奈良県 その1 | ||
圓朝地名図譜 |
||
爰に大和國郡山に源九郎稻荷といふのがございます。之は皆樣も疾くに御存じの千本櫻で有名の源九郎狐(きつねただのぶ)を祀つたものでございます。所が此の源九郎狐が一ツ東京見物に出掛けやう (入船亭扇橋 「源九郎狐」) 演藝倶楽部, 2(4), 148 (1913) |
地点名 | この1題・登場回数 | 位 置 | 備 考 | 写真と撮影年 | |||
奈良県 | ならけん | 奈良の大仏さん(レオ三枝5:10) 1件1題 (上方1件) | 奈良県 | いにしえの都の奈良県の落語地名は,奈良市や県北部に集中している.「奈良名所」のパートの後は具体的な地名は出てこないが,「東の旅」の一行は奈良から伊勢へ向かっている.「鹿政談」に出てくる奈良名物以外にも,奈良漬けや奈良茶粥,柿の葉寿司,三輪素麺などがあげられる.奈良茶粥は,ほうじ茶で炊いたお粥で,塩を加えるほか,奈良漬けを添えたりする.かつては奈良の朝飯の定番だった. "せめて奈良県のハンバーガー屋だけでも、ハンバーガーの中に奈良漬けをはさんでもらうとか"(奈良の大仏さん) |
奈良茶粥 | 2020 | |
大和 | やまと | 山崎屋(講明治大正7:04) など 91件36題 (圓朝4件, 東京48件, 上方39件) | 奈良県 | 旧国名.『古事記』に,大和は国のまほろばと称えられた豊かな土地.大和盆地から目立つ大和三山の名をつけたどら焼きがある.3つの丸が,天香具山,耳成山,畝傍山を示しているのだろう.耳成山だけは落語に出てこない.「土橋万歳」の用例にあるように,大和の万歳は重大なる罪. "ヘエ、大和のまんざいだすね"(土橋万歳) |
三笠山大和三山 | 2022 | |
生駒 | いこま | 口合小町(立米朝2:12) 1件1題 (上方1件) | 生駒市 | 生駒の聖天さんの門前町にある旅館には,風俗営業許可店や十八禁の札が掲げられ,昔ながらの遊びの形が余命を保っている. "河内の生駒の里の高安左衛門の娘、生駒姫"(口合小町) |
宝山寺新地 | 2023 | |
生駒山 | いこまやま | 鷺とり(PHP枝雀:1) など 4件3題 (上方4件) | 生駒市 | 標高642m.三角点は生駒山上遊園地の豆列車の軌道内にある. "むこうの山、見たことのある山やなァ。ア、生駒の山やでェ"(鷺とり) |
頂上駅と一等三角点 | 2005 | |
生駒の聖天 | いこまのしょうでん | 牛の丸薬(三一大系8:13) など 2件2題 (上方2件) | 生駒市門前町 | 真言律宗大本山宝山寺.歓喜天を祀る.背後は,役行者が修行した般若窟.生駒聖天へは通勤手段といった感じで,複線のケーブルが通じている. "あ、聖天さん祀ってある山でんな"(牛の丸薬) |
聖天堂と般若窟 | 2005 | |
雀の茶屋 | すずめのちゃや | お伊勢参り(新和上方復刻:17) など 2件2題 (上方2件) | 生駒市か | 不明.暗峠を生駒側へ下る道すがらにあるように読めるがわからない. "登が雀の茶屋、下りが砂茶屋"(お伊勢参り) |
|||
小瀬 | おぜ | 伊勢参宮神乃賑(創元米朝6:03) 1件1題 (上方1件) | 生駒市小瀬町 | 暗越奈良街道.新興住宅地に完全にのみ込まれている.写真の中央のくぼみが,次項の榁木峠. "小瀬に砂茶屋尼ヶ辻"(伊勢参宮神乃賑) |
小瀬を望む | 2005 | |
榁木峠 | むろのきとうげ | 七度狐(講落語全集2:11) など 7件4題 (東京2件, 上方5件) | 大和郡山市矢田町〜生駒市 | 薄暗い急坂を登りきると急に視界が開け,榁木峠に至る.お地蔵様が峠を見下ろし,榁木大師と民家がある. "ここを越すと直ぐ向うが諸木峠"(七度狐) |
榁木峠の急坂 | 2005 | |
蚊燻べ峠 | かくべとうげ | 東の旅(新和上方復刻:08) など 2件1題 (上方2件) | 架空 | 榁木峠に続いて登場.架空.榁の木が蚊燻しになることからの洒落. "蚊くすべ峠、おっと違うた、むろノ木峠、むろノ木は蚊くすべに成るそうでございます"(東の旅) |
|||
追分 | おいわけ | 七度狐(講落語全集2:11) など 4件3題 (東京2件, 上方2件) | 奈良市中町,大和田町 | 砂茶屋手前,郡山街道との追分.尼ヶ辻の後に配置されている例があるが,それは誤り.追分本陣の村井家とすり鉢状の谷を埋める梅林がある. "続いて追分、片々が京街道、まっすぐに行くと奈良でございます"(七度狐) |
追分本陣 | 2005 | |
砂茶屋 | すなちゃや | 猿後家(講文庫6:30) など 4件4題 (上方4件) | 奈良市中町 | 道路標識の正面は国道308号(奈良街道)ではあるが,他の道よりも細い線で描かれ,行き先が示されていない.もともと暗峠へ続く街道なのだが,古道のため一部車の通行が難しいところがある. "砂茶屋も通り越しまして、三条通り尼が辻まで"(猿後家) |
砂茶屋交差点 | 2005 | |
赤膚焼 | あかはだやき | 新作「三題噺」(金魚,茶筅,赤膚焼)(新和上方復刻:10) 1件1題 (上方1件) | 奈良市六条緑町あたり | 赤膚山の土を使った陶器.その名から想像していたのと大違いで,釉薬により白い肌をしていた. "けど勿体ないな、これは赤膚です。瀬戸物でしょう"(新作「三題噺」) |
赤膚焼窯元 | 2005 | |
西大寺 | さいだいじ | 第八回(こぶ弁慶)(滑稽大和めぐり, 駸々堂 (1898)) | 奈良市西大寺芝町1-1 | 真言律宗総本山.聖武天皇の東大寺に対して,娘の称徳天皇が勅願した西大寺.奈良時代の創建だが,寺域も狭くなり,建物は江戸時代の再建になる.参拝客も少なく,静かなたたずまい.創建時に計画された八角形の七重塔敷石と,その上に建てられた五重塔の基壇が残る.室町時代に兵火にあって焼失した. "これを西へ行くと西大寺、尼ヶ辻"(第八回(こぶ弁慶)) |
西大寺東塔跡と本堂 | 2020 | |
尼ヶ辻 | あまがつじ | 伊勢参宮神乃賑(創元米朝6:03) など 7件4題 (東京2件, 上方5件) | 奈良市尼辻あたり | 暗峠をこえて奈良へ向かう「東の旅」の道中付けの最後.ここで奈良と郡山が別れるとある.追分にも同じような説明がある.三条通りへつながる国道308号が,秋篠川をこえたあたりではなだろうか.尼ヶ辻駅前には,喜光寺と菅原神社を示す菅原道の大きな道標が立っている.菅原神社(菅原天満宮)は,小さい神社ながら,菅原氏発祥の地とされる日本最古の天満宮. "尼ヶ辻、ここに棒が一本立ってございまして右が大和の郡山、左は南都奈良としてございます"(伊勢参宮神乃賑) |
近鉄尼ヶ辻駅 | 2020 | |
南都 | なんと | 東の旅(新和上方復刻:08) など 5件4題 (東京1件, 上方4件) | 奈良市 | "左は奈良南都、南都とは南の都やそうで"(東の旅) | |||
奈良 | なら | あられ酒(新風金語楼2:01) など 82件34題 (圓朝3件, 東京45件, 上方34件) | 奈良市 | 駿河とならんで神主が有名.「鹿政談」では,大仏に鹿の巻き筆あられ酒,春日灯籠,町の早起きと,奈良名物が紹介される.江戸時代の奈良の人々は,鹿の横死の責任をとらされないように,隣家より早起きをするという.今も奈良の鹿は国の天然記念物に指定されている.せっかく早起きして仕事を始めたのに,鹿を殺してしまう豆腐屋の場面につながる. "奈良に生まれて手奈良いの、いろは匂えど、きょうここに、奈良ぶ料理の香の物、奈良で食うなら漬物を、出す奈良わしがいけねえか"(あられ酒) |
奈良の鹿 | 2006 | |
奈良町 | ならまち | 吉野狐(三一上方1:11) など 3件1題 (上方3件) | 奈良市 | 西新屋町あたりに古い町並みが残り,ならまちとして地域振興をはかる.奈良町資料館なども開設された. "大和の国は奈良町の、片ほとりなる野辺に住む、無官の狐"(吉野狐) |
ならまち界隈 | 2006 | |
三笠山 | みかさやま | 反故染め(講古典上方艶:21) など 17件9題 (東京8件, 上方9件) | 奈良市雑司町 | 天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山に出でし月かも(阿部仲麻呂).若草山でなく,御蓋山の別の表記との説明.(順番は変だが)法山,春日山,花山の三山が一直線にならんでいる. "肩のところが、『三笠の山にいでし月かも』、まあ、よけいあんたの肩がすっきり見えるがな"(反故染め) |
三笠山 | 2002 | |
三本杉 | さんぼんすぎ | 御祝儀「東の旅」(三一上方1:24) 1件1題 (上方1件) | 奈良市春日野町 | 春日山周遊路を大杉交番から登ってゆくと,休憩所の前に枯死した三本杉があり,標柱が立っている. "大杉三本杉と残るくまなく見物いたしまして"(御祝儀「東の旅」) |
三本杉跡 | 2005 | |
花山 | はなやま | 鹿政談(青圓生02:03) 1件1題 (東京1件) | 奈良市春日野町 | 春日山の東方.標高498m.春日山一帯の脇道には立ち入り禁止の札が立つのに,なぜかこの登山口には表示がなかった. "そのうしろにまた少し大きいのがある、花山という、この三つを総称して三笠山という"(鹿政談) |
花山登山口 | 2005 | |
法山 | ほやま | 鹿政談(青圓生02:03) 1件1題 (東京1件) | 奈良市誓多林町 | 芳山(ほやま).標高517m.柳生街道,峠の茶屋の先から入るところがわかりにくい.奥の茶畑の鉄扉まで登れば後は案内がある.天平期の作といわれる三面石仏は圧巻の迫力だった. "これを法山という……ほうやまと書きますが、むこうではこれをほやま"(鹿政談) |
芳山三面石仏 | 2005 | |
鴬の滝 | うぐいすのたき | 御祝儀「東の旅」(三一上方1:24) 1件1題 (上方1件) | 奈良市川上町 | 芳山と花山の間にある滝.奈良奥山ドライブウェイの休憩所から橋を渡り北に入った所.バス運行もなくなり,ほとんど車も来ないので,ハイキング気分で歩くのが無難.三本杉から芳山,鴬の滝を見て春日大社へ抜けると,半日の行程になる. "そのほか鶯の滝、蝙蝠の窟"(御祝儀「東の旅」) |
鴬の滝 | 2005 | |
月ヶ瀬 | つきがせ | 兵庫船(三一上方2:09) など 2件1題 (上方2件) | 奈良市 | 旧添上郡月ヶ瀬村.現在は,奈良市の東外れにあたる.月ヶ瀬の名物の梅林が,「兵庫船」の名物づくしで登場する.梅林は名張川の谷筋にあり,梅の時期になると観光客が殺到するため,駐車や通過することがままならない. "また春先には、月ヶ瀬の梅、君野の桜"(兵庫船) |
月ヶ瀬梅渓 | 2003 | |
木辻 | きつじ | 御祝儀「東の旅」(三一上方1:24) 1件1題 (上方1件) | 奈良市東木辻町あたり | 再び奈良市内に戻り,南へむけて落語地名をたどる. 東木辻町あたりにあった木辻遊廓で有名.明治に入っても盛んだったが,売防法で壊滅.称念寺には木辻格子と無縁塔の中に遊女墓が残る. "その晩は木辻で泊まりました"(御祝儀「東の旅」) |
称念寺 | 2006 | |
帯解 | おびとけ | 道中意見(笑福亭松鶴落語集, 三芳屋 (1914)) | 奈良市今市町 | 「道中意見」は地名折り込みの小噺.JR桜井線と並行して,奈良上街道が南北に走っている.伊勢詣りのルートにあたり,「東の旅」の喜六清八も,ここを歩いたに違いない.しかし,「七度狐」などの「東の旅」の落語には,特定の地名は出てこない.奈良から三輪をとおって慈恩寺の追分まで,『滑稽大和めぐり』など,別の噺で伊勢参宮気分を味わう. "決して帯解のやうにバアバアと暮しは致しませぬ"(道中意見) |
帯解の町並み | 2019 | |
帯解の観音 | おびとけのかんのん | 第五回(天狗山)(滑稽大和めぐり, 駸々堂 (1898)) | 奈良市今市町734 | 帯解寺の本尊は,子安地蔵尊で,観音様ではない.とはいえ,帯解で取り上げるならば,この寺しかない.安産を祈願するご夫婦の参拝が多い. "それから丹波市、在原、帯解の観音さん"(第五回(天狗山)) |
帯解寺 | 2019 | |
櫟本 | いちのもと | 第五回(天狗山)(滑稽大和めぐり, 駸々堂 (1898)) | 天理市櫟本町 | 豪族の和邇氏が住んでいたことからできた町で,次項の人丸神社は和邇下神社内にある.上街道と東西に走る高瀬街道の交わるところは,馬出と呼ばれ,山から運ばれた薪炭との交易がさかんだった.写真のような馬つなぎの柵も残っている. "櫟本へお出になりますと、人丸の社、稲荷の社などがございまして"(第五回(天狗山)) |
櫟本の馬つなぎ | 2019 | |
人丸の社 | ひとまるのやしろ | 第五回(天狗山)(滑稽大和めぐり, 駸々堂 (1898)) | 天理市櫟本町 | 柿本寺のことだろう.柿本氏の氏寺で,柿本人麻呂の遺骨を埋めた土地とされる.創建の地から移りかわり,江戸時代には学僧を輩出したが,明治に入って廃寺となった.和邇下神社の高台に,柿本寺跡を示す表示があるほか,境内中央の公園地のようなところには,柿本人麻呂を祀る小祠,歌塚と深掘りされた碑,烏帽子をかぶって片膝立てた人麻呂の石像がならんでいる.歌塚は,享保17(1732)年,森本宗範や柿本寺の僧によって建てられたとある. "櫟本へお出になりますと、人丸の社、稲荷の社などがございまして"(第五回(天狗山)) |
歌塚 | 2019 | |
稲荷の社 | いなりのやしろ | 第五回(天狗山)(滑稽大和めぐり, 駸々堂 (1898)) | 天理市か | 特に大きな社殿ではないが,和邇下神社の境内入り口右手に稲荷神社が見つかった. "櫟本へお出になりますと、人丸の社、稲荷の社などがございまして"(第五回(天狗山)) |
稲荷神社 | 2019 | |
在原 | ありわら | 第五回(天狗山)(滑稽大和めぐり, 駸々堂 (1898)) | 天理市櫟本町 | 話中,宿屋の下女が語る観光案内で挙げられた名所.第五回は「高宮川」(天狗山)なので,実は宿代を払わず夜中に逃げ出すルートを,下女の話から探っていた.在原は,『伊勢物語』の筒井筒にちなむ土地.筒井筒 井筒にかけしまろがたけ 過ぎにけらしな妹見ざるまに.現在,在原神社として筒井筒や夫婦竹などが残されている.後世,謡曲「井筒」にもまとめられている.幼なじみの井筒姫と暮らす業平だが,そのうち高安の里に別の女をつくって通いはじめる.その身を井筒姫は和歌を詠んで案じる.落語では,シャレで亭主の穴っぱいりを止めようという「口合小町」となる. "それから丹波市、在原、帯解の観音さん"(第五回(天狗山)) |
在原神社筒井筒 | 2019 | |
在原寺 | ありわらでら | 第五回(天狗山)(滑稽大和めぐり, 駸々堂 (1898)) | 天理市櫟本町 | 西名阪道のすぐ南に隣接して,小さな神社が残されている.これが明治9年まで在原寺だった在原神社.謡曲「井筒」で,旅の僧が在原寺を訪れたときには,すでに荒れ果てた境内に描かれている.江戸時代には,紀州徳川家が社殿を寄進した.現在は,在原神社史蹟保存顕彰会や謡曲史跡保存会が,説明板を建てたり,保存活動を行っている.業平の邸宅跡を寺にしたとも伝えており,業平の父の阿保親王が創建したともいう.神社の祭神は,在原業平と阿保親王.速記中,一本杉(いっぽんすぎ)と書いてあるのは,おそらく一叢薄(ひとむらすすき)の誤り."これこそそれよ亡き跡の ひとむら薄の穂に出づるはいつの名残なるらん".ちゃんとススキが植えられていた. "在原寺一本杉などと申しまして旧蹟がございます"(第五回(天狗山)) |
在原寺碑 | 2019 | |
丹波市 | たんばいち | 東の旅(新和上方復刻:08) 1件1題 (上方1件) | 天理市丹波市町 | これは「東の旅」の地名.丹波市は旧称.今は天理市内になる.写真の市座神社は市神を祀っている. "馬に乗って丹波市へ出まして"(東の旅) |
市座神社社頭 | 2004 | |
柳本 | やなぎもと | 第五回(天狗山)(滑稽大和めぐり, 駸々堂 (1898)) | 天理市柳本町 | 天理(丹波市)の南にある奈良上街道の宿場.33面もの三角縁神獣鏡を出土した黒塚古墳や,実在する最初の天皇の可能性が高い崇神天皇陵をはじめとして,古墳が多い.道路元標は,駅前からの道が上街道と交差するところに建てられている. "この三輪から柳本へさして出ます"(第五回(天狗山)) |
柳本村道路元標 | 2019 | |
芝村 | しばむら | 道中意見(笑福亭松鶴落語集, 三芳屋 (1914)) | 桜井市芝 | 「道中意見」は地名折り込みの小噺."柳の木の元に縛りつけて"の地口.位置的には,柳本,巻向(まきむく)の先,三輪の手前にあたる.芝の名がついたバス停があるが,旧街道からは外れている.ここから三輪まで歩いたところ,何軒もの三輪そうめんの製造販売所があった. "私を柳の本へ芝村つけて御折檻をなされませ"(道中意見) |
芝バス停 | 2020 | |
山の辺道 | やまのべのみち | 河村瑞賢(にっかつ談志:5) 1件1題 (東京1件) | 桜井市 | 奈良から天理を通り桜井に至る山沿いの古道.よく整備されているおり,ハイカーが多い.噺に出るのは次項の玄賓庵付近. "奈良山ノ辺ノ道にあります元贇庵がそれでございます"(河村瑞賢) |
山の辺道 | 2004 | |
元贇庵 | げんぴんあん | 河村瑞賢(にっかつ談志:5) 1件1題 (東京1件) | 桜井市茅原373 | 玄賓庵(げんぴあん).玄賓僧都の草庵のもとに,三輪明神の亡霊が訪れる謡曲「三輪」の舞台.現在地へ移転している. "奈良山ノ辺ノ道にあります元贇庵がそれでございます"(河村瑞賢) |
玄賓庵山門 | 2004 | |
三輪 | みわ | 軽業(創元米朝6:04) など 6件4題 (東京1件, 上方5件) | 桜井市三輪 | 三輪明神,大神神社の鎮座地.その一の鳥居前に,三輪の茶屋があった.跡地であるご子孫が住んでいる民家の庭先に,梅川忠兵衛碑がある.以前は案内の看板が出ていたが,撤去されていた.うれしいことに,道路からもちらりと見える.封印切りした金も使い果たし,梅川忠兵衛の二人は,新口へ向かう.だまされしゃんすな,しょんがいな. "ならぬ旅籠や、三輪の茶屋。茶屋の姉貴が飛んで出て、だまされしゃんすなお若い衆"(軽業) |
三輪の茶屋跡 梅川忠兵衛之碑 | 2020 | |
三輪明神 | みわみょうじん | 第六回(これこれ博打)(滑稽大和めぐり, 駸々堂 (1898)) | 桜井市三輪 | 大神神社(おおみわじんじゃ).大物主大神が祭神.大鳥居の向こうに見える三輪山自体がご神体になる.酒造業者の信仰が篤く,「杉酒屋」や「運つく酒」の杉玉の起源になる.拝殿前に巳の神杉と呼ばれるスギの巨木がある.根元の洞に大神の化身の白蛇が棲むことから,こう呼ばれる.今も,生卵やワンカップ酒が供えられていた. "丁度今日は三輪明神様の御祭日で"(第六回(これこれ博打)) |
三輪神社大鳥居 | 2019 | |
慈恩寺 | じおんじ | 侠客小金井桜(毎日新聞 (1898)) | 桜井市慈恩寺 | 慈恩寺という名の寺は廃寺となっている.ここまでたどってきた上街道と,難波からやってきた横大路が,慈恩寺の追分の辻で出会う.2つに折れた道標が無造作に置かれていた.近鉄大和朝倉駅が最寄りになる. "大和国山辺郡初瀬の観音に近き、慈恩寺と呼ぶ宿に附きました"(侠客小金井桜) |
慈恩寺追分 | 2019 | |
初瀬 | はせ | お伊勢参り(新和上方復刻:17) 1件1題 (上方1件) | 桜井市初瀬町 | 長谷寺の門前町.温泉旅館や土産物屋などが軒をつらねる. "初瀬まで足をのばしました"(お伊勢参り) |
初瀬の町並み | 2004 | |
長谷寺 | はせでら | 綱七(騒人名作05:12) など 13件8題 (圓朝1件, 東京4件, 上方8件) | 桜井市初瀬町773 | 西国三十三ヶ所第8番札所.真言宗豊山派総本山.拝観有料.長い屈曲した登廊をたどって,舞台のある本堂へと登ってゆく.牡丹の花はもちろん有名だが,桜や紅葉の寺としても知られる. "大和の国は長谷寺に鎮座まします観世音大菩薩、沢田が命はここ龍神に備え奉る"(綱七) |
長谷寺 | 2020 | |
長谷寺:舞台 | ぶたい | 七度狐(講落語全集2:11) など 2件1題 (東京2件) | 桜井市初瀬町773 | 長い登廊を上ったところにある長谷寺本堂は,舞台を崖に突き出している.国宝指定された. "『長谷の舞台から化粧坂見れば、今は牡丹の花盛り』"(七度狐) |
内陣から舞台を望む | 2004 | |
化粧坂 | けわいざか | 七度狐(講落語全集2:11) など 2件1題 (東京2件) | 桜井市初瀬町 | 下化粧坂と上化粧坂の2本の坂がある.伊勢本街道でもある下化粧坂は,長谷寺への参道の途中,道標の立つ伊勢辻で右折し,初瀬川を渡って左に曲がったところが登り口になる.苔ですべる急坂を登りきると愛宕神社への参道を分け,真正面に長谷寺を見ることができる.イザベラ・バードは『日本奥地紀行』の中で,この風景を絶勝している.下化粧坂をさらに進むと,与喜天満宮から登ってきた上化粧坂と合流する. "『長谷の舞台から化粧坂見れば、今は牡丹の花盛り』と伊勢音頭にもあります"(七度狐) |
下化粧坂 | 2020 | |
萩原 | はぎはら | 第四回(長者番付)(滑稽大和めぐり, 駸々堂 (1898)) | 宇陀市萩原 | 『滑稽大和めぐり』では,初瀬街道を西に向かって歩いている.次項の三本松を過ぎ,萩原で伊勢本街道が合流してくる.酒造の神様,三輪明神も近く,ここを「運つく酒」(第四回)の舞台に取っている.近鉄榛原駅が最寄りになる. "両人は三本松の茶店を背後(あと)に萩原へかかりました"(第四回(長者番付)) |
萩原交差点 | 2016 | |
三本松 | さんぼんまつ | 第三回(こび茶)(滑稽大和めぐり, 駸々堂 (1898)) | 宇陀市室生三本松 | 『滑稽大和めぐり』の第三回は,「こび茶」に「煮売屋」をつかみ込んだような構成になっている.奈良県の鹿高の関所で,"こいつはええ"というはやり言葉を禁じられる.奈良県に入った三本松の茶店で,思わず"こいつはええ"ともらしたところを,役人につかまる.近鉄三本松駅の西側に三本松宿本陣跡があり,東側には女人高野と呼ばれる室生山への道標が残されている.文政2年の建で,是より五十丁とある.たしかに室生山までは南方5キロほどで,古道が通じている. "これより三本松へやッて参りました"(第三回(こび茶)) |
三本松室生山道標 | 2019 | |
宇陀郡 | うだのこおり | 白木屋(講明治大正2:14) など 5件2題 (東京5件) | 宇陀郡 | "そもそも国の始まりは大和国、郡の始まりが宇陀郡"(白木屋) | |||
薬師寺 | やくしじ | 除夜の雪(創元米朝5:10) 1件1題 (上方1件) | 奈良市西ノ京町 | 法相宗大本山.東塔西塔を持つ薬師寺式伽藍で知られる.拝観有料.落語本文には出てこない寺. "バレンタインデイに贈り物をしてるかと思うと、薬師寺へ行って般若心経のお写経をしてる"(除夜の雪) |
薬師寺 | 2002 | |
郡山 | こおりやま | けつね(阪大上方17:1) など 9件7題 (上方9件) | 大和郡山市 | 城下町.菜の花の中に城あり郡山(森川許六).近鉄郡山駅の北側に堀で囲まれた城跡と城主を祀る柳沢神社,南側には,金魚養殖の池が広がっている.色鮮やかな金魚が群れているとは思えない,濃い緑の水が満ちていた. "奈良か郡山の町へ行て、綺麗なべべに帯、かんざし"(けつね) |
郡山城天守石垣 | 2002 | |
源九郎稲荷 | げんくろういなり | けつね(阪大上方17:1) 1件1題 (上方1件) | 大和郡山市洞泉寺町 | 源義経が吉野へ逃れるとき,彼を守護した白狐を祀る.義経によって源九郎の名が与えられた.狐が初音の鼓となるのは,「義経千本桜」の趣向であり,落語では「ぽんこん」に取り入れられている.境内に6代目中村勘九郎が寄進したシダレザクラがある.細い路地の奥に神社があり,まさに鳥居の目の前が洞泉寺遊廓で,かつては大いににぎわった.写真の建物のように細かい格子造りの家が何軒か残っている.戦後では「けつね」という噺にしか出てこないが,戦前の速記には江戸の稲荷が総出演する「源九郎狐」という珍しい噺がある.入船亭扇橋演で,演藝倶楽部 2巻4号(1913)に所載(→ 絶滅危惧落語「源九郎狐」). "牛若丸もやっぱりけつねの一門、源九郎で源九郎稲荷"(けつね) |
源九郎稲荷 | 2020 | |
岡町 | おかまち | 第八回(こぶ弁慶)(滑稽大和めぐり, 駸々堂 (1898)) | 大和郡山市東岡町・西岡町 | 近鉄郡山駅の南側,郡山名産の金魚池が広がるあたり.東岡町の方に遊廓があった.町家として活用を図っている洞泉寺遊廓と違って,妓楼跡の保存状態は悪い.1軒は取り壊され,写真の1軒は荒れるに任せた状態だった.あとの1軒は周辺の宅地開発が進み,エンタシスを模した玄関と3階の格子窓の建物が,周囲の新築住宅から浮いていた. "岡町といふのぢやが、この郡山の花街(いろまち)"(第八回(こぶ弁慶)) |
東岡町遊廓妓楼跡 | 2020 | |
本多大内記の墓 | ほんだだいないきのはか | 第八回(こぶ弁慶)(滑稽大和めぐり, 駸々堂 (1898)) | 大和郡山市南郡山町397 | 日蓮宗寿量山速成寺のことだろう.寛永17(1640)年,郡山藩主本多内記政勝公の眼病を,速成寺開基となる照善院が祈願平癒した.このことから眼病平癒の寺として知られる,本多政勝の墓は高野山にあり,ここは菩提所となっている.本多忠勝の血を引く本多政勝は,鬼内記,大内記と呼ばれた.本多政勝の旧領地であった姫路城菱の門を模した入口に造られている.参拝には事前予約が必要. "彼れは本多大内記様の御墓所だといふ"(第八回(こぶ弁慶)) |
速成寺 | 2020 | |
外川村 | とがわむら | 第八回(こぶ弁慶)(滑稽大和めぐり, 駸々堂 (1898)) | 大和郡山市外川町 | 郡山の名所として,『滑稽大和めぐり』の2人は外川を訪れている.ここの名所が,お婆さんが川で洗濯をした留の小川と,舌切り雀の宮だという.いずれも,おとぎ話を踏まえた名所らしいが,郡山のどこのことか不明. "これから左へ這入ッて行くと外川村"(第八回(こぶ弁慶)) |
外川バス停 | 2020 | |
生田伝八の墓 | いくたでんぱちのはか | 第八回(こぶ弁慶)(滑稽大和めぐり, 駸々堂 (1898)) | 大和郡山市千日町49 | 浄土宗常称寺内.崇禅寺馬場の仇討は,滑稽落語「崇禅寺馬場」としても伝えている.義弟の仇を討つため,遠城治左衛門・安藤喜八郎兄弟は郡山藩を脱藩して,敵の生田伝八郎を追った.しかし,崇禅寺馬場で多数の助太刀に囲まれて返り討ちにあう.卑怯な振る舞いを後悔した生田伝八郎は,千日寺(常称寺)門前で割腹して果てた.寺の尼僧だった伝八郎の姉が,伝八郎と遠城兄弟の菩提を弔った.寺には閻魔の姿をした生田伝八郎の墓と,その隣に観音像がある.こちらは遠城兄弟のための分墓だそうで,噺に書かれている伝八郎の乳母の墓ではない.女性の姿をしているので,誤って伝わったのかもしれない. "これは閻魔の像ぢやが、この下の台に書いてある生田伝八之墓と"(第八回(こぶ弁慶)) |
生田伝八郎墓 | 2020 | |
法隆寺 | ほうりゅうじ | 兵庫船(三一上方2:09) など 4件3題 (東京1件, 上方3件) | 生駒郡斑鳩町法隆寺山内 | 聖徳宗総本山法隆寺.何といっても世界最古の木造建築として知られている.10分しか見ていないのに何か書くのは恐れ多い.『滑稽大和めぐり』の連中も,法隆寺から龍田へ抜けている. "多武の峰談山神社、法隆寺"(兵庫船) |
法隆寺 金堂五重塔 | 2004 | |
龍田の明神 | たつたのみょうじん | 第八回(こぶ弁慶)(滑稽大和めぐり, 駸々堂 (1898)) | 生駒郡斑鳩町龍田1-5 | 斑鳩町の龍田神社のことか,三郷町の龍田大社のことか,本文だけでは判別できない.いずれも,天御柱大神,国御柱大神が祭神.法隆寺,龍田川と続いて訪問しているので,斑鳩町の方を取り上げた.祭神は風雨を鎮め,式を司る神様で,延喜式の龍田地主大神とされる.境内には楠大明神などの末社があるが,ニワトリを飼っていたりはしなかった.ほかに,金剛流発祥之地碑がある.法隆寺門前の市で力を蓄えた郷民が,祭礼で猿楽を演じたことに由来する. "これは龍田の明神、此所へさして鶏を進(あ)げると、雌鳥に鶏冠が出来て"(第八回(こぶ弁慶)) |
龍田神社 | 2019 | |
龍田川 | たつたがわ | 千早振る(筑摩古典06:17) など 21件4題 (東京19件, 上方2件) | 生駒郡斑鳩町あたり | 千早振る神代も聞かず龍田川からくれないに水くぐる.とは,「千早振る」に出てくる在原業平の歌で,前段に「陽成院」の歌根問がつく噺.龍田川は紅葉の名所.元々は大和川のことだという.モミジが植えられた斑鳩町の竜田川を探しているようでは,見当ちがいか. "竜田川……何処かの川かい?いやァ…川じゃない"(千早振る) |
竜田川公園 | 2006 | |
龍田山 | たつたやま | 洒落小町(講明治大正4:50) など 14件6題 (東京9件, 上方5件) | 生駒郡三郷町あたり | 風吹けば沖つ白浪たつた山夜半にや君が一人越ゆらん(井筒姫).「洒落小町」,やはり業平の噺.大和川北の広い地域,特に三室山周辺を指すらしい.大阪府に入るが,三角点の先に傳龍田神社本宮址碑がある. "流行唄じゃアねえや。風吹けば沖津白浪龍田山"(洒落小町) |
三室山より | 2006 | |
川西 | かわにし | けつね(阪大上方17:1) 1件1題 (上方1件) | 北葛城郡川西町 | 兵庫県の川西と早とちりしたところ,奈良の川西と教示いただいた.面塚は新しい碑だが,観阿弥の出生にちなみ,観世流発祥を示す.10mほど移転している. "今朝も、川西の知るべへ行く途中で、悪いかりゅうどに捕えられ"(けつね) |
面塚旧地碑 | 2004 | |
箸尾 | はしお | けつね(阪大上方17:1) 1件1題 (上方1件) | 北葛城郡広陵町 | 「けつね」という噺にしか出てこない.箸尾駅から離れているが狐塚,巣山古墳といった狐を思わせる地名もある.陪塚(ばいちょう)らしい狐塚古墳は道路で分断されている. "広々とした大和平野、あの箸尾の在の街道筋を"(けつね) |
狐塚古墳 | 2005 | |
新口村 | にのくちむら | 本堂建立(講昭和戦前6:07) など 6件5題 (東京6件) | 橿原市新口町 | 近松作,冥途の飛脚−新口村.伝忠兵衛墓が善福寺内(新口町454)にある.近鉄新ノ口駅西口ロータリーには,雪の中を行く梅川忠兵衛を描いた碑ができた.そこから北に歩いて数分のところ,狭い路地に面して善福寺はある. "浦里の手を取って、大和新口村まで参りました折は、四十両の金は使い果たしてたった二分しか残りまへん"(本堂建立) |
伝忠兵衛墓 | 2002 | |
新口村:阿弥陀寺 | あみだじ | 実説一男二女之塚(古穴怪談 元禄塚, イーグル書房 (1893)) | 橿原市新口町か | 新口に戻った忠兵衛が,この寺で切腹したという.忠兵衛は,宝永7(1710)年12月5日没とされるのに対し,噺では元禄時代の出来事が真実だとしている.それを明治の噺家が語るのだから,真に受けない方がよさそう.忠兵衛が自殺したのは,新口の安楽寺で,境内には梅川忠兵衛供養の阿弥陀石仏がある. "この阿弥陀寺といふ寺へ這入って腹を切った"(実説一男二女之塚) |
安楽寺 梅川忠兵衛供養石仏 | 2020 | |
八木 | やぎ | あんま炬燵(初代桂春団治落語集, 講談社 (2004)) | 橿原市八木町あたり | 大和の八木.「あんまの炬燵」の盲人の出身地.だから,お店の小僧のためにコタツになって大和炬燵だという.炬燵といってもアンカのような形.古道の横大路と下ツ道が交わる札の辻は,交易も盛んな八木の中心街だった.芭蕉句碑"草臥て宿借る此や藤の花". "大和の八木の者がお宅で炬燵ん中入って番頭はん、丸でヤ・ヤ・大和炬燵やがな"(あんま炬燵) |
札の辻 | 2011 | |
畝傍山 | うねびやま | 紀元節(新作落語名人三人集, 室戸書房 (1943)) | 橿原市 | 大和三山の一つ.標高198m.山の東北に神武天皇陵,南側に神武天皇を祀る橿原神宮が鎮座する.高千穂からやって来た神武天皇が,畝傍山のふもとに橿原宮を造ったと伝える. "翌年の九月に畝傍山の麓に葬り奉った。神武天皇といふ方はかういふ方だ"(紀元節) |
畝傍山 | 2022 | |
橿原神宮 | かしはらじんぐう | 兵庫船(三一上方2:09) など 2件1題 (上方2件) | 橿原市畝傍町 | 明治期の1890年に京都御所を移築して創建された.あの紀元二六〇〇年式典がここで行われ,そのために近鉄は路線まで付け替えた. "大和の国と申しまして、第一に橿原神宮"(兵庫船) |
橿原神宮社頭 | 2004 | |
桜井 | さくらい | 常大夫義大夫(伊勢参宮神賑,青蛙房 (2014))など | 桜井市 | 「東の旅」のルートとしては,桜井は南に行きすぎる.三輪から別項の慈恩寺に出る方が自然なるーとになる.桜井駅前にあるモニュメントの各面には,芸能創生の地,さらに仏教公伝の地,相撲発祥の地,万葉集発燿の地とある.なんしかエライ所だす. "喜六・清八が、奈良から三輪、桜井、西国三十三ケ所第八番の札所・長谷寺の手前まで、やって参りますと"(常大夫義大夫) |
芸能創生の地碑 | 2020 | |
天の香具山 | あまのかぐやま | 鮫講釈(三一談志3:11) など 2件1題 (東京2件) | 橿原市南浦町 | 百人一首,"春過ぎて夏来にけらし 白たへの衣干すてふ 天の香具山"(持統天皇).だだっ広い藤原宮址(橿原市高殿町あたり)からは,天の香具山ほかの大和三山を望める. "石川や浜の真砂は尽きるとも、むべ山風を天の香具山"(鮫講釈) |
天の香具山 | 2004 | |
多武峰談山神社 | とうのみねたんざんじんじゃ | 兵庫船(三一上方2:09) など 4件3題 (上方4件) | 桜井市多武峰 | 談山神社(たんざんじんじゃ).拝観有料.藤原鎌足が祭神で,やはり木造十三重塔は圧巻.裏山に大化改新の密談を行った談所の森と鎌足墳墓がある.バス間合いの1時間で見るには急ぐべし. "多武の峰談山神社、法隆寺"(兵庫船) |
談山神社十三重塔 | 2004 | |
藤原鎌足の菩提所 | ふじわらかまたりのぼだいしょ | 東の旅(新和上方復刻:08) など 2件2題 (上方2件) | 桜井市多武峰 | 談山神社のこと. "多武峰へまいり藤原鎌足公の菩提所も見物いたしまして"(東の旅) |
|||
橘寺 | たちばなでら | 城木屋(青圓生12:16) など 4件2題 (東京4件) | 高市郡明日香村橘 | 天台宗仏頭山上宮皇院菩提寺.田道間守が橘の実を持ち帰ったことから,橘寺と呼ばれる.聖徳太子誕生所.拝観有料.伽藍はすっかり建てかわっているが,奇妙な形の五重塔心礎が残る.本堂脇に善悪を表すという二面石. "島の始まりが淡路島、寺の始まりが橘寺"(城木屋) |
橘寺五重塔心礎 | 2004 | |
壺阪寺 | つぼさかでら | 入目の景清(講落語全集1:12) など 5件4題 (圓朝1件, 東京4件) | 高市郡高取町壺阪3 | 真言宗南法華寺.西国三十三ヶ所第6番札所.拝観有料.盲目の浪曲師,浪花亭綾太郎の「壺坂霊験記」でなじみ."妻は夫をいたわりつ〜 夫は妻を慕いつつ〜".沢市つぁんはちょうど像の裏の崖から身を投げた.お帰りには,サワイチ目薬Vをどうぞ. "壺坂寺の観音様へ信心をしたらば、沢市の眼が開いたというのは、芝居や浄瑠璃にもあるではないか"(入目の景清) |
壺阪寺お里沢市像 | 2004 | |
中将姫古跡の松 | ちゅうじょうひめのこせき | 片側町(立名人名演04:04) 1件1題 (東京1件) | 葛城市當麻か | 浄瑠璃「中将姫」外題と同じ落語地名.当麻寺にある来迎松を指すか.当麻寺は蓮の糸で編んだ当麻曼陀羅(国宝)を所蔵する. "きれいに絵の描いた板が嵌まっていて、女湯は"中将姫古跡の松""(片側町) |
中将姫御来迎松 | 2000 | |
金剛山 | こんごうさん | 牛の丸薬(三一大系8:13) 1件1題 (上方1件) | 御所市,大阪府南河内郡千早赤阪村 | 奈良−大阪県境の山.標高1125m.楠正成が籠城した赤阪,千早城は大阪側になる.ロープウェイも利用できる.登山客が非常に多かった.冬には霧氷が見られる. "あれは河内の金剛山や。楠公はんのお城のあったところでんな"(牛の丸薬) |
金剛山を望む | 2005 | |
五條 | ごじょう | 鯉網(初代桂春団治落語集, 講談社 (2004)) | 五條市 | 五條の漁師の網打ちスキルが高いという説明.五條新町通の町並みの中でも栗山家住宅は豪壮(非公開). "大和の五條い行きますと、旦さん、この腕いさいて、網を掛けまへん"(鯉網) |
栗山家住宅 | 2005 | |
大津念仏寺 | おおつねんぶつじ | たが屋(三一談志1:09) 1件1題 (東京1件) | 五條市大津町 | 大津は滋賀県ではなく五條の集落の名.念仏寺陀々堂で大鬼小鬼が走り回る火祭り(重要無形民俗文化財)が,1月14日に行われる. "大津念仏寺のだだ押しの鬼走りの火祭り等があります"(たが屋) |
大津念仏寺 | 2005 | |
吉野川 | よしのがわ | 極楽坂の決闘(弘文小佐田定雄:02) 1件1題 (上方1件) | 奈良県 | 妹山背山付近が舞台.下流は紀ノ川.妹山背山の撮影地は,吉野町の水泳場というバス停のそば.国立劇場閉場にあたり,「妹背山婦女庭訓」吉野川の場の道具帳がフォトスポットになっていた. "この吉野川のあたりに何匹犬がいてるかわからんが"(極楽坂の決闘) |
妹背山婦女庭訓 吉野川の場 | 2023 | |
下市 | しもいち | けつね(阪大上方17:1) 1件1題 (上方1件) | 吉野郡下市町 | 「義経千本桜 鮨屋の段」.下市には料理旅館の弥助が現存する.「鮨屋」のいがみの権太の墓は,阿智賀瀬ノ上の民家にある.駅の名所案内にも乗っている.椿橋そばだが,非常にわかりにくかった. "吉野の里に程近い、下市の在に住んでおります"(けつね) |
いがみの権太墓 | 2005 | |
六田の渡 | むだのわたし | 第五回(天狗山)(滑稽大和めぐり, 駸々堂 (1898)) | 吉野郡大淀町北六田〜吉野町六田 | 柳の渡し.川は吉野川.吉野山への主要ルートだった.1929年,美吉野橋が架けられたことで,これにとってかわった.上流には桜の渡し(桜橋),下流には椿の渡し(椿橋),桧の渡し(千石橋)があった.大峰奥駆道の起点で,平安時代に開かれたという.ここで,大峰山に向かう山伏が水垢離をとった.南岸には,役行者像が残されている.北岸には,大きな柳の木のもとに,天明6(1786)年に建てられた石燈籠型の道標が見える.渡し場のところから,道路拡張によりやや下流に移設されている. "やうやうと出て参りましたのは、六田の渡場"(第五回(天狗山)) |
柳の渡しあと | 2020 | |
妹山 | いもやま | 極楽坂の決闘(弘文小佐田定雄:02) 1件1題 (上方1件) | 奈良県:架空 | この新作では紀和にまたがる妹山背山を舞台に設定.歌舞伎の「妹背山」では奈良県吉野町の吉野川をはさむ妹山,背山とされる. "大和と紀伊の国境に、妹山と背山という二つの山がございます"(極楽坂の決闘) |
妹山(左)背山(右) | 2005 | |
吉野 | よしの | 鼻利き源兵衛(立名人名演03:16) など 44件25題 (圓朝2件, 東京27件, 上方15件) | 吉野郡吉野町 | 今も吉野すしを名乗る店が多いが,ここが寿司の別名にもなっている弥助という料理屋.「お化け長屋」,拾った財布で弥助でも取ろうなどと使われる.「義経千本桜」では,すし屋弥助,実は平惟盛として描かれる.最近まで釣瓶鮨を商っており,邸内に維盛塚がある. "はなが見たいな。吉野へござれ……"(鼻利き源兵衛) |
料理旅館弥助 | 2005 | |
口の千本 | くちのせんぼん | 春(白川小春団治:11) 1件1題 (上方1件) | 吉野郡吉野町吉野山あたり | 下の千本と同じ.大橋は下に水がない空堀で,天王橋,丈の橋とともに吉野三橋の一つ.アジサイでなくもちろん桜の名所. "口の千本が八分咲きで、明日明後日頃は多分満開"(春) |
大橋 | 2005 | |
吉野:銅の鳥居 | かねのとりい | 天王寺詣り(普通名作1:02) など 5件2題 (東京1件, 上方4件) | 吉野郡吉野町吉野山 | 日本三鳥居の一つ,銅の鳥居.重文.大峯山寺の入り口にあたり,山上ヶ岳までの4つの門の最初になる. "大和吉野にあんのが銅の鳥居、芸州安芸の宮島が楠の鳥居、天王寺が石の鳥居"(天王寺詣り) |
銅の鳥居 | 2005 | |
中の千本 | なかのせんぼん | 春(白川小春団治:11) 1件1題 (上方1件) | 吉野郡吉野町吉野山 | 吉野に逃れた南朝後醍醐天皇は,死して北朝の都を睨む中の千本,如意輪寺に墳墓が設けられた. "中の千本が六分咲き"(春) |
吉野朝宮址碑 | 2005 | |
如意輪寺 | にょいりんじ | 春(白川小春団治:11) 1件1題 (上方1件) | 吉野郡吉野町吉野山 | 後醍醐天皇の勅願寺.楠木正行が辞世を記した扉は宝物館に展示されている.文字が細いのは矢じりで刻んだせい.帰らじとかねて思へば梓弓なき数に入る名をぞとどむる. "吉野山には南朝の忠臣楠正行の史蹟があります(中略)如意輪堂の扉に"(春) |
正行辞世の扉 | 2005 | |
奥の千本 | おくのせんぼん | 春(白川小春団治:11) 1件1題 (上方1件) | 吉野郡吉野町吉野山あたり | 西行隠棲の地で,芭蕉も訪れた.とくとくと落つる岩間の苔清水汲みほすほどもなきすまひかな(西行).露とくとく試みに浮世すすがばや(芭蕉).西行庵近くの苔清水では,時をこえて今も懸樋から水がとくとくと流れている.西行庵には,漂泊の歌人のイメージとは違い,力士のような体型の西行が座っていた. "花の吉野は、奥の千本がまだ蕾"(春) |
西行庵苔清水 | 2005 | |
蹴抜の塔 | けぬけのとう | 居残り佐平治(明治大正落語名人選集 4, 日外アソシエーツ (2018)) | 吉野郡吉野町吉野山 | 奥の千本にある義経隠れ塔.西行庵とは反対方向に進んだところにある.真っ暗闇で修行するため窓がない.義経がここに潜んでいたところ,追っ手に急襲され,天井を蹴破って脱出したことから蹴抜の塔と呼ばれる.「白浪五人男」の文句をまねして,「居残り佐平次」が品川の楼主から金をせびるときの文句に出てくる.こういうセリフは,悪く芝居がかって語ると野暮になる. "物持百姓の家へ押入りまして盗んだ金の罪科(つみとが)は毛抜の塔の二十、三十"(居残り佐平治) |
義経隠れ塔 | 2005 | |
洞川 | どろがわ | 愛宕山(創元米朝1:01) など 6件3題 (上方6件) | 吉野郡天川村洞川 | 非常に苦い腹薬の陀羅尼助が名物.現在も盛んに売られているが,薬事法上,家内生産ではなくなり,従来の板状よりも丸薬が主流という. "洞川でダラスケ買うてきて。山上参りみたいに言うてるがな"(愛宕山) |
洞川の町並み | 2005 | |
大峰山 | おおみねさん | 鋳掛屋(講ス文庫大全:55) など 9件5題 (上方9件) | 吉野郡天川村洞川 | 山上ヶ岳(大峰山)の山頂(標高1719m)に大峯山寺がある.修験道の本山で,今も女人禁制を守る.雨の中を,ひたすら山頂まで往復してきただけだが,修行者になると西ノ覗岩などで命がけの行を行わねばならない.「いかけ屋」のサゲの"あんじょうお詣り"に似た"ようお詣り"が登山者同士の挨拶. "「私は山上参りや」「ああ、ごきげんようお参りやんな」"(鋳掛屋) |
大峯山寺 | 2005 | |
十津川 | とつかわ | 兵庫船(三一上方2:09) など 2件1題 (上方2件) | 吉野郡十津川村 | 「兵庫船」の川尽くしで登場.奈良県の落語地名としては,ぽつんと離れているポイントなので,和歌山県の熊野側から入った方が近い.大和八木から十津川を経て,和歌山県の新宮までを6時間半かけて走る,日本一長い路線バスが利用できる.洪水被害にあった住民が,北海道へ入植したのが新十津川.十津川には,野猿と呼ばれる人力ロープウェイで川を渡れるところもある. "私は、大和の十津川です"(兵庫船) |
十津川 | 2002 | |
篠原村 | しのはらむら | たが屋(三一談志1:09) 1件1題 (東京1件) | 不明 | 不明.花火の鍵屋の祖とある. "大和国は篠原村から弥兵衛という若者が江戸に出てきた"(たが屋) |
|||
へいびき山 | へいびきやま | けつね(阪大上方17:1) 1件1題 (上方1件) | 架空 | 架空の山名.落語家の符丁,一,二,三のもじり. "この次の村のへいびき山という大きな丘の一軒家"(けつね) |
掲載 050211/最終更新 240801