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滋賀県 その2   
圓朝地名図譜
「……近江八景全部詠み込んで呉れたら、無料(ただ)ぁ乗せますよ……」
”乗せたから先は あわづか只の駕籠
  平石山や 馳せらせてみい”
 (立川談志(5) 「蜀山人」)
  立川談志,『立川談志独り会』 第5巻,三一書房(1995)

地点名 この1題・登場回数 位 置 備 考 写真と撮影年
近江八景 おうみはっけい 近江八景(講明治大正4:44)など 33件18題 (圓朝3件, 東京19件, 上方11件) 大津市,草津市 日本各地の八景の中で,一番有名なのが近江八景.落語にもずばり「近江八景」と題する手紙の内容を辻占する噺がある.冒頭の引用は狂歌三十一文字に近江八景を読み込んだ.さらに短い17文字の川柳は,"七景は霞の中に三井の鐘".
"お前さん八卦見八卦見というが近江八景で易を見たことは無いね"(近江八景)
近江八景・琵琶湖八景 2022
矢橋 やばせ 矢橋船(創元米朝1:14)など 20件8題 (圓朝2件, 東京10件, 上方8件) 草津市矢橋町 近江八景の一つ.矢橋の帰帆.湖水を渡って行く「矢橋船」という落語では実舞台となる.琵琶湖畔近くに常夜燈が残っている.
"草津の宿から矢橋まで出てきてそこから船に乗る"(矢橋船)
矢橋常夜燈 1997
石山寺 いしやまでら 掛取万歳(青圓生01:04)など 17件7題 (圓朝1件, 東京12件, 上方4件) 大津市石山寺1-1 西国三十三ヶ所第13番札所.石山寺の秋の月.天然記念物の巨大な珪灰石がそびえる.石灰石が熱変成した物.石山寺の月は近江八景の一つ.
"今年も過ぎて来年の、あの石山の秋の月"(掛取万歳)
石山寺珪灰石 1997
瀬田 せた 近江八景(講明治大正4:44)など 10件6題 (圓朝1件, 東京5件, 上方4件) 大津市瀬田あたり 近江八景の一つ,瀬田の夕照.琵琶湖尻の戦略拠点で,唐橋は古来から戦いのたびに破却されてきた.
"どう瀬田いは廻しかねる。これは粟津に晴嵐がよかろう"(近江八景)
瀬田夕照モニュメント 2014
瀬田の唐橋 せたのからはし 兵庫船(三一上方2:09)など 9件6題 (圓朝1件, 東京3件, 上方5件) 大津市唐橋町〜瀬田 俵藤太にムカデ退治を依頼する龍王との出会いの場.ムカデの敵薬,唾をつけて眉間を射抜く.二の矢のうがちが,小咄「俵藤太」.傷みやすい餅を持ち歩く「指南書」では実舞台となる.
"破れた財布に、お銭が一ぱい、瀬田の唐橋、膳所が見える"(兵庫船)
瀬田の唐橋 2008
瀬田:龍王宮 りゅうおうぐう 藤太の俵(化かされ侍, 三月書房 (2006)) 大津市瀬田2 新作落語,「藤太の俵」に瀬田川,秀郷社とともに登場.瀬田の唐橋南西詰.この鳥居の奥に龍王宮と秀郷社がある.
"瀬田の唐橋の袂に龍王宮と秀郷社が二つ並んで祀られております"(藤太の俵)
龍宮の鳥居 2008
瀬田:秀郷社 ひでさとしゃ 藤太の俵(化かされ侍, 三月書房 (2006)) 大津市瀬田2 ムカデ退治の俵藤太藤原秀郷を祀る秀郷社が左,龍王宮が右になる.
"瀬田の唐橋の袂に龍王宮と秀郷社が二つ並んで祀られております"(藤太の俵)
秀郷社と龍王宮 2008
粟津 あわづ 源平盛衰記(講昭和戦前1:18)など 19件5題 (圓朝1件, 東京15件, 上方3件) 大津市晴嵐あたり 近江八景の一つ,粟津の晴嵐.マツがちょぼちょぼ残っていた.義仲寺には(有料),木曽義仲と芭蕉墓がある.歌のとおり,2つの墓は背中合わせと信じて行ったら離れていた.歌の徳.
"六万余騎を率いて都へ乗り込んで、粟津の一戦に義仲を滅ぼし"(源平盛衰記)
粟津 1997
膳所 ぜぜ 近江八景(講明治大正4:44)など 16件6題 (圓朝1件, 東京7件, 上方8件) 大津市膳所あたり 膳所神社表門は膳所城門の移築.膳所が出てくるのは,どれもゼゼがない噺ばかり.
"近江八景には……膳所はない"(近江八景)
膳所神社表門 2003
膳所城 ぜぜじょう 掛取万歳(青圓生01:04)など 6件2題 (東京5件, 上方1件) 大津市本丸町 琵琶湖に突き出た水城.膳所藩の城として幕末まで存在した.現在は公園として整備され,園内には城址碑がある.
"膳所はなし、城は落ち、堅田に落つる雁の"(掛取万歳)
膳所城址 2003
琵琶湖 びわこ 嘘つき村(筑摩古典05:13)など 29件14題 (東京23件, 上方6件) 滋賀県 碑の明智左馬之助湖水乗っ切りは,講談ネタ.「うそつき村」では洗濯タライにされてしまうが,琵琶県と言いたくなるほどの存在感.
"洗濯物がたまったからねェ、近江の湖水へ洗濯に行ったィ"(嘘つき村)
明智左馬之助湖水渡碑 1997
大津 おおつ 瘤弁慶(三一上方2:28) など 50件21題 (圓朝件, 東京28件, 上方22件) 大津市 滋賀県県庁所在地.壁に塗り込められた大津絵の弁慶を食ってしまう「瘤弁慶」,「半分垢」の帰路,「京見物」の前哨戦といったところで登場する.大津絵の題材は,七つ道具をかついだ弁慶のほか,鬼の念仏,瓢鯰,槍持奴など.
"大津の宿、岡屋半左衛門方で一泊いたしました"(瘤弁慶)
大津絵弁慶七つ道具 1997
大津:石場の渡 いしばのわたし 第二回(小烏丸)(滑稽伊勢参宮(1895)) 大津市 琵琶湖の渡し場.石場の常夜燈は道路の真ん中から湖岸の公園に移設されている.弘化2(1845)年の銘がある.
"それから石場の渡へやッて参ります"(第二回(小烏丸))
石場常夜燈 1997
大津:札の辻 ふだのつじ 第一回(走り餅)(滑稽伊勢参宮(1895)) 大津市 大津の中心地.高札場や人馬会所があった.近くでは道路元標が置かれた場所になる.
"侍はしゃっくりで困りながらも歩いているうちに、ハヤ大津の札の辻までやッて参りました"(第一回(走り餅))
札の辻大津市道路元標 2014
山伏の里 やまぶしのさと 指南書(講落語全集2:12) 1件1題 (東京1件) 大津市か 不明.
"ようようやって参りましたのは山伏の里"(指南書)
     
三井寺 みいでら 近江八景(講明治大正4:44)など 13件8題 (圓朝1件, 東京8件, 上方4件) 大津市園城寺町246 西国三十三ヶ所第14番札所.三井寺の鐘は近江八景の一つ.
"お前は一目三井寺より、我が持ち者にしようと心は矢橋に早るゆえ"(近江八景)
三井寺観音堂 1997
三井寺:鐘 かね 掛取万歳(青圓生01:04)など 10件4題 (東京7件, 上方3件) 大津市園城寺町246 近江八景の一つ.三井寺の晩鐘.寺には,これとは別に弁慶の引きずり鐘もある.弁慶が奪い去り,比叡山まで引きずりあげたところ,三井寺に"去のう"と鳴ったという.ほかにも不思議を起こす鐘として知られている.
"三井寺の、鐘を合図に。きっと勘定いたすろ申すか"(掛取万歳)
三井寺の鐘 1997
蝉丸神社 せみまるじんじゃ 祇園会(騒人名作06:03)など 2件1題 (東京2件) 大津市逢坂2,大谷町 関蝉丸神社.坂上の分社をはじめ,3社がある.もともと猿田彦命と豊玉姫命を祭神としていたが,逢坂山に住んでいた蝉丸も祀られるようになった.いちばん下の関清水蝉丸神社には関の清水,音曲芸道祖神碑がある.歌人で琵琶法師の祖とされる蝉丸は謎の人物で,百人一首の坊主めくりでも,蝉丸の札だけ即死とか全取りとかの特別ルールが設けられている.
"この山で歌を詠んだ。これがその蝉丸様の社だ"(祇園会)
蝉丸神社分社 1997
逢坂の関 おうさかのせき 辻占茶屋(講小文枝:02) など 5件4題 (圓朝1件, 東京3件, 上方1件) 大津市大谷町あたり 関址の碑がある.逢坂の関は関寺あたりともいう.蝉丸の歌,"これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関"で知られる.それをもじった,"大阪の関",関一市長(在職1923-35)は中之島公園に銅像が立っている.
"可愛い男に逢坂の関よりつらい世の習い"(辻占茶屋)
逢坂山関址碑 1997
走井 はしいり 走り餅(続々珍品復活上方落語選集, 燃焼社(2003)) 大津市大谷町 東の旅の「走り餅」に登場.大津名物の走井餅を食べてしゃっくりが止まらなくなるという噺.現在,県境近くの月心寺に走井が残る.茶店の跡もこの地.
"この道を下りる途中に、『走井の水』という井戸があって、ええ水が湧いてる"(走り餅)
月心寺走井 1997
走井餅 はしりいもち 指南書(講落語全集2:12)など 2件2題 (東京1件, 上方1件) 大津市大谷町 今も買うことができるが,昔と同じかどうかはわからない.手作りの餅は宵に食え,が「指南書」.餅の写真は姥ヶ餅の項.大谷駅そばに元祖走井餅本家の碑がある.
"走り餅を食おうと思うておりましたが、話をして歩いている間に忘れてしまいました"(指南書)
走井餅包み紙 1997
逢坂山 おうさかやま 反故染め(講古典上方艶:21) など 9件5題 (圓朝1件, 東京5件, 上方3件) 大津市大谷町あたり 逢坂山(325m)の南麓斜面を呼ぶ.「反故染め」,逢坂山のさねかづらの用例.人こそしらね乾く間もなし.
"え、上前が『逢坂山のさねかづら』"(反故染め)
逢坂山を望む 1997
比叡山 ひえいざん 矢橋船(創元米朝1:14)など 13件6題 (東京7件, 上方6件) 大津市,京都府京都市 比叡颪や山尽くしなどを比叡山に分類.その他は比叡山でも延暦寺にカウントした.
"あの高い山は。比叡のお山どす。ヒエー"(矢橋船)
比叡連峰 2003
延暦寺 えんりゃくじ 瘤弁慶(三一上方2:28)など 23件13題 (東京13件, 上方10件) 大津市坂本本町 弁慶がらみの用例が多い.弁慶水は東塔から西塔へ向かう道端に現存する.中をのぞくと,石組みから水が湧いていた.
"京都比叡山に登り、観慶阿闍利の弟子となり"(瘤弁慶)
弁慶水 2014
延暦寺:東塔 とうとう 橋弁慶(講明治大正3:23) 1件1題 (東京1件) 大津市坂本本町 延暦寺東塔(とうどう).延暦寺発祥地で,アクセスもよい.根本中堂一帯は団体客が多いが,最澄草庵を受け継ぐ本願堂や栄西修行地,別当墓所から浄土院へ抜ける道は,誰にも出会わなかった.
"比叡山には三千坊の跡があります(中略)これを東西南北に分けまして南塔西塔北塔東塔といたす"(橋弁慶)
延暦寺本願堂 2003
延暦寺:講堂 こうどう 下女の出かはり(珍品復活上方落語選集 続, 燃焼社 (2002)) 大津市坂本本町 中堂・講堂ともに比叡山東塔の建物.講堂は僧侶の学問の場.セチベンな商家と違って,毎食お粥を食べているわけではない(→ 絶滅危惧落語「下女稲荷」).何回も焼失しており,今の建物は,1964年に讃仏堂を移築したもの.国重文.本尊の大日如来,日蓮・道元・栄西など延暦寺で修行した宗祖の木像が祀られている.
"朝がお粥、昼がお粥、晩がお粥。中堂、講堂、粥三度。全て叡山みたいでおます"(下女の出かはり)
延暦寺大講堂 2014
延暦寺:西塔 さいとう 梅の春(講明治大正6:54) など 7件5題 (東京5件, 上方2件) 大津市坂本本町 東塔の北.ここから弁慶は,夜ごと都へ腕だめしに出かけた.2つのお堂が廊下でつながった担い堂は,怪力の弁慶がかついだ.比叡山ならぬ東叡山寛永寺にもよく似た堂があった.
"その昔御曹子牛若丸、西塔武蔵坊弁慶に初めて出遭ったという"(梅の春)
担い堂 2014
延暦寺:北塔 ほくとう 橋弁慶(講明治大正3:23) 1件1題 (東京1件) 大津市坂本本町 横川(よかわ)のこと.恵心堂は,恵心僧都が往生要集をまとめた念仏発祥の地.ここまで来るとさすがに静か.
"比叡山には三千坊の跡があります(中略)これを東西南北に分けまして南塔西塔北塔東塔といたす"(橋弁慶)
横川恵心堂 2003
延暦寺:南塔 なんとう 橋弁慶(講明治大正3:23) 1件1題 (東京1件) 大津市坂本本町か 不明.西塔以外はすべて「橋弁慶」の1件のみ.東塔南塔北塔西塔,弥陀の浄土へ.
"比叡山には三千坊の跡があります(中略)これを東西南北に分けまして南塔西塔北塔東塔といたす"(橋弁慶)
     
日吉大社 ひよしたいしゃ 島鵆沖白浪(滑稽堂 (1883))など 大津市坂本 全国の日吉,日枝,山王神社の総本宮.他の用例とあわせて,日吉大社に統一した.平安京の鬼門にあたり,比叡山東麓に位置する.日本一長い比叡山鉄道ケーブル坂本駅を降りたら歩いて参拝できる.「小噺 十二支裏話」に出てくるお使い猿は,魔除けの神猿(まさる)と呼ばれる.楼門の垂木のところにも猿が屋根を担いでいる猿の彫刻があった.
"日枝、鞍馬、高雄、三井寺、加茂、祇園洛中洛外の諸寺諸山に"(島鵆沖白浪)
日吉大社山王鳥居 2014
滋賀寺 しがでら てるてる坊主(私刊清水一朗:04) 1件1題 (東京1件) 大津市滋賀里甲 崇福寺.天智天皇勅願寺.金堂などの礎石が発掘されている.滋賀寺は別名.『太平記』の一角仙人が,噺に出てくる滋賀寺の鳴神につながった.
"近くは滋賀寺の上人さえ、六条の御息所に心をかけ"(てるてる坊主)
崇福寺跡 2003
唐崎 からさき 節分(弘文柳枝:18)など 20件8題 (圓朝4件, 東京11件, 上方5件) 大津市唐崎あたり 近江八景の一つ.唐崎の夜雨.唐崎神社に植えつがれた唐崎の松がある.
"このごろ端唄に凝ってるんだってねェ(中略)梅にも春と致します。松は唐崎と願います"(節分)
唐崎の松 1997
雄琴 おごと 土耳古息子(新潮新作:06) 1件1題 (東京1件) 大津市雄琴 歓楽街の用例.雄琴温泉の南,苗鹿の一画に忽然と不夜城が現れる.無料案内所もございます.
"滋賀を雄琴、大阪をミナミ"(土耳古息子)
不夜城雄琴 2003
堅田 かただ 近江八景(青圓生12:15)など 16件4題 (圓朝2件, 東京10件, 上方4件) 大津市本堅田あたり 近江八景の一つ.堅田の落雁.駅名は"かたた".淡海節や家庭喜劇で名を残した喜劇役者,志賀廼家淡海(1883〜1956)の顕彰碑が駅前にあった.
"文も矢橋の通い路に、心堅田の雁ならで"(近江八景)
志賀廼家淡海顕彰碑 2008
浮御堂 うきみどう 近江八景(講明治大正4:44)など 9件2題 (東京7件, 上方2件) 大津市本堅田1 1937年の再建.拝観有料.浮いていると言うよりコンクリの土台に乗っている.がっかり名所,と書いたがとんでもない.湖上に浮いたお堂から湖を眺めると実に爽快だった.
"お前の気がそわそわ……と浮見堂"(近江八景)
浮御堂 2008
蓬莱山 ほうらいさん 初夢(講明治大正2:21) 1件1題 (東京1件) 大津市 標高1174m.隣の打見山頂へのロープウェイがあり,大津市側はスキー場になっている.
"ここは竹生島で蓬莱山が向こうに見えます"(初夢)
蓬莱山を望む 1997
比良 ひら がまの油(青圓生13:15)など 37件13題 (圓朝3件, 東京22件, 上方12件) 大津市 近江八景の一つ."比良の暮雪は雪降りの形"は,「蟇の油」「高田馬場」の口上でも.
"春は三月落花の形、比良の暮雪は、ふゥ…ッ、雪降りの形だ"(がまの油)
雪の比良山系 2016
海津 かいづ 避暑旅行(新撰落語 福, 博文館 (1900)) 高島市マキノ町海津 湖北の港町.奥州へ落ち行く義経一行も上陸した.鶯亭金升の明治時代の新作落語に登場する.義経隠れ岩はマキノ駅から2km強.
"いざ言問わん都鳥海津の浦にぞ着きにけると唄になる"(避暑旅行)
義経隠れ岩 2005
壬生村 みぶむら 釜どろ(立名人名演03:06) 1件1題 (東京1件)   五右衛門を茹でる釜を提供したとの説明.不詳.
"頭五右衛門さま(中略)江州壬生村の豆腐屋勘兵衛のところに、大きな釜があったので、それを持ってきて、頭は茹でられてしまった"(釜どろ)
     
大川 おおかわ 狼講釈(三一上方2:12) 1件1題 (上方1件)   五目講釈の一節.四方の山々雪解けて水嵩まさる滋賀の大川.平井保昌と関連するらしい.
"四方の山々雪解けて、水嵩まさる滋賀の大川"(狼講釈)
     

掲載 040107/最終更新 240401

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