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岐阜県   
圓朝地名図譜
牛若は天狗を相手に劔術を覺え、平家を討つて父の敵を取らうと、鞍馬を下山して、奥州の秀衡を頼つて行く途中、美濃國青墓長者の許に一泊した。
 (三升家小勝(5) 「熊坂」)
  『小勝特選落語集』,大日本雄辨會講談社(1937)
 
地点名 この1題・登場回数 位 置 備 考 写真と撮影年
岐阜県 ぎふけん 千早振(大空SP05:10) など 2件1題 (東京2件) 岐阜県 岐阜県の落語地名は岐阜周辺と,飛騨に大きく分かれてしまっている."岐阜県の地震"が落語に出てくるが,これは1891(明治24)年の濃尾地震.我が国最大級の被害をもたらした直下型地震で,震源の根尾谷断層は特別天然記念物,ジオパークになっている.とはいえ古いクスグリがそのまま.
"震えが止まらないな。ヘエー矢張り岐阜県あたりの地震なんで"(千早振)
根尾谷断層 2022
美濃 みの 佐々木政談(青圓生11:13) など 17件11題 (圓朝4件, 東京11件, 上方2件) 岐阜県 旧国名.岐阜県南部.用例は,守名の赦しを求める村民に,"の"の字を禁じたため美濃守ではなく美濃紙になってしまうというクスグリ.
"おじさん、喜んでくれ、きょうからおらア美濃守じゃ"(佐々木政談)
美濃手漉き和紙 2022
飛騨 ひだ 左甚五郎(青圓生13:14) など 9件6題 (圓朝2件, 東京7件) 岐阜県 旧国名.岐阜県北部.左甚五郎の出身地とされる.
"飛騨の甚五郎が、訛って左甚五郎となったとか、左官という、官位をいただいて左甚五郎。右腕を切り落とされて左の腕で仕事をしたから、と"(左甚五郎)
飛騨の甚五郎 2011
不破の関 ふわのせき 競三人似顔鞘当(講明治大正4:43) 1件1題 (東京1件) 不破郡関ヶ原町松尾 鈴鹿,愛発(あらち)とともに三関の一つ.壬申の乱の後に設けられた関は,延暦8(789)年に廃止.その後単発的に関が固められることがあったが,もっぱら関の荒廃と人の世の哀れを重ね合わせる題材となる.人住まぬ不破の関屋の板びさし荒れにしのちはただの秋風(藤原良経,新古今和歌集).秋風や藪も畠も不破の関(芭蕉).関守後裔の三輪氏の庭先が開放されており,関碑や句碑がある.
"これを知らずや稲妻の、始まり見たり不破の関、せきにせかれて目関笠、ふられて帰る雨に鳥"(競三人似顔鞘当)
美濃国不破故関銘碑 2010
山中 やまなか うんつく酒(続々 珍品復活上方落語選集, 燃焼社(2003)) 不破郡関ヶ原町山中 「運つく酒」は東の旅,伊勢詣りの道中の設定なので,中山道の山中(やまなか)ではなく,ただの"さんちゅう"かもしれない.山中には,鞍馬を出たという息子の牛若丸を追ってきて,ここで死んだ常盤御前の墓がある.後ろは芭蕉句碑"義ともの心に似たり秋の風".関ヶ原駅西方約2.5km.
"奈良で一泊致しまして、明くる日は山道へ掛かかって、山中の宿で一泊"(うんつく酒)
常盤御前墓 2010
関ヶ原 せきがはら 井戸の茶碗(角川文庫09:07) など 5件5題 (圓朝2件, 東京3件) 不破郡関ヶ原町 東海道の宿場.というよりも,天下分け目関ヶ原の合戦.戦関連では東西の首塚,開戦地・決戦地,石田三成,徳川家康など武将の陣跡など見どころは多数ある.案内も整備されているので,レンタサイクルで回るのがおすすめ.
"四人の将軍が手にしましたのが、関ヶ原合戦のおりに行くえ知れずになった品"(井戸の茶碗)
関ヶ原古戦場決戦地 2023
喪山 もやま 国譲りの巻(桂文我の落語版「古事記」, 燃焼社 (2020)) 不破郡垂井町 『古事記』を落語化した噺に出てくる.天稚彦の墓が喪山と称される.垂井町の喪山古墳がその候補地で,遠くからもよく目立つ.マウンドが2つあり,2基の円墳とも前方後円墳とも言われる.南東から登る道がついており,頂上には慰霊碑がたくさん並んでいて,異様な雰囲気になっている.
"蹴飛ばされた喪屋が、美濃国の藍見河の上流の喪山になったそうで"(国譲りの巻)
喪山古墳 2022
養老の滝 ようろうのたき 二十四孝(三一談志5:04) など 14件7題 (東京14件) 養老郡養老町養老 天が感ずれば,滝水が酒になったり,若返りの水になったりする(小噺「おはんおはん」).養老鉄道養老駅から徒歩.名水百選の一に選ばれた名瀑で,元号を養老に改元したきっかけ.
"孝行の心を神が水にせで 酒と汲ませる養老の滝"(二十四孝)
養老の滝 2015
岐阜羽島 ぎふはしま 公園のひかり号(新作落語傑作読本, 白夜書房 (2012)) 羽島市福寿町平方 岐阜羽島駅.新幹線同士の追い抜きのための待避駅の性格が強い.県都の岐阜に出るには,名古屋で乗り換えた方が便利なため,一般の旅人が利用することは少ない.それを踏まえてクスグリに登場.一日3千人あまりの利用客とのことだが,北海道新幹線の奥津軽いまべつ駅は30人! 駅前に大野伴睦夫妻像.大物代議士の大野伴睦は,東海道新幹線ルート調停に力を発揮した.指さす先に誘致した岐阜羽島駅.
"こちらも、岐阜羽島。お2人、新婚旅行で岐阜へ。変わってますねえ。何もないですけどね"(公園のひかり号)
大野伴睦夫妻像 2020
洲俣城 すのまたじょう 芝居の喧嘩(三一談志1:11) 1件1題 (東京1件) 大垣市墨俣町墨俣 墨俣城は,蜂須賀小六の助けをうけ,木下藤吉郎が一夜で築城.現在のものは城郭イメージに合わせて建てたもの.大垣駅からバスの便がある.
"明日はいよいよ洲俣にお城を一夜で造るという秀吉の腕の見せどころ"(芝居の喧嘩)
墨俣城 1998
平板村 ひらいたむら 庚申待(新風明治:02) 1件1題 (東京1件) 安八郡か 庚申待ちタイプの「宿屋の仇討」のホラ話の一つ.安八郡の村の1つというが不明.恵念寺の僧が,裏山で山芋を掘っていると"坊主〜"と呼ぶ声がする.そりゃ坊主坊主山の芋でしょ.現在,恵念寺は岐阜県内にない.同じ洒落は圓朝の「菊模様皿山奇談」にも出てくる.
"我はもと、美濃国安八郡平板村"(庚申待)
     
大垣 おおがき 絵手紙(偕成少年11:12) など 2件2題 (東京2件) 大垣市 街道から外れていた大垣が落語に登場するのは鉄道敷設後になる.もう1件の用例も「転宅」で鉄道の旅.大垣城は関ヶ原の戦いで石田三成の本拠地となった.4層の天守閣は国宝指定されたものの,太平洋戦争で焼失した.手前に見える東門は,天守復元の際に移築されてきた.
"休む間もなく、大垣から関ヶ原まで人力車をやといます"(絵手紙)
大垣城跡 2023
長良川 ながらがわ 絵手紙(偕成少年11:12) 1件1題 (東京1件) 岐阜県・三重県 岐阜県を南流し愛知県との境から伊勢湾に注ぐ.「絵手紙」は,大阪に滞在する無筆の男へ手紙を届ける噺.まだ東海道本線が全通する前で,船や人力車を利用している.海上七里の渡しを桑名で降り,長良川河口堰のところから,輪中地帯をさかのぼり大垣へ出た.となると,長良川でなく揖斐川のような気もするが,確かめようがない.
"桑名から長良川のぼりの夜船にのりかえて、夜の明けがたには大垣へ着きます"(絵手紙)
金華山からの長良川 2020
青墓 あおはか 熊坂(講小勝:25) など 5件2題 (東京5件) 大垣市青墓町 源義朝一行が頼った青墓の大炊氏のもとで,手負いの義朝が自害.山中の円興寺跡に大炊氏と義朝の墓がある.謡曲「朝長」.東海道線支線美濃赤坂駅から約3km.盗賊の熊坂長範は,青墓で金売吉次を襲うが牛若丸に討たれる.落語・謡曲「熊坂」.落語では,斬った熊坂を踏みつけると血でなく餡が出てきて,こりゃ熊坂でなく今坂だ(→ 絶滅危惧落語「熊坂」).よく考えると,今坂餅は見たことはあるが食べた記憶がない.大福のような餡餅で,正岡容の明治東京風俗語辞典によると,赤や緑の色をつけてあり,焦げ目をつけて食べるという.
"奥州の秀衡を頼って行く途中、美濃国青墓長者の許に一泊した"(熊坂)
青墓長者大炊氏の墓 2017
合度川 ごうどがわ 七変化白波小三(諸芸新聞 (1882)) 岐阜市河渡 「七変化白波小三」は,女盗賊小さんを主人公とする人情噺.合度川(河渡川)は長良川のこと.速記を見ると,河渡橋上流の渡し場あたりで捕まったようにも読める.河渡宿は中山道の宿場で,長良川の西岸,河渡の渡しの下流にあたる.宿入口の馬頭観音堂から,長さがわずか3町という小さな宿場だった.
"稲葉を迯れしが合度川にて召捕られ"(七変化白波小三)
河渡宿を望む 2020
岐阜 ぎふ 義太夫がたり(講明治大正7:38) など 7件6題 (東京7件) 岐阜市 件数は,岐阜県を指すものを含む.長良川の鵜飼は岐阜市内.鵜匠の像は,長良橋南詰,鵜飼観覧船乗り場のそばにある.駅の北は柳ヶ瀬の繁華街,南は中山道加納宿が東西に通っている.
"それから岐阜へ廻つて鵜飼を見て"(義太夫がたり)
鵜匠像 2020
稲葉山 いなばやま 鳴神阿金の譚(諸芸新聞 (1881))など 岐阜市 金華山の旧名.標高328m.北西のふもとにあった伊奈波神社に由来する.山頂に岐阜城の天守があり,百曲がり,七曲がりなどの登城ルートが登山道になっている.岐阜公園からロープウェイも利用できる.岐阜公園は,「板垣死すとも自由は死せず」の名文句を発した板垣遭難地でもある.「鳴神阿金の譚」では,お金が強盗の小田切清七とともに捕縛され,血路を開いて脱出する場面で岐阜が登場する.
"岐阜に名高き稲葉山、伊奈の笹原否ならぬ"(鳴神阿金の譚)
金華山 2020
岐阜城 ぎふじょう 名月若松城(柳家小満ん口演用「てきすと」 17, てきすとの会 (2016)) 岐阜市 金華山(稲葉山)山頂にある山城.もと稲葉山城.斎藤道三など斎藤家の居城だったが,織田信長との戦によって奪われ,岐阜城に改められた.天守は1956年に再建されたものだが,崖を固める石垣には織田や斎藤時代のものが残っている.
"あの高々した稲葉山の天辺にある岐阜城"(名月若松城)
岐阜城天守 2020
稲葉神社 いなばじんじゃ 七変化白波小三(諸芸新聞 (1882)) 岐阜市伊奈波通1-1 伊奈波神社.岐阜を代表する神社.旧地は稲葉山の北側にあった.五十瓊敷入彦命(垂仁天皇第一皇子)らが祭神.伊奈波通りから一直線に,楼門から本殿への石段につながっている.
"六七十間を登り正面には稲葉の神社あり"(七変化白波小三)
伊奈波神社神門 2020
稲葉神社:滝 たき 七変化白波小三(諸芸新聞 (1882)) 岐阜市伊奈波通1-1 伊奈波神社の参道右手,黒龍神社脇から流れ落ちる高さ数mの滝がある.黒龍神社は,伊奈波神社がここに移ってくる前から祀られていたという.悩みを除き,福を授けるといい,編み笠のようなものがかぶった絵馬を奉納する.
"右に二重の清瀧ハ二丈上より落水し"(七変化白波小三)
黒龍神社の神滝 2020
せき   関市 刀匠関の孫六で登場するはずだが,あげるべき用例が見つからなかった.西日吉町の千手院に刀祖元重碑,梅龍寺に関孫六代々の家族墓.孫六煎餅は鍔をかたどった瓦せんべい.長良川鉄道関駅が最寄り. 関孫六墓と孫六煎餅 2004
郡上 ぐじょう 阿部川原風仇浪(三友舎 (1892))など 郡上市 「阿部川原風仇浪」の発端は,郡上藩の指南番の父親を殺され,一家が静岡へ離散する場面からはじまる.菩提寺の大縁寺や藤巻村などが出てくるが,いずれも不明.郡上は,一夏を踊り暮らす郡上踊りで有名.七両三分の春駒 春駒♪郡上は馬どこあの磨墨の名馬出したもササ気良の里.宇治川先陣争い,磨墨号の産地.
"息子の軍蔵は酒と女ゆゑに主人をしくぢりお屋敷を退散して廻り廻つて美濃の郡上で"(阿部川原風仇浪)
郡上踊り人形 2020
郡上八幡城 ぐじょうはちまんじょう 阿部磧風の仇波(娯楽世界, 7(5) (1919)) 郡上市八幡町柳町 明治維新で取り壊されたが,1933年に木造天守が再建された.長良川鉄道の郡上八幡駅を降りると,車の行き違いもままならない谷沿いの道の向こうに城郭がそびえる.
"前の月は御城内で郡奉行の邸のお月見、まことに賑かで"(阿部磧風の仇波)
郡上八幡城を望む 2004
高山 たかやま 叩き蟹(大日本図書館07:09) など 13件8題 (圓朝2件, 東京11件) 高山市 天領高山.飛騨地方随一の観光地.左甚五郎の出身地かもしれない.三町と下二之町大新町の2ヶ所の伝建地区.町のそこここに屋台蔵が見つかる.高山祭屋台会館では,高山祭に曳き出される屋台を常時展示.大太鼓が目立つ一番手前の屋台は神楽台で,囃子手が上に乗って演じながら巡行する.
"いかにもあたしは飛騨高山の匠、左甚五郎利勝"(叩き蟹)
高山祭屋台 2011
白川郷 しらかわごう 我孫子宿(桃源圓歌:04) 1件1題 (東京1件) 大野郡白川村 観光立村,世界文化遺産.荻町に合掌造の集落が並ぶ.荻町城跡の展望台から見下ろせる.
"ズウーッと向こうの白川郷というところに家内と子供と住んでいるという"(我孫子宿)
白川郷を望む 2004
山添 やまぞえ ねずみ(青三木助:13) など 7件3題 (東京7件) 不明 左甚五郎の出身地,飛騨の国山添.県内本巣村にその名はあるが,飛騨ではない.
"甚五郎利勝というかたがありました。飛騨山添の住人で、三代目飛騨匠墨縄という人の弟子で"(ねずみ)
     

掲載 051111/最終更新 231101

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