新潟県 | ||
圓朝地名図譜 |
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「おいそ、参れ」 と連れ出したのが、歌と市振(新潟県)のあいだ、一里半の難所親不知。波うちぎわで一ぷく吸いながら…… (林家正蔵(8) 「年枝の怪談」) 東大落語会編,『林家正蔵集』 下巻,青蛙房(1974) |
中部地方 | |||||||
地点名 | この1題・登場回数 | 位 置 | 備 考 | 写真と撮影年 | |||
北陸 | ほくりく | 国勢調査(白川小春団治:05) など 5件4題 (圓朝1件, 東京2件, 上方2件) | 富山・石川・福井県 | 富山・石川・福井の3県.新潟県を含むこともある. "雪のよう降る寒い国やそうで(中略)では北陸地方ですかなア"(国勢調査) |
北陸地方 | 2023 | |
北国 | ほっこく | 山崎屋(講明治大正7:04) など 21件8題 (圓朝1件, 東京16件, 上方4件) | 北国(ほっこく).都から見た北陸地方の古い呼び名で,江戸から見て北にあたる吉原も北国と呼ばれた.夜通しかかって急行列車"きたぐに"で行けた.車内で北國新聞を広げていても,風俗情報紙ではない. "北国………ハハアお国詰だの、北国、北の国と………アア加賀様かえ"(山崎屋) |
北國新聞 | 2022 | ||
日本アルプス | にほんあるぷす | 弥次郎(三一談志3:05) など 2件2題 (東京2件) | 新潟・富山・長野・岐阜・山梨・静岡県 | 日本の背骨,飛騨山脈(北アルプス),木曽山脈(中央アルプス),赤石山脈(南アルプス)の総称.鎌倉アルプスを含むこともあるとか.無理問答,一つでも北アルプスとはこれいかに,合併すれば南アルプス市と言うがごとし. "樺太に日本アルプスがあるのかい?"(弥次郎) |
鎌倉アルプス | 2022 | |
北アルプス | きたあるぷす | アナウンサーのテスト(新風金語楼3:46) 1件1題 (東京1件) | 新潟・富山・長野・岐阜県 | 飛騨山脈.用例は,北アルプスでは小雪という天気予報のアナウンス原稿.個別の山としては,白馬岳,立山,槍ヶ岳,穂高岳が落語に言及される.「立山の亡者宿」という大正期の新作の舞台となる立山は,富山県にあげている. "北アルプスでは小雪が降るおそれがあるかもしれません。天気予報を終ります"(アナウンサーのテスト) |
北アルプス | 2022 | |
新潟県 | |||||||
地点名 | この1題・登場回数 | 位 置 | 備 考 | 写真と撮影年 | |||
新潟県 | にいがたけん | ご対面は涙々のポタージュスープ(レオ三枝1:08) 1件1題 (上方1件) | 新潟県 | 下越地方,村上からスタートし,弥彦で一度佐渡へ寄り道してから,再び高田から県境の親不知に南下する順で新潟県の落語地名を紹介する.米どころ新潟県を象徴するような形のお菓子に米百俵がある.はくせっこうのように米粉を原料とするのではなく,和三盆でできている. "それで出身はどこだ?新潟県です"(ご対面は涙々のポタージュスープ) |
銘菓米百俵 | 2022 | |
越後 | えちご | 狸の鯉(立志ん生滑稽:16) など 82件51題 (圓朝13件, 東京62件, 上方7件) | 新潟県 | 旧国名.「狸の札」の越後の縮屋の掛取り,"牡丹は持たねど越後の獅子は"とか,"頼まれれば越後から米つき"にといった用例.越後出身者は,信濃者とならんで大食いの扱いをされる.子供の角兵衛獅子は,太鼓を腹にくくりつけ,逆立ちをして芸を披露した.「山岡角兵衛」という落語はこれを踏まえる.児童虐待の問題から大道芸としては失われたが,旧月潟村あたりの郷土芸能として伝承されている. "五円こしらえてくれ、なッ。越後から来る呉服屋に借りがあるんだ"(狸の鯉) |
角兵衛獅子人形 | 2022 | |
葡萄峠 | ぶどうとうげ | 三題噺怪化写絵(東京絵入新聞 (1887)) | 村上市蒲萄 | 「三題噺怪化写絵」は,新聞連載された談洲楼燕枝の三題噺.七福神の趣向を取り込んでおり,いかにも創作臭が強い.冒頭部が江戸時代の越後のシーンで,後には東京に舞台が移る.名前に特徴があるので,蒲萄峠(ぶどうとうげ)で間違いなかろう.今はトンネルが通じているので忘れられた峠道.つづら折れの道は旧国道7号で,登りつめると,巨大な明神岩に出る.その前には漆山神社の社殿がある. "鶴岡より越後へ通ふ葡萄峠うち越て"(三題噺怪化写絵) |
蒲萄峠明神岩 | 2019 | |
鬼坂峠 | おにさかとうげ | 三題噺怪化写絵(東京絵入新聞 (1887)) | 村上市大毎か | 蒲萄峠より南はすぐに村上市内になるので峠はない.蒲萄峠より北になるが,音の似た大沢峠が近くにある.石畳道が残っている.これが奥の細道で,笠松を越え,蒲萄峠へ通じている. "葡萄峠うち越て鬼沢峠へかかり升廿八九の旅僧が"(三題噺怪化写絵) |
大沢峠の石畳 | 2019 | |
大行新田 | だいこうしんでん | 三題噺怪化写絵(東京絵入新聞 (1887)) | 村上市大須戸大行 | 大行(だいぎょう)のことだろう.村上から新潟交通観光バスが日に数便ある.土地の人に聞くと,大行新田はないとのこと.目の前の水田は,大須戸の集落. "吾が家ハ直そこの大行新田トいふ所で"(三題噺怪化写絵) |
大行バス停 | 2019 | |
村上 | むらかみ | ダジャレ会社(新風金語楼2:02) など 4件2題 (圓朝3件, 東京1件) | 村上市 | 金語楼の新作落語に登場.用例を見ても,何のことかさっぱりわからない.新潟最北端の町.村上の名物は,堆朱に鮭の酒びたし,氷頭なます.村上城からは市街が一望. "村上むらへと流れ行く、相田だだ、相田田田、アァアィダダ……"(ダジャレ会社) |
村上市街 | 2000 | |
浮島の弁天 | うきしまのべんてん | 三題噺怪化写絵(東京絵入新聞 (1887)) | 村上市岩船下大町4 | 岩船市内.地元の方に聞いて,ようやく場所がわかった.干拓された琵琶潟の小島に弁天があり,行ってみるとまさに浮島の名にふさわしい場所だった.お堂の中にも弁天像が祀られていたが,もとの弁天像は今は最明寺に収められているという. "夫婦の中に子のない故岩船の天女堂といふ浮島の弁天様へ御願かけ"(三題噺怪化写絵) |
岩船弁天堂 | 2019 | |
乙宝寺 | おっぽうじ | 写経猿(大日本図書館06:05) 1件1題 (東京1件) | 胎内市乙1112 | 『今昔物語』を題材にした,三遊亭圓窓作の「写経猿」の舞台となる寺.釈尊左眼や猿が写経した木皮経が寺宝.写真のように,境内には猿塚もある. "今から千年前のこと。越後の中条に乙宝寺という寺がありました"(写経猿) |
乙宝寺猿塚 | 2000 | |
中条 | なかじょう | 写経猿(大日本図書館06:05) など 2件1題 (東京2件) | 胎内市 | 旧北蒲原郡中条町.乙宝寺を舞台とする三遊亭圓窓作の「写経猿」に登場する.中条町は合併して,現在は胎内市となっている.乙宝寺訪問に使った,中条駅発のバスは廃止されてしまった.中条の街中には,立派な門構えの料亭があったりして,力のあった町だったことを感じさせる.胎内市の花をあしらったカラーマンホールには,まだ"なかじょう"と書かれていた. "そのお寺は現在でも、新潟県北蒲原郡中条町にあります"(写経猿) |
中条下水道マンホール | 2023 | |
新発田 | しばた | 長者番付(青三木助:10) など 3件2題 (東京3件) | 新発田市 | 新発田藩10万石.新発田城の表門は国重文.城跡は自衛隊駐屯地になっていて,見学できる期間は限られている.大手町4の角には,義士堀部安兵衛誕生之處碑がある.清水園(入園有料)には,足軽長屋や新発田藩資料館のほか,堀部安兵衛伝承館がある.せっかく伝承とつけたのだから,岩見重太郎のワラジ的な展示品がもっとあってもいいのに. "三井さんの先祖ッてのァねェ、越後の人なんだよ、新発田の浪人でね"(長者番付) |
新発田城表門 | 2023 | |
新潟 | にいがた | お富・与三郎“島抜け”(旺国馬生2:12) など 26件23題 (圓朝11件, 東京14件, 上方1件) | 新潟市 | 政令指定都市となって市域は広い.本来の新潟は,駅のある沼垂(ぬったり)側から万代橋で信濃川を渡った北側.二之町や古町が噺に登場する. "単衣のものこれで冬まで同じもの、新瀉の冬は寒うございますから"(お富・与三郎“島抜け”) |
新潟市街 | 2008 | |
新潟:鍋茶屋 | なべちゃや | 空気枕(新風金語楼1:04) 1件1題 (東京1件) | 新潟市中央区東堀通8番町 | 弘化3(1846)年創業の料亭.古町花街でひときわ目立つ三階建ての建物.有形文化財に登録されている.きっと,演者の柳家金語楼もここで遊んだのだろう. "あそこの社員が、鍋茶屋という料理屋に、招待してくれたんだ"(空気枕) |
鍋茶屋 | 2023 | |
新潟:白山公園 | はくさんこうえん | 薮入り(講落語全集2:21) など 2件1題 (東京2件) | 新潟市中央区一番堀通町 | 新潟の名所だった.オランダ風の回遊式庭園として明治初年に開設.新潟遊園碑は三条実美の筆になる.右手の銅像は公園をつくった県令の楠本正隆. "船へ乗って新潟へ行って白山公園を見せて"(薮入り) |
新潟遊園碑 | 2008 | |
新潟競馬場 | にいがたけいばじょう | 競馬と女(戦線みやげ, 今日の問題社 (1938)) | 新潟市中央区信濃町あたり | 用例には新潟とだけあるが,水戸や長岡(京都)などすべて競馬場のこと.新潟競馬場は,越後線関屋駅の北にあった.関屋記念のレースに名を残している.敷地の南端にあたる関分公園に碑がある.明治41(1908)年に開業し,信濃川関屋分水の計画により,競馬場は移転となり,昭和39(1964)年に閉場したと書かれている.松あをくはろけき馬場をはやてなし 駒の駆けしも誰にかたらむ.きっちり情報がのっていて,こんな名碑はなかなかない. "水戸へも,長岡へも,新潟へも函館へもつて行く訳ぢやアなし"(競馬と女) |
新潟競馬場跡の碑 | 2023 | |
新津 | にいつ | 若旦那とわいらとエクスプレス(鉄道落語, 交通新聞社 (2013)) | 新潟市秋葉区新津本町 | 用例の落語は,2015年まで運行していた寝台特急トワイライトエクスプレスを題材にしている.かつて,石油の町として知られた新津は,鉄道を売り物にしている.駅前には鉄道観光案内所があった.案内された鉄道商店街は,ショウウインドウに模型や鉄道グッズが置かれているだけでなく,アーケードが鉄道風に飾り立てられていた.よく見ると,"E寝台"の札が下がっている.すごくいい寝台なのか,酔いつぶれて路上に無賃で寝る最低ランクの寝台なのか. "はいこれ、新津までの切符や"(若旦那とわいらとエクスプレス) |
にいつ0番線商店街 | 2023 | |
月潟 | つきがた | 山岡角兵衛(柳家小満ん口演用「てきすと」 10, てきすとの会 (2015)) | 新潟市南区月潟 | 旧西蒲原郡月潟村.月潟は,子どもが演じる大道芸,角兵衛獅子を生んだ土地で知られる.月潟郷土物産資料室の前庭には,さまざまなポーズを取る角兵衛獅子像が置かれている.館内には,歴史写真や,美空ひばりが「鞍馬天狗 角兵衛獅子」(1951)で演じた杉作の蝋人形が展示されている.今も月潟の小中学生は,角兵衛獅子をならっていて,隣接する体育館で演舞を披露する. "角兵衛獅子ッてえものは、越後の蒲原郡月潟村ッてえ処から出て来たンだそうで"(山岡角兵衛) |
角兵衛獅子像 | 2023 | |
村松 | むらまつ | 八重葵噂天一(三友舎 (1892)) | 五泉市村松 | 旧村松町.用例にもあるとおり,越後村松藩堀家3万石の城下だった.かつては五泉と加茂から蒲原鉄道が通じていたが,1999年にすべて廃線となった.陣屋規模の城址は,郷土資料館となっており,鉄道車両も展示されていた.寛永寺に寄進した手水鉢が,村松に戻ってきている.堀家の家紋の釘抜き紋が浮き彫りになっており,土台には村松城の外堀に使っていた大沢石が敷かれている. "越後の村松は御成街道の堀様の御領分三万石の城下"(八重葵噂天一) |
村松藩家紋入り手水鉢 | 2023 | |
守門山 | すもんやま | 八重葵噂天一(三友舎 (1892)) | 魚沼市, 条市, 長岡市 | 守門岳(すもんだけ).標高1537m.守門山とも呼ばれる.日本二百名山の一つに数えられる.この山中に設定された浪人村を,のちに天一坊となる法沢が訪ねる.実際には前項の村松からは,南に約8里も離れている.守門山の南方3里は山深い場所になるので,浪人村自体,創作ではないか. "村松へ一夜泊まり、ここから北の方へ三里、守門山に浪人村があります"(八重葵噂天一) |
守門岳 | 2023 | |
新飯田 | にいだ | 敵討義侠の惣七(文明林 (1899)) | 新潟市南区新飯田 | 越後新潟などを旅回りしていた司馬龍生(三遊亭圓新)の人情噺が,新潟市内や新潟南部の新飯田(にいだ)を舞台とする.実在の侠客,新飯田惣七の伝で,彼の出生から売り出し,敵に恨まれて殺されるまでを描く.あまりにたくさんの地名が登場するため,「義侠の惣七」は別立てのページとした.今も縁者がおられ,惣七墓を案内していただいた.墓碑は摩耗しており,何も碑文を読むことができない. "越後国蒲原郡新飯田村の侠客惣七の実伝でござります"(敵討義侠の惣七) |
新飯田惣七墓 | 2016 | |
西川町 | にしかわちょう | ご対面は涙、涙のポタージュスープ(桂三枝創作落語大全集, メディアクラフト牡牛座 (2004)) | 新潟市西蒲区 | 旧西蒲原郡西川町.西川町では,桂三枝(文枝)に田んぼを提供して稲刈りイベントを行っている.西川中のそばに看板があった.それなのに,近くの中学生に尋ねても全く知らなかった.ドリームパラライスとは,食べたらしびれてしまいそうな命名. "新潟県の西川町にある、料理屋の娘だったんです"(ご対面は涙、涙のポタージュスープ) |
桂三枝の田んぼ | 2005 | |
岩室 | いわむろ | 目黒の秋刀魚(立川談志遺言大全集 9, 講談社(2003)) | 新潟市西蒲区 | 旧西蒲原郡岩室村.岩室温泉で知られる町.新潟市と合併した.こちらは,立川談志の名をつけた田んぼの説明.岩室駅から徒歩30分,夏井のはざ木展望施設のところにあった. "談志米と称する新潟米は西蒲原郡岩室村という温泉地で、家元自ら、お手植え"(目黒の秋刀魚) |
談志の田んぼ | 2008 | |
弥彦 | やひこ | 女中奉公(新風金語楼1:15) など 2件1題 (東京2件) | 西蒲原郡弥彦村 | 女中志願者の出身地として登場する.村役場そばに(建設当時)日本一の弥彦神社の大鳥居.平野の中にあるので一段と目立つ.弥彦山(標高634m)には,ロープウェイが通じている. "越後ノ国西蒲原郡弥彦村一万二千三百四十五番地でがす"(女中奉公) |
弥彦神社大鳥居 | 2013 | |
弥彦明神 | やひこみょうじん | 八重葵噂天一(三友舎 (1892)) | 西蒲原郡弥彦村弥彦 | 春錦亭柳桜の「八重葵噂天一」に登場する.天一坊の実説を描く.弥彦神社.背後にそびえる弥彦山がご神体で,祭神は天香山命.境内に津軽侯の寄進した火の玉石がある.持ってみてその重さで願いが叶うか判断する. "越後で大きな山というと弥彦明神これは大山でございます"(八重葵噂天一) |
弥彦神社 | 2013 | |
国上寺:五合庵 | ごごうあん | 良寛ものがたり(今だからこそ、良寛,考古堂書店 (2014)) | 燕市国上 | 良寛さんの生涯を描いた新作落語.出雲崎から尾道の円通寺で修業し,国上寺(こくじょうじ)の五合庵に落ち着いた.一日五合の米で暮らす.晩年は国上山(くがみやま)を下りて乙子(おとご)神社に住んだ.墓は長岡隆泉寺にある. "沙門良寛 四十八歳 住まいを定めた五合庵"(良寛ものがたり) |
国上寺五合庵 | 2016 | |
佐渡 | さど | お富・与三郎“島抜け”(旺国馬生2:12) など 32件30題 (圓朝3件, 東京22件, 上方7件) | 佐渡市 | 2004年に町村合併し佐渡市.道遊の割戸は金山の露天掘跡.宗太夫坑は観光鉱山になっている.バスの便はなかったので,途中に整備された奉行所跡,露天掘りの道遊の割戸,水替人足墓など見どころはあるが,2時間歩くことになった. "佐渡は島国でございます。天気のよい日はむこうに本土がスーッと見える"(お富・与三郎“島抜け”) |
宗太夫坑入口 | 2000 | |
佐渡:金山 | かなやま | 長屋の孝行(講昭和戦前3:17) など 3件2題 (東京3件) | 佐渡市下相川 | 「お富・与三郎」島抜けの舞台.金山送りになった与三郎は,瓢箪くびりなどの拷問におびえながらも,板子一枚抱いて佐渡の断崖から飛び降り島抜けする.写真は覚性寺あとに建つ佐渡金山排水人夫の墓. "金の釜を掘り出した。冗談いっちゃいけねえや、佐渡の金山じゃあるめえし"(長屋の孝行) |
水替人足無宿の墓 | 2000 | |
佐渡:相川 | あいかわ | お富与三郎(駸々堂 (1893))など | 佐渡市相川 | 金山を控え,佐渡奉行所が置かれた佐渡の中心地.城下にたとえられるほど人が集まっていたが,金山の衰退ともに人口流出した.奉行所の建物は,訪問のすぐ後に復元されている. "中山峠を越えて相川という所へ参ります、佐渡は相川という所が城下見たようなよい所だそうで"(お富与三郎) |
佐渡奉行所跡 | 2000 | |
佐渡:塚原 | つかばら | 蒟蒻問答(講明治大正3:08) など 8件3題 (圓朝1件, 東京7件) | 佐渡市 | 「こんにゃく問答」など宗教を扱ったマクラに登場.日蓮が佐渡に流された地が塚原.根本寺(新穂大野)と妙満寺(目黒町)の2つの説がある.妙満寺は,根本寺から4kmほど離れており,バスの便は悪い.この近辺を塚原とする有力な説がある. "佐渡国塚原にありましたのを塚原問答"(蒟蒻問答) |
塚原 妙満寺を望む | 2000 | |
佐渡:小木 | おぎ | 佐渡行き(お富与三郎)(柳家小満ん口演用「てきすと」 26, てきすとの会 (2017)) | 佐渡市小木町 | 佐渡送りの囚人の護送ルートの説明.今も,直江津港から小木港へのフェリーが運航されている.小木港では,佐渡名物のたらい船体験ができる.「佐渡情話」のお光は,たらい船で日本海を渡って,柏崎の吾作に会いに行った. "佐渡の小木の浜ッてえ処へ着いて、西側の海っ縁からずうっと行って"(佐渡行き(お富与三郎)) |
小木港・タライ船(絵葉書) | 2023 | |
寺泊 | てらどまり | お富与三郎(駸々堂 (1893)) | 長岡市 | 旧三島郡寺泊町.春錦亭柳桜の「お富与三郎」に登場.佐渡送りの囚人が通るルートの説明.善光寺街道を通り寺泊から佐渡へ向かう.今も寺泊港から佐渡赤泊港に高速船が出ている.今の寺泊は観光客向けのお魚センターの町.串に刺して焼いたサバ,イカ,ツブガイなどの海産物を,店先のベンチで食べるスタイル. "善光寺街道を往った者は越後の寺泊から船に乗りこれからいたして佐渡まで海上十八里"(お富与三郎) |
寺泊港 | 2013 | |
出雲崎 | いずもざき | お富与三郎(駸々堂 (1893))など | 三島郡出雲崎町 | 春錦亭柳桜の「お富与三郎」に登場.佐渡送りの囚人の通るルートの説明.会津街道を通り出雲崎から佐渡へ向かう.出雲崎は良寛と石油の町.石油記念公園には,機械開坑第一号井の碑や蒸留釜が展示されている.掘削にあたった旧日本石油のロゴが彫られていた.久しぶりに見たが,宇宙人の一夜干しのようでやっぱり不気味. "会津街道から往った者は越後の出雲崎から船で参り"(お富与三郎) |
出雲崎石油記念公園 | 2013 | |
出雲崎:良寛堂 | りょうかんどう | 良寛ものがたり(今だからこそ、良寛,考古堂書店 (2014)) | 三島郡出雲崎町石井町 | 江戸後期の僧で,書家でもある良寛伝の新作落語に良寛堂と光照寺が登場.光照寺は良寛得度の寺.生地の橘屋跡に,海を背にして良寛堂が建つ.中には良寛持仏の石地蔵を収める.記念館の良寛の書に"うるさきものは おとしばなしのながき ひきことのおほき"とあった.落語家の長話はお嫌いのよう. "生家は屋号を橘屋といいまして、その屋敷跡には今、良寛堂が建てられています"(良寛ものがたり) |
良寛堂 | 2013 | |
二田 | ふただ | 頼むぜ角さん(立つばめ2:01) 1件1題 (東京1件) | 柏崎市西山町二田 | 田中角栄首相が打ちあげた日本列島改造論の頃の新作.田中角栄生家は坂田にある.記念館には中国風庭園が併設. "田中角栄。大正七年五月四日。新潟県刈羽郡二田村というところで生まれましてね"(頼むぜ角さん) |
田中角榮記念館 | 2001 | |
長岡 | ながおか | お富・与三郎“島抜け”(旺国馬生2:12) など 3件3題 (圓朝2件, 東京1件) | 長岡市 | 山本五十六と河合継之助の出身地.柿の種は長岡発祥の銘菓,小泉首相所信表明演説の米百俵の逸話を思い出させる米俵型の菓子もある.98俵詰めが最大,惜しい. "俺の女あ長岡で近えから、まずそこで落ちついて、それからまた江戸へ出るかも"(お富・与三郎“島抜け”) |
長岡銘菓柿の種 | 2008 | |
小千谷 | おぢや | 新宿三人遊(講明治大正4:26) など 5件3題 (東京5件) | 小千谷市 | 小千谷縮みの集散地で,錦鯉の産地でもある.「狸の鯉」では,越後の縮屋が代金の掛け取りに来る.用例の「新宿三人遊」は「縮み上がり」のこと.新宿の遊女の訛りがあまりにひどくて,揚がった客が縮みあがる.越後のちぢみは,糸の色つけ,しぼ出し,雪さらしと,独特の工程をいくつも重ねて作られる. "お前の国はどこだへ……。越後の小千谷だがのんし"(新宿三人遊) |
小千谷縮いざり機 | 2023 | |
塩沢 | しおざわ | 和歌三神(柳家小満ん口演用「てきすと」 15, てきすとの会 (2016))など | 南魚沼市塩沢 | 『北越雪譜』は,塩沢の商人,鈴木牧之による雪国の暮らしに関する本.「塩原多助後日譚」に出てくる熊に助けられた女の話も載っている.雪ざらしの越後縮についての文章が彫られた碑は,鈴木牧之記念館の前にある. "『北越雪譜』なんという、江戸時代の書物が厶いますが、あれは越後塩沢の雪についての、あれこれを述べておりまして"(和歌三神) |
北越雪譜之碑 | 2000 | |
小出 | こいで | 麻のれん(柳家小満ん口演用「てきすと」 19, てきすとの会 (2016)) | 魚沼市 | 旧北魚沼郡小出町.魚沼市の中心地区.小出の南東方向,栃尾又温泉や折立温泉の先にある駒の湯温泉に泊まったというマクラ.ぬる湯が豊富に沸く駒の湯山荘には電気が来ておらず,ランプの宿として知られる.小出橋詰には,『北越雪譜』の一節,小出嶋あたりで見られる霧氷現象,シガについての文が刻まれている.川からあがる水蒸気が,冷気にあって着物や梢に霜として付着する. "新潟にランプの宿というのが厶いまして、小出という処から車で小一時間程行った山の中腹にあります"(麻のれん) |
小出橋北越雪譜説明 | 2023 | |
柏崎 | かしわざき | お富与三郎(駸々堂 (1893))など | 柏崎市 | 春錦亭柳桜の「お富与三郎」に登場.写真は「佐渡情話」のモデル,お光吾作の碑.柏崎からたらい船に乗って佐渡へ通った.諏訪神社(柏崎市番神2-4)境内. "アレが越後の寺泊りあすこが柏崎.高く山が見えるだらうアレが越中の竪山"(お富与三郎) |
お光吾作碑 | 2001 | |
柏崎:頓珍館 | とんちんかん | 応挙の幽霊(柳家小満ん口演用「てきすと」 1, てきすとの会 (2015)) | 柏崎市青海川 | とんちン館.ダンナと呼ばれた石黒敬七の珍品コレクションを展示.春風亭柳橋などと,とんち教室に出演していたのを知っているのはマニアかシニア世代.とんちン館は,現在,風の丘と呼ばれる高台にあった.2001年に閉館して,こどもの時館.こちらも2015年に閉館.柏崎市農林漁業資料館の銘板をかろうじて確認できた.今は柏崎コレクションビレッジとして,玩具・陶器などを展示する施設がある. "新潟の柏崎に厶いまして、<頓珍館>という記念館で厶います"(応挙の幽霊) |
旧こどもの時館 | 2017 | |
八百万神 | はっぴゃくばんじん | お富与三郎(駸々堂 (1893)) | 柏崎市番神か | 春錦亭柳桜の「お富与三郎」に登場する.島抜けした与三郎が,鯨波のそばの海上から灯りを見つける場面.速記には"じん"としかルビが振っていない.普通は,"やおよろずかみ"か"はっぴゃくまんじん"と読むだろう.鯨波の近くの番神岬は,佐渡を赦免になった日蓮が,嵐にあって漂着したところ.「お富与三郎」もこれを踏まえて鯨波の地名を出したと思われる.それならば,八百万神ではなく,三十番神(さんじゅうばんじん)のこと. "向こうがモー八百万神の常燈明だ、これから先は遠浅だから"(お富与三郎) |
番神堂 | 2013 | |
鯨波 | くじらなみ | お富与三郎(駸々堂 (1893)) | 柏崎市鯨波 | 春錦亭柳桜の「お富与三郎」に登場する.島抜けした与三郎が漂着し,ここの目明かしを頼って江戸に戻る.鯨波は海水浴で有名.最近まで関東地方から臨時列車が運転されていた. "水は腰くらいの所ゆえこれを渡って鯨波という所へ上がりました"(お富与三郎) |
鯨波海岸 | 2013 | |
米山 | よねやま | 味噌蔵(筑摩滝田ゆう:12) 1件1題 (東京1件) | 柏崎市,上越市 | 米山甚句(米山さんから雲が出た♪)で登場する.「味噌蔵」で店員が浮かれて歌うのは磯節のことが多い.写真の恋人岬へは,海に近い駅で知られる青海川駅から徒歩. "米山さんからァー雲ォがァー出ェたァー"(味噌蔵) |
米山 | 2001 | |
松山 | まつやま | 松山鏡(講明治大正5:74) など 18件1題 (東京18件) | 十日町市松之山 | 「松山鏡」は越後松之山の噺.本家の謡曲「松山鏡」の舞台である鏡が池は,松之山温泉から東方6kmほど.松之山温泉はホウ素含有量が日本有数. "松山と申しますところは越後国魚沼郡松山の庄と申します"(松山鏡) |
鏡が池 | 1998 | |
大鹿 | おおしか | 煙草の競争(明治大正落語名人選集 5, 日外アソシエーツ (2018)) | 妙高市大鹿 | 三遊亭小圓朝(2)が演じる「煙草の競争」(煙草好き)に,日本各地の煙草産地の一つとして登場する.大鹿たばこは全国的にひろまり,昭和初年まで専売煙草に大鹿刻と記されていたという.大鹿では,もはや煙草を生産していないらしい.関山駅の東,関川を渡って大鹿に入った小公園(妙高清流公園)内に,1996年建の大鹿たばこ発祥の地碑がある. "この次が越後の大鹿、香は悪いが舌の荒ない煙草ですな"(煙草の競争) |
大鹿たばこ発祥の地碑 | 2023 | |
直江津 | なおえつ | 忍三重(柳家小満ん口演用てきすと その四,てきすとの会 (2015)) | 上越市の直江津地区 | 高田と合併して上越市.直江の津と呼ばれた港町.今町は圓朝ものに出てくる.佐渡汽船の屋上展望台には直江津港の模型が飾られていた.ボタンを押すと,双胴船とおぼしきフェリーがゆっくりと港を巡ってくる.直江津駅前には,名前が何とも気になる継続だんごに,タラ尽くしの具が入った鱈めしの駅弁. "越後の今町と申しますと、只今の直江津で厶いますが"(忍三重) |
直江津港模型 | 2017 | |
高田 | たかだ | 小判一両(青圓生12:11) など 7件4題 (圓朝4件, 東京3件) | 上越市の高田地区 | 直江津と合併して上越市.豪雪地帯の高田には雁木の商店街がある.粟飴・翁飴を扱う,寛永年間創業の老舗がある.スキー正宗の看板がいい. "ご生国はどちらでいらっしゃるんで……。越後の高田でござる"(小判一両) |
高田雁木の町並み | 2008 | |
高田城 | たかだじょう | 雲霧五人男(金桜堂 (1886)) | 上越市本城町 | 高田藩の城下町.高田城は,堀と土塁に囲まれた平城.三重櫓は平成に入って復元された.「雲霧五人男」には,高田在の玉井や長井などの土地が出てくるが,いずれも不明. "あれは高田の城下の呉服屋の娘にてお簑と言って"(雲霧五人男) |
高田城三重櫓 | 1998 | |
金谷山 | かなややま | 給水塔の怪談(砂漠のバー止まり木, 講談社 (2008)) | 上越市大貫 | 「給水塔の怪談」では,三遊亭白鳥の出身地,高田の話とは明示されていないが,ここを意識していることに間違いない.金谷山は高田市街西側,標高145m.日本のスキー発祥地とされ,オーストリアのレルヒ少佐像と記念館がある.最近,コミカルなキャラクター,レルヒさんとして引っぱりだこ. "金谷山って言ったら、おらたちがよくスキーに行くところか"(給水塔の怪談) |
レルヒ像と日本スキー発祥記念館 | 2008 | |
春日山 | かすがやま | やかん(うなぎ書房, 十代文治噺家のかたち (2001)) | 上越市中屋敷あたり | 「やかん」の軍談の件で登場.上杉謙信の居城.春日山城跡は広大な敷地に毘沙門堂など. "越後の国春日山の主上杉弾正の性執権従五位の下不識院殿権大僧都法印謙信真光修身大阿闍利"(やかん) |
春日山城二の丸を望む | 2004 | |
郷津 | ごうつ | 薮入り(講落語全集2:21) など 2件1題 (東京2件) | 上越市虫生岩戸 | 郷津の国分寺の用例.虫生岩戸の港.このあたり越後国府へ流された親鸞聖人の上陸地. "郷津へ行って国分寺を参詣して"(薮入り) |
郷津港 | 1998 | |
国分寺 | こくぶんじ | 薮入り(講落語全集2:21) など 2件1題 (東京2件) | 上越市五智3-20 | 華蔵院.県内ではここと乙宝寺(「写経猿」)にしか三重塔は残っていない.茶店で老人が談笑したりして時間が緩く流れていた. "郷津へ行って国分寺を参詣して"(薮入り) |
国分寺三重塔 | 2004 | |
糸魚川 | いといがわ | 忍三重(柳家小満ん口演用てきすと その四,てきすとの会 (2015)) | 糸魚川市 | 糸魚川から姫川をさかのぼり,大町へ向けてずっと谷筋が通っている.塩の道,大糸線でもあり,糸魚川静岡構造線でもある.強い変成作用によって生まれるヒスイは,糸魚川が日本最大の産地.台風や雪解けの後には,海岸に打ち寄せられたヒスイが取れるという.色は緑と限らないというから,素人目にはわからない. "次の沖掛かりは糸魚川で厶いまして、この間、海上十里の波路で厶います"(忍三重) |
糸魚川産ヒスイ原石 | 2017 | |
糸井川:大和川 | やまとがわ | 北国奇談 梅の大木(東錦:03) | 糸魚川市大和川 | 糸魚川市の東に大和川という地名がある.川ではない.大和川にあった工場で作られた煉瓦が,フォッサマグナミュージアムに展示されていた.フォッサマグナというと,ひとまたぎできるような断層かと思っていたが,幅100kmもある新しい堆積層だという. "越後の糸井川といふ所へ参りました時には身体つかれてがっかりした ちょうどそれより大和川といふ所へ行きました"(北国奇談 梅の大木) |
大和川のレンガ(フォッサマグナミュージアム蔵) | 2017 | |
子不知 | こしらず | 王子の狐(講昭和戦前1:02) など 2件2題 (東京2件) | 糸魚川市歌 | 親不知子不知(おやしらずこしらず)とセットで出てくる難所.親不知の東,落水と歌との間の海岸線.崖がせまっているため,後発の高速道路の建設用地が確保できず,海に突きだしてしまっている. "親知らずや子知らずは怖くはねえが、突き落しにつかまった日にゃア命を落とすといって"(王子の狐) |
子不知を望む | 2017 | |
子不知:駒返し | こまがえし | 根岸の雨宿(講談雑誌, 3(12) (1917)) | 糸魚川市歌 | 子不知側の難所.旧国道6号に,駒返洞門の名がついている.写真の狭い洞門は封鎖され,現在はトンネルが通っている.車の通行は多く,歩く人などいなかった.吹きすさぶ風の中,海岸までの垂直梯子を降りる勇気はとてもなかった.洞門西口にある高野九蚶の句碑には,岩角の蔦を手綱や駒がへしと彫られている. "実に恐ろしいもので、駒返しと云ふ難所の内の難所がございます"(根岸の雨宿) |
駒返洞門 | 2004 | |
歌 | うた | 年枝の怪談(青正蔵2:22) など 3件2題 (東京3件) | 糸魚川市歌 | 親不知駅を出てすぐ.山にはばまれ,ぽつんと取り残されたような雰囲気の集落.水上勉の「越後つついし親不知」の文学碑がある. "泊まりに泊まりをかさねて歌という、宿ィまいりまして菊屋という宿屋ィ泊まった"(年枝の怪談) |
歌集落を通る北陸道 | 1998 | |
親不知 | おやしらず | 花曇中も宵月(百花園:01) など 6件4題 (東京6件:薮入りなど) | 糸魚川市市振・外波 | 波打際を駆抜けて通った北陸道の難所.駐車場から海岸まで降りられるほか,旧信越本線のトンネルを抜けて周遊する遊歩道も整備された.噺に描かれた北陸道は,海流が変わり,以前に増して通るのは危険になったという.例文の四代目圓生の「花曇中も宵月」は「怪談累草紙」.一夜を契ったものの瞽女の容貌の醜さに変心した山三郎がお磯を斬り殺す場面.小田井とあるが,実際には他の速記にもあるように歌のことだろう. "小田井へ係る手前に親知らずと云ふ難所が御座います"(花曇中も宵月) |
親不知 | 2017 | |
市振 | いちぶり | 怪談累草紙(親不知の場)(三一正蔵芝居噺:11) など 3件2題 (東京3件) | 糸魚川市市振 | 芭蕉句碑は長円寺に建つ."一つ家に遊女も寝たり萩と月".相馬御風の書.市振には芭蕉滞在の宿,桔梗屋の跡を知らせる表示もある. "連れ出したのが歌と市振の間、一里半の難所親不知"(怪談累草紙(親不知の場)) |
長円寺芭蕉句碑 | 2017 | |
越後新田 | えちごしんでん | 松山鏡(立文楽2:06) など 3件1題 (東京3件) | 不明 | 「松山鏡」で登場.どこを指すか不明. "越後新田から在松山村、ここ一ヵ村には鏡というものがございません"(松山鏡) |
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越後田宿 | えちごたじゅく | 浮世話(講明治大正3:02) 1件1題 (東京1件) | 不明 | 「浮世話」(やかん)で登場.どこを指すか不明. "越後田宿に多右衛門という者ががいて、それに一人の美しい娘があった"(浮世話) |
掲載 050708/最終更新 231201