HOME >> はなしの名どころ >> prev 滋賀県 next
滋賀県 その1   
圓朝地名図譜
賣物には花、トンボといふ籠で江州長濱へ連れて參りました。諏訪のお祭禮で相撲の興行、大阪から態々關取を呼んだと云ふのだから、大層な人氣で、近郷近在から見物人が出て參ります。
 (桂文樂 「提灯屋角力」)
  今村信雄編,『名作落語全集』 第八巻,騒人社(1930)

地点名 この1題・登場回数 位 置 備 考 写真と撮影年
滋賀県 しがけん お多賀さん(青圓生14:08) など 5件5題 (圓朝1件, 東京3件, 上方1件) 滋賀県 滋賀県の前半は,賤ヶ岳を出発し琵琶湖東側を南下しつつ,ちょっと東海道に寄り道して大津の手前までの落語地名を紹介する.鮒ずしは,滋賀県を代表する郷土料理.たっぷり腹子が詰まったニゴロブナを塩漬けにして,1年以上乳酸発酵させる.原料のニゴロブナは水揚げが激減したままで,お値段もビックリするほど.すしというものの,食べるときは飯粒は取りのぞいてスライスする.発酵食品の匂いと,酸味,塩味が強い.そのまま酒の肴や,お茶漬けがお勧めの食べ方だそう.
"江州と申しますとただ今の滋賀県"(お多賀さん)
鮒ずし 2023
近江 おうみ 矢橋船(創元米朝1:14) など 30件22題 (圓朝1件, 東京12件, 上方18件) 滋賀県 旧国名.怪力の持ち主「近江のお兼」は,近江国篠原の出身.暴れ馬を片足駄で押さえて涼しい顔.舞踏劇では,絵馬から抜け出てきた設定で,この後,特産の近江晒を振って舞い納める.近江のお兼を漆喰で立体的に描いたのは,鏝絵の名人伊豆の長八.伊豆松崎の長八美術館に飾ってあった.
"お酒は気分のもんやさかい……肴は近江の鮒か"(矢橋船)
伊豆の長八作「近江のお兼」 2013
賎ヶ岳 しずがたけ 太田道灌(講明治大正6:24)など 6件3題 (東京6件) 長浜市 天正11(1583)年の賎ヶ岳の戦跡.秀吉と柴田勝家の決戦で,講談になる賤ヶ岳の七本槍(加藤片桐福島脇坂……)が活躍した.山頂には碑のほか,がっくり頭をたれる敗れた柴田勝家像.冬場は,山頂に登るリフトが運休する.
"その代わり太閤には賤ヶ岳の七本鎗というものがある"(太田道灌)
賎ヶ岳古戦場碑 2003
竹生島 ちくぶじま 狼講釈(三一上方2:12)など 4件4題 (東京2件, 上方2件) 長浜市早崎町 琵琶湖に浮かぶ島.西国30番札所宝厳寺,竹生島弁天,竹生島神社がひしめく.賤ヶ岳とかけ持ちで飯浦から渡った.
"竹生嶋詣の下船、瀬田矢走の方より二十人ばかりの婦人"(狼講釈)
竹生島宝厳寺 2003
虎姫 とらひめ 駅名読み込み川柳大会(牧野駅名:1) 1件1題 (東京1件) 長浜市大寺町 旧東浅井郡虎姫町.十二支のつく駅.2003年優勝した阪神タイガース便乗応援の駅.
"北陸線出来て虎姫活気づき"(駅名読み込み川柳大会)
JR 虎姫駅 2003
姉川 あねがわ 浮世床(青圓生10:04) など 17件4題 (圓朝1件, 東京16件) 長浜市今町 元亀元(1570)年の姉川の戦は草野川合流点の上流.姉川合戦死者之碑が建つ.バスで行けるが下調べが必要.写真は敵にむかついて一尺八寸(ただし巾ナリ)の大太刀を振りかざしている真柄十郎左衛門.
"姉様の合戦だな。……?変な戦だなァ……姉川合戦てえのァあるが"(浮世床)
真柄十郎左衛門奮戦の図 1999
宮川 みやがわ 下総土産佐倉双紙(三友舎 (1890)) 長浜市 近江宮川1万3000石.堀田家の支配.宮川陣屋跡を示す石碑が,長浜市宮司町の宮川橋のたもとにある.
"近州宮川で一万三千石、御屋敷は愛宕下にございまして"(下総土産佐倉双紙)
宮川陣屋碑 2016
長浜 ながはま 汲み立て(筑摩特選2:01)など 8件5題 (東京6件, 上方2件) 長浜市 「汲み立て」は,浜ちりめんの用例.元浜町を通る北国街道には商家や武者隠れ道という鋸歯状の道がある.
"白縮緬の浜の一番という上等品だ"(汲み立て)
北国街道安藤家 1999
長浜:諏訪神社 すわじんじゃ 提灯屋角力(騒人名作08:14)など 3件1題 (東京3件) 長浜市宮前町 用例はすべて「花筏」.大関に体型が似た素人が,代役で地方巡業に出る噺.噺の中では諏訪八幡とあるが,果たしてこの八幡神社でいいのやら.長浜には,ズバリ相撲という地名もある.
"今度長濱の諏訪のお祭礼で相撲がある。花筏関を大関にして行く所だった"(提灯屋角力)
長浜八幡 1999
伊吹山 いぶきやま 蟇の油(創元米朝3:20)など 5件5題 (東京2件, 上方3件) 米原市 「がまの油」の口上.江戸では筑波山.上方では伊吹山が薬草や四六のガマの産地.山頂まで車道が通じており,バスで行くこともできる.北陸からの雪雲が流れ込み,かつて,スキー場までがあった.
"名付けて四六の蟇。この蟇のおるところは、これよりはるーか北にあたって、江州伊吹山の麓"(蟇の油)
伊吹山 1998
柏原 かしわばら 亀佐(増補改訂版米朝落語全集 2, 創元社(2013)) ほか 1件1題 (上方1件) 米原市柏原 中山道柏原宿.江州柏原伊吹山の麓,亀屋佐京のきりもぐさ♪.吉原で歌ったコマソンがきっかけでヒット.このあたり東海道線沿線でもっとも寂しいところだが,元は大きな宿場だった.町の修景がすすみ,やいと祭りが盛大に行われる.速記のもととなった録音では,"滋賀県に名代のこのもぐさ屋さんですな"とだけしゃべっており,"山中道"と間違ったのは編集部の責.
"滋賀県の伊吹山の麓、山中道の宿の一つ、柏原に居を構える名代のもぐさ屋さんですな"(亀佐)
柏原宿 2010
亀屋佐京 かめやさきょう 亀佐(増補改訂版米朝落語全集 2, 創元社(2013)) ほか 1件1題 (上方1件) 米原市柏原2229 まさに「亀佐」の舞台.柏原宿で最後に残った艾屋.広重の名所絵にも描かれた本家亀屋左京.とんとんとヨモギを叩く音が聞こえる.店内座敷には巨大な福助.
"江州伊吹山のほとり、柏原、本家、亀屋佐京、薬もぐさよろーし"(亀佐)
伊吹堂亀屋佐京 1998
番場 ばんば 水戸光圀卿(駸々堂(1894)) 米原市番場 中山道番場宿.長谷川伸の戯曲,番場の忠太郎で有名になった.蓮華寺には,忠太郎地蔵のほか,北条仲時をはじめとする南朝430名もの墓域がある.
"草津、馬場、大津をお通りになって逢阪をお越しあそばし"(水戸光圀卿)
忠太郎地蔵 2016
摺鉢峠 すりばちとうげ 近江八景(豆たぬき, 登美屋書店(1910)) 彦根市中山町 磨針峠(すりはりとうげ)が正しい.番場宿からの山中を通っていた中山道から,突然琵琶湖の眺望が広がる.
"江州で御座います、摺鉢峠の絶頂から下を見下ろしますと、足元に近江八景が見えるといふ誠に景色のよい所で"(近江八景)
磨針峠望湖堂あと 2016
神敬丸 しんけいがん 第一回(走り餅)(滑稽伊勢参宮, 駸々堂 (1895)) 彦根市鳥居本町 赤玉神教丸(しんきょうがん)が正しい.中山道鳥居本宿に本店.有川家住宅として国重文に指定された.座敷に神教丸の金看板が飾ってある.速記にあるように,大津に出店があった.それを二世曽呂利(当時桂文之助)が宣伝を頼まれたらしい.その結果が,大津名物を並べあげたこの速記なのかもしれない.
"名物といふと算盤に虎屋の針、赤玉神敬丸、それに追分張の煙管"(第一回(走り餅))
神教丸看板 2016
佐和山 さわやま 新籠釣瓶(にっかつ談志:2) 1件1題 (東京1件) 彦根市佐和山町あたり 東海道線から城跡の看板が見える.石田三成軍は関ヶ原の戦に敗れ城は破却,死屍累々.以後,彦根城に中心が移る.佐和山城へは西麓の龍潭寺境内から上る(日中のみ開放).
"江州佐和山にて滅亡せし石田の名臣、島左近友之が所持せりと伝わる"(新籠釣瓶)
佐和山城址 2016
彦根 ひこね 柳田角之進(旺国馬生3:09)など 5件3題 (東京3件, 上方2件) 彦根市 彦根藩井伊家35万石.家臣に柳田格之進.天守は国宝.城の西,京橋の通りを町屋として整備している.
"江州の彦根、ここに柳田角之進という方がございまして"(柳田角之進)
彦根城天守閣 2003
高宮川 たかみやがわ 高宮川天狗酒盛(伊勢参宮神賑,青蛙房 (2014)) 彦根市高宮町か 上方の旅ネタ「高宮川」の舞台だが,高宮川自体は見当たらない.無銭飲食の旅人が木の上に隠れていると,木の下で盗賊が金勘定を始める.天狗のマネをして盗賊を追い払い,金を横取りするというのが大あらすじ(→ 絶滅危惧落語「高宮川」).実在する高宮は中仙道の宿で,天狗が出るような山深いところではない.
"道を間違(まちご)たような。大きい川が出て来て、高宮川と書いた棒杭が立ってる"(高宮川天狗酒盛)
多賀神社大鳥居 1997
多賀神社 たがじんじゃ お多賀さん(青圓生14:08) 1件1題 (東京1件) 犬上郡多賀町 伊勢へ参らばお多賀へ詣れ,お伊勢お多賀の子でござる.確かにすごい文句.境内に寿命石があり,新作落語「お多賀さん」のテーマである延命長寿とつながる.
"多賀の神さまは延命長寿をお授けになるということですが、ちがいますか"(お多賀さん)
多賀大社 1997
大深 おおぼか お多賀さん(青圓生14:08) 1件1題 (東京1件) 犬上郡多賀町か 「お多賀さん」は菊田一夫作.原作原稿にも大深とある.多賀町には大岡があるが大深(おおぼか)はわからなかった.
"多賀神社のそばに、大深という村がありまして"(お多賀さん)
大岡を望む 1997
愛知川 えちがわ 九州吹き戻し(三一談志5:03) 1件1題 (東京1件) 愛知郡愛荘町 旧愛知川町.中山道の宿,愛知川.このあたり番場の忠太郎(番場宿),法界坊(鳥居本宿)などの出身地がならぶ.
"近江愛知川では"蓮葉""(九州吹き戻し)
愛知川宿北入口碑 1997
観音寺城 かんのんじじょう 狐の仇討(近代文藝捕物:02) 1件1題 (上方1件) 近江八幡市安土町石寺 近江源氏佐々木氏の居城.全山が城跡で本丸近くには水をたたえた太夫の井戸がある.桑実寺は通り抜け有料.
"私の御先祖様は、観音寺城の城主、佐々木六角氏に大層可愛がられて"(狐の仇討)
観音寺城平井丸石垣 2003
安土 あづち 蒟蒻問答(講明治大正3:08)など 4件2題 (東京4件) 近江八幡市 旧蒲生郡安土町.「蒟蒻問答」にちなみ,安土問答の用例.信長の発意で,浄土宗−日蓮宗間の安土問答が浄厳院で行われた.浄厳院(安土町慈恩寺)は安土駅から1kmほど.
"天正信長の折安土に有りましたのを安土問答"(蒟蒻問答)
浄厳院 2003
安土城 あづちじょう 蒟蒻問答(講落語全集1:02)など 3件1題 (東京3件) 近江八幡市安土町下豊浦 安土城内には織田信長の墓もある.安土巡りはレンタサイクルが便利.
"天正元年に信長が安土の城内で行いましたのが安土問答"(蒟蒻問答)
安土城黒金門 1997
長命寺 ちょうめいじ 八問答(騒人名作02:18)など 2件1題 (東京1件, 上方1件) 近江八幡市長命寺町157 西国第31番札所.長く続く石段で有名.「七度狐」だったろうか,狐に化かされて長命寺の石段のつもりで水車を踏む件があった.
"長命寺の石段が、八百八段、狸の睾丸八畳敷"(八問答)
長命寺参道の石段 1997
錦織寺 きんしょくじ 宗論(弘文柳枝:08) 1件1題 (東京1件) 野洲市木部826 「宗論」本文にあるとおり,浄土真宗木辺派の本山.野洲駅から1時間ごとに出るバスで参拝した.
"浄土真宗というお宗旨でございます(中略)錦織寺に仏光寺と、これが代表的な、派でそうでございます"(宗論)
錦織寺 1997
三上山 みかみやま 矢橋船(創元米朝1:14)など 3件2題 (東京1件, 上方2件) 野洲市三上 標高432m.琵琶湖南岸からよく目立つ近江富士.俵藤太の大ムカデ退治の地で,巨大なムカデはあの山を7巻き半という.ハチ巻にはちと足らない.
"あら三上山、一名むかで山といいます"(矢橋船)
三上山 1997
目川 めがわ 播州巡り(三一上方2:06) 1件1題 (上方1件) など 栗東市目川あたり 「播州巡り」に出てくる馬賀(めが)は誤り.菜飯田楽で有名な目川(めがわ)を指す.草津駅から2kmほど.
"馬賀の田楽、鞠子のとろろ"(播州巡り)
菜飯田楽の銘板 1997
石部 いしべ 胴乱幸助(講昭和戦前2:01)など 12件4題 (東京4件, 上方8件) 湖南市石部中央あたり 東海道の宿.「胴乱の幸助」に出てくるのは浄瑠璃の稽古,「桂川連理柵」,嫁いびりの場.もめ事の原因はお伊勢詣りの帰路,石部宿でのお半長右衛門の密通.草津線石部駅から徒歩.
"伊勢詣りの下向道に、石部の宿で隣の信濃屋の娘のお半という者と泊り合せて"(胴乱幸助)
石部宿本陣あと 1997
石部:出羽屋 でわや どうらんの幸助(創元米朝5:09)など 6件3題 (上方6件) 湖南市石部中央 お半長右衛門出会いの宿屋が石部の出羽屋.確か駐車場になっていた.
"お伊勢参りの下向道、石部の宿の出羽屋というところへ泊まり合わせたところ"(どうらんの幸助)
     
水口 みなくち 第参回(軽石屁)(滑稽伊勢参宮, 駸々堂 (1895))など 甲賀市 旧甲賀郡水口町.意欲的な土山宿と異なり,水口宿は宿場としての案内はほとんどない.明治期の『滑稽伊勢参宮』や「高宮川」で登場.近江鉄道,水口石橋駅から徒歩.
"これから水口までいくらでやってくれる。ヘイモウ高いことは申しません"(軽石屁)
水口城址 2003
大野 おおの 播州巡り(三一上方2:06) 1件1題 (上方1件) 甲賀市土山町大野 土山〜水口間の間の宿.噺にある通り,焼鳥が有名だった.鳥にゆかりといえば,写真は布引山を歌う鴨長明の歌碑.あらしふく雲のはたてのぬきをうすみ むらきえ渡る布引の山.
"大野の焼鳥、津の杓子餅"(播州巡り)
鴨長明歌碑 2003
土山 つちやま 御神酒徳利(旺文鑑賞2:05) 1件1題 (東京1件) 甲賀市 旧甲賀郡土山町.東海道土山宿.大黒屋本陣は碑のみ,土山氏本陣は明治天皇行在所.
"相の土山雨となり"(御神酒徳利)
土山氏本陣 2003
日野 ひの 狐の仇討(近代文藝捕物:02) 1件1題 (上方1件) 蒲生郡日野町 新作落語1件に登場.諸国へ出向いて行商を行った日野商人の用例で,この商人館(有料)や日野商人像などがある.近江鉄道日野駅からやや離れたところに市街がある.
"日野商人言うたら、天びん棒行商で"(狐の仇討)
日野商人館 2003
日野城 ひのじょう 狐の仇討(近代文藝捕物:02) 1件1題 (上方1件) 蒲生郡日野町 日野城は大野城と通称される.蒲生氏郷が居を構えていた.関ヶ原の戦い後に廃城となり,日野は市橋氏の仁正寺藩支配となる.堀,土塁や大手門跡に大野城址碑が残る.
"日野城の殿さんやってはった蒲生氏郷が伊勢へ移って"(狐の仇討)
日野城址 2003
草津 くさつ 矢橋船(創元米朝1:14)など 5件3題 (東京3件, 上方2件) 草津市 東海道の宿場.本陣は整備保存されている.草津川はひどい天井川で,写真のように道路は川の下をくぐる.
"東海道の草津から大津まで、陸路を歩きますと三里あまり"(矢橋船)
草津川堤防と道標 1997
姥ヶ餅 うばがもち 指南書(講落語全集2:12)など 4件2題 (東京3件, 上方1件) 草津市矢倉2 草津銘菓姥ヶ餅.国道沿いに移転して大規模に展開している.白いぽっちのついた餡ころ餅で,乳房をかたどっている.姥ヶ餅屋の旧地には矢橋道の道標が建つ.「指南書」には姥ヶ餅のほか,走井餅(京都府)もでてくる.
"名物姥が餅、ここで折詰を一つ拵えさして、それを提げてテクテク帰って参りました"(指南書)
うばがもち 2016
野路の玉川 のじのたまがわ 芝居風呂(不二演藝画報復刻:08)など 3件2題 (東京3件) 草津市野路町 六玉川の一つ.東海道沿いのわき水.こじんまりと整備されている.萩の名所で,碑には,明日も来む野路の玉川萩越えて色なる浪に月宿りけり(千載集)の歌が彫られている.
"心なき人は乗せまじはだか馬、野路の玉川秋の夕暮"(芝居風呂)
野路の玉川 1997

掲載 031207/最終更新 240401

   表の項目の説明

HOME >> はなしの名どころ >> prev 滋賀県 next