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千代田区   
「……麹町にねェ、さるお邸の旦那さまがあったんだよ」
「ああらそうですかねェ、三本毛が足りないなんてうかがいましたが、猿が、お邸の旦那さまんなったんですかねェ」
 (桂文楽(8) 「厩火事」)
  暉峻康隆監修,『桂文楽全集』 上巻,立風書房(1974)

地点名 この1題・登場回数 位 置 備 考 写真と撮影年
東京(とうけい) とうけい 霧陰伊香保湯煙(角川円朝2:02) など 42件42題 (圓朝6件, 東京36件) 東京都 ルビが振っていないと東京と区別できない.東亰(とうけい)とも書いた.こちとらトーケーッ子だなんてニワトリみたいというクスグリもある.定着しなかった.
"あなたがたは東亰でいらっしゃいますか。ええ東亰で、東亰のお方と聞くとお懐かしゅうございますこと"(霧陰伊香保湯煙)
     
東京 とうきょう 江戸荒物(桂米朝座談2, 岩波書店(2006)) など 647件431題 (圓朝32件, 東京509件, 上方106件) 東京都 平成・令和同様,つけるべきものでないのに臆面もなくつけると安っぽくなるもの.土産にば○○は,ちと勇気が要る.
"「東京荒物、ウン。そやけど、東京から品物をひくのは手間やろな」「いや、品物は安堂寺町から仕入れまんねや」"(江戸荒物)
     
東京市 とうきょうし 二人書生(楽々艶笑人情上:10) など 13件12題 (東京13件) 東京都 東京市15区.日本橋だ京橋だと籍の相談や,本郷だ下谷だと岡目八目に使う.昭和7年郡部を併合して大東京市35区.
"辺鄙とは云え、東京市内、夜々中でも電気や瓦斯で往来は明るく"(二人書生)
     
江戸 えど 盃の殿様(青圓生03:02) など 1203件423題 (圓朝96件, 東京1043件, 上方64件) 東京都 朱引きの範囲としましょう.町奉行支配とするとやや狭い.「ちきり伊勢屋」の追放範囲を考えると高札場限り?いずれにせよ四宿は旅ネタ.江戸チ子の出身地はずっと広い.
"「国おもてと、江戸の遊君と、盃のやりとりをいたす、その遣いと申す。うん……江戸からはどれほど離れておる」「おおよそ、三百里ほどにござります」"(盃の殿様)
     
千代田区
江戸城 えどじょう 紀州(青圓生01:05) など 66件26題 (圓朝1件, 東京61件, 上方4件) 千代田区千代田など 太田道灌千代田の名城.将軍綱吉戯れの一日公方,萬民撫育の紀州公,米相場や炊飯法のうわさ話.「慶安太平記」,丸橋忠弥が酔態をよそおって石を投げ,江戸城の濠の深さを測る."ここで三合かしこで五合拾い集めて三升あまり".幕府転覆の計画は露見して処刑.丸橋忠弥の墓は豊島区高田の金乗院,裏面には慶安四年とある.
"お城ィおあがりンなります。大、小名、綺羅星のごとくに居ながれる。正面から出てきたのが、相州小田原の城主大久保加賀守さま"(紀州)
丸橋忠弥墓 2011
江戸城:松の廊下 まつのろうか 盃の殿様(講昭和戦前2:02) など 5件5題 (東京3件, 上方2件) 千代田区千代田 江戸城本丸,白書院に向かう廊下.元禄14(1701)年3月14日,吉良上野介に浅野内匠頭が斬りつけた.即刻,切腹申しつけられ平河門から芝田村邸(別項)へ.
"元禄十四年三月十四日、殿中松のお廊下において高家の吉良上野介に刃傷をいたし"(盃の殿様)
松之大廊下跡碑 2007
江戸城:桔梗 ききょう 鶴殺疾刃庖刀(角川円朝7:02) 1件1題 (圓朝1件) 千代田区千代田 桔梗門.三の丸,内桜田門(夫婦幽霊)の別名.太田道灌の紋が桔梗.
"城中はな桔梗からお玄関まで長い間日光に照りつけられるのは閉口じゃ"(鶴殺疾刃庖刀)
桔梗門 2007
宮城前広場 きゅうじょうまえひろば 片棒(こずえ子ども05:10) 1件1題 (東京1件) 千代田区皇居外苑 皇居前広場.よく自転車を乗り入れている人が追い返されている.東京名所,楠木正成像は高村光雲らの作で,今でも外国人観光客が多く訪れる.
"まず、宮城前広場を仮りのロケット発射場にします"(片棒)
楠正成像 2008
和田倉門 わだくらもん 源平盛衰記(講落語全集2:15) など 6件5題 (圓朝1件, 東京5件) 千代田区皇居外苑 → 北村辞典.江戸城和田倉堀.門は無いが見付の感じは残る.股ぐらのシャレでも何回も出てくる.
"股ぐらをくぐりましたよ、なにしろ馬場先の方が雑踏して"(源平盛衰記)
和田倉門跡 2011
大手町 おおてまち 官営芸者(講昭和戦前4:19) など 2件2題 (東京2件) 千代田区大手町 明治以後の地名.大蔵省,内務省,憲兵本部があった.将門首塚を粗末にしたため大蔵省要人や進駐軍に祟りが続出.
"私は麹町区大手町一番地木下藤吉郎"(官営芸者)
将門首塚 2007
常盤橋 ときわばし 粟田口霑笛竹(角川円朝2:01) など 7件5題 (圓朝2件, 東京5件) 千代田区大手町2 → 北村辞典.川は日本橋川.今,常盤橋と呼ばれる橋の上流,常盤橋御門の石垣があるところに現存.石垣はフリークライミングの練習場だった.
"常磐橋御門から道三橋の近辺を柳町といって"(粟田口霑笛竹)
常盤橋 2006
銭瓶橋 ぜにかめばし 十徳(こずえ子ども05:03) 1件1題 (東京1件) 千代田区大手町2 江戸城道三堀にかかっていた.五斗五斗の一石橋の説明で登場.JRのガードに銭瓶町と書かれていたはずだが,今は見あたらない.
"日本橋、江戸橋、常盤橋、呉服橋、鍛冶橋、銭瓶橋、道三橋、それに自分の立っている橋と合わせて八つの橋が見えた"(十徳)
     
北町奉行所 きたまちぶぎょうしょ 心中時雨傘(角川円朝7:05) など 7件5題 (圓朝2件, 東京5件) 千代田区丸の内1 → 北村辞典.江戸町奉行所.落語国のお奉行は,遠山金四郎,"妖怪"鳥居甲斐守耀蔵,曲淵甲斐守,浅野備前守長称(心中時雨傘),佐々木信濃守(佐々木政談).東京駅八重洲口,国際観光会館前に写真の碑があったが,大丸が移転してきて通用口みたいな隅っこの足下に銘板としてはめ込まれた.
"北御町奉行浅野備前守様の呉服橋内の御番所へ、駆込み願いをするのでございます"(心中時雨傘)
北町奉行所跡碑 1984
八重洲河岸 やえすがし 鶴殺疾刃庖刀(角川円朝7:02) など 2件2題 (圓朝1件, 東京1件) 千代田区丸の内1-3 → 北村辞典.馬場先堀東の河岸.オランダ人ヤンヨーステン拝領の土地.八代洲河岸とも.今は八重洲というと東京駅の八重洲口側になるが,地理的には丸の内側.
"この時八代洲河岸の常火消の臥烟で、大阪御城代の火消人足に雇われて参る、三太に熊吉と申す両人が"(鶴殺疾刃庖刀)
     
太田道灌の銅像 おおたどうかんのどうぞう 心臓(五星大笑い:04) 1件1題 (東京1件) 千代田区丸の内3 江戸城を開いた太田道灌の銅像は市庁・都庁舎のシンボルだった.今はガラス張りの東京国際フォーラム建物の中.用例は戦時供出される前の銅像を指す.
"太田道灌公の銅像でも、徳川家康公の銅像でも、市庁の玄関から姿を消します"(心臓)
太田道灌の銅像 2006
南町奉行所 みなみまちぶぎょうしょ 小間物屋政談(青圓生12:08) など 34件13題 (圓朝2件, 東京31件, 上方1件) 千代田区有楽町2 → 北村辞典.落語国の御奉行は,大岡越前守,筒井和泉守政憲(名人長二,幽霊長屋),小栗忠順,耳袋の根岸肥前守鎮衛(猫定,鹿政談).遠山左衛門尉景元は北町奉行でおなじみ.再開発で銘板の位置も変わった.
"恐れながらと南のお奉行所へ訴えましたが、大岡越前守というかたで、ご案内のとおり名判官でございます"(小間物屋政談)
南町奉行所あと 2008
数寄屋橋 すきやばし 橋の結婚(講明治大正6:26) など 4件4題 (圓朝1件, 東京3件) 千代田区有楽町2 → 北村辞典.外堀に架かっていたが,首都高建設で撤去.写真の碑には,"數寄屋橋 此処にありき 菊田一夫"の文字が刻まれている.放送時間には女湯から人が消えると言われた大ヒットラジオドラマ「君の名は」の原作者.数寄屋橋で再会を約すが,会えそうで会えない真知子と春樹のすれ違い."忘却とは忘れ去ること"のあたり前のような名文句.
"実は食物(もの)を食べません。腹が数寄屋橋で厶います"(橋の結婚)
数寄屋橋跡 2011
有楽町駅 ゆうらくちょうえき 綴方狂室(毎日三百年3:09)など 3件3題 (東京3件) 千代田区有楽町2-9 有楽町駅の中央改札内に木彫りの大黒様が祀られている.説明板によると日枝神社の神木から彫られた大黒が,戦時中に駅に寄贈されたという.
"誰にも悩みを有楽町"(綴方狂室)
有楽大黒 2011
帝国ホテル ていこくほてる 春の新築(講明治大正4:31) など 9件8題 (東京6件, 上方3件) 千代田区内幸町1-1 1890(明治23)年開業.フランク・ロイド・ライト設計の建物は1923年の竣工.明治村にエントランス部分が移設され,喫茶室もある.
"また帝国ホテル、結構な者がございます"(春の新築)
帝国ホテル 2006
鹿鳴館 ろくめいかん 金の味(講明治大正2:40) 1件1題 (東京1件) 千代田区内幸町1-1 明治の外交舞台として作られた迎賓館.短命に終わったのか教科書の上でしか意識しない.「擬宝珠」1件しか出てこない.帝国ホテルの隣の敷地にプレートがある.
"それから鹿鳴館から帝国ホテル"(金の味)
鹿鳴館跡碑 2008
日比谷公園:鶴の噴水 つるのふんすい 出来心(旺文小さん2:01) など 6件2題 (東京6件) 千代田区日比谷公園 日比谷公園内にある日本でも指折りに古い噴水.今も雲形池の中で銅製の鶴の口から水が噴き出している.
"鶴の噴水なぞがありまして。大きな庭だナ、それはどこのお屋敷だ?"(出来心)
鶴の噴水 2008
霞ヶ関 かすみがせき 盃の殿様(講昭和戦前2:02) など 3件1題 (東京3件) 千代田区霞ヶ関 → 北村辞典.広重の江戸名所絵の説明.筑前黒田邸と安芸浅野邸の間,霞ヶ関坂周辺.
"ここはどこじゃ。霞ヶ関にございます。こちらが黒田様のお屋敷で"(盃の殿様)
霞ヶ関坂 2009
桜田門 さくらだもん 小言幸兵衛(講文庫1:24) など 7件7題 (東京7件) 千代田区皇居外苑 → 北村辞典.外桜田御門.大名が登城する際に通る.安政7(1860)年,雪の中を井伊直弼が水戸浪士に暗殺される.井伊家の屋敷は今の国会前庭でごく近い.その頃の羊羹ではちと古い.
"万延元年、井伊大老が桜田門外で暗殺された年のはいかがですだと"(小言幸兵衛)
桜田門 2009
山王権現 さんのうごんげん 囃子長屋(土屋今輔:19) など 18件6題 (圓朝1件, 東京17件) 千代田区永田町2 → 北村辞典.日枝神社.江戸城内から移転.将軍御上覧の山王祭.
"丸の内にご上覧場というのができて、ここで将軍がご覧になる。神田の明神様の祭礼は竹橋から繰り込む、山王様のお祭りは半蔵門から繰り込む"(囃子長屋)
日枝神社 2009
半蔵門 はんぞうもん ちきり伊勢屋(騒人名作01:02) など 7件4題 (東京7件) 千代田区千代田 服部半蔵屋敷に由来.桜田堀と半蔵堀の間.「ちきり伊勢屋」,白井左近の屋敷がここ(あるいは平河町)にあった.堀端は桜の名所.
"よんどころなく江戸へ出て、麹町半蔵御門外へ出て、夜分辻占を致し"(ちきり伊勢屋)
半蔵門 2006
三宅坂 みやけざか のっぺらぼう(青也沢田一矢:2) など 3件3題 (東京3件) 千代田区永田町1 堀端を北へ上る.三河田原藩三宅対馬守の上屋敷があったことによる.現在は最高裁判所と国立劇場がならんでいる.
"泊まっていけてェのを無理に断って赤坂を出た。途中三宅坂から九段まではなにごともなかったが"(のっぺらぼう)
三宅坂 2012
貝坂 かいざか 文七元結(青圓生07:04) 11件1題 (東京11件) 千代田区平河町2-4〜2-8あたり → 北村辞典.平河町を南に下る.「文七元結」が元結店を開いたとの説明.文七元結自体は寛文ごろ製造され,宝永年間には江戸で流行ったらしい.文七に踏まるな庭の蝸牛(其角).
"このお久と文七を夫婦にして、麹町貝坂へ元結屋を開いたという"(文七元結)
貝坂 2009
赤坂見付 あかさかみつけ 目黒のさんま(新風ミニ:052) など 6件6題 (東京4件, 上方2件) 千代田区永田町2-18,紀尾井町1 赤坂御門.紀尾井町側に石垣が残っている.埋めた外堀のせいで赤坂見附交差点は向こうに渡るのも一苦労.
"早朝から二十騎ばかりのお供をつれまして、赤坂御門内のお屋敷を出ます"(目黒のさんま)
赤坂見附跡 2009
弁慶橋(赤坂) べんけいばし たがや(青三木助:08) など 5件4題 (東京5件) 千代田区紀尾井町〜港区元赤坂1 もとは神田,藍染川に架かっていた弁慶橋(岩本町2-10あたり)が本家.弁慶ちなみで「猫忠」に出てくる.現存する赤坂の弁慶橋の用例は現代に限られるが,こちらの方が有名.擬宝珠はどこかから移設したと聞いたことがある.
"松緑さんを『弁慶橋』なんて人もいます"(たがや)
弁慶橋 2009
喰違見付 くいちがいみつけ お七(青圓生03:08) など 16件5題 (東京16件) 千代田区紀尾井町4,5 → 北村辞典.四谷駅南方にある見付の一.御門がなく稲妻型の道で防備した.標柱が立っている.首くくりの名所で,「ちきり伊勢屋」の伝次郎もここで人助け.
"犬に食いつかれンのが谷中の天王寺、首くくりが赤坂の喰違い、大抵昔から相場がきまってらあ"(お七)
喰違見附跡 2006
四谷見付 よつやみつけ 御慶(旺文鑑賞2:08) など 8件7題 (圓朝1件, 東京7件) 千代田区麹町6 → 北村辞典.麹町から甲州方面への防備.四谷駅前.新四谷見附橋東詰に見附の石垣が残っている.
"これを少し四谷御門のほうにおいでになりますと、二軒ばかり刀屋がございますんで"(御慶)
四谷見附跡 2009
麹町 こうじまち 厩火事(立文楽1:13) など 113件48題 (圓朝4件, 東京109件) 千代田区麹町,新宿区四谷 → 北村辞典.半蔵門から四谷見付を越え,新宿区に入る長い町.麹町十三丁目(木の葉狐)は新宿区に分類.頻出するが,何といっても焼き物を愛する麹町のさる旦那.ほ里つは,享保2(1717)年創業,将軍家御用達の茶道具商.御茶壺道中も日本橋通四丁目の店に立ち寄るような格式があった.戦災にあって麹町1-3へ移転してきた.
"これにその反対をした話がある。麹町にねェ、さるお邸の旦那さまがあったんだよ"(厩火事)
麹町ほ里つ 2011
番町 ばんちょう 首屋(講明治大正3:46) など 100件47題 (圓朝14件, 東京86件) 千代田区九段北,九段南,富士見,一番町,二番町,三番町,四番町,五番町,六番町,麹町 → 北村辞典.表四番町(お里の伝),三番町(黄薔薇)等々,複雑な町割りの武家地."番町の番町知らず"と言われた.今の番町の町割りとはまったく違うのでさらに混乱する.「石返し」,「首屋」の舞台.
"番町辺りを大きな声を出して、首の処へ風呂敷を縛り付けて「首や首や………」"(首屋)
番町の石垣  2009
市ヶ谷御門 いちがやごもん 月謡荻江一節(角川円朝5:03) 1件1題 (圓朝1件) 千代田区九段北4 番町から市ヶ谷への市ヶ谷見附.枡形は失われ,市ヶ谷駅前に見附石垣の石が数個置いてある.巨石の烏帽子石は日比谷公園南東隅に移設.地下鉄南北線市ヶ谷駅には博物館ばりに復元された石垣の展示.
"早々帰れというからぼんやりとして福永は帰りまして、市ヶ谷御門へ掛かりまする"(月謡荻江一節)
市ヶ谷見附烏帽子石 2006
大村益次郎の銅像 おおむらますじろうのどうぞう 蔵前駕籠(立名人名演10:01) 1件1題 (東京1件) 千代田区九段北2-1 高い台座の上に上野の彰義隊を攻める姿.1886(明治19)年の建.靖国神社境内に現存する東京を代表する銅像.許可を取り撮影.
"総参謀が、九段に、……銅像になっていらっしゃいますな、大村益次郎、あのお方でございます"(蔵前駕籠)
大村益次郎の銅像 2006
招魂社 しょうこんしゃ 小言幸兵衛(騒人名作09:01) など 16件12題 (東京16件) 千代田区九段北2,3 → 北村辞典.招魂社は現在の靖国神社.お盆の時期のみたままつりには,浴衣の男女がたくさん集う.「蟇の油」や「両国八景」の世界をしのばせる見世物小屋が出る.また,招魂社のお化け屋敷は,噺の中にも出てくる.因果物やこしらえ物の見世物はさすがにないが,ヘビを食いちぎる蛇女は必見.
"この段なんぞは中々生やさしい学問で伺えるものじゃアないよ。九段なら突き当たりが招魂社だ"(小言幸兵衛)
蛇女の見世物小屋看板 2010
招魂社:常夜燈 じょうやとう 初夢(講明治大正2:21) 1件1題 (東京1件) 千代田区九段南2 九段坂上にある招魂社の常燈明台のことだろう.明治4(1871)年の建で,東京湾から望めたという.石垣を土台としたヘンな形.靖国神社側から道をへだてた田安門側へ移設されている.ライトアップされる.
"あれが招魂社、そのわきに常夜燈がございましょう"(初夢)
常燈明台 2006
世継稲荷 よつぎいなり 狂歌家主(弘文柳枝:14) 1件1題 (東京1件) 千代田区九段北1-14 狐つき(大文館,新落語全集(1932))にも登場.現在は中坂の筑土明神境内に鎮座.写真とは全く様変わりして,高いビルに囲まれている.用例の「狂歌家主」の五十稲荷は,解説にある世継稲荷とするよりも小川町の五十稲荷(別項)の方ではないか.
"六日が六毘沙六地蔵で、五日が五十稲荷……縁日屋だな、まるで"(狂歌家主)
世継稲荷旧観 1986
九段坂 くだんざか 素人人力(講明治大正7:17) など 41件27題 (圓朝7件, 東京34件) 千代田区九段北1 → 北村辞典.靖国通りを東へ下る.今よりもずっと急坂で坂下に荷車の後押しがたむろしていたという.
"こないだ九段坂の上で車屋に、モシ五拾銭あげるから私を乗つけて九段を馳け降りて見ないか"(素人人力)
九段坂 2012
爼橋 まないたばし 英国孝子ジョージ・スミスの伝(角川円朝6:05) など 8件7題 (圓朝2件, 東京6件) 千代田区神田神保町〜九段南1 → 北村辞典.日本橋川に架かる.難読でもあり,由来が気になる橋名.江戸時代は東へ抜ける道路はなく行き止まりだった.その後,拡幅された靖国通りとなる.かつては市電,今は地下に都営新宿線が通る.
"下りかかった時は構わないでうっちゃって置いてその車が爼橋まで下ってから、いったん空車にして、後で少しばかりの荷をつけて上げた方がよろしい"(英国孝子ジョージ・スミスの伝)
爼橋 2012
牛ヶ淵 うしがふち 暦ずき(角川円朝4:20) など 3件3題 (圓朝1件, 東京2件) 千代田区北の丸公園 → 北村辞典.江戸城内堀.十二支の出る地名.九段坂を登り,田安門へ至るあたりから見おろせる.遠目に九段会館が見える.
"初め牛ヶ淵へ行って、虎ノ門へ出て"(暦ずき)
牛ヶ淵 2008
飯田町 いいだまち 心中時雨傘(角川円朝7:05) など 9件7題 (圓朝3件, 東京6件) 千代田区九段南,九段北,富士見 → 北村辞典.小石川御門の内側,武家屋敷がたちならぶ.人の悪いが飯田町.
"北の御町奉行は飯田町黐の木横丁にお屋敷があって、三千五百石のお録高でいらっしゃる浅野備前守様"(心中時雨傘)
     
水道橋 すいどうばし 敵討札所の霊験(角川円朝2:03) など 5件5題 (圓朝2件, 東京3件) 千代田区〜文京区 → 北村辞典.今の水道橋に示されたレリーフのように,神田川に渡されていた水道懸樋.水道橋駅のやや東,猿楽町2から文京区本郷1に架かっていた.びっくりしたことに線路側には神田川に沿って桟道のようなものが付いている.
"これから極楽水を出まして、あれから壱岐殿坂の下へ出てまいり、水道橋を渡って小川町へ来て"(敵討札所の霊験)
水道橋跡 2009
三崎町 みさきちょう 嘘つき村(大空SP05:16) 1件1題 (東京1件) 千代田区三崎町 水道橋の南側.江戸時代は武家地で,明治になって三崎町.三崎稲荷(狐つき,新落語集,大文館(1932))がある.谷中の三崎(さんさき)とは唱えがちがう.
"三崎町の原に大名と旗本の大喧嘩があるって"(嘘つき村)
三崎稲荷 2009
護持院ヶ原 ごじいんがわら 首提灯(筑摩古典03:14) など 13件11題 (圓朝2件, 東京11件) 千代田区神田錦町1〜3 → 北村辞典.錦町一帯に広がる護持院跡地の火除地.試し斬りの名所,毎晩殴りに来られてはたまらない.
"護持院ヶ原で非人が薦を着て寝ておった。一刀ォのもとに斬り捨てたな"(首提灯)
ごじいんがはら跡石柱 2008
平河門 ひらかわもん 夫婦幽霊(円朝芝居噺 夫婦幽霊, 講談社 (2007)) 千代田区千代田 古典落語には出てこなかった.普段は開かず,犯罪者等を通すため不浄門と呼ばれた.
"平河門のあたりで右に折れ"(夫婦幽霊)
平河門 2007
五十稲荷 ごとういなり 狐つき(大文館,新落語全集(1932)) 千代田区神田小川町3-9 「狐つき」の稲荷づくし.足利戸田家屋敷神で,5,10の日に織物市が立ったことにより,"ごとういなり"と呼ぶ.神保町の真裏なのに全く異空間.
"小川町の五十稲荷なんと、きたしにあ、高襟(はいから)がいくらもくらあ"(狐つき)
五十稲荷 2006
小川町 おがわまち 操競女学校-お里の伝(角川円朝3:06) など 38件28題 (圓朝6件, 東京32件) 千代田区神田小川町あたり → 北村辞典.笹巻けぬきすし(小川町2-12)は,江戸でもっとも古い寿司屋.塩と酢の強く効いた鮨を笹で巻いてある.久々に試したら随分食べやすく感じたが,それでも類いまれな味わい.
"小川町で表御番医師を勤めました長尾全庵さま方へやったが、少しも手掛かりが知れないからすぐに下げて"(操競女学校-お里の伝)
笹巻けぬきすし 2006
駿河台 するがだい 塩原多助一代記(角川円朝5:01) など 21件17題 (圓朝4件, 東京17件) 千代田区神田駿河台1〜4 → 北村辞典.大久保彦左衛門屋敷跡碑は杏雲堂病院の前庭.ニコライ堂は,明治期に駿河台の上に建てられた正教会の大聖堂.国重文.日本に正教を伝道したロシア人聖ニコライの名がついている.ニコライ堂と湯島聖堂を避けて,聖橋は神田川に対して斜めに架かっている.
"雨がポツリポツリと降ってまいりますから、駿河台を下りて昌平橋へ掛かりました"(塩原多助一代記)
駿河台 2009
胸突坂 むねつきざか 霧陰伊香保湯煙(角川円朝2:02) 1件1題 (圓朝1件) 千代田区神田駿河台1-1〜1-3 → 北村辞典.明大通りを山の上ホテルの方へと西に向けて上る急坂.特に表示はない.
"旧幕の折には駿河台胸突坂にいまして、二千五百石頂戴致した小栗上野介という人の妾の子でござりまする"(霧陰伊香保湯煙)
胸突坂 2011
明治法律学校 めいじほうりつがっこう 松竹梅(講明治大正5:12) 1件1題 (東京1件) 千代田区神田駿河台1 明治大学の前身.開学の地は有楽町.1881〜1903年の名称.旧刑事博物館は薄暗く,その展示物の内容とあいまって実に不気味だった.いまは,生活具,考古学資料とともに,明治大学博物館で見られる.微笑みをたたえるニュルンベルクの鉄の処女やギロチンなどの処刑具,拷問具は,日本でここだけの展示.
"明治法律学校を勉強しておりますうちに、伯父は病死しましたから"(松竹梅)
     
ニコライ堂:鐘 かね 野晒し(騒人名作11:14) など 5件1題 (東京5件) 千代田区神田駿河台4 ニコライ堂の鐘は,圓遊系の「野ざらし」.今も12時になるとグワーンというロシアの音色を響かせている.
"ニコライの鐘はぐヮんじゥぐヮんじゥときましょう?"(野晒し)
ニコライ堂の鐘 2009
太田姫稲荷 おおたひめいなり 塩原多助一代記(角川円朝5:01) など 2件2題 (圓朝2件) 千代田区神田駿河台4 → 北村辞典.織田姫稲荷は太田姫稲荷が正しい.淡路坂上にあったが,神田駿河台1-2に移転.聖橋南東詰のムクの木に元宮の木札がついている.
"日の暮れるまであっちこっちとうろうろ歩いて、駿河台の織田姫稲荷の所へ参りますと、もう腹が減って歩けません"(塩原多助一代記)
太田姫稲荷元宮 2005
須田町 すだちょう かぼちゃ屋(青小さん2:07) など 29件15題 (東京29件) 千代田区神田須田町1 → 北村辞典.交差点北に"杉野はいずこ"の広瀬中佐(別項:大分県竹田)の銅像が高々と建っていた.
"おめえの馬鹿は慢性の馬鹿だ。その先が須田町"(かぼちゃ屋)
     
小柳町 こやなぎちょう 三方一両損(三一談志5:08) など 14件5題 (圓朝2件, 東京12件) 千代田区神田須田町1,2 → 北村辞典.「三方一両損」,大工の熊五郎の住まい.
"神田小柳町大工の吉五郎としてあらぁ。この野郎が落としたに違えねえや"(三方一両損)
     
藪蕎麦 やぶそば 蕎麦の殿様(立名人名演04:10) 1件1題 (東京1件) 千代田区神田淡路町2-10 1880(明治13)年創業の蕎麦屋.団子坂の薮蕎麦(松と藤芸妓の替紋)の分家.小腹にいれるか,それともせいろ2まぁぁぁぁいか.
"ただいまは"藪"という名のついた蕎麦屋さんがたくさんございまする。あれはご存知のとおりご本家は須田町で"(蕎麦の殿様)
神田の薮 2005
万惣 まんそう 千両みかん(青正蔵1:09) など 6件1題 (東京6件) 千代田区須田町1-16 弘化3(1846)年創業の果物商.多町周辺の青果問屋の一.夏場に1個千両のみかんを商うと,「千両みかん」で名前が挙げられることもある.今はフルーツパーラーも併設し,ホットケーキは70年の歴史.隣は落語研究会が開かれた神田の立花亭だった.
"みかんが今あるのは、多町の万惣って家ィ行ったかい?"(千両みかん)
万惣ホットケーキ 2006
多町 たちょう 位牌屋(講明治大正3:44) など 21件5題 (東京21件) 千代田区神田多町あたり → 北村辞典.青物問屋がならんでいた.「位牌屋」の芋の買いだし,真夏のミカンの掘りだしが多町の市場.写真の碑は神田須田町1-10にあったが,千代田区が預かった後,神田須田町1-8に場所を移して建て直された.
"買出しはどちらで?ェェ、多町です"(位牌屋)
神田青果市場発祥之地碑 2012
豊島屋 としまや 業平文治漂流奇談(角川円朝3:02) 1件1題 (圓朝1件) 千代田区内神田1,2 → 北村辞典.鎌倉河岸の酒屋.慶長元(1596)年の創業.今は猿楽町1-5に移転している.雛祭りの白酒が江戸中の人気を得た.今も白酒は季節もの.
"何か土産を持って行きてえが何がいいだろう、本所は酒がよくねえから鎌倉河岸の豊島屋で酒をかたうま買って行こう"(業平文治漂流奇談)
豊島屋の白酒 2006
今川橋 いまがわばし 三井の大黒(青三木助:09) など 16件2題 (東京16件) 千代田区鍛冶町1 → 北村辞典.竜閑川にかかっていたが戦後埋め立て.大通りであり,「黄金餅」の道中.今川橋の碑は1976年に企業がたてたもの.
"今川橋のすぐ近く、あの辺がちょうど八丁堀にあたるそうでして"(三井の大黒)
今川橋のあとどころ 2007
龍閑町 りゅうかんちょう わら人形(青正蔵1:08) など 4件2題 (東京4件) 千代田区内神田3 → 北村辞典.「藁人形」で西念をだましたお熊の糠屋に設定.千代田区と中央区の境をなす龍閑川の西端に龍閑橋(新作「橋の上の男」)がかかっていた.1950年に埋め立てにより廃止.1926年に作られた鉄筋コンクリートトラス橋の一部が,本石町4-1の公園に残っている.
"もとは、神田の、竜閑町で、糠屋の娘"(わら人形)
龍閑橋 2011
竪大工町 たてだいくちょう 三方一両損(筑摩古典05:05) など 40件10題 (圓朝1件, 東京39件) 千代田区内神田3 → 北村辞典.神田駅のすぐ西.大工職が住居.大工調べ,三方一両損,子別れ,粗忽の使者の留っこ.堅大工町との誤植がひどく多い.
"神田竪大工町大工吉五郎、同じく白壁町左官金太郎、付添人一同控えおるか"(三方一両損)
     
徳力 とくりき 一文惜しみ(青圓生10:08) など 3件2題 (東京3件) 千代田区鍛冶町2-9 創業は享保12(1727)年といわれる金地金商.幕府御用もつとめ,同業のまとめ役だった.今も貴金属全般のトップブランド.「一文惜しみ」の徳力屋万右衛門は悪役,ぷらちな奴.
"三河町で、徳力屋万右衛門という質屋がある。いろは倉で、倉が七戸前もあるという"(一文惜しみ)
徳力 2011
白壁町 しらかべちょう 三方一両損(講昭和戦前5:26) など 23件2題 (東京23件) 千代田区神田鍛冶町2,内神田3 → 北村辞典.神田駅の東.左官職が住居.「三方一両損」,左官の金太郎の住まい.あとは「居残り佐平次」のタンカ.
"神田の白壁町の左官の金太郎という者だといったら、金太郎だ、金太郎にしては赤くねえ、まだ茹でねえな"(三方一両損)
     
紺屋町 こんやちょう 紺屋高尾(青圓生09:04) など 15件7題 (圓朝1件, 東京14件) 千代田区神田紺屋町あたり → 北村辞典.白壁町よりさらに東.こうやちょうとも.紺屋職人が住居.「紺屋高尾」の親方の家もここで,女郎買い指南の先生が住むお玉が池も近い.
"神田紺屋町という、軒を並べて染物屋さんが商売をしている"(紺屋高尾)
     
お玉ヶ池 おたまがいけ 佃祭(筑摩古典03:07) など 34件12題 (圓朝1件, 東京33件) 千代田区岩本町2,神田東松下町 → 北村辞典.二人の男から懸想されたお玉が入水したという.箱根のお玉ヶ池にも似た話.池が埋められた後もお玉ヶ池で通った.女郎買いの得意な武内蘭石先生,人形佐七や千葉周作の道場.池跡には稲荷がある.
"あたしは神田お玉ヶ池におります、小間物渡世をしております次郎兵衛と申しますもの"(佃祭)
北辰一刀流千葉周作墓 2005
橋本町 はしもとちょう 首提灯(講昭和戦前4:30) など 9件6題 (圓朝1件, 東京8件) 千代田区東神田1,2 → 北村辞典.胴切りされた足の方が奉公する蒟蒻屋.
"足の方はどこへ行ってるんだい。あいつはね、橋本町の蒟蒻屋へ行ってるんだがね"(首提灯)
     
和泉橋 いずみばし 遠山政談(集英圓生3:12) など 7件6題 (圓朝3件, 東京4件) 千代田区岩本町3〜神田佐久間町 → 北村辞典.現存.神田川に架かる.北に伊勢津藩藤堂和泉守の上屋敷(神田和泉町)があったことによる.
"広小路から御徒町、あれから右へ切れまして松永町から和泉橋へ出ましたのが今の時間でいう二十三時ごろ"(遠山政談)
和泉橋 2011
柳原 やなぎわら 世辞屋(角川円朝4:32) など 68件35題 (圓朝4件, 東京64件) 千代田区神田須田町2,岩本町3,東神田2 → 北村辞典.神田川,和泉橋あたりの南岸.南詰に銘板.土手に古着屋が軒をならべており,柳原物と呼ばれるいかものが多かった.「三方一両損」で財布を拾い,「御神酒徳利」の番頭義父が大道易者をやっている.
"君は大層よい衣服を買うたな、どこで買うた、ナニ柳原で八十五銭、安いの"(世辞屋)
柳原の土手柳森神社 2010
秋葉原駅 あきはばらえき 綴方狂室(毎日三百年3:09) 1件1題 (東京1件) 千代田区外神田1 かつては全国でも珍しい立体交差の駅だった.読みは"あきはばら"だが,略称は"アキバ".元の秋葉っ原を引きずっている.長い階段の踊り場にバナナの叩き売りが出ていた.今はミルクスタンドが懐かしい.20種以上もの牛乳のビラが下がっている.
"彼女はとうに秋葉原"(綴方狂室)
秋葉原駅 2012
万世橋 まんせいばし かぼちゃ屋(青小さん2:07) など 32件19題 (圓朝5件, 東京27件) 千代田区外神田1〜神田須田町2 筋違橋の取り壊しの翌年,1873(明治6)年の架橋の石橋.2つのアーチがあり,眼鏡橋(別項:お七など),よろずよばしと呼ばれた.慢性の馬鹿(かぼちゃ屋)とも.
"「おめえの馬鹿は慢性の馬鹿だ」「その先が須田町だ」"(かぼちゃ屋)
万世橋 2009
筋違橋 すじかいばし 塩原多助一代記(角川円朝5:01) など 2件2題 (圓朝1件, 東京1件) 千代田区外神田1-1〜神田須田町1-25 神田川,筋違御門のところにかかる.「黄金餅」のルートになっているようにメインストリート.須田町へのルートに対して斜めになっていた.1873(明治6)年,万世橋に取ってかわられる.今は旧万世橋駅の煉瓦塀がたちはだかる.
"筋違橋内戸田能登守の家来野沢原作"(塩原多助一代記)
筋違橋跡煉瓦塀 2006
昌平橋 しょうへいばし 遠山政談(青圓生06:05) など 13件9題 (圓朝7件, 東京6件) 千代田区神田淡路町2〜外神田 → 北村辞典.神田川にかかる.昌平坂学問所に由来.「遠山政談」,須田町から本郷への道中にあたる.
"石町を出まして、あれから須田町、昌平橋、明神坂上がって本郷三丁目へ"(遠山政談)
昌平橋 2012
神田川(鰻) かんだがわ 素人鰻(講明治大正2:04) など 13件5題 (東京13件) 千代田区外神田2-5 → 北村辞典.明神下の鰻屋.文化2(1805)年の創業以来のタレを受け継ぎ,火事などの時には壺を持って逃げるという.「素人鰻」の金の修業のお店.
"これは神田川の金と申す鰻割きの職人である。酒を飲まンと猫のようなやつであるが"(素人鰻)
神田川の鰻重 2006
神田明神 かんだみょうじん 百川(青圓生04:05) など 57件29題 (圓朝2件, 東京54件, 上方1件) 千代田区外神田2-16 → 北村辞典.神田神社.芝崎(大手町)から移転.明治政府が祭神の平将門を追い出し,大己貴命,少彦名命とする.江戸っ子は将門の方だけに参拝.江戸三大祭の一,神田祭.
"山王の祭、神田祭とくると、これァ天下祭と名付けまして、将軍家がご上覧になったという"(百川)
神田明神 2009
神田明神:男坂 おとこざか 鶴殺疾刃庖刀(角川円朝7:02) 1件1題 (圓朝1件) 千代田区外神田2 神田明神から東へ下る石段.この下がいわゆる明神下.1986年の写真では,石段途中の左側に開花楼の看板が見える.開花楼(夢の株式)は明治初年に開業した名料亭だった.
"明神の男坂下の角から二、三軒目に玩具屋がござりました"(鶴殺疾刃庖刀)
男坂と開花楼 1986
練塀小路 ねりべいこうじ 雁風呂(青圓生06:04) など 2件2題 (東京2件) 千代田区外神田4,神田練塀町 小笠原左京太夫の中屋敷南東,練塀町に名を残す.「天衣紛上野初花」,"とんだところへ北村大膳","練塀小路にかくれのねえ この河内山は御直参だぜ".名セリフが続出.
"江戸では小路と申します。式部小路とか、練塀小路だとか言って"(雁風呂)
     
黒焼屋 くろやきや 薬違ひ(騒人名作10:22) など 5件3題 (圓朝1件, 東京4件) 千代田区外神田3 → 北村辞典.写真の建物は広小路のビル群の中にあってよく目立った.瓦葺き平屋建てで総元祖黒焼の看板が掲げられている.何軒も黒焼屋があったが今はここ1軒だけ.建てかえられたが現在も営業中.店頭には標本瓶に入った炭のような黒焼.黒焼とは,動植物を蒸し焼きにして薬効を閉じ込めたもの(お店では薬効をうたえないのかもしれないが).特にイモリの黒焼は,媚薬として知られる.「いもりの黒焼」の上方版は,恋しい人ではなく近くの米俵にイモリの黒焼をかけてしまったため,米俵が男を追いかけてくる.東京版は間違えてヤモリの黒焼を使ったため,大家がやってくるのではなかったか.
"御成街道に黒焼屋さんが二軒列んで居て、両方とも本家元祖としてあるがどっちが本家だか元祖だか分りません"(薬違ひ)
黒焼屋 1989

掲載 060519/最終更新 200101

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