(1891)が初出.

【つけたし】
 前半は「住吉駕籠」の駕籠屋の客引きになっている.後半は,苅萱道心発心の逸話を落語に取り入れたもの.筑前の武将,加藤左衛門尉繁氏には妻妾があり,睦まじく暮らしていた.ところが,仲良く碁を打っている妻妾の障子に映る影が,蛇となってもつれ合っていた.その姿を見て,加藤は世の無常を感じ,高野山に登って出家した.息子の石童丸が,苅萱道心のもとをはるばる訪ねてきたが,親子の名乗りもできず別れるのが,苅萱道心石童丸の説経節として伝わっている.写真は,『苅萱物語』の一コマ(国立国会図書館蔵).
 面白い噺なのだが,難をいえば,海中につかって波に揺られてしまうと,重たいものを頭上に掲げておくことはできない.肩に担ぐのがやっとだろう.橋の架かっていない川を渡るときは,肩車ならば客一人に担ぎ手一人だが,蓮台に乗った場合は,4人で担ぐのが通例だった.


134 朝寝坊むらく,故郷へ錦,むらく落語全集,三芳屋 (1914)(3版)
【あらすじ】
 上方は山崎在,庄屋の息子の長兵衛はいたって堅物で通っていた.ある晩,「勝負だ長兵衛」の声が聞こえたので,小屋の中をのぞくと,村のものが博打をやっていた.ちょっと手を出した博打にのめりこみ,とうとう勘当になってしまった.暇乞いに訪れた博打仲間から小遣い銭と弁当をもらって,江戸に向かった.村はずれの地蔵堂で,弁当を枕に昼寝していると,毛だらけの手が弁当を引っ張る.その手を押さえてみれば,これが古狸.腹を空かせたタヌキに弁当をやったお礼に,サイコロに化けてもらい,元の小屋に立ち戻って,イカサマ博打で百両あまりを巻き上げた.
 伊勢詣りから江戸に入ったときには,路銀もほとんどなくなってしまった.浅草寺にお詣りしていると,たまたま声を掛けてくれた大工の辰五郎のところに厄介になる.国の者に勧められた焙烙売りをはじめてみたが,江戸では全く売れない.辰五郎に頼んで,ひと芝居打った.吾妻橋の上で辰五郎に出会った長兵衛は,てんかんを起こして倒れる.辰五郎に頼んで,焙烙を川に投げこんでもらうと,不思議にてんかんが治った.これを見ていた江戸っ子達は,争って焙烙を買った.焙烙で儲けた金で浅草に家を借り,町の小使いをして可愛がられるようになった.
 翌年の十五夜の晩,何軒もの家でご馳走になった長兵衛が,厠に入っていると,家主のところから怪しい人影が出るのを見た.犬に吠えられた泥棒は,蔵の腰巻板の間に盗んだ物を隠すと,そのまま逃げてしまった.翌朝,大事な預かり物の鏡を紛失して,主人は青くなっている.長兵衛は,自分は何でも嗅ぎ出すことができると言って,100両で探し物を請け合った.あちこち探す振りをして,しまいには300両の礼金で宝物を嗅ぎ出した.喜んだ家主は,長兵衛を娘の婿に迎えた.故郷へ錦とはこのことだと,国へ帰ると勘当も許された.近所の人たちは,「長兵衛は鼻で大家の婿になった」「これが本当の花婿だろう」

【ひとこと】
 長「実は此の毎年俺(わし)の方の国での、七月の十四日には炮烙を割つて川へ流しまする、然ういたしますると悪い病に罹(かか)らぬとこないに云いまする、俺のやうな癲疳病(やみ)でも直(すぐ)に癒りまする、あんたも悪い病にかゝらぬやう一枚割たら何うで御座ります 辰「然うかそれでは一ツ投(ほう)り込んで見やう」辰五郎が川の中に投り込んだ、見物が之れを見て居たが、 △「目の前で癲癇が癒るのだから霍乱にも宜からう △「オイ炮烙を一枚呉んねへ」江戸と云ふ所は人間が甘いから、一枚買うと川の中へポカリ(故郷へ錦)
 故郷へ錦(こきょうえにしき)は,『むらく落語全集』に収められている.朝寝坊むらく(7)(三遊亭圓馬(3))演,浪上義三郎速記.

【つけたし】
 いくつかのストーリーをつなげたような落語.似たような演題の「鼻利き源兵衛」でも,紛失した品物を偶然目撃し,鼻で嗅ぎだしてみせるところがある.曽呂利新左衛門の『滑稽嗅鼻長兵衛』は,借金で故郷を捨てた長兵衛が江戸へ出て,隣家の紛失物や武家の家宝を自慢の鼻で嗅ぎだした末,朋輩に恨まれ殺されかけ,故郷へ帰るという長編落語になっている.主人公名が同じ「鼻利き長兵衛」という落語では,本当に長兵衛の鼻が利く.いつも御馳走の匂いを嗅ぎつけては,たかりにやって来るので,近所の鼻つまみになっている.
 現代には,臭気判定士という国家資格がある.合格するには,匂いを嗅ぎわける実技試験をパスする必要がある.実際の仕事場では,悪臭を含む空気を薄めていって,どこまで感じられるかで数値化するらしいし.ガス分離装置の出口に鼻を近づけて,機械にかわって悪臭物質を検知することもあるという.


135 三遊亭圓左,子ころし,百花園, (229), 1-16 (1899)
【あらすじ】
 借金で首の回らない夫婦が,吉兵衛さんのあっせんで,産後の肥立ちが悪くて母親が死んだ家から50両の金付きで赤ん坊をもらうことにした.この金でなんとか借金のかたをつけた.二月ばかりたつと,赤ん坊がじゃまになってしまい,いっそ殺してしまおうと相談がまとまった.銭湯の熱い湯に長くつけた上,帰ってからはカンカン火がおきている部屋で布団をすっぽりかぶせて寝かしつけた.布団をめくると,真っ赤になって身体中にできものができている.医者もいい加減なもの,疱瘡で死んだという見立てで,ごまかすことができた.
 ついている時はそんなもの,翌年になると博打でひともうけして懐都合もよくなった.旦那は吉原の女にはまって,十日も家に戻らない.帰ってくるなり,おかみさんがケンツクを食らわせた.カッとなった亭主は,おかみさんを殴った.「さあ殺せ.去年の今時分のことを忘れたか.去年,吉兵衛さんから子供をもらったのは,50両の金が欲しいばかっりだからだ」「これ,俺が悪い.もう止さねえか」「いいや,止さない.50両をもらった挙げ句に,その子を殺して……」「俺が謝る.よく考えてみねえ.こんなことが世間へ聞こえ,手先の耳にでも入った日にゃあ,俺もお前も首が胴についちゃいねえぞ」「いいや構わない.一緒に殺されりゃあ本望だ」
 こりゃあ大変だと,一生懸命に女房をなだめたりすかしたりして,機嫌を取った.「俺だって,毎晩つきあい酒,ちっともうまくねえ.さっき,三河屋の御用に会ったから,一升さげてきてくれと頼んだんだ.お前と飲もうと楽しみに帰ってきたんだよ」「そんなにおとなしく言ってくれりゃいいけど,いきなり殴られちゃ,私だって心持ちがよくない」「まあまあ,今に三河屋の御用が来るから,そしたら一杯やるから,機嫌を直してくんねえ.帰りに鰹を刺身にしてもらってくるから,お燗をつけといとくれ」.亭主は手ぬぐいを提げて湯に出かけた.入れちがいに,お手先衆が「御用ッ」.家の中のかみさん,「オヤ,酒屋さんかえ」

【ひとこと】
 もっとも御用を聞いて歩き、まず御酒の御用を聞き、それから味噌醤油の御用を聞くから、マア御用……デ、同じことでも、お探偵(てさき)衆のことを御用聞きと申します。大した相違のものでございます(子ころし)
 子ころし(こころし)は,『百花園』229号に掲載された.三遊亭圓左(1)演,石原明倫速記.『落語事典』には「子殺し」(こごろし)の演題で載っている.

【つけたし】
 「子殺し」というと,「菊模様皿山奇談」の一部を独立させた「松枝宿の子殺し」を思い浮かべるが,まったく違う噺.「骨違い」という落語と似たテイストがある.勝手口から御用聞きが註文を取りに来る習慣は,今も残っているだろうか.以前見ていたアニメ「サザエさん」では,酒屋(こちらも三河屋)の店員が御用聞きに回ってきていたはずだが,もう失職してしまったか.「言訳座頭」などでは,酒屋や米屋,薪屋が掛けを取りに来ているし,「ざこ八」では魚屋が注文取りにやってきていた.今でも,プロパンガスの交換や灯油の補給は,薪炭に代わって生き残っている.乳酸飲料や食料品の定期訪問販売は,むしろ盛んになっているような気がするし,デパートの外商など,受け入れる側のステータスでさえある.


136 桂南光,木挽茶屋,桂派落語 高座の色取 第二集,杉本書店 (1907)
【あらすじ】
 材木問屋の旦那の彦兵衛が,出入りの木挽きの熊五郎を旦那に仕立てて茶屋遊びに出かけ,馴染みの芸者たちを驚かそうと企んだ.旦那に呼び出された熊五郎は,はじめての茶屋遊びに尻込みする.呉服屋の熊旦那と言う触れ込みで,加賀絹の褌から,襦袢,着物,羽織,帯とすっかり着がえて見違えるようになった.そこにやって来た八百屋の喜さん,厚かましいようだが出しなに嬶と喧嘩して胸くそが悪い,私もお供に連れて行ってもらえませんかと頼みこんだ.ただのお供じゃつまらん,道修町の薬屋の旦那という触れこみで同行することになった.そこに,檀那寺の和尚さんもやって来た.火事にあったばかりで,本堂はおろか,玄関もまだ再建できていない.こんなことを言うと,堕落僧だと思し召しでしょうが,今回の類焼には心を痛めました,遊びはいっこう存じませんので見せていただけないかと頼んできた.これは面白い,和尚さんは医者の井上先生となって下さいと,4人で九郎右衛門町へ繰りだした.
 茶屋に着くと,彦兵衛は,3人が大事な金主だと紹介し,自分のことは旦那と呼ぶなと言いおいた.待っていた熊五郎は退屈のあまり,焼き芋を買ってほおばっていると,急に「熊旦さん」と呼ばれて目を白黒する.何を言われても「アア,アア」と鷹揚に返事をしていたので化けの皮がはがれずに済んでいたが,しだいに酒が回り,熊五郎は飲むは食べるは,しまいには,家族に土産だと御馳走を手拭いに包みはじめた.凸鶴という芸者が,ちょっと変だと気づいた.「もし,熊旦さん,あんた呉服屋さんだそうで,今度,胴にしたいので紅絹(もみ)をちょっと持ってきておくれや」と頼むと,「堂ならモミよりケヤキにしなはれ」「そうやおまへん,紅絹の裂(きれ)だす」「ああ,端ぎれですか.ヒノキのいいのを細かく割って,焚きつけにしてあげます.おが屑はどうです」「あんた,木挽き屋さんでおましょう」「アア,アア」.すっかりばれてしまった.「もし,薬屋の喜ぃ旦さん.こんど人参飲ませたいので,十円がほど持ってきておくれや」「人参十円…….車に三杯もごわす.難波へ行くと安う買えます」「嫌いやの.あんた,八百屋さんでござりましょうがな」「アア,アア」.「もし,井上の先生,あんさんお医者さんでござりましょ.外科でおますか,本道でおますか」「玄関も本堂も焼けまして,ただいま仮家に住んでおりますわい」

【ひとこと】
 私とこは斯うやつて材木渡世ぢゃ、他の材木屋さんとは違うて、請負(うけとり)ばかりするのぢや、ナア、ソレ札が落ちたと来ると、何月何日(いついっか)の何時に柱ァ何十本、何を幾ら入れて呉れえと言はれる時きやァ、熊さん、頼むぜと言ふと、お前が精出して、それが出来ぬ時は夜業(よなべ)してもチャンとお前はん間に合せて呉れてぢや、ナア、それで私とこの家が立つて行くのぢや、職人様は大事ぢや、神さん見たやうなものぢや(木挽茶屋)
 木挽茶屋(こびきぢゃや)は,『桂派落語 高座の色取』に収められている上方落語.桂南光(3)演.

【つけたし】
 金持ちの気まぐれで,職人をからかっているようにも思えるが,引用文に見られるように,根底に職人を尊ぶ気持ちがあるので,嫌みには聞こえない.花街の遊びとはかくあるものなのか,洒落てるなという気分になる.木挽きは丸太から材を製材する職人で,大鋸(おおが)は花形の道具になる.サゲの玄関に"げんかん"のルビがついているが,上方弁の"げんか"とした方が,外科との聞き違いがきっちり生きてくる.なお,この速記は,『続 落語全集』大文館(1932)にも採録されている.そのほか,『落語全集』石渡正文堂(1931)収録の桂小圓太演「供ぞろへ」,『滑稽落語選集』 宮田書店(1935)収録の桂南光演「人の本性」,『サンデー毎日』12巻1号(1933)掲載の桂米團治演「紅絹」などの速記もある.「木挽茶屋」は,人気の演目だったのかもしれない.


137 柳家小さん,米搗の幽霊,文芸倶楽部, 26(6), 207-216 (1920)
【あらすじ】
 信濃から出てきた米つきの久蔵,大食い番付の勧進元に名前が載るほどの大食いだが,この頃どうも息切れがして顔色も悪い.心配した信濃屋の主人が医者に診せると,久蔵は腹を壊していて,このままだと命にさわるとの見立てだった.何とか治してやろうと考えた主人は,いままで日に2升食うところを,5合に制限した.腹が減って耐えきれない久蔵は,朋輩に飯を食わせてくれと頼むが,主人のいいつけがあるため,取り合ってもらえない.半狂乱になった久蔵は,夜中に戸棚の鍵をねじ切って,中の御鉢に手をかけたところを主人に見つかってしまう.「お前が同国のことでもあり,医者にかけて面倒を見ているのだ.冷や飯など食ってとんでもない奴だ」.すごすご引き下がった久蔵は,「食いてえ食いてえ」と言いどおしで,とうとう死んでしまった.
 葬式も終えたある晩,番頭が夜中に目を覚ました.久蔵もいないので,台所にお櫃が出したままになっている.そのお櫃に,誰かが手をつっこんで飯を食っている.飯に気が残った久蔵の幽霊だった.そんな馬鹿なことがあるかと,主人みずから,夜中に台所に行ってみると,たしかに煙のような人が現れ,手づかみで御櫃の飯を食いはじめた.「コレ,久蔵.俺の見ている前で手づかみで飯を食いやがって.だいいち,お前は死んだ者だろう」「ナーニ,しなの者でごぜえます」

【ひとこと】
 御櫃(おはち)の傍にどうも人が居るやうだ、ハテなと思つて能く能く見ると、御櫃の蓋を開けて手掴みで飯を食つて居る、『誰だッ』声を掛ると、ヒョイと振返つたからその顔を見ると久蔵だ 『わしでがす、どうか旦那へ内密(ないしょ)にして下せえ』(米搗の幽霊)
 米搗の幽霊(こめつきのゆうれい)は,『文芸倶楽部』定期増刊号"有名三大怪談"に掲載された,柳家小さん(3)演.挿絵1枚.

【つけたし】
 「米搗の幽霊」は,以下の速記もある.『娯楽世界』13巻6号(1925)に「台所の幽霊」の演題で,また,『糧友』8巻10号(1933)には「信濃屋」の演題で載っている.いずれも柳家小さん(3)演.
 頼まれれば越後から米つきに,と言われたように,越後国や信濃国から,江戸に米つきにくることが多かった.足踏み式の杵に体重をかけて,どしんどしんと搗き続ければ,隣家の仏壇に収まっていた位牌だって動き出してしまい,家主の幸兵衛さんを悩ませることになる.こうやって丸いちにち働けば,腹が減るのは当たり前.信濃者が大食いの代名詞だと言われても,生まれたところに罪はない.そんな久蔵さんが,胃を患って食事制限を受けるとは,残酷なこと.結核と糖尿とを同時に患ってしまい,栄養をとるのがいいのか,とらない方がいいのか,医者を悩ませるようなものだ.大食いだけに,久蔵の辛さは並大抵ではなかった.哀れな久蔵さんは,死んでも米の飯に気が残ってしまった.盗み飯を主人に見つかり,ぼうっと手燭に照らされた久蔵が振り向いて,「ひやめしい」と言ったとか言わないとか.


138 笑福亭松鶴,コレコレ博奕,笑福亭松鶴落語集,三芳屋 (1914)
【あらすじ】
 旅に出た源助と清八の二人連れが,ある宿で一杯やっていると,隣の座敷で博打をうつ銭の音がする.仲間に入れてもらった二人はすっかり取られて,襦袢一枚になってしまった.そこに,役人の手が入った.雨戸を開け,塀を乗り越えて,二人は何とか逃げおおせた.もうこれは野宿しかないかとあきらめていると,遠くにチラチラ明かりが見えた.近づくと野中のお宮だった.お社の錠前を外して社殿に入ると,二人はぐっすり寝こんでしまった.
 一夜明けると,ちょうど21年目の屋根替の正遷宮の日.出店が出るわ,興行ものが掛かるわで,人でいっぱいになっている.襦袢一枚の二人は,御幣を捧げ持って,「神さんじゃ,神さんじゃ」と叫びながらお宮を飛び出した.お供えの大きな鏡餅やら鯛を懐に入れたり,禰宜を蹴飛ばしたり,寿司をほおばったりと,大暴れしながら参道を駆け抜けて逃げた.
 「アー苦しい」.一息ついて懐を探ると,鏡餅がない.襦袢一枚だから落としてしまった.俺は飴屋の売り上げを袂に入れたと探ると,こちらも襦袢だから落としてしまっている.しかたがないので村の庄屋の家を訪ねて,「私は大阪の者でございますが,伊勢参宮の帰り道を取り違えまして,向こうの山で追いはぎに遭い,二人とも襦袢一枚そっくり盗られてしまいました.どうぞ路用の金を貸していただきとうございます」.それは気の毒と,赤飯をご馳走になっているところに,お宮の男衆が駆けこんできた.「ただ今,お宮の本社から神様が二人暴れ出て,ぎょうさん怪我人ができました.お庄屋さん,一度お越しを願います」「それはエラい事じゃ.この頃,宮守があちこちで女をこさえて,宮様の中に引っ張りこんだとか,いろいろと聞いとります.神様の罰が当たって,おかしな事がなければいいと心配しておったのじゃ.そりゃ,神様が暴れなさったのではのうて,神様の使わし者の業に違いないなあ.大阪の衆,お聞きなすったか」「へい.聞いております.エラいことでございますな」「その神様二人,ここで赤飯食べとる」「要らんことしゃべりな…….お庄屋さん,私の思うには,これは神様の業ではなかろうと存じます」「神様が暴れることはないじゃろうが,大方これこれの業やろうと思うのじゃ」と,手を上げて狐の真似をする.清八は手のひらを上に向けて,「何をおっしゃるね.これはみんなこれこれの業でござりまする」

【ひとこと】
 清八が覗くとお出でお出での逆様と云ふやつを遣つて居ります、松鶴(わたくし)はお出でお出でと云ふたら手を向ふへ出して招くので、それの逆様なら後ろへ手を突出して招くのか知らんと思ふたらさうぢやございませんさうで、掌に賽とか云ふものを乗せましてそれを放つて勝負をして銭の取遣(とりやり)が出来ますので、えらい事をするものでございます、これは丁半とか申します博奕(ばくえき)でございます(コレコレ博奕)
 コレコレ博奕(これこればくち)は,『笑福亭松鶴落語集』に収められている上方落語.笑福亭松鶴(4)演.『落語事典』には「これこれ博打」の演題で載っている.

【つけたし】
 仕草でサゲになるので,速記だけではわかりにくい.チョボ一とかチンチロリンではなく,丁半だと書かれている.壺皿をパカッと伏せるのが丁半博打のポーズなので,手のひらでサイコロを転がすというのは,説明なしでは通じない.【ひとこと】に引用したように,大正時代でも,"これこれ"の仕草を仕込んでいる.この落語,桂文我師が演じたのを一度だけ見たことがある.やはり"これこれ"のポーズを仕込んでいた.狐のポーズの方は,2022年にプロ野球の応援で流行したきつねダンスでも,お庄屋・狩人・キツネが三すくみになる狐拳でもおなじみだ.写真は,博打の駒札(天保水滸伝遺品館蔵).
 「これこれ博打」は旅の落語だが,場所は特定されていない.他の速記では,三輪(曽呂利新左衛門演,『滑稽大和めぐり』),東海道水口(桂文我演)となっている.


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139 三遊亭圓馬,逆さの蚊帳,圓馬十八番,三芳屋 (1921)
【あらすじ】
 田舎の人が連れ立って江戸見物に出てきた.道に迷って,どっちへ歩いているか分からなくなった.「観音さまへ行くにはどう行きます」「ここを右へ一町まっすぐ行くと並木がある……」.どの道を聞いても親切に教えてくれる.教わったとおり観音さまの方へやって来ると,菓子屋が餡ころを丸めている.「あんたが拵えているのは何でごせえます」「餡ころ餅,一個二文ですよ」「高えなあ,どうすべえ」.1個食べてみると甘くておいしい.向こうでもっと大きいのをこさえているので,値段を聞けば,やっぱり二文.「江戸は生き馬の眼を抜くところだ.こんなでっけえのも二文だ.さっきのを食わねばよかった」と,二文出して,まだ柔らかい炭団を買った.「わっ,これはうまくねえ」「冗談しちゃいけない.顔が炭だらけだ.お湯にでも入ってらっしゃい」
 ようやく宿に帰って,表で涼んでいると,蚊が出てきた.「プーンと来たのは何でやす」「蚊でございます.ちょいと人の生き血を吸いますんで」「こりゃ恐ろしい.江戸には居られやせんな」「ちやんと寝られるよう,蚊帳というものがございます」.2階に行くと,布団の上に蚊帳がたたんで置いてあった.蚊を知らないぐらいだから,蚊帳も初めて見た.「これを吊り上げて寝んだんべえか」.四方の柱に蚊帳を逆さに吊ってしまった.「伯父さん,これどこから入るだ」「どこも開いておらんぞ.床の間から飛び込め」.2階でドシンバタンと音がしたので,相撲でも取っているのかと,番頭が駆け上がってきた.「貴方,何をなさるんですか.蚊帳を逆さに吊って.どこからお入んなすったんで」「床柱からここへ飛び込んだ」「そんなことだろうと思いました」「一つ頼みがあるでやす.これで楽に寝られるけども,虫が来るといけやせんから,一つ,蚊帳の蓋をお願いします」

【ひとこと】
 ○「貴下(あんた)みてえな親切な人を郷里(くに)に連れて行きたいわな 乙「田舎の人だねえ、聞いたかい、てめえを連れて行きたいとよ、エーてめえ所の村へ連れてつて何処かの養子にでもしやうてえんだ ○「何然うで無え、俺ん所の村のけえろ端(ばた)と云ふ本街道と吉田村とそれから大安寺と云ふお寺様へ行く三叉路(みつまた)があるだ、其処でいつでも道間違ふだ、あの真中へお前さんを立たして置いて 甲「俺を標石(たていし)だと思つて居やがらァ(逆さの蚊帳)
 逆さの蚊帳(さかさのかや)は,『圓馬十八番』に収められている.三遊亭圓馬(3)演,秋月末男速記.他の速記を見たことがない.

【つけたし】
 蚊はしぶとい.ちょっと草むしりをしても,いつの間にかヤブ蚊に何ヶ所も刺されて,腕や足をかきむしることになる.蚊にまつわる噺はたくさんある.ちょっと考えても,「麻のれん」「蚊いくさ」「二十四孝」「花色木綿」「蚊帳は」「相撲の蚊帳」「宝来」「大山詣り」「夏どろ」などの演題を思いつく.
 「麻のれん」という落語では,盲人が麻でできた暖簾と蚊帳を間違えて蚊帳の外にでてしまう.そちらは,ごく自然な間違いだが,蚊柱が立つような田舎から来た人が,蚊帳を上下間違えて吊るはずがない.だいいち,蚊帳のスソには吊り手がついていない.写真のように,蚊帳が空にむけて口を開けてしまう.
 もう蚊帳の需要はなくなったかと思ったら,キャンプ用品やベビーベッド用など,多くの種類の蚊帳が売られている.寝る前に蚊帳に入るときには,蚊帳のスソを団扇でパタパタあおいでから,さっと入れとよく言われたものだ.蚊帳にフタをしておかないと,それこそ血を吸われ放題,ただのマレーズトラップになってしまう.


140 桂花團治,真田山,落語全集,大文館 (1932)
【あらすじ】
 金になるならなんでもすると言われたので,毎晩見る宝の夢を相棒に教えた.女が夢枕に立っては,「金出してくれ,死ぬまで放さなんだ虎の子の金を出してくれ」と言う.「その金はどこにある」と聞いたら,真田山の三光さんの社の裏手,桜の木の下に瓶を埋めてあるというではないか.あの辺は,昔,徳川と豊臣が戦ったところで,大坂城落城の時に金を埋めたんやないかと考えた.これを聞いた相棒もその気になった.中に入っているのは小判に違いない,少なく見積もって20万円は入っているだろう.分け前が気になってたずねると,「まあ7分3分,お前が3分だ.日が暮れたら鍬を持ってこい」と言われた.
 やってきた真田山は,今でもずいぶん寂しいところ.桜の木の下を代わる代わる掘ってゆくと,何かコツコツと当たるものがあった.その時,三光神社の蔭から女の幽霊が現れた.「金返せー」「何,アホらし.横取りしようとは生意気な」「横取りしようというのやおまへん.瓶の中に大事な金が入っていますので,ひとめ中の顔を見たいだけで」「よし,顔を見るだけなら,見せてやろう.とっくり見て成仏せい」.瓶のふたを取ると,出てきたのは金ではなく,子供の骨.「もうコツになりましたか.これで成仏できます」「毎晩わしの夢に出たのはお前か」「へえ.まことにすみません」「そんなら,虎の子の金と言うたのは,この骨のことかい」「さようで.私が虎,娘の名がかね.この骨がかねの骨で.これが見たさに迷うて出ました」「ああ,まるでくたびれ儲けやないか」「そうや,これがほんまの骨掘り損や」

【ひとこと】
 ○「こヽが真田山だつか、桜の木は何処におまつしやろ △「捜して見い、三光さんの裏手やろ ○「えらい妙やな、三光なら表の桜がある筈や、それが裏にあるとは、さては鬼に食はれたか △「つまらん洒落を云ひなさんな、おヽあるあるこの桜ぢや(真田山)
 真田山(さなだやま)は,『落語全集』に収められている上方落語.桂花團治(1)演.

【つけたし】
 真田幸村が築いた出城があった真田山に埋蔵金を掘りに行くという,何かありそうな話の発端から,いつの間にか虎の子のへそくり金に下落してしまう.とどのつまりは,虎の子の金ではなく,お虎さんの子どものかねの骨だったという,拍子抜けしてしまうような噺になっている.真田山は大阪の玉造駅の西側の高台にあたる.真田幸村の抜け穴のある三光神社があり,そこを降りると,墓石がずらりとならぶ陸軍墓地に出る.そうそう,真田山はサクラの名所でもある.
 引用にあるような花札のルールはややこしい.「ばかっ花」(花合わせ),「こいこい」「オイチョカブ」が基本のゲームになり,落語のクスグリにも登場するので,知っておかないと,噺を聴いていても置いてゆかれる.「こいこい」でいちばん高い役の「五光」は,松に鶴・桜に幔幕・芒に月・柳(雨)に小野道風・桐に鳳凰の5枚セット.「五光」という落語のサゲ場では,この5つが荒れた堂内に次々と現れる.5枚のうち1枚欠けると「四光」,2枚減ると「三光」という役だが,雨が入ると役が流れてしまう.萩・紅葉・牡丹の動物セット「猪鹿蝶」は,「鹿政談」で問い詰められた鹿守役の言訳になる.むさい坊さんをたとえて「カス坊主」や,"赤丹でよろし","早三光にこいなし","思案ロッポウ",ブタにインケツあたりも押さえておきたい.
 桜が裏にあると書いてあるのが,よくわからない."鬼に食われた"ともあるから,「むし」というゲームのことだろう.赤と黒の抽象画ような雨のカス札は「鬼」と呼ばれる.鬼を出せば,場にある雨以外のどの札とも合わせて自分のものとする(食う)ことができた.「むし」の「三光」は,松に鶴・梅に鶯・桜に幔幕(表の桜)の3枚セットのことで,表の桜が鬼に食われて取られたことを,裏にあると表現したのかもしれない.


141 三遊亭小圓朝,小夜ごろも,名作落語全集 5,騒人社 (1930)
【あらすじ】
 昔は薬屋の店先で,女性の血の道の妙薬,枇杷葉湯を茶釜に沸かして往来を通る人に振る舞っていた.また,女性は夫に寝顔を見せず,肌を他人に見せるべきものでないとされた.
 塩谷判官は,武功により朝廷から顔世御前を賜った.隣家には足利第一の執権,高師直の屋敷があった.弥生の中ごろのこと,師直が庭をながめめていると,隣家の判官家では,湯からでた顔世が,浴衣で汗をぬぐっていた.その時,春風が吹き起こって,湯上がりの白い肌があらわになった.それを見た高師直は,顔世が忘れられず,恋わずらいの床についてしまう.主人を見舞った元老の鷺坂伴内に,顔世のことを打ちあけた.顔世は名だたる歌人ゆえ,なまなかな懸想文ではまずいと,双岡に隠棲している吉田兼好を呼んで,艶書の代筆をさせた.判官の家に出入りする小間物屋の婆に頼んで文を届けてもらうことにした.世情の話を楽しみにしている奥方の顔世は,小間物屋を近くに呼び寄せた.鷺坂家の奥様から預かった文を見るなり艶書ということがわかったから,このようなものを開封はできないとおっしゃり,小夜衣という三文字だけ書いて渡した.受け取った鷺坂は,何のことかわからない.小夜衣とは夜着のことではないかと,高師直に文のことを告げると,師直,ワッと泣きだした.新古今和歌集の中の,さなきだに重きが上の小夜衣わが夫(つま)ならでつまな重ねぞの古歌のことだ.ああ,この恋は叶わないと泣きくれた.
 顔世の方も,今をときめく執権を怒らせれば,どんな仕返しをされはせぬかと気をもんでいた.小間物屋がやってきたと聞き,師直の様子を聞いた.執権は怒るどころか,返されし文と思えど仇人の手に触れけんと見れば嬉しき,と歌を口ずさんだ.このことを聞いた顔世御前,高定殿へ武功によって賜ったもの,すでに両夫にまみえた体である.お優しい師直殿ばかりでなく,どなたにもお振る舞い申そうか,と妙な考えを起こした.もっとも,顔世は烏丸家の養女で,枇杷葉湯の本元だそうでございます.

【ひとこと】
 是はお芝居ではございませんが、矢張り忠臣蔵の序開きといつても宜いお噺で、殊に珍らしく存じますから、御参考かたがた此の篇中へ差加へて申上げることに致しました(小夜ごろも)
 小夜ごろも(さよごろも)は,『名作落語全集』第5巻,芝居音曲篇に収められている.三遊亭小圓朝演.仮に三代目とした.『落語事典』には「小夜衣」の演題で載っている.

【つけたし】
 「小夜衣」が珍しい落語であることに加え,「小夜衣草紙」という人情噺もあるので,紛らわしいことこの上ない.「小夜衣草紙」は,大川屋から春風亭柳條の速記が出ている.「小夜衣」の方は,騒人社の『名作落語全集』に載っている.『名作落語全集』は,他の出版物からの速記を寄せ集めて,演者名を適当にすげ代えたものが含まれている.この「小夜衣」は,おそらく橘家圓喬(4)が『やまと新聞』(1891)の付録に掲載した「小夜衣」の速記を元にしているのだろう.
 『忠臣蔵』三段目,殿中刃傷の場が,「小夜衣」の場面に似ている.芝居の方は,こんなストーリーになっている.大序の兜改めの場で,高師直は顔世御前に艶書をおくった.そうとは知らない塩谷判官は,顔世から預かった文箱を渡す.中にあったのは,落語にも出てくる例の和歌が書かれた紙だった.悔しさ,恥ずかしさ,怒りがごっちゃになり,高師直は顔世の夫である判官に悪口雑言を浴びせる.とうとう判官は殿中にもかかわらず刀を抜いて,師直に斬りかかる.
 落語では,"小夜衣"の三文字だけが書かれていたことになっている.元の歌,"さらぬだに重きが上の小夜衣わが夫ならでつまな重ねそ"は,『新古今和歌集』巻二十,釈教歌にある.ただでも夜着が重いのに,その上不倫の重い罪をかさねてはなりませぬ,という意味になる.高師直は,『太平記』でも歌の意味が判らなかったとされる.自分は歌道に暗いのぉと発憤するわけではなく,未練がましい歌を返した.執権相手に返歌をもらっては,喧嘩にならないと.顔世は師直になびいた,となる.歌舞伎でも三段目の文使いの場面は省略されるという.それのパロディでは,なおさら判らない落語になってしまった.


142 柳家小さん,三で賽,百花園, (179)〜(180) (1896)
【あらすじ】
 チョボ一亀とあだ名されたほどの博打好きの息子なのに,新兵衛は賽粒一つ持ったことがない.小金を貸して女房のために蓄財している.これに目をつけた熊五郎たちは,計略を思いついた.旦那衆が集まって博打をやりたいから家を貸してくれ,寺口をたんまりやるからと言えば,あいつはケチだからきっと貸すだろう.ニセの喧嘩をしかけて,新兵衛の有り金を残らずふんだくってやろうと相談がまとまった.
 案の定,新兵衛は話に乗ってきた.臨月のおかみさんを実家に帰し,茶を入れて新兵衛が一人で待っていると,「こちらが本町の生薬屋の若旦那,こちらが木更津の大尽で……」と,堅気の客に化けた熊の仲間がやってきて,金張り博打がはじまった.横で見ている新兵衛の寺箱には,どんどん寺銭が放りこまれる.かれこれ20両も入ったとき,熊さんが新兵衛に胴を取らないかと誘ってきた.気が大きくなった新兵衛は,一番だけならと胴元を引き受けた.
 3の目しかでないイカサマ賽に入れ替わっているのも知らず,新兵衛がポンと伏せると,みんな3に張りこんだ.壺を開けると,「アー.三…….それだから私は嫌だと言ったんだ」.寺箱に手をつけようとしたら,それは博打の法にないと止められてしまう.しかたなく,タンスから30両ほど取り出して,5,6両の払いをつけた.「どうか三が出ないように……」「勝負っ」「さ……,三.また三で……」「ここで5両や10両取られても,寺を取らなかったとあきらめれば一緒で」「そりゃそうでございますが.残念ですからもう一番」.3が出つづけて,とうとうタンスの中の金では足りなくなってしまった.そこに,客同士の喧嘩がはじまった.殴り合いの中,だれかが灯りを吹き消す.源次の奴が仏壇からウニコーロの賽をくすねて逃げる.一人は新兵衛を押さえつけて殴っている.頃はよしと合図があると,一同霞のように引き上げてしまった.
 手探りで灯りをつけると,お茶もたばこ盆もひっくり返っていて座敷はめちゃめちゃ.金も寺箱ごとなくなっているし,博打の戒めとして父親が形見に遺したウニコーロの賽も盗られてしまっている.今考えると,あれはイカサマ賽だと気づいた.「親父の遺言を破った罰があたったんだ.三ばかり張るから変だと思った.ああ,三がうらめしい.賽を取られて親父に申し訳ない.三で賽を取られてしまったー」
 新兵衛の泣き声を通りかかった大家が聞きつけた.「産で妻を取られただと.そういや新兵衛のところは,おかみさんが臨月だったっけ…….新兵衛や,どうしたい」「とうとう三で賽を取られました」「そりゃまあ飛んだことで.まあ,しかたがないよ」「長屋の熊さんのこわ飯にかかったので」「もうこわ飯の支度にかかっただと.それは手回しがいい.して,寺はどうした」「へえ,寺っ.アアー,寺は源さんが持っていってしまいました」

【ひとこと】
 吉「胴を取つたらやつても能(いい)が決してその外ては遣るなとこういつてね親父が………
 熊「成程流石は亀さんの御子息さんだ胴を取つて割な事を御存じは感心だ、ぢやァようげす胴をお取んなせへ
 吉「エ………
 熊「胴をお取んなせへ
 吉「胴は四割でげすな
 熊「左様です
 吉「四割なら借金を質に置いてやつても能いと親父から聞いて居り升(三で賽)
 三で賽(さんでさい)は,『百花園』179〜180号に掲載された.柳家小さん(3)演,加藤由太郎速記.挿絵1枚.180号での主人公名が,吉兵衛となっている.あらすじは新兵衛,引用は吉兵衛のままとした.『落語事典』には「さんでさい」の演題で載っている.

【つけたし】
 サゲから作った落語なのだろうか,"三で賽を取られた"を"産で妻を取られた"と勘違いさせるのは,こしらえすぎの感じがする.とはいえ,名人小さんが手がけており,博打のしきたりの説明が詳しく書いてあり,捨てがたい味がある.ウニコーロ(ウニコール)というと,想像上の動物,一角獣(ユニコーン)のことだが,ほんもののユニコーンが捕まえられるはずもない.ユニコーンに姿が似ている海獣イッカクの角(牙)がウニコールと呼ばれた.口先からドリルのように突き出した長い角は,漢方薬として珍重されていた.イッカクの骨や,動物の角を削って作ったサイコロは高級品で,「今戸の狐」でも"骨の賽"(小塚原の妻とかけている)として登場する.お釈迦様が一天地六東西南北にかたどったというサイコロは,犀(サイ)の角から作ったと伝えている.サイの方も一本角なので,ウニコールとも呼ばれたらしい.イッカク製よりも,"犀で賽"の方が,「三で賽」にはぴったりのような気がする.


143 三笑亭可楽,仕立おろし,講談倶楽部,22(8),346-349 (1932)
【あらすじ】
 お祭りが近づいてきた.町内の子供が着る揃いは配ったものの,自分の分はまだ生乾きの反物のままだ.明日は神輿が出るのに,揃いの浴衣がなければ担ぐことができない.町内の仕立屋を廻ってみたが,どこも揃いの仕事でてんてこ舞い.駄菓子屋の婆さんまで十反も積みあげて精を出していた.
 家に帰り,お前が針が持てたらなあとこぼすと,そんなもの10分もあれば縫ってやると,女房は軽く請けあった.以前に,口のないぬか袋をこしらえたことを思い出し,半信半疑で湯に出かけた.負けず嫌いの女房が反物を広げてみると3丈ほどもある.どうして良いかわからないので,4つに切って縫い合わせたから,四布(よの)風呂敷ができあがった.その真ん中に鍋蓋をあてがうと,鰺切り庖丁でもってグリッと丸い穴をあけてしまった.そこへ旦那が湯から帰ってきた.「オイ,煙草なんか呑んでないで,反物をほどくとか何とか…」「もう縫っちまったよ」「えっ,本当かい.よく俺の裄丈がわかったな」.喜んで広げてみると,着物じゃあない,風呂敷の真ん中に穴があいている.「いったいこれをどうするんだ」「そこから首をだすんだよ」.すっぽり被ると,穴から首が出た.あんまり馬鹿馬鹿しいんで,思わず笑ってしまった.「仕立おろしを着たもんだから,この人はニコニコしている」  

【ひとこと】
 ○『有難てえ有難てえ、お前にこんな裁縫(しごと)ができようとは思はなかつた、着て見るよ』 女『あゝ引ツかけてご覧な』 ○『けれどもよく乃公(おれ)の裄丈けが分つてゐたな』 女『何んだい、裄丈といふのは…』 ○『厭な仕立屋だな、着物の裄丈を知らないのは心細いな、長さとか……』 女『宜いんだよそんなものは、反物一反が一人前だァね』 ○『天麩羅ぢやァないよ、一人前といふことがあるか――』(仕立おろし)
 仕立おろし(したておろし)は,『講談倶楽部』22巻8号に掲載された.玉井の可楽こと,七代目三笑亭可楽演.カット絵とも挿絵3枚(代田收一).

【つけたし】
 寄席の短い持ち時間で演じるのにぴったりの小品.たいした筋だてではないものの,引用した部分などは実に楽しい.あらすじには書かなかったが,駄菓子屋の婆さんに縫ってもらおうとしたとき,なぜ自分のかみさんが縫わないのか尋ねられ,指を腫らしてしまったからと,かみさんをかばってやる.がさつな女房の連れ合いにしては,もったいないようないい旦那だ.『サンデー毎日』18巻64号(1939)にも,桂文楽演とされる「仕立おろし」が載っている.放送では,八代目雷門助六が演じたものを見たことがある.
 四布(よの)という言葉は,"四布布団"で落語にも出てくる.四幅とも書き,布を4枚縫い合わせたものを指す.鯨尺の1尺である約38cmが布のサイズの一つの基準で,これを4枚を継ぎあわせた四布布団は,約150cmの幅になる.これでは寸足らずなので,四布半や五布(いつの)も多用された.一方,反物1反の長さは3丈=30尺(11.4mほど)に相当する.「仕立おろし」のおかみさんも,3丈の反物をズバズバと4つに切ってつなぎ合わせている.四分割で計算すると,150×285cmの長方形の布になる.おかみさんの作った着物と似ている貫頭衣の型紙が見つかった.4枚の布をはぐのではなく,前後2枚の布を袖と襟ぐりを残して縫い合わせるのが基本のようだ.おかみさんのお手製の150×285cmの布では大きすぎて,シーツをかぶった西洋のお化けのようになってしまうだろう.
 自分でも似たものを作ってみようと,てるてる坊主を作ってみた.祭の巴紋が出ているのがワンポイントになった.ほかにも似ている服があった.簡単服というワンピースで,大正期に流行ったもの."あっぱっぱ"の別名が,いかにもカジュアルな,ちょっとルーズな感じを出している.もっと似ているのが,水泳の着がえの時に使うタオル地のポンチョだろう.布から腕を出す必要もなく,むしろ布の中でもぞもぞする必要があるので,袖がついてない.こっちがの方がぴったりだけれども,これでは肝心の神輿はかつげない.


144 三遊亭圓歌,質屋の化物,ワールド,4(4),74-80 (1927)
【あらすじ】
 幽霊があるかないか辰の奴と賭けをしたと,熊さんが質屋の伊勢屋にやってきた.伊勢屋の隠居が言うには,「幽霊はないが,化け物はあるな.玉の井あたりに行くと,白首が往来の男を取って食う.毒に触れると,鼻が落ちたり,骨がらみになる」「そんな冗談でなく,何か化ける物はありませんか」
 実を言うと,私のところに毎晩化け物が現れる.質に取った品物の気が出るんだな.夜中過ぎになると馬鹿囃子の音がしたり,団扇太鼓の音がしたりする.これは,ある幇間から取った甚五郎の彫った狸の仕業だ.そのほかにも,雨のシトシト降る晩,土蔵の中で音がするんだ.中をのぞくと,十七,八のいい女.声をかけると,パッと姿が消えた.翌日,蔵の中を改めると,本郷の商人のところの質物だ.商売が失敗して,婚礼の晴れ着が質に預けられた.気に病んだ嫁が死んでしまい,その一念が蔵に現れたんだ.さっそく人をやって,受け出しをお願いしたところ,嫁の念がこもっているからと寺に納められた.これが昔ならば火事になって江戸中を焼くんだが,今だから何も起こらなかった.
 これを聞いた熊さん,「何だか隠居さん,嘘のようですね」「いや,本郷の話だ」「洒落ちゃいけない.それにしても質に預けたものがそう化けるもんですかね」「ああ,書生さんの本が牛肉に化けたり,若い衆の羽織が女郎に化けたりするね」「そういえば,私の袷(あわせ)もこのあいだ酒に化けた」

【ひとこと】
 隠「水戸様の行列を拝んで御陰様で敵討が出来ましたと喜んだといふ狐と狸の化競べといつて其の時分大層な評判だつた」 熊「ヘエー面白い話しだが、しかし其れは真物(ほんもの)の話しだが、先刻(さっき)の甚五郎の彫つた狸はまだありますかえ」 隠「イヤ此の間到頭流れになつたから市へ出したら五万三千六百円に売れた」 熊「恐ろしい宜い値に売れたもんだね」 隠「其れが狸値売りといふんだらう」 熊「巫山戯(ふざけ)ちやァいけない」(質屋の化物)
 質屋の化物(しちやのばけもの)は,『ワールド』4巻4号に掲載された.三遊亭圓歌(1)演.カット絵とも挿絵3枚.『落語事典』には載っていない.

【つけたし】
 雑誌『ワールド』は,『東京』を改題したもの.『東京』には,「そうめん」(柳家小三治),「新右衛門狸」(三升家小勝)といった珍しい落語がいくつか見つかる.中でも「数学屋の娘」(三遊亭圓生)という演題がひどく興味をそそった.これについては,「絶滅危惧落語」の新作編で紹介したい.
 古くから,年を経た器物が命を帯びると信じられている.写真は,百鬼夜行図(国立文化財機構所蔵品統合検索システム,https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-3169 をもとに作成)の一部で,磨かれなくなって曇った鏡を見つめる妖女が,私きれいとでも言いたげにお歯黒をべたべたと塗りたくっている.とばりの影から女達がその姿を興味津々にのぞき込んでいる.
 この噺には,いろいろな与太話を放りこむことができる.あらすじで省略したのは,次の3つのエピソードになる.木曾山中で道に迷って泊めてもらった家の婆さんが,深夜に花魁姿になって泣いている.こいつは妖怪だと思って斬り殺すと,それが夢だった.土蔵を調べてみると,応挙の掛け物に夢の花魁そっくりの絵が描かれていた.2つ目は,狸の言葉を信じた狐が,水戸家の行列が狸が化けたものだと思いこんで,侍になれなれしく話しかけた.ところが行列は本物で,狐は斬り殺されてしまう.今度はその子狐が,同じ手で敵を討つという話.3つ目は,正宗の刀だと思ったものが.実は村正の刀で,こいつが抜き身で暴れ出す.女の着物が次々と切られてしまう.切られた方は利があるのに,刀の方は無利息なので丸く収まらない.やっとのことで示談が整い,この一件は水に流した.という,何だか茶番のようなエピソードが載っている.


145 三遊亭圓遊,十返舎一九,家の光,6(6),136-139 (1930)
【あらすじ】
 江戸浪花町の長屋に住む十返舎一九は,金が入るとみんな使ってしまうので,店賃の払いも滞っている.大晦日に,家主の清兵衛が催促にやって来た.鼻紙にさらさらと書いたのは,『歩桂気に王手がた飛車火の車 金銀(こがねしろがね)にさし迫る香』.お前さんは世の中に無頓着,悪い気があって溜めたんじゃないと,店賃を取らずに帰った.
 一夜明けて春になると,色のさめた羽織に四ツ目の紋を紙で貼りつけ,名主のところに年始に出向いた.名主の宮本八右衛門,黒羽二重の小袖に五つ紋の羽織,仙台平の袴で出迎えた.年始のあいさつも済み,いろいろ話しているのに,屠蘇も燗酒も出てこない.「これは困ったな」「どういたしましたな.先生,風呂が沸きましたからお入り下さい」「いや,ちと風邪(ふうじゃ)気味で御免こうむります」.それを聞いた名主は,一風呂浴びに下がった.次の間に脱ぎ捨ててあった衣類を自分のものと取りかえ,裏口から抜け出すと,近所の年始に歩いた.「先生,今日は大層立派な恰好で」「ハイ,今度こしらえた着物でして.本年もお引き立て下さいまし」
 湯から上がった八右衛門,一九先生がいないばかりか,垢だらけの着物が脱ぎ捨ててある.そこに,一九がふらふらと戻ってきた.「ちょっと着物を拝借して近所を廻ってきました.大切の品をお返しします」と済ましている.この呑気に名主はびっくりした.一九をもてなさなかった訳を話した.昨晩寝ていると,夢かうつつか,私の耳許で「奥よりワッと泣いて出にけり」と申したものがある.正月早々不吉で,春らしい気になれません.それを聞いた一九は,短冊を求めると,「大黒に貧乏神がどやされて」と上の句をつけてやった.凶事が吉事に返ったと,機嫌をなおした八右衛門は,酒を振る舞った.酔った一九が扇であおぐと,紙の紋が取れてひらひらと名主の鼻に飛びこんだ.「これは失礼,紋も浮かれて飛び出しました」.失礼ながらと,名主は羽二重の羽織と,金の兎と銀の鼠の置物を差しだした.
 喜んで家に戻った一九は,兎を神棚に上げて寝てしまった.その晩,兎と鼠が喧嘩をはじめた.「ヤイ鼠,手前は台所を荒らしては,おさんどんに追われて,しまいには猫の餌食だ」「何だと,この兎め.いつもヒョコヒョコ,食べ物はきらずに餡がらの癖に.俺は十二支の筆頭だ」.勘弁できねえと,兎が片肌脱ぐと,下は鉛だった.  

【ひとこと】
 正面の床(とこ)には松竹梅の三幅対の軸がかけてありまして、古銅の花瓶には、温室(むろ)ざきの梅に福寿草を添へて生けてあります。 一『遉(さすが)に名主だな、金のある奴は贅沢なことをする、死ぬと云ふことを知らねえで此処の主人(あるじ)もふざけてゐる。こう云ふ金持ちは病(わずら)つた時には定めし命が惜しからう。おやおや主人が出てきたな、これは旦那様、一九でございます』(十返舎一九)
 十返舎一九(じっぺんしゃいっく)は,『家の光』6巻6号に掲載された.三代目三遊亭圓遊演.カット絵とも挿絵3枚(堤寒三).『落語事典』には載っていない.

【つけたし】
 他では見たことのない噺.狂歌師の大田南畝を主人公とする「蜀山人」のように,『東海道中膝栗毛』の作者である十返舎一九のエピソードを寄せ集めている.サゲは,神棚の恵比須大黒が喧嘩する小噺をつかみこんだもの.引用部分の口調を見ると,講釈の一部のように思える.
 写真は,熊手と唐の芋を組み合わせた,十返舎一九の署名.いずれも,お酉様の縁起物で,「鰍沢」では,お酉様の流れで吉原にあがった客が,唐の芋を踏んづけて転んでしまい,大笑いしたという会話が出てくる.


146 柳家小せん,支那の野晒,柳家小せん落語全集, 三芳屋 (1915)
【あらすじ】
 「大人(たいじん),お前さん,ふだんから聖人だ君子だと高慢な面をしてるが,夕べのざまはなんです.どこからあの女を引っぱりこんで来たんで」「それでは,夕べの様子をご覧かえ.昨日は一竿を肩に釣りに出たのだが,雑魚一匹かからない.日も暮れかかり,金山寺の入相の鐘が陰に響いてゴーンと鳴った.四方の山々雪融けて,水かさまさる犀川(さいかわ)の,波音高くザブーンザブーン.急いで我が家へ帰ろうと通りかかったのが馬崔ヶ原(ばさいがはら).九官鳥がパッと飛び立った.葦をかき分けると一つのシャリコウベがあった.飲みあまりの酒をかけて回向してやると,その晩,訪ねてきたものがある.それが尊公ご承知の女子さ.はからずもそこもとの回向により成仏することができました.今宵はお寝間のお伽をいたしましょう.そこで名を問えば,妾は楊貴妃なり,とこういうことだ」.これを聞いた坤山さん,釣り竿を借りると,犀川にやって来た.
 「おそろしい釣り師が出ているな.お前さんも釣りかえ」「鯉を釣りに来たんで」「そんなことは素人に言え.こっちはネタを知っているんだ.年増か,新造か…….オヤ,鐘がゴンと鳴り出したよ」.馬崔ヶ原にやって来ると,ムクドリが飛び出した.「ハハァ,今日は名代(みょうだい)だな」.あたりを探すと大きな骨があった.こりゃありがたいと,酒をかけて家に戻ってきた.
 真夜中になると,地響きのような足音がして,「坤山どののお宅はこちらでござるか.馬崔ヶ原より参ってござる」「あれ,こりゃ男の声だ.お供を連れてきたかな」.戸を開けると,身の丈七尺あまり,甲冑をまとったひげ面の男が入ってきた.「今宵はお寝間のお伽などいたそう」「冗談じゃない.お前さんは何者だえ」「われは樊〓[かい]なり」「ほい,鴻門[肛門]を破りに来たか」

【ひとこと】
 先代圓遊が得意で演りましたのが日本の野晒といふ落語でございます、是は笑府といふ本に出て居ります、原文は離縁状位ゐしか無いお話しでございますが、我々が饒舌(しゃべ)ると少し長くなります(支那の野晒)
 支那の野晒(しなののざらし)は,『柳家小せん落語全集』に掲載された.柳家小せん(1)演.『落語事典』には「支那の野ざらし」の演題で載っている.

【つけたし】
 『笑府』8巻刺俗部の「学様」が,「野ざらし」の原典だとされる.郊外で骸骨を見つけた男が,それを回向して埋めた.すると,夜中に戸を叩くものがある.誰だとたずねると「妃」と答えた.馬嵬に骸をさらしていた楊貴妃が現れ,礼を述べると,二人は一晩を過ごした.隣人がまねをして,別の骸骨を弔った.その晩,何者かが戸を叩いた.たずねると「飛」という答え.入ってきたのは,豪傑の張飛だった.なぜ将軍がたずねてきたのかと聞くと,回向いただいた礼に粗臀をさしあげよう.といったストーリーになっている.
 原文は短い漢文だが,これをふくらませたのが,上方落語の「骨つり」になる.木津川で骸骨を釣り上げた幇間が,それを寺に持ちこんで供養した.その晩,美女の訪問となる.まねした隣家の男も,河原で骸骨を見つける.その晩にやって来たのは石川五右衛門.それで釜を割りに来たのか.三国志の英雄,張飛を大泥棒の石川五右衛門に置きかえているが,男色のサゲは生かしている.
 東京の「野ざらし」は,僧籍にあったという托善正蔵こと,2代目の林屋正蔵が作ったとされる.人情噺がかった陰気な噺だったものを,初代圓遊が現在のような陽気な滑稽ばなしに作りかえている.最初の骨は,向島の川岸でご隠居が見つける.真似した八五郎は,川岸にある骨を探すのに.わざわざ釣り竿をぶら下げてゆく.このあたりは,「骨つり」の設定を引きずっている.やって来たのは,幽霊ではなく,八五郎の独り言を聞いていた幇間になる.新町の幇間(たいこ)を太鼓と誤解して,あの骸骨は馬の骨だったと勘違いするという,回りくどいサゲになっている.托善「野ざらし」が作られるにあたり,「骨つり」を参考にしたかどうかは定かではない.『笑府』をもとにした江戸小咄をベースに,「野ざらし」をこしらえたと考えるのが,落語の東西交流が少なかった江戸時代としては妥当ではないだろうか.
 さらに,圓遊版「野ざらし」をパロディにして,舞台を中国に置きかえた「支那の野ざらし」が作られている.浅草弁天山の鐘を金山寺の鐘に,葭原からパッと出るムクドリを九官鳥に置きかえ,名もなき美女は『笑府』と同じ楊貴妃に戻っている.サゲに出てくる張飛は,樊〓[かい]だという.項羽が劉邦を謀殺しようとする鴻門の会の故事を踏まえている.漢文の教科書にも載るようなドラマチックな場面なのだが,いかんせん張飛や石川五右衛門とくらべると馴染みが薄い.酒宴の剣舞にかこつけて劉邦を斬り殺そうとする項羽の計略を知った樊〓[かい]は,怒髪天を衝く勢いで宴席に乗りこんでくる.この結果,劉邦は危機を脱出できた.張飛がしおらしく尻を突きだしたのに対して,鴻門を破りにきたのでは,回向の恩を仇で返すようだ.
 小せんの演出では,"鐘がゴンと鳴りゃサ あげ潮南サ"のサイサイ節に加えて,当時流行の歌謡曲「カチューシャの唄」の歌詞をもじっている.♪骨に酒をばララかけましょか.タイムリーなくすぐりに,きっと大受けしたことだろう.写真は,仙国T師の禅画「よしあしは目口鼻から出るものか」.ドクロの目鼻にぽっかり開いた穴から,ヨシの茎が突きだしている.小野小町の末路を示すような絵だ.野に還ってしまえば,小野小町も末摘花も,小姓若衆も英雄豪傑も,グラマーもグランマも変わりがない.沙弥托善の流れをくむご隠居も,骨に酒をかけながらいいことを言っている.「野を肥やす骨をかたみにすすきかな.生者必滅会者定離.頓証菩提.なむあみだぶつ.なむあなめあなめ」.そのとき,ドクロの穴を木枯らしがヒューと音を立てて吹き抜けていった.

〓[かい]:口偏に會



147 三遊亭圓生,芝居の雪,週刊朝日,16(24),23 (1929)
【あらすじ】
 素人芝居は,とちったり失敗があったりするのがかえって愛嬌になるもので…….今度,店をあげて「奥州安達原」の三段目,「袖萩祭文」を出すことにした.ところが,この芝居で雪を降らせる手が足りない.芝居をまったく知らない権助に頼むことにした.こんな天気のいい日に雪を降らせることなどできないと,権助は断る.芝居だから,細かく三角に切った紙を籠に入れて天井から吊り,籠につけた綱を引っ張れば雪のように見えると教えた.雪を降らせるきっかけはこうだ.娘に手を引かれた袖萩が杖をついて花道から出てくる.祭文のあと,平謙杖が怒って引っ込む.そのうち,袖萩が癪を起こすと,娘が着物を脱いで袖萩に着せる.そこを目がけて雪が降ってくる,という訳だ.「そうか,癪を起こしたら降らせるか」と権助はきっかけを飲みこんだ.
 芝居の当日,いっぱいの客で人いきれがしている.見物していたご隠居が急病になった.「うーん,苦しい.太吉や,背中を叩いておくれ」「おいおい,角どん.どうしよう」「痛い.頭でなく,背中だ.うーむ,苦しい」.小僧の太吉はうろたえている.「芝居より,お前を見ている方がおもしろいや.おや,太吉どん,どうしたい」.気づくと,太吉の頭から肩にかけて真っ白になっている.「あっ,権助め.何だってこんな所に雪を降らすんだ」「野郎,知んねえな.芝居の雪は苦しんでいる者の上へ降らせるだ」

【ひとこと】
 主「時に降らせる順序は分つたかえ」 権「何んだつたかね、牡丹餅のあとが萩の餅で、祭文語りが癪起すか」 主「祭文語りは宜(よか)つたな」 権「何んだかお前様ァ、えらうペラペラ喋舌(しゃべ)つたが忘れた」 主「いかねえな忘れちやァ」 権「あんでもハア癪起したら降らせるか」(芝居の雪)
 芝居の雪(しばいのゆき)は,『週刊朝日』16巻24号に掲載された.三遊亭圓生(5)演.カット絵とも挿絵2枚(堤寒三).『落語事典』には載っていない.

【つけたし】
 「奥州安達原」は,近松半二ら合作の五段ものの人形浄瑠璃で,その後歌舞伎でも演じられた.行きずりの旅人を殺す安達ヶ原の鬼婆伝説や能の善知鳥(うとう)と,安倍貞任一族が再興を果たそうと画策するストーリーが絡み合っている.○○が実は□□だったという人物関係が複雑で,一筋縄では理解できない.「袖萩祭文」は「奥州安達原」の三段目にあたる.袖萩は平謙杖の娘で,10年前に黒沢佐中という浪人と駆け落ちしている.袖萩の妹の敷妙は,八幡太郎義家の妻となっている.大事な環宮が行方不明となり,養育係の平{仗(謙杖)は,勅使の桂中納言に切腹を迫られる.「袖萩祭文」では,巫山の琴唄で幕が開き,居ならぶ腰元が引っ込むと,一転して袖萩の出となる.盲目となった袖萩は,黒沢佐中(実は阿部貞任)との間に生まれたお君に手を引かれ,平{仗の屋敷の塀外にたどり着く.雪の降る中,袖萩は不義を詫びる祭文を語るが,親子の対面はかなわない.平{仗は切腹,袖萩も自害する悲劇的な展開となる.そこに桂中納言が現れる.八幡太郎義家は,彼がニセ勅使で,実は阿部貞任だと見破る.ざっとこんな感じだが,これではうまく要約できていない.
 舞台にひらひらと降る雪は,三角に切った紙が使われる.太平洋戦中,南洋の島でマラリアに苦しむ部隊があった.そんな中で,あり合わせのものを工夫して芝居を打った.観客席の兵隊は故郷を思い出し,あるときには歓声が上がり,紙の雪を降らせれば涙をさそった.俳優の加東大介が自作自演した「南の島に雪が降る」という名作.映画にもなっている.柳家喬太郎作の「ハワイの雪」.幼なじみの男女が,老境を迎えた.死ぬ前に訪れたハワイに移住した彼女と再会する.その二人の上に,ハワイでは珍しい雪が降ってくる.


148 三遊亭金馬,養子と障子,百花園, (237), 1-12 (1900)
【あらすじ】
 「これまで加藤家に何人も養子の世話をしたが,ひと月と居ついたことがない.様子をきいてみると,食うものもろくに食わせず,朝から晩まで使い倒すということだ.貴方なんか,学問もあって,浮いたところの一つもない,近所で評判のお人柄.あんな家に養子に行くことはない」と止めたのだが,捨次郎はやかまし屋の家に養子に入った.
 聞きしに勝る口やかましい家で,毎日小言ばかり.両親へ意見しても全くきいてくれない.もう実家に戻ろうと思ったある日,障子と襖が壊れたので買ってこいと言いつけられた.ところが,家が古くてどうしても障子がはまらない.何とかしろと言われ,障子の上の方を削ったり下を削ったりして,なんとか敷居と鴨居にはめた.これを見て,義父がはじめて喜んだ.このとき,息子が悟った.今までは,両親を変えようとばかり考えてきたが,自分が合わせて変わらねばいけなかったんだ.そうするうち,次第に両親の心も溶けてきて,近所の人もあの家は変わったと評判になる.そうなると娘さんたちも放っておかない.捨次郎を養子に紹介した知人も,そろそろ嫁を持てと勧めてきた.固持する捨次郎に訳を聞くと,「三月ほどは我慢できず,あなたの所にうかがおうと思いましたが,自分を削って,障子と襖になりとげて,今日まで辛抱したんです」「障子と襖ですか.道理で娘子供があなたをはりたがります」

【ひとこと】
 父「憖(なま)じ古ひのより、新らしい方が廉価(やす)いだらうから、廉価さうなやつを値切ッて、買ッて来てくれねェ
 捨「宜しうございます、
 是れから捨次郎が障子壹枚襖と買ッて参りました………嵌(はめ)て見たが家が古いから、何うやッても嵌りません、
 捨「何うしたんだらう、何うも嵌りませんナ、
 父「ベラ棒め、敷居と鴨居があッて、嵌らねへことが有るもんか、
 捨「家が曲ッてゐるから嵌りませんのでせう、
 父「曲ッてたッて、何うかして嵌て見ろ、(養子と障子)
 養子と障子(ようしとしょうじ)は,『百花園』237号に掲載された.三遊亭金馬(1)(三遊亭小圓朝(1))演,石原明倫速記.『落語事典』には「障子養子」の演題で載っている.

【つけたし】
 どうにも説教臭くて,受け入れられにくい噺になっている.これ以外の速記を見たこともなく,当時からメジャーな落語ではなかったと思われる.コンプライアンスだハラスメントだと気にする時代に,無理なものでも無理と言わせないこの落語はどう受けとめられるだろうか.養子に対しての仕打ちだから理不尽だと感じるのかもしれないけれども,今でも嫁いできたお嫁さんへ扱いはこれと大差ないのではないか.この噺の親父さんは,障子ばかりでなく,襖まで買いに行かせている.襖を修繕しているシーンはない.障子は毎年あたらしくするので,自前で障子紙を張りかえることもできるだろう.ところが,襖の方はそうもゆくまい.襖紙を押さえている枠や引き手の金具をはずしたり,襖紙を切ったり,斜めにならないようにピンと貼ったり,もういちど小釘を打ったりと,素人の手に余るのではないだろうか.シルバー人材センターで襖の張り替えを行うのは定番だが,東大には襖の出張張り替えをするユニークなサークルがあるという.もう65年もの歴史があるらしい.活動費用を稼いでいるのか,襖の張り替え自体が活動なのか,定かでない.写真は,組木障子と呼ばれる芸術性の高い障子戸で,竹中道具資料館に展示されていた.ガタの来た桟に無理してはめると,極細にけずられた細工が折れてしまうだろう.


149 浄瑠璃乞食,名人落語傑作集,松要書店 (1927)
【あらすじ】
 提灯屋の佐兵衛が,お店の主人が浄瑠璃好きなものだから,義太夫で無心してきた.「ご主人,在宿めさるかと,勝手知ったる表の間,ずーっと通って待ァちィいたァり……」「あいつ,人形振りで入ってきよった.向こうがそれなら,こっちもその積もりで出てやろ.主人の長兵衛,奥の一間をたァちィいでてェ……」.今度の地蔵祭で提灯,行灯の張り替え料,仏前供養の供物料の喜捨をいただきたいと,義太夫語りで奉加帳を出した.長兵衛は,仏のことなればと3両張りこんだ.「三両とはありがたい.さァぞやァ地蔵も喜びましょう.これでお暇申しましょうと,いそいそとして,立ァち帰るゥゥゥ」.唸りながら帰って行った.
 これを聞いていた乞食が,まねをして義太夫で,「お情け深い旦那さま,一文やって,下さりませェ」「今,手がふさいでる.お断りっ」「お断りとは情けなや,思い起こせば一昨日から,何も食わずにいるものを,どうぞお助け下さりませェ」「しつこい乞食やな」「そこを何とぞゥ……」.長兵衛大声で,「デンデン」

【ひとこと】
 横町の御隠居はこの頃浪花節に凝つてゐられるから、一つ御入来(ごにゅうらい)の方(かた)から取入らうとか、此家(ここ)の旦那は浄瑠璃金太郎だから、デンデンの方から説伏せようとか云ふ風に、それぞれ其の人のお道楽を目的(めあて)に行くと、案外事が巧く運ぶものだそうで(浄瑠璃乞食)
 浄瑠璃乞食(じょうるりこじき)は,花谷碧泉著『名人落語傑作集』に収められている上方落語.演者名なし.

【つけたし】
 松要書店の『名人落語傑作集』復興1版(1927)には,上方系の珍しい落語が載っている.この「浄瑠璃乞食」をはじめ,「大師廻り」「戎小判」「頓智医者」(蘭方医者)「天狗風」(魔風)「浮かれ小僧」「運の餅」「空景気」「髭題目」といった演題が見られる.この本はなかなか手に入らなかったが,春江堂から発売された『新選落語集』(1939),『爆笑漫才と落語集』(1939), 田村熈春堂の『桂派落語百番』(1915)を合わせれば,全席がカバーできる.いずれも,国会図書館デジタルコレクションで閲覧できる.
 "デンデン"は,マクラで振っているように義太夫の太棹三味線の音と,乞食への断りの決まり文句,"出ないよ"をかけている.たまたま旦那が義太夫好きだったのが,お菰さんにとって運が悪かった.


150 春風亭小柳枝,神仏論,百花園, (208), 37-47 (1898)
【あらすじ】
 石町の新道で骨董屋を開いているご夫婦,ご主人は神道に凝り固まっており,奥さんは仏教に凝り固まっている.これじゃあ,夜に日に喧嘩が絶えない.「あなたは,近ごろ万願寺という御酒をあがるじゃないですか.お茶は喜撰,坊さんの名でございます」「それだから飲むとすぐに小便にするのだ」「お茶菓子はカステラ[寺]で,なめ物は金山寺をあがります.みんな寺の名前でございます.それでもあなたは神道でございますか」
 口げんかに負けた旦那は,女房の胸ぐらを取って締めつけた.「何をなさいます.竹や,お茶でもお湯でも持ってきておくれ」.一口飲むと,「アー,熱いじゃないか.気が急いた時はうめてくれなきゃ困るよ.あまり熱いからのどの仏様をやけどしたよ」「いい気味だ.のど仏を火傷するはずだ.飲んだ茶碗は新渡[神道]だもの」

【ひとこと】
清「貴方は五戒をお守りなさいませんからいけません
主「ゴカイと云ふのは何だ魚を釣る餌差(えさ)か…………
清「あれはごかひで御坐います私の申すのは五戒で御坐います
主「雑炊(おじや)の類か…………(神仏論)
 神仏論(しんぶつろん)は,『百花園』208号に掲載された.春風亭小柳枝(1)(柳枝(4))演,吉田欽一速記.『落語事典』には「神道の茶碗」の演題で載っている.

【つけたし】
 「神道の茶碗」の速記はいくつか見つかるが,多くは柳枝(4)のもの.神道びいきの旦那と仏教びいきの奥さんとのパンチの応酬が聞きどころ.客席には,神道派も仏教派もいるだろうから,一方的に旦那がやり込められるわけではない.女中のところに夜這いに行ったことまですっぱ抜かれ,形勢がわるくなると,旦那はダジャレのクリンチで巧みに逃れたりする.おかみさんの"五戒"のフックは,"お粥"のスウェーでは防ぎきれない.サゲに使われた新渡(しんと)は,中国清代に作られたものを指す.骨董屋だけあって,普段使いの茶碗にも輸入物をつかっていたということだろう.新渡,呉須染付の湯飲みといっても,値段はピンキリで,真贋を見わけるのも簡単ではない.恥ずかしくて,ここに値段は書けないが,写真のものは本物だろうか.素人が骨董に手を出すと火傷する.


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 掲載 221201 / 最終更新 230601

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