大阪市 |
地点名 |
この1題・登場回数 |
位 置 |
備 考 |
写真と撮影年 |
大坂三郷 |
おおさかさんごう |
雁風呂(講明治大正2:22) など 7件5題 (東京7件) |
大阪市 |
天満組,北組,南組の大坂中心市街.堀江のあたりなど,ずいぶん区分けが入り組んでいる.
"私は驕奢にふけり大坂三郷御構いに相成りましたる、淀屋橋の町人淀屋辰五郎と申しまする者でございます"(雁風呂) |
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大阪市 |
おおさかし |
失業者(白川小春団治:06) 1件1題 (上方1件) |
大阪市 |
1889(明治22)年の市制施行当時は,わずか東西南北4区だった.1925年には,ほぼ現在の市域に拡張している.2020年には大阪市を特別区に改める大阪都構想が,2回目の住民投票によって僅差で否決された.
"大阪市も近ごろ、急速な発達をいたして、現在では東洋第一の経済都市で"(失業者) |
大阪市章澪つくし |
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2023 |
大川 |
おおかわ |
船弁慶(三一上方1:31) など 25件13題 (上方25件) |
大阪市 |
「百年目」では桜宮の花見,「船弁慶」「遊山船」では難波橋あたりの夕涼み.「三十石」の終着点は八軒家.八軒家の対岸,天満公園に三十石舟唄碑がある.
"さア大川へ出てきた、他の連中はもう先に船に乗って待ってるのや"(船弁慶) |
大川春景 |
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2010 |
淀川 |
よどがわ |
商売根問(講ス文庫上方:043) 1件1題 (上方1件) |
北区,福島区,此花区〜東淀川区,淀川区,西淀川区 |
この淀川は,中津川を改修拡幅した淀川放水路のこと.1907年に完成した.
"あの淀川を渡ったとことが十三でんねん"(商売根問) |
淀川 |
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2007 |
北区 |
地点名 |
この1題・登場回数 |
位 置 |
備 考 |
写真と撮影年 |
三番 |
さんばん |
大阪名所 四季の夢(三一上方2:31) 1件1題 (上方1件) |
北区中津1-11 |
三番の萩として登場する.これは東光院萩の寺のこと.豊中市南桜塚1-12へ移転している.旧地(中津1-11)には萩之橋を示す碑が立っている.
"三番の萩を見て来よう"(大阪名所 四季の夢) |
萩之橋碑 |
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2007 |
朝妻 |
あさづま |
大阪名所 夫婦喧嘩(三一上方2:15) 1件1題 (上方1件) |
北区 |
三番の入口にあった貸席.後発の明治期創業だが,他の茶屋をしのぐ人気が出た.
"朝妻からところを車茶屋"(大阪名所 夫婦喧嘩) |
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済生会病院 |
さいせいかいびょういん |
宇宙鯖(角川中島らも1:11) 1件1題 (上方1件) |
北区芝田2-10 |
明治天皇の下賜金により,貧困者の医療福祉のために設立された病院.現在,済生会中津病院という.病院の前に,命を救う意味の"濟生"と書かれた碑がある."施薬救療以て済生の道を弘めむとす"との明治天皇の勅語に基づく.
"うちの上の子が、いま、中津の済生会病院に入院してるんよ"(宇宙鯖) |
濟生碑 |
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2003 |
長柄 |
ながら |
素人茶番(講明治大正3:50) 1件1題 (東京1件) |
北区長柄中など |
長柄(ながら).旧大淀区のうち.
"北は入江長良町、南は川崎天満村、西は源氏の陣所陣所"(素人茶番) |
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長柄の堤 |
ながらのつつみ |
崇禅寺馬場(騒人名作03:24) 1件1題 (上方1件) |
北区か |
長柄あたりの中津川の堤.崇禅寺への道中.
"天神橋を渡りまして、長柄の堤へかかります"(崇禅寺馬場) |
長柄を望む |
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2022 |
天神橋七丁目 |
てんじんばしななちょうめ |
手切れ丁稚(騒人名作03:20) 1件1題 (上方1件) |
北区天神橋 |
旧北区の天神橋筋は六丁目までなので,さらにそのはずれを意図したのだろう.
"今宮の釜ヶ崎に天神橋七丁目の東"(手切れ丁稚) |
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権現 |
ごんげん |
浪速大潮月(駸々堂 (1894)) |
北区か |
不明.本庄杉山の足立市兵衛宅に東照宮を勧請した.北区豊崎6の豊崎神社の境内に,東照宮が末社として移設されている.これのことか.
"仁君家康公の宗廟なり、長柄町の権現様へ鉄砲を打ち込もうという恐ろしい男でがす"(浪速大潮月) |
豊崎神社東照宮 |
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2021 |
鶯塚 |
うぐいすづか |
松竹梅対島台(娯楽世界, 11(4) (1923)) |
北区長柄東2-7 |
長柄長者の娘がかわいがっていた鶯が,姫が亡くなると後を追うように死んでしまった.娘と鶯を一緒に埋めた塚だという.名所図会のたぐいにも描かれ,現在も地元の方々の努力で維持されている.椋の巨木,宝篋印塔,鶯塚と彫られた小さな石碑と小社が残されている.
"鶯塚の古蹟長良長者の屋敷跡"(松竹梅対島台) |
鶯塚 |
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2021 |
長柄墓地 |
ながらばし |
手切れ丁稚(騒人名作03:20) など 4件2題 (上方4件) |
北区長柄中2 |
明治初期の新葬地.近くには大阪七墓の一つ,葭原墓地があった.
"長柄墓地の横、表が半間間口で奥行三十九間"(手切れ丁稚) |
北墓地 |
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1997 |
鶴満寺 |
かくまんじ |
鶴満寺(立文楽2:11) など 2件2題 (東京1件, 上方1件) |
北区長柄東1-3 |
かつては枝垂桜の名所で,名所絵の画題にもとられている.ここの寺男に鼻薬を渡して花見をするのが「鶴満寺」という落語.あの八代目文楽が演じたのだから,さぞ見事だろうと訪れてはがっかりする.サクラはまったくない.
"黒いところへねェ、こう白いこう雪が積もっているような、あれが、花ですよ。へ?へえ、あれが鶴満寺"(鶴満寺) |
鶴満寺 |
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1997 |
樋の口 |
ひのくち |
大阪名所 四季の夢(三一上方2:31) など 2件2題 (上方2件) |
北区樋之口町あたり |
天満堀川の淀川口に樋があった.桜の名所.「四季の夢」では,このあたり一帯桜巡りになっている.
"樋の口の桜を見て源八の渡しで向こうへ渡って"(大阪名所 四季の夢) |
樋の口の春景(写真浪花百景) |
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2021 |
源八の渡 |
げんぱちのわたし |
桜の宮(三一上方2:13) など 2件2題 (上方2件) |
北区天満橋2〜都島区中野町4 |
源八から大川対岸の桜宮とを結ぶ.1936年に渡しを廃し,源八橋を架橋した.
"寺町を東エ源八の渡を越えて桜の宮へ"(桜の宮) |
源八の渡し跡碑 |
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1997 |
源八 |
げんぱち |
桜の宮(三一上方2:13) 1件1題 (上方1件) |
北区天満橋2 |
淀川右岸.桜宮と同様に桜の名所.源八橋に名を残す.
"これやよってに源八へ行こうと言うたのに、桜の宮へ行こと言うて来たら"(桜の宮) |
源八のサクラ |
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2022 |
同心町 |
どうしんまち |
佐々木裁き(創元米朝4:02) 1件1題 (上方1件) |
北区与力町,同心あたり |
維新後の町割り.南北の同心町(どうしんちょう)が与力町をはさんでいた.現在の地名は"同心"となっているため,今はなき"同心町"をわざわざ名乗る店舗は珍しい.
"その時刻になると、与力同心衆が、天満の与力町、同心町、役宅のほうへ小者に提灯を持たしてお帰りになる"(佐々木裁き) |
ファミリーマート同心町店 |
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2022 |
与力町 |
よりきまち |
浪速大潮月(駸々堂 (1894)) など 2件1題 (東京1件, 上方1件) |
北区与力町,同心1あたり
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維新後の町割り.このあたりに建ちならんでいた与力屋敷の役宅門が,造幣局官舎敷地内に保存されている.現代の与力,大阪高裁の公務員宿舎に与力町の名がつけられている,
"権現様の北の辻を東へ這入りますと川崎与力町でその四軒屋敷のかかりが大塩平八郎の邸宅で御座います"(浪速大潮月) |
与力町宿舎 |
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2021 |
紅梅町 |
こうばいちょう |
京染め(大空SP09:23) 1件1題 (上方1件) |
北区紅梅町 |
維新後の町割り.菅原道真の梅にちなむ.今の紅梅町の区域から,ちょっとはずれるが,紅梅温泉を名乗る銭湯がある.サウナに泡風呂,電気風呂,癒やされるねぇ.
"私は天満紅梅町のもので、まだ色恋も白茶のうちから廓通い"(京染め) |
紅梅温泉 |
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2021 |
妙見 |
みょうけん |
大阪名所 夫婦喧嘩(三一上方2:15) 1件1題 (上方1件) |
北区天神橋3-11 |
北摂の能勢侯邸内にあった妙見堂のこと.日蓮宗正善院に安置されている.
"霊符神の習慣、よう妙見さんせ"(大阪名所 夫婦喧嘩) |
正善院妙見堂 |
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2003 |
夫婦池 |
めおといけ |
大阪名所 夫婦喧嘩(三一上方2:15) 1件1題 (上方1件) |
北区天神橋3あたり |
夫の帰りを待ちわびた妻が入水し,夫も後を追った夫婦池.池が二つあったからという味気ない説もある.天神橋4の高速下には夫婦橋地蔵が残る.水もらぬ契りのすえはくびたけにおもひ志つみし女夫池かな(芦分船).
"ここらが夫婦池の情"(大阪名所 夫婦喧嘩) |
夫婦橋地蔵尊 |
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1998 |
夫婦橋 |
めおとばし |
寝ぼけ坊主(落語全集, 石渡正文堂 (1931)) |
北区天神橋4 |
天保9(1838)年に延伸された天満堀川に架かっていた.夫婦池にちなんで夫婦橋とつけられた.堀川は埋められ,親柱と顕彰碑が残っている.
"之が夫婦橋と云ふのや、之を渡るともう一本道や"(寝ぼけ坊主) |
夫婦橋 |
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2021 |
天満 |
てんま |
佐々木裁き(三一上方1:06) など 30件21題 (圓朝1件, 東京8件, 上方21件) |
北区天満 |
「鷺取り」の地口,"てんてん天満のペンギンさん"でも出てくる.天神祭の船渡御は,難波橋から戎島の天神御旅所(西区,別項)まで,船に乗った神輿が渡御する.『浪花百景』では,天神祭のかがり火が赤々と描かれている.
"与力というものは、大阪で申しますと、天満与力同心衆"(佐々木裁き) |
天神祭夕景(浪花百景) |
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2021 |
天満天神 |
てんまてんじん |
初天神(講ス文庫上方:071) など 43件26題 (東京3件, 上方40件) |
北区天神橋2-1 |
頻出地名.大阪天満宮,というと別の神社みたいで,用例は一つもない."てんてん天満の天神さん"で,6本の田楽を食べられる.上方の「初天神」は,天満の天神さんにお詣りした帰りに,城の馬場で凧揚げする.「花の都」では,喜六が賽銭箱の陰から天狗の羽団扇を使って,参拝に来た娘の鼻を伸ばした.
"親子二人、天満の天神さんへお参りしようというので、出かけました"(初天神) |
天満の天神さんの賽銭箱 |
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1998 |
天満の霊府 |
てんまのれいふ |
三十石(青圓生03:01) など 4件3題 (東京3件, 上方1件) |
北区天神橋2-1 |
霊符社.大阪天満宮の境内社.明治期まで一方口の遊廓があった.
"北もあれば南もあるし、堀江・松島・天満の霊府なんてんでいたる所に女ァ"(三十石) |
霊符社 |
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1998 |
天満の御霊 |
てんまのごりょう |
三枚起請(騒人名作12:13) 2件1題 (東京2件) |
北区か |
「三枚起請」の別の速記では,"天満の霊符"とある.御霊神社ではなく,霊符社の誤りを後代の別速記もそのまま引用したのだろう.
"何だか知らねえが、もと大阪の天満の御霊へ出ていて"(三枚起請) |
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天満天神繁昌亭 |
てんまてんじんはんじょうてい |
時たまご(ハナシをノベル!!, 講談社 (2007)) |
北区天神橋2-1 |
2006年に開業した大阪の定席寄席.建設の際の寄付者の名が入った提灯が建物に飾られている.
"一番行きたいところか(中略)天満天神繁昌亭……もちがうなあ"(時たまご) |
天満天神繁昌亭 |
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2007 |
造幣局 |
ぞうへいきょく |
いかけ屋(角川文庫10:04) など 9件6題 (上方9件) |
北区天満1-1 |
明治4(1871)年に始まる大阪造幣局.桜の時期の通り抜けが有名で,この時は人があふれかえる.八重桜なので見頃はやや遅めの4月中旬.構内には鋳鉄製の正門が残ってる.造幣博物館の見学だけは,花見の時期に限らずいつでもできる.
"金を湯に沸かしてるて、おったんとこは、造幣局やおますまい"(いかけ屋) |
大阪造幣局旧正門 |
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2010 |
川崎 |
かわさき |
素人茶番(講明治大正3:50) 1件1題 (東京1件) |
北区天満1, 天満橋1あたり |
旧市外西成郡川崎村.大川の右岸にあたる.川崎の渡しは,現在の川崎橋あたりになる.『浪花百景』では,船遊びの屋形船の向こうに,備前島橋(都島区.別項),京橋と,月明かりに光る大坂城が描かれている.
"北は入江長良町、南は川崎天満村、西は源氏の陣所陣所"(素人茶番) |
川崎ノ渡シ月見景(浪花百景) |
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2021 |
家康公の宗廟 |
いえやすこうのそうびょう |
浪速大潮月(駸々堂 (1894)) |
北区天満1 |
笑福亭松鶴(4)の「浪速大潮月」に出てくる.「もう半分」のように,娘を売った金を盗られた犯人を大塩平八郎が追い詰める噺.家康公の宗廟は,川崎東照宮のこと.大塩の乱で焼かれ,明治に入って廃された.天満1の滝川小の門のところに,碑と銘板がある.
"この建国寺様と申しまする葉仁君徳川家康公の宗廟でございまして俗に申する長柄町の権現様"(浪速大潮月) |
川崎東照宮跡 |
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2013 |
天満橋 |
てんまばし |
後家馬子(三一上方2:21) など 14件9題 (上方14件) |
北区天満1・2〜中央区天満橋京町・大手前1 |
川は旧淀川(大川).浪花三大橋の一つ.銘板は天満天神の北の星合池に,天神橋とならんで保存されている.植木が茂ってしまい,写真のように見とおすことができなくなっている.
"天満橋の下で網を打つとどっしりかかったので上げてみると女の死体"(後家馬子) |
天満橋天神橋橋銘板 |
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1998 |
天満の市場 |
てんまのいちば |
千両蜜柑(騒人名作01:08) など 7件6題 (上方7件) |
北区天満 |
大阪の青物市場.夏場にミカンを囲っておくのもうなずけるほど財力があった.ミカンも腐る寸前がうまいのだろうか.今は,南天満公園に天満青物市場跡碑が立っているばかり.
"天満の市場を軒別に探し歩きましたが、どうしても無い"(千両蜜柑) |
天満青物市場跡碑 |
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1998 |
天神橋 |
てんじんばし |
小咄集(米朝落語全集 増補改訂版8, 創元社 (2014)) など 22件12題 (上方22件) |
北区天神橋・菅原町〜中央区北浜東 |
浪花三大橋の一つ.旧淀川(大川)を渡す長大な橋.用例に書かれているとおり,天神さんのお賽銭を盗んだら,手ひどい目に遭う.なぜかというと,天神バチは長い.落ちたら怖いとわらべ唄は続く.天保3(1832)年の天神祭の雑踏で,橋が壊れて死人が出た.江戸落語の「永代橋」のような事故があった.
"うしろからお賽銭を放ったやつ(中略)拾うて入れたんや。賽銭箱へ。いや、ふところへ(中略)手が曲がって伸びてくれん。うむ、そらなかなか癒らんで"(小咄集) |
天神橋 |
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2021 |
天神橋筋 |
てんじんばしすじ |
高津の富(創元米朝2:13) 1件1題 (上方1件) |
北区, 中央区 |
天満天神から道頓堀へ向かう描写なので,天神橋から松屋町筋へかけてのことだろう.天神橋筋商店街は,4つの商店街が連なっており,日本一の長さを誇る.
"天満の天神さんをお詣りをいたしまして、天神橋筋を南へ"(高津の富) |
天神橋筋商店街 |
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2021 |
天満の十丁目 |
てんまのじっちょうめ |
月宮殿星の都(三一上方2:03) など 9件4題 (上方9件) |
北区天神橋1 |
天神橋を渡った北,天満の天神へ通じる.
"天満の拾丁目まで来ても根っから飲まそうといいよらん"(月宮殿星の都) |
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樽屋橋 |
たるやばし |
第三回(こび茶)(滑稽大和めぐり, 駸々堂 (1898)) |
北区西天満3〜天神西町 |
天満堀川に架かっていた.橋の近くに,樽職人に由来する樽屋町があった.西鶴の『好色五人女』の一人,樽屋おせんは,誤解が元の密通の末,死に至る.堀川は高速道路に利用され,樽屋橋の親柱が残されている.
"後藤兵衛は笄の先に樽屋橋"(第三回(こび茶)) |
樽屋橋親柱 |
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2016 |
堀川戎 |
ほりかわえびす |
七福神の大阪ツアー(ひさかたチャイルド (2017)) |
北区西天満5-4 |
堀川戎神社.蛭子大神ら三柱が祭神.南の今宮戎は多くの噺に登場するが,対する堀川戎は,この新作ではじめて登場した.こちらも,十日戎には,沿道まで参詣客があふれる.境内に地車稲荷があり,狸がだんじりをひっぱるユニークな絵馬が奉納されている.
"大阪市内に今宮・堀川・野田やら、ぎょうさん神社持ってはりますし"(七福神の大阪ツアー) |
堀川戎地車稲荷の絵馬 |
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2021 |
堀川監獄 |
ほりかわかんごく |
へっつい盗人(講古典上方1:13) など 4件2題 (上方4件) |
北区扇町1あたり |
1882(明治15)年に堀川監獄が置かれた.「へっつい盗人」の速記では,"こないだまで"とあるように,すでに堺(大阪監獄)へ移転して,柿色のおそろい服を着ることになる.1923年,堀川監獄跡地は扇町公園になった.
"こないだまで天満の堀川にいはったんけどな"(へっつい盗人) |
扇町公園 |
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1998 |
扇町プール |
おうぎまちぷーる |
おかるとかん平(角川中島らも1:14) 1件1題 (上方1件) |
北区扇町1 |
扇町公園の中にあった大阪プール.1950年の日米対抗水上競技大会に際して建設された.すでに改修され,当時のプールはない.
"扇町プールのあたりで、赤ちゃんを抱いた若い女の人をひろたんです"(おかるとかん平) |
扇町プール |
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2021 |
北野 |
きたの |
鷺とり(PHP枝雀:1) など 3件2題 (上方3件) |
北区 |
天満,川崎と同様に地域の名称.円頓寺もそれに含まれる.
"天神橋をヒョイと渡りまして道を左ィとりますというと一帯が北野"(鷺とり) |
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寺町(北区) |
てらまち |
桜の宮(三一上方2:13) 1件1題 (上方1件) |
北区兎我野町から同心1にかけて |
東寺町,西寺町に分かれている.東西に寺院が壁状に連なっていた.町名は失われたが,寺の多くは残っている.名墓としては,緒方洪庵(龍海寺),山片蟠桃(善導寺),大塩平八郎・格之助(成正寺),西山宗因(西福寺)などなどがあげられる.
"難波橋を北エ突当り寺町を東エ"(桜の宮) |
寺町妙福寺と成正寺 |
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2021 |
太融寺 |
たゆうじ |
吹き替えむすこ(講文庫6:29) など 3件3題 (上方3件) |
北区太融寺町3 |
真言宗太融寺(たいゆうじ).弘仁12(821)年,弘法大師の開基になる古刹.源融の中興にかかり,佳木山太融寺と改めた.広大な寺域を誇り,富くじも行われた.本尊は嵯峨天皇持仏の千手観音菩薩.大坂三十三観音や摂津八十八ヶ所札所などをうたっているが,「大師巡り」の寺であることは記されていない.境内の隅に,大阪城弁天島から移された淀君の墓がある.
"どこへ落ちたのじゃ?たしか大融寺の裏門でございます。かみなりじゃとおもうてくさる"(吹き替えむすこ) |
太融寺淀君の墓 |
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2022 |
藤浪亭 |
ふじなみてい |
大阪名所 四季の夢(三一上方2:31) 1件1題 (上方1件) |
北区太融寺町 |
太融寺境内,藤棚のもとにあった茶店.今はない.
"それから太融寺の藤浪亭で一杯引掛け"(大阪名所 四季の夢) |
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円頓寺 |
えんどうじ |
鷺とり(PHP枝雀:1) など 2件1題 (上方2件) |
北区太融寺町6 |
日蓮本宗円頓寺(えんどんじ)."萩の円頓寺"として「鷺取り」に出てくる.夜中にこの寺に忍び込んで,鷺を手づかみする.残念ながら今の境内は狭く,萩の名所の面影はない.
"萩の円頓寺にやって参りました。もうだいぶ夜がふけておりますのでお寺の門は閉まっております"(鷺とり) |
円頓寺 |
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2012 |
かしく寺 |
かしくでら |
大阪名所 夫婦喧嘩(三一上方2:15) 1件1題 (上方1件) |
北区曽根崎1-2 |
日蓮宗法清寺.娼妓かしくは,酒のため兄を殺めて処刑される.後に,ここ法清寺にかしく明神として祀られ,酒の間違いを防ぐ御利益を与えている.今も,願い事が書かれた杓文字が奉納されている.禁酒ばかりでなく,節酒,良酒と思い切りが悪い願いもあった.
"めでたくかしく寺と北の新地とくりゃ嬉しかろ"(大阪名所 夫婦喧嘩) |
法清寺かしく明神 |
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2021 |
梅新東 |
うめしんひがし |
耳かき始末(角川中島らも2:15) 1件1題 (上方1件) |
北区曽根崎1, 2, 西天満4 |
梅田新道の東側にある交差点.モザイクタイルの中央分離帯が目立つ.写真手前の逆円錐形のモニュメントは,大阪市道路元標.
"こっから梅新東まで、きっちりドリルで掘り返してるんやで"(耳かき始末) |
梅新東交差点 |
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2007 |
お初天神 |
おはつてんじん |
池田の猪買い(創元米朝1:06) など 8件3題 (上方8件) |
北区曽根崎2-5 |
露天神社.猪の肉を買いに池田まで歩いて行く道筋になる.お初徳兵衛曽根崎心中の地のため,お初天神と呼びならわされる.落語にも「お初徳兵衛」という演題があるが,人物名を借りただけで,「船徳」の下にあたる人情噺のこと.
"大江橋を渡る、と、お初天神という天神さんがあるな"(池田の猪買い) |
お初天神 |
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2022 |
うめだ花月 |
うめだかげつ |
ゴルフ 夜明け前(レオ三枝2:10) など 2件2題 (上方2件) |
北区曽根崎2-15 |
奥の席からは舞台が霞んでみえるほどの大劇場だった.昔の名前で再開した.
"実際にあるんです、<花月>というのは。<うめだ花月>やおまへんで"(ゴルフ 夜明け前) |
うめだ花月の興行広告 |
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2021 |
梅田 |
うめだ |
馬場の狐(三一上方2:37) など 14件12題 (上方14件) |
北区 |
用例は,現代の梅田を指す.このあたり,かつて牛の藪入りが行われていた.端午の節句に,飾りつけた牛を梅田堤に引いて,牛も人も骨休めをする行事.用意の粽(ちまき)を配る習慣があった.梅田道牛の藪入(花暦浪花自慢)に描かれる.当時の梅田は,菜の花やレンゲの咲く原だった.『滑稽浪花名所』では,梅田の鬼子母神を遠見する菜の花畑の中で,急に便意をもよおしたお嬢さんが,白い尻を突きだしてかがんでいる.通る人だけでなく,お乳母さんまで鼻をつまんでいるとは,なんたること.
"足も宙に偕行社の処から梅田へ出て家へ戻って参りました"(馬場の狐) |
鬼子母神(滑稽浪花名所) |
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2021 |
茶屋町 |
ちゃやまち |
十二階(初稿)(柳家小満ん口演用「てきすと」<拾遺> 7, (2022)) |
北区茶屋町 |
大阪梅田駅の東側の繁華街.かつて熊野街道が通っており,旅人や行楽客をもてなす茶店があったことに由来する.鶴の茶屋と車茶屋(別項)は落語にも登場する.現在も茶屋町の町名が残っている.茶屋町の路地に敷かれていた石畳が,一部復元されている.
"大阪北野の茶屋町の辺に、九階建てで同じ名前の<凌雲閣>が出来ておりまして"(十二階(初稿)) |
茶屋町の石畳 |
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2022 |
九階 |
くかい |
大阪名所 夫婦喧嘩(三一上方2:15) 1件1題 (上方1件) |
北区茶屋町 |
凌雲閣.1889(明治22)年,北野に建てられた九階建ての尖塔.らせん状に登って頂上の展望台にいたる.周囲は遊園になっていた.
"聞けば九階に勤めをする女"(大阪名所 夫婦喧嘩) |
凌雲閣(北)(明治大阪写真集) |
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2021 |
鶴の茶屋 |
つるのちゃや |
金時の辞世(落語の根本, 寧静館 (1893)) |
北区茶屋町8 |
次項の車茶屋とならんで,北野にあった行楽客向けの茶屋の一つ.現在も茶屋町の町名になっている.梅田の項の絵にもあるように,このあたり菜畑が広がっていた.途中で折れた写真の石碑のほかに,もう1本の碑がうち捨てられたように置かれていた.今,屈曲する能勢街道に面した歩道(茶屋町8-26)に建てなおされている.ツルを放し飼いにしていたという豪商の松並竹塘についても記されている.
"北の車茶屋か鶴の茶屋"(金時の辞世) |
鶴乃茶屋跡碑 |
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2022 |
車茶屋 |
くるまぢゃや |
大阪名所 夫婦喧嘩(三一上方2:15) 1件1題 (上方1件) |
北区茶屋町か |
凌雲閣のあたり.北野では鶴の茶屋あとに碑が立っているが,車茶屋の遺構はない.
"朝妻からところを車茶屋"(大阪名所 夫婦喧嘩) |
凌雲閣跡 |
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2021 |
梅田:三番街 |
さんばんがい |
地獄八景亡者の戯れ(PHP三枝:3) 1件1題 (上方1件) |
北区芝田1 |
阪急三番街.阪急梅田駅下,北側のテナント街.阪急古書のまちも,かっぱ横丁からここに移ってきている.お値段お高め.杉本梁江堂は,明治30年ごろに落語速記を出していた杉本書店の現在の姿.
"テニスのラケットの袋持ちまして、よう街歩いてます。梅田の三番街の辺りとかね"(地獄八景亡者の戯れ) |
三番街阪急古書のまち |
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2021 |
HEP FIVE |
へっぷふぁいぶ |
ヘラクレスの恋(桂三枝創作落語大全集, メディアクラフト牡牛座 (2004))など |
北区角田町5 |
阪急エンターテインメントパーク,略してHEP.FIVEは番地か? 屋上の赤い観覧車が,新作落語に登場する.
"一緒に梅田のヘップファイブの観覧車に乗ったことがあったやろ"(ヘラクレスの恋) |
HEP FIVE & HEP NAVIO |
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2007 |
梅田駅 |
うめだえき |
いらち車(大空SP01:27) など 3件3題 (上方3件) |
北区梅田3あたり |
梅田のステンショ.1874(明治7)年,大阪−神戸間が開業する.今の大阪駅より西寄りに位置していた.当時は何もないところが選ばれ,写真のような洋風駅舎が建設された.よく絵はがきに残されているのは,東京駅にも似た2代目の豪壮な駅舎になる.
"車やはん、梅田のステーションまでなんぼでやる"(いらち車) |
梅田停車場(明治大阪写真集) |
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2021 |
大阪駅 |
おおさかえき |
待合せ(レオ三枝4:10) など 8件7題 (東京1件, 上方7件) |
北区梅田3 |
1940年,3代目の駅に改装された.このときに中央コンコースに移設された噴水小僧像は,明治期にさかのぼる.2011年の大阪駅大改装で,像は撤去された.
"荷物持たんと表でタクシーに乗って大阪駅へ"(待合せ) |
噴水小僧 |
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2003 |
阪神前 |
はんしんまえ |
失業者(白川小春団治:06) 1件1題 (上方1件) |
北区梅田2か |
郊外への通勤客に金をねだる桂小春團治作の新作の一場面.尼崎よりも東とはわかる.阪神電車の梅田駅前ではないか.大阪歴史博物館に,大正15年頃の阪神梅田駅のジオラマが展示されている.「失業者」という新作落語は,ちょうどその頃の噺.今の地下駅よりもやや西に位置し,2階には大食堂があったという.
"阪神前、郊外から市内へ通勤する人達の帰宅を急ぐ足も絶え"(失業者) |
阪神梅田駅前ジオラマ(大阪歴史博物館) |
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2021 |
プラザホテル |
ぷらざほてる |
夢・まぼろし(レオ三枝2:04) など 2件2題 (上方2件) |
北区大淀南2 |
ホテルプラザ.朝日放送の南隣に位置する.味のプラザと呼ばれていたが,1999年経営破綻した.用例で予言したかのように,2012年に取り壊された.
"私、プラザホテルの一室を借りまして、その頃、プラザホテルがあるかどうかわかりませんが"(夢・まぼろし) |
ホテルプラザ |
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2007 |
北 |
きた |
土橋万歳(三一上方1:23) など 26件18題 (東京2件, 上方24件) |
北区曾根崎新地あたり |
蜆川両岸に茶屋がせり出していた.明治42年の北の大火,空襲で完全に焼けてしまった.
"これから中盞でグーッと飲って、北へ飲み直しに往くのや"(土橋万歳) |
(大阪市北区未曽有の大火)蜆川左右(堂島及曽根崎)ノ惨状(明治大正昭和の大阪写真集) |
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2021 |
北の新地 |
きたのしんち |
お文さん(講小文枝:10) など 46件23題 (圓朝1件, 上方45件) |
北区曾根崎新地あたり |
いわゆる北.新地本通り周辺に飲み屋が多い.1909(明治42)年の北の大火,戦災をうけたせいだろうか,大料亭は見あたらない.新地には永楽館という大阪を代表する寄席があった.北の大火で焼け,再建できたが,席亭が代わり衰微した.
"北の新地の梶川のお文といえば誰れ知らぬ者がない芸者じゃ"(お文さん) |
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曽根崎新地 |
そねざきしんち |
菊江仏檀(三一上方2:04) など 4件2題 (圓朝1件, 上方3件) |
北区曾根崎新地あたり |
北の新地と別にカウントした.写真の「河庄」という茶屋は,「心中天網島」の舞台になり,初代鴈治郎の名演が伝わる.また,「曽根崎心中」のお初は天満屋お初と内本町の治兵衛が,露天神で心中する.
"曽根崎新地の『大滝』といううちへ行てほしいのや"(菊江仏檀) |
茶屋「河庄」の跡碑 |
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2003 |
平鹿 |
ひらしか |
三人兄弟(三一上方1:20) など 2件1題 (上方2件) |
北区曾根崎新地か |
北の茶屋.少なくとも数十年前までは営業していた.
"北陽ならば平鹿"(三人兄弟) |
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綿富 |
わたとみ |
莨の火(三一上方1:30) など 4件1題 (上方4件) |
北区曾根崎新地か |
北の茶屋.
"北陽の新地へ入って参ります、綿富の表へ駕を降ろして"(莨の火) |
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大滝 |
− |
菊江仏檀(三一上方2:04) など 4件1題 (上方4件) |
北区曾根崎新地か |
北の茶屋."だいたき"と"おおたき"の2種類のルビがふってある.
"曾根崎新地の大滝ちゅうとこや"(菊江仏檀) |
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かじ川 |
かじかわ |
お文さん(講小文枝:10) 2件1題 (上方2件) |
北区曾根崎新地か |
北の茶屋.
"昔のキタの新地かじ川から文という名前で出てた"(お文さん) |
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立峰 |
たてみね |
風の神送り(創元米朝5:06) など 2件1題 (上方2件) |
北区曾根崎新地か |
北の茶屋.明治期の名店案内には載っていた.
"別嬪てなもんやないなあ、おい。前、北の立峰から出てた芸妓はんや"(風の神送り) |
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蜆川 |
しじみがわ |
淀の鯉(米朝落語全集 増補改訂版8, 創元社 (2014)) |
北区 |
大江橋の上手のところで堂島川から分かれ,U字型にカーブしながらふたたび堂島川に合流する.曽根崎川が本名で,蜆川は俗称.蜆川十橋と呼ばれる橋が架かっていた.明治42年の北の大火ででたがれきで,蜆川は埋め立てられてしまう.蜆川跡碑は,蜆川が御堂筋を横断する交差点西詰に立っている.
"鍋島の浜から蜆川を船が行きます。この川は北へ流れて淀川へ入っております"(淀の鯉) |
史跡蜆川跡碑 |
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2021 |
蜆橋 |
しじみばし |
菊江仏壇(創元米朝5:03) など 8件3題 (上方8件) |
北区曾根崎新地1・西天満2 |
川は蜆川.位置は違っているが,レリーフが曾根崎新地1-5,曽根崎橋が架かっていたあたりに飾られている.
"蜆橋を渡ります。大江橋、淀屋橋。橋を三つ越えて、浮世小路を東へ"(菊江仏壇) |
蜆橋レリーフ |
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2003 |
紅卯 |
べにう |
池田の猪買い(創元米朝1:06) など 6件1題 (上方6件) |
北区曾根崎か |
寿司屋.「池田の猪買い」の道中付けで,お初天神西門そばにある看板が登場する.店は,蜆橋北の曽根崎新地にあったらしい.『花の下影』(清文堂出版 (1986))に描かれている.
"あそこの北門のところに、紅卯というすし屋の看板が見えたある"(池田の猪買い) |
紅宇鮓店(花の下影) |
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2021 |
スエヒロ |
すえひろ |
言葉は忘却のかなたへ(レオ三枝6:04) 1件1題 (上方1件) |
北区曾根崎新地1-11 |
北の大火の直後,1910(明治43)年創業のステーキ・しゃぶしゃぶ店.本店は,曽根崎新地にある.
""スエヒロ"て、シャブシャブの店やがな"(言葉は忘却のかなたへ) |
スエヒロ本店 |
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2007 |
新地本通り |
しんちほんどおり |
弁護士物語(角川中島らも2:14) 1件1題 (上方1件) |
北区曾根崎新地1 |
曽根崎新地1の中央を東西に走る繁華街.埋められた蜆川の北岸にあたる.
"新地本通り、ざあっと歩いて"(弁護士物語) |
新地本通り |
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2021 |
桜橋 |
さくらばし |
第三回(こび茶)(滑稽大和めぐり, 駸々堂 (1898)) |
北区曾根崎新地1・2 |
蜆川に架かっていた.用例は語呂であげただけだが,本当に「菅原伝授手習鑑」の梅王,桜丸,松王にちなんで,梅田橋,桜橋,緑橋と名づけられている.桜橋交差点のふたつ南の交差点東側に,元桜橋南詰の碑がある.明治42年の北の大火で焼失したとある.ただし,碑は移設されており,もうすこし西北に架かっていた.
"梅王松王は桜橋"(第三回(こび茶)) |
元桜橋碑 |
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2021 |
出入橋 |
でいりばし |
娘一人に聟八人(おなかの逆立ち, 加藤新進堂 (1917))など |
北区曾根崎新地2-7 |
旧大阪貨物駅に通じていた梅田運河に架かっていた.蜆川との交点部にあたる.橋とは離れた場所が出入橋交差点と名づけられている.高速出入橋ランプそばに,橋跡がしっかり残っている.「京阪阪神箕面三電車親子争論」(お臍の宿替, 立川文明堂 (1923))では,出入橋駅を指している.阪神電鉄開業時は,出入橋駅が起点だった.その後,梅田まで延伸し,出入橋駅は廃止された.
"道を引き返して出入橋の紺屋さんへ参りました"(娘一人に聟八人) |
出入橋 |
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2021 |
堂島 |
どうじま |
住吉駕籠(創元米朝5:01) など 21件10題 (圓朝1件, 東京1件, 上方19件) |
北区堂島浜あたり |
米相場が開かれた堂島.1939年に米市場は閉鎖された.「住吉駕籠」や「冬の遊び」で,堂島の相場師が登場する.ここを紹介するとどうしても稲穂を担った童子像になってしまう.台座の濱の文字がシンボル.
"堂島……。ジキでやすか、ありがたい、堂島の旦那に乗ってもろたら、こら、まんが直った"(住吉駕籠) |
堂島米市場跡記念碑 |
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2021 |
裏町 |
うらまち |
大阪名所 夫婦喧嘩(三一上方2:15) 1件1題 (上方1件) |
北区堂島か |
本文の登場位置はお初天神の次なので,旧堂島裏町のことだろう.堂島薬師は,聖徳太子が四天王寺を建立した際に,用材を運ぶ船が難破し,それで造られたお堂だと伝える.薬師堂は,海上からも目立っており,堂島の地名の由来だという.堂内には弘法大師像も祀られている.珍しい落語「大師巡り」で,具体名は出てこないが第一番の巡拝所にあたる.
"たびたびならば恨に裏町が重なる道理"(大阪名所 夫婦喧嘩) |
堂島薬師 |
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2021 |
老松町 |
おいまつちょう |
莨の火(三一上方1:30) など 3件1題 (上方3件) |
北区西天満 |
住吉社のもとに老松があったことにちなむ.どちらも今はない.東西に伸びる老松通りには,骨董屋が建ちならんでいる.
"大阪中の鰹節を買い占めて、これを屋台につくりました(中略)老松町から天満の十丁目へ出"(莨の火) |
老松通り |
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2021 |
若松町 |
わかまつちょう |
大阪名所 夫婦喧嘩(三一上方2:15) 1件1題 (上方1件) |
北区西天満1〜4 |
老松町と対になるような地名.若松町の南で,維新後に町割りされた.大阪高等裁判所などの裁判施設のほか,天満警察署の浜側からは,天神祭の船渡御が行われる斎場がある.
"いかに年が若松町でも"(大阪名所 夫婦喧嘩) |
天神祭斎場石鳥居 |
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2023 |
控訴院 |
こうそいん |
大阪名所 夫婦喧嘩(三一上方2:15) 1件1題 (上方1件) |
北区西天満2-1 |
大阪控訴院.1890(明治23)年に若松町に開設した.2代目の赤煉瓦造りの建物が有名だった.
"控訴院を恐れるということを知らんか"(大阪名所 夫婦喧嘩) |
大阪高等裁判所 |
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2023 |
鍋島の浜 |
なべしまのはま |
淀の鯉(米朝落語全集 増補改訂版8, 創元社 (2014)) |
北区西天満2 |
大阪地方裁判所は佐賀藩の蔵屋敷だった.その前の浜を鍋島の浜と呼んだ.夕涼み,月見の名所だった.現在は若松浜公園として親水テラスが整備されている.若松浜の説明板に,鍋島の浜として説明が載っている.
"鍋島の浜から蜆川を船が行きます。この川は北へ流れて淀川へ入っております"(淀の鯉) |
若松浜説明板 |
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2023 |
源蔵町 |
げんぞうちょう |
米揚げ笊(創元米朝5:16) など 5件2題 (上方5件) |
北区西天満3-4あたり |
江戸期からの町名.源蔵町局という郵便局名があったが,西天満局に名前が変わっている.うれしいことに,源蔵ビルが残っている.
"わしの心安い家が、天満の源蔵町で笊屋をしてるねん"(米揚げ笊) |
源蔵ビル |
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2021 |
土佐堀川 |
とさぼりがわ |
鷺とり(PHP枝雀:1) など 2件2題 (上方2件) |
北区〜中央区,西区 |
中之島で南に別れて西流する大川の名称.肥後橋の西で南に曲がり,中之島が少し広くなっている.そのせいで,玉江橋から天王寺の五重塔が正面に見える.
"土佐堀川があのへんから少し曲がっております"(鷺とり) |
土佐堀川の屈曲部 |
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2021 |
難波橋 |
なにわばし |
船弁慶(三一上方1:31) など 24件11題 (東京4件, 上方20件) |
北区西天満1〜中央区北浜2 |
川は旧淀川.浪花三大橋の一つ.獅子がシンボル.1915年に架橋するときに,難波橋筋から現在の堺筋に移った.「船弁慶」では,ここから川中の船に乗り込み散財していると,折悪しく嫁さんも夕涼みにやって来る.ここから,同名の謡曲の名場面,知盛の祈りを取り入れた趣向になる.
"雷のお松ツぁん、暑そうてしようがないので近所の嫁はんを連れまして浪速橋へ涼みにやってまいりました"(船弁慶) |
難波橋 |
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1998 |
中之島 |
なかのしま |
帯久(創元米朝5:11) など 4件3題 (東京2件, 上方2件) |
北区中之島 |
堂島川と土佐堀川にはさまれた中洲.江戸時代には諸藩の蔵屋敷が建ちならんでいた.図は西側の合羽島と呼ばれる場所を望んでいる.玉江橋や堂島小橋とともに,白壁土蔵造りの蔵屋敷が描かれている.大型の帆掛け船も,ここまでは上ってこられた.小船に荷を移して,各藩の河岸から陸揚げしたのだろう.
"中之島の蔵屋敷、お大名相手の仕事もある"(帯久) |
合羽嶋より東を望む(写真浪花百景) |
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2021 |
中之島:剣先 |
けんさき |
植木屋娘(新和上方復刻:02) 1件1題 (上方1件) |
北区中之島1 |
中之島の東の突端部.剣先がさらに伸びて,風邪ひき新地と呼ばれた.鼻からハナが出たという洒落.写真では,難波橋もすでに東に架けかえられており,公園敷地のレイアウトも現在と変わりないほど伸びている.
"明治卅五年に中の島の剣先に納涼台ができました"(植木屋娘) |
難波橋と中之島公園(明治大正昭和の大阪写真集) |
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2021 |
中之島公園 |
なかのしまこうえん |
大阪名所 夫婦喧嘩(三一上方2:15) など 2件2題 (上方2件) |
北区中之島 |
剣先を埋めて明治中期から大正期までに公園化された.御堂筋拡幅など大阪都市整備をなした関一市長は,東洋陶磁美術館そばに立っている.
"ごちゃごちゃいうてる中之島。太閤大きな公園地になっているゆえ"(大阪名所 夫婦喧嘩) |
中之島公園 関一像 |
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2003 |
白玉稲荷 |
しらたまいなり |
大阪名所 夫婦喧嘩(三一上方2:15) 1件1題 (上方1件) |
北区中之島1-1 |
中之島公園東端にあった稲荷.女性の朝詣りがさかんだった.豊國神社に吸収され,今も,大阪城内の豊國神社の末社,白玉神社として現存する.
"ハハンわかった白玉稲荷につままれたな"(大阪名所 夫婦喧嘩) |
白玉神社 |
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2021 |
ホテル |
ほてる |
大阪名所 夫婦喧嘩(三一上方2:15) 1件1題 (上方1件) |
北区中之島1-1 |
大阪ホテル.当時,大阪唯一のホテルで,東洋陶磁美術館の位置にあった.用例は,あるいはその後の移転先を指しているか.
"可哀想に歩けんというてホテルが"(大阪名所 夫婦喧嘩) |
大阪市パノラマ地図(国際日本文化研究センター所蔵) |
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2021 |
中央公会堂 |
ちゅうおうこうかいどう |
大阪名所 夫婦喧嘩(三一上方2:15) 1件1題 (上方1件) |
北区中之島1-1 |
1918(大正7)年建.遠くからは銅葺きドームが美しい.2002年に重文に指定された.今もホールが貸し出され,利用されている.
"してしまったことは後の公会堂前にたたず"(大阪名所 夫婦喧嘩) |
中央公会堂 |
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2023 |
中之島図書館 |
なかのしまとしょかん |
大阪名所 夫婦喧嘩(三一上方2:15) など 3件3題 (上方3件) |
北区中之島1-2 |
1904(明治37)年建の府立図書館.1974年に重文に指定された.これらの建物の配置は,ホテルの項の地図を見るとよくわかる.
"お内儀お前も図書館の側で何をきょろきょろしているねん"(大阪名所 夫婦喧嘩) |
中之島図書館 |
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2023 |
太閤 |
たいこう |
大阪名所 夫婦喧嘩(三一上方2:15) 1件1題 (上方1件) |
北区中之島1-3 |
豊國神社.明治期に,中之島の地に創建した.豊臣秀吉・秀頼・秀長を祀る.用例の時期は,現在の市役所の位置にあった.市役所拡張に伴い,1960年,大阪城内へ移転している.
"ごちゃごちゃいうてる中之島。太閤大きな公園地になっているゆえ"(大阪名所 夫婦喧嘩) |
豊國神社 |
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2021 |
栴檀木橋 |
せんだんのきばし |
米揚げ笊(創元米朝5:16) など 4件1題 (上方4件) |
北区中之島1〜中央区北浜2・3 |
土佐堀川に架かり,難波橋の下にあたる.欄干や街灯に栴檀の意匠があり,親柱が保存されている.
"栴檀ノ木橋という橋がおまんねん。あんた、この橋をわたいが渡ると思うか、渡らんと思うか"(米揚げ笊) |
栴檀木橋 |
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1998 |
淀屋橋 |
よどやばし |
雁風呂(講明治大正2:22) など 18件8題 (東京4件, 上方14件) |
北区中之島1・2〜中央区北浜3・4 |
土佐堀川に架かる.南詰に屋敷があった二代目淀屋が架橋した.淀屋辰五郎が出てくる噺といえば「雁風呂」.華奢のおとがめで金に困り,江戸の大名に借金の取り立てに行く途中,掛川宿で水戸黄門とであう.
"大阪に有名な淀屋橋というのがございます。あれは淀屋辰五郎が一手で架けたもんだそうで"(雁風呂) |
淀屋橋 |
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2021 |
日本銀行 |
にほんぎんこう |
偽棟梁(落語全集, 大文館 (1929)) |
北区中之島2-1 |
日本銀行大阪支店.辰野金吾の設計になる,1903年建の重厚な石造りだった.この旧館の改築にあたっては,外壁やドームを残し,貴賓室などを復元している.
"中の島へ行つての。ウム。日本銀行の前で"(偽棟梁) |
日本銀行大阪支店旧館 |
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2021 |
大江橋 |
おおえばし |
池田の猪買い(創元米朝1:06) など 10件5題 (上方10件) |
北区中之島1・2〜西天満2・堂島浜1 |
堂島川に架かる.明治期に淀屋橋から直結するように架け替えられた.堂島五橋の一つで,橋名は,古い地名に由来する.5つのうち,船津橋と田蓑橋を除く,大江橋,渡辺橋,堀江橋=玉江橋は,落語に登場する.
"淀屋橋を渡って大江橋を渡る"(池田の猪買い) |
大江橋 |
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2022 |
フェスティバルホール |
ふぇすてぃばるほーる |
生中継・源平(桂三枝創作落語大全集, メディアクラフト牡牛座 (2004))など |
北区中之島2-3 |
中之島,肥後橋北詰にあったコンサートホール.音響のよさから,演奏家に絶大な支持を得ていた.そのため,2008年からの改築にあたっては反対の声もあがった.現在はフェスティバルタワーとして生まれ変わっているが,外壁の牧神の意匠も復活し,内部の音響ももとのままとのこと.
"駆け出しの噺家がフェスティバルホールの舞台で"(生中継・源平) |
フェスティバルホール |
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2021 |
肥後橋 |
ひごばし |
雁風呂(青圓生06:04) など 2件1題 (東京2件) |
北区中之島2〜中央区北浜4 |
土佐堀川に架かり,錦橋の上手にあたる.北詰に加藤清正侯の屋敷があったことに由来する.現在は,西横堀の西,西区側に架かっている.
"上へまいりまして難波橋、それを下へ行って肥後橋"(雁風呂) |
肥後橋 |
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2021 |
中之島:蛸の松 |
たこのまつ |
次の御用日(三一上方1:15) など 2件1題 (上方2件) |
北区中之島4-3先 |
「次の御用日」に挙げられた大坂の寂しい場所の一つ.久留米藩屋敷(阪大医学部)北の川岸にあった名松.蛸のように枝を伸ばしていた.川沿いに立つ大阪師範学校跡碑にもその記述がある."この地に「蛸の松」とて名松ありこの松を友として生徒勉学に励みたり".『浪花百景』では,川と蔵にはさまれた狭い道を提灯を持つ人が描かれている.その行く手を巨大な松がふさいでいる.
"中之島蛸の松なんてずいぶん淋しいところです"(次の御用日) |
鮹の松夜の景(浪花百景) |
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2021 |
筑前殿橋 |
ちくぜんどのばし |
実説一男二女之塚(古穴怪談 元禄塚, イーグル書房 (1893)) |
北区中之島3〜土佐堀1 |
中之島にあった筑前黒田藩が自分の蔵屋敷へ渡るために架けた私設橋.庶民は渡ることができなかった.現在は筑前橋と呼ばれ,当時よりやや下手に架かっている.背後に見える翼のようなオブジェは,国立国際美術館の外部をおおう鉄骨で,シーザー・ペリの作品.寛永16年の飢饉のときには,木津勘助が黒田藩蔵屋敷を襲って,米を庶民に分け与えた.捕らえられた勘助は島流しになる.流された先は,大坂の勘助島(大正区)だったというイキなお裁きは,「勘助島の由来」という講談で伝えられる.
"尼ヶ崎から帰り途筑前どの橋の袂へ差し掛かって参りますと"(実説一男二女之塚) |
筑前橋 |
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2021 |
玉江橋 |
たまえばし |
鷺とり(PHP枝雀:1) など 2件1題 (上方2件) |
北区中之島3・4〜堂島3・福島区福島2 |
川は堂島川.田蓑橋の下に架かる.川が斜めになっているので,「鷺取り」でいわれるように天王寺の五重塔が正面に見えた.これ,大阪の七不思議の一つ.
"大阪の七不思議のひとつに、玉江橋から真ァ南に天王寺さんの五重の塔が見える"(鷺とり) |
玉江橋 |
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2022 |
常安橋 |
じょうあんばし |
胴斬り(講ス文庫上方:061) 1件1題 (上方1件) |
北区中之島4・5〜西区土佐堀1・2 |
土佐堀川に架かり,筑前橋の下にあたる.淀屋常安に由来したのだろう.
"刀の切れ味を試そうと夜遅うに常安橋あたり"(胴斬り) |
常安橋 |
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2022 |
越中橋 |
えっちゅうばし |
大阪名所 夫婦喧嘩(三一上方2:15) 1件1題 (上方1件) |
北区中之島5〜西区土佐堀2 |
川は土佐堀川.常安橋の下で,今は人道橋.用例は,臭い越中ふんどしとかけている.
"越中橋の洗濯は区裁判所やとこんなことをいいやがる"(大阪名所 夫婦喧嘩) |
越中橋 |
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2021 |
ロイヤルホテル |
ろいやるほてる |
大阪レジスタンス(レオ三枝6:10) 1件1題 (上方1件) |
北区中之島5-3 |
1940年開業の老舗ホテル.1997年,リーガロイヤルホテルと改称した.大阪国独立にあたっては,かめ屋旅館と改称する.
"かめ屋旅館のスカイラウンジ、かめスカが好きなもんでおますので"(大阪レジスタンス) |
リーガロイヤルホテル |
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2009 |
湊橋 |
みなとばし |
第三回(こび茶)(滑稽大和めぐり, 駸々堂 (1898)) |
北区中之島6〜西区土佐堀3 |
土佐堀川のもっとも下流部に架かる.南西詰に,宮本輝の小説「泥の河」の文学碑がある.湊橋につないだ船で暮らす少年との会話が彫られている.少年の母は,この船で売春をして2人の子を育てていた.このあたり,大阪巡りのポンポン蒸気船の発着場になっている.
"立引したのが出入の湊橋"(第三回(こび茶)) |
湊橋 |
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2021 |