HOME >> はなしの名どころ >> prev 京都府 next
京都府   
圓朝地名図譜
死骸を直クに谷底へ はね込蹴込ム泥まぶれ はねは我身にかゝる共しらず立たる後より 逸散にくる手負猪是はならぬと身をよぎる かけくる猪は一もんじ
(「仮名手本忠臣蔵」 山崎街道の段)

 □ イヨーどうするどうする  
 □ アーラやるまいぞやるまいぞ
 
地点名 この1題・登場回数 位 置 備 考 写真と撮影年  
山城 やましろ 猫の忠信(講明治大正4:30) など 16件8題 (圓朝3件, 東京10件, 上方3件) 京都府 京都の北,山城の落語地名から保津川まで下り,京都市西郊から宇治,山城の落語地名を訪れる.
"人皇六十二代村上天皇の御宇山城大和の二ヶ国に田鼠というて田畑を荒らす鼠住みしが"(猫の忠信)
     
丹波 たんば 貝野村(三一上方1:18) など 38件21題 (圓朝2件, 東京14件, 上方22件) 京都府,兵庫県 旧国名.名物は丹波栗に,丹波の黒豆.黒つながりで丹波の荒熊.全身を真っ黒に塗った男とそれを引っ張る二人組の乞食.丹波の篠山,荒熊でござーいの口上で,熊男がウエーイと吠える.
"走った、走った、丹波の山めがけて走りました"(貝野村)
     
丹後半島 たんごはんとう 知ったかぶり(角川中島らも1:10) 1件1題 (上方1件) 京都府 見ていないのに知ったかぶりな物言いだが,伝統的建造物群保存地区の伊根の船屋を海からながめるツアーもある.家の1階が艇庫になっている.静かな内湾だからできること.
"井上と一緒にね、大阪から丹後半島まで"(知ったかぶり)
伊根の船屋 2003
峰山 みねやま 兵庫船(三一上方2:09) など 2件1題 (上方2件) 京丹後市峰山町 山尽くしで登場する.丹後ちりめんの集散地.国道の1本北に道路元標,さらに北200mに丹後縮緬始祖森田氏碑が立っている.森田治郎兵衛の墓はその向かいの寺にある.
"丹後の峯山"(兵庫船)
丹後ちりめん始祖碑 2003
水江 みずのえ 竜の都(三一上方2:26) など 5件2題 (東京1件, 上方4件) 与謝郡伊根町本庄 「竜宮界」のセリフ,丹後の国は与謝郡水江の里の浦島殿.水江は日本最古の浦島伝説の地.浦嶋神社で絵巻,玉手箱の絵解きをしてくれる.
"丹後の国は与謝郡水江の里の浦島殿に候わずや"(竜の都)
浦嶋神社蓬山の庭 2003
天の橋立 あまのはしだて 三保の松原(講明治大正3:11) 1件1題 (東京1件) 宮津市 日本三景の一つ.名水百選の磯清水や日本三文殊の智恩寺がある.南側からの昇龍観や,北側の笠松公園・西国二十八番札所成相寺からの斜一文字の股覗きが,代表的なビューポイント.よくぞこんな細い砂嘴が残ったもの.
"日本の三景は、芸州で宮島丹戸で橋立奥州の松島"(三保の松原)
昇龍観 2003
大江山 おおえやま 試し酒(青小さん2:09) など 19件15題 (圓朝1件, 東京17件, 上方1件) 福知山市 旧加佐郡大江町.酒呑童子の故郷.大江山は子鬼の人形だらけだった.鬼の岩屋は2ヶ所あり,鍋塚北の加悦町境のものに行った.
"大江山てえ山があってな、酒顛童子てえのが住んでただよ"(試し酒)
大江山鬼のモニュメント 2003
福知山 ふくちやま 兵庫船(三一上方2:09) など 4件3題 (上方4件) 福知山市 山尽くしで登場する.今でも町に力を感じる.福知山城天守は再建だが,豊磐井が現存する.火除地の広小路が中心地になる.
"丹波の福知山で"(兵庫船)
福知山城 2003
園部 そのべ 口入屋(三一上方1:19) など 4件2題 (上方4件) 南丹市 旧船井郡園部町.お女中衆やお乳母さんを輩出する.京都から約1時間で着く.そこからは市街をかすめるバスしか利用できない.城下町だが,ちょっと歩くだけで立派な作りの農家が現れる.
"この前丹波の園部から、おもよどんというおなごが来ていたんや"(口入屋)
園部の民家 2004
貝野村 かいのむら 貝野村(三一上方1:18) など 7件1題 (上方7件) 京都府:架空 別嬪のおもよどんの出身地.洗顔の習慣がないのが玉にキズ.
"丹波の貝野村から女中を一人連れてまいりました"(貝野村)
     
へっころ谷 へっころだに 山崎屋(青圓生08:06) など 3件1題 (東京3件) 京都府:架空 山形県にもへっころ谷がある.
"中には丹波の国のへっころ谷なんてえ処から花魁が来ることもある"(山崎屋)
     
馬堀 うまほり 駅名読み込み川柳大会(牧野駅名:1) 1件1題 (東京1件) 亀岡市篠町 「駅名読み込み川柳大会」に出てくる十二支のつく駅名.旧山陰本線を利用したトロッコ列車,嵯峨野観光鉄道への乗り換え駅になる.
"馬堀で京都へ降りる支度をし"(駅名読み込み川柳大会)
JR馬堀駅 2004
保津川 ほつかわ 宇治の柴船(騒人名作07:16) 1件1題 (上方1件) 亀岡市あたり 亀岡からの保津峡下り,またはトロッコ列車で保津川を見おろす旧山陰本線をたどる.川面にはカヌーイストもいる.市街からわずかで来られる秘境.
"宇治川を渡す船は、丹波の保津川下りの船と同じこと、底がペコペコで竿は、竹竿"(宇治の柴船)
保津峡 2004
柳谷の観音 やなぎだにのかんのん 景清(創元米朝2:03) など 6件2題 (上方6件) 長岡京市浄土谷堂ノ谷2 西山浄土宗楊谷寺.眼病に霊験あることで知られる.目貫師の定次郎が快癒祈願で日参した.山奥なので車でないと行き辛い.月1日だけのバス,奥海印寺から徒歩40分,あるいは霊園バス同乗の裏技.境内に,独鈷水(おこうずい),眼力稲荷などがある.
"わて柳谷の観音さんんへ三七、二十一日の願をかけて日参したん"(景清)
柳谷観音 2004
長岡京 ながおかきょう 代参−供養供養しましょう(桂三枝創作落語大全集, メディアクラフト牡牛座 (2004)) 長岡京市 長岡京市内ではないが,向日市には平安京までのワンポイントリリーフのように短命だった長岡京の大極殿跡などの遺跡がある.
"ヘェヘェやらして頂きますけど、どちらの方へ(中略)長岡"(代参−供養供養しましょう)
長岡京大極殿跡 2008
長岡京:常光寺 じょうこうじ 供養、供養しましょう(レオ三枝5:04) 1件1題 (上方1件) 長岡京市火ノ尾 桂三枝(文枝)の新作で,柳谷の下山途中に描かれている.実際に常光寺が路地の奥にあるが,なぜここが取り上げられたのか不明.
"京都、長岡の常光寺にな、小笠原鉄五郎ちゅう人の墓がある"(供養、供養しましょう)
宝林山常光寺 2004
山崎 やまざき 八卦(講明治大正5:69) など 7件6題 (圓朝1件, 東京6件) 乙訓郡大山崎町 "青葉繁れる桜井の里のわたりの夕まぐれ ♪".楠正成桜井の別れは,水無瀬駅の北にあたる.
"鷹わ死してもほわつまじとたとえにもれし夕月も日かずもつもる山崎の辺りに近きわびすまい"(八卦)
楠公父子訣別之所碑 2009
山崎街道 やまざきかいどう 中村仲蔵(集英圓生3:10) など 16件9題 (東京10件, 上方6件) 乙訓郡大山崎町 すべて「忠臣蔵」五段目 山崎街道の場.「中村仲蔵」「五段目」「能狂言」「軒付け」「五段目の猪」など.与市兵衛の墓と伝える墓は,長岡京駅から1キロほど西へ行った民家の間にある.お軽を祇園に売った金を懐にいれ,山崎街道をとぼとぼ戻る与市兵衛は,ここで定九郎に殺されてしまう.実際は,清誉浄佐という人が,両親の供養のため,高野聖を千人寄宿させたことを記した石碑だという.
"掛け稲がありまして、下手の方に松の立木が二、三本あろうという、山崎街道のこしらえで"(中村仲蔵)
伝与市兵衛墓 2021
天王山 てんのうざん 人形買(三一上方1:02) など 6件3題 (圓朝1件, 東京2件, 上方3件) 乙訓郡大山崎町 淀川にはさまれた要衝.本能寺の変の報を受けた秀吉は,備中高松から中国大返しで京へ戻る.天王山の地で明智光秀と決戦となる.山崎合戦に敗れた光秀は,小栗栖の明智籔で殺される.
"天正十年六月十三日、山崎天王山にて明智方を滅ぼし"(人形買)
天王山を臨む 2008
淀川 よどがわ 三十石宝の入船(講明治大正3:41) など 3件1題 (東京1件, 上方2件) 京都府 「三十石」では伏見直後や府下枚方でも淀川が出てくる.しっかり区別した自信はない.
"船の向きがグイと変わってあれから淀川を下ってくるとたちまち櫂が艪と変わります"(三十石宝の入船)
     
橋本 はしもと 三十石夢の通い路(三一上方2:14) など 6件2題 (上方6件) 八幡市橋本 淀川沿い.中書島とならぶ遊廓.裏から見ると,それらしい作りがまだ残っていた.
"今晩は橋本か中書嶋で久し振りで女郎買をして明日は芝居か噺へでも行ってやろ"(三十石夢の通い路)
大谷川から橋本の町を望む 2002
橋本:つぼや つぼや 三十石(大空SP11:03) 1件1題 (上方1件) 八幡市橋本か 橋本遊廓.お古いはなし.
"ここは橋本のつぼやが裏じゃヨー腕に縒りかけナ漕ぎ出すヤーレヨオイ"(三十石)
     
石清水八幡宮 いわしみずはちまんぐう 人形買い(青圓生10:01) など 9件4題 (東京6件, 上方3件) 八幡市八幡高坊 男山の八幡宮の用例も多い.京阪八幡市駅からケーブルカーが直結している.ここのモウソウチクがエジソンの電球フィラメントの材料に選ばれ,記念碑がある.途中の高良神社を見ただけで八幡宮に参拝せず引き返してしまった『徒然草』に出てくる僧の逸話は身につまされる.人情噺に演題を借りた「双蝶々」の「引窓」は,石清水八幡の山ふもとを舞台にする.
"いまだ男山正八幡宮の幕は鹿の生皮をもって張れり"(人形買い)
石清水八幡宮 2002
木津川 きづかわ 兵庫船(三一上方2:09) など 3件2題 (東京1件, 上方2件) 八幡市〜大阪府島本町 「兵庫船」の川尽くし,山城の木津川.大阪の木津川は「鯉舟」「骨釣り」の舞台になる.
"山城の木津川"(兵庫船)
     
万福寺 まんぷくじ 金明竹(青圓生13:01) など 19件3題 (東京19件) 宇治市五ヶ庄 黄檗宗の大本山,黄檗山万福寺.「金明竹」に登場する金明竹が植えられている.隠元禅師の開基."山門を出れば日本ぞ茶摘みうた"(田上菊舎).下の句は"いくら食べてものんこのしゃあ"とか.キンメイチクは"上野下野道の記 11日目",津久田八幡の項にも載っている.
"黄檗山金明竹ずんど切りの花器"(金明竹)
万福寺卍崩し勾欄 2002
宇治 うじ 長屋の花見(青小さん1:02) など 54件26題 (圓朝2件, 東京36件, 上方16件) 宇治市 宇治と言えば,茶の代名詞.宇治を濃〜く入れてなんていう.もう1つ,ホタルが名物.ロウソクを駆使する宇治の蛍踊りが伝わる(いもりの黒焼き).
"灘ですか、これァ?宇治かと思った"(長屋の花見)
上林茶舗 2007
宇治川 うじがわ 三味線栗毛(青小圓朝:20) など 19件8題 (圓朝1件, 東京15件, 上方3件) 宇治市 「三味線栗毛」の名馬の説明.佐々木高綱と梶原景季による,池月磨墨の先陣争い.「宇治の柴船」では,絵姿女房求めて宇治川の急流へこぎ出す.
"佐々木梶原宇治川で争いしは生月摺墨なぞと申しまして"(三味線栗毛)
宇治川先陣之碑 2002
宇治橋 うじばし 宇治の柴船(青小南:12) など 6件2題 (東京3件, 上方3件) 宇治市宇治 橋中央に張り出した三の間が再現されている.秀吉茶の湯の水をここで汲んだ.それにちなむ行事が行われる.宇治橋断碑は,西岸の橋寺放生院で有料公開される.大化2(646)年,宇治橋が架けられたことを記す,日本最古の碑の一つ.
"宇治橋の下手のへんにな、まだひょっとしたら帰り舟が待っているやら"(宇治の柴船)
宇治橋三の間 2002
花橘 はなたちばな 三十石(青圓生03:01) 1件1題 (東京1件)   不明.清元「喜撰」の文句取りか.地名ではなく花そのもののことだろう.
"県さん・平等院・小島ガ崎・花橘・扇ガ芝・六地蔵・狼谷、まァそこいらはちゃりみたいなもんでござります"(三十石)
     
宇治:菊屋 きくや 宇治の柴船(青小南:12) など 3件1題 (上方3件) 宇治市宇治蓮華5-1 菊家.元禄年間創業の老舗旅館.「宇治の柴船」の若旦那が,ここで静養する.看板に書いてあるご休憩って何? と書いたのに,泊まる前に廃業してしまった.宇治川に面しており,「宇治の柴船」では,裏口から船に乗り込む.
"宇治一番の菊屋という宿屋へと泊まりこみました"(宇治の柴船)
菊家 2002
平等院 びょうどういん 宇治の柴船(青小南:12) など 6件2題 (東京3件, 上方3件) 宇治市宇治 藤原道長の別荘に由来する寺院.鳳凰堂内陣の修復も終わり,鳳翔館の宝物とあわせて拝観できる.この丸窓を通して,遠くから本尊阿弥陀如来のお顔を拝せる造り.もちろん国宝で,一万円札にも十円玉にも値する.
"あおあおとした山々で、平等院から眺めたあの宇治川の景色"(宇治の柴船)
平等院鳳凰堂 2004
平等院:扇が芝 おうぎがしば 三十石(青圓生03:01) など 2件1題 (東京2件) 宇治市宇治 平等院拝観口近くの三角形の芝生.鵺退治で知られる源三位入道頼政自害の地という.埋れ木の花咲くこともなかりしに身のなる果ぞ哀しかりける(頼政辞世).
"県さん・平等院・小島ガ崎・花橘・扇ガ芝・六地蔵・狼谷、まァそこいらはちゃりみたいなもんでござります"(三十石)
扇が芝 2004
県神社 あがたじんじゃ 三十石(青圓生03:01) など 2件1題 (東京2件) 宇治市宇治 平等院もまとめて,ちゃりみたいなものとは圓生師もキツいこと.県神社は6月深夜に行われる県祭が有名.
"県さん・平等院・小島ガ崎・花橘・扇ガ芝・六地蔵・狼谷、まァそこいらはちゃりみたいなもんでござります"(三十石)
県神社 2002
小島が崎 こじまがさき 三十石(青圓生03:01) など 2件1題 (東京2件) 宇治市宇治あたり 宇治橋の下流.佐々木高綱と梶原源太景季,宇治川の先陣争いの地.今はなし.
"県さん・平等院・小島ガ崎・花橘・扇ガ芝・六地蔵・狼谷、まァそこいらはちゃりみたいなもんでござります"(三十石)
     
井出の玉川 いでのたまがわ 蛙茶番(青圓生02:06) など 11件4題 (東京11件) 綴喜郡井手町井出 「蛙茶番」の忍術譲り場.井出の玉川冬枯れて…….赤松満祐が天竺徳兵衛に蝦蟇の妖術を授ける.井出の玉川は,六玉川の一つでもあり,井出の蛙とともに歌に詠まれる.JR奈良線玉水駅から徒歩.
"はて心得ぬ、井出の玉川冬枯れて、げに厳寒のことわりや、梢を払う枝の音"(蛙茶番)
井出の玉川ゆかりの蛙 2002
笠置山 かさぎやま 夫婦幽霊(円朝芝居噺 夫婦幽霊, 講談社 (2007)) 相楽郡笠置町笠置 奈良県境,関西本線笠置駅より徒歩.元弘元(1331)年,倒幕計画が顕れ,三種の神器を携えた後醍醐天皇が笠置山に立てこもったが失敗し,隠岐に流された.後醍醐天皇行在所跡がある.人の力でゆらゆらと動かせるゆるぎ石は,城攻めの際の防備という.
"あたし、京・山城の笠置山へおまいりしようと思うの"(夫婦幽霊)
ゆるぎ石 2007
笠置山:磨崖仏 まがいぶつ 夫婦幽霊(円朝芝居噺 夫婦幽霊, 講談社 (2007)) 相楽郡笠置町笠置 上記の元弘の変で,笠置寺は戦火にかかる.光背だけとなった弥勒菩薩と線刻の虚空蔵菩薩の巨大な磨崖仏がある.拝観有料.辻原登の『夫婦幽霊』の"裏の岩穴"は,胎内くぐりと呼ばれる石積みのことだろう.
"大磨崖仏があってね、その裏の岩穴をくぐると身の汚れが落ちてまっさらなからだに返れるんだとさ"(夫婦幽霊)
虚空蔵菩薩磨崖仏 2007

掲載 040917/最終更新 210901

   表の項目の説明

HOME >> はなしの名どころ >> prev 京都府 next