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足立区   
「ちょいと待っつくれ、まだなにか、よッぽどあるのか、西新井は……?」
「千住の大橋を渡ったァ、これから青物市場(やっちゃば)ァ抜けちまえば、もう一ふんばりだァ、どうしたんだ、くたぶれた……?」
 (三遊亭圓生(6) 「首提灯」)
  飯島友治・東大落語会編,『圓生全集』 第三巻,青蛙房(1961)

地点名 この1題・登場回数 位 置 備 考 写真と撮影年
関屋 せきや 和歌三神(角川文庫05:10) など 2件1題 (東京2件) 足立区など → 北村辞典.関屋の里として知られた閑雅な行楽地.今はどこということもない.氷川神社(千住仲町48)に関屋由来の関屋天神がこじんまりと移されている.用例も七五調の美文で墨東を描いているだけ.
"うしろは堀切関屋の里、木がくれにさそう落合の、月の名所や綾瀬川"(和歌三神)
関屋天神祠 2009
河原 かわら 鏡ヶ池操松影(角川円朝1:03) など 9件4題 (圓朝2件, 東京7件) 足立区千住河原町 → 北村辞典.北は掃部宿に連なる千住宿の一つ.次項のやっちゃ場は河原町のうち.「藁人形」を油で煮て呪う西念の長屋があった.河原町の旧家には,屋号の木札がさがり,あちこちに市場に関する説明板が置かれている.
"止むを得ずひどい所におります、千住の河原におります、河原という所だから名の通り甚だしい所で"(鏡ヶ池操松影)
千住市場問屋配置図 2023
千住の青物市場 せんじゅのやっちゃば 首提灯(青圓生03:10) など 4件3題 (東京4件) 足立区千住河原町 → 北村辞典.江戸近郊の野菜が集まってきた最大の青物市場.やっちゃ場と呼ばれた.碑は河原町の稲荷神社にあり,1906年青物市場創業330年を祝ったもの.
"千住の青物市場、江戸ィみんな青物が出ていこうてんだから、なかなか繁昌だ"(首提灯)
千住青物市場創立三百三十年祭記念碑 2005
掃部宿 かもんじゅく 英国孝子ジョージ・スミスの伝(角川円朝6:05) など 2件2題 (圓朝2件) 足立区千住仲町 → 北村辞典.掃部堤の碑が墨堤通に見つかる.堤を造った石出掃部介の墓は源長寺(千住仲町4)にある.ここには,三遊亭圓朝寄進の石灯籠もある.
"清水助右衛門の忰重二郎は、母もろともに千住へ引き移りまして、掃部宿で少しばかりの商法を開きました"(英国孝子ジョージ・スミスの伝)
掃部堤跡碑 2009
本宿 ほんじゅく 真景累ヶ淵(角川円朝1:04) など 4件1題 (圓朝4件) 足立区千住 → 北村辞典.千住宿は荒川区側の中村,小塚原,大橋を渡って橋戸,河原,掃部宿,本宿の順になる.本宿には高札場,本陣跡碑等がある.字違いの元宿小学校には,千住名物のお化け煙突の一部が滑り台になっている.お化け煙突は,千住火力発電所の4本の煙突で,見る角度によって3本にも2本にも,あるいは1本にも見えた.
"どうかしているぜ急いでやってくんねえ、小塚ッ原などへ来て仕様がねえ、千住へでも泊るから本宿までやっておくれ"(真景累ヶ淵)
千住宿本陣跡碑 2009
北千住 きたせんじゅ 南極探検(三一談志3:06) など 7件7題 (東京7件) 足立区千住あたり つくばエクスプレスが開業して,都合5つの路線が乗り入れる交通の要衝,北千住駅周辺を指す.古典落語には使えない地名.北千住散策のお土産には,千住5の槍かけだんごがおすすめ.
"で、何処から行ったんだ。北千住から……"(南極探検)
北千住駅 2009
千住の大酉 せんじゅのおおとり 鏡ヶ池操松影(角川円朝1:03) 1件1題 (圓朝1件) 足立区千住2-11 → 北村辞典.浄土宗勝専寺,寺中の鷲大明神のこと.この寺は将軍お鷹狩りの休息所で,時の鐘があった.写真でわかる通り赤門寺と呼ばれる.
"文政九年の十一月二十三日の事でした、千住の大酉で、当日は半左衛門も酉へ参詣して"(鏡ヶ池操松影)
勝専寺 2023
名倉 なぐら 心中時雨傘(角川円朝7:05) など 4件2題 (圓朝2件, 東京2件) 足立区千住5-21 名倉は,骨接ぎの代名詞的な接骨院.開業は18世紀になる.支店には私もお世話になった.今も"名倉にかかる"で通じるはず.近代的な整形外科が併設されている.
"ブクリとはれて参りましたので、名倉へいって見てもらいますと、これはどうしても大変な怪我だ骨が砕けている"(心中時雨傘)
名倉医院長屋門 2009
千住新橋 せんじゅしんばし メカニカル・ボーイ(立円丈:13) 1件1題 (東京1件) 足立区千住5〜足立1 1924年,荒川放水路の通水時に架橋された.隅田川よりゆったりした河川敷がある.
"少年たちのバイクは、北千住の橋を越える"(メカニカル・ボーイ)
千住新橋 2009
荒川堤 あらかわつつみ 荒川の桜(圓左新落語集, 磯辺甲陽堂(1906)) など 2件2題 (東京2件) 足立区江北あたり そのものずばり「荒川の桜」(圓左新落語集(1892))という噺がある桜の名所だった.噺では千住大橋で舟から上がり,土手を散策しながら墨染桜(荒川名物五色桜の一つ)を見物している(→ 絶滅危惧落語「荒川の桜」).すると江北まで行かず,今の桜木町あたりだろうか.国名勝に指定もされていたが,洪水や荒川放水路の開鑿以降すたれていった.いまも復活の思い強く,堤にサクラが植えられ,五色桜大橋なんて橋もできた.池袋と西新井を結ぶ都バスが頻繁にとおっている.
"かの荒川の土堤を半道ばかりまいりました(中略)どうも結構な桜だね"(荒川の桜)
栽桜記碑 2021
梅島 うめじま 狂歌家主(青金馬:18) 1件1題 (東京1件) 足立区梅田,梅島,島根あたり 高架化にあたり互い違いに長いホームになってしまった東武線梅島駅があるので,古くからの地名と勘違いしそうだが,梅田と島根の合成地名.ベルモント公園は,足立区の友好都市であるオーストラリアのベルモント市にちなみ,ユーカリなどの植物や工芸品を展示している.
"千住の先は、竹の塚か、西新井か、梅島か"(狂歌家主)
梅島案内地図 2020
西新井大師 にしあらいだいし 首提灯(青圓生03:10) など 4件4題 (東京4件) 足立区西新井1-15 → 北村辞典.真言宗豊山派総持寺.厄除けと牡丹の寺.外廊下から梯子で昇るため,二重らせんにもサザエの尻にもなっていないさざえ堂(三匝堂)がある.本所五百羅漢(別項)のものがもっとも有名だったが,今は都内でここだけしかない.
"おめえがなんでも厄年だから西新井の大師様へお詣りに行けッてえからよ"(首提灯)
西新井大師三匝堂 2005
竹の塚 たけのつか 悲しみは埼玉へ向けて(立円丈:07) など 14件6題 (東京14件) 足立区竹の塚 用例は駅名を指す.町名と違って,東武線の駅は「竹ノ塚」と表記さる.竹の塚の吉川大尽なんていう楽屋オチの用例もある.駅の北,伊興町狭間は,寺町になっている.その一つ,易行院は助六揚巻の墓,団十郎(7)の助六の塚がある寺として知られる.5代目三遊亭圓楽(吉川寛海)の実家になる.山谷の助六の墓自体は,明治期の人情噺「黒手組戸沢助六」(駸々堂(1890))に登場する.写真の東陽寺には,「塩原多助一代記」のモデル,塩原太助の墓がある.
"「しまった!準急は、竹ノ塚に停まらなかったんだ」そのとき、ドアは、ガッシャーンと冷たく音をたてて閉まった"(悲しみは埼玉へ向けて)
東陽寺塩原太助墓(裏側) 2011
正覚院 しょうがくいん 心中時雨傘(角川円朝7:05) 1件1題 (圓朝1件) 足立区花畑3-24 真言宗豊山派鷲王山正覚院.花又のお酉様の別当だった.門前に文政3年の鷲大明神への道標がある.
"お酉さまの本家は、葛西の花又村にございまして、別当は正覚院"(心中時雨傘)
正覚院鷲大明神道標 2009
花又の大酉 はなまたのおおとり 心中時雨傘(角川円朝7:05) など 2件1題 (圓朝2件) 足立区花畑7-16 → 北村辞典.大鷲神社.足立区の北東はずれ,花又(花畑)に鎮座.下谷のお酉様はここの出店で,花又のお酉様の方が賑わっていたという.今では想像もできないが,賭博が公認されたのも盛った原因らしい.
"別当は正覚院、俗にここを大酉と申し、昔は参詣の人々が鶏を納めまして"(心中時雨傘)
花又大鷲神社 2009
六町 ろくちょう 遙かなるたぬきうどん(円丈落語全集 2, クエスト (2017)) 足立区六町 「遙かなるたぬきうどん」は,足立区のうどん屋が,なじみ客のためにアイガー北壁をよじ登って熱々のたぬきうどんを出前する噺.作者の圓丈は,足立区東北部の東保木間から六町へ転居している.「サイボーグ弟子」では,改造人間の弟子が六町の圓丈宅に襲来する.六町も保木間も交通不便な陸の孤島だった.作品にも出てくるつくばエクスプレスが開通して,六町周辺には新築の家や造成地が目立つ.
"足立区六町客一同から贈られたのぼりには「必勝たぬきうどん」"(遙かなるたぬきうどん)
六町のうどん屋 2023

掲載 051012/最終更新 230901

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