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栃木県   
圓朝地名図譜
捕縛を受けたのは栃木へ出稼ぎの芸妓に浮かれました故でございます。それは、新橋から参りました小竹に小むつと云ふ両人の芸妓は、大和町の愉快楼と云ふ料理茶屋の亭主が周旋して弘めをしました
 (桂文治(6) 「猫と鼠」)
  暉峻康隆ら編,『明治大正落語集成』 第五巻,講談社(1980)
 
地点名 この1題・登場回数 位 置 備 考 写真と撮影年
栃木県 とちぎけん 新聞記事(芳賀歌奴:07) など 4件4題 (圓朝2件, 東京2件) 栃木県 栃木県でありながら,県庁所在地が宇都宮なのは一つの不思議.1884(明治17)年,宇都宮県と栃木県が合併する際,県名はそのままで県庁が宇都宮に移された.和歌山県や奈良県のように,県境近くに県庁があると,何かと手続きに不便だろう.その点で,宇都宮が県都なのは適当なのだろうが,名前の謎は残る.
栃木県の落語地名は,圓朝ものや上野下野道の記と重複するものが多い.北の那須からスタートして,宇都宮から日光街道を上り,佐野,足利から一転して北上し,日光周辺をゴールとするルートをたどる.用例は,自殺の訳なかろうというクスグリ.
"栃木の山ン中に生後一カ月位の幼児の死体発見さる、自殺か他殺か"(新聞記事)
栃木県庁 2022
下野 しもつけ 源平盛衰記(講昭和戦前1:13) など 20件12題 (圓朝5件, 東京14件, 上方1件) 栃木県 旧国名.下野国のほか,野州の用例も多い.上野国が上毛の別称があるのに対して,下野国は下毛とはいわない.それでも両者をまとめると,両毛になる.奈良時代の下野国庁跡は,栃木市の東部(田村町)にある.田んぼの真ん中に,前殿が復元されている.思川をへだてた東側は下野国分寺跡になる.広大な敷地だが,建物は何も残っていない.このあたり,圓朝が「塩原多助一代記」の取材旅行で道に迷ったところになる.「上野下野道の記」4日目で訪問している.
"選み出されたのが、下野国の住人宇都宮の人(中略)那須の与一宗高"(源平盛衰記)
下野国庁跡 2022
殺生石 せっしょうせき 茶釜の喧嘩(講昭和戦前5:24) など 10件7題 (東京9件, 上方1件) 那須郡那須町 玄翁和尚が九尾の狐が化した石を叩き割った.硫化水素はともかく,圓生師の言う砒化水素が出ているか疑問.2022年,殺生石は自然に割れてしまった.封じ込められていた悪狐が飛び出たか,慰霊祭も執り行われた.
"三浦介、上総介という両名の矢に射止められて石となった。殺生石といっていまだに古跡もある"(茶釜の喧嘩)
殺生石 1996
殺生石:芭蕉句碑 ばしょうくひ 王子の狐(弘文柳枝:25) 1件1題 (東京1件) 那須郡那須町 飛ぶものは雲ばかりなり石の上.実際は芭蕉門弟麻布の吟.芭蕉吟は,石の香や夏草赤く露あつし.
"かたわらに碑が建っております。芭蕉の句が刻ンでございます"(王子の狐)
句碑“飛ぶものは……" 1996
那須 なす 鰻の幇間(青圓生14:11) など 7件4題 (東京7件) 那須郡那須町 猛暑のさなか幇間が尋ねたお旦は那須温泉へ静養中.温泉神社は那須与一が扇の的を射る前に祈った地元神社.
"那須にも空のくせとして、なんてえ唄がありましたな"(鰻の幇間)
那須温泉神社 1996
那須野ヶ原 なすのがはら 端物講釈(講明治大正2:11) など 7件5題 (東京7件) 那須郡那須町,那須塩原市一帯 玉藻の前となり鳥羽上皇の寵を得た九尾の狐が,三浦介上総介により石にされた地.
"山本勘助を供に連れ、下野の国は那須原佐野源左衛門常世が庵に一泊なし"(端物講釈)
那須野ヶ原開拓地 1997
塩原 しおばら 帝国浴場(講昭和戦前2:05) など 6件5題 (圓朝4件, 東京2件) 那須郡塩原町 塩原温泉.用例は「湯屋番」を改作した4代目小さんの「帝国浴場」に,柳家金語楼の新作「恋の新宿」.塩原温泉を流れる箒川には柔らかいフォルムの七ツ岩,巨大なくさびのような野立岩がある.
"結城か何か着込んで、芸者や幇間を連れて、箱根、又は塩原か何かへ"(帝国浴場)
七ツ岩 1997
大田原 おおたわら うそつき弥次郎(講明治大正6:29) など 3件2題 (圓朝1件, 東京2件) 大田原市 志ん生の言う宇都宮の先が大田原だと言うのは,地理的にちょっとおかしい.「弥次郎」だから仕方ないか.大田原のシンボルである金燈籠は戦時供出されたため,残った台座の上に再建された.
"身の丈の大きい人が宇都宮で連れになったのだ(中略)この人は大田原宿ではぐれてしまった"(うそつき弥次郎)
大田原金燈籠 1997
鬼連川 きつれがわ 七変化白波小三(諸芸新聞 (1882)) さくら市喜連川 旧中東郡喜連川町(きつれがわ)."悪徒"のつながりで"鬼"の文字を使った.由緒ある奥州街道の宿場名も,今は,意味不明の普通名詞市名になっている.1981年に掘りあてた喜連川温泉は日本三大美肌の湯.写真奥には喜連川城址の丸山山頂に立つスカイタワーが見える.観光案内標識にしたがって行ってみたが,そこへ上るシャトルエレベータとともにどちらも廃墟だった.
"身は悪徒なる鬼連川広き奈須野に跡のこす"(七変化白波小三)
喜連川温泉ゲート 2019
茂木 もぎ 六郷の莨(柳家小満ん口演用「てきすと」 24, てきすとの会 (2017)) 芳賀郡茂木町 茂木(もてぎ)が正しい.タバコの産地として登場.茂木城址には,専売公社の工場から移設されたたばこ神社がある.
"うん、これは下野栃木の茂木だ"(六郷の莨)
茂木たばこ神社 2019
益子駅 ましこえき 鉄の男(鉄道落語, 交通新聞社(2013)) 芳賀郡益子町 真岡鐵道の駅.お隣の北山駅との間のSLの撮影ポイントとして登場.真岡鐵道は週末にSLを1往復運行している.益子(ましこ)はその名のとおり益子焼の町.春秋に開かれる陶器市には大勢の人が詰めかける.益子駅コンコースにも巨大な益子焼の壺が置かれていた.テツの話題でいえば,横川駅の峠の釜めしの釜は,益子焼.
"これあれだろ、益子〜北山間のお立ち台の所だろ?俺さ、真岡鐵道にここんところ行ってないけど"(鉄の男)
真岡鐵道益子駅 2014
宇都宮 うつのみや 湯屋番(旺文小さん2:02) など 38件21題 (圓朝7件, 東京31件) 宇都宮市 日光街道の宿,城下町,栃木県県庁所在地.幕軍派だった宇都宮は戊辰戦争で町を焼かれる.近年,城址を整備した.宇都宮の吊天井とは,宇都宮城に滞在する将軍家光を吊天井の食事で干し殺そうとした計略.人呼んで本多謀反の飯が顕れて,本多正純は改易.「湯屋番」に出てくる.
"これすなわち金花糖飯だね、宇都宮釣天井飯"(湯屋番)
宇都宮城址本多正純時代の石 2008
宇都宮:池上町 いけがみちょう 辻八卦(新風現代:23) など 2件2題 (圓朝1件, 東京1件) 宇都宮市池上町あたり 小伝馬町の東.町の中心部.池上町の西端,大通りの中央分離帯に道路元標がある.
"きみは栃木県宇都宮池上町十三番地"(辻八卦)
栃木県道路元標 2008
宇都宮:善願寺 ぜんがんじ 豆三粒(化かされ侍, 三月書房(2006)) 宇都宮市南大通り1-8 新作の「豆三粒」に宿郷町とともに登場.この噺は豆三粒の寄進をもとに大仏を建立した善願寺の逸話を踏まえる.
"善願寺という天台宗のお寺がございまして"(豆三粒)
善願寺大仏 2008
芋がらの新田 いもがらのしんでん 明治摸様三組盃(大淵濤 (1892)) 小山市羽川 日光街道新田宿を芋柄新田と称した.街道に面して青木本陣の門が残っているくらいで,宿場の面影はない.
"芋がらの新田ここに小山とも、越して間々田や野木の駅"(明治摸様三組盃)
新田宿本陣門 2024
小山 おやま 黒手組戸沢助六(駸々堂 (1890))など 小山市 慶長5(1600)年,上杉景勝を討たんと北へ向かっていた徳川家康だが,小山に陣を張っているときに石田三成挙兵の一報が入った.ここで評議を行い,西に向かった家康は関ヶ原の戦いに勝利する.この重大な決定をおこなったのが小山評定.市役所に記念碑がある.
"江戸の地を立去り小山へ往って奥州の方へ出掛けやうかと思ひやしたが"(黒手組戸沢助六)
小山評定跡 2016
小山ゆうえんち おやまゆうえんち 鉄拐(太田藤志楼2:01) 1件1題 (東京1件) 小山市喜沢1475 "おっやま,あっれま,つつじまっつりを見に行こう"の小山遊園地は2000年にリニューアルされた.その後間もない2005年に閉園してしまう.中央の小山タワーのネーミングがほろ苦い.
"イェイ!小山ゆうえんち!いろんなことやって"(鉄拐)
小山遊園地 2003
間々田 ままだ 太田道灌(講明治大正6:24) など 6件3題 (圓朝2件, 東京4件) 小山市間々田 幸手栗橋古河間々田,日光街道の四天王のしんがり.駅前にある龍の像は,5月5日に行われる民俗芸能,間々田の蛇祭り(ジャガマイタ)をかたどったもの.街中を練り歩くだけでなく,間々田八幡の池に飛び込んで水しぶきをあげて暴れ回る.
"幸手、栗橋、古河、間々田さ、日光街道の四天王だねェ"(道灌)
間々田駅 2024
合戦場 かっせんば 懸取万歳(国書レコード:32) など 2件2題 (東京2件) 栃木市合戦場 日光例幣使街道.駅の南に遊廓跡の地割りがはっきり残る.16世紀の宇都宮氏と皆川氏の古戦場.駅北方,例幣使街道そばの升塚は,戦死者を埋めた塚という.
"栃木の合戦場の近在から才蔵が出てきて、日本橋の四日市に才蔵の市を張っていると"(懸取万歳)
升塚 2008
栃木 とちぎ 阿武松(青圓生08:05) など 16件8題 (圓朝3件, 東京13件) 栃木市 かつての県庁所在地.蔵の町として観光に力を入れている.「阿武松」では,2代目横綱綾川の出身地の用例.定願寺(旭町13)に墓がある.没年は明和二乙酉天正月廿二日と読めた.
"そのつぎが野州栃木の産で綾川五郎次"(阿武松)
綾川五郎次墓 2008
栃木:県庁 けんちょう 猫と鼠(講明治大正5:04) 1件1題 (東京1件) 栃木市入舟町あたり 1884(明治17)年まで栃木に栃木県庁が置かれていた.四角形の県庁堀が残り,緋鯉が泳ぐ.写真奥の尖塔は,栃木旧市庁舎.
"その頃栃木県の県庁は宇都宮へ敷かれないうちですから、県元でございます"(猫と鼠)
県庁堀 2008
栃木:大和町 やまとちょう 猫と鼠(講明治大正5:04) 1件1題 (東京1件) 栃木市倭町 倭町(やまとちょう).栃木の中心地.巻頭文にあるよう,遊興地でもあった.
"小竹と小むつという両人の芸妓は、大和町の愉快楼という料理茶屋の亭主が周旋をして弘めをしました"(猫と鼠)
倭町交差点 2008
利根川 とねがわ 猫と鼠(講明治大正5:04) 1件1題 (東京1件)   利根川が栃木県に使われるのはおかしいが,1項設けた.
"人を頼んで探索しましたが、谷川の早瀬の流れでございますから、利根川へ押し出して魚の餌食にでもなりましたことと見え"(猫と鼠)
     
越名 こえな 藤太の俵(化かされ侍, 三月書房(2006)) 佐野市越名町 越名(こえな).以下4件,新作の「藤太の俵」に出てくる.噺に出てくる越名の舟歌の碑が田島町の大聖寺にある.その歌詞は本文とは違い,"船は艪で行く越名の河岸をお江戸通いの高瀬船".今の越名は巨大なアウトレットモールのある土地.
"船頭衆が櫓を漕ぐときに唄いましたのが越名の舟唄だそうで"(藤太の俵)
越名の舟唄之碑 2008
越名河岸 こえながし 藤太の俵(化かされ侍, 三月書房(2006)) 佐野市越名町 越名河岸は渡良瀬川の水運を利用した物流の拠点だった.旧秋山川の河畔がその跡.佐野からここまで鉄道も通っていた.今はその面影はない.
"下野国安蘇郡越名村にございます越名河岸は、出舟百艘入り舟百艘"(藤太の俵)
旧秋山川  2008
熊野の社 くまののやしろ 藤太の俵(化かされ侍, 三月書房(2006)) 佐野市高山町か 越名の鎮守.高山町に熊野神社があるが,それのことか.南面しているので越名には背を向けている.
"どこへ行くんだい?越名村の熊野の社じゃ"(藤太の俵)
熊野神社  2008
犬伏 いぬぶせ 戸田の渡し(お紺殺し)(三一正蔵芝居噺:02) など 2件2題 (圓朝1件, 東京1件) 佐野市犬伏上町,中町,下町 犬伏(いぬぶせ).例幣使街道の宿場.駅の南の天明宿とは一里ほどしか離れていない.東西に例幣使街道がとおり,東端には米山古墳,薬師堂がある.ここで,関ヶ原の合戦の直前,真田昌幸・信之・幸村親子は,徳川豊臣の両軍に分かれて真田家が生き残る決断をした.
"佐野の犬伏という所に、次郎兵衛という大きな絹商人がございました"(戸田の渡し)
例幣使街道犬伏宿 2024
唐沢山 からさわやま 藤太の俵(化かされ侍, 三月書房(2006)) 佐野市富士町 圓朝には「唐沢山の山桜」という,お家騒動を描いた作品の腹案があったという.
"佐野の唐沢山にお城を築きましたのは藤原秀郷公、人呼んで俵の藤太"(藤太の俵)
唐沢山城石垣 1999
佐野 さの 新籠釣瓶(にっかつ談志:2) など 3件3題 (圓朝1件, 東京2件) 佐野市 佐野次郎左衛門を生んだ町.駅のすぐ北は佐野城址になっている.佐野氏は,唐沢山にあった城を慶長12(1607)年に佐野城に移した.慶長19年には所領を没収された.佐野駅前では,りりしい犬の像(さのまる)が出迎えてくれる.名物のラーメンどんぶりをかぶり,芋フライの剣を腰に差している.
"未練を振り捨てて、佐野の在所へ戻って見ると、可愛や女房子供たちは、淵川へ身を投げて"(新籠釣瓶)
佐野城を望む 2024
八木 やぎ 踊り聟(玄文珍日本:05) など 4件4題 (圓朝3件, 東京1件) 足利市福居町あたり 八木節の元祖である,堀込源太の顕彰碑は堀込町の宝性寺の境内隅にある.樽を叩く源太の姿を写した碑もある.源流である口説きを,チャカポコチャカポコと軽快に樽を叩いて囃し,アップテンポに変えたのが,初代堀込源太になる.かつては,源太翁之墓と彫られた碑があり,裏面には吹き込みを行ったビクターレコードのマークが描かれていた.初代源太(渡辺源太郎)の墓は,境内に整備されている.
"私は八木村から十人揃ってまいりやした、十人一所に唄って踊ります"(踊り聟)
八木節元祖 堀込源太翁之碑 2023
足利 あしかが 相撲の蚊帳(講明治大正4:06) など 8件7題 (圓朝5件, 東京3件) 足利市 足利を代表する銘菓,古印最中は,日本最古の学校である足利学校,足利氏の祖である鑁阿寺(ばんなじ),明治の画家田崎草雲を題材とする.足利学校の学校門は寛文8(1668)年の創建で,図書類は国宝に指定されている."足利学校","野之国学"ともに,足利学校の蔵書に捺されている古印をかたどっている.
"足利では取りましたか。自慢じゃないがこの興行は土つかず"(相撲の蚊帳)
古印最中 2022
船越 ふなこし 新籠釣瓶(にっかつ談志:2) 1件1題 (東京1件) 佐野市船越 佐野次郎左衛門の出身地,佐野の在船越とある.この船越かは確認はしていない.
"下野の国、佐野の在、船越の住、絹商人の次郎左衛門"(新籠釣瓶)
船越薬師堂 1998
古峰ヶ原 こぶがはら 初音の鼓(騒人名作01:21) など 2件1題 (東京2件) 鹿沼市草久古峰原 「初音の鼓」を叩くと,近くの人に狐がのりうつって思わずコンと鳴く「ぽんこん」という落語.初音の鼓を殿様に収めた道具屋が,レアな宝物"天狗の鼻クソ"を仕入れたのがここ古峰ヶ原.古峰ヶ原には,天狗の遊ぶ深山巴の宿がある.鹿沼からのバス終点古峰神社から登坂.
"それは下野国日光コブが原で取れた天狗の鼻糞である"(初音の鼓)
古峰ヶ原 1998
今市 いまいち 教育の一端(講明治大正2:18) 1件1題 (東京1件) 日光市今市 旧今市市.日光街道と例幣使街道が追分で合流.日光の手前で,今いちという風にも使われる.
"ある時今市辺まで用足しに行きまして"(教育の一端)
追分地蔵尊 1998
鬼怒川温泉 きぬがわおんせん ふぐ鍋(青小南:05) など 2件2題 (東京1件, 上方1件) 日光市藤原 「ふぐ鍋」のほか,もう1件の用例は「留守居番」(講昭和戦前4:07)になる.日光と鬼怒川温泉,参詣と行楽がセットになった古典的な観光パターン.今は,ずっと取り壊されずに骸をさらす廃墟ホテルが話題になる.
"指宿から鬼怒川へ出て、これから鳥取から伊豆のほうへ"(ふぐ鍋)
鬼怒川温泉 1998
藤原 ふじわら 敵討義侠の惣七(文明林 (1899))など 日光市藤原 新潟から清水峠をこえての道中.鬼怒川の藤原(ふじはら)のことか.現在は日光市の一部となっている.竜王峡は,火山岩を鬼怒川の流れが削ってできた奇勝.野岩鉄道龍王峡駅からハイキングコースとなっている.
"この恐ろしい山の中を藤原まで行くのだと"(敵討義侠の惣七)
竜王峡 2019
霧降滝 きりふりのたき 舟徳(講明治大正6:14) など 3件3題 (圓朝2件, 東京1件) 日光市所野 かつての滝見茶屋のところに駐車場と展望施設があり,そこから観瀑台まで徒歩.滝は上下二段になっている.
"那智滝から始まッて、日光の裏見、霧降など日本国中の滝尽しをやった時に、思わず聴衆が肌を入れたとか申します"(舟徳)
霧降滝 2000
日光 にっこう 雷飛行(講明治大正7:30) など 40件25題 (圓朝10件, 東京29件, 上方1件) 日光市 日光名所は,三遊亭圓朝の紀行文「上野下野道の記」7日目にくわしい.
"いかに日光とはいいながら雷様の御門番とは恐れ入りましたな"(雷飛行)
     
日光:鉢宿 はちじゅく 教育の一端(講明治大正2:18) 1件1題 (東京1件) 日光市か 鉢宿はない.鉢石(はついし)宿のことだろう.鉢石町に,町名の由来となった現物の鉢石がある.
"野州日光の鉢宿の旅籠屋に綿屋太兵衛と申す人があります"(教育の一端)
鉢石 1990
日光:小西屋 こにしや 海気の蝙蝠(百花園, 31-40 (1890)) 日光市上鉢石町1115 明治期の人情噺にちらりと出てくる日光の旅館.現在小西の名がつく宿は,奥日光の小西ホテルと,小西旅館を継承した星の宿となっている.
"旦那は勇吉を供に後より小西屋弥市郎方へ着き"(海気の蝙蝠)
小西星の宿 2017
蛇橋 じゃばし 廓文庫(百花園, 43-53 (1891))など 日光市 日光社参のための神橋.勝道上人が大谷川を渡ろうとしたとき,深沙大王が現れ,蛇と山菅を与えて助けたと言うことから,山菅の蛇橋と呼ばれる.有料で渡ることができる.
"アノ蛇橋と云ふ入口に朱塗の橋が有る"(廓文庫)
神橋 2017
東照宮 とうしょうぐう たが屋(三一談志1:09) など 7件5題 (東京5件, 上方2件) 日光市山内 久能山,上野,川越,世良田,船橋など大小の東照宮があるが,当然ながら日光が最も大きい.明治に入り二社一寺に分離.拝観有料.
"十二代将軍家慶が日光東照宮に参拝出立の前日で、玉屋不慶也と身代を潰され"(たが屋)
陽明門東照大権現 扁額 2000
東照宮:陽明門 ようめいもん ねずみ(青三木助:13) など 12件8題 (圓朝1件, 東京11件) 日光市山内 日光の象徴.「上野下野道の記」に,その彫刻類を細かく説明している.
"三井の大黒を彫りあげましたり、また日光東照宮陽明門を造りました"(ねずみ)
陽明門 1990
東照宮:木斑の虎 もくめのとら 三井の大黒(立名人名演05:13) 1件1題 (東京1件) 日光市山内 陽明門の中央左側の柱にある木目を生かした虎の浮彫.逆柱と違って,全く案内はない.
"陽明門に木斑の虎というのがございます。これも甚五郎の作でございます"(三井の大黒)
陽明門木斑の虎 2000
東照宮:御唐門 おからもん 三井の大黒(立名人名演05:13) 1件1題 (東京1件) 日光市山内 本殿前の四方唐破風造りの門.小さな門だが華麗な彫刻に埋めつくされている.
""陽明御門"、"御唐門"というのがございます"(三井の大黒)
東照宮唐門 2000
東照宮:お石の間 おいしのま 三井の大黒(立名人名演05:13) 1件1題 (東京1件) 日光市山内 東照宮拝殿の奥.撮影不可.
"お金のかかりましたのが、"堆朱の柱"、"お石の間""(三井の大黒)
     
東照宮:堆朱の柱 ついしゅのはしら 三井の大黒(立名人名演05:13) 1件1題 (東京1件) 日光市山内か 不詳.堆朱とは,漆を重ね塗りして,そこに模様を浮き彫りにした工芸品.
"お金のかかりましたのが、"堆朱の柱"、"お石の間""(三井の大黒)
     
東照宮:眠り猫 ねむりねこ 大黒(講明治大正2:23) など 20件12題 (圓朝1件, 東京17件, 上方2件) 日光市山内 奥社の入口.ここからは別料金.左甚五郎の代表作.牡丹に囲まれ,ネズミを捕るのも忘れて眠る猫.ガイドが叩くのか柱がはげちょろ.
"日光様にねぶりの猫というがござりますが実によい形の猫で……これも甚五郎の作"(大黒)
眠り猫 1990
東照宮:家康廟 いえやすびょう 三井の大黒(立名人名演05:13) 1件1題 (東京1件) 日光市山内 東照宮奥社,石段の上.大猷院廟と違い,家康廟は常に公開してくれている.
"日光にあります東照宮権現家康公のお霊屋"(三井の大黒)
家康廟 1990
裏見の滝 うらみのたき 舟徳(講明治大正6:14) 1件1題 (東京1件) 日光市丹瀬,日光 恨みの滝ではなく,滝壺の裏側へ回れることからの名.1902(明治35)年,滝にかかる庇状の岩が崩れてしまい,もとの裏見状態でなくなる.
"那智滝から始まッて、日光の裏見、霧降など日本国中の滝尽しをやった時に、思わず聴衆が肌を入れたとか申します"(舟徳)
裏見の滝 1990
日光:綿屋 わたや 廓文庫(百花園, 43-53 (1891)) 日光市安川町7-9 天明7年創業の羊羹店.創業者の綿屋半兵衛にちなみ,綿半と称する.旨くないとクサされているが,日光社寺の御用をつとめた.練羊羹は,切って時間がたつと断面に砂糖のシャリが浮いてくる.本店に近い田母沢御用邸では,羊羹を食べられるショップもある.
"何んだ綿屋の羊羹か旨くはないものだが日光土産と思うと"(廓文庫)
綿屋の練羊羹 2017
含満ヶ淵 かんまんがふち 廓文庫(百花園, 43-53 (1891))など 日光市 大谷川の景勝地.真言の"カンマン"に由来する.梵字の憾満を刻んだ岩が,護摩壇あとの霊庇閣の対岸にある.弘法大師が筆を投げて書いたという伝説が残る.ここへ向かうハイキングコースには,行きと帰りで数が違うという化け地蔵が並んでいる.
"大谷の川上を見渡した景色はどうだェ、含満ヶ淵と云ふが有って"(廓文庫)
含満ヶ淵憾満文字 2020
華厳の滝 けごんのたき 妻の酒(講評判全集1:09) など 5件4題 (東京5件) 日光市 今はエレベータで滝壺に行ける.華厳の滝は,藤村操が不可解なる巖頭之感を穿ち,自殺名所となった.
"あなたとならばどこまでも、日光の、華厳の滝の中までも、こちゃ厭やせぬ"(妻の酒)
華厳の滝 1990
日光の山 にっこうのやま 旅の里扶持(青正蔵2:23) など 8件5題 (圓朝2件, 東京6件) 日光市 天狗と剣術試合をいたすところ.中禅寺よりも出現頻度は高い.庚申山にも天狗は現れ,天狗の投石という大岩がごろごろした奇観がある.
"おい正六、見なよゥ。日光のお山"(旅の里扶持)
     
中禅寺 ちゅうぜんじ 三軒長屋(講明治大正3:16) など 13件5題 (圓朝1件, 東京12件) 日光市中宮祠 中禅寺湖畔の中禅寺のことだろう.1902(明治35)年の足尾台風では,中禅寺も被災して移転した.男体山南斜面が大きく崩れ,湖に流入した.その跡は観音薙という.
"壮年の折武者修行をいたして日光中禅寺において天狗と試合をいたしてこの耳をぶたれた時、ガーンと言ったきり未だに聞こえない"(三軒長屋)
     
中禅寺湖 ちゅうぜんじこ 雷飛行(講明治大正7:30) 1件1題 (東京1件) 日光市 日光いろは坂を登りつめた山上に広がる堰止湖.溶岩を突き破って華厳の滝から水が落ちる.ヒメマスが名産.写真の寺ヶ崎薬師や,上野島の開山勝道上人の墓へ船で渡る船禅定が行われる.
"中禅寺もいいところですけれども(中略)俺はこの湖水を越えてね、向山へ一つ入ってみようと思う"(雷飛行)
中禅寺湖寺ヶ崎 1998
庚申山:胎内くぐり たいないくぐり 庚申山(新撰落語 福, 博文館 (1900)) 日光市足尾町 鶯亭金升の明治の新作「庚申山」に石橋とともに登場.胎内くぐりは,『八犬伝』,犬飼現八の山猫退治の舞台とされる.石橋(天の浮橋)もあったが,崩壊した.
"彼の妖怪はそれとも知らず胎内くぐりを入ろうとするところを"(庚申山)
胎内くぐり 2004

掲載 040207/最終更新 240701

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