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新潟県−義侠の惣七   
敵討義侠の惣七(あらすじ)
表題を仇討義侠の惣七と申しまして越後国蒲原郡新飯田村の侠客惣七の実伝でござりますが結局(ばつ)に至りまして文政九年の冬本所千間原と云ふ所ろで仇討に相成る勇ましいお噺でござります
 (司馬龍生 「敵討 義侠の惣七」)
  『敵討 義侠の惣七』,文明林(1899)
 
地点名 この1題・登場回数 位 置 備 考 写真と撮影年
菅谷の不動 すがたにのふどう 敵討義侠の惣七(文明林 (1899)) 新発田市菅谷860 越後新潟などを旅回りしていた司馬龍生(三遊亭圓新)の人情噺「敵討義侠の惣七」と続編の「残る月影」が,新潟市内や新潟南部の新飯田(にいだ)を舞台とする.実在の侠客,新飯田惣七の伝で,彼の出生から売り出し,敵に恨まれて殺された後,惣七の子によって仇討をとげるまでを描いている.数十件もの新潟県内の地名が登場する.縁類の滝沢さんという方が,「敵討義侠の惣七」を所蔵され,テキストの書き下しや注釈を加えたホームページを開いている(「新飯田の惣七」).滝沢さんに,墓所を案内していただいた.
菅谷の不動は,諸法山菅谷寺.新発田駅からバスの便がある.火事の時,みたらせの滝のタニシが本尊を守ったというエピソードが伝わる.不動堂の板壁は,願掛けのようなマジックによる落書きで埋めつくされていた.なんでも食べられますように,は可愛らしいが,中には新車販売ノルマ達成を願うものもあった.
"眼病につき菅谷の不動へ参詣に参りしついで"(敵討義侠の惣七)
菅谷不動山門 2016
水原 すいばら 敵討義侠の惣七(文明林 (1899)) 阿賀野市 旧北蒲原郡水原町.北から順に「敵討義侠の惣七」に登場する地名を並べているため,ストーリーとの関連がとらえにくい.水原は,白鳥で有名な瓢湖のそば.天領である水原には代官所が置かれ,周辺地域の監視や年貢米の確保にあたった.代官所の建物は1995年に再建された.噺にも水原の代官が登場する.
"牢中水原の惣兵衛政五郎"(敵討義侠の惣七)
水原代官所跡 2016
沢海 さわみ 敵討義侠の惣七(文明林 (1899)) 新潟市江南区沢海 "さわみ"のルビがついているが,"そうみ"が正しい.沢海藩の知行所が光円寺に置かれていた.真光寺の喧嘩に出張った沢海の役人が惣七を捕縛する.
"沢海の領主よりお役人が参りまして惣七を召し捕り"(敵討義侠の惣七)
沢海旗本知行所光円寺 2016
葛塚 くずづか 敵討義侠の惣七(文明林 (1899)) 新潟市北区葛塚 白新線豊栄駅周辺.開市(かいち)神社は,葛塚の市を開き,用水を整えた庄屋遠藤七郎左衛門宗寿・七郎左衛門国忠・七郎昭忠の3人を祀ったもの.とんでもなく頭でっかちの遠藤七郎顕彰像があった.
"葛塚の小藤治"(敵討義侠の惣七)
葛塚開市神社 2016
本所 ほんじょ 敵討義侠の惣七(文明林 (1899)) 新潟市東区本所 阿賀野川右岸.白新線の大形駅そば.本所の浅間原で,惣七を殺した木山治六が討たれた.もちろん,その跡はもはやわからない.
"葛塚から道を急ぎ大野へ帰らうと本所村の渡場まで参りまする"(敵討義侠の惣七)
本所案内 2016
新潟:白山神社 はくさんじんじゃ 敵討義侠の惣七(文明林 (1899)) 新潟市中央区一番堀通町1-1 新潟の総鎮守.境内周囲の白山公園は他の落語に出てくる.都市公園としては日本最初のもの.忠犬ハチ公かと思ったら忠犬タマ公の銅像に出会った.雪崩に巻き込まれた飼い主を二度にわたって助けた柴犬.
"新潟へ参り白山神社へ参詣と申して"(敵討義侠の惣七)
白山神社蓮池 2016
新潟:白山浦 はくさんうら 敵討義侠の惣七(文明林 (1899)) など 新潟市中央区白山浦 白山神社の裏手.白山浦の町名に残っている.夜船に乗った惣七が,船で乗りつけてきた木山治六に斬り殺される場面.白山前から新飯田まで,新潟交通の電車が通じていた.
"漸う白山浦まで参りますると惣七は大刀を船縁に差し"(敵討義侠の惣七)
白山浦あたり 2016
鳥屋野 とやの 敵討義侠の惣七(文明林 (1899)) 新潟市中央区鳥屋野 信濃川に近い湿地,鳥屋野潟のある土地.冬場にはハクチョウが飛来することで知られる.
"処は平島と申して信濃川の縁で向こうは鳥屋野村でございまする"(敵討義侠の惣七)
鳥屋野潟 2016
平島 へいじま 残る月影(文明林 (1900)) など 新潟市西区平島 歩道を飾るガーター橋は,1999年に廃線になった新潟交通の線路跡.新潟交通の平島駅が近くにあった.
"平島で心中をしやうとした所を惣七さんに助けられて夫婦になり"(残る月影)
平島のガーター橋 2016
大野 おおの 残る月影(文明林 (1900)) など 新潟市西区大野 行ってみてはじめて知ったのだが,大野の朝市は地元民にむけて,日常的に開かれている.点々と路上に農産物が並べられていた.大野にも新潟交通が通っていて,黒崎中学前駅が中心街に最も近い.
"私は越後の大野で亀田屋幸兵衛と云ふものの甥でございまして"(残る月影)
大野の朝市 2016
白根 しらね 敵討義侠の惣七(文明林 (1899)) 新潟市南区 旧白根(しろね)市.合併して新潟市に入る.中ノ口川をはさんで東西で戦う大凧合戦が有名.しろね大凧と歴史の館で実物の凧を見られる.
"後ろから白根町の呉服渡世を致す勇二郎"(敵討義侠の惣七)
白根大凧展示 2016
鵜森 うのもり 敵討義侠の惣七(文明林 (1899)) 加茂市鵜森 加茂市内だが,信濃川の左岸で新飯田そば.
"惣七の子分に鵜森の三太郎と申して少々物の足りない人がございました"(敵討義侠の惣七)
鵜ノ森バス停 2016
加茂 かも 敵討義侠の惣七(文明林 (1899)) 加茂市 信越本線加茂駅そば.町の中を加茂川が貫いており,葵橋とついた橋の名前からも,京都を思わせる.
"加茂の虎屋を始めとして所々の賭博打から差入者がありました"(敵討義侠の惣七)
加茂川葵橋 2016
田中 たなか 敵討義侠の惣七(文明林 (1899)) 加茂市田中新田 田中村とあるのは,田中新田あたりのことだろうか.新飯田と鵜森にはさまれた位置.ここのヤクザ者の家で,田舎博打が開かれている場面.
"この隣村を田中村と申しまするがここに万五郎と申す賭博打が"(敵討義侠の惣七)
田中新田ふれあいセンター 2016
三条 さんじょう 敵討義侠の惣七(文明林 (1899)) 三条市 三条市.弥彦線の北三条駅が中心地に近い.惣七の命をねらう青木道助を追い詰める場面.本成寺村へ出る渡し場ということなので,御蔵橋を訪れた.ここが正解かどうかはわからない.常盤橋とならんで,早くに五十嵐川に架橋された.
"道助は三条中を逃げまはりました末に渡場まで参りますると丁度今舟が出やうと云ふ所ろでございます"(敵討義侠の惣七)
五十嵐川御蔵橋 2016
三条:本願寺出張所 ほんがんじしゅっちょうじょ 敵討義侠の惣七(文明林 (1899)) 三条市本町2-1 真宗大谷派三条別院のことだろう.弥彦線北三条駅のそば.1878年に明治天皇三条行在所となった.報恩講は親鸞上人のなくなった11月に開かれる.
"三条町の本願寺出張所で報恩講のお取越がございまする"(敵討義侠の惣七)
三条別院 2016
三条:本寺小路 ほんじこうじ 敵討義侠の惣七(文明林 (1899)) 三条市本町2 三条別院前の南北路.三条市には,警察小路や念仏小路など,変わった名前の街路があり,本願寺に行ってみたら本寺小路の標柱が立っていた.
"本寺小路といふ所ろで計らずかの青木道助に出逢ひました"(敵討義侠の惣七)
本寺小路標柱 2016
三条:本成寺 ほんじょうじ 敵討義侠の惣七(文明林 (1899)) 三条市西本成寺1-1 法華宗陣門流総本山長久山本成寺.三条市街の南西部.広い境内に巨大な本堂,客殿,多宝塔などの伽藍がならび,多くの塔頭を抱える.
"この村に本成寺と云ふ寺がありまして"(敵討義侠の惣七)
本成寺多宝塔 2016
柳川 やながわ 敵討義侠の惣七(文明林 (1899)) 三条市柳川新田あたり 乗っていた船をひっくり返された右一郎が,信濃川を流される場面.信濃川の右岸,柳川新田あたりのことだろう.大島頭首工は,周囲の水田に農業用水を供給する配水施設.
"そのまま押し流され柳川村に水除杭に押しつけられ"(敵討義侠の惣七)
大島頭首工 2016
荻島 おぎしま 敵討義侠の惣七(文明林 (1899)) 三条市荻島 信濃川をはさんで柳川新田とむかいあっている.荻島で右一郎夫婦が乗った船が遭難する.
"与板大河津三条を通り越し荻島の端へ掛かりました"(敵討義侠の惣七)
荻島の果樹園 2016
新飯田 にいだ 敵討義侠の惣七(文明林 (1899)) など 新潟市南区新飯田 「義侠の惣七」のメインの舞台.新潟交通の新飯田駅は中ノ口川の対岸にあった.6月の神明宮春季大祭(にいだ祭)では,大名行列が町内を練り歩き,勇壮あばれ神輿が駆けまわる.
"越後国蒲原郡新飯田村の侠客惣七の実伝でござります"(敵討義侠の惣七)
にいだ祭の幟 2016
新飯田:惣七墓所 そうしちぼしょ 敵討義侠の惣七(文明林 (1899)) 新潟市南区新飯田 新飯田惣七こと滝沢惣七は,実在の人物.文政6年(1823)没.新飯田の民家に墓がある.戒名は,釈妙剣刃芒莞位とあるが,墓石は摩滅して墓碑を読むことはできなかった.
"子分がいとも美事に立てましたはただ今の墓所でございます"(敵討義侠の惣七)
新飯田惣七墓所 2016
新飯田:青地蔵 あおじぞう 敵討義侠の惣七(文明林 (1899)) 新潟市南区新飯田 少しぬけた鵜の森の三太郎とお鉄の合いびきの場面.新潟交通果樹観光園前バス停のすぐそば,速記どおり中ノ口川の土手を降りたところ.
"土堤下に青地蔵と申す堂がございます"(敵討義侠の惣七)
青地蔵尊 2016
高野宮 こうのみや 敵討義侠の惣七(文明林 (1899)) 新潟市西蒲区高野宮 高野宮は,新飯田の中ノ口川対岸にあたる.高野宮の名がついた神社があるのではと期待して探したが,見つからなかった.
"新飯田の隣村に高野宮と云ふが有りまして"(敵討義侠の惣七)
高野宮バス停 2016
三方 さんぽう 敵討義侠の惣七(文明林 (1899)) 新潟市西蒲区小吉あたり 高野宮の内の集落名.三方の渡しが止められ,次項の大げんかで新飯田の者が孤立してしまう.新飯田の惣七は川を泳いで,六分へ乗り込む.
"こっちは六分村三方村高野宮村の若者が一組になり"(敵討義侠の惣七)
三方の渡し場 2016
真光寺 しんこうじ 敵討義侠の惣七(文明林 (1899)) 新潟市西蒲区高野宮1770 曹洞宗東福山新光寺.ここで8月に開かれた流灌頂(川施餓鬼)で,新飯田と六分村の若者が大げんかとなる.中ノ口川をはさんだ,六分・三方・高野宮の者が集まって,新飯田の者を皆殺しだという騒ぎ.これを聞いた惣七が単身乗りこんで,敵を蹴散らす.
"その村の真光寺と申すお寺におきまして"(敵討義侠の惣七)
新光寺山門 2016
六分 ろくぶ 敵討義侠の惣七(文明林 (1899)) 新潟市西蒲区六分 六分にも新潟交通の電車駅があった.駅標を模した説明板にあるとおり,隣が新飯田駅だった.1993年に廃止され,日に3便の西蒲区バスになってしまった.
"コレハコレハ六分の茂十さん"(敵討義侠の惣七)
六分駅跡 2016
針ヶ曽根 はりがそね 敵討義侠の惣七(文明林 (1899)) 新潟市西蒲区針ケ曽根 六分のすぐ北にある農村.ここの金持ちの家に,少年時代の惣七は奉公にあがっていた.
"近所に針ヶ曽根と申す村がございます"(敵討義侠の惣七)
針ヶ曽根集落標 2016
漆山 うるしやま 残る月影(文明林 (1900)) 新潟市西蒲区漆山 六分の北西約6km.新飯田−六分−巻間のバス路線が通じている.惣七の娘のお若が嫁いだ先.お若には兄の雛吉,弟の年蔵があり,後編の「残る月影」では年蔵が主人公になる.行ってみたら,思った以上に大きな集落だった.
"惣七の娘が漆山に縁付いて居ますので"(残る月影)
漆山の町並み 2016
峰山 みねやま 敵討義侠の惣七(文明林 (1899)) 新潟市西蒲区峰岡あたり 巻市街の西,弥彦山地のふもと.長岡藩の支藩であった三根山藩は,戊辰戦争の際,困窮する長岡藩に米百俵を送った.受け取った長岡藩は,これを人材育成に使ったという「米百俵」の記念碑がある.
"久左衛門の賭場より峯山の勝三は何の気もつかず出て来ます"(敵討義侠の惣七)
三根山藩米百俵碑 2016
観音寺 かんのんじ 敵討義侠の惣七(文明林 (1899)) など 西蒲原郡弥彦村観音寺 峰山から南,弥彦神社を越えたところ.集落と同じ名の観音寺がある.話に出てくる観音寺久左衛門親分こと松宮久左衛門の墓は,観音寺村の農園内に現存する.
"観音寺の久左衛門と長岡石内の綱助"(敵討義侠の惣七)
松宮久左衛門墓 2016
大河津 おおかわづ 敵討義侠の惣七(文明林 (1899)) 燕市大川津 現在は燕市だが,かつては分水町といった.ここで信濃川を北西に分けて,日本海に至る大河津(おおこうづ)分水に由来する.用例は,右一郎らが乗った信濃川下りの舟が清見に転覆させられるシーン.道中付けの最後,荻島が新飯田に近い.
"与板大河津三条を通り越し荻島の端へ掛かりました"(敵討義侠の惣七)
大河津分水可動堰 2016
与板 よいた 敵討義侠の惣七(文明林 (1899)) など 長岡市与板町与板 信濃川左岸.与板藩の陣屋があった.雪よけの雁木が連なるアーケードがある.用例は,松江右膳を闇討ちした清見の経路.越後与板に落ち着き,国蔵一家の用心棒となる.
"越後路へ差し掛かり長岡を過ぎて与板へ参りまして"(敵討義侠の惣七)
与板の雁木 2016
長岡:新町 しんまち 敵討義侠の惣七(文明林 (1899)) 長岡市新町か 新町(あらまち)のことだろう.長岡藩軍事総督の河井継之助は,北越戊辰戦争の奇襲作戦で長岡城を奪還したが,新町口で流れ弾に当たって負傷する.結局,この傷がもとで只見村で死亡する.陣を張った長福寺の柱には弾痕が残るという.
"新町まで行って来ましたが"(敵討義侠の惣七)
新町口河井継之助遭難地 2016
長岡:石内 いしうち 敵討義侠の惣七(文明林 (1899)) など 長岡市石内 長岡市内,前項の新町に近い.観音寺の久左衛門と石内の綱助という親分が出てくる.
"長岡の石内と云ふ所ろの茶屋にて独酌で酒を飲んで居ります"(敵討義侠の惣七)
石内一丁目バス停 2016
長岡:渡里 わたり 敵討義侠の惣七(文明林 (1899)) 長岡市渡里町 柿川に沿った河渡跡.説明板に詳しく書いてあるように,渡里は荷物や旅人が集まる長岡第一の繁華な地で,本文にあるような旅籠屋もあった.せっかくなので説明板を書き写すと,十返舎一九が「はや月の夜の長岡楽しけれ 月の光の照渡り町」と詠んでいる.
"六日町を立ちまして長岡の渡里町小熊屋といふ旅籠屋へ宿を取りまして"(敵討義侠の惣七)
渡里橋河渡跡 2016
大白川 おおしらかわ 敵討義侠の惣七(文明林 (1899)) 魚沼市大白川 おそらく「八重葵噂天一」に出てくる守門岳南麓の大白川のことだろう.併記される古志郡や蒲原郡とくらべると,狭い地域を指すので,確定はできない.大白川は雪深い土地で,この奥,六十里越は豪雪のため冬場の通行は困難だった.大白川駅ホームにある"雪"の標識に,緊張感を感じる.
"下は大白川二十ヶ村古志蒲原の人々が"(敵討義侠の惣七)
大白川駅 2016
浦佐 うらさ 敵討義侠の惣七(文明林 (1899)) 南魚沼市浦佐 真言宗普光寺.坂上田村麻呂の開基になる古刹.新幹線浦佐駅から徒歩圏.毘沙門天は秘仏.賭場の開かれた浦佐の祭りとあるのは,水垢離をして毘沙門堂内で押し合う,裸押合のことだろう.巨大なロウソクがたくさん奉納されているのも,その祭りのためか.
"スルト魚沼郡浦佐駅にて……毘沙門天の祭がありまするから"(敵討義侠の惣七)
浦佐毘沙門堂 2016
土樽 つちたる 敵討義侠の惣七(文明林 (1899)) 南魚沼郡湯沢町土樽 浦佐から南は六日町,湯沢,西は弥彦,小千谷,寺泊,椎谷,柏崎,関川などが登場するが,"はなしの名どころ","圓朝地名図譜"に譲っている.また,新潟県外の新出地名の藤原(群馬県),平河天神(千代田区)などは,それぞれのページに記載した.土樽は越後湯沢の南,清水峠,谷川岳をはさんで群馬県に接している.名所案内にある土樽スキー場は,撮影時にはすでに営業を止めていた.改訂する必要ないほど駅利用者が少ないということだろう.
"上は湯沢土樽下は大白川二十ヶ村"(敵討義侠の惣七)
土樽駅名所案内標 2016

掲載 200501/最終更新 231201

   表の項目の説明

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