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絶滅危惧落語 新作 | 演者順 |
本ページでは,絶滅危惧落語200席(未完)に続き,新作落語の作者・演者25名をピックアップして紹介したい.新作落語には,はじめから掛け捨てのつもりで作られたもの,書き落語と呼ばれる雑誌掲載用のものなど,もともと長く語り継がれることを目的としていない作品も多い.ここでは,明治期から比較的最近までの新作落語の歴史をながめることをねらいに,各時代で特色ある作品を選んでいる.また,もっぱら新作・創作落語を演じている現役の落語家はたくさんいるが,ここで紹介するのは物故者を中心としたものになっている.現在演じられている新作落語を絶滅に瀕していると主張する意図はまったくない.
雑誌の巻号については,雑誌によって□号,○巻□号,○巻□月号や○巻□編など,まちまちのため,すべて○(□)の表記に統一した.
本ページには,身体的特徴や職業・身分等に関して差別的表現が含まれている.発表された作品の内容を正確に伝えることを目的としており,出版された当時の状況を鑑み,言い換え等は最小限にとどめた.
201 三遊亭圓遊,素人洋食,百花園,(40)〜(41) (1890-91) |
【あらすじ】 地主の今田旧平は,名前のとおり未だ旧弊,開化のことは大嫌い.「人力車が通ると胸が悪くなる」だとさと,長屋の者も悪口を言っている. ある日,旦那が人力に乗って帰ってきた.「今日,牛肉を食ってきたが,なるほど旨いものだ.もう旧風の商売をするものには長屋を貸さない」.ガラリと宗旨替えをしてしまった.自分のところでも洋食屋を開業しようと,料理もできる道具屋の吉兵衛に,テーブルなどの道具をそろえさせた.長屋の差配には,洋食をふるまうから長屋の連中を集めるように頼んだ.勧工場で買って来た『西洋料理煮方法』をながめて,パンを出し,ソップ,シチウ,オムレツ,カツレツ,ライスカレーと献立を決めた.吉兵衛の留守のあいだ,旧平ははじめての西洋料理に取りかかる.ソップは鶏肉をよく煮だして,あとは何でも油でいためれば西洋料理になると,燈火用の魚油を使って料理している. 長屋の連中は一度は誘いを断ったものの,店だてを食わされると聞いてあわてた.毒消しを持参し,西洋料理でお約束の手袋までつけてぞろぞろやってきた.お婆さんの手袋を脱がしてやろうと無理に引っぱってやると,二人してひっくり返って,顔をすりむいてしまう.「油薬が用意してあるとはありがたい」と,テーブルの上のバターを塗りまくる.給仕が,パンに続いてソップを持ってきた.これが魚油臭くて飲めたもんじゃない.つづいて,またパンが出てきた.厨房では旧平さんがフライ作りに悪戦苦闘している.鍋の油に水が入り,荒神さんの御幣に火が廻って大騒ぎ.しょうがないので,またパンを出して間をつないだ.スプーンを出してくれというのをスッポンと間違え,テーブルにスッポンを出せば,お客にかみつく.そこに,ようやく吉兵衛さんが戻ってきた.「なんです,この騒ぎは」「お前さんが早く来てくれねえから,旦那も煮方がわからず困っているよ.洋食というものは,こうパンが多いものかい」「パンが多いわけ,長屋の一同がバタにされたんだ」 【ひとこと】 差「ヘエ………提灯屋の清兵衛さんは相憎(あいにく)その急に又た提灯の張替を受合つてどうしても之を遣らなければならないと云ふので商売気狂ひで夢中になつて、やつて居りまして……… 旧「頭は来るだらうナ 差「頭はその立前を請合ひまして何でも急にしなければ成らないから上れんと申して 旧「訝(いぶか)しいなァ午後の六時といふのに立前をするたァ………然んなら大工の金太郎は来るだろう 差「是は其の他(わき)に少々至急の普請があつて土木会社と清水組の方へ雇はれて居るものですから何分(なにぶん)一日二日はどうしても間がないからと申して特(こと)に残念がつて居りました 旧「仕様が無へなァ、小間物屋の善七は那(あれ)ァ是非来るだろう 差「夫がソノ急にナ、他に金剛石(ダイヤモンド)の払い物ガあつて夫を買ひに往きましたが大きサが一寸からあつて六円ださうで………(素人洋食) 素人洋食(しろうとようしょく)は,三遊亭圓遊(3)作・演,今村次郎速記.雑誌『百花園』の40〜41号の2回にわたって連載された.小林清親の挿絵1枚. 【つけたし】 新作落語の歴史は,初代(正しくは3代目)三遊亭圓遊[嘉永3-1907]の古典改作にはじまるといえる.当時はまだ古典落語という呼び名はなかったが,くすんだ江戸落語やかび臭い人情噺を,陽気でくすぐり沢山の圓遊流の滑稽落語に変えていった.圓遊と3代目柳家小さんの二人が,人情噺に代わって滑稽落語をメインストリームにすえた立役者になる.釣り竿を振り回す「野ざらし」や石垣にくっつく「船徳」が,今も古典落語として演じ続けられるのは圓遊のおかげだ.機を見るに敏,開化の風物を取り入れるのも得意で,これを流れるような弁舌でまくしたてる.金策にあちこち歩く男の描写が,"回向院の墓場へ行き鼠小僧の墓石(はか)を打ッ欠て見たり相撲の場所の土俵の上へ昇て顛倒(ひっくりかえ)つて見たり本所の五百羅漢を勘定して見たり百本杭の釣を見て釣人(つりて)の弁当筥を踏毀して譴責(けんつく)を喰たり、廐橋の欄干を勘定して吾妻橋の鉄の柱を数へて奥山の十二階も銭がないので昇れず観音さまのお堂の椽の下へ這入らうとしたが鉄網が張つて有るのて潜込む事が出来ず、公園を運動して溝(どぶ)を飛損ひ向脛を摺りこはしたり、芳原の五階を眺めたり"(穴蔵の泥棒)と,こんな具合だ.余計な言葉をふるいにかけると,わずかしか残らない.文字で読むと煩わしいが,この饒舌が魅力の一つだった.圓遊は,明治の珍芸四天王の一人でもあった."向こう横丁のお稲荷さんに"と,裾をはしょって,手首を鶴の首のように曲げて前後に動かしながら踊るすててこ踊りが,地方出身の寄席の客に大受けした.今も半股引のことをステテコと呼ぶのは,圓遊のすててこ踊りに由来する. 演芸雑誌『百花園』に載った「素人洋食」は,拙い義太夫を旦那が披露する「寝床」を,不味い洋食に置きかえた改作になる.『百花園』では,「すねかじり」「成田小僧」「三年目」などのいわゆる古典ネタのほか,「あばた会」「地獄旅行」「素人人力」「躰内旅行」といった新作落語を圓遊は披露している.『文芸倶楽部』誌には,もとめに応じて正月のご祝儀落語を提供することが多かった.どれも,飛行機やら鶴やらに乗って,空中旅行や天上界に遊ぶような安直なネタになっている.「旅行の鶴」「亥年の結婚」「天国物産会社」「宝の山」「龍の入営」「橋の結婚」「馬の旅行」.内容を期待できないタイトルがならぶ.今日の眼からはケレンとも邪道とも見えるが,それは明治という時代を駆け抜けた圓遊の残像しか見ていないのかもしれない. |
202 鶯亭金升,借家,新選落語 福,博文館 (1900) |
【あらすじ】 近ごろは借家が不足しているので,貸し家という札を貼っておきさえすれば,いろいろな人がやって来るもので…….「ご免ねえ.お隣の貸し家ですが,今日引っ越してもようがすか」「借家(しゃっか)をなさるのかい」「左官(しゃかん)じゃない,大工の手伝いで」「もう中をご覧なすったのかね」「なるほど,年かさだけあって偉いね.中を見てから借りよう」「誰だって,中を見ないで借りる人はいない」「そこで雪隠を借りたが,中を見ずに借りやしたぜ」 中をひとめ見るなり,道具がないだの,表長屋なのに台所が入口にないなど,おかしな事ばかり言う.家賃も聞かずに帰ろうとするから,「家賃を聞いていかんでよいかね」「忘れてました.1円もしますかい」「9円貰います.それに敷金が50円,造作が150円」.呑気な男で,言いたいことを言うと,親方に相談するらしくぶらぶら帰っていった. 翌日,あの大工が駆けて来た.「おや,どうしました先方は」「別に遠方でもねえが,大変なことができました.お前さんも残念な家を貸し家にしなさったね」「何か申し分があるかい」「お気の毒だが,この家は借り手はねえぜ」「どうして」「旦那のところで詳しく話したら」「うん」「方角が悪い」 【ひとこと】 「家賃は人が出すのだと思つて気が附なかつた幾らだネ一円もしますかい 「飛んだ事を九円貰はねばならぬ 「不廉(たけ)へなァ朝商へだ五円にまけてお呉んなせへな 「縁日の植木とは訳が違ふよ夫から敷金が五十円造作が百五十円 「エ、大変になつちまつたお前さんは幾らだい 「ナニ私(わし)は売り物ではない 「造作の外に何か附ては居ませんかい 「外に附て居るものは 「エヽ御愛敬に井戸の一つでも附けといてお呉んねへ 「井戸は只だ 「只だへ 「無代と言ふ事もないが家賃の内だ 「此処の家も家賃の内かネ(借家) 借家(しゃくや)は,鶯亭金升作.鶯亭金升の個人作品集に収められている. 【つけたし】 鶯亭金升(おうていきんしょう)[1864-1954]は,戯作者・新聞記者・文筆家で,落語速記の黎明期から戦後まで活躍した.新作落語と言っても小咄を寄せ集めたようなもの(『新作滑稽落し噺』井上勝五郎 (1889)など)しかなかった時代に,はじめての本格的な新作落語集として登場したのが『新撰落語 福』になる.奥付には本名の長井総太郎名が記されている.鶯亭金升は,師匠である梅亭金鵞の引き合いで『團團珍聞』の記者に加わり,投書欄を担当した.同誌には,即席落語・楽苦語と題する新作風作品を掲載している.その後は,『万朝報』『やまと新聞』から『東京毎日新聞』の記者を務めた.川柳・狂歌・戯作など遊芸全般に通じており,落語づくりの手際もあざやかなもので,現在の眼から見ても古びた感じがない.落語集には,『新選落語 福』のほか,さらに『滑稽乗合船』(服部書店 (1906)),『金升落語集』(求光閣 (1907)),『滑稽大博覧会』(求光閣 (1907)),80歳を超えた戦後の1948年に『落語珍日本』を出版している.『講談雑誌』『講談倶楽部』『面白倶楽部』などの雑誌に掲載された落語も多く,その数は100席になんなんとする.器用に多作した反面,残念ながら現在も演じられる作品は,「応挙の幽霊」(個人集には未収録)以外に見当たらない. |
203 岡鬼太郎,落語の稽古,滑稽談語 腹の皮,共盟館 (1906) (7版1911) |
【あらすじ】 近所の者だと言って,落語家の三柳亭燕朝の家に男が上がりこんできた.「私は仙石権左衛門と申しまして,お弟子になりに来ました.お前さんが人力車に乗って出かけるもんだから,こないだから見ていると,他愛もないことを言ってるんですね.それで贅沢しているんですから.弟子になるには,いくらいるんですか.仲間に蕎麦でも配りましょうか」「噺家といっても難しいもんで,俥に乗るには5年,10年と修業をしなきゃあ」「5年でも10年でもいいなら,5年でも2年半でもいい訳でしょう.まあ,仲間が増えると損でしょうけど.蕎麦でも配ろうと気を遣って,せっかくこうやって頼みに来てるんですから.私が儲けりゃまたどうにかしますよ」「それはご親切さまで」「そら,すぐ承知するじゃありませんか」「弟子にするしないはとにかく,短い噺をしますから,家でさらって来て下さい.しゃべれるようになったら,私の前でやってみて」「では,蕎麦はそのときということで」 師匠は「茗荷宿」という落語を教えた.― 宿屋の主人が,客にやたらと茗荷を食わせて,客の荷物を忘れさせようとしたが,客は荷物を持って出ていった.茗荷は利かないのかと思ったら忘れたものがある.何を忘れたのかと女房が聞くと,宿賃を払うのを忘れていった ― 「茗荷が利いて,旅籠賃を置いていったというのでしょう」「いえ,忘れて置かずにいったので」「それなら茗荷が利かないことになる.荷物の代わりに,宿賃を置いていったんだ.商売人のくせに,お前さんが判らないんだ」.こんなのすぐできると話し始めた.「旅籠屋が不景気だから,エエその,茗荷を食えば,客が困ると,じゃないか,客,客,客が荷物を,無闇と,食わせれば,茗荷,茗荷」「ゆっくり家でやってみて,できたらいつでもいらっしゃい」 師匠の奴,仲間にしたくないもんだから,ニヤニヤ笑ってやがった.「今帰ったよ.落語の稽古に行ってきた」「とうとう弟子になったんですか」「あの師匠,存外詰まらない男で,落語の理窟がわかっていないんだ」「お前さんは判るのかい」「こういう噺さ.宿屋のかみさんが,物忘れによく利く茗荷を食わせた.すると利いて,客が旅籠賃を置いていった」「それだけですか」「本当はもっと長い」「茗荷を食べて何か忘れたというんですか」「そうさ」「そんな馬鹿馬鹿しい」「本当に利いたのさ」「それが噺ですね」「ああ,噺だから私にも利いたのか」 【ひとこと】 三「何うですか、落語(はなし)はお判りですか。 仙「茗荷を沢山食はされて、旅籠賃を置いて行ッ了(ちま)つたんで。 三「然うぢやありません、置かずに行つたんです。 仙「だッて、忘れて行くやうにと茗荷を食はせた、かみさんが利かなかつたと云ふと亭主がイヤ利いた、置いて行つたものがある、それが旅籠賃だ、と斯う云ふんでせう、シテ見りやァ忘れて置いて行つたんだ。 三「困りましたね、置いて行つたんではないので、忘れて置かずに行つたんですよ。 仙「だつて夫れなら茗荷が利かないんぢやありませんか、荷物を置いて行くやうと食はせたら、荷物の代りに宿賃を置いて行つたんだ、商売人の癖にお前さんが判らないんだ、そんな事でさへ腕車(くるま)に乗つて歩けるんだ、何んの訳なし、今直ぐ演つて見ませう」(落語の稽古) 落語の稽古(らくごのけいこ)は,岡鬼太郎作.鬼太郎の個人作品集に収められている. 【つけたし】 劇評家・脚本家の岡鬼太郎(おかおにたろう)[1872-1943]は,戦前の劇界の重鎮だった.落語の「らくだ」を歌舞伎にアレンジした「眠駱駝物語」(ねむるがらくだものがたり)は,今も演じられる人気演目になっている.『歌舞伎眼鏡』『鬼言冗語』などの著書も多く,没後に『岡鬼太郎花柳文芸名作選』13巻としてまとめられている.そのうちの1冊が『滑稽談語 腹の皮』になる.『文芸倶楽部』が懸賞落語をはじめたときに,一般読者の応募を促すためのサクラとして6作品を投稿している(『江戸紫』 鈴木書店 (1912)に収録).6作品の中には,今でも演じられる「意地競」があり,これを「絶滅危惧落語」で紹介している. 『腹の皮』に収められた落語は,いずれもクスグリが辛く,取っつきにくいものが多い.落語家ならば楽に儲かりそうだからと,押しかけ弟子がやってくる「落語の稽古」は,現代の方が通じそうな設定だ.落語家を職業選択の一つとして紹介する『落語家になるには』(ぺりかん社(1996))や古今亭圓菊著の『噺家の修業 教育のしごと』(あゆみ出版 (1984))は,落語家修業が楽ではないことを説いている.柳家つばめ(5)の『落語やろー』(どみに集団 (1972))は,落語のすそ野を広げようと,みんなで落語をやろうと訴えている.実はこの薄っぺらな小型本,戦後の落語関係書のなかでは,最も入手が難しい本の1つとして知られている. |
204 田村西男,あまのじやく,新落語,宇宙堂 (1911) |
【あらすじ】 鉄砲笊を肩にかついだ紙屑買の権八が,夕方,家に入ろうとすると中に誰かいる.「これは驚いた.お膳を勝手に出して,お鉢を脇に置いて,大事にしていた酒まで飲んでいる.虎の皮の褌はいて,角が二本はえているから,鬼じゃないか.腹の減った鬼だ」「お前は権八だな.今朝,万世橋で会ったな」「そんな格好をして万世橋にいたんですか」「俺の姿は誰にも見えない.お前が貧乏で癪だとこぼしていたろう.それが気にくわないから,この家を穀潰しに来たんだ」「穀潰しに来たって.実にあきれた人……,じゃない鬼だ」「怒っても無駄だ.俺の方がずっと強い.しかも,俺はただの鬼じゃない.天邪鬼だ.泣きごと言うとなおさら取り憑くぞ.ああ,面白い」.これだけ言うと,天邪鬼は寝てしまった. 夜が明けた.「もし,天邪鬼さん.御飯をあがんなさい」「寝ているとこを起こしやがって.なんだ飯を食え.誰が食うものか」「こいつはうまい」「なんだと」「私はこれから商売に行くが…….商売といっても,損がしたいから出かけるんだ.ああ,損がしたい」.これが天邪鬼の癪にさわった.権八が紙屑を買ってくると,中から金貨やサンゴの珠なんかが出てくる.こりゃ天邪鬼の仕業だなと思ったから,権八さん,うれしそうな顔は見せない.この調子で,どんどん金が貯まってきた. 噂を耳にした泥棒が忍びこんできた.こんな時こそ天邪鬼を頼りにしようと,「天邪鬼さん.泥棒が入ったようですから,金をみんなやってしまおうと思うんで.でも,泥棒が盗んだ金を置いていったりしたら,どうしたらいいでしょう」「置いて行くのは向こうの勝手だ.貴様は黙っていろ」.泥棒は刀をさげて,権八の枕もとに来ると,何か急に考えたように,「どうもここには金がなさそうだ.金が重くていけないから置いていってやれ」.ざらざらと500円の銀貨を置いて出ていってしまった.翌朝,権八は天邪鬼と酒をのんで上機嫌.「お前さんのおかげで,だいぶ幸せがよくなった.どうかしてお礼がしたい」「そうか」「どうか何時までもいてもらいたい.それから,今ある金をなくさないようにしたいと思う.どんなもんでしょう」.この言葉が終わるか終わらないうちに,天邪鬼の姿が消えた. 今日も権八は,寒空のもと,鉄砲笊をかついで東京中を歩き回っている. 【ひとこと】 鬼「第一巳(おれ)は鬼だ、然(しか)も普通(ただ)の鬼じやない桃太郎に降参した鬼とは違ふぞ。巳はここに居るがお前より他には、巳の姿は見えない、つまりお前に魅(とっ)付いてゐるのだ。」権「なんだつて情ねえ鬼様だなァ、こんな貧乏人に魅付くとは。」鬼「その泣言をいふから魅付くのだ、巳は鬼の中の天邪鬼だ、左といへば右、右といへば左、巳の持前だ、そんな泣言をいふと猶々魅付くぞ」(あまのじやく) あまのじやく(あまのじゃく)は,田村西男の新作落語集に収められている. 【つけたし】 田村西男[1879-1958]は,劇界に通じており,劇評記事や「芸者」「半玉」「春色情くらべ」などの花柳小説を著した.1907年に滑稽文芸雑誌『笑』を創刊し,岡鬼太郎,鶯亭金升らの作品を新落語として掲載した.『新落語』には,長短あわせて25席の落語が収められている.癖が強い作品が多く,いま演じられる作品は一つもない. |
205 朝寝坊むらく,変りもの,講談落語界,1(3),71-98 (1912) |
【あらすじ】 分銅伊勢屋の息子は,本ばかり読んでいて,35歳になるのに嫁を取ろうともしない.心配した両親が,小僧を供につけて花見がてら嫁さがしに出かけさせた.家を出てすぐ,鳶頭の政五郎の家で,縫い物を習っている娘を見かけた.花見に行かずに店に戻った若旦那は,気に入った娘がいたとうち明けた.さっそく政五郎を呼んで,相手の様子を聞いた.鳶頭の家内で縫い物を習っていて,名前はおしづ,年は15歳になる.近所でも評判の美人で,夜学校の算術の先生の娘だという. 伊勢屋に頼まれた鳶頭が,おしづさんを嫁に欲しいと先生に申し出たが,釣りあわぬは不縁のもとと断られてしまう.「たとえ貧乏しても元は士族,左うちわで暮らせるとは失礼なことだ.だいいち,年が違いすぎる.せめて真半分の年齢ならばよい」と言う.この返答を聞いた伊勢屋は,数学家の断りの文句を,そのまま証拠の書付にしてもらった.これを見た若旦那は,書付を握りしめたまま家を出て,行方知れずになってしまった. 一人息子をなくした両親は,ふさぎ込んでいる.5年後の天長節の日,突然若旦那がもどってきた.よろこんだ伊勢屋は,もう嫁を取れなどと言わないから家に居てくれと懇願した.ところが若旦那は,おしづさんを嫁にもらいたいから,もう一度政五郎に口利きをたのむ.あの一件以来,伊勢屋の出入り止めになっていた政五郎が渋ると,あの書付を見せれば間違いないからと受け合った.数学者の家では,「いったん断ったものは後には引けない」と言ったが,あらためて書付を開くと,今度は嫁入りを承知した.鳶頭が訳をきくと,「5年経てば,向こうは40歳,娘の年は20歳で相手の半分になる」「へえ.若旦那は偉いもんだ.それにしても,ずいぶん気が長いな」.5年目で夫婦の縁がまとまったという,ごねんのいった恋というお話. 【ひとこと】 「此の書付の中(うち)に、せめて真半分ならまけても差上げやうといふ文句がある、其の一点だ」 「ヘイ、何所の一点だね」 「探しちやいかぬ、今いふ通り真半分なら差上げやうと申した、五年前には娘が十五、先方(さき)の御子息が三十五、五年経てば先方(むこう)は四十、此方(こっち)は廿才(はたち)、丁度半分になるから、先方から貰ひにおいでになつた、其の頭脳(あたま)の働きといふものは、我々の及ぶところではない、どうかお前が先方へ然ういつて呉れ、確かに差上げますからと」(変りもの) 変りもの(かわりもの)は,雑誌『講談落語界』に掲載された.朝寝坊むらく(7)(三遊亭圓馬(3))演,天沼雄吉速記.カットとも挿絵3枚. 【つけたし】 雑誌『東京』3巻10号(1926)にも,「数学家の娘」(三遊亭圓生)という新作落語が載っている.5年の間に金山開発に成功して,いちど断られた数学者の娘を嫁取りするという内容になっている.この噺は,いっとき流行った新作落語かもしれない. とはいえ,謎解きが単純すぎて,話の途中で結末がわかってしまう.この種の計算問題は年齢算と呼ばれ,私立中学校の入試によく出てくる.小学校の算数では方程式を使って解いてはいけないので,頭を悩まされる問題が多いのだが,この落語のプロットは年齢算としては初歩的すぎる.図にあげた問題だと,難関中学の受験レベルになっただろうか.全員の年が算術の先生の娘の年と関係づけられ,娘の年が15歳と求められる.続いて,伊勢屋の妻が55歳,息子が35歳とわかる.伊勢屋の主人と算術の先生の年は,このヒントだけでは決めることができない. 2022年に民法が改正され,女性が結婚できる年齢が16歳から18歳に引き上げられた.少なくとも戦後は,15歳では結婚することが認められていなかった.三木露風[1889-1964]作詞の「赤とんぼ」には,"十五で姐やは嫁にゆき"とある.今なら怒られてしまうだろうが,落語でも,はたちすぎは年増,30歳になれば大年増と呼ばれると言っている.10代が適齢期だったのだろう. |
206 大島宝水,海岸劇場,新作落語十八番,三芳屋 (1919) |
【あらすじ】 逗子に避暑に来ていた片岡と川島,日がな一日泳いでばかりもいられない.退屈しのぎに実景応用の野外劇でもやろう,土地が逗子だけに「不如帰」がいいと決まった.片岡君の妹が浪子だから,浪子役に誘った.宿屋の従業員を看護婦や女中役にたのみ,あちこちの旅館に海岸劇場の広告をはりだした. 「君,広告を見たかい.観に行こうじゃないか.お婆さんもどうだい」「書生芝居はご免だよ.どこの座でするのかい」「海岸劇場と言って,不動堂まで見に行きますよ」「怪我をすると危ないよ.お守りを忘れないようにな」.みんな退屈なので,イカモノ食いのつもりでぞろぞろやって来た.この幕では出番のない片岡は,見物人を案内している.「おい.桟敷はどこにある」「そんなところはありませんから,木の陰か草の中に入っていてください.なるべく頭をださないように」「オヤオヤ大変な芝居だね」「おい,出たよ」「蛇かい」「不動堂のところに,武男と浪子だよ」「あれで役者かね.浪子はお転婆だし,武男は駅員みたいだぜ.それにしてもセリフがちっとも聞こえないねえ」.草むらにもぐって見物しているもんだから,足元から虫が這い上がってきた.「我慢しろよ.この珍劇を見てこそ逗子に来たかいがあるんだから」「しかし,なかなか終わらないね……」.浪子役が,「何故人は死ぬのでしょう.生きたい,生きたいわ」「ムム,こっちが死ぬよ.いったいどこまでやるんだい」「何しろ浪子が死ぬまでやるそうだから,明日の夕方までかかるだろうね」.これを聞いては,もう我慢できない.見物一同が,「早く帰してちょうだいよ……」 【ひとこと】 川「場割は差詰め不動堂から片岡邸玄関、山科の停車場に浪子の病室としませう 片「すると川島君、見物を連れて山科迄行きますか 川「そんな事は出来ませんから、玄関先と病室は此の旅館にして、停車場は逗子の停車場迄行きませう、此の位は見物も一所に来るでせう 浪「それは来ますとも。妾(わたし)達の劇を見せてやるのですもの、女優の後を追ひ廻すのは此頃の流行ですワ」(海岸劇場) 海岸劇場(かいがんげきじょう)は,大島宝水作.口絵1枚.大島宝水の個人作品集に収められている. 【つけたし】 大島宝水[1880-1971]は,新聞記者を振りだしに,俳人として活躍した人物.句集の中には,『滑稽十二ケ月』(三芳屋)と題する物もある.大島宝水の落語集は,『新作落語十八番』だけで,『講談倶楽部』には『新作落語十八番』に収められた「羽子板美人」「茶婚礼」「新婚飛行」「お化の証文」に加え,同書に未収録の「朝寝坊」の5作がみつかる.この時期は,落語専門の作家はおらず,評論家や小説家が余技に新作落語を発表する程度であった.似たような作品集に, 小説家町田柳塘の『新作落語』(河野成光館)や前掲の『江戸紫』(鈴木書店)がある.また,作品集がないために取り上げられなかったが,益田太郎冠者(実業家益田太郎男爵)の作品に「宗論」「かんしゃく」「道楽書生」がある. |
207 柳家三語楼,銀ぶら,東京,1(2),62-65 (1924) |
【あらすじ】 暑い夏も過ぎ,涼風の吹く中,夜の街をそぞろ歩く銀ブラの季節になった.銀座の通りには,煎豆屋からはじまって,切り餅だ,活動の玩具だの,種々雑多な店がずうっと並んでいる.脚立のようなものに大きな算盤をくくりつけて,パチパチと勘定をしてみせる男の前には人だかりがしている.その隣では,かかとが抜けた安物の靴下売り,地面にステッキを突いて姓名判断をやっている.「桃中軒雲右衛門,桃中の字が雲龍を呼ぶと言って,成功を収めたのである」.男だからいいけれど,女ならば桃太郎か何かを産みやしないか. 銀ブラというものは,京橋からはじまってカフェーライオンの前をまっすぐに新橋竹川町へ.人通りが少なくなったら折り返して,千疋屋から資生堂を通って再び京橋まで帰ってくる.時間があれば,日本橋をこえて,須田町の須田ブラから上野広小路の松坂屋,風月堂から上野の袴腰へ抜ける賑やかな通り.こちらは広小路ブラといって,またおもむきの違うもの.まだまだ大道商人の研究談もあるが,銀ブラなんてえものはあまり長いとご退屈,どこかのカフェーへお入りになって,お休みあそばせ. 【ひとこと】 懐中電燈を売て居る先が粟の水飴屋で、七味唐辛子を売て居る隣が絵草紙屋、漬物屋、瀬戸物屋、狐饅頭にメリヤス、ボッタラ焼を売てる先が水彩絵具、砂絵売、豆板、刳物細工、智慧の輪の隣に鼻緒屋の婆さんが居て其の又隣では旅鞄を売つて居る小娘が、小間物屋の婦人と隣合て列び、紙人形に足袋の形の糸瓜(へちま)、神棚に絵端書、犬の首輪空気枕、アラスカ金の指輪を売て居るかと思へば、貝細工がある。黄楊(つげ)の櫛の早手廻しに油へつけたのを売て居る、隣では舟の手遊(おもちゃ)が金盥の中でグルグル廻つて居る。焼鯊(やきはぜ)、餅菓子なんてえ物は砂の附く恐れがあつて、警官のお目が光る。麦藁細工に飴細工、粟のおこしに河豚の提燈、これ等はどつちかと云へば大森のお土産に近く。風船に鬼灯(ほおずき)にゴム印を売る店があつて、風車(かざぐるま)の材料もこの節はセルロイドとなりました。飛行機の針金が光つて居て、達磨落しがパチーンと音をさせる(銀ぶら) 銀ぶら(ぎんぶら)は,柳家三語楼(1)演.雑誌『東京』1巻2号に収められている.カットとも挿絵2枚. 【つけたし】 初代柳家三語楼[1875-1938]は,横浜生まれでインターナショナルカレッジに学んだ,当代きってのインテリ落語家だった.師匠は名人橘家圓喬(4)で,柳家金語楼や古今亭志ん生(5)は三語楼にあこがれ,彼に師事した.噺のはしばしに英語を交えたり,大胆な改作をおこなったりした.「王子の狐」「垂乳根」「たぬき」「高尾」「厄払い」などの古典落語,「和洋語」「芸妓専売」「徳ちゃん」「細巻きの洋傘」といった新作落語の速記が残っている. この「銀ぶら」は筋も何もなく,銀座の夜店の様子をスケッチしている.当時の風俗があますことなく描かれており,『東京』という雑誌の性格にもあっている.大正13年に創刊した『東京』には,創刊号に小さん(3)の「芝居風呂」,2号目に「銀ぶら」が載っている.昭和2年に誌名を『ワールド』と改題したものの,その年に終刊している.今村一羊(信雄)や杉山其堂の新作落語が多く見つかる. |
208 正岡蓉,朧月猫草紙,サンデー毎日,5(7),26-27 (1926) |
【あらすじ】 昔とくらべ,床屋や銭湯はがらりと様子が変わった.昔は使いつけの手ぬぐいを床屋に預けたりしたもので. 兄貴と弟分が,金もうけの相談をしている.桐の苗を育てて鳳凰を捕まえようとか,アジカに太鼓を叩く芸をさせようとカジカを買ってきたりとか,飛行機からドジョウを撒いてツルを捕まえようとか,どれもろくなアイデアでない. それより,珍しいものがあるからと,夜分に連れだってでかけた.土蔵の横を二つ三つ曲がると,このあたりには珍しい原がある.どこかから聞こえる三味線の音が次第に大きくなってきた.原っぱでは,月の光を浴びて40匹ほどの猫がてんでに手ぬぐいを持って踊っている.三味線の音がやむと,一匹の白猫がみんなの手ぬぐいを受け取ると,どこかへ歩いてゆく.後をつけると,白猫は角から二軒目の家に入った.「ああ,床屋の猫だ」 それからというもの,毎晩友達を引き連れて猫の踊りを見せていた.二十日ばかり雨が降り続き,踊りは流れてしまう.久しぶりの晴れの日,いつもより大勢の友達を連れて,踊り見物にでかけた.「どうです,天下一品でしょう.ご覧なさい,踊りが終わると,真ん中の白猫,床屋の猫だから手ぬぐい貸しをしてるんですよ.あれがみんなの手ぬぐいを集めて…….あれ,今夜は集めないな」.どの猫も一つずつ手ぬぐいを肩にかけて帰ってゆく.かの白猫も手ぬぐいを肩にかけると,つっと床屋に入った.「ほら,やっぱり床屋の猫なんだ.どうして手ぬぐい一本しか……」.ヒョイと見ると,床屋の入口に小さい木札で,「貸し手ぬぐいお断り申し上げ候」 【ひとこと】 いまから三、四十年前の絵草紙には随分、奇妙な空想! がありました。狐の嫁入り。鼠の輿入れなんぞはいゝとして、猫の銭湯なんてのがある。酸漿(ほおずき)がキモノをきて理髪店をだしてるのがある。か、と思ふと、お狸(たぬ)さんが八畳敷を鉄道に見立てゝ岡蒸気を走らせてゐる。 「おどろき、間もなき、山椒の木、ブリキに狸に岡蒸気」てえのは、このじぶんに時花(はや)つたウタださうです。――が、絵草紙ばかりでなく、そのころといまとを比べてみると、みんな、がらりと変りました。一ばん、その中でも推移の激しいのが乗物とお湯屋と床屋ださうで(朧月猫草紙) 朧月猫草紙(おぼろづきねこぞうし)は,正岡蓉(正岡容)作.『サンデー毎日』5巻7号に掲載された.「ぼくの小父さん圓馬におくるべき」の添え書きがある. 【つけたし】 作家・演芸研究家の正岡容(まさおかいるる)[1904-1958]は,独特の文体と芸会への深い愛情あふれる作品で,一部の熱烈なファンをもつ.大東文化大の学生だった桂米朝を上方落語家に導いたのも正岡容だった.激情家としても知られており,わけもなく破門された弟子や絶交を宣言された友人は多いと聞く.その奇行ぶりは,弟子の大西信行によって『正岡容 このふしぎな人』にまとめられている.『狐祭』『圓朝』『寄席』『小説春色梅暦』などの小説や『随筆寄席囃子』『随筆百花園』などの演芸随筆,『艶色落語講談鑑賞』『風流艶色寄席』『昭和落語全集』『灰神楽三太郎』などの落語作品集,浪曲台本を残している.「天保水滸伝」の"利根の川風たもとに入れて月に棹さす高瀬舟"は,もっとも有名なフレーズだろう. 小説を雑誌に発表するかたわら,生計のためか書き散らかしたような落語作品も見うけられる.個人選集にあたる『正岡容集覧』(仮面社)に採用されたのは,「七面堂」の舞台を神戸の異人館に移した「マリアの奇蹟」くらいになる.『週刊朝日』に新漫談落語「ラヂオ幽霊」,『サンデー毎日』に,ここで取り上げた「朧月猫草紙」や「ステーシヨン行進曲」「五銭・五銭・五銭」「彼氏と医者」「ロケーシヨンと不動様」「四月馬鹿」,『日曜報知』に「相馬大作遭難記」「猪退治」を掲載している.「朧月猫草紙」は,月の光の下で猫がなまめかしくも踊り戯れる傑作である.写真は,『寄席』の表背裏表紙(木村荘八)の一部.猫が手ぬぐいさげて銭湯に入っている図柄は,この噺にぴったり. |
209 桂小春團治,禁酒運動,週刊朝日,17(12),36-37 (1930) |
【あらすじ】 昭和の初めのこと,禁酒運動にのめり込んでいる徳蔵が,酔っぱらってふらふら歩いている伯父さんに出会った.「徳,しばらく見ない間に,こんな仲間に入っていたのか.毛唐の東西屋みたいな格好して.サア,一杯飲みに行こう」「伯父さん,禁酒の宣伝中ですから酒は一滴も飲めません.静かにして下さい.禁酒の演説がみなさんに聞こえません」「では,お前のために俺が禁酒の演説をしてやろう.諸君,酒は見苦しいものです」「伯父さん,それをしらふで言って下さい」「アハハ,そうか.こう成ってはいかんという模範を示しているのや.五合飲む人は三合に,三合飲む人は一合に,一合飲むところは二合,四合,六合,八合と……」「増えてるじゃないですか.静かに頼みます」「君,禁酒宣伝にこんな酔っ払いを入れては困るじゃないか」「すみません.私の伯父なのです」「それならなおさら,なぜ禁酒を奨めないんです.天に在す神様よ,憐れな罪の子を許し給え」「オイ,いつ俺が人の物を盗んだ.貴様の方がよっぽど罪だ.儲けるときにはうんと儲け,飲みたいときには飲むのじゃ.若槻礼次郎全権は,酒樽をうんと積んでロンドン軍縮会議に出発したことを知らんのか」 「あなたのような不真面目な方は口で言ってもわかりません.この絵を御覧になれば酒を止めずにはいられますまい」「何が描いてあるのじゃ」「今すでに酒に溺れんとしている者の絵です」「なるほど,酒の中で泳いでいるのやな.俺もこんな身になってみたい」 【ひとこと】 米のことを考へてゐて、酒が飲めるものか 酒は米を潰さないでも科学的に出来るのや。農学博士鈴木梅太郎氏が科学的に酒を造つたわい。酒も飲むやうな勇気がなけりや、この生存競争の激烈な社会に立つて活躍が出来るかい。此奴(こいつ)の親爺みたいに、金の貯るのをばつかりを楽しんでゐた奴は、金の使ひ道を知らん奴や。水でも入つて来る所があればまた流れ出る所があつてこそ綺麗な物ぢや。あたらぼうふらを生(わか)すだけでは何になると思ふ(禁酒運動) 禁酒運動(きんしゅうんどう)は,桂小春團治(1)作・演.『週刊朝日』17巻12号に掲載された.カットとも挿絵2枚(吉岡鳥平). 【つけたし】 初代桂小春團治[1904-1974]は,昭和のはじめに『サンデー毎日』『週刊朝日』誌上に盛んに新作落語を発表していた.吉本興業に小春團治の名前を奪われてからは.林龍男・林芳男・林芳夫などの名義で活動した.「禁酒運動」「金庫」「花嫁異変」「透明は危い」「子を産め」「円タク」「愛して頂戴」「国勢調査」「失業者」「タクシーの客」「爆弾三勇士」「人の子」などの作品が見つかる.なかでも「禁酒運動」は,「円タク」とならんで彼の代表作にあげられる.「禁酒運動」を含むいくつかの作品は,『鹿のかげ筆』(白川書院 (1977))に再録されている. 昭和初期には,禁酒によって倹約貯金し,小学校を建てたりした例や,首相を交えた禁酒サミットが開かれたりした.「禁酒運動」は,攻守それぞれのセリフに無理がなく,実に面白い.いわゆる上から目線で「目覚めて下さい」とか言われた経験があれば,酔っ払いの親父の反発に加勢したくなってくる.新型コロナの感染対策で酒の提供が目の敵になったように,今でも大酒飲みは肩身が狭い.写真は岡山に残る禁酒会館で,現在もちゃんと人が出入りしている. |
210 高澤路亭,猫,講談倶楽部,20(11),298-303 (1930) |
【あらすじ】 校長先生の猫が,6匹も仔猫を産んでしまったので,学校の小使いさんにも1匹引き取ってもらおうとした.「お前は猫を好かんかな」「ありゃあ魔物で好かんでがす.それに食ってもうまくないそうで」「無理にと言わんが1匹飼ってくれんか」「1匹じゃ多すぎるから,せめて半分で」「飼ってみると可愛いもんじゃ.鰹節を1本つけるから」「じゃあ,こいつをいただくとしましょう.猫は小さくても,鰹節はなるべく大きいのを」.というわけで,猫と弁当箱を風呂敷に包んだ.規則では禁止されているが,猫を連れて電車で帰ることにした. 「これ,静かにしねえか.家へ帰ったら鰹節を…….鰹節は湯豆腐に使うとして,お前には煮干しの出し殻でもやろう.ほれ,電車が来た.ニャアニャア暴れんなよ」「猫を携帯の方はお断りいたします」.猫が風呂敷から顔をだしていた.次の電車は混雑にまぎれて,うまく乗ることができた.「混み合いますから,中ほどへお詰め合わせを」.そのうち,猫が風呂敷を食い破って顔を出してきた.「オイ車掌さん」「呼んじゃいけねえ」「私の切符を買うんだよ」「お乗換の方は切らせていただきます」「おや,お前さん風呂敷の中にいないね」「シッ,余計なことを言うでねえ」「もうお乗換の方はいませんか」「ニャア」「どなたか猫を持っている方がありますか」「ちょっと鳴きまねをしてみたんだ」「ニャニャニャ」「鳴きまねはお止め願います」「ニャニャン,ニャーン」「言わねえつもりでも出ちまうんで」.猫が爪を立てて,痛くてたまらない.「わし,もう降りるから電車止めてくれ」「お降りの方がいますから,少々あけて下さい」「ニャーン,ニャニャニャア」「降りるときまでやらなくていいのに.妙な客だな,あの人」「車掌さん,あの人は帽子の中に猫の子を入れてたんだよ」「なるほど,わからないと思ったら,猫をかぶっていたんだ」 【ひとこと】 「モシモシ、そんな大きな声で言はねえでお呉んなさい、猫を電車へ乗せたからつて別段最後屁を垂れて乗客に迷惑をかけるつてわけの物でもねえでがす」「オヤお前さんかい、猫を連れて乗つたのは」「叱ッ、大きな声を出して呉れるなつてば」「だつて驚くぢやないか電車の中へ猫を」「猫々つて言ふで無えつてば、猫に頼まれて乗つたでねえだから、車掌に発見(めっ)かると真逆(まさか)校長先生さんが構はねえと言つたとも言へねえから」「何んだいそりァ」「こりァ俺(わし)の独り言だ」「独り言なら腹の中で言つたらいゝだろ」「腹の中に口は無え」(猫) 猫(ねこ)は,『講談倶楽部』20巻11号に掲載された.高澤路亭(田河水泡)作.カットとも挿絵3枚(川原久仁於).「猫と電車」の演題で知られる. 【つけたし】 初代柳家権太楼[1897-1955]の得意ネタ「猫と電車」「猫と金魚」は,漫画「のらくろ」の作者である田河水泡[1899-1989]が原作者になる.ほかにも『面白倶楽部』『講談倶楽部』『冨士』『キング』など,講談社系の雑誌に多くの新作落語を,高澤路亭名義で寄せている.柳家権太楼(1)は,戦前が絶頂期だったため,『ぐづり方教室』『子供の時間』『負けない男』のいずれの個人集も,時局色が強い演出になっている.このことが不本意だったのだろう,戦後になって権太楼みずから自著に赤を入れて添削をほどこしたというエピソードが伝わっている. この「猫」という作品,全編会話だけでできていて,地の文は1文字もない.落語のお手本のようなつくりになっている. |
211 花月亭九里丸,日の丸の旗,サンデー毎日,9(58),36-37 (1930) |
【あらすじ】 堺筋の街路灯に登って日の丸の旗を盗ろうとした男が,通行人に引きずりおろされていた.「おい,楠さんやないか」「大家さんですか.面目ない」「今後,こんな迷惑をかけないようにしますから,みなさん今日のところはお見逃しを」 大家は楠さんを家に連れて帰って,訳をきいた.学校の先生が次の大祭日には日の丸の旗を立てなさいと話した.息子は自分の小遣いを倹約するから,家にも国旗を買ってくれとせがむ.とはいえ,失業中の身でその日の食うにも困る始末.大祭日には堺筋の電柱に国旗が立つから,一本くらい盗ってもいいと考えてしまった. 「それが悪いのじゃ.日本人は決して日の丸の旗を汚してはならんのじゃ.こんな話がある.明治27,8年の頃,石黒軍医総監が明治天皇の命をうけて,朝鮮の兵站を訪れた.今日は天長節ですから,ぜひ万歳の音頭をとってもらいたいと言われ,裏山に同行した.一人の人夫がかけより,日の丸の小旗を手渡してきた.それを受け取ると,広島大本営の方に向かって旗をふり,万歳を三唱した.よく見ると,その旗は半紙に梅干しの梅酢で描き,飯粒で竹竿に張ったもの.この心づくしに石黒総監は感動し,ありあわせの蛎殻の杯で酒を酌み交わした.帰朝後,このことを明治天皇に言上すると,陛下は目に涙をため,その小旗と貝殻を机の上に飾ったという.おい,楠さん.盗んだ国旗は決して明るい天地の間に立てられるものじゃないぜ.同じ日本人の同胞として,旗を買うための2円を差しあげよう」「恐れ入ります.土にかじりついても,腕一本で稼ぎにかかります」「早う帰って,日の丸の旗を立ててあげなされ」「ハイ.こころを翻してお目にかけます」 【ひとこと】 先生もいやはつた、日本人は大祭日には世界の国旗中で一番立派な日の丸の旗を表へ立てなさいとお話があつた。僕これから小遣を始末するさかい、家も国旗を買うてやと、子供でも友達や近所の人に卑下するのが情けないと見えて泣き声でいはれて見ますとな、……旦那……(泣く)わてかて矢つ張り日本人だす、国旗を出したうおますがな、子供達が唄ふ「白地に赤く日の丸染めて、あゝ美しい日本の国旗」の唱歌を聞かされて御覧、と申して私は今失業だす、お宅の家賃も三つも溜つてます、いえ今に働き口がつけば、きつとお返しいたします(日の丸の旗) 日の丸の旗(ひのまるのはた)は,花月亭九里丸作.笑福亭枝鶴上演用とある.『サンデー毎日』9巻58号に掲載された.小寺鳩甫の挿絵1枚. 【つけたし】 漫談家の花月亭九里丸[1891-1962]は,「らくだ」の舞台である大阪のばくの出身.次項の直木三十五とも幼なじみであった.東西屋(チンドン屋)であった父の丹波屋九里丸ゆずりのアイデアマンで,張りぼての船を抱えた船乗り込みを模した宣伝を発案したり,琵琶に見立てたでっかい宮島しゃもじを抱えて漫談を演じたりした.アイデア豊富で舌っ足らずのしゃべり方から,挽き臼(頭回ってシタ回らず)のあだ名があった.著書に,初代春團治を描いた『すかたん名物男』,『大阪を土台とした寄席楽屋事典』,落語家の系譜『笑根系図』がある.「日の丸の旗」は,『サンデー毎日』に載った唯一の落語になる. 軍医総監とあるのは,石黒忠悳[1845-1941]のこと.日の丸のエピソードは日清戦争のことになる.実のところは,石黒は日清戦争時に白米を偏重した結果,多数の軍人が脚気で死亡している.事実上の責任をとって,陸軍軍医トップの医務局長を辞任している. |
212 直木三十五,増上寺起原一説,週刊朝日,24(6),72-81 (1933) |
【あらすじ】 二代将軍秀忠は退屈していた.そこに土井大炊頭が駆けこんできて,生きた象が長崎に着いたとの長崎奉行からの報告を伝えた.これを利いた秀忠は,「それは珍獣じゃ.早く江戸へ運べ」と命じた.品川に着いた巨象を見物の目にさらさぬよう城へ運ぶ算段が浮かばない.通辞に聞くと,象は夜には眠るし,袋などをかぶせては1万5千人力の力で暴れるという.そこで高さ2丈の幕で目かくしすることにした.象は霊獣ゆえ,象使いが命じれば,腰をかがめて狭い城門もくぐれるのだという. 象が芸をするというので,さっそく腰元に琴を弾かせた.通辞が言うには,琴は日本にしかないものゆえ象には通じない.ぶうぶうと音を立てるラッパがよい.「ラッパとは何か,林羅山と荻生徂徠に聞いて参れ.皆のものは,三味線,太鼓,あらゆる楽器をそろえろ」と命じた.ところが,尺八で鶴の巣ごもりを吹こうが,観世金剛の太夫が腹の底から「おおうぶうぶう」と謡おうが,象は何の反応もしない.荻生徂徠から答えが届いた.象の芸には,ラッパ,銅鑼,馬尻(ばけつ)に金だらいが適していると『和漢三才図会』に見えるとのこと.馬尻とは何か? 馬尻は馬の尻と書く.土居大炊は膝を叩いた.曲垣平九郎を呼び寄せると,馬をならべて屁をひらせろと命じた.「馬はいつでも屁をひるものではござりませぬ」「その方,馬術指南のくせに,馬の屁が自由にならんのか」.御殿女中は金だらいを叩き,曲垣は決死のまなじりで馬の腹をなでたり叩いたり.インド人の象使いのかけ声で,象は前脚をかがめて将軍に頭を下げた.がんがんぶうぶうの音の中,象は安来節を踊りはじめた. 象が死んだ.その日から秀忠は発熱した.そして,夢枕に象が現れた.「善哉善哉.わしの死骸を城の西南に埋めよ.さすれば汝の死後,極楽へ行くこと疑いなし」.しだいに,死骸の臭気が城から町まで流れだした.死んだ象はもはや城門をくぐれない.柔術の名人,渋川伴五郎らを呼び寄せ,中の骨を砕けと命じた.岩のような皮膚にはじかれ,手の骨をくじく者,拳から血を流す者,とても骨を折ることなどできない.松平出羽守お抱えの力士,雷ヶ嶽と雲龍が力任せにマサカリを振り下ろすが,刃の方が曲がってしまう.一人の小姓が,女の髪は象をも繋ぐと申しますと注進した.試しに腰元の髪の毛を抜いて,象の鼻を引くと,軽々と持ち上がるではないか.「それ,女の髪じゃ」と,毛綱を編んで木遣りを合図に引くと,象はずるずると動きだした.綱が切れてはつなぎ,切れてはつなぎするうち,腰元の髪がささらのようになってきた.もうこれでは大奥の勤めは致しかねますと,女房たちは口々に訴える.ちょうど城の西南にあたるところで,穴を掘って象を埋め,象往生寺と名づけた.やがて将軍が死んだ.釈迦と同じように象の背に乗りたいとの遺言にしたがって,象を埋めたところに廟を建て,象往生寺を増上寺と改めた. 明治23年,境内から象の骨が掘り出された.学者は日本が大陸とつながっていた証拠だと唱えるが,私はあの時の象の牙であろうと信じている. 【ひとこと】 御殿女中はそれぞれに金だらひを、坊主が手に手に銅鑼(どうら)をもつて出て来た。 土井大炊が 「安来節、初め」 の叫びに 「あら、えつさつさ」 女中達は裾を上げて金だらひを叩くし、曲垣は必死に馬の腹を撫でたり叩いたり――インド人が立上つて 「ビイトロ」 と叫ぶが、象が、前脚を折つて、将軍へ頭を下げる。どつと起る鬨の声、秀忠が、さつと、扇を開いて 「叩け叩け曲垣しつかり」 がんがん、ぶうぶうとけたゝましい音と共に、象が安来節を踊り始めた。 「赤い旗出しや、一寸、止まる」 家臣は象を見たり、御殿女中の蹴出しを見たりしながら、感じ入つてしまつた。(増上寺起原一説) 増上寺起原一説(ぞうじょうじきげんいっせつ)は,直木三十五作.雑誌『週刊朝日』24巻6号に新作落語として掲載された.河野通勢の挿絵3枚. 【つけたし】 小説家の直木三十五[1891-1934]が一作だけ落語を残している.『週刊朝日』に掲載された「増上寺起原一説」がそれで,読んでみるとわかるように,いわゆる落語の口調ではないが,不思議な面白さがある.桂米朝が,雑誌『落語』2号に,「直木三十五の落語」と題して寄稿している.そこでは具体的なタイトルが書かれていなかったが,この作品を記憶していたもの.写真は,直木三十五が育った大阪谷町にある直木三十五記念館の様子.原稿や東京の旧居の遺物が飾られている.増上寺起原一説についても,右端のウインドウに飾られていた.余談だが,芸界を描いて直木賞を受賞したのは,1963年下半期の安藤鶴夫『巷談本牧亭』,1974年上半期の藤本義一『鬼の詩』,1984年上半期の難波利三『てんのじ村』がある. ほんものの象が将軍に献上されたのは,八代将軍吉宗公,享保年間のことだった.物珍しかった象も巨体をもてあますようになった.しまいには,中野の百姓に払い下げられ,死んで中野宝仙寺に葬られた.ナウマン象の骨ならば,長野の野尻湖や北海道の忠類など,日本各地で発掘されている."赤い小袖に迷わぬ者は,木仏金仏石ぼとけ.千里行くよなあの汽車でさえ,赤い旗出しゃちょっと止まる"は,桂米朝の「亀佐」で,滑稽な節談説教の文句に出てくる.ようお詣り. |
213 三遊亭金馬,円タク,講談倶楽部,23(1),204-209 (1933) |
【あらすじ】 銀ブラの帰りに,向島の先まで帰ろうと円タクを拾い,半額の50銭で走り出した.安いのも当然,ドアが半分あいていて風が吹きこんでくる.客は中腰で細引きをつかんで,振り落とされないようにがんばる.くたびれてきて背中を伸ばそうとすると,「お客さん,頭があたると屋根が抜けるよ」と運転手が止めた.「じゃあ,後ろに寄っかかっちゃだめかい」「それは勝手ですが,後ろの羽目が腐ってるから,腰かけごとでんぐり返ることは確かです」「それでよく間違いを起こさないねえ」「昨日は芝口でブレーキが利かなくなって,安全地帯に乗り上げました」「客に間違いはなかったかい」「キャーって声がしたから,後ろの車の下敷きになったらしいね.ボンヤリしていた客の自業自得で」 「もう沢山だ.降りるよ.ここはどこだい」「牛込の矢来で」「銀座から向島へ行くのに,矢来へ来てどうするんだい」「私も初めてで.向島へはどう行くんですか」「しようがねえな.今度はおれのいう通りに行くんだぜ.ここをまっすぐに行くと橋がある,それが江戸川橋だ.橋の手前を右へ曲がると,江戸川べりだ.突きあたってすぐ左へ上がると安藤坂だ.上がりきると正面が伝通院だ.右へ曲がって富坂をおりて,春日町,向富坂を上って真砂町,本郷三丁目から切通し,上野広小路を越して厩橋,左へ折れて駒形よ.吾妻橋を渡って,左へ曲がって,サッポロビールを右に見て枕橋を渡れば,目をつぶっていても向島だ」「ヘエー,それほど知っているなら,あなた運転してください」 【ひとこと】 ○「そんな具合ぢや風でも吹いた時にや、稼業(しょうばい)はお休みだね」 運「どういたしまして、少しぐらゐの風なら運転しながら、片手で屋根を押へてゐます」 ○「ナール程、暴風雨(あらし)の時にはお休みだらう」 運「よく休みたがるね、貴下(あなた)ッてえ人は――暴風雨の時だつて何でもありません。友達に落語家(はなしか)があつて、そいつから貰つた古い幟で頭から頬被(ほっかぶ)りをさせます」(円タク) 円タク(えんたく)は,三遊亭金馬(3)演.雑誌『講談倶楽部』23巻1号に掲載された.川原久仁於の挿絵4枚. 【つけたし】 このページで紹介した「禁酒運動」の作者である桂小春團治(1)も,「円タク」という落語を創っている.金馬の「円タク」とは別の噺で,東西2つの「円タク」に関連はない.市内一円を1円の定額で走った円タク(写真.江戸東京博物館)を知る人がいなくなった今,どちらの噺も演じられるはずもない.参考までに小春團治の「円タク」の筋立てを書いてみる. 上方落語の「住吉駕籠」と同じく,スカタンの助手が主人公になる.最初に引っ張ってきた客は女性の相乗り.鼻の下を伸ばして請け負うと,市内をぐるぐると回った揚げ句に50銭.運転手にカスを喰う.2人目は自殺志願者らしく,築港の桟橋だの長柄墓地だのと,寂しい場所ばかり行きたがる.というので1銭にもならず.3組目のアベックは住吉まで言い値で乗る上客.ところが車内で痴話喧嘩が始まり,あてられた運転手は,無賃でいいからと途中で降りてもらう.実はそれがタダ乗りしようという客の作戦だった. 東京の方は,銀座から向島の先まで半タクの50銭で乗ったが,車がボロボロで話にならない.この部分をふくらませたのが,三遊亭円歌(2)が得意にしていた「ボロタク」になる.「円タク」の客が指示したルート,今でもその通りに行ける.実にごもっとも,これならライドシェアで小遣い稼ぎができる. |
214 松浦泉三郎,エア・ガール,日の出,3(5)附録,64-70 (1934) |
【あらすじ】 若旦那と取り巻きの留が飛行機に乗っている.留の方は初めての飛行機がこわくて,女房と水杯をかわし,できるだけ身軽にしようと薄着でやってきた.「それよりも女房が心配しているのは,エア・ガールのこと.狭い機内で浮気性のあんたと若い女が一緒でしょ,こんなに私が好きなあんただから,ほかの女だって好きにならないと限らないし…….若旦那の前だがどうしてアタシはこうも女の子に騒がれるのかと……」「おい,殴るよ」「たとえ火の雨槍の雨,♪月が四角に照ったとて〜」「…………」「あれ,若旦那.どこかに落ちたかな」「あの,お連れの方はトワレへ」「えっ.飛ばれちゃったんですか」「いえ.ご不浄のことで」「さすが飛行機.便所が"飛ばれ"なら,洗面所はプロペラかなんかで……」「ほほほ.面白いこと.アタシ,貴方のような朗らかな人大好き.貴方のお名前は?」「留と申します」「トムなんてちょっといいわね.近代の恋愛について考えたことがあって?」「弔いの蓮台なら担いだことがあります」.なぜかとんとん拍子に話が進み,今の女房を追い出して結婚するところまで進展した. 「ご注意願います.着陸いたします」.降りたらさっそく結婚しようと迫ると,「貴方何か考え違いじゃございませんか」「じゃあさっきの話は」.エア・ガールにっこり笑って,「みんな空事です」 【ひとこと】 ヘッヘッ……。人間の運なんて判らねえもんだなんな。空中結婚なんざァ嬉しいね。何しろ相手はモダン・ガールだ。かうなるッてえと俺も万事西洋流でいかなくちやァいけねえな。赤い屋根の家なんかに納まつて、朝はパンに牛乳だ。あれがかう、ハート型のエプロンかなんか掛けやがつて、パンが焼けたわよ……てなことをいふ。するッてえと俺が、籐椅子かなんかに腰かけて、俺はパンよりレエスカレーがいゝな……なんかと……(エア・ガール) エア・ガール(えあがーる)は,松浦泉三郎(泉朗々)作.近藤日出造の挿絵2枚.雑誌『日の出』3巻5号の附録『昭和新落語集』に掲載された. 【つけたし】 新潮社の総合雑誌『日の出』には,附録がつくことがあった.漫談集や諸芸を合わせたものはあるが,落語オンリーの附録は『昭和新落語集』一冊だけ.落語作家の松浦泉三郎[1905-1982]ほか,江戸考証家の矢田挿雲,利殖研究家の谷孫六など各界著名人が自作の新作落語を持ち寄っている.既存の落語へ一石を投じるような気概で編まれたはずなのに,それと対照的な表紙絵がいい.勤め帰りにネクタイを締めたまま盆踊りの輪に加わる男性と,それを笑顔で迎え入れる和装の女性が描かれている.屋台では,録音ではなく三味線太鼓の生演奏が音頭を盛り上げている. 「エア・ガール」は,今のキャビンアテンダント(女性)のこと.当時は,ガソリン・ガールとかデパート・ガールとか,職業婦人をガール付けで呼ぶのが流行った.先端の職業を取り上げていながら,サゲは「羽衣」と同じ,"そらっこと"で逃げている. |
215 桂米丸,老稚園,キング,16(10),298-301 (1940) |
【あらすじ】 お嫁さんが来て,お姑さんが家にいるのが面白くないというのは申し訳ないことで.60歳以上の老人は,みんな老稚園に入ることになった.いちにち体操だ,唱歌だとやって,がっかりして帰ってきたら,もう御飯を食べたら寝てしまう.そうすれば,留守にどんなことがあってもわからない.お爺さんは紺サージの小学生服にランドセル,お婆さんはセーラー服にゴム靴はいて,口もバクバク,足もバクバク,壊れたがま口みたいなもので. 「今日は,65歳になった親父を老稚園に入れるにあたり,話をうかがいたいので」「体操は兵式体操,一列にならんで前の人の肩をもむ按摩の体操です.唱歌は肺にいいので毎日やります.楽器は和楽器で老謡(ろうよう)を歌います.先生はみんな子供です.子供に優しくしてもらうのが,一番老人にとって楽しみですので」.みんなが老謡を歌っている.♪お手々つないで,お寺へ行けば,みんな可愛いお数珠を持って…….「あのお婆さんは手を挙げませんね」「そう,リューマチですから」♪モシモシうちのお爺さん,世界のうちでお前ほど,頭の古い者はない…….「先生,おしっこ」「では行ってらっしゃい」 「みなさん子供のように可愛いですね.うちのお爺さんは食い気一方で,いまお腹をこわしています.治ってからうかがいましょう」「それなら歌がうまくなると,腹具合はよくなりますよ」「へえ,そうですか」「唱歌[消化]をよくすれば,胃腸は治ってしまいます」 【ひとこと】 「試験科目は、算数に読方に唱歌、一通りありますが……」 「算術をやるんですか、うちの親爺は何しろ昔の職人で、計算の方は……」 「御心配になることはありません。一に二を足す三の程度です」 「そんなことならば出来ます」 「余りやると老人は疲れますから、算術は月に三日です」 「エッ月に三日―― 一週ぢやないんですか」 「イエ月です。朔日、十五日、二十八日です」 「アヽ成程、おさんじつか」(老稚園) 老稚園(ろうちえん)は,桂米丸(3)(古今亭今輔(5))演,宮尾しげをの挿絵4枚.雑誌『キング』16巻10号に掲載された.『昭和戦前傑作落語全集』第6巻に再録されている. 【つけたし】 米丸時代の古今亭今輔自作の新作落語.昭和4年に作った最初の作品だとある.『文芸倶楽部』にある「老年学校」に手を加えたのだという(前掲書,矢野誠一解説).『講談倶楽部』に鶯亭金升の「老稚園」という同名の新作落語が載っているが,こちらは,手水鉢に入れ歯を忘れたというサゲの別話.「老稚園」は客の受けもよく,気に入った噺だったが,戦後になって,実際に老人施設で,草津節にのせて体操をさせられている姿を見て以来,この作品を演じなくなったという(聞書き古今亭今輔). 新作落語の闘将,5代目古今亭今輔[1898-1976]は,群馬県境町の銘仙織り元の家に生まれる.家出同然で東京のデパートに勤めて,銘仙売り場に配属された.ある日,客に銘仙が純絹製かと聞かれたので,正直に交織と答えた.何でも純絹と言えと,番頭に叱責されたのが我慢できず,給料ももらわず退職した.落語家としては,はじめ三遊亭圓右(1)に師事したが,息子(のちの圓右(2))の横暴に耐えかね,師匠を"逆破門"した.などなど,硬骨漢のエピソードには事欠かない.こんな性格のせいで,周囲とぶつかることも多かったが,三遊亭一朝老人には気に入られ,みっちりと落語の稽古をつけてもらった.人からも上州なまりを指摘され,本人もそれを気に病み,新作落語に活路を求めた,特に「老稚園」からはじまるお婆さん落語は,今輔落語を方向づけることになった.頑固なのは一面で,他方で人情味に篤く,弟子には同じ苦労をさせまいと気づかいを見せたり,落語作家になみなみならぬ敬意を示したりしている.作品集に,得意のお婆さん落語を集めた『今輔・おばあさん衆』(東峰出版 (1973))と『今輔の落語』(土屋書店 (1967))の2冊がある.買ってくれる人に失礼だからと,2冊で重複するネタはない.こんなところも一本筋が通っている. |
216 柳家金語楼,箱根山,冨士,13(11),180-186 (1940) |
【あらすじ】 軍需景気で熟練工の賃金が上がり,貰いつけない金を持った一家が,一週間の休みをもらった.「それなら偉い人の行くところへ行こう.歌舞伎座で活動を見るとか,帝劇で漫才を聞くとか」.それなら,箱根山の温泉旅行がいいと意見がまとまった.「いいぞ.汽車は二等だ.寝台か何かで寝ているうちに箱根山の頂上に着く.見晴らしのいい部屋で,温泉に入りながらビールでも飲んで……」 派手な格好に着替え,荷物が少ないと宿屋に馬鹿にされるからと,抱えきれないほど荷物を持って,東京駅に乗りつけた.赤帽に箱根山への切符を買ってこさせると,知らない奥様が紙切れを渡してきた.二等列車に乗ると,自分たちが浮いていて,周りの視線が冷たい.それなら,言葉を丁寧にしようとなった.自分のことを「身どもは」と言ったり,せがれの金坊は「お腹がすいてもひもじゅうない」と千松みたいになってしまう.「パパ.ホテルへ着いたらサンドイッチを食したいです」「うめえうめえ」「ねえ,ママー」「おう,なんでえ」「父ちゃん,パパとママと両方やるのかい.今が旅行に一番いいシーズンでありますねえ」「そうだ.旅行はこの,シーズンに限るぞよ」.お筆先みたい. 洋風ホテルでは,寝床が敷きっぱなしなのに驚き,寝て入るバスタブでは肩までつかれないとボーイに文句を言う.熱いお湯が止まらず,自分でかけた浴室の鍵があかなくなり,蒸し殺されそうになる.二日もたつと,牛肉や玉子ばかりの食事にあきあきして,畳の上で足を伸ばして茶漬けが食べたくてしかたがない. もうこりごりだと家に戻って,服を脱ぐと,ポケットから紙切れが出てきた ― 時局をわきまえ,無益な浪費はつつしみましょう ―.「本当だねぇ.早く読んでいたら窮屈な思いをして,人に笑われなかったのにねえ.贅沢したって面白くもなんともない」「まったくだ.働くのがいちばん面白い.おう,お前,素足になるのか」「もう足袋[旅]にはこりごりしました」 【ひとこと】 「時に何かねえ運ちゃん、今から乗つたら箱根山へは明日着くかね。」 「箱根山……」 「さうだよ。箱根山の温泉へ行くんだ。」 「ハー、箱根の温泉といふと、強羅ですか、宮ノ下、塔ノ沢……」 「何を言つてるんだ。箱根山だよ。甲羅だの棒の沢なんて、そんな処(とこ)へ行くんぢやァない。」「お待遠様、東京駅です。」 「オット御苦労,サアこりやァ祝儀(チップ)だ。オーイ、赤帽赤帽。」 「ヘエ、どちら行きでございますか。」 「アヽ箱根山だ。」「箱根山……」 「アレッ、皆な箱根山てえと考へやがる。昔からある箱根山だよ。この頃無くなつたか。」(箱根山) 箱根山(はこねやま)は,柳家金語楼作・演.雑誌『冨士』13巻11号に掲載された.水島爾保布の挿絵4枚. 【つけたし】 柳家金語楼[1901-1972]は,新作落語を語る上で欠かせない人物.自らの軍隊体験を題材にした「兵隊落語」で爆発的人気を得た.新作を自作自演したほか,有崎勉のペンネームで多くの新作落語を落語家に提供した.その作品数は数百にのぼり,10冊以上の落語集を出版している.戦前には聚英閣から正岡容と共著で『あぢやらもくれん』(1928),実業之日本社から『拾万円の夢』(1936),講談社から『金語楼新作落語集』(1937),今日の問題社から『旦那と奥さん』(1938),『戦線みやげ』(1938),『看板むすめ』(1939),『見合ひ結婚』(1939),『花嫁列車』(1940),『成金の夢』(1941),『隣組の奥さん』(1941)などを出版している.戦後にも新風出版社から『金語楼落語全集』3巻に主要作がまとめられている.喜劇俳優に転向して自ら劇団を率いたり,映画にも進出し主演を張っている.戦後はテレビタレントとしてお茶の間の人気を得ており,常に第一線で活躍した.NHKの人気番組ジェスチャーのキャプテンとして,年齢を感じさせない軽快な動きを披露していた.注ぎ口が2つある急須などの珍発明家としても知られている. 「箱根山」は,表向きは浪費を戒める国策落語の体をとりながら,徹底的に面白い爆笑作になっている.金語楼自身も自信作だったようで,「産業戦士」(花嫁列車),「親子連れ」(金語楼の落語),「箱根温泉行」「親子連れ」「奥さん御心配」三部作(隣組の奥さん),「箱根温泉」(名作落語三人選),「親子づれ」(講談倶楽部 (1940)),そしてこの『冨士』の速記と,繰り返し「箱根山」を演じている.軍需景気で持ちつけない金をもった工員一家が,こわごわ横目をつかいながら,見栄を張って上流社会に飛びこんでも浮きまくってしまう.こんな構図は,高級ホテルの会食でも,訪問先で突然ふるまわれたお茶席でも,初めて揚がった吉原の二階でも,あらゆる時代と場面で繰り返されてきた.自分も,バナナをナイフとフォークで食べる授業を受けたことがある.「本膳」の芋のように,悪ガキどもは悪戦苦闘した.時は流れ,食堂で前に座った外国人が定食を食べている.器用にナイフとフォークを使って味噌汁,おかずを順に食べ,残ったご飯は醤油をソースにしてぺろり.デザートにバナナがついていたら,どうしただろうか. |
217 野村無名庵,天のくら,冨士,14(3),288-292 (1941) |
【あらすじ】 「先生,運は天にあるというのは本当ですか」「なんだい,八っつぁん.雲をつかむような話だね」「いえ,運をつかもうというので.お店の旦那が職人衆を集めて,仕事がうまくいった祝儀に,国債,貯蓄債権,報国債券をくれたんで.運がよければ,1万円にもなるんだ.そしたら,旨いものを食って,かかあと温泉にでも行って……」「このご時世にそんな心得違いの了見なら,悪いが易を立てるまでもなく,債券は当たらないよ」「どこへ当たるか,人間の心がけは債券にわかりゃしまい」「運というのは,そういうものでない.自分のためでなく,善根を植えることだな.功徳を積んで天の蔵に宝を蓄えると,それが自然に自分に授かってくるんだ」「天の蔵…….天に蔵なんぞ見えないがねえ」「形のある蔵でないよ.公益優先,新体制らしい行いをすれば,自然と運もよくなるよ.まあ,お前さんの分は当たらないのは請け合うよ」「さようなら.面白くもねえ」 家に帰った八五郎は,さっそく報国債券の当たり番号を確認した.「九八七六五番.当たった!」「お前さん,本当かい」「易の先生の言ったことが当たった」.がっかりしているところに,吉さんがやってきた.「吉っさん,お前失業して困っているそうじゃねえか」「イヤ,縫いはくの金糸銀糸が使えないので,思いきって煙突の掃除屋になったんだ.そしたら,これがなかなか忙しいよ」「それはいいね」「ところで,ひとつ頼みがあるんだが,きいてくれないか.長屋にお為婆さんというのがいて,二年越しのわずらい.自分の母親のつもりで,医者にかけたり薬を飲ませたら,だんだんとよくなってきて,今は小商売の一つもできるようになった」「そりゃ,よかったな」「婆さんが恩になった礼がわりにと,報国債券を無理に押しつけてきたんだ.俺は年中出歩いているので,これを預かってもらおうと思ってさ」「俺のところにも旦那からもらった債券があるから,一緒に預かっておこう.番号は何番だい」「番号なんぞ見てもいなかった.えーと,九八七六五番だ」「ウーン」「アラ,うちの人が引きつけちゃったよ」 「易者の先生の言ったことに間違いはないなあ.婆さんの面倒を見てやった善根ってやつが廻ってきたんだ.吉っさん,その金をどうするんだい」「俺はこうして働いていれば生活には困らないから,公債を買うなり,献金を納めたいと思う」「マア吉っさん,お前さんという人は,本当に見上げた人だねえ」「見上げるわけだ.吉っさんの商売は煙突掃除」 【ひとこと】 「唯今旦那から今はどういふ時だといふお尋ねでございましたが、今は何しろ寒もあけてこれから段々に暖かに向い、やがて花も咲かうといふ、つまり春先だと思ひますといつたら、旦那を始め一同(みんな)が吹出したね。」 「当り前だ。」 「旦那がいふには、ハヽヽその時を聞いてゐるのではない。現在(いま)は非常時の中(うち)にもとりわけて、お互ひが一心に、国防国家を建設しなくてはならない大切(だいじ)な時だ」(天のくら) 天のくら(てんのくら)は,野村無名庵原作,三遊亭金馬(3)演.河原久仁於の挿絵4枚.雑誌『冨士』14巻3号に掲載された. 【つけたし】 しばらく国策落語がつづく.【あらすじ】には省略したが,世田谷の松陰神社に奉納した燈籠が,関東大震災で全部倒れた中,乃木将軍の奉納した燈籠だけが倒れなかった.誠の精神がこもったものは神意にかなうというエピソードも盛り込まれている.日露戦争を勝利に導いた乃木希典は,明治天皇の大喪にあたり,夫妻で自刃した.乃木神社に軍神として祀られている.隣りあう旧乃木邸には,厩などが残っている.もっとも非落語的人物ではあるものの,報国債券やら貯蓄債権といった軍費捻出キャンペーンとは相性がいい.金糸銀糸を使ったぜいたくな縫箔の和装づくりができなくなった吉さんは,煙突掃除として真っ黒になって働いた.煙突を掃除しないと,釜が壊れたり,たまったススに火がついて爆発したりする.釜が損じちゃ,銭湯はあがったり.写真のようにブラシと錘で無人化すれば,煙突小僧煤之助の出番はなくなる.代わりにできるのが権助の髪型,大砲の筒払いだ.やっぱり戦争から離れられない. 作者の野村無名庵(のむらむめいあん)[1888-1945]は,演芸記者のかたわら,落語創作や『本町話人伝』『落語通談』を著した.「八景すみだ川」「怪談月の笠森」などの人情噺の翻案小説,「殴られ屋」「満点女房」「製人会社」や,本名の野村元基名義で「デパート時代」「告知板」などの落語作品が残っている.講談落語協会の顧問を務め,時局にそぐわない禁演落語の制定にあたった.惜しくも1945年5月の東京大空襲で亡くなった.戦後まで生きていたら,どんな作品を書いたのだろうか. |
218 春風亭柳橋,隣組,花形落語家名作集,昭和書房 (1942) |
【あらすじ】 戦局の進展とともに隣組の責任はますます重要になってきている.先ごろの米軍機のよたよた空襲の時のように,いざという時には隣組員は活躍できるわけでして. 「大家さん大変だ.お袋が腹が痛くてひっくり返った」「そうか.医者に行くなら早くしな.留守は誰がみているんだ」「猫の玉公だ」「病人を一人にする奴があるか.お向かいには佐伯さんの屋敷があるじゃないか」「あんなお屋敷へは頼めませんよ.書生がいて女中がいて婆やがいてブルドックがいて……」「じれったいな.隣組だ,遠慮はいらない」「頼めば何かくれますか.アレコレ味噌醤油……」「それは唄の文句だ.佐伯さんの裏口から入って大声で言うんだ.お互いに助け合うのが隣組だ.相互扶助の気持ちで,しっかり銃後を固めてゆくんだ.隣組の精神がわからねえ奴は日本人とは言わせねえ.成都でも昆明でも行っちまえ」「大家さん,あたし一人で言うんですか」 とにかく見舞ってやろうと,大家が与太郎の家に戻ると,中に女の人がいる.「与太郎や,もうお医者様はいいよ.このお嬢さんにお薬をもらって介抱してもらったから」「手前はこの家の家主でございます.して,貴方はどちらの……」「あたしは,佐伯の長女です」「大家さん,さっきの啖呵を言ってみようか」.聞けば,隣組として当然のことをしただけ,手元が不如意そうなので,お薬代まで立て替えてくれていた.「与太,このご恩を忘れちゃいけねえぞ」「わかったか」「それは俺の言うことだ」「立て替えました」「そんなことは立て替えなくていいよ」「じゃあ,お茶を買いに行くから,お茶の代を立て替えてください」「どうぞ,お構い下さいませんで.今日はこれで失礼させていただきます」 隣組はありがたいと,大家はひどく感心した.「同じ隣組として黙っていられない.大家からも何か見舞いしよう.与太,何がいいんだ」「じゃあ大家さん.今月の家賃を隣組にしてください」 【ひとこと】 とにかく隣組てえものはさうしたものなんだ。いいか何事も今は、一人の為より全体の為、個人の為より国家の為、これが先でなくちやあいけねえ。他人くたばれわれ繁昌はいけねえ。米英流の自由主義、個人主義てえのは塵ッ端程でも日本人の腹ン中に残しといちやいけねえ。判るか?(隣組) 隣組(となりぐみ)は,春風亭柳橋(8)演.挿絵1枚.6人の競作『花形落語家名作集』に収められている. 【つけたし】 "アレコレ味噌醤油"は,1940年の流行歌「隣組」の2番の歌詞.岡本一平[1886-1948]の作詞.とんとんとんからりと隣組 あれこれ面倒味噌醤油 御飯の炊き方垣根越し 教えられたり教えたり.戦時下には,国民精神総動員運動や隣組制度がもうけられ,物的にも精神的にも国民の自由を奪った.隣組により,地域の団結,国策の徹底,経済統制がはかられ,隣人の相互監視の役割も果たした.まさに,"教えられたり教えたり"は,お互いを監視し,密告しあうことが裏の意味になっている. 『花形落語家名作集』には,当代の人気落語家,柳家金語楼,春風亭柳橋(6),三遊亭金馬(3),昔々亭桃太郎,蝶花楼馬楽(4),古今亭今輔(5)の6人の作品が載っている.春風亭柳橋先生は,日本芸術協会(現・落語芸術協会)の会長を40年を超える長きにわたって勤めた.戦地で戦う兵隊を思い,コショウをかけ過ぎたラーメンを泣きながら食べる「支那そば屋」が売り物だった.戦後の古典落語黄金期の名人芸や,今の新作落語の作品とくらべると,どうしても見劣りしてしまうが,大人の風格があり,当時の人気は絶大だった. |
219 今村信雄,牛の子,長屋討論会,労働文化社 (1946) |
【あらすじ】 新開地へ引っ越した兄貴を,弟分の梅が訪ねてきた.「よくここがわかったな.東京を焼け出されて,友達の家を泊まり歩いていたが,ようやくこの家を見つけたんだ」「ここは田んぼが近いから,食い物には不自由しないだろうな」「それが大違い.遠くの者ならヤミの値段で売れるが,近所じゃそうもいかないってんで,売ってくれねえんだ」「じゃあ,兄貴,野菜をこしらえてるのかい」「それじゃ今年には間に合わねえ」「それにしては,色つやがいいぜ」「東京と違って空気もいいが,実はいいものを飲んでるんだ」 聞けば,近所の豪農から牛乳を手に入れているという.牛を飼っている家に行って,そら涙を流しながら,「毎晩,夢枕に死んだ母親が出てきて,前世の悪業のため牛に生まれ変わってしまった.それにつけても忘れられないのはお前のことだ」と話したんだ.その爺さんがいい人で,「そりゃ親孝行な人だ.どれがおっ母さんかわかるか」と言うから,乳のよく出そうな牛に近づいたら,牛が俺のおでこをベロベロなめはじめた.「親子は争えないもんだ.ゆっくり対面しろや」と言って,爺さんは母家に戻っていった.そのスキにバケツにいっぱい乳をしぼって持ってかえったという訳だ.「どうしておでこをなめたのかって.それは,秦の始皇帝のいわれにならって,塩水をおでこに塗っておいたんだ」 梅の方も別の農家を教わって,牛乳をせしめようとした.「そうかいそうかい,会ってくるがいい.人間と牛の親子対面とは話の種だ.おらも見せてもらうべえ」.大きな牛を選んで近づくと,「そいつは気が荒いだから,角にかけられないように気をつけろや」「お懐かしゅうございます.おっ母さん」「お前さん,その牛は違うべえ.そいつは牡だよ」「エエッ.牡…….これはお父さんの方でした」 【ひとこと】 ×「誰だね」 ○「エー私はその牛の子なんで」 ×「何だつて」 ○「始めつからお話をしなけりやァ分りませんが、マ、一通りお聞きなされて下さいませ」 ×「何だか知らねえが、変な人が入つて来たな」 ○「エー私はその三歳の時に、両親に死別れました」 ×「そりやァ気の毒だな」 ○「処が其の母親が此の七日ばかり私の夢枕に立ちましたんで」 ×「ヘエー」 ○「前世の悪業で牛に生れ変つて難儀をしてゐると云ふんで」 ×「前世の悪業といふと、何か悪い事でもしたかね」 ○「悪い事と云つて、別段大した事もしねえやうだつたが、さうだ、牛に生れ変つたんだから、多分何でせう、余り嫉妬(やきもち)をやいたんでせう」 ×「成程、それで角が生へたか、ハッハッハ、面白い事を云ふ人だね」(牛の子) 牛の子(うしのこ)は,今村信雄作.今村信雄の個人作品集に収められている. 【つけたし】 今村信雄[1894-1959]は,演芸評論家,速記者として知られる.騒人社の『名作落語全集』12冊,楽々社の『落語選集』6冊は,今村信雄の手になる.今村次郎[1868-1937]の息子で,親子ともども速記大家として東京の講談落語界を牛耳っていた.当時は演者よりも速記者の方が上位であり,速記者宅に演者が足を運び,速記を取ってもらうことがほとんどであった.速記者の機嫌を損ねてしまっては,落語を雑誌に載せることができなくなってしまう.大正2年に講談社が『講談倶楽部』に浪花節十八番と題する特集号を組んだときには,講談師が同誌をボイコットする動きを見せた.今村次郎が代表して今後は講談速記を提供しないと通告した.一方の野間清治率いる講談社側は,"新講談を勃興させよ"のスローガンのもと,新人作家を登用して講談風の読み物(書き講談)をどしどし掲載して対抗した.この浪曲問題,信義・メンツ・金銭がからみ,双方に言い分があるようで,どちらかに非があると一方的には言えない.ともかく,結果として,講談師による旧来のネタから大衆小説への流れを加速することになった. 『長屋討論会』は戦後まもなく出版された個人集.戦中の用紙統制から先,まともな落語速記が雑誌に載ることはなくなっていたが,その傾向は戦後も続いていた.その中で,この『長屋討論会』と雑誌『新演芸』(1946-49)は,かたや新作,かたや古典と,目指す方向は違っているが,戦中からのよどんだ落語出版界の空気を入れ換えようとする意気込みを感じさせてくれる. 「牛の子」は『落語事典』では古典落語扱いされている.明治時代にできた噺で,入船亭扇橋が演じていたものを今村信雄がアレンジしたとある.仏罰があたって馬にされた坊さんが出てくる「仏馬」という古典落語にも味わいが似ているが,戦後の食糧不足の世相を時代背景にとっており,いかにも新作らしくなっている.物のない当時は,列があると習慣でならんでしまい,知らない仏様の焼香をしたといったマクラがあったりした.食糧配給制度の名残りに,米穀通帳というものがあった.しだいに有名無実化していったが,米余りが社会問題になった1982年まで,米を買うときには米穀通帳を提示する必要があった.長く身分証明書としても使われていたため,自分もタンスの奥にしまってあった米穀通帳を目にしたことがある. |
220 鈴木みちを,取次電話,新作艶笑落語,日本文芸社 (1967) |
【あらすじ】 電話の呼び出しが引きも切らないので,さすがに人のよい夫婦も我慢がならなくなってきた.「洗濯していると電話.洗濯,電話,洗濯,電話.まるで循環小数,割り切れないわ」.とうとう,遠く離れた家まで呼び出しがかかった.「こっちは呼び出しのために電話を引いているんじゃない.だいいち,菅原なんて人間しらんよ」「知らないって言うけど,相手の名刺にちゃんと下谷の4770番と刷ってあるじゃねえか」「そういう馬鹿者はダンゼン呼び出さん」「いやならよせ.その代わり,こっちは一晩中電話かけて寝かさないからな.バカッ」「何をっ.昼間ぐっすり寝とくからなっ.バカバカッ」 近所に越してきた女性が電話を借りに来た.「モシモシ,三十六火災保険でらっしゃいますか.2階で事務をとっている近藤をお願いします」.仕事中の恋人を呼び出すと,長々しゃべり続けた.「モシモシ,三日ばかり前に銀座でいっしょにいた人だれ? お母さん? バカ,お母さんが赤いネッカチーフ持ってるはずないじゃないの.妹? 妹なんていないじゃない.解消? いいわ,別れてあげる,解消するわ.復讐するから覚えておいて…….くやしーい」.電話賃も置かず行ってしまった.「たいへんなヒステリーね.あんないい女でも,あんなことで解消になるかしら」「先の相手が火災保険じゃないか.あんなに妬[焼]やかれる奴は断るよ」 【ひとこと】 山本さんてお宅、下谷四七七〇番、下谷四七七〇番、ううン、店じゃないの、しもたやさん、とっても皆さま感じのいい方、ここならだいじょうぶよ。朝早くったって夜おそくったってきっと呼んでくださる気がねのなさそうな家なのよ。ねえモシモシ、ねえ、ちょっと寄ってもらいたいの。話がある、用があるのよ。ねえお願い、ねえちょっとでいいから、なに、だめ、だめ、だめッ、なにいってンのよ、あたしがいうと、きっとあなたそんなこというのね(情けは人の為ならず) 情けは人の為ならず(なさけわひとのためならず)は,取次電話(とりつぎでんわ)が本題.鈴木みちを作.カットとも挿絵3枚(松沢さとし).6人の落語作家の作品を集めた『新作艶笑落語』に収められている. 【つけたし】 写真は,手回し式の呼び出し電話.四国の八栗ケーブルカーを下りたところに,タクシーを呼び出すために置かれていた.本来の呼び出し電話は,これではなく,電話を引いていない家が隣家の電話を使わせてもらうこと.学校の連絡網では,電話番号の脇に(呼)とついていて,肩身の狭い思いをした.猛者になれば,名刺に堂々と(呼)と電話番号を書いたとか. 「取次電話」(呼び出し電話)は,2代目三遊亭円歌[1890-1964]の十八番で,三遊亭金馬(3)[1894-1964]からゆずられた物とされている(『昭和戦前傑作落語全集』第6巻解説,『古今東西落語家事典』).たしかに,1939年の『キング』15巻6号に金馬の速記が載っている.実は,どうも違っているらしい.『新作艶笑落語』は,装丁や編集を見る限り,当時の落語ブームに乗ったお手軽な企画ものにしか見えない.巻末に記された「取次電話」にしても,本文中では「情けは人の為ならず」と題している.ほかの有名作では,「お妾税」が「002号を襲撃せよ」とか,「浮気の泡」が「かあちゃん・かんべんな」だったりと,いかにも受け狙いの編集が透けて見える.とはいうものの,編者名が桂米丸(4),推薦文と作品提供が古今亭今輔(5),ほかにも珊瑚重吾,鈴木みちを,高木純,田部あきら,森英郎と当時を代表する演芸作家の名前がならんでいる.巻末のクレジットが偽りだとは思えない.『新作艶笑落語』に収められた「取次電話」の速記は,円歌の『落語名作全集』(普通社 (1960))とそっくりそのもの.むしろ,演者の円歌(2)が,原作をきっちりと演じていたとしか考えられない.律儀ものの今輔ならば,収録作品には必ず作者名を付しているのだが. 落語作家の鈴木みちを[1904-?]は,戦前から新作落語を演者に提供していた.ラジオや寄席での掛け捨て作品も多かっただろう.その作品の全貌と同様に,没年は見つけることができなかった.せめてもの氏の顕彰のため,管見の限りだが鈴木みちを作品を列記したい.「海女」「うしろ女房」「円タクの恋」「お江戸日本橋」「オーバー息子」「お妾税」「笠地蔵」「風屋」「社長の電話」「千人聟」「千慮の一失」「空飛ぶ円盤」「ダイヤモンド」「タクシー時代」「取次電話」「日曜社長」「美人病」「表札」「夫婦相場」「未亡人商売」「臨時社長」. |
221 桂右女助,出札口,口演音源 (昭和40年代か) |
【あらすじ】 東京駅の出札口に現れた男,自分の目的地を忘れてしまった.「いったんお宅に帰って思い出したらいかがですか」「そうはいかないんだよ」「東京に住んでないんですか」「東京だが遠いんだよ.夜行に乗って……」「東京にそんなとこはありません」「それがあるんだ.大島だよ」 駅員はやむなく,東海道本線の駅名を,有楽町,新橋,浜松町,田町と順に唱えていった.ところが,ぜんぜん目的地が出てこない.とうとう大阪,博多をこえて,鹿児島までの全駅名を唱えてしまった.「鹿児島本線それで終わりです.その先は台湾ですよ」「じゃ,反対側かな? 東北本線,いっちょう行こう!」.上野,鶯谷,日暮里,田端……,仙台……青森.「青森じゃないんですか.東北本線それで終わりです」「その先をずうっと」「また海を越えて北海道ですよ……」.函館,五稜郭,桔梗……札幌と,とうとう稚内まで唱えてしまった.「これ以上細かく言うのには,あとは東京の隣の神田から言うより手がないんですから」「わ,その神田1枚」 【ひとこと】 「それじゃ,端から順に,有楽町ですか」 「有楽町じゃねえんです」 「新橋ですか」 「新橋じゃねえんです」 「浜松町,田町,品川,大井町,大森,蒲田,川崎,鶴見,新子安,東神奈川,横浜,保土ケ谷,戸塚,大船,藤沢,辻堂,茅ケ崎,平塚,大磯,二宮,国府津,鴨宮,小田原,早川,根府川,真鶴,湯河原,熱海,函南,三島,沼津,原,東田子の浦,吉原,富士,岩淵,蒲原,由比,興津,袖師,清水,草薙,静岡.用宗,焼津,藤枝,島田,金谷,菊川,掛川,袋井,磐田,天竜川,浜松.高塚,舞阪,弁天島,新居町,鷲津,新所原,二川,豊橋,西小坂井,愛知御津,三河大塚,三河三谷,蒲郡,幸田,岡崎,安城,刈谷,大府,共和,大高,笠寺,熱田,名古屋.名古屋ぁ.枇杷島,清洲,稲沢,尾張一宮,木曾川,岐阜,穂積,大垣,垂井,関ケ原,柏原,近江長岡,醒ケ井,米原.彦根,河瀬,稲枝,能登川,安土,近江八幡,篠原,野洲,守山,草津,石山,膳所,大津,山科,京都.西大路,向日町,神足,山崎,高槻,摂津富田,茨木,千里丘,岸辺,吹田,東淀川,大阪.大阪ぁ.塚本,尼崎,立花,甲子園口,西ノ宮,芦屋,摂津本山,住吉,六甲道,灘,三ノ宮,元町,神戸ぇ.神戸じゃないんすか」 「あのー,神戸じゃないんですが……」 「東海道はそれで終わりです」 (中略) 「兵庫,新長田,鷹取,須磨,塩屋,垂水,舞子,明石,西明石,大久保,土山,加古川,宝殿,曽根,御着,姫路,英賀保,網干,竜野,相生,有年,上郡,三石,吉永,和気,熊山,万富,瀬戸,西大寺,岡山.庭瀬,中庄,倉敷,西阿知,玉島,金光,鴨方,里庄,笠岡,大門,福山,備後赤坂,松永,尾道,糸崎,三原,本郷,河内,入野,白市,西高屋,西条,八本松,瀬野,安芸中野,海田市,向洋,広島.横川,己斐,五日市,廿日市,宮島口,大野浦,玖波,大竹,岩国,藤生,通津,由宇,神代,大畠,柳井港,柳井,田布施,岩田,島田,光,下松,櫛ケ浜,徳山,周防富田,福川,戸田,富海,三田尻,大道,四辻,小郡,嘉川,本由良,厚東,西宇部,小野田,厚狭,埴生,小月,長府,長門一ノ宮,幡生,下関.下関ぃ.下関じゃないんすか」 (中略) 「いよいよ海を渡りますか.では,九州へ行きます.門司,小倉,戸畑,枝光,八幡,黒崎,折尾,遠賀川,海老津,赤間,東郷,福間,古賀,筑前新宮,香椎,箱崎,吉塚,博多.竹下,雑餉隈,水城,二日市,原田,基山,田代,鳥栖,肥前旭,久留米,荒木,西牟田,羽犬塚,船小屋,瀬高,南瀬高,渡瀬,銀水,大牟田,荒尾,南荒尾,長洲,大野下,玉名,肥後伊倉,木葉,植木,西里,上熊本,熊本.川尻,宇土,松橋,小川,有佐,千丁,八代,肥後高田,日奈久,肥後二見,肥後田浦,新田浦,佐敷,湯浦,津奈木,水俣,袋,米ノ津,出水,西出水,高尾野,野田郷,折口,阿久根,牛ノ浜,薩摩大川,西方,薩摩高城,草道,上川内,川内,隈之城,木場茶屋,串木野,市来,湯之元,東市来,伊集院,薩摩松元,上伊集院,西鹿児島.鹿児島ぁ」(出札口) 出札口(しゅっさつぐち)は,桂右女助演.速記は残っていない.口演音源から書き起こした. 【つけたし】 「出札口」で売った三遊亭右女助[1925-2007]だが,その速記はない.『新作落語英会話』という,落語ともエッセイともつかない本に「出札口」が載っている.英語のうんちくの合間に,東京駅から鹿児島までの駅名が羅列されている.どこまで駅名を並べるかは,寄席の持ち時間によるらしく,『新作落語英会話』にあるように鹿児島で切ることもあれば,さらに東北本線をたどって稚内まで行くバージョンもある.鹿児島で終える場合,東海道本線の列車が東京の次に新橋,品川と停まるため,通過する有楽町駅に行きたかったでサゲられる.稚内まで行く場合,東北本線の始発駅である上野から言い立てが始まるので,東京−上野間の神田駅に行きたかったでサゲられる.なかなか巧みな伏線のある噺だ. 話の途中,客が東京の出身だというので,いったん家に戻って目的地を調べてくるよう勧める駅員に対し,夜行に乗らねばならないから無理だと答えている.なぜなら,男は伊豆大島出身だからというのも,なかなか理屈っぽい.それならば,大島から出た船は竹芝桟橋に着いたはずなので,東京駅に現れるまでにすでに有楽町は通っているはだずと,理屈で返したい. 手元にあるフルバージョン音源(昭和40年代か)の言い立てでは,大阪駅の次の塚本駅が抜けていた.1961年に開業した南浦和駅が入っているのに対し,1962年防府と改称した三田尻(主要駅の一つ)が三田尻のままなのに,1966年に瀬高と改称した瀬高町駅をちゃんと"瀬高"と唱えているなど,細かく見てゆくと変な点が多い.いちいち改称に合わせていたんでは,噺のテンポが崩れるだろうし,かといって東京のお客さんに対して南浦和を入れないのはまずいと思ったのではないだろうか.それでは1971年に開業した西日暮里駅はどう対応したのだろうか.柳亭痴楽(4)の得意ネタ「恋の山手線」では,ニッポリ笑ったあと,無理やり西日暮里が追加されていた. 新幹線の建設がすすみ,並行在来線である東北本線や鹿児島本線の一部が3セク化されてしまった現在,「出札口」どおりに旅をすることはできなくなってしまった.肥薩おれんじ鉄道を間にはさんで鹿児島までの乗車券は,みどりの窓口で売ってくれない.北へ向かうルートも面倒だ.かつて運行されていた寝台特急北斗星やカシオペアを大宮駅から乗ったとすれば,落語と同じように在来線ルートをとることができる.しかし,これらの列車は早朝に青森駅を通過してしまうため,青函連絡船の代用の青函フェリーに乗ることができない.もはや切符を売ってもらえないのだから,「出札口」の命脈は絶たれてしまっている.「切符」(桂梅團治演)という新作は,「出札口」と同工異曲の落語で,大阪駅のみどりの窓口に現れた酔っ払いが,目的地を忘れ,東京までの駅名を係員に唱えさせている.「出札口」と違ってサゲはトリッキーではなく,大阪駅に現れたこと自体が単なる間違いだった. |
222 春風亭柳昇,南極探検,おもしろ落語グラフィティ,レオ企画 (1983) |
【あらすじ】 ご隠居さんを訪ねてきたホラさん.しばらく顔を見せないと思ったら,南極に行っていたという.南極探検の様子はというと…….観測船宗谷に乗りこんだ隊員は,シンガポールからインド洋に入り,赤道を越えると暴風雨に襲われた.そこで,八幡大菩薩に祈ると,嵐はピタリとやんだ.「ほう,すぐやんだのかい」「三日後……」.南極に近づくと,ペンギン鳥が空を飛んでいる.「ペンギンは空を飛ぶかい」「野生ですから」 南極の夏は夜がない.しかたないので昼飯ばかり食べていたので腹が減って腹が減って…….ところが冬になると今度は夜ばかり.晩飯ばかり食べていたので腹が減って腹が減って…….あるとき,奥地に探検に出かけたらライオンに出くわした.水戸黄門のセリフを言うとライオンはひれ伏した.あまりしおらしいので,酒を飲ませたら,とたんにライオンが虎になった.すると駆けるのが速いの速くないの.速いわけ,飲んだのが特急[特級]酒. 【ひとこと】 「そのうち、いよいよ赤道を越えると言う。私は赤道など見たことがないので、 『どれが赤道です?』 と、船長に聞いたら、 『あれですよ』 と、指をさして教えてくれたが、たいしたもんですね。青い海に赤い線がスーッ」(南極探検) 南極探検(なんきょくたんけん)は,春風亭柳昇作・演.柳昇の個人作品集に収められている. 【つけたし】 春風亭柳昇[1920-2003]の飄々とした語り口,開口一番,"私は春風亭柳昇と申しまして,大きなこと言うようですが,今や春風亭柳昇と言えば我が国では……私ひとりでございまして"のフレーズがなつかしい.生涯人気が衰えず,晩年には柳昇ガールと呼ばれる若い女性ファンに囲まれたりもした.太平洋戦争で機銃掃射により両手を撃たれ,生死の境をさまよったことは,自著『与太郎戦記』にも書かれている.腕をけがしたことで,落語を演じるうえで大事なシグサに影響が出たが,新作落語に活路を見つけた.芸にうるさい六代目圓生も,お国のために負傷した柳昇師には何も言えなかったという.林鳴平の筆名で新作落語を提供している.「扇風機」「日照権」「課長の犬」など,他愛もない軽い噺を楽しく聞かせてくれた.なかでも,「弥次郎」の改作,「南極探検」は,ナンセンスな魅力あふれる作品. 『おもしろ落語グラフィティ』には,昭和23年の「ランデブー」から,昭和57年の「カラオケ騒動」まで,12作品が収められている.「南極探検」は,昭和32年の作品とある.全編ギャグだくさんの爆笑編.ウソだらけの冒険譚を語るパターンは,「弥次郎」をベースにしている.砕氷船宗谷は,1962年まで南極観測船として活躍した.役目を終えた宗谷は,お台場の船の科学館に展示されている. |
223 小佐田定雄,ファミコン丁稚,よむらくご,弘文出版 (1997) |
【あらすじ】 息子のためにファミコンを買ったら,父親の方がはまってしまった.息子が学校に行っているスキに父親がチャレンジするのは,『船場の丁稚』というゲームソフト.画面には丁稚が現れて,店先を掃除している.主人のいいつけで出たお使いの途中,こっそり焼き芋を食べたらゲームオーバー.ご飯ができたと奥さんが呼んでいる.亭主の方は,コツをつかみかけたのでやめられない.首尾よく1面をクリアしたら,丁稚が手代にレベルアップして2面がはじまった.集金の帰り道,ばったり出会ったお嬢さんに誘われて駆け落ちするとゲームオーバー.お嬢さんや女郎屋の誘惑を振り切ってお店に戻れば2面クリア.せっかくのご飯が冷めてしまって,奥さんの怒りはますますひどくなる.3面では番頭に昇格している.花見船の支度ができたと幇間が迎えに来たが,これを振り切って走り出す.すると,幇間が扇子を投げて攻撃してきた.もう息子が帰ってくると,奥さんは旦那の前に立ちはだかった.画面が見えなくなって,店の旦那にぶつかってしまった.「これ,番頭どん.なんだこのザマは.明日,請け人を呼ぶから首を洗って待ってなさい」.これでゲームオーバー. (以下,落ちに続く)今度は旦那さんが怒った.「俺が好きなことをやって何が悪い.そんなに言うなら,俺の方が家を出ていってやる」「勝手に出ていけ」「出ていくわい」 「……あかん.また,亭主の方が追い出されよった.……ゲームオーバーか」(ここまで) 【ひとこと】 「おッ、出てきた出てきた。芋持った丁稚や。こいつにひっかかったらタイム・オーバーになってしまうねんな。コツさえわかりゃあ、軽いもんや。ここで飛び上がってと……。ほうれ踏み潰したった……。この要領で行きゃあええねん。どんどん行こか……と。オッ、川が出てきたで大きい川やなァ」 「ウワァ、大川へ出てもうた。ここの北浜には昔から橋がないねんで。どないして渡ろかなァ。船で渡ろか泳いで渡ろか……それではことが大胆な……」(ファミコン丁稚) ファミコン丁稚(ふぁみこんでっち)は,小佐田定雄作.中西らつ子の挿絵1枚.1986年桂歌之助の初演.小佐田定雄の個人作品集に収められている. 【つけたし】 小佐田定雄は,落語作家を本業とするはじめての人物といえる.作品集には『よむらくご』(弘文出版 (1997)),『茶漬えんま』(コア企画出版 (1988))の2冊がある.演芸評論家としても広く活動しており,『新作らくごの舞台裏』(ちくま新書 (2020))などの著書がある. 任天堂のファミリーコンピューター(ファミコン)が発売されたのは1983年.子どもから大人までゲームにはまり始めた世相を反映している.遊んでいるのは落語の中の丁稚が番頭へと出世してゆくのロールプレイングゲームになる.いわば,落語の中で落語ゲームを遊んでいる設定なので,落語でおなじみのセリフやシチュエーションが登場する.花見の船に乗ろうとして旦那にみつかり,「百年目」となる.家庭用ゲーム機は,ファミコンからスーパーファミコン,さらにSwitchと性能がアップして,ゲーム内容も格段に複雑化している.噺に出てくるゲームの雰囲気は,ファミコン風の二次元キャラクターの感じなので,昨今の3Dのグラフィックでは似つかわしくない.一人に1台持ちで電車の中でもできるスマホゲームが全盛の今では,1台のゲーム機を取り合うような設定は難しい.とはいえ,メタ落語のサゲは,今も十分に通用する. |
224 桂三枝,大阪レジスタンス,桂三枝創作落語大全集,メディアクラフト牡牛座 (2004) |
【あらすじ】 20XX年,「全国言語統一令」が施行され,各地の方言が禁じられた.大阪人の抵抗は強く,大阪弁を復活させようという運動がはじまると,取締はますます厳しくなった.言語秘密警察に捕まると,収容所に放りこまれ,大阪弁の矯正教育をたたき込まれる.天ぷら屋の主人の淀川は,収容所でレジスタンス活動家の岡田と出会う. それから10年,淀川はレジスタントのリーダーとなっていた.秘密集会が見つかれば,銃殺が待っている.集会には若い清原や淀川の娘の綾子も参加している.薬屋の吉岡が,そっと包みを開き,手製の粟おこしを取り出した.「ジュウシマツのエサをぎょうさん買うて,その中から丹念に粟だけ拾いあげて作りましてん」「この固さがたまりまへんなあ」.そこに秘密警察が乗りこんできた.「手入れやー」.清原らを逃がし,淀川は警察を食い止めた. 銃撃隊を前にした淀川は叫んだ.「大阪弁のどこが悪いんや.アホンダラー」.淀川は銃殺された. (以下,結末に続く)淀川,岡田,吉岡らの犠牲を乗りこえ,大阪が日本から独立して10年経った.建国十周年の式典を前に,清原総理のそばには妻の綾子が父の遺影を抱いて控えている.「おめでとうございます,総理.街には大阪弁があふれています.しかし,若い者には共通語のなまりが抜けない奴がおます」「文部大臣,焦ったらあきまへんで.言葉というものは,自分の心のうちから出てくるもんやないとあきまへん」.式典がはじまった.大阪国歌「道頓堀行進曲」が流れる中,清原総理が空を見上げてつぶやいた.「天国の淀川はん,元気な大阪が今,戻ってきましたで……」(ここまで) 【ひとこと】 「きいようたべてる横から申し訳ないけど、この粟おこしというのは、ほんまはね、うるち米。つまり普通の米でんな。それを蒸して、天日で乾かして、細こう細こう砕いて、飴で固めたもんでんねん。その切り口が、細こう細こうなってるこの色と粒々が粟みたいなところから、粟おこしとこう言いまんねん。粟固めたんやおまへんねん」 「吉岡はん、あんたええ加減にしなはれや。なんぼなんでも人に十姉妹のエサ食わすやなんて」 「すんまへん」 「道理で味が違うと思た」 「あ、さよか。私もね、作ってみてどうも違うからね。こら誰かに食べてもうてから思てましてん」(大阪レジスタンス) 大阪レジスタンス(おおさかれじすたんす)は,桂三枝(桂文枝(6))作・演.文枝の個人作品集の巻頭に収められている. 【つけたし】 当代(6代目)桂文枝は,1943年大阪に生まれた.関西大学落研を経て3代目桂小文枝(文枝(6))に入門した.早くからラジオ・テレビの人気者となっただけでなく,精力的に創作落語を発表している.2003年から2018年まで,上方落語協会会長をつとめた.その間,2006年には広く民間に寄付を募って,大阪に定席の寄席,天満天神繁昌亭(大阪市北区)の開業にこぎつけた.さらに2018年には神戸新開地にも喜楽館を開業するなど,落語振興にも尽力した.創作した落語の数は300席を超える.うち,100席が『桂三枝創作落語大全集』に収められている.「ゴルフ夜明け前」で芸術祭大賞を受賞,2006年には紫綬褒章を受章するなど,比類ない経歴をほこる落語家である. |
225 三遊亭圓丈,夢一夜,円丈落語全集 2,円丈全集委員会 (2017) |
【あらすじ】 病院の集中治療室を抜けだした末期ガンの男がタクシーに乗りこんできた.どこか賑やかなところへ行けと叫んで,札ビラ切ってきた.日本庭園のあるお座敷にあがり,畳の上で死にたいのだという. 運転手は羽田空港に乗りつけた.男は空港ロビーの7番時計の下に陣取り,病室で禁じられていたタバコを運転手に買ってこさせた.タバコを吸いはじめたとたん,ここは禁煙だと警備員が飛んできた.「俺たちは絶対に買収されない警備員……だが,20万! 5000円までは金だが,それ以上は正義という.あなたの正義に負けました」.もう,男は目がかすんできた.空港には畳の座敷がないので,知り合いの建具屋を呼んで,急いで和室を作らせた.プレハブで座敷をこしらえると,植木と玉石,万成石の石灯籠を二基配した.あとは芸者と幇間だと,ANAのカウンターでかけあった.金に目がくらんだ女性職員が自分は芸者だったと言いだすし,機長・副操縦士が飛んできて幇間に早がわりした. この男,一夜の夢よとドンチャン騒ぎの末,臨終前の一服を吸うと,みごとな最期を迎えた.その後,庭も座敷もなくなったが,今もANAの7番時計の下には万成石の灯籠があるそうで. 【ひとこと】 ANA「えっ、お座敷ってどこにあるんですか?あれ、いつ出来たんですか?あのお座敷に3時間出るだけで百万!」 男「時間がねえんだよ。とにかく10人集めてくれ。姉ちゃんなんか、カツラを付けてお化粧したらいい芸者になるぞ」 ANA「アタシがですか?・・・ははは、こんばんわ〜あ」 男「なんだ、姉ちゃん芸者だったのか?」 ANA「はい、芸者だというのを忘れてカウンター業務しておりました。ANAの売れっ子芸者羽根奴です」(夢一夜) 夢一夜(ゆめひとよ)は,三遊亭圓丈作・演.圓丈の個人作品集に収められている. 【つけたし】 三遊亭圓丈[1944-2021]は,古典落語・人情噺の大家である三遊亭圓生(6)の弟子でありながら,自作の新作落語を貫いた.晩年は,長く空席となっている圓生の名跡襲名に名乗りをあげたりした.新作落語の発展に対する圓丈の功績は,他の誰よりも大きいと思う.これまで,日常生活をカリカチュアすることが多かった新作落語の世界を,実験落語を通じて限りなく自由な世界に広げた.『円丈落語全集』5巻100席の刊行が始まったが,2冊で中絶した.円丈師没後の第3巻で完結した.出世作の「グリコ少年」「パニックイン落語会」をはじめ,「インドの落日」「肥辰一代記」「ぺたりこん」「藪椿の陰で」「わからない」といった,不条理落語や創造性あふれる作品が収められている.創作数は数百に及び,新作落語論の『ろんだいえん』には,自作リストが載っている.本人も内容を覚えていないものもある.このあたりの適当さもいい. 「夢一夜」は2004年初演.画家の鏑木清方について,こんな有名なエピソードがある.三遊亭圓朝の「名人くらべ」を聴いた若き日の鏑木清方が,登場人物の狩野鞠信の墓を探しに谷中の南泉寺の墓場をあちこち探した.似たような場所はあったが,どうしても墓が見つからなかった.このことを,圓朝に話したところ,大師匠はただ笑っていただけだという.「名人くらべ」は,歌劇「トスカ」を翻案したもので,お須賀はトスカのもじり,絵師の鞠信は創作上の人物,もとより墓などあるはずがない.作り話を真に受けて探しに行った若者を,ほほえましく思ったのだろう.万成石の灯籠を探しに,ANAが離発着する羽田空港第2ターミナルのコンコースを順に見ていくと,どん詰まりの方に6番時計があった.何か工事で仮囲いしているようなので,壁の向こうに7番時計があるか尋ねてみると,ここには6番時計までしかないという答えだった.7番時計は幻,まんまと圓丈師にかつがれてしまった. |
掲載 240601