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中央区 その1   
圓朝地名図譜
現今大阪の市中で昼人通りがないと申しますと不思議なようですが、前方はずいぶん淋しいところがたくさんござりました。船場では本町橋の西詰南へ唐物町の浜、俗に本町の曲り。南では住友さんの浜。西では加賀の屋敷の裏手、薩摩堀願教寺の横手。江戸堀四丁目七ツ蔵。中之島蛸の松……
 (笑福亭松鶴(5) 「次の御用日」)
  五代目笑福亭松鶴編,『上方はなし』(上),三一書房(1971)

地点名 この1題・登場回数 位 置 備 考 写真と撮影年月
中央区 大阪レジスタンス(レオ三枝6:10) など 2件2題 (上方2件) 中央区 東京落語の台東区同様,落語地名がこれでもかとばかり密集している.そのため全項目は載せず,一部間引いた.
"大阪の「南区」は「中央区」ちう名前に変わり"(大阪レジスタンス)
     
東区 人情鹿政談(近代文藝捕物:04) 1件1題 (上方1件) 中央区 南区と合併する前の旧東区.
"石山本願寺のあった大阪市東区に豊臣秀吉が築城"(人情鹿政談)
     
大阪城 どうらんの幸助(創元米朝5:09) など 62件33題 (圓朝1件, 東京26件, 上方35件) 中央区大阪城 大阪の象徴.天守閣があるので見栄えがする.登るともう1つの象徴,通天閣が見える.天守自体は古典落語には出てこない.手前に見えるモニュメントは大阪万博のタイムカプセル埋設点.
"あの人知らなんだら大阪に住んでいてお城知らんのと一緒やで。お城に住んでる人か"(どうらんの幸助)
大阪城天守閣 9711
大阪城:天守閣 人情鹿政談(近代文藝捕物:04) 1件1題 (上方1件) 中央区大阪城 寛文年間の焼失以降,江戸期にはなかった.なぜかマゲもの新作1件に用例.1931年,民間の寄付で再建.歴代の大阪城天守の中で実は最も長寿.
"一時はお城の天守閣が見えんくらいの人垣が出来て"(人情鹿政談)
     
大阪城:濠 天神山(三一上方2:11) など 8件4題 (上方8件) 中央区大阪城 ドツボにはまるか,城の堀にはまるか.どっち.
"怨めしいは、清八喜六、清八は城の濠、喜六は屎坪へほうりこんで、目に物を見せてやる"(天神山)
大阪城の堀 9711
大阪城:大手門 くしゃみ講釈(三一上方2:30) など 10件7題 (圓朝1件, 上方9件) 中央区大阪城 城の西側に現存.くぐると多聞櫓,西ノ丸庭園の煙硝蔵.桜門から巨石蛸石を見て天守閣へ.
"とうとうとうと押寄せたりしが大手の門前に突立ち上がり"(くしゃみ講釈)
大手門 9711
大阪城:焔硝倉 三十石宝の入船(講明治大正3:41) など 4件1題 (東京3件, 上方1件) 中央区大阪城 城内の焔硝倉を指すか.有料庭園の中.万治元(1658)年に爆発した経験があるので,分厚い石造り.
"本来白いのやけど過日煙硝蔵へはいって燻った"(三十石宝の入船)
焔硝倉 0001
大阪城:肥後石 力石(新潮泡坂妻夫:09) 1件1題 (東京1件) 中央区大阪城 京橋口に現存.大手桜門の蛸石に次ぐ大阪城の巨石.肥後守加藤清正の寄進によると伝える.
"江戸城本丸中門のあたりには加藤清正が運んだという肥後石という大石がある"(力石)
肥後石 0506
大阪城:玉造口 居候講釈(騒人名作11:19) 1件1題 (上方1件) 中央区大阪城 豊太閤時代と江戸期の大阪城は違っている.新福島口(くしゃみ講釈)も同様.
"城内無線電信にて、玉造口、危ふし。直ちに援兵乞ふ旨情報あり"(居候講釈)
大阪城 玉造口 9711
石山本願寺 報恩講さん(お坊さんの平成ちょっと問答,方丈堂出版 (2013)) ほか 1件1題 (上方1件) 中央区大阪城あたり 山科本願寺の焼き討ちにより,後の大坂城となる石山に本願寺が移った.織田信長との間の戦争の後,この地を退去.大阪城内に石山本願寺推定地碑がある.
"石山の本願寺は、蓮如さんが死なはるちょっと前に、自分の別荘みたいな思いで建てはった"(報恩講さん)
石山本願寺推定地碑 1303
陸軍 大阪名所 夫婦喧嘩(三一上方2:15) 1件1題 (上方1件) 中央区大阪城 大阪城の第四師団.第四師団司令部は,2001年まで大阪市立博物館として利用されていた.
"妾や理屈も陸軍も建並べ"(大阪名所 夫婦喧嘩)
元第四師団司令部 0507
城の馬場 初天神(講仁鶴:01) など 19件12題 (上方19件) 中央区 「初天神」の凧揚げ.にわかの天狗風,合羽舞い上がる,合羽屋親爺はうろたえさがして.
"凧のあげられる広場があるやろう、お前、城の馬場かどっかへ行けや"(初天神)
     
馬場町 大阪レジスタンス(レオ三枝6:10) 1件1題 (上方1件) 中央区馬場町 大阪弁排斥施策で廃止される地名.馬場町の代名詞だったJOBK(じゃぱん-おおさか-ばんばちょう-かど)も向かいの大手前に移転してしまった.
"確か廃止になる地名は、『丼池』とか、『馬場町』、『毛馬の閘門』ね"(大阪レジスタンス)
     
森之宮 大阪名所 夫婦喧嘩(三一上方2:15) 2件2題 (上方2件) 中央区森ノ宮中央あたり 森ノ宮.遺跡から発掘された人骨は大阪市民第一号.
"酒を森之宮で寅の屋のようになっている"(大阪名所 夫婦喧嘩)
     
玉造 猿廻し(三一上方2:25) など 15件10題 (東京2件, 上方13件) 中央区玉造あたり 落語では大阪の東はずれ.西は安治川.勾玉造りの玉造岡は玉造稲荷境内といわれる.
"玉造へ持っていて預けたんや。そんな遠いところへ持っていってどうするね"(猿廻し)
     
玉造稲荷 後家馬子(三一上方2:21) など 5件3題 (上方5件) 中央区玉造2-3 写真は漫才作家秋田實を偲ぶ笑魂碑.気合いが入ってます.
"ところは玉造稲荷さんの近所の裏長屋で"(後家馬子)
玉造稲荷笑魂碑 0301
上町 口合小町(創元米朝4:11) など 34件23題 (上方34件) 中央区,天王寺区 上町台地に位置する町の通称.
"上町の叔母貴が病気で寝てるさかい叔母貴のところへちょっと見舞いに行てやるのや"(口合小町)
     
元高津 上方見物(青圓生06:09) 1件1題 (東京1件) 中央区 仁徳天皇が民の竈をご覧になったのが高津宮.元高津宮碑は高津高校に移されている.
"それは本高津と申します。これはただ高津さまでございます"(上方見物)
元高津宮地碑 0301
東町奉行所 佐々木裁き(騒人名作02:20) など 3件2題 (上方3件) 中央区大手前1 落語では西町ばかりで東町奉行所が舞台にならない.東西奉行所が並んでいたが,享保9(1724)年の大火後,西町奉行所は本町橋へ移転.大阪合同庁舎1号館前に碑がある.
"只今の衛戌病院のところ、あれが東の町奉行所になっております"(佐々木裁き)
東町奉行所址碑 9711
衛戌病院 佐々木裁き(三一上方1:06) など 2件1題 (上方2件) 中央区大手前1 大阪衛戌病院.これでは意味がわからないからか,1936年大阪陸軍病院と改称.現在の大手前病院の位置.近年まで正門の柱が残っていた.
"東町奉行所は、ただいまの衛戌病院のところ"(佐々木裁き)
     
偕行社 馬場の狐(三一上方2:37) 1件1題 (上方1件) 中央区大手前1-3 大阪偕行社.これも意味がわからないからか,軍人會舘と改称.現在の大手前会館.附属小の門柱などが残る.
"十三の屑屋のおっさん、足も宙に偕行社の所から梅田へ出て家へ戻ってまいりました"(馬場の狐)
     
京橋 桜の宮(三一上方2:13) など 8件5題 (上方8件) 中央区大手前,大阪城〜片町1 寝屋川にかかる公儀橋.大阪城京橋口から京都へ向かう街道の起点.現存.
"八軒家を通って土手下から、京橋を東へ越え"(桜の宮)
京橋 9711
土手下 野崎詣り(三一上方1:14) など 2件2題 (上方2件) 中央区大手前 八軒家から京橋までの間の大阪城北側.
"八軒家から土手下を通り、京橋から片町"(野崎詣り)
     
渡辺の浜 生中継 源平(レオ三枝1:10) 1件1題 (上方1件) 中央区 天満橋から天神橋あたりの浜辺で河港.平安期,渡辺党の根拠地.
"義経は嵐をついて、摂津渡辺の浜から六時間"(生中継 源平)
     
渡辺橋 袈裟御前(騒人名作07:23) など 2件2題 (東京1件, 上方1件) 中央区か 現在の渡辺橋(たばこの火)は淀川改修の後の架橋で「袈裟御前」とは無関係.遠藤盛遠(文覚上人)が橋供養を勤め,飯粒べったりの「袈裟御前」の噺につながる.
"渡辺橋という橋が出来について橋供養の奉行職というんで"(袈裟御前)
     
八軒家 どうらんの幸助(創元米朝5:09) など 23件11題 (東京2件, 上方21件) 中央区大手前1 大阪と伏見を結ぶ三十石舟の発着場.碑は浜側の昆布店の店先にある.三十石船は蒸気船にとってかわられ,1876年からは蒸気機関車としばらく競いあった.
"煙がどうもイヤだというので夜船に乗りまして一晩かかって大阪の八軒家から京都の伏見へ"(どうらんの幸助)
八軒家船着場の跡碑 9711
紀州家 須磨の浦風(三一上方1:04) など 2件1題 (上方2件) 中央区北浜東3あたり 紀州藩蔵屋敷のことか.埋めたてられてやや内陸,近畿郵政局あたり.
"紀州公のお屋敷は天神橋南詰を東へ入りました所にございました"(須磨の浦風)
     
東横堀 百年目(三一上方1:26) など 12件7題 (上方12件) 中央区 道頓堀とともに現存する大阪の堀割.残念ながら本町橋あたりから南は,完全に高速道路がかぶっている.いくつか出てくる浜の地名は,調べがつかず省略.
"東横堀を北へ突抜けて大川の真中へ出ると"(百年目)
     
浜通り 佐々木裁き(三一上方1:06) など 3件1題 (上方3件) 中央区 東横堀沿い.佐々木信濃守,お忍びで世情を視察する場面.
"お役宅をお出ましになりまして、すぐ浜通りを南へ"(佐々木裁き)
     
善安筋 播州巡り(三一上方2:06) 1件1題 (上方1件) 中央区 南北路.谷町筋より1本西,御祓い筋より2本東.
"善安筋に貧乏人がいて、塩町の叔母はんが水臭うて"(播州巡り)
     
御祓い筋 饅頭こわい(創元米朝1:09) など 2件2題 (上方2件) 中央区 南北路.善安筋より2本西,松屋町筋より2本東.
"南農人橋、御払い筋をちょっと入ったところに"(饅頭こわい)
     
骨屋町 播州巡り(三一上方2:06) 1件1題 (上方1件) 中央区か 御祓い筋より1本西,松屋町筋より1本東の内骨屋町筋か.
"骨屋町でもよう肥えた人がいる"(播州巡り)
     
農人橋 饅頭こわい(創元米朝1:09) など 3件2題 (上方3件) 中央区船場中央1〜農人橋3 農人橋(のうにんばし).東横堀川にかかる.公儀橋だった.南農人橋(饅頭こわい)は不明.往来安全の燈籠.
"農人橋を今渡ろうとして、ヒョイと見ると、橋の真ン中に、若い女が一人"(饅頭こわい)
農人橋 9809
住吉町 片袖(阪大上方20:2) 1件1題 (上方1件) 中央区松屋町住吉 もとの住所はちゃんと住吉町だった.「片袖」の娘の商家.
"あれはなあ、住吉町の山上松兵衛ゆうて、造り酒屋の葬礼だ"(片袖)
     
和泉町 三十石夢の通い路(三一上方2:14) など 4件2題 (上方4件) 中央区和泉町 三十石乗り合わせのお女中と相乗りホロ掛けで帰る家.
"妾は上町の和泉町へ帰りますねん"(三十石夢の通い路)
     
内本町 足上り(創元米朝1:05) 1件1題 (上方1件) 中央区内本町 本町の東で,東横堀を越えたお城側.
"佐々木さん……内本町の佐々木さんか"(足上り)
     
本町の曲り 商売根問(阪大上方10:1) など 5件3題 (上方5件) 中央区南本町1,本町橋 東横堀が本町橋の南で屈曲する.大阪でも寂しいところで,河童が棲む.尻子玉をエサにすると釣れる.
"本町のまがりへ、むこう昔から我太郎がいてるちゅうて"(商売根問)
     
本町橋 商売根問(創元米朝6:10) など 13件8題 (東京1件, 上方12件) 中央区本町1〜本町橋 川は東横堀川.現存.1913年架橋で大阪でもっとも古い現役の橋.
"本町の橋の下。あんあんところにガタロが居てんのんかいな"(商売根問)
本町橋 9809
西町奉行所 天狗裁き(創元米朝7:01) など 11件5題 (上方11件) 中央区本町橋 「佐々木政談」,「帯久」,「次の御用日」,「五人裁き」などお白州ものの定番.西町奉行所跡は,次項の商品陳列所,コクサイホテルと利用されてきた.近くに"男でござる"の天野屋利兵衛碑.
"おおそれながらとしたためまして西の御番所へこれを届け出た"(天狗裁き)
西町奉行所跡 0001
商品陳列所 佐々木裁き(三一上方1:06) など 4件3題 (上方4件) 中央区本町橋2 西町奉行所跡.1890(明治23)年に始まる商工業振興のための施設.洋館造りだった.碑はその後の府立貿易館跡を示す.
"ただいまの商品陳列所、あれが西の町奉行所"(佐々木裁き)
大阪府立貿易館跡碑 0001
国際ホテル 次の御用日(創元米朝3:17) など 3件3題 (上方3件) 中央区本町橋2 コクサイホテル.西町奉行所跡.公的資金をつぎ込んでいたが2000年に廃業.
"本町橋の東詰を北へ、今の国際ホテルのあるところが番所跡ですな"(次の御用日)
コクサイホテル 0001
高麗橋 百年目(三一上方1:26) など 11件7題 (上方11件) 中央区高麗橋1〜東高麗橋 東横堀川にかかる.公儀橋.また,大坂最初の鉄の橋で名所となったが,費用超過の上,寸足らずだった.写真の親柱上の模造櫓は橋詰にあった櫓屋敷にちなむ.大坂の道の起点であり,里程元標を示す碑がある.
"高麗橋まで来てみると、立派な屋形船がデーンと着いておりまして"(百年目)
高麗橋 0605
今橋(橋) 須磨の浦風(三一上方1:04) など 2件1題 (上方2件) 中央区今橋 東横堀川にかかる.現存するが,1924年架橋の橋は架けかえられた.
"今橋を越えて鴻池家へお着きになります"(須磨の浦風)
今橋 9809
船場 仔猫(三一上方2:02) など 101件50題 (東京4件, 上方97件) 中央区 東西横堀,土佐堀,長堀に囲まれた地域.船場独特の商家のしきたり,言葉や文化があるという.噺で言えば,「次の御用日」,「立ちきり」,「百年目」,「口入屋」等々.現役の商家では,高麗橋の小西儀助商店(コニシ),承応2(1653)年創業の筋違橋のすし萬.
"これは船場のある一流の問屋で"(仔猫)
重文 旧小西儀助商店 0605
今橋筋 莨の火(三一上方1:30) など 5件3題 (東京1件, 上方4件) 中央区 "今橋筋を東へ曲がって鴻の池の御本宅。表の戸をトントン"(莨の火)      
築地 大阪名所 夫婦喧嘩(三一上方2:15) 1件1題 (上方1件) 中央区北浜1 葭屋橋の西側の三角形の土地.蟹島新地ともいう.景色がよく多景色楼,花外楼といった料亭が並んでいた.
"たたいたり築地たりする者があるか"(大阪名所 夫婦喧嘩)
     
花外楼 禍は下(創元米朝7:14) など 2件2題 (圓朝1件, 上方1件) 中央区北浜1-12 加賀屋伊助.「禍いは下」では加賀伊の用例.大久保利通と会談した木戸孝允の発案,揮毫額により,現在は花外楼となる.大川べりで営業中の料亭.
"夜網を打ってな、とれた獲物を網彦か加賀井あたりで料理して、一杯やろうというのじゃ"(禍は下)
花外楼 0001
北浜 米揚げ笊(創元米朝5:16) など 18件10題 (東京1件, 上方17件) 中央区 淀川南岸,天神橋以西あたり.笊売りは対岸堂島の米相場師で贔屓を得るが,こちらは大証の株相場.帝国座跡はオッペケペの川上音次郎の開設.
"この丼池の北浜には橋が無い、昔から無い、未だに無い、これ一つの不思議"(米揚げ笊)
大阪証券取引所 9809
北浜の鍋島さん 王将異聞(新風上方:23) 1件1題 (上方1件) 中央区 不明.鍋島藩蔵屋敷は西天満2-1.
"北浜の鍋島さんの御門、あの辺まできかかると、にわか雨がざーっと降ってきた"(王将異聞)
     
網彦 禍は下(創元米朝7:14) など 3件3題 (上方3件) 中央区北浜2 難波橋南詰,大川べりの名料亭.現在,鰻料理の阿み彦北浜店として地下に移って営業中.写真の石段は伏見稲荷山中にある.
"網彦あたりでこれからとった魚を料理してお酒になります"(禍は下)
網彦名の石段 0405
大川町 高津の富(三一上方2:10) など 7件2題 (上方7件) 中央区北浜3, 4あたり 金毘羅船の船着場.宿屋が軒を並べ,「高津の富」の大分限が泊まる.
"ところは大阪の大川町、宿屋さんが沢山ありました時分のお噂でございます"(高津の富)
     
西横堀 祝の壺(創元米朝2:15) など 2件2題 (上方2件) 中央区〜西区 他の堀川同様,1962年ごろに埋められて,その上を高速道路が通っている.碑は北端の肥後橋そばにある.ただの横堀(宇治の柴船など)も西横堀のこと.
"東横堀、西横堀、長堀、道頓堀、縦横の堀割を通って、船に桶を乗せて水を売りにまいりました"(祝の壺)
西横堀川跡碑 0506
カキヒロ 言葉は忘却のかなたへ(レオ三枝6:04) 1件1題 (上方1件) 中央区北浜3-1 かき広.大正期の創業.淀屋橋南詰に繋留するかき船形態の割烹店で,味噌とショウガの土手鍋がメイン.かつては多くのかき船が広島からやってきて,冬場だけ係留して営業した.川の中に勤めるとは,まさにこれ.固定されていないので本当にゆらゆらと座敷が揺れる.
""カキヒロ"言うたら、カキ料理の店やったなぁ"(言葉は忘却のかなたへ)
かき広より淀屋橋 0912
柴藤 お文さん(騒人名作07:11) 1件1題 (上方1件) 中央区高麗橋2-5-2 鰻料理店.北浜,新町,道頓堀に店があった.「うなぎ屋」はストーリー上道頓堀の店.移転して現在の高麗橋.飯の下からも鰻が出てきてびっくり.
"帰りがけ網彦か、または、柴藤かで鰻でご飯をちょうだいしますのだす"(お文さん)
柴藤 0001
淀屋小路 菊江仏檀(三一上方2:04) など 6件2題 (東京2件, 上方4件) 中央区北浜4 淀屋橋南詰,御堂筋から入る東西の小道.豪商淀屋の屋敷に由来.淀屋の屋敷跡の碑は大川べり.財産を没収された五代目淀屋辰五郎と水戸黄門の出会いは「雁風呂」.
"それをひかして淀屋小路あたりで小粋な家を借って囲うたアるね"(菊江仏檀)
淀屋小路銘板 8308
尚美堂 雑穀八(騒人名作01:18) など 2件2題 (上方2件) 中央区北浜4-1 宝飾時計店として「ざこ八」と「宇治の柴舟」で登場.1900年創業の北浜の尚美堂.
"尚美堂はんか。この間、注文しておいたダイヤ、まだ無いか"(雑穀八)
尚美堂 0605
適塾 曼陀羅散華(白水中島らも:1) 1件1題 (上方1件) 中央区北浜3-3 緒方洪庵(適々斎)の蘭学塾.建物は国重文.洪庵の除痘館は緒方産婦人科.物干しがいい味出している.
"「適塾」という古い建て物が今も保存されております"(曼陀羅散華)
適塾と緒方洪庵像 0506
銅座 蜀山人(三一談志5:07) など 2件1題 (東京1件, 上方1件) 中央区今橋3あたり 長崎貿易で金銀の代わりに銅取引を進めるために設けられた銅座.旧過書町.重文 愛珠幼稚園のところ.奥行き深い大建築.
"役人になって大坂の銅座へ出張。銅のことを"蜀山"といったそうで"(蜀山人)
銅座跡 0605
電信局 大阪名所 夫婦喧嘩(三一上方2:15) 1件1題 (上方1件) 中央区今橋1-3 「夫婦喧嘩」では三越と高麗橋の間に位置.今橋の西部逓信局か.
"今までは音信、電信局があってこらえ高麗橋"(大阪名所 夫婦喧嘩)
     
鴻池家 鴻の池の犬(講明治大正5:16) など 14件6題 (東京5件, 上方9件) 中央区今橋2あたり 今橋の鴻池善右衛門.日本一の分限者.長者番付の清酒調製法発見譚のほか,鴻池の犬,御神酒徳利,須磨の浦風,莨の火.本宅跡地の今橋2-4は大阪美術倶楽部.
"申し上げますとおり鴻の池善右衛門、大坂では一番の金満家、大した御身代でございます"(鴻の池の犬)
鴻池本宅跡 0605
中船場 千両みかん(三一上方2:01) など 4件4題 (上方4件) 中央区 北船場,南船場ほど明確ではない.『大阪ことば事典』では淡路町あたりの一町四方と極めて限定的.南北の境とすれば 本町あたりだろうか.
"おところは中船場で、大勢の奉公人を遣うて盛大に商売してござる御大家で"(千両みかん)
     
浮世小路 菊江仏檀(三一上方2:04) など 8件3題 (上方8件) 中央区今橋〜高麗橋 今橋の一つ南の東西路.あらゆる種類の店があるため浮世小路とか.「欲の熊鷹」の舞台でもある.
"淀屋橋を渡しまして、浮世小路を東へ入ると提燈の火を消してやって参ります"(菊江仏檀)
浮世小路 0506
三越 手切れ丁稚(騒人名作03:20) など 4件3題 (上方4件) 中央区高麗橋1,伏見町1 高麗橋の三越百貨店.創業は元禄年間に遡るが,2005年に閉店.
"あんた、三越へ行くとアノエレベーダーに乗ると怖い怖いと震うてな"(手切れ丁稚)
三越百貨店 9809
虎屋 佐々木裁き(三一上方1:06) など 3件1題 (上方3件) 中央区高麗橋3-2あたり 大阪の饅頭の始祖,虎屋伊織.創業は元禄年間で高名を得ていたが,鶴屋に引き継がれる.
"いつもなア、虎屋の饅頭買うて帰ってくれます"(佐々木裁き)
     
鶴屋 悋気の独楽(三一上方2:27) など 3件2題 (上方3件) 中央区今橋4-4 「悋気の独楽」,「お文さん」に登場する菓子舗.大阪を代表する和菓子屋の鶴屋八幡.創業は文久3年.本店は今橋,支店は数知れず.
"アア鶴屋の上用のおまんや、あたいこの饅頭好きだんね、下に竹の皮の蒲団敷いてますやろうな"(悋気の独楽)
鶴屋八幡本店 0506
伏見町 鴻の池の犬(三一上方2:36) など 4件3題 (圓朝2件, 上方2件) 中央区伏見町 「熱海土産温泉利書」,茶道具商道庄の店.道中橋筋〜丼池筋間に唐物商が多かったという.いずれも加賀屋を名乗り,加賀屋(岩井)文助は日商岩井の祖.
"オイ伏見町、ナンヤ、平野町"(鴻の池の犬)
     
道修町 げほう頭(創元米朝6:15) など 12件10題 (上方12件) 中央区道修町 薬種店街.今もタケダ,タナベ,シオノギとそうそうたる面々.薬祖である神農を崇敬し,張り子の虎を授与する神農祭りが盛ん.
"大阪の道修町の葛城屋という薬問屋(中略)げほうの岩松、葛城屋へ奉公することになった"(げほう頭)
少彦名神社・神農さん 9809
高岡 お文さん(騒人名作07:11) 1件1題 (上方1件) 中央区道修町4-5 「お文さん」の菓子舗.高岡福信.小さい店ながら創業はなんと寛永期.これは参った.酒饅頭にカステラ.
"これは高岡の薯蕷饅頭や、アハ−旨いわ"(お文さん)
高岡福信の酒饅頭 0506
平野町 代書(創元米朝7:12) など 5件4題 (上方5件) 中央区平野町 北は道修町,南は淡路町.一六が平野町で,二七が阿弥陀池…….平野町の夜店は大阪随一だった.寄席此花館は三友派の拠点一.
"一六が平野町やったと思てまんのや、二七が阿弥陀池で"(代書)
     
沢の鶴 運附酒(三一上方2:20) 1件1題 (上方1件) 中央区平野町2-1 清酒業.現在,酒蔵は灘区新在家に移転.平野町の米屋喜兵衛・米喜ということで大阪市に分類.堺筋に面する.今も平野町の旧地に沢の鶴の看板があがったビルがある.
"大阪の平野町二丁目には米喜の沢の鶴"(運附酒)
清酒 澤之鶴 0410
堺卯 大阪名所 夫婦喧嘩(三一上方2:15) 1件1題 (上方1件) 中央区平野町3-4 大阪を代表する料亭堺卯(さかう).寛政2(1790)年創業.北組惣会所跡のこの地に移転.閉店してしまい,2005年には大手ホテルチェーン店に立て替えられ,惣会所の碑も戻ってきた.
"ここへ来て平野町堺卯さんになって、両手をついて"(大阪名所 夫婦喧嘩)
堺卯ウインドウ 9809
美々卯 大阪レジスタンス(レオ三枝6:10) 1件1題 (上方1件) 中央区平野町4-4 うどんすきの美々卯.堺を発祥とするが,本店の位置をあげる.箸置き,コースター,湯飲みにもウサギ.
"ああ「美々卯」のうどんすきが食いたい"(大阪レジスタンス)
美々卯ウサギづくし 0506
淡路町 汽車の白浪(講明治大正5:30) 1件1題 (東京1件) 中央区淡路町 北は平野町,南は瓦町に接する.寄席幾代亭があった.桂・三友対立時代の桂派拠点."薬"の額をあげた高座の絵と聞けばああソレか.梅川忠兵衛碑は,天保2(1841)年創業の箱ずしの老舗吉野寿司店頭.
"船場というと広うございますが、淡路町というところでございます"(汽車の白浪)
梅川忠兵衛ゆかりの淡路町碑 0605
御霊神社 三十石宝の入船(講明治大正3:41) など 4件4題 (東京1件, 上方3件) 中央区淡路町4-4 御霊前は一六の市が立ち賑わった.文楽をはじめ,見世物,寄席が櫛比.
"大坂はどの辺へお出でになりますどすか。御霊前……ヲヲ左様で"(三十石宝の入船)
御霊神社 9809
御霊文楽座 大阪名所 夫婦喧嘩(三一上方2:15) 1件1題 (上方1件) 中央区淡路町4-4 御霊神社内に碑.明治期文楽のメッカ.松竹支配下に入り大正をもって終了.
"両手をついて御霊けんとあやまらなんだら文楽るぞ"(大阪名所 夫婦喧嘩)
御霊文楽座碑 9809
有本 すみよし茶屋(新和上方復刻:05) 1件1題 (上方1件) 中央区淡路町3 昭和のはじめ頃,名前をあげただけでわかる洋服店だったらしい.現在も淡路町3に有本株式会社.
"有本のウヰインドにちゃんと預けてありますがな"(すみよし茶屋)
有本株式会社 0806
文楽座 淀五郎(集英圓生2:06) など 2件2題 (東京2件) 中央区 時代により位置が違う.ちゃんと調べていない.四つ橋の文楽座かもしれない.
"大阪へまいりますと、人形浄瑠璃の文楽座では四段目のところは「通さん場」といいまして"(淀五郎)
     
瓦町 お節徳三郎恋の仮名文(講明治大正1:09) など 2件2題 (東京1件, 上方1件) 中央区瓦町 淡路町の南,備後町の北.お染久松のセリフが引かれる.原作のモデルは瓦屋町(別項)の油屋という.また,現行では浅草瓦町にあてられている.
"往事大坂瓦町の油屋の長女そめなる者と久松なる者と和姦に及び、しばしば密会なせし件"(お節徳三郎恋の仮名文)
     
備後町 三十石(集英圓生4:08) など 2件2題 (東京1件, 上方1件) 中央区備後町 瓦町の南,安土町の北.野村證券の基礎となる野村徳七の野村商店は本町から備後町2丁目に店舗.今も野村ビルがある.
"最前たのんだ状を備後町へ届けてもらいたいねン"(三十石)
     
堺筋 らくだ(吉本ヨシモト22:1) など 12件6題 (圓朝1件, 上方11件) 中央区 難波橋〜長堀橋の南北路.砂糖商が多いので砂糖の隠語であった.「らくだ」の葬礼のルートで,砂糖店に因縁をつける場面がある.
"ヒョロヒョロと堺筋へ出て参りました"(らくだ)
     
鳥屋町 鳥屋坊主(立名人名演07:18) 1件1題 (上方1件) 中央区備後町1,安土町1 八百屋町筋の一部の通称.鶏肉ではなく,生きている鳥を扱う鳥屋が多かった.
"大阪の、鳥屋町の、軍鶏屋の、若い衆でございます"(鳥屋坊主)
     
備一楼 吹き替えむすこ(講文庫6:29) 1件1題 (上方1件) 中央区備後町1 料理店.備一亭と書く本や地図もあったがどちらが本名か.備後町一丁目をつづめた店名だろう.
"この春、宴会に、備一楼にて、町内のおかたに、おまえ、えらいかっさいをえたという"(吹き替えむすこ)
     
安土町 箒屋娘(青小南:08) など 3件1題 (上方3件) 中央区安土町 北は備後町,南は本町に接する.箒売りの娘を嫁にもらう木綿問屋は安土町三丁目.
"大阪、船場、安土町三丁目、木綿問屋相模屋宗兵衛伜宗三郎"(箒屋娘)
     
本町 宇治の柴船(青小南:12) など 7件6題 (上方7件) 中央区本町 北はほぼ安土町,南は南本町と接するL字型の町.噺には出てこないが将来の心覚えに,町内に絹張小路,鰻小路,狐小路があった.本町の骨董屋にかかっていた美人画に恋わずらいするのが,「宇治の芝船」.
"本町の骨董屋で(中略)そこにぶらさがってる掛け軸に描いた、女の絵ェですのや"(宇治の柴船)
     
御堂筋 地獄八景亡者戯(創元米朝4:03) など 8件4題 (上方8件) 中央区 「人形買い」では御堂の前の人形店に買い物.大阪市長関一にかかる都市計画で6車線に拡幅された一方通行路.銀杏並木を行くと南海電車に突き当たる.
"それは御堂筋やな、これは冥途やさかい冥途筋じゃ"(地獄八景亡者戯)
御堂筋 御堂の前 0506
北御堂 大阪名所 四季の夢(三一上方2:31) 1件1題 (上方1件) 中央区本町4-1 西本願寺津村別院.慶長2(1597)年,本願寺12世准如の創建.空襲で焼けて再建.
"南の御堂さん北の御堂さんには、本講はん"(大阪名所 四季の夢)
北御堂 9809
南本町 鴻池の犬(創元米朝3:22) 1件1題 (上方1件) 中央区南本町 本町の南.京都泉涌寺の橋(別項)にちなみ,夢の浮橋という石橋があったという(東区誌).
"南本町の質屋の用水桶……あったあった。それは耳よりな話やが"(鴻池の犬)
     
唐物町 小倉船(創元米朝6:09) など 5件3題 (上方5件) 中央区船場中央 南本町と久太郎町の間.唐物(とうもつ)を扱うのに唐物(からもの)町とはこれいかに.
"わたしは大阪の唐物町の唐物屋の若い者で"(小倉船)
     
丼池 へっつい盗人(講古典上方1:13) など 17件9題 (上方17件) 中央区 どぶいけ.丼池筋(池田の猪買いなど)周辺,中央大通りの南北あたり.埋められてしまった芦間池に由来するという.繊維卸業が集まっている.以前はへっついを盗まれそうな不用心な道具屋の他,指物屋など.
"清やん、丼池の道具屋イへっついさん盗みに行こか"(へっつい盗人)
丼池筋と船場センタービル 0506
久太郎町 貧乏花見(三一上方1:28) など 2件1題 (上方2件) 中央区久太郎町 南北の久太郎町(きゅうたろうまち).ちょっと"食たろう"をかけている.
"玉子の巻焼を頂戴いたします、これをちょっとつまみ久太郎町一丁目"(貧乏花見)
     
南御堂 大阪名所 四季の夢(三一上方2:31) など 4件2題 (上方4件) 中央区久太郎町4-1 東本願寺難波別院.文禄4(1596)年,教如の創建.小噺「穴門の西瓜」は,南御堂裏側の石造りの門が舞台.ひんやりしてスイカを冷やすに適していた.芭蕉終焉の地に近く,境内に句碑"旅に病で夢は枯野をかけまはる"がある.
"南の御堂さんと北の御堂さんには、本講はん"(大阪名所 四季の夢)
南御堂芭蕉句碑 0506
坐摩神社 猿廻し(三一上方2:25) など 11件6題 (上方11件) 中央区久太郎町4渡辺3 摂津一宮.落語ではもっぱら"ざま"だが,"いかすり"とも読む.渡辺党の守護神で,鎮座地の住所は何とも不思議な久太郎町4丁目渡辺3.座摩の前,博労町にかけて古着屋が櫛比し,客を目当ての飲食店も多かった.寝小便タレしない小豆屋もその一つ.
"アアさようか坐摩の前に心中があると、女が十八男が二十歳で"(猿廻し)
坐摩神社 9711
地蔵祭 お玉牛(筑摩上方1:16) など 2件2題 (上方2件)   明治に入り地蔵祭が禁止され,坐摩神社境内の火防陶器神社の祭として復活した.
"今年は南瓜いやいや、と。地蔵祭やがな"(お玉牛)
陶器神社 9711
久宝寺町 三十石夢の通い路(三一上方2:14) など 4件2題 (上方4件) 中央区北久宝寺町,南久宝寺町 北は久太郎町,南は博労町に接する南北の久宝寺町.小間物屋転じて雑貨問屋街.
"私久宝寺町へ帰りますが姉さんは"(三十石夢の通い路)
     
小橋屋 野辺(新和上方復刻:09) など 3件2題 (上方3件) 中央区北久宝寺町4 「夫婦喧嘩」では佐野屋橋の前に位置.呉服店の平井小橋屋(おばせや)のことだろう.北久宝寺町の御堂筋西南角にあった.
"お前のようなことを言われると、小橋屋の暖簾で小丸てなことを言う"(野辺)
     
石原 吉野狐(三一上方1:11) など 4件1題 (上方4件) 中央区南久宝寺町3 「吉野狐」の時計づくし.石原時計店の広告によると心斎橋筋南久宝寺町南入西側.とすると服部時計店の向かい.同じく渋谷時計店は広告によると旧北久宝寺町四丁目.北浜4-1に移転して現存.
"渋谷や石原と肩もならべるほどでもないが時計屋店"(吉野狐)
石原時計店 0806
稲荷座 大阪名所 夫婦喧嘩(三一上方2:15) 1件1題 (上方1件) 中央区南久宝寺町4 非文楽系の文楽でこれらは鰻谷の近松座へ移行.博労町稲荷神社境内の北門そばにあたる.
"こんな足では親の家へも稲荷座"(大阪名所 夫婦喧嘩)
稲荷座銘板 0506
博労町 貧乏花見(三一上方1:28) など 5件4題 (東京1件, 上方4件) 中央区博労町 博労町(ばくろまち).三都三人絵師(講明治大正2:08)の馬喰町もここのはず.『摂津名所図会大成』を著した暁鐘成が住んでいた.
"わいは博労町一丁目。そんなことは何にもならへん"(貧乏花見)
     
 不明
どんぐり山 兵庫船(三一上方2:09) など 3件2題 (上方3件) 中央区か 城の東とあるが不明.杉山という山は大阪城玉造口東,大阪城公園にあった.
"お城の東にドングリ山、南に真田山"(兵庫船)
     

掲載 060701/最終更新 170601

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