都島区・鶴見区・城東区 | ||
圓朝地名図譜 |
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松さんは、難波橋を北エ突当たり寺町を東エ源八の渡しを越えて桜の宮へ、寅はんと喜いさんは松屋町を北エ天神橋の南詰東エ八軒家を通って土手下から、京橋を東へ越え、備前嶋橋(おなりばし)を東へ網嶋を通って桜の宮へ…… (笑福亭松鶴(5) 「桜の宮」) 五代目笑福亭松鶴編,『上方はなし』(下),三一書房(1972) |
都島区 | |||||||
地点名 | この1題・登場回数 | 位 置 | 備 考 | 写真と撮影年 | |||
毛馬 | けま | 播州巡り(三一上方2:06) など 2件2題 (上方2件) | 都島区毛馬町 | 毛馬(けま).各地の特産づくし,毛馬キュウリで登場する.失われた毛馬キュウリを復活する努力をしている.下半分が白くてイボが黒く,苦みのあるのが特徴.毛馬は与謝蕪村の出身地. "毛馬の胡瓜、皆名物でうまいで"(播州巡り) |
毛馬キュウリ | 2009 | |
毛馬の閘門 | けまのこうもん | 大阪レジスタンス(レオ三枝6:10) 1件1題 (上方1件) | 都島区 | 淀川から旧淀川(大川)への落し口に閘門が設けられている.水位差があるため,閘門によって船の通行を行う.1896(明治40)年に完成した.大阪らしすぎるという理由で,大阪弁排斥施策により廃止される地名.旧閘門は立派な産業遺跡. "『丼池』、『馬場町』、『毛馬の閘門』。こら変えた方がよろしい"(大阪レジスタンス) |
毛馬閘門 | 1997 | |
上水源池 | じょうすいげんち | 大阪名所 夫婦喧嘩(三一上方2:15) 1件1題 (上方1件) | 都島区中野町 | 1895年に設けられた桜宮上水源地から,1915年柴島(くにじま)へ移る.中野町5-13に記念碑と取水口遺跡がある. "すいもどんと上水源池といわれたら"(大阪名所 夫婦喧嘩) |
大阪水道発祥之地 | 2004 | |
鵺塚 | ぬえづか | 寝ぼけ坊主(落語全集, 石渡正文堂 (1931)) | 都島区都島本通3-18 | 源三位入道頼政が退治した鵺の死骸は,丸木船に載せて淀川に流された.これが流れついた土地の人は,鵺の祟りを恐れ,祠を建てて供養した.淫祠のたぐいは,明治政府が禁止したはずだが,今でも道路脇に碑と塚が大切にまもられている. "それ又小さい土橋が来た、之を真直ぐに行くと鵺塚"(寝ぼけ坊主) |
鵺塚 | 2021 | |
桜の宮 | さくらのみや | 桜の宮(三一上方2:13) など 19件10題 (東京4件, 上方15件) | 都島区中野町1あたり | 桜の名所の大川堤.明治にはすでに対岸の桜にお株を奪われた.神社の桜宮(中野町1-12)は,上方噺「桜の宮」(東京の「花見の仇討」)の舞台となる. "当所桜の宮はいまが満開と承る、国への土産に見物いたそう"(桜の宮) |
桜宮 | 2010 | |
岩国屋 | いわくにや | 大阪名所 夫婦喧嘩(三一上方2:15) 1件1題 (上方1件) | 都島区か | 料理屋.本文では,桜の宮と大長寺の間に位置する.岩国屋にキツネが上がりこんで飲み食いする珍しい噺がある(→ 絶滅危惧落語「おとめ狐」). "なんぞこういうと因縁岩国屋があって"(大阪名所 夫婦喧嘩) |
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グランシャトー | ぐらんしゃとー | 大阪レジスタンス(桂三枝創作落語大全集, メディアクラフト牡牛座 (2004))など | 都島区東野田町3 | 京橋駅前のレジャービル.いろいろ遊べてええとこだっせ.いらっしゃい. "グランシャトーがおまっせ"(大阪レジスタンス) |
グランシャトー | 2005 | |
網島 | あみじま | 桜の宮(三一上方2:13) 1件1題 (上方1件) | 都島区網島町あたり | 「桜の宮」への道中付け.大川の東岸を,京橋と備前島橋を渡って桜の宮へ向かっている.地図には,太閤園(2021年廃業)や藤田邸などの庭園に加え,鯰江川に架かる備前島橋が描かれている. "備前島橋を東へ網嶋を通って桜の宮へ"(桜の宮) |
大阪市パノラマ地図(国際日本文化研究センター所蔵) | 2021 | |
鮒宇 | ふなう | 大阪名所 四季の夢(三一上方2:31) 1件1題 (上方1件) | 都島区網島町 | 網島にあった料理屋.『花の下影』(清文堂出版 (1986))に描かれている.庭に面した障子をはずし,芸者に何か弾かせながら一杯やっている.膳にあるのは川魚料理だろうか. "鮒宇へ行こうか、まだ腹も空っていぬ"(大阪名所 四季の夢) |
網島鮒宇(花の下影) | 2021 | |
大長寺 | だいちょうじ | 大阪名所 夫婦喧嘩(三一上方2:15) など 2件2題 (上方2件) | 都島区中野町2-1 | 浄土宗大長寺.1909年に網島から現在地に移転した.跡地は藤田財閥の太閤園となった. "この節季には大長寺に大きな穴があくというのは"(大阪名所 夫婦喧嘩) |
大長寺 | 1997 | |
大長寺:紙治小春の墓 | かみじこはるのはか | 大阪名所 四季の夢(三一上方2:31) など 2件2題 (上方2件) | 都島区中野町2-1 | 享保5(1720)年,紙屋治兵衛と芸者小春が大長寺境内で心中した.近松門左衛門の「心中天網島」として知られる.紙治小春の供養塔として大長寺に現存する.写真のものから,台座が新しい石に置き換えられている.河庄の場,初代中村鴈治郎の名演が語り伝えられている.頬かむりの中に日本一の顔(岸本水府). "網島大長寺紙治小春の墓へ参って片町へ出て"(大阪名所 四季の夢) |
紙治小春の墓 | 1997 | |
大長寺:鯉塚 | こいづか | 松竹梅対島台(娯楽世界, 11(4) (1923)) | 都島区中野町 | 大長寺境内に,誰袖乙吉(たがそでのおときち)の墓とならんで鯉塚がある.漁師の息子の乙吉は,大川の主の鯉をつかまえ,大長寺に埋葬した.その後,大坂の陣で死んだ侍の亡霊が現れ,住職の回向によって成仏できたと礼を述べたという.一方,音吉の方は,侠客として名をあげて行く.昔を忘れないため,左右違った袖の服を着たため,誰袖の乙吉(違袖・音吉とも)の二つ名を取るようになる.土地の地回りとの抗争で,ぐるりと敵に取り囲まれた乙吉は,自分の腹に刀を突き立て,敵の頭目まで刺し殺した. "小春治兵衛情死の墓鯉塚"(松竹梅対島台) |
鯉塚(右)と誰袖乙吉墓 | 2021 | |
片町 | かたまち | 牛の丸薬(創元米朝7:02) など 13件6題 (上方13件) | 都島区片町 | 平野川と鯰江川にはさまれた狭隘な町.終着駅だった片町駅は廃止されたが,今もJR学研都市線の正式名は片町線でかわりがない.浪速鉄道片町駅を示す市の説明板が掲げられているほか,長大なプロムナードから旧片町駅の線路の名残が見える.平野川沿いには,火除地蔵堂があり,地元の人によって維持されている. "片町から野辺へ出てまいりますと、東がジーッと白んでまいります"(牛の丸薬) |
片町線あと | 2021 | |
備前島橋 | おなりばし | 桜の宮(三一上方2:13) 1件1題 (上方1件) | 都島区片町1 | 鯰江川河口部に架かっていた.川も橋も現存しない.ルビの"おなりばし"は,別名の御成橋から. "備前島橋を東へ網嶋を通って桜の宮へ"(桜の宮) |
片町京街道川崎渡口(淀川両岸一覧) | 2021 | |
鶴見区 | |||||||
地点名 | この1題・登場回数 | 位 置 | 備 考 | 写真と撮影年 | |||
徳庵堤 | とくあんつつみ | 野崎詣り(三一上方1:14) など 8件1題 (上方8件) | 鶴見区 | 徳庵(とくあん/とっかん)堤.江戸初期に開削された徳庵川の土手のこと.寝屋川の流れは,かつて徳庵から現在の片町線に沿って南流し,鴫野で現在の流れにつながっていた.明暦年間に徳庵−鴫野間を直線でつなぐ水路(徳庵川,徳庵井地)が開削された.「野崎詣り」の舞台になるのは,おそらく直線コースの徳庵川から,徳庵−住道間の寝屋川の土手のことだろう.この落語でも,近松の「女殺油地獄」でも,寝屋川を行く船と土手との口げんかが描かれる.徳庵堤の今は,コンクリートの高い堤防が延々と続く.野崎詣りは屋形船でまいろ〜♪(野崎小唄).落語に出るのはもっと粗末な汁こぼしのような船. "片町から東を徳庵堤へかかります"(野崎詣り) |
寝屋川堤防 | 2023 | |
花博会場 | はなはくかいじょう | 迷い子の達人(角川中島らも1:05) 1件1題 (上方1件) | 鶴見区緑地公園あたり | 1990年に鶴見緑地で開かれた国際花と緑の博覧会.ネタ切れなのか,しょっちゅう花博が開かれている印象がある.2000年は淡路,2004年は浜名湖だった.写真の2つの施設が残っている.いのちの塔は意匠に凝りすぎ,有料なのに眺望がない. "ついこの前は花博でも迷い子になりよったし"(迷い子の達人) |
いのちの塔より咲くやこの花館 | 2008 | |
城東区 | |||||||
地点名 | この1題・登場回数 | 位 置 | 備 考 | 写真と撮影年 | |||
城東練兵場 | じょうとうれんぺいじょう | 円タク(白川小春団治:03) など 3件2題 (上方3件) | 城東区森之宮1・2あたり | 当然,戦前の地名になる.森之宮電車区あたりの位置にあった.初期の飛行場としても使われ,木津川飛行場に役を譲った.太平洋戦争開戦前に,大阪砲兵工廠に吸収されている.大阪砲兵工廠跡碑は,UR森之宮団地を入ったところに建てられている.残念ながら,城東練兵場のことを含め,説明は何も書かれていない. "北では長柄の葬儀場、東で城東練兵場"(円タク) |
大阪砲兵工廠跡碑 | 2021 | |
六反池 | ろくたんいけ | 鯉舟(創元米朝1:08) 1件1題 (上方1件) | 城東区野江 | このあたり低湿地で六反池もその中にあった.大正の地図にも池が2つ描かれている."六反池のおりえ殺し"というバラバラ事件が噺に出てくる.どうしても見つからなかった首が投網にかかったのではという「鯉舟」の一場面.六反池については,小佐田定雄『噺の肴』,弘文出版(1996)に詳しい. "六反池のおりえ殺しの時だしたんやがな。身体があっちゃこっちゃで見つかって、おりえの首だけが見つからん"(鯉舟) |
水神 | 2002 |
掲載 040528/最終更新 230801