阿倍野区 |
地点名 |
この1題・登場回数 |
位 置 |
備 考 |
写真と撮影年 |
阿倍野街道 |
あべのかいどう |
大阪名所 四季の夢(三一上方2:31) 1件1題 (上方1件) |
阿倍野区など |
あべの筋を南下し,熊野街道に通じる.熊野街道は,次項の安倍晴明神社の近くで細い旧道に入る.
"ぶらぶらと阿倍野街道へ出ますと、人が南へドンドン行くので"(大阪名所 四季の夢) |
阿倍野街道 |
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2022 |
阿倍野 |
あべの |
円タク(白川小春団治:03) など 6件5題 (上方6件) |
阿倍野区 |
寂しいところとあるのは,次項の阿倍野墓地のこと.安倍晴明神社は,陰陽師として名高い安倍晴明の生誕地と伝えられている.境内には,安倍晴明伝承地碑,再現された清明産湯の井戸や優美な姿の葛之葉姫図像などがたちならんでいる.写真に見える稲荷社は,泰名稲荷の名がついている.安倍晴明公顕彰会の名前で,占いも行われている.
"とりわけ淋しいところですと、南では阿倍野"(円タク) |
安倍晴明神社 |
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2022 |
阿倍野墓地 |
あべのぼち |
土橋万歳(三一上方1:23) など 6件3題 (上方6件) |
阿倍野区阿倍野筋4 |
1874年,千日の墓地を移転した新葬地.著名墓も多く,1885年に亡くなった五代友厚の墓は写真中央の樹が茂ったあたりになる.大阪商法会議所初代会頭の五代像は,北浜の大阪証券取引所(現 大阪取引所)前に立っている.
"お墓まで参りましたが、この時分はモウ阿倍野へ移っておりまして"(土橋万歳) |
阿倍野墓地 |
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2022 |
阿倍野斎場 |
あべのさいじょう |
向う付け(講古典上方2:11) など 2件1題 (上方2件) |
阿倍野区阿倍野筋4あたり |
阿倍野墓地にあった火葬場.有明夏夫の小説『骨よ笑え』は,千日斎場から阿倍野斎場への移行期を活写しているだけでなく,三友派桂派の対立の裏面を描いた芸人譚にもなっている.有明夏夫は,『大浪花諸人往来』で直木賞を受賞している.このシリーズは,桂枝雀が目明かしを演じた「なにわの源蔵事件帳」の原作になる.
"帳場の方、阿倍野斎場の方やけどもな、だれも行ってもろてないのや"(向う付け) |
戦後大阪市街地図(部分) |
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2023 |
聖天山 |
しょうでんやま |
大阪名所 四季の夢(三一上方2:31) 1件1題 (上方1件) |
阿倍野区松虫通3 |
海照山正圓寺.真言宗単立.低いながらも聖天山頂上に位置していて,石段が通じている.その名の通り,歓喜天を本尊とする.慈覚大師の作という歓喜天像が,日本一の大きさを誇る木彫の歓喜天像に胎内仏として収められている.
"聖天山へ行てみると、桜花が今盛りで"(大阪名所 四季の夢) |
聖天山 |
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1998 |
文の里 |
ふみのさと |
手切れ丁稚(騒人名作03:20) など 2件1題 (上方2件) |
阿倍野区文の里あたり |
「手切れ丁稚」のマクラで,お妾さんの郊外への移住先として登場する.平野線沿線では文の里駅周辺の新興住宅地だという.1980年に廃止された南海平野線のことで,現在の地下鉄谷町線(1980年延伸)がほとんど同じルートを通っている.旧文ノ里停留場の記念説明板が,現在の文の里駅を出たところにある.かなりサビが回ってきており,いつ撤去されてもおかしくない感じ.
"平野線には文の里"(手切れ丁稚) |
文ノ里停留場説明板 |
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2021 |
昭和町 |
しょうわちょう |
地下鉄(立名作3:05) 1件1題 (上方1件) |
阿倍野区昭和町 |
地下鉄御堂筋線の駅.1951年に開業した.駅出口そばの寺西家阿倍野長屋は,長屋としてはじめて国の登録有形文化財に登録された.テナントが入っており,住宅ではない.
"電車の窓が明るくなって、次の駅―。スピーカーが、「昭和町ォ、昭和町ォ……」"(地下鉄) |
寺西家阿倍野長屋 |
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2021 |
西田辺 |
にしたなべ |
地下鉄(立名作3:05) 1件1題 (上方1件) |
阿倍野区西田辺町 |
御堂筋線の駅名をうまく織りこんだ3代目林家染語楼の「地下鉄」という新作落語に出てくる.西田辺は,1952年に開業した地下鉄御堂筋線の駅.この区間は,地上から掘り下げた工法だったため,改札口から出口までの高低差が小さい.
"地下鉄一号線の「西田辺」の駅ができて間もなくのころです"(地下鉄) |
西田辺駅出口 |
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2021 |
西成区 |
地点名 |
この1題・登場回数 |
位 置 |
備 考 |
写真と撮影年 |
西成 |
にしなり |
くもんもん式学習塾(レオ三枝5:01) 1件1題 (上方1件) |
西成区 |
西成の名は,古く奈良時代の和銅6年にさかのぼると碑文にある.1925年,大阪市拡張にともない,今宮・玉出・津守・粉浜を合わせて西成区とした.
"お前、確か、西成の方のええ工業高校出たんとちゃうのか"(くもんもん式学習塾) |
西成区の由来碑 |
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2009 |
動物園前 |
どうぶつえんまえ |
地下鉄(立名作3:05) 1件1題 (上方1件) |
西成区太子1 |
地下鉄御堂筋線の駅.1938年に開業した.ホームの壁は,ラクダやライオンなど,さまざまな動物がタイル絵で描かれている.駅のリニューアルが進みつつあり,こんなすばらしいものを一時は廃棄する計画だったとのこと.2021年現在では,テープが張られていた.おそらく,移設しつつ生かすための措置ではないだろうか.動物園と言えば,百獣の王を決めるライオンとトラの対決ショーが見どころ.
"それこそノライヌのようなありさまでした……。ドーブツエンマエー"(地下鉄) |
動物園前駅ホームのタイル |
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2021 |
飛田 |
とびた |
堺飛脚(米朝落語全集 増補改訂版3, 創元社 (2014))など 8件7題 (東京1件, 上方7件) |
西成区山王2 |
大阪七墓の一つ.鳶田が旧称.鯛よし百番は,唯一残った遊廓建築の遺構.ちんまり座ってにっこり笑う振るお姐さんと遣り手然とした仲居さんの組み合わせは,「お直し」とまでは行かないが,「臆病源兵衛」や「徳ちゃん」あたりを思い出させる風景だろう.他の遊廓と違い現役の"料亭"街なので,ウカッと写真なぞは撮らないように.
"途中、飛田を通ります。あそこは飛田という森やったそうでございまして、墓場があって、仕置場もあった"(堺飛脚) |
鯛よし百番 |
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2022 |
釜ヶ崎 |
かまがさき |
手切れ丁稚(騒人名作03:20) など 3件3題 (東京1件, 上方2件) |
西成区萩之茶屋1あたり |
「手切れ丁稚」のマクラで,安直なお妾さんが住む場所として登場する.現在の名称は,あいりん地区に言い換えている.東京の山谷と同様に,日雇い労働で暮らす人々がドヤ街に集まる.釜ヶ崎の文字は公共施設には見られないが,支援活動では盛んに使われている.興味本位で写真を撮るような場所ではない.
"今宮の釜ヶ崎に天神橋七丁目の東"(手切れ丁稚) |
釜ヶ崎の店舗広告 |
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2022 |
柳通り |
やなぎどおり |
若き日の手紙(新風金語楼3:47) など 2件1題 (東京2件) |
西成区花園南, 岸里, 橘, 潮路あたり |
柳通.西成区の旧町名.西成郡今宮村と木津村の一部が,市制開始のときに柳通となった.ほかにも梅通,松通,橘通,桜通の名が見える.天下茶屋駅から商店街を西に行った最初の交差点に,旧町名継承碑が建てられた.
"大阪市西成区柳通り三丁目柳旅館"(若き日の手紙) |
戦後大阪市街地図(部分) |
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2023 |
岸の里 |
きしのさと |
手切れ丁稚(騒人名作03:20) など 3件2題 (上方3件) |
西成区岸里 |
「手切れ丁稚」のマクラで,各鉄道沿線へのお妾さんの移住先として登場する."岸野の里"の用例も合わせた.玉出の北にあたり,松原が続いた.例文にある粉浜駅は今も現役だが,岸ノ里駅は隣接する玉手駅と1993年に合併して,岸里玉出駅となった.用例の速記が出版された昭和初年時点では,南海高野線(旧高野鉄道)の勝間駅と,後発の南海本線(旧阪堺鉄道)岸ノ里駅が,すでに岸ノ里駅として合併していた.今は,写真右手の高架を行く汐見橋線は,高野方面と接続としておらず,乗り換えのために延々と歩かされる.
"近くて粉浜、岸の里"(手切れ丁稚) |
旧岸里駅あたり |
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2022 |
安養寺 |
あんようじ |
稲川(青圓生02:05) など 2件1題 (東京2件) |
西成区岸里東1-7 |
浄土宗安養寺.佐藤魚丸がメインで,加えて猪名川,紙治おさん墓所とある.佐藤魚丸は江戸期の戯作者らしい.網島大長寺(別項)で,遊女小春と心中した紙屋治兵衛の女房がおさん.治兵衛を支える甲斐甲斐しい人物に描かれている.猪名川の墓の隣に,ガラス製の鞘堂に収まっている.
"あの浄瑠璃に出てくる、紙治の女房おさんという人が、この安養寺で尼になったと申します"(稲川) |
安養寺 |
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2023 |
安養寺:稲川の墓 |
いながわのはか |
稲川(青圓生02:05) など 2件1題 (東京2件) |
西成区岸里東1-7 |
「関取千両幟」の主人公,大坂相撲稲川こと猪名川弥右衛門の墓は安養寺に現存する.恩人が遊女を身請けする金を工面するため,ライバルの鉄ヶ嶽に勝ちを譲ろうとする.嘉永2(1849)年没.享年57.また,別に寛政12(1800)年に亡くなった稲川政右衛門も稲川のモデルだという.
"ここに墓のある、池田から出ました人で、稲川重五郎"(稲川) |
猪名川彌右衛門墓 |
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2023 |
天下茶屋 |
てんがちゃや |
箒屋娘(青小南:08) など 16件9題 (圓朝1件, 東京2件, 上方13件) |
西成区岸里 |
天下茶屋(てんがちゃや).豊臣秀吉が,ここで休息し茶の湯を催した.しるしの屋敷と名水があったが,今は大楠と土蔵,碑(岸里東2-10)のみを残す.千利休の師である武野紹鷗が隠棲した森もすぐそばになる.
"天下茶屋を通り越しますといよいよ住吉さん"(箒屋娘) |
天下茶屋の樟 |
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2023 |
勝間 |
こつま |
お文さん(講小文枝:10) など 2件2題 (上方2件) |
西成区千本南あたり |
勝間(こつま)と読む.広域の地域名だったが,今は町名としては残っていない.玉出西2-1の生根神社に,名産のこつま南瓜を顕彰する塚がある.勝間なんきんは,小柄だが性的な魅力あふれる女性のたとえにも使われた.
"「小そうおますけどもな、わてはひねてまんねん」「こつま南瓜じゃ、それでは」"(お文さん) |
こつま南瓜塚 |
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2022 |
天神 |
てんじん |
黄金包(駸々堂 (1890)) |
住吉区住吉2-3か |
猫と鼠の化物が活躍する明治期の怪作長篇,「黄金包」に出てくる.勝間付近には,3つの天神社がある.天満宮(岸里東2-3),勝間街道に近い上の天神(玉出西2-1),奥の天神(住吉区住吉2-3)が候補となる."この奥"の文句を,奥に位置すると読むか,"奥の天神"と読むかはっきりしない.上の天神の祭神には,少彦名命,蛭児命とならんで,菅原道真命が併記されており,奥の天神は独立した社殿が建てられている.
"此の奥の天神へ這入る角に待合茶屋が御座います"(黄金包) |
生根神社奥の天神 |
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2023 |
鼠の墓 |
ねずみのはか |
黄金包(駸々堂 (1890)) |
西成区 |
こちらも,猫と鼠の化物が活躍する「黄金包」に出てくる.実在しないかと思っていたら,『浪花のながめ』(安永7)(浪速叢書12, (1927))に,鼠の塚の記述があった.住吉街道天下茶屋より南むくげのうちに,大きさ猫のごとき鼠が出て人に食いついた.これを殺し,印の石を置いたとある.
"彼の勝間阪のほとりに鼠の墓と云ふのがございます"(黄金包) |
鼠の塚(浪花のながめ) |
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2023 |
玉出 |
たまで |
浮世根問(阪大上方10:3) 1件1題 (上方1件) |
西成区玉出 |
西成区の地域名.街を歩いていて,出玉をほこるパチンコ玉出と思ったら,スーパー玉出だった.このデザイン,凄すぎます.気にしていると,激安スーパーとしてテレビでもよく紹介されている.
"こないだ、玉出の御隠居が、怒ってはったで"(浮世根問) |
スーパー玉出玉手店 |
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2008 |
千本松 |
せんぼんまつ |
大阪名所 四季の夢(三一上方2:31) 1件1題 (上方1件) |
西成区南津守, 住之江区北加賀屋あたり |
三保の松原にも譬えられた木津川河口部の松並木.木津川左岸に石積みの長い堤防(石波戸)が築かれ,その上に松が植えられていた.その名を残すループ橋千本松大橋と渡船がある.西成区南津守と大正区南加賀屋とを結んでいる.歩いて渡ると,いや長い高い.
"船で木津川の千本松へ来ると"(大阪名所 四季の夢) |
千本松あたり |
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2004 |
明石屋 |
あかしや |
大阪名所 四季の夢(三一上方2:31) 1件1題 (上方1件) |
西成区か |
蜆汁が名物の料理屋.「四季の夢」から,千本松にあったことが示されている.『浪花百景』の絵からは,千本松原が海に突き出している様子がよくわかる.
"明石屋の名物蜆汁で、チョット一合飲んでいると"(大阪名所 四季の夢) |
木津川口千本松(浪花百景) |
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2021 |