住之江区 |
地点名 |
この1題・登場回数 |
位 置 |
備 考 |
写真と撮影年 |
粉浜 |
こはま |
手切れ丁稚(騒人名作03:20) など 3件2題 (上方3件) |
住之江区粉浜, 粉浜西,住吉区東粉浜あたり |
南海本線粉浜駅周辺.ここも「手切れ丁稚」でお妾の移住先に挙げられる.古くは粉浜村と呼ばれ,粉浜駅そばの粉浜街道沿いに道路元標が残っている.
"近くて粉浜、岸の里"(手切れ丁稚) |
粉浜村道路元標 |
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2022 |
粉浜仲之町 |
こはまなかのちょう |
文化しるこ(国書レコード:74) 1件1題 (上方1件) |
住之江区粉浜1〜3 |
粉浜中之町.西成郡のうち.南海本線の西側,今の粉浜1〜3丁目になる.
"わたいの家はナ、大阪西成区粉浜仲之町二丁目六十番地"(文化しるこ) |
戦後大阪市街地図(部分) |
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2023 |
新道路 |
しんどうろ |
莨の火(三一上方1:30) など 2件1題 (上方2件) |
住之江区 |
国道26号.「莨の火」のマクラで,住吉へのルートを説明している.『上方はなし』が刊行されていた昭和初年に開通している.
"住吉街道もずっと家が並びまして、ことに西へ新道路の広いのができまして"(莨の火) |
国道26号 |
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2023 |
住吉大社:高燈籠 |
たかとうろう |
傾城瀧川(講談倶楽部, 2(5) (1912)) |
住之江区浜口西1-6 |
住吉のランドマークである高燈籠は,名所図にも必ず描かれている.鎌倉時代にはじめて造られたといわれ,航海の目印になっていた.戦後,一時撤去されたが,旧地より東側200mのところ(浜口西1-1)に,鉄筋コンクリート造りで再建されている.住吉名勝保存館の史料館として公開されている.前項の地図にも旧地が示されているが,現地には石標がある.
"広田今宮も跡にして、天下茶屋、住吉高燈籠、反橋を左右に見て"(傾城瀧川) |
住吉高燈籠 |
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2023 |
住吉公園 |
すみよしこうえん |
電話の散財(国書レコード:72) など 2件2題 (上方2件) |
住之江区浜口東1 |
住吉大社駅の西側,明治初年に設けられた公園地.中央は汐掛道と呼ばれる参道で,燈籠がならぶ.その脇に,宝の市を詠んだ芭蕉句碑がある."升買て分別かはる月見かな".元禄7(1694)年,住吉参詣の折,芭蕉は宝の市で名物の升を買った.そのひと月後,芭蕉は大阪南御堂で亡くなっている.
"住吉で乗換するもんやさかい、一ぺん公園の方へいこうか、浜の方へ行こうと思うと"(電話の散財) |
住吉公園芭蕉句碑 |
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2023 |
浜口町 |
はまぐちちょう |
代書(三一上方2:33) など 2件1題 (上方2件) |
住之江区浜口東, 浜口西 |
「代書屋」の主人は,新開地を浜口町と書き改めている.
"住吉区浜口町ニ於テ饅頭商を営ムと。これいつまでやってたんや"(代書) |
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新開地 |
しんかいち |
代書(三一上方2:33) など 2件1題 (上方2件) |
住之江区浜口東, 浜口西 |
「代書屋」の客は,新開地で巴焼屋をやらないで二行抹消.
"場所は。住吉の新開地だんね。市場の横でナ"(代書) |
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住吉新地 |
すみよししんち |
すみよし茶屋(新和上方復刻:05) 1件1題 (上方1件) |
住之江区御崎あたり |
娼妓が住吉公園の周辺に集められた.移動変遷があるらしく,よくわらかない.浜口東から御崎にかけてと思うが如何.
"しめしめ住吉新地、遠出と出かけましたな"(すみよし茶屋) |
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小町茶屋 |
こまちぢゃや |
傾城瀧川(講談倶楽部, 2(5) (1912)) |
住之江区安立1 |
細井川に架かる御祓橋は,川船頭が大きなかがり火を焚いて,住吉神社の神輿を迎えた場所になる.橋の南詰には,美人が釜の湯を汲んで,長い杓に乗せて茶を出す小町茶屋があった.「傾城瀧川」という人情噺では,大阪からはるばるやって来た瀧川と喜助は,小町茶屋の先,"住吉さんの渡り"の神輿台に荷物を置いてひと休みする.深夜の大和橋で,喜助は瀧川を刀で斬りつける.大和橋北詰に住吉大社の神輿火替所が置かれ,神輿の川渡り渡御が行われた.
"反橋を右左に見て、小町茶屋浪花屋の松も跡にして"(傾城瀧川) |
小町茶屋跡御祓橋 |
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2023 |
安立町 |
あんりゅうちょう |
住吉駕籠(三一上方1:13) など 4件2題 (上方4件) |
住之江区安立1〜4あたり |
医師半井安立(なからいあんりゅう)に由来する細長い町.かつては海沿いで,霰松原の碑が安立2-11にある.難波屋という茶店にあった,低く葉を広げた笠松が名高かった.
"身は安立町で用をたしておったので遅れたと存じ"(住吉駕籠) |
安立町の町並み |
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2004 |
浪花屋 |
なにわや |
逆い夢(三一上方1:08) 1件1題 (上方1件) |
住之江区か |
住吉大社から大和橋の間にあった料理屋らしい.
"浪花屋へ入ったら松の上には船頭松右衛門"(逆い夢) |
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大和川 |
やまとがわ |
堺飛脚(米朝落語全集 増補改訂版3, 創元社 (2014)) |
住之江区〜堺市 |
大和川は,奈良県に発し,大阪湾に注ぐ.江戸時代,18世紀に付け替え工事が行われ,淀川へつながる流れが,現在の大阪市と堺市を区切る流れとなった.旧河川では,鴻池新田などの新田開発が進められた.都市部を流れているため,近年まで水質汚濁の進むワースト河川として知られていた.
"大和川を渡りまして、堺の町へ入ります"(堺飛脚) |
大和川 |
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2023 |
大和橋 |
やまとばし |
逆い夢(三一上方1:08) など 5件3題 (上方5件) |
住之江区〜堺市 |
大阪と堺を分ける橋.川は大和川.大坂側からやって来て殺されそうになった夢を見た男,大和橋をこえたら「逆い夢」,正夢ではなく逆夢になるという芝居づくしの噺が用例になる.
"それは大和橋北詰か南詰か"(逆い夢) |
大和橋 |
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2004 |
南港 |
なんこう |
大阪レジスタンス(レオ三枝6:10) 1件1題 (上方1件) |
住之江区あたり |
大阪弁排斥施策で南港に収容所が設けられる.フェリーターミナルやアジア太平洋トレードセンターがあり,コンクリ詰めにされて南港に捨てられるのでは,とおびえるようなおっかない土地ではなくなったはず.とはいえ,倉庫群がずらりとならぶ港湾部は,地の果て感を感じさせる.
"逮捕されると、大阪の南港あたりや、長居公園などに作られた収容所に入れられ"(大阪レジスタンス) |
大阪南港 |
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2009 |
大正区 |
地点名 |
この1題・登場回数 |
位 置 |
備 考 |
写真と撮影年 |
大正橋 |
たいしょうばし |
年上の人(桂三枝創作落語大全集, メディアクラフト牡牛座 (2004)) |
大正区三軒家東1〜浪速区幸町3・木津川1 |
木津川に架かる.渡しにかわり,大正4年に架橋されたことから名づけられた.大正区の名前の由来でもある.親柱には伊予の青石が飾られ,ベートーベン交響曲第9番「歓喜の歌」の譜面が欄干の意匠としてつけられている.
"「おかん、店やってんのかいな?」「スナックをな、大正橋で」"(年上の人) |
大正橋 |
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2008 |
尻無川 |
しりなしがわ |
骨つり(創元米朝4:18) など 4件3題 (上方4件) |
西区, 大正区, 港区 |
木津川から別れて西流し,大阪湾に注ぐ河川.尻無川や木津川河口は釣りの名所だった.
"お前どこぞ他へ行たらどうや。ええ。やっぱりこう尻無川とか安治川やとか"(骨つり) |
甚兵衛渡船 |
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2004 |
甚兵衛の小屋 |
じんべえのこや |
大阪名所 四季の夢(三一上方2:31) など 2件2題 (上方2件) |
大正区泉尾, 港区市岡か |
甚兵衛の渡しは,尻無川の下流部を,現在の大正区から港区へと渡していた.今も,市営の甚兵衛渡船として,やや下流で運行されている.渡し口にあった蜆汁などを商う甚兵衛の小屋が有名だった.川岸には木蝋を取るための櫨(ハゼ)が植えられていた.『浪花百景』の構図では,色づいたハゼの木を前面に配置し,港区側に小屋らしいものが描かれている.用例では,蜆汁ではなく,豆腐のから汁で一杯飲んでいる.いずれにせよ秋も深まって寒くなってきた時期らしい.一方,『浪花百勝』の図を見ると,小屋は大正区側にあったように見える.
"甚平の小屋へ上って豆腐滓汁で一ト銚子飲んで、両側の櫨が色着いてるので"(大阪名所 四季の夢) |
しりなし漆づつみ甚兵衛の小家(浪花百景) |
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2021 |
鶴町 |
つるまち |
くもんもん式学習塾(レオ三枝5:01) 1件1題 (上方1件) |
大正区鶴町 |
大正期の埋め立て地.大阪の西端を感じさせるが,実際はさらに西に住之江区のポートタウンが広がる.倉庫ばかりでなく,宅地開発も進みつつあり,バスは10分に1本くらい走っている.
"お前とこのおかん、鶴町のスタンドバーで働いてるて言うとったんと違うか"(くもんもん式学習塾) |
鶴町 |
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2022 |
大阪飛行場 |
おおさかひこうじょう |
正月丁稚(騒人名作02:16) 1件1題 (上方1件) |
大正区船町 |
1929年,大阪初の民間利用に供した大阪飛行場.短命に終わった.跡地はすべて工場地帯となっている.新木津川大橋北詰に木津川飛行場跡の標柱がある.
"木津川尻の萱や芦原を綺麗に刈り取り、いよいよ今年からエーア・ボートとして生まれ替わり"(正月丁稚) |
木津川飛行場跡標柱 |
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2004 |
日本製粉会社 |
にほんせいふんがいしゃ |
人間の子(国書レコード:76) 1件1題 (上方1件) |
不明 |
1896年創業の本邦初の製粉会社.位置については社史を調べる必要あり.今の木津川沿いの工場ではないだろう.
"日本製粉会社でございまして。あ、そんでこをひきたがるんだ"(人間の子) |
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