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中央区   
人形町の通りから和国橋までのあいだを稲荷新道といいました、その、ちょうどまんなかに、右へ曲がる細い通りがありまして、これを椙森新道といいます。で、椙森新道へ曲がるむこうの角に、白子屋という店がありまして、間口十二間、奥行二十五間というから、かなり大きい店で……のちに取りつぶされまして、和国餅という餅屋が商売をいたしました。
 (三遊亭圓生(6) 「髪結新三 上」)
  飯島友治・東大落語会編,『圓生全集』 第10巻,青蛙房(1962)

地点名 この1題・登場回数 位 置 備 考 写真と撮影年月
浅草見付 あさくさみつけ 業平文治漂流奇談(角川円朝3:02) など 25件11題 (圓朝4件, 東京21件) 中央区日本橋馬喰町2 → 北村辞典.浅草橋南詰にあった.浅草橋北西詰に碑しか残っていない.向こう見ずの亥太郎,「業平文治」との喧嘩で浅草見附の武具を奪う豪放な場面.
"ただいま見附はございませんが、その頃は立派なもので、見張所には幕を張り、鉄砲が十挺、鎗が十本ぐらい立て並べてありまして"(業平文治漂流奇談)
浅草見附跡碑 0612
裏河岸 うらがし お藤松五郎(青圓生05:05) など 24件9題 (圓朝1件, 東京23件) 中央区東日本橋2 → 北村辞典.柳橋の西,下柳原同朋町の日本橋川沿い.船宿や芸者置屋が多く,まさに「お藤松五郎」,「船徳」の世界.
"「うむゥ、おまえはどこにいる船頭だい」「へい、わっしは裏川岸におるんでげす」"(船徳,名人名演落語全集,立風書房(1982))
     
広小路(両国) ひろこうじ 一眼国(青正蔵1:01) など 50件21題 (圓朝3件, 東京47件) 中央区東日本橋2 → 北村辞典.両国橋の東西の火除地.特に西側は水茶屋,見世物小屋(一眼国)などが立ち並ぶ繁華街.両国の夕涼み,軒を並べし茶屋の数,団扇店揚弓場,そのほか数多の諸あきんど,川の中ではスケテン馬鹿囃子,うろうろ舟に影芝居(大津絵両国) 両国広小路碑 1003
両国橋 りょうごくばし たがや(講明治大正4:16) など 139件57題 (圓朝7件, 東京132件) 中央区東日本橋2〜両国1 → 北村辞典.江戸と下総を結ぶので両国橋とは耳タコ.現在の両国橋よりはやや下流に架かっていた.鋳掛松が荷を投げ捨てる.川開きの人混みの中,橋の上でたが屋の首が飛ぶ.大高源吾は其角と出会う.♪笹や笹々笹や笹 笹はいらぬか煤竹を.日の恩や忽ちくだく厚氷(大高源吾).句碑は東南詰.明治の鉄橋は南高橋に移設されて現存.
"こっちへは両国橋を描いて、そっちには船が大層出て、それで花火がポンポンと上がっている所の画がよかんべえ"(怪談乳房榎)
南高橋 0602
四ツ目屋 よつめや 四ッ目屋(立艶笑文庫2:05) など 4件4題 (東京4件) 中央区東日本橋2-13 → 北村辞典.米沢町にあった性具・媚薬店.張り形の小噺や,長命丸(子ほめ)など.思いつくまま,兜形,りんの玉,帆柱丸,女悦丸...四ツ目の紋が目印      
鳥安 とりやす 欲しい物覚帳(講明治大正4:05) 1件1題 (東京1件) 中央区東日本橋2-11 → 北村辞典.合鴨のすき焼き一品で売る鳥料理店.明治5年創業,盛業中.いかにも老舗然とした写真の建物は建てかえられた.「気養い」に食べたつもり飲んだつもりだったが,ついに訪問.割り下で煮るすき焼きではなく,鋳物の鍋で合鴨のいろいろな部位を焼くように調理する.店の入口脇に百本杭(墨田区)の朽ち木が飾ってある 鳥安 合鴨のすき焼き 0708
薬研堀 やげんぼり 柴檀楼古木(講明治大正3:31) など 18件13題 (圓朝2件, 東京16件) 中央区東日本橋1,2 → 北村辞典.両国橋南にあった矢之御蔵への堀割.お不動さんと七色唐辛子に名を残す.今もお店がある.薬研堀不動には講談発祥記念之碑がある.安政年間に建てられ,震災で失われた「太平記場起原之碑」を寺と講談協会が1984年に建て直したとある.
"この間薬研堀の袋物屋へ洋服持の煙草入を誂えておいた、あれを取ってきな"(黄薔薇)
講談発祥記念之碑 0910
生稲 いくいね 月謡荻江一節(角川円朝5:03) など 2件2題 (圓朝1件, 東京1件) 中央区東日本橋1-11 → 北村辞典.隅田川沿い,矢の倉(「たぬき娘」など)の料亭.東日本橋のビル内で営業していたが,生心庵として千代田区猿楽町に移転した.パリの万国博覧会にも出店したと言っていた.
"深川八幡の裏門通りコチ屋と申して芸人などが御膳を食べる粋な料理屋で、只今なら生稲というような"(月謡荻江一節)
生稲(矢の倉) 8704
郡代屋敷 ぐんだいやしき 田舎芝居(講明治大正5:15) など 3件3題 (東京3件) 中央区日本橋馬喰町12 → 北村辞典.関東郡代の伊奈家の役宅.関八州の天領の支配.文化3(1806)年以降郡代制が廃され,馬喰町御用屋敷が正式名称.浅草橋の南西詰に銘板がある 郡代屋敷銘板 1109
馬喰町 ばくろちょう お神酒徳利(青圓生08:02) など 65件34題 (圓朝8件, 東京57件) 中央区日本橋馬喰町1,2 → 北村辞典.町内に初音の馬場があり,火の見櫓がシンボル.旅籠がならんでおり公事,商用,遊山に利用された.「宿屋の富」,「勘定板」,「よいよいそば」,「塩原多助」に「御神酒徳利」の苅豆屋.
"馬喰町なる下野屋方へ参り様子を見ております"(怪談牡丹燈籠)
     
鍵屋 かぎや たがや(青三木助:08) など 26件5題 (圓朝1件, 東京25件) 中央区日本橋横山町 → 北村辞典.江戸の花火の草分け.江戸川区東小松川2に移転して現存.♪上がる流星ほし下り 玉屋が取持つ縁かいな.玉屋のかけ声の方が人気が上.なぜか鍵屋と呼ばぬ錠なし.
"東京の玉屋鍵屋などでこしらえる仕掛とは違いまして、ポッポと赤い火や青い火が燃えまして"(霧陰伊香保湯煙)
     
橘町 たちばなちょう 三井の大黒(青三木助:09) など 31件12題 (圓朝3件, 東京28件) 中央区日本橋3 → 北村辞典.流れ者の甚五郎を預かる棟梁の家が橘町に設定.山崎屋の店もここ.甚五郎の大黒は三井家に秘蔵されるという話も読んだことがある.
"ちょっと行って来ましょう、橘町の半六の家へ行って来ます"(縁切榎)
     
伝馬町の牢 てんまちょうのろう 後の業平文治(角川円朝3:03) など 15件11題 (圓朝7件, 東京8件) 中央区日本橋小伝馬町 → 北村辞典.石出帯刀役宅.伝馬町の牢屋敷.身分によって異なる牢があった.明治に入り市ヶ谷の監獄(別項)へ移転.今は十思公園内に処刑された吉田松陰碑や身延別院,大安楽寺などの寺院.
"友之助の罪状がきまって、小伝馬町の牢屋の裏門を立ち出で、大門通から江戸橋へ掛かってまいりました"(後の業平文治)
伝馬町の牢あと吉田松陰碑 0811
田所町 たどころちょう 明烏(立文楽1:01) など 17件5題 (東京17件) 中央区日本橋堀留町2 → 北村辞典.「明烏」の日向屋時次郎の店.堀留の東,長谷川町の北.呉服問屋が多かった.すぐ北の通旅籠町には,「蛙茶番」のふんどしをあつらえた大丸呉服店      
和田平 わだへい 出刃庖丁(講明治大正4:60) など 4件3題 (東京4件) 中央区日本橋堀留町2 → 北村辞典.田所町にあった鰻店.はるか以前に閉店していたが,直系の和田安がその名を継いで,新宿ヒルトンホテル地下の本店などで営業中.鰻重の蓋に"創業百余年"とあるのは,こちらが明治18年創業ということなのだろう.講談の「寛永三馬術」にも登場人物の度々平の洒落で出てくる 和田平新宿店 1001
椙森稲荷 すぎのもりいなり 宿屋の富(講昭和戦前5:21) など 14件4題 (東京14件) 中央区日本橋堀留町1-4 椙森神社.富興行が行われ,「宿屋の富」と「富久」などで登場.富塚がある.椙森新道は神社の南側で,「髪結新三」の白子屋の位置 椙森神社富塚 0609
長谷川町 はせがわちょう 天災(講昭和戦前6:02) など 46件9題 (圓朝2件, 東京44件) 中央区日本橋堀留町2 → 北村辞典.長谷川町には「天災」の紅羅坊名丸先生と「派手彦」の坂東お彦の稽古場がある.三光新道は長谷川町の内.
"これなる浪人下河原清左衛門は、長谷川町の番人喜助を毒殺致した罪によって長らく入牢仰せ付けられ"(政談月の鏡)
     
三光新道 さんこうじんみち 百川(青圓生04:05) など 11件2題 (東京11件) 中央区日本橋堀留町2-1 → 北村辞典.ご存知「百川」の歌女文字先生のお住まい.今でも三光稲荷(木の葉狐)と東西両入口のレトロな看板は健在.路地の片側がビルに建て直され,だいぶ広々とした雰囲気になってしまった 三光新道 0908
玄冶店 げんやだな 阿七(講明治大正1:33) など 17件13題 (東京17件) 中央区日本橋人形町2 → 北村辞典.御典医の岡本玄冶の拝領地に由来する路地.「切られ与三」,源氏店妾宅の場."しがねえ恋の情けが仇","粋な黒塀見越しの松に".玄冶店由来碑が立っている.背後の老舗陶器店がパン屋になっちゃぁ締まらない.と書いたのだが,今はもっと悲惨な状況.傘立ての台に使われてしまい,郷土愛のかけらも感じられない 玄冶店碑 1201
末広亭 すえひろてい 今戸の狐(講明治大正2:29) など 5件5題 (東京5件) 中央区日本橋人形町3 人形町にあった畳敷きの寄席.圓生(6)が独演会でネタおろしを続けた.日本橋の夜間人口の減少などにより1970年廃業.碑がビルの片隅,床面に埋め込まれている 寄席 人形町末広跡碑 0908
うぶけ屋 うぶけや 首提灯(桂枝雀爆笑コレクション, 筑摩書房(2006)) 中央区日本橋人形町3-9 店構えもゆかしい刃物店.うぶ毛も抜ける毛抜き,うぶ毛も剃れるカミソリが評判 うぶけやの毛抜き 0605
かねまん かねまん らくだ(落語のいき, 小学館 (2009)) 中央区日本橋人形町1-16 東京で最初のふぐ料理店という.文楽(8)がひいきにして,若き円鏡(橘家圓蔵(9))が使いに行ったというマクラ.売り物はトラフグだが,夏場はショウサイフグのさい鍋を供する.「梅若礼三郎」で,水垢離の後の茶屋酒の場面で出てくる江戸前のふぐ.山盛りの白髪ネギの下に野菜,豆腐とふぐ.甘めの醤油だしでさっと煮る かねまんのさい鍋 1109
葺屋町 ふきやちょう 五人廻し(講明治大正7:46) など 28件11題 (圓朝3件, 東京25件) 中央区日本橋人形町3 → 北村辞典.江戸歌舞伎市村座があった.隣の堺町の中村座とともに天保期に猿若町へ移転.「五人廻し」では,旧吉原の説明.寄席大ろじ(今戸の狐)もあった.
"聞いてみれば葺屋町辺で矢張り唄を謡って、この頃は芸人に相成って諸方を歩いて"(月謡荻江一節)
     
葭町 よしちょう 親子茶屋(創元米朝2:06) など 74件41題 (圓朝13件, 東京59件, 上方2件) 中央区日本橋人形町2,3 → 北村辞典.堀江六軒町.芳町の例も多い.芸者ばかりでなく,陰間茶屋で有名.残念だが堅物親父では若衆に身を沈められない.千束屋(「百川」,「化物使い」など)は葭町に実在した桂庵.
"その頃柳橋に芸者が七人ありまする中で、おもだった者が四人、葮町の方では二人、後の八人は皆なよい芸者では無かったと申します"(業平文治漂流奇談)
     
元吉原 もとよしわら 五人廻し(講明治大正7:46) など 16件8題 (圓朝2件, 東京14件) 中央区日本橋人形町2, 3,日本橋富沢町あたり 元和3(1617)年おせっかいの庄司甚右衛門が幕府に願って葭原改め吉原を開いたは,「五人廻し」の兄いの御託.落語の舞台となるのはもっぱら新吉原.元吉原を示す銘板が人形町通り,甘酒横丁そばにある.庄司甚右衛門の墓は深川雲光院.
"葭葦の生えていたのを埋め立ったから葭原というのだが、後に江戸繁昌を祝して吉の字を書いて、吉原と読ませるんだ"(粟田口霑笛竹)
庄司甚右衛門墓 1102
久松町警察 ひさまつちょうけいさつ たぬき娘(講明治大正5:38) など 2件2題 (東京2件) 中央区日本橋久松町 1874年に創立した日本で最も古い警察署の一.手前の碑は,"小川橋の由来"と題する.ピストル強盗清水定吉を捕縛して亡くなった,久松警察署小川巡査にちなむもの.ピストル強盗は「転宅」に出てくる.「たぬき娘」は,タヌキとあだ名された圓左の創作 小川橋の由来碑と久松警察署 0908
間部河岸 まなべがし 夢金(青圓生07:08) など 9件2題 (東京9件) 中央区東日本橋1,2,日本橋浜町1,2 → 北村辞典.新大橋−両国橋間の大川右岸.侍を中洲(別項)に置き去りにして,欲の熊蔵は間部河岸に船をつける.助けた娘の商家は本町に設定 間部河岸あたり 1102
清正公(浜町) せいしょうこう 清正公酒屋(三一談志1:04) など 8件3題 (東京8件) 中央区浜町2-59 → 北村辞典.浜町の清正公さま.肥後熊本細川越中守の屋敷内にあった.浜町公園内に清正公寺として現存.「清正公酒屋」ではここに祈願して,子供を授かった 浜町の清正公 0609
浜町 はまちょう 世辞屋(角川円朝4:32) など 45件24題 (圓朝9件, 東京36件) 中央区日本橋浜町1〜3 → 北村辞典.大川端の武家地が明治に入り浜町となる.待合や妾宅で登場.劇化された花井お梅の箱屋の峯吉殺し(1887年).浮いた浮いたと浜町河岸に♪.
"アノ私はね、浜町の待合茶屋でございますがね、何うも私は生まれつきお世辞がないんですよ"(世辞屋)
     
明治座 めいじざ 武助馬(講明治大正4:22) など 15件8題 (圓朝1件, 東京14件) 中央区日本橋浜町2-31 → 北村辞典.明治6(1873)年,喜昇座として久松町に開場した劇場.1885年に千歳座となる.千歳座は,「黄薔薇」や「王子の幇間」などに登場.1893年に明治座と改称.現在地とやや場所が違っているが,歌舞伎,新国劇,新派,俳優座長の公演などのお芝居がかかった.敷地の東南角に笠間稲荷社が祀られている 明治座笠間稲荷 1102
新大橋 しんおおはし 縁切榎(角川円朝4:05) など 35件18題 (圓朝5件, 東京30件) 中央区日本橋浜町〜江東区新大橋 → 北村辞典.大橋(両国橋)に対して新大橋.現在の新大橋は200m以上北の位置.鉄橋時代の銘板が江東区の八名川小学校に,橋の一部が明治村に保存されている.
"浜町へ出まして、あれから大橋を渡りますると、また一人の侍は挨拶をいたして別れ、御船蔵前へかかって六間堀の方へ曲ります"(敵討札所の霊験)
新大橋 0601
三ツ俣 みつまた 反魂香(青正蔵1:10) など 5件3題 (東京5件) 中央区日本橋中洲あたり → 北村辞典.箱崎の中洲あたりで,大川が二手に分流する.月の名所.仙台伊達公,高尾太夫をつるし斬り.高尾稲荷は日本橋箱崎町10にあり,流れ着いた高尾の?しゃりこうべがご神体 高尾稲荷 0609
水天宮(日本橋) すいてんぐう 安産(講明治大正6:40) など 29件19題 (東京29件) 中央区日本橋蛎殻町2-4 → 北村辞典.安徳天皇,建礼門院,二位の尼が御祭神.水難転じて安産の神様.今も賑わっている.芝赤羽久留米藩の屋敷神だった水天宮(おかめ団子)が,明治5(1872)年,人形町に移転 水天宮 0609
思案橋 しあんばし 水中の球(講明治大正2:25) など 2件2題 (東京2件) 中央区日本橋小網町 → 北村辞典.川は東堀留川.元吉原へ行こか戻ろか,思案をしたことによる.何も残っていない      
親父橋 おやじばし 髪結新三(中公圓生2:05) など 12件8題 (東京12件) 中央区日本橋小網町 → 北村辞典.小網町の北,東堀留川にかかっていた.元吉原をひらいた庄司甚内が親父だという.親父橋交番が最近まであった      
照降町 てりふりちょう 坊主の遊び(弘文志ん生3:03) など 10件7題 (圓朝3件, 東京7件) 中央区日本橋小舟町,日本橋小網町 → 北村辞典.別項,荒布橋と親父橋の間の俗称.傘屋と下駄屋が並んでいて,"照れ"振れ"と言い合っていたことからという.「坊主の遊び」で剃刀をあつらえたのは照降町の名古屋.
"本町の、なにアノ照降町の宮川で買おうと思ったら、あすこは高いから止めて、浅草茅町の松屋へ誂えて"(松の操美人の生埋)
     
猿屋(楊子) さるや 猿後家(三一上方1:01) など 3件1題 (上方3件) 中央区日本橋小網町18 さるや.小網町の房楊枝屋.宝永元(1704)年の創業.いまも黒文字を扱っている.さる後家さんのお店では出入り禁止とか さるやの楊枝 0602
荒布橋 あらめばし 月謡荻江一節(角川円朝5:03) など 3件3題 (圓朝1件, 東京2件) 中央区日本橋本町1〜日本橋小舟町 → 北村辞典.おもしろい名の橋なので,橋づくしにも登場.海藻を商ったことに由来という.川は西堀留川で江戸橋北詰そば.堀も橋もない.
"住吉町から逃げ出して照降町へ掛かって、荒布橋へかかりますと"(月謡荻江一節)
     
石町新道 こくちょうじんみち 神仏論(講明治大正4:38) など 2件2題 (東京2件) 中央区日本橋室町4, 本町4 → 北村辞典.室町4丁目を東に入る新道.時の鐘があったため,鐘つき堂新道の名.かつては銀行の壁に銘板がはめられていた.鐘は伝馬町牢跡の十思公園に移設して保存.石町の鐘はオランダまで聞こえ.隣接した外国人用宿泊所の長崎屋のうがち 石町の鐘つき堂新道銘板 8801
本町 ほんちょう 昔の詐偽(講明治大正4:25) など 91件37題 (圓朝5件, 東京84件, 上方2件) 中央区日本橋本石町,室町,本町 → 北村辞典.北から本銀町,本石町,本町,室町(むろまち)がほぼ南北に並ぶ.住居表示後は西から本石町,室町,本町で全く対応していないので紛らわしい.本町は薬種問屋街で,今も製薬会社が多い.「鰍沢」の伝三郎,赤螺屋や「帯久」のお店,「皿屋」の若旦那,「三軒長屋」の亀の尾などなど.
"相手は本町の薬屋の息子さんで、二人とも助かりまして品川溜へ預けられて"(鰍沢雪の夜噺)
     
鰯屋 いわしや 昔の詐偽(講明治大正4:25) 1件1題 (東京1件) 中央区 → 北村辞典.本町の薬問屋.「人参騙り」という鰯屋を騙った詐欺の噺.本郷2-39に医療機器製造販売として屋号が受け継がれている 本郷いわしや 0609
亀の尾 かめのお 三軒長屋(講明治大正3:16) など 16件3題 (圓朝1件, 東京15件) 中央区日本橋室町2 → 北村辞典.「三軒長屋」で鳶頭の寄り合いが開かれた貸席.浮世小路の百川は近く.
"頭は仲間の寄合がございまして、本町の亀の尾に言っていてまだ帰りません"(穴どろ)
     
白旗稲荷 しらはたいなり 木の葉狐(立名人名演07:02) など 2件2題 (圓朝1件, 東京1件) 中央区日本橋本石町 → 北村辞典.「橋の結婚」の乞食橋(白旗橋)の南詰にあった.北村辞典では失われたとあるが,本石町4-5に日本橋本石町町内会館とともにある.
"殿様これの里は白銀町の白旗稲荷の神主の娘です"(政談月の鏡)
白旗稲荷 1002
十軒店 じっけんだな 人形買い(青圓生10:01) など 17件14題 (圓朝1件, 東京16件) 中央区日本橋室町3,4 → 北村辞典.人形店が軒を並べていた.写真は最後まで残っていた1軒.「人形買い」に「道具屋」の首の抜けるお雛さま.
"十軒店で御刀鍛冶表御番医師を勤めました長尾全庵さま方へやったが、少しも手掛かりが知れないからすぐに下げて"(操競女学校-お里の伝)
十軒店人形店 8704
浮世小路 うきよこうじ 百川(講明治大正6:07) など 19件4題 (東京19件) 中央区日本橋室町2 → 北村辞典.「百川」店舗の位置.中央通りから室町2丁目を東に入る路地がほぼそれ.東京の「菊江仏壇」でも大阪と同じ浮世小路を採用      
福徳稲荷 ふくとくいなり 百川(青圓生04:05) など 2件1題 (東京2件) 中央区日本橋室町2-5あたり → 北村辞典.「百川」の店舗の説明.浮世小路の奥,鰹節の老舗にんべんのそば.倉稲魂命を祀る福徳神社が日本橋室町2-4のビル屋上にあったが,建てかえられてしまった 福徳神社 8704
弁松 べんまつ 子別れ(講明治大正7:50) など 10件3題 (東京10件) 中央区日本橋本町2-4 → 北村辞典.弁当,仕出しの老舗.嘉永3(1780)年,魚河岸そば按針町で創業.現在は本店が本町に移り,デパートにも売り場がある.江戸前の甘く濃い味付け.「赤飯の女郎買い」の折詰の中身(きんとん,蒲鉾,卵焼き,信田巻,甘煮)が今でもそのまま 弁松の折詰 0606
越後屋 えちごや 三井の大黒(青三木助:09) など 11件9題 (圓朝1件, 東京10件) 中央区日本橋室町1 → 北村辞典.駿河町の三井呉服店.現金掛値なしの日本一の店.現在の三越百貨店.甚五郎に大黒様をあつらえた.写真は越後屋を模した期間限定の情報ステーション.
"東京へ行って大丸か越後屋で買物をしたいというので"(黄薔薇)
三井越後屋ステーション 0603
一石橋 いちこくばし 十徳(弘文柳枝:16) など 5件3題 (東京5件) 中央区日本橋本石町1〜八重洲1 → 北村辞典.橋のそばに金座の後藤と呉服所の後藤が住んでいた.五斗と五斗で一石というしゃれ.如く如くなら十徳.橋詰めに安政4年建の迷子知らせ石がある.無粋な金網で囲われてしまった 一石橋迷子知らせ石 8410
日本橋(橋) にほんばし 水中の球(講明治大正2:25) など 15件11題 (東京15件) 中央区日本橋室町1〜日本橋1 → 北村辞典.川は日本橋川.南西詰は高札場跡.頭上を覆う高速道路にかかる銘板は徳川慶喜の筆.車道の真ん中に道路元標.五街道,日本の道の原点でありながら最悪の景観 日本国道路元標 0910
魚河岸 うおがし 目黒のさんま(青圓生12:13) など 78件24題 (東京73件, 上方5件) 中央区日本橋室町1あたり → 北村辞典.日本橋下流北側にあった江戸の魚河岸.関東大震災で築地に移転.「目黒のさんま」に「百川」の寄り合い.記念の乙姫像は北詰東側 魚河岸乙姫像 0812
黒江屋 くろえや 片棒(騒人名作09:08) など 4件1題 (東京4件) 中央区日本橋1-2 元禄年間創業.紀州の黒江塗を扱うようになり,今は漆器専門店.本町から幕末に日本橋に移転した.宮内庁御用達の漆器で精進落としをされたら赤螺屋の主人も浮かばれまい 黒江屋蔵 日本橋擬宝珠 0910
栄太楼 えいたろう 霧陰伊香保湯煙(角川円朝2:02) など 3件3題 (圓朝1件, 東京2件) 中央区日本橋1-2 → 北村辞典.榮太樓総本舗.安政4(1857)年,日本橋西河岸で創業.梅ぼ志飴などの榮太樓飴やワサビ餡の玉だれがオリジナル商品.梅ぼ志飴は梅干し味ではなく,"大火事あるべえ悟れ善兵衛"という小噺(読み違い,三遊亭圓左(1))に出てくる有平糖.用例のように,蒸し菓子(主なし)も扱っていたのか.
"あれはもう何もございませんよ、主は無い、主なしの榮太樓"(霧陰伊香保湯煙)
榮太樓飴 0911
白木屋 しろきや 金の味(講明治大正2:40) など 14件10題 (圓朝2件, 東京11件) 中央区日本橋1-4 → 北村辞典.呉服商.東急百貨店の本店だったが,1999年閉店.白木屋火事でのズロースの一件は潤色されて聞かされた.フロア1階に300年余り湧き続けた白木の名水があった.跡地はオフィスビル,COREDO日本橋(芯がないとはずいぶん皮肉なネーミング)で,白木の名水はなくなったが,ビル外に標柱が保存されている.
"若い男が三人づれで白木の家が繁盛だというので店へ座り込んで"(雪月花一題ばなし−雪月花)
東急本店 8905
山本山 やまもとやま 長屋の花見(青小さん1:02) など 9件1題 (東京9件) 中央区日本橋2-5 元禄3(1690)年の創業の茶・海苔店.代々山本嘉兵衛を名のり,6代目は玉露を発明した.日本橋の目抜きに本店がある."日本橋の山本"も山本山に合わせた.下から読んだら"まやともまや"だと,悪ガキは言い合ったもの.すぱみらすぱみらまやともまやこん 山本山海苔屋の茶漬け 1102
中橋 なかばし 金明竹(青圓生13:01) など 58件17題 (圓朝4件, 東京54件) 中央区日本橋3,京橋1あたり → 北村辞典.京橋と日本橋の間にあった橋だが,早くに堀が埋められ,地域名として残る.仲買い加賀屋佐吉(金明竹),医師尾台良玄(代脈),本屋の金蔵(品川心中),噺家三笑亭可楽(今戸の狐)の居所.
"「あのお迎いでございますが、一度は中橋へいらしったらようございましょう」「なにかえ、中橋の万屋五左右衛門さんかね」"(にゅう,三遊亭円朝全集,角川書店 (1975))
     
翁稲荷 おきないなり 蝦夷錦古郷之家土産(角川円朝3:09) など 2件2題 (圓朝1件, 東京1件) 中央区日本橋1 → 北村辞典.日本橋元四日市町,江戸橋広小路にあった稲荷.かつては非常に流行った神社だという.日枝神社境内に明徳稲荷と合祀されている小社があるが,それだろう.
"深川三十三間堂の三右衛門、四日市翁稲荷のうしろに新四郎という者がおり"(蝦夷錦故郷之家土産)
翁稲荷 0601
海運橋 かいうんばし 心の眼(講明治大正5:13) など 2件2題 (東京2件) 中央区日本橋1-20〜日本橋兜町3 → 北村辞典.楓川のもっとも日本橋川寄りの橋.今はない.別名の海賊橋(富久,三一談志1:18),将監橋は,海賊奉行向井将監の屋敷があったことによる.かなと漢字の海運橋柱が2本残っている 海運橋碑 0601
第一銀行 だいいちぎんこう 金の味(講明治大正2:40) など2件2題 (圓朝1件, 東京1件) 中央区日本橋兜町4あたり 海運橋東詰.橋のたもとの第一国立銀行は絵葉書の題材.国立銀行といっても,日本銀行と違って,民間による経営.設立順にナンバーがつけられた.いまは,新潟の第四銀行が有名.第一国立銀行は,1873年の創立で,渋沢栄一が初代頭取.後に第一銀行,第一勧業銀行,みずほ銀行.
"「へええ、あれは」「第一の銀行よ」"(心眼)
銀行発祥の地銘板 1104
坂本公園 さかもとこうえん 酢豆腐(講明治大正6:49) など 3件1題 (東京3件) 中央区日本橋兜町14 → 北村辞典.馬鹿に寂しい喩えで登場.1889年に開園した東京最初の市街地小公園.四阿もあった名園だが震災、戦災で壊滅.今でも坂本町公園として現存し,土地柄週末は閑散 坂本町公園 0609
茅場町薬師 かやばちょうやくし 心眼(角川円朝4:04) など 17件5題 (圓朝2件, 東京15件) 中央区日本橋茅場町1-5 → 北村辞典.天台宗智泉院.神仏分離で日枝神社の裏手の別敷地になり,本尊薬師如来も川崎にあるという.「心眼」の梅喜が日参,そのご利益で眼があく.境内に寄席の宮松(「名人くらべ」など)があった.天保12年の水盤だけが名残り.
"またいいお医者に出会うこともあろうから、夫婦で茅場町の薬師さまへ信心をして"(心眼)
茅場町の薬師境内 0601
鎧橋 よろいばし 心眼(角川円朝4:04) など 12件8題 (圓朝3件, 東京9件) 中央区日本橋小網町〜日本橋茅場町1 → 北村辞典.日本橋川にかかり,兜町と小網町を結ぶ.現存.もとは鎧の渡(「名人くらべ」など)だった.兜に鎧はつきもの.
"あれは。橋だ、鎧橋というのだ。へええ立派な物ですねどうも"(心眼)
鎧橋 0910
小網町 こあみちょう 宮戸川(講明治大正1:48) など 27件12題 (圓朝5件, 東京22件) 中央区日本橋小網町 → 北村辞典.「宮戸川」の半七の家.霊岸島の叔父さんの家までは駆けてゆけばすぐ.こぢんまりした小網稲荷(小網神社)が,小網町の名の由来.
"孝助は旅支度の用意のため、小網町辺へ行っていろいろ買物をしようと家を立ち出で"(怪談牡丹燈籠)
小網稲荷 1104
蛎殻町取引所 かきがらちょうとりひきじょ 辻八卦(新風現代:23) 1件1題 (東京1件) 中央区日本橋蛎殻町1-12 「辻八卦」で客の人相を見る.上方の演出では,蛎殻町の代わりに堂島の男になる.ソウバかすがあって,しゃくり顔が特徴.噺の取引所は,穀物や粗糖の先物取引を行う現在の東京穀物商品取引所のことだろう.道路の反対側に明治期の洋風建築の写真が掲げられている.初代頭取は相場師の糸平こと田中平八で,向島の木母寺に天下之糸平の超巨碑がある 東京穀物商品取引所 0910
釜屋 かまや こび茶(角川円朝7:12) 1件1題 (圓朝1件) 中央区日本橋小網町6 → 北村辞典.小網町のもぐさ屋.近江の出身,万治2(1659)年の創業.江州柏原の亀屋(別項)が個人商店なのに対して,東の釜屋はテレビコマーシャルも打つ会社組織.
"釜屋の騒動というのが流行りました。小網町の釜屋はお灸に用ゆるもぐさを売ります"(こび茶)
釜屋 0910
稲荷堀 とうかんぼり 髪結新三(中公圓生2:05) など 5件2題 (東京5件) 中央区日本橋小網町,日本橋蛎殻町1 → 北村辞典.蛎殻町と小網町の間,酒井雅楽頭中屋敷を北に入る入堀.今はない.かわった読みは稲荷(とうか)の転訛.雨中,与三郎が坊主の富を刺し殺す悪事の発端 とうかん堀通り 0910
永代橋 えいたいばし 永代橋(青圓生11:20) など 77件33題 (圓朝9件, 東京68件) 中央区日本橋箱崎町〜佐賀1 → 北村辞典.隅田川の最も下流の橋.元禄の架橋.「永代橋」は文化4(1807)年に落ちて多数の死者を出した事故をふまえた落語.供養塔は目黒に移った海福寺にある.二文の橋銭を取ったので,身投げは一文だけ.
"八月十五日は江戸深川の八幡の祭礼でございますが、雨天で十八日十九日二十日と延びまして、十九日の夕方は大した人が出まして、為に永代橋が開いて大した人死がございました"(後開榛名の梅が香)
永代橋事故供養塔 0902
新川 しんかわ 後開榛名の梅が香(角川円朝5:04) など 17件12題 (圓朝3件, 東京14件) 中央区新川1 → 北村辞典.酒問屋街.新川新堀とセットで出てくる.新川は河村瑞賢が開鑿したという運河.瑞賢屋敷もあった.新堀は日本橋川の下流を掘り広げたもの.新川之跡碑は新川1-29先の小公園内.
"お弟子は新川あたりの結構な弟子ばかりで、お二人暮らしで女中を使ってさ"(名人くらべ)
新川之跡碑 0609
亀島橋 かめしまばし 英国孝子ジョージ・スミスの伝(角川円朝6:05) 1件1題 (圓朝1件) 中央区八丁堀1〜新川2 → 北村辞典.越前堀(亀島川)に架かる.渡ると霊岸島.
"饂飩屋は亀島橋を渡って、二丁目三十番地の裏長屋へ入るから"(英国孝子伝)
亀島橋 1105
霊岸島 れいがんじま 宮戸川(講明治大正1:48) など 18件7題 (圓朝5件, 東京11件, 上方2件) 中央区新川1,2 → 北村辞典.明暦の大火で深川へ移転した霊巌寺(別項)に由来.今も新川1,2丁目は島状になっている.間を新川が貫いていた.霊巌島之碑は新川1-12の公園内.
"霊岸島までいくと、鰻で飯を食うから駕籠を下ろせというから、旦那大黒屋は疾うに売り切れてありありません"(粟田口霑笛竹)
霊巌島之碑 0609
田宮稲荷 たみやいなり 狐つき(大文館, 新落語全集(1932)) 新川2-25 「狐つき」に越前堀の田宮稲荷として登場.市川左団次の土地であったという.緑濃い境内はいい雰囲気 田宮稲荷 0907
高橋 たかばし 英国孝子ジョージ・スミスの伝(角川円朝6:05) 1件1題 (圓朝1件) 中央区八丁堀3〜新川2 越前堀(亀島川)の河口部,八丁堀と霊岸島を結ぶ.現存.深川の高橋とは別のもの.1882(明治15)年に印象的なデザインの鉄橋に架けかえられ,東京名所となった.
"川口町からただいまの高橋の袂へかかりますと、はいておりました下駄を、がくりと踏みかえす途端に横鼻緒が緩みました"(英国孝子伝)
高橋 1105
鉄砲洲 てっぽうず 吉住万蔵(青圓生11:22) など 14件12題 (圓朝5件, 東京9件) 中央区湊,明石町 → 北村辞典.八丁堀の先,佃島に対面する埋立地.居留地で登場.鉄砲洲稲荷内の富士は実際の登山の醍醐味.
"ところが金次郎の死骸だけは分って鉄砲洲で引揚げました"(政談月の鏡)
鉄砲洲稲荷富士 0602
新島原 しんしまばら 吉住万蔵(青圓生11:22) など 2件1題 (東京2件) 中央区新富1,2 → 北村辞典.圓生の「吉住万蔵」に詳しくある通り,本多壱岐守(隠岐守が正しい),井伊掃部頭屋敷が,大富町となり,外国人居留地発足と同時に明治元(1868)年,新島原の廓となる.明治4(1871)年に廃止.吉住万蔵の住まいはすぐ北の浅蜊河岸(別項:竹葉)      
新富座 しんとみざ 黄薔薇(角川円朝6:03) など 20件17題 (圓朝3件, 東京17件) 中央区新富2 → 北村辞典.新島原の遊廓の跡,明治5(1872)年に猿若町の守田座(別項)が新富町に移転.1875(明治8)年に新富座と改称する.「武助馬」にも出てくるが,せいぜい時代は震災前までに限る.新富2-6に区の銘板.
"年中常綺羅で、芝居は新富座と千歳座の替り目を看て"(黄薔薇)
新富座跡銘板 0602
八丁堀 はっちょうぼり 佐々木政談(青圓生11:13) など 64件40題 (圓朝7件, 東京56件, 上方1件) 中央区日本橋茅場町,八丁堀 → 北村辞典.堀としての八丁堀は,京橋川の末,現在の八丁堀4丁目.地図でもいかにも川の跡のように見える.与力,同心屋敷がならぶ.岡崎町(名人くらべ),玉子屋新道(猫定)など八丁堀を冠する地名は別だて.
"天明の頃かの千蔭という歌詠みがございましたが、この人は八丁堀の与力で、加藤と申す方でございまして"(粟田口霑笛竹)
     
ての字 てのじ 仇娘好八丈(新日本古典文学大系明治編 7, 岩波書店 (2008)) 中央区八丁堀4あたりか 紀伊国屋文左衛門の住まいがあった場所(本文では本八丁堀一丁目)という.紀文の居宅は本八丁堀三丁目一帯と言われている.ての字は店名.現在,港区西新橋3-19に鰻屋のての字本店があるが,それのことか.創業文政10年の鰻屋だが,高級店と言うよりは,手軽にウナギを食わせるスタイル.かつて八丁堀に店があったかどうか未詳 ての字本店 1105
京橋 きょうばし 阿武松(青圓生08:05) など 44件30題 (圓朝4件, 東京40件) 中央区京橋3〜銀座2 → 北村辞典.京橋川にかかっていた.日本橋とともに「擬宝珠」がついていた.欄干は頭痛よけの験,ただしなめるものではない.京橋は橋名というより地域名で,五郎兵衛町(小間物屋政談),観世新道(阿武松),因幡町(札所の霊験)など.
"煉瓦通りを廻りまして、京橋から日本橋から神田へ出まして"(年始回り)
明治期大正期京橋親柱 0609
小満津 こまつ 鰻の幇間(筑摩特選1:06) など 2件1題 (東京2件) 中央区 「鰻の幇間」に出てくる鰻の名店.京橋にあった.この名を引き継いで,中野区本町6-45で営業している.予約のみの扱いで,国産物を提供する.民家のような小柄な店構え.立名人名演07:14の「鰻の幇間」に出てくる銀座の小松もここのこと 小満津の鰻重 0905
大根河岸 だいこんがし 厩火事(騒人名作07:18) など 9件6題 (東京9件) 中央区京橋3 → 北村辞典.京橋北詰の西側の京橋川ぞい.かつて青物市場があり,記念碑がたっている.藤浦三周以来,三遊亭圓朝の名跡を預かる 京橋大根河岸青物市場蹟碑 0609
銀座 ぎんざ 業平文治漂流奇談(角川円朝3:02) など 138件109題 (圓朝6件, 東京129件, 上方3件) 中央区銀座1〜4 → 北村辞典.新両替町.寛政12(1800)年,蛎殻町(日本橋人形町1)に移転するまで銀座があったことによる.今は京橋から新橋まで8丁目まである.かつては御幸通りまでで,銀座5丁目は紙の上.
"もし棟梁、その煙草入はわっちが銀座の店で蟠龍軒に売った品、御新造の敵は確かに蟠龍軒でございますぞ"(後の業平文治)
銀座 0609
丸八 まるはち 野晒し(騒人名作11:14) など 12件4題 (東京12件) 中央区銀座 銀座の生薬屋.「野ざらし」,八五郎の住まいは腰障子に丸に八の字とはカラいクスグリ.ほぼ同じ位置に丸八碁盤店がある.ご主人は丸八の流れだと言っていた.銀座店は2011年に閉店してしまった 丸八碁盤店 0609
木村屋 きむらや 湯屋番(旺文小さん2:02) など 2件2題 (東京2件) 中央区銀座4-5 明治2(1869)年創業の木村屋總本店.兜に香を焚いて討ち死にした木村重成を銀座の木村家と間違えるくすぐり."あそこのへそパンがうまい".酒種あんパンにへそをつけ,中に桜の塩漬けを入れた新工夫を,山岡鉄舟が宮中に献上した.銀座本店の喫茶では,こしあんのへそパンと粒あんパンに飲み物のあんぱんセットがある.写真のストラップは,餡とパンとの隙間,てかったこしあん,パン生地の発泡の様子,芸が細かい 木村家のへそぱん 1104
歌舞伎座 かぶきざ 世辞屋(角川円朝4:32) など 41件37題 (圓朝4件, 東京36件, 上方1件) 中央区銀座4-12 → 北村辞典.1889(明治22)年,木挽町に開場した劇場.戦後建てかえて現存.破風入りの堂々とした建物だったが,2010年4月,建てかえのため閉場.噺家も過去数名が独演会や追善興行.改良座(恵方詣など)の別称は別項.
"わっしは歌舞伎座付きの茶屋で武田屋の兼吉てえもんです"(世辞屋)
歌舞伎座 0902
白牡丹 はくぼたん 小間物屋政談(集英圓生2:07) など 2件2題 (東京2件) 中央区銀座5-8 寛政2(1790)年,尾張町で創業の小間物屋.白牡丹はお白粉の代名詞的な銘柄.和装小物を扱っていたが,今は店舗がなくなっている 白牡丹 8501
采女ヶ原 うねめがはら 猫定(青圓生08:10) など 5件3題 (東京5件) 中央区銀座5 → 北村辞典.築地川,万年橋そばの火除地.夜分は寂しかったのだろう.「猫定」の定吉が雨中竹槍で刺し殺される      
新橋演舞場 しんばしえんぶじょう きゃいのう(講昭和戦前1:17) など 6件3題 (東京6件) 中央区銀座6-18 1925年,西の歌舞練場に対して作られた新橋芸者技芸向上のための劇場.西の都をどりに対して,東をどりは東京の春の風物詩,新橋芸者が総出.現在は松竹の公演が主.用例の「きゃいのう」は,柳家金語楼が得意とした.割ぜりふの"きゃいのう"のひと言しかセリフのない大部屋役者の滑稽.写真右手の黒板塀は,料亭金田中 新橋演舞場 1104
守田座 もりたざ 淀五郎(青圓生01:03) など 12件5題 (圓朝1件, 東京11件) 中央区銀座6 → 北村辞典.木挽町五丁目の歌舞伎芝居小屋.「淀五郎」のように明らかに木挽町を指す場合,森田座が正しい.猿若町に移り河原崎座(森田座).維新後は新富町の守田座.
"忠臣蔵の狂言は江戸で初めましたのは、寛延二年に木挽町森田座で"(月謡荻江一節)
     
竹葉 ちくよう 鰻の幇間(青圓生14:11) など 8件5題 (東京8件) 中央区銀座8-14 → 北村辞典.慶応2(1866)年創業の浅蜊河岸の鰻料理の名店.震災で被災後,銀座に移転.土地柄,芝居の弁当を納めたりする.鰻のほか,鯛茶漬けも有名.銀座のほかにも店舗あり.ミシュランガイドの星獲得で話題になった 竹葉亭 鯛茶漬け 0911
穀豊稲荷 こくほういなり 狐つき(大文館, 新落語全集(1932)) 中央区銀座8-4 「狐つき」の稲荷づくし.鎮座地の八官町(熱海土産温泉利書)にちなみ八官稲荷と改称.ビル内,ガラス張りのお宮がある.なぜか神明づくり 八官稲荷 0601
土橋 どばし 黄金餅(弘文志ん生2:01) など 13件4題 (圓朝2件, 東京11件) 中央区銀座8〜港区新橋1 → 北村辞典.汐留川にかかる.首都高土橋ランプのところ.堀,橋ともにない.「黄金餅」の道中付け,抜ければ久保町.
"こんにちは土橋のお姉さんはいらっしゃいませんか"(福禄寿)
土橋交差点 1104
浜離宮 はまりきゅう 粟田口霑笛竹(角川円朝2:01) など 3件3題 (圓朝2件, 東京1件) 中央区浜離宮庭園 御浜御殿.登場するのはお浜2件と離宮1件.将軍の鷹狩り場.宮内庁所管になり浜離宮.今は都の庭園.入園有料.汐入の庭園,鴨場,馬場,三百年の松など.新銭座鴨場には,新銭座(梅若七兵衛,かつぎやなど)の名を残す.
"永代橋を越して御浜沖へ出て、あれから田町の雁木へ船をつけまして"(粟田口霑笛竹)
浜離宮潮入り 1104
波除稲荷 なみよけいなり 小猿七之助(三一談志4:06) 1件1題 (東京1件) 中央区築地6-20 築地の先っぽ,今築地市場に面したところに現存.土地柄,魚河岸,食材関係の碑が多い.巨大な雌雄の獅子頭を展示 波除稲荷 0609
小田原町 おだわらちょう 政談月の鏡(角川円朝2:05) など 2件2題 (圓朝2件) 中央区築地6,7 南小田原町.「政談月の鏡」の舞台は築地の海際.小田原町,本郷町,柳原町が登場するが,いずれも代地だろう.小田原橋跡が残っている.
"宝暦の三年下河原清左衛門という浪人者が築地小田原町に裏家住いを致しておる"(政談月の鏡)
     
寒さ橋 さむさばし 政談月の鏡(角川円朝2:05) 1件1題 (圓朝1件) 中央区築地7〜明石町 → 北村辞典.築地の海べり.いかにも冬場の潮風に凍えそうな名前.今はない.
"お前さんはよく毎日寒さ橋へお出なさる、この寒いのに名さえ寒さ橋てえんだからさぞお寒かろう"(政談月の鏡)
     
勝鬨橋 かちどきばし 巌流島(偕成少年02:10) 1件1題 (東京1件) 中央区築地6〜勝どき1 かちどきの渡に代わり,1930年架橋.ここまで来ると隅田川とは言いがたい.大型船舶が通れるように跳ね上げ機構がついているため.接合部に立つと揺れが激しい.今は開閉されることはない.開閉シーンを映像で見た記憶があるが,あいまい 勝鬨橋の接合部 1104
佃の渡 つくだのわたし 佃祭(講明治大正3:33) など 12件1題 (東京12件) 中央区明石町〜佃1 → 北村辞典.隅田川に最後まで残っていた渡し.佃大橋の架橋により1964年に廃止.同じ形の碑が,佃島と湊3-18にある 佃島渡船碑 0907
佃島 つくだじま 佃島(講明治大正5:32) など 43件17題 (圓朝4件, 東京39件) 中央区佃1-1〜10 → 北村辞典.摂津佃村からの移住民が無人島に作った漁村.住吉明神は「佃祭」の舞台.生粋の佃煮を製する.最後まで江戸の風が吹いていたところ.船には佃島漁業協同組合の文字が見える.
"船では遅いなァ。何でも佃を流して行くという事だったよ"(月謡荻江一節)
佃島船だまり 0907
石川島 いしかわじま 真景累ヶ淵(角川円朝1:04) など 12件9題 (圓朝5件, 東京5件, 上方2件) 中央区佃1, 2 → 北村辞典.佃島の北西.囚人の更生施設,人足寄場が設けられた.佃の寄場の用例も多く,後の石川島監獄もここに合した.その後の石川島播磨重工業も移転.
"思う奥さんと密夫をしたのだから仕方がない、石川島へ行って泥をおかつぎ"(黄薔薇)
     

掲載 061020/最終更新 120115

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