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絶滅危惧落語 
| 絶滅危惧落語 その4 | 演者順 |
本ページでは,寄席の定席で聴いたり,最近の落語全集で見ることができない珍しい落語をピックアップして追加紹介したい.いわば,忘れられた落語のため,戦前の雑誌,書籍から掘りだしてきたものが多い.これらの落語が演じられなくなった理由は一つではない.はじめから掛け捨てのつもりで作られたもの,よい噺でも継承する人がいなかったもの,難しいわりには面白くないもの,時代風俗が合わなくなったもの,現代のコンプライアンスに抵触するものなど,さまざまな理由で消えていったと考えられる.現在,演じられる古典落語の数は700席ほどと言われている.『落語事典』には1200席を超える演目が記されている.その3までの150席の紹介ではまだまだ足りない.200席を区切りとして,ここまでとしておきたい.
なお,多数の速記が残されている場合は,できるだけ古いもの,内容のよいものを選ぶようにした.また,雑誌の巻号については,雑誌によって□号,○巻□号,○巻□月号や○巻□編など,まちまちのため,すべて○(□)の表記に統一した.
本ページには,身体的特徴や職業・身分等に関して差別的表現が含まれている.古典作品の内容を正確に伝えることを目的としており,作品が出版された当時の状況を鑑み,言い換え等は最小限にとどめた.
| 151 春風亭小柳枝,神仏論,百花園, (208), 37-47 (1898) |
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【あらすじ】 石町の新道で骨董屋を開いているご夫婦,ご主人は神道に凝り固まっており,奥さんは仏教に凝り固まっている.これじゃあ,夜に日に喧嘩が絶えない.「あなたは,近ごろ万願寺という御酒をあがるじゃないですか.お茶は喜撰,坊さんの名でございます」「それだから飲むとすぐに小便にするのだ」「お茶菓子はカステラ[寺]で,なめ物は金山寺をあがります.みんな寺の名前でございます.それでもあなたは神道でございますか」 口げんかに負けた旦那は,女房の胸ぐらを取って締めつけた.「何をなさいます.竹や,お茶でもお湯でも持ってきておくれ」.一口飲むと,「アー,熱いじゃないか.気が急いた時はうめてくれなきゃ困るよ.あまり熱いからのどの仏様をやけどしたよ」「いい気味だ.のど仏を火傷するはずだ.飲んだ茶碗は新渡[神道]だもの」 【ひとこと】 清「貴方は五戒をお守りなさいませんからいけません 主「ゴカイと云ふのは何だ魚を釣る餌差(えさ)か………… 清「あれはごかひで御坐います私の申すのは五戒で御坐います 主「雑炊(おじや)の類か…………(神仏論) 神仏論(しんぶつろん)は,『百花園』208号に掲載された.春風亭小柳枝(1)(柳枝(4))演,吉田欽一速記.『落語事典』には「神道の茶碗」の演題で載っている. 【つけたし】 「神道の茶碗」の速記はいくつか見つかるが,多くは柳枝(4)のもの.神道びいきの旦那と仏教びいきの奥さんとのパンチの応酬が聞きどころ.客席には,神道派も仏教派もいるだろうから,一方的に旦那がやり込められるわけではない.女中のところに夜這いに行ったことまですっぱ抜かれ,形勢がわるくなると,旦那はダジャレのクリンチで巧みに逃れたりする.おかみさんの"五戒"のフックは,"お粥"のスウェーでは防ぎきれない.サゲに使われた新渡(しんと)は,中国清代に作られたものを指す.骨董屋だけあって,普段使いの茶碗にも輸入物をつかっていたということだろう.新渡,呉須染付の湯飲みといっても,値段はピンキリで,真贋を見わけるのも簡単ではない.恥ずかしくて,ここに値段は書けないが,写真のものは本物だろうか.素人が骨董に手を出すと火傷する. |
| 152 三遊亭圓橘,水中の黄金,文芸倶楽部,18(1), 253-259 (1912) |
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【あらすじ】 怠け者の塚本は,15を頭に16人も子供がいるくせに,何の仕事をやっても長く続かない.それならば,いい仕事があると,相談を受けた鈴木が誘った.死んだ親父が残した本をながめていたら,いい金儲けを思いついた.『江戸砂子』という本に,佐渡の金を積んだ船を江戸へ運ぼうと,品川から伝馬船に乗せかえて隅田川を上ってくると,両国橋の手前で暴風に遭って船がひっくり返ってしまった.川底にはまだ金の延べ棒が沈みっぱなしになっていると書いてある.大きなビンをこしらえたから,それに入って,沈んだお宝を夜中に引き揚げようというのだ. 塚本は,深夜1時,両国の一銭蒸気船着き場に行き,鈴木の用意した船でこっそり乗り出した.ガラス瓶に塚本が入ると,固くコロップで栓をして水にドボンと沈めた.栓にはゴム管が通っているので息も出来るし,声も伝わる.マッチを擦ってあたりを照らすと,魚が寄ってきただけで,金の延べ棒は見つからない.「もう二十間ばかり下手へ回りますよ」「水底を転がっていくのは嫌な心地だ.ビンが欠けたら大変なことになる」「おい,船をもやったからマッチをつけてごらん」「へい.金の延べ棒はと…….ああ,あるある.泥の中でピカピカ光っている.おっ,こっちにも5,6本,金の延べ棒が光ってますよ」「そうかい,早く取っておくれ」「待って下さいよ.あー,手が出ません」 【ひとこと】 ○「貴郎は船の中に居るから宜いが私を辣韮(らっきょう)のアチヤラ漬見たやうに、壜の中へ詰めて、コロップの口をして川の中に投(ほう)り込んで、息が出なけりやァ死んでしまうぢやァありませんか」 ○「然んな心配は入らない、息はチヤンと出来るよ」 ○「どうして息が出来ます」 △「コロップに一寸か一寸五分位の穴がある。其れへ水道の口へ附るゴムが二丈も三丈も長く継がつて居て其れから空気の通うやうになつてる」(水中の黄金) 水中の黄金(すいちゅうのおうごん)は,『文芸倶楽部』18巻1号に掲載された.三遊亭圓橘(3)演,今村次郎速記.挿絵1枚.『落語事典』には「水中の玉」の演題で載っている. 【つけたし】 上方落語の「小倉船」の前半部も,南蛮渡来のフラスコに入って,落とた金を探しに海底に潜るストーリーになっている.本作は,益田太郎冠者の作とある.ガラスの器に入って水中に潜るというアイデア自体は,特に目新しくはないので,「小倉船」を下敷きにした訳ではないだろう.『評判落語全集』下巻(講談社 (1933))や『柳家小満ん口演用「てきすと」』36(てきすとの会 (2019))にも「水中の玉」が収められている.『百花園』に載っている圓遊(1)の「水中の球」は,「浦島屋」が本題で,「水中の玉」ではない. 塚本や鈴木という落語らしからぬ登場人物,川底に眠る徳川の財宝を記した文書とか,水中探査に耐えうる装置設計など,話にリアリティを持たせようとしているのが新作落語らしい.たしかに隅田川の川底程度ならば,ガラス瓶の中に入っても探検できる.挿絵には,パジャマみたいな服を着た人間が入ったビンに2本の管がささっている.片方が船上から新鮮な空気を入れるためで,もう一方が汚れた空気の排気用なのだろう.水圧でつぶれない耐圧ゴム管かどうかはわからない.船で川底のビンを引っ張って移動すると,水の抵抗でビンが凧あげのように浮き上がってしまう.川底をくまなく探すのは意外と難しい.それよりも,せっかくお宝が見つかっても,ガラス瓶から手も足も出ないのは大ぬかりだった.この失敗を生かして,潜水艇しんかい6500が開発された.ガラス瓶がチタン製耐圧球体,コルク栓はハッチとなり,ゴム管は酸素ボンベと音波通信,酸欠が心配なマッチは強力なライトにとってかわった.水面から引っ張って移動するのではなく,6個のスラスタを使って自走する.海底に金色に光るお宝には,マニピュレーターの腕が伸びている.がっちりつかんだのが,"愚者の金"だったとは残念なこと. |
| 153 柳家小さん,相撲の蚊帳,百花園, (182), 13-25 (1896) |
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【あらすじ】 相撲見物から帰ってきた旦那がしょげかえっている.奥さんが訳をきいても,お前が柔術の先生とか剣道の先生ならともかく,女のお前じゃ相談しようもないと相手にしてくれない.よくよくきくと,ひいきの大戸平が負けたのだという.「勝負は時の運といいましょ.力負けなんて,自分の力で放り出されたということ.そうでございましょ」「お前は俺をへこまして,えらいかみさんだよ」「喜兵衛さんなんぞ,大戸平が勝てば大戸平をほめ,相手の小錦が勝てば小錦をほめるんですと」「そんな二心のある奴は出入りさせるな」.もう,飯も酒ものどを通らない. 見かねた奥さんが,私と相撲を取って勝てば五分五分になるでしょうと,けなげな提案をした.座敷に布団を敷いて,四本柱の代わりに,柱に蚊帳を吊り回した.奥方,男物の褌をしめて,旦那と見合った.「あ,ヨイショ」.投げられまいと布団の上を逃げ回る奥さんを捕まえると,エイと放り投げた.奥さんは蚊帳にぐるぐるくるまって,台所まで転がってしまう.蚊帳がなくなったとたんに蚊がブーンとうなりだした.布団の上に仁王立ちになった旦那,「ハアハア.勝ったから数万(すまん)[相撲]の蚊がうなってくれた」 【ひとこと】 旦「両方の力を合せるのが相撲だよ何んとか言つて………ヨイショとか何とか言ふのだ 妾「ヨイショと申しますか 旦「ヨイショ………確(しつか)りしないか 妾「あのヨイショ……… 旦「何んだなヨイショなんて気が這入ら無いよ………サア来い………確りサア来い 妾「サアお出でな……… 旦「何だな夜鷹の様だ………(相撲の蚊帳) 相撲の蚊帳(すもうのかや)は,『百花園』182号に掲載された.柳家小さん(3)演,吉田欽一速記. 【つけたし】 大戸平も小錦も明治期に活躍した実在の力士.大戸平の最高位は大関,初代小錦は第17代の横綱に推挙された名力士.ふだんは髭でもはやした官員さんでもあろうか.それが相撲となると,まるで子供のように無邪気になるのがおかしい.相撲を"すまん"と読むのは上方の読み方.「らくだ」と同様,三代目小さんが上方発祥のネタを東京に持ってきたのだろう. |
| 154 柳亭燕枝,関津富,文芸倶楽部, 13(6), 117-131 (1907) |
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【あらすじ】 文化文政の頃,関津富という俳諧師がいた.たいへん磊落な人で,妻の望みに応じて,「惜しげ無く枝折りくれる柳かな」と書いて離縁状代わりにした.自分も家をたたんで諸国を回ること十年,無一物で江戸に戻ってきた.新堀端でにわかの夕立にあい,とある家の軒下に駆けこんだ.家の中ではお面,小手と掛け声がする.当時聞こえた剣客,長沼四郎左衛門の道場だ.ここは一つ,武者修業といつわって,飯の一杯もご馳走になろうと思いついた.「頼む,頼む」「ドーレ」「四郎左衛門は在宿か.一本稽古してつかわそうと存ずる」「して先生のご尊名は」.言われてはたと困った.「奥州二本松の住人……,黒雲雷之助夏成入道雷呑と申す」.奥へ通され,ガブガブ酒を飲み,飯をたらふく食って帰ろうとすると,「ぜひ一本お稽古を」と道場へ引っ張りだされた.そこに,四郎左衛門先生が直神蔭流の短い竹刀を持って現れた.どうせ殴られるんだからと,持っていた木刀で立ち会った.先生の真似をして上段に構えたが,まるでどこもかしこも隙だらけだ.四郎左衛門先生,迷ってしまって,容易に打ちこむことができない.木刀を持つ手がくたびれてきた津風は,右手左手と持ち替えたが,とうとう,坊主頭の真ん中に木刀を乗せて両手を放してしまった.先生,怒り心頭に発し,エイヤッと竹刀を脳天に打ち下ろした.「参った.命だけはお助けを」「いったい貴様は何だ」「実は俳諧師の関津富という者.武者修業がやって来たら飯を食わせ,草鞋銭をくれると聞いてうかがった次第」「はじめからそう言えば飯くらい食わせたものを」.奥に招かれ,酒を馳走になった.二分の金までもらって,したためた句が,「夕立に打たれてふとる田植かな」 木挽町の幻堂という俳諧師のところに厄介になっているうちに,新年を迎えた.ほうぼう飲み歩いた帰り,津風はさらに酒屋で二升飲んだ.そのまま出ていこうとするから,酒屋の若い衆が止めた.「もし,旦那,お忘れ物がございましょう」「銭を払えというのか.だから町人は厭だ.そんな卑しいことを言うな」.飲み逃げしようとは太え奴だと,続けざまに津風の頭をボカボカとぶん殴った.あわてて出てきた番頭も,支払いがないと聞いてたしなめた.「お持ち合わせがないならば,先におっしゃっていただかないと.後から無いじゃこまります」「お前は番頭か.主人ならわかるだろう.書いてやるから料紙を出せ」.所番地を書くのだろうと思ったら,何か句を書いた.主に見せたところ,「叩かれたあとで花咲く薺(なずな)かな.お前わからないか」「ご親類でいらっしゃいましたか」「それだからお前の耳はキクラゲ同様というのだ.関津富という有名な宗匠だ.こちらにお通し申せ」「お客様,どうぞ奥にお通りを」「さすが主人だ.キクラゲ同然のお前の耳とは違う.そう言ってくれ.志はかたじけないが,近日また一升飲みに来てやると……」.ブラリと酒屋を出た. 通りかかった大経師屋の奥に掛けてある軸に目が留まった.「猿猴に月……,これはうまい.英一蝶か.猿が無邪気に手を延べて,水に浮かぶ月を取ろうとしている.アア,讃がしたいな」.ずかずか上がりこみ,矢立を取り出すと讃を書いた.雲州公の預かり物に落書きをされ,経師屋の主人が驚いた.津風を駕籠に押しこむと,雲州公の屋敷に連れて行った.雲州公,軸を見てうなった.「うむ,名筆じゃ.猿猴の片肌寒し冬の月.津風か.彼は磊落の奴と聞いておる.良い折じゃ.目通りを申しつける」.上々の首尾で御酒を賜り,太守の御前も構わず津風は高いびきで寝込んでしまった.これを見て,藩主自ら御紋のついた羽織をかけてやり,奥へお入りになった.目が覚めた津風,羽織を押しいただき,「下伏の花を着かぶる果報かな」と詠んで屋敷を辞した. 雲州公屋敷から九段坂を降り,爼橋までくると,橋のたもとに寝ていた非人の頭にけつまづいた.津風が拝領した紋服を見て,乞食が逆に恐縮した.「貴賤貧福みな同じ人間じゃ.お前の頭を蹴ったのは重々悪い.このままでは誠に興がない.一句やろう…….夢破る風の粗勿や春の宵.どうだ,面白いかろう」「どうも面白くございません」「偉いぞ.よく申した.俺も菰の上に座らせてくれ」「貴方が座るようなところでございません.だいいち,一人でいっぱいで」「イヤ,俳諧に貴賤はない.貴様もはなからの非人ではないようだ.俺の目からは菰[雲]の上人と思う」 【ひとこと】 京都今出川に吉岡又三郎兼房(けんぼう)といふ名人があつて、此の人は元形附屋の職人で、糊篦を持つて蠅を打落し打落して、天下の名人となり。立上つてヤッといふと身体まるで隙だらけ、飛び込んで打たうとするとガツチリ受ける、推しても推せず突ても突けず之を吉岡のそくい附け、糊篦の一本と云ふテツキリ然ういふ達人に違ひない。ウツカリ乃公(おれ)が飛込んでは必らず不覚を取るに相違ない。是は迂闊に打込む訳に往かないと、四郎左衛門が天下の名人だけに、気が気を揉んで終(しま)つて容易に打ち込むことが出来ません。弟子達は驚ろいて、何で先生は那んなに骨を折つて考へて御出でなさるんだらう。我々にも直ぐに叩き倒して終(しま)へさうだが、那んなに師匠が今まで骨を折つたことはない。彼の坊主頗る天下の名人に違ひないと、片唾を呑んで見て居ります(関津富) 関津富(せきしんぷ)は,『文芸倶楽部』定期増刊号"落語十八番"に掲載された.柳亭燕枝(2)(談洲楼燕枝(2))演.挿絵1枚.『落語事典』には「関の津富」の演題で載っている. 【つけたし】 「関津富」は講釈ネタだろう.邑井一や神田伯山の講談速記もある.雨乞いの句碑が残されている場所は,松江の毘沙門山だったり,八重垣山だったりする.いずれも架空なので,そうなると関津富の存在も怪しくなる.『大日本人名辞書』には,島津富(しましんぷ)の名が載っている.「江戸の俳人、斫齋と号す、一説島津氏、名は富となす寛政九年十二月十一日没す」とある.「徳利妻」の活井旧室の孫弟子にあたり,自身の孫弟子には,関亀成や関立志の名が見える.寛政9年没なので,時代が少し違っているが,"津富"と"関"が一致するので,少なくともモデルではあるだろう,落語家が演じた速記は,この燕枝のものしか見つからない.三遊亭金馬演とある騒人社の「武者修行」は,例によって演者がデタラメで,この速記を流用している. この噺,いくつかのエピソードが羅列されているので,あらすじだけを書いてもこんなに長くなってしまう.面白そうなところを見つくろえば,今でも十分に通用するはず.現に,ネタ数の多い東西の代表格(柳家小満ん・桂文我)が,それぞれ2015年,2002年の個人集に「関津富」を収めている.小満ん師の方は,女房離縁−道場破り−酒屋でただ飲み−屏風に勝手に賛−雲州侯面前で居眠り−乞食と句合わせと,すべてのエピソードをつかった長編に仕上げている.文我師の方は,女房離縁−道場破り−屏風に勝手に賛−雲州侯目通りで新たなサゲをつけており,現代に通じる落語にしようと工夫している.江戸の俳諧師が,「しんどうて歩かれへん」などと大阪弁を使うところは気色悪いが……. |
| 155 三遊亭圓遊,世辞無世辞,二代目三遊亭圓遊落語全集,三芳屋 (1912) |
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【あらすじ】 まったく世辞のないむき身屋でも商売をやって行けるもので,「蛤のむき身やい,バカのむき身やい」「おい,むき身屋,返事をしねえか」「お前さん,返事を買うのかい」「そうじゃねえけど,バカ貝のむき身三銭ばかりくんねえ…….オイ,なぜ荷物を担いで行っちまうんだよ」「今日は高くて三銭ばかりじゃ売れねえ.返事するのは面倒くせえ」「じゃあ,五銭くんねえ.お前のとこのむき身が一番だぜ,品が新しくって,水っ気が無え」.どっちが客だかわからない. 反対に,ひどく世辞のいい花屋がいる.この二人が往来で出っくわした.「俺は昨日今日の花屋だが,世辞という飛び道具があるもんで,どれくらい商いがあるかわからねえ.むき身屋さん,悪いこと言わねえから,お前さんも世辞をおやりよ」「おい,花屋さん,花じゃ損しても夜の本職があるのだろう」「妙なことを言うねえ,はっきり言ってくんねえな」「じゃあ言うが,昼のうちに,この家の入口はどうだとか,間取りはどうだとか見定めておいて,夜になったら黒の着物で光ったものを提げて,有り金出せと押し込むのが本職だろう」.花屋はやにわに仕込み杖を抜いて,むき身屋に斬りかかった.警察も前から花屋に目をつけていた.「花屋,御用だっ」.花屋は刑事に連行されてしまった.近所の連中も呆気にとられ,何が起きたかと噂している.「オイ,むき身屋.今,花屋が縛られていったが,いったいどうしたんだい」.むき身屋は平気なもので,天秤棒を担ぐと,「花屋の盗みやい,馬鹿の盗みやい」 【ひとこと】 ヘエ今日は、快い御天気になりました、何を差上ませう、ヘエヘエ畏りました梅で御座ひますか、極(うめ)は紅梅白梅と御座ひますが、何方(どちら)を差上げませう、ヘヘヘ白梅を……畏まりました、エー此の辺では如何様で沢山蕾を有(も)つて居りますが、エー旦那様は何ですか、何流かの先生で居らつしやいませう、イエ御隠しなすても駄目ですヨ、花の向きを御覧遊ばす処から枝の持方が違ひますョ、何れその裡に又伺ひます、是非御教授を受たいもので(世辞無世辞) 世辞無世辞(せじむせじ)は,『二代目三遊亭圓遊落語全集』に収められている.三遊亭圓遊(2)演,浪上義三郎速記. 【つけたし】 今回,お客様のお勧めに従って,小の字を取り払い,二代目圓遊を相続することになったとある.これ以外に「世辞無世辞」の速記は見つからない.花屋が実は泥棒だとか,むき身屋がその秘密に気づいているとか,花屋が突然刃物を抜いて斬りかかるとか,作としてはやや無理がある.サゲのためにあるような落語.そのサゲだが,どちらも"盗み"とするよりは,仕込みを抜いたせいで捕まったので,"馬鹿の抜き身"とした方がいいと思う. いかにも俗称っぽいバカガイは,バカガイ科に属する正式な貝の名前で,江戸っ子の馴染みの食べ物だった.青柳は別名.採ったときに貝殻をとじず,舌をだしたままだからバカガイという由来が,諸説ある中で飛び抜けて楽しい.その舌はぬたにしたり,貝柱は小柱として,あられそばやかき揚げにしたりする.潮干狩りでもアサリに混ざって採れるのだが 殻が割れやすいため,持ち帰ることが難しい.だからむき身で扱うのだろう. |
| 156 笑福亭松鶴,雪駄直し,笑福亭松鶴落語集,三芳屋 (1914) |
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【あらすじ】 親父が堅ければ倅が使うのが世の習い.父親に呼ばれて,作次郎が二階から降りてきた.親父には頭があがらないかと思ったら,意見が頭の上を通り抜けるように下げていただけ.たった一人の親が大事か,明け暮れ通う女がどっちが大事か,と聞かれると,もちろん女の方だと正直に答えた.女なれば新橋でも柳橋でも芸者に身を沈めて何百円かの金になるが,あんたの体は高津の黒焼屋でも断られる.秤にも天秤にも掛かりませんとまで言った.「何ちゅう極道じゃ.私の体が売れねばこそ,売れたら売りかねぬ奴じゃ.とっとと出て行きくされ」 奥の間に逃げ帰った若旦那,「親父は何とやかましいのだろう.わずかの金を使ったら,金を使う使うとやかましい」とひとり言を言っていると,表を通る親子が,「親爺っさん.どこへ行てきたんや」「朝から北の新地で遊んでいたのやが,面白うないので,築地から新町へぶらぶら遊んで,松島へ行てみようと思うのや.お前はチト金を使うたか」「金は大分使うた」「お前はどこへ行てたんや」「南で遊んでおったが,面白うないので,堀江の方へでも行って,それから北の新地へでも行こうと思っておるのや」「そうか,松島へ行くなら竹が松島におるので,金が足らなんだら竹にもらえ.チト金をやろうか」「いやまだ大分ある」「ひょっと足らなんだら,直に取りに戻れ.精出して金を使うてこいよ」.これを聞いた作次郎,「世間は色々やな.あの親子は金を使うてこい,使うてこいと言いやる.いったいどこの人やろう」.障子をサッと開けてみると,雪駄の直し屋だった. 【ひとこと】 「楽しみは後に柱前に酒左右に女懐に金」とか申しますが(中略)我々などはそうは行きません「苦しみは後にお化前に借金左右は癬疥(ひぜん)懐中(ふところ)は虱」かうなつては堪りません、エライ違ひでございます、このお茶屋遊びも余り深入をなさると宜くないと云ふのは、「遊廓(いろまち)が明るくなれば家(うち)が暗(やみ)」と云ふやうな事が云ふてございます、遊廓が余り明るくなると家が暗黒(くらやみ)になるさうで「傾城の涙で倉の屋根が漏り」エライもので女子さんの涙で倉の屋根が漏りますので「飯盛も陣屋位は傾ける……」(雪駄直し) 雪駄直し(せったなおし)は,『笑福亭松鶴落語集』に収められている上方落語.笑福亭松鶴(4)演.『落語事典』には載っていない. 【つけたし】 前半部は道楽息子と親父の会話で,他の噺にも出てくる聞き覚えのあるやり取りが続く.後半が聴いたことのない展開."雪駄ちゃらちゃら"と言われるように,雪駄に裏金はつきものだった.履物の底の金物は,舗装道路では滑りやすいし,道の方は傷んでしまう.そのため,今はカンナの刃のような形をしたベタガネから金具ものが主流になっている.雪駄直しは,町を流してあるく修理業で,江戸では"でいでい"の呼び声から,でいでい屋と呼ばれた."雪駄のお手入れ"が詰まって"手入れ手入れ",さらに"でい,でい"だと言うが,ずいぶんと短くなったものだ.圓朝の「蝦夷錦古郷之家土産」には,こんな件がある.雪駄直しに恋人ができたのを知った仲間が,口止めに小遣いをねだる.張りこんで二分渡したら,もっと出さなきゃしゃべるとせびられた.「それなら今の二分を返しねえ」「べえーべえー」 似た商売に下駄の歯入れ屋がある.糊屋の婆さん,大工の八五郎たちと裏長家に住んでいる.江戸の昔と違い,このころは下駄直しと雪駄直しは兼ねていたようだ.もう,"でいでい"とは唱えず,鼓を竹竿で叩いて,売り声の代わりとしていた.「猫忠」のセリフにあるように,鼓は雨を呼び,雨が降れば下駄が要るという三段論法だ. 写真は,寿法寺(天王寺区)にある笑福亭松鶴代々の墓.もみじ寺と呼ばれた昔の姿は,紅葉のレリーフが飾られた山門の額に偲ぶことができる.3〜7代目松鶴の墓のほか,2代,3代圓馬,2〜4代目文三墓など,落語家の墓が多い. |
| 157 三升家小勝,言訳の切腹,娯楽世界, 4(2), 136-138 (1916) |
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【あらすじ】 浪人となった武士が,江戸に出ればどうにかなるかと,九尺二間の長屋住まい.いよいよ大晦日になっても,借りだらけでどうにもならない.「あいにくただいま金子がないが,今夜の内に調達して持参いたす.武士に二言はない」と約束して,薪屋を追い返した.「表が空いておったからいかん.閉めておけば留守と思って帰るだろう」「エー,米屋でございます.旦那,お出かけでございますか」.ふと気づいて窓から覗くと,中で煙草を吸っている.「表から声をかけてもいらっしゃらないので,窓の方から覗きました」「詰まらん所に気のつく奴だ.こう紙を貼ったらどうだ」「それじゃ見えません」「見えなければ留守だ」「ふざけちゃいけません.どうにかお支払いを」「夕景までに金子調達をいたして持参する.武士に二言はない.立ち帰って待っておれ」 こう厳しく攻められては籠城できないと,自分から米屋に乗り込んだ.「先ほどは失礼いたしました.なるほどお約束どおりわざわざご持参下さいましてありがとう存じます」「金子調達に苦心いたせど,いささかもできん.武士としていったん約束したことなれば,これにて切腹いたして申し訳をする.御免」「旦那,待っておくんなさいまし.米の勘定ぐらいで,店先で切腹なさっちゃつまりません.勘定は今日いただかなくて結構でございます」「イヤ,たとえ米代金を猶予いたしてくれても,蓄えなくては春を迎えることができんにより,潔く切腹いたす所存じゃ」「マア,そんなにお困りならば,三両くらい用立て申しますから」「千万かたじけない.切腹は見合わせ,三両拝借いたす」「それは何より.縁起直しに一杯やりましょう」「イヤ,そうしては居られぬ.まだ二,三軒切腹をせんければならぬ」 【ひとこと】 米「エー今日は米屋でございます(中略)‥モシ旦那お出掛でございますか、アノ窓から覗いて見やう…アア旦那は胡座(あぐら)を掻いて煙草を喫(の)んでる、モシ旦那旦那」 浪「誰だ誰だ、たとへ裏屋なりとも拙者の城廓、妄(みだ)りに城を窺ふは敵の間者か、但しは盗賊野武士の類か」 米「戯談(じょうだん)云つちやァいけませんよ、米屋でございます」 浪「たとへ米屋にもしろ、妄りに搦手より覗くと云ふ事があるか、用事あらば大手へ廻れ」(言訳の切腹) 言訳の切腹(いいわけのせっぷく)は,『娯楽世界』4巻2号に掲載された.三升家小勝(5)演,今村次郎速記.カット絵1枚.『落語事典』には「切腹」の演題で載っている. 【つけたし】 短い噺のためか,他の速記はない.尾羽うち枯らしても,武士は武士,商人と侍の言葉遣いがまるっきり違っている.金に困った武士を描いた点で,「蚊いくさ」と似た味があり,サゲは「にらみ返し」と同工になっている. れ「連木で腹を切る」.大坂のいろはかるたの文句.まさに「言訳の切腹」 ほとんどの札で,江戸いろはかるたと文句が違っている.見くらべてみると,大坂らしい面白い文句が多い. ひ「貧相の重ね食い」.「ざこ八」のサゲ場,前夫の忌日におかみさんと旦那がごちそう合戦をする. し「尻食らえ観音」.江戸落語だが「文七元結」で,借金さえ返せばあとはこちらのものだと,長兵衛親方が思わずもらす.尻に帆かけて,あと足で砂. え「閻魔の色事」.にやけた閻魔さんの顔が目に浮かぶ.「いかけ屋」のおっさんが軍艦請け負ったような顔と似た感じか. 連木(れんぎ・れんげ)は,すりこぎのこと.「蛸芝居」では,連木を腰に差したタコが,商家の主人と立ち回りする.タコがエイッと当て身を喰らわすと,腹切りとはならなかったものの,旦那はその場に倒れこんでしまう.タコに当てられたご主人,思わず「黒豆三粒持ってきて」 れ「良薬は蛸に黒豆」(落語いろはかるた). |
| 158 朝寝坊むらく,御洗足,むらく落語全集,三芳屋 (1914)(3版) |
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【あらすじ】 田舎の村に初めてお殿様がお国入りすることになり,お先触がやって来た.「いまだ殿様は,あとの宿でご休息中である.今日は何かと厄介になり,千万かたじけない.今のうちに手水(ちょうず)を廻しておくように」.承知しましたと言ったものの,手水が何のことかわからない.物知りの和尚さんに聞くと,チョウは長い,ズは頭のこと,長い頭を廻すことだと教わった.娯楽少ない田舎のことゆえ,長い頭でもグルグル回すのを見てお楽しみになるのだろうと,頭の長いドンドロ坂の茂十を連れてきた.ご家来衆の前で茂十が頭を回し始めると,「コレ,何をいたす.手水を早く回せと言うに」「もっと早く回せ!」.とうとう茂十は目を回してぶっ倒れた.「なんで頭なぞを回すのだ…….長い頭で長頭だと.たわけたことを申すな.手水とは洗足(せんそく)のことだ」.今度は洗足がわからない.断ってしまうことにした.「センソクもたくさんございましたが,三年前,庄屋の家から火事が出て,センソクを皆焼いてしまいました」「なに,焼いただと.途方もない奴だ」「また違った.トホーモナイだと」「えー,トホーモナイも,センソクと一緒に火がついて焼けてしまいました」「その方どもは怪しからん奴だ.一体,洗足を何と心得る」「おおかた喘息病でございましょう」 【ひとこと】 昔し此の蝋燭の無ひ国があり、水瓜(すいか)のない国があり、又鶴を知らない国があつたなぞと云ふ開けない所が御座いましたさうで ○「オイ何んだねあそこへ下りた鳥は、 △「然うさな白ひ大きな鳥だが何んと云ふ鳥だらうナ ○「和尚様へ行つて聞ひて見ろ △「和尚様,あそこに居りまする鳥は何んで御座いますナ 和「俺も始めて見たこんだから何んだか判らねへが、アレデ亀の子の上に乗かつて居ると鶴だが(御洗足) 御洗足(ごせんそく)は,『むらく落語全集』に収められている.朝寝坊むらく(7)(三遊亭圓馬(3))演,浪上義三郎速記.『落語事典』には「洗足」の演題で載っている. 【つけたし】 田舎の旅館で,大阪者が手水を回てほしいと頼むと,手水のことを長頭だと曲解して,福禄寿のような頭をした男がやってくるのが「手水廻し」という落語.「洗足」は.さらに「手水廻し」の先をこしらえたような噺.『日曜報知』211号 (1935)にも,「殿様騒動」の演題で桂文都演の速記が載っている.こちらのサゲは,"途方もない"を知らない村人が,「とほうもないは,せんそくの蓋でしょう」となっている. しかし,よく考えると,手水と洗足では使うタイミングが違う気がする.手水は洗顔や参拝の水や用便のことで,洗足(せんそく)は宿に着いた旅人が足を洗うすすぎ水のこと.手水のかわりに洗足を持ってきたのでは,福禄寿頭の男と同じくら間に合わない.洗足が火事で焼けてしまうなら,喘息(ぜんそく)は胸が焼けるとでも言うのだろうか.日蓮聖人が足を洗った洗足(せんぞく)は目黒区にあり,おとなりの千束(せんぞく)は大田区になる. |
| 159 曽呂利新左衛門,白歯,曽呂利茶室落語,駸々堂 (1891) |
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【あらすじ】 今は丸髷や束髪が流行しているが,昔は結婚して子供ができると,お鉄漿で歯を染め,眉を落としたものだった. 先日髪結いを寄越してくれた中川さんの家に礼に行くようにと,小僧の亀吉は口上を教わった.進物の肴籠を手に表へ出た亀吉を,番頭が呼び止めた.籠の中を見せたら,立派な白甘鯛(しろぐじ)が入っている.これならきっと,中川さんのことだから,10銭どころか20銭も駄賃をもらえるぞと言われて,亀吉はうれしくなった. 中川さんの家に着いた亀吉は,白甘鯛を白蛇(しろくちなわ)と間違えたりしたものの,何とか礼の口上を述べた.「亀吉っとん.今度のおかみさんの髪型は丸髷かえ」「洋服をこしらえるので束髪にしてもらいました.先だってから,鉄漿(かね)つけたら衛生に悪いと旦那が言うので,眉毛も伸ばし,白歯におなりなされました」「そうかえ,白歯におなりなすったか」「白歯で眉毛伸ばしたところは,面白い顔でございます.それに引きかえ,おかみさんは丸髷がようお似合いで」「まあ,べんちゃらがいい子だこと」「いえ,ほんちゃらで.どうぞお駄賃(ため)は張り込みなはって」「帰ったらよくお礼を言うて下さい.これは粗末なものだが,湯手拭に使うてくれ」.ぶしつけながらと,中を開けてみると,駄賃は入っておらず,半紙が2枚に手拭いが1本だけ.「お家はん,もう一つ足らぬようですな」「かねつけたら衛生に悪い」 【ひとこと】 三韓にてハ日本の仲哀天皇といへる帝は眉毛のなきことを能く知つて居りますゆへ其処で神功皇后様始めて眉毛をお落し遊ばしたで御座ります、また二十七代の安閑天皇様と云ふ御方ハお歯が黒う御座いましたさうでそれを官家は申すに及ばず民百姓に至るまで上のお姿を真似て歯を黒く染めましたもので御座ります(白歯) 白歯(しらは)は,『曽呂利茶室落語』に収められている上方落語.二世曽呂利新左衛門演,丸山平次郎速記.『落語事典』には「束髪丁稚」の演題で載っている. 【つけたし】 この速記のほかには,「女の衛生」と題して,桂文治(6)の速記が『百花園』236号 (1900)に載っている.お歯黒のような旧弊な習慣は辞めましょうというキャンペーン落語ととらえると,現代に復活することは無理だ.実はお歯黒は,歯の表面を鉄化合物でコートして虫歯を防ぐ効能もあったという.そうは言うものの,当時の西洋人や現代人から見て,醜怪で野蛮な風俗にしか見えない.時代考証に凝っているはずの大河ドラマでも,絵面を考えてお歯黒の女性を出そうとしない.人情噺では,病気の体をおして,女のたしなみだと白粉をはたき,お歯黒をつける場面があった記憶がある.あばらの浮き出たやせさらばえた姿に,真っ白な顔とまっ黒な歯,お歯黒べったりという妖怪を思わせる. お歯黒をつける手順は複雑で,正しく書けているか自信がない.写真のお歯黒壺に鉄釘などの鉄材と酢を入れ,米などの有機物をくわえて,一月ほど反応させる.すると,溶けた鉄が酢と結合し,酢酸鉄(II)ができる.くわえた有機物は,腐敗によって酸を作ったり,鉄が酸化されるのを防ぐ役を果たすが,その代わり,できた鉄漿水(かねみず)は腐敗臭を放つようになる.その匂いのため,ご婦人は旦那が起きる前にお歯黒をつけるとされる.この鉄漿水を急須のようなものに取り,金属製の渡し金に乗せ,下から加温する.もう一つの材料が,ヌルデのコブから取った五倍子粉(ふしこ)になる.五倍子粉には,ポリフェノールの一種であるタンニンを豊富に含んでいる.あたためた鉄漿水と五倍子粉を,交互に房楊枝を使って歯の表面に塗る.すると,酸化された鉄がタンニンと錯形成して,まっ黒なタンニン鉄(III)となる.茶渋が歯の着色汚れとなるように,お歯黒がしっかりと歯の表面にくっついて取れなくなるまで我慢したら,苦いタンニンをうがいで出しておしまい.こんな面倒な手順だったらしい. 吉原の遊女は一夜妻.お歯黒をつけて客を向かえた.要らなくなった鉄漿水は,生活排水と一緒に流してしまったのだろう.吉原をぐるっと囲む水路は,どぶ泥でまっ黒になって,お鉄漿溝と呼ばれたのは,「首ったけ」でおなじみ. |
| 160 柳亭左楽,袖書の名画,雄弁,14(6),102-107 (1923) |
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【あらすじ】 東海道大津の脇本陣,上総屋清左衛門の前を通ったのは,10月も末だというのに洗いざらしの浴衣にボロの羽織を着た男.「今夜厄介になりたいんだが」「お気の毒さまですが,安泊まりはいたしませんので」「並の旅籠賃を払えばよいんでしょう」「へい.お竹どん,お客様だよ」.これを見た主人がぼやいた.「おい番頭さん.何年うちの帳場に座っているんだい.あんな服装(なり)をして,旅籠賃がなけりゃ只で泊めることになるんだ」 「お竹さんとやら.膳の上ですまないが,一本つけておくれ」「なんだって銭もない癖に酒なんぞ飲むんだろうね.まあ,持っていっておやんなさい」「お待ちどおさま」「姐さん,あれは上段の間というのかい.あの座敷にある金屏風は,ほう,京都であつらえたのか」.無地の屏風を見て,主人を呼んでもらった.「ソラはじまった,旅籠賃の掛け合いだよ.やっぱり番頭より俺の方が目が高いや」.あの屏風に墨絵の山水を描いてもらおうと,雪山先生に頼んであると聞いて,自分が描いてみたくなった.「雪山先生といえば,摂州派だが,少し年を取り過ぎている.ご主人,私も少し絵の方をやるのですが,私に一つ描かせてもらえないかな.礼は取らない,只で描いてあげます」「貴方は只でも屏風に金がかかっています.平にお断り申します」「どうしても描かせんというのですか.では仕方がない.御酒をもう1本,ついでに 御飯をお願い申します」 その晩のこと,家人が寝しずまったのを見計らって,客の守信は上段の間に忍びこんだ.金屏風を横に寝かせると,そこに墨絵を描きはじめた.筆を進めていくうち,屏風に右の袖がさわって,墨をいっぱいにこぼしてしまう.「とんだ粗相をしてしまった」.右の袖をビリビリと破くと,グルグル丸めてゴシゴシやると,宿賃を置いて逃げてしまった. 翌朝,女中が上段の間へ入ると,屏風が墨だらけ.旦那は泣きっ面になってしまった.「そういやあ,あの客変な事を言っていたっけ.ああ,夕べのうちに屏風をしまっておけばよかった」.翌日になると,雪山先生が弟子を連れてやってきた.主人の詫びを聞くや,雪山は二階に上がって屏風を見た.「これは筆で描いたものでないな.こんな乱暴をするとは…….しかしうまい.遠山のぼかしに筆力がある.ご主人,これはお前さんのところの宝物ですぞ.この雪山が遠く及ぶものではないから,大事にしておきなさい」.そう言われると,この絵がなにか尊く見えてきた. 4年後,守信は天皇の御留筆となり,弟子を同道して上総屋にやってきた.「許せよ」「どうぞ,ご上段の間へ」.出された茶代の包みを開くと,15両も入っている.主人が飛んで来た.「おお,主か.いつもご壮健のようだね.私を見忘れたかい」「どなた様でございましょうか」「4年前,屏風を描き逃げした男だよ.まだ屏風があるならば,今日は落款をしに参りました」.主人が土蔵から出してきた屏風に,探幽斎守信と落款をした.この屏風が,ただいまは京都のある富豪の手元にあるそうです. 【ひとこと】 ムヽ人間と云ふ者は可笑(おかし)なものだなァ先生一ツ御願ひ申ますと持つて来られるてェト嫌でいやで成らないものだが、あァ向から嫌がれると無理に書いて見たいと云ふのが人間の意地だねェ(袖書の名画) 袖書の名画(そでがきのめいが)は,『雄弁』14巻6号に掲載された.柳亭左楽(5)演.挿絵3枚.『落語事典』には載っていない. 【つけたし】 狩野探幽の名人譚.講談で見たことはあるが,落語ではこの速記しかない.落語とは縁がなさそうな『雄弁』という雑誌に掲載されている.出版元の大日本雄弁会は,講談落語雑誌『講談倶楽部』を出版する講談社と合同し,大日本雄弁会講談社と改称した.実際のところ,『雄弁』の第2号には,新案「落語演説」と題して,「天地震動の雄弁」という書生立志伝を載せている.その後も80席あまりの落語もしくは落語風の作品を掲載している. この落語,江戸初期の御用絵師である狩野探幽の言動を,まるで見てきたかのように描いている.写真のユニークな瓢箪型をした墓が狩野探幽のもので,池上本門寺にある.宿代を置いて逃げたところを見ると,酒好きが高じて文無しになったのではなさそうだ. 袖でゴシゴシしたくらいで,こぼした墨が名画に変わるものだろうか.思い出すのは,2012年にスペインであった実話.教会に飾られていたキリストのフレスコ画を,当時82歳だった素人の女性が「修復」した結果,テングザルのようなとんでもない顔になってしまった.わざわい転じて,この「サルのキリスト」は観光客を呼び,グッズ販売も好調だという.もう1つは,映画「Bean」(1997).オルセー美術館所蔵のホイッスラーの名画「母の肖像」に,あろうことかMr.ビーンが鼻水を引っかけてしまう.あわててハンカチでこすると青インクがべったりついてしまうし,それをシンナーで落としたまではよかったが,溶剤が浸みてだんだん顔の部分がドロドロに溶けてしまう.絵を直すってのは,本当は大変なのよ. |
| 161 桂小文枝,迷ひの染色,講談速記落語集,明文館 (1892) |
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【あらすじ】 勘当された若旦那が,冬も近いのに浴衣一枚の格好で店の前をうろうろしている.出てきた丁稚を捕まえて,店の様子を聞くと,親父は,店の者が若旦那を見かけたら煮え湯をかけろと言いつけるほど怒っているという.船場の伯父さんも,この若旦那に欺されて金を取られたことがあって,決して詫び言してくれそうにない.いっそのこと死んでしまおうと,やって来たのが天神橋.袂に石を入れて川の中にドボンと飛びこんだ.通りかかった屋根船に救われ,若旦那は運よく息を吹き返した.「死のうとするのはよっぽどのこと,訳を言いなはれ」「まあひと通り,お聞きなされて下さいませ.私は天満の紅梅町で,ふと悪い友達に誘われて廓通い,藤紫という女に逢い染めて,二人の仲も深川鼠,年の明くるのを松葉色,身請けして手活けの花色,草柳と見ているうちに,近所の若い者と姦通いたし,私を置き去りにどこかへとび鼠,家は勘当,金銀を盗んで使うた罰で親類も寄せてくれない,もよぎ所なくこのかわ色に飛びこみました」「して,あなたのご商売は」「染物屋でございます」「なるほど,色で苦労をしなさるな」 【ひとこと】 「ソレ見い惨酷(どくしょう)になつて居るワ衣類(きもの)を脱がせ脱がせ……徳八貴様裸体(はだか)になれ 「ヘイ裸体になつて如何仕ます 「人間の体温(ぬくもり)が一番特効(くすり)ぢや此の仁(ひと)の腹と貴様の腹とを密着(あわし)て人間の体温を入れて遣れ 「私しや婦人(おんな)を抱くのは至つて好ですが土左衛門は格別(あんまり)ドッとしまへんナ(迷ひの染色) 迷ひの染色(まよいのそめいろ)は,『講談速記落語集』に収められている上方落語.桂小文枝(文枝(3))演,柳田周吉速記.『落語事典』には「染色」の演題で載っている. 【つけたし】 色づくしの文句が,上方落語らしい聞かせどころ.この噺を東京に移した朝寝坊むらく(7)(圓馬(3))の速記が,『娯楽世界』4巻1号 (1916)に載っている.はたしてどんな文句に変えたのか,ちょっと書き写してみる. 桜楼のお職で紅梅といふ女を買ましたのが病付で度々通つて参ります内に、当人も私の為には苦労[黒]しまして、何事も親切にしてくれますから、真実の愛(藍)だと思つて居りましたのが此方の過り、先方(むこう)は何にしろ水色稼業(しょうばい)、黄金色を持て参れば鄭重にいたしますが、黄金の縁が切れるが最期、もう用は無いと突出されました、今度(紺)から気(黄)をつけやうと思ひましたがもう遅蒔、とうとう勘当同様になりまして、咽喉(のど)を突いて死なうかと思ひましたが、刃物は無しそこで、此の川(樺)色に飛込んだのでございます(染いろ) |
| 162 三遊亭遊三,而して後,遊三落語全集,三芳屋 (1915) |
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【あらすじ】 「いらっしゃいませ.お手軽にお遊びを」「貴様の所は何という楼(うち)か」「ヘイ.大学楼と申します」「大学楼とは面白い.正面の額が,諸客床に入る門なり.なるほど,凝ったもんだ.して,娼妓はどこにおるか」「ヘイ.もう皆格子の内に居りますので……」「孔子の内に居るとは面白いな.その方は何をするのだ」「ヘイ.手前はこの通り,門番,書記を兼ねております」「言うことがいちいち面白い」「いががでございましょう.一晩お遊びになりましては」「イヤ,余も而して後に来よう」 【ひとこと】 喋々(ちょうちょう)しく褒るが、序を書くの例になつて居るが、どうも其れでは、読者を詐(たば)かる事になる、二代目遊三の講演集に序して、僕は褒ない事にする、此男に対して遠慮ない言を延べ、而して読者諸賢に対して僕の言と、此男の講演振りとを、併せて読むで頂き、初代に優る立派な二代目と将来成り得る様、亦諸賢の御意を求める。(『遊三落語全集』序 森暁紅) 而して後(しこうしてのち)は,『遊三落語全集』に収められている.三遊亭遊三(2)演,加藤由太郎速記.『落後事典』には「大学楼」の演題で載っている. 【つけたし】 「廓大学」という落語と同じく,四書五経の一つ『大学』の文句を踏まえた落語.この「大学楼」の方は,小噺といっていいほど短い.速記原文には,"初学徳に入るの門なり"とあるが,それでは『大学』の文句のままなので,吉原らしく"諸客床に入るの門なり"にひねらないとおかしい."而して後に"も,何十回となく出てくる決まり文句."物格而后知至 知至而后意誠 意誠而后心正 心正而后身修 身修而后家齊 家齊而后国治 国治而后天下平"などと連呼される.AならばB,BならばC,CならばとDと,リズムよく論を進めてゆく.聞きかじりで意味を書くと,道理が達する→知識がきわまる→意識が誠→心が正しい→身が修まる→家が整う→国が治まる→天下が平かになる.これで再び道理が達すれば,「廻り猫」になってしまう. 今は女郎買いを教える大学は残っていないようだが,マージャン,パチンコ,サウナを教える大学はちらほら見かける.キャバレーを選択科目にする大学もあるようだ.キャバレーの客引きに,先輩!社長!ではなく,先生!と呼ばれた時は,「而して後に参ろう」と答えてみたい. |
| 163 三遊亭圓馬,大黒の頭巾,娯楽世界, 8(5), 124-129 (1920) |
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【あらすじ】 子年生まれの人が集まって子年会を開き,記念に大黒様の絵を持ち寄ることになった.そこで,次郎さんは絵描きの稲葉先生に頼んで,大黒天が湯に入っているさまを描いてもらった.できあがった絵を受け取って,次郎さんがクレームをつけた.「オヤッ先生,こいつはいけねえ.湯に入っているんだこの大黒は.だのに頭巾をかぶっています」「恥ずかしい話だが,大黒様の頭がどんなだか知らない.すまないけれど,他で描いてもらっておくれ」「困ったねえ.誰か教えてくれませんかね」「そうだな,溝店のお祖師さまの隣の寺が,名代の大黒様のお寺だ.お住職に尋ねたらご存じだろう」.さっそく,蓮光寺へ行くと,「稲葉先生に頼んで,大黒様が湯に入っている絵を描いてもらったんですが,大黒様の頭が五分刈りか坊主か分からないと,こういう訳なんです」「仰るとおり,大黒様の頭巾を脱いでいなさる図というものをいっぺんも見たことがない.存じません」「そう根性の悪いことを言わずに教えて下さいな.どうにか想像はつかねえもんですかねえ」.そこへ,小僧の珍斎がお茶を持って入ってきた.「可愛い小僧さんですねえ」「お客様,今窺っていると大黒様の頭をご存じないとか.私知っております」「これ,子供が何を知っているものか」「もし,お住持さん,子供衆なんてものは,ほうぼうで見聞きして小耳にはさんだりするものです.小僧さんでもいい,教えていただきたいもので」「なるほど……知っておるのか,どのような頭か」「他のだいこく様は存じませんが,うちのは存じています」「小僧さん,当寺の大黒様の頭は」「ハイ,丸髷でございます」 【ひとこと】 昔狩野法眼元信と云ふ人が大君より絵を描けよとの命が下り大黒の頭巾を脱がせよとの難題だ、其の時に承知致しましたとお受けをした、何うするかと云ふと流石は元信だ大黒が槌を振上て顔を上に向けてゐる眉毛と眼と頭を後(うしろ)へ隠してあつたので頭巾が無くつても用が足りたと云ふ話がある(大黒の頭巾) 大黒の頭巾(だいこくのずきん)は,『娯楽世界』8巻5号に掲載された.三遊亭圓馬(3)演,秋月末男速記.カット絵とも挿絵2枚. 【つけたし】 「大黒の頭巾」は,短めの噺.このほかでは,「大黒の行水」と題した柳家小さん(3)の速記が,『文芸倶楽部』 27巻6号 (1921)に載っている. 寺方の奥さんを梵妻(だいこく)と呼ぶと,マクラで仕込んでいる.チョンマゲが出るか,坊主頭が出るかと思ったら,女髷が出たというおかしみ. |
| 164 桂文治,竹に虎,百花園, (240), 1-17 (1900) |
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【あらすじ】 酒井米水という絵師,金銭にこだわりがなく,酒好き.仕事を頼まれても気に入らなければ,なかなか絵を描かない.ある晩のこと,酔っぱらって自分の家もわからなくなってしまった.あかみさんに,「仕事がつかえているのにお酒を飲んでばかり」と言われ,「急くことならば余所で書いてもらえ.ぐづぐづ言うならとっとと出ていけ」というと,そのまま寝こんでしまった.「このままでは,この児がどんなひもじい思いをするだろう」と意を決した女房は,ふすま地の仮張りに,墨で竹の絵と安倍貞任の古歌,"頼みつるたよりの糸のきれはてて をられはせまじ今日の細布"と書き置きして,幼い子どもを連れて里へ帰ってしまった.夜も明けかけ,酔いからさめた米水先生,書き置きを見て首をひねった.「あれに出ていけと言ったのはうっすら覚えている.が,なぜ竹を描いていったんだろう.ハハア,おれが虎だったから」 【ひとこと】 この酒井米水先生は、 句「虎でない証拠に側へ竹をかき といふやうな、先生で画の大家とは申されませんが、例の金銭に屈托をしない、それに前申すやうな大酒呑みでございまして、注文がありましても、なかなか容易に描写(かき)ません(竹に虎) 竹に虎(たけにとら)は,『百花園』240号に掲載された.桂文治(6)演,石原明倫速記. 【つけたし】 講談落語雑誌の『百花園』は,この号をもって,予告なく終刊した.最終号には,この「竹に虎」のほか,朝寝坊むらく(7)(三遊亭圓馬(3))の「鳴海絞」,三遊亭圓左(1)「やつがしら」,圓朝の通夜の席で圓枝・圓馬の小噺を代演した圓左の「通夜の饒舌」が載っている.「鳴海絞」は,「明治摸様三組盃」として知られる長編人情噺で,連載1回目で中絶した. 本文と呼応するマクラがついている――安政年間,芝金杉に指物師の熊蔵という男がいた.腕はいいが,金時とあだ名されるほどの酒びたりだった.女房に逃げられ,酒毒のためわずらってしまう.そんなある日,熊が起きてこないので,長屋の連中がのぞいてみると,中で頓死していた.布団の下に書き置きが見つかった."金時もたのみの綱が切れはてて季武たのむ弥陀の頼光".これを見た大家が,「ハア,貞光書いた紙が保昌(ほうしょう)だろう」.頼光四天王の渡辺綱,坂田金時,碓井貞光,卜部季武と平井保昌を折り込んでいる. 演者の桂文治(6)は,江戸から明治にかけて活躍した噺家で,晩年は隠居名,桂大和大掾,桂楽翁を名乗った.芝居噺が得意で,西南戦争のルポ物なども残している.柳島の妙見境内に顕彰碑が建てられている(写真). |
| 165 三遊亭遊三,狸寝入り,遊三落語全集,三芳屋 (1915) |
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【あらすじ】 助けてくれたお礼に恩返しがしたいと,子狸が親方のもとにやって来た.「そうかい.じゃあ一つ頼みがある.嬶ァがやかましいんで,久しく吉原の女のとこに行けねえんだ.俺の身代わりで家に居てくれ.今帰ったよと言って,ゴロリと寝ちまえばいいから」「そううまく行きますかねえ」「ま,一つ俺に化けてみな…….おお,うまいもんだ.じゃ,頼んだよ」.タヌキと親方は右と左に別れた. 「今帰ったよ」「アラ嫌だ.この人は戸を開けないで入ってきたよ」「何しろ俺は眠いから寝るよ.グウグウグウ」「そんなにすぐ寝られるもんじゃない,いつもの狸寝入りだね」.これはいけないと,タヌキはあわてて家を飛び出して,吉原に駆けこんだ.「親方,いけませんよ.アラ狸だよと,お神さんがちゃんと知ってるんですから」「そいつはいけねえ.ひとまず俺は帰るから,その代わり,ここんとこをお前に頼むよ」「ここは尚更いけません.ここに居るのは皆,狐でございます」 【ひとこと】 狐と狸と化けるのを比べると、御案内の通り茂林寺の文福茶釜といふのが一番狸の方の親玉で、其所へ行きますと狐の方の化け方は偉いのが幾らもあるが、狸の方では一ツ目小僧とか乃至大入道位いのもので、けれども恩といふのを知つて居るのは狐よりも狸の方に多い(狸寝入り) 狸寝入り(たぬきねいり)は,『遊三落語全集』に収められている.三遊亭遊三(2)演,加藤由太郎速記. 【つけたし】 これ以外の速記はないが,2018年に『遊三落語全集』は復刻されたので,大きな図書館で読めるようになった. 子狸らしく,行動が愛らしい.花柳界で,遊女は狐,芸者は猫,幇間は狸と呼ばれる.若い衆は妓夫(ぎゅう)だがを牛とは呼ばない. |
| 166 三遊亭小圓治,狸の遊び,三遊亭小圓朝落語全集,三芳屋 (1916) |
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【あらすじ】 八五郎が墓参りの帰りに,子どもに捕まって殺されそうな狸を助けてやった.すると,狸が夜中に礼にやって来た.呑気な奴で,狸を一晩泊めてやった.すると,翌朝には早く起きて,きれいに掃除し,飯のしたくもしてある.「米は俺の家に一粒もなかったが,どうしたんだい」「木の葉を二,三枚もって行って,表の米屋で取ってきました」「重宝なもんだなあ.しばらく俺の家に居てくんねえ」.すると,蕎麦屋が代を取りに来る,電灯代を取りに来る.みんな,銀貨や札に化けて代金を踏み倒した.今度は,鯉に化けてもらって,無沙汰をした親分のところに詫びに行った.「じゃあ,熊に捌いてもらおう」.八公はあわてて,親方の家を逃げ出した.まな板に乗せられた狸公は,庖丁を入れられそうになったから,すんでのところでその手に食いついて,引き窓から逃げ出した.「狸公,済まなかったな」「もう鯉に化けるのだけはご免こうむります」「ついちゃぁ,何か礼をしてえと思うのだが」「吉原がたいそう愉快だと聞いています,一人じゃ行けないので,連れてってもらえませんか」「俺も行きてえと思っていたんだ.口をきいて狸が顕れるといけねえから,うぶな若旦那ということにして,俺が取り巻きになろう.化けてみな」.22,3歳の色白な若旦那になった狸公は,八五郎と江戸町一丁目の半籬に揚がった. 八公は,どうせ葉書で払うんだからと,酒も食べ物も遠慮なく頼んで遊んでいる.狸公は目をパチパチさせて,何も食べずにあたりを見ている.「サア,明日は夜の明けないうちに帰るから,お引けにしよう」.花魁の部屋に入った狸公,着物を脱ぐと化けの皮がはがれるので,羽織だけ脱いで,布団の中にもぐり込んだ.「なんだい,ちっとも愉快じゃねえ.こんな所なら来なきゃよかった」.花魁が部屋に入ってきて,「今晩はゆっくり話をしようと思って,もう寝たの.起きなさいよ.イヤだね,狸だよ」.どうして分かったのかと驚いて,狸公は布団の上に正座した.「黙ってちゃ分からないよ.おまはん,おおかた若旦那に化けてきたんだろ」「化けたまで知ってる……」「イヤだよこの人は,お前さん,芸人だろ,尻尾をお出しよ」「へえ,尻尾を出しますか」「おまはんの様子を見たところ,幇間だね,狸だろう」「驚きました.実は私は狸です」「そんなら,今晩は遊ばしておくれ.気の毒だが,夜っぴて叩いてくださいよ」「どこを叩くんで」「何をいうんだね.太鼓を叩いて下さいよ」「太鼓は叩けませんが,腹鼓なら打ちましょう」 【ひとこと】 狸「貴下に別れちやァ私が心細い、何うでせう一緒に寝ちやァくれませんか 八「冗談云ひなさんな、オイちょいと新造衆、若旦那を、お伴(つ)れ申してくんな 新「こっちへ入らつしやいまし」花魁の部屋に伴れて来た、狸公四辺(あたり)を見ると却々(なかなか)立派でございます、それに蒲団(とこ)も入つて居ります 新「お寝(やす)みなさいよ、今花魁が来ますから、寝衣(ねまき)をお着なさいよ 狸「寝衣は着ません、この儘で寝ます(狸の遊び) 狸の遊び(たぬきのあそび)は,『三遊亭小圓朝落語全集』に収められている.三遊亭小圓治(三遊亭小圓朝(3))演,浪上義三郎速記.三遊亭小圓朝(2)の個人集だが,巻末に小圓朝(3)の作品がつけられている. 【つけたし】 演者の三代目小圓朝は,二代目小圓朝の実子.前半部に「狸の札」と「狸の鯉」をつけ足してボリュームアップを図っている. 「はじめてのおつかい」ではないが,「はじめての女郎買い」では失敗がつきもの.山出しの三助(三助のあそび)や3年辛抱した紺屋の職人(紺屋高尾)は,吉原で身分がばれないようにずいぶんと苦労した.これが狸だったら,なおさら不安いっぱいだろう.きょうびのIT時代,格式とは無縁のはずのファストフード店ですら油断がならない.店頭に置かれたタッチパネルと格闘した挙句,決済のところで行き詰ってしまったり,食券を出したらいらないと言われ,出さないと待ちぼうけになったり,配膳ロボットを帰してやろうとして緊急停止ボタンを押してしまったりと,人間も苦労が絶えない.タヌキの方は,学校も行ってないのに,なまじ日本語ができたせいで,かえって冷や汗をかくことになった.化けたとか,太鼓を叩けと言われても,何だかわからなければよかった.幇間はお世辞をふりまいて太鼓を叩くから,狸と呼ばれた.本当に座敷で太鼓を打ちはやしたら,やかましくてしょうがない.月夜に腹づつみなら,野太鼓がお似合いだ. |
| 167 三遊亭圓左,たぬき娘,百花園, (233), 1-15 (1900) |
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【あらすじ】 明治座に芝居見物に来た二人組,若い衆がお女中二人を割りに入れてくれないかと声をかけた.このお女中がなかなかの美人だと聞いて,鼻の下を伸ばした二人は,相席を承知する.やってきたのは18,9歳の娘と,そのおともと見える女中.狸穴の軍属の娘で,家が固いことから,亀沢町の女の家に泊まるという.ちょっと食事でも,とあがった浜町の料亭で,飲みつけない酒に娘は酔ってしまう.付き添いで男たちも一緒に泊まらないかと誘われる.酔ったお嬢さんを介抱した二人は,気づいたら紙入れを抜かれてしまっていた. 【ひとこと】 女「ハイ、何うも大変に悪ださうでございます………二人で同謀(くん)で始終あんなことをして歩行(ある)き、人を魅(ばか)して、睾丸(きんたま)引きてへ、あの女は狸娘のおきんてへんださうでございます、 △「へヱー、………道理で先刻(さっき)八丈の衣服(きもの)を着てゐると思ツた、 ○「オイ、この場合(せなか)で洒落どこヂャアねェ、(たぬき娘) たぬき娘(たぬきむすめ)は,『百花園』233号に掲載された.三遊亭圓左(1)演,石原明倫速記. 【つけたし】 『百花園』も終刊に近づくと,掛け捨てのような噺も掲載されるようになる.『圓左新落語集』(小槌会,(1906))にも,「たぬき娘」の別速記が載っている.芝居見物で色仕掛けにあう「なめる」や幇間に食い逃げされる「鰻の幇間」を合わせたような,既視感のある落語で,圓左以後の演者を知らない.初代三遊亭圓左は,その容貌から"たぬき"とあだ名された.この噺,たぬきにちなんだ圓左の創作かもしれない.警察につかまる前から,狸穴(まみあな,港区)に住んでいると自分から名乗っており,狸娘は半分尻尾を出しかけている. |
| 168 三遊亭圓右,魂違ひ,講談雑誌, 4(7), 219-227 (1918) |
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【あらすじ】 清元にも歌われているように,昔,田町に法印がいて,病気を祈禱で治していた. 仕事が終わって,火消しの頭と手習いの師匠が一杯飲んでいる.したたかに酔った二人は,そこに横になると,イビキをかいて寝はじめた.すると,二人の口から魂がふわふわと抜け出した.「そこに行くのは先生の魂じゃありませんか」「やあ,これは鳶頭かえ」「どうです.酔ったところで,吉原に冷やかしに行こうじゃありませんか」.間の悪いことに,自宅の方で火事が起こり,半鐘の音が聞こえてきた.アリャアリャアリャと飛んで帰ると,あわてた先生の魂が,鳶頭の方に入ってしまった.入るところがなくなった鳶頭の魂は,しばらくくるくる回っていたが,口を開いている先生の方に飛び込んだ.若い者がが駆けつけてきても,鳶頭は我関せずと落ち着いたもの.手習いの師匠の方は,「火事だと.なぜ早く起こさねえんだ」と威勢がいい.「これは二人ともおかしいぞ」.駆けつけた医者が言うには,「騒がんでよい.これは魂が入れ替わったのだ」.医者の薬が効いて,二人は高いびきで寝はじめた.すると,また魂がふわふわと抜けてでた.「やあ驚いたなあ」「お前さん.なんぼあわててたって,私の体に入っちゃ始末に負えねえ」.2つの魂が話しているところに,火事場泥棒がひと仕事終えて通りかかった.「妙な玉がある」と,魂とは知らずに盗んでしまった.半刻ばかりたったので若い衆が二人をゆり起こしたが,「フワフワフワ」と言うばかり.あわてて医者に診せると,魂を盗まれたかもしれないという見立て.これは,田町へ行って法印に祈禱して貰うしかないとなった.法印が祈禱を続けていると,泥棒がだんだん引き寄せられてきて,21日目の満願の日になると,泥棒が法印の家の格子をガラッと開けて,「魂返す法印さん」 【ひとこと】 お負けに火事といふと、弥次馬といふ尻尾のない馬が飛び歩いて、其の中に泥棒が立入つて人の荷物を引浚ひワァワァいふ混雑の中をパッパッパッパッ火元見などが馬を乗り廻す、どの位怪我をした者があるか知れません、漸(やっ)との思ひで荷物を擔(かつ)ぎ出して、ここなら宜からうと往来へ荷を積んで置く、其れへ火が飛んで来て燃え上つたのが家へ附く、火事が大きくなつた訳でございます(魂違ひ) 魂違ひ(たましいちがい)は,三遊亭圓右(1)演,今村次郎速記.『講談雑誌』 4巻7号に掲載された.カット絵とも挿絵2枚.『落語事典』には「魂の入れ替え」の演題で載っている. 【つけたし】 サゲは,清元の"田町へ帰る法印さん"の文句を地口にしたという.何という清元に出てくるのか,落語事典には書いていない.サゲになるくらい有名なはずなのに,調べてもわからないのでは,落語として生き残るのは難しそうだ."田町"と"法印"のキーワードが出てくるのは,清元「文屋」で,"田町は昔 今戸橋 法印さんのお守りも 寝かして猪牙に柏餅"だそうだ.恋のかけひきの文句で,田町の法印が出すお守りが流行ったのは昔のこと,猪牙船に乗り布団にくるまって寝ながら"帰った"では,近そうでまだ遠い.遠くて近いは男女の仲,近くて遠いは田舎の道.写真の法印さんも,逃げた魂を探している. 寝ているときは魂が抜け出ているので,だしぬけに起こしてはいけないと言われた.この教えを守らないと,魂がとまどってしまう.死ぬときこそ,魂が体から抜けだす.死んだ自分に取りすがっている家族を,天井の方から見おろしていた臨死体験を語る人も多い.夜中にふわふわと飛んでいる人魂は,土葬された骨から発生したリン化水素が燃えているのだという説もある.人魂に出会った英国紳士が,持っていたステッキを突っ込んでみたところ,ステッキが暖かくなったというレポートに対して,雪氷学の中谷宇吉郎が詰まらないと評したところ,師匠の寺田寅彦がたしなめたというエピソードがある.それをまた,哲学者の鶴見俊輔が書いていた.何か豪華な話だ. |
| 169 柳亭芝楽,手向の歌,冨士, 7(5), 266-272 (1934) |
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【あらすじ】 八五郎が馴染みの女のところに3日も居続けをして,ようやく家に戻ってきた.「お前さん,留守の間に大変なことができたよ.お店の番頭さんが呼んでるよ.用が済んだら早く帰っておいで.お前さんは,食もたれの角兵衛だから」「何だいそれは」「かえらないからだよ」 あわててお店に駆けつけると,暖簾が裏返しに掛かり,ご親類が集まっている.昨晩,旦那が突然脳充血で亡くなったという.奥さんへの悔やみはこんな風だ.「お内儀さん.意外な大事件で.旦那は強情な方ですから,あの世へ行くと言ったら,もう遠慮ないんで.死ぬなら一言いってくれればよかったのに.おい,八公,一緒に来なと言われれば……断るよ,これは.まあ,どうかよろしく.南無阿弥陀仏」.ふと脇を見ると,ぷっつり切った黒髪が手向けられていた.短冊には,女房の自筆で歌が一首添えられている.−長かれと祈る命の短くていらぬ我が身の髪の長さよ−.すっかり感じ入った男は,家に戻るなり,先ほど見てきた髪切りや,短冊の歌の話を女房に語って聞かせた.今晩は通夜だから少し寝ておこうと横になった.「ちょっと短いけれど子供の布団をかけてくれ」「アイよ…….お前さん,できたよ」「何が」「長かれとかける布団は短くて,いらぬ亭主の足の長さよ」 【ひとこと】 内『お前男のくせに、よく気がお附きだ、それは髢(かもじ)ぢやァない、私が髪の毛を切つて旦那に手向けたのだよ。』 ○『ヘエー、何だつてそんなことをするんで、お内儀さんは髪惜しみの方だ、平素(ふだん)髪結(かみい)さんが来て、毛が一本でも櫛の歯に引ッかかると、ぐつぐついひなさるお前さんが、髪の毛を切るなんて、そんな乱暴なことをして……』 内『お前の目から見たら、乱暴に見えるか知れないが、旦那様が死ねば、もう用のない髪の毛、川柳の悪口に、切り時の悪い茶筅に虫が付き、人の口はうるさい』(手向の歌) 手向の歌(たむけのうた)は,雑誌『冨士』7巻5号に掲載された.柳亭芝楽演.カット絵とも挿絵6枚(代田收一).青蛙房の『落語事典』には「手向のかもじ」の演題で載っている. 【つけたし】 作家の海賀変哲は,『文芸倶楽部』の編集者時代に,同誌に「落語の落」と題する記事を連載した.話数は339題にもなり,一部が落語事典『落語の落』(三芳屋 (1914))にまとめられている.「手向の歌」については,『文芸倶楽部』21巻6号(1915)に掲載されている.ところが,1957年に今村信雄が編んだ『落語事典』(444題所載)には,この噺は漏れている.戦後にはすでに演者が絶えつつあったと思われる.海賀変哲の解説には,「一席の落語としては、一向詰まらぬものである」とある.しかし,こうしてあらすじを書いてみると,消えてしまうには惜しい気がする. なお,1265題もの演題を網羅した『増補 落語事典』(1973)には,「手向のかもじ」として項立てされている.供えていたのは黒髪で,かもじではないので,実はこの演題名はまずい.また,どういうわけか速記が残っていないと書かれている.古い出版物をいろいろと探したところ,昭和に入ってからの雑誌に,ようやく「手向のかもじ」の速記が見つかった.表題にあげた雑誌『冨士』のほかにも,その後継誌『キング』(のちの『富士』)14巻4号(1938)に,「黒髪」と題して春風亭柳枝演の「手向のかもじ」が載っていた.ああ,知らぬ噺を探す長さよ. |
| 170 三遊亭小圓朝,無筆の看板,講談倶楽部,24(2),14-15 (1934) |
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【あらすじ】 昔は芝居小屋の前に,次の芝居の内容を記した口上看板があがっていた.無筆の人が,読めるふりをして口をパクパクさせながら看板をながめていると,同じく無筆の人が声をかけてきた.「少々うかがいますか.今度の狂言は何でしょう」「お前さん,無筆かい.私は今読んでしまったよ」.元から読めないものだから,なんと聞かれても取り合わない.そこへ字の読める人が通りかかり,「楼門五三桐(さんもんごさんのきり)か.いい狂言だ」とつぶやいた.それを聞いて,「おいおい,無筆の人,読んでやるよ.反物五反の切れだ」「あまり聞かない狂言ですな.騒動ものですか」「お前も無筆で物を知らないね.反物五反の切れだから,呉服屋の騒動だ」 【ひとこと】 ×『今読んでしまつたばかりだよ』 ○『そんな意地の悪いことをいはないで‥‥』 ×『親の遺言で、一度読んだものは、二度と読むなとな、まことに気の毒だ、他を探してごらん』 ○『貸家ぢやございませんよ』(無筆の看板) 無筆の看板(むひつのかんばん)は,『講談倶楽部』24巻2号に掲載された.三遊亭小圓朝(3)演.挿絵2枚.『落語事典』には「反物五反の裂れ」(たんもんごたんのきれ)の演題で載っている. 【つけたし】 小品.「楼門五三桐」は,今も人気の演題.石川五右衛門が南禅寺の山門の楼上で花見をしている.「絶景かな,絶景かな」.山門がせり上がると,階下に巡礼姿の真柴久吉が現れる.「石川や浜の真砂はつきるとも 世に盗人の種は尽きまじ」.久吉に気づいた五右衛門が手裏剣を投げつけると,久吉は持っていた柄杓でそれを受け止める.「巡礼に御報謝」.双方見栄をきめて幕になる. 口上看板は,座元が用意した芝居の由来などが書かれた看板.名場面を描いた絵看板ならばよかったが,文字ばかりではどうしようもない.脇に近日と書いてあれば,すぐに答えなくても日をあらためることができた. |
| 171 桂文都,お茶代異変,冨士,12(14),463-464 (1939) |
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【あらすじ】 商人として難しいのは金の使い方だ.茶店に休んだときの茶代だって,相手の扱いによって変わるんだと,商家の主人が小僧の定吉に教えている.いちいち金額を口に出す訳にもいかないので,六文ならば六助と,小僧を呼ぶ名前を隠し言葉にしようと決めた. 「はい,ごちそうさま.八助や…….コレ八助,茶代をあげな」.これを聞いた定吉は,財布から八文を取り出した.六助だ七助だと,毎日やっていると茶店の女達がからくりに気づいた. 「ああ,姐さん.ちょっと用があるので,あとから小僧が来ましたら,私が七助に茶代を置けといって先に帰ったと伝えてください」「はい.承知しました」.そう言い残して,旦那は出ていった.しばらくして,小僧が汗をふきふきやって来た.「おや,小僧さんご苦労さま」「旦那は何か言ってましたか」「あの,あとで百助が来たら,茶代を置くようにというお言づけで……」「ええっ,ひゃっ百助.そりゃあ大変だ」.財布をのぞくと,「タハハ,たった五十六助しかない」 【ひとこと】 『そこで思ひついたんだが、お前を呼ぶ名前で茶代をきめよう。』 『でも私には、定吉といふ名があります。』 『そこが合図だ。いゝか私が六助茶代を置きな、とかういつたら、お前が六文出してやりなさい、七助と呼んだら七文だ。』 『ヘエ、では、市助といつたら一文……。』『ばか、一文ばかり出せるかよ。いゝか、合図を間違へなさんな。』(お茶代異変) お茶代異変(おちゃだいいへん)は,雑誌『冨士』に掲載された.桂文都演,カット絵とも挿絵2枚.『落語事典』には「茶代」の演題で載っている. 【つけたし】 小噺程度の落語.橘夢楽「お茶代信号」,講談雑誌,23(1) (1937),昔家夢輔「チツプ哲学」,日曜報知,(65) (1931)にも,短いながらも速記が載っている. 昔は子だくさんがあたりまえで,太郎次郎三郎とか,出生順に名づけたりした.一・二・三はともかく,六・七・八となると,そんなにたくさん兄弟がいたのかとも思う.作家の深沢七郎は実際は四男だし,山本五十六や直木三十五は年齢でつけたもの.子どもはもう十分というと,本人のせいではないのに,末子とか留吉とかいう名前を授けられた.そのあとに生まれた男の子に,新助と名づけたのは,近所にあった本当のはなし. |
| 172 桂柏枝,古人の食客,滑稽落語集,尚文堂 (1897) |
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【あらすじ】 ある商人,風雅な方で,食客(いそうろう)置所との看板を出した.「お頼み申す.私は薩摩守忠度と申すもの,兵庫駒ヶ林で岡部六弥太と組み討ちの際,腕(かいな)を斬られ難渋いたすゆえ,居候を頼みます」「これはこれは由緒のあるお方じゃ.さあさあ奥へ」.今度は,法界坊に両腕を落とされたお組の父親,渡辺綱に腕を斬られた茨木童子,湯加減を盗もうとした鍛冶屋団九郎,堅田の小まんと,腕の無い食客ばかりがやって来る.最後は,文楽一人遣いの取巻人形が大勢やって来た.「沢山な居候じゃ.これ,お梅,御膳のしたくをしてあげなさい」「わたし一人で台所に手が足らぬが」「居候も手がたらぬ」 【ひとこと】 主「コリャお梅御膳の拵へを仕て進(しんぜ)升セそふしてあなた方片かいなでどふしてお上りなさるな 忠のり「わたくしは団九郎さんト左りト右ゆへ二人してかはるがはるにたべ升 「浄るりの人形衆はへ 「ヘイわたくしらはすり鉢へ入てもらひ升たら首突込でたべ升 主「そりやまるで犬じやがなコリャお梅よチトきうじ仕て上升へ(古人の食客) 古人の食客(こじんのしょっかく)は,『滑稽落語集』に収められている上方落語.桂柏枝(3)演.『落語事典』には「手無人」(てないど)の演題で載っている. 【つけたし】 『上方落語ノート』(青蛙房(1978))で,桂米朝は,この噺のもともとのサゲは,「一人では手が廻らぬ.うちに家内人(けないど)が大勢いるのに」「いや,あれは皆,手無人(てないど)じゃ」だったろうと推定している.おそらくサゲから先にできた話なので.確かにその方がしっくりくる.『落語事典』でも本文には出てこない「手無人」のタイトルを採用している. 平忠度は,一ノ谷の合戦で岡部六弥太に腕を斬られ,最期をとげる.神戸の駒ヶ林に首塚が,明石に腕塚がある.腕塚神社では,奉納されている片腕(写真)で患部をたたいて,悪いところを治してもらおうとお祈りする.このほかにも,腕を斬られた人物がつぎつぎと登場する. 「隅田川続俤」で,破戒僧の法界坊は,恋するお組の父親である永楽屋権左衛門の両腕を斬り落とすのみか,あまつさえ犬に食わせてしまう.茨木童子は,羅生門で渡辺綱に腕を斬り落とされるが,後日,奪還に現れる.腕をくわえて空中を飛び去るシーンが印象的.「新薄雪物語」,正宗が親心から不出来な息子団九郎の手を切り落として意見する場面(下の巻鍛冶屋).「源平布引滝」三段目,小まんのモデルのおとせ,源氏の兵に白旗を握った腕を斬り落とされても,白旗を握ったままの腕が堅田の浜に漂着した.齋藤別当実盛が堅田に現れるのは,「実盛物語」と呼ばれる段で,実盛が小まんの腕を斬ったのではない.文楽の主役の人形は,主遣い(頭と右手)と左手,足の三人で演じるが,端役の人形は一人で操作する.袖はとじられていて腕が外に出ることはない.それで,詰人形と呼ばれる.落語本文を見ると,取巻人形ともいうらしい. |
| 173 三遊亭圓生,天麩羅,糧友, 8(2), 95-99 (1933) |
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【あらすじ】 道頓堀の呉服屋,河内屋源兵衛には二人の息子がいた.兄の源吉は堅いが平凡な人間で,弟の源助は頭は働くが極道者だった.小春という芸者に金をつぎこんだあげく,50両の金を持ち逃げして江戸へ駆け落ちした.京橋五郎兵衛町のしるべの家に居候しているうち,朝湯で山東京伝と懇意になった.極道をしただけあって話が面白い.そのうち,京伝の家に遊びに行くようになった.「遊んでばかりいてはいけない,何か商売をしないか」と京伝に言われ,大坂の付け揚げ,江戸で言う野菜の胡麻揚げを魚にアレンジしてみたいと提案した.これはいい思いつきだと,出入りの魚屋に言いつけて,車海老だのイカだの持ってこさせた.これを適当に切って,粉をつけてゴマ油で揚げてみると,しごく風味がいい.さて何と名前をつけるか頭を悩ませた.大坂でしくじることを源助というので,源助揚げでは具合が悪いと聞いた京伝がひらめいた.天竺浪人がぶらぶらしているから,"てんぷら"がいいとなった.天は揚げる,小麦粉は麩,羅はうすものという意味をこめて,"天麩羅"と書くことにした.京伝の弟の京山も協力し,行燈に天麩羅と書いてくれた.吉原通いの人が行き交う馬道に店を出したところ,店先に揚げもののいい匂いがするもんだから,開店早々大評判となった. ある日,京伝が源助を訪ねてきた.「源さん,忙しい中だろうが,体を悪くしてはいけない.一つは保養,一つは商売繁盛を祈りに,成田へお詣りに行かないか」「それは結構でおます.先生,連れて行っておくんなはれ」「しかし,商売を休ませるのは気の毒だな」「何の,休んだかて商売しているようなものや」「どういう訳で」「行く先が成田の不動さんや,やっぱり護摩上げ[胡麻揚げ]に行くのや」 【ひとこと】 源「大体此の源助ちう名が不可(あきま)へんわ、大阪では失敗(しくじ)ることを源助といひまんね、江戸(こっちゃ)で能(よ)う味噌を付けるといひますが、大阪では失敗ると、ヤアえらい源助やとこないに言いますわ、江戸(こっちゃ)の人は何とも思はんでも、若し大阪の人に見られたら、源助揚げは一寸具合が悪るさかい」 京「成程新らしく商売を始めるのにしくじり揚げはいけないな……、お待ちよ、何か面白い名がありさうなものだ‥…、エート、何うだい源さん、天ぷらとしちやァ」(天麩羅) 天麩羅(てんぷら)は,三遊亭圓生(5)演.芳垣青天の挿絵3枚.雑誌『糧友』8巻2号に掲載された.『落語事典』には載っていない. 【つけたし】 雑誌『糧友』には,食べ物にまつわる落語が連載された時期がある.三遊亭圓窓(5)の『圓窓落語集』石渡正文堂 (1927)(再版)にも「新作天婦羅」としてこの噺が掲載されている.圓窓(5)は,圓生(5)の弟にあたる.もしかすると,圓窓が自作した落語を圓生も演じたのかもしれない.5代目の養子の6代目圓生は,この噺を演じていないので,三遊派に伝わらなることはなかったらしい.大正時代の新作かもしれないが,この落語の時代設定は江戸後記,筋立ても自然で,古典落語と区別がつかない. テンプラという言葉の語源は諸説あるらしい.いずれも,スペインやポルトガルといった南蛮渡来の説を唱えている.なかでも,絵の具のテンペラ(tempera)が語源というのは,いかにも脂っこそうで気に入った.さすがに天竺浪人がぷらぷらするでは,大喜利の答えみたいだ."天麩羅"という漢字書きの発案者が山東京伝だということは,『守貞漫稿』などにも書かれている.この説をふくらませて落語としたのだろう."本日土用丑の日"のキャッチコピーで,真夏のかば焼きの売り上げアップに成功した平賀源内や,「なめる」「百川」といった落語に看板商品や自店舗名をたくみに織り込んだ先人は,みごとな商才だ. |
| 174 桂文治,徳利妻,名作落語全集 9,騒人社 (1930) |
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【あらすじ】 昔,活井旧室という俳諧師がいた.活々斎と号し,何より酒を愛した.ある日,酒屋の前を通りかかると,プンと酒のいい匂いがする.持ち合わせがないので,鼻をつまみ,目をつぶって通りすぎようとしたが,「いらっしゃい」の声にうかうかと店に入ってしまった.大きなチロリで燗をつけてもらい,数の子で一升五合を平らげてしまった.ところが,銭もないのに,家が上総の鹿野山だと冗談をいったところ,若い衆にポカリと殴られてしまう.店が騒がしいと出てきた番頭に,主人に渡してくれと,"たたかれたあとで花咲く蕾かな"と半紙に書いて託した.これを見た酒屋の主人,活井先生でいらしたかと,もう五合ふるまった. すっかりいい心持ちになった活井先生,今度は石屋の前で,小僧が大きな貧乏徳利の口を欠こうと金槌を振り上げているのを見た.酒徳利を何より大切に思う先生,小僧の手を押さえて訳を聞けば,おかみさんがお鉄漿壺にするから口を欠くのだという.そんな物は番太郎の所へ行けば,わずかな鳥目で売っていると諭した.石屋のことゆえ,そこにあった竹を割った墨差しを手に取ると,徳利の脇にさらさらと何か書いて渡した.人の徳利が大切だとは,変な人もいるものだと,親方が徳利の文字を見ると,"酒徳利かけて淋しや枇杷の花".「なるほど,いい手だな……活井旧室.こりゃ先生だ」.主人が出てきて,鱈昆布のお汁で一升ごちそうになった.都合三升飲んだ先生,謡をうたいながら家に帰ると,ゴロリと横になってしまった. 「ご免遊ばせ.ご免遊ばせ」と戸を叩く女の声.まさか幽霊ではあるまいと招じいれると,入ってきたのは,21,2歳くらいの下ぶくれで口元のしまった色白の美人.「お陰様で助かりました.私は石屋の徳利でございますよ」.袖をまくると,白い二の腕に,"酒徳利かけて淋しや枇杷の花"と自分で書いた文字がある.「お前のようなきれいな女がおると世間体が悪い.昼のうちは徳利でいて,夜になったら女子に化けてくれぬか」「それでは先生,私を一生女房にして下さいますか」「なに,いっしょう女房だと…….なるほどお前は徳利に違いない」「お分かりになりましたか」「それで,おっとを慕うのであろう」 【ひとこと】 番「コレコレ手荒い事をしちやァいけねえ。何だお客様のお頭(つむり)へ手などを上げて」 活「ハハハハどうも痛い」 番「イヤどうも誠に失礼いたしました」 活「お前は主人かの」 番「イエ手前は番頭で」 活「アアさうか若い者はどうも気が早くつて困るな」 番「あなた様も又御串戯(じょうだん)で‥‥」 活「イヤ,考へて見れば俺がよくないのだ。物を食べて勘定をせんといふは、どうも宜くないよ」 番「感心をなすつてちやァ困ります」(徳利妻) 徳利妻(とくりづま)は,『名作落語全集』第9巻,変人奇人篇に収められている.桂文治演.出版年から八代目とした.『落語事典』には「徳利妻」(とっくりづま)の演題で載っている.戦後,西沢道書舗から同じ速記で出版されている. 【つけたし】 勝井先生のキャラクターは,おごったところがなく,ただ飲みをしても愛される人物になっている.まだ壊れていない貧乏徳利が人に変化するとは,よほどの古物だったのだろう.それにしては,裏長家の貧乏お神さんどころか,見目うるわしい若い娘に化けてきた.下ぶくれなのは,もとの徳利を引きずっているようだ. お鉄漿壺については,「白歯」に写真を載せた.こんな広口の壺なので,口が細いと役に立たない.さすがに色白の白鳥徳利ではお歯黒壺にはならず,無骨な貧乏徳利では娘に似つかわしくない.中を取って,写真のような徳利を用意した. 「徳利妻」は,『文芸倶楽部』27巻6号 (1921),『講談倶楽部』13巻1号 (1923),『糧友』9巻10号 (1934)にも速記が載っている. |
| 175 三升家小勝,虎狩,小勝新落語集,三芳屋 (1915) |
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【あらすじ】 応神天皇を生んだ神功皇后は三韓を征伐いたし,反対に鎌倉時代には蒙古が日本に攻めてきた.その後,太閤秀吉が朝鮮に出兵したときには,加藤主計頭清正という豪傑が活躍した. 加藤清正と徳川の家臣,本多平八郎忠勝が戦ったことがある.本多平八は,蜻蛉切りの大槍を馬の平首に当てて乗りだした.対する清正は,三叉の槍を中段に構えて迎え撃った.しばらく戦った後,本多に隙があったのか兜の紐に清正の槍がからまり,兜が中天に飛ばされた.「本多[飛んだ]ことになってしまった」.清正は再び兜をかぶって勝負しろととりなしたが,本多の方は首を取ってくれと言ってきかない.兜のやり場に困ってしまい,ビール会社に売って広告に使うことにした. 朝鮮出兵のときの先陣の大将は加藤清正と小西行長の2名.小西の方は泉州堺の薬屋で,朝鮮に何度も行ったことがあるから,清正にひと泡吹かせてやろうと先手に出た.そのため,さすがの清正も不覚を取ったがビクともしない.朝鮮のことだから,虎が出てきて日本の兵士を食い殺す.そこで,虎狩りをすることになった.清正の前に1匹の大虎が現れた.目を光らせ爪を立て,巌の間にいる奴を,清正は槍で突きかかった.ところが,手元が狂って,虎の額をかすって槍が外れた.槍を引こうとしても,ガッチリ咥えられてやりくりに困った.力任せに引くと,虎の歯で槍の片鎌が食いちぎられた.もう一度突いてきたところを,虎は槍の塩首に前足をかけ,「虎[ソラ]聞こえません加藤さん」.周りの兵隊が,「ドウスルドウスル」 【ひとこと】 三月四月は袖でも隠す、はや五月の岩田帯、戌の日に帯を〆めて猫の日に紙袋を冠(かぶ)る、頬肉が凹(お)ち、眼肉が減(お)ち肩で息をする、まるで印旛沼の鰻屋、それでも夫の胤と思へばこそ苦しいのを耐忍(がまん)して十月腹へ止めて置く、幾ら心安い質屋だッて六月で流してしまう(虎狩) 虎狩(とらがり)は,『小勝新落語集』に収められている.三升家小勝(5)演. 【つけたし】 サゲは,お俊伝兵衛の心中を描いた浄瑠璃『近頃河原達引』の名文句,「そりゃ聞こえませぬ伝兵衛さん」をもじっている.「どうするどうする」は娘義太夫に対する観客のかけ声.皮肉屋の三升家小勝なら,「どうでもすりゃいいだろう」と言いそうだ. 年若な娘が演じる女義太夫(たれぎだ)は,今でいうアイドルだった.裃袴すがたで高座にあがり,眉根を寄せてさも切なげに熱演すれば,ファンの書生連は「どうするどうする」の声をはり上げて応援した.ゆたかに結った日本髪を振り乱すと,ぽろりとかんざしが抜け落ちたりして,それを拾おうとする観客のボルテージもさらに高まった.サイリウムや紙テープこそなかったが,手拍子や下足札で拍子を取るオタ芸を披露したという.演者ごとに「推し」があるので,次の寄席へ掛け持ちをする人力車を,押したり引いたり護衛のつもりでくっついていった.文字どおりの親衛隊,追っかけだった.高座を降りてからの娘たちとファンとの所業についても巷間の噂になったりした.いったい何があったのか.「どうしたどうした」 |
| 176 蝶花楼馬楽,心学者,冨士, 8(3), 396-398 (1935) |
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【あらすじ】 「江戸の人はどうしてこうも気が短いのだろう.少しは気を和らげたい」と,京都から心学者の中沢道二が江戸にやって来た.中橋の寒菊という貸席を借り,無料で心学講義を開くとのビラをまいた.気の早い江戸っ子は,ただで田楽を食わせると勘違いして,「お前さんとこの田楽はうまいかい」「田楽じゃござんせん.心学です」「田楽は売り切れで,しぎ焼きになっちゃたとよ」「ひと皿ぐらいつきあうよ」 みんな二階で待っていると,高座に上がったのが中沢道二.十徳を着た人品のよい方で,はじめのうちは,落とし噺のような気の利いた話をして,そろそろ仁義忠孝礼知信という道徳を説きだした.江戸っ子には,これがおもしろくなくて,分からない.「おぅい,田楽屋,早く食わせろ」「つまらねえから帰っちまおう」と総立ちになって,梯子段の方へばらばらばらばら.道二は,「どうして江戸の人はこう気が短い」と嘆いた.客席を見ると,一人の職人がもじもじしている.高座からひらっと飛び降り,「あなたは年が若いのに,未熟なる私の心学がお判りでございますか」「何言ってやんでえ.しびれが切れて立てねえんだい」 【ひとこと】 「まン中に金平糖の壺を置きまして、まわりをぐるりッと円座を描いて銘々が坐って世間話をする、お茶を飲みながら。この壺ン中ィ手を入れて、金平糖をひとッ粒つまみまして口ン中へほうり込んで、またお茶を飲んで浮世話をしてえるという集まり。ある人が手を突ッこみましたら、どうしても壺から出なくなっちゃった。まことに惜しい品物だが、しかたがないからてんで、この壺をこわしましたらば、手にいっぱい金平糖を握っていた」なんてえなね……これァ心学のほうでございまして(中沢道二) 心学者(しんがくしゃ)は,雑誌『冨士』8巻3号に収められている.蝶花楼馬楽(5)(林家彦六)演.カット絵とも挿絵3枚.『落語事典』には「中沢道二」(なかざわどうに)の演題で載っている. 【つけたし】 「中沢道二」は,三遊亭一朝から彦六の正蔵に伝わった.この速記は短めだが,40年後に演じた長いバージョンが,『林家正蔵集』下巻(青蛙房 (1974))に載っている. 中沢道二[享保10-享和3]は,実在の人物で,京都西陣の織屋に生まれた.石田梅岩の石門心学を学び,江戸に出て心学学舎を開いた.その講義は大人気だったという.墓は世田谷の妙寿寺にある(写真).『校訂 道二翁道話』(岩波文庫 (1935))で,道二の行った心学講義を読むことができる.ほんの一部をあげると,「天災」同様,やはり道普請していた. 屋宇(やね)へ昇るに楷梯(はしご)でなければ昇られぬ。屋宇へ昇(あがっ)たれば楷梯はモウいらぬ。夫に屋宇の上で長い楷梯をぶらぶらふり廻して、あぶない事じや。怪我人が出来ると言ふも聞ず、鼻ばかりたかうして、子曰、何屋何兵衛何屋何兵衛。所書ばかり読んでいる。(中略)名ばかりでせり合してゐる。肝心の本家(おもや)はきよろりとしてござるに、何の争ひじや、わけが知れぬ。 さつぱりと埒の明いたる世の中に埒を明けぬは迷ひなりけり 役にも立ゝぬ論を止めて、たゞ今日の天命を大切に勤め行ふが、性に率ふ之を道と謂ふ(道二翁道話) 何か,きょう日の勢いある政党党首演説のようにも聞こえる. 弟子筋の紅羅坊名丸先生も,ご隠居の紹介でやって来た八五郎に,わかりやすい道普請のことからはじめて諄々と「天災」について説いて聞かせた.こんな風な地道な活動によって,天明から享和にかけて,心学は短気な江戸っ子の間にも広まっていった. |
| 177 翁家さん馬,茄子の精,文芸倶楽部, 26(14), 136-144 (1920) |
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【あらすじ】 ある田舎に小さな寺があった.和尚は裏の畑の手入れに余念がない.好きな茄子に肥やしをやり,「早く大きくなりなさい.大きくなったら,わしの菜にするから」と丹精していた.ある日の夕方,くたびれて寝転がっていると,垣根の向こうに17,8歳の可愛らしい娘が何かもの言いたげに笑っている.「私は裏の畑の茄子でございます.毎日和尚さんが,大きくなったら妻にするとおっしゃいましたからやってきました」「わしは元より出家の身,飯の菜にするといったのを,お前が思い違いをしたのだ」「せっかく参りましたので,お側へ置いて御用なとさせて下さい」.いつの間にか眠っていた和尚を権助が起こした.「おお,権助か.今,娘になった茄子に肩を叩かせていると,いつか眠くなって,その女といっしょにまどろんだ気がする.出家として恥ずべきことだ」.和尚は修行をしなおすと,唐傘1本もって寺を出て行った.数年後,寺に戻ってみると,6歳ばかりの女の子が「お父さん」と駆け寄ってきた.「これこれ,わしは女房もいなければ子もいない出家だ.父と呼ばれるいわれがない」「おっ母さんがつねづね言うには,お父っつぁんは修行に出て,今に帰って来なさるとのこと.私はこの畑の茄子の子でございます」「ナニ,不思議なこともあるものだ.お前のお母さんはどうしている」「お屋敷におコウコウにあがり,私は一人で育っております」「なるほど,よく言ったものだ.親はなす[無く]とも子は育つ」 【ひとこと】 何か不思議な珍しいものをといふ御註文でいろいろ探しました末茄子の精と云ふ極く下積の店晒しものを幸ひに持出してお饒舌(しゃべり)を致します(茄子の精) 茄子の精(なすのせい)は,『文芸倶楽部』定期増刊号"不思議十八番"に掲載された.翁家さん馬(7)演.挿絵1枚と肖像写真.『落語事典』には「茄子娘」の演題で載っている. 【つけたし】 牧歌的なバレ噺.サゲが先にあって,ストーリーがついたものだろう.茄子の精は実在する.三重県椋本では,写真のような可愛い茄子娘がわき道から飛び出してきた. ナスはおいしい.漬物でよし,ショウガ醤油の焼きナスでよし,みそ汁に煮びたし,油との愛称もバツグンと,食べ飽きない.自家菜園で作るのも楽で,ずんずん育ち,どしどし実る.気をつけないと,たまに茎にトゲのある子がいて,手をチクリとやられる.意外とお転婆娘だ. |
| 178 桂文鶴,贋学者,講談雑誌, 4(13), 185-192 (1918) |
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【あらすじ】 横町の先生が,親子ほど年の違うお内儀さんを貰ったせいで具合が悪くなってしまった.熊と八の二人は,先生に読み書きを教わった恩がある.二人そろって見舞いに行こう,どうせ行くなら学者然と決めていこうとなった.「学者らしく反り身になって歩きねえ」「こうかい」「もっと端を歩きなよ.日に当たって借り物の羽織が色が変わるといけないよ」「オイ,兄弟」「学者らしく,貴公とか尊公とか言えよ」「じゃあ,貴公尊公」「どっちか一つにしろよ」「お前が貴公になりゃ,俺は尊公にならァ」「手前のことは不佞(ふねい)と言うんだ」「時に尊公」「そうそう.何か御用か」「別に用はない」「時に尊公,暫くチョボ一を仕らんな」「学者がチョボ一をするかよ」「時に尊公.先生の宅を通り過ぎてござる」 先生は奥の間で伏せっている.「是は両君子,枉駕雀躍(おうがじゃくやく)仕る,先ず轡(くつわ)を投じて寛談可ならんや」「何だい,分からねえな」「俺にも分からねえ.いい加減にやっつけよう…….エエ先生腎虚して不善をなす誠に疲たる君子となり給う」「難しいなこりゃあ.エー惜しいかな此の人にして此の病あり」.先生,肩で息をしながら,「アア,少ないかな腎」 【ひとこと】 熊「頼む頼む」 ○「ドーレ……イヤ是は是は御両所お揃ひで」 熊「先生御病気と承はり、我々両名お見舞に罷り越してござる」 八「我々二人先生の病気見舞に来たんでござる」 熊「余計な事を云ふな」 ○「暫時お控へを……」 熊「変な事を云ふなつてのに、黙つてねえよ」 ○「是は是はお待たせ申したどうぞこちらへ」 熊「然らば御免」 八「然らばソロソロ病気見舞に取掛るでござらうか」 熊「止せつてのに……エー先生御病気は何(いず)れでござるな」 八「先生は何処に横たはつてござるな」 熊「丸太ン棒ぢやァあるめえし」(贋学者) 贋学者(にせがくしゃ)は,『講談雑誌』4巻13号に掲載された.才賀改め桂文鶴(三笑亭可楽(7))演,今村信雄速記. 【つけたし】 熊と八の会話が,茶番か漫才のように進んで行く.サゲの文句は,小人閑居して不善をなす(大学),斐たる君子有り(大学),巧言令色鮮(すくな)し仁(論語)のもじり.男性能力を司っているのが腎臓とされた.その腎臓を酷使すると,「短命」の若旦那や「おかふい」の主人のように腎虚という病になる.強精,スケベな人は腎張りと呼ばれた."内損か腎虚と我は願ふなり そは百年も生き延びしうへ"は,十返舎一九の狂歌で,長命寺(墨田区)に碑がある. |
| 179 四四十六,新作落語扇拍子,名倉昭文館 (1907) |
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【あらすじ】 義太夫好きの大家の若旦那が,会でやることになったのが『忠臣蔵』の六段目.一生懸命に稽古しているのだが,若旦那はどうしても動物の名前が覚えられない性分で,六段目の「夜前弥五郎殿に御目にかかり,別れて帰る暗らまぎれ,山越す……」のあとの"猪"の文句が出てこない.今さら演し物を替えてくれとは言えず弱っていると,出入りの和吉が助けてくれることになった.旦那は九九はできましょうから,私が大声で「十六」と言いますから,"四四の十六"を胸算用して,「四四に出合い」といえば,見物人にも教わったことがわからないと,段取りが決まった. 当日,五段目も済んで,いよいよ若旦那の出番の六段目.「山越す……」と引っ張っても,折悪しく和吉は,便所に行ってしまって声がかからない.何べんも「山越す」と言ったもんだから,「そんなに山越したら,足がくたびれるやろ.脚絆つけて三里に灸でも据えておけ」とヤジが入って悪落ちした.泣き声になって「山越す……」と演っている.ようやく和吉が便所から出てきて,「十六,十六」と叫んだから,「チェェ……二八に出合い」 【ひとこと】 和「最前から貴公(あんた)の後方(うしろ)から聞いておりましたが、アリャ何の浄るりでございます、獣物(けもの)づくしと言ふ上るりでございますか、 若「何を言ふのじや、獣物づくしと云ふ上るりがあるものか、忠臣蔵の六段目じゃ、 和「唐の忠臣蔵でございますか、 若「唐の忠臣蔵……、唐に忠臣蔵があるものか、じゃらじゃらと……、 和「けど……駱駝や象や虎が出たじやありませんか(四四十六) 四四十六(ししじゅうろく)は,『新作落語扇拍子』に収められている上方落語.演者名記載なし.寝児浦こてふ編.『落語事典』には「二八義太夫」の演題で載っている. 【つけたし】 動物の名前だけ覚えられないという設定に無理がある噺.「道灌」に出てくる二八あたりの賤の女は,二×八の十六歳のこと,それなのに一六銀行は,一+六の質屋のこと.日本語は難しい.三吾十吾,山茶花究,八波むと志など,九九をもじったなつかしい芸名や,「二九十八」という狂言もある.四四はオイチョだが,二八だったらドボン.若旦那,チャンスはまだある.もう一丁! |
| 180 三遊亭圓遊,猫芝居,二代目三遊亭圓遊落語全集,三芳屋 (1912) |
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【あらすじ】 使いに出たのに一日中芝居見物してきたことがばれた若旦那は,二階座敷の梯子をはずされ,食事抜きの罰を受けた.腹の減った若旦那は,飼い猫の駒に芝居掛かりで訴えかけた.「コレ,駒.畜生なれど,我が言うことよく聞けよ.せめて魚のアラなりと盗んで,我が空腹を助くる心はあらざるか」.これを聞いた駒は窓から飛び出して行った.「いい猫の」(チョン)「駒猫じゃなァ」(舞台が回る). 「若旦那には懲らしめの二階住まい,ご難儀を助けんための屋根伝い,窓から飛びだし盗んだこの鯛,向こうの高猫にかぎつけられねェその内に,少しも早く若旦那に,そうだそうだ」「駒猫待てェ」「そういう声は高猫.なんで俺を止めたのだ」「知れたことだ.料理番の目を忍び,盗み出だしたその鯛を,向こうの庇でにらんでいて,こけら瓦の嫌いなく,跡追っかけて来た屋根伝い,かぎつけられちゃァ仕方がねェ,キリキリこっちへ,渡してしまえ」「そう言やァこっちもお主のため,鰭(ひれ)はもとより身はばらばら,骨になるともこの鯛をヤワカ手前に渡そうや」「渡さぬなれば腕ずくなりと」.立ち回りの末,高猫は庇合(ひあわい)へ落ちいった.「上がって来ぬ間に若旦那へ,少しも早く,おぉそうだ」.若旦那は障子をガラリと開けて,「駒か」「ニャーン」(舌打ち)「チョッチョッチョッチョッチョ」.一幕すみました. 【ひとこと】 京の里の片ほとりに貧しくくらす浪士あり、此の士(さむらい)常に猫を愛し、我が食を一度減して養ひ居りしがフトした風の心地にて重き病ひの床に就き、遂には一命危き時、畜生なれども飼猫が、主の病ひを悲しみて、不思議や猫は何処(いずこ)よりか数多(あまた)の黄金噛(くわ)へ来て、其の儘蔭を隠せしに、夢かとばかり喜びて其の黄金にて薬を求め、全快なしたる例(ためし)もあり(猫芝居) 猫芝居(ねこしばい)は,『二代目三遊亭圓遊落語全集』に収められている.三遊亭圓遊(2)演,浪上義三郎速記. 【つけたし】 芝居噺で,マクラに「芝居の穴」風の芝居にまつわる小噺と「今戸焼」を演じている.サゲは,猫を呼ぶ舌打ちと,幕がしまる拍子木の音を重ねあわせている.『落語事典』には,上方から来た三遊亭新朝の作とある.当代桂文我は,この速記をもとに,上方流にアレンジして演じている. |
| 181 柳家小さん,能祇法師,圓右小さん新落語集,三芳屋 (1911) |
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【あらすじ】 俳諧師の宗祇のあとを慕った能祇という坊さんがいた.句行脚で旅をして,東海道大磯にかかると,一つの庵室を見つける.住む者もなく荒れていたものの,目の前に海を見晴らし,まことに気持ちがいい.とうとう,そこに居ついてしまった. ある夜のこと,一本灯芯の暗い行燈のもとで,伊勢物語を書き写していた.そっと入口が開いて,知らない男が入ってきた.「誰だ.用があるなら昼間に来たらよかろう」「俺は盗人だ.いつも小汚いなりをしやがって,食う物も食わず金を貯めてやがるんだろう.残らず出さなきゃダンビラお見舞い申すぞ」「上げるものは何もないから,茶でもあげよう」「この坊主,しらばっくれるな」.ひょっと眼についた伊勢物語を持ち去ろうとした.「これはおまえ方が持っていても詰まらない本だ.ようやく半分まで写したものだから,これだけは勘弁してくれ.明日には金を工面しておくから,明日またお出で」「盗人が出直してこられるかい」.伊勢物語をひったくって出ていった.あとを追った能祇が,賊が門を閉めて出ていった様子を見て思いついた.「本の代わりのものをやる」と,くすぶった行燈にさらさらと何かしたためて渡した.「この字の書いてあるところを,どこか大きな家に持ちこめば,いくらかに買ってくれるだろうよ.金のできた時分にまたおいで.有りさえすれば渡すから」「変な奴だなぁ.何度も来られるかい」.行燈の切り抜きを懐に入れ,伊勢物語を放り出していなくなった. 翌朝,大家の家に飛びこんだ泥棒は,買っていただきたいものがあると,例の紙を差しだした.しばらくそれをながめていた大家さん,「十両に買ってやる.さっきもお前のお袋がきて.さんざんこぼしていった.買ってやるから泥棒なんかしないで改心しろ」「私が泥棒に入ったことが書いてありますか」「書いてなくてもそういう意味だ.近郷まで名が鳴り響いている能祇法師のところに物盗りに入る奴があるか」「ヘエー,そこに何と書いてあります」「盗人の門閉(た)てて行く夜寒かな.分かったか」「寒いのに泥棒に来てご苦労とでも言うんですか」「何を言ってるんだ.この十両を元手に商売を始めて身性を改めろ.親を大事にしろよ」 泥棒さん,何か感じたところがあったのか,能祇法師の庵にやって来て,前夜の不心得を詫びた.能祇法師,こんこんと意見をした上,一つたずねた.「伊勢物語の本を抱えて出たときに,どうして門を閉めていった」「へえ,開けっ放しでは物騒でございますから」 【ひとこと】 風流といふ事は昔から決して流行衰頽(はやりすたり)は無いが、就中(わけて)其の頃は盛んのものであつて、近所の人が話して見ると風流の道ばかりではない、都(すべ)ての物が出来るからして、話が面白い、段々知られて来て、其の居廻りの富限者へ毎日のやうに呼ばれて、風流の話をして人を楽しませ又自分も楽しみ、出れば外(よそ)で馳走になり、庵に居て喰物が失(なく)なれば食はずに居るといふやうな工合(能祇法師) 能祇法師(のうぎほうし)は,『圓右小さん新落語集』に収められている.柳家小さん(3)演. 【つけたし】 能祇法師や伊勢物語,大磯といった固有名詞をあげることで,噺の雰囲気が作られている.さらに,その裏には,西行法師,藤原定家,松尾芭蕉,在原業平といった人物が見え隠れしており,この噺をいっそう奥深いものにしている.大磯と言う舞台設定で,ロングビーチの湘南海岸だけでなく,古くは吉田茂ら政治家の別荘地,人気投票第1等の避暑地,西行ゆかりの鴫立庵といったことが思い浮かぶ.滑稽噺だからといって,大笑いするようなものではないけれども,聴いてよかったとしみじみ思わせる落語だ. 西行がこの地で詠んだ歌が,「心なき身にもあはれは知られけり 鴫立つ沢の秋の夕暮れ」.三夕の歌の一つに数えられている.藤原定家が『新古今和歌集』に選んだ3首の和歌が,三夕の歌と呼ばれる.西行のほかは,寂蓮法師の「さびしさはその色としもなかりけり 真木立つ山の秋の夕暮れ」,編者の定家自身の「見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮れ」になる.寂蓮の歌は,百人一首にも取られている.「村雨の露もまだひぬ真木の葉に 霧立ちのぼる秋の夕暮れ」(百人一首87番).モノトーンの秋の夕暮れがお好みのようだ.「寂しさに宿を立ち出でて眺むれば いづこも同じ秋の夕暮れ」(良暹法師,百人一首70番).「思ひやれ真柴のとぼそ押しあけて 一人ながむる秋の夕暮れ」(後鳥羽院).だんだん気分が滅入ってきてしまう. 江戸初期,小田原の崇雪が,西行の歌に似つかわしい場所を大磯に探しあてた.そこに鴫立沢の碑を建て,庵室をつくった.その後,俳人の大淀三千風が最初の鴫立庵庵主となり,今にいたるまで代々の庵主に引き継がれている.庭内には西行の像を収める円位堂,吉原から寄進された虎御前の像がある法虎堂,日本三大俳諧道場の一つである秋暮堂などの建物,湘南由来の地を示す石標,圓朝ものでもおなじみの医師松本良順の顕彰碑,多くの歌碑・句碑など,見どころが多い. 北面の武士であった佐藤憲清が,阿漕なことから出家して西行となるまでを描いたのが落語「西行」であり,西行のあとを慕い,歌枕をたどったのが芭蕉の「奥の細道」だ.この噺の主人公,能祇法師は,俳諧師の飯尾宗祇のあとを慕って大磯にやって来た.『伊勢物語』は,在原業平とおぼしき人物の恋多き生涯を,歌物語として書き連ねた作品.「筒井筒」や業平の東下りの場面がよく知られている.はるばる武蔵国にやって来て詠んだのが,「名にし負わばいざ言問はむ都鳥 わが思ふ人はありやなしやと」.古今亭志ん生が住んだなめくじ長屋の業平橋,まんまる三色の言問団子,お台場行きのゆりかもめ,「二人旅」の一膳飯屋と,なんだかんだと江戸東京に顔を出している. |
| 182 の太イ,新作落語扇拍子,名倉昭文館 (1907) |
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【あらすじ】 上燗屋にやって来た男,お燗が熱いだ,ぬるいだと何度も注ぎ足させた上,肴の添え物の焼き唐辛子やおからばかり選って食べている.しまいには,7銭の代金を付けにしてくれと言い出した.「どこのお方かわからない方にお貸しできまへん.この商売は誠に糊屋の看板でおますよって」「糊屋の看板とは何のこっちゃ」「へい.糊屋の看板で,りが細いものでございます」「そうか.俺も銭を貸せというのは,まあ,糊屋の看板じゃ」「そんならあんたも,りが細いと言いなさるのですか」「いいや.おれのは,の太いのじゃ」 【ひとこと】 男「然うか……そんならこの鯡(にしん)一本と、鮓二片(ふたつ)喰ふは……、それで勘定は何程(なんぼ)になる、 上「ヘイ、丁度七銭になります、 男「ソリャ途方もない安いナァ、そんならその七銭チョッと貸つとくは……、 上「滅相な……何処のお方や分りまへんのに、お貸し申す事は出来まへん、元払ひは現金でおますさかいナ、ホントにこんな商売と言ふものは、誠に糊屋の看板でおますよつてにナァ(の太イ) の太イ(のぶとい)は,『新作落語扇拍子』に収められている上方落語.演者名記載なし.『落語事典』には「糊屋の看板」の演題で載っている. 【つけたし】 "野太い"という言いまわしは,"野太い声"でしか聞いたことがない."図太い態度"という意味でも使われるようだ.「無筆の女房」にも書いたように,昔の糊屋の看板は,大きな"の"の字に小さく"り"があしらわれていたと言う.これを知っていることが前提になっているので,この落語が復活する見込みは全くない.なお,この速記では,「上燗屋」の前半に続けてサゲをつけているが,『落語事典』によると,糊屋の看板をうどん屋だと間違えて入ってきた男が,なぜこんな看板にするのかと問答になる流れだという. |
| 183 翁家さん馬,馬鹿竹,文芸倶楽部, 7(5), 208-217 (1901) |
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【あらすじ】 いくら女房が酒を止めろと頼んでも,夫の馬鹿竹は聞く耳を持たない.女房のおそのは,離縁状に実印まで捺させて家を出ていった.残された馬鹿竹は,毎日酒浸りで金を使い果たして行方知れず. ある日,棟梁の政五郎がぽろっと竹の名を出した.「竹に頼みたいことがあるんで,誰か,あいつの居所を知らねえか」.探しに行った勝,ようやく知り合いの大工の家で,酔いつぶれている馬鹿竹を見つけた.政五郎棟梁が,金儲けの口があるから来てくれと伝えると,「人にものを頼むなら自分の方から来い」と言って,ふて寝してしまった.このことを聞いた政五郎は,みずから馬鹿竹の所に出向いた.「今度,谷中の塔を一本建てようということになったんだが,恥ずかしながら俺はその絵図がひけねえ.ほかの奴に頼むと頭が上がらねえ.竹馬の友のお前だから,一つ俺に金儲けをさせてくれ,その代わり生涯忘れないから」.頼まれた馬鹿竹は,二つ返事で請け合った.喜んだ政五郎は,一杯飲もうと誘った.「こうやって仕事にかかるからは,もう酒は飲まねえ」.そう言うと,政五郎の家の2階に21日間こもって,一心に作業していた.「棟梁,これを見てくれ」.できあがった絵図を見て,「これだけの人が世に出ないんだから,なるほどあいつが疳を起こすのももっともだ.竹さん,ちょうな始めはお前に頼んだよ」.建てあがったのが,今も谷中に残る五重塔だ. その後,江戸城本丸が焼失した時には,馬鹿竹が御用仕事を請け負うほどの棟梁になった.そこにやってきた女は,年の頃なら40過ぎ,下地はいいが,ボロの着物にボロの帯.そのという者が来たから,棟梁の竹次郎に取りついでくれという.庭口から縁側に通され,竹が来るのを待っていると,「おや,どなた様でしたかね.13年前,離縁状に実印まで捺したじゃねえか.今さら夫婦になろうといっても後にはもどれない.ここに二百両あるから持って帰りなさい」と,財布を下に置くと,ドッサリ音がした.「おっと,音ばかり持っておいで.さようなら」.障子をピッシャリ閉めて中に入ってしまった.もはや死ぬよりほかにないと,しおしおと歩いていると,あとから弟子が追いかけてきた.「お前さんが不了見を起こしかねないので,この金を渡せと言われました」.おそのは,200両を受け取って去っていった.淫婦は奸夫に富む,賢女は一夫に乏しいと申します. 【ひとこと】 竹「雪隠の棟上をしても、墨壺金ェ持ちやァこりやァ棟梁だ、金があるから幅ァ利かせあがッて、ナニ、金儲けをさせる、馬鹿ァ言へ、そりやァ先方(むこう)が金儲けなんだ、先方が百両儲けりやァ,乃公(おれ)にやァ十両とは出さねえや、汝(うぬ)が金儲けをするのに、人を呼んで用をさせるといふなァ生意気だ(中略)勝「それでもお前は棟梁の仕事をすることがあるぢやァねえか 竹「それだから和郎(おめえ)達は分らねえといふのだ、此方(こっち)で頼んで仕事を貰ふといふ時にやァ,そりやァ行きもらァ、けれども先方で仕事を頼むのに乃公の方から駈出して行くやうな竹ぢやァねえや(馬鹿竹) 馬鹿竹(ばかたけ)は,『文芸倶楽部』7巻5号に掲載された.翁家さん馬(5)演,翠雨生速記.挿絵1枚. 【つけたし】 飲んだくれて働かない夫を見限ったからといって,淫婦呼ばわりはないだろう.去られて困窮した元妻に対して,差し出した金を目の前で引っ込めるなんぞ,偏屈というよりは,根性悪な男にしか見えない.なお,用例の"淫婦は奸夫に富む"は,"淫婦は姦夫に富む",が正しいだろう.谷中の五重塔を建てる話というと,幸田露伴の『五重塔』との類似を感じる.こちらの方は,馬鹿竹ならぬのっそり十兵衛が,ライバルに襲われながらも一心に五重塔を完成させる.落慶直前に暴風雨が襲いかかるが,嵐の中ビクともしなかったという,まさに名人譚になっている.今のような「ひねりや」になってしまう前,「甲府い」を聞いて涙するような純粋な少年だった私は,『五重塔』を感動しながら読んだのだった. そんな谷中名物の感応寺(天王寺)五重塔は,放火によって1957年に焼けてしまった.谷中霊園の真ん中の跡地には,礎石だけが残されている.そばには,燃え上がる五重塔の写真も掲げられていた. |
| 184 曽呂利新左衛門,第一回(走り餅),滑稽伊勢参宮,駸々堂 (1899) |
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【あらすじ】 紛郎兵衛と似多八の二人が伊勢詣りに出かけた.大阪八軒家から三十石で伏見の浜に上がり,京都は三条大橋を渡って蹴上にかかった.九体地蔵を過ぎたところで,武士に声をかけられ,旅は道連れと歩きだす.走井にかかると,名物の走井餅をを食べくらべして,負けた方が代金を払おうということになった.無闇やたらと食べていると,武士の方が餅をのどに詰めて,しゃっくりが止まらなくなった.「ヒェッ,こりゃ困った,ヒェッ」「旦那,それじゃ貴方の負けです」「致し方がない,ヒェッ,餅代はいくらだ,ヒェッ」「はい,三百十二文いただきます」「こりゃ驚いた,ヒェッ,餅を食ってのどへ詰めて,ヒェッ,しゃっくりを出して,ヒェッ,勘定するとは,ヒェッ,こんな馬鹿馬鹿しいこと,ヒェッ,こりゃ両人,何かしゃっくりの止まる薬はないか,ヒェッ」 紛郎兵衛がすきを見て,侍の後ろから肩口を一つ殴ったが,それでも治らない.「しゃっくりが二十四時の内に治らぬと一命に関わるということは,ヒェッ,かねて聞き及んでいるから,ヒェッ,実に往生したわい」.とうとう大津の札の辻まで来てしまった.すると,剣菱の薦をかぶってかがんでいた一人の乞食が,薦をはねのけ,「侍,待てっ.我が父を斬って立ち退いたるその方,ここで逢いしは優曇華の,花を咲かして尋常に勝負いたせ」と竹杖に手をかけた.「こりゃ,待て,非人.それがしは人を殺めし覚えはなし.人違いであろう.よく見るがよい」と笠を脱ぎ捨てた.「旦那,しゃっくりは治りましたか」「何っ.その方がびっくりさせたので,しゃっくりはすっかり治ったわい」「治りましたらどうぞ一文いただかして」 【ひとこと】 エー伺ひます、十返舎一九の作に滑稽膝栗毛と申し弥次郎兵衛、喜多八といふ主人公を使ひまして東海道五十三の駅々(しゅくしゅく)をば洒落を致して廻ッたといふ、これはいずれも御承知でございますが、ここに大阪に極く洒落(しゃらく)な人物がございまして伊勢参宮をしやうではないかと、紛郎兵衛、似多八といふ二名の者が宅を発ッて八軒家へ出て参りました(第一回) 第一回こと走り餅(はしりもち)は,『滑稽伊勢参宮』に収められている上方落語.二世曽呂利新左衛門演,丸山平次郎速記. 【つけたし】 『新百千鳥』2巻1号から4回にわたって連載された「滑稽伊勢参宮」が,その後,書籍化されている.各回に演題はついていないが,第1回は「走り餅」になる.「滑稽伊勢参宮」は,【ひとこと】に引用したように,十返舎一九の膝栗毛にならって,伊勢詣りの道中を落語でつづったもの.そのため,本来の「東の旅」とは話順や構成が違っている.走井(はしりい)は京都−大津間に現存する名水で,この水を使った走井餅の店があった.今も,走井餅を買うことはできる. しゃっくりが止まらないのは辛いもの.しゃっくりが○回続くと死んでしまうという都市伝説も耳にする.しゃっくりを止める方法は,おまじないを含めていろいろあるようだ.水を入れた茶碗に割り箸を十文字に乗せて四方からこれを飲んだり,耳の穴を指でふさいだり,など.なかでも,ゆっくり息を止めるのが効果的だという.「走り餅」のお武家さん,驚いて息を呑んだのが効いたのかもしれない.やっぱりしゃっくりにはびっくりがぴったり. |
| 185 桂文團治,鳥黐番部屋,桂文團治落語集,三芳屋 (1916) |
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【あらすじ】 喜ぃ公が,何かぼろ儲けできることはないかと尋ねてきた.「ボロいことは山のようにある.よく言う濡れ手で粟のつかみ取り,自然薯も鰻になる,鳥もちで番部屋……」「鳥もちで番部屋というのは何です」「大阪で夜番になっていた旗本の若旦那が帰参が叶い,そのあと,近所の取り持ちで番部屋をさせたという,鳥もちと取り持ちの聞き違いでこう言ったものだ.いい商売を教えてやろう.どうだ,鳥刺しに行ったら.春の彼岸に,天王寺の西門で放し鳥をすれば,奇特な人がみな逃がしてくれる.雀が捕れたら持っておいで,鳥屋町の小鳥屋に卸してやるから」 翌日,鳥刺しの格好を整えて町を歩いていると,屋根に鳩を見つけた.鳩を刺そうとしているところに,祓い給え屋が通りかかった.鳩は神に縁ある鳥ゆえ,じゃましてやろうと,箱から鈴を取り出して鳴らしたから,鳩は逃げてしまった.怒った鳥刺しに,祓い給えは鳩の因縁をたたみかけた.「それほど鳩が刺したければ,鳩の代わりに我を刺せ」.腹の癒えない鳥刺しは,もち竹を祓い給えに突っかけた.ところが,隙を見て体をかわしたので,もち竹が番部屋の明かり窓へ突き刺さった.中の番人びっくりして,「誰じゃ,鳥もちで番部屋をさしに来るのは」 【ひとこと】 江戸表に在られる旗本の若旦那が放蕩の結果、大阪へ逃て来て成す事が無い、これが所謂小便馬の飼殺し、ところで遊んで居る訳にも往かんで、町内の夜番に成つて (中略) かかる場合に江戸表のお屋敷のお世継が死なれたのだ、ところで其の人をば大阪へ来て手蔓を以て捜し出し帰参を叶へて貰ふて江戸表へ連れ帰り、そのお屋敷の家名を嗣した、そこで後に残した番部屋が不用(いらぬ)やうになつたので近衆達(はたはた)の取持で番部屋をさすことゝなつた其れを人が言ひ誤つて鳥黐で番部屋と云ふ、本当は取持ちで番部屋をさせたので(鳥黐番部屋) 鳥黐番部屋(とりもちばんべや)は,『桂文團治落語集』に収められている上方落語.桂文團治(3)演.『落語事典』には「番部屋」の演題で載っている. 【つけたし】 やっても意味がないことを指す「鳥もちで番部屋さす」という諺が,実地に起こったら面白かろうとの発想で作られた落語だろう.「鳥もちで番部屋さす」の由来を本文でも説明しているが,それでもよくわからない.そのほかにも,やたらと説明を要するところが多い.天王寺の放鳥のこと,鳥刺しの装束に脇差しを差す説明,三韓征伐と鳩の因縁など,【あらすじ】では,すっかり説明を省略している.祓い給え屋は,「人形買い」にも出てくる神道者で,近所の祈禱を商売にしていた.桂米朝もこの噺を手がけようとしたが,疑問点を消化しきれず,あきらめたという.珍しい落語をたくさん復活させている当代文我師は,この「番部屋」も手がけている.わからない部分はわからないまま,手を加えずに演じるとある.わざわざ文團治の速記を読む人は少ないだろうから,こうやって後代に託すしかないだろう. |
| 186 髭題目,名人落語傑作集,松要書店 (1927) |
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【あらすじ】 「お父さん,妙法寺ってお寺の門のそばに蛇がのたくったような字が書いた碑があるでしょう.あれは何と読むか教えておくれ」「そんなことは学校で聞きな」「だってあんな妙な字は学校で教えてくれないからよう」「あれはな,髭題目と言って,南無阿彌陀佛と書いてあるんだ」「そうかい,学校で南無阿彌陀佛という字を教わったら六字だったのに,あの石碑の字は七字あったよ」「縁起でもねえ,学校で念仏なんか教えやがって」「一番下の字は,佛と違ってら,義經の經,アッお經の經という字だったよ」「だから一番下に付けてあるのよ.いろはの終いだって京じゃねえか」 【ひとこと】 子「阿父(おとっ)さん、不動様は、あれァ神様か仏様かい。 父「アレは………成田様だよ。(髭題目) 髭題目(ひげだいもく)は,『名人落語傑作集』に収められている上方落語.演者名なし. 【つけたし】 近ごろの子供は学問が進んでいて,質問された親は困ってしまうというマクラがつく.飛行界のオーゾリチーが何呎の所を飛行して,一呎が何尺かわからないとか,チャンピオンは何かと聞かれて,父(ちゃん)が美音錠を飲んだようないい声を誉めたものだと説明する.学問の進んだはずの現代人が,かえって何のことか分からなくなっている.ところが,【ひとこと】に引用した会話は,まったく古びていない.ちなみに,吋がインチ,呎がフィート,哩がマイルの漢字表記.こうやってならべてみて,寸−尺−里の順になっているルールがわかった.1フィートは偶然にも1尺とほぼ同じ.これは覚えやすいが,1フィートが12インチ,1ヤードが3フィート,1マイルが1760ヤードと言われると,全然体系的でないことに驚いてしまう.美音錠は,本来は浅田飴のようにせき・こえ・のどの薬のはずだが,よい声が出るを売り文句にしていた."声は鶯に美音錠飲ましたよりまだ清く"(風流仏)と,幸田露伴が美文につづっている. 『名人落語傑作集』と同内容の速記が,『爆笑漫才と落語集』にも収められている.他の書籍に載った落語を寄せ集めたチープな ものだが,インターネット公開されていて,自宅からでも読むことができる.「髭題目」のほかにも,珍しい落語がたくさん載っている.たとえば,「空景気」「粗忽医者」「浮れ小僧」「運之餅」「浄瑠璃乞食」(いろは順). |
| 187 桂文團治,太閤の白猿,桂文團治落語集,三芳屋 (1916) |
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【あらすじ】 曽呂利新左衛門に対して,秀吉公が,「へつらいは良きことか」と尋ねた.「武士には忌みる言葉と存じます」「ならば,予の顔は猿に似ているか」.困った新左衛門は,「殿下が猿に似たのではございません.猿が幸いを得て殿下に似たものでございます」「猿が予に似ているならば,一匹目通りさせよ」.丹波の山奥でようやく見つけた大猿に,秀吉と同じ服装をさせて謁見させた.この猿を預けられたのが竹村伊左衛門,猿にもしもの事があれば,切腹になってしまう. 大名お目通りの時に,秀吉公と猿が並んでいると,どちらが本物か見分けがつかない.ある日猿に袋竹刀を持たせて,拝謁した大名を打たせた.首筋を打たれた加藤清正公,「無礼者ッ」と見ると,相手が猿では,グッと我慢してうつむくしかない.福島正則,加藤嘉明,片桐且元と犠牲になる.このことを聞いたのが伊達政宗公.つぶれた左目を自分でくりぬいてしまうような活発な方で,いくら秀吉公の御威光といえども,猿に竹刀で打たせるのは良くないと,竹村の屋敷に乗りこんだ.猿の檻に案内してもらうと,猿の首筋をつかんで引きだした.「余は奥州の大領,伊達内膳太夫である.明日,余を打ったとあれば,御前の前でも引き裂くぞ.よく政宗の顔を覚えておけ」と言って,檻の中に放りこんだ. 秀吉の前へ出た伊達公,「殿下にはご機嫌麗しく,恐悦至極に存じ奉ります」.秀吉公に竹刀を渡された猿は,伊達公のそばに近づいて行った.伊達公にグッとにらみつけられた猿は,驚いて秀吉公のそばに戻った.急かされて,もう一度伊達公のそばに行ったが,にらみ返される.猿は行くに行かれず,「さるとは辛いね」 【ひとこと】 案に違はず猿に又候竹刀をお渡しになると小足で挟むでエーッポカッと一打ちに撃つた 福「何者なるかつ無礼者ッ………」と相手を見ますると猿であるから劫々(なかなか)遁せません 福「ウム畜生だァ」乗掛らうとすると秀吉公の眉毛尻がポカッと上がつた奴を見て取つた加藤清正、ここに止めてやらずんば切腹を仰せ付けられると、乗り掛れる大紋の袂を持つて引ひて居る、行くに行かれず、額筋を立て立腹いたして居りまする(太閤の白縁) 太閤の白猿(たいこうのはくえん)は,『桂文團治落語集』に収められている上方落語.桂文團治(3)演.『落語事典』には「秀吉の猿」の演題で載っている. 【つけたし】 太閤秀吉,加藤清正,伊達政宗などの名だたる武将をそれらしく演じるのは,相当の風格が要ると思われる.三友派をたばねる三代目文團治は,「太閤の白猿」を得意とした.若いころには,極道で師匠の初代文團治をしくじったりした.米朝,米團治を経て文團治を襲名している.三芳屋の個人集には,この「太閤の白猿」のほか,「五人裁判」「苫ヶ島」「大名将棋」「鴻池の犬」といった,大名,奉行や豪商の出るスケールの大きい噺を収めている.文團治は,全身の彫り物でも有名だった.おなかに女の生首,身体中に花札が散らしてある.座敷で裸になると,客にそれを数えさせた.いくら数えても1枚足りない.ヒョイと片足をあげると,足の裏に雨のカスが彫ってあった(桂米朝『上方落語ノート』,青蛙房 (1978)). サゲの「さりとは辛いね てなことおっしゃいましたかね」は,「東雲節」の文句.速記本文に,『「さるとはつらいな」と仰しゃりましたので』としたのでは,ちょっと面白みが薄くなる. |
| 188 柳家小さん,ひよつとこ蕎麦,家の光,16(2),98-99 (1940) |
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【あらすじ】 寒さが身に凍みはじめた冬のこと,横丁に蕎麦屋が開店した.行ってやれば義理にもなると,二人連れがのれんをくぐる.貼りだされた品書きを見ると,鴨南蛮,天麩羅などのほかに,ひょっとこというのが目にとまった. 「新規お二人さん,ひょっとこふたつ〜」「うれしいね.みんなにも吹聴してやろうよ.ときに種は何だろうね,値段が安いから大したものではないだろう」「豆絞りの手ぬぐいを利かせて豆かなんか入ってるんじゃないかい」「なるほど,馬鹿を利かせてバカ貝を入れてあると思うね」「何しろ,お客をあっと言わせて評判を取ろうという亭主の考えにちがいない」「へい,お待ち遠さま」「存外はやいね.この,蓋を取ってみるのが楽しみだ.はて,恐ろしく熱いが,ただのかけ蕎麦みたいだ」「そうだな.フーッ.馬鹿熱だね.中にも種がないなあ」 「おいおい,ねえさん,これがひょっとこかい.恐ろしく熱いが,何にも入っていないじゃないか」「はい.左様で」「ふざけちゃいけない.どうしてこれがひょっとこなんだい」「フーッと吹いて召し上がる,あなた方の顔がひょっとこでございます」 【ひとこと】 ○「さうだね。できものはと‥‥ああ書いて貼つてあるよ。天ぷら、鴨南蛮、これはお約束だね。それからあられ蕎麦、鍋焼、おかめ、ひよつとこ‥‥ひよつとこ‥‥おい、御覧よ、ひよつとこ蕎麦。余り聞いたことがないね。」 △「なるほど珍しいな。」 女「当店独特でございます。」(ひよつとこ蕎麦) ひよつとこ蕎麦(ひょっとこそば)は,『家の光』16巻2号に掲載された.柳家小さん演と書かれている.挿絵1枚.『落語事典』には「ヒョットコそば」の演題で載っている. 【つけたし】 寒い冬の季節感や洒落好きの江戸っ子が出てこなければ,サゲの種明かしをするだけの底の浅い噺になってしまう.談州楼燕枝(2)がSP盤に3分半で「ひょっとこそば」を吹き込んでいる.燕枝の口調のせいなのか,最後の"旦那の顔がひょとこで〜"の後味があまりよくない.そのせいで,かえって記憶に残っていた.『落語事典』によると,四代目春風亭柳枝が演じていたとあるが,他に速記になったものを見たことがない. なまじ,おかめそばが,おかめの顔に見立てて具材を盛りつけているのを知っているだけに,ひょっとこの顔をこしらえてあるか,ひょっとこにちなんだ洒落が利いた種ものが入っているはずと,江戸っ子ならば思うだろう.おかめそばは,島田湯葉で髪をかたどり,タケノコで櫛,カマボコが頬っぺたになるなど,もともとは,さまざまな具材で器の中におかめの顔を描いていた.あられそばが,小柱で霰のつぶに見立てたり,もみ海苔を花に見立てた花巻そばなど,粋なネーミングのそばも多い.ひょっとこそばを食べた客も,主人に一杯食わされたと,帰ってから笑い話の種にしたことだろう.たぬきそばは,もともと揚げ玉をまとめて天ぷらにみせかけて化かしたことが,名前の由来の一つだという.「俺タヌキ,私キツネ」.そば屋での注文は,外国語に直訳したら,化け物屋敷になってしまう. |
| 189 金原亭馬生,不精風呂,講談倶楽部,27(11),136-140 (1937) |
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【あらすじ】 当今でも場末に行くと,不思議な銭湯がある.番台に変な親父が座っていたら,入った客が災難で. 「今日わァ」「何だい,新聞屋さんかい,電気屋さんかい,瓦斯屋さんかい,払いは晦日だよ」「ほうぼうに借りがあるね.そうじゃねえ,客だよ」「何だい」「湯に入るんだよ.湯銭はいくらだい」「十円と言っても出しゃしまい」「誰が十円なんて出すかい.湯銭は5銭に決まってるじゃねえかよ」「決まってるんなら出せよ.4銭で入ろうってえなら朝鮮に行きな」「手ぬぐいを貸してくんな」「貸し手ぬぐいは衛生によくない」「この家もかなり衛生にいい家じゃねえ.じゃあ,シャボンをおくれ」「ないよ」「剃刀はあるか」「自殺するのか」「着物をどこに脱ぐんだ」「紙屑かごがあるだろ」「屑屋にやるんじゃないよ」「屑屋だって持っていかないよ」 「オイオイ,暗くて大変床がぬるぬるしてるね」「ミミズを踏みゃあしねえか」「ミミズがいるのかい」「飼ってるんだから踏むなよ」「ぬるぬるして,危ねえな」「穴があるから落ちて怪我するなよ」「情けねえな.これが湯船か.熱っ.おーい,熱いよ」「熱いのは当たり前だ.お前も江戸っ子だろ」「オヤ,下はまるで水だ.ずいぶんぬるいな」「熱いのぬるいのと,いろいろ言いやがる」「これじゃ風邪引いちまうよ.熱くしてくれ」「熱くはならねえよ」「どうしても熱くならねえか」「じゃあ,夏まで待っていな」 【ひとこと】 ○「オヤオヤ、板の間がヌルヌルしてやがる。随分キタネエね」 △「秋になると松たけが生えるよ」 ○「イケネエな。――湯屋だか松林だかわかりやしねえ」 △「しつかりゆけゆけッ。二三日前もひとり滑つて、全治七週間の傷を負つたやつがあつたんだぜ――たとへ、貴様がひつくり返つて怪我をしようと、当局においてはオモムロにその責任は負はんから……」 ○「当局なんざイヤな口調だね。ぢや、こゝは随分アブネエとこなんですネ」 △「ウム、どうかすると、寒い晩にや狼がでる」 ○「フザケちやいけねえ、笹子峠ぢやあるめえし」(モダン無精風呂) 不精風呂(ぶしょうぶろ)は,『講談倶楽部』27巻11号に掲載された.金原亭馬生(7)(古今亭志ん生(5))演,池辺鈞の挿絵3枚.『昭和戦前傑作落語全集』に復刻されている.『落語事典』には「無精風呂」の演題で載っている. 【つけたし】 志ん生のほかに,三遊亭金馬(3)の「無精風呂」『講談倶楽部』20巻6号 (1930),『名作落語三人選』 東洋堂 (1941),正岡蓉の「モダン無精風呂」『サンデー毎日』10巻31号 (1931)の速記が見つかった.志ん生の速記は,【あらすじ】に書いたように,不精風呂の親父と哀れな客の二人の会話だけで話が進む.この会話のなんと面白いこと.ミミズでおどかされたあと,裸で裸足の客は,暗い穴だらけの板の間を探り探り湯船へと向かう.向こうへ無事着いた鐘を鳴らして知らせることになっている.その音を聞いた親父,「帰りに気をつけなよ.たいてい油断して帰りにやられるから」.同じ部分を,正岡蓉の「モダン無精風呂」の方から【ひとこと】に引用した.こちらの板の間は,湿地帯ではなく,山深い松林になっている. 帰りにやられるとは,まさに真理を突いている.帰り道が危ないのだ.下りの山道で足をひねり,岩礁で海藻にすべり,川渡りの最後のジャンプで水にはまり……,何度も痛い目にあった.写真の風呂は,とある湖のほとりに作られた無人の共同浴場.地元の人によって管理されている.決して無精なわけではないが,藻や虫,ぬるい熱いは覚悟のうえ,天然温泉をご堪能あれ. |
| 190 五明楼玉輔,不昧公夜話,文芸倶楽部, 7(10), 58-65 (1901) |
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【あらすじ】 11代将軍文恭院家斉公の時代,雲州松江の城主,松平不昧公は,絵の心得があり,書は定家流を学んでいた.さまざまな遊びにも飽きたので,三畳の中板台目といった茶室をこしらえ,千家の宗旦を師匠に茶道を習いはじめた.どうも万事において几帳面で窮屈だと感じられ,こうやっても茶を飲めるのではと,柄杓の扱い,茶筅通し,袱紗さばきと,諸事を改め,手軽に茶が飲めるようになった.これを雲州流といって,今も山谷の八百善あたりがやっている. 家来を相手に茶を飲んでばかりいても楽しくないと,茶の心得のある骨董屋の小林金次郎を上客に招き,宗旦をお詰めに夜話を催した.真夜中になって三度目の茶筅通しをしたとたん,チンリンチンリンという風鈴の音が聞こえた.「金次郎,今の風鈴の音は何だろう」「御門外を売り歩きます夜鷹蕎麦でございます」「坊主ども供をしろ」.御通用門からお忍びで外に出られた.「そばうわうー葱南蛮しっぽく……」「余は勝手を知らんから,最初のそばうわうーがよかろう」.そんなものはないので,葱南蛮をあつらえた.蕎麦屋はそばの玉をザルに放りこむと,鉄砲に突っこんで暖める.空いた手で丼を取ると,これを湯でゆすぎながら,右手でそばを暖めている.無駄のない動きを見て,「金太夫,この夜鷹蕎麦の流儀は何じゃ」「冗談をおっしゃってはいけません」.茹でたそばの上に葱をひとつまみ,三角に切った油揚げを乗せ,白銚の汁をドックンドックンと掛け,割り箸を添えて出した.「殿,これは割り箸と申して,お割りになると二本になります」「なるほど妙だ.軍中で用いたらよかろう」 すっかり気に入ってしまった不昧公,金次郎に命じて夜鷹蕎麦の荷から食材まで,贅を尽くしてそろえた.自ら荷を担ぐと,売り声も次第に板についてきた.家来にばかり食べさせるのは面白くないと,水戸家が上客,お中が清水様,尾州公がお詰めと決めて,夜鷹蕎麦にて茶事をいたすからと手紙を書いた. 宵のうちは薄茶,最初の菓子が一ツ目の越後屋の蒸菓子,干菓子は檜物町の野村と不昧公好みの名代の菓子をだす.よもやま話の最中に,「さて,それがしは夜鷹蕎麦の支度にかかります」と不昧公は席を下がった.二椀の茶を飲んだっきり,すっかり待たされて,お三客は腹が減ってたまらない.11時過ぎ,庭の切り戸が開くと,浅葱の手ぬぐいで頬被り,草鞋ばきに尻からげ,小林金次郎が番公であとに付いている.チンリンチンリン.「そばうわうー,葱南蛮しっぽくでございます」「これは妙だ」.殿様方は目を丸くしている.頬被りをとると,「お待たせ申してはなはだ失礼いたした.さっそく献じます」.古伊万里の器に,七官青磁の薬味入れ,杉の糸柾の割り箸を添えて,金次郎が殿様方に供した.「どうか十分にお召し上がりを」.不昧公は下がった金次郎のために蕎麦を拵えだした.お客衆は平ったい箸を前にして扱いかねている.これに気づいた不昧公,「お客様,暫時器を下に置きになるように.箸をお取りになって,左右の指で引かれると一膳の箸になりますので」「なるほど,どうも新発明で」.金次郎は隣の座敷に下がり,おすべりを頂戴いたしますと,丼を手に取った.「こやつ,町人のくせに割り箸を知らんと見える」.大名方が顔を見合わせている.金次郎は箸を取ると,前歯にくわえてポツーン.「なるほど,割り箸は口で扱うものか」 大名は大名だけの暑さかな― 【ひとこと】 これから不昧公御自分で蕎麦の荷をお拵へ遊ばして 不「これ、一同笑ッてはならんぞ、余も始めてだに依ッて可笑しいが、笑ふといふと声が出ん、金次郎、何んとか申したな」 金「そばうはうー、葱南蛮しッぽく」 不「宜しい(謡曲(うたい)の調子にて)そば……うはうーい、ねーぎなんばん、しッぽーく」まるで橋掛りになッたやうな塩梅 不「サア食べろ食べろ」と御家来に食べさせて居らッしやる、然るにその調子が四五日ばかりでスッカリ出来上ッた(不昧公夜話) 不昧公夜話(ふまいこうよばなし)は,『文芸倶楽部』定期増刊号"滑稽道中旅鞄"に掲載された.五明楼玉輔(5)演,翠雨生速記.『名人名演落語全集』7巻に復刻されている.『落語事典』には不昧公夜話(ふまいこうやわ)の演題で載っている. 【つけたし】 これと似た噺に「そばの殿様」という落語がある.そば打ちに目覚めた殿様が,余もやってみようとチャレンジする.うまく生地がまとまらず,悪戦苦闘するうち汗水がぽたぽたとそば玉に練りこまれてしまう.生煮えでダマだらけのそばを,家来は何杯も食べさせられ,苦しみもだえるという滑稽だが無粋な噺になる.「不昧公夜話」では,客のことを思いやり,すべてきれいごとにまとめている.茶の湯の心得,それも雲州流を体得していないと,演じきれない噺だ. 不昧公こと松平治郷が収集した茶器は,不昧公お好みとして伝わっている.写真の茶杓も不昧公好みと呼ばれるもの.雲州松江では,抹茶に合うおいしい和菓子も多い.菜の花に蝶が止まった意匠の菜種の里や,緑鮮やかな若草,赤と白との山川が,代表的な不昧公お好みの菓子だ. この落語は,松江ではなく江戸の噺.松江藩松平家の上屋敷は,赤坂御門内にあった.向かいは弁慶堀で,堀に沿った紀伊国坂は,夜になると人通りが絶えてしまう.ある男が紀伊国坂を登っていくと,暗がりで女が泣いている.思わず声をかけると女がふりむいた.女の顔には目鼻がない.のっぺらぼうだ.肝をつぶして坂を駆け上がると,遠くに灯が見えた.夜鷹そば屋の行燈の灯りだ.「なんですって,お客さん.化け物を見た? そりゃあこんな顔ですかい」.ふり返ったそば屋の顔ものっぺらぼう.小泉八雲の怪談「むじな」だ.八雲は,松江出身の妻から多くの怪談の素材を得ている. 六代目三升家小勝は「のっぺらぼう」の題で,繰り返しのっぺらぼうが現れる終わりのない落語にしている(新作落語集 (1968)). |
| 191 桂小南,風呂敷丁児,滑稽落語集,尚文堂 (1897) |
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【あらすじ】 あるご隠居が,丁稚に風呂敷包みを持たせて,順慶町心斎橋筋あたりを通りかかった.隠居は丁稚に同じことを繰り返し聞いている.「ここはどこじゃな」「そちは何歳になった」「風呂敷包みはしっかり持っているか」「ここはスリが多いから気をつけよ」「ここはどこじゃな」……. いい加減イヤになった丁稚が先回りして答えた.「あんたさんの所へまいりました時は九つでございましたが,早いもんでちゃんと十五になりました」「わしの言うこと言うてしもうた.風呂敷包みは持ってるか」.首にくくりつけた風呂敷包みを探すと,包みがなくなっている.「しもた.チボに盗られました」「アア,それでわしも言うのん助かった」 【ひとこと】 イ「亀吉よ爰(ここ)は何とやら言う筋で有たナァ 丁「インマ申升たがナァ心才ばし筋でござり升 イ「ヲヽそうであつたノゥそしてそちはいくつやらになつたナァ 丁「十五に成ましたと申て居(おり)升が イ「早いものじやナァわしが処へ来た時は九ツで有たがモウチャンと十五になつたか最前出しなに風呂敷包をそなたにもたしたがしつかりもつているか 丁「ヘイしつかり持て居升 イ「ヨシヨシ爰らはチボが多いゆへ気を付ねばならぬそよナァ亀吉爰は何とやら言う筋で有たナァ(風呂敷丁稚) 風呂敷丁児(ふろしきでっち)は,『滑稽落語集』に収められている上方落語.桂小南(1)演.『落語事典』には「風呂敷丁稚」の演題で載っている. 【つけたし】 落ちは「水屋の富」に似ている.「水屋の富」はこんな落語.千両富に当たった水屋が,大金を床下に隠したまま商売に出るが,金が気になって神経衰弱になってしまう.ある日,家に帰って床下を探ると,空き巣に盗られたらしく金がない.これで苦労がなくなった……. 「風呂敷丁児」は,句読点がなく読みにくい速記だが,隠居の会話を【ひとこと】に引用した.同じことを何度も繰り返して喋るのは老人のならい.「それ3回目ですよ」とか言われれば,いい気はしない.丁稚に先を越されてムッと来ていたところに,丁稚のミスで包みがなくなった.これで一本取りかえしたと,自分の持ち物がなくなったのに,ちょっとうれしくなった.失せ物をした順慶町心斎橋筋は,繁華街心斎橋のやや北に当たる.順慶町の西,心斎橋あたりは,二七の日に夕市がたって,その賑わいは名所絵に描かれるほどだった."チボ"は,大阪弁でいう掏摸(すり)のこと.落語では,つかまったスリが有無を言わさず棒で殴られ,棒に血がつくことが名前の由来とされる.阿保陀羅経のボウボウ尽くしでは,"チボには相棒"という.ターゲットの気を引く役がいて,ペアでスリを行うのが多かったのか.ヨーロッパの観光地のようだ. |
| 192 入船亭扇橋,法事の茶,娯楽世界, 3(11), 127-130 (1915) |
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【あらすじ】 仕事を休んだ職人が隠居の家に遊びに来た.「今日は到来のお茶があるから,御馳走しよう」と,絵合わせが出るという珍しいお茶を淹れてくれた.注ぐと,職人の茶碗には梅の花が,隠居の方には鶯が現れた.これを見た職人は,母親に見せてやりたいからと,足しない茶を少しわけてもらった.「大分,湿(しと)っているようだから,火にかざして湿りを取ってからお入れなさい」.家に帰った職人は,母親の前で茶を淹れて見せた.「本当に珍しいものがあるもんだねえ.御覧よ,柳が出たよ」「俺の方には何が出るだろう」「絵が合うなら蹴鞠でもでるかね」.見ていると幽霊が出てきた.「こっちには柳に幽霊だと.隠居の奴,馬鹿にしている」と怒った職人は,隠居の家に乗りこんだ.「あんなものをくれて縁起が悪いや」「お前さんが是非くれろと言ったのではないか」「それはそうだが,お袋の方には柳が出た」「それはめでたい.柳は陽木だ.お前の方には蝙蝠でも出ましたか」「そんな物は出ねえ.幽霊が出た」「そんな不祥なものが出る訳はないが.お前さん,よく湿りを取って淹れたかえ」「あわてたから,あのまんま淹れた」「ハハア,法事が足りないから幽霊が出たんだ」 【ひとこと】 ○「この間隠居さん何と云ひましたぇ、毎時(いつ)も御壮健(たっしゃ)で結構でございますと云つたら、年寄の壮健はちょうろげだと云ひましたらう」 隠「それは何かの間違で」 ○「間違ひぢやァありません、ちょうろげ‥‥」 隠「イヤ老人の壮健は朝露(ちょうろ)と同じやうなものだ、朝の露に等しきもので、何時ころりとお迎ひが来るか判らないと云ひました」(法事の茶) 法事の茶(ほうじのちゃ)は,『娯楽世界』3巻11号に掲載された.入船亭扇橋(8)演,浪上義三郎速記.カット絵1枚. 【つけたし】 「法事の茶」は,今も演じられており,絶える心配は少ない.現行の演じ方では,お茶は幇間が持ち込んだもので,これをよく焙じて淹れるとリクエストした人物が現れるという.役者や落語家が声色つきで次々と出てくるので,扇橋の演出にくらべてずっと楽しく聴ける.旦那の方が芸者を呼ぼうと茶を淹れると,死んだ親父が現れて,自分の葬儀のことや一周忌のことなどの不手際を一喝される.そのはず,法事が足りないから. 初代三遊亭圓右のSP音源を書き起こした「焙じ茶」(蓄音文芸 三遊亭圓右落語芝居噺,三光堂 (1914))では,市川左団次の丸橋忠弥など,出てくるものが単品個包装になった新発明の茶を幇間が持ちこんできた.おまけで置いていった茶を淹れると,死んだ吉原の遊女が現れて,旦那に恨み言を言う.大方そりゃ法事が悪かったんでげしょう.時間の都合なのか,茶を焙じる仕草はなく,パックの茶葉に湯を注ぐと湯気の向こうに景色が現れる趣向になっている.古い型も捨てがたい味があるが,声色や仕草だくさんな現行バージョンには見劣りしてしまう. コーヒーを自家焙煎するように,ほうじ茶も自分で作れる.お茶屋さんの店先でいい香りを立てているような,ゴロゴロと回転する機械ではなく,家庭では写真のような陶器製の焙烙を使う.これだと時間がかかるので,底が紙製のひしゃくのようなものを火にかざすだけでもサッと香りが立つ.焙じが足らないということもない. |
| 193 談洲楼燕枝,仏馬,講談雑誌, 2(6), 93-106 (1916) |
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【あらすじ】 本堂建立の寄進の帰り道,酔っぱらってしまった弁長は動こうとしない.一緒に回っていた西念は,飲酒戒を破ると,和尚さんの言うように地獄に落ちるぞとなじった.榎の木につながれていた馬を見て,「この馬もわしらも重い荷物を背負わされ,地獄の苦しみじゃ.西念,おぬしを極楽浄土へ導いて進ぜよう」.西念の荷物を馬に積むと,丸絎をほどかせ,手綱代わりにした.「私は酔いをさましてから帰るから,この馬と先に戻りなされ.和尚に聞かれたら,弁長は残って説教していると言うとくれ」.弁長は土手から転がり落ちないよう,馬の手綱を体に結びつけて,居眠りしてしまった. 日も傾いた頃,馬の持ち主が粗朶を背負って戻ってきた.「あれ,黒がいなくなって,坊さんがつながれている.坊様,ちょっと,起きてくんろ」.目を覚ました弁長,しまったと思ったがもう遅い.男のかぶった笠の裏に次郎作とあるのに目が止まった.「これは次郎作さま,お戻りですか」「アレ,魂消た.はじめて会った坊さんが俺の名前を知る訳ねえだが」「私は,長い間,貴方に飼っていただいた黒でございます」.実は,前の世には弁長という出家でしたが,身性が悪いのでお釈迦様の罰が当たり,黒馬にされてしまったが,苦行を積んだお蔭で,今日,元の出家に戻れたと,巧みに言い訳した.すっかり信じ込んだ次郎作は,これはめでたいと喜び,弁長を家へ連れ帰り母の回向を頼んだ.仏壇に向かって経を唱えているうちに,お斎の用意ができた.次郎作がうまそうに酒を飲むのを見て,「お釈迦様が今日だけは酒を許すとおっしゃってます」「そうかい,それならたんと飲みなせえ」.下地があったもんだからベロベロに酔ってしまった.調子に乗った弁長は,次郎作の女房の手を引っ張り,御酌してくれと迫った.「そんなことするからお釈迦様の罰が当たっただよ.また馬になるぞ」.ばつの悪い弁長は,酔ったふりして寝てしまった.翌朝早く,弁長はそっと次郎作の家を抜けだし,寺に戻った.「おお,弁長か.夜更けまで説教をしてきたのか.ところで西念の曳いてきた馬は何じゃ」「あの馬は….重い物を背負ってかわいそうだと,寄進していただいたもので」「馬を飼うわけにも行かぬので,市で売っておくれ.本堂建立の金に使うたら,施主の志も届くじゃろう」.弁長は馬を曳いて行き,市で金に替えた. 百姓の次郎作の方も,馬がなくては不自由だと,代わりの馬を買いに市にやって来た.「おや,黒によく似た馬がおる…….あっ.黒に違いねえ.耳の所に白い差し毛がある.あー,弁長さん.情けねえ姿になんなすったのう」.馬の耳元で大声出すと,馬が首をぶるぶると振るった.「駄目だよ,とぼけても.左耳の差し毛で知れただよ」 【ひとこと】 娘「ソレ見なさい阿母さん、父様(とっさま)は狐に魅(つま)まれたに違えねえ、アノ坊様馬だつてよ」 次「ハヽハヽわれ然う思ふは無理はねえが、実はここに居る坊様ァ、前の世に矢張り御出家様だつた、それがお前身上(みじょう)が悪くつてな、御釈迦様の御罰を受けて現世(このよ)に馬に生れて来て、縁あつて家に長え間飼つて置いた、それが漸(やっ)と今元の坊様になつただ、何と珍らしい話でねえか」 娘「アヽ然うかね道理でアノ坊様、色黒くつて、長え面だ、これから初まつたゞね馬面なんてえのは」(仏馬) 仏馬(ほとけうま)は,『講談雑誌』2巻6号に掲載された.談洲楼燕枝(2)演,今村次郎速記.カット絵とも挿絵3枚. 【つけたし】 人は死ぬとどうなるのだろう.仏教の根本的な問いのはずだが,答えは決まっているのだろうか.仏になって成仏するのか,それとも,人や牛馬に生まれかわって,また,一からやり直すのか.禅宗界隈だと,どうもならん! それより座禅だ! と一喝されそうだ.近ごろのAIの人間くさい返事を聞くと,生きている証の感情や意識さえ,化学反応と電気信号の組み合わせにすぎないとあきらめたくなる. ならば,落語に問おう.「地獄八景」や「死ぬなら今」では,閻魔の庁で裁きを受けて極楽か地獄に振り分けられるし,「お血脈」では特急カードで極楽へ飛んで行ける.怪談噺では,魂魄この土にとどまりて,行きかわり死にかわり,七生までも仇をなす.「朝友」やこの「仏馬」では,死んだ人間が別の生き物に生まれかわっている.やっぱり何でもあり."迷うた 迷うた"で,答えがないから,狸や幽霊が活躍する落語が成立する. 「仏馬」という噺.ものを言わない馬が,巧まずサゲにつながっている.数ある名作落語にまさるとも劣らない傑作だ.このほかには,三笑亭可楽(7)の速記も残っている.もっと演じられていい噺だと思う. |
| 194 朝寝坊むらく,名人昆寛,むらく落語全集,三芳屋 (1914)(3版) |
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【あらすじ】 中橋の彫物師の昆寛は,名人気質の変わり者で,気が向かないと金を積まれたって仕事をしない.火事で焼けた谷中東陽寺の門が再建された.さっそく見に行くと,板は楠の一枚板の立派なものもの.門の上にあげる魔除けを彫ってくれないかと和尚に頼まれ,駿河台の狩野後光が描いた竹に虎の下絵を見せられた.ちょうどそこに狩野後光がやって来た.「これが先日話した中橋の昆寛と申す彫物師でございます」「左様か.お前が昆寛と申す彫物をするとか言う人間は.俺の下絵で彫れるか.せっかく描いた絵を反故にして呉れては困る」.この言い方に昆寛はムッときた.「私は彫物師でございますから,彫れねえことはねえと思います.和尚さん,ご免なさいまし」 家に戻った昆寛は,弟子の三五郎に当たり散らして,酒を飲んで寝た.翌日,俺も日本一の昆寛だと,下絵も見ずに彫りはじめた.怒って彫ったため,虎が怒りを含んで実によくできた.これから竹に取りかかったが,どう間違えたか松を彫ってしまった.二十日後,できあがった彫刻を東陽寺に持参した.「見事な虎だ.どうもこれは竹ではなさそうだな.松に虎とは聞いたことがない」「和尚さん,暦に何と書いてあります.甲寅(きのえとら)とあるでしょう.木に虎でよかろうと思います」「面白いことを言うな.では,作料を渡そう」「和尚さん,これは二百でございます.二十日もかかって彫った作料が二百とは,馬鹿にするねえ」「暦になんと書いてある.二百二十日とあるだろう」.もう勘弁できないと,昆寛は本堂に飛びこむと,阿弥陀様をひっくり返し,木魚を投げつけた.「おいおい,昆寛.乱暴をしてはいけない.なんでそんなに暴れる」「これが二百二十日の大荒れだ」 【ひとこと】 昆「ベラボウ奴、銭がありやァ誰だッて酒と魚は目の前に湧て来らァ、汝(てめえ)も俺のやうな貧乏な親方の弟子じやァねェか、偶(たま)には銭が無くつて買つて来イ 三「コリャァ驚ろいた 昆「早く往つて来イ、銭が無ければ売れねェと云つたら、パッと口を開ひて酒と魚を吸込んで来イ 三「親方蟇蛙じやァ御座いません 昆「何を愚図愚図云やァがる、お前が昆寛と云ふ彫物をする人間と云ふは、馬鹿にして居やァがる(名人昆寛) 名人昆寛(めいじんこんかん)は,『むらく落語全集』に収められている.朝寝坊むらく(7)(三遊亭圓馬(3))演,浪上義三郎速記. 【つけたし】 酒は飲んでも最後には後世に残るものを彫りあげるといった,よくある名人譚ではない.御用絵師の尊大な態度は気にくわないだろうが,画題を間違えるは,酒代を踏みたおすは,寺の什物をないがしろにするでは,昆寛サイドに分はない.サゲ際は「暦湯」という落語と同じ.二百二十日(にひゃくはつか)は,今の暦で9月下旬になる.二百十日とならんで,台風シーズンにあたる. ちなみに,岩本昆寛(延享元(1744)年〜享和元(1801)年)は実在の金工彫師.残っている縁頭や鍔のデザインを見ると,実に洒脱で,思わず"いいね"とつぶやいてしまう.江戸っ子好みなのもうなづける. |
| 195 春風亭千枝,幽霊車,講談倶楽部, 9(11), 248-254 (1919) |
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【あらすじ】 二人組が,洲崎まで相乗りで乗って行こうと車を呼び止めた.値段を聞けば,二人でヤミでいいとのこと.ヤミは晦日のことだから30銭でいいとの格安な値段.その代わり悪いが荷物を持ってくれないかと車夫が言い出す.どこかに届けるものかと聞くと,「手前の娘でございます.股の間におしめをはさんで下さい」 私は,以前は米沢町で相当な暮らしをしていたが,火事で焼けた親類の保証人なって借金を引き受けてしまった.取りかえそうと相場に手を出すと,これがやり損なって,家も手放す羽目になった.女房と二人で蛤町にひっこむと,あたしの腰が抜けてしまい,女房が内職してなんとか粥をすすってしのいでいた.あたしの体がよくなると,今度は家内が患いつき,赤子を残して死んでしまった. 「死んだ女房がお前の体についているのか」「この子が泣き出すと,女房がヒョロヒョロ現れて乳を飲ませます」「き,君の妻君はどこに居るのかね」「あなたの後ろに居りますよ」.車夫の手拭いがスルッとすべり落ちると,誰もいないのにそれがスーッと戻ってきた.「モウ降りるよ.お銭(あし)はここに置くよ」.洲崎の入口まで駆けこむと,ほっと一息ついた.「君,とんでもない車に乗ってしまったね」「実に幽霊が出るとは珍しい話だ」「幽霊が出るはずだ.決めた値段がヤミだった」 【ひとこと】 何か珍らしいものをやれといふお望みでございまして、余り仲間内でもお喋舌(しゃべり)をいたしませぬ幽霊車といふのを申上げることにいたします(幽霊車) 幽霊車(ゆうれいぐるま)は,『講談倶楽部』9巻11号に掲載された.春風亭千枝演.カット絵とも挿絵2枚.『百花園』238号にも三遊亭圓左(1)の速記が載っている. 【つけたし】 明治期にできた噺.『百花園』の圓左の速記では,幽霊車かもしれねえ.道理でおあしが無かったと平凡なサゲになっている. 金銭がからむためだろうか,数字には業界ごとに独特の符帳がついている.落語家の間では,1から9までを,へい・びき・やま・ささき・かたこ・さなだ・たぬま・やわた・きわと言う(三遊亭金馬(3)『浮世断語』).今でもわざわざ使っているのかは知らない.寄席の客が十人を超えたときに,"つばなれ"したというのはいい響きだ.「三人旅」の駕籠屋も「幽霊車」の車夫と同じく,"やみ"で客を乗せようとする.こちらは300文のことで,高いから値切ると"じば",200文に値下げしてくる.タクシーに乗って,"やみ"(3000円)でやってくれと値段交渉する人はいないだろうが,"エントツ"でやってくれと,"闇"で乗ろうとする人はいるかもしれない.外国人コミュニティでは,訪日客相手に白タク行為が横行しているらしい.トモダチ送ってマース.今も昔も,人を運ぶ"闇"は尽きない. |
| 196 三遊亭圓橘,夢屋,文芸倶楽部,16(5),270-278 (1910) |
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【あらすじ】 貧乏人の熊五郎が友達に毒づいている.「金持は癪にさわってならねえ.偉そうに俥に乗ってうまいもの食って.あそこで待っている車夫は,寒空に震えてらあ」「金持が贅沢するのは当たりまえだ.たとえば金持が別荘を注文するから,大工や左官に仕事が回ってくる.貧乏人が息をつけるというもんだ」「いやに金持の肩を持ったな.俺が金持になれば,大八車に銀貨を積んで貧乏人に配って歩いてやらあ」「じゃあ金をくんなよ」「無えからやれねえよ」「なろうと思ったら,いつでもなれるんだ.この先の横町に夢屋という店ができて,1円出して御馳走をたべて芸者をあげた夢を見てきたぜ」.それを聞いた熊五郎は,夢でもいいから,俺も金持ちになって,貧乏人に施しをしてやろうと出かけた. 「こちらは夢屋さんかえ」「いらっしゃい.いろいろ夢の枕を取りそろえています」.軍配団扇の枕は相撲の夢,紋散らしの枕は芝居見物の夢,ハイカラ枕は洋行の夢が見られるという.「あっしの欲しいのは,めちゃくちゃに金持ちになることで」「かしこまりました.ではこの枕をなさいまして」「不思議だねえ,この枕をすると金持ちになった夢が見られるというのは……」.おっ,これは大変だ.垣根の脇から銀貨が湧いてきた.植木の葉がみんな札になっちまった.金持ちになった噂を聞きつけて,愛宕下の慈恵病院,海事教会,渋沢男爵の養育院と,つぎつぎ熊五郎の家に寄付を募りにやってきた.「帰っておくんなさい.へん,銭もらいばかりだ.生意気に洋服なんか着やがって」「もし,もし.財産家になった夢をご覧になりましたか」「夢か…….夢ならばやれば良かった」 【ひとこと】 ○「当御主人は最とも愛国心に富んで居られ、殊に財産家であるといふ事を承まはつて伺つたですが、国家の為に何分かの御寄附を願ひたいです」 △「ヘヱー何国(どこ)と戦争(いくさ)するんで‥‥」 ○「イヤ、今戦争はないですかれども、スワといふ時の用心に軍艦を造つて置いて、平時(ふだん)は運送船に使つて居るので、国民の義務として応分の御寄附を願ひます」 △「御免を蒙むります。忌(いや)ですよ。然うぢやァありませんか戦争のない時から戦争の支度をする篦棒もねえもんぢやァねえか。日本なんか外の国と仲好く交際(つきあっ)て居るんで、戦争なんかする心配はねえ 然んなことに出す金は無え」(夢屋) 夢屋(ゆめや)は,『文芸倶楽部』16巻5号に掲載された.益田太郎冠者作,三遊亭圓橘(3)演,今村次郎速記.挿絵1枚. 【つけたし】 益田太郎冠者作の新作落語.「夢分限」からの改作とある.まぎらわしいが,タイトルが「夢分限」のようでも中身は「夢屋」のものも多い.「夢分限」はこんな噺だ. 「番頭さん.金庫を開けたら札で一杯じゃないか.銀行へ持っていくとか,支払いするとかしなさい」「へえ.もう銀行じゃ預金停止の札を出していて,預かってくれません.10万円の預金に20万円の利子がつくほどで」「どこかへ金を捨てたらどうだい」「とんでもない.罰金を政府からよこされてしまいます」.弱った番頭は札束を抱えて,もらってくれる人を探して歩いた.「泥棒!」の声を聞き,こりゃいいと,あわてて仲裁に入った.「まあまあ,ぶったり叩いたりしないで.私がこの人の分を償いますから」「何を言ってるんだ.こいつは,いきなり人の袂に2000円を放りこんだんだ」「どうか勘弁なすって.親が病気で困りまして,働けば働くほど金が増えて儲かるばかり.その金のせいか,親の病気が治りません」「可哀想だから勘弁してやってはどうです」「仲裁するなら,お前さんが持っていきさい」.無理やり,背中に銀貨を担がされ,懐に札束を押し込まれた.「あァ,苦しい.助けておくんなさい!」 「おい,番頭! 帳場で居眠りなんぞしてみっともない」「へえ.あいすいません.新聞でゴミが多いというのを見まして,これが金だったらと良かろうと思ったら,どこも金で埋まってまして」「キョロキョロしたって,どこにもありゃしないよ」「どうも今みた夢の金はどれくらいあったか知れません」「そりゃお前,夢[上]を見りぁあ方図のないもんだ」(「ゴミと金」,名作落語全集 1,騒人社 (1929)). 同じ巻に,「夢分限」と題して「夢屋」が載っているので,「ゴミと金」なんて詰まらない演題がつけられている.景気のいい噺なので,同じ速記が「黄金国」と題して『実業の日本』正月号に掲載された(実業の日本, 36(1) (1933)). 実際のところ,急に市中に金が増えると大混乱を起こす.ハイパーインフレの国では,札束をゴムでしばってやり取りしたり,ジンバブエでは100兆ジンバブエドル紙幣が発行されたりした.今でもコレクターアイテムとして,1枚1万円以上で取引されている.当時の価値の100倍! たしかにゴミが金に変わるものだ. |
| 197 桂三木助,嫁の下駄,文藝春秋,8(13), 439-441 (1930) |
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【あらすじ】 身代を譲ったものの,若夫婦のことが心配なご隠居は,毎日本宅へ顔を出して来る.今日は雪もひどいからご隠居もくるまいと,店の久七が若旦那を手遊びに誘った.こういうことの好きな若旦那,番頭や小僧も交えて,サイコロ博打をしようということになった.勝った負けたと騒いでいると,折悪しく隠居がやって来た.「お父っつあんの声や.早よ電気消せ」「わしの銭が足らん.誰や,銭出せ」「暗がりで何をしとるんじゃ.早よ電気つけてんか.銭を出せって,いったい何の話や」「へ.日露戦争で日本人が世話になった支那人にごちそうしようとしてますんや.人数が多いもんでっさかい,給仕に膳を出せ,膳出せ!」 「もうよろしい.今晩はこちらに泊まろう.亀どん.二つ三つ肩を叩いとくれ」「へー.銭出せ」「銭じゃと!」「膳出せ,膳出せ.この親爺の耳詰めたろか」と,耳を手で押さえた.「そんなところを揉むんやない.耳が聞こえへん」.うるさい親爺が邪魔だと,まじないに親父さんの下駄に大きな灸を据えさえた. 間もなく,次の間で針仕事していた若嫁はんが駆けこんできて,「お父っつあん,旦那はん,あたし今晩実家へ帰してもらいまっさ」「お花,どうしたというのや,急に…….オヤ,お花の下駄に灸?」 【ひとこと】 久七「誰れかの芝居に下駄に灸をすへたらそこから動けんと云ふのがをましたなあー」 若旦那「そやそや誰れか親父さんの下駄に灸をすへて来てんか? 今晩寒いよつてウンと大きな奴を‥‥」(嫁の下駄) 嫁の下駄(よめのげた)は,『文藝春秋』8巻13号に掲載された.桂三木助(2)演.カット絵とも挿絵2枚. 【つけたし】 上方落語.『落語事典』に載っているが,これ以外の速記は見つからなかった.用例には,足止めのまじないに"灸を据ゑる"ように書いているが,本当は長居する客を帰すまじないになる.箒を逆さに立てかけたり,履き物に灸をすえるシーンは,医者が商家に長居する「長尻」という落語にも出てくる.「箒屋娘」という落語では,世間知らずの船場の若旦那が住吉詣でにむかう途中,大道で箒を売る親孝行の娘に出会って一目ぼれする.なんとか嫁にもらったばかりの箒屋の娘を逆さにしたばかりに,実家に帰られてしまうのが,「箒屋娘」のサゲになる.せっかくのめでたい噺を,艶笑譚で風紀を乱すのはよろしくないと,今は末永くお家繁昌でまとめている. |
| 198 三遊亭圓右,利休の茶,講談雑誌, 6(1), 99-106 (1920) |
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【あらすじ】 百姓のせがれだった太閤秀吉は,風流の心に乏しく,茶の心得がなかった.ある日,千利休を呼びよせて尋ねた.「利休というはその方か,茶と申す物が戦場にて用なきものなれば,今より停止申しつける.答えあらば申せ」「茶と申すものは禅の悟りより出でまして,気を臍下丹田に落ち着けねばなりません.武家は茶の湯の心得あってしかるべきものと存じます」.そこで,利休が茶を点てている鼻先に太閤は槍を突きつけた.ビクともしない利休を見て,それから秀吉は彼を引き立て,大の茶人になった. 割りを食ったのが曽呂利新左衛門,何とか利休をしくじらせたいと考えていた.大雪の日,秀吉は,細川蜂須賀栗山を呼んで四方山話をしていた.こんな日は,利休も炬燵に入って寝ているに違いないと思った曽呂利は,「これから利休のところにお成りになって,彼の慌てふためくところを御覧じるも一興かと存じます」.すすめられた太閤は,さっそく三人同道で利休庵を訪れた.「利休殿,殿下のお成りでござる」と声を掛けると,利休は枝折り戸を開けて,雪の中に両手をついた.「ごらん遊ばせ,この雪の中,利休は右手に扇を所持いたしております」.利休はうろたえたかと見ていると,扇の要で飛石に敷いてあった桟俵をはねのけた.いつお成りになっても,雪のない飛石の用意ができていたのだった.秀吉は感心して囲いに通ると,炉にはちゃんと湯が沸いている.さすがに飯の用意はないだろうと,曽呂利は次の作戦に出た.「利休,予は空腹である.湯漬けを所望する」と秀吉に言われた利休は,乾し飯に湯を入れ,柚釜に利休味噌を沸かして早速の膳を整えた.利休をしくじらせようとして,逆に褒美をつかわされることになった.腹が立った曽呂利は,帰り際に庭の雪をざくざくと踏み荒らした.ムッときた利休は,短冊に「人なれば石の上をも行くべきに雪を踏むのは犬にこそあれ」と書いて渡した.ますます怒った曽呂利は,短冊の裏に「狆座敷雪に尾をふる利休哉」と返した.狆にたとえられた利休は腹を立て,曽呂利と言い争いになる.犬と狆との喧嘩が始まったから,秀吉公,庭に立ち返って,「コレコレ,犬同士の喧嘩なら予の顔に免じろ」 【ひとこと】 米はチャンと磨いで天日で干してありますから、沸立(にえた)つたお湯を入れて火にチョイと懸ければ直ぐに御飯が出来るやうになつて居るから、直ぐに湯加減をいたし、米を入れて火に掛けて置き、夫れから庭の柴折戸のところへ参り柚を三つ払ひ落して持て参る、中の実を残らず掻き出し予(かね)て拵らへてゐる利休味噌といふのを七分目に柚の中へ入れて切つた口で蓋をいたし、炉に掛けてある釜を下し池田の炭を払ひ、テッキウを二本掛けてこれへ柚を載せて置き、御飯を黒塗の櫃へ移し、お膳立てをして居る中(うち)に柚の味噌が煮えて丁度一ぱいになつた(利休の茶) 利休の茶(りきゅうのちゃ)は,『講談雑誌』6巻1号に掲載された.三遊亭圓右(1)演,今村次郎速記.カット絵とも挿絵2枚. 【つけたし】 千利休が出てくるのは,この落語くらいだろう.豊臣秀吉に重用された千利休は,北野大茶会を催したり,黄金の茶室を作ったりした.しかし,天正19(1941)年,突然秀吉により切腹を命じられる.その首は,京都一条戻橋にさらされたという. 「利休の茶」という噺,もとは講談ネタだろうか.どうも理に詰んでいて面白みに欠ける.サゲの犬の喧嘩は猿の顔に免じろというのも,ちょっとピンとこない.犬と猿では犬猿の仲.火に油を注いでしまう気がする.雪の日に秀吉をもてなす件に似たエピソードが,『茶話指月集』という逸話集に残されている(茶話指月集・江岑夏書,淡交社 (2011)).ある冬の晩,利休が突然守口に住む茶人を訪れた.亭主は喜んで利休を迎え入れ,庭の柚子を2つ棹で落とすと,柚子味噌に仕立てて出した.とっさのもてなしに感心していたところ,今度は到来物だと,ふっくらした肉餅(かまぼこ)を出してきた.さては自分が来ることを知っていて肴を準備していたのに,知らぬ顔をしていたのかと気づいた利休は,すっかり興ざめしてしまい,京に用事があると言って酒の途中で中座してしまった. |
| 199 柳亭小燕枝,さくら鍋,講談雑誌, 4(4), 163-176 (1918) |
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【あらすじ】 辰さんが浅草で馬肉を50銭買ってきたので,どこかの家で煮て食おうということになった.けれども,与太郎の家も辰さんの家も年寄りがいて,馬も魚も食わないから駄目だという.吉兄いのところは,お神さんが八王子に見舞いに出かけてるから,留守の間に鍋にして食べて,あとをすっかり洗っておけば匂いも残らないだろうというので,吉さんに掛けあった.「酒もなにも家にあるけど,お徳が旧弊で,ことに午年生まれだから,馬肉だけは駄目だ」「お前は養子だから,自分の勝手な物は食えねえんだろう」と言われて,カッときた吉さんは,「食うから持ってこい.一匹持ってこい」と大変な剣幕.「今度,馬を引っ張ってきたらここに来よう」 ネギを買ってきた与太郎に,今度は味噌と鍋を用意してこさせた.さっそく,薬味だくさんで鍋を煮始めたが,どうも変な匂いがする.「与太,お前,鍋を洗ったか」「よくは洗わねえけど,水でゆすいだ」.だんだん匂いが強くなってくる.八王子の親父さんの病気もたいしたことなく,お徳さんが戻ってきた.徳利を懐に入れ,鍋を尻に敷いて隠そうとしたが,酒がふんどしに染みてきて我慢できない.「与太さん.お尻に何を入れたの」「へえ.鍋で.馬肉を」「馬鹿ッ.なぜしゃべる」.吉さんは平身低頭して謝るが,お徳さんは,昔のことを持ちだして,養子の吉さんに出て行けという.今度は吉さんがお徳さんに炭箱をぶちまけた.辰さんが間に入って詫びると,隣の婆さんが,あることないこと油をかけてお徳さんをたきつける.「兄いとか吉さんとか言われるようになったのは誰のお陰だい.江戸っ子の面汚しだよ.お徳さん,お前さんなめられてるんだよ」.今度は辰さんが婆さんを殴りつけた.お徳さんが婆さんに詫びて,何とか喧嘩が収まった.「与太,馬肉は川にでも捨てて,鍋を返してこい」.実はいかけ屋にあった鍋を黙って持ってきたので,返しに行けないと言う.辰さんは,与太郎の代わりに,町内でも頑固者で評判のいかけ屋に詫びに出向いた.「この鍋で何を煮たんだ.早く言いなよ.じれってえな」「実は馬肉を煮たんで」「エッ,この鍋でか」「良ぉく洗って臭くも何ともないようにして持ってきたんで勘弁しておくんなさい」「これは俺んとこの鍋じゃあねえ.預かり物だぜ」.いかけ屋のお神さんが,「辰さんが謝ってるんじゃないですか.家の鍋じゃなし,また肉でも煮るときは持ってってお使いなさい」「じゃあ,また借りに来るかもしれませんが,いったいどこの鍋ですね」「横町の人形屋の鍋ですよ」「臭いわけだ,にかわの鍋か」 【ひとこと】 辰「ぢやァ吉さん七輪へ火を取つて呉んねえ、炭を投(ほう)り込んでな、香物(こうこう)の旨(うめ)えのがあつたら出して呉んねえ、何しろ先へ湯を沸さう、吉さん醤油と砂糖を出して呉んねえ、葱を切てな、飯はあるか、徳利を持つて来て呉んねえ、炭取りを借して呉んねえ、茶釜に水がねえよ、障子をピッタリ締めて呉んねえ、座蒲団を二枚出して呉んねえ、時計が留るぜ」 吉「何だえ是ァ目が廻るな、お前は何をするんだえ」 辰「骨惜みをしなさんな、俺が働らくのは知つて居るが、人の家だ、家捜しをしちやァ悪いからな、其の代り号令を掛けらァ」(さくら鍋) さくら鍋(さくらなべ)は,『講談雑誌』4巻4号に掲載された.柳亭小燕枝(6)(燕枝(3))演,今村信雄速記.カット絵とも挿絵3枚.『落語事典』には「鹿鍋(ろくなべ)」の演題で載っている. 【つけたし】 にかわは,動物の骨や皮を煮た液を乾かしたもの.コラーゲンに似た構造で,古代から木や紙の接着に使われてきた.いい人形を修繕するときは,酢酸ビニル系などの合成接着剤はあえて使わず,今もにかわを使うはずだ.にかわは匂いが強いので,にかわを煮溶かす鍋で食べ物を煮たりはしない.にかわ鍋を盗むのは,「さくら鍋」の与太郎か「仏師屋盗人」の泥棒ぐらいだ.「仏師屋盗人」では,作りかけの仏像に驚いた泥棒が,人と間違って仏様の首を斬り落としてしまう.仏師の親父さんにドヤされた泥棒はにかわ鍋をあたため,仏様の首を継ぐのを手伝う.泥棒は帰りしな,にかわ鍋をぶら下げて出ていこうとする.十両盗んで首を斬られたら,これで継いでもらおうと思って. 何を食べて,何を食べないかは人それぞれ.豆腐やテンペは世界に認められた健康食品だし,コオロギなどの昆虫食やユーグレナ(ミドリムシ)は地球を救う食べ物だそうだ.さて,桜なべ,馬刺し,さいぼし,馬ホルモン,あぶらかす,どこまで食べていますか. |
| 200 曽呂利新左衛門,後に心,続 落語全集,大文館 (1932) |
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【あらすじ】 すべて人間に限らず,鳥や虫でも向こうに心が馳せて後に心がつくことは少ない.木の梢に虫が止まっている.それをカマキリが捕ろうとしているが,後に心がつかないので,スズメが狙っているのに気づかない.スズメはカマキリにばかり眼をつけていて後に心がつかない.鳥刺しがこのスズメを刺そうとしている.鳥刺しもスズメにばかり気が寄っていて後に心がつかない.ウワバミが口を開けて鳥刺しを喰おうとしている.ウワバミも鳥刺しにばかり気が寄っていて後に心がつかない.狩人が鉄砲でウワバミを狙っている.狩人はウワバミにばかり気が寄っていて後に心がつかない.腰の弁当を飼い犬が食べている.イヌは後ろから犬殺しが棒を振り上げているのに気がつかない.犬殺しの首筋を巡査が押さえることになる.私は後に心がついておりますので,これで御免をこうむります. 【ひとこと】 ところが曽呂利(わたくし)は後方(あと)に心が着いて居ります、モウ次編(あと)には桂派の連中が控へて居りますから是れで御免を蒙ります(後に心) 後に心(あとにこころ)は,『続 落語全集』に収められている上方落語.二世曽呂利新左衛門演. 【つけたし】 寄席の時間進行が押しているときに,短く演じられる噺. ながながと書いてまいりましたが,後に心,これにて失礼つかまつります. |
掲載 251201