文京区 | ||
毎日おもてを"孝行糖、孝行糖"と流して歩きます。 「ある日水戸様の御門前へ来かかりました。江戸市中で一番やかましかったのが、水戸様御門だそうです。われわれ先輩が掛持ちの途中でゲタの鼻緒でも切れまして、あの前で下へこごんでマゴマゴしていますと、 「通れっ」 (三遊亭金馬(3) 「孝行糖」) 三遊亭金馬,『三遊亭金馬落語独演会』,鱒書房(1955) |
地点名 | この1題・登場回数 | 位 置 | 備 考 | 写真と撮影年 | |||
御茶の水 | おちゃのみず | 洒落小町(講昭和戦前1:15) など 15件11題 (圓朝4件, 東京11件) | 文京区湯島1 | → 北村辞典.湯島聖堂の西にあった高林寺(駒込浅嘉町に移転)の井戸という.神田川の拡張で川の縁となる(江戸砂子).たらたら落ちるがお茶の水(洒落小町)は,その様子を表しているか.御茶ノ水駅前の交番横にお茶の水保勝会がたてた碑がある. "おやきちがい、赤坂麹町、コラ、ドロドロ落ちるはお茶の水"(洒落小町) |
お茶の水碑 | 2006 | |
順天堂 | じゅんてんどう | 粟田口霑笛竹(角川円朝2:01) など 2件2題 (圓朝2件) | 文京区本郷3-1 | 順天堂大学の付属病院.今も順天堂医院を名のっている.佐倉順天堂の第2代堂主の佐藤尚中によって,1875年湯島に順天堂医院が開かれた.軍医監,3代目堂主の佐藤進は,その養子になる.なお,順天堂發祥之地碑は,薬研堀不動境内にある.天保9(1838)年に,順天堂の始祖の佐藤泰然が和蘭医学塾を開いたことを記念している. "当今なぞは切るのは造作もございません。順天堂の佐藤進先生は切るのは御名人でいらっしゃいます"(粟田口霑笛竹) |
順天堂醫院 | 2023 | |
聖堂 | せいどう | 指物師名人長二(角川円朝5:01) など 4件4題 (圓朝3件, 東京1件) | 文京区湯島1-4 | → 北村辞典.昌平黌学問所の例を含む.孔子をまつる大成殿は再建ながら,おごそかな雰囲気があり,映画撮影にも使われる.用例の林様とは,学問所長官の林大学頭のことで,親殺しの罪に落ちた長二の助命に知恵をしぼる. "聖堂の林様はお出入りだから殿様にお願い申して、わしが才槌で瑕をつけたいわれをかいて戴いて"(指物師名人長二) |
湯島聖堂大成殿 | 2009 | |
聖堂:入徳門 | にゅうとくもん | 三百餅(講明治大正4:10) 1件1題 (東京1件) | 文京区湯島1-4 | 湯島聖堂の大成殿への入口.関東大震災や戦災をまぬかれて現存する."にっとくもん"の読みの方が儒者っぽいか.「三百餅」に出てくる入徳門の碑は不明. "あすこが元、入徳門と云うて一つの学校だな"(三百餅) |
入徳門 | 2008 | |
明神坂 | みょうじんざか | 梅若礼三郎(青圓生02:10) など 4件2題 (東京4件) | 文京区湯島1-1〜2 | → 北村辞典.湯島聖堂と神田明神の間を東へ下る坂.湯島坂とも.役作りに手本を求める梅若礼三郎の心がけをたしなめる老女が出てくる.もう1題は「遠山政談」の道中付け. "神田明神へ七日の願をかけました(中略)さて帰ろうというので、明神坂を降りようとする"(梅若礼三郎) |
明神坂 | 2009 | |
妻恋坂 | つまこいざか | 松と藤芸妓の替紋(角川円朝3:08) など 3件3題 (圓朝3件) | 文京区湯島3-1,2 | → 北村辞典.関東の稲荷が大集合する「源九郎狐」のホスト役を妻恋稲荷がつとめる.妻恋稲荷(湯島3-2)社前の坂が妻恋坂になる.東へ下る坂.妻恋稲荷ではお正月に初夢の宝船を頒布する."なかきよのとおのねふりのみなめさめなみのりふねのおとのよきかな". "天神の中坂下を突き当って、妻恋坂を曲がって万世橋から美土代町へ掛かる道へ先廻りをして"(松と藤芸妓の替紋) |
妻恋神社宝船 | 2005 | |
芥坂 | ごみざか | 鶴殺疾刃庖刀(角川円朝7:02) など 2件1題 (圓朝2件) | 文京区湯島3 | → 北村辞典.妻恋坂の途中から北へ登る坂.標柱はない.その名を嫌ってか,立爪坂と呼ばれる.江戸の各地にあったごみ坂は,ゴミ捨て場というよりは,ゴミの集積場だった.訪問時も坂下がゴミ集積場になっていた. "わたしあ直き芥坂の下ですが、お米を一両わたしといっしょに持ってきてくださることができましょうか"(鶴殺疾刃庖刀) |
芥坂 | 2011 | |
霊雲寺:覚現地蔵 | かくげんじぞう | 封文小堀水茎(やまと新聞 付録 (1894)) | 文京区湯島2-21 | 「封文小堀水茎」は,八百屋お七を描く人情噺.霊雲寺の僧侶だった覚彦(かくげん)が正しい.霊雲寺は湯島にある真言宗霊雲寺派の総本山.鉄筋コンクリート造りの巨大な本堂が目立つが,敷地の隅に地蔵堂がある.堂内にあがらせてもらったが,覚彦につながるものや記載はなかった. "覚現地蔵の周囲(いまはり)へ来て室の中と聞いて居るから"(封文小堀水茎) |
霊雲寺地蔵堂 | 2019 | |
大根畑 | だいこんばたけ | 小雀長吉(角川円朝7:10) など 6件4題 (圓朝3件, 東京3件) | 文京区湯島2 | → 北村辞典.輪王寺宮の隠居屋敷跡が,大根などを植えた畑地となった.湯島新町屋が正式名で,大根畑は俗称になる.その後,娼婦が集まってきて,大根畑の名が知られるようになった.寛政の改革で娼家は駆逐された. "湯島大根畑の八百屋の長兵衛という者がおりまして、女房が亡くなりまして後添いをもらいました"(小雀長吉) |
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中坂 | なかざか | 黄薔薇(角川円朝6:03) など 2件2題 (圓朝2件) | 文京区湯島3-1,2 | → 北村辞典.妻恋坂と天神石坂との間に作られた坂ゆえの名という.東へ下る. "馬場良介という湯島天神の中坂下におります士族がまいりまして"(黄薔薇) |
中坂 | 2009 | |
湯島天神 | ゆしまてんじん | 宿屋の富(弘文志ん生1:07) など 58件26題 (圓朝5件, 東京53件) | 文京区湯島3-30 | → 北村辞典.湯島神社.東京を代表する天神社で,梅の名所として知られていた.江戸三富の一つが開かれた.迷子知らせの奇縁氷人石,講談高座発祥の地碑がある.「婦系図」,"湯島通れば思い出すお蔦主税の心意気","別れろ切れろは芸者の時にいう言葉".湯島天神といえば,陰間茶屋が集まっていたことも書いておかないと.「親子茶屋」の親爺さんは,葭町の陰間茶屋には売り物にならなかった. "ぶらぶらぶらぶらしてえると、湯島天神の境内では、千両富の当日というので"(宿屋の富) |
湯島天神銅鳥居 | 2009 | |
湯島天神:男坂 | おとこざか | 附馬の附馬(講明治大正3:37) など 2件2題 (東京2件) | 文京区湯島3-30 | → 北村辞典.湯島天神の参道.東へ下る石段.石段上から遊興の代金と見せかけ石ころを放る.「付き馬」のマクラに使われる.北へ折れ曲がる女坂が分かれており,そっちから逃げて遊興代を踏みたおした. "湯島の天神男坂で馬をまいた奴"(附馬の附馬) |
男坂 | 2009 | |
同朋町(湯島) | どうぼうちょう | 九州吹戻し(騒人名作06:09) など 3件1題 (東京3件) | 文京区湯島3 | → 北村辞典.文京区の湯島が台東区内に食い込んでいるあたり.同朋町は各地にあり,同朋など坊主衆の拝領地だった.湯島の同朋町は,振袖火事の後,江戸城西の丸・本丸の表坊主衆が拝領したとある.今は,ちょっと風紀が悪い土地で,町名板にならんで,キャッチ行為を禁止する三ヶ国語の掲示があがっている.下谷(二段目),明神下(=講武所,安中草三),柳橋(お文様),牛込の同朋町(粗忽の釘)が落語に登場する. "私は湯島の同朋町にいた大和屋ですよ"(九州吹戻し) |
湯島同朋町旧町名案内 | 2021 | |
井泉 | いせん | 小言幸兵衛(太田藤志楼1:06) 1件1題 (東京1件) | 文京区湯島3-40 | お箸で切れる柔らかいとんかつがキャッチフレーズ.似た名前の店のカツサンドをよく見かけるが,井泉の方が"ま"が抜けた店でなく,本家筋になる.ぶら前さんヒレカツ一枚揚がりました,でテキパキと配膳された. "貴賤てのは知ってますよ、あのあの、"とんかつ屋""(小言幸兵衛) |
井泉本店 | 2008 | |
切通(湯島) | きりどおし | 柳田格之進(弘文志ん生3:21) など 31件19題 (圓朝9件, 東京22件) | 文京区湯島3〜4 | → 北村辞典.本郷から湯島へ下る.坂名であり,町名でもある.「遠山政談」の道中付けに登場するほか,「柳田格之進」で雪の日に番頭と柳田とが出会う重要なシーンになる. "ちょうど暮れがた、湯島の切通しをこう降りてくる。ちょうど雨降りあげく"(柳田格之進) |
湯島の切通し | 2009 | |
根生院 | こんじょういん | 島鵆沖白浪(滑稽堂 (1883))など | 文京区湯島4-6あたり | 真言宗金剛賓山根生院延寿寺.本尊は薬師如来.御府内八十八ヶ所第35番札所.建立時は神田白壁町に,その後長く湯島切り通しの北側にあったが,維新後,池之端七軒町を経て,現在地(高田1-34)に移転している.「怪談乳房榎」で天井に龍が描かれた南蔵院の北に位置する.仮名で登場することもあり,「佐原の喜三郎」の悪僧玄若の出身寺にあたる. "切通し阪上北側にあり金剛宝山根生密院延寿寺と号し真言新義の宗流にして"(島鵆沖白浪) |
根生院 | 2019 | |
講案寺 | こうあんじ | 雪鴉(落語見取り図, うなぎ書房 (2005)) | 文京区湯島4-12 | 古典落語には出てこない地名.講安寺が正しい.無縁坂の東側に面している.土蔵造りの本堂が特徴的な浄土宗の寺.「かつぎや」に出てくる無縁坂の寺は,ここのことだろう. "おみよの方というのが結局溶姫より長生きしてるんだよ、無縁坂の講案寺で"(雪鴉) |
講安寺 | 2006 | |
麟祥院 | りんしょういん | 佐原の喜三郎(青木嵩山堂 (1898)) | 文京区湯島4-1-8 | 臨済宗天沢山麟祥院.3代将軍家光の乳母,春日局の菩提を弔うために寺領が与えられた.カラタチの生け垣で囲われていたことから,枳殻寺と呼ばれていた.今も,春日局の墓参りに訪れる人が多い.穴の貫通した墓石に驚くが,死後も黄泉から政道を見とおせるようにとの遺言によるという.見当違いの礫川公園(春日1)にあって批判の多かった春日局像は,麟祥院前に移設されている. "湯島の切通に麟祥院と云ふ寺がありました"(佐原の喜三郎) |
麟祥院春日局墓 | 2019 | |
加賀家:赤門 | あかもん | 松曳き(三一談志1:15) など 5件5題 (東京5件) | 文京区本郷7-3 | 加賀家百万石前田家の御守殿門.文政11(1828)年,将軍家斉の娘を輿入れするにあたり,赤門を建てた.現在は東大生が日々出入りしている門.休日に行くと潜り戸しか開いていない.もちろん,丸の内の赤井御門守も将軍家と姻戚関係にある. "その名残りが本郷の東大の赤門。あれは加賀様百万石の江戸屋敷のあとだ"(松曳き) |
赤門 | 2009 | |
菊坂 | きくざか | 真景累ヶ淵(角川円朝1:04) など 9件6題 (圓朝5件, 東京4件) | 文京区本郷4〜5 | → 北村辞典.本郷を西へだらだらと下る長い坂.『江戸芸能・落語地名辞典』(北村辞典)では本郷5の喜福寺から菊坂下に至る坂としている.樋口一葉旧居,菊富士ホテル跡がある. "雨は、どう降りで、車軸を流すようで、菊屋橋のきわまで来て蕎麦屋で雨止みをしておりましたが"(真景累ヶ淵) |
樋口一葉旧居跡 一葉の井戸 | 2011 | |
本妙寺 | ほんみょうじ | お七(講昭和戦前3:18) など 14件12題 (圓朝8件, 東京6件) | 文京区本郷5 | → 北村辞典.本郷丸山の本妙寺.明暦の大火=振袖火事の火元にあたる.明治になって豊島区巣鴨5-35に移転した.法華宗陣門流の東京別院.本山は「義侠の惣七」に出てくる新潟三条の本成寺になる.本堂裏に安政地震供養塔とならんで,明暦の大火供養塔がある.墓地には町奉行遠山金四郎,お玉ヶ池の千葉周作,本因坊代々の墓がある. "八百屋久四郎の一人娘にお七というのがあったんだよ、本郷丸山の本妙寺の火事で、全焼(まるやけ)になっちまった"(お七) |
振袖火事供養塔 | 2005 | |
本妙寺坂 | ほんみょうじざか | 元祖 荻江露友之伝(円朝全集 別巻2, 岩波書店 (2016)) | 文京区本郷5 | 圓朝の「月謡荻江一節」についての点取りに登場するだけで,本編には登場しない.前項の本妙寺があった時分には,寺で行き止まりだった.本妙寺門前を南に下る.現在,本妙寺坂の説明板は,菊坂を越えてふたたび上る坂(鐙坂)に建てられている.用例でも坂を登って,伊豆倉(春日通りあたり)へ出ているので,南へ登っていることになる. "本妙寺坂を上り伊豆倉横より加州公前"(元祖 荻江露友之伝) |
本妙寺坂 | 2023 | |
本郷:薬師 | やくし | 三題話(百花園, 8-29 (1889-90)) | 文京区本郷3-2 | 本郷薬師.天台宗真光寺のうちにあった薬師堂.薬師の縁日には,植木,雑貨,骨董などの夜店が並び,大層にぎわったという.この様子は,泉鏡花の「婦系図」にも描かれている.真光寺とともに戦災にあい,寺は世田谷へ移転し,薬師堂は再建されている.本郷4丁目の交差点を過ぎてすぐの路地入口に,小堂とは不釣り合いな大きさのゲートが建っている.なお,真光寺は,圓朝の「鶴殺疾刃庖刀」に登場する. "本郷に霊験(あらたか)な薬師如来へ祈りしに"(三題話:徳永里朝の曲引・芝居好・仇討) |
本郷薬師 | 2020 | |
藤村 | ふじむら | 禁酒の番屋(講明治大正4:20) など 14件10題 (圓朝3件, 東京11件) | 文京区本郷3-34 | → 北村辞典.藤むら.羊羹に代表される本郷の和菓子屋.秀吉自慢の駿河屋(伏見?)に対抗して前田家が羊羹を造らせた.寛永3(1626)年の創業.長期休業中.漱石の「猫」に出てくるほか,落語でも「禁酒番屋」の進物,「茶の湯」の茶菓子,「寝床」の甘党向けのもてなしといった具合に,菓子の代表選手のように登場する. "本郷の藤村へ行つてカステラの大きな折を買つて、漏ら無い様にして彼の利酒を入れて"(禁酒の番屋) |
藤むら | 2005 | |
兼康 | かねやす | 小間物屋政談(青圓生12:08) など 5件4題 (東京5件) | 文京区本郷2-40 | → 北村辞典.乳香散で知られた本郷3丁目の小間物屋.本家争いの末,"かねやす"と表記する.江戸初期の創業.本郷2丁目の角で目立っていた店だが,とうとう閉店してしまった."本郷もかねやすまでは江戸の内",店でもそううたっている.堀部安兵衛の書いた"かねやすゆうげん"の看板が「敵討札所の霊験」の"みずしまたいち"のヒントとか. "芝の若狭屋甚兵衛、本郷へまいりますと兼康という、これァまァ江戸でも指折りの小間物屋で"(小間物屋政談) |
かねやす | 2005 | |
春木座 | はるきざ | 王子の幇間(講明治大正1:15) など 7件7題 (東京7件) | 文京区本郷3-14 | → 北村辞典.春木座の前身は,1873(明治6)年に始まる奥田座で,1876年に春木座と改称した.歌舞伎化された牡丹燈籠もかかった.その後,数度の火災から立ち直り,本郷座(「土龍の床下」)と改称して再建され,新派の拠点となった.跡地に以前は,日本ビクターの名が入った銘板がたっていた. "本郷の春木座、本所の寿座、その他どこの緞帳芝居へまでも"(王子の幇間) |
本郷座説明板 | 2009 | |
壱岐殿坂 | いきどのざか | 小言幸兵衛(講明治大正1:16) など 4件2題 (圓朝1件, 東京3件) | 文京区本郷1,本郷2 | → 北村辞典.小笠原壱岐守の下屋敷に由来する坂名.あとづけの新壱岐坂で分断されている細い東西路.坂の上が本郷2-30,坂下が本郷1-20あたりで,西へ下っている.本郷1-18先に銘板とブロンズ像がある. "水戸さま前を通り越し、壱岐殿坂を昇り、本郷へ係り"(小言幸兵衛) |
壱岐坂 | 2009 | |
新坂 | しんさか | 禁酒の番屋(講明治大正4:20) など 2件1題 (東京2件) | 文京区本郷1-25〜31,32 | → 北村辞典.「禁酒番屋」で,禁酒を命じる旗本の住まいに設定される.壱岐殿坂の北を西へ下る坂.石段のところに銘板があり,石川啄木が住んだとあるが,これは森川町の新坂. "小石川新坂に安藤という小さい旗本がその以前ございました"(禁酒の番屋) |
新坂 | 2005 | |
講道館 | こうどうかん | 尺八(新落語, 宇宙堂 (1911)) | 文京区春日1-16 | 嘉納治五郎が創設した柔道の総本山.精力善用 自他共栄が理念.治五郎が指導した灘校の校是もこれと同じ.用例の六段になるのは並大抵でなく,黒帯でなく紅白帯を締めることができる. "相撲は四十八手裏表を心得、其の上柔術が講道館の六段ッ"(尺八) |
講道館嘉納治五郎師範像 | 2020 | |
水戸家(上屋敷) | みとけ | 孝行糖(青金馬:03) など 40件17題 (圓朝4件, 東京36件) | 文京区後楽1 | → 北村辞典.水戸家の上屋敷は,有料庭園の小石川後楽園のほか,美濃部都知事鶴の一声の競輪場やドーム球場,さらには大深度温泉と移り変わりが激しい. "痛えやじゃないよ、いちばんやかましい水戸様のご門だ、首斬られたってしょうがねえんだ"(孝行糖) |
小石川後楽園 | 2009 | |
隆慶橋 | りゅうけいばし | 怪談牡丹燈籠(角川円朝1:01) など 3件3題 (圓朝3件) | 文京区後楽2 | → 北村辞典.江戸川に架かる.「牡丹燈籠」で,孝助が闇討ちにあう場面.となりに新隆慶橋ができて,裏道みたいになってしまった. "水道端を出て隆慶橋を渡り、軽子坂を上がって帰って来ました"(怪談牡丹燈籠) |
隆慶橋 | 2009 | |
大曲 | おおまがり | 怪談牡丹燈籠(角川円朝1:01) など 3件3題 (圓朝1件, 東京2件) | 文京区後楽2-23あたり | → 北村辞典.江戸川(神田川)が大きく屈曲するところ.大曲バス停もあり,今でも通じる地名のはず. "再び屋敷を立ち出で、大曲りへかかると、中間三人は手に手に真鍮巻の木刀を捻くり待ちあぐんでいた"(怪談牡丹燈籠) |
大曲 | 2009 | |
牛天神 | うしてんじん | 月謡荻江一節(角川円朝5:03) など 2件2題 (圓朝1件, 東京1件) | 文京区春日1- | → 北村辞典.北野神社.今でも牛天神の名で通っている.牛坂上に鎮座する.シンボルの牛石は境内に移設されている. "牛天神下から諏訪町へ行き掛かると、ピイーと西北の風が強く、霙がパラパラ降り出してきて"(月謡荻江一節) |
牛石 | 2008 | |
富坂 | とみざか | 円タク(講昭和戦前2:13) など 2件2題 (圓朝1件, 東京1件) | 文京区春日1〜小石川1,2 | → 北村辞典.伝通院前から東へ白山通りに下る坂.西富坂ともいう.「円タク」では,さらに"向富坂"(東富坂)を上る.今の東富坂の南の小道が,もともとの向富坂になる. "富坂を下りて、春日町、向富坂を上って真砂町、本郷三丁目から切通し"(円タク) |
富坂 | 2009 | |
小石川の閻魔 | こいしかわのえんま | 白銅(講明治大正7:45) など 3件1題 (東京3件) | 文京区小石川2-23 | → 北村辞典.浄土宗源覚寺.眼病平癒を願い,こんにゃくを備えることから蒟蒻閻魔と呼ばれる.賽銭箱にも"め"の文字が描かれている.「白銅の女郎買い」,小銭であつらえた蒟蒻だけで腹をくちくしようとするクスグリ. "蒟蒻で勇気をつけやアがらア。大変な野郎だア、小石川のお閻魔様みたような奴"(白銅) |
蒟蒻閻魔賽銭箱と奉納蒟蒻 | 2005 | |
沢蔵司稲荷 | たくぞうすいなり | 狐つき(新落語全集, 大文館(1932)) | 文京区小石川3-17 | 「狐つき」の稲荷づくしで登場する.伝通寺寺中慈眼院内にある稲荷.伝通寺学寮で沢蔵司の姿になって修行したお稲荷さんは,門前の蕎麦屋にたびたび出向いた.神様なのに銭の代わりに葉っぱを使ったとは剽軽者."沢蔵司てんぷらそばがお気に入り"は,全然ひねりのない古川柳. "山の手では小石川の沢蔵堂"(狐つき) |
沢蔵司稲荷 | 2005 | |
伝通院 | でんづういん | 鈴振り(弘文志ん生3:20) など 7件6題 (圓朝2件, 東京5件) | 文京区小石川3-14 | → 北村辞典.無量山伝通院寿経寺.秀頼の妻千姫や家康の母於大の方(伝通院)の墓がある.浄土宗十八檀林の一つ,というわけで「鈴振り」で登場する. "それより小石川の伝通院へ入り、伝通院を卒(ぬ)けて"(鈴振り) |
於大の方墓 | 2005 | |
安藤坂 | あんどうざか | 円タク(講昭和戦前2:13) 1件1題 (東京1件) | 文京区春日1〜2 | 江戸からある坂だが,現代の用例.伝通院から南へ下る.坂上の紀州田辺藩安藤飛騨守の屋敷に由来する坂名. "左へ上がると安藤坂だ、上がり切ると正面が伝通院だ"(円タク) |
安藤坂 | 2005 | |
江戸川 | えどがわ | 月謡荻江一節(角川円朝5:03) など 3件3題 (圓朝1件, 東京2件) | 文京区 | 今の神田川の一部.大滝橋で神田上水を分けて,「敵討霞初島」に出てくるどんどん橋(船河原橋)で外堀に落ちていた.現在も江戸川橋などに名前が残っている.江戸川橋から西の関口にかけては桜の名所で,新小金井と呼ばれる. "「提灯に一つも逢わぬ寒さかな」、江戸川辺りはいったい淋しい"(月謡荻江一節) |
江戸川橋あたり | 2012 | |
小小金井 | − | 親子茶屋(講明治大正6:43) 1件1題 (東京1件) | 不明 | 不明.桜の名所の用例.これはしっかり調べないといけない地名.新小金井は文京区の関口あたり.同じく,江戸川に面していたか.本家の小金井桜堤の様子が,江戸東京博物館に展示されている. "江戸川の小々金井など大分花の場所が殖えてまいりまして"(親子茶屋) |
小金井ジオラマ(江戸東京博物館) | 2021 | |
武島町 | たけしまちょう | 錦魚の御拝謁(講明治大正2:54) など 2件1題 (東京2件) | 文京区水道1,2 | → 北村辞典.小石川の水道そば.名水があり,鯉がとれた.ここであがった金魚が物を言い,しまいには芸者になるのが,「金魚のお目見え」という落語. "水道橋のそばで武嶋町という所を通りかかりますると"(錦魚の御拝謁) |
小日向小石川牛込北辺絵図(近江屋板江戸切絵図) | 2020 | |
服部坂 | はっとりざか | 真景累ヶ淵(角川円朝1:04) など 6件1題 (圓朝6件) | 文京区小日向1〜2 | → 北村辞典.「真景累ヶ淵」の発端,旗本で小普請組の深見新左衛門の屋敷がある.坂名は,旗本の服部氏に由来する.南へ下る急坂. "唐真鍮の金色は錆びて見えまする。が、深彫りで、小日向服部坂深見新左衛門二男新吉、と彫りつけてある"(真景累ヶ淵) |
服部坂 | 2005 | |
龍光寺 | りゅうこうじ | 迷子札(文芸倶楽部, 17(6) (1911)) | 文京区小日向2-13あたり | 臨済宗龍興寺(りゅうこうじ).小日向服部坂上西側にあったが,明治41年に中野区上高田1-2に移転した.人情噺「迷子札」で,貧の盗みに入った男が,墓参に行った寺で紙入れを拾う場面で登場する. "寺といふは服部坂の龍光寺で"(迷子札) |
龍興寺無縁塔 | 2020 | |
大日坂 | だいにちざか | のろけ幸兵衛(文芸倶楽部, 36(3) (1930)) | 文京区小日向2 | 「のろけ幸兵衛」は,昭和初期の「小言幸兵衛」.武家屋敷の建ちならぶ大日坂から,東京近郊の阿佐ヶ谷に引っ越して小言三昧の日々.大日坂は,服部坂の一本西にあたり,坂下の天台宗妙足院大日堂から北へ登る坂.清光院の入口に渋い説明板がある. "震災前までは小石川区小日向水道町、大日坂の程ちかくに巣をくつておりました"(のろけ幸兵衛) |
大日坂 | 2020 | |
水道町(小日向) | すいどうちょう | 朝友(講明治大正3:14) など 7件6題 (圓朝4件, 東京3件) | 文京区小日向2 | → 北村辞典.神田上水の管理にあたる.「今戸の狐」に出てくる小石川水道町は,江戸時代金杉水道町と呼ばれたもので,今の春日1,2丁目になる.水道端(すいどうばた)は「牡丹燈籠」などで登場する. "男女共情死這入りませう。日本橋伊勢町、小日向水道町"(朝友) |
小日向小石川牛込北辺絵図(近江屋板江戸切絵図) | 2020 | |
水屋敷 | みずやしき | 釜どろ(立名人名演03:06) 1件1題 (東京1件) | 文京区関口1 | 水番屋.大洗堰(大滝橋)の南あたりにあった.江戸城方面への水の分配を管理した.屋敷はないが,神田上水取水口の石組みが移設されている. "鼠小僧の次郎吉でございますが、ちょいと気のきいたごろつきで、水屋敷やお納屋の丁半に取られて"(釜どろ) |
神田上水取水口 | 2020 | |
目白の鐘 | めじろのかね | 野晒し(騒人名作11:14) など 5件3題 (圓朝2件, 東京3件) | 文京区関口2 | → 北村辞典.目白不動の新長谷寺(しんちょうこくじ)前に,時の鐘があった.戦災を受けた寺は,高田の金乗院に合併し,目白不動は現存する. "目白の鐘が中央に鳴渡って、芝の増上寺の鐘は大きいけれども海に半分音が引けるからグワン"(野晒し) |
雑司ヶ谷音羽辺図(近江屋板江戸切絵図) | 2020 | |
駒塚橋 | こまつかばし | 天地振動の雄弁(雄弁, 1(2) (1910)) | 文京区関口1〜関口2・目白台1 | 「天地振動の雄弁」は,雑誌『雄弁』に掲載された異色作.新案「落語演説」とされ,貧乏学生が苦学の末,早稲田大学に進み,弁論の力で聴衆の大喝采をうけるという内容になっている.主人公が,大学の北,神田川に架かる駒塚橋で弁論の稽古をしたという.以前の駒塚橋は,現在の位置より100mほど下流に架かっていた.今の駒塚橋を渡ってすぐには芭蕉庵があり,その奥は,椿山荘の広大な庭が広がっている. "厳冬二月のからッ風の吹きぬく駒塚橋の袂で、稽古をしました"(天地振動の雄弁) |
駒塚橋 | 2023 | |
椿山荘 | ちんざんそう | 肝つぶし(柳家小満ん口演用「てきすと」 35, てきすとの会 (2019)) | 文京区関口2 | 椿が自生していたことから椿山と呼ばれていた土地を,西南の役で凱旋した山県有朋が購入し,椿山荘と名づけた.藤田平八郎から藤田観光へと管理がうつっている.ホテルから江戸川へ向かって下る庭園には,広島県から三重塔が移設され,日本各地のツバキが植えられている.初夏には蛍を見る夕べが開かれていた.最近,人工の霧で雲海を作るパフォーマンスがはじまった. "蛍も東京では椿山荘へでも行かないと見られませんが"(肝つぶし) |
椿山荘碑 | 2020 | |
鼠坂 | ねずみざか | 吉凶風車(続本草堂江戸噺, 相模書房 (2007)) | 文京区音羽1-10, 13 | 古典落語には出てこない地名.小日向から西へ,音羽に下る急坂.今でも一部が階段になっている.森鴎外に,ここを舞台とする「鼠坂」と題する小説がある. "鼠坂は小石川音羽町六丁目の東側にある坂なり"(吉凶風車) |
鼠坂 | 2007 | |
清巌寺 | せいがんじ | 政談月の鏡(角川円朝2:05) 1件1題 (圓朝1件) | 文京区小日向2-7 | → 北村辞典.曹洞宗長仙山清巌寺.小日向台町から豊島区西巣鴨4-8へ移転している.西巣鴨には,土手の道哲(「反魂香」,台東区),妙行寺(「四谷怪談」,新宿区)などが移転してきており,寺町をつくっている. "小日向に参りましたのは、祖父祖母の葬ってある寺は小日向台町の清巌寺で有りますから参詣を致し"(政談月の鏡) |
清巌寺 | 2005 | |
切支丹坂 | きりしたんざか | 怪談牡丹燈籠(角川円朝1:01) 1件1題 (圓朝1件) | 文京区小日向1-16あたり | → 北村辞典.茗荷谷の地下鉄車庫のガードから西へ上る坂.坂上右手に,宣教師シドッチが収容された切支丹屋敷があった. "孝助は新五兵衛と同道にて水道橋を立ち出で切支丹坂から小石川にかかり、白山から団子坂を下りて谷中の新幡随院に参り"(怪談牡丹燈籠) |
切支丹屋敷跡 | 2005 | |
極楽水 | ごくらくみず | 敵討札所の霊験(角川円朝2:03) など 2件2題 (圓朝2件) | 文京区小石川4-16 | → 北村辞典.小石川の浄土宗宗慶寺にわく湧水.共同印刷のグラウンドに泉弁天がかろうじて残っていた.今はマンションとなり,自由通路に小ぶりの弁天が祀られる.圓朝は"ごくらくみず"としているが,銘板でも地元の人も"ごくらくすい"と唱えていた. "小石川極楽水自証院の和尚に逢って、丁度親父の祥月命日、いささか志を出して、何うかお経を上げて下さいという"(敵討札所の霊験) |
極楽水あと弁財天 | 2005 | |
白山御殿 | はくさんごてん | 首提灯(青圓生03:10) など 3件1題 (東京3件) | 文京区白山3 | 5代将軍徳川綱吉が白山の地に設けた御殿で,小石川御殿とも呼ばれた.その後,小石川養生所を経て,現在の東大小石川植物園となる.入場有料.敷地内に養生所の井戸が残る.その他,ニュートンのリンゴやメンデルのブドウなど,植物園らしい見どころもある. "その時品川に八山御殿、白山には白山御殿というような、茫漠たる所でございましたろう"(首提灯) |
小石川養生所の井戸 | 2009 | |
御殿坂 | ごてんざか | 敵討札所の霊験(角川円朝2:03) 1件1題 (圓朝1件) | 文京区白山3 | → 北村辞典.小石川御殿脇を南へ下る.新作の「写楽と京伝」に登場する蓮華寺坂につながる. "下谷へ出まして本郷へ上り、それから白山へ出て、白山を流して御殿坂を下り、小石川極楽水自証院の和尚にあって"(敵討札所の霊験) |
御殿坂 | 2023 | |
本念寺:蜀山人墓 | しょくさんじんはか | 蜀山人(講明治大正6:13) 1件1題 (東京1件) | 文京区白山4-34 | 四方赤良,蜀山人こと大田南畝の墓.寛延2〜文政6年(享年74).蜀山人のエピソードは,ずばり「蜀山人」という狂歌噺にまとめられている.小石川の法華宗本念寺に墓がある. "現に御墓は小石川の本念寺に立ッております"(蜀山人) |
南畝大田先生之墓 | 2006 | |
願行寺 | がんぎょうじ | 恋廼緋鹿子(駸々堂 (1891))など | 文京区向丘2-1 | 浄土宗願行寺.境内に出世不動堂がある.良弁上人作と伝える不動像は本堂にあって,不動堂には前立明王像を収めている.伝通院の修行僧が,不動尊像を深く信仰したところ,紫衣の位にまで出世したことから,出世不動だと崇敬を集めた.山門前の巨大なスダジイが,落ち着いた雰囲気をつくっている. "ヨボヨボと歩いてきたのが駒込の願行寺の門前"(恋廼緋鹿子) |
願行寺 | 2019 | |
追分(駒込) | おいわけ | 阿武松(青圓生08:05) など 6件3題 (東京6件) | 文京区弥生1 | → 北村辞典.中山道と岩槻街道の追分になる.角地にある高崎屋は,宝暦年間創業の老舗酒屋.本郷の追分の用例ばかりで,駒込の追分の名では出てこない. "ここが本郷の追分だ……おや、話は早い、もう来ちまった"(阿武松) |
駒込の追分 | 2006 | |
森川町 | もりかわちょう | 雪鴉(落語見取り図, うなぎ書房 (2005)) | 文京区本郷6 | 本郷森川町.現在の本郷6丁目から,高崎屋のある駒込追分までの町.東大に隣接していて,下宿屋も多かった.高等下宿の代名詞的な建物,本郷館は,2011年に取り壊されてしまった. "本郷追分けにも、森川町の建場茶屋を前に今に続く酒屋の名店が"(雪鴉) |
本郷館 | 2011 | |
弥生町 | やよいちょう | 宿屋の富(三一談志4:18) 1件1題 (東京1件) | 文京区弥生 | 水戸藩中屋敷あとにできた町.向ヶ丘弥生町.弥生式土器の発見地で,弥生2-11に碑も建てられた. "あの弥生文化の弥生町も、御殿町も八重垣町も、愛染町も……"(宿屋の富) |
弥生式土器発掘ゆかりの地碑 | 2005 | |
宮永町 | みやながちょう | 時そば(立名人名演08:16) 1件1題 (東京1件) | 文京区根津1,2 | 北に隣接する八重垣町とともに,根津権現に由来する町名.八重垣町には,明治になって根津遊廓が設けられたが,東大設置を控えて洲崎に移転した. "下谷の総門、ちょうどただいまの宮永町のあたりだそうです"(時そば) |
根津宮永町旧町名板 | 2009 | |
藍染橋 | あいそめばし | 心中時雨傘(上)(弘文志ん生8:26) 1件1題 (圓朝1件) | 文京区千駄木2-35あたり | 文京区と台東区の境.谷田川の末,藍染川に架かっていた.神田の藍染川と同様に,染色業者が多かったことに由来するという.川跡の道は,この南にかけてくねくねと屈曲していて,へび道と呼ばれている. "その頃の、藍染橋ですとか、色っぽい名前のついてんのは、昔根津というとこァ廓がさかんでございまして"(心中時雨傘(上)) |
愛染橋説明板 | 2011 | |
団子坂 | だんござか | 菊模様皿山奇談(角川円朝4:01) など 12件11題 (圓朝7件, 東京5件) | 文京区千駄木2〜3 | → 北村辞典.千駄木2,3丁目の間を西へ上る.団子屋があったことが坂名の由来だという.菊人形と薮蕎麦(松と藤芸妓の替紋)で有名だった.薮蕎麦のあかりがちらちら見える中,車夫の徳蔵は刺し殺される.小説では,夏目漱石の「三四郎」,森鴎外の「青年」のほか,明智小五郎が初登場する「D坂の殺人事件」などがあげられる. "一生懸命にとっとと団子坂の方へ逃げて、それから白山通りへ出まして、駕籠を雇い板橋へ一泊し"(菊模様皿山奇談) |
団子坂 | 2021 | |
根津権現 | ねづごんげん | 敵討札所の霊験(角川円朝2:03) など 11件7題 (圓朝7件, 東京4件) | 文京区根津1-28 | → 北村辞典.根津神社.5代将軍綱吉が,今の社殿を造営した.建築は国重文に指定されている.6代将軍家宣の胞衣塚がある.崖を埋めつくすツツジの名所.門前は,「牡丹燈籠」のお露が,夜な夜な新三郎のもとに通う下駄の音が響いたところ. "黒木綿の紋付に小倉の襠高袴をはいて、小長い大小に下駄穿きでがらがらやって来まして、ちょうど根津権現へ参詣して、惣門内を抜けて参りました"(敵討札所の霊験) |
徳川家宣胞衣塚 | 2009 | |
大円寺 | だいえんじ | お婆さん江戸を行く(東峰今輔:12) 1件1題 (東京1件) | 文京区向丘1-11 | 曹洞宗大円寺ではなく,天台宗円乗寺に八百屋お七の墓がある.史実はともあれ,火事が悪縁で吉祥寺の小姓の吉三と恋仲になった八百屋お七は,火の見櫓を登る舞踊に,「お七」に「くしゃみ講釈」にと活躍する.天和3(1683)年,火あぶりの刑に処せられた.享年17. "駒込の大円寺というお寺、今でもあるけど、あのお寺から火を出して"(お婆さん江戸を行く) |
円乗寺八百屋お七墓 | 2006 | |
大円寺:焙烙地蔵 | ほうろくじぞう | 夫婦幽霊(円朝芝居噺 夫婦幽霊, 講談社 (2007)) | 文京区向丘1-11 | 古典落語には出てこない地名.大円寺にある八百屋お七供養のための地蔵尊.焙烙をお地蔵さんの頭の上に供える.首から上の病に霊験あり. "浮かない気分でぶらぶらと駒込焙烙地蔵前を通りかかりますと"(夫婦幽霊) |
大円寺焙烙地蔵 | 2008 | |
駒込の青物市場 | こまごめのやっちゃば | 菊模様皿山奇談(角川円朝4:01) など 3件3題 (圓朝3件) | 文京区本駒込3 | → 北村辞典.土物店.浄土宗天栄寺(本駒込1-6)に説明の碑がある.天栄寺門前に自然発生的に葉もの,根菜の市が立った.1937年に豊島市場に吸収されたとある. "白山の駒込の市場へ参って、あすこで自分の物を広げるだけの場所を借りれば商いができます"(菊模様皿山奇談) |
駒込土物店縁起碑 | 2008 | |
鷹匠屋敷 | たかじょうやしき | 田端村夜興(続本草堂江戸噺, 相模書房 (2007)) | 文京区本駒込3-18 | 御鷹匠同心屋敷.現在の駒込病院の地にあたる.工事中に動坂遺跡と呼ばれる縄文貝塚が見つかった.その銘板に,鷹匠屋敷のことも書かれている.隣接する天祖神社裏口に写真の石柱がある. "下手人は動坂の鷹匠屋敷の同心だとの噂でした"(田端村夜興) |
御鷹組中の銘がある石柱 | 2011 | |
動坂 | どうざか | 曲芸師(講談倶楽部, 10(7-10) (1920)) | 文京区千駄木4 | 快楽亭ブラック演じる「曲芸師」の舞台であるロンドンの地理を,東京にたとえている.動坂下交差点から,南西方向へ登る坂.坂上に目赤不動があることから,不動坂が名前の由来になる. "本郷駒込辺の町に見立てますなら只今丁度坂下から動坂の方"(曲芸師) |
動坂 | 2020 | |
吉祥寺 | きちじょうじ | くしゃみ講釈(青金馬:14) など 33件18題 (東京28件, 上方5件) | 文京区本駒込3-19 | → 北村辞典.曹洞宗の名刹,諏訪山吉祥寺.山門に栴檀林の額を掲げている.かつては,たくさんの寮生を抱える学寮があった.八百屋お七と駒込の吉祥寺小姓の吉三との密会.お寺さんは〜駒込〜の吉祥寺♪.写真の碑は建て替えられており,今は,"お七吉三郎比翼塚"とある. "お寺さんはァ駒込ェのォ吉ィ祥寺、それカッタン"(くしゃみ講釈) |
吉祥寺お七吉三比翼塚 | 1990 | |
駒込の富士 | こまごめのふじ | 松と藤芸妓の替紋(角川円朝3:08) など 2件2題 (圓朝1件, 東京1件) | 文京区本駒込5-7 | 富士神社.石段のついた富士(古墳?)の上に社殿がある.しっかり階段がついている点で,溶岩ゴツゴツの富士登山の醍醐味がない.山開きは盛大に行われる. "駒込の富士前の方から帰って来たら、青物市場の所を通ると、犬が五、六匹来やがって足へ絡まって"(松と藤芸妓の替紋) |
駒込の富士 | 2009 | |
鶏声ヶ窪 | けいせいがくぼ | 三味線栗毛(弘文志ん生7:14) など 8件5題 (圓朝1件, 東京7件) | 文京区本駒込1,2 | → 北村辞典.下総古河藩土井家下屋敷に鶏の声が響き,金鶏が掘り出された.「三味線栗毛」は鶏声ヶ窪の酒井雅楽頭の下屋敷が舞台となる.酒井家下屋敷跡にあった鶏声の井舊跡と題する歌碑が,白山5-13に移設されている.筒井津々いつの暁久みそめて鶏のハ声の名にやたつらん(松平楽翁).何のことやら.もう1題,鶏声ヶ窪を舞台にする珍しい落語がある(→ 絶滅危惧落語「御盆」). "ェェ鶏声ケ窪――俗に大塚という処ィ、下屋敷があります、そこへ、部屋住の身となって"(三味線栗毛) |
鶏声の井舊跡碑 | 2005 | |
一行院 | いちぎょういん | 熱海土産温泉利書(角川円朝2:04) 1件1題 (圓朝1件) | 文京区千石1-14 | → 北村辞典.浄土宗一行院.享保6年の大火で焼けたが,名僧徳本行者が再興したため,人々が群集した.諸国を歩いて念仏を広めた徳本行者は,11代将軍家斉に招かれ,一行院にとどまった.文政元(1818)年に亡くなった.一行院の境内奥に巨大な墓がある.徳本の念仏塔は独特の書体で,ひとめでそれとわかる. "ちょうど徳本行者が諸国をお巡りになり、今帰って巣鴨の一行院においでだから"(熱海土産温泉利書) |
徳本行者墓 | 2023 | |
猫又坂 | ねこまたざか | 新籠釣瓶(にっかつ談志:2) 1件1題 (東京1件) | 文京区千石2,3 | 猫股坂.千石通りに向けて西へ下る坂.坂下の千川に,"ねこまたばし"と刻まれた袖石が2本残されている.あたりに赤手拭いをかぶって踊るタヌキがいた.橋を通りかかった道心者が,白い獣に驚き,千川にはまったという話が伝わる.以来,猫のあやかしである猫又橋の名がついたという. "王子稲荷の手前の、猫又坂で騙し討ちにして"(新籠釣瓶) |
猫貍橋袖石 | 2008 | |
護国寺:三条実美墓 | さんじょうさねとみはか | 不貞妻(講明治大正2:30) 1件1題 (東京1件) | 文京区大塚5 | 三条実美は,公家出身の明治の元勲.天保8(1837)年生まれ.太政大臣として天皇を補弼し,内大臣から総理大臣を兼務した.1891(明治24)年に死去し,国葬となる.享年53.墓は,護国寺本堂の裏手にある.内大臣正一位大勲位三條公之墓とある.用例の「不貞妻」は,なんのことはない「風呂敷」のこと. "音羽の護国寺へいって三条様へお詣りをして"(不貞妻) |
三条実美墓 | 2007 |
掲載 051223/最終更新 230901