上京区・中京区・下京区 | ||
圓朝地名図譜 |
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斯様に候者は 洛中第一の果報者 東西南北のわけ里を 毎日見物左衛門とは我らです (一中節 「都見物左衛門」) |
京都市 | |||||||
地点名 | この1題・登場回数 | 位 置 | 備 考 | 写真と撮影年 | |||
京都 | きょうと | たらちね(弘文柳枝:19) など 497件226題 (圓朝20件, 東京315件, 上方162件) | 京都市 | 京都市内を舞台とする落語はとても多い.「景清」「茶金」「誉田屋」「いらちの愛宕詣り」「京の茶漬」「こぶ弁慶」,みんな京都の町なかに住んでいる人々が主人公になる.「祇園会」では,祭り自慢の江戸っ子と喧嘩になる.桂文治の「祇園会」では,祇園祭山鉾巡行の先陣を切る長刀鉾をはじめ,月鉾,竹の子鉾,釜堀鉾などの名が出てくる. "我が父は京都ォの産にして、姓は安藤名は慶蔵、字を五光と申せしが"(たらちね) |
祇園祭山鉾ハンカチ | 2022 | |
西京 | さいきょう | 西京土産(講明治大正2:36) など 20件20題 (圓朝5件, 東京15件) | 京都市 | 東京に対して西京.奠都はしても,首都を法的に移転したわけではないと,今も京都が首都だと唱える人がいる. "何してもどうもまた日本のうちの公園は、西京だというが、実に西京はいいところだよ"(浮世話) |
西京味噌・八丁味噌・江戸味噌 | 2023 | |
平安城 | へいあんじょう | 繋馬雪の陣立(講明治大正4:33) 1件1題 (東京1件) | 京都市 | 「繋馬雪の陣立」は「追い炊き」のこと.平将門の謀反を題材にした芝居噺なので,10世紀の平安の都を指すらしい.大極殿は,朝廷の正殿.京都の中心が次第に東へ移り,紫宸殿に取って代わられた.平安神宮の外拝殿は大極殿を模して作られた. "比叡の御山の絶頂より、見おろすところは平安城、将門純友両人が、これぞ正しく謀反の根ざし"(繋馬雪の陣立) |
大極殿蹟阯碑 | 2006 | |
鴨川 | かもがわ | 京阪土産の下(講明治大正2:10) など 15件10題 (圓朝1件, 東京7件, 上方7件) | 京都市 | 圓朝作品にも「業平文治漂流奇談」で登場する.出町柳で高野川を合する前の加茂川は北区に分類した. "いかにも鴨川の水で育っておりますからどこまでも美麗でございます"(京阪土産の下) |
四条河原 | 2011 | |
今出川 | いまでがわ | 武者修行(騒人名作08:07) 1件1題 (東京1件) | 京都市 | 東西路.以下,北から配置した.御所の北にあたる. "京都今出川に吉岡又三郎兼房という名人があって"(武者修行) |
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二条河原 | にじょうがわら | どくろの仇討(吉本ヨシモト23:1) 1件1題 (上方1件) | 京都市 | 用例の「どくろの仇討」は,正岡容の「髑髏柳」のこと.自分を殺した武士を切腹に陥れ,ドクロはうれしそうに笑い続ける. "急いで来かかりました二条河原。すると、足許の草叢の中からうーむと言う苦しそうな呻き声"(どくろの仇討) |
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三条通り | さんじょうどおり | 三十石夢の通い路(三一上方2:14) など 11件8題 (圓朝1件, 東京4件, 上方6件) | 京都市 | 東西路.三条,四条,五条,六条通りが出てくる. "これが三条通りや、これを西へ行くと愛宕山へ行く"(三十石夢の通い路) |
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四条通り | しじょうどおり | 祇園祭(コア小佐田定雄:03) など 9件4題 (圓朝1件, 東京4件, 上方4件) | 京都市 | "綾小路から四条通り、錦小路あたりへかかって参りますと、山鉾が並んでおります"(祇園祭) | |||
綾小路 | あやのこうじ | はてなの茶碗(講文庫4:32) など 2件2題 (上方2件) | 京都市 | 東西路.中京区と下京区を貫く. "京都の綾の小路に、茶屋金兵衛という骨董商さんがございました"(はてなの茶碗) |
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五条通り | ごじょうどおり | 天狗さし(創元米朝3:10) など 3件2題 (上方3件) | 京都市 | 東西路.各条に伝教大師が法華経を埋めた.「京見物」の京自慢.「天狗さし」のサゲ,五条の念仏差しの件り. "お前も鞍馬の天狗さしか。いや、わしは五条の念仏さしじゃ"(天狗さし) |
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六条通り | ろくじょうどおり | 五人廻し(風流お好み:01) 1件1題 (東京1件) | 京都市 | 東西路. "麹町八丁目に京都六条から転宅して来たものが十四五軒"(五人廻し) |
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千本 | せんぼん | へらへらの万橘(青正蔵2:21) 1件1題 (東京1件) | 京都市 | 南北路.以下,西から順に配置した.山陰本線の東にあたる. "今、千本の寄席では圓馬さんが"(へらへらの万橘) |
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大宮通り | おおみやどおり | 馬子茶屋(講昭和戦前2:14) 1件1題 (上方1件) | 京都市 | 南北路.島原前で使用される. "大宮通りまでまいりますと、自分が常時荷を持って行く家の門を通りおって"(馬子茶屋) |
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堀川 | ほりかわ | 兵庫船(三一上方2:09) など 6件4題 (東京2件, 上方4件) | 京都市 | 川尽くしで登場する.南北路堀川通.「堀川」与次郎,噺では与治兵衛の猿回し.堀川御所は六条あたり(油小路と堀川間)といい,源義経堀川御所用水と伝えられる.碑は堀川通りの西側にある. "堀川猿廻し、与次郎の文句、心は、そんなまたあろうかいな"(兵庫船) |
左女牛井之跡碑 | 2006 | |
西の洞院 | にしのとういん | 三十石夢の通い路(三一上方2:14) など 3件1題 (上方3件) | 下京区,中京区 | 南北路.ドービンの片割れ.小町化粧水は,西洞院四条交差点になる.小野小町の別荘があった場所と言われる. "あれは東の洞院、西の洞院"(三十石夢の通い路) |
小町化粧水あと | 2011 | |
室町 | むろまち | 箒屋娘(青小南:08) など 6件3題 (上方6件) | 京都市 | 南北路. "京都の室町、東京の本町、このへんは、以前はずゥ…ッと大店が軒を並べておりました"(箒屋娘) |
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烏丸 | からすま | 次の御用日(三一上方1:15) など 5件4題 (圓朝1件, 東京1件, 上方3件) | 京都市 | 南北路.枇杷葉湯の売り声が代表例. "烏丸本家枇杷葉湯−お女中方では産前産後の血の道の妙薬"(次の御用日) |
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東の洞院 | ひがしのとういん | 三十石夢の通い路(三一上方2:14) など 3件1題 (上方3件) | 下京区,中京区 | 南北路.ドービンの残り. "今はそういうが、昔は東のどうびん、西のどうびんというたんや"(三十石夢の通い路) |
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寺町 | てらまち | 瘤弁慶(三一上方2:28) など 18件4題 (東京6件, 上方12件) | 京都市 | 南北路. "寺町へ参りますと、向こうの方からお越しになりましたのが、堂上方の御仏参の帰り"(瘤弁慶) |
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竹田街道 | たけだかいどう | 苫ヶ島(三一上方2:07) など 3件1題 (上方3件) | 京都市 | 京都駅と伏見を結ぶ南北にのびた街道.途中,竹田を通る.伏見街道は伏見区に分類した. "蹴上から竹田街道を伏見までお出ましになる"(苫ヶ島) |
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上京区 | |||||||
地点名 | この1題・登場回数 | 位 置 | 備 考 | 写真と撮影年 | |||
鴬宿梅 | おうしゅくばい | 鴬宿梅(騒人名作05:26) 1件1題 (東京1件) | 上京区相国寺門前町(今出川通鳥丸東入ル) | 西ノ京の紀貫之の娘の屋敷から清涼殿に移した「鶯宿梅」が噺の題材.村上天皇は元の庭に返したという.臨済宗相国寺の塔頭林光院内だが,ざっと見ても案内はなかった."鴬宿梅"と"養子くさい"をかけるサゲはくだらないが,「鶯宿梅」は昔の速記本に何度も出てくる人気ネタだった(→ 絶滅危惧落語「春雨茶屋」). "その鴬宿梅の由緒を端唄に作ったのが春雨だ"(鴬宿梅) |
林光院 | 2019 | |
御所 | ごしょ | 出世の鼻(講明治大正2:24) など 57件27題 (圓朝4件, 東京39件, 上方14件) | 上京区京都御苑 | 御苑は一般公開されている.御所は春秋を除き,参観は申込制.官位を得た「鼻利き源兵衛」は御所の庭を自由に散策した.茶碗は無頓着に御衣の裾をぬらす. "御所という所は平民のなかなか入れる訳のものでない"(出世の鼻) |
京都御所御内庭 | 2009 | |
大内 | おおうち | たらちね(立名人名演08:21) など 7件4題 (東京4件) | 上京区京都御苑 | 御所の別称.大内へ上がって奉公ならばわかるが,大内の生まれとは何だろう.大内山の例も2件ある. "父はもと京都大内の産にして、姓は安藤、名は慶蔵"(たらちね) |
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御所:紫宸殿 | ししんでん | 祇園会(騒人名作06:03) など 7件3題 (東京7件) | 上京区京都御苑 | 御所南端.建物は総体檜造りの寝殿造り.今でも即位,立太子など重要な儀式を執り行う.南庭には右近の橘,左近の桜.庭に敷かれた砂でさえ瘧がおちる.回廊で囲われ,建礼門の外からは屋根だけが見える. "御所の紫宸殿の御砂を握ったら瘧が落ちるというくらいや"(祇園会) |
紫宸殿と右近の橘 | 2009 | |
御所:清涼殿 | せいりょうでん | 鴬宿梅(騒人名作05:26) など 3件2題 (東京3件) | 上京区京都御苑 | 紫宸殿の北西に連なる.天皇の御座所.檜皮葺の寝殿造りで,東側に開けている.前には漢竹と呉竹. "禁裏六門清涼殿の前へお植えになったところ、帝ことごとくおよろこび遊ばし"(鴬宿梅) |
清涼殿 | 2009 | |
御所:蛤御門 | はまぐりごもん | このごろのおじいさん(角川中島らも1:04) 1件1題 (上方1件) | 上京区京都御苑 | 御所西側.新在家門.天明の大火で開門したため,焼けて開く蛤御門の名となった.長州藩が襲ってきた幕末の蛤御門の変で有名. "お爺ちゃんは蛤御門の変の時にそばで見てたんやてなあ"(このごろのおじいさん) |
蛤御門 | 2008 | |
仙洞御所 | せんとうごしょ | お神酒徳利(青圓生08:02) など 3件1題 (東京3件) | 上京区京都御苑 | 仙洞御所は,上皇など退位した天皇の御所のこと.現在の御苑の仙洞御所以外にも,皇居吹上仙洞御所などがある.仙洞御所の建物は焼失し,現在は庭園のみが残る.京都御所と同様,こちらも限定公開される. "十二月十三日、仙洞御所をはじめといたしまして、煤取りというものをいたします"(お神酒徳利) |
寺町御門から仙洞御所 | 2003 | |
待賢門 | たいけんもん | 平家物語(三一談志4:08) など 5件1題 (東京5件) | 上京区椹木町通大宮あたり | 大内裏の東側の門の一つ.椹木町通と大宮通交差点あたりという.猪熊通に碑がある. "待賢門の夜戦で敗れた敵方の大将、源義朝の三男で"(平家物語) |
平安京創始待賢御門跡碑 | 2004 | |
京都所司代 | きょうとしょしだい | 鹿政談(柳家小三治の落語, 小学館(2007)) | 上京区 | 「鹿政談」のマクラ.皇室,公家の監視などの幕府の要職.跡地である猪熊通丸太町,旧待賢小学校に碑がある. "下手するってぇと、京都の所司代までひっぱってかれたりなんかしますから"(鹿政談) |
京都所司代跡碑 | 2011 | |
土御門大路 | つちみかどおおじ | 花山天皇の出家(落語で楽しむ古典文学, 大修館(2013)) | 京都市上京区上長者町通 | 現在の上長者町通.陰陽師の安倍晴明が住まっていたという『大鏡』の引用.現在の土御門町あたり.現地には,安倍晴明邸宅跡を示す碑文等はない. "ちょうどその頃、土御門大路と町口小路との交差点に住んでおりましたのが、『陰陽師』安倍晴明でございます"(花山天皇の出家) |
消火器ケースの土御門町 | 2014 | |
一条戻橋 | いちじょうもどりばし | 源平盛衰記(講落語全集2:15) など 5件1題 (東京5件) | 上京区堀川下之町(一条通堀川) | 一条堀川に架かる.怪異談が伝わる.三善清行の葬列がこの橋を通ると,蘇生して息子と対面を果たした.渡辺綱をたぶらかそうと美女に化けた鬼と出会った. "常盤御前、京都の一条、戻り橋のほとりに、カフェー常磐というのを開業して"(源平盛衰記) |
一条戻橋 | 1998 | |
武者小路 | むしゃのこうじ | 茶婚礼(新作落語十八番, 三芳屋 (1919)) | 上京区武者小路町 | 武者小路千家は,茶道三千家の一つ.茶室官休庵が武者小路にある.「茶婚礼」は,大島宝水作の新作で,講談倶楽部, 7巻5号(1917)に掲載されている. "武者の小路に居たから其名を取つて武者小路と流名を呼ぶのだ"(茶婚礼) |
武者小路千家官休庵 | 2021 | |
西陣 | にしじん | 天神山(講古典上方2:13) など 29件12題 (東京21件, 上方8件) | 上京区 | 堀川通の西,一条通の北一帯.手の届く西陣織はお守り袋ぐらいなもの. "わたくしは京都西陣織屋清兵衛の娘、小糸と申す者"(天神山) |
西陣碑 | 1998 | |
聚楽第 | じゅらくだい | 徳川家康(新撰落語 福, 博文館 (1900)) | 上京区 | 鶯亭金升の明治期の新作落語に登場する.秀吉の威厳を示した聚楽第も,わずか9年で取り壊された.智恵光院通を中心に南北は中立売通から下立売通あたり.碑は中立売通裏門通,正親小学校東北隅に置かれている. "この時聚楽第で立派なご馳走があったと申す事だがあいにく私は参りませんでしたから"(徳川家康) |
聚楽第址碑 | 2006 | |
千本中立売 | せんぼんなかたちうり | とろろん(青小南:03) 1件1題 (上方1件) | 上京区千本通中立売 | "千本中立売上ル二丁目"(とろろん) | |||
宴の松原 | えんのまつばら | 出世の鼻(鼻利源兵衛)(柳家小満ん口演用「てきすと」<拾遺> 5, てきすとの会 (2020)) | 上京区 | 大内裏にあった広い松原で,御所とは東西対称的に向かいあっていた.その用途はわかっておらず,ここを通るとあやかしが現れたという説話が残っている.江戸時代を内裏の散策する場面で,宴の松原に出くわすはずはない. "あっちこっちと歩いている内に、宴の松原という、広〜いお庭にあって"(出世の鼻(鼻利源兵衛)) |
宴の松原碑 | 2021 | |
北野天神 | きたのてんじん | 磯の白浪(講明治大正1:35) など 10件10題 (圓朝件, 東京9件, 上方1件) | 上京区馬喰町(御前通今小路上ル) | 北野天満宮.本殿拝殿などは国宝.昼間に観光地に行くことは少ないのだが,さすがに参詣人が多かった. "ドーモ老人の歩みができないのを歎き、三七二十一日間北野の天神へ願をかけ、結願の日に参詣の戻り道にて婆さんの歩いて来るのに出会いました"(磯の白浪) |
北野天満宮中門 | 1998 | |
北野天神:時鳥の額 | ほととぎすのがく | しの字嫌い(青圓生13:16) など 3件3題 (東京3件) | 上京区馬喰町か | 北野天満宮の絵馬堂にはみあたらなかった. "昔、北野の天神さまへ時鳥の額を上げた者がある。これへ歌を詠んだ。『鳴くかとて聞きに北野の時鳥……』"(しの字嫌い) |
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中京区 | |||||||
地点名 | この1題・登場回数 | 位 置 | 備 考 | 写真と撮影年 | |||
二条大橋 | にじょうおおはし | 三十石夢の通い路(三一上方2:14) など 3件1題 (上方3件) | 中京区鉾田町〜左京区孫橋町 | 鴨川に架かる.噺では名前があげられるだけ. "京は、二条大橋、三条大橋、四条大橋"(三十石夢の通い路) |
二条大橋 | 2003 | |
高瀬川 | たかせがわ | たちぎれ線香(創元米朝4:07) など 8件3題 (東京1件, 上方7件) | 中京区,下京区 | 鴨川の西に並行し,宇治川に達する水運用の入堀.高瀬舟が通う一之船入はその起点になる. "高瀬川という川が木屋町のそば流れてます。あすこ、この高瀬舟いうて、底の浅い舟がこう上り下りしてまんねん"(たちぎれ線香) |
高瀬川一之船入 | 2003 | |
柳の馬場押小路 | やなぎのばんばおしこうじ | 胴乱幸助(講昭和戦前2:01) など 9件1題 (東京2件, 上方7件) | 中京区柳馬場通押小路 | いうまでもなく,「桂川連理柵」,帯屋の位置. "柳の馬場は押小路、虎石町の西側で、軒を並べし呉服店、主は、帯屋長右衛門"(胴乱幸助) |
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虎石町 | とらいしちょう | どうらんの幸助(創元米朝5:09) など 9件1題 (東京2件, 上方7件) | 中京区虎石町 | 柳馬場通押小路下ル西側.拍子のいいことに虎石町には呉服店はない.あったら今も,迷惑系ユーチューバーが突撃したりして騒動が絶えないだろう. "へえ虎石町の西側、おす。東側もおすえ"(どうらんの幸助) |
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本能寺 | ほんのうじ | 本能寺(創元米朝6:11) など 10件6題 (東京7件, 上方3件) | 中京区下本能寺前町(寺町通御池下ル東側) | 法華宗本能寺.本能寺の変の時は四条西洞院にあった.元本能寺南町の辻に,本能寺址を示す碑がある. "土塀が左右にスウーッと引かれますと、本能寺、奥書院の間、後ろは高二重、金襖でございます"(本能寺) |
此附近 本能寺址碑 | 2004 | |
三条大橋 | さんじょうおおはし | 祇園会(弘文志ん生7:03) など 20件8題 (東京14件, 上方6件) | 中京区〜東山区 | 東海道のゴール.噺にもあるように,天正18(1590)年,増田長盛の架橋になる.くだって,1950年に大改造された. "これェ真ッ直ぐにお行きやるとなァ、三条の大橋どす"(祇園会) |
三条大橋 | 2008 | |
三条大橋:擬宝珠 | ぎぼし | 三十石夢の通い路(三一上方2:14) 1件1題 (上方1件) | 中京区〜東山区 | 一部,天正の擬宝珠が残っている.さすがに歴史の厚みが違う.写真の擬宝珠には刀傷まで残っている. "この擬宝珠はみな大名方があげた物や"(三十石夢の通い路) |
三条大橋擬宝珠 | 2008 | |
三条河原 | さんじょうがわら | 骨つり(創元米朝4:18) など 11件7題 (東京7件, 上方4件) | 中京区,東山区 | 「骨釣り」で言う石川五右衛門の処刑地.史実はここらしい. "我京都の三条河原にて処刑され。首足所を変えたり"(骨つり) |
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たらたら | たらたら | 三十石夢の通路(創元米朝4:13) など 2件1題 (上方2件) | 中京区 | 三条大橋から西の三条通を寺町へ向かう微傾斜とあいまいに書いたが,ストンと下がる新京極の所らしい. "これをタラタラというが、こいつを南へ下るとこれが一番賑やかなとこやで"(三十石夢の通路) |
たらたら | 2006 | |
三条木屋町 | さんじょうきやまち | 大丸騒動(三一上方1:16) など 4件2題 (上方4件) | 中京区三条通木屋町 | 騒人社の「大丸屋騒動」では,木屋町三条とある. "まずしばらくは三条の木屋町をば上りましたところの川添いのこじんまりした座敷借をいたしまして"(大丸騒動) |
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池田屋 | いけだや | ゴルフ 夜明け前(レオ三枝2:10) 1件1題 (上方1件) | 中京区中島町(三条通木屋町西入ル) | 河原町三条そば北側の旅館.新選組が攘夷浪士を奇襲した.訪問時は,パチンコ屋のウインドウ前に碑が建っていた. "池田屋で多くの犠牲ば出した長州の人間も、黙っちょりませんぞ"(ゴルフ 夜明け前) |
池田屋騒動之址碑 | 2003 | |
三条寺町 | さんじょうてらまち | 紺田屋(桃源圓歌:08) など 2件1題 (東京2件) | 中京区三条通寺町 | 以下2件は,「紺田屋」の店の位置. "京都三条寺町、上にあがったところに、縮緬問屋で、紺田屋"(紺田屋) |
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三条室町 | さんじょうむろまち | 誉田屋(騒人名作01:04) など 4件1題 (東京1件, 上方3件) | 中京区三条通室町 | この速記では,「誉田屋」と書く.羽曳野市誉田(こんだ)を出身とするので,読みにくいが,こちらの表記の方が正しい. "京都の三条室町に、誉田屋さんという、縮緬問屋がございました"(誉田屋) |
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誓願寺 | せいがんじ | 三十石夢の通い路(三一上方2:14) など 4件1題 (上方4件) | 中京区桜之町(新京極通三条下ル) | 元は大寺院.浄土宗.北に100m離れた所に安楽庵策伝の墓がある.安楽庵は→ 圓朝. "誓願寺の和尚さん坊さんで、ぼたんに唐獅子竹に寅"(三十石夢の通い路) |
誓願寺扇塚 | 2003 | |
近江屋 | おうみや | ゴルフ 夜明け前(レオ三枝2:10) 1件1題 (上方1件) | 中京区塩屋町(河原町通蛸薬師下ル) | 新選組,坂本龍馬が暗殺された近江屋事件の舞台.坂本龍馬中岡慎太郎遭難之地碑が残る. "近江屋で、たったいま、見廻り組の手によって、暗殺されました!何、坂本さんが殺された!?"(ゴルフ 夜明け前) |
坂本龍馬中岡慎太郎遭難之地碑 | 2005 | |
京極 | きょうごく | 三十石夢の通い路(三一上方2:14) など 5件3題 (上方5件) | 中京区寺町通 | 寺町通.これをもとに新京極と命名された.寺町京極と新京極は並んでいる. "ここが京極というて大阪の千日前みたいな所や"(三十石夢の通い路) |
京極・新京極アーケード | 2003 | |
新京極 | しんきょうごく | 京の茶漬(創元米朝2:16) など 3件2題 (東京2件, 上方1件) | 中京区新京極通 | 明治5(1872)年,寺町の間を南北に切り開いて作った繁華街. "京極たら、新京極たら、良えとこやそうですなあ"(京の茶漬) |
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錦魚亭 | きんぎょてい | 三十石夢の通い路(三一上方2:14) など 3件1題 (上方3件) | 中京区寺町通か | 本文にぜんざい屋とある.以下4件は「三十石」での名所案内.いずれも今はなし. "ここが錦魚亭というてぜんざい屋や"(三十石夢の通い路) |
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阪井座 | さかいざ | 三十石夢の通い路(三一上方2:14) など 3件1題 (上方3件) | 中京区寺町通か | 首振り芝居小屋.今なし. "阪井座の首振り芝居"(三十石夢の通い路) |
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小田巻屋 | おだまきや | 三十石夢の通い路(三一上方2:14) など 2件1題 (上方2件) | 中京区寺町通か | 料理店.今なし. "この角が小田巻屋"(三十石夢の通い路) |
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戎谷座 | えびすだにざ | 三十石夢の通い路(三一上方2:14) など 2件1題 (上方2件) | 中京区寺町通か | 芝居小屋.本文に女の首振りとある.今なし. "これが戎谷座、女の首振りや"(三十石夢の通い路) |
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誠心院 | せいしんいん | 鴬宿梅(騒人名作05:26) 1件1題 (東京1件) | 中京区中筋町(新京極通六角下ル東側) | 真言宗泉涌寺派誠心院.以前は,写真のように和泉式部石塔は塀の隙間から覗き見るだけしかできなかった.現在は開放されている.デュシャンの遺作じゃないが,せっかく自分だけ覗いたつもりなのに,ちょっと残念. "今でも京都新京極のあたりに誠心院という古い寺がある"(鴬宿梅) |
和泉式部石塔 | 1994 | |
軒端の梅 | のきばのうめ | 鴬宿梅(騒人名作05:26) など 5件2題 (東京2件, 上方3件) | 中京区中筋町(新京極通六角下ル東側) | 誠心院境内に和泉式部にちなむ梅の若木がある.根元にある石碑は,和泉式部の歌,"霞たつはるきにけりと 此の花を見るにぞ鳥のこゑもまたるる"とある. "その誠心院という寺の門前に軒端の梅というのがある"(鴬宿梅) |
軒端の梅 | 2008 | |
蛸薬師 | たこやくし | 瘤弁慶(三一上方2:28) など 8件2題 (上方8件) | 中京区東側町(新京極通蛸薬師上ル東側) | 浄土宗永福寺蛸薬師堂.蛸薬師通の東端,新京極アーケードにめりこんだようになって現存する.病身の母のために蛸を買った僧があり,タコ変じて薬師経になったことに由来する.肩にコブ型の弁慶がのりうつった男が,イボだと言って蛸薬師さんの御利益で取ってもらおうとする. "いかな疣でも取れるそうな、京に住んでる有難さ、蛸薬師へ毎日日参をして祈ったらどうや"(瘤弁慶) |
蛸薬師 | 2008 | |
逆蓮華 | さかれんげ | 三十石夢の通い路(三一上方2:14) 1件1題 (上方1件) | 中京区東側町(新京極通蛸薬師下ル東側) | 浄土宗安養寺.本尊阿弥陀如来の8枚の蓮華が逆さに置かれていることによる.罪深い女人の心の蓮華が逆さであり,これを救うためと伝えている.石碑にも女人往生と彫られている. "これが逆蓮華、ここが錦の天神や"(三十石夢の通い路) |
安養寺 | 2003 | |
錦天神 | にしきてんじん | 三十石夢の通い路(三一上方2:14) など 3件1題 (上方3件) | 中京区中之町(新京極通四条上ル) | 錦の天神さん.錦小路の東突きあたりに位置する.境内に錦の名水が湧く.錦小路の店舗の2階に突きささった石鳥居が見どころ. "これが逆蓮華、ここが錦の天神や"(三十石夢の通い路) |
錦天満宮 | 1994 | |
錦小路 | にしきこうじ | 伊勢詣(講落語全集3:17) 1件1題 (東京1件) | 中京区錦小路通 | 錦天神を東端とする東西路.京都の台所 錦市場を抱える.前項の石鳥居が,写真の奥に見える. "京都の錦、大阪の雑魚場、どちらも名代の魚市場でございます"(伊勢詣) |
錦小路 | 2008 | |
花遊軒 | かゆうけん | 三十石夢の通い路(三一上方2:14) など 2件1題 (上方2件) | 中京区中之町あたり | 精進料理店,花遊軒の跡が鍵の手型の花遊小路となり,今もその名を掲げている. "ここが花遊軒というて芋棒を喰わす"(三十石夢の通い路) |
花遊小路 | 2006 | |
道場の芝居 | どうじょうのしばい | 三十石夢の通い路(三一上方2:14) など 3件1題 (上方3件) | 中京区中京区中之町あたり | 道場は北区鷹峯藤林町に移転した時宗金蓮寺のこと.踊り念仏にちなみ,境内に芝居小屋があった. "染殿地蔵、道場の芝居"(三十石夢の通い路) |
金蓮寺 花遊軒奉納石柱 | 2004 | |
染殿地蔵 | そめどのじぞう | 三十石夢の通い路(三一上方2:14) など 2件1題 (上方2件) | 中京区中之町(新京極通四条上ル) | 時宗染殿院.前項金蓮寺の塔頭.四条通に面した路地奥にある.清和天皇を生んだことに由来する安産守護で,今も繁盛している. "染殿地蔵、道場の芝居"(三十石夢の通い路) |
染殿院 | 1994 | |
先斗町 | ぽんとちょう | 京見物(講明治大正7:16) など 22件8題 (東京16件, 上方6件) | 中京区先斗町通 | 四条大橋から三条大橋手前までの鴨川西の南北路.花街の説明はどれも紋切り型.富士の高嶺に降る雪も〜♪. "風呂屋ならな、西に行きやはって、南に行きやはってなモシ、石垣先斗町二軒目の角どす"(京見物) |
先斗町 | 2003 | |
木屋町 | きやまち | へらへらの万橘(青正蔵2:21) など 8件7題 (圓朝1件, 東京4件, 上方3件) | 中京区 | 英照皇太后の葬儀参列の際,圓朝が宿泊した吉富楼.マンション建設で取り壊された. "木屋町の乙な宿屋ィ陣取って"(へらへらの万橘) |
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四条河原 | しじょうがわら | 釜どろ(講明治大正6:21) など 9件6題 (東京7件, 上方2件) | 中京区,東山区 | 「釜泥」などで言う石川五右衛門の処刑地.四条河原は夕涼みで有名だったのだが,公開処刑ですか…. "四条河原で釜うでになったのが石川五右衛門"(釜どろ) |
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六角堂 | ろっかくどう | 三十石夢の通い路(三一上方2:14) など 2件1題 (上方2件) | 中京区堂之前町(六角通東洞院西入ル北側) | 天台宗頂法寺六角堂.西国三十三ヶ所第18番札所.京都の中心を示すへそ石は,本堂前にある.いけばなの池坊が隣接している.寺の池にあった僧坊が由来だという. "京の真中に六角の坊さんがある。あれは六角堂の坊さんやがな"(三十石夢の通い路) |
六角堂へそ石 | 2012 | |
衣棚 | ころものたな | 波天奈廼茶碗(講明治大正1:37) など 6件1題 (東京4件, 上方2件) | 中京区あたり | 衣棚通.「茶金」こと,茶屋金兵衛の店の所在地.三条通りと交差する所が衣棚町.法衣仏具店の千切屋が残る. "京都の法衣の店という所に茶道具の鑑定をいたしました人で茶屋金兵衛という人がございました"(波天奈廼茶碗) |
衣棚千切屋 | 2003 | |
夷川 | えびすがわ | 天狗さし(創元米朝3:10) 1件1題 (上方1件) | 中京区夷川通 | 米朝師の引き事に登場する.夷川の道具屋で,本当に念仏ざしが見つかり,提供を受けたという.実物が,米朝の回顧展に出ていた. "念仏ざしというのがあったというんですな(中略)そんなもんがあったんかいなというて、疑うてはる方もございましたが、ところがあるもんですなあ。夷川の道具屋さん"(天狗さし) |
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二条城 | にじょうじょう | 愛宕山(創元米朝1:01) など 6件2題 (東京1件, 上方5件) | 中京区二条城町(二条通堀川西入ル) | 家康の京都居城.その後,拡幅や火災を経ている.所有者も大政奉還で宮内庁,さらに京都市へ移っている.世界遺産に登録され,いつも大型観光バスであふれている. "御所から二条のお城も尻目にころしまして、どんどん西へ出てまいります"(愛宕山) |
二条城唐門 | 2014 | |
神泉苑 | しんぜんえん | 田楽喰い(創元米朝4:04) など 7件3題 (東京3件, 上方4件) | 中京区神泉苑町東入門前町(御池通大宮西入ル北側) | 東寺真言宗の寺院で,境内の池が名高い.小野小町がここで雨乞いをした.当時はもっと規模が大きく,二条城堀にその範囲を示す石標がある.門前にある薬店では,人体解剖模型のような男が店を守っている. "先年神泉苑の門前の薬店、玄関番人間半面半身"(田楽喰い) |
神泉苑 | 2003 | |
勧学院 | かんがくいん | 真田小僧(柳家小満ん口演用「てきすと」 34, てきすとの会 (2019)) | 中京区西ノ京南聖町あたり | 勧学院は,藤原冬嗣によって創建された大学別曹とのこと.二条駅そばに碑がある.小満ん師のマクラに出てくるが,ことわざを聞いても何だかわからない.「真田小僧」が講釈を聞いて,自然にその内容を覚えてしまうといった意味らしい. "《勧学院の雀は蒙求を囀る》なンという譬えの通り"(真田小僧) |
従是東北勧学院址碑 | 2021 | |
下京区 | |||||||
地点名 | この1題・登場回数 | 位 置 | 備 考 | 写真と撮影年 | |||
お旅所 | おたびしょ | 祇園会(騒人名作06:03) など 6件1題 (東京6件) | 下京区御旅町(四条通寺町東入ル) | 八坂神社御旅所.その名の通り,祇園祭の御輿が渡御し,還幸祭までここにとどまる.ふだんは,四条通りの繁華街にぽっかりと黒ずんだ御旅所があり,そこだけ空気が冷んやりしている. "祇園はんを出て、四条のお旅、寺町をチャッと下へ"(祇園会) |
祇園御旅所 | 2008 | |
襟善 | えりぜん | 菊模様延命袋(金松堂 (1892))など | 下京区御旅町 | ゑり善.天正12(1584)年創業の呉服店.四条河原町の繁華街の真ん中に現存する.速記にも出てくるように,ぜいたくな半襟が一番の売り物だった. "襟善で半襟を買つて戴きましてここに掛けて居ます"(菊模様延命袋) |
ゑり善 | 2021 | |
大雲寺 | だいうんじ | 紺田屋(三一上方2:16) など 3件1題 (上方3件) | 下京区貞安前之町 | 大雲院.円山へ移転した.石川五右衛門墓がある.大泥棒が守るせいか,がっちり門が締まっており,何人たりと入れない構え.祇園閣は大倉喜八郎が建てたもので,祇園祭の鉾を模している. "お寺は四条の寺町、大雲寺へ"(紺田屋) |
大雲院祇園閣 | 2003 | |
綾小路麩屋町 | あやのこうじふやちょう | 瘤弁慶(三一上方2:28) など 5件2題 (上方5件) | 下京区綾小路通麩屋町 | 「瘤弁慶」に出てくる壁土を好む男が住む,アヤフヤなところ. "うちは綾小路麩屋町で人間が少々アヤフヤな男"(瘤弁慶) |
綾小路麩屋町 | 1994 | |
仏光寺 | ぶっこうじ | 宗論(弘文柳枝:08) 1件1題 (東京1件) | 下京区新開町(高倉通仏光寺下ル) | 真宗佛光寺派の本山の説明で登場する.仏光寺通の名前の由来になる.錦織寺は木辺派の本山で滋賀県野洲市木部にある.まだまだ宗派はたくさんあるが,落語に列記すればそれこそ「宗論」になってしまう. "浄土真宗というお宗旨でございます(中略)錦織寺に仏光寺と、これが代表的な、派でそうでございます"(宗論) |
佛光寺 | 2003 | |
仏光寺東洞院 | ぶっこうじひがしとういん | 景清(創元米朝2:03) 1件1題 (上方1件) | 下京区仏光寺通東洞院 | "わては仏光寺の東洞院どす"(景清) | |||
寺町万寿寺 | てらまちまんじゅうじ | 口入屋(三一上方1:19) など 2件1題 (上方2件) | 下京区寺町通万寿寺 | てらやのまんじゅうやではない. "ナニ所が寺屋と饅頭屋……そら寺町の万寿寺と違うか"(口入屋) |
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高倉万寿寺 | たかくらまんじゅうじ | 天狗さし(創元米朝3:10) 1件1題 (上方1件) | 下京区高倉通万寿寺 | "念仏尺という小さい焼き判がおしてありましてな。高倉万寿寺としてございます"(天狗さし) | |||
竹村屋 | たけむらや | 祇園会(騒人名作06:03) など 2件1題 (東京2件) | 下京区 | 四条大橋西詰北側角.四条大橋の北に私費で竹村家橋をかけたことがある. "今は二軒つぶれて梅村屋一軒だけ残っております"(祇園会) |
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四条大橋 | しじょうおおはし | 三十石夢の通路(創元米朝4:13) など 15件6題 (圓朝3件, 東京6件, 上方6件) | 下京区橋本町〜東山区川端町 | 圓朝3件はすべて,6代目圓生演の「乳房榎」で,"四条の橋から灯が一つ見ゆる……".「忠臣蔵」七段目で,大星由良之助が花道で歌う. "京都は三条の大橋、四条の大橋、五条の大橋で、みなこれはしや"(三十石夢の通路) |
四条大橋 | 2008 | |
村上重 | むらかみじゅう | 鶯宿梅(柳家小満ん口演用「てきすと」 1, てきすとの会 (2015)) | 下京区船頭町190(西木屋町四条下ル) | 天保3(1832)年創業の京漬物店.特に冬の千枚漬けが名高い.薄切りした聖護院かぶらを昆布と塩で乳酸発酵させたもの.普段食べている千枚漬けのような酸味がなく,昆布のとろみとうまみが際立っていて驚いた.噺では,村上天皇を村上重に強引に結びつけている. "いゃ村上重は千枚漬けだったな、村上天皇の御世に"(鶯宿梅) |
村上重本店 | 2019 | |
四条寺町 | しじょうてらまち | 祇園会(騒人名作06:03) など 9件2題 (東京6件, 上方3件) | 下京区四条通寺町 | 「三人旅」の江戸っ子は,"湯屋"を探すのも一苦労した. "四条の寺町へ宿を取りまして、改めてまた湯に入って"(祇園会) |
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四条新町 | しじょうしんまち | 紺田屋(桃源圓歌:08) など 6件1題 (東京3件, 上方3件) | 下京区四条通新町 | 「紺田屋」の娘が,苦しい息のもと所望する新粉屋新兵衛の団子店の場所. "四条新町新粉屋新兵衛さんの、団子が食べてみとうございます"(紺田屋) |
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たん熊 | たんくま | 舌切婆(おせいさんの落語, 筑摩書房 (1974)) | 下京区和泉屋町168(木屋町通仏光寺下ル) | 田辺聖子の落語風小説に登場する.ミシュランの星を持ち出すまでもなく,京の名料理店.本家たん熊とたん熊北店の2系統がある. "<瓢亭>や<たん熊>などとはいいませんよ"(舌切婆) |
本家たん熊 | 2021 | |
松原橋 | まつばらばし | 橋弁慶(柳家小満ん口演用「てきすと」 34, てきすとの会 (2019)) | 下京区稲荷町〜東山区日吉町・下堀吉町 | 通りの両側に松並木があったことから,もとは五条松原橋と呼ばれた.豊臣秀吉が五条橋を南に移したため,松原橋となった.この橋を渡って,東に行くと,六道の辻から清水寺に至る. "松原橋をまっすぐ行って、坂を登って行った処が清水の観音様で"(橋弁慶) |
松原橋 | 2019 | |
五条大橋 | ごじょうおおはし | 橋弁慶(講明治大正3:23) など 29件18題 (圓朝3件, 東京13件, 上方13件) | 下京区〜東山区 | 松原通りに架かっていたものを豊臣秀吉が五条に移した.すると,弁慶牛若の出会いは松原橋ということになる.しかし,五条大橋西詰に弁慶牛若の石人形がある. "横笛を掻き鳴らして今五条の橋をこなたに過ぎらんと橋桁十二三枚を踏み鳴らしておいでになりました"(橋弁慶) |
五条大橋 | 2008 | |
橋下 | はしした | 三十石夢の通路(創元米朝4:13) 1件1題 (上方1件) | 下京区都市町あたり | 五条から六条にかけての鴨川べりの花街.速記では括弧書きで(五条新地のこと)と注記している.橋下は六条新地を含むようだ.ここは今も"料亭"街. "宮川町、先斗町があって、ずーっと木屋町から橋下までそらもう色町ばっかりやがな"(三十石夢の通路) |
五条楽園 | 2008 | |
五条高倉 | ごじょうたかくら | 天狗さし(創元米朝3:10) 1件1題 (上方1件) | 下京区五条通高倉 | 念仏ざしの店の所在地.念仏尺の写真は,米朝展の図録集,特別展「人間国宝・桂米朝とその時代」,兵庫県立博物館(2017)に載っている. "五条の念仏ざしと昔はこう言うたんやそうで。まあ五条の高倉、ちょっと上がったところというんで"(天狗さし) |
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五条天神 | ごじょうてんじん | 瘤弁慶(三一上方2:28) など 4件1題 (上方4件) | 下京区天神前町(松原通西洞院西入ル) | 五条天神社.市街地のど真ん中に鎮座する.天神と名がついてるが,祭神は少彦名命.もとは天使社と称し,広い境内だった.境内をつらぬいた天使突抜通がある.マンションに囲まれ,境内は駐車場に利用されていた. "五条の天神へ丑の時詣での折から、五条の大橋にて牛若丸に出合い"(瘤弁慶) |
五条天神社 | 2002 | |
数珠屋町 | じゅずやまち | 祇園会(騒人名作06:03) など 4件3題 (東京4件) | 下京区上数珠屋町通あたりか | "おれの伯父さんが、この六条の珠数屋町にいるんだが"(祇園会) | |||
六条河原 | ろくじょうがわら | 五人廻し(三一談志4:05) 1件1題 (東京1件) | 下京区,東山区 | 吉原の来歴の引き事. "江戸に遊女てえのが、京都の六条河原から来たのが麹町の八丁目に十四、五軒"(五人廻し) |
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七条大橋 | しちじょうおおはし | 三十石夢の通い路(三一上方2:14) など 3件1題 (上方3件) | 下京区〜東山区 | 噺では名前があげられるだけ. "三条大橋、四条大橋、五条大橋、七条大橋、とみな橋がつくがな"(三十石夢の通い路) |
七条大橋 | 1998 | |
七条河原 | しちじょうがわら | 梅若礼三郎(中公圓生1:04) など 11件7題 (圓朝1件, 東京9件, 上方1件) | 下京区 | 「梅若礼三郎」などで言う石川五右衛門の処刑地. "こういう奴は世にも稀な刑罰を行えというので、七条の河原において釜茹での刑ということになります"(梅若礼三郎) |
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京都駅 | きょうとえき | 締め込み(弘文志ん生3:19) など 4件3題 (圓朝1件, 東京3件) | 下京区東塩小路町 | 1877(明治10)年開業.駅ビルを新装した.旅行者に旅情を味合わせまいと作られた衝立のごとし. "七条ヶ原てえと今の京都の停車場ン処です。あすこで釜茹でになった"(締め込み) |
京都駅 | 2005 | |
本願寺 | ほんがんじ | 兵庫船(三一上方2:09) など 7件4題 (東京1件, 上方6件) | 下京区常葉町など | 東西本願寺.「西京土産」は明治の普請のことなので東本願寺,「地獄八景亡者戯」は東本願寺とある.「兵庫船」は両本願寺とある. "お銭を十文とかけて、何と解く(中略)京の両本願寺と解きます(中略)御門徒御門徒"(兵庫船) |
東本願寺御影堂門 | 2003 | |
東本願寺 | ひがしほんがんじ | 地獄八景亡者戯(創元米朝4:03) 1件1題 (上方1件) | 下京区常葉町 | 「地獄八景」で,お東さんの分裂騒動の世相を取り入れている. "エー、東本願寺さんのほうが、まだごたごたしてまっしゃろ"(地獄八景亡者戯) |
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門跡 | もんぜき | 世帶念仏(創元米朝4:06) など 2件2題 (上方2件) | 下京区 | 江戸で門跡といえば田原町に決まりだが,上方では特定できない.一応,本願寺のところに配置した. "なむあみだぶつもいろいろあります。門跡さんなんかになりますとなんとなしに値打ちがある"(世帶念仏) |
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御影堂 | みえいどう | けんげしゃ茶屋(創元米朝5:13) など 5件1題 (東京1件, 上方4件) | 京都市か | さまざまな寺院に御影堂がある.例えば,滋賀県木之本町に移転した新善光寺.西本願寺御影堂は大修復中. "京都に御影堂というところがあるやろ"(けんげしゃ茶屋) |
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本国寺 | ほんこくじ | 菊模様延命袋(金松堂 (1892))など | 下京区柿本町か | 本圀寺のことだろう.日蓮宗大本山.京都六条堀川の地にあったが,戦後,山科北部の山際(山科区御陵大岩6)に移転した.旧地には塔頭が残っている. "日当という坊さんは尾上菊五郎と申します人の全くの胤だやら、京都本国寺の院代の義当という人の胤のやら,どちらがどうだか分かりません"(菊模様延命袋) |
本圀寺惣門 | 2017 | |
平安高校 | へいあんこうこう | 熱戦甲子園(講三枝:6) 1件1題 (上方1件) | 下京区御器屋町30(大宮七条上ル) | 高校野球の強豪校.近くでは1997年夏に準優勝した.校舎入り口にトロフィーなどを展示してある.2008年龍谷大学付属平安高校となる. "先攻は京都代表、二十五回出場の古豪平安"(熱戦甲子園) |
平安高校 | 2006 | |
島原 | しまばら | 能狂言(集英圓生2:10) など 23件17題 (圓朝1件, 東京10件, 上方12件) | 下京区上之町,仲之町,太夫町,中堂寺町,揚屋町,下之町 | 官許廓.島原の乱のあとに柳町から移転した.その混乱ぶりから島原というとも.西門は車にたびたび当てられ再建を断念し,今は碑のみとなる. "久し振りなる五十両、これよりすぐに島原へ女郎買いにまいろう……まず島原へまいろう"(能狂言) |
島原西門 | 1983 | |
島原:入口の柳 | いりぐちのやなぎ | 馬子茶屋(講昭和戦前2:14) 1件1題 (上方1件) | 下京区薬園町 | 入口にあっても出口の柳.大門際に植えられている. "下へ下へと取って参りますと島原、入口に柳がござります"(馬子茶屋) |
島原大門出口の柳 | 2003 | |
島原:角屋 | すみや | 馬子茶屋(講昭和戦前2:14) 1件1題 (上方1件) | 下京区西新屋敷揚屋町 | 今に残る揚屋.観覧謝絶だったはずだが,博物館を併設しており見学できるらしい. "すみ屋という、島原第一の大茶屋"(馬子茶屋) |
角屋 | 2003 |
掲載 030601/最終更新 230801